論 説
現 代 租 税 ・ 税 制 論 の 検 討 O
小 林 晃
1 目次
一現代租税・税制論の新傾向
二再評価論の一般的特徴
三いわゆる﹁支出税﹂について
日基本的な理念と課税パターン
Oキャッシュ・フロi方式(﹁占典的支出税﹂)
ω﹁現代的支出税﹂(労働所得税)
四﹁包括的所得税﹂について
O所得概念とその変遷
⇔﹁包括的所得(税)﹂の概要と問題点
口具体的改革案とその難点
一現代租税・税制論の新傾向
主として近代経済学を理論的→スとする租税・税制論の分野で︑﹁支出税﹂か﹁包括的所得税﹂か・はたまた﹁最
商 経 論 叢 第29巻 第2号
適課税﹂かという議論ないし論争が︑近年における特徴的な顧向とな.ている︒}﹂の種の議論の提唱そのものは︑
かなり古く・直接税としての支出税(ないし総合消費税)については一九五〇年代のN・カルドアによる提唱にまで︑ま
た包括的所得税については二八九・年代末のG・シヤ冤や一九二〇︑三・年代のR・M・ヘイグ︑H・C.サイ
モ潅による提唱にまで遡ることがで叡説・その新たな再評価が︑とりわけ一九ヒ○年代末から八︑九〇年代にか
けての国際的な税制抜本改革をめぐる理論問題として浮上し︑それ以降︑現代における租税.税制論の特徴的な一動
句となっている︒
課税ベースの選択・すなわち︑﹃(包括的)所得税か支出税か﹄という問題は︑税制に関する最も基本的な問題であ
る︒諸外国の税制改革論議においては︑この問題が最重要のものとして議論されており︑アメリカの﹃税制改革のブ
ル竃プリント﹄・﹃税制改革に関する財務省報告﹄・イぎスの﹃ード報告﹂食︑税製革の基本的文献は︑すべて
ハ この問題を中心課題として扱っている︒﹂
﹁一九七〇年代後半の支出税のルネサンス以来︑すなわち直接税タイプの消費ベース課税論が有力な租税論の地位
を占あるようになって以来︑従来の直接税か間接税かという選択から︑所得ベース課税か消費ベース課税かという課
税→スの選択が租税論においても・また税制改革論においても・嚢な論争点になってきま麺.
﹁支出税構想の登場によって︑伝統的な直間分類と税体系論の有効性は大きく低下したといえる︒現実的な税制論議
では直間比率論がなおポピュラーとはいえ︑租税論および税制論の中心は︑所得課税と消費課税の分類に立脚した課
税ベースおよび課税方法の選択に移りつつある﹂︒
﹁租税論・税制論の基本的な考え方︑特に今日の税制改革の方向づけにおいて鼎立状況にある所得ベース課税論︑消
費ベース課税論︑および最適課税論・:﹂等々︒
現 代 租 税 ・税 制 論 の 検 討 の
3 その内容や範囲からいっても戦後期の一時期を画するといっても過言ではない税制の抜本的改革が︑新たな国際的
潮流となったこの時期に︑こうした再評価の動きが顕著になった背景ないし理由は︑いろいろ指摘しうるが︑なんと
いっても最大のものは︑先進資本主義(国家独占資本主義)各国が︑おしなべて経済の低成長と長期の財政危機に見舞わ
れ︑それを克服するために︑国家にとって安定的な税収確保(それによる財政赤字の解消と経済発展へのテコ入れ)の必要
に強く迫られたことにあったといってよいであろう︒税制の抜本的改革という国際的動向そのものも・基本的には・
そうした国家の要請に応えようとするものであったといってよい︒
もともと歴史的にいって︑包括的所得税の提唱そのものが︑提唱者の母園たるドイツ︑アメリカの当時の歴史的特
殊躍を薔では反映しているとはい・え︑禁的には︑﹁帝国義(独占葉セ義)段階の国家財政霧拡大の要求に適
合する﹂客観的性格をもつものであ.た︒それは︑近代経済学に巖に伝来の三位一体﹂的覆謝のいわば極致と
もいうべき純資産(ないし経済力)増加説にのっとって︑従来の所得概念を拡張し︑課税ベースをできうるかぎり・﹁包
括的﹂に拡大する意図をもつものであったからである︒また︑支出税の提唱も︑﹁斜陽帝国イギリスの現実を背景とし︑
新 し い 資 本 落 手 段 と し て の 税 制 の 利 用 を 説 む 鮮 で あ り ・ そ れ に よ る 税 収 の 安 定 的 覆 と 国 家 に よ る 経 済 的 テ コ
入れの強化によって︑イギリス帝国の再興を客観的に意図するものであったからである︒この意味で︑﹁包括的所得
税﹂にしろ﹁支出税﹂にしろ︑時の資本主義の歴史的発展段階ならびにそこにおける国家財政にとって︑特徴的な一
属性をなす﹁高価な政府﹂の出現とそれに見合う税収の増大︑確保という国家の要請に歴史的によくマッチする性格
のものであった︒
,﹂・つした国家の要請は︑国家独占資本主義(近代経済学流にいえば混合経済Lないし三重灘L)としての現代では・
一般的にいっそう強まることはいうまでもない︒しかも加えて︑ほぼ一九七〇年代後半以降︑ケインズ流の総需要管
理政策(フィスカルポリシー)の破綻によって︑﹁双子の赤字﹂に悩むアメリカのみならず︑国際的規模において︑↑年
以上に及ぶ長期の財政危機つまり財政収支の長期にわたる悪化傾向が同時進行し(現在でも実質的にはなお解消されたと
はいえず︑慢性化の傾向を示している)︑このため各国ともに︑抜本的で安定的な税収確保の必要にとりわけ強く迫られる
ことになっ(妃︒ここに︑もともと﹁帝国主義(独占資本主義)段階の国家財政需要拡大の要求に適合する﹂包括的所得
税や支出税が︑今日新たに再評価されーーそして同時に︑抜本的な税制改革が国際的潮流となる1最大にして第一
の背景ないし理由があったといってよいであろう︒
新たな再評価の第二の背景ないし理由と考えられるのは︑現代における国家独占資本主義の成熟のもとで︑独占資
本の経済的支配力(寡占体制)の傾向的強化︑国家の経済的介入(とりわけこ▼﹂では︑社会保障や産業補助金など)の傾向的
深化・資本(所得)の﹁物偽﹂の高度化とインフレの恒常化等がますます進行し︑その結果︑﹁所得源泉の多様化﹂
(実現ベース︑発生ベースを含むキャピタル・ゲインを始めとする資産所得の膨張と多様化︑移転.振替所得の増大︑法人所得の内
部留保と配当への分化など)や﹁分配構造の複権﹂(同扁税者による複数所得の取得︑インフレによる所得減価や資産価幣
再評価益ーの膨張︑独占価格をつうじる租税転嫁など)が︑いっそう進んだことである︒そのために︑従来のままの税制で
は︑課税ベースを十分に﹁包括﹂しきれないという問題や︑いわゆる﹁二重(重複)課税﹂の問題等がますます発生す
るにいたったことである︒
また第三に︑現代に入ってますますその傾向を強めつつあるといってよい﹁高価な政府﹂と︑それに対応した租税
負担の著しい増大を背景にして︑負担の不公平先の第二の理巾が︑このことをいっそう増幅1ーにたいする不
満が︑国民の各階級・階層からそれぞれに著しく高まってきたことである︒なかでも︑その中心をなすのは︑所得税
の大衆課税化︑間接消費税の拡充等による勤労国民への重課税である︒こうした新たな状況の変化ないし進展に対応
現 代 租 税 ・税 制 論 の 検討
5 するうえで︑包括的所得税や支出税の構想は︑後述するとおり︑理念的によくマッチする︑あるいは好都合な性格や
内容を内包していたといってよいであろう︒
(1)Z・国騨匡︒﹃"︾⇔国×℃①ロ臼↓霞Φ↓即×噛一ゆq仰(時子山常∴.郎訳﹃総合消費税﹄︑東洋経済新報社︑一九六三年)︒
(2)ρ<︒コの︒7§・︒①﹁国翼︒雪Φ喜&hh巨畠鰻ぎ雪霧聾Φ円︒・①尋ρミ§ミ§き﹄α・﹂︒・衷・江︒・ゆ①.
(3)即竃・=帥面・↓900訂8艮9ぎ8ヨρ国8コoヨ貯9旨OいΦαp巴﹀ωO①oβ↓9閏①9﹁巴ぎ8∋Φ↓山朗おト︒一・(沁器織§αq恥§艦書肉6︒謡︒§帆偽恥◎\寄旨貸勘︒§一り紹・)・工・○憩ヨo口Q巾"恕携o嵩ミき8§鳴ぎ8ミざ謎噛↓びΦq三く興玖曙o暁〇三〇山ゆ自o勺﹁Φωon藁Oωo◎●(4)佐藤進﹃現代税制論﹄︑日本評論社︑七六︑一一八︑=一〇頁︒
(5)¢・ω・uΦ︒鋤贋欝Φ・8霧Φ↓﹁①婁望寒魯適ミ魯高亀旨寄誌§§﹄.ωゆ︒︒<Φ∋ヨΦ巨℃量話○穿£㊤謡(支出税・
アメリカ)︒
隷8沁§§尋︑寄賊§鳴鴇・敦§b鳶9遣自嵩織肉60謡o§蹄Oさ建ミ︑ミ偽↓越自軌費遷b魯黛﹁馬§偽ミ沁§o註きミ鳴寒も︒ミ鳴謡斜くoド一1ω.d.ω・OO<oヨヨΦ葺勺﹁貯鉱コoqO塗︒ρお︒︒偽・(包括的所得税︑アメリカ)︒
§⑪要﹃爲6︑黛蕊§戚肉︹さ§ミb帖鳶黛寄訣ミ帖§︑沁愚oミミざOo§ミミ禽尋ミ越織婁寒跨ミ︑肉.さ鼠画一鷲︒︒む(支出税・イギリス)︒
沁§︒︑︑ミ.︑書沁ミミOo§§騎甑§§寄8ミ帆§圖くo一﹂ム噛O¢ΦΦ口.︒︒勺ユ葺Φ﹁藁潔①・(包括的所得税︑カナダ)︒
Qり・○・ピ︒島ロ・書越︒︒防賊噴鳴ξ鳴嵩息ミ越ぎ鞍ーム蕊︾︑萄§ミ賊竃〜︑﹄肉魯oミミミ鳴Nも鵡Oo鮭鴨§§鳴ミ60ミ§軌︒︒鴇o謡o隷寄8ミざ§賦σ碧閏曾訂σq﹂零の・(支出税︑スウェーデン)︒
なお︑関連する個人論文.著書についても︑貝塚啓明ほか編︑シリーズ現代財政︑第二巻︑﹃税制改革の潮流﹄︑二八〜三〇頁に紹介がある︒
(6)
(7)
(8)
(9)
(10) 野口悠紀雄﹃現代日本の税制﹄︑有斐閣︑九四頁︒
宮島洋﹃租税論の展開と日本の税制﹄︑日本評論社︑二九七頁︒
前掲︑貝塚啓明ほか編﹃税制改革の潮流﹄︑第二巻︑三頁︒
同右︑二七〜二八頁︒
佐藤進︑前掲書︑一二〇頁︒もともと所得税そのものが︑その﹁多収性﹂という点で︑﹁帝国主義段階の経費膨張にもっと
商 経 論 叢 第29巻 第2号
もよく対応する租税﹂であった(同︑一一一頁)︒なお︑小林晃﹃財政学要説﹄︑
(11)K・マルクス﹃資本論﹄︑岩波版︑第三巻︑第一.部︑一〇一七頁以下参照︒
(12)佐藤進︑前掲書︑七七頁︒
(13)マスグレイブ﹃財政理論﹄(木下和夫訳)︑1︑一.一ならびに三七頁︒
(14)前掲︑拙著︑第二章1︑第四章V︑第五章V︑参照︒
(15)前掲﹃資本論﹄︑(注)11参照︒
(16)前掲︑﹃シリ!ズ現代財政﹂︑第二巻︑八頁︒
二 再 評 価 論 の [ 般 的 特 徴
税務経理協会︑︑一〇三〜二〇八頁も参照︒だが︑このような背景ないし理由にもとつく占い租税論の今日的再評価と︑それをめぐる議論を少しフォローして
みると︑理論的に前進の方向というよりは︑むしろ"重箱の隅を揚枝でつつく"ような傾向にーーこの意味で︑理論
的に非生産的で不毛な領域にますます落ち入りつつあるように思われる︒議論が木目細かになること自体は︑む
ろん非難されるべきことではない︒しかし︑細かになればなるほど︑理論的に前進したとは必ずしもいえないし︑往々
にして"木を見て森を見ず"の状況に陥りがちである︒いたずらに細部に目を奪われて︑そのうちに事の大本を見失
い・あるいはそれを曖昧化にする結果にしばしばなりがちである︒提唱当時に比らべ議論が詳細になったかわり︑理
論的にはかえって不毛牲を増大させ︑あるいは議論をいたずらにカオスに導いているように思われる︒包括的所得課
税か支出課税かをめぐる両方の論者たちが︑それぞれ自己の理論的正当性を言い張るのに性急なあまり︑議論がいわ
ばひとり歩きし︑その結果いよいよもって﹁三位一体﹂的所得(収入)論の迷路の深みにはまり込みつつあるように思
われる︒
現 代租 税 ・税 制 論 の検 討(}
7 再評価論争の積極的意義を承認するある論者も︑こう述べている︒
﹁石油ショック(第一次二九七三年︑第二次・一九七九年)以降︑政府の失敗が目立ち始めたのとほぼ時を同じくして・
というより︑政府への非難が当時の税の柱︑所得課税への批判に発展する形で︑所得対消費の論争が大蔵省(または財
務省)︑実務家︑学者をまきこんで世界的に起こりました︒ただ論争というのは︑ともすれば態度と声の大きい人だけ
が発言を独占したり︑自分の欠点は棚に上げて他人の欠点ばかり攻撃したり︑理想の姿の自分と現実の姿の他人を平
気で比較したり︑とにかく相手をいいまかせばよいという不愉快な雰囲気になりがちです︒
所得対消費の論争にも︑そうした面がないとはいえません︒とくに支出税が消費課税の代表になると︑実際には存
在しない税ですから︑どうしても理想像を語りがちです︒それにたいして︑現に存在する所得課税は長い間政治の荒
波に翻弄され︑手垢にまみれた現実の姿ですから︑この両者の直接の比較はフェアではありません︒かといって︑支
出税の現実の姿はわかりませんから︑所得対消費の論争をフェアに紹介するのはなかなか難しいの焦犯﹂︒
みられるとおり︑論者は︑一方が﹁実際には存在しない理想像﹂の立場からの提起︑他方が﹁長い間政治の荒波に
翻弄された現実﹂像の立場からの提起であるために︑両論噛み合いにくい性格をもっていることを主な理由として︑
再評価論争にみられる理論的不毛性の一面を承認されている︒このように論者自身の告白からもうかがわれるとおり
ーーそして︑それに対する筆者の疑問と批判は後述するがi︑包括的所得税か支出税かをめぐる昨今の再評価の議
論と論争は︑相互に十分噛み合わず平行線をたどる傾向を多分にもつだけでなく︑租税論や税制論の大本からますま
す離れて︑いたずらに細部へのめり込み︑この結果︑いわば理論(理屈)至上主義的な傾向に多分に落ち入っているよ
うに思われる︒こうして︑理論的に前進的な成果よりは︑むしろ後退的で非生産的な傾向を強く帯びているように思
われる︒
そればかりか︑議論と論争のこうした性格もあって︑政策実践的にみても有効性に乏しい議論となっている︒とい
うのも︑﹁所得税か支出税かという問題は︑税制改革論議においても最重要なものとして議論され﹂︑﹁租税論および税
制論の中心﹂となり︑﹁租税論においても︑また税制改革論においても︑主要な論争点となって﹂(前節の注の(6)︑(7)︑
(8))いたはずなのに︑実際には︑その理念や構想が︑八〜九〇年代にかけての国際的規模の税制抜本改革に生かされ
た痕跡はほとんどないといっても過ズ日ではないからである︒たとえば︑包括的所得税論に関しては︑強いていえば︑
キャピタル・ゲインなど資産所得優遇措置の一部廃止による課税ベースの拡大等︑部分的に生かされたといえるにす
ぎない︒そればかりか︑﹁純粋な意味での包括的所得税は︑税制の歴史上一度も実現したことがない﹂︒また支出税に
ついては︑一九五〇年代から六〇年代にかけて︑後進国インドとセイロンで実験的に一時導入されたのみで︑直ちに
廃止され︑提唱国イギリスはもちろん︑先進国ではこれまで一度も実在したことがない︒今次の抜本税制改革におい
ても同様である︒
論者は︑その理由に関連して次のように述べている︒
﹁わが国の消費税導入を軸とした抜本改革や土地税制の議論︑諸外国における注目すべき税制改革の動きは︑経済的
状況︑社会的環境︑政治的条件などさまざまな要因から実際には決定され︑本論で紹介したような租税論や税制論(包
(3)括的所得税︑支出税論⁝引用者)はむしろ背景に退いている﹂︒
つまり︑税制の抜本的改革は︑﹁経済的状況︑社会的環境︑政治的条件などさまざまな要因から実際には決定され﹂
るために︑包括的所得税か支出税かをめぐる租税・税制論は︑﹁むしろ背景に退い﹂たというのである︒はたして︑そ
ういって済まされるのかどうか︒たしかに︑いつの場合も︑現実の税制改革は︑税財政問題が本来もつ一般的特徴か
らして︑その時々の経済社会情勢︑国民生活の実態︑国民意識の動向等に規定されつつ︑最終的には政治的に決着さ
現 代 租 税 ・税 制論 の検 討
9 れる︒より厳密にいえば︑その時々の労資の力関係によって︑そしてその政治的反映たる諸政党間の力関係によって
決着される︒この意味では︑理論的問題は多かれ少なかれ︑現実の税制改革の﹁背景に退﹂くことも確かである︒
しかし︑今次八〜九〇年代の税制抜本改革において︑その理論の客観的性格上︑本質的・基本的には体制側の立場
にたった租税.税制論であるにもかかわらず︑しかも﹁税制改革論議において最重要なものとして議論され﹂たにも
かかわらず︑現実にはその改革の﹁背景に退﹂き︑ほとんど生かされずに終ったのは︑すでに指摘したとおり︑包括
的所得税か支出税かをめぐる再評価の議論と論争そのものが︑財政当局にとってすら実際的に著しく活用困難なまで
に︑不毛で非生産的な領域にのめり込んだことによると言った方が妥当であろう︒
結論を先走っていえば︑昨今の再評価の論議にみられる論法上の特徴は︑所得ベース課税かそれとも支出ベース課
税か︑いずれか一方に課税べ!スをすべて集約するのは本来無理であるにもかかわらず︑無理矢理に二者択一的に︑
いずれか↓方にいわば一元的に﹁包括﹂しようとする点にある︒そのために︑包括的所得税にせよ支出税にせよlI
提唱当初は一定の積極性をもっていたといってもよいが︑議論と論争をつうじて︑それらが"精緻"化されれば
されるほど︑理論的にはますます不毛性と混沌性を増大させ︑実際的にはますます実務上の煩雑性と困難性を増大さ
せ︑したがってまた一般国民にとって︑ますます理解しがたいもの租税論ならびに税制は︑国民にとってできる
だけ理解しやすいことが︑財政民主並義の重要な一要件であるーとなっているように思われる︒
論者たちによれば︑所得︑消費︑資産を課税ベースとする従来の︑いわばオーソドックスな論法は︑﹁経済理論︑租
税論の観点からすると︑基礎的概念の誤解に基づいており︑意味不明﹂だという︒
﹁課税ベースの選択︑すなわち︑﹃所得税か支出税か﹄という問題は︑税制に関する最も基本的な問題である︒諸外
国の税制改革論議においては︑この問題が最重要のものとして議論されており︑アメリカの﹃税制改革のブループリ
ント﹄︑﹃税制改革に関する財務省報告﹄︑イギリスの﹃ミード報告﹄など︑税制改革の基本的文献は︑すべてこの問題
を中心課題として扱っている︒
しかし︑日本では︑この問題はこれまであまり重視されてこなかった︒例えば︑今回の税制改革は︑基本的哲学と
(4)して︑﹃所得・消費・資産等の間でバランスのとれた税体系を構築すること﹄をうたっている︒いくつかの異なる考え
を並べ︑﹃いずれにも偏ることなく中庸をとる﹄というのは︑日本社会でよくみられる問題解決の方法である︒このス
ローガンも︑そうした発想から考えられたものであろう︒しかし︑経済理論︑税理論の観点からすると︑このスロー
(5)ガンは︑基礎的概念の誤解に基づいており︑意味不明なのである﹂︒
たしかに︑先に指摘したような無理な論法を不動の尺度として固執する立場からすれば︑﹁意味不明﹂や﹁誤解﹂と
映るかもしれない︒しかし︑政府税調答申の内容をそのまま支持するわけではないが︑所得︑消費︑資産を主要な担
税力(ないし課税ベース)とみなすかぎりにおいては︑普通に﹁経済理論︑租税論の観点﹂(マルクス経済学の立場にかぎら
ず)からして必ずしも意味不明とは思われない︒少なくとも︑再評価論者たちの議論よりは︑はるかに意味明瞭であ
る︒勤労(労働)所得︑資産所得︑事業所得︑法人所得等からなる個人ならびに法人の所得(ないし収入)︑その所得な
いし収入の転化形態としての動産︑不動産からなる資産(ないし財塵)︑さらに所得や資産の実現形態としての(した
がって︑この意味で前二者に比らべれば︑担税力として間接的な指標ではあるが)消費ないし支出ーi‑これらいずれも︑担税力
の指標として︑あるいは課税ベースとして︑一般的・基本的にはさほど不明確でも︑﹁意味不明﹂でもないからである︒
したがって︑所得︑消費︑資産を基本的・中心的な担税力の指標(課税ベース)としたうえにたって︑最大で中心的
な租税原則というべき公平の原則を基軸に︑各課税ベース間の整合性のとれた税制を追求するあるいは︑そうい
う方向にそって租税・税制論を発展させればよい︑というのが筆者の結論である︒そしてこの方が︑理論的にもより
現 代 租 税 ・税 制 論 の 検 討
11 明白かつ生産的であり︑実際的にもより現実的であり︑また国民にとってもより明快な税制の実現が可能だといって
よい︒問題は︑その具体的内容である︒ただし︑この点の詳論は後にまわして︑先ずは支出税と包括的所得税のやや
(6)具体的な内容の検討と批判に移ることにしたい︒
(1)
(2)
(3)
(4)
(5) 宮島洋﹃税のしくみ﹄︑岩波書店︑五六頁︒
前掲︑宮島﹃租税論の展開﹄︑二一七頁︒
前掲﹃シリーズ現代財政﹄︑第二巻︑二八頁︒
政府税制調査会﹃税制改革についての中間答申﹄︑一九八八年四月︑一頁︒
野口︑前掲書︑九四頁︒なおこれは︑前渇﹃シリーズ現代財政﹄︑第二巻︑四頁ほか︑この種の論者たちに共通する主張で
ある︒
(6)本稿冒頭に挙げた+最適課税﹂論の検討と批判については︑その理論的性格上︑租税原則⁝ーとりわけ中立性と公平性
について述べる次稿以降で取上げる予定である︒
論者たちによれば﹁支出税﹂と﹁包括的所得税﹂と比べた﹁最適課税﹂論の特徴は︑前二者が包括的課税ベース概念と単一税
率による課税を主張するのにたいして︑後者は︑課税対象の個別的特徴(所得や消費の性質など)に応じて︑異なる課税方法を
主張する点にあるという︒その際の﹁最適﹂甚準とされるのが︑課税の﹁中立性﹂(あるいは﹁資源配分の効率性﹂︑﹁経済効果・
効率性﹂)であって︑その基準からすれば︑勤労所得課税ならびに生活必需品課税については重課が︑逆に資産所得課税ならび
に奢修品課税については軽課が︑﹁最適﹂な課税方法だと主張する見解である︒前掲﹃シリーズ現代財政﹄︑第二巻︑二二〜二一二
頁︑}・国・ω鉱αq憂Nb︒o口o慧︒ωo=冨℃¢ぴ一ざω①90﹃bコ血巴﹂㊤︒︒鱒(藪下史郎訳﹃公共経済学﹄上ド︑マクロウヒル︑一九八九
年︒第紬七〜一九章など参照︒
三 い わ ゆ る ﹁ 支 出 税 ﹂ に つ い て
e基本的な理念と課税パターン
直接税としての支出税(あるいは総合消費税)の基本的な理念と課税パターンは︑ほぼ次のように要約できる︒すなわ
ち︑ω支出(消費)を課税ベースとし︑したがって︑②財貨・サービスの購入額の総額を課税標準として︑㈹その価額
の多寡に応じて累進課税(一定の課税最低限を超える分にたいして超過累進課税)を行うというものである︒消費課税であ
りながら︑この租税が直接税とされるゆえんは︑担税者と納税者が別人で︑租税負担の転嫁が行われる現存の間接消
費税と異なって︑納税者各人が業者から受け取ったレシートの集計により︑支出(消費)総額と税額を算定して︑申告
納税を行うしたがって︑担税者と納税者が同一人で︑転嫁がないーとされているたあである︒
しかし現実問題として︑こうした消費総額を納税者各人が集計し算定するのは︑事実上不可能に近いため︑課税対
象となる消費(支出)額は︑消費(支出)11所得‑貯蓄という定式によって算定替えを行うとされている︒一般に各人
の消費(支出)は︑貯蓄分を控除した所得の残額が充てられるという理由からである︒そして︑これによって︑いっさ
いの消費支出額を算定するという不可能に近い煩雑さを避けて︑貯蓄分を控除した所得の申告で済まされるという理
由からである︒なお︑控除される貯蓄分は非課税ではなく︑将来︑消費支出に充てられる時点で課税(いいかえれば︑
その時点まで課税延期)される︒これが︑いうところの支出税の基本パターンである︒
だが︑すでにここに問題があるというべきであろう︒というのは︑これが支出税の基本パターンだとすれば︑つま
り﹁支出﹂税といっても︑結局は貯蓄分を控除した所得×税率として算定されるとすれば︑実質的には︑支出(消費)
課税というよりは︑所得課税の一変型と見倣すこともできるからである︒そうであれば︑課税ベースは支出(消費)か
所得かというように︑あえて二者択一的に問題を設定する必要は必らずしもなく︑同じ所得ベース課税の中での課税
方法をめぐる一議論と見倣すこともできるからである︒ここにも︑支出課税と所得課税のどちらが優位かという論法
の再評価論議が︑いたずらに非生産的に複雑化する理由の一つがある︒
現 代 租 税 ・税 制 論 の検 討
13 Oキャッシュ・フロi方式(﹁古典的支出税﹂)
このように支出税といっても︑実際には消費支出を直接の課税対象とするものではなく︑事実上は所得(所得ー貯蓄)
への課税に等しいといってよいのであるが︑それでもなお基本パターンのままでは︑所得や貯蓄の定義が大雑把すぎ
て︑現実的な課税ベースの算出に難点が伴う︒たとえば︑貯蓄の引出や借入金で消費支出に充てる場合︑その引出し
た貯蓄や借入金は﹁所得﹂とはいえず︑また借入金の返済は家計との支出ではあっても﹁消費支出﹂とはいえない︑
等々がそれである︒そこで︑この点を考慮に入れて︑より実際的な消費支出額の算定替の方法として採り入れられた
とされるのが︑キャッシュ・フロー(現金出納)方式である(なお︑前述のブループリントやミード報告では︑適格勘定また
は登録勘定と呼ばれている)︒これはカルドアの提案内容でもあり︑論者たちによって﹁占典的支出税﹂とも呼ばれてい
るものである︒
それを定式で示せば︑資金流入(現金収入)額ー消費支出以外の資金流出(現金支出)額11消費支出額となる︒資金流
入(現金収入)は︑労働(勤労)所得︑資産所得︑土地︑株など資産売却収入(譲渡所得)︑貯蓄の引出額︑借入金からな
り︑また控除項目としての資金流出(現金支出)には︑土地︑株など資産購入︑貯蓄︑支払利子︑借入金返済(元本分)
が含まれる︒このうち︑資産売却と借入金はマイナスの貯蓄︑逆に資産購入と元利返済はプラスの貯蓄と見倣しうる
から︑結論的には︑所得から貯蓄を控除して︑課税ベースとしての消費支出額を算定するに等しいことになる︒なお︑
既述のとおり︑課税ベース算定の際︑貯蓄は控除されるが非課税ではなく︑いずれ貯蓄が引出されて(あるいは資産が
売却されて)︑消費支出に充てられるまで課税は延期される(あるいは消費支出に充当する時点で課税される)︒こうして︑
キャッシュ・フロー方式(適格勘定︑登録勘定)も︑基本的には︑前述日の基本パターンを一応踏まえたものとなってい
る︒
このように︑キャッシュ・フロi方式は︑支出税を実施可能とする意図で︑より実際的な課税ベース(消費支出額)
の算定方法として採り入れたとされるものであるが︑そして一見そのようにみえるが︑しかし少しく検討しただけで
も︑支出税の非現実性と実施困難性が浮彫となる︒
まず第一は︑支出税の理論的基礎ともいうべき︑P・A・サミュエルソンらによって展開されたとされるライフ・
サイクル仮説(=h①O︽O一①ゴ望わO捗ゴ①ω一ω)そのものが︑きわめて非現実的な架空の産物という性格を多分にもっていること
である︒その仮設(一世代モデル)によれば︑貯蓄とは将来の消費に備えるためのものであって︑消費の時期を現在(勤
労期)から将来(退職以降)に移す手段である︒したがって︑生涯の所得は生涯の消費に等しい(生涯の所得は︑一生涯の
うちにすべて消費支出に充当される)と見倣す︒ここから︑先に定式でもみたとおり︑貯蓄にたいする課税延期(当面︑非
課税で︑将来支出される時点で課税)︑あるいは逆にいえば︑当面貯蓄に課税するのは"二重課税"となるという考え方が
導きだされることになる︒
しかし実際には︑貯蓄の一形態をなす遺産や贈与の存在は決して例外的なケースとはいえず︑したがって貯蓄は一
生涯をつうじて必らずしもすべて消費されるものではない(貯蓄は生涯をつうじて消費支出に充てられるというのは︑一般
的傾向とはいえない)というのが実態といってよい︒またとりわけ︑有力な課税対象となるべき高額・大規模な貯蓄(動
産・不動産を含め)は︑現代ではたんなる消費の移動手段ではなく︑価値の自己増殖手段であり︑利殖のための利殖の
手段をなしていることは明らかである︒こうした現実や実態をまったく無視していることを考慮しただけでも︑生涯
所得は生涯消費に等しいと見倣すライフ・サイクル仮説なるものの非現実性は明白である︒
一般に抽象は理論の特質をなすといってよいが︑しかしそれは︑現実に存在する客観的な性質や傾向の抽象でなけ
れば︑科学的な抽象すなわち真の意味の理論とはいえない︒客観的な現実や実態から遊離した︑たんなる観念の産物
現 代 租 税 ・税制 論 の検 討{→
15 としての抽象や仮説は︑空理空論に近いというほかなく︑そのうえに展開され︑構築された理論も︑空中楼閣的な性
格を多分にもたざるをえなくなる︒したがってまた当然ながら︑そうした﹁理論﹂は︑一般に精緻であればあるほど
実施に移すのも困難となる︒
第二に︑こうしたライフ・サイクル仮説のもとで︑高額・大規模な貯蓄を中心とする資産への課税延期によって︑
事実上それらを多かれ少なかれ非課税とし︑さらにくわえて︑遺産・贈与の形で最終的に租税負担を事実L免除する
ことになれば︑支出税は大資産者優遇課税として作用し︑課税の不公平を著しく拡大することになる︒もともと︑支
出税提唱の理山は︑﹁財産の消費を通じてあらわれる個人の経済力を所得としてト分に課税できない﹂当時イギリスの
(1)所得課税制度のもとで︑資産所得にたいする課税の不完全さと不公平を解消することにあった︒その点︑カルドア自
身も︑﹁もし累進課税が所得基準でなく︑支出基準で行なわれたとすれば︑経済の機能能率と進歩率とを改善しなが
(2)ら︑同時に平等な社会に向って前進できる﹂と述べている︒だが︑資産所得の源泉としての資産そのものを課税上優
遇することに通じる支出税の実質的な内容は︑こうした提唱理由そのものを事実上自己否定するものといわざるをえ
ない︒
したがって︑支出税のもとで租税負担の公平性を確保しようとすれば︑少なくとも資産(財産)税による何らかの補
完が必要となる︒しかし︑そうするくらいなら︑課税ベースとして支出(消費)と所得のどちらを選択するかというよ
うに問題を設定するよりは︑はじめから所得︑支出(消費)︑資産(財産)の三つを課税ベースの中心とする方が︑より
合理的で︑より明快な︑そしてまたより実際的な税制・税体系の組鉱が可能となるというべきであろう︒
第三に︑課税ベースとなる消費支出と控除対象となる貯蓄(ないし消費支出以外の現金支出)の概念︑ならびに両者の
実際上の区別とその論拠が︑きわめて曖昧かつ困難なことである︒
論者たちのあいだでも指摘されているとおり︑たとえば︑住宅︑自動車︑耐久消費財などの購入は︑消費支出とみ
るべきか(この場合は課税対象となる)︑それとも貯蓄とみるべきか(この場合は︑控除される)︑あるいは同様にまた︑教
育や医療にかんする支出は・消費支出とみるべきか・それとも天的資本への鐘L(この場合は貯董みなされる)とみ
るべきか︑きわめて曖昧で不明確である︒もしかりに︑住宅︑教育︑医療などを消費支出とみなせば︑それらは概し
て特定時点に集中する傾向があるだけでなく︑個々人によってその時点や大いさは様々に異なり︑あるいは限りなく
分散する︒この中で︑そしてまた︑いわゆるライフサイクル仮説という前提のもとで︑課税の公平を確保しようとす
れば︑税率の政策的変更は超長期にわたって不可能となる︒またとりわけ︑﹁水平的公平﹂(生涯でみた課税ベースの等し
い人が︑等しい税負担を負う)を確保しようとすれば︑間接消費税(一般に逆進課税)と対比して︑支出税の優位性の一根
拠とされる累進課税の導入とも両立不可能となる︒また︑上記の例を貯蓄とみなして︑控除を認めれば︑それはそれ
で課税の不公平と煩雑さをいたずらに増大することになる︒こうして︑ここでも支出税の非現実性と自己矛盾が明ら
かとなる︒
第四に︑税務行政・執行上の困難である︒
上述のとおり︑キャッシュ・フロー方式のもとでは︑課税ベースとしての消費支出額は︑資金流入(現金収入)マイ
ナス消費支出以外の資金流出(現金支出)として算出される︒このうち前者は︑労働所得︑資産所得︑譲渡所得(資産
売却収入)︑貯蓄の引出︑借入金からなり︑また後者は︑資産購入︑貯蓄︑元利返済額からなる︒したがって︑この種
の租税を仮に実施に移したとすると︑Oプラス︑マイナスを含あた貯蓄(資産の購入あるいは売却︑借入あるいは返済)を
納税者︑徴税当局ともに正確に把握しなければならない︑口補完税としての遺産・贈与課税の必要上︑↓切の資産と
負債の一元的管理も必要となる︒ωしかも︑ほぼ全面的に各個人の申告納税に依存せざるをえない︒これらの点を考
慮しただけでも︑所得.消費.資産を基本的な課税→スとするといってよい現行税制にく・りべても・税務行政教行上の困難性はいっそう増大することは明らかであろう︒
}﹂.つみてくると︑苫典的支出税Lの提唱者であるN・カルドアが︑その実施可能性についての疑問から・支出税を
最良の租税とする主張をやがて自ら放棄した理由も頷けよう︒
現 代 租 税 ・税制 論 の検 討 17
㊨﹁現代的支出税﹂(労働所得税)
先のOで指摘したキャッシュ・フロー方式の問題点の第三︑すなわち﹁住宅や耐久消費財に関するキャッシュ・フ・毒の難点を限定的に解消し︑支出税の実施を現実的なものにき﹂意図をもって本轟想されたとされるのが・
w.D.アンポユ為継である.そしてこれを契機に・またこれを多かれ少なかれ採り入れて提案された﹁実施可能な現代的支出税の霧成︑恥﹂と評価されるのが・先に挙げておいたスウェ盲デンの︒ディン報告・イギリ
スの︑︑︑ード報告︑アメリカ財務省の︒フルLフリントならびに税制改革に関する財務省報告である・ただし・論者たち
(肋結論を先走.て紹介しておけば︑サ︑むり現代的支出税の提案がそのまま制度化され︑実施される罷性はまずない﹂ということである︒
論者によれば︑アンドリュースの見解のヨッセンスは︑住宅や耐久消費財の購入・売却および購入に関する貯
蓄.借入金を無視しても︑あるいはキャッシュ・フ7方式から除外しても︑生涯という長期間(﹁ライフサイクル仮
説﹂)においては古典的支出税と等しい結果が保証されることを証明した点にきLとされる・そして・さらにすすん
で︑二定の条件のもとではL(実は︑▼︑れが大変問題なのだが︑この点については後述すや引用者)・住宅や耐久消費財等に関するケ書スだけではなく︑蚕産(貯蓄)・負債(借入れ)に関するすべての取引を支出税の課税→スから除外ない
商 経 論 叢 第29巻 第2号
格勘 定 での取 り扱 いを基 準 に した もの) 包括的所
算
表1支 出税 と所得税 の課税 ベー スの比較(適
㌔ 〜 一 〜 〜 ̲.̲租 税 の 種 類
タ ック ス ・ベ ー スの構 成 項 目 、\ 一̲
稼 得 コ労 働所得(賃 金)
解墾 鰹
凶 劃
瞬 兜 算 ∵ 嘉 不 算÷ 不 控 竺
可入入入 入
不}算算算
一除一控不不不
可 動
・ 算 不 五 除 塾
不 控 随
婁 ・ 陣 嘱 . . 一除 入 入 △ 入 除 塗
一一一
一一一
韓鰍 ∴
‑‑‑‑‑F‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑̲.‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑
借 借 入 れ
評 済{舗子
̲̲一̲L̲̲̲̲̲̲̲̲̲
※ 利 子,配 当,賃 貸 料 な ど。
出 所:宮 島 洋,前 掲 書,32頁 。
し無視しても︑実質的には同じことだという点にある﹂とされている︒
そして・こうした資産(貯蓄)・負債(借入金)取引を一切除外ないし無視
した﹁現代的支出税﹂は︑実質は︑労働(稼得)所得のみを課税ベースと
する賃金税ないし労働所得税と同じものとなるとされている(表‑参
照)︒
このように︑﹁現代的支出税﹂の特徴は︑資産(貯蓄).負債(借入れ)
取引を一切除外ないし無視する点にあるといってよいが︑しかしそれは
非課税を意味するものではなく︑表1にみられるとおり︑課税ベースの
算定における資産・負債の取り扱い方が変更されることにあるとされ
る︒すなわち︑﹁占典的支出税﹂の場合の﹁適格勘定﹂(または登録勘定)
り 方式から︑﹁現代的支出税﹂の場合には︑﹁前納勘定﹂(または非登録勘定)
方式へ転換(前者の否定形)されることを意味している︒そして︑この﹁前
納勘定﹂方式(現代的支出税)は︑﹁一定の条件﹂のもとでは︑﹁適格勘定﹂
方式(占典的支出税)と﹁等価﹂(税負担の現在価値の等価)となる︑という
のである︒いいかえれば︑カルドアの提唱にはじまる﹁占典的支出税﹂の
理念と構想は︑今日では︑アンドリュースの見解を契機に︑そしてその
﹁功績﹂を多かれ少なかれ採用しつつ︑﹁現代的支出税﹂(上述のとおり︑実
質は労働所得税)として発展的に再生ないし再構成されるにいたっている
19現 代 租 税 ・税 制 論 の検 討
というのである︒
だが︑ヲ︑の両方式の尋価Lが数学的に﹁碗﹂されたとしても・その前に先ずもって問題なのは・この両者の尋価Lが成立し︑あるいは両者が﹁養的に同じ﹂であるために必要なコ定の条件Lである・現代的支出税Lは・支
出税の実施をより現実的にするために提起されたはずなのに︑このコ定の条住がきわめて非現実的で架空的だか
らである︒このコ定の条件﹂の中には︑一つのいわば大前提条件と最低三つの必要条件があるとされている︒
ほ まず︑大前提条件とは︑いわゆる消費⑱ブイフサイクル仮説である︒これについては・いかに非現実的で空理兜工論
的な架空の産物にすぎないか︑すでにoで批判しておいたとおりである︒両方式の数学的な尋価Lが﹁証明﹂されたとい.てみても︑▼﹂.つした架空な前提を必要条件としてはじめて成立つものであるかぎり︑それは実際的にも理論
的にも︑空中楼閣的で︑無意味に近いというほかないであろう︒
ついで︑尋価Lが成享るための最低三つの必要条件の笙は︑﹁税率が純粋な比例税率で・しかも生涯にわたっ
て不葱)というのであるが︑これまたまξ非現実的な想定にすぎないことは説明を芒ない・くわえて・選課
税とい.つ支出税本来の理念か.bも逸脱している︒第二の必要条件とされるのが︑﹁謹価値が生涯にわたって垂﹂とい.つ想定である︒▼しれまた︑現代資本義の現実からまったく遊離した架空の条件であることはいうまでもない・
現実には︑資産価値(価額)の上昇が巖的必然的な傾向である︒したがって︑キャピタル●ゲイン(ないし︒ス)の
発生も多かれ少なかれ一般的必然的である︒ところが︑現代的支出税L(前納勘定)の護の場A・には・﹁売却額不算入
であるため︑キャピタル・ゲインが実現しても課税→スには算入されない︒したがって・株式・不動産→地)など
キャピタル.ゲインの期待できる資産を前納勘定を利用して蓄積することにより︑キャピタル・ゲインを非課税のま
ま消費に充てることがで義﹂ことになる.したがって・こうしたル少†ル(租税回避)をなくすために・﹁別建て
の補完税が不可欠と恥Lとされている︒だが︑こうした架空にして難な税制の組立てを必要とするく・りいな・りば︑
所得課税・資産課税︑消費課税を租税体系の三つの中心として︑三者間の整合性を可能なかぎり考慮しつつ︑各々を
整備する方が︑理論的にも実際的にも︑はるかに合理的というべきであろう︒
尋価Lが成立するための必要条件の第ご一とされるのが︑資産の移転︑すなわち遺産.贈与なしとい・つ想定である︒
これはライフサイクル仮説にすでに内包された内容であるが︑これまた非現実的な架空の想定であることは繰返すま
でもない・したがって論者は︑三しでも現代的支出税の場合には︑資産移転︑資産所得︑資産売却収入などを補捉
する内部システムがまったく欠けているため︑その公平性を確保するためには贈与.遺産税の徹底した強化が不可欠
の条件な翻L・したがって・﹁これまた別建ての資産移転補完禦絶対に必要と為﹂とされている.したが.て︑
ここでも上述の第.一についての批判が︑そのまま当てはまる︒
すでに前にeにおいて︑支出税とは称しても︑実質は所得課税の一変型といった方がよいと指摘しておいた︒そし
て今や﹁現代的支出税﹂にいたって︑それは資産所得やその源泉としての資産(貯蓄)を事実上非課税とし︑﹁労働(稼
得)所得のみを課税→スとする・いわゆる賃金税ないし労働所得税と同じ麺(前表参昭{)へ変身を遂げた.そして
それによってまた︑資産所得への課税強化︑消費支出への累進課税の導入等による公平課税の実現と強化という︑支
出税提唱当初の意図とも逆のものへ変貌した︒
こうして︑議論の結末にまで一応辿りついてみると︑支出税の現代的再評価あるいは﹁現代的支出税﹂をめぐる議
論は・まったく無駄とはいわないまでも︑理論的にも実際的にもさほど生産的な議論とは言い難いよ.つに思われる︒
﹁ゲ去の理論﹂奮遷︒曹ヨ琶ならぬ"理論(理屈と数字)のゲ⊥〃といった感が強い︒税制の抜本的改革が国際
的潮流となった近年︑一現代的支出税﹂の具体的な導入提案が七〇年代末から八〇年代にかけて相次いだにもかかわら
21現 代 租 税 ・税制 論 の検 討 日
ず︑どれも︑どこでも実現をみなかったのは︑提案内容が未整備であるというよりも・
のに由来しているというべきであろう︒ その机上の空論的性格そのも
(‑)佐藤〜准帽︑肱剛掲煮凹︑レヒハ.頁︒
(2)2.内︒一α︒き﹀コ穿℃oコロ一ε話↓山×藁ゆゆ9(前掲︑邦訳︑五頁)︒
(3)前掲﹃シリ〜ズ現代財政﹄︑第・.巻︑一八頁︒
(4)前掲書︑一.O頁︒
(5)ぎ﹀コα裡Φ≦ρゴ︒・コ・巾ロ量喜‑ぎ§婁閃δ≦℃§昆ぎ皐鐘貯豊ミト箋§§︿︒ド.・≡ρ曾り揖(6)前掲書︑一.O頁︒
(7)宮島洋﹃租税論の展開と日本の税制﹄︑四六〜四七頁︒
(8)前掲︑﹃現代財政﹄第.︑巻︑二〇頁︒
(9)宮島洋︑前掲書︑︑.︑一..︑.︑一六頁︒
(10)﹁前納﹂(ないし[後納﹂)の意味については︑次のように説明されている︒
﹃前納﹄という用語は︑支出税か・り除外された資産(貯蓄)の場合に︑葵控除ないし貯毒除の否認(資産所得と資産売却額ないし貯蓄引畠し額は不算入)か・りその鵡入時(貯蓄時)に課税→スが増大し・事実上・税が前払いされる(舌典的
福 髄 鵜 欝 纏 編 麟 黎 鍵幅 蝶 紬 雑 灘 鶴 麟 慧 器 蕊 製 翻 鍍 鍋 鍔 歎議 紬鰹 誕
る(前の場A口の逆胎用者ご﹂とになり︑﹃後納﹄というべきものになっています﹂(前掲書:西頁)・(H)▼﹂の両者が尋価Lとなることの証明Lについては︑宮島︑前響・三八〜四貢参照・なお︑上掲表‑にも示されているとおり︑いまや髪上︑稼得売働所得(纂)を馨時点で課税するのが現代的支出税L・その消費支出の時点で生涯にわたって課税されるのが習典的支出税Lというのであるから・本文で指摘し三るコ定の条件﹂(;の大前提条件と最低三つの必要条件)のドでは︑両者の現在価値でみた税轟が尋僅となる﹀﹂とは・あえて数学的証明をまつまでもなく自明のことといってよい︒
(12)前掲︑﹃現代財政﹄︑第二巻︑二〇頁ならびに宮島︑前掲書︑三八頁︒
(31)同上・二頁ならびに三八頁︒先の注(n)で述べたとおり︑課税のタ{ングが︑両方式のうち︑前者が勤労期間のみ︑
後者が生涯と異なるため︑両方式の﹁等価﹂成立のためには︑この条件が必要となる︒
(14)同上︑二一頁ならびに.一.八頁︒
(15)宮島︑前掲書︑四.頁︒
(16)前掲︑﹃現代財政﹄︑一二頁︒
(17)宮島︑前掲書︑四五頁︒
(18)前掲︑﹃現代財政﹄︑一.一頁︒
(19)宮島︑前掲童日︑三六頁︒
四 ﹁ 包 括 的 所 得 税 ﹂ に つ い て
6 所 得 概 念 と そ の 変 遷
苞括的所得Lとは・いうまでもなく課税上の所得概念の;であるが︑それを含む課税上の所得概念の基礎には経
済学上の所得概念がある︒
まずマルクス経済学によれば︑資本主義のもとで︑一定期間(通常一年)に生産された生産物の総体が社会的総生産
物であるが・これは価値の点からみれば次の二つに区分される︒第一は︑社会的総生産物の生産において︑生産的に
消費された生産手段の価値が移転した部分︑すなわち消費された不変資本(︒)の価値にあたる部分であり︑第二が︑
そこにおいて新しく生産された新価値部分(価値生産物)であり︑これはまた可変資本(V)の価値と剰余価値(m)か
らなりたつ︒この社会的総生産物価値・Wロc+v+mのうち︑国民所得をなすのは︑第一の部分すなわちv+mで
ある︒Cの部分は消費された不変資本の補填にあてられ︑残りのv+m部分が︑賃金(v)︑利潤(企業者利得︑利子)︑
地代(以上は︑いずれもmの分配部分)という資本主義社会の三大階級の貨幣収入として国民所得となる︒
現 代 租 税 ・税 制 論 の 検 討 23
この国民所得(総所得)のうち︑v部分は労働者にとっては賃金(給与)という所得をなすが︑資本家にとっては可
変資本として費用をなし︑したがって資本家にとっては︑m部分のみが純所得となる︒なお現実の資本主義において
は︑理論上は前資本主義的な小商品生産者(小企業者や農民)が多かれ少なかれ残存するのが通常であり・かれらによっ
て新しく生産された価値も︑個人業t所得(実質的にはvに相当するとみなしてよい)として国民所得の一部を構成する︒
これらの賃金︑利潤(企業者利得ー内部留保︑配当と利r)︑地代ならびに個人業主所得等は︑生産過程において新たに
生産された価値部分であり︑あるいはその分解された所得であるから︑本源的所得国民所得のいわば第一次的分配
1をなす︒これに対して︑不生産的部門で生じた所得(あるいは直接的には再生産に関与しない社会成員の所得)は︑本源
的所得から第二次的に再分配されて派生的に生じた所得であるから︑派生的所得として区分される︒後者には基本的
に二つの形態があり︑その第一がサービス部門における諸所得(賃金︑利潤ほか)︑擬制(仮空)資本の売却から生じる
キャピタル・ゲイン等であり︑第二が︑国家(税財政)による再分配(公務員賃金︑社会保障給付など)である︒
こうしたマルクス経済学の国民所得概念にたいして︑近代経済学の国民所得概念は︑生産額から原材料費と減価償
却費を控除した﹁付加価値﹂の分配(企業︑雇用者等へ)と一般に定義されている︒付加価値とは︑生産によって新しく
付加された価値を意味するから︑物的生産の付加価値はマルクス経済学でいう﹁価値生産物﹂(V+m)に相当する︒
理念的には︑前の定式と同内容だが︑製品(用役)価値ー外部購入価値μ付加価値という算定式でも表示され︑企業会
計上︑それは経常利益︑人件費︑金融費用︑地代︑家賃︑租税公課に分類され︑同時にそれらが国民所得の構成部分
とされている︒
このように近代経済学でも︑"価値〃という用語は使われているが︑その実質は価格ないし価額と同義にすぎず・し
たがって厳密に科学的な価値概念(本質把握)を欠除したまま所得論(現象把握)が展開されているところに︑総じて近
代経済学の国民所得概念の一般的特徴がある︒そのたあ︑本源的所得と派生的所得がなんら区別されず(価額ないし貨
幣収入という現象形態の次兀だけで把えれば︑たしかに区別はない)︑また﹁付加価値﹂は労働によって生産されたものであ
り︑したがって利潤部分は労働搾取の果実であることが隠蔽される(現象次兀のみで把えるかぎり︑すなわち生産額から原
材料費と減価償却費を控除したものとして把握するかぎり︑v部分もm部分も区別はなくなる)︒
こうして近代経済学hの所得論においては︑所得は︑その真の源泉と諸関係(本質規定)が無視されて︑貨幣収入と
いう現象形態の次元においてのみ把えられ︑したがってそれらすべてが無差別に︑無概念的に所得として一括される
ところに特徴がある︒
次は︑その見本的な見解の一つである︒
﹁生産とは生産資源を用いる働き︑あるいは犠牲︑または少なくともその使用の許可を意味する︒その働きを行なう
者︑その犠牲に堪える者︑その使用を許可する者はその行動に対して支持を受ける︒それらは﹃生産の要素﹄(h餌︒叶︒周︒暁
凛︒口三δ︒ロ)すなわち労働︑危険負担その他の生産的用役を供給している者︑すなわち労働者︑業務執行者︑債権貸与
者・所有者である︒これらの人に対する支払を要素支払(富6§冨︽筥①三ω)と称し︑それは賃銀︑俸給︑利子︑純賃料︑
法人︑組合︑個人企業の利潤という形態をとる︒かかる支払なしには︑国民所得の意味での生産はありえないし︑ま
たかかる支払は生産を離れてはなされない︒そこでこれらの支払の総額は牛産物の総額︑すなわち国民所得に等しい
(1)ことになる﹂
これまでに概説した経済学上の所得概念を基礎として︑課税上の所得概念(課税標準)が設定される︒ただし後者は︑
資本主義の国家による所得課税の直接的な理論的前提をなし︑したがって︑国家にとってより実際的な理論次元の問
題であることと︑社会科学上の理論がもつ階級性からいって︑現実に支配的な課税上の所得概念となるのは︑当然な
現代 租 税 ・税 制 論 の検 討 25
がら︑一般に近代経済学の国民所得論を基本的ベースとした所得概念であることはいうまでもない︒そうしたものと
して代表的なのが︑源泉(ないし周期)説と経済力(資産)純増加説ー1﹁包括的所得﹂説(論)である︒
これについて︑佐藤進教授はこう解説されている︒
﹁前者は︑源泉とむすびついて規則的・周期的にもたらされる所得だけを所得とみ︑一時的ないし偶発的性格の所得
は︑源泉がどこにあるかわからないので課税所得から除外するものである︒後者は源泉説とは対照的に・贈与・遺贈・
富くじ利得などあらゆる偶発的性格の所得をもふくめる一方︑資産減少の要因となる経費︑債務利子・財産喪失など
を控除し︑資産の純増加分を所得とみるものである︒現代の各国の所得税は︑両者を併用するのが大部分であるが・
フランスやイギリスは源泉説に重きをおき︑ドイツ︑アメリカでは重点を純資・産増加説においている︒ドイツにおけ
る純資産増加説は︑フォン・シャンツの名とむすびつけられているものであり︑アメリカのそれは・ヘイグとサイモ
ンズの名とむすびつけられている︒そして各国の所得税立法の動きをみれば︑この純資産増加説がより支配的な所得
学説とみてよい﹂︒
みられるとおり︑両説の特徴と相違は︑ごく大まかにいえば︑課税hの所得(課税標準)の把え方において︑前者の
場合︑源泉がきわめて明確で規則的︑周期的に発生する所得に限ることから︑個別的ないし限定的であるのに対して︑
後者の場合︑これと対照的に源泉︑形態︑タイミング等の相違を問わず︑文字どおり﹁包括的﹂に把えようとする点
にある︒
これを歴史的な流れにおいてみれば︑前者が先進的資本セ義国としてのイギリス︑フランス︑後者が後進資本主義
国としてのドイツ︑アメリカをそれぞれ発祥の地としていることが示唆しているとおり︑源泉説の方が歴史的に占く︑
包括的所得説の方が新しい︒こうした前者から後者への見解の変遷の背景ないし理由は︑すでに第一節でも述べてお
いたとおり・基本的・一般的には︑株式会社形式の普及をテコとする独占資本主義段階への移行︑さらには国家の経
済過程への介入・規制を特徴とする国家独占資本主義への移行にあるといってよい︒
より具体的にいえば︑こうした資本主義の段階的移行を基本的・一般的な背景としつつ︑たとえば実現ベース.発
生ベースを含むキャピタル・ゲインの発生と巨大化︑年金︑補助金︑その他公的給付といった国家による再分配的な
所得の増大︑インフレーションの慢性化に伴う名目所得と実質所得の乖離とその調整の必要性の増大等々が︑課税所
得の把握上・無視することのできない大きな問題としてクローズアップされるにいたったことである︒このたあ︑従
来の伝統的な源泉説では︑課税すべき所得をト全に把握できず︑したがって︑より"包括的・に所得を把え直す(ただ
し︑無条件に税収増を意味するとは限らない)必要に迫られるにいたったことである︒
こうして独占資本主義ないし国家独占資本主義としての現代では︑その所得税制において︑両説が﹁併用﹂され︑
あるいはより正確にいえば︑源泉(周期)説を包含しつつ︑﹁包括的所得﹂(経済力ないし資産純増加)説が︑より支配的
で基軸的な課税所得概念となっている︒
もっとも︑そうだからといって︑﹂包括的所得﹂説が︑現代資本主義下の現行所得税制において︑実際にも支配的で
基軸的に貫ぬいているわけではない︒むしろ大幅に乖離しているという方が実態に近い︒たとえば︑﹁包括的所得﹂課
税の特徴とされる所得捕捉の﹁包括﹂性︑総合性と相反する分離課税制度(資産所得がその中心)の広範な存在︑累進課
税の理念に逆行する税率構造の比例税率化(累進税率構造の形骸化)︑﹁包括的所得﹂課税のもとでは存在根拠をもたない
はずの法人税︑相続税︑財産税︑消費税の並存︑等々をみただけでも明らかである︒この意味では︑四包括的所得﹂説
が現代において︑より支配的とはいっても︑たんに抽象的な理念上のーあるいは近代経済学的な課税所得論をめぐる
学説上のー位置づけにおいてにすぎないとユ.日った方が妥当であろう︒
27現 代 租 税 ・税 制 論 の検 討 ←→
⇔﹁包括的所得(税)﹂の概要と問題点
﹁包括的所得(︒︒憂Φ§・・孟§量概念は︑その主唱者の名前に因んで・シャンツ.ヘイグ.サイモンズ(ω9きN出繊噸ω冒︒話)概念レ﹂も呼ばれるが︑そこに共通する特徴は︑所得の苞括的Lな定義・すなわち所得を貨幣
評価が可能な一切の経済力ないし建の.蒔点間における純増加と把える点にある︒このため経済力へないし資産)増
加説と呼ばれることもある︒
所 得 と 遜 与 え ︑b れ た 期 間 中 の 奮 体 の 純 資 産 の 増 加 で 窒 ︑ ﹁ 所 得 と は . 蒔 点 間 の 個 人 の 経 済 力 の 純 増 加 の 貨
幣価値である﹂︑所得とは︑鞠ω消費の権利行使の市場価値︑鰯首・期末間の保有護佃理変化の継L(所得蒲
費+資産純増)であると定義されている︒そして︑この意味での﹁包括的﹂所得を課税→スとして・総合.累進課税
を行うというのが︑﹁包括的所得税﹂の理︒念的特徴である︒
こうした﹁包括的所得﹂概念の特徴と意義について︑ある論者は次のように解説されている︒
苞括的所得税の課税べ支となる所得の概Aな︑.蒔点問における経済力の増加と定義されますが・その経済力とは希少な経済資源を支配する能力のことであり︑消費に財産権価値の純増分を加えたものと表現されます︒このよう
に包括的所得税では︑所得の獲得面ないし源泉面ではなく︑所得の処分面ないし行使面に着目して・所得が定義され・
構成されているわけですが︑}﹂れは︑人びとが所得を獲得するのは所得の獲得自体に目的があるのではなく・現在における経済資源の支配(消費)および将来における経済資源の支配(財産権価値の純増簡単に締貯蓄)にこそ目的があ
ると考えられているからにほかなりません︒したがって︑担税力の指標となる課税ベースの構成にあたってもっとも
重要な}﹂とは︑経済力(経済資源の支配力)の増加に毒するあらゆる嬢の所得を無差別に算入し・しかもそれらを総A口する}︑とです︒要するに︑包括的所得税は︑包括的な所得の定義とそれらの総合所得の多寡に笙義的な関心を
もっているのです︒逆にいえば︑すでに述べたように︑所得獲得面における各種所得の源泉︑形態︑実現タイミング︑
獲得方法︑経済的性質などの特性または異質姓は捨象される︒﹂
みられるとおり︑﹁包括的所得﹂概念がいう﹁所得﹂︑すなわち﹁経済力(消費+資産純増ごとは︑別の表現を使えば
(内容は同一)・﹁経済資源を支配する能力﹂であり︑そしてそれは﹁現在における経済資源の支配(消費ごと﹁将来にお
ける経済資源の支配(資産純増)﹂を包含するとされる︒したがって︑課税ベースの構成においても︑﹁経済力の増加に
寄与するあらゆる種類の所得を無差別に算入︑総合すること﹂︑いいかえれば︑﹁各種所得の源泉︑形態︑タイミング︑
獲得方法・経済的性質などの特性または異質性は捨象される﹂とされる︒このように所得とは︑現在ならびに将来に
おける経済資源の支配力と規定されることになると︑貨幣評価が可能なーその難易は別として1文字どおり一切の
﹁経済力﹂が︑所得として﹁包括﹂される︒従来の源泉(周期)説が包含しなかったキャピタル・ゲイン等を課税ペー
スとして﹁包括﹂するかぎりにおいては︑その﹁包括﹂性に一定の積極的意義があるものの︑理論的には︑近代経済
学をベースとする所得論の本質的特徴︑すなわちその無概念性は︑ここに至って一層拡張されて︑いわば頂点に達す
るといってよい︒﹁三位一体﹂的所得論の極致というにふさわしい定義というべきであろう︒
この﹁包括的所得﹂概念にもとつく具体的な所得の定義については︑ある論者による手際よい整理がある︒﹁包括的
所得﹂を定式で示せば︑所得11消費+資産純増(支出税の定式︑支出(消費)u所得‑資産純増(貯蓄)を移行したのと実質
同じ)となることはすでにみたが︑以下はその具体的な内容を整理して示したものである︒
﹁(包括的⁝‑引用者)所得税の対象になる所得は︑具体的に次の二つの要素の合計からなる︒
ω要素所得︑所得移転あるいは蓄積された富からの消費額に︑さらに次の二つの消費項目を付加する︒つまり
㈱自分自身が使用のたあに生産した財.サービスの消費
現代 租 税 ・税 制 論 の検 討 29
㈲ 所 有 す る 耐 久 消 費 財 の 使 用 価 値
② 個 人 的 な 富 の 純 増 ︒ こ れ は 純 貯 蓄 の 蓄 積 や 所 有 財 産 の 価 値 増 加 か ら 発 生 凱 祝 ﹂ ︒
}︑れを近年の再評価論議を考慮しつつ︑葦補強して再整理すれば︑一般的に論者のあいだで多少の異論がある)次
のようにまとめられよう︒
ω消費①要素所得(生産案が受け取る所得で︑営業剰︑雇用者所得など)︑移転ないし振替所得(生産に撰寄与せ
ず︑政府や企業々り受け取る所得で︑失業給付金︑年金︑企業負担の福利厚隻出︑保険料の壁負担分など付加給付h.一コαqΦげΦロ.葺等)︑資産所得ないし財産所得(利子︑配当︑地代︑賃貸料︑実現ベースのキャピタル・ゲインなど)
からの消費︑②自家消費︑③所有資産・耐久消費財の﹁使用価値﹂(持家住宅を市場家賃で評価した帰属計算上
の家賃.帰属家賃など︑帰属所得ぎ薯8α貯ooヨ①の消費)
②資産純増①純貯蓄の蓄積(預貯金︑遺産︑贈与など)︑②所有資産の価値増加(発生ベースのキャピタル・ゲインー
ロスは控除1など)
そして︑}﹂.つした苞括的所得﹂が課税べ支として苞括Lする具体的内容から︑必然的に次のような租税体系
上の結論が導きだされる︒
﹁(包括的)所得概念の難点(その内容についてはすぐ後で紹介する‑3ー用者)が解消されれば︑包括的所得税による所得
→ス課税の下では︑法人税はもちろん9﹂と︑資産ストックの保有税(財産税や讐産税)および移転税(遺産税や贈
与税)も存在理由が失われる︒なぜなり︑企業への労働供給から生ずるフリンジ・ベネフィットを含むあらゆる種類の
労働所得︑資覆有か・り生ずるキャピタル・ゲインや帰属家賃を含むあらゆる籍の資産所得・そして・移転資産の
受領がすべて課税所得ベースに算入され︑合算されるからである︒