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現代社会学の一傾向 中国大陸の社会学と社会問題

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明星大学社会学研究紀要

〈論文〉

現代社会学の一傾向

中国大陸の社会学と社会問題

福 永 安 祥

 中国の社会学は、1891年に西方学習の先駆者 康有為(1858〜1927)が、廣州万木草堂にあっ

て、 群学 の名穣を以って講義をしたのを端緒 とし、厳復(1853〜1921)は、1897年にH.スペ

ンサーの「社全学研究s(The Stu dy qf Socio一 10脇U873)の部分訳、1903年に全訳本『葦学騨

言』を出版する、以来約百年の歳月が経過した。

 中国社会学史の分期は、すでに、1930年に青

年学者察銃験が、 社会学刊 第2号において、

中国社会学史を4期に区分しており、孫本文

(1892−1979)は、第1回社会学大会において、

萌芽期(1898−1911)、建設期(1912−1930)、

発展期(1930−)の3期の区分を提唱した(1)。最 近、李慶雲、張琢、王育民、陳樹徳、韓明誤、

閻鵬らによって論議され、つぎの5期の区分が 構想されており、論者によって、区分の時期と

事由については若干の相違がある②。

 (1)移植=萌芽期 1891−1911年 厳復と訳

書。

 (2)建設期 1912−1930年 辛亥革命後、1913

年上海浸礼学院(渥江大学と改稽)は社会学系

を設立、当時欧米諸国とくに米国のキリスト教 会の活動が活発化し、私立の「教会大学は原来

中国社会学の温床」(費孝通、1948年)となった。

教会大学の教師は、殆んど米国人で、中国への

キリスト教の布教をめざして、社会調査の実施、

社会実瞼区の設定などの活動が顕著であって、

この期の社会学者には、陶孟和、孫本文、李景

漢、許仕廉、陳達らがいる。

 (3)発展期 1930−1949年社会学の中国化の

時期。「理論研究」から「社区研究」(地域社会

研究)へと重点が移行していく。1930年全国性

学術団体の中国社会学社(1930−49)が成立、

会長に孫本文が就任、会誌『社会学刊』を刊行、

会員は成立当初66名、1943年132名、1947年7月 160名に増加する。1948年には、全国49大学中21

大学が社会学系を設立、教師140名、本科学生600

名に及んでいる。外国の理論を研究して、中国 の社会問題を研究するものや、李景漢の定県調 査(1933)、陶孟和『北平生活費の分析』(1930)、

費孝通『禄村農田』(1943)などすぐれた社会調 査報告が発表されている。

 (4)中断期 1949−1979年 新中国成立後、中

国社会には巨大な変化が発生し、1952年高等院 校の院系調整により、各大学の社会学系は学生 募集を停止し、社会学の発展は中断された。こ

れは、(1)ソ連方式の大学(院系)の調整が実施

されて、ソ連は社会学系を設置せず、中国も設

置しない、(2)歴史唯物主義が無産階級の真科学 であって、社会学は、資産階級の偽科学であり、

高等院校にはそれを容れる場所がない、(3)中国

社会主義は、完壁なものであって、社会問題は 存在せず、社会学研究の必要がない、というこ

とであった(3)。

(2)

 1949年から79年までの28年間、社会学者は、

資産階級社会学を批判し、社会調査、とくに少 数民族調査は継続することができたが、社会学

の受容は拒否されて、その研究は中断された。

1957年の 百花斉放 期に、一時的に言論が緩

和されたとき、社会学の恢復の声が挙ったが、

のちに右派分子として批判・打倒され、社会学

の研究は禁区となった。

 (5)重建期 1979年より現在に到る。1979年3

月15日より18日まで、全国哲学社会科学規画会 議の席上、胡喬木は中共中央を代表して、社会 学を恢復し、中国社会学研究会(後、中国社会 学会)の成立を言明し、費孝通が会長に就任し

た。成立大会の席上、費孝通は、「社会学再論の ための若干の話」と題する講話を行なったω。社

会学研究に着手することを論題として、次のよ

うな試論を展開する。第一に、「社会問題は客観

的存在である。いかなる社会、いかなる時期に おいても各種各様の問題が存在する。われわれ も調査研究を提供して、社会問題の客観根拠を 解決すべきである。第二、マルクス・レーニン

主義が指導する調査研究をもって、「我国自己的 社会学」を樹立すべきである。第三に、「当面の 社会問題に対して、科学的調査を進行」する。

社会問題の対象は、それぞれの社会諸科学の関 係するところであるが、社会学関係には、住宅 問題、人口問題、家庭問題、児童問題等々が関

連をもつ。費孝通は言う、「われわれは、マルク

ス・レーニン主義、毛沢東思想をもって、久し き試練の党の指導を有し、社会主義社会の優越 性を有し、努力を堅持し、一定の成績を作りた

い」「千里の行、足下より始めよ」と。いわゆる

費孝通原則が展開されるが、これは、1970年代 末期の情勢と社会学の重建と、党の立場を含ん

での言明と考えられる。

 部少平は、1979年3月30日、全国理論工作会 議において、講話「4つの基本原則を堅持しよ

う」の中で、「四項基本原則」(社会主義の道の 堅持、プロレタリアート独裁(人民民主専政)、

共産党の指導、マルクス・tr一ニン主義・毛沢

東思想)を発表、「政治学、法学、社会学や世界

政治の研究は、多年、軽視してきたので、いま 大急ぎでその補習をする必要がある。思想・理 論活動家は一つないしいくつかの専攻科目を研

鐙して、外国語を学べる者は外国語を学んで、

外国の重要な社会科学の著作を楽に読めるよう にならなければならない。われわれは、自然科 学が外国よりも遅れていることをすでに認めて いるが、いま社会科学の研究(比較可能な面に ついて)も外国より遅れていることを認めるべ

きである。われわれの水準はまだ低い、多年来、

統計数字さえなかったのだから、真剣に社会科 学を研究しようとすると、当然、大変な困難に つきあたる」と言明した(5)。社会学の重建は、か かる現実的背景において推進されてきたのであ

る。

二、

 1世紀以上に及ぶ歴史的経過を経て建設され た中国社会学は、それ自身の学問的性格を形成

してきているが、これについては、丘海雄と声 祥軍、閻鵬(6)らの論文に詳細である。前者は、中 国社会学の実用的性格を論じ、後者は重建十年

の中国社会学がもつ四個の特性一主体的性格、

実用性格、集合性格及び開放性格一を指摘して

いる。

 まず、現今の中国社会学を一貫して流れる原 則、原理として表明されたものの確認から始め

ることとする。

 (1)費孝通原則 彼は言う、 社会学の時代の建

設を開始しよう、われわれは、眞直に一條の原

則に従おう と。すなわち、 社会学研究は、マ

ルクス・レーニン主義を以て指導となし、中国 社会の実際と密接に結合し、社会主義建設に服

(3)

務する ものとする。これは1984年5月の『社

会学概論』(試講本)の前言の費孝通の文章から

出発し、1988年7月30日の書面講話において、

再度、確認されている(7)。この原則は 社会学は、

四項基本原則を堅持しながら前進する という 1986年の上海の社会学研究工作を来看した李慶

雲(8)の主張に通ずるものであり、1978年12月の

11期三中全会以来の中国共産党の新政治路線に 副うものである。1987年10月、第十三回党大会 における趙紫陽報告は、中国は 社会主義の初 級段階 にあって、中国の特色をもっ社会主義 の道を進むべきことを強調して、経済建設を中 心とし、四項基本原則を「立國の本」とし、四 項基本原則と改革開放政策を二つの基本点とす ることにおいて、改革開放路線の理論的基礎を 示したが、彼は、89年6月の天安門事件を事由

として解職された。しかし、今日の中国は、実 質的に趙紫陽の路線の継続下にあるものといえ

よう。

 階級斗争を社会活動の中心とすることを放棄 して、経済建設に重点を志向したことは正当な 政策判断と理解されるが、しかし、経済の過熱 化と社会生活の流動化をまねきつつあり、しか も、四項基本原則の大枠を大前提として、政治 の民主化を抑制したまま社会の現状を維持しよ

うとすると、かえって、社会の矛盾が激化し社

会問題が噴出することになる。 政治は収、経済

は放 という方式を維持したままの中国社会の

維持には大きな疑問が残る。

 (2)中体西用原則 外国社会学研究に対して、

それは借竪であり、中国社会研究の方法と理論 を提供するものと考えられている。これは、外 国社会学に対持して、 精を取り、糟を棄てる (9)

ことで、すでに、19世紀以来主張されてきたも のであり、学術交流、新知識の移植を肯定する としても、底流には、中華意識の残影を感じざ るをえない。

31一

 中体西用論は、「中国の学問で心身を治め、西 洋の学問(科学・技術)で世事に応ずべし」(1°)

という議論で、伝統的な中華思想(華夷思想一自

らを高しとし周辺を見さげる自大思想)によっ ては、19世紀中期以降の西欧諸国の科学化・軍 事化とそれによる世界各地への侵略に対抗する ため、1860年から1894年までの約35年間、清帝 国の一部実務派官僚によって主張された。基本 的に、排外的立場の強い当時の清朝の官僚の自 覚とみるべきもので、保守と革新の中間にたつ 改良主義論で、張之洞(1837〜1909)の『勧学

篇』(1898一光諸24)などにその主張を見ること ができる。義和団事変(1900一明治33年)後に、

清朝自体が改良主義の立場に立たざるをえなく なったときに、張之洞の主張は、その影響力を 強めた。元来清王朝は、満州族(女眞族の一部 族)によって建立された異民族による支配に依

るもので、19世紀末の東アジアの情勢の激化、

深刻化するとともに、中体西用論は、その限界

を明らかにしていき、清朝官僚の洋務運動は、

やがて、中国の政治改革を要求する変法論へ、

孫文らによる革命運動の展開へと変容していっ

た。

 しかしながら、今日においても、中体西用論 が、社会学の専門誌の上において主張されてい

ることは、中国社会の問題を扱う場合に、歴史

的考察と深い洞察を必要とするものと考える。

閻鵬によると、重建後の中国の社会学文章中、

醗訳文章は総数の34%、訳書は出版書籍の総数 の31%をしめるのに対して、中国の社会学者で

外国社会学を研究領域とするもの僅か5.9%、外 国社会学に関する書物は、著述の5.1%にすぎな

い。これは、中国の社会学者が、現実に大きな 社会問題に直面していることを意味する。同時

に、いわゆるマルクス主義社会学は、外来の社

会思想であることにすぎない。

 (3)社会問題原則 中国社会学は、「重大社会問

(4)

題を以って研究重点」(ll}としている。1952年に

社会学の取消となったのは、 社会主義社会に

は、社会問題なし (社会問題の根源、私有制を

消除したから、社会的矛盾は存在しない)とい う誤った前提によるものであり、1979年3月に 社会学が重新恢復された直接動因は、10年間の 文化大革命の混乱後、各種の綜合性社会問題の 研究に切迫した需要が起こったことによるもの と主張されている。費孝通は、社会学の任務と して、(1)マルクス・レーニン主義を指導とし、

中国の実際と結合した社会学を建立すること、

(2)社会問題を研究すること、の二者を挙げてい

る。

 中国には、多数の人民内部の社会問題が存在

している。これらは、社会学者の研究、調査、

診断と対策とを必要としている。中国の社会学 者の調査と研究の出発点と帰着点は、社会問題 にあると考えられている。閻鵬によると10年来 の社会問題に関する発表論文は、社会学関係論 文の44%を占めており、各研究領域の論文の最

高値となっている。

 1981年以降、「社会発展」という概念が登場し、

従来からの「国民経済発展計画」は、名称を変

更して、「国民経済と社会発展計画」と改称され

た。これは、社会問題と社会発展の双方が、社 会学者の重要な研究領域として確認されてきた

ことを示すものである。

 今日、中国の社会問題は、人口問題を最も厳 重な問題であるとして、さらに、農村、婚姻と 家族、青少年、貧困などの多面的な問題を含ん でいる。これに対応して、社会調査の実施が進

められており、その成果が発表されているが、

有名な「北京市社会学会」も、学会誌『社会学 と社会調査』(1995年、第5巻第6号)を刊行し

ている。

三、

 社会問題を主要な研究領域と観念するとき、

中国社会学は、その具体的な課題が問われるこ とになる。社会学の重建以来一貫して、人口問 題が最大の社会問題として認識され、研究され つづけてきている。このことは、国の内外の等

しく承知するところであって、1989年4月、筆 者が広州の中山大学を訪問した際、何肇発教授

からも同様の趣旨の発言があり、「農村人口は統 制できない」旨、言明されていた。人口問題は、

実に、農民問題、農村社会問題、青少年問題、

貧困問題にそれぞれ通ずるものであって、中国 のもつ最大の社会問題であり、東アジア社会の

安定と繁栄に通ずるものである。

 『社会学年竪』(1979−1989)(12)は、陸学芸論 文「社会学は、現今の農民問題の研究を重視す

る要がある」を巻頭7論文中唯一の具体牲的研 究課題として掲げて、専題研究22論文中で、社 区研究、農村社会問題、小城鎮研究、老年社会 問題、青少年問題、階級階層構造研究、婚姻と 家庭研究、社会保障研究などが、各特殊・専門 社会学(社会学史、社会理論研究、国外社会学

研究、都市社会学、家庭社会学、労働社会学、

教育社会学、社会心理学、発展理論、医学社会 学、性社会学、犯罪社会学、犯罪心理学)と並

んで検討されている。

 中国の社会学は、複雑多岐な現実の社会生活 に直面して、社会問題の課題研究を拡大、深化

していく。とくに、1992年1月部少平の南巡講 話以後は、この傾向が著しい。それらは、播允

康編『社会学者対社会的警告』11巻(1989年、

日本訳2冊)、陸学芸編『中国社会発展報告』

(1991年)(13)及び張淳著『当今中国社会病』

(1993年、北京燕山出版社)、夏旦発展研究院編 著「杓建新体制一1994年中国発展報告」など、

また張淳「当今中国社会病」(1993年、『社会学

(5)

研究』)、丁水木(1993年)、何肇発(1995)(14)な

どの論文がある。

 とくに、「中国社会学年竪』(1994年)は、研 究状況報告に、「社会問題研究綜述」をとり上げ

て、1990年代の社会問題研究の領域として、継 続研究の人口問題以外に、青年犯罪問題、老年 及社会保障問題があり、さらに、社会学界が関 心をもつ主要課題として、貧困問題、農村家族

問題と各種社会病理現象を指摘している。

 1.人口問題 新中国成立以来、すでに4次 の国勢調査(人口普査)−1953年7月1日、1964 年7月1日、1982年7月1日、1990年7月1日)

が実施されている。第4次調査は、80年代より 90年代中期に到る 人口増加の形勢が非常に厳

俊 なことを考慮して、(1)社会と経済発展戦略 の実現状況(人民温飽問題の解決)、②予測(人

民生活が小康水準に達したか)、(3)実態(人口規

模、地区分布、移動傾向、人口構成、人口素質)、

⑤人口戦略、を検討するが、とくに黒人黒戸(届 出のない無戸籍の子)、盲流人口数字の調査を最 重要目的としている。

 第1次調査は6億人、第2次調査は7億人、

第3次調査は10億入、第4次調査は11億人を超 過し、西歴2000年には13億人の大台を突破する

ことが可能と見込まれている。

 1980年代より人口抑制政策がきびしく実施さ

れてきたにもかかわらず、人口増加の傾向は、

そのテンポをゆるめたとはいえ、依然持続して いる。第4次調査による中国大陸の常住人ロ

台湾、香港、襖門の中国人を除き一は、11億 3,368万人、第3次調査に比して、8年間に1億 2,550万人(12.45%)、年平均1,568万人(1.48%)

の増加となる。この人口総数に、黒人黒戸、流 動人口の実態がどれほど反映しているのか不明 であるが、いずれにしても、10億人をはるかに 超える巨大な人口が存在することは疑う余地が

ない。

33一  自然増加率は上昇傾向を持続して、第3次調 査が1.455%に対して、第4次調査は、1.470%

と0.015%増加となっている。文盲と半文盲(15

歳および15歳以上で、文字を読めないか、また はごく少ししか読めない人)は、82年の第3次 調査が総人口の22.8%であったのに対して、90

年は16.1%(1億8,200万人)と低下しているが、

なお相当の文盲、半文盲者が存在している。当 年における大学・専門以上の文化程度約614万人

である。また、65歳以上の人口は6,418万人(総 人口の5.6%)で、老年型人口の国家に達するの

は、西歴2004年(7%)と予測され、中国は、

若い世代の国家といえる。

 2.青年問題 いまだ高齢化社会に到達して いない中国は、彪大な青少年人口をかかえてい

るが、それは、重大な青年問題を生起している。

青年問題は、特定の年齢階層の問題(世代問題)

であり、児童・生徒・学生から成人に至る過渡 期の問題である。とくに、中国においては、陸

建華の言う、「20世紀80年代の中国社会の一個重

要な社会事実は、青年問題が、ますます突出し

て、一つの重要な社会問題として、社会各方面 の注意を引起している」㈹という事実を注目す る必要があり、体制(イデオロギー)の相違を こえて、全地球的な社会生活の近似化傾向(大

量生産と交通・通信手段の普及)とによって、

青年の問題が深刻に登場している。陸建華によ

ると、(1)中国の青年問題の厳重性と普遍性は建

国以来空前のもの、未曽有のことである、とく に、失業(待業)問題は、50年代末以来のこと であるが、70年代末、80年代初以来重大な問題

となっている。これは、労働力人口の増加とと もに職業構域の変化、学校教育及び社会政策の 変化によっている。(2)青年の刑事事件は、

1950〜59年全事件の20%、59〜65年30%、文革 10年間60%(抽出調査)、83年60.2%、85年

71.42%、86年72.47%と増加して、全刑事事件

(6)

の3分の2が青年によるものである。

 社会治安状況は、社会秩序(社会生活の正常 運行の必要條件)の晴雨計であって、社会の変 遷と発展に従って、人々の生活方式と行為方式 に巨大な変化が発生してきて、古い行為規範が 破壊され、しかも、発展段階に適応する新しい 行為規範体系が未だ完全に建立されないとき に、往々にして失序現象(秩序が失われた現象

社会病)が厳重となる。近年、中国では数千 に及ぶ法律、規則類が頒布されたが、それが熟

知、徹底されるまでには至らず、法律に依らず、

違法犯罪現象が増加し、陸学芸、李培林編『中

国社会発展報告』(1991、藩陽)によると、次の 如き新傾向が指摘されている。

 (1)違法犯罪事件が増加し、刑事事件の立件は、

1981−・84年間下落したあと、1985年より上昇に

転じ、89年の立件数は、197万余件に達して、85

年の2.6倍、1万人当り立件数は18.2件に及んで

いる。

 (2)とくに、青少年(14−−25才)犯罪現象が、

厳重で、深刻化しつつある。1970年代中期以降 全犯罪件数の50%以上となり、全刑事事件の3 分の2が青年に依るもので、犯罪構成人員に注

目すべき変化が起こっている。

 (3)重新違法犯罪の示める比率が増加してきて

いる、とくに、経済動機による犯罪が顕著に増 加している。経済の改革開放は、経済活動の活 性化を促したが、一方において、貧富の格差の 拡大をもたらし、貧しい農民は民工潮「盲流」

となって出稼ぎを求め、これらの諸事実が犯罪

の増加となっている。

 (4)革命後の50年代に基本的には消滅した諸現 象が、死灰からよみがえって復活してきている。

社会病 なる新語が登場し、これに関する著

述や論文も出ている。

四、

 90年代に広く注目を集めた社会問題は、貧困

(貧富の格差)、農村の宗族、社会病(社会病理

現象)が指摘される。これらは、50年代にその

多くが消滅、破壊されたものと考えられたが、

80年代の改革開放の中から重新拾頭してきてい

るもので、その根深さに問題がある。

 1.貧困 社会問題中人口問題とともに、あ るいは、これとならんで、中国社会のもつ最大 の社会問題であり、最も深刻で解決困難な問題 である。貧困は、中国農民の歴史的命運と考え られてきた。改革開放後、経済活動の活発化と ともに改善の傾向が見えはじめてはいるが、し かし、自然的地理的条件の制約等により、約

8,000万人以上に及ぶ農民、庶民の貧困層が存在

し、一方において、貧富の格差は、益々拡大す

る傾向にあるものと考えられている。貧困は、

生活の再現、再構成の困難な状態であって、そ の日暮し、今日は生活できても、明日の予定の

立たない状態ということができる。

 第6回アジア社会学大会において、泰均平

(Qin Junping,中国社会科学院社会学研究所

員)は、地域的貧困(regional poverty)という

概念を提唱し、階層的貧困(social stratum

poverty)、構造的貧困(structural poverty)と

を区別しようとする㈹。地域的貧困とは、 発展

の中心から遙かに離れた地理的位置によって引 起される貧窮 (impoverishment)と定義され

る。それは、巨大な発展途上社会の特殊な歴史 的地理的諸條件に由来するものであって、中国 のみならず、インドやタイ国にも見られるとこ ろで、劣悪な自然條件、困難な生活と生産、土

地の限界生産力を越えての人口の急速な増加、

高い貧困者率、などを特徴とする。地域的貧困 は、発展の速度に関連するもので、異なった地 域間のバランスが破れて、生産要素が蓄積され

(7)

るとき、取残された地域は、貧困を増大させて、

社会は後進化、停滞化を進めることになる。

 趙宝煎主編、部藍著『巨人的破足』(1992、黒 龍江人民出版社)は、 中国西部貧困地区発展研

究 といラサブタイトルが示すように、1985年

8月、国際経済学者が蘭州において、「中国西部

地区経済発展討論会」を開催したとき、西部廣 漠の大地の貧困の原因と要素を究明している。

中国の西部地区は陳西、甘粛、宇夏、青海、新

彊、内蒙、雲南、貴州、四川、西藏、廣西の11ヶ

省に及ぶ土地で、中国領土面積の70%、人口3

億(総人口の28.57%)、工農業生産額において

17.21%、1人当り工農業総生産値701.6元、全

国平均の57.85%にすぎない。広闊な土地におい

て、人口の五分の一の住民が貧困線以下にあっ て、全国の貧困線以下の人口の70%がこの地に 居住している。これは、歴史的変遷、自然條件

の劣悪さ、地理的な孤立性、生態環境の破壊、

意識・観念の落伍、政策・制度による拘束、人 材の欠乏、投資環境の不良などの諸要因があげ

られており、その解決は容易なものではない。

 2.宗族 華中と華南に顕著であった農村の 宗族は、革命後消滅させられていたが一土地改 革による族田の廃止、家族制度の変化、義荘・

宗祀の公有化と破壊、文革期の徹底破壊、族長 や名望家を批判斗争の目標とす一近年再び台頭 して、揚子江流域など華中・華南に蔓延して内 外の研究者の注目を集めており、毛少君、陳永

平と李委渉、江振昌、劉小京、銭杭(17)らによる 研究と銭杭の新著が(18}発表されている。宗族

は、「父系男子の血縁関係に依る同姓名集団」で あって、「同姓不婚、異姓不養」の家族原理をも

ち、家譜の修復、宗祀の恢復、族人としての活

動、族費の納付、伝統的宗族祭祀の再興が始まっ

ているという。

 1982年4月、日本社会学会有志訪中国の一員

として、北京、上海を経て蘇州を見学した折、

35一 団長の福武教授が、若い通訳に、義荘の所在を 問われたところ、彼は母親に聞いてくるという ことで、翌日門のみが残る遺構に案内されたこ

とがある。

 改革開放の進行とともに、農村の生産隊など の行政組織の機能が低下していき、これに代替 する組織がつくられず、家族、宗族などの勢力

が台頭する趨勢にあるものと考えられている。

一 般の社会現象の激変とともに、宗族蔓延は、

重大な社会問題 として、農村社会の安定に とっての一大内憂となりつつあるものとみられ

る。

 宗族は、単なる親族集団ではなく、社会組織 としての実体をもつもので、各々、宗規、族約

をもち、宗費を徴収し、強固な宗族組織をもち、

物質的な利益紐:帯をつくり、その連帯は活発化

しているが、一方において、大規模な衝突や宗

族械斗が大きな禍根となりつつあり、 革命開放

後、宗族組織が大陸農村に重建されたのは一個

普遍的事実である 佃)と判断される。

 家族、宗族勢力の興起により、農民講がつく

られ、「政府より家族がよい、郷長よりも族長が

たよりがいがある」、一介の宗族領袖が容易に

村、郷の指導的地位につき、地方には、「族権を

以って政府に代替し、族規を以って法規に代替 する」という状況であるという。宗族間紛争が おこると、名目上村長、郷長であっても、実は

族長が号令をかけて他族に対抗し、対政府紛争、

械斗では、その破壊力甚大であるという。

 械斗は、武器や農具をとっての斗争で、異なっ た宗姓間の斗争と、部落間械斗(一村全部宗姓、

一村多数が宗姓)とがあり、暴力手段を以って、

集団間の衝突を解決しようとする方式である。

劉小京は、1983年5月から92年11月に至る間、

漸江省南部の温州市農村地区(蒼南県江南地区)

を7次に亘って調査し、1967〜91年の間、大小

の宗族械斗は1000回以上(79年末以前に発生、

(8)

約700・−800回、80〜83年66回)、死亡20人、負傷 39人、焼失家屋218戸、経済損失300万元以上、

84〜86年間は械斗は収飲したが、1990年械斗22 回、経済損失2万元、91年50回その中大規模な 宗族械斗は2回、92年8月16日には林姓と陳姓 の2000余人が斗争して5人死亡している。

 かかる宗族活動が、農村社会に及ぼす影響と

して、

 1.宗族勢力が変質して、地方勢力となるこ   と。これにより村級ないし郷級の基層政権

  との衝突が起る。

 2.農村経済の発展を妨害する。地方保護主   義により、資金、人員、生産物の流通が阻

  害される。

 3.政府の法律と政策を批判し、破壊する。

  農村法制と族権をめぐって、現行法規に相

  惇する。

 4.民事の紛争を利用して、宗族の械斗を策   動する。人民の生命、財産に重大な損失が

  生ずる、個人の個性的自由発展を制約する。

 大陸農村に宗族勢力が蔓延した原因について みると、毛少君、陳永平と李委渉、社会学年塵

は、次の見解においてほぼ一致している。

 (1)宗族観念 宗族勢力が蔓延した心理基礎 であり、大背景である。革命後、宗法制度と宗 族勢力は、基本的に破壊されたが、しかし、宗 法組織が生存する土壌と條件は完全に消滅して おらず、宗族観念は、農村に強固に根づいてい

て、宗族勢力が復活する基礎を提供していた。

強固な宗族観念は、宗族内部に向っては、強大 な団結力となり、異姓の他宗族に対して強烈に 排斥するところとなり、殴斗や械斗を引起す。

 ② 自然村 自然村とそこにおける、自然経 済は、宗族勢力を形成し、増長する環境的基礎

となっている。 自然村は、依然我国農村地区の

主要居住様式 (17一①)であって、また、農村地域 の行政区画の基礎となっている。自然村を基本

として、3〜6個の宗族集団が組成されていて、

宗族勢力、宗族観念がつくられて、宗族間の磨

擦、衝突が始終存在している。

 (3)農村管理機構 元来、中国の中央権力の 行政権力が及ぶのは、県級レベルまでといわれ てきて、それ以下の鎮郷級の地域社会は、村落 自治、長老支配の地であったが、中国共産党の 支配が浸透するとともに、それらは後退ないし 消滅する方向にあったが、十年の文革による混 乱と共産党支配力の後退・弱体化により、農村 管理機構が不健全となり、宗族勢力蔓延の外部 條件となっている。1989年、国家民政部調査に

よると、全国の20%の村級組織が、半身不随状 態にあり、村落を以って単位となし、姓氏血縁

を以って基礎となして、宗族勢力が虚に乗じて 入りこんで、基層政権的活動を発揮し、これに 代替しているという。これは、中国社会の動向

にとって、極めて深刻な事態である。

 3.社会病 中国の社会学界は、近年来、「中

国的社会病」(社会悪的現象)が、緊迫した研究

課題であるとして、その研究を展開している。

張淳(社会科学院社会学研究所員)の編著『当 今中国社会病』と共同研究によると、中国に存 在する社会病は11種に分類されて、公職人員腐 敗涜職、団秋犯罪(70年代以来日を迫って狽獄

化、集団犯罪)、経済犯罪、劣製品製造、毒品犯 罪、売淫標娼、性病、淫秒物品(ポルノ)}乏濫、

婦女・児童の人身売買、違法結婚、封建迷信活 動があげられる。これらがすべて日本的社会問

題に含まれるかどうか、疑問なしとしないが、

少なくとも、公職人員腐敗、集団犯罪、毒品犯

罪、ポルノ}乏濫、売淫媒娼、人身売買、違法結

婚(早婚、契約結婚、重婚、納妾)などは重要

な社会問題である。『社会学年皇』も、吸毒問題、

媒娼売淫、自殺問題の三種をとり上げている。

 また、東国安編『当代中国社会越軌行為』(知

識出版社、1994)は、最高人民検察院副検察長

(9)

王文元の序文をもって、(1)吸毒、(2)売淫、(3)賭 博、(4)詐騙、㈲楡生( 生をむさぼる の原義、

計画外生育、黒弦子をさす)の五者を越軌行為 として論述している。これら各種の具体的な事 実が、研究考察されているということは、それ

らが、現実に存在し、かつ看過することのでき ない重要な問題であるということを意昧してい

る。

       アヘン

 ①吸毒あるいは毒品は、阿片、モルヒネ(鳴

暁)、ヘロイン(海洛因)などの販賓、使用とそ

の被害を問題とするものである。毒品の歴史は 永く、伝統的阿片が、惰唐の7世紀にペルシア より渡来して薬品として使用された限りで濫用 問題はなかった。明朝萬暦年間にポルトガル人 がインドより中国にアヘン貿易を開始して、18 世紀には中国全土で濫用され、乾隆38(1773)

年、イギリス束インド会社は大量のアヘン販売 を開始して、姻毒は全土に蔓延していった。清 道光15(1835)年、全国のアヘン吸飲者は200万

人以上に及んだという、「吸毒流行之処、妻離子

散、家破人亡、一派悲涼凄惨的景象」を呈した ということである。嘉慶15(1810)年、清朝政 府は、禁姻を開始したが、英国アヘン商人の利 益と衝突、1840年の中英アヘン戦争となり、以 後、中国の半植民地化が進み、中国は最大のア ヘン市場となる、1949年までに毒品吸飲の者

2,000万人以上とされている。革命後、毒品使用

は禁止されたが、中国の西南辺境地区は世界的 なアヘン産地ということもあって、毒品問題が 復活拡大して、1989年公安部調査によると、青 少年が多数をしめ、1992年12月3日く健康報〉

によると、中国の吸毒者数はすでに25万人に達 したという。

 新中国成立後、大規模なアヘン禁止運動が開 始され、1953年にはアヘンの植栽、販売、吸飲

は禁絶されたが、70年代末より国外からの毒品 の滲透が日を益して盛となり、とくに、雲南省

37一

と周辺地域(黄金三角地帯)、西北の甘粛省が国

際毒品の重要通路となっている。全国税関の麻 薬案件は、81 ・一 83年23件、87年56件、88年268件、

90年前期2208件、92年1月〜5月雲南省内の麻 薬案件1361件、販売人2136人に及んで、毒品滲 透は、死灰宴燃となている。吸毒人数は幾何級

数的に増加しており、1989年国連委員会席上、

中国代表は、 中国の吸毒人数はすでに7万人に

達している と発表している。この新毒品問題 は、その蔓延状況よりみて、次のことが指摘さ れている。

 (1)伝来的な国民のもつ吸毒性向に突発的に火

がついて増大した、②吸毒者群は文化水準が低

く、愚昧無知な者多く、社会学研究所の共同研 究によると、吸毒人員中、初級中学(中学校相

当)以下の学歴程度が79.0%に及んでいる、(3)

吸毒者の年令は、一般に低く、青少年が大多数 をしめ、小学校上級学年にも及んでいる、1990

年雲南省徳広州には15,000人の吸毒者があり、

最低年令は10歳である、(4)職業分布は複雑で各

階層、多種の職業に及んでいる、㈲吸毒品種と

方式とは多様化している、(6)薬品費は増加傾向 を示している、(7)吸毒と犯罪との関連性、吸毒

が別の犯罪行為を誘致することは顕著な傾向で ある、(8)都市と農村の間には、明確な差異があっ

て、都市は農村に比して厳重で、吸毒者数は7:

3の比といわれる、都市は、青少年が多く、農

村は中老年が主となり、都市では人に誘惑され、

享楽を追求する傾向が著しくみられる。

五、

 巨大な人口を擁する中国の社会は、いま、転

型期に移行しつつあるものと主張されている。

その過程中は、新1日の社会体制、秩序、規範が

共存し、交替と衝突の局面が持続する長期の期 間がつづくこととなる。古い社会体制が打破さ れたとしても、新しい体制が完全に建立されて

(10)

いないところに問題の源泉がある。発展途上社 会には、いずれもこの傾向が出現するが、とく に、中国の場合、その人口、面積、歴史の諸側 面において、転換のプロセスは深刻であり、そ こには、多くの社会失序現象が出現する可能性 がある。具体的に、その転型の様相として、次

の諸相が指摘されている(2。)。

 (1)自給半自給的産品経済社会より、計画的商

  品経済に向う

 (2濃業社会より、工業社会への転型に向う  (3)郷村社会より、都市(城鎮)社会への転型   に向う

 (4)閉鎖的半閉鎖的社会より、開放社会への転   型に向う

 (5)同質的単一性社会より、異質的多様性社会

  に転型する

 (6)倫理(人倫)社会より、法理型社会へと転   型する

 転型期にある中国が、如何なる方向に向い、

伝統と社会発展の関連は如何にあるか、如何な る実態をもちつつあるか、われわれは、中国社 会の実相を注視しながら、検討すべきである。

それは、20世紀における社会主義の変容といラ

巨大なテーマへの一つのアプローチである。

1995.11.16.第6回アジア社会学大会より帰

国して。

(1)『社会学研究』 1989年第4期、5

(2)①張琢、「社会学在中国的夏興」「社会学研究』

  1989年3月

 ②王育民、「中国社会学十年概観」、「社会学研究』

  1989年第2期

 ③陳樹徳、「申国社会学的歴史反思」、『社会学研

  究』 1989年第4期

 ④韓明誤、「也談中国社会学史研究中的九小問

  題」、『社会学研究』1992年第2期。「関干中国

  社会学史的時限、分期及伝統問題」、『社会学研

  究』 1991年1期。

 ⑤李慶雲、「社会学在堅持四項基本原則中前進」、

  『社会』 1987年第1期

(3)閻鵬、「社会学在中国一過去、現在和未来」、『社会  学研究』 1990年6期14頁

(4)福永安祥著、『中国と東南アジアの社会学』 106

 頁

(5)「部少平文選』 257頁

(6)丘海雄・戸祥軍「重建后的中国社会学的実用性

 格」、閻鵬「社会学在中国一過去、現在和未来」、

 「社会学研究』 1990年6期

(7)1984年の「社会学概論」は、 マルクス・レーニン

 主義、毛沢東思想」とあり、1988年7月の書面講  話は、「毛沢東思想Jの語句が欠落している。書面  講話、費孝通「我国社会主義初級研段理論与社会

 学学術研究会講話」、「社会学研究』 1988年第6

 期5〜6期

(8)李慶雲、「社会学在堅持四項基本原則中前進」、「社  会』 1987年第1期

⑨閻鵬、「社会学在中国一過去、現在和未来」、『社会

 学研究』 1990年6期

(10)「洋務運動」、「アジア歴史事典』 第9巻130〜132

 頁

(11)閻鵬、「社会学研究』 1990年6期

(12)『中国社会学年要(1989−1993)s−Cliina year−

Boole of So ciology,1994年中国大百科全書出版

 社

(13)①王輝著、橋爪大三郎他訳、「中国官僚天国』

  1994年3月 岩波書店

 ②播允康著、園田茂人監訳、「変貌する中国の家   族』 1994年11月 岩波書店

⑭丁水木、「論、改革開放中的社会問題」、『社会』

 1993年7月

  何肇発、「杁社会学角度論四害的掃除」、『社会学

 研究』 1995年第3期

(11)

(15)陸建華①「青年問題的制度背景一80年代青年問題  研究之一」、『社会学研究』 1990年第5期 ②「社

 会変革的当代中国青年問題」、『社会学研究』

 1989年第1芙月

⑯泰均平、 Rigional Anti・Poverty and Sustaina・

 ble Development 、 VI Intei3iationa{Co,nfe r−

 ence of Asian So6iolob㌧Aろsti act (P29−30)

 1995.11

⑰①毛少君、『農村宗族勢力蔓延的現状与原因分   析』、漸江社会科学(杭州) 1991年第2期(4   月)

 ②陳永平、李委渉、「宗族勢力;当前農村社区生活   中一般潜在的破壊力量」、「社会学研究』

 ③江振昌、「大勢農村宗族勢力復甦與械闘研究」、

  『中国大陸研究』(台湾) 1995年2月

39一

 ④劉小京、「略析当代翫南宗族械斗」、『社会学研

  究』 1993年第5期

 ⑤銭杭、「関於当代中国農村宗族研究的幾個問   題」、『学術月刊s(上海) 1993年4月287期

⑱銭杭、『中国宗族制度新探』 1994年4月 中華書

 商。涯ホ康等著、『中国宗族社会』1994年11月 漸

 江人民出版社

(19)江振昌、『中国大陸研究』(台湾) 1995年2月68  頁

⑳駈学芸、李培林主編、『中国社会発展報告』 1991  年 迂宇人民出版社、10−−29頁。〈中国改革発展報  告〉専家組著「1978−1994。中国改革与発展報告;

 中国的道路」1995年5月。中国賊政経済出版社。

(ふくなが やすよし、本学科非常勤講師)

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