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『スラヴ文化研究』Vol.19 (2021) pp.1-20
小林淳子:東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程
ソ連児童文学草創期におけるⅯ.ゴーリキーの役割
ー労働者階級にとっての「神」と「民話」を中心にー
小林淳子
《要旨》
社会主義リアリズムの父として知られる
M.
ゴーリキーは、児童文学の世界で も大きな業績を残した。本稿の目的は、ソ連児童文学の草創期に彼が果たした役 割を考察し、「児童文学者としてのゴーリキー像」を明らかにする事にある。ま ず彼の児童文学に関する論考を分析し、指導者・理論家としてのあり方を確認す る。次にゴーリキーが書いた子供向け作品の中から特に「神」「民話」に触れて いるものをピックアップし検討する。ソ連国内で無神論が国是となる中、1920
年 代後半のソ連児童文学界では民話や昔話を「つくり話」とし、児童文学にはそぐ わないものとしてその是非を問う論争が起こった。革命以前から広く大衆に信仰 されていた「神」と、民衆言語の血肉でもある「民話」をどう定義し直し取り扱 うべきかは、ゴーリキーにとって大きな課題だったと言えるだろう。さらに自伝 的作品『幼年時代』の分析を通して「神」および「民話」に対するゴーリキーの 個人的な体験・見解を検討することで、ソ連児童文学の草創期において彼が果た した役割を立体的に浮かび上がらせたい。《キーワード》
ゴーリキー、児童文学、民話、ソ連
はじめに
M.ゴーリキー(本名アレクセイ・マクシーモヴィチ・ペシコーフ)
は作家であると同時に社会主義リアリズムの父として知られるが、児童文学の世界でも大きな業績を残し た。その活動は多岐にわたり、児童文学作家としてだけでなく理論家、批評家として、
さらに指導者として世界初の「児童文学出版所
Детгиз
」の創設に尽力するなど、1それぞれ の分野で大きな業績を残している。また、ゴーリキーと共にソ連児童文学を担うことに なる後進のK.
チュコフスキー、S.
マルシャークなどへ与えた影響も大きい。本稿では、ソ連児童文学の草創期にゴーリキーが果たした役割がどのようなものだっ
1 M.ゴーリキーの児童文学出版所創立に関する活動については Кудрина Е. Роль М. Горького в истории издательства «Детгиз» // Детские чтения Т. 18. 2020. С. 407-424.に詳しい。
たかを考察し、「児童文学者としてのゴーリキー像」を明らかにする事を目的とする。
ゴーリキーは児童文学に関する論文を多く書き、革命後の新しいソ連児童文学が向か うべき方向性を理論的に指し示した。そこで本稿では、まず指導者・理論家としてのゴー リキーの活動を概略的に確認する。次にゴーリキーが書いた子供向け作品の中から特に
「神」「民話」について触れているものをピックアップし検討する。周知のように、ソ連 では宗教撲滅運動が進んだ結果、旧来の神が否定され最終的には無神論国家となった。
またゴーリキー自身は、
1906-10
年頃にかけて建神主義を提唱した無神論者だった。さ らに1920
年代後半のソ連児童文学界では、昔から語り継がれてきた民話や昔話を「つ くり話」だとし、児童文学にはそぐわないものとして排除すべきか否かに関する論争が 起こった。2 児童文学には宗教や民話がその役割を任じられているのと同様に、子供に 善悪の違いを教え、生きていくための軸となるような理念を伝える役割がある。そうし た中、ロシア革命以前から広く大衆に信仰されていた「神」と、民衆の言語の血肉でも ある「民話」をどう定義し直し、今後取り扱っていくべきかについては、新しいソ連児 童文学にとって、すなわちその指導者であるゴーリキーにとって、避けられない大きな 課題だったと言えるだろう。本稿ではゴーリキーが書いた「神」「民話」に関する作品を 通して、彼がその課題とどう向き合ったのかを検討していく。さらに、個人としてのゴーリキーにとって「神」と「民話」とはどのような存在であ ったのかについて、自伝3部作『幼年時代』『人々の中で』『わたしの大学』のうち『幼 年時代』を中心に考察し、「神」および「民話」という存在をゴーリキーが児童文学にど う落とし込もうとしたのかを総合的に検討することで、ソ連児童文学の草創期において 彼が果たした役割を立体的に浮かび上がらせたい。
1.理論家としてのゴーリキー 3
ゴーリキーは、ロシア革命以前からすでに児童教育問題に大きな関心を寄せていた。
作家であるゴーリキーが教育手段としての「文学」を特に重要とみなしたのは自然なこ とと言えるだろう。自伝的小説『幼年時代』(
1913
-1914
)『人々の中で』(1916
)などの 著作においても、口承文学・記載文学がいかに自己の人格形成に影響を与えたかが書か れている。本稿では、ゴーリキーの児童文学に関する論考を、1910
年から没年の1936
年 まで、概略的に年代順に確認していく。「教育」に対するゴーリキーの最初の公式見解は、
1910
年にブリュッセルで開催され2 Хеллман Б. Сказка и быль. Boston, 2013. М., 2016. С. 327-334.
3 児童文学に対するM.ゴーリキーの論考、手記および書簡はГорький М. О детской литературе, детском и юношеском чтении. М., 1989.にまとめられている。/【邦訳】ゴーリキー・マクシム
(東郷正延、笠間啓治訳)『児童文学論』新評論社、1973年。
た第
3
回家庭教育大会へ寄せた論文「生活の物語」に記されている。4 ここでゴーリキー は「自分は教育の専門家ではない」と断りつつも、新しい児童教育にとって重要なのは まず過去の歴史を知ることであり、過去の世代の業績の良い面と悪い面を踏まえること で、より自由で理性的な生活を創り出すことができると述べている。その
7
年後、10
月革命を目前とした1917
年6
月25
日の公開集会「社会教育連盟」で の演説で、ゴーリキーは、変化する新しい社会情勢に合わせ「児童を保護する事は、す なわち文化を保護する事である」として、当時の混乱した社会情勢から子供たちを保護 するためにはしかるべき組織の創設が必要だと述べた。また、児童教育において提唱す べき「あるべき人間の姿」とは、生活と労働を犠牲や功績の対象としてではなく喜びと してとらえ、社会においてはまったく自由であると同時に、学問、芸術、労働に対して 本能、共感、自覚をもって結びつけられた存在だとした。51917
年の10
月革命以降、社会情勢は大きく変化し、翌1918
年の革命直後から党によ る大規模な国民教育が始まった。単一労働学校令が発布され、6 新たに創設される学校 で用いる書物が大量に、かつ安価に必要とされた。ゴーリキーは「ロシア文学作品の出 版に関する報告書」において、学校図書として古典文学作品を広く普及させるべきと考 え、新時代の国民教育にふさわしい書籍を提案した。71919
年にはソビエト連邦最初の児童誌「北極光」が創刊された。この「北極光」の発 行期間は1919
年から1920
年の2
年間と短かったが、9歳から12
歳までの児童を読者 対象としており、小説だけではなく歴史、自然科学、通俗科学、技術・美術工芸など、さまざまな分野をカバーしていた。ゴーリキーは同誌の編集長を務め、同時に執筆陣の
1
人として『ヤシカ』(1919
)などの作品を発表した。革命後の新しい社会において、「教育」と「児童文学」は切り離せない関係にあった。
ゴーリキーは
1927
年の論文「新しいものと古いものとについて」8 にて「子供を愛する 事はメンドリにもできる。しかし、子供を教育するというのは偉大な国家事業であり、才能と博識が求められる」と述べ、教育事業の国営化を高らかに謳っている。
しかしながら
1920
年代末頃より児童文学者と教育家・批評家の間、さらには児童文 学者と当局との間で見解の相違が表面化するようになり、「おとぎ話やファンタジーは4 Горький.М. О детской литературе, детском и юношеском чтении. М., 1989. С. 53-55.
5 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 64-73.
6 1918 年に公布された単一労働学校令(Положение об единой трудовой школе РСФСР)は、そ れまでの階級文化を反映した学校制度を廃止し単一とし、労働を中心的な内容とする学校制度を 規定した。無償の9年制男女共学義務教育を実施することで国民全体に平等に開かれた新しい学 校の建設を目指した。/ 浜本純逸『ロシア・ソビエト文学教育史研究』溪水社、2008年、145頁。
7 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 74-76.
8 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 85-86.
社会主義リアリズムに適するのか否か」について激しい論争が繰り広げられるようにな った。教育家・批評家の多くは「おとぎ話や動物・非生物の擬人化などは社会主義リア リズムにそぐわない」との立場をとったが、ゴーリキー自身は昔話、おとぎ話、フィク ションの賛同者としてこれに反駁し、非難・攻撃の実質的な対象となった児童文学作家 の
K.
チュコフスキーやS.
マルシャークを擁護した。91928
年の論文「正しく書けるとい うことについてもうひとこと」では、10 児童文学におけるフィクションに対し「芸術性 が低い」「面白みに欠ける」などとして低い評価が与えられていることに反論を試みて いる。たとえば「『魔法のじゅうたん』はフィクションだが、その虚構性こそが人類に空 を飛びたいという気持ちを呼び起こした。ジュール・ベルヌの『海底二万里』に登場する 潜水艦もフィクションであり、『月への宇宙飛行』もまったくの絵空事と思われていたに もかかわらず、現代では現実問題となっている」と述べ、芸術はフィクションによって 成り立ち、科学がそれを現実にするのであって、フィクションなしでの「芸術性」はあ りえないとしている。1929
年の論文「おとぎ話について」では、古代より世界のさまざまな国々で語り継が れてきた昔話を通して人種、民族、階級(身分)が異なる人々の生活様式を理解するこ とは、文化と民衆芸術の発展に欠かせないと述べた。11 口承文芸についても、のちの記 載文学へ与えた影響は計り知れないとし、昔話をもとに書かれた記載文学の例として『黄金のロバ』(帝政ローマ時代)、『デカメロン』(14世紀イタリア)をはじめ、J.ゲー テ、
H.
バルザック、ジョルジュ・サンド、A.
ドーテ、H.
アンデルセン、C.
ディケンズな ど、昔話をモチーフとする作品を残した古今東西の作家の名前を列挙している。さらに 個人的体験としても祖母その他の大人から口伝えに聞いた昔話が自らの知性の発達に 多いに役立ったとして、肯定的な評価を下している。「児童文学には『言葉遊び』などの遊戯性が必要か否か」についても、議論は紛糾し た。ロシア共和国連邦教育人民委員部児童図書委員会委員長を務める(すなわち当局を 代表する立場にある)E.フレリナの「子供には真剣に話さなければならない[ゆえに、
遊びやトリックは不要である]」という論文に対し、12 ゴーリキーは論文「耳に綿で栓を した人」(
1930
)「無責任な人たちについて、ならびに現代の児童図書について」(1930
)9 松谷さやか(監修)『ロシア児童文学の世界―昔話から現代の作品まで―』(展覧会カタログ)
東京、国立国会図書館国際子ども図書館、2005年、13頁。
10 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 86-88.
11 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 90-92.
12 [ ]は引用者による。Флерина Е. С ребенком надо говорить всерьез // Литературная газета, №37, 19. C. 2. 紙媒体での入手が困難であったため、電子サイトНациональная электронная библиотека [https://rusneb.ru/catalog/000200_000018_RU_NLR_DIGIT_105803/]を参照した。(2021年12月10日 閲覧)
にて、13
10
歳未満の子供にとって「遊戯」は必要であり生物学的にも正しいとし、子供 にとっての「遊び」の重要性を説いた。14 反対陣営の直接の攻撃はゴーリキー本人とい うよりも、むしろ国立出版所児童書部門Детгиз
(1924
年発足。ソビエト連邦社会主義共 和国教育人民委員部国立出版本局の下部組織)およびそれを率いるS.マルシャークらに
向けられていたが、これについても国立出版所児童書部門は多くの良書を出版している としてゴーリキーは擁護した。学校教育制度と児童文学の関係についてのゴーリキーの見解は、
1932
年に他の作家た ちと合同で執筆された演説原稿「児童文学について(報告メモより)第4
稿」15 に詳し い。その中でゴーリキーは「児童文学書は学校教育・就学前教育計画と直接の関連性を もつことは基本的にはないが、人類の叡智に関わる様々な分野を網羅する存在として、共産主義の世界観を育てるものだ」とした。またこの際、子供の想像力と予見能力の発 達に寄与するものであれば、児童文学におけるファンタジーと擬人化を認めるべきだと した。さらに、「無為」を非難され、文筆活動から遠ざかっていた児童文学作家
K.
チュ コフスキーらを再び呼び戻すべきだとし、現代の才能ある児童文学作家としてS.
マル シャーク、L.
パンテレーエフ、V.
ビアンキ、B.
ジトコフ、A.ガイダール、E.チャルーシン らの名前を挙げた。翌
1933
年、新生国家ソ連邦に世界初の「児童文学出版所Детгиз
」が創設される。16 ゴーリキーは、同年に発表した論文「文学を、子供たちに」と「テーマについて」で、将来の児童文学のあり方および今後どのような分野の児童書を出版していくべきかに ついての意見を展開している。17「文学を、子供たちに」では、現在の児童文学の問題点 として質・量ともに児童書が不足している点を挙げ、量の面では地方のみならずモスク ワやレニングラードなどの主要都市においてさえ児童に必要な文法を教えるための教 科書が不足している現状を指摘した。また質の面では、帝政時代に書かれた既存作品に ついては限られた範囲でのみ踏襲することとし、新しいソビエト児童文学の構築を目指 すとした。さらに、すべての児童書が「学習図書」である必要はなく、子供にわかる言 葉を使い芸術性をもって、楽しく、遊戯を通してユーモアの感覚を育てることを目的と するとした。また、上記の目的を実現できるのは「児童文学出版所
Детгиз
」だとし、芸 術性の高い児童書と視覚教材などを発行するためには、印刷所の併設が必要不可欠だと 論じた。13 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 95-97.
14 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 92-95.
15 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 102-103.
16 前出1924年の「国立出版所児童書部門」と略称の「Детгиз」は同じ。
17 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 104-118.
論文「テーマについて」は「児童書について語ることは児童の社会教育を論じること と同義であり、我が国の『教育』は『革命』に等しい」という冒頭の一節から始まる。
その上で「新しい児童書」が扱うべきテーマとして、「地球」「大気」「水」「植物」「動 物」「人間はどのようにして地上に現れたか」「人間はどのようにして思考することを 身につけたのか」「人間はどのようにして火を手に入れたか」「人間はどのようにして 仕事と生活の利便性を高めたか(発明)」「鉄その他の金属冶金は人間にとってどのよ うな意味をもつのか」「科学における奇跡(化学的発見、ガラスの製造など)」「思考」
「未来の技術」「昔話は何のために、どのように生まれてきたか」「宗教とは何か、何 のために生み出されたのか」「科学(望遠鏡、顕微鏡、電話、ラジオなど)が人間を巨 人にした」「エンジンの歴史―蒸気機関からディーゼルまで」「ふたつの自然(人類の 脅威としての自然と、開発された資源としての自然)」などを挙げている。さらに大切 な問題として、現代において人類の発展の最大の障害となっているのが私有財産である ことを指摘し、「私有財産はどうやって発生するのか」に関する書籍を子供たちに提供 する必要性を訴えている。
最晩年の
1936
年に書かれた「児童図書と子供の遊びについての覚え書」では、18 児童 図書を「年少向け」「年中向け」「年長向け」と年齢層ごとに分け、どのような図書を与 えるべきかについての考察がなされている。年少向けには『シートン動物記』『アンデル セン童話集』『千夜一夜物語』など翻訳作品の他、A.プーシキンの創作民話『漁師と魚の
話』『サルタン王物語』、I.
クルィローフの寓話集、P.
エルショーフの『せむしの仔馬』の ほか、S.マルシャークとK.チュコフスキーの作品を挙げている。年中向けには歴史、地
理、物理、化学をテーマとする本など、学習に比重が置かれた図書が選定されている。さらに年長の児童にはこれまでのテーマに加えて農民戦争の歴史、奴隷制度の発生につ いて書かれた図書や、ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』が挙げられている。
以上のように指導者、理論家としてのゴーリキーの論考の流れを概観すると、ゴーリ キーが一貫した方向性をもって新しいソ連児童文学の流れを形作ろうとしていたこと が読み取れる。また、ソ連児童文学は単独の分野として発展していったわけではなく、
国民教育に携わる教育家、文芸批評家、さらに当局の方針との調整を取りつつ、手探り で基盤を整える必要があった。そうした中、すでに大人向けの文学において作家として 名声を得ていたゴーリキーが、児童文学界と各方面との橋渡し役として、不可欠な存在 だったのも必然だったと言えるだろう。
ここで改めて確認しておきたいのは、社会主義リアリズム文学の父でもあり、「無神 論者」「現実主義者」のゴーリキーが「民話」「おとぎ話」を徹底して擁護したのはなぜ
18 Горький. О детской литературе, детском и юношеском чтении. С. 126-128.
か、という点だ。
「民話」「おとぎ話」の登場人物たちは、しばしば理屈では説明がつかない、不合理な 行動を取る。また、主人公が異界の力に助けられて王様になるなど、他力本願で富や名 誉を得て大団円を迎える場合も多い。そうした昔ながらのロシアの「民話」「おとぎ話」
には不合理な部分も多く、理性的で合理主義的な新しい社会主義国家・ソ連の思想とは 相容れない部分が大きいようにも思われる。しかしゴーリキーは「民話」や「おとぎ話」
の断固たる擁護者で、
1934
年の第1
回全ソ連作家大会の閉会の辞において「言語芸術の 源は口承文芸にある」とさえ述べている。191935
年の論考「民話について」では、民話や民謡から何を得てきたか、ゴーリキー 自身の体験が語られており、この疑問に対するひとつの回答と見ることができる。20そ れによれば、ゴーリキーにとっての口承文学の原体験は、6
‐7
歳の頃から耳にしてい た祖母と乳母の語る民話や民謡であった。また祖父の家では「神」は身近な存在とし て、卑近な日常生活においてよく引き合いに出されていたという。8
歳になったゴー リキーは、おとぎ話としての「民話、民謡」と現実の生活との間に大きな違いを感じと り、同時に「民話、民謡」の背後に存在する「ある力」について確信する。それは、ゴーリキーにとって豊かで魅力にあふれた国語を知る上での大きな助けともなった
「口承文学の力」だった。この「口承文学の力」については、「
3
.『幼年時代』におけ るゴーリキーの『神と民話』観」および「まとめ」において改めて分析することとし、次節では作家としてゴーリキーが執筆した児童文学作品を概観する。
2.児童文学作家としてのゴーリキー ―神に代わるものを求めて―
現在「児童書」として一般的に受け入れられているゴーリキーの作品は、ふたつに大 別される。最初から子供を読者対象として書かれた作品と、21 もとは大人向け作品であ りながらも「子供」「児童教育」等がテーマとなっていることから、のちに子供にも読ま れるようになったものだ。22 自伝
3
部作『幼年時代』『人々の中で』『わたしの大学』の19 Первый всесоюзный съезд советских писателей 1934. Стенографический отчет. М., 1934. C. 676.
20 Горький M. Собрание сочинений в тридцати томах. Т. 27. М., 1953. С. 392-401.
21 もともと子供向けに書かれたものは7 作品程度ある。年代順に『凍死しなかった少年と少女の お話』、『朝』、『エフセイカに起きたこと』、『すずめの子』、『サモワールがおりました』、
『ばかのイヴァーヌシカのこと』、『ヤシカ』等。
22 もとは大人向け作品だったが、のちに子供にも読まれるようになったものは20作品程度ある。
年代順に『アルヒープおじいさんとリョーニカ』、『私の道づれ(子供向けに一部を抜粋したも の)』、『タカの歌』、『イゼルギリばあさん(一部抜粋)』、『チェルカーシ(一部抜粋)』、
『ゴルトヴァの定期市』『草原(ステップ)にて(一部抜粋)』、『アオイ草(一部抜粋)』、
『コノヴァーロフ(一部抜粋)』、『退屈のままに(一部抜粋)』、『ぎざぎざ(一部抜粋)』、
『衝撃』、『友達』、『大ミズナキ鳥の歌』、『人間』、『イタリア物語(イタリアを舞台にし
ように両者の境界があいまいな作品もあるが、大人を読者対象とする作品には激しい直 接的な言葉や露骨な表現も散見されるのに対し、子供向けに書かれているものは総じて 表現がやさしく柔らかい。もとは大人を対象にして書かれた作品のうち「子供にも理解 できる」「教育上有意義だ」とゴーリキー自身が判断した作品については、難しい単語に 注釈をつけ、子供が読むには適さないと判断した部分は割愛するなど、多少の手を加え たのちに児童書として出版、あるいは子供新聞などに発表されている。本節では、「最初 から子供を読者対象として書かれた作品群」および、この「もとは大人向け作品だった が、のちに子供にも読まれるようになったもの」についての考察を行う。
ゴーリキーの子供向け文学作品は、好奇心あふれる子供の姿を描いた『すずめの子』
(1912)、傲慢さのあまり沸きたち、最後は爆発してしまう『サモワールがおりました』
(
1918
)など、簡潔な文体で子供にもわかりやすく、説教じみない形で教育的な意図を 伝える作品が多い。そうした中、『凍死しなかった少年と少女のお話』(1894)、『アルヒー プおじいさんとリョーニカ』(1894
)、『衝撃』(1898
)、『人間』(1903
)、『朝』(1910
)、『ヤ シカ』(1919)等の作品群は、「神」や「無神論」をテーマにしているという点で異彩を 放っている。本稿「1.理論家としてのゴーリキー」ではソ連児童文学の草創期を牽引したゴーリキー の児童文学に対する論考を概観したが、実はその中に「宗教や神に代わるもの」につい て明確に述べたものはない。「宗教」「神」それ自体については
1935
年の論考「民話に ついて」において「後年、聖職者の文学すなわち『聖者伝』を注意深く読むようにな ってからは、教会の語る奇跡は叡智あふれる古代の民話の借用だという事、つまりこ こでもあらゆる場合と物事と同じように、働く人々の健全で理性を目覚めさせる創造 力に、聖職者達が便乗している事が明らかとなった」と述べ、「民話」と「宗教」の関 係性を指摘している。23しかしそれは「では、これから子供たちは神に代わる何を精神 的支柱にしたら良いのか」への解答にはなっていない。周知のようにソ連では宗教撲 滅運動が進んだ結果、旧来の神が否定され最終的には無神論国家となった。ゴーリキー 自身は無神論者を自認していたが、当時の民衆の大多数がキリスト教に帰依していたこ とを考えると、新しい無神論国家・ソ連の児童文学の最高指導者として「これまでの神 に代わるものは何か」を論文の形で定義しなかったことは、どこか不自然にも思われる。帝政ロシア時代の子供の道徳教育が神と宗教に全面的に直結していたと単純にはみな し得ないが、「悪いことをすれば、誰に見つからなくても神様は見ている」といった道徳
た20数編の小品)』のうち第1話『ストライキ』、第3話『花』、第4話『トンネル』、第26 話『ぺぺ』、第9話/ 24話『母』等。
23 Горький. Собрание сочинений. Т. 27. С. 392-401.
観は一般的だったであろう。いっぽう児童文学にも子供に善悪の違いを示し(少なくと も悪を推奨はせず)、生きていくための推進力となる概念を伝える道徳教育的な性格が あると考えられる。従来の宗教を基盤とした道徳教育が崩壊するにあたり、児童文学も また連動して変質するのが自然の流れだと言えるだろう。そこで本稿では、ゴーリキー の児童文学作品のうち「宗教、神」あるいは「無神論」に関わる作品を年代順に検討す ることで、間接的にゴーリキーの「神」に対する見解の分析を試みたい。
ゴーリキーが大人向け作品『チェルカーシ』(
1895
)『イゼルキリ婆さん』(1895
)によ ってようやく文名を確立した頃、24 すなわち作家としての最初期に書かれた子供向け作 品は『凍死しなかった少年と少女のお話』である。25あらすじ
クリスマスの夜、午後
6
時。繁華街の通りには人々や馬が忙しく行きかい、風が 吹いて雪がふきだまりになっている。毛皮のコートを着た金持ち紳士に、物乞いの 少年ミーシカと少女カーチカがまとわりついている。毛皮の紳士の次にマントの婦 人からお金をせびりとった2
人は、お巡りさんに見つからないよう気をつけなが ら、門のくぼみにすばやく身をかくす。ますます冷え込んできたためカーチカは家 に帰ろうと訴えるが、しかし家には酔っ払いのアンフィサおばさんがいて、帰った ところでひどい目にあうだけだとわかっているミーシカは同意しない。通りの片す みで眠りこみそうになるカーチカが「クリスマスの夜にふさわしく」凍死しないよ う、ミーシカは励ます。顔見知りのお巡りさんにつかまりそうになりながらも、ま んまと逃げおおせた2
人は、かせいだお金で居酒屋で食事をする。居酒屋は薄暗く、空気はけぶり、酸っぱい匂いがたちこめている。労働者や浮浪者、兵隊たちの間を ぬって、すばやく席をとったミーシカとカーチカは、ソーセージ、白パン、薄焼き パイとお茶にありつく。これで
2
人がクリスマスの夜に凍死することはなくなっ た。ただし、[貧困を原因とする病死や事故死など]他の理由でもっとあっけなく 死んでしまうのは、十分にありえることだ、と作者(ゴーリキー)は指摘して締めくく る。本作品は作者のモノローグ「ずっと以前から、毎年のクリスマス物語で何人かの貧し い少年少女を凍死させるならわしになっています。[中略]でも私自身は貧しい少年や
24 川端香男里(編)『ロシア文学史』東京大学出版会、1986年、272頁。
25 Горький М. Полное собрание сочинений. Художественные произведения в 25 томах. Т. 2. М., 1969. С. 181-188.
少女を
1
人たりとも凍死させる決心がつきません」で始まっている。26 主人公たちが「死んで神の御許に召されること」を良しとしないということはすなわち、「貧しく頼 るべき保護者を持たない彼らにとって、神の存在は何の救済にもならない」ということ と同義ととらえ得る。このようにゴーリキーは、最初期から「労働者階級の子供の苦難」
と「神による救済」の背反性を明確に打ち出している。
同じ
1894
年に書かれた『アルヒープおじいさんとリョーニカ』27と1898
年の『衝撃』28 にはゴーリキーの「神」に対する見解の直接的な表現を見ることはできないが、彼の 宗教観を間接的に読み取ることができる。『アルヒープおじいさんとリョーニカ』あらすじ
アルヒープ爺さんと孫息子のリョーニカは、物乞いをしながらロシアからクバ ン地方へと流れてきた。アルヒープ爺さんが死んだ時、村人たちは「よそ者であ る」「盗みを働いた」「懺悔をしないまま亡くなった」との理由で爺さんを村の墓 地に受け入れず、ポプラの木の下に埋葬する。2、3日後には孫息子のリョーニカ も遺体で発見される。子供なので最初は村の墓地に埋葬してやろうとするが、結 局は肉親のアルヒープ爺さんと一緒に木の下に埋め、2 人の埋葬場所には粗末な 十字架を立てるのみとした。
この物語は、神という高次元の存在から見放されたというよりも、神や教会を拠り 所に共同生活を送っている人間集団(村人たち)に実生活レベルで受け入れを拒否さ れた祖父と孫の物語だと言えるだろう。共同生活を維持するため、村には村の規律が 必要であり、キリスト教徒として村の墓地に入るためには資格や条件がある。彼らを キリスト教の墓地に埋葬してはならないと「人」が裁く場面からは、村人たちの形骸 化した信仰心が感じられる。作中にはアルヒープ爺さんとリョーニカがもともと善良 で敬虔な信者だったという描写は一切なく、彼らの存命中に宗教が救いではなかった
26 これについて、V. N.プリュシは「M.ゴーリキー『凍死しなかった少年と少女のお話』の物語特 性」で「この、あえて論をあおるような傾向は、ゴーリキーの個人としてのあり方にも、作家と しての立場にも、全般的に一致するものだ」とし、「彼の作品の論をあおる調子については、ソ 連時代の研究者も、20世紀末から21世紀初頭にかけての批評家や評論家も指摘している」と述 べている。Плющ В.Н. Жанровая специфика рассказа М. Горького «О мальчике и девочке, которые не замерзли»// Евразий Союз Ученых, 4(13), 2015. С. 117.
27 Горький M. Полное собрание сочинений. Художественные произведения в 25 томах. Т. 1. М., 1968. С. 54-75.
28 Горький M. Полное собрание сочинений. Художественные произведения в 25 томах. Т. 4. М., 1969. С. 470-477.
ことが伺えるが、死後においてさえ「形だけでも」救われる(キリスト教の墓地に埋 葬してもらう)ことはなかったのである。
『衝撃』あらすじ
この作品の主人公は、イコン画(聖像画)の工房で丁稚奉公をしているミーシ カという少年だ。ある日ミーシカは仕事の休憩時間にサーカスに出かけ、そこで 見たピエロの物真似をして奉公先の大人たちを笑わせる。しかし、ささいな失敗 がもとで親方を怒らせ、「衝撃」という呼び名のついた体罰をくらう。これは後ろ 髪をつかまれ空中に宙吊りにされた状態で尻叩きにされるというもので、ミーシ カは、痛みが少しでも軽くなるよう、みじめに身体を縮こめる。肉体的な痛みは もちろん、体罰を受けた後、頭をかかえてうめきながら床に転がるミーシカに工 房じゅうが「みごとなピエロの宙返り!」と笑い混じりの声をかけることで、ミー シカは自尊心をも傷つけられる。その夜ベッドに横たわっていると、月明かりに イコン画の金色の飾り枠が反射して光るのが、まるで昼間に見たサーカスの華や ぎのようで、ミーシカは一時的に安心し、ひとときの眠りにつく。
本作品においてミーシカが体罰を受けたのは、あやまってイコン画を汚してしまっ たせいなのだが、制裁を加えるのはイコン画に象徴される聖なる存在による「天罰」
ではなく、工房の親方による「体罰」だ。また、傷ついたミーシカをイコン画に描か れた無数の聖人達が見守るが、現実の肉体的、精神的苦痛に対する慰撫や防波堤にな るわけではなく、そこからは「宗教的な救い」を見てとることはできない。
次の作品『人間』の執筆時期は、ちょうどゴーリキーが建神主義に関わる直前と時期 が重なる。29 建神主義とは、
1905-10
年頃にかけてボリシェヴィキの革命家・理論家た ちの間で広まった思想運動で、従来のキリスト教の神に代わって未来の社会主義的人類 こそを神とみなす、新たな社会主義的宗教の創設を目指すものだった。ゴーリキーは、A.
ルナチャルスキー(のちのソ連初代教育人民委員、日本の文部科学大臣に相当する)、V.
バザロフ(哲学者、経済学者)とともに、建神主義の提唱者としても知られている。建神主義者たちの活動は
1910
年代初頭には旬を過ぎ終息に向かうが、ゴーリキーの「神」に対する考え方を知る上で重要な背景だと言える。30 作品『人間』に「神」あるいは「宗 教」についての直接的な描写は出てこないが、この作品は子供向けでありながらも「従
29 Горький M. Полное собрание сочинений. Художественные произведения в 25 томах. Т. 6. М., 1970. С. 35-42.
30 沼野充義、望月哲男、池田嘉郎(編)『ロシア文化事典』丸善出版株式会社、2019年、592-595 頁。
来の神や宗教に代わり得るものは何か」を模索するゴーリキーの初期の見解が伺い知 れる点で興味深い。作品『人間』に筋らしい筋はなく、「人間とは」何か、どうあるべき かについての分析的思考が滔々と述べられている。人間は誇り高く勇敢に、悲劇的なま でに美しく「もっと前へ、もっと高く」と歩みを進めていく存在であり、その人間にと って決して離れることのない友は「思考」だとしている。愛、友情、信念、希望、嫌悪、
憤怒、死といった存在の中で「思考」のみが唯一、人生の闇においても、いかなる時も 人間を裏切らない永遠の灯台だとしている。
1910
年に発表された『朝』は、ロシア革命前の7
年前、1910 年に執筆された。31 あ たかも未来を予見するように、暗い夜(専制君主制)のあとの美しい朝(革命)、人々が 起き出して労働の場へと向かう姿(社会主義)が描かれている。これまでの作品『凍死 しなかった少年と少女』『アルヒープおじいさんとリョーニカ』『衝撃』等で描かれてき た「旧来の労働」とは異なる、ゴーリキーによる「新しい労働の形」が提示されている 点で興味深い。あらすじ
「世界で一番すてきなのは、一日が生まれるのをながめること」という一文で始ま り、空に最初の光が射し、夜の闇がしずかに去っていく朝の美しさがいきいきと描 かれている。登場人物は擬人化されており、海は翠(みどり)の衣装をつけた宮廷 の美女にたとえられ、昇っていく太陽に「世界の王さま、ごきげんよう!」と挨拶 をする。石の影から飛び出してきたトカゲたちが「今日は暑くなるぞ」とおしゃべ りし、花たちは美しさを誇り、朝露に濡れた花びらはダイヤモンドのように輝く。
太陽は人々が仕事場へ向かうのをほほ笑みながら見送る。
「人々が起き出してくる――その一生を労働に捧げる人々が。この地上を美しく 豊かにするために生涯を費やし、生まれてから死ぬまでずっと貧しさにあえいでい る。」さらに読者に「君たちはもっと後で、大人になってから――もちろん、もし 知りたければだけれど――そのわけを知ればいい。今はただ、大きな喜びと力をく れる太陽を愛し、明るく、正しい心をもつがいい」と作者は呼びかけ、さらに「こ の地上のすべては我々の父、祖父、曽祖父の偉大な働きで成り立っている」「子供 たちよ、人々の労働の話は、世界で一番おもしろい物語だ」と、先人たちの労働の 偉大さをたたえる。
31 Горький M. Полное собрание сочинений. Художественные произведения в 25 томах. Т. 11. М., 1971. С. 493-495.
本作品の前半部では「自然賛歌、生の喜び」が生き生きと描かれている。しかし後半 部は一転して、まったく違う話へと主題が逸脱したかのような印象すら抱かせる。厳し い「現実」が顔をのぞかせ、未来を担う子供たちに向けた「労働の鼓舞」へのメッセー ジが強く押し出されている。労働者による新しい社会主義国家の建設が急がれていた時 代背景もあり、新しい社会において「神」「宗教」に代わる存在は「労働」だとゴーリキー もまた考えたのではないだろうか。そしてこの場合の「労働」とは、作品『凍死しなか った少年と少女』『アルヒープおじいさんとリョーニカ』『衝撃』等で描かれた物乞いや 窃盗、折檻をともなう丁稚奉公、といった旧来の労働であってはならない。 そこには、
作品『人間』で謳い上げたように「思考」を原動力に「もっと前へ、もっと高く」進ん でいくエネルギーに満ちたもの、人間の理知を基盤としたものであるべきだという主張 が感じられる。
次の作品『ヤシカ』はロシア革命後に発表されたもので、32 ソ連最初の児童雑誌「北
極光」(
1919-1920
)創刊号に掲載された。貧しいヤシカは哀れな死に方をしたにもかかわらず、神に救済を仰がず、逆に神に同情する。全く苦難がない天国より、再び苦難を 伴う地上を目指す姿からは、「どんな小さな存在であっても自らの意思でより良い暮ら しを切り開くことができる」「『信仰』の代わりに基軸となるのは『人間の理知』だ」と いうメッセージが感じられる。
あらすじ
主人公のヤシカは、
10
歳になるまで貧しさや虐待に耐えてきたが、ついに天国に 召される。天国では、花が咲き乱れる草原で聖者たちが神様のまわりを輪になって 踊り歩き、自分たちの苦難を訴えている。神様はちょっと顔をしかめながら「その とおり! しかしもう2000
年も同じことを聞いておる」と答える。天国が退屈な 場所だということに気がついたヤシカは、ぼんやりして、何もしたくなくなってし まう。また、聖者たちに負けないくらい殴られてきたヤシカは聖者たちが苦難を訴 えるのを辛抱強く聞いてあげている神様が気の毒になる。そんな神様から「お前も つらい暮らしをしてきたのじゃな」と優しい言葉をもらったヤシカは、自分も苦し かった生活について神様に訴えたいと思うが、代わりに「地上に帰してもらえない か」と申し出る。地上に戻ればまた苦しむ事になるぞと言う神様に「平気さ。あの ね、地上に戻ったらバラライカを覚えて、次に死んだらここでバラライカを弾きな がら明るい歌を歌ってあげるよ。そうしたら神様も退屈じゃないし、僕もぼんやり32 Горький M. Полное собрание сочинений. Художественные произведения в 25 томах. Т. 16. М., 1973. С. 442-444.
しなくていいからさ」と答える。神様は「地上の人々の労働を助け、慰め、悲しみ を和らげるがよい」と、天国の門を開けてヤシカを地上へ戻してやる。ヤシカは去 りぎわに「さよなら!すぐ戻るからね!」と神様にうなずいてみせる。
ゴーリキーの「宗教、神」あるいは「無神論」に関わる児童文学作品を上記のように 年代順に検討していくと、彼の宗教に対する一貫した思考が浮かび上がってくる。「神 の救済は当てにならない」という明哲な自覚に始まり、新生国家ソ連邦において「神」
「宗教」の代わりとなる存在は「労働」であるという「解答」も透けて見えてくる。た だしその「労働」は帝政ロシア時代の隷属的な労働ではなく、人間の理知を基盤とした
「社会主義国家における新しい労働の形」と規定される。ゴーリキーは「人間の理知と 新しい労働をもってすれば旧来の神を超えること(救うこと)さえもでき得る」という 考えに行き着いたのではないだろうか。
3.『幼年時代』におけるゴーリキーの「神と民話」観
しかしながら、労働機構や政治イデオロギーに基づく新しい社会機構は「メカニズム」
に過ぎず、それを動かすには「動力」が必要となる。教会や宗教催事(メカニズム)を 動かしていたのが人々の宗教心(動力)だったとすれば、新しい労働の形や社会機構を 動かす、新しい人の心の拠り所は果たしてどこにあるのか。これについては「まとめ」
で改めて考察することとし、ここで、ゴーリキー自身の幼少期が描かれている自伝的作 品『幼年時代』に着目したい。
ゴーリキーの自伝
3
部作『幼年時代』『人々の中で』『私の大学』は、もともと大人向 けの新聞に掲載されたもので、子供を読者対象として書かれた作品ではない。しかし特 に『幼年時代』『人々の中で』には、4
歳から16
歳までのゴーリキー自身の子供時代が 描かれており、どのように彼の人格形成がなされたか、また、彼が「神と民話」をどの ように認識していたのかを知る上で重要な作品と言える。『幼年時代』は、
1913
年から1914
年にかけて新聞「ロシアの言葉」に掲載された。4
歳の時(1872
年)ヴォルガ河口の町アストラハンで父を亡くしたゴーリキーは、母方 の祖父母を頼り、母とともにニージニー・ノヴゴロドに移り住むことになる。祖父カシー リンは染物工場を営む小金持ちだった。祖父宅では、母のヴァルヴァーラは留守がちで、やがて
10
歳年下の男性と再婚するのだが生活は上手くいかず失意のうちに亡くなる。ヴァルヴァーラは、幼いゴーリキーにとって冷たいとは言えないまでもどこか距離があ り、子供が安心できるような温かい愛情を注いでくれる母親ではなかった。そのため親 代わりとなったのは祖父のカシーリンと祖母アクリーナで、ともに信仰心が篤く、身近 な存在としての「神」を日常生活においてよく引き合いに出していた。特に祖母アク
リーナは優しい女性で、ゴーリキーの心の拠り所となる。また彼女は多くの昔話、おと ぎ話を記憶しており、語り手としても巧みだったため、ゴーリキーが口承文芸に親しむ きっかけともなった。反対に家父長の祖父カシーリンは厳格で体罰にも容赦がなく、毎 週土曜日になるとその
1
週間に罪を犯した子供を鞭打ちの刑に処した。幼い少年だった ゴーリキーも例外ではなく、あるいたずらのために「意識を失うまで」鞭打たれる。し かしこの事件を契機に、ゴーリキーは自分の回りを取り囲む厳しく野蛮な現実をより注 意して観察するようになる。この『幼年時代』には、伯父たちをはじめ多くの人間が同居するニージニー・ノヴゴ ロドの祖父の家での
10
歳まで(1878
年)の暮らしが描かれている。多くの登場人物の 中で核となるのは祖父カシーリンと祖母アクリーナで、対照的なこの2
人が信じる「神」もまた、それぞれの姿をしている。祖母アクリーナは文盲ではあるが昔話や民謡をみご とにうたいあげ、森のキノコや木の実に詳しく、レース編みの名手でもあった。ゴーリ キーはすぐになつき、祖母は「たちまち私の生涯の友となり、もっとも私の心に近い気 心の知れた、大切な人間となった。」33 また、祖母は信心深く、事あるごとに神や聖母を 持ち出し、日々の祈りも欠かさない。しかし、家庭内で不和や暴力がらみの諍いが絶え ない中、祈りにおいては愚痴まじりの事細かな願い事をするにもかかわらず、実生活で は「何もかもすばらしい」を繰り返す祖母に、ゴーリキーは違和感を感じ始める。祖母 は聖人ではなく、つねにタバコを嗅いだり、酒を飲んだりもする。彼女の宗教にはどこ か本来のキリスト教から離れた原初性と、無知からくる思考停止が感じられる。しかし 彼女はこの「善なる無知」を徹底して体現することで、ゴーリキーにとって「母なるロ シア」そのもののような存在となっていく。
ところで、ゴーリキーが書いたほとんど唯一の子供向け創作民話『ばかのイヴァーヌ シカのこと』(
1918
)は、この祖母の存在と関係が深い。34 イヴァーヌシカは男性名イヴァ ン(イワン)の指小形で、イワンという名前は日本で言えば太郎、英語圏で言えばジョ ンにあたるロシアの代表的な男性名だ。「イワン王子」あるいは「ばかのイワン」はロシ ア昔話にしばしば登場する代表的な人物であり、イワンという主人公はP.
エルショーフ の『せむしの仔馬』(1834
)、L.
トルストイの『イワンの馬鹿』(1885
)など、様々な創作 民話においても知られている。33 Горький M. Полное собрание сочинений. Художественные произведения в 25 томах. Т. 15. М., 1972. С. 15.
34 Горький. Полное собрание сочинений. Т. 16. С. 430-433.
『ばかのイヴァーヌシカのこと』あらすじ
「ばかのイヴァーヌシカ」は、ある家に雇われ、雇い主夫妻が町へ出かけている 間、その子供たちの世話をすることになる。夫のほうは「子供たちが森へ走って行 かないように、扉をよく見張っておくように」、妻のほうは「じゃがいも入りのスー プを作って子供たちに食べさせるように」と言い残す。さっそくスープ作りに取り かかったイヴァーヌシカが「(じゃがいもを)粉みじんだ!」と言うと、子供たち は驚いて家から走って逃げてしまう。「子供たちが森へ走って行かないように」す るには「扉を見張らなければならない」という約束を守るため、イヴァーヌシカは 扉を蝶つがいから外して肩にかつぎ、子供たちを探しに森へ出かけていく。道すが ら熊に出会ったイヴァーヌシカは、巣穴に連れて行かれ、扉を捨てるよう熊に言わ れるが「扉を見張れという約束は最後まで守る」と答える。馬鹿正直なイヴァーヌ シカは、やがて熊の家族とも仲良くなり、その手助けによって子供たちを見つけ出 す。イヴァーヌシカが家に戻ってみると、すでに雇い主夫妻は町から戻っており、
言いつけを守れなかったイヴァーヌシカを問い詰める。その時、熊が(イヴァーヌ シカが置き忘れていった)「約束の扉」を届けにやって来る。村中の人々は熊をお それて、道を空けてやるのだった。
この『ばかのイヴァーヌシカのこと』執筆にあたり、ゴーリキーは様々な「イワン」
の中から、「おばあさんから聞いた」ヴァリエーションを採用したのだという。35 滑稽な やり方ではあっても一度した約束は最後まで果たそうとするイヴァーヌシカの姿から、
倫理観や道徳観が伝わる。また「ばかの」という冠言葉がつくイヴァーヌシカの台詞「お らが思うに、悪党は、ばかなんだ。ってこたあ、おらもお前さん[熊]も、ばかじゃな いってことさ!」からは、「賢さとは何か」という哲学的なテーマに対するゴーリキーの 考えが伺え、「民話」「口承文芸」が幼年期から少年期にかけてゴーリキーに影響を与え てきたことがわかる。
ふたたび自伝的作品『幼年時代』に話を戻すと、幼いゴーリキーは祖父カシーリンに 対しては初対面から悪印象を持っており、「祖父は特に気に入らなかった。私はすぐさ ま祖父のなかにいる敵を嗅ぎつけた」36「私には祖父が意地の悪い人間に思われた」とあ る。37 祖父カシーリンは祖母とは対照的に、おとぎ話を語ったことは一度としてなく、
話すのは実話ばかりで、「祖父の物語ることの多くは覚えておきたくもないことだった
35 同時代人K.チュコフスキーの回想による。Чуковский К. И. Собрание сочинений в шести томах.
Т.2. М., 1965. С. 169.
36 Горький. Полное собрание сочинений. Т. 15. С. 19.
37 Горький. Полное собрание сочинений. Т. 15. С. 22.
が、祖父に強いられたわけでもないのに、痛い棘のように力ずくで記憶の中に侵入して くるのだった」と表現されている。38 しかし祖父もまた敬虔な信徒であり、ゴーリキー を規則正しく教会に連れて行った。毎朝の祈祷の前には入念に洗面し、身なりを整える。
そして兵士のように両手を身体につけて「父と子と精霊の御名において!」と言う。祖 父にとっての神は厳しい裁判官でもあり、掟に従わない者を罰する存在でもあった。ま た、昔ながらの厳格な家父長だった祖父は子供に対する体罰を「当然の事」と考えてい たため、いたずらをしたゴーリキーが意識を失うまで鞭を打った。その時、数日間寝込 んだゴーリキーのベッドを見舞った祖父は、自らの苦労の多い身の上話を飾らない言葉 で伝え、それを聞いたゴーリキーは、「祖父は意地悪でも恐ろしくもないと知った。」39 ま た、きちんとした形での祈りを教えてくれようとしたのも、学校にあがる準備にとアル ファベットの手ほどきをし、旧約聖書の詩篇を教えてくれたのも、やさしく愛情に満ち た祖母ではなく、厳しい祖父の方だった。対照的な祖父母について、D.メレシコフスキー は論文「聖ならざるルーシ(ゴーリキーの宗教)」の中で以下のように評している。40
祖母の真実「聖なるロシア」を理解するのは簡単だ、それはまばゆく輝いているか ら。祖父の真実「聖ならざるロシア」を理解するのはむずかしい。それは、けだも のの風貌をとおしてかすかに光っている。トルストイもドストエフスキーもこの
「聖ならざるロシア」を理解しなかった、なぜなら、それを外側から見たからだ。
ゴーリキーは内側から見て、理解したのである。
このように対照的な祖父母について、ゴーリキーは「私は非常に早くから、祖父の神 と祖母の神はそれぞれ別のものであることを理解していた」と語っている。41 同時に「当 時、神についての考えと感情は、私の魂にとって一番大切な食物であり、生活の中でも っとも美しいものだった」とも述懐する。42 祖母の「神」「聖母」は、彼女の語るロシア の昔話と共に、ゴーリキーの心の奥にまで降りていき、根づいたと思われる。いっぽう 祖父には祖父の「神」があるが、ゴーリキーが成長した後、世間の厳しさからの盾とな ったのは、実は祖父の教育だったのではないだろうか。自ら責任をもって苦しい現実の 日々の暮らしを引き受ける立場に立って初めて、祖父の「神」を理解することができた
38 Горький. Полное собрание сочинений. Т. 15. С. 73.
39 Горький. Полное собрание сочинений. Т. 15. С. 32.
40 Максим Горький. Pro et contra. Личность и творчество Максима Горького в оценке русских мыслителей и исследователей, 1890-1910-е гг. Антология. СПб., 1997. С. 851.
41 Горький. Полное собрание сочинений. Т. 15. С. 85.
42 Горький. Полное собрание сочинений. Т. 15. С. 93.
と言えるだろう。
まとめ
ロシア革命からソヴィエト政権の成立という激動の時代に「新しいソ連児童文学」の 原型を作り上げるにあたり、ゴーリキーは新しい児童文学の核となるものを探さねばな らなかった。当時の世界中を探してもモデルとなるような先例はなく、これまでの帝政 時代に常識とされてきた価値観も崩壊する中でこの問題を突きつけられた彼は、自身に とっての核となったもの、すなわち労働者階級として生まれ育った自分にとっての「民 話」、「神」とは何だったのかについて、改めて思いをめぐらせたのではないだろうか。
労働者による新しい社会主義国家の建設が急がれていた時代背景もあり、新しい社会 において「神」「宗教」に代わる民衆社会の要となるのは「労働」だとゴーリキーも考え た。しかしながら、労働社会の形を整えるだけでは、社会機構としての「仕組み、器」
を構築する事にしかならない。キリスト教における「教会」や「儀式」が「仕組み、器」
に相当するのであれば、仕組みを動かす人の心の拠り所は「信仰心」だと言えるだろう。
ゴーリキーは作品『人間』の中で「誇り高く生きるために欠かせないものは人間の『思 考』である」と語っている。社会主義国家において「信仰心」の代わりに社会機構を動 かす力となるのは「理性にもとづいた人間の思考」だと彼は考え、それを子供たちに伝 えようとしたと思われる。
また、教育分野や批評家、当局などから児童文学における「民話やファンタジー」が 攻撃された際、祖母から受け取り自分の血肉となった「民話」を想起し、改めてその存 在意義についても検証したのではないだろうか。「社会主義リアリズムの父ゴーリキー」
にとって、そのいかにも民衆らしい無知な善良さと、原初の異教にも感じられるほどの 素朴さは、理性では説明がつかないため、彼が執筆する作品や論考に表立って現れるこ とはなかったが、しかしそれでもやはり、理性ではなく「心」に最後まで残る存在だっ た。祖母の「神」には間違った部分も多い。民話もまた多くの矛盾と非論理性をもつが、
「それで良い」という実感がゴーリキーの中にあったのではないか。ゴーリキーは
1935
年の論考「民話について」で「すでにそのころ、乳母の話と祖母の歌は、私におぼろげ な確信を植えつけたと思います。誰かがいて、あらゆる愚かさ、悪意、滑稽さをすっか り見てきたし見ているということ、その誰かは神や悪魔や皇帝や聖職者とは無関係で、賢く勇気ある存在だという確信です。私は早くから、おそらく8歳ごろにはそのような 力が存在していることを感じていました」と述べている。43 彼は、ファンタジーとして の「民話、民謡」と現実生活との間に大きな違いを感じてはいたが、同時に「民話、
43 Горький. Собрание сочинений. Т. 27. С. 392-401.
民謡」の背後に存在する「口承文芸の力」にも気がついていた。社会主義国家において 社会機構を動かす原動力となるのは「理性にもとづいた人間の思考」だが、民話やおと ぎ話こそがその理性を育む母体だと実感していたと思われる。
ロシア革命によって成立した政権が史上初めての社会主義国家を建設する中で、児童 文学も新しく生まれ変わらなければならなかった。社会主義に適した児童文学の枠組を 組織し制度化するには、行政機関や教育者の力に負うところも大きい。ゴーリキーは各 方面との調整を取りながら、児童文学界を代表する指導者としてレールを敷き、基礎を 固めた。ソ連児童文学の草創期において彼が児童文学者として成し遂げた功績は、社会 主義国家の児童文学という「新しい器」に生命を吹き込んだこと、具体的には無神論に 基づいた児童文学作品を書きながらも、同時に民話やおとぎ話を保護する道を意識的に 選び取ったことにあると言えるだろう。
The role of M. Gorky in the early days of Soviet children's literature:
Focusing on ‘God’ and ‘folk tales’ for the working class
Junko KOBAYASHI
M. Gorky, known as the founder of the theory of socialist realism, also made significant contributions to children's literature in the Soviet Union.
The purpose of this paper is to consider the role Gorky played in the early days of Soviet children's literature and to clarify Gorky’s stature as a children's literary author.
First, this paper analyses Gorky’s dissertation on children's literature and confirms his role as a leading theorist of Soviet children's literature. Next, Gorky’s works for children focusing on the themes of ‘God’ and ‘folk tales’ are taken up for examination
When atheism became a national policy in the Soviet Union, folk tales and traditional tales were considered ‘fictional stories’ in the Soviet children's literature community in the late 1920s.
Controversy and debate ensued over whether they were suitable for children's literature.
The question of redefining ‘God’, widely worshipped by the working class, and ‘folktales’
which nourished the people’s language, was a challenge for Gorky. This paper conducts a comprehensive examination of Gorky's personal views on ‘God’ and ‘folk tales’ by analysing his autobiographical work Childhood. Through these analyses, the paper will attempt to highlight the role that Gorky played in the early days of Soviet children's literature.
Keywords: M. Gorky, children's literature, folk tales, autobiographical literature, Soviet Union