奈良県メリヤス工業の地理学的研究
著者 菊地 一郎
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 18
号 1
ページ 69‑87
発行年 1969‑11‑29
その他のタイトル A GEOGRAPHICAL STUDY ON KNITTING INDUSTRIES IN NARA PREFECTURE
URL http://hdl.handle.net/10105/3110
69
奈良県メリヤス工業の地理学的研究
菊 地 郎
(地 理 学 教 室)
は し が き
さきに筆者は「奈良県工業の地域構造」において、繊維工業の地域的特化現象がいちじるしい(1)
ことを明らかにした。本研究ではさらに工業中分類の繊維工業のうち、細分類のメリヤス工業に ついて地理学的視点から実証的な研究を試みた。筆者はかって東京都墨田区のメリヤス工業につ
(2)
いて立地論的観点から研究したことがある。また奈良県のメリヤス工業に関してこれまでにもの
(3)(4) (5)
された業績があり、とくに「奈良県靴下のあゆみ」、「奈良県メリヤス製造業の実態讐)など出色
(7〕〔8〕
の研究・実態調査も残されている。それに加えて奈良県中小企業総合指導所の産地診断報告書、
(g)
奈良県総務部調査課の厚意により提供された各月の通産省生産動態統計調査の集計結果、および 各メリヤス工業組合、各事業所の実地調査結果などを資料として分析を進めた。
1.メリヤス製品の分類と基本的生産工程および流通経路
ここにメリヤスとは「縮まれた生地(knitted fabrics)」を意味し、やや専門的には「薪日
(loop)の集合によって形成された布」のことであって、「織物」に対する「編物」がメリヤス またはメリヤス製品にはかならない。メリヤスには種類が多く、普通はよこ(緯)編メリヤスと たて(経)蘇メリヤスに大別される。さらに用途や製品の種類が多種多様であって、そのうえメ リヤス廊立機の種類も多いので、その分類は容易ではない。いま以下の分析を進める便宜上、一 つの分類を示せば次の通りである。
メリヤス編立機と製品の分類 a.よこ編メリヤス
ー ヽ
−
. 1
−
−
.
円型編機
乎型編機
(
( b.たて福メリヤス
(;
丸編機(生地編機) I平編機一肌着・外衣・ジャージーゴム編機一肌着・外衣・ダブルジャージー
靴下編機一紳士・子供・婦人靴下・シームレス靴下・タイツ 横 縞 機一肌著・碗手袋・作業手袋
コットン式縞機一肌着・セーター・コットンシャツ・FF靴下
リコット編機一肌着・靴下生地・外衣
ッセル編機−レース・レースコ細ト地・羽織地・カーテン地 ラニーズ編機一肌着・セーター
(注)工業統計や工業組合関係の資料では、府機と製品の関係からメリヤスを丸編・だて編・
よこ編・靴下・手袋に分類している。
生産工程は、その細分化についての技術的可能性から分類すると三つの形態が存在する。その 第1は技術的に細分化のほとんど不可能なもの、たとえば製鉄業のように大規模な生産設備を必
・要とするか、反対に麻髄のようにほとんど設備のいらないもの、第2は技術的に各工程が有機的 な連繋をもつ場合である。第1工程の製品が第2工程の原料になるように、工程は垂直的展開を 示す。第3は技術的に異種の工程で生産された部品が組立てられて製品が完成する場合で、いわ
出 荷
漂白・染色整理
図1 メリヤス生産工程 メリヤスの生産工程が細分化され、
分業化・専門化がいちじるしく、工場 は中小・零細企業によって組織されて いるため、流動過程も卸商・小完・消 費者までの系路が細分化きれている。
そのうえ問屋の大部分が生産者同様に 坤小・零細であるためいよいよ複雑化 し、市場価格を不安定にしている。最 近におけるメリヤス縞機の改良進歩に よって生産性が向上し、近代化が進展 する一方、それとはうらはらに生産工 程・流動機構に上述のような前近代性 を残存させている。しかし他方では、
合成繊維を中心、とする系列化が強化さ れるにつれて、生産工程・流動機構が 整理されてゆく傾向もみられる。奈良 県メリヤス業界でもっとも一般的にみ られる流動経路を示すと図2の通りで ある。
ゆるアッセンプリーである。工程は水平に分割され ることになる。メリヤス工業の生産工程は第2の場 合に当てはまる。したがって工程の細分化が可能で あり、大部分が中小工業であるため部分工程でとく に分業化、専門化し、全工程の一貫メーカーの数は
きわめて少ない。メリヤス製品の種類によって若干 の相違はあるが、メリヤスの基本的な生産工程は、
大きく分けて(1)福豆工程(2)染色整理工程(3)縫 製工程の3段階にすることができる。生産工程の概 略を示せば図1の通りである。
† 主 要 系 路
2.奈良県メリヤス工業の地位
まず奈良県メリヤス工業の全国的地位について一般的考察をおこなってみよう。日本化学繊維
(10) り1)
協会の昭和41年全国メリヤス調査報告および唱和41年通産工業統計表から検討を進めるが、前者
奈良県メリヤス工業の地理学的研究(菊地) 71
は所有権主義による調査であり、後者は現荷主義であるため、両者の間に若干くい違いが存在す るが、これは調査技術上避けられないところである。またいちいちの表の提示は煩雑になるため 割愛した。
全国メリヤス調査報告から編機別産地別にみてみると、丸編機では、日本メリヤス工業組合連 合会資料による全国丸宿メリヤス登録者数は2,052、設備登録台数44,127で、奈良県の場合は奈 良(高田)が業者数82、台数1,772、郡山が業者数36、台数1,514、両者合計で業者数118、台 数3,286である。登録台数で産地別噸位をみてみると、和歌山・大阪・東京・愛知につぐ第5位 を占めている。よこ編機では、日本横編メリヤス工業組合連合会資料による全国登録者数は 8,212、設備台数では大横機79,777、小横磯17,020である。奈良は業者数267、大横機2,064、小 横磯303で産地に郡山を欠いている。登録台数による産地別噸位では大横機が第10位、小横磯で 第11位となっている。しかしノよこ編機の場合には、業者が全国に散在しているのが特色で、産 地間の格差は少なく項位の庇いのはそのためである。たて厨機では、日本経厨メリヤス工業紅合 連合会資料による全国登録業者数は550、設備台数2,633で、産地を足利・東部・関西・石川・富 山・福井・新潟の7地区に分け、関西が業者数127、台数666で第1位を占めている。閑西地区に は、大阪・京都など13産地とともに奈良もそこに含まれている。靴下機では、日本靴下土業組合 連合会資料による全国業者数は2,455、設備台数は32,241で、奈良は業者数920、台数10,095であ る。登録台数で産地別噸位をみると、奈良が第2位の東京(6,090台)以下を大きく引き離して断 然首位を占めている。作業手袋機では、奈良は業者数9、台数180で、その全国的地位はずっと 低い。また奈良の場合、フルファッション靴下機の業者・設備台数はみあたらない。
通産工業統計表から製品別県別にみて、奈良県が第10位以上のものをとってみると、綿丸編メ リヤス生地では全国第6位、丸編メリヤス外衣第8位、綿丸縮メリヤス下着第7位、毛丸編メリ ヤス下着第3位、合成繊維丸編メリヤス下着第4位、合成繊維たて麻メリヤス生地第8位、合成 繊維たて編メリヤス下着第7位、たて編メリヤス縫くつ下第1位、よこ編メリヤス下着第5位、
綿丸編短くつ下第2位、合成繊維丸編短くつ下第1位、その他の繊維製丸編短くつ下は大阪につ ぐ第2位、合成繊維丸縮長くつ下第1位、その他の繊維製丸編長くつ下第1位、その他のメリヤ ス製品第9位となっている。出荷製品からみて、奈良県メリヤス工業の特色はなんといっても靴 下の生産にあり、他の産地を凌駕して各種製品とも第1位・第2位を占めている。
つぎに奈良県工業のなかでメリヤス工業の占める地位について検討してみよう。奈良県の昭和 41年工業統計によると、繊維工業は全工業に対して工場数で木材・木製品工業の20.3%につぐ 20.1%を占める。繊維工業のなかでは、メリヤス工業が工場数で1,098、82.1%を占め、ほとん ど本県の繊維工業を代表しているといっても過言ではない。いま昭和42年の奈良県工業統計をみ(12)
ると、表1の通りで、工場数では靴下・よこ編・丸編・たて編・メリヤス手袋の噸となってね 表1 奈良県メリヤス工業紙分類別築計表(全事業所) (単位万円)
産 業 細 分 類 従業者数l原材料使用額等l製造品出荷額等
り、靴下工場の775は、第2位のよこ編150、丸編120をずっと引き離している。このことはすで に通産工業統計でもみたことで、従業者数・出荷額についても同じことがいえる。
メリヤス工業の分析をさらに進めるために、通産省生産動態統計を検討してみよう。調査対象 の生産者は、表2のようなメリヤス編機をもってメリヤス生地・製品を製造する者とされてい
衷2 通産省生産動態統計調査対象
注:去抽出は通産大臣または都道府県知事の指定した者に限り調査の対象となる。
る。奈良県の場合、対象となる生産者は75で、その分布は図3の通りである。北葛城郡の香芝町
・広陵町と大和高田市を核として磯城郡田原本町・橿原市・桜井市・御所市に展開する地域的集 団と、大和郡山市を中心に奈艮市におよぶ地域的集団があることが読みとれる。各月統計の集計 結果のうち、直接分析に必要と思われるものを抜すいしたのが表3・1〜表3・4である。表3
表3・1 設 備 運 転 状 況
種
丸 編
横 縞 機
機(靴下機を除く自 針 床 40.6甜以下 針 床 40.6伽以上
フ ルフ ァッ ション
靴 下 機 丸 厨フ ル フ ァッ ション
工業用動力
ミ シ ン
特 殊 本 縫
1,763台 44台 40台 弘2 セクション数 4,178台 42 セクション数
1,137台 8台 36台 弘2セクション数 3,730台 42 セクション数 623台
279台 468台
163台 出所:奈良県、昭和42年(1〜12月)通産省生産動態統計調査
・1の年平均月間実働機械数をみても、本県のメリヤス工業が靴下と丸編を中心としていること がわかる。表3・2の生地生産高では、丸編が主力で、綿生地・合成繊維(ナイロン)生地が大 部分を占めている。たて編の場合はトリコットだけで、アセテート・ナイロン生地が中心になっ ている。表3・3から原料投入高をみると、長繊維のナイロンがもっとも多く、ついで綿糸で、
両者合わせて全投入高の約80%を占める。表3・4から製品についてみると、靴下が全体の約78
%、ついで肌着が約15%、両方合わせて全体の実に92%を占めている。
近年におけるメリヤス工業のいちじるしい傾向は、「ジャージイ・ブーム」と「綿から合繊
原
2
°
3表
料
品 種
製 造 工 程 投 入 高
コ ラ テ コ ラ テ ス プ セ ス プ セ
ユ ユ
綿そ紡絹ビキアビキア
毛 毛
− ス ベ 一 一 べ
︵
.
︵
ンベル
ー ト ー ス
ンベル
ー ト
糸糸糸糸糸糸推糸糸糸
綿ず フ績
ス
人︶長ス︶紡
グ グ
毎〃
〃〃
〃〃
〃〃
〃〃
2,017,755 14,746
3,600 40,476 2,475 30,831
合 成
繊 維 糸 長 繊 維
‖ノりノりノノりノ
ナビポポポポポバ
イ ニ 塩エプゥェン
ン ン ル ル ン ン ン ン
ロデ
㌢? ロ
リ 化 ス ロ レ チ
紡 培 糸
ン ン ン ル ル ル ン 糸 ニ テ レ ロ ロ デ ビ リ ピ ヒ ス ロ ム
ノ イ
イ ニ 塩 ク ェ ブ
ニ
ノ りノ‖ノ
ナビビポアポポゴ 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃 〃
3,792,216 795 11,525 84,859 29,697 1,667 12,067 75,100 206,731 42,283 13,820 820,677 3,074 39,115 1,663 36,220 7,281,392
表3・3 生 地 生 産 高
⊥二______抽1且.」芸i;
表3・4 製 品(総 合)
品 種 l 単 位 l 生 産 高
A口 計
奈良県メリヤス工業の地理学的研究(菊地) 75
へ」という二つの側面で代表される。「ジャージイ(jersey)Jとは、「外衣用のメリヤス生地」
のことである。メリヤスは肌着という概念を打ち破って、メリヤスを大きく発展させた主役がジ ャージイであるといわれている。このジャージイは外衣用であるため、肌着用の生地より分厚 く、伸縮性は大きくない。種類が多く、よこ轟、たて編のものもあり、原糸によって綿ジャージ ィ、シルクジャージィ、ウールジャージイなどあるが、最近の主流は丸編機による合繊ジャージ
r13)
イであるとされている。繊維統計年報から、昭和36年と39年間の各種メリヤスの伸び率を計算し てみると、メリヤス生地1.93倍、肌着1.52倍、外衣3.22倍、手袋0.75倍、靴下1.77倍となってい
て、外衣の伸び率が非常に高く、これを反映してメリヤス生地の生産が増加している。同じく織
・維統計年報から原糸別に昭和36年と36年間の伸び率を調べてみると、メリヤス生地では綿1.20 倍、毛2.45倍、化繊2.28倍、合繊5.40倍、肌着では綿1.29倍、毛1.93倍、合繊2.27倍、外衣では
−綿3.36倍、毛1.54倍、合繊8.76倍で、いずれの部門をとっても合繊の伸び率が大きい。ふり返っ て奈良県の場合をみると、丸厨生地の部門で綿が約48%、合繊が約4門右を占め、いまだ綿への執 着は断ち難いが、合繊がしだいに進出したことがよくあらわれている。製品でみると、外衣がき わめて少なく、靴下と肌着が製品の大部分を占めている状態である。しかもさきにみたように靴 下・肌着の伸び率はよくない。ここに奈良県メリヤス工業の停滞の原因の一つがひそんでいる。
事実、靴下は戦後噸調に伸びてきたが、35〜36年をピークに過当競争によって生産はあがっても 亮上げが頭打ちとなり、収益率が年々低下する一万、労働力の不足と相まってこれまでほとんど みられなかった企業倒産が目立ちはじめた。奈良県では昭和42年1月から43年3月まで負債額
_1,000万円以上の倒産企業は33件あったが、そのうち14件42%が靴下業者であった。内衣(肌着)
から外衣へそして綿から合繊へと大きく進展してゆくメリヤス工業の全体的趨勢の中で靴下によ って代表され、丸編綿肌着への愛着が拾てきれない奈良県メリヤス工業はどのように活路を見出 してゆくのであろうか、今後の課題といえよう。
3.奈良県メリヤス工業の発達
メリヤスの本格的な機械編は1589年イギリスの牧師、ウイリアム・リーがヒゲ針を使用するメ リヤス編機を発明したことにはじまる。ついで1849年同じくイギリスのタウンゼントがベラ針を 発明した。このベラ針の使用によって、ヒゲ針よりも編成動作が簡単になり、機械化が大いに促 進され、メリヤス編機の根本的改革をもたらした。わが国の場合は、明治3年にアメリカから靴 下編機が輸入されたのが始めであるとされている。その後日本人の服装が洋風化するにしたがっ て発達し、また軍需の増加などもあってメリヤス工業は靴下を中心に発展し、肌着などの市場も
「開かれた。日清戦争が勃発すると、防寒用メリヤス・靴下の需要が増加した。またこのころ大阪 の業者が神戸、大阪の華南を通じて清国、南洋などへ靴下・えりまき・半ももひき・シャツなど を輸出するようになった。日露戦争でもメリヤス製品の需要が増加し、メリヤス工業は発展の一 途をたどった。第一次大戦後、新たにエジプト・インドをはじめ、オーストラリア・ニュージー
ランドなどの市場が開拓され、国内需要の増加と相まってメリヤスの生産形態は、家内工業から 工場制工業へと移行した。さらに従来の手動メリヤス編機がモーターで稼動されるようになっ た。大正から昭和にかけて欧米から次々と優秀なメリヤス縮機が輸入された。他方これらが刺激 となって新しい国産機械が生まれる契機となった。わが国メリヤス工業は地域的には東京をはじ め大阪,名古屋を中心に成立、発達したが、やがて海外から新鋭機が輸入されるようになると和
歌山、奈良にも業者が増加し、肌着用の綿製丸轟生地が生産された。
奈良県にメリヤス工業がおこったのは、明治後期である。奈良県政七十年史i2〕よれば、「生地
・肌着の製造は、明治31年奈良に大丸商会が工場を設置したのにはじまり、日露戦争後、北和地 万(生駒)において農村の副業としてきかんに行われるようになった。明治44年、奈良市に江商 合資会社奈艮莫大小工場(南袋町)というやや規模の大きな工場ができて大いに普及した。もち ろん大阪問屋の生地製造に関する下請工場の域を脱しなかったが、大正5年ごろからは下請でな く製造業者の出現をみた」とあり、さらに靴下について、「明治40年ごろ、奈良の柴田某がフラ イス霜機を、41年、生駒郡闇峠の浦中英が中丸機械を用いて靴下の製造を開始した。河内方面か ら製造の技術を伝習し、フライスものの産地として業界に知られたのであるが、いっぼう42年、
北葛城郡馬見村(現広陵町)に設けられた授産工場に瑞を発し、この系統から県下一円に拡めら れたものが多い。」と記されている。しかし高井メリヤスKKの初代高井仙太郎氏は、明治22年に
(15)
大和餅から手動機によるメリヤス(靴下)生産に転換しており、業界の始祖とする記述もある。
先駆的な意味をもつものであろう。
元釆奈良県は耕地面積が狭く、そのためにすでに江戸時代から農村副業がさかんにおこなわれ ていたが、その代表的なものとして大和木綿・大和餅があった。やがてこれらの織物は明治末期 を頂点として、力織機などの普及によって大正期に入ると衰退し、ついには大和木綿・大和餅を 織っていた貿織農家の大部分が新しい農村副業として靴下生産に転業していった。その推進母体
として明治42年、北蕃城郭馬見村に設けられた農民の生活救済のための授産工場があり、ここか・
ら靴下産業が県下に普及していった。生地・肌着の場合は、明治後期から大正初期にかけて、別 々の経路から奈良・大和郡山・大和高田・高市郡・北葛城郡に入っていったもので、その多くは
(16)
織屋の系統をひくものであった。大和高田市史は、「大正7年の高田町織屋の集散した産額は紺 餅82,173反、白餅52,086反で同年の奈良県産額のそれぞれ約13および10%である。それゆえ、高 田町では明治40年頃、織屋を廃業してメリヤス業や織布業に転業したものが多かった」と述べ、
さらに「明治末期から大正時代にかけて、細川メリヤス工場、織屋から転業した後藤メリヤス工 場や高田メリヤス合名会社が陸続と生れている。明治39年木綿界の不振を打破するため、製織鑑 の改良を図り織機100台余を購入して、朝鮮・満州向けの白木綿を生産した堀江三郎はメリヤス の生地製造に着手した。この堀江織布工場と前記3工場の大正7年度メリヤス産額は510,000貫 に達している。」と記している。
奈良県統計書の表4をみると、明治39年からメリヤス工場がはじめて登場し、しだいに発展し
(17)
てゆく様子がよくわかる。大正6年に奈良県が実施したメリヤス業調査によれば、調査対象の工 場は32(調査もれの工場も多く、前述の奈良県統計で62工場となっている。)で、高市郡の14を筆頭に北 葛城郡7、生駒郡5、添上郡2、山辺郡2、吉野郡1、奈良市1の分布を示している。工場現像 を従業員数で表わすとすれば、奈良市の日本メリヤス奈良分工場(現日本ソックスKK)が548 人でとびぬけて大きく、50人以上をとってみると、高市郡天満村出の高井宗三郎60人、北葛城郡・
馬見村吉井泰次郎57人、野村藤蔵50人となっていて、ほかは49〜30人が3工場、29〜10人が13工 場、9人以下が12工場である。業種別では生地生産の3工場をのぞいて全部が靴下工場であっ た。なおメリヤスの生産額で府県別噸位をみると、大正2年に大阪・東京・愛知・兵庫・奈良の・
境で、奈良県は明治末期に創業してすでに全国第5位に達した。大正4年には大阪・東京・愛知
・奈良の順位で、兵庫を抜き短期間で先進産地と肩を並べるに至ったのである。第一次大戦後、
モーターの発達によって、大正8年から末年にかけ生地・肌着・靴下の生産は手動式から電動式
奈良県メリヤス工業の地理学的研究(菊地)
品
製ス
ヤ
‖ノメ
4表
綿 i毛及毛糸】其 の 他
77
額
価
総数工職
道教
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25,850 28,510 35,830 88,800 120,005 117,465 178,074 128,120 131,349 918,015 1,105,642 1,227,275 2,322,406 3,181,690 1,578,156 2,291,354 963,574 1,328,755 1,335,312 1,471,461 1,804,898 1,802,461 2,246,327 2,684,639 2,342,187 2,132,806 2,757,190 3,932,137 4,340,663 4,430,593 4,698,533
2,279,909 949,129 1,264,868 1,305,453 1,441,057 1,563,142 1,750,940 2,117,363 2,637,366 2,247,887 2,058,156 2,655,573 3,490,465 3,600,495 3,807,445 4,223,164
10,710 10,100 59,797 25,707 30,404 202,909 44,821 106,764 45,743 93,050 74,650 99,022 382,072 732,368 600,348 319,621
735 4,345 4,090 4,150
38,847 6,700 22,200 1,530 1,250 2,595 54,000 5,800 22,800 155,748
出所:奈良県統計書(明治15年〜昭和10)全
に切り替えられた。ただし靴下の場合は、農家の副業的生産まで本格的に動力化されるのは昭和 8年になってからである。
生地・肌着では、明治末年から大正5年まで業者のほとんどが大阪の問屋の下請で、生地生産 に従事していた。第一次大戦によって内需が旺盛となり、産地のうちコストの安い奈良は発展の 可能性をひめており、さらに関連産業の染色起毛整理などが発達してきたため、大正5年頃から 原糸をもらって生地に編立て、染色起毛整理して出荷するいわゆるメーカーが生れてきた。以後 それらのメーカーは、しだいに発展していったが、今次大戦前まで縫製をやる者はわずかしかな く、大部分は生地のまま大阪へ出荷していた。大戦中は軍需優先による企業整備で、休業する業 者が多かった。戦後は平和産業として、また衣料不足のため脚光をあびてくるのであるが、原料 難で見返り物資としての原糸は割当であった。業界には統制組合ができ、登録機械台数を基準と
してこれに生産実績が加味され、原糸の割当が決められた。これに対して奈良県側から製品の数 量を指定してきた。はじめは従来通り、業者の多くは生地で出荷していた。しかしこれでは原糸 の割当量が少ないときは痛手となるので、だんだん縫製もやるようになった。こうして戦後縫製 が全般的におこなわれるようになり、肌着として出荷されるようになった。統制撤廃後も縫製を おこなうものが多く、生地生産の多い和歌山から移入する業者も増加している。
靴下工業は明治末年から大正初年に農家の副業として成立したが、技術的に未熟でその多くが 倒産していった。しかしその後は、技術を身につけた業者が続き、発達の基礎を固めた。昭和初 年ごろの生産形態は、まだほとんどが原糸を大阪の輸出問屋からもらい、それを蔚立てて再び大
阪へ出して染色加工・整理されるという質編形態をとっており、大阪の問屋資本の強い支配を受−
けていた。昭和12年日中戦争の勃発とともに戦時体制に移行し、統制経済による原糸の割当が大 阪の問屋に対してでなく、工業組合を通して直接生産者を対象におこなわれたので、すでに独立_
的企業形態をとりうる基礎を確立した。第二次大戦へ進展するにしたがい、企業整備の関係から 業者数は減少し、馬見町でも12〜13軒を数えるにすぎなかった。戦後は比較的小資本で操業でき るので、雨後の筍のように新規零細業者が激増した。距拝口25年の朝鮮戦争による特需景気は業界一 に多大の恩恵を与え、産地形成に役立った。28年頃ナイロンが国産化されると、他の産地にさき がけていち早く綿糸からウーリー・ナイロン糸に切り替え、靴下にとり入れて技術的基礎を固め−
た。ウーリーへの移行のため多くの設備投資が必要とされたが、馬見農協・南都銀行などの金融,
面からのバックアップがあり、ときあたかも日本経済の高度成長期にあたっていたので、積極的 経営が成功した。さらに30年代中頃までに新しい柄を編む新鋭機を輸入し、新規需要を創出する など高度成長をとげていった。しかし最近、零細業者の過当競争によって、生産が国内需要を上_
廻り、価格の低落を招き、深刻な労働力不足とともに苦境に立たされている。
4.奈良県メリヤス工業の業種別地域構成
すでに述べたように、奈良県メリヤス工業の業種構成は、昭和42年奈良県工業統計から工場数二 でみると、靴下工業が第1位で、よこ編・丸編・たて編・手袋の順でつづく。これを出荷額でみ
ると、靴下194.6億円、丸編70.6億円、よこ霜18.8億円、たて麻8.6億円、手袋0.3億円、となって いて、工場数と出荷額の比較で第2位と第3位が入れ変った。それだけではなく、出荷額では第
1位靴下と第2位丸編が、他のよこ轟・たて麻・手袋との間に大きな断層をつくっている。すな わち奈良県メリヤス工業は靴下と丸編で代表される。これら4業種(工業細分類)の地域分布は 決して一様なものではない。靴下工業は表5にみるように、発祥の地馬見地区が最大の産地で、
表5 地 域 別 業 者 数
地 域 局番陵当大広磯橿御大生奈王 地 地町 地郡市
和
見 西麻 瀬城原 和 区芝区と高区とと所郡駒艮寺
計
︶町︶町市︶市郡市市郡市 町 市 町
田
陵 高庄 陵井市 和 ∃ ﹂
町
(広 ガ 田 広 山
︵新 ︵ 桜高
業 者 数
6
8
4
0
0
5
0
6
5
爪
U
5
5
1
8 0
3
9
0
0
8
企
U
5
5
3
1
1
1
21
出所:昭和42年奈良県中小企業総合指導所、産地診断報告書対象靴下業
業者数の4分の1を占め、それに大和高田市、香芝町、新庄町、当麻町などを加えると、旧北葛:
城郡が70%強を占めている。丸編メリヤス工業の場合は、県内盆地部一帯に分布するが、中心は.
二つあって、l一つは大和郡山市を中心とする地区で、内需向け生産に特色がある。他の一つは大:
奈良県メリヤス工業の地理学的研究(菊地) 79
ニ和高田市を中心として北葛城郡とその周辺の地区で輸出向産地として特色をもつ。工業組合も南 北にわかれ、北は郡山メリヤス工業組合、南は奈良県メリヤス工業組合で両地区の間の交流もあ まりない。よこ編メリヤスは靴下につぐ工場数をもち、創業の歴史も大正期で伝統があるにもか かわらず精彩がない。それはわが国よこ編メリヤス業全体の問題でもあるが、編機が現在ほとん
ど手動機(大横機・小横磯)であって、製品が非常に季節性に左右されるので、企業は生業的で あり、零細である。したがって資本力の不足となり、企業の独立性に乏しく、大部分は問屋資本
に従属している。昭和41年12月の登録台数は、23,997で、そのうち大横機2,064、小横磯303、業 者数は267となっている。このなかで原糸の自己手当が可能な独立業者は10%に満たない。業者
の70%前後は大阪の問屋の下請であり、地元親企業の系列に入るものは少ない。またよこ編業者
・の大半は縫製業者でもある。しかもきわめて零細で縫製ミシン10台禾靖が70%強を占め、業者の
_大部分は農業との兼業が多いため、よこ編メリヤス独自の産地づくりの意欲に欠けている。ここ で奈良県メリヤス工業を代表する靴下および丸麻について、もう少し詳しく検討してみよう。
(1)靴下工業 明治末期から大正期にかけて農家の副業としておこり、昭和初年にはまだ大 部分の業者が大阪の問屋資本に従属して賃加工する下請でしかなかった靴下工業は、戦後になっ て急激な伸長をみせた。この発展の要因としてあげられるのは、伸大阪というわが国の代表的繊
維市場を近くにもっていること、(ロ)耕地面積が狭く、農業専業が不可能で、副業を必要としてい たこと、再農村副業の家内工業として生産をゆるした当時の靴下工業の技術的性格、国あらかじ め大和木綿・大和餅の生産を通して、繊維に対する基礎知識があったこと、輌婦女子労働力にめ ぐまれていたこと、困行政機関・金融機蘭の理解と協力が得られたこと、佃靴下工業の発達とと もに染色・仕上・ネーム・包装・かがりなど関連産業が成長し、産地内で分業形態が完備したこ となどがあげられる。これに昭和30年以後の日本経済の高度成長と消費革命(必需品から装飾品 へ)が靴下工業の発展に大きな影響を与えた。とくに飛躍的伸長を与えたのは、ウーリー・ナイ
ロンのいち早い導入であった。昭和27、28年のウーリー・ナイロンの導入以前、綿・人絹靴下時 代の業界は不況のさなかにあった。その当時大阪では多くの業者が転・廃業し、奈良の場合も廃 一業して帰巣する業者がかなりあらわれた。やがてウーリー・ナイロンが原糸に使用されるように なって,業界はすっかりよみがえり、その後の発展の基礎を築いた。しかし同じ奈良県でもウー リー・ナイロン導入に関する対応は地区によって違っていた。歴史の古い馬見地区では綿糸依存
 ̄率が高く、ウーリー・ナイロン糸に対する不安感がつよかった。むしろ戦後靴下工業が発達した 下田・五位堂地区が積極的にウーリー・ナイロン糸を受入れ、以後急速に伸びていった。
産地診断報告書によれば、現在奈良県内で靴下の製造に従事している業者は、組合員で912名
(42年10月現在)、ほかにアウトサイダーが100名以上いて、全部で業者は1,100名前後である。
・裁模別にみると、業者の95%は30人以下の零細企業であり、100人以上の近代企業はわずかに0.2 く%にすぎない。これを靴下編機の所有台数別にみても50台以下の企業が96%を占め、これが従業 眉30名以下の規模にあたる。最近の靴下産業の推移をみると、府和37年を100として5年後の42 年は、全国が159、奈良県が188で、かなり高度の成長率で上昇しているが、製品別には紳士靴下
・小鬼靴下はほとんど横ばい状態である。40年以後の異常な伸びは、シームレス靴下・タイツの
・贅及によっている。生産では外注への依存率が高く、縮立15%、染色鋸%、かがり88%、偏見66
・%、仕上88%、包装40%に達する。また多種少産型の機械を所有しており、ウーリー・ナイロン が依然としてベース糸になっている。販路をみると、大阪市場への比重が非常に高く67%を占 め、ついで東京の13%となっており、生産が販売に優位し、つくったから売るという傾向がつよ
い。労働力では、女子従業員は九州出身が多く、男子従業員は地元で採用する値向がみられる。
従業員の平均年令は男子25才、女子23才で若く、平均勤続年数は男子4年、女子3年で定着性に▼
乏しい。賃金は規模による格差が大きく、大企業ほど賃金が高くなっている。
奈良県の靴下工業は、きわめて短期間に発展をとげたのであるが、「一に生産、二に販売」で ただがむしゃらに「大量生産で安く」をモットーとして進んできた。しかしほとんどが中小・零 細企業からなる靴下工業の今後あゆむ道は、決して平坦なものではない。構造改善につながる企 業の協業化・設備の近代化・流通機構の改善・労働力対策など問題は山積している。とくに旧来 の過剰労働力依存による底辺産業の存立条件は崩れ、明白な労働力の絶対的不足は企業崩壊にも 及ぶ深刻な問題となっている。しかしその解決策たる設備の近代化は、企業の零細性、製品の季 節性・流行性からくる多品種少量生産・機種の多様性によってはばまれ、しかも合成繊維の使用 が約80%を占め、その耐久性と企業間の過当競争によって、靴下価格は年々下向きとなり、収益 性を低下させている。現段階において、これら諸問題の抜本的対策がつよく望まれている。
(2)丸編メリヤス工業 a.郡山地区 この地区におけるメリヤス工業の発生について、大 和郡山市避っぎのように述べている。『郡山町にメリヤス業は大正初期にはじまった。「郡山 町勢要覧、昭和26年度版」は、「郡山メリヤス工業の濫蛎は、大正5年頃、今の戸口工場の戸口 米次郎氏がまだ大阪の博労町に居ってメリヤス問屋をして居た頃、当時大阪の某所で職工をして 居った勝井篤太郎という人を助けて材木町に工場を設けさせ製品を作らせだのに発している。」と 記している。大正5年の郡山町「統計原繹」には、勝井メリヤス賃織工場(材木町・勝井筒太郎)
が登場、創立は大正4年11月とされ、同年末職工17人(うち男10、女7)、1日労働時間11時間、
1ヶ年就労日数310日、製品はシャツ・ズボン下で生産額は3,600貰、価格2,520円を産している。
その後、田中藤吉、八尾音次郎、柳井熊吉氏らが開業し、さらに掘岡、木島、小西あるいは荒月も 半吉民らによって組合の結成がなされ、メリヤス業の基礎は確立きれた。』
筆者が昭和43年11月、郡山メリヤス工業組合を調査した時点で、組合員は68名(うち大和郡山 市61、奈良市7)であった。郡山地区の業者は、その大部分が大正初期から大阪の問屋制のもと
に生地編立の下請という生産形態をとってきており、戦前は吊機が主体で裏毛生地専業であっ・
た。
戦後、衣料生活の変化にともなって、裏毛シャツの需要が激減し、和歌山県の場合と同様に転 換を迫まられ、フライス・台丸・両面機との入れ換えが必要となった。転換が可能な企業はいち 早く切り換えたが、一部にはこれを機に休・廃業せざるをえない業者も出た。表6・1は現在各 企業が保有している機械台数とその老朽状況についてまとめたものである。これによると吊放
(よこ丸編機の一種で、裏毛シャツ・ポロシャツ用のパイル生地や各種のシングル・ジャージイを編む。)
は現在190台あり、そのうち140台75%が12年以上を経過していて、侶和40年以降は設置していな い。このことは明治・大正期から昭和初期にかけ、裏毛生地厨立がさかんにやられていたことを 裏書きするものである。なお現在は両面機(丸編機の一種。これで編まれた丸編両面生地は、もっとも 多く使用されるメリヤスで合繊糸、綿糸を使った合・冬肌着用、合繊糸毛による多衣用ジャージイなど用途 が広い。)とフライス機(丸編機の一種。これで編まれた生地はとくに伸縮性が大きく、ゴム編機、ゴム縞 生地ともよばれる。)が主体となっており、前者は425台で全体の44%、後者は232台で24%、両者 合わせて68%を占める。43〜45年の機種別設備投資台数をみても、編立設備では両面140、フラ イス87、台丸6、その他14となっている。
現在郡山メリヤス工業組合の加入業者は、1.一貫メーカー、2.縫製業者(生地貰い)、
奈良県メリヤス工業の地理学的研究(菊地)
表6・1 機 械 設 備 状 況
経 過 年 数
1年以内巨〜3】4〜718〜11l12年以上
上
81
注:()内は経過年数不明台数
出所:奈良県中小企業総合指導所、郡山メリヤス工業産地診断書、昭和43年
3.生地メーカー、4.賃加工業(下請の縫製業者)の4部門から構成されている。組合の中堅 企業として活躍しているのは、戦前の裏毛生地専業者のうちでたくみに転換に成功した業者であ る。一貫メーカーを除く他の部門の業者は、いずれも零細業者からなっている。産地診断による 表6・2から従業員規模別企業数をみると、調査企業63のうち従業員20名以下が79%を占めると
表6・2 従 業 員 別 規 模
計
合 計 20 1 6 1 1 3 3 4 1 6 1 63
いう零細企業からなっている。また表6・3から生産・事業形態別にみると、縫製業を営むもの は37企業(全体の59%)あってもっとも多く、下請専業が23企業、自家製品の縫製のみは12企業 で、両者を合わせおこなうものは2企業にすぎない。一貫メーカーと生産蘇立は同数の13企業、
一貫メーカーの方は下請専業を、生地編立の万は自家生産をそれぞれ欠いている。表6・4から
表6・3 生 産・事 業 形 態 別 業 数 事業形態
自 家
11 12
下 請
10 23
計
23 1 33 7 】 63
表6・4 原 糸 の 使 用 状 況
毛のみl合繊のみ恒台車鶴 綿 とその他 計
一貫生産 自 家 自家及び下請
生地編可下 請自家及び下請 縫 製
自 家 下 請 自家及び下請
計 21[ 1 61 331 2 [ 11 63
原糸の使用状況をみると63企業中従来からの綿のみを手掛けているものは、21企業(33%)、多 少とも綿を扱う企業は55企業(87%)、これに対して合繊のみは6企業(10%)にすぎず、多少
とも合繊を扱う企業は41企業(65%)である。生産形態別にみると、一貫メーカーでは綿のみが 4企業(30%)、綿と合繊が8企業(62%)で、合繊のみは皆紐である。生地轟立では、綿のみ が1企業、合繊のみが2企業(15%)にすぎず、綿と合繊が10企業(77%)で他の2部門にくら べてこの部門の比率が高い。縫製では綿のみが16企業(43%)、綿と合繊9企業(15%)、合繊 のみは4企業(11%)で綿のみの比率が高く、合繊のみは全部下請企業になっている。昭和38年 における合繊を多少とも扱う企業は全体の60%であったのとくらべて、65%と多少高くなってい るが、依然として綿への執着がつよく、とくに一貫メーカーではそれが92%にも達する。
労働力についてみると,42企業1,290人についての調査結果では,男女構成比が男子22.3%,
 ̄女子77.7%で、2:8の比である。平均年令は男女とも34才で、靴下工業などに比してかなり高 い。平均月収は男子37,767円、女子18,238円、男女の格差は約2万円でかなり大きい。従業員の 一募集方法は職業安定所を通すよりも縁故による採用が多く、企業内の住込従業員120名の出身地 を調べてみると、中国地方90名(75%)、県内24名(20%)、その他6名(5%)で中国地方の 出身者が断然多い。また県内もかなりいることが注目される。主として吉野郡や宇陀郡など山間 部の出身者と思われる。通勤状況は、通勤者236名について市内が171名(72%)、県内63名(27
%)、県外2名(1%)でほとんどが市内からの地元通勤者である。流通機構は、メリヤス業界 全般の傾向と等しく、きわめて複雑で市場価格が不安定であり、販路は靴下の場合と同じく、大
[阪が大部で、一部東京・名古屋に出荷されている。
も.高田地区 郡山地区の性格が内需向け産地であるのに対して、大和高田市を中心として,
御所市、橿原市、高市郡、磯城郡、北葛城郡におよぶ高田地区は、外需向け産地の性格がつよ い。もっとも最近は、内需向けが増加する傾向があらわれている。高田地区の組合は、奈良県メ
奈良県メリヤス工業の地理学的研究(菊地) 83
リヤス工業組合で、構成は部会制度を採用しており、一次製品(生地製造)、二次製品(縫製)、
横編の3部会から成り立っている。本組合の指導的役割を果たしているのは、一次製品部会であ って、二次製品部会はその関連産業的立場におかれている。筆者が43年9月に同組合を調査した 時点で、組合員は一次製品部会68、二次製品部会23、横編部会260、合計351名であった。これら のうち桟麻は県下平坦部の全域に分布する。42年の組合員名簿から一次および二次製品部会の組 合員分布を調べてみると、一次製品では大和高田市29、御所市8、橿原市・高市郡15、磯城郡田 原本町10、北葛城郡8、合計70名、二次製品では大和高田市19、御所市4、北葛城郡3、橿原市
3、桜井市・磯城郡2、合計31名となっている。さらに大和高田市内では、南東部の旧天満村勝 目・出・酉坊城・奥田に集中している。一次製品部会で、大和高田市内の組合員29名のうち、旧 天満村に立地する業者は19名(66%)を占める。二次製品部会でも19名のうち7名(41%)を占
めている。組合員を従業員規模別にみると、一次製品部会ではフジボウメリヤス(140人)、近畿 莫大小(120人)、信和莫大小(70人)、南和繊維工業(60人)、新弘メリヤス(30人)、勢黄大 工業(25人)などが規模の大きい方で、ほかは20人以下、それもほとんど大部分は10人以下であ る。二次製品部会でも、フジポウメリヤスは重複するが、関西繊維興業(50人)、鳩間メリヤス
(50人)、奥西メリヤス(40人)、新田メリヤス(40人)のほかは10人以下の零細企業である。
この地区の業者は、その20%が明治・大正期に創業したもの、昭和初年から今次大戦前までに創 業したもの35%程度で、合わせて55%近くが戦前派に属し、その多くは大和木綿の織屋・糸屋の 系統をひいている。この地区の構造を規定するのはフジポウメリヤスである。その前身が高井メ リヤスで、初代の高井仙太郎氏はすでに明治22年に創業し、奈良県メリヤス工業の始祖ともよば れている。フジポウメリヤスは富士紡績の傘下にあり、内需に応ずるだけではなく、ヨーロッパ
・酉アフリカ・東南アジアなどの諸地域にメリヤス肌着をきかんに輸出している。また業者のな かには、フジポウメリヤス、南和繊維工業などいくつかの企業の県内下請の形態をとるものが多 い。
要 約
(1)筆者はききに「奈良県工業の地域構造」において、繊維工業の地域的特化現象がいちじる しいことを明らかにした。本研究では、繊維工業(中分類)を代表するメリヤス工業(小分類)
をとりあげて、地理学的視点からこれを分折することにした。
(2)メリヤス工業の地理的研究を進める便宜上、メリヤス製品の分類と基本的な生産工程およ び流通構造を明らかにし、それらの特色を述べた。生産工程は、1.編立工程 2.染色整理工 程 3.縫製工程の3工程から成立っている。各工程が技術的に有機的連繋をもって、垂直的に 展開し、工程の細分化が可能である。したがって部分工程ごとに分業化し、専門化し、全工程の 一貫メーカーは少ない。生産工程の細分化に応じて、流通過程も卸商・小売・消費者までの経路
が複雑化し、市場価格を不安定にしている。
(3)昭和41年現在で、各工業組合連合会への編機登録台数を全国産地別にみると奈良県は、丸 編機では、和歌山・大阪・東京・愛知につぐ第5位、よこ編機では、大横機が第10位、小横磯が 第11位、丸編靴下機では、第2位東京以下を大きく引離して第1位を占めている。昭和41年通産 工業統計でも靴下関係が第1位または第2位を占めている。奈良県のメリヤス工業は靴下と丸編
メリヤスによって代表されている。しかし「内衣(肌着)から外衣(ジャージイ)へ」と「綿か ら合繊へ」という一般的傾向にそれて、それが最近の停滞の一因になっている。
(4「奈良県メリヤス工業は、まず靴下工業が明治末期、旧北葛城郡馬見村に設立された授産場 を原動力として普及した。それは大和木綿・大和餅が力織機などの普及によって打撃を受け、か わりの農村副業として導入されたもので、大阪の問屋支配のもとで下請賃麻として発達した。丸 編メリヤスも明治末期から大正期にかけて奈良・郡山におこったが、高田の場合は大和木綿の紙
屋・糸屋の系統をひくものが多かった。戦後、靴下工業は昭和27年、28年ごろウーリー・ナイロ ンの導入に成功して馬見地区より、新興の下田・五位堂地区を中心に急激な発達をみた。丸麻メ リヤスも終戦直後の原糸割当を機に、生地売りだけでなく、生地買いの縫製業者が生れた。明治
・大正から戦前にかけてさかんであった昂機による裏毛生地生産は、戦後需要が激減し、両面機
・フライス磯による両面丸蔚生地、ゴム麻生地に転換した。
(5)奈良県におけるメリヤス工業の分布は、つぎの3地区に類型化きれる。1.靴下工業の発 達する広陵町の馬見地区およびその周辺地域。2.丸麻メリヤス工業の展開する郡山地区。内需 向け生産を特色とする。3.馬見地区からの延長である靴下工業と外需向けを特色とする丸縮メ
リヤス工業のさかんな高田地区とその周辺地域である。
(6)靴下・生地・肌着などを含めて、メリヤス工業は、企業の零細性、製品の季節性・流行性 から多種少産型となり、機種は多様化し、設備の近代化がはばまれる。他方では、労働力不足と 企業間の過当競争により収益性の低下は深刻となり、これらが県下メリヤス工業の命とりにもな
りかねない。この有力な対策の一つとして推進されているのが協業化、団地化である。
この研究を進めるにあたり、奈良県総務部調査課、奈良県中小企業総合指導所、奈良県メリヤ ス工業組合、郡山メリヤス工業組合などから厚意ある貴重な資料の提供を受けた。また本学地理 学教室、歴史学教室の諸先生から有益な助言・教授をいただいた。ここに記して謝意を表する次 第である。
引 用 文 献
1.菊地 一郎1968 奈良県工業の地域構造 奈良教育大学紀要(人文・社会科学)16,53−70 2. 〃 1958 江東(東京都)工業の地域構造 地理学評論 31−9,555−565 3.堀井甚一郎1961奈良県地誌156一一164貢176貢
4.奈良県化学繍維協会1962 奈良県メリヤス業の実態調査 市場調査資料 5.奈良県靴下工業協同盤台1964 奈良県靴下のあゆみ
6.奈良県民生労働部職業安定課1954 奈良県メリヤス製造業の実態 7.奈良鼎中小企業総合指導所1967 産地診断報告書 対象靴下業 8. 〃 1968 郡山メリヤス工業産地診断報告書
9.通商産業大臣官房調査統計部1967 個和42年(1月〜12月)奈良県、通産省生産動態統計
(メリヤス工業)
10.日本化学品維協会1967 覇和41年全国メリヤス調査報告 11.奈良県総務部1967 日召和41年奈良県工業統計調査報告 12. ク 1968 昭和42年奈良県工業統計調査報告 13.通商産業大臣官房調査統計部1961・1964 維繊統計年報
奈良県メリヤス工業の地理学的研究(菊地)
14.奈良県1962 奈良県政七十年史 672〜674貢 15.大和タイムス社1962 大和と企業 257貢
16.大和高田市史編集委員会1958 大和高田市史 379〜381貢 17.前掲 5の186〜191頁
18.柳沢文庫専門委員会編集1966 大和郡山市史 631〜632亘
(昭和44年5月30日受理)
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