環境保護実現と水に対する権利
―人権法アプローチにおけるその有用性―
石橋 可奈美
はじめに
1. 水に対する権利についての法的定式化の進行
1.1 人権諸条約その他の法的文書に見る水に対する権利
1.2 水に対する権利の人権としての定式化と特別報告者による検討
1.3 国際紛争処理の諸事例に見る水に対する権利への発展
2. 水に対する権利の独自的性質
3. 水に対する権利の「人権法アプローチ」における意義 おわりに
はじめに
今日、国際社会で水に対する関心が格段と高まっている1)。たとえば国連は、2005年より、
毎年3月22日を世界水の日(World Water Day)とし、また2005年から2015年を生命に対す る水の10年(International Decade for Action ‘Water for Life’ 2005-2015)2)と定めて、水に関 する様々な会議を行い、また検討を行ってきた3)。最近、IPCCは、気候変動に関する新たな 報告書(気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次評価報告書(AR5))を公開したが、
それによれば、今後温暖化の進行とともに、水資源の欠乏・枯渇に起因する紛争の深刻化も懸 念される4)。後述するように、環境と人権の関係について検討している特別報告者(John H.
Knox)も水に対する権利について、最新の報告書の中で、水に対する権利の実現についての 認識は確立しつつあることについて指摘した5)。
水は、人間が生きる上で不可欠のものである。水は食糧でもあるが、水には生活や衛生・医 療用など食糧ではない役割も存するという意味において、水に対する権利は食糧に対する権利 とは別に論ずることが必要である。しかし、食糧としての側面だけを考えても、水がなければ 人間は生命を保つことはできないのであり、したがって、水に対する権利は、人権として最も 基本的なものであると言い得る。
諸人権(ここでは「環境権」も含む)間の権利行使の優劣を語ることは簡単ではなく、また 諸人権間に漠然とした一般的な概念的ヒエラルキーは想定し得ても、実際の権利行使が抵触す る場面において、法的な優劣をつけることはなかなかに困難である6)。そして、優劣が相対的
に判断しうる場合はまだよいが、ある人権の定式化がなされることで、具体的状況の如何に拘 わらず当該人権がまず優先的に保護されなければならない、というようなことがあるとすれば、
そのことがかえって当該人権の定式化や援用において、諸国家の対応を慎重にしてしまうとい うことが起こるだろう。このことが、おそらく「水に対する権利」については当てはまる。人 間の生存にとって最も基本的な権利であるはずの「水に対する権利」が国際社会において認知 されたのが、ごく最近であるという事実がまさにこのことを物語っている。
しかし、他方で、そうした中で、もし「水に対する権利」が、いろいろな経緯を経て漸く認 知されたとすれば、かなりの成熟度(または当為、そうでなければならないという認識)を以 て認知されたということであり、この権利を援用しないという理由はない。筆者がこれまで提 示してきた、「人権法アプローチ」、すなわち既存の人権の環境保護実現のための援用には、あ る意味でもどかしさもあった。環境情報へのアクセス権や政策決定への参加、司法参加といっ た手続的権利の援用の部分においては、一定程度の成熟を見ておりかなり環境保護の実現への 貢献も期待できるが7)、他方で、実体的権利、例えば食糧に対する権利に顕著であったように8)、 それは専ら、社会権規約等の締約国である国家がその義務を果たしていない(又は未だ十分に は果たし得ていない)として構成されるべき問題なのか(とくに、尊重・保護・実現の義務と の関連で)、もしくは、食糧に対する権利が多国籍企業等によって他国で侵害されたと考えら れる場合に、個人や共同体の救済のため域外適用をも可能とする権利であるのか、あるいは個 人や共同体が当該権利に基づき、直接法的救済を求めることのできる実効性を有する権利なの か、等々の点において、多くの不確定な要素を有している。したがって、むしろ、たとえば食 糧に対する権利は、「人権法アプローチ」としても、主として、環境保護基準を設定したり、
具体的な紛争においてその基準のレベルをアドホックに調整したりなどして、環境保護の実現 の水準の決定や向上に資する、といった間接的な役割に留まりがちであったことはすでに前稿 で論じたところである9)。
しかし、もし、水に対する権利が、環境保護の実現のために直接援用するに耐えうる権利で あるならば、「人権法アプローチ」の強力な武器となることは疑いがない。
このことを検証するために、以下、水に対する権利の法的定式化の進行や水を巡る紛争にお いて水に対する権利はどのような役割を果たしたか、また環境保護の実現にどう貢献したか、
またし得るのか、について論じたい。
1. 水に対する権利についての法的定式化の進行
1. 1 人権諸条約その他の法的文書に見る水に対する権利
「水に対する権利」が明確に法的権利として国際社会で認知されたのは、後述するように、
2010年の国連決議によるというのが、現在最も一般的な理解であるが、しかし、それ以前の 人権諸条約においても「水に対する権利」の淵源を見ることはできる。
たとえば、自由権規約(ICCPR)6条は、「すべての人間は、生命に対する固有の権利を有する」
として人の生命に対する権利の保護を国家に義務づけるが、水はすべての人間の生命にとって 不可欠であることからすれば、当然、人が自らの生存に必要な安全できれいな水の十分な供給 を得ることにつき、妨害されたり差別を受けたりしない権利を有することは自明となる10)。
また、社会権規約(ICESCR)は、すべての人に「相当な食糧、衣類及び住居を内容とする 相当な生活水準」についての権利(11条)、「到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享 受する権利」(12条)を認めており、国家はこれらの権利の完全な実現を「漸進的に達成」す ることを義務づけられている(同2条)。これらの規定が「水に対する権利」を内包するもの であることは、後に社会権規約委員会一般的意見15(2002)により明確化されている。すな わち、「水に対する権利」は、「十分な生活水準に対する権利」から生じ、国連人権規約(社 会権規約)12条1項に言う「到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利」や、
同規約11条1項において言及されている「相当な食糧、衣類及び住居を内容とする相当な生 活水準についての権利」に関連しているとして、権利の根拠を社会権規約の11条、12条に基 礎づけたのである。さらには、一般的意見15は踏み込んで、「水は有限の天然資源であり、
生命と健康にとって基本的な公共財である。水に対する人権は、人間の尊厳をもった生活を営 むのに不可欠である。」11)として、水に対する権利が基本的人権の根幹をなす権利であること、
また規範的内容(normative content)を有する権利であることも明確にしている12)。その後、
この一般的意見15は「水に対する権利」の法的定式化への重要な基盤となり、2005年には「水 に対する権利」をどのように実施・実現するか、国家や国際機関や市民社会向けに「飲料水の 供給と衛生に対する権利の実現についてのガイドライン案(Draft Guidelines for Realization of the right to drinking water and sanitation)」13)が作成され、更なる定式化への試みがなされたこ とは注目に値する。
さらに、女子差別撤廃条約(Convention on the Elimination of All Forms of Discrimination against Women (CEDAW))14) 14条2項には、農村女子に対して、とくに確保しなければなら ない権利の一つとして、(h)適当な生活条件(特に、住居、衛生、電力及び水の供給、運輸 並びに通信に関する条件)を享受する権利、を掲げている(下線筆者、以下本稿における下線 はすべて同様)。また、子どもの権利に関する条約(Convention on the Rights of the Child)15)
24条2項は、締約国が子どもに、到達可能な最高水準の健康を享受させること並びに病気の 治療及び健康の回復のための便宜を与えられることについての権利を確保し、そのため、子ど もが、「清潔な飲料水の供給を通じて、疾病及び栄養不良と戦うこと」や「衛生(環境衛生を
含む)・・についての情報を提供され、教育を受ける機会を有し及びその知識の使用について 支援されること」の確保を求めている。さらに、障害者の権利に関する条約(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)16) 28条2(a)は、「締約国は、社会的な保障についての障 害者の権利及び障害に基づく差別なしにこの権利を享受することについての障害者の権利を認 めるものとし、この権利の実現を保障し、及び促進するための適当な措置をとる。この措置に は(a) 障害者が清浄な水のサービスを利用する均等な機会を有」することを含むと規定する。
人権条約以外にも、「水に対する権利」を認め、その実現に関して国家に義務を課すものが ある。それは、水に関する国際法の規制、いわばInternational Water Lawの分野においてであ り、とくに1990年代に入り発展し、以降次第に顕著に見られるようになった現象である。以下、
詳述するように、Internatonal Water Lawは、国際河川における国境線や航行の問題を規律す る法から、国際河川の非航行的利用全般をも規律する法へと、さらには、国際河川に関する個 人・共同体のニーズや権利の保護についても射程に入れた法体系へと発展しつつあるのである。
歴史的には、水に対する国際法の規制は、決して新しいものではない。そもそも水資源の主 要な供給源である河川17)が国家の内水に留まる場合には国家が排他的管轄権を有し、航行の 問題を含めて何ら規制の必要などなかった。国家は、国際河川の場合であっても、その一部が 領域内に存する限り、内水であるから、絶対的領域主権(absolute territorial sovereignty)を有 するとされたのである18)。
しかし、河川が複数の国家の国境線となり又は複数の国家を貫流する場合には、この考え方 は現実的ではない。というのも、航行や国境画定に係る問題にとどまらず、その後、航行以外 の水利用の需要の増大とともに他国(とくに下流国)の水利用に係る需要の確保や河川全体に おける環境保護の必要性が認識され規律の必要性が生じていったためである19)。このことは、
まずは、1992年のUNECE(国連欧州経済委員会)による、欧州を中心とした地域に適用され
る国際河川や湖水の管理についての一般的な枠組みを定めた越境水路及び国際湖水の保護及び 利用に関する条約(The Convention on the Protection and Use of Transboundary Watercourses and International Lakes(以下、Water Convention)、ヘルシンキ条約)20)や1997年国際河川 における非航行的利用に関する条約(Convention on the Law of the Non-Navigational Uses of International Watercourses、以下Watercourses Convention)21)の採択として結実を見ることと なった。しかし、航行に関する法制度の発展に比して、非航行的利用についての国際社会での 法制度の発展は、まだ十分とは言えず、またその力点も依然として、あくまで、国際河川の利 用における国家の権利義務についての合意に置かれていた傾向は否めない。しかし、水資源の 利用について人権的な概念の含有も、「重要な人間のニーズ(vital human needs)」への言及や、
環境影響評価等への河川国国民の参加の確保など公衆の手続的権利の積極的認容といった形で
存在し、今日の「水に対する権利」の保護に至る発展の萌芽が見て取れるのである。
まず1992年のWater Conventionであるが、衡平かつ合理的利用の考慮における一つの原則
として、予防原則や汚染者負担原則とともに、「世代間衡平」の原則を掲げ(2条1項(c))22)、 少なくとも将来世代の「人間のニーズ」を満たすものでなければならないとの趣旨に立つ。また、
16条は公衆の情報アクセスについて、「河川国は、越境河川の状況、越境悪影響を防止、管理、
緩和するためにとられたか又はとられようとしている措置、当該措置の効果についての情報が 公衆に利用可能であるよう確保しなければならない。この目的のため、河川国は、(a)水質目標、
(b)モニタリングや環境影響評価の目的で実施される水や排水のサンプル採取の結果や、水質 目標や許可条件の遵守状況について検証した結果、を公衆に利用可能なものとしなければなら ない」(16条1項)とし、明らかに河川国国民の人権に基づく権利を認めている。
他方、後者、1997年のWatercourses Conventionは、国際河川の非航行的利用及び国際河川 とその水の保護、保全及び管理を規律するもので(1条)、その規律の基本にある原則は、「衡 平かつ合理的な利用(equitable and reasonable use)」(5条)及び「重大な損害の防止(prevention
of significant harm)」(7条)である。この条約自体は、依然として確かに非常に国家性の強い
ものであるが23)、衡平かつ合理的な利用を行う際に考慮されるべき事情として、「関係する河 川国の社会的及び経済的必要」(8条(b))や「各河川国における当該河川に依存している人口」
(同条(c))などを掲げており、これらには「人間のニーズ」にまで至る考慮の要求を含むも のと考え得る。また、河川の保護、保全及び管理について、「人の健康もしくは安全」に重大 な損害を生じさせ得る汚染についての対応についての義務が規定されており(21条1項)、対 処されるべき汚染の基準として「人の健康もしくは安全」を害するものであるとする点は、本 稿の観点からして注視すべき点である。さらに、最も明確には、10条において、国際河川の 利用に際して紛争が生じた場合には、特別の考慮が、人間の重要なニーズに対して払われなけ ればならない(with special regard being given to the requirements of vital human needs)とし て、様々な利用についての優劣は定めないとしながらも(10条1項)、「人間の重要なニーズ」
についての特別の考慮の必要性を明確にしており(10条2項)、この点もやはり本稿の観点か らして重要である24)。
前述のWater Conventionは、このWatercourses Conventionと若干の差異があっても、規律 理念や範囲はほぼ同一(衡平かつ合理的利用、損害防止、及び協力)とUNECE自身も考えて いるが25)、欧州という地域における取組みとしてスタートしたWater Conventionより、多数 国間条約として採択されたWatercourses Conventionの方が、条約文策定においても様々な制 約を受けたのは理解できる。Watercourses Convention には、Water Conventionが規定するよ うな世代間衡平の原則から導かれるところの、すなわちより根源的な理念としての「人間のニー
ズ」の確保や、また環境情報へのアクセス権を公衆が行使し得るよう確保する義務も規定され ていない26)。しかし、Watercourses Conventionは、それ以前に、国際河川や湖沼の非航行的 利用についての二つの大きな原則についての優先性についてなかなか合意できない状況にあっ たのであり、このことは1997年に採択されてからすでに17年が経った今日、漸く発効の目途 がついたことからも明らかである27)。本条約の発効に必要な批准数は僅か35か国であり、多 数国間条約の定める発効要件のハードルが高すぎたとは考えにくい。条約策定に主導的な役割 を果たしたStephen C. McCaffreyも、この理由の一つとして、同条約において河川国間の「衡 平かつ合理的な利用」を定める5条と「重大な損害の防止」について定める7条をめぐっての 優先性につき、大きな争いがあったことを指摘している。すなわち、国際河川の場合、上流国 と下流国という図式が必然的に存するが、例えば下流国の利用から影響を受けることのない上 流国は水利用につきより柔軟度の高い5条の優先性を主張し、他方で、上流国の利用次第で甚 大な悪影響を受ける可能性のある下流国は、水利用により制限的な7条の規定を重視した。同 条では、「水路国は、その領域において国際水路を利用するにあたり、他の水路国に重大な損
害(significant harm)を生じさせることを防止するためすべての適切な措置をとる」(1項)とし、
にもかかわらず重大な損害を生じせしめた場合には、「その損害を除去し緩和する」か、または、
「補償の問題」につき、適切な措置をとることを義務づけており(2項)、国際河川の水利用に ついて国際的レベルで環境保護義務を初めて定めた一般的規定とも言え、その意味で非常に画 期的な内容の規定であった28)。
その後、1992年Water Conventionには更なる発展が見られ、個人や共同体の水利用に関す
る国家の義務についての規定が不十分であるとして、水と健康に関する1999年議定書(Protocol on Water and Health to the 1992 Convention on the Protection and Use of Transboundary Watercourses and International Lakes)29)が 付 さ れ て い る し、 ま た、 近 年 次 々 に 国 際 河 川 や湖水に関して締結されている条約、すなわち2002年のセネガル川の水憲章(Charter of Water of the Senegal River)30)、2008年 の ニ ジ ェ ー ル 川 流 域 の 水 憲 章(Water Charter of the Niger Basin)31)、2013年のチャド湖流域の持続可能な管理に関する水憲章(Water Charter for Sustainable Management of Lake Chad Basin)32)などにも、すべて「水に対する権利」、あるい は少なくともその基盤である「人間のニーズ」又はより直接的に「人間の健康」に関する国家 の義務についての規定が存在している。
以下、前掲の条約等のうちいくつか内容を見てみたい。水と健康に関する1999年議定書は、
その目的を「国内、地域及び国際のあらゆる局面で、個人及び集団のいずれにおいても、持 続可能な開発の枠組みにおいて、水態系の保全など水管理の向上と水に起因する疾病の防止、
管理及び低減を通じて、人の健康や幸福を保護することを促進する」(1条)とするとともに、
締約国は、飲料水の質、排水の質、水供給や下水処理の実施に関する国家としての、あるいは 国内の各地域における目標を定め、水起因の疾病の発生や事件を低減させることを義務づけら れている(6条)。とくに強調されているのは、飲料水にアクセスするあらゆる人の権利(access to drinking water for everyone)と衛生的な環境を与えられるあらゆる人の権利(provision of
sanitation for everyone)であり、人間の健康と水の生態系の保護を目的とする点である(6条
1項)。また議定書は、議定書が拠って立つべき原則として、予防原則、汚染者負担原則、領 域使用の管理責任原則(ただしストックホルム宣言やリオ宣言において規定されている「領域 使用の管理責任」の拡大版)33)、世代間衡平の原則、費用対効果の観点からの防止的措置の重 要性、水資源管理の水源での対応、水使用における経済的手法や教育の重要性、公衆が水と健 康に関する情報へアクセスすること及び政策決定への参加の保障、統合的な管理体制、水起因 の疾病に脆弱な人々への特別の配慮、質の点でも量の点でも差別なく衡平なアクセスができる こと、水資源の保護は国内のあらゆるレベルでも取組むべきこと、とくに地域のニーズや知識 に適切な考慮が払われるべきこと(5条(a)(- n))など、達成すべき義務の内容を詳細に明ら かにしている。
また、セネガル川水憲章4条は、セネガル川の水利用に関して、流域国国民の「健康によい 水に対する基本的人権」の観点からなされることが原則であることを明記している34)。
さらに、ニジェール川流域の水憲章もその前文で個人の水へのアクセスは基本的人権である ことを考慮するとし(Considérant le droit fondamental pour chaque individu d’accès à l’eau)(前 文5項)、さらに、「水に対する権利(droit à l’eau)」とはすべての人が十分で、物理的かつ安 価にアクセス可能でかつ、個人や家庭での使用にとって適した質の水に対する権利を有するこ とであると定義し(1条(11))35)、そのような使用を確保するため国家がとる行動については、
一般的な行動規範である参加の原則及び衡平かつ合理的な利用の原則の適用において例外的に 特別の考慮が払われなければならないこと(4条)36)、また河川の使用について流域国は負担 をしなければならないが、それは応分の負担でよく、逆に「水に対する権利」が保障される限 度においてでなければならないこと(9条)37)、など流域国国民や共同体の「水に対する権利」
の保護を基本とし、それを阻害することのないよう流域国間の河川利用のシステムの構築が行 われていることは、地域条約ながら「水に対する権利」の定式化にとって、極めて重要な先例 的意義を有すると言ってよいであろう38)。
このように、いわゆる人権条約ではない、International Water Lawの分野においても、重要 な変化が見て取れるのである。初期の段階では、それは①水、すなわち河川の最も伝統的な利 用である「航行」や、国境線となっている河川について国境画定の問題としてルールが必要と されるに過ぎなかった。しかし、その後、②水利用の多様化が進み、同時に環境保護の必要性
が認識される中で、かつて提唱されたような国家の絶対的領域主権の考え方は受け入れられず むしろ制限の方向に進み、流域河川国における「利益共同体」の認識の下に、「衡平かつ合理 的な利用」の原則及び損害防止の原則が定式化されていった。また、1990年代に入ると1992 年、地球サミットが開催され更なる環境保護の認識の高まりの中で、「人間のニーズ(human needs)」への言及もなされるようになった。さらには、③Water Conventionの1999年議定書 に象徴的なように、International Water Lawの分野としても、直接「水に対する権利」(飲料 水にアクセスするあらゆる人の権利(access to drinking water for everyone)と衛生的な環境 を与えられるあらゆる人の権利(provision of sanitation for everyone))の保護を国家に義務づ ける動きも出てきた。
このような人権条約及びInternational Water Lawの分野での発展の経緯を踏まえ、今日「水 に対する権利」がどのように位置づけられているのかにつき、以下、近年の国連での議論や検 討の状況を概観する。
1. 2 水に対する権利の人権としての定式化と特別報告者による検討
国連人権理事会は、2008年、特別報告者として、カタリーナ・ド・アルバカーキ(Catarina de Albuquerque) を 任 命 し、 安 全 な 飲 料 水 と 公 衆 衛 生 に 対 す る 人 権(human right to safe drinking water and sanitation)についての報告を求めた39)。カタリーナ・ド・アルバカーキは、
国際社会で生じている水不足の状況について、「18億人の人が、安全な水へアクセスできない 状態にあり、125 億人の人がトイレや、汚物タンク、下水管その他の設備による公衆衛生環境 になく、いまだに11億人は野外排便を行っている」現状について指摘するとともに、「水に 対する権利」の定式化についての提言を行った40)。2009年2月、アルバカーキは最初の報告 書を人権理事会に提出し、これを受けて、2009年10月人権理事会は、決議12/8を採択、飲 料水のみならず、公衆衛生についてもavailability, quality, physical accessibility, affordability、
acceptabilityなど飲料水について求められてきた要素と同様の要素を満たす内容の公衆衛生へ
のアクセスが人権として認められるべきことについて認識したことを明らかにした41)。 そうした流れの中で、2010年7月28日、水と衛生に対する権利に関する国連総会決議
(64/292)42)は、「安全できれいな飲料水と衛生に対する権利」は、生命とあらゆる人権の完
全な享受にとって不可欠であることを認め(Recognizes the right to safe and clean drinking water and sanitation as a human right that is essential for the full enjoyment of life and all human
rights)」(para.1)、国家や国際組織に対して、とくに、発展途上国に対して、すべての人に対
し安全で、きれいな、かつアクセス可能で、また安価な飲料水及び衛生(safe, clean, accessible and affordable drinking water and sanitation for all)を提供させる努力を高めるため、財政資源、
キャパシティ・ビルディング、および技術移転を進めることを要請した(para.2)。この国連決 議は、初めて、「水に対する権利」を人権として認めたものとして、国際社会においても高く 評価されている。
人権理事会もまたこの直後、2010年9月、決議15/9を採択し、同国連総会決議を支持し、
「水と衛生に対する権利」は国際法の一部であり法的拘束力を有することを確認した上で、国 家に対し、これらの権利についての国家としての義務の完全な実現を漸進的に達成するための 手法を構築するよう、要請するとするとして(para.2,3,6,8(a))、「水と衛生に対する権利」の 具体的実現へ向けた行動を求めた43)。
2013年12月18日、国連はさらに、「安全な飲料水と衛生に関する人権」と題する決議
(68/157)44)を採択し、前述の「安全できれいな飲料水と衛生に対する権利」は、生命とあらゆ
る人権の完全な享受にとって不可欠である」との認識を再確認(Reaffirms)した(para.1)。そ の上で、国連の生命に対する水の10年(2005-2015)の試みの終了後、すなわち、2015年以降も、
人権の促進と保護のためのアプローチを考える上で、安全に飲料水と衛生に対する人権に適切 な考慮が払われる必要性を認識し(para.2)、国家に対して以下のことを要請した(para.6)。
(a)安全な飲料水と衛生に対する人権の漸進的実現(progressive realization)を確保すること
(b)安全な飲料水に対する人権の実現の状況について、継続的にモニターし、また分析する こと(本項のみ、「飲料水」に限定されていることに留意、二重下線及び注釈筆者)
(c) 2015年以降の発展計画を策定する上で、安全な飲料水と衛生に対する人権、および平等
と無差別の無原則に対して、適切に考慮を払うこと
(d)安全な飲料水と衛生に対する権利の漸進的実現を確保するために、アクセスに関する不 平等を除去しなければならないこと(その不平等には、脆弱かつ限界に置かれている集 団に属する個人も含み、人種、性別、年齢、障害、民族、文化、宗教、国籍又はsocial
origin 又はいかなる他の理由に基づくものも、農村・都市の格差や、スラムでの居住、
所得水準、他の関連する考慮に基づく不平等もある)
(e)安全な飲料水と衛生に対する持続可能なアクセスを確保するための十分な解決策につい て共同体と協議すること
(f)あらゆる水と衛生のサービス提供者に対し、人権を尊重し人権侵害や濫用が生じないよ う確保するための、実効的な責任体制を規定すること
そして、国家が、あらゆる人権の完全な実現を確保し、とりわけ経済的および技術的な面で の個別および国際的な支援・協力を通じて、その利用可能な資源を最大限に活用し、安全な飲 料水と衛生に対する権利の完全な実現を漸進的に達成する観点から、立法措置をとることを含 み、手段を講ずる努力をする第一義的責任(States have the primary responsibility to ensure the
full realization of all human rights and to endeavour to take steps)を有していることを再確認す るとした(para.9)。
以上を受け、今日では、水に対する権利は、少なくとも、その質や十分さについて、以下の ような諸要素、すなわち、利用可能性(availability)、質、アクセス可能性(accessibility)の 要素を満たさなければならないと考えられるようになった。その内容は、2002年の一般的意 見15において詳細に定式化され、現在も踏襲されている45)。すなわち、
① 利用可能性(availability)・・飲用、下水設備、衣服の洗濯、食物の準備、個人及び家庭 の衛生に利用可能であること
② 質・・安全でなければならず、従って、人の健康にとって脅威となる微生物、化学物質 及び放射性危険物のないものでなければならない。さらに、水は、個人又は家庭内での 使用にとって受け入れられる色、におい及び味のものでなければならない。
③ アクセス可能性(accessibility)
(a)物理的・・十分かつ安全で受け入れられる水が、各家庭、教育施設及び職場の中又 はその直近でアクセス可能であること
(b)経済的に安価であること
(c)差別を受けることなくアクセスできること
(d)アクセス可能性についての情報を入手できること
と解されるようになっている。このような要素とその構成からみれば、「水に対する権利」
の内容は具体化され、かなり詳細な定式化が進んでいるものと言えよう。
1. 3 国際紛争処理の諸事例に見る水に対する権利への発展
本稿の観点からは、何らかの形で「水」に係る国際紛争の司法的解決・準司法的解決において、
「水に対する権利」の認識へ向かう重要な発展が見られることについても指摘する必要がある。
水に関する国際法のルールがそうであったように、水に係る国際紛争もまた、歴史的に見れ ば決して新しいものではない。すでに述べたように、そもそも水資源の主要な供給源である河 川が国家の内水に留まる場合には、少なくとも当該部分の水利用に関する限り(絶対的領域主 権の法理に従えば)国家が排他的管轄権を有し、航行の問題を含めて何ら紛争の起きる余地な どないはずであった。しかし、実際には、河川が複数の国家の国境線となり又は複数の国家を 貫流する場合に国家間紛争が生ずることは少なくはなかったのである。まずは、国境線や航行 の問題に関する紛争が、またやがて航行以外の水利用の需要や環境保護の必要性が高まる中、
河川の利用一般に対する紛争が発生してきた。
「 利 益 共 同 体 」 の 法 理 を ベ ー ス と し、「 衡 平 か つ 合 理 的 な 利 用 」 及 び「 損 害 発 生 の 防
止」の原則を中核とし「重要な人間のニーズ」についての実現の要求を盛り込んだ1997年
Watercourses Conventionが採択されたまさに同じ年に、国際河川の水利用に係る重要な国際
裁判判決(Gabčíkovo-Nagymaros Project (Hungary/Slovakia))46)が下され、後述するように、
その中でもやはり、非航行的利用についての「利益共同体」を確認した重要な判断がなされた
ことは、International Water Lawの発展と国際河川に関する判例の発展が、ほぼ同時並行的な
発展を遂げてきたことの重要な証左である47)。
さらに1999年水と健康に関する議定書及びそれ以降の地域条約に顕著であるように、
International Water Lawの分野でも、水資源の活用について、人権的な観点の基盤となる「人
間のニーズ」の担保や「水に対する権利」を取り込む動きが出てきたが、これは、今日、外国 私企業による投資の場面で又は気候変動などに脆弱な個人や共同体の救済の訴えの場面で起き つつある「水に対する権利」の援用(援用可能性)と密接に連動しているように思われる。
以下、水に関する権利についての国際判例が発展してきている状況を個別的に検討する。
1. 3. 1 「利益共同体」の認識と当事国間での協議に基づく解決策の模索の提案
水を巡る紛争は歴史的には古くから、しかも少なからず存在する。古典的には、領域主権や 国際河川の航行の自由に関する国家の権利の侵害に関して、国家間の紛争として扱われた。し かし、オーデル川国際河川委員会事件以降の諸判例に見るように、必ずしも単に国境線の画定 や航行の権利の有無の問題としてのみ扱われてはおらず、紛争当事国を含む流域一帯における
「利益共同体(community of interest)」の存在を前提として、あるいは明確に指摘し、根本的な 問題解決のため協議を行うことを提案するという傾向がみられることが、本稿の観点からして 重要である。
その国家間紛争としての性質上、紛争処理も、常設国際司法裁判所(PCIJ)や国際司法裁 判所(ICJ)、常設仲裁裁判所(PCA)、その他仲裁裁判所などにおいて行われてきており、判 例の蓄積もあるため、以下その中から注目すべきものについて簡略に指摘したい。なお、貿 易関連では、WTOやNAFTAの紛争処理メカニズム、南米南部共同市場(メルコスール
(MERCOSUR:Mercado Común del Sur))などが水利用に係る紛争処理を直接又は間接の目
的とした形で利用される可能性も今後は増えていくと思われる48)。
(1)常設国際司法裁判所及び国際司法裁判所の判例
①オーデル川国際河川委員会事件
国際河川の航行を巡る紛争のリーディングケースの1つである、オーデル川国際河川委 員会事件(Case Relating to the Territorial Jurisdiction of the International Commission of the
Oder River)49)では、国際河川における水利用の在り方についての判断が示された。同河川
の管理運営については、ポーランド、ロシア、チェコスロヴァキア、英、仏、デンマーク、
スウェーデンなどが締結したベルサイユ条約によって設置された国際河川委員会により規律 されていたが、ポーランドが自国を貫流する部分についての他国の船舶の航行を拒否したこ とが、条約に反するかどうかが争われた。ベルサイユ条約331条は、オーデル川及びその支 流のあらゆる航行可能な部分について、複数の国家に海へのアクセスを可能にする河川につ き、「国際河川」としていた。しかし、ポーランドは、オーデル川の2つの支流(ナイセ川、
ヴァルタ川)については、ポーランド領域内に存在し、ポーランド1国のみに海へのアクセ スを可能にするものであって、同条約331条の定義には当てはまらないと反論した。しかし、
PCIJは、解決は上流国に有利な航行権という観点からではなく、河川流域国は「利益共同
体(community of interest)」であるという観点から模索されるべきとし、すべての河川流域
国の平等な権利を認めて50)、ポーランドの主張を退けた。
②ミューズ河事件
ミューズ河事件(Diversion of Water from the Meuse)51)では、オランダとベルギーが、ミュー ズ河からの取水により交通手段として航行可能な運河を運営していたが、石炭産業の発展に 必要な工業用水のさらなる取水について、両国ともに十分な取水ができなくなったとして紛 争が付託されたものである。判決は、ミューズ河からの取水については、両国間に1863年 条約があり、同条約に反するものではないとした。こうして本事件においては、オーデル川 国際河川委員会事件判決と対照的に、判決が条約の解釈に終始したため52)、オランダとベ ルギーの過剰取水や取水競争の問題は根本的には解決されないままとなった。両国を含む流 域国は改めて環境問題を含め、2002年ミューズ河条約の採択に至っている53)。
③ガブチコヴォ・ナジマロシュ計画事件
ガ ブ チ コ ヴ ォ・ ナ ジ マ ロ シ ュ 計 画 事 件(Gabčíkovo-Nagymaros Project (Hungary/
Slovakia))54)では、直接的には、ハンガリーとスロヴァキアが締結した1977年条約の解釈に
よって、判断がなされた。すなわち、同条約では、両国間の国境の一部ともなっているダニュー ブ河に2つのダムを建設し(1つは当時分離独立前のチェコスロヴァキア領内に位置するガ ブチコヴォ、他の1つはそれより下流のハンガリーに位置するナジマロシュにおけるダム建 設)、それらのダムの統合的な稼働により水利用を図るとしたものであった。ハンガリーは 国内で環境保護の観点から反対運動が高まったため、自国に建設すると合意したダム建設を 中止したところ、チェコスロヴァキアは、自国領内のガブチコヴォにダム(条約で合意した 計画を一部修正したヴァリアントCとされるもの)を建設し、そして、ダニューブ河の水 を一方的に分流させ又当該ダムを稼働させた。紛争はICJに付託され、ICJはハンガリーが 条約に基づく計画事業を停止・放棄したことを違法と認定し、またスロヴァキアが自国領域
内にヴァリアントCを建設する権限はあるが、それを稼働させるため一方的にダニューブ 河の水を分流させた行為については条約に反する旨判示した。
本稿の観点からとくに注目すべきは、この判決において、以降の最終的な問題解決のため
「協議」するよう促された点である。すなわち、ICJは、
「これらの問題について最終的な解決がどのようなものであるべきかについて、裁判所 は判断しない。共同かつ統合的な方法で追求されなければならない1977年条約の目的 及び国際環境法や国際水路に関する国際法の諸原則の規範を考慮に入れ、解決を見出 すのは、当事国自身である。・・・本件において1969年ウィーン条約26条に規定され ている、いわゆる「合意は拘束する(pacta sunt servanda)」の法によって要求されて いるのは当事国が、条約の協力的な文脈において(within the co-operative context of the
Treaty)、解決策を見出すという点にこそある」55)
として、両国が以降ダム開発及び運用をどのように実施するのかにつき、いわば「利益共 同体」としての自覚を持ち(オーデル川国際河川委員会事件判決への言及、前記注55参照)、 協議に入ることの必要性を強く示唆した。
④国境紛争
ICJは、水に関係する紛争を国境紛争としてもいくつか扱っている。
カシキリ/セドゥドゥ島事件(ボツワナ/ナミビア)(Case concerning Kasikili/Sedudu Island (Botswana/Namibia))56)、カメルーンとナイジェリアの間の領土及び海洋境界事件
(Land and Maritime Boundary between Cameroon and Nigeria (Cameroon v. Nigeria:
Equatorial Guinea intervening))57)、国境紛争事件(ベニン/ニジェール)(Frontier Dispute
(Benin/Niger))58)、コスタリカとニカラグアの航行その他の権利に関する紛争事件(Case
concerning the Dispute regarding Navigational and Related Rights (Costa Rica v.
Nicaragua))59)などであるが、これらは基本的には国境紛争であるが(シャゾンヌによれば、
根底に国境紛争があり、それが経済や貿易の側面での紛争として顕在化しているような事例 は少なくなく、コスタリカとニカラグアの事例はこれに該当するという、前記注59参照)、 いずれの事案にも河川が関係し、水利用に関する紛争が絡んでいる。
前掲の判例のうち、コスタリカとニカラグアの航行その他の権利に関する紛争事件にお いて、ICJはサン・フアン川(San Juan River)で河川のコスタリカ側の流域住民により慣行 として行われてきた漁業活動は、権利であること(para.141)、ただし河川を航行し又は河 川に停泊する船舶から漁業活動を行う権利までを意味するものでないこと(para.143)を認 めた。こうして、本判決は、河川の領有権がニカラグアにあることは既定の事実としつつも
(1858年条約)、そのことからコスタリカが同条約上認められていた航行権が軽んじられる
べきではない(A simple reading of Article VI shows that the Parties did not intend to establish any hierarchy as between Nicaragua’s sovereignty over the river and Costa Rica’s right of free navigation, characterized as “perpetual”(para.48))として、コスタリカの航行権、とくに商 業・輸送目的での航行権を明確に認めた他、それ以外にも河川のコスタリカ側の流域住民の 慣行として行われてきた漁業権を認めたという点において、まさに「利益共同体」の認識を ベースとした、ある意味で画期的な判決と言える60)。
事実、コスタリカとニカラグアの紛争の本質が、単に航行や漁業権等の問題ではなかった ことは、現在、両国間で起きている紛争の実態に鑑みれば明らかである。すなわち、コスタ リカは、ニカラグアを相手として、サン・フアン川の利用に関して再びICJに紛争を付託し(具 体的にはニカラグアによる運河の建設や浚渫活動によるコスタリカ領域、とくに熱帯林や湿 地帯への悪影響)、訴訟係属中である61)。他方で、ニカラグアは、コスタリカを相手として、
同河川の利用に関して(同河川流域の湿地帯へ悪影響を及ぼす道路建設へのコスタリカに よる一方的着手について)、ICJに別途紛争を付託した62)。この2つの紛争は、現在併合さ れているが、これらのことからしても、当初ICJに係属した紛争(航行権その他の権利に関す る紛争)の中に、潜在的に国境紛争、すなわちサン・フアン川のより一般的な水利用に係る紛 争が隠れており、本質的な解決は、結局のところ、まずは、少なくとも「利益共同体」の認 識に基づくその水利用全般の解決まで達しなければ得られないということが明らかである。
⑤ウルグアイ河パルプ工場事件
ウルグアイ河パルプ工場事件(Pulp Mills on the River Uruguay (Argentina v. Uruguay))63)
は、本稿の観点からして、極めて重要な判例である。この事件は、ラプラタ川の支流である 両国の国境線ともなっているウルグアイ河に隣接して建設されたパルプ工場(ウルグアイ領 内のフライベントスという町に所在)から有害化学廃棄物が河川に排出され、アルゼンチン がその環境損害を問題としてICJに提訴していたものである。ICJは、環境損害についての証 拠が示されていないとしてアルゼンチンのウルグアイに対する損害賠償請求については退け たが(paras.265, 282(2))、両国の間に締結されていた河川の水利用に関する条約(1975年 ウルグアイ河水質保全条約)に従い、協議しなかった点につき、ウルグアイの条約義務違反
を認め(paras.149, 282(1))、河川流域国が、共有河川の最適な利用ができるよう協議・協力
する義務の重要性について強調した。さらに、本事件においてICJは、1975年規程に基づ き設置されているウルグアイ河川管理委員会(CARU)を通じて、すでに実質的な意味での
「利益共同体」(a real community of interests)が創設されており、本事案に至るまでは、司 法的な紛争解決に訴えることなく、両国の協力体制は機能していたことにつき、最後に付言 されている点は、本稿の観点からして極めて重要である。ICJは、こうして、両国間に「利
益共同体」がすでに存在するとの認識を前提として、共有資源の扱いにつき、国境を超える 重大な悪影響が生じるおそれのある場合に「環境影響評価」を行うことは、今日では一般国 際法上の要請であるとする(para. 204)。しかしながら、判決は、同時に、「環境影響評価」
の内容までを規律する一般国際法はないとしており(para. 205)、とすれば、そうした内容は、
最終的にはやはり(いわば原点に戻って)「利益共同体」を前提とした協力体制(ここでは CARUを通じた体制)に委ねられるべきということであると思われる(たとえば、ongoing monitoring of an industrial facility, such as the Orion (Botnia) millなどが具体的に期待されて いる。(para.281))。
(2)国際仲裁裁判の判例
仲裁裁判の判例にも、「水に対する権利」への発展に至る重要な痕跡が見られる。とくに、
今日、投資紛争との関連では常設仲裁裁判所の利用もなされることから、その判例としての 重要性はさらに高まっている。リーディングケースとしては、以下に示すようにラヌー湖事 件があり、また近年のインダス川のダム建設を巡るインドとパキスタンの水利用紛争につい ても注目されるべき判断がなされている。
①ラヌー湖事件
ラヌー湖事件(Lake Lanoux Arbitration (France v. Spain))64)は、フランスが、水力発電の ためラヌー湖の水を自国領内を流れるアリエージュ川に転流して発電に利用し、利用後の水 をトンネルを通じて両国を貫流するキャロル川に返還することとしていた。しかし、スペイ ンは、計画の実施につき反対し、この計画がキャロル川流域の自然状態に悪影響を与える可 能性があるにもかかわらず、両国の事前合意なく実施されることは両国間の水利用につい て規定する1866年バイヨンヌ条約及び追加議定書に反すると主張して、仲裁付託された事 件である。判決は、フランスの事業は条約違反には該当しないとしたが、ただし、両国間 での協議・交渉の義務は、信義則(principle of good faith)に基づき単に形式であってはならな いことにつき言明し、義務不履行となり得る「形式的」協議の具体的内容にまで踏み込み 列挙するに至っている(sanctions can be applied in the event, for example, of an unjustified breaking off of the discussions, abnormal delay, disregard of the agreed procedures, systematic refusals... and, more generally, in cases of violation of the rules of good faith)。こうして裁判所 は、関連する様々な利益を考慮し、自国と他の河川国との利益を調整するための協議・交渉 の義務の重要性を強調しており(para.11, 22)、本判決が、河川流域国が「利益共同体」であ ることを前提とした判決であることは明らかである。
②インダス川キシャンガンガプロジェクト事件
イ ン ダ ス 川 キ シ ャ ン ガ ン ガ プ ロ ジ ェ ク ト 事 件(Indus Waters Kishenganga Arbitration
(Pakistan v. India))65)は、インダス川流域で計画された水力発電に関する紛争である。イン ドとパキスタンは、1960年にインダス川の水利用に関する条約を締結していた。その後、
インドのダム建設が問題となり、たとえばインダスの支流の1つであるチェナブ川につい ては投資紛争解決国際センター(International Centre for Settlement of Investment Disputes;
ICSID)による仲裁解決が図られていた。インドのダム建設は、カシミール地方でも問題と
なり、パキスタンは、インドが、キシャンガンガ川の分流を行ったことが、1960年条約に 反するとして、2010年PCAに基づく仲裁判断を求めた。2013年の中間判決で、仲裁裁判所は、
インドのダム建設は、条約が認めたプロジェクトの一環として許容されるが、インドは水流 のレベルを一定に維持する義務があり、そのレベルについては、最終判決で決定されるとし た。本稿の観点から重要なのは、ダム建設自体は肯定されつつも、その運用についての基準 設定の必要性を示している点である。本件では、それは裁判所が決定するとされたが、通常 であれば、当然、両国間での協議によって、そのような基準が設定されなければならないの であって、したがって、ここでも、紛争の解決のためには、結局「協議」が不可欠であるこ とが見て取れる。
1. 3. 2 「人間のニーズ(human needs)」及び「水に対する権利」への言及
本来国家間の紛争であれば、紛争当事国間の権利義務に係る国際法(とくに関連する諸条約)
の解釈適用による司法判断がなされるのが通常であるが、裁判所が、個人や共同体の利益が損 なわれるという理由で、つまりは「人間のニーズ(human needs)」の観点から判断を下すとい うこともなくはない。例えば、カシキリ/セドゥドゥ島事件では、明確に「人間のニーズ」に 対する考慮への言及がなされたし(Kasikili/Sedudu Island case, para.102)、またそれに先立ち、
ラヌー湖事件やガブチコヴォ・ナジマロシュ計画事件でも同様の趣旨の判断根拠が示されてい た。前者の事件で、還流後の河川の水量につき問題がないことが確認されたことは(at lowest water level, the volume of the surplus waters of the Carol, at the boundary, will at no time suffer a
diminution)、明らかに「人間のニーズ」についての考慮であると考えられる66)。ガブチコヴォ・
ナジマロシュ計画事件でも、また、ダニューブ河の下流にあるハンガリーの首都ブダペストの 飲料水の確保の観点(人間のニーズ)から、水量の減少につき検討がなされた他(Gabčíkovo- Nagymaros Project case, para.55)、ヴィラマントリー判事の個別意見には「環境損害はあらゆ る人権への侵害を生じせしめる」として、「人間のニーズ」よりもより明確に、人権的な観点 からの判断の必要性が示唆されている(「水に対する権利」への直接の言及はないものの、「健 康権」や「生命に対する権利」には言及しており、含意されているのは自明であると言えよ う)67)。
さらには、「人間のニーズ」や「水に対する権利」に依拠した司法判断は、地域条約や人権 条約によって設置された人権裁判所及び人権委員会や、ICSIDとNAFTAの11章に基づく解 決の場では、むしろ顕著となりつつある。個人や共同体が直接救済を求める場合はもちろん、
そうでなくても、損害が個人や共同体に密接にかかわる場合、その根拠として援用し、司法機 関及び準司法機関において考慮される。また、これらの諸機関では、個人に訴訟参加の権利が 与えられるといったことも見られる。
とくにICSIDの場合、国際投資がなされた場合の紛争処理を排他的にICSIDのフォーラム
で処理するという考え方が強く、今日、多くの水利用に関する紛争がICSIDの紛争処理手続 きに係属している68)。たとえば、Compañiá de Aguas del Aconquija S.A. and Vivendi Universal S.A.((formerly Compañía de Aguas del Aconquija, S.A. and Compagnie Générale des Eaux) v.
Argentine Republic事件69)、Suez, Sociedad General de Aguas de Barcelona S.A., and Vivendi Universal (formerly Aguas Argentinas, S.A., Suez, Sociedad General de Aguas de Barcelona, S.A.and Vivendi Universal) v. Argentine Republic 事件70)、Zhinvali Development Ltd v. Republic of Georgia事件71)、Azurix Corp. v. The Argentine Republic事件72)、Biwater Gauff (Tanzania)Ltd. v.
United Republic of Tanzania事件73)、Impregilo S.p.A. v. Argentine Republic事件74)、SAUR International v Argentina事件75)、Aguas del Tunari, S.A. v. Republic of Bolivia事件76)、などで ある77)。
このうち、Aguas el Tunari, S.A. v. Republic of Bolivia事件は、水資源に対する汚染について、
人々の関心が一気に高まった1つの象徴的な事件であった。この事件は、いわゆるボリビアの 一都市であるコチャバンバ(Cochabamba)の水利用に関する紛争である。ボリビアでは、そ れまで水道事業は公営であり、 SEMAPA(公営水道会社)が担っていたが、世界銀行の指導 の下民営化されることとなった。ボリビア政府は、米国のBechtel 社および現地の子会社で あるAguas del Tunari, S.A.(AdT)とコンセッションを結び、水道事業を委託したが、この事業 によって、コチャバンバの水道料金が高騰し、ついに2000年、激しいデモ活動を巻き起こし た78)。ボリビア政府は当初武力でこれを鎮圧しようとしたが、抑えきれず、最終的にAguas
del Tunari, S.A.(AdT)は撤退を余儀なくされ、その後、水道事業は再び公営となった。
とくに途上国における水道事業の民営化は、安全な飲料水と衛生に対する権利を実現するた めに、先進国で培われてきた技術移転を伴うという点でも、有意義である。しかし、他方、そ のために、水道料金が高騰し、かえって人々の水へのアクセスを阻害したり、また開発に伴い 水質悪化をもたらしたりするなどの弊害が生ずることもある。コチャバンバの事例は、このこ とを示す典型的な事例であると言ってよいだろう79)。
この紛争解決に当たり、ICSIDは、ボリビア政府が公衆の水へのアクセスを保障しなかっ
たことについて注目した。ICSIDが当該紛争について管轄権を認めた後、Aguas del Tunari, S.A.(AdT)社とボリビア政府は本案判決の回避のために協定を締結、同社が事業から撤退し たため訴訟は終了してしまったが、その過程の中で、ICSIDが、NGOからの要請を受け公衆の 水へのアクセスについてのNGOの訴訟参加の可否を判断したことは、それがたとえ消極的な 判断であったとしても本稿の観点からして非常に重要である80)。つまり、本案判決には至っ ていないため、「水に対する権利」が、明確に認められていたとは言えないが、前述のとおり、
「水に対する権利」の要素の一部である「水へのアクセス」について重視し、当時ICSIDとし て制度的に存在しないNGOからの訴訟参加の要請についても検討したのであり、さらにはこ の先例がきっかけとなってその後の制度化への途を開いたのであるから、したがって、このコ チャバンバ事件当時においても、実質上公衆の「水に対する権利」の存在が認識されていたと 言ってよいだろう。
確かにその後、前掲の事例の中でもSuez, Sociedad General de Aguas de Barcelona S.A., and Vivendi Universal v. Argentine Republic 事件、Biwater Gauff (Tanzania) Ltd. v. United Republic
of Tanzania事件などにおいて同様の傾向がより明白な形で見られており、こうして、投資紛
争解決の場においても、単に投資受入国と投資会社との間のコンセッション契約上の違反の有 無に留まらず、投資受入国における公衆の「水へのアクセス」が保障されていたのかという観 点、すなわち、「水に対する権利」への侵害がなかったのかという観点から、投資受入国の行 為の違法性の有無が判断されつつあることが重要である。
1. 3. 3 司法的救済を得る手段としての「水に対する権利」の行使の可能性
「水に対する権利」が、実際に訴訟で援用され、司法的救済を得る手段となり得る権利性を 持ちうるのか、ひいては水に対する権利の実効性があるのかが、本稿の観点、すなわち環境保 護実現のための「人権法アプローチ」として機能しうるのかという観点から、とくに重要であ る。国家による「水に対する権利」の実現を待つのではなく、個人や共同体が、当該権利に基 づく個別の救済を求め、権利実現を図れるのであれば、それが究極的に環境保護の実現に資す るのは疑いがないであろう81)。近年では、この点についても発展が見られることにつき述べる。
水に対する権利について詳細に分析した、ボアソン・ド・シャゾンヌによれば、水の権利 を援用することは、「水の利用に関する一般的な合理化のための手段ではなく、個人的又は国 内的なニーズを満たすことに関連して、特別の利用が正当化されるための要求に関連してい る」82)ということである。
もしその通りであるとすれば、水に対する権利は、具体的な権利侵害を受けた個人や共同体 により水に関する紛争において援用されるということになるだろう。実際に、アフリカ人権委
員会、米州人権委員会及び米州人権裁判所においては水に対するアクセスや既存の人権との関 連についての判断が出始めている。この傾向は、とくに、先住民の問題としてクローズアップ されている83)。
(1)先住民の「水に対する権利」
①サクマック・カセク先住民族対パラグアイ事件
2010年 の サ ク マ ッ ク・ カ セ ク 先 住 民 族 対 パ ラ グ ア イ(Case of the Xákmok Kásek Indigenous Community v. Paraguay)事件84)では、米州人権裁判所は、水へのアクセスを 尊厳ある存在に対する権利(right to a decent existence)の一部であるとし(その他、食糧 に対する権利、健康権、教育を受ける権利などがこの権利を構成するとする(paras. 194- 213))、そして、「裁判所は、パラグアイによってとられた措置は、・・サクマック・カセク先 住民族の共同体の構成員に、十分な量と質の水を与えるものとは言い難く、したがって、共 同体の構成員は危険や病気にさらされてきた」(para. 196)と述べた。なお、このように判 断する際、裁判所が、「十分な量と質の水」について、国際的な基準(社会権規約委員会一 般的意見15において要請されている利用可能性・質・アクセス可能性の要件及びWHOの ガイドラインによる基準)に照らして判断している点は注目に値する。確かに先住民の「水 に対する権利」はその性質上、国際社会における一般的な「水に対する権利」と必ずしも同 一視されるべきでないとしても(注83参照)、本判決においては、あくまで国際的な基準に 照らして同権利の侵害の存否を判断しており、この点に限って言えば「先住民」としての立 場への特別な考慮はとくに示されていない。したがって、この事例は、「水に対する権利」
の国際的な発展を示す一例であると位置づけてよいであろう。判決は、例えば「量」につい て、国際的な基準からすれば、1人あたり1日最低でも7.5リットルの量が確保されなけれ ばならないところ、サマセック・カセクの先住民らには多くても2.17リットルしか供給さ れていないことなどからほぼ自動的にパラグアイのこの点での義務違反を認定しているので ある(para.195 and note 214)。
② Centre for Minority Rights Development (Kenya) and Minority Rights Group International on behalf of Endorois Welfare Council v. Kenya 事件
ま た、 ア フ リ カ 人 権 委 員 会 は、Centre for Minority Rights Development (Kenya) and Minority Rights Group International on behalf of Endorois Welfare Council v. Kenya事件85)で、
水へのアクセスの権利について、重要な認識を示した。本事案は、1970年代、ケニア政府 が同国内のリフトバレーのボゴニア湖地域を動物保護区(the Game Reserve)に指定し、同 地域で生活を営んでいた先住民族のエンドロ族(the Endorois、約6万人の構成員からなる 共同体)が、立ち退き等を求められたことに端を発する。当初ケニア政府は相応の補償を約
束していたが、その後、ほとんど実行されず、また国内裁判所もケニア政府の立場を支持し たため、「人及び人民の権利に関するアフリカ憲章」に基づき設置されているアフリカ人権 委員会に訴えがなされたものである。アフリカ人権委員会は、保護区の外側の半乾燥地域 への立ち退きを余儀なくされたエンドロ族につき、その多くが同地域への立ち入りを禁じ られ伝統的な水源へのアクセスを奪われ(para.286)、その結果、きれいな飲料水へのアク セスも失われたとの事実を認定した(para.288)。こうした水へのアクセスの権利について は、主として発展の権利への侵害の文脈で検討され(人及び人民の権利に関するアフリカ憲 章22条違反)、また同時にケニア政府が、保護区設置の決定及びエンドロ族の立ち退きの実 施に先立ちエンドロ族と十分な協議を経ておらず、とくに自由で、事前のかつインフォー ムドコンセント(free, prior, and informed consent)を得ていないとして手続違反も認定した
(paras.290,291)。
(2)水に対する権利と投資受入れ
①水に対する権利の実現に必要な手段とそこで生ずる問題
水に対する権利は、国家により実現されなければならないが、ここで検討しなければなら ないのは、「実現」の面でのユニークさである。冒頭で、水は「食糧」の1つとしても考え ることができるとしたが、「水に対する権利」の実現と水を除く「相当な食糧に対する権利」
の実現とが、決定的に異なるのは、「水に対する権利」の実現の場合には、相応な、しばし ば大規模なインフラが必要とされるということである。
たとえば、国連を中心に、あるいは先進国又はNGO等の開発援助という形式でも、水不 足に悩む国家や地域に、水供給のためのシステム(簡便な場合、井戸やトイレなど)が提供 されることがあるが、これらの中には、その後適切にメンテナンスがなされず、使えなくなっ てしまっているものも少なくないという。
とすれば、その後も維持可能な、しっかりとした国家規模での上下水道の整備といった事 業がなされなければならないことになるが、そのような事業を行うためには、どうしても、
多額の援助の受け入れか、又は外国企業の投資の受け入れが必要となる。そして、様々な国 際機関が資金不足の問題を抱えている今日、水事業を一刻も早く実施するためには、後者の 方が、途上国にとってより現実的な選択肢である。
しかし、「水に対する権利」保護のために、外国資本の投資受入れをする場合、受入国は、
コンセッションに基づき、当該企業の投資保護の責任を負うことになる。そして、問題とな るのが、どこまで投資保護をしなければならないのか、という点である。とくに、水道事業 により、何らかの汚染が生じ、「水に対する権利」の実現に悪影響を及ぼすような事態が発 生するような場合において、当然、コンセッション締結時には念頭に置かれていなかった環