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Academic year: 2021

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(1)

賢慮との対話

知性を鍛える

Evening Seminar 2017

「生き方・働き方・学び方を考える」講演録]

ER

富士通総研経済研究所

経済・経営・技術読本

特集号

April 2018

(2)

『ER』は、2015年9月に創刊号を発行して以来、これまでに7号 を発行しました。創刊号の特集「シンギュラリティ」は、私たち富士 通 総研経済研究所が事務局を務める「トポス会議」の第1回会議 (2012年9月)のテーマでもありました。それ以降、街づくり、プラッ トフォームとシェアリングエコノミー、共存在と特集を続け、第5号か ら第7号までは「人間を見つめ直す」という共通テーマの下で、機械・ 自然・他者との関係の中で人間のあり方を考えてきました。 私たちはトポス会議の企画・運営に携わる中で、問題提起のため に大規模な会議を開催することも重要ですが、それと同時に、より 少人数で賢者たちと対話を重ねる必要性を感じ、2017年度を通じて 「イブニングセミナー:生き方・働き方・学び方を考える」を実践の場 としてきました。トポス会議の顧問でもある西田治子さんらのご協 力のもとで、比較的若い研究員たちが場づくりを行いました。私た ちにとっては、研究員の「知の底上げ」を図る目的もありました。一 人ひとりが、賢者との対話を通じて視野を広げ、本質を感じ取ること が仕事の質を高めると考えたからです。今号は、このイブニングセ ミナーの記録と、企画・運営に携わった研究員たちの原稿から構成 されています。 冒頭の記事「善き生を生きる」は、西田治子さんにイブニングセミ ナーを総括していただいたものです。西田さんは「共通善」の追求の ために自らが実践の現場に入り込んで様々な活動をされています。 複雑系経済学や進化経済学における第一人者である塩沢由典先生 には、「ブレークスルー」というキーワードをいただきました。「組織 でブレークスルーを起こすためには、異質、異端、異能の人を積極的 に取り入れて共生していく必要がある」というご指摘は、いまでも印 象に残っています。 野中郁次郎先生にはイノベーションの推進力となる「知的機動力」 についてお話いただきました。私たちは、「日本的経営の強さは、絶 えず組織と環境とが一体となって共通善に向かって人間の潜在能力 の徹底的な結集、発展、練磨を行う集合実践知にある」という野中 先生の言葉を肝に銘じて、意思を持って毎日の仕事に取り組んでいか ねばなりません。 村上陽一郎先生のご講演「現代社会における生と死」を聞いて、私 自身の生き方について深く考えさせられました。「人生100年時代」と 言われますが、「どう生きるか」という問題は「どう死ぬか」と深く結 びついています。尊厳死は日本社会で受け入れられるのか、受け入れ られるにはどのような条件が必要なのか。 新井民夫先生には、「自動組立からサービスへ」というタイトルでお 話いただきました。先生はロボットとサービスという異なる研究分野 で優れた業績を残していらっしゃいますが、そのためには、複数の対 象の関係性をみつけることや同じ対象を多面的に見ることが大切だと いうことでした。これは、研究に限らず、創造的な働き方をするため には共通しているポイントなのではないでしょうか。 倫理学者の橋本典子先生は、「エコエティカと共に生きる」と題して、 エコすなわち生息圏全体の中で人間が生きる意味を考える必要性を 述べられました。人間の本質や、共に生きることについて考えさせら れました。 当社の研究員は、各人の関心領域に絡めて記事を書きました。こ の経験が研究のブレークスルーにつながることを期待します。 最後に、ダン・ザハヴィ先生と野中先生の対談を掲載しました。誰 もが使う「共感」という言葉をキーワードに現象学と経営学は融合で きるのか。奥の深い内容になっています。 私たちはこれからもさまざまな知識創造の場をつくっていきたい と考えていますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。 2018年4月 株式会社富士通総研 経済研究所 研究主幹

浜屋 敏

経済研究所研究主幹ごあいさつ

(3)

P03

経済研究所研究主幹ごあいさつ

浜屋 敏 株式会社富士通総研 経済研究所 研究主幹

P06-07

善き生を生きる

シリーズの振り返り

西田 治子

一般社団法人Women Help Women 代表理事

P08-11

思考の限界を打ち破る

ブレークスルーはいかに起こるか

塩沢 由典 大阪市立大学名誉教授

P12-15

知的機動力に向かって

日本的経営の強さを再考する

野中 郁次郎 一橋大学名誉教授

P16-19

現代社会における生と死

生を全うする

村上 陽一郎  東京大学・国際基督教大学名誉教授

P20-23

自動組立からサービスへ

テーマ選びと運掴み

新井 民夫 東京大学名誉教授

2018

4

2

日発行号 目次

株式会社富士通総研 経済研究所 

(4)

P28-29

エコロジカルな危機に対応する新しい家族像

ダナ・ハラウェイの思想から「他者性」を考える

ニック・オゴネック 株式会社富士通総研 経済研究所 研究員

P30-31

ソーシャル・イノベーションの視点から幸福を再考する

生き方・働き方・学び方のシリーズセミナーを終えて

趙 瑋琳  株式会社富士通総研 経済研究所 上級研究員

P32-33

「能力」を関係的に捉えるまなざし

介護現場の研究から

森田 麻記子 株式会社富士通総研 経済研究所 上級研究員

P34-35

ブレークスルー思考を阻害する心理学的要因を考える

納得するか、活用するか

中島 正人 株式会社富士通総研 経済研究所 上級研究員

P36-43

現象学的思索における共感:アプローチと適用

共感、社会、コミュニティ

ダン・ザハヴィ コペンハーゲン大学 教授 野中 郁次郎  一橋大学名誉教授

P44

ER

バックナンバー

P45

編集後記

吉田 倫子 株式会社富士通総研 経済研究所 主任研究員

(5)

西田 治子

 一般社団法人Women Help Women 代表理事

Nishida, Haruko President, Women Help Women

「生き方・働き方・学び方」を考えるというこの企画シリーズは、

2012

年より開催している「トポス会議∼世界の賢者と語り合う∼」(発 起人=野中郁次郎一橋大学名誉教授)のカジュアルな場として位置づけ、自由な議論を展開してきた。振り返ってみると、日本の思想界 のオールスターキャストを集めた大変贅沢な内容のものだった。学問分野は異なるが、いずれも碩学であり、自身の研究分野に留まらず、 そこをベースに現代社会の諸課題を見据え、その根本の原因を喝破し、いかに解決すべきかを、常に考え続けて来られた方ばかりである。 以下は、お話の中から、私が心に留め、今後の自分の行為に少なからず影響を与えると思ったことを記させていただく。あくまでも、 私の勝手な解釈であるので、文責は私にあることを、あらかじめお断りしておく。 第1回の塩沢由典先生は、ブレークスルーはいかに起こるかにつ いて、経済学を題材にして、お話してくださった。情報を集め、知識 を蓄えることのみにとらわれていると、これまでの学説が既成概念 化し、それを鵜呑みにしているがゆえに、そもそも今の経済システ ムがなぜ成り立っているのか、という根本について考えることをせず に、現実のシステムの限界に気づいていない可能性があるというお 話だった。これは、経済学の話にとどまることではないだろう。現実 を直視し、なぜこの問題が起きるのか?他人から示されたものをそ のまま呑み込み理解したと思うのではなく、自分自身で、課題を発見 し、その原因や、解決法について様々に考えること。こうした考え方 こそ、学ばねばならない。 個々人のレベルで、常に、真・善・美を考えながら、様々な方策を 試行し、善いと思われることを機動的に実践する。これを野中郁次郎 先生は、第2回において知的機動力という言葉で語られた。その上、 絶対に手段にならない価値を追求する生き方こそ、その行為のベー スとなるもの。何が善なのか、自己中心的な生き方ではなく、共通 善を追求すること、実践の経験と自らの学習を通じて、自らの信念・ 主観を体現・客観化して、他人に共感を与え、自分も他人の考えに 共鳴しながら、相互主観的に他人と生きていく。 そして、課題の解決にあたっては、より善い方向を追求し、常に自 己革新を図ること。これについても、第5回で新井民夫先生からの 示唆があった。AIや、IoT等、科学技術が、シンギュラリティという 言葉で形容される大躍進をとげた現在は、これまでの大量生産・大 量消費・一括処理システムから、分散・個別・相互インタラクション をベースとするシステムへの転換期にある。社会では、その変化に応 じて、イノベーションを実践していくことが求められている。それに は、思い込みを打破し、常に新しいことを考える、異なる視座から 物事を考える、そして、セレンディピティーを求めて、好奇心をもと に様々な体験をし、運をつかむ。ここから、イノベーションが生まれ るという個人の行動モデルを提示されたが、その行動モデルにあっ ても、ベースにあるのは、他者との価値共創だとされた。 いかなる価値をどのように共創すべきなのか。これについては、橋

善き生を生きる

シリーズの振り返り

(6)

本典子先生が、第6回でエコエティカという概念で明解に語られた。 人間の行為が及ぶ生息圏全体をみて、一人ひとりが自分の意思によっ て決断して行動するための根本的なあり方を考えるというのがエコエ ティカである。テクノロジーが、人間に影響を及ぼす環境に初めてなっ た現代社会を生きる私たちにとって、これこそが考え方の指針になる ものではないか。 テクノロジーとは、元々道具であるが、道具の性格を維持したまま、 他の道具と連関して、私たちの環境にまでなったのが20世紀だとい う。当初、技術連関は、時間を最小にして効果を最大化することで、 私たちの行うことの効率化が図られることにより、浮かせた時間を 使えるようになって、私たちは幸せになると思われたという。ところ が、現実は、どうか?やるべきことに追われて、むしろストレスを抱 えることになった。そして、テクノロジーの進展により、人との関係 性も変化して、インターネットやスマホでつながることにより、空間 的、距離的に一番近くにいる人よりも、電磁的に時間と空間を共有 している人との関係性のほうが重要と思われるような時代になってし まった。人との直接的・徹底的な対話の機会がどんどん失われており、 経済でもお金がお金を生むバブルが出現して、現物との乖離がおき ている。私たちの生きる意味が希薄になっている。だからこそ、エコ エティカなのだ。 現代の文脈で、もう一度、古代の哲人達が追求した根源的な問い、 私たちは、なぜ、生きるのか、倫理的に考え直さなければいけない。 そして、村上陽一郎先生が第3回でお話になったことは、私たちが なぜ生きるのか?に関わることであった。人間が人間としてあること の意味は、死を考えられるということ、であるとすれば、最後まで、 人間であることを意識して死にたいと思うことについての理解もで きる。日頃、私たちは、目の前の細事に囚われて生活しているので、 本当に自分の身に近づいてくるまで、死について考えることは少ない。 だが、本当にそれでよいのか。死について考えることで、生きること の意味合いもよりはっきりするように思う。 私たちは、この世の中に生かされているのであり、その生かされ ている意味から、人間を含むすべての生物と、共に生きることこそ が命題である。そのために、日々の暮らしの中で様々な、実践をし、 その実践からでた善い成果を次世代に引き継ぐため、賢慮(フロネー シス)を身につけるべく、学習し、よく考えることが必要なのだ。先 生方のお話は、すべて、古代の哲人が追求した、未来志向で、善く 生きることに通じるお話であった。 私は、10数年前、野中郁次郎先生とお話しするようになってから、 善き生を生きることを念頭に置くようになった。貧富の格差を解消す るには、どうしたらよいのか?移民について私たちはどうすべきなの か?等々、無論、そんな大きな社会課題を解決することなど到底で きないが、自らの行為としては、問題が解決する方向につながること をし続けようと思ってきた。共感意識を研ぎ澄まし、相手を自分の 道具化せず、まず、自分が相手にできることを実践しよう。Giveか ら始めると、すぐにではなくとも、必ずあのとき、ああしていてよかっ たという局面が訪れた。今は、直接、眼前で人が喜ぶことを見るこ とができる仕事に就くようになって、この上なく幸福である。 東京大学卒業後、シンクタンク研究員として、産業・社会の情報化政策関連の調査研究に従事。 ハーバード大学ケネディスクールに留学後、1992年マッキンゼーに入社。 コンサルタントを経て、北アジア地域のリサーチ・マネージャーとして勤務の傍ら、知の創出・イノベーションを可能とする組織作りを テーマに、講演・執筆等も行う。2011年に独立し、オフィス・フロネシス代表として、リサーチ・コンサルティングサービスを手掛ける一方、 世界の起業家、イノベーター等と連携し、起業促進やソーシャル・イノベーションを推進する一般社団法人IMPACT Foundation Japan

の創設に参加、事務局長。2015年、IMPACT Foundation Japanで行っていた、手仕事を通じた被災地女性の就業支援事業をもって独立、 一般社団法人Women Help Women(http://www.womenhelpwomen.org)を設立、代表理事に就任。

(7)

はじめに 生き方・働き方・学び方を考える上で、まず「知の底上げ」に取り組 むことは、非常に重要なことだと思っています。いま、日本全体で知の 底上げが求められているのです。 「知」における進歩には、現在障壁となっているものを打破すること、 いわゆる「ブレークスルー」が求められます。障壁の最大のものは「思 考の限界」です。今日は、過去の3つの事例をお話します。それを打破 するのにいかに長い時を要したのか、あるいは要しているのかについ てお話します。続いて『ブレークスルーのために』という著作を紹介し、 最後に「日本社会を診断する」と銘打って、みなさんに考えていただく 素材を提供します。 なぜ思考の限界に注目する必要があるのか? 日本の状況を一言で表すと、「キャッチアップ 時代の終焉」です。1990 年ぐらいまでは非常に順調な成長期でしたが、それ以降は停滞期が続 いています。明治維新以来、先進国であるヨーロッパやアメリカをうま く追い上げることに成功しました。 例えば、行政面では、いちはやく外国の成功例を発見して輸入する というのが霞ヶ関のやり方でした。制度を作って全国の自治体に指示す るやり方です。これは速度重視の追い上げ時代には有効でしたが、90 年代以降の成熟の時代には十分には機能していません。 政治やビジネス、学問の世界にも、同じようなことがあります。欧米 の先進事例を導入して、改善・改良する。この点では、明治維新後の 日本は、世界の鏡でした。しかし、いったん日本が世界の先進国になっ てしまっても、いまだに後追い時代の癖が抜けず、現在の新しい問題 に対処できていません。150年以上の思考の習慣は、なかなか変わら ないのです。 教育や人材育成、研究といった面においても、現在のようなトップラン ナーの時代の人材育成としては問題があります。「ゆとり教育」を廃して、 「詰め込み教育」に戻したことで、大きな知恵を生むことができずいます。 必要なのは、大きなイノベーションを生む「ブレークスルー」なのです が、それをいかに実現するか、それが社会の問題として考えられていま 「知」におけるブレークスルーを起こすためには、現在の私たちの考え方を変えなければならない。そのためには「思考の限界」 に注目する必要があります。しかし、それを見極めるのは難しく、人間は既存のシステムの完成度を高めることに執着しがちです。 現在のシステムの「可能性の限界」が見えないと、考えは行き詰ってしまいます。ブレークスルーが必要なときにも、その問 題が見えないし、その必要を考えることすらできません。「可能性」には、いつもの伸び代があります。それに惑わされて「限界」 が見えないと、ブレークスルーは起こりません。その必要に気づかないからです。組織の運営で言えば、フリクションが起こる ことを恐れず、異質な人、異端の人、異能な人を積極的に取り入れて、共生していくことが必要ではないでしょうか。

塩沢 由典

 大阪市立大学名誉教授

Shiozawa, Yoshinori Professor Emeritus, Osaka City University

思考の限界を打ち破る

(8)

せん。これは日本社会全体の問題であり、経営の問題でもあるのです。 ブレークスルーの実現のために 3つの例を用いながら説明したいと思います。 (1)コペルニクス革命 天動説から地動説への変化は、1543年にコペルニクスの著作の出 版が契機とされていますが、実は、地動説は古代ギリシャのアリスタル コスが主張しており、決して新しいものではありません。しかし、哲学 者のプラトンが天体は等速円運動をしていると考えたことに端を発し た思考の習慣が、コペルニクスの時代まで、約1800年、人々の考えを 縛ってきました。その間、進歩がなかったわけではありません。紀元2 世紀ごろ、プトレマイオスが『アルマゲスト』を著しました。導円や周転 円を導入することにより、天動説を体系化し精度を高めました。それで も不十分だったから、その後の離心円やエカントという工夫がされて、 天動説は複雑・精緻に修正されていきました。ルネッサンス期になって コペルニクスが地動説を再発見するまでの実にプトレマイオス以来、約 1400年間、ひたすら天動説の完成を高める努力がなされ続けました。 この事態がその後、どのように変ったかは、皆さんが御存じのとお りです。コペルニクスが出て地動説(太陽中心説)が唱えられ、ケプラー の惑星運動の3法則を経て、ニュートン力学に繋がりました。天動説 の打破なくして、近代物理学はありえませんでした。 (2)マルクス価値論 これは簡単でいいでしょう。今年(2017年)は、マルクスの『資本論』 初版が出て150年になります。マルクスが価値と価格とを区別し、価 値が価格を支配するという考えを打ち出して以来、マルクス経済学者た ちは100年以上、天動説と同様の精緻ではあるが根本的にまちがった 議論を繰り返しています。 (3)経済学における利子率への拘泥 マルクス経済学が労働価値説から脱却できないのと同様の問題が、 ケインズ経済学にもあります。ケインズの『一般理論』の正式名は『雇用・ 利子および貨幣の一般理論』で、貨幣の前に利子がきています。経済 を考える上で利子率が重要とされますが、それが本当にそれほど重要 かという点について、多くの経済学者はいまだ疑問を感じていません。 92年以降の日本経済の停滞をクルーグマンは日本がケインズのい う「流動性の罠」に陥っていると指摘しました。この状態を打破するた めにリフレ派と呼ばれる学者たちは、大胆な金融緩和を主張しました。 この説を採用した安倍首相は、アベノミクスの第一の矢として「大胆な 金融緩和」を唱えました。日銀総裁に黒田東彦氏を起用して、異次元 の金融緩和を4年以上も実施しましたが、結果としてインフレは起き ませんでした。リフレ派の理論のどこかがおかしかったことは明らかで すが、リフレ派の人たちは、シナリオ通りに行かなかった理由をいまだ に消費増税などに押し付けています。 リフレ派の考えには、疑問をいだく経済学者も多いのですが、リフ レ派はじつはニュー・コンセンサス・マクロといわれる考えの変種にす ぎません。これがいま世界の経済学の主流の考えです。動学的確率的 一般均衡(DSGE)モデルというものを使って議論するのですが、なん のことはない、経済にはただ一種類の財しかないという仮定のモデル です。そこで考えられる唯一の価格は今年の財と将来の財とのあいだ

(9)

の交換比率です。それが利子率です。厳密にいうと現在財を1とする とき、将来財が1/(1+r)と評価されます。 このように利子率を中心に経済全体の動きを捉えようという考えは、 スウェーデンのクヌート・ヴィクセルに始まりました。ケインズの一般理 論にも、この考えが採用されていますが、じつはケインズの論敵であっ たハイエクも同じ考えを持っていました。こまかい違いはあるのですが、 このような考えのつながりをヴィクセル・コネクションと言います。そ れが今のニュー・コンセンサス・マクロにまでつながっています。 しかし、この考え方がおかしいことは、じつは1930年代後半にはす でに知られていました。OERG(Oxford Economists’ Research Group) の調査がそれです。それによると、投資の決定に利子率はほとんど無 関係でした。この研究結果は、ケインズが一般理論を発表してから、2、 3年後には出ていたのですが、ずっと無視され続けてきています。 詳しいことは説明できませんが、経済学の世界にも天動説と類似の ことが起きているのです。需要供給曲線の交点に価格が決まるという、 中学や高校でも学ぶレベルの理論から経済学はおかしくなっています。 経済学を建て直すには、そうした土台から変える必要があります。つ まり経済学のコペルニクス革命が必要なのです。 ブレークスルーの構造 3つの例を挙げて、考え方を変えることがいかに難しいか説明しまし た。これからは、いかに考え方を変え、ブレークスルーを実現するか についてお話します。それには、市川惇信先生の『ブレークスルーのた めに』が大いに参考になります。 市川先生は、この小さな本のなかで、ブレークスルーを起こすには、 現在のシステムの「可能性の限界」を見極める必要があると述べられて います。現在のシステムとは、学問、技術、会社、社会など何でもい いのです。この可能性の限界を見極めないとブレークスルーは起こら ないのです。 実は、どんなシステムにも伸び代があります。その伸び代に目を奪 われているうちは限界が見えません。限界を認識したときから、人間 は別の道を探し、周りが見えるようになります。これは組織としても個 人としても考えるべきことです。 アイザック・ニュートンが書いたといわれることばに「もし私が少し 先まで見えたとしたら、それは巨人たちの肩に乗っていたからだ」とい う一文があります。これはニュートンのことばとして有名になっていま すが、実は最初に用いたのはニュートンよりずっと前の時代、12世紀 のフランスで、シャルトル学派のお坊さんのようです。シャルトル大聖 堂のステンドグラスの絵になっています。誰もが、どんな場合でも、過 去の巨人の肩に乗っているのですが、それだけでは行き詰まります。 どこかの段階で、今いる巨人の肩をおりて別の人に乗り換えなければ ならない。それをやったのがコペルニクスです。日本社会はあらゆると ころで、こうした乗り換えが必要な状態になっています。 日本社会を診断する 今の日本が直面している問題はいろいろあります。そのひとつひとつ についてだれかが考えなければなりません。最終的に考えるのはみな さんです。自分が直面している問題、または、直面している問題がわかっ ていないかもしれませんが、それぞれのコンテクストで考えていただく ための見本として、このお話に触れておきます。

ブレークスルーはいかに起こるか

思考の限界を打ち破る

(10)

(1)日本社会の停滞について 日本企業の体質として「減点主義」があります。よく言われることで すが、その問題が本当には考えられていません。 いまは「ベンチャーの時代」と言われます。しかし、ベンチャー企業が 成功するケースは非常に少ない。シリコンバレーなどでは、ベンチャー キャピタリストが100人くらいのベンチャー起業家と会食し、そのうち せいぜい10件程度の起業家を選んで投資します。成功するのはそのう ちの1、2件です。それ以外の2、3割は倒産、残りは鳴かず飛ばずと いった状況が何年も続きます。けれども、大成功した場合の儲けは20 倍になるから、他の投資が全部損になっても、全体としては2倍になる。 倒産するところが出てくる前提ですが、それを毎年続ければすごいこと になるので、アメリカのベンチャーキャピタリストは一部の投資先の倒 産や半分以上のベンチャー企業がなかなか成功しないことについて意 に介さない。けれども日本の投資家は異なります。ベンチャー投資家 といっても思考の切り替えができていないのです。 採用や人材育成について、日本企業にはいろいろな問題があります。 よく見られるのは、人材育成は社内でできるから、大学は人を送ってく れさえすればいいという姿勢です。人事部がブレークスルーを実現さ せるための人材の養成や採用を本気で考えるなら、その人物が本当に 会社に貢献してくれるか見極める必要があります。それでもブレークス ルーを起こす人はごくわずかで、100人に1人いてくれたら会社は安泰 でしょう。ただ、その1人を潰してしまうと会社も潰れてしまいます。 人事部はそれに気づいているのでしょうか。企業の枠を離れて自分の 会社を見つめることができる人材を育成する必要があります。 (2)考え方を変えるということ ベンチャー教育や企業育成で有名なバブソンカレッジの学長ソレンソ ン博士とお会いしたとき、2年制や短期プログラムなど様々なプログラ ムの中で一番効果が大きいのはどれか質問したことがあります。答えは、 4年制プログラムでした。短期に知識を詰めこむことはできても、考え 方を変えることには時間がかかるのです。知識を得るのでなく、考え方 を変える・新しい考え方の枠組みを作るという教育は、大学院で修士論 文を書くとか、さらに過去のものとは異なる着想を求められる博士論文 を書くという過程で、一定の訓練を受けながらなされるものです。しかし、 日本の場合は博士課程の修了者を評価しない。これは大変な問題です。 「社会技術」についてもっと考える必要があると思います。技術には 大きく3つの種類があります。一つは工学部、理学部、医学部等でやっ ている物理系の技術、もう一つはコンピュータ・リテラシーに代表され る人文系の技術、さらにこれとは別に組織や社会・経済を運営してい くのに必要な技術があります。法律とか、貨幣制度のようなものです。 技術開発というとどうしても物理系の技術しか考えない人がいますが、 社会技術系についても考えてほしいと思います。 繰り返しますが、ブレークスルーを起こすには、考え方を変えなけ ればならないのです。既存のシステムの完成度を高めることに執着し てしまうと、可能性の限界が見えません。限界が見えないと、ブレーク スルーの必要が見えてこない。組織の運営で言えば、フリクションが 起こることを恐れず、異質な人、異端の人、異能な人をもっと積極的に 取り入れて、共生していくことが必要なのではないでしょうか。 編集:富士通総研経済研究所 主任研究員 吉田倫子 専門は理論経済学。 古典派価値論と複雑系経済学に基づく進化経済学の全体像構築に取り組んでいる。 1985年から複雑系経済学を提唱、2014年には古典派国際価値論の一般理論を発表した。 関西における経済発展や新産業創造の調査・提言にも従事し、著書『関西経済論』は地域経済の原理研究と時論的提言とを含む。 進化経済学会会長・関西ベンチャー学会会長などのほか、 関西生産性本部、関西文化学術研究都市推進機構、関西ニュービジネス協議会、 大阪商工会議所、大阪市、大阪府近畿通産局、国土庁、工業技術院などの各種委員・委員長等を務めた。 注:本論は、2017年4月19日に富士通総研に於いて開催された第 1回イブニングセミナー「思考の限界を打ち破る∼ブレークスルーは いかに起こるか?∼」の講演録をまとめたものです。

(11)

知的機動力に向かって

日本的経営の強さを再考する

野中 郁次郎

 一橋大学名誉教授

Nonaka, Ikujiro Professor Emeritus, Hitotsubashi University

イノベーションの本質とは、暗黙知と形式知の相互転換スパイラルを組織的にリードすることにあります。日本的経 営の強さは、組織と環境とが一体となって共通善に向かって、組織メンバー一人ひとりの潜在能力を結集し、発展させ、 錬磨するところにあります。

AI

IoT

ではできない共感や価値判断などは、人間が日常、自然に行っていることです。創 造性は、一見対立関係にあるような要素を両立させようとするプロセスで生まれるので、アナログとデジタル、アートと サイエンスなどの二つの要素を相互補完的にダイナミックに共存させていくことが大切です。組織としてこれを繰り返し 実践していくうちに、イノベーションが起こります。その推進力となるのが知的機動力なのです。 なぜ知的機動力なのか 知的機動力とは、共通善に向かって実践的な知を俊敏かつ賢く創 造、発展、共有、実践する能力を指します。この機動力という考えの 原点は、アメリカ海兵隊にあります。軍事組織は、コモングッドすな わち共通善に向かって、持続的に知を集的に、しかも賢く戦う方法論 をもって絶対に勝たなければならない、少なくとも負けてはいけない。 そういう宿命を背負っており、これに一番近いのが企業経営です。 軍事戦略には消耗戦と機動戦があります。消耗戦は徹底的に圧倒 的な物量で凌駕し、トップダウンで戦い、物理的に壊滅させる方法で す。機動戦は、絶えず変化する状況の中で、現場のイニシアチブに 委ね、ジャストライトなタイミングで心理的・道徳的に崩壊させる、知 略で勝つ戦い方です。状況によりますが、実際には両方とも必要です。 その歴史の中で絶えず存在意義を問われてきたアメリカ海兵隊にとっ て新しいパラダイムとなったのが機動戦でした。機動戦とは、戦闘ス タイルでもあると同時に哲学なのです。今日は、この機動戦からヒン トを得た知的機動力を中心に話を進めていきます。 知が21世紀の資源であり、イノベーションの源泉であるという考 え方は、ドラッカー、シュンペーター、ハイエクなどが発展させてき ました。重要な点は、知識は関係性の中でしか作れないということで す。そして、情報とは異なり、知識は自らが意味づけしてつくるもの なのです。 マネジメントはアートとサイエンスの総合であり、その原点は我々 の主観です。我々は、主観的に見ている生き生きとした経験の意味を いつも問い続けています。ドイツの物理学者であるエルンスト・マッ ハは、長椅子に寝そべり、開いた窓の向こうに広がる庭園を眺めたと きに感じる光や風、花の香をどう感じたかという主観的経験こそが根 源的であることをマッハの絵で表現しました。光が物に反射して、目 に入り、電気信号が脳に伝わった、などという外部の物理的刺激から の知覚経験、つまり客観的経験からは何も生まれません。 我々が見て、感じている生き生きとした現実の直接経験の世界の 意味や価値を絶えず追求することこそが学問や科学の原点です。しか し、主観が主観に留まっていては現場主義に過ぎないので、それを客

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観化していかなければなりません。アートの世界である自分の感じて いる意味や価値、主観を抽象化していくのがサイエンスなのです。 ただし、昨今における客観的で科学的な形式知こそが知識である とする偏見から脱却するには、信念と理性、主観と客観、アートとサ イエンスのバランスある知識観を回復しなければなりません。自分の 思い、主観、信念こそが知の原点であり、主観を客観化する知の創造 プロセスに、我々は全人的にコミットしなければならないのです。 暗黙的統合∼3つのアートが教えてくれるもの∼ ここで重要になるのが、3つのアートです。1つ目は、「見ることの アート」です。これは「鑑識眼」のことで、例えば顔の識別、病気の 診断、美術品の鑑定などが挙げられます。医師は、患者の顔相やレ ントゲン写真など(部分)を見て、患者の病状(全体)知るという目 的のために(焦点化)、諸部分を暗黙的に統合する。毎日の実践の中 で、部分と全体の往還運動をコンテキストに応じて見ることを暗黙 知的に身体化しています。2つ目は、「することのアート」です。これ は「技能」のことで、自転車の運転やピアノの演奏などが該当します。 ピアニストは、自分の指の動き(部分)を補助的に意識して、ピアノを 弾きメロディーを奏でるという目的のために(焦点化)、諸部分を暗黙 的に統合しています。3つ目は、イマジネーション、すなわち「イメー ジすることのアート」です。シャーロック・ホームズの観察力のように、 普通の人なら見逃すような微細な事柄を観察し、見破ることで新し いコンセプトの発見につながるのです。 トップダウンからは、イノベーションは起こりません。個別のサイ ロを総合し、あらゆる知見を総合して仮説を目的に向かって生成する アブダクションが、新しい知を生み出すのです。アブダクションの原 点は感性を磨くことにあります。例えば、古美術鑑定家の中島誠之 助は、いいものだけを見せてもらって育ったことで感性を鍛えられた そうです。良質な経験が非常に重要であると言って良いでしょう。 他の例で説明してみましょう。ハワイという土地は、観光という経 験だけでは南の島のパラダイスとしか思わないかもしれません。しか し、アリゾナのメモリアルセンターを訪れたりすると、ハワイには太平 洋戦争の過去の歴史が埋め込まれていることを体感し、ハワイは実 は重要な軍事拠点であると認識します。ハワイでの直接経験に加えて 自分の原体験、歴史認識、未来の予測まですべてが総合されたとき、 ハワイはアジアにおける安全保障のダイヤモンドであるというアブダ クションに至るのです。創造の原点はこのような思考プロセスの中に あります。 IoT、AIといった形式知、サイエンティフィックな部分も重要ですが、 面白いのは、これらの研究過程で、人間の身体性の潜在能力が次々 に科学的に明らかになっていることです。例えば、ミラニューロンの 発見がそうです。我々は一切の言語を媒介しなくても、共感すること で、相手の意図が読み取れるという能力をもっています。これが人間 の「共感」の土台になっています。あるいは脳というのは身体の一部 であって、実際の我々のマインドは、身体、感情との相互作用から生 まれるものであり、心と体は分けられないという考え方を示す研究 もあります。また、人間の成功の本質が、IQの高さよりも、何かを やりぬく根性や自制心、社会的意欲、楽観主義、好奇心といったも のにあるという調査結果も示されています。 つまり、世界は、形式知至上主義から身体知の復権という方向で

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動いてきています。どちらが正しいかではなく、形式知と暗黙知と両 者を状況やコンテキストに応じてバランスをとっていくことが重要で す。SECIモデルは、共感の本質を概念化し、それをつなげてモデル、 仮説、物語にして、実践しながら、無限に暗黙知と形式知が相互作用 するプロセスを示しています。換言すると、暗黙知と形式知の相互変 換スパイラルをどのように組織的にリードしていくかが、イノベーショ ンの本質であると考えています。 イノベーションを起こす組織の3つの条件 イノベーティブな組織には、いくつかの特徴があります。第1は、組 織としての思い、善い目的、つまり「真・善・美」があることです。我々 の知識の定義は、自分の思いを真・善・美に向かって無限に実現さ せていくプロセスですが、最近特に重要視されるのは、何が善かと いうことです。株主価値や金銭は手段にすぎず、何のために存在して いるのかを徹底的に問わなければならないということです。それは 決して達成できないかもしれないけど、その善い目的を目指したいと いうスピリット、理念を我々人間は生来持っているのではないでしょ うか。それは、ベターに向かって無限に努力をする職人道のようなも のです。 ノーベル経済学賞を受賞したエドモンド・フェルプスは、国家規模 での豊かさは、新しいコンセプトに大衆が参画し、草の根でイノベー ションにコミットして実現していくことで達成されると述べています。 数人の天才ではなく、全員が創造力を働かせながら、何が善かを追 求している国家が繁栄するということを検証したのです。 資本主義はプロテスタントの思想から生まれ、天職としての仕事を 無限に追求した結果、資本が蓄積されていきました。マックス・ウェー バーは、禁欲的宗教的な方法によりコモングッドに向かうことが本来、 資本主義を動かしたと言っています。ただし、資本主義がルーティン 化してしまうと、よきグッド・スピリットが駆逐され金儲け主義に転化 しうるので、共通善となるビジョンを高らかに宣言し続けることが重 要なのです。 第2に重要なのは、相互主観性です。一人ひとりの主観が「われわ れの主観」になることが非常に重要です。人類学者で心理学者のマイ ケル・トマセロが長い年月を経て行き着いた結論は、類人猿であるチ ンパンジーと人間の差は共感の有無だということです。チンパンジー はエサをとるという利己的な理由から集団を形成しますが、利他的な 配分に協力はしません。これに対して、人間は進化の過程において協 働が必要となり、お互いが共感できる能力を身につけたと言います。 生まれた後、母と子の間では「生き生きした現在」が感性のレベル で共有されます。その後、成長と共に言語、つまり知性が発達し、エ ゴイズムが生まれ他者と自分の区別ができてきます。さらに、知性と 感性が総合される段階になると、自己に固執せず、無心・無我で他者 と向き合える二人称の相互主観性が成立します。イノベーションは、 自分の思い、主観から始まりますが、三人称にして組織化しないと社 会的な貢献が実現できません。ですから、まず重要なのが二人称で、 これが相互主観です。相互に他者の主観と向き合い、受け入れ、共感 し合うときに成立する自己を超える主観「相互主観」を出発点に、他 者と関係しながら自分の信念は何かを認識し、同時に、その他者と共 に組織的に三人称化する。これがイノベーションのプロセスです。 第3の条件は自律分散リーダーシップです。組織的に共感し、この

日本的経営の強さを再考する

知的機動力に向かって

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共感をコンセプト化し、物語化してモデルをつくり実践する。このプ ロセスを持続的にスパイラルアップしていく実践が必要なのです。こ のリーダーシップは、①善い目的を追求する、②現実を直観する、 ③場をつくる、④直観の本質を徹底的に物語化する、⑤その物語の 実現、⑥それを全員で共有するという6つの能力です。自律分散的 にリーダーシップを発揮し続ければ、それは実践知となります。情報 に意味づけをして知識とし、それを組織的に実践して無意識のハビッ ツのレベルまで高めていく、そうすると知識は組織の知恵になります。 知識を、無意識に自然と体が動くウィズダムまで高めていくのがリー ダーシップです。 実践知というのは、実践と理性という相反するものが統合され た表現です。現実においてあらゆる関係性をコンテキストに応じて ジャッジするのが実践知であり、タイムリーなジャッジメントが知的 機動力の源泉となるのです。 知的機動力を有し、成功する企業 アメリカの海兵隊が平時において厳格なトップダウン階層組織を持 つ一方で、有事の際にはフラクタル組織へと組織化され、常に変化す る現場で分権的に思考・行動・意思決定を任せる機動力を発揮してい ることは言うまでもありません。しかし、日本にも知的機動力を有し ている企業があります。 富士フイルムでは、大きなビジョンを掲げて、徹底的に知的構造改 革を行い、組織でばらばらになっていた知を結集し、五感の感性を大 事にして画期的な化粧品を開発しました。またカルビーは、本来カル ビーが持っているコアコンピタンスを明確化するとともに、既存の商 品を新しいコンセプトによって再生し、社内のサイロ組織をも破壊し たうえで大ヒット商品へと生まれ変わらせました。 ジャパン・アズ・ナンバーワンだった1980年代の日本においては、 頻繁にコミュニケーションをとって議論をし、サイロになりがちな組 織の壁を破壊してスクラムを組んで実践するというアジャイルスクラム が有効に機能していました。スクラムとは、どこをとっても会社のビ ジョンに向かった判断・行動パターンを共有するフラクタルな知識創 造活動であり、それを実践する人々のことです。 その実践において重要なのは、やはり一人ひとりの主観を相互主観 につなげて、共に行動を起こし、失敗しても経験から学び、柔軟にや り方を変えることで成功につなげていくことです。信頼と共感をもっ て、刺激し合い、互いに成長を促す。そのためには日本の人事評価を 変える必要があるでしょう。年に1回の形式的な人事評価よりも、み んなでその場その場で議論し、お互いの能力を高め合うほうがいい。 日本的経営の強さは、絶えず組織と環境とが一体となって共通善 に向かって人間の潜在能力の徹底的な結集、発展、錬磨を行う集合 実践知にあります。西欧の伝統のようにどちらか一方だけを選ぶの ではなく、一見矛盾する概念、要素を両立させることで創造性が生 まれてくるのです。アナログとデジタル、アートとサイエンスなどの二 つの要素を相互補完的にダイナミックに共存させていくことが大切で す。組織としてこれを繰り返し実践していくうちに、とんでもないイ ノベーションになってきます。その推進力となるのが知的機動力なの です。 編集:富士通総研経済研究所 主任研究員 吉田倫子 一橋大学名誉教授。 クレアモント大学大学院ドラッカー・スクール名誉スカラー。 経営学者。 早稲田大学政治経済学部卒業。 カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)にて博士号(Ph.D)を取得。 2008年5月のウォールストリートジャーナルでは、「最も影響力のあるビジネス思想家トップ20」に選ばれる。

2017年11月、カリフォルニア大学バークレー校ハースビジネスクールより「Lifetime Achievement Award(生涯功労賞)」を受賞。

注:本論は、2017年5月9日に株式会社内田洋行新川本社ビルに 於いて開催された第2回イブニングセミナー「生き方・働き方・学び 方を考えるための哲学」(株式会社内田洋行と株式会社富士通総研 の共催)の講演録をまとめたものです。

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タイトルにある「生」と「死」の間に老(おい)を入れるかどうか迷いました。というのも、動物行動学者によると、老 いた動物というのは存在しないそうです。加齢があっても、力さえあれば生きていくことができます。「老いる」とは、 そういう力をどんどん失っていくことです。その力を失ってなお生きるということは、野性の動物には許されていない のが原則です。つまり、動物の世界では老いを生と死の間に挟めないという状況がある一方で、極端に人間だけは、老 いを生きねばならない、あるいは医療の進歩で、老いを生かされなければならないということになります。そのような 現況の中で、何を考えるべきかをお話してみたいと思います。 死の位相変化と現代の問題 社会における死の位相は文明の度合いが高まるにつれ変わります。 文明の低い状態では、消化器系の感染症が社会の主役です。日本では、 明治の中期あたりまで、基本的には消化器系の感染症で毎年10万人ほど 亡くなっていました。例えばコレラ、子供たちは疫痢などが原因でした。 これらが克服されたのは、医療というよりむしろ、社会インフラの整備の おかげです。 その次には、結核などの呼吸器系の感染症で 、 特に若年層、青年層が 亡くなっています。この克服には、生活環境の改善や抗生物質の開発が主 要な役割を占めると思います。もっとも、今でも肺炎・気管支炎で亡くな る人が統計上は少なくないのは、誤嚥性の肺炎も含めて、高齢者の死因が 多いためです。 感染症をある程度克服した後にくるのは生活習慣病です。脳梗塞、脳 出血、高血糖など、さまざまな問題が起こってきます。これは高齢者にな れば、やむを得ない病気でもあり、根治が難しく、死ぬまでつきあうこと になる病です。悪性腫瘍も加齢と密接に関わります。 それらが、ある程度医療で制御できるようになった最終段階では、社会 への不適合による問題が浮上します。精神性の疾患や自殺などが、死因 の主要な位置を占める社会を迎えるわけです。今、日本もその段階を経験 しつつあります。 そうした社会で見られるようになった顕著な現象の一つに、欧州の比 較的人口が少ない国々で、医師による積極的安楽死が認められるよう に なったことが ありま す。 米 国 で は、5つ の 州 で、PAD(Physician’s Assistance of Death)すなわち「医師の自殺幇助」の法的な解禁が行わ れました。これは、医療における革命とも言えることだと思います。 次に医療経済の問題です。経済と治療を天秤にかけるということ自体、 きわめて不本意とお考えになるかもしれませんが、例えば、欧州のいくつ かの国々で、外す見込みの立たない患者には、胃瘻形成による経管栄養 をしないという医療界の申し合わせができているということがあります。 つまり、あと一週間もたないという患者に胃瘻形成することは無駄である という考えが徹底されています。

現代社会における生と死

生を全うする

村上 陽一郎

 東京大学・国際基督教大学名誉教授

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欧米で積極的安楽死の不可罰性が法制化されるに至るまで 言い出しにくい話ですが、安楽死やPADの問題は、もはや見過ごすこと ができない状況にあります。海外では、こうした状況を生んだ背景として、 いくつかの事件がありました。もっとも有名なのが、米国で起こったカレン 事件です。彼女は過酷なダイエットを実施、睡眠薬を服用したうえに飲酒 し、意識を失ったまま人工呼吸器がないと生きていけない状態になってし まいました。事態は好転せず、両親は人工呼吸器を外そうと提案したので すが、病院は拒否して州の最高裁までいきました。最高裁は、父親が本人の 代理人として資格があると判断し、父親の意向にしたがってプラグオフ(人 工呼吸器などの装置を切ること)を認めました。それでも、入院している 病院は実施を拒んだので、両親は別の病院に転院させてプラグオフします。 ここには幾つかの派生的な問題が生じました。一つは、もとの病院の姿 勢への批判が噴出しました。自分では扱いたくないことを、よその病院に 押し付ける、これは医療機関として、はたして倫理的に正しいかというの で、論争になりました。このような場面でwithdrawとwithhold という英 語が並べてよく使われるのでご紹介します。前者は「引き下がる、撤退」、 後者は「差し控える」という日本語がぴったりだと思います。いったん始め てしまった治療行為から撤退するより、最初から差し控える方がまし、と いうような言い方になります。本件の派生的な問題は、プラグオフしても、 なんとカレンは約十年生きたということです。生命維持装置を外せない、 という最初からの問題が改めて議論になりました。 もう一つ、米国で起こったキヴォキアンという医師の事件があります。彼 は電気椅子での処刑は残忍という立場にたち、薬による死刑の執行を提案 しました。最初は誰も相手にしなかったのですが、死刑囚にアンケートを とったり、監獄の管理者に働きかけたりしました。米国で現在死刑を容認 しているすべての州や行政府では、死刑囚に電気椅子を望むか、この薬に よる死刑を望むか選択させるようです。 キヴォキアンは、このプロセスを自動装置化し売り出します。1990年に 最初の実行例があり、手書きの遺書がのこされています。 「以下の理由によって、私は自殺することを決心した。これは、精神の通 常の状態で行われ、十分に考え抜かれた決定である。私はアルツハイマー 病にかかっており、これ以上病状が進行することを望まない。この恐ろし い病気の悲惨な状態を私自身と私の家族にこれから先押し付けることを選 択しない」という遺書です。本人の署名のほか、副署として夫と子供の署名 があります。 このあと百例以上購入・実行した人がいるようです。ただ、ALSの患者 にもこの装置を適用した際、その患者が、病気の性質上自分で装置を扱 うことができないので、キヴォキアンは最初から全て自分でやった経過を、 ビデオに撮影、テレビに公開したために、自殺幇助で起訴されて服役する ことになります。 オランダではポストマ事件が起こりました。女性医師であるポストマは、 病気の母に殺してほしいと繰り返し頼まれ、耐えられなくなって、致死薬 を注射し有罪になりました。この事件がきっかけとなり、オランダでは市 民の間で、繰り返しさまざまな形の議論が起こりました。欧州の場合は、 DP(Deliberative Poll:熟議)と言う方法がよく使われます。一つの社会問 題に関して、専門家も非専門家も同じ土俵で徹底的に議論する場をつくっ ていくことをこのように呼んでいます。アンケート調査で、こういうことを 許すか許さないかを問うと最初は許すが10%ぐらいだったのが、議論を 重ねた末に1990年代には90%程度まで上がりました。オランダの医師会 も最後は賛成し2002年に積極的安楽死が認められました。

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この積極的安楽死容認には以下の条件があります。①患者の苦痛が堪 えられる限界を超え、改善の余地も方法もない、②患者自身の意志が十 分に確認できる、③患者は病状に関して、十分な情報を与えられている、 ④二人以上の医師による承認、⑤死に導く方法は医学的に妥当な方法、 ⑥年齢は12歳以上(ただし12歳から16歳は両親の同意があった場合に 限る)の六つです。 ここで注目すべきは、病気の終末期であることは、条件に入っていない 点です。それがまた大問題になるのです。英語では、slippery slopeと言 う言葉を使います。雪崩現象と申しましょうか。いったんあるポイントを緩 めると、そこをきっかけとして、本来ならば緩めるべきでないところまで、 どんどん緩和状態が広まってしまう。オランダでは、安楽死は当初の三倍 以上、四倍近くになり一年間に5000人が安楽死を迎えています。「死に たい」という理由だけで、医師の手を借りて死ねるようになったわけです。 しかし、例えば、うつ病の患者はしばしば強い自殺願望を示しますが、治 療薬で消えることもあります。つまり、自殺願望がうつ病によるのか、そ うでないのかの判断が、医師の手に委ねられていることになります。 医師による自死幇助の解釈 ベルギーのある調査によれば、「医師が患者の苦痛を除く目的で死を早 めることに賛成か反対か」という問いに対し、95%の医師が賛成と答えた という状況があります。このような事態、あるいはオランダで医師会が安 楽死に賛成にまわったのは、よほどのことです。医師の立場では、患者の 死は敗北だというのが常識です。ヒポクラテスの誓いもあります。医師が 出会っているさまざまな状況が彼らの判断を変えてきているのです。 森鴎外の『高瀬舟』という小説の執筆背景を書いている「高瀬舟縁起」 という短い文章が全集にあります。その中で、医療の世界では、慈悲殺と でもいうべき場合があって、人を殺すことが常に罪ではないと書いてあり ます。なぜなら、医療の目的は患者の苦しみを軽減することであり、殺す 以外に患者の苦しみを救う手立てがないときには、殺すことも医療の手 段の一つと認めてよいとしているのです。 日本の刑法にも殺人の教唆もしくは幇助というものがあります。また嘱 託殺人と承諾殺人というのもあります。嘱託は、殺してほしいと依頼され たから殺す場合、承諾のほうは、殺していいかと相手に尋ねて、承諾を得 て殺す場合です。いずれにしても、自殺の幇助も刑法上罪になります。と ころで、刑法61条は、人を教唆して犯罪を実行させた者は、正犯の刑に 処するという教唆罪の項目です。殺人の教唆罪はもちろん殺人教唆です が、自殺の教唆罪が、なぜ罪になるか。自殺(自傷も)そのものは刑法上 の罪ではありません。にもかかわらず、それを幇助したり教唆したりする ことが罪になるのは不思議ではないか。法学者は、自殺には違法性がある、 しかし、当人がそれを実行し、あるいは未遂に終わっても、それを刑法上 の罪として問う可罰性がなく、阻却されている、だからその違法性を教唆 したり、幇助したりするところで示す、という解釈をしています。 日本では、終末期鎮静という方法が許されています。終末期鎮静には四 つのカテゴリーがあります。まず、①完結的と②持続的です。「完結的」はごく 簡単で、苦しんでいる人の苦しみを取り除くために鎮静剤を与え、治ればす ぐやめる。「持続的」は死まで続けることです。そして、③浅いと④深いです。 「浅い」はほぼコミュニケーションができるくらいの意識の混濁状態で、「深 い」は完全に外部の人とコミュニケーションできない昏睡状態です。ですから、 「深く・持続的」な終末期鎮静を施したら、実際上は安楽死と同じことになる。 しかし、ルール上は違うとされています。一つの逃げ道のようにも見えますが。

生を全うする

現代社会における生と死

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意思表示ができない人の人権 経済と命の話をしましたが、新生児のトリアージュ(治療すべきか否か の選別、三選択肢)という現象もあります。いくつかの国々では、重篤な 子が生まれてきた場合、医師が死という手段をとることが許されているは ずです。オランダの安楽死の六つの条件では、12歳以上は自分の判断で できる。一方、12歳までは、どんな意思表示をしても認められない。幼 児であれば意志表示できない。そういう人をどうするかという問題です。 子供ではありませんが、東海大学付属病院での安楽死というのが日本 では一番よく語られる事件です。本人が昏睡状態になり、それが酷く長く 続いた。だから、本人の意向は確かめられなかった。しかし、長男と妻が 見るに忍びないから治療を止めて、楽にして欲しいと求め、主治医がこれ に従って致死薬を投与した事件です。 他者の判断が代理人として尊重される。意思表示ができない人間に対 して誰が代理人に立つか。代理人としての資格があるのは誰なのか、もし かしたらこの人は生きた骸であって、亡くなっても嘆く人もいないらしいし、 だとすれば、死なせてあげるのは、社会のためにもこの人のためになるの ではないかと医師が考えて、医師が代理人になった前例があります。考え なければならい実例はさまざま、最初から全部法律的に対処するのは不可 能です。実際には、大まかな法律を決めておいて、判例で少しずつ決めて いく。イギリスはそういう方法をとっている国です。基本法、憲法さえない。 大まかな法律を決めて、判例でそれを補っていくという方法でやってきた ような国と比べると、やっぱり日本は法律をお上が決めるものだという感 じが依然強い。特殊な事情があることはありますし、すべてを判例に委ね ることはなかなか難しい、でも難しいことは山ほどあって、それを言い立 てていたら一歩も進まない。なんとか少しでも前進する方法を考えたいと 1936年東京生まれ。 東京大学、同大学院で、科学史・科学哲学を学ぶ。 上智大学理工学部助手、助教授、東京大学教養学部助教授、教授、同学先端科学技術研究センター教授、センター長、 ウィーン工科大学客員教授、国際基督教大学教養学部教授、東京理科大学教授、東洋英和女学院大学学長などを経て、 現在は東京大学・国際基督教大学名誉教授。 専攻は、上記のほか科学社会学(STS)。 いうのが今の私の立場です。 「死につつある時間」の引き延ばしに対する丁寧な議論 「遠い親戚症候群」と名付けられた問題があります。ホスピスに入って 延命治療をせず、あと一週間二週間ぐらいの余命で、痛みだけはモルヒネ で軽くしてもらう。本人も落ち着いて、軟着陸を迎え、家族もあきらめる。 そこへ、心理的、距離的にも遠い親戚が聞きつけて、別の病院ではいい 治療法がある、とまあ善意で言ってくる。本人も家族もせっかく安定して 軟着陸しようとしている状態を、文字どおりディスターブ(邪魔)される。 それがいいかどうか、厄介な問題がこんなところにも生まれます。 結局煎じ詰めた問題は、現代の中でひたすら「死につつある時間」が引 き延ばされていることです。日本の尊厳死協会にリビングウィルで登録す るとカードをくれます。それを示せば、無駄な延命治療を一応拒否できる。 ただし、日本の場合は、この遠い親戚症候群がけっこうある。それに対し て、医師と本人がどこまで自己を主張できるか。 日本では、安楽死法、ないしは、尊厳死法という法律をつくろうという 動きはあります。日本の社会に根付かせてもいい、ともっていくことので きる合理的で賢い方法が必要です。時間をかけなければなりません。ポス トマ事件後にオランダで行われたように日本でも議論を重ねる努力を積み 重ねなければ前進はないでしょう。放置していては進まないと訴えていく ことで空気を変えたい。それ以上のベストソリューションはみつからない 気がしています。 編集:富士通総研経済研究所 上級研究員 森田麻記子 注:本論は、2017年6月29日に富士通総研に於いて開催された第 3回イブニングセミナー「現代社会における生と死」の講演録をまと めたものです。

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自動組立からサービスへ

テーマ選びと運掴み

新井 民夫

 東京大学名誉教授

Arai, Tamio Professor Emeritus, University of Tokyo

大学

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年の

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年間、ヒッチハイクでヨーロッパから中近東、インドと回った私は好運・不運が交差するなか、大学院を

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年かけて修了し、 大学に職を得ます。研究テーマは自動組立。大量生産から多品種中小量生産用システムを開発しますが、モノを作だけではだめだとサー ビスの研究を始めます。 私の経歴を表面的に見れば、受験校から国立大学に進み、博士課程を出て、出身学科に職を得る。世にいう「外の世界を知らない大学 教授」と言われることでしょう。実際はそれほど単純ではありませんでした。振り返れば、運が人生を決めていたと思えます。それだけ に「人間万事塞翁が馬」は正しいと信じています。重要なことは、幸運が巡ってきたときに、それを掴む準備をしておくことなのでしょう。 衣食足りて礼節を知る 大学に入学したのは1966年。高度成長期真只中でしたが、ベトナム 戦争が拡大し、反戦フォークソングがあり、大学紛争が始まる時代でした。 教養学部では社会の矛盾を学び、公害、人種差別などの問題意識が芽生 えました。理系でしたが、社会科学に興味を持ち、梅棹忠夫『文明の生 態史観』の影響を受け、地政学的な考えに染まりました。 高校時代から海外へ行きたいと思うようになり、アルバイトで旅行資金 を貯め、大学3年の5月にヒッチハイカーの旅に出ました。1ドルが360 円の固定相場制、実勢価格は400円.海外に出るのがとても難しかった 時代です。「出られないから出たくなる」そんな気持ちの若者が多数居ま した。横浜から船でナホトカへ、汽車と飛行機を乗り継いでモスクワ経 由、ヘルシンキに降り立ちました。以降、ヒッチハイクです。西欧を回り、 ギリシャからはトルコ、イラン、アフガニスタンを抜けてインドへと向か いました。カイバル峠を抜けるとき、乾燥した荒れ地の向こうに緑野が見 えます。あそこに行けば、豊富な食べ物があると確信します。昔、アレキ サンダー大王がインドに攻め込むときも同じ気持ちだったのでしょう。風 土に人間が支配されている様を自分で感じ取りました。 この旅での経験はのちの私の人生に強く影響を与えました。この間、1 日3ドルでの暮し。$1を食費に、$1は宿代に、残りですべてを賄いま した。ヒッチハイクでやっとの思いで目的地に着き、安宿のベッドで一日 を振り返る時、「衣食足りて礼節を知る」を実感しました。風土に支配さ れている庶民の生活は何10年から何100年の単位でしか変わりません。 それに対して、技術は数年から10年ほどで変わり、現代社会の我々は技 術に支配されています。風土に根付いた生活の重要性を感じました。 柔らかく考える 帰国して、大学に復帰します。私が海外旅行中、大学紛争で授業がなかっ たために、私はそのまま4年に上がり、同期の人達と一緒に卒業してし まいました。なんと好運なことでしょうか。 大学院では「自動組立」を研究します。最も簡単な組立作業である丸 棒を丸穴に挿入する作業の解析から始まり、それがモノとモノとの関係性 を捉える研究に繋がり、2000年以降は無形のモノといえるサービスの組

参照

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③委員:関係部局長 ( 名 公害対策事務局長、総務 部長、企画調査部長、衛 生部長、農政部長、商工

24日 札幌市立大学講義 上田会長 26日 打合せ会議 上田会長ほか 28日 総会・学会会場打合せ 事務局 5月9日

収入の部 学会誌売り上げ 前年度繰り越し 学会予算から繰り入れ 利息 その他 収入合計 支出の部 印刷費 事務局通信費 編集事務局運営費 販売事務局運営費

収入の部 学会誌売り上げ 前年度繰り越し 学会予算から繰り入れ 利息 その他 収入合計 支出の部 印刷費 事務局通信費 編集事務局運営費 販売事務局運営費

【会長】

会長 各務 茂夫 (東京大学教授 産学協創推進本部イノベーション推進部長) 専務理事 牧原 宙哉(東京大学 法学部 4年). 副会長

○水環境課長

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