・.ヾ⁚、1.∵ヽ′題増額≠苛ぜ議サ萄、.′
信三郎 「ブロータゴラス」と「デーモクラティア」
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ソブィスト達(609ccTaL'‑SOphistai)の中で、始祖とい‑べき地位にあるプロータゴラス(Pr(.)taLqOraS)はl説
によるとその生年を前四八六年頃、没年を前四一六年であるとされ(金子武蔵教授篇「倫理学事典」九百)、哲学史家1
例えはフォールレンデル(karlVorlander︹4860‑79283'GeschichtederPhi訂ophieV7.aufl.,1927)やシュ
ヴェークレル(AlbertSchwegler︹781911857LuGeschichtederPhilosophieimUmris﹀1887)やディールス
(HermannDiels︹7848‑一922])I)ieFragmentederVorsokratiker71954)等によれは、そのアクメ‑(dKFLT'‑akme‑盛年‑四〇才頃)は前四四〇年頃だとされる。しかも彼の生涯は約七十年と推定される0
これに対してプラトーン(Plat6n)がプロータゴラス篇(Protag.317C)において、プロータゴラスをしてソークラ
テース(S5krates)を含む一般会衆に向って語らせた言葉の中で「年令からいっ、てまず私は君たちの誰の父親にも
なれないとい‑よ‑な人は一人もいない」とい‑いみの記事があるが、これをとらえて田中美知太郎教授は「吾々は
プログゴラスの生年を少なくとも四九〇年以前に想定すべきであろ‑」と主張される(同教授者「ソフィスト」二八百)0
しかし結論的にいって我々はブローグゴラスの、生涯は前五世紀の始めから終り頃とみる。この見方は大雑把ではあ
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rP.号泣.
∫るが'彼の生涯の業続をみるのに何の支障もないので、塩めて適切な見方であると考える。それ故、この見方には異
論はないと思‑。又彼のアクメ‑を前四四〇年頃とする推論は正しいと息‑。次に彼の活動時代を歴史的事象と関聯
させて考えたときいかになるであろ‑か。Iそれはベルシア戦争(PersianWar)490‑479B・C・)とベロボンネソス戦
辛(P。1.p.nn。sianWar・437404B・C・)との間の五〇年、即ちギ‑シア史の中でもっとも輝かしい時代であったとされ
るペ‑クレース時代(perikles,461‑429B.C.)と期を一にするものであると思‑0
さて'ペ‑クレースは前五世紀の中葉にアテーナイ(Athenai)にデーマゴー.'rlス(S字&raJγdsIdemag(I)g房‑
民衆の指導者)として出現し、ベルシア戦争に勝ち、またデロス同盟(Delianleague)の盟主たるアテーナイをし*て「ギリシァの学堂」即ち、「ギリシァ全土の文化(TraESeL'aIpaideia‑教養)の学校」たらしめた偉大な政治家で
ある.そして彼の時代はギリシァ史を通‑じて、ギリシァ世界の中心的なポリス(TrdAESIpOtisH都市国家)として
飛犀的な光輝ある時代であったことは一般に史家のみとめるところである。これが又彼の力に負うものであったこと
も大方に認められている。
*トウIキューデイデース(Th.ukudid6S,460‑396B・C・頃)の書いた「歴史」(Lo・→oplaIhist.ria︹2,4]︺)の巾で'ペリクレ
ースがアテ‑ナイを「我々の市全体がギ‑シァの学校である」(青木巌訳トウ‑キューディデース「歴史」上巻一五四百)と
よんだこと.それからプロータゴラス篇︹337d︺において、エ‑ス(Elis)のヒッピアス(Hippias)はアテーナ‑を「ギリシァ
の知慧のプ‑ユタネィオン」(TaTFPUTaZJetOyTSgqもLJaの)とよんでいる.
ところで'このペリクレースとプロータゴラスの関係はど‑であったろ‑か。ビュリー(∫.ち.Bury)の「ペソ
★︹三八七Uクレスとプロタゴラスとは長い間親しかったよ‑に見える」とい‑言をまつまでもなく、前四四三年にプロータゴラ
スがペリクレースの委嘱によって新たに建設されたアテ‑ナイの殖民市・Lウリォイ(Thourioi)の法典を起草したT
一「.
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ヽヽ(DiogenesLaertiusIX,50)といわれる.しかしこの事は両者の関係がただ親しかったことをいみしているものではなヽヽい。いな親しみ以上に'即ちペ‑クレースがいかにプロータゴラスに期待するところ多く又尊敬していたか、更にプヽヽヽロータゴラスに影響せられるところいかに多かったかをあらわしていると息‑。事実、ペ‑クレースの子パラロスヽヽヽ
(Paralos)やクサソティッボス(Xanthipp譲)までがプロータゴラスにまみえ、教を受けよ‑と怪傑と尊敬とをもヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽって彼につきまとっている情景がプロータゴラス篇(315a)に描かれているが'このことはいかに彼が、時のアルコ
ーン(&pxwt=arkh(.)n‑執政長官)たるペ‑クレースは勿論のこと'その家族にまで憧慣され尊敬されていたかをヽヽヽヽヽ示していると思‑。なおペ‑グレースの息子はかりでなく'彼が当時の知識人、特に富裕な家柄のよい新進気鋭の青■■ヽヽヽ年たちに「最も智慧あるものはプロータ.rrlラスである」(qog臥TaTOSellJaL7tP,tyTar
ydp
as,Pr.tag・309d)といって'いかに大いなる尊敬と喝釆とをもって迎えられたか、それは彼の教をきくために自分の財産や更に友人たちの財産までも注
ぎ込んでまでもとい‑ヒッポクラチス(Hipp.krates,Pr.tag・3二d・312b)のよ‑な熱狂的な人物のいたことや'彼の講ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ話をきこうとあこがれと熱望をこめた若者たちが彼をみつけて(Protag・315a)'彼の前に踏み出してさまたげになっヽヽヽてはならない,との心‑はりも麗し‑、又若者たちが彼が転廻すると彼について転廻し'秩序正し‑彼を中に左右にわヽヽヽかれて円を描いて廻り'つねにその後に美し‑連っていたとい‑プロータゴラス篇(3]5b)の描写によって充分に知
ることが出来ると思‑.この他'以上に関聯したことはプロータ.Jrlラス篇だけでも3TOe.3e.372C.334C等随所
にみられる。又プラ・Llンはテァイテ‑・Lス(Theaitt・tos,46]C)籍の中で'プロータ..rlラスを含めてソプィスト達の主
張に反対の立場に立つソークラテースをして'プロータゴラスについて「我々は彼が智識をもっているので彼を神の
よ‑に驚異の眼をもってはめたたえた」(㌻8eLNyt)FIE"Lb8TLhfLetSp;zJabTbzJがo・7tePOebzJiOaup&EoFLeui7tl
..・r、.r'..i,,I..・;....▲.∴「.LL.・・..1.〜J・・1..'‑..L.i.;̲I..∵.I‑.T.J.I.ill..̲.Iい■F.i.、..'・..
'JBq,=妻帯
qoQL,q,諸君は私晶識‑っているといって、まるで神様かなにかのよ‑に、驚異の警もって見てくれる)とい‑いみのこ
とをいわせているほどである。
ところで,以上我々はプロータゴ‑がペリクレース時代に活躍し,ペリクレース及びその時代の知識人'特芸
き家柄のよい富裕な智識人に尊敬され,喝釆を柏したとのべたが,我々はペリクレース時代がアテーナイの輝ける時
代として「7テーナイ的自由」,又は「デ1‑ラティア」(ぎoxpaTL,aIdemokratia)の雪だ達した時代であヽヽると考える。しからばこの観点からプロータゴラスのこの時代における存在意義とデ土クラティアとの関係をみた
いと思‑0
さて,それにしても,我々はプロータゴラスの嘉のいかなるものであったかをここで問題にしなければならない。
★以下∩︺の中の数字は1・B・Bury,His‑oryofGreece・の頁o
ニ■ヽヽヽヽ
プロータゴラスの主張はまず「あらゆるもの(‑万物)の尺度となるものは人間である。あるものについてはそれ ヽヽ があるとい‑ことの,あらぬものについてはそれがあらぬとい‑ことの」と,テァイテ11ス篇(152a,"d&‑y lヽヽヽヽ
xp7Pll等Fa,1PO""&yOpwwoye11JaL,"1ayPay67‑O"dsgJlt/,1ayB;p盲1(a"dSo訂EJlt,"I")及びディール
スの「ソークラテース以前の断片﹄
(Diels ,7802
1,・7{&"1EJ‑PW&1e"FliTP("V㌻ 1LU &1VO p
e7TOS,1ayP㌢SyTe"i,sヽ
ヽgqTLミaU6ao訂bzJleyd,sobhgJl"V:)の中でのべている。‑去して彼の思想はまず端的にこの短い言葉に示
されていると思‑・しかも以上の彼の思想はそれにつづく「おのおののものが、それがわたしにこんな風なものだとヽヽヽヽ現われるよ‑に,わたしにとってまさにそのよ‑にあるのであり,君にとってもまた君に現われるよ‑にある。そし
'
IL.
I.・,.)...ー1.I.7/当用頚湧濁確川肇甥「一i.
て人間とは君や私のことなのである」(a,soTa,FL;ygk・aO・TagFLO14,aE'yeTaE,TOLaDTaFlaygO・TE"恥FLOFI,O叫n8;o・oLJ・TOai)TaS肘aao・oZ・&y
Op
,,,7tOSB;o・t)Tekdryd;;Theait6tos・152a)とい‑言葉によって一層明葦になると思う。ヽヽヽヽヽこの彼の二つの言葉が世にいわゆるプロータゴラスの人間尺度説(Homo・MensulaISatZ)、又は人間尺度論(homo・mensuraprop房ition)を形成するものであり、以上の彼の言葉が彼の思想の大綱をつたえるものであると思う。ヽヽヽヽところで'以上の彼の人間尺度説からするとあらゆるものの尺度(7T&yざyXP苦&TtLn,FLeJTpt7y)は人間ヽヽヽ(&yOpa,7=Oy.)である。しかも彼によれはそ‑い‑人間とは君やわたしのことである(&LJOp,O7tOの8;o・t)Te
Kdrye)。しからば彼のあらゆるものの尺度'即ち判断の基準をなすものは各人、おのおのの個人である。しかも彼ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽは「あるものについてはそれがあるとい‑ことの'あるものについてはそれがあらぬとい‑ことの」即ち、人間は存
在するものに対してはその存在の、存在しないものについてはその非存在の標準となるものであるとのべることによ
って、あらゆるものの判断の基準となるものは各個人であり、「おのおののもの(gKadTa)が自分にこんな風なもヽヽのだと現われる(02..a恥FLOlgaZyeTaE)よ‑に、自分にとってまさにそ‑であることであり、君にとってもまた君ヽヽヽヽヽヽヽヽに現われるよ‑にあるとのべることによって、又更に「各人に思われることのよ‑に、それはまた実際そうありもす
る」(a)sTbBomD"伽k&o・Tや10t710kalgo・TL";Theait6t.S二61C)とのべることによって、自分に感官知覚されるも
のがそのまま実在であり、君にしても同様であり、人々の感官知覚された事柄がそのまま客観的事実だとするものでヽヽヽヽヽヽヽヽある。かくして彼の人間尺度説はまず第一にあらゆるものの判断の基準は個人'即ち主観であり、第二に客観的なも
のは'各人に感官知覚されたものだとい‑二つに要約することが出来ると思‑。かくして事物はわれわれの主観・感
官知覚の‑ちにおいてのみその存在性を‑るのであって、各人の主観・感官知覚が判断の唯1の標準である。従って
この世に客観的な普遍妥当的真理とい‑ものは存在せず、各人に真理と思われることが真理であるとい‑ことにな
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