文化環境論 の構築へ向けて
AGui de l i nef o r̀ Cul t ur alEnv i r o nme n t '
松田 雅子
Mas akoMATS UDA
序論
2 0 0 2
年 より実施 された長崎大学環境科学部の新 カ リキュラムにおいて、「文化環境論」は環境政策 コー スの基礎科 目の一つ として、2
年生対象 に開講 され ている。 しか し、文化 という概念の包含す るものが きわめて広 く、多岐にわたっているばかりではなく、文化 と環境問題 との関連 に関す る議論が既存の学 問 領域 と して積み重ねが少ないので、 どのように取 り 組めばいいかが課題 となっている。地域文化的 な側 面ばか りではな く、 もっと広 いパースペクテ ィブで 文化を考察す る視点 も、 求 め られて いるよ うであ る1)。小論では、 まず現代 における文化 とその役割、
文化帝国主義、異文化交流、 イギ リスバー ミンガム 大学 に端を発す るカルチュラル ・スタデ ィーズ、 さ らに具体例 としてイギ リス文化などについて考察 し、
その後、「文化環境論」をどのように組み立てて いけ ばよいか、 イギ リス文化の視点か ら考えてみたい。
第 1章 文化を生活そのものとしてとらえるカルテュ ラル ・スタデ ィーズ
文化 という概念が意味す るものは、 きわめて多様 である。 自然 に対抗 し人間が作 り出 した ものすべて であると、いう立場か ら、伝統 に裏付 けられ高度 に洗 練 された教養 とみ る見方などがその例である。 その なかで、 ウィリアムズの定義 はこの多様 さに方 向性 を与えて くれるように思われる。
1) レ イ モ ン ド ・ウ ィ リ ア ム ズ (Raymond W iHiams)の三つの定義
ウェールズの労働者階級出身のウィリアムズは、
ケ ンブ リッジ大学で学 び、 イギ リスカルチュアル ・
受領年月 日
2 0 0 3
(平成1 5 )
年6
月1 0
日 受理年月 日2 0 0 3(
平成1 5 )
′年8
月4
日スタデ ィーズの創始者の一人 となった文芸批評家 で ある。階級制度がいまだに残存す るイギ リス社会で、
1 9 3 0‑4 0
年代 に、 中流 ・上流 階級 のための教育機 関である大学で学んだウィリアムズは、階級 による 文化の違 いに深 く思 いをめ ぐらす。 その思索の結果 生 まれ た の が 、The Lo n g Re v ol ut i o n
,(1 9 6
1),Cul t u r e( 1 9 8
1)などの文化をめ ぐる一連 の著作 であ る。TheLo n gRe u ol ut i o n
のなかで、彼 は文化 につ いての三つの定義 を示 している。 (若松4 3 )
(1
)文化を「理想」と考える定義。 この定義では、∧ 文化 の分析 は 「人間 に普遍的な状況 と永遠 に結 びっいていると見 ることがで きるさまざまな価 値をさまざまな生活や作品 に見つけ出 し、記 す
こと」である。
(2)文化を 「
記録」 と考える定義。 この定義では、「文化 は、知性 と構想 力 を働 かせて作 られた も のの全体であって、細かなところまで、人 間の 考えや体験のさまざまな姿が記録 されている も
の」である。
(3
)文化を「社会生活 のあ り方」と考え る定義。 こ の定義 に従えば、文化 の分析 は「特定 の生活 の 仕方、特定の文化 に暗黙の内に、 また、 は っき りとした形で含 まれている意味 と価値 とを明 ら かにす ること」である。 それだけで はな く、「生 産の組織、家族の構造、 さまざまな社会関係 を 表現 あるいは規定 しているさまざまな制度 の構 造、 その社会の構成員が コ ミュニケー トす る時 の独 自な形式、の分析を も含んでいる。」
これまで、文化 というときには教養、伝統 と結 びつ いたハイ ・カルチ ャーすなわち第一や、第二 に定義 されたものを意味 しがちであった。たとえば、マシュー
・ア ‑ ノル ド
( Ma t t h e w Ar n o l d )
のCul t ur e and Anar c h y( 1 8 6 9
)が 『教養 と無秩序』 と訳 されたのはその例である。 しか し、現代の文化 は第三 の定義 で把握 されるようにな っていて、本論で もこの枠組
みを中心 に考えていきたい。
2
)文化の現代的重要性文化を、社会、政治、経済などと区別 して独立 し た もの ととらえる古典的な見方 は、現在ではもはや すたれて きた。 その理由は、文化を分離す ることに よって、「社会統合、政治支配、 不平等 の維持 。再 生産 などの微妙かっ トータルなメカニズムの解 明が 不可能 にな って しまう」(見田 。宮 島
1 )
か らで あ る。 この点 に、現代文化をとらえなおす必要性 が生じている。
ドイツの思想家、ヴァルター 。ベ ンヤ ミンの芸術 。 文化論 によると、複製技術が発達 し普及するまでは、
文化 はすなわち上流階級の芸術であ った。 しか し、
複製技術時代のテクノロジーが、創造的個人 によ っ て生み出され、希少性 と個性 によ って光 り輝 いて い た芸術作品か ら、そのアウラを奪 って しまうとい う 結果 にな った (ベ ンヤ ミン)。現代では 「文化産業」
が大衆 に向けて、「文化製品」 あ るいは「文化商品」
を大量 に流通 させ、販売す るようになり、 こう した 文化 はわれわれの日常生活のなかに浸透 し、各人 の アイデ ンテ ィテ ィの形成 に も大 きな影響 を与え るよ うにな っている。
さ らに、 この文化商品の流通 。消費 は現代で は国 境 を越えて行われ、欧米の資本主義文化が世界 的 に 浸透 していった結果、先進国による文化的支配、 経 済的支配 と呼びうるような状態を作 り出 している。
第三世界の生活様式 に見 られるよ うに、他の文化 の 価値観 を脅かす文化の流通状況 は「文化帝国主義」と 呼ばれている。 しか し、それだけにとどま らず、 グ ローバ リゼーションによって、 テ レビ 。映画 ・イ ン ターネ ッ トなどで配信 される映像や メッセージは世 界中の人間の文化的経験全体 に影響 を与えている。
3)消費文化の成立 とその問題点
文化の意味が変容 してきた根本には、テクノロジー の発達以外 にも、資本 による消費文化の創出とい う 大 きな問題がある。 いわゆるモー ドや ファッシ ョン を作 り出 し、消費者 の欲望をあお り無限に需要 を生 み出す ことで、最大 の難問である恐慌 を回避 し、 繁 栄を続 けよ うと しているのが、現代の資本主義 とい うシステムである。人 々は社会学者 の見田が指摘 し ているように
[大量採取
‑
大量生産‑
大量消費‑
大 量廃棄 ] という無限幻想 に魅了 された。 その結果 として、現代の消費文化 は、恐慌 を克服す ることはで きたが、 そのかわ りに環境 と資源の臨界 とい うも うひとつの深刻な問題 に直面す るようにな った。 こ の推移の核心 は、「情報 による消費 の無限空間の創 出」であり、 このことによる、矛盾の外部化である。
(見田
1 9 9 6b4)
この変化を文化 とい う面か ら見 るな らば、モー ド、
ファッション、音楽、 ライフスタイルという文化 が 経済 と結 びっいていて、文化の誘惑 によって消費者 は欲望 をか きたて られ、送 り手 によって操作 され、
消費行動 に走 らされているとい う現象である。 この 誘惑 は、 外部 か ら強制 された もので はないので、
「誘惑を避 ける唯一の手段 は、 誘惑 に身 を任せ る以 外 はない」(ワイル ド) とい う状態 にな って いる。
このよ うに強制ではな く、消費者みずか らが自由を 行使す るよ うにみえる消費行動 は、消費者の自我 の プライ ドを満足 させて くれ、文化 というソフ トなパ ッ ケージに包 まれた欲望誘発のメカニズムは、経済 に 直接 に結 びっ く、文化 の実利的な機能 となっている。
第
2
章 文化を制するものは世界を制するのか ?1) 文化帝国主義 とグローバ リゼー シ ョン 国民国家の国境を越えて、政治 ・経済のグローバ ル化が進むにつれ、異文化理解や文化の伝播の重要 性が強調 されている。 たとえば、 「文化 とい うもの が世界 に通用す る形で表現 されないと、結局経済 も 政治 も上手 く行かない」とか、「文化を制す るもの は 世界を制す」と、文化の重要性 が力説 され る (青木
1 81
)。 これ らの言説 は、 グローバ リゼ‑ションの文 化的側面を表現 しているが、その一方で、その負 の 側面である 「文化帝国主義」 という用語 も、資本主 義の近代的拡張 に対す る抗議を表す言葉 として使 わ れている。しか し、 イギ リスの社会理論家、 トム リンソンは 文化帝国主義 に関す るさまざまな言説 を分析 した結 果、 この言葉 は文化 による支配、 あるいは文化的押 しつけという意味をこめて使われることが多 いけれ ども、 グローバ リゼーションは帝国主義 よりもはる かに無 目的な ものであ り、経済活動や文化活動 の結 果生 じた ものであると論 じている。 それよりも問題 は、帝国主義のように強制 されたわけではないのに、
消費者が進んで文化を受 け入れようと していること である。
さらに、 グローバ リゼーションに関す る最大 の問 題 は、お もに現代 アメ リカが作 り出 した生活様式 と 大衆文化が世界中に広 まり、文化の画一化 を引 き起
こしているが、一方 そのなかで、民族 や宗教 の対立 が頻発 していることである。 なぜ、画一化のなかで 文化摩擦 は容易 に解消 されず、「文明の衝突」は避 け がたい というこ とませが真剣 に論 じられ るようにな るのだ ろうか。 この点 に関 して も、文化 のグローバ ルな面 とローカル なアスペク トのあいだの ダイナ ミ ズムに注 目せざるをえない。
2)
アメ リカ化 について現代では世界中のほとん どの大都会 で、高層 ビル が立 ち並 び、高速道路 には車があふれ、 シ ョッピン グ ・モ‑ル、 ファース ト・フー ドのチェーン店、ファ ミリー ・レス トランを訪れ る、 ジー ンズにTシ ャツ とい うラフなスタイルの市民 とい う、 どこで も似 た りよった りの風景が繰 り広 げ られている。 これは、
文化 の グローバ リゼーシ ョンの表層であ り、文化 の アメ リカ化 という面 を強 く持 っている。 アメ リカの 大衆文化が提示す るライフスタイルは単純 なまで に 明 る く若 々 しく、わか りやす くオープ ンである。 そ の上、‑‑ リウッ ド映画やポ ピュラー音楽 によって、
文化が持っ理想的なイメージが映像 と物語 と音楽 に よって、人々の心理 のなかに食 い込んで行 く。 映像 の提示す る物質的な豊か さにたいす るあ こがれは、
その文化を進んで受 け入れ る態度 を助長 している。
メデ ィアをテキス トと して解読 しようとす るフラ ンスの構造主義の思想家、 ロラン ・バ ル ト
( Rol and Ba r t he s )
はテクス トの読み方 につ いて、 テキ ス トと読者 のあいだには「絡み合 い」の構造があることを 指摘 し、 それを批評の基本原理 に据 えて きた。 わ た したちが、映画や小説 などの文化的なテクス トを読 む時 は、 いとも簡単 にテクス トを支配 している主人 公の視点 に自分を同一化 して しまう傾向がある。 ま た、読書 においては じめか らはっきりとした考 えを もって読み進 めているわけではな く、む しろテ クス トの ほうが、 わた したちを 『そのテクス トを読 む こ とがで きる主体』へ と形成 してゆ く。 (内田
1 2 5 )
こういった理由か ら、 メデ ィアを支配す ることの 意味 は非常 に大 きく、受 け手 のアイデ ンテ ィテ ィの 形成 にかかわ る問題 とな って くる。次節では大衆文 化 のテクス トが、受 け手の内面で どのような意 味 を 持 って受容 されているのか考えたい。
3)大衆文化の持 っている意味
トム リ ン ソ ン は
1 9 9 9
年 のGl ob al i z at i o n and Cul t u r e
のなかで、 コマーシャル、 アイ ドル グループのアルバ ム、 ダイアナ妃 の死 をめ ぐるメデ ィアの
報道、 サ ッカーの ファン雑誌 なども、文化 テクス ト であると定義 し、 それ らの持っ意 味を考察 している。
人 々が広告文 を利用す る方法 は、小説や映画 を 利用す る方法 と似ていることが多 い。 それ は、 そ うした広告文が、(イデ オ・ロギ ー的 に は どん な に 疑 わ しい ものであれ)人生 はどのよ うに生 き られ るか という物語や、共通 のアイデ ンテ ィテ ィ概 念 の根拠 や、 自己 イメー ジのア ピールや、 「理想」
の人間関係像や、人間的な満足や幸福 の型 な どを 提供 して くれ るか らである。 ‑ 我 々は、 この意 味での文化 を、「実存 に重要 な」 意 味 の領域 と し て考え ることがで きるか もしれない。 ‑ この文化 観 は、 ‑深 い個人的意味 に関す る問 いで もある。
(トム リンソン
1 9 9 94 2 )
老子、‑ベー トーベ ン、 ピカソ、スパイス ・ガー ルズ、 ダイアナ妃 の死、広告 などは 「文化的 テ ク ス ト」 なのである。 これ らはすべて、人 々が 自分 の存在 の意味を理解す るために利用 しているとい う意味 において、文化的テクス トの資格 を有 して いるのだ。‑・文化 とは、現在進行中の人 々の 「生 活物語」 に直接寄与す る、 こうした 日常的 な活動 のすべてを指す。 これ らの物語 によって、 われ わ れは、‑イデガ‑のい う「被投性」を持 った人 間的 状況の中で、我 々の存在 を長期 にわた って解 釈 し 続 けるのである。 (トム リンソン
1 9 9 94 4 )
この議論 は大衆的な文化 テ クス トの持っ意味 とい う点では、非常 に深 い洞察 を与 えて くれ る。 この よ うな文化 に もっとも敏感 に反応す るのは、 グローバ ルな コ ミュニケーションとメデ ィアのテ クノロ ジー に容易 にアクセスで きる若 い世代であるが、彼 らは テクノロジーの最先端 に位置 し、 それ らを使 って、
自分 たち自身で文化的な コンテクス トを作 り出 して い く。 それは若者文化 と して、 メイ ンカルチ ャーや ハイカルチ ャーに対す る抵抗 を示す とい う意味 を持 ち、若者独 自のアイデ ンテ ィテ ィを主張するために、
ポ ップカルチ ャーが利用 されている。
けれど も、 ここに提示 されているテ クス ト、 大衆 が利用す る材料が、 お もに広告、娯楽、 ゴシップな どであるとい うところに、 この文化戦略 の限界 が あ るのではないか。広告 はあ くまで人 々の消費行動 を 誘 うための ものである。 それゆえに、 このよ うな文 化 テクス トが永続的な 「実存 に重要 な意味の領域」
とな りうるか とい うことになると、 はなはだ心許 な
い。 と くに、今 日のように地球環境 問題が、物質 的 な豊 か さの追求 その ものには限界があることを示 し て来 るときに、多 くを期待 で きるのだろうか。
トム リンソンは前著
Cul t ur alI mpe r i al i s m ( 1 9 9
1) では、近代性 の拡張 にともな って い るの は、 「文化 的押 しつ けで はな く、文化的喪失 のプロセス」
だ と し、 もし文化 とい うものを、 「個 人 お よび社会 の意 味や 目的の物語 を生 み出す手段」 と考 え るな らば、文化帝国主義 に対す る不満 は、近代的状況 にお け る こう した手段が世界的に機能 していないことに対 す る不満 として解釈 され うると論 じている。
4)イギ リスカルチ ュラル 。スタデ ィーズの現代性
イギ リスに端 を発 したカルテュラル 。スタデ ィー ズは、バー ミンガム現代文化研究所 を拠点 と した、ジャマイカ出身の批評家 スチュア‑ 卜。ホール(
St u ar tHal l )によって、盛んにな った。彼 はオ ックス
フォー ド大学 に学 び、 そ こで初めて植民地出身者 と して人種的な偏見 を感 じることにな り、 フランス思 想 の紹介 とそれを使 っての、文化 の政治性の解 明 を 試 みた。 (上野 ・毛利
7 0 ‑ 2 )
カルチュラル 。スタデ ィーズの研究で は、抵抗 す る文化、文化 による抵抗 とい うことがいわれ る。 イ ギ リス文化 のなかで、階級 の違 いに対す る労働者 の 若者 たちの異議 申 し立て、 あるいは旧植民地出身 の 人々の、文化 を通 しての自己主張が行 われ、主流文 化 とい くつかの対抗文化 との 「せめ ぎあい」が観 察
されている。
英文学者 の本橋 はこの 「せめぎあい
」
とい うこと を、文化 の ダイナ ミズムを生み出す もの として、 重 要視 している。‑ (重要 な ことは)文化が意味生産 の システ ム であって、 そ こか ら特定 の社会秩序が伝達 され、
再生産 され、体験 され るとい う点である。言 い換 えれば、文化的な活動 は、芸術作品の創造にせよ、
社会秩序 を構成す るものであ って、 あ らか じめ与 え られた秩序 を表現す るもので はない、 とい うこ とだ。 ‑ 構成す る諸 々の力のせめ ぎあい、 つ ま り、階級 や、人種、 エスニシテ ィ、 ジェンダー、
セ クシュア リテ ィ、宗教、年齢 などによって複 合 的 に影響 され る差異や多様性 に犯 された場 の政治 的力関係 こそが、文化 をよりダイナ ミックな もの と して見 よ うとす るとき注 目され るようにな るの である。 (本橋
1 9)
イギ リス社会で観察 された文化の政治性 は、グロー バルな文化 の分析 に も応用 され る。 グローバ リゼ ー ションとローカルな文化 との括抗、特定 の場所 を越 えて、広が ってい こうとす る文化 と、身近 な場所 に おける共同体 など、個人のアイデ ンテ ィテ ィを育 て 上 げた共通 の価値観 に基づ く文化が影響 しあ って、
変容 を遂 げてゆ く過程 をカルチュラル 。スタデ ィー ズでは研究課題 と している。
5)多文化主義
一方、植民地体制 の崩壊 とグロ‑バ リゼ‑シ ョン の影響 によ り
、7 0
年代 においては、多文化主義 が カ ナダ、 オース トラ リアで徐 々に制度化 され、 ア メ リ カで も、80
年代後半か ら注 目を集 めている。 多文化 主義 は 「さまざまなマイノ リティ集団か らの要求 に 端 を発 し、 マ ジョリテ ィも (彼 らの要求 を)多民族 国家 の新 しい国民統合原理」 と して受 け入れ るよ う にな った ことをさす。多文化主義 は、西洋近代 に内在す る矛盾 に対 して の挑戦 である。 西洋列強の諸国 は植民地時代 には、
国内で 「市民 の自由 ・平等を原理 とす る民主主義 を 建設 し、外 には植民地 の原住民や従属民 を抑圧支配 す るダブルスタンダー ド」 の体制 をとって きた。 し か し、植民地体制が崩壊 した後、国境 を越 えた大量 の人 口移動が起 こり、外か ら流 れ込んで きた「他者
」
が、 内部 で同化 されていたはずの少数者のアイデ ン テ ィテ ィをめざめさせた。「近代が掲 げた 『普遍性』
は、 マ ジョリテ ィによる単一文化支配 を偽装す る論 理
」
で はないか とその正当性 に疑問が投 げかけ られ たのだ。 いわゆる、「政治 的公共性 の空間 に文化 的『差異
』
が もち こまれたのである。
」 (三浦1 7 2 )
このような変革 に対 し、 アメ リカで は先鋭化 した 多文化主義 は国内を分裂 にみちび くと して、警戒 す る声が高 まっている。 たとえば、文明が衝突す ると い う説 の‑ ンチ ン トンは多文化主義 を断固 と して拒 否 している。 国内での多文化主義 はアメ リカと西欧 を脅か し、混沌 のパ ラダイムへ世界 をみちび くもの だ (‑ ンチ ン トン48 8 )
と強硬 な西欧文化支持 の姿 勢 を見せている。6
)文化研 究 は環境 問題 の解 決 に役 立 つ ことが で きる今 まで見て きたように、文化研究 は政治や経済 に 結 びつ いた、生活 その ものである文化 の ダイナ ミク スを解明 しようとす る研究領域である。 したが って、
生活 のあ り方 に影響 を与 えることで、文化研究 は環
境問題 の解決 に資す ることがで きる。
研究の方向性 として は、(1) 自然環境 と共生的 な、持続可能な文化のあり方を求 めて い く、 (
2)
メディア研究を含むこ カルチュラル ・スタデ ィーズ や多文化主義の研究 によって、文化その ものの ダイ ナ ミクスを知 り、文化 の及ぼす影響を把握すること、(3
)文化研究、異文化理解を深 ゆることによって、文明の衝突を避 ける道 を探 り、異質な ものとの出会 いか ら新 しい価値草生み出す こと、 (4) トム リン ソンのいう近代の文化的喪失状態を取 りもどす こと によって、いままでの文明の歴史が内包 していた、
物質的な豊かさにたいす るあこがれに代わる価値観 を探求す ることなどが考え られる。
循環型社会のあ り方 を構想す る時が きているとい う意識 は個々人のなかで、広 く行 き渡 っているに も かかわ らず、私たちはいまもなお、近代文明や近代 都市の放っェロス的幻影 に目を弦まされ、社会全体 の経済優先志向のなかで、暗中模索 しているとい う 状態である。 経済学者 の西山賢一 は、経済の営 みの 本質 は生命の再生産 にあるとし、そのためには 「‑・
前向 きに生 きてい くための意欲、価値観、世界観」
といっ亡た ものが必要であり、 この生 きるための原動 力 として、文化が大 きな役割を果た していると述 べ ている。 それを彼 は文化資本 と呼 び2)、 「文化資本 というものが経済学の分野で注 目されてきてい るの は、経済の豊かさがモノの豊か さか ら自己実現 や 自 己表現、 さら8.こは相互交通などの活動 に重点が移 り だ した ことと結 びついているのだろう」と分析す る。
その上で
、「 2 1
世紀が求めてい るの は、̲文化 的表象 の生成過程を理解す ることだけでな く、それを脱構 築 し、新 たな文化的表象を生み出 してい くための手 がか りである」 として、「文化生態学」という学際的 なアプロ‑チを提案 している。(西山1 9 9 )
これか らJ この事うな視座が文化研究 にとっては重要課題 になるだろう。第
3
章 異文化理解1
)文明の衝突 とグ ローカ リゼ‑シ ョン( G t oc al i s at i on )
現代 は画一的な文化が広が ってい く一方で、民族 や宗教 の対立が頻発 している。 とくに、冷戦終結後 にみ られる民族間の紛争の多発 は、 「東西冷戦終結 後の国際政治における最大の問題点 は文明の違 いで ある。文明の違 いは基本的 には克服 で きない」とい う「文明の衝突」論を登場 させ、人々に衝撃 を与 えた
ことは記憶 に新 しい。 (‑ ンチ ン トン
4 7 3 )
しか し、衝突す るのは実際には文明で はな く、 「対立 す る二 者の利害 と利害をめ ぐる思惑
」
である、ハ ンチ ン トンはこの利害調整を困難 にす る文化的相違 を文 明 と 言 いかえ、 あたか も文明が衝突す るかのような論 を 展開 していると、批判 されて い る。 (山岸 ・飯塚
9 3)
しか し、文化の画一化が進行す るなかで、最終 的 には人々は体験を共有す る共同体,場所 の感覚、 ア イデ ンテ ィテ ィを最初 に築 き上 げた母国語 による自 分の概念世界へ と回帰 してい く。 アメ リカのユ ダヤ 系歴史学者 ゲル ダ ・ラーナ
‑( Ge r da Le r ne r )
は、アメ リカへ移民 して母国語の ドイツ語 を捨てた こと を、子 ども時代か らの豊かな深層の記憶、出来事 や 音の響 きあい、 そのつなカブりか ら切 り離 されて しまっ
たと、次のように述べている。
De e p me mor i e s ,r e s onanc e s ,s oundsqfc hi l d ‑ hood c omet hr o ugh t hemot he rt ongue‑whe n t he s e a r e mi s s l ng t he br ai n c ut s of f c onne c ‑ t i ons .
‥.I t( l a nguage )gi ve sust i mbr e ,t one
,ar i c hunde r c ur r e ntofr e s o nanc e sands hadi ngs
,mul t i pl eand ambi guous ÷c r os s c ur r e nt s .( Le r ne r 3 9 )
人々は 「‑どんなに国際化 されて も、‑ どこか に自 分が生 まれ育 った文化を担 っている、 あるいはその 宿命か ら逃れ られないという側面」 (青木
1 7 ‑ 8 )
を 残す ということになる。地球上 には異なる文化 を持っ数千の民族が共存 し ているが(石毛 ・小山
1 72 )
、 これまで異質 な もの と の出会 いが、衝突 と同時 に新 しい文化や価値観 を生 み出 して きた。 そのなかで、現代の特異 な点 と.して は、文化 の同質化 と異質化が同時 に進行す るとい う 状況がお こっていることである。 グローバルとロー カルを組み合わせて、 グローカ リゼーシ ョンと呼 ば れるこの現象 は、「世界の文化的多元化」 と「単一 の 世界文化 の形成」(西欧文化 の浸透)の共存 とと らえ られ、そのメカニズムの解明が待 たれている。(リッ ツ71 4 8 ‑ 9 )
2)
宗教 について文化のメカニズムを理解す る際のキーワー ドのJひ とっに宗教がある。 科学技術の時代 に、一見す ると 宗教の力 は衰えて しまったように思われ るが、 これ までほとんどすべての人間の歴史を通 し、 あ らゆ る
文明において宗教 はきわめて重要 な役割 を果た して きた。文化環境 について学ぶ時には、 その役割 を理 解 してお く必要がある。
アメ リカの社会学者 のバ ーガー(
Pe t e rBe r ge r )
は宗教が文化 にとってなぜ重要なのかを こう説 明 し ている。生物学的に ヒ トの世界を もちあわせないので、
彼 (ヒ ト) は人間の世界を構築す る。 この世界が、
いうまで もな く文化である。 その根本の目的は、
生物学的に欠 けている生活上の確かな構造を提供 す ることにある。 ・・・ 文化 は、人間の手で不断 に 生産 され、再生 されねばな らない。 その構造 は、
だか ら本来的に不安定で変化すべ き運命 にあ るの である。文化 に欠 くべか らざる安定性 と本来不安 定な文化の性格 とがあいまって、人間による世界 構築 の営 み に根本 的 な問題 を投 げか けて い る。
(バ‑ガ‑
9)
バーガーによる文化の性格の定義 は、驚 くほど、
カルチュラル 。スタデ ィーズの知見 に似通 っている。
不断 に生産 され、再生 されるダイナ ミックな もの と して とらえ られている文化、 この不安定性 を持っ文 化 に、永続的な意味を与え、安定性 を もた らす ため に、宗教が利用 され るというのがバーガーの説 で あ
る
。社会の意味の統一のための、すべてのシンボル を覆 う包含的な天蓋を提供す る、決定的な役割 を はた して きた。人間社会を動かすさまざまな意味 。 価値 。信念などは、人類の生活 を宇宙全体 に関連 づけ る総合的 な現実解釈体系 の中で、 窮極 的 に
「まとめあげ」 られていた。‑宗教 とは、 まさに、
宇宙の中で人間が「安住感」を得 ることを可能 に し て くれ る認知構造であり規範構造 で あ る。 (バ ー
ガ ー 8 8 ‑ 9)
近代社会では、宗教の世俗化の趨勢 に身を任 せ る 人 々は多いが、一方では宗教が強 い影響力を行使 す る社会 もある。 原理主義的な動 きは、他文化 との激 しい対立 を引 き起 こすが、宗教が世俗化す ると、 今 度 は人々が心理的に安住感の喪失 に悩むことになる。
そ ういったなかで、近年民族紛争 に宗教性が前面 に出て くる場面が多 い。 フランスの社会学者セ ンブ リ‑ニ
( Andr e aSe mpr i ni )
は、 とくに冷戦終結後、「
宗教性が、強力なアイデ ンテ ィテ ィの要素、 真 の文化的要求 になっている。 ‑ 政治的パ ラダイムが 崩れた ことによって空虚 とな った公共空間を満たし、
権威の原理 として政治 に完全 に置 き代 わ る」ことが めざされて い るとと らえて い る。 (セ ンブ リーニ
1 6 1
)3)文化比較の必要性一 自国の文化的伝統壷意識化 する
異文化理解 と自国文化の理解 は表裏一体の関係 に ある。異文化を知 ることは自己認識 の手段でもあり、
自国文化の特徴を発見す ることに他 な らない。また、
異文化間の交流がお こなわれる時、人 々が興味 を寄 せ るのは、それぞれの文化が持っ魅力 に対 してであ り、 そ こにエキゾチ シズムを感 じとってい く。 それ ゆえに、 自国文化を系統立てて意識化 し、その独 自 性を説明 しア ピールす ることが非常 に重要である。
4)
日本における東西文化の出会い(1
)異文化交流の原点一長崎の歴史的な意義 異文化交流 として、 日本における東西文化の出会 いを考えるとき、長崎の持っ歴史的な意義 は計 り知 れない ものがある。1 5 7 0
年の開港以来、多 くの外国 船、 ポル トガル、 スペイ ン、中国、 オランダ、 イギ リス、 アメ リカ、 ロシア、 フランスなどの船が長崎 に立 ち寄 り、東西交流 の舞台 となって きた。江戸幕 府の もと鎖国時代 には 「世界 に開かれた日本の唯一 の窓」 として、 日米和親条約の後 は、開港場 と して 特権的な立場を維持 し、外国人居留地が作 られ、 貿 易 と西洋近代文明の技術導入 に重要 な役割を演 じた。(松田
1 6 5 )
このように、環境科学部学生 には、身近 に異文化 交流の歴史を紐解 く手がか りが あ るのであ る
。
「長 崎学」
という名称で、長崎県の教育庁 によって 「地 域社会 の向上 と文化の創造や発展 に努力 した過去 の 歴史 。文化を学ぶための事業」が展開 されている。語学、医学、科学技術 などについての異文化交流は、
学生が プ レゼ ンテーションす るテーマとして最適 で ある。
(2
)異文化交流 と しての宗教一長崎 にお ける隠れ キ リシタ ンの例前述の とお り、文化 における宗教 の役割 には重要 な ものがある。宗教か ら文化へアプローチ しよ うと す る時、長崎を舞台 としたキ リス ト教 の布教、伝播、
および隠れキ リシタンとしての信仰の遵守 は、宗教
を中心 とした異文化交流 という点で貴重な歴史的資 料を提供す る。
徳川時代初期における、 キ リス ト教 の伝道 と禁止 令を背景 に した遠藤周作の小説 『沈黙
』 ( 1 9 6 6 )は、
西彼外海町や長崎市の西勝寺などを舞台にしている。
宗教迫害の時代 に信仰 を守 ってい く困難 と、 日本人 のキ リス ト教信仰の異質性がテ‑マになっている。
しか し、次のような個所 には、作者の ヨーロッパ文 化 に対す る劣等感のよ うな ものが色濃 く感 じられる。
「この国 は沼地だ。‑ この国 は考 えて いたよ り、 もっと怖 しい沼地だ った。 どんな苗 もその沼 地 に植え られれば、根が腐 りは じめる。葉が黄 ば み枯れ てい く。我々はこの沼地 に基督教 とい う苗 を植 えて しまった」 ‑
「だが 日本人がその とき信仰 した者 は基督教 の教 える神でなか ったとすれば
‑」
(遠藤1 8 9 )
というように、異文化 を自分にとって同化 しやす い 形 に変えて、含欲 に取 り入れ、吸収Iして しまう日本 人の特異な傾向を批判 している。
それに対 して、隠れキ リシタンの研究家、宮崎賢太 郎 はむ しろこうした傾向を、肯定的に捉え、 日本 の 民衆の宗教感覚 にマ ッチ したキ リス ト教が必要 で あ
ると述べている。
これまでキ リス ト教が海外にむけて布教 され る とき、‑ ヨーロッパスタイルのキ リス ト教 を意 味す るという大前提が暗黙の うちに了解 されてい たように思 う。受容する側 もヨーロッパスタイル のキ リス ト教が唯一 の範 とすべ き正統なキ リス ト 教であると思 い込んでいたのではなかろうか。 こ とに日本のキ リス ト教 にはその傾向が著 しかった。
しか し、欧米文化が世界最高の文化であるとい う 幻想 はすでに崩壊 して しまっている。‑ (カク レキ リシタンは)民衆の宗教感覚 に もっとマ ッチ した、 日本的キ リス ト教の道を考えてい く上 での 重要 な ヒン トを与えて くれるものとなるであろう。
(宮崎
2 92 ‑ 93 )
1 9 66
年の 『沈黙』 と2 0 01
年の宮崎の間には、両者 の個性 の違 いだけではな く、文化の受 け入れ方 につ いて、 コペルニクス的 といえるような転換があ るよ うだ。時代が西洋中心 の近代か ら、構造主義 さ らに ポス ト構造主義の時代 に移 り変わ ったことを示 して いる。 このように隠れキ リシタンの歴史は、 キ リスト教、および西洋文化受容の歴史 として、 きわめて 興味深 い ものがある・。
第4章 イギ リス文化について
文化研究の例 として、 イギ リス文化 にアプローチ しようとす る理由は、まずカルチュラル ・スタディー ズの伝統があるということと、 イギ リス庭園に見 ら れる自然回帰志向やナシ ョナル ・トラス ト運動 に.よ る環境保護 など、文化研究 と環境問題解決を結 びつ けたパースペクテ ィブを与えて くれるも、の として、
参考 にで きる点が多 いか らである。 そのなかで も、
産業革命 による環境の悪化を自然への回帰 によ って 修復 しよ うとしたナショナル ・トラス ト運動 は、 一 般人の意識を環境保護 に向けようとする試みとして、
特筆すべ き活動である。 さらに、大英帝国が文化 に 与えた影響 として、 オ リ,エ ンタ リズムとポス トコロ ニア リズムを取 り上げてみる。
1)環境問題 に示唆を与える視点 一産業革命、景観 に対する関心 とロマン派の詩人たち、イギ リス 庭園、ナ シ ョナル ・トラス トなど
1 8
世紀 の後半 に、 イギ リスは世界で初 めて産業革 命を経験 し、機械制工場 において工業製品の大量生 産をは じめた。 その結果 として、公害 による都市 の 荒廃や、農村か ら追 い立て られた労働者 たちの都市 における劣悪な住環境など、近代文明の もた らした 問題点を最初 に体験 した。ち ょうどその ころ、 イ ングラン ド湖水地方 の景観 の美 しさが人気をよびは じめ、風景画家の ジョン ・ コンスタブル
( John Cons t abl e )
や、 ロマ ン派 の 詩 人 ウ ィ リ ア ム ・ ワ ー ズ ワ ー ス( Wi l l i am Wor ds wor t h)
によって、古今第‑の景勝地 と して 紹介 され る。工業化が自然を破壊 しつつあることを 人々が意識 し、田園回帰への関心が強 くな って きた のである。結果 として、都会志向か ら田園への回帰 というイギ リス社会の伝統的な流れが再 びよみが え り、最終的にはナショナル ・トラス ト運動へ と結実 してい く。自身が湖水地方の自然 のなかで、 フランス革命 に かかわ って受 けた トラウマを癒す ことがで きた ワ〜
ズワースは、 その詩 によ って、 自然 は魂 にやす らぎ を与え、喜 びを与えて くれると語 りかけた。 マイケ ル (
̀ Mi c hae l ' )
とい う詩 で は、 堕落 した宮廷 を逃 れて、田園生活 に理想的な生 き方を見出す とい う旧 来のパ ス トラルの形式 をか りて、都市の商業化 と工業化 を堕 落 とと らえ、 それ に代 わ る田園生活 の秩 序 を提 示 して い る。 (ロジ ャー ス 3 5 3)
彼 の影響 力 は大 き く、湖 畔詩人 ( t heLakePoe t s ) と呼 ばれ る詩 人 た ち とと もに、 イギ リス人 の 自然 観 を変 えて い く
。ナ シ ョナル 。トラス ト創設 に大 き く 関 わ った美術 批評 家 ジ ョン ・ラスキ ンや トラス ト創 設者 の‑ ‑ ドウ ィ ック ・ロー ンズ リーな ど もそ の ひ
と りで あ る
。イギ リスナ シ ョナル ・トラス トは歴 史 的遺産 と美 しい 自然環 境 を守 るため に 、1 8 9 5 年 、 ロバ ー ト ・‑
ンクー ( 弁 護士)、 オ ク タヴ ィア 。ヒル (社 会 活 動 家)、 ‑ ‑ ドウ ィ ック 。ロー ンズ リー ( 牧 師) の 3 人 に よ って設立 され た。 自然 と歴 史 に配慮 した美 し い田園風 景 を作 り上 げ、 都市 にす む労働者 もそ の 中 で心 を癒 す ことがで きる土地 を確 保 しよ うとい う 3 人 の呼 びか けが結実 したので あ る
。 (横川2 ‑ 3 ) こ の よ うに ボ ラ ンテ ィア活動 を組 織 し 、1 0 0 年 も継 続 して い く力 はど こにあ るのだ ろ うか と、思 わ ざ る を え な い。 この問題 が この項 で は大 きなテーマになる
。まL たこ ナ シ‑ ̀ ヨナ> ) レ・トラス ト運 動 と平行 して イ ギ リ スの風景 を作 り出 した といわれ る風 景庭 園 の成 り立 ちを中心 に、 イギ リス庭 園 の歴 史 もと りあげ、 自然 志 向 の ライ フス タイルを考 えて み た い。
2 ) オ リエ ンタ リズム とポ ス トコ ロニ ア リズム ー 帝国主 義が文化 に及 ぼ した影 響
パ レスチ ナ出身 の比較文学者、エ ドワ‑ ド・サイ‑
ド ( Edwar dSai d) は 1 97 8 年 に 『オ リエ ンタ リズ ム 』
を出版 し、‑西 欧 を中心 と した世 界 が中東地域 を どの よ うに見 て きたか、 オ リエ ン トに関 す る さまざ ま な 言語 を分 析 した。 その結 果、 それ は実 際 の オ リエ ン トの姿 とは違 って、 オ リエ ン トを、従 属 的 な立 場 に 置 いてお くための偏 見 に満 ちた イ メー ジで あ り、 言 説 で あ る と結 論 づ けた。 西欧諸 国 はオ リエ ン トに対 して、植民 地主義 的 な関心 が あ り、 その言説 は、 再 生産 を重 ねて、 オ リエ ン トの従属 性 を固定化 す る と い う政治性 を持 って いた。 (サ イ ー ド 3 ‑ 5 )
この よ うな オ リエ ン ト側 か らの非難 を受 けて、 ポ ス トコロニ ア リズ ムあ るい は多文化主義 の文化 的 現 象 と して は、 旧植民地 出身 の作家 たちに関心が集 ま っ て い る ことで あ る。 文学 は抑 圧 され疎外 されて い る 者 に と って重 要 な表 現手段 で あ るが、植民地主 義 に 抵抗 して、 旧植民地 で あ った地 域 か ら、次 々 と重 要 な作 家 が生 まれ た。
イギ リス の権 威 あ る文 学 賞 、 Booke r 賞 は過 去
1年 間 にイギ リスお よび旧 イギ リス領植民 地 で発 表 さ
れ た長 編小説 を対象 に、最 も優 れ た作 品 に与 え られ るが
、V.S. ナイ ポール ( Nai paul ,西 イ ン ド出身) 、 ナデ ィ ン ・ゴーデ ィマ ( Nadi neGol di me r ,南 ア フ
リカ)
、J.M.ク ッツ ェ ( Coe t z e e , 南 ア フ リカ)、 サ ル マ ン ・ラシュデ ィ ( Sal manRus hdi e ,イ ン ド)、
ピー ター 。ケ ア リー ( Pe t e rCar e y , オ ー ス トラ リ ア) な どの、 旧植民地 出身者 が数 多 く受賞 している
。1 9 89 年 の カ ズオ ・イ シダロ (日本) の受賞 も、 異 文 化 に対 す る関心、 とい う流 れ のなか にあ る と考 え られ
る
。しか し、 文学賞 の対 象 とな る小説 とい うの は現 代 で は‑ イカルチ ャーに属 して いて、享受 す る層 はか な り薄 い よ うだ。 イギ リス作家 の ア ンソニー ・バ ー ジェス ( Ant honyBur ge s s ) は旧植民地 の学生 に向 けて執 筆 した En gl i s h Li t e r at ur e ( 1 95 8; 1 97 4) で 現代小説 につ い て、 " TheBr i t i s h nove li sf l our ‑ i s hi ng,t houghi t sr e ade r s hi p i snot . " ( 2 3 3 )
と述 べ て い るが、少 な くと も文化 の良心 と しての機 能
は果 た して い る と見 られ る
。ま‑ た、 ポ ス トコZ ロニ ア リズ ムが一段落 して くる と、 イギ リス出身 の作 家 た ち も旺盛 な創作 意 欲 を見 せ、 " TheEmpi r ewr i t e s bac k" といわれ る活 発 な状況 で あ る。
第 5 章 文化研 究 の実 践
1) カ リキ ュラム で の位 置づ け
文化環境論 は文化環境 講座 の名称 をその まま用 い て い るので、講 座 の中心 的 な科 目の ひ とっ で あ る と いえ るだ ろ う
。環境科 学部創設 時 の カ リキ ュ ラムで は、授 業 はオムニバ ス形式 で、 おおむね各担 当教 官 が 自分 の専 門分野 を中心 に、 文化 に環 境 的視点 か ら アプ ローチす る とい う方 法 が と られ た。
それ に対 し、新 カ リキ ュ ラムで はで きるだ け オ ム ニバ スの科 目を減 らそ うとい う方針 で 、2 0 0 2 年 度 は 7 名 で担 当 して いた文 化環境論 は、 .日本文学 とイ ギ リス文学専 門 の教員 が 2 名 で担 当す る ことにな り、
自国文 化 と異文化 と しての イギ リス文化 の理解 に そ の主 眼点 が置 かれて い る
。2) 2 0 0 3 年 の講 義 の概要
2 0 0 3 年度前 期 を さ らに前 半 と後 半 に わ け、 そ れ ぞれ イギ リス文 化 ( 筆 者担 当) と日本文 化 ( 若 木 太 一教授 担 当) を中心 に、 と くに環境 に関連 が あ る分 野 につ いて講義 をお こな った。 イギ リス文化 に限 っ て いえ ば、 (1)西洋 文化 と 日本 文 化 の イ メ ー ジ、
イギ リス文化 と長 崎 の接点、 ( 2 ) 宗 教 ‑ イ ギ リス
国教会、長崎の宗教、隠れキ リシタ ン
、 (3)
産業 革命の歴史 と景観 に対 す る関心、 ロマ ン派 の詩、(4)
イギ リス庭園について、(5)ナシ.ヨナル ・ト ラス トの歴史などをとりあげたL .
反省 としては、 文 化 と環境問題のつなが りについて、やや説得力 に欠 け、散漫 に トピックを取 り上 げている印象を与 えた ようである。3)
他大学の例イ ンターネ ッ トで検索 した結果、「文化環境論」と いう科 目名での大学での開講 はあまり見受 けられな か った。「文化」 と 「環境」 を名称 に使 ってい る科 目をい くつか紹介 してみよう。
(1
)環境文化史学 (千葉大学2 0 0 2
年度)3)「ヨーロッパの歴史 の中で文化 と環境 が ど のような関係 を築 いて きたか」を 自然観 や 産業革命を中心 に考察す る。
(2
)文化 と環境 (広島大学 総合科 目2 0 0 2
年度)4)
文系 と理系の教官 に加えて、英米人の教官、
学外か らも講師を招いて、自然観、ネイチャー ライティング、 グ リー ンピース運動な どに ついて講義が行われる。
(3
)環境文化論 (高知大学 人文学部 国際 社会 コ ミュニケーション学科 専門 コア教 育科 目2 0 0 1
年度)自然 と環境を描 いた日英米の文学作品を取 り上 げ、 ネイチ ャーライテ ィングや環境文 学 を紹介 している。『お くのはそ道
』
『複合汚染』、 ワーズワース、 レイチ ェル ・カー ソン、 ソローなどを取 り上 げてい る。 (上 岡)
4)
外国人による自国文化の紹介異文化を理解す るひとっの手段 として、外国人 に よって自国文化 について講義 して もらえば、学生 に より深 い興味を抱かせ ることがで きると思われる。
前項での広島大学では、外国人教員がグリーン・ピー ス運動 について、講義 を している。 現在環境科学部 で も、英米の外国人非常勤講師が自国文化の紹介 を す るな らば、 いっそ う学生 にとっては異文化が身近 な ものに感 じられるだろう。 英語 による講義を増 や す とい う方針 は、長崎大学の中期 目標 (莱)のなか にもあげ られている。
5)
学生 による発表学習者中心の授業方法 を取 り入れるため申 ま、 学 生 による発表 は欠かす ことが出来ない。 この発表 の テーマは大体
4
種類 に分 けて考 え られ る。 (1)日 本人学生 による日本文化 の紹介、 (2
) 日本人学生による長崎における異文化交流 に? いて、 (3) 留 学生 による自国文化の紹介、 (
4
) イギ リス文化 の なかで、環境 に関係がある局面の紹介の4
つである。グループを組 ませ、資料集め、準備、発表などを協 力 してや るようにさせ る
。1 9 9 9
年度環境国際関係論 を担当された田村政美助教授、2 0 0 2
年度 のFD
講演 会で発表 された、北海道大学 の鈴木誠助教授 の方法 論を参考 に したい。結論
文化を 「ある特定の生活の仕方」 と定義 し、文化 が現代資本主義社会で持 っている重要な位置、グロー バ リゼーション、文明の衝突、多文化主義 につ いて 考察 して きた。講義 において も、 こうい った認識 を もとに、伝統的 日本文化および西洋文明を代表す る イギ リス文化 について、 自然観、田園‑の回帰、 自 然保護運動、異文化交流 などをキーワー ドに掘 り下 げて行 きたい。 また、授業形態 にバ ラエテ ィを持 た せ るために、今後外国人教員 による講義 と学生 によ る発表形式を取 り入れてみたい。
参考文献
1
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2 5
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1
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年生、20 0 3
年度「文化環境論」受講者 に要望 を書 いて もらった結 果である。