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1.遺

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(1)

II   i二

垂 跡

1.遺

跡 の 概 観

今 回の調 査 地 は 、平城 京廃絶 以 降 田地 とな った と考 え られ る地 区 で 、地 形 は北 西 か ら東 南 に ゆ るや か に傾 斜 す る平 担地 で あ る。 奈 良 時代 の遺構 は 、主 に地 表下 約40〜60Cmのとこ ろに堆積 す る地 山面 (東 南部 は暗灰褐 砂 質土 、他 は暗黄灰粘土

)で

検 出 した。 この 間 は耕 土・ 床土 の下 に厚 さ20cm内 外の遺物 包含 層 (灰 褐砂 質土

)が

堆積 す る。遺構検 出面 の一部 に奈良時代 の整地土 と思 われ る黄灰粘 質 上が薄 く残 存 していた ものの、柱掘 形 の深 さや 濤 等 の遺 存状 況 か らみ て 、全体 的 に後世 の 削平 を うけ た と判 断 され る。

しか し、遺構 の保存状 態 は極 め て良好 で、 多数 の柱掘 形 、土鍍 、濤 、井 戸等が検 出 され 、 これ らを検討 した結果 、十六坪 は奈 良時代初頭 か ら平安 時代初期 にか けて宅地 と して利用 され た こ とが 明 らか とな った。

この坪 は、奈良時代 の 中頃 を境 に前 後 で宅地割 (坪 割

)が

変 わ り、 また井 戸 の時期 か ら 考 えて 、前半期 、後半期 とも大 き く

2時

期 に区分 す るこ とが で きる。

奈 良 時代 前半 期 は 、十六坪 は道 路 状 遺 構S F0529に よって南北 に三分 され る。 この道 路 は 、坪 の推定 中心線上 に位置す るため宅 地割 の施 設 と判 断 され る。二 条の側 濤 (S D 0525、

0530)か

ら出土 した土器 の年代 は 、 ともに奈良時代 中頃 であるため 、ほぼ 同時 に廃 絶 した もの と思 われ る。 したが って 、それ以 降 には少 な くとも坪 の西半 は一体 とした利用 され た こ とが うか が える。

出土遺 物 は 、 分岐 に わ た る。 と りわ け 土器 類 の 出土量 が 多 く、 また器種 が 豊 富 で しか も 完形 品に近 い もの もか な りあ るのが特 徴 で あ る。 その なか で 人名等 を記 した墨 書 土 器 が 三 点 出土 した こ とは 、注 目に値 す る。

2.遺  

検 出 した遺構 で、現 在 まで明 らか とな った主要 遺構 に 、掘 立柱建 物 28棟 、塀

5条

、濤数

条 、井 戸

2基

、土墳 な どが あ る。 整理 上 遺構 に一連 番号 を付 し、 その前 に

SA(塀

)、 S

B(建

)、

SD(濤

)、

SE(井

)、

SF(道

)、

SK(土

鍍)の記号 をつ け た。 以 下 に順 次 解 説す る。 なお 、

( )内

の寸法 は天平 尺 に換算 した値 であ る。

S B 0521 発IFL区東南隅 に位 置す る掘 立柱 東西棟建 物。東半 は発掘 区外にな る。 桁 行1間 以上

(8尺

)、 梁行2間

(6尺

等 間 )で 、東 西 濤 S D 0525廃 絶 後 に建 つ 。

S B 0522 発掘 区東南 隅 に位 置す る掘 立 柱 南北棟建 物 。 東側柱列 は発掘 区外 に な る。桁 行

9 10

耕 上 2  暗灰砂 3  床 ± 456  灰 色砂 7.灰 褐 砂 質土

晴 灰褐 粘 質 ± 9  暗 灰褐砂 質土(S D 0527)10 地 山 (責 灰 粘 質 土)

hg 6 

発掘 区北 壁東部上 層 図

(2)

3間 (35尺

等 間)、 梁行 1間以上

(3尺

)と極 め て小 規模 な仮設的建物 。東西濤 S D 0525廃 絶 後 に建 つが 、柱 穴の重複か ら S B 0521よ り時期 は古 い。

S A 0524 発掘 区東南隅 にあ る東西柱 列 。

 2間

(7尺

等 間)。 東西濤 S D 0525廃 絶 後 に設 け られ る。

S D0525(PL.8)発

掘 区南端 にあ る道路 状 遺構S F0529の南側 滞 にあた る東西濤。遺 存 状 況 は良好 でないが 、最 大幅約

15m、

深 さ約 15cmほ ど。埋土か ら出土 した土器類 の年 代 か ら奈良時代 後半 に廃絶 した こ とが わか る。

S D 0527(PL.4)発

掘 区東寄 りで検 出 した南北 に長 い濤状 の窪み。幅約

35m、

深 さ10

〜15cmほ どあ り、 S D 0525以 南 では検 出 され ない。出土遺物か ら奈良時代 後半 に廃絶 した と推 定 され るが 、性格 等 は不 明 で、今 後 の検 討 が待 たれ る。

S F 0529(PL.8)発

掘 区南端 にあ る二 条 の東西 濤S D o525、 S D o530を 伴 な う東西 方 向 の道路状 遺構 。十六坪 の条坊復 原 をす る と、坪 を南北 に二分す る位置 にあ る。道幅 は 、濤 心 々 で約

36m(12尺

)にな る。検 出状 況か ら京造首 当初 か ら設置 され 、 また二 条の濤 の廃 絶 時期 が 同時 であ るこ とか ら、奈良時代 後 半 に廃絶 す る宅地割 の施 設 と判 断 され る。

S D0530(PL.8)道

路状 遺構S F0529の北 側 濤 と推定 され る東西濤。幅約

12m、

深 さ10

伽 ほ どで断続 的 に遺存す る。 出土遺物 か ら S D 0525と 同時期 に廃絶 した こ とが わか る。

S K 0538(PL。

9)井

戸 S E 0540の 東南 に あ る矩 形状 の大 形土渡 。深 さ約20cm。 埋 上 の 堆 積 状 況や 出土遺物か らみて 、 S E 0540の 掘 形 と同時期 で井 戸掘形 の一部 とも考 え られ る。

S B 0539 発掘 区東端 中央 に位 置す る掘 立柱 東西棟建 物 。桁行

4間

以上 (7.5尺 平均)、梁 行

2間

(6.5尺 等 間 )で 、東妻 は発掘 区外 に 出 る。柱 掘 形等 の重 複か らS B 0565、 S E 0540よ り 時期 は降 る。

S E 0540(PL。

11)発

掘 区東端 中央 で検 出 し た井 戸。掘 形は 、東西約2.5m、 南北約

3mの

長 円状 にな り、深 さは中央部 で遺構 検 出面か ら2.2m。 井 戸枠 は 、東西60cm、 南北 約70cmで、 縦 板 組 にな り四隅 の内側 に角柱 をたて、横 桟

を渡 して縦板 を支 え る構造 にな る。枠板 は下 端 か ら約

lm分

、及 び横 桟 は

2段

残 存す る。

出土 遺物 は 、土器類 のほか るつ ば な どが あ り fig 7 SE0540断面実 測図

II IZ 7

耕±

 23 

床上

 4 

灰褐砂質土(包含層

)5 

暗褐粘質土柱穴

 6 

責灰粘土

褐灰砂質±

 8 

暗灰褐砂質±

 9 

灰褐砂質土(S D o530)lo 暗褐粘質土(柱)

暗灰褐粘質土(柱

)12 

灰褐砂質土(S D o525) 13 地山(晴灰褐砂質土)

fig.8 発 掘 区 東 壁 南 部 土 層 図

― H X12m

責茶褐粘 質土

‑6‑

(3)

井 戸廃 絶 時期 は 、奈 良 時代 中頃 と考 え られ る。

S A 0544 井 戸S E0540の北 側 に あ る掘 立 柱 東西塀 で 、

3聞

(6尺

等 間)を検 出。柱 筋は 、 東 で北 にや や 振 れ る。 S E 0540の 目隠塀 と考 え られ る①

S B 0545(PL.5)発

掘 区東北部 にかか る南 廂付 の掘 立柱 東 西棟建 物 。桁行

3間

以上 (6尺 等 間)、梁行

2間 (6尺 5寸

等 間)、 1間

(6尺

5寸)で 全体 的 に柱 間 は狭 い。 身合 柱 の柱掘 形 は 、一辺60cmほ どの隅 丸方形状 で、深 さ約40cmと 浅 い。

S B 0550 発掘 区 中央南寄 りに あ る掘 立柱 南北棟建物 。桁行

4間 (7尺

5寸平均)、 梁行 2 間

(8尺

等 間 )で 、柱 掘 形 はやや 小 さい。棟 方 向 は北 で東へ やや 振 れ てお り、時期 は降 る と 思 われ る。 なお 、西 南隅柱掘 形か ら鉄 釘が 出土。

S B 0555 S B 0550の東 どな りに あ る掘 立柱 南北棟建 物 。桁 行

3間 (7尺

等 問)、 梁行2間

(6尺

等 間)。 東側 柱 北端 間 の柱掘 形 は 中世 の南北 濤 に よ って壊 され る。南妻柱 筋 の柱 掘 形 は 、東西濤 S D 0530や 南 北濤状遺構 S D 0527の 廃絶後 に掘 られ る。

S D 0560 発掘 区 中央 東寄 りにあ る素掘 りの南北濤。幅約40cm、 深 さ10Cmほ ど。南北棟S B0580の東 雨 落 濤 を兼 ね 、南端 は 中世 濤 に壊 わ され るが坪 内小 路S F0529の北側 濤S D05 30に 注 ぐと考 え られ る。南北棟 S B 0590の 廃絶後に掘 られ る。

S B 0561 S D 0560の南端 に あ る掘 立柱 東 西棟建 物 。桁 行

3間 (6尺

等 間 )で 、両 妻 柱 は検 出 しなか ったが 、梁 行

2間

(5.5尺 等 間

)と

考 え られ る。柱掘 形 は全体 的 に小 さい。道路状 遺構S F0529廃絶 後 に建 て られ る。

S B 0565(PL.5)発

掘 区 中央 に あ る掘 立柱南北棟建 物 。桁行

3間 (6尺

平均)、 梁行 2問 (南 妻柱 筋

6尺

等 間 、北 妻 柱 筋6.5尺 等 間

)で

南か ら1間目に間仕切 が あ る。全体 にやや 歪 ん だ平面 に な るが 、柱掘 形 の重複や 配置か らみて この付近 に建 つ建 物 の なか で時期 は最 も 古 い と思 われ る。

S B 0570(PL.6)発

掘 区 中央 に あ る掘 立柱建物 で総柱 にな る。東西2間

(6尺

等 間)、 南 北2間

(8尺

等 間 )で 南 北 にやや 長 い平 面 を もつ。柱掘 形 は一 辺60cmほどの隅 丸方 形 にな り、

深 さは約40cm。 西 側 柱 は 、井 戸 S E 0600の 掘 形 に よって壊 され る。 小 規模 な倉庫 風 の建 物 と思 われ る。西北 隅柱掘 形か ら土 馬が 出土 した。

S A 0576 発掘 区東北 に あ る南北 塀 。3間分 (6.5尺 平均 )検 出。

S B 0580(PL.6)発

掘 区 中央北端 に位 置す る掘 立柱南北棟建 物 。桁 行3間

(9尺

等 間)、

梁 行2間

(8尺

等 間)と な る。 ただ し、北妻柱 の掘 形 はやや 小 さ く、西へ 片寄 るの で間仕切

5     1U

耕 ± 2  床 ± 3  責褐砂 質± 4  灰褐 砂 質土

黄 灰粘 質 ± 8  灰褐砂 質土(s D0530)

暗灰砂質土

(s D0525)6 

暗灰褐粘質土

責灰褐粘質土(土

)0 

地山(責灰粘質土)

(4)

柱 の可 能性 もあ る。柱掘 形 は一辺70cm前 後 の隅丸方形 で、深 さ50cmほ ど。 なお 、東北隅柱 掘 形 を切 る土竣状 の小 穴(S K0710)か ら、

6131A型

式 の軒丸瓦が 出上 した。

S B 0584 発掘 区北 東端 に建 つ 南 北 柱 列 ①

3間

(6尺

等 間 )検 出。建 物 とな る可能性が あ る。柱掘 形 の重複か ら S B 0545よ り時期 は新 しい。

S A 0585 S B 0584の西側 に位 置 す る南 北塀 。3間分

(55間

尺 等 間 )検 出。

S B 0590 発掘 区東北寄 りにあ る掘立柱 南北棟建物 。桁行

3間

(5.5尺 等 間)、 梁 行2間

(7

尺 等 間

)で

、柱掘 形 は 、径40cm前後 の 円形状 に な る小 規模 な建 物 。柱掘 形 の重 複か ら、S B0580及び S D 0560よ り時期 は古 い。

S K 0594,0595 

発掘 区東北 隅 に あ る径

lmほ

どの円形状 の土墳状掘 形 で 、

3mの

間隔 で 東西 に並 ぶ。深 さはS K0594が50cm、 s K0595が90cmあ り、柱掘 形 の可能性 も残 る。

S E0600A(PL。

9)井

戸 S E 0600 Bの 掘 形 に切 られ る一辺2m、 深 さ90cmほ どの大型 の 方形状 土渡 。埋 土 は責茶褐色砂 質土 で均 質 的 に堆積 してお り、 また遺物 の 出土 は極め て少 な い。井 戸 S E 0600 Bよ リー 時期 前 の井 戸掘 形 の可能′1生が強 いので 、 これ を S E 0600 Aと した。

S E 0600 B(PL,9)発

掘 区 中央 に位 置す る井 戸。掘形 は 、長径3.5 m、 短径

3mの

長 円状 に な り、遺 構検 出面か ら80cmほ ど全体 を掘 つ た ところで北半部 のみ更 に

22m

ほ ど掘 り下 げて井 戸枠 を据 え付 け る。井 戸枠 は 、内径 東西約80cm、

南北 約60cmの 矩 形 にな り、下端 か fig。 10 S E0600断 面実 測図

15mほ

どが 残存す る。枠 板 は 、扉板 を転用 した もの と思 われ 、厚 さ 5 cmの 1枚板 で 各 面 を囲 い、内側 中程 に角材 (南 北

)及

び半 丸太材 (東 西

)を

井桁 状 に渡 す 。 しか し、各部 材 に仕 口穴等 は な く極 め て簡単 な構造 にな る。井 戸掘 形か ら出土 した遺 物 の年 代 か ら奈良 時代 後 半 に構築 され 、奈良時代 末期 に廃絶 した と考 え られ る。

S B0610 

井 戸 S E 0600西 南 に建 つ掘 立柱建物 。総柱 。東西2間

(8尺

等 間)、 南 北2間(6 尺 等 間

)で

東西 に長 い平 面 に な る。柱掘 形 は一 辺40cm前 後 と規模 が小 さい。柱掘 形 の重 複 か らみ て、 S B 0640よ り時期 は古 い。

S B0615 

井 戸 S E 0600の 北 に あ る掘 立 柱東西棟建 物 。桁行3間

(7尺

平 均)、 梁 行2間(6 尺平均)。 西北 隅柱掘 形 は 、土媛S K0625の底 か ら検 出 したの で、時期 は これ よ り古 い。

S B 0620 井 戸 S E 0600の 東端 にあ る掘 立柱建 物 。西北部 は S E 0600の 掘 形 で壊 され るが 、 東西

2間 (6尺

等 間)、 南 北

2間 (8尺

等 間)と南北 に長 い平面 にな り、 また S B 0570と 規模 が 同一 であ るので、総柱 の可能性 が あ る。全体 の配置か ら考 えて 、 この建 物 の方が古 く、

S B 0570は 建 て替 え と考 えた い。

暗灰砂 質土

‑8‑

(5)

S K 0625(PL.8)発

掘 区北 西 に あ る東西 方 向 に長 い滞状 の大 土渡 。幅2.5m、 長 さ6m、

深 さ15〜 20cmあ る。 奈良 時代 中頃 に属 す る土 器類 が 多量 に 出上 した。

S B 0630 発 掘 区北端 中央 に あ る柱列 。

2間

分 (6.5尺 等 間

)検

出。柱 掘 形 は約 30cmと 小柄 で あ るが 、南北棟建 物 の南妻柱列 にあた る可能性 が 強 い。柱掘 形 の重複 か らS B 0580よ り 時期 は新 しい。

S B 0635 発掘 区南端 西寄 りに あ る2列の東西柱列 。各

3間

分 (6.5尺 等 間

)検

出。柱掘 形 は50cmほ どで小 さいが 、柱 筋は揃 う。柱列 の間隔 は

4.2m(14尺

)ある。妻柱 を検 出 してい な いが 、梁行

2間 (7尺

等 間)の東西棟 建 物 に復 原 で きる。柱 掘 形 の検 出状 況か らみ て時期 は降 る と思 われ る。

S B 0640(PL.7)井

戸 S E 0600の 西 南 に あ る掘 立柱建 物 。総柱 にな る。 東西2間

(6尺

等 間)、南 北

2間 (7尺

等 間 )で 、建 物規模 に比べ て柱掘 形 は一辺60cmほ ど と大 き く、倉庫風 の建 物 で あ ろ う。建物 の方位 は 、北 で東へ振 れ てお り時期 は降 る と思 われ る。

S A 0645 発掘 区 中央 北寄 りに あ る柱列 。5間分 検 出。柱 間は

2m前

後 でやや 不揃 い。柱 筋 は東 に振 れ る。性 格 は不 明 。

S B 0650 S B 0615と ほぼ 同一 に建 つ掘 立柱 東西棟建 物 。桁行3間(6.5尺 前後)、梁行2問

(7尺

等 間)。 柱 掘 形 は径30cmほ どで小 さい。S K0625と 重 複す るが 、時期 は これ よ り古 い。

S B 0655 S B 0650の北 に位 置す る小 規模 な 掘 立柱 東西 棟建 物 。桁行3間

(5尺

等 間)、 梁 行

2問 (4尺

等 間 )で 、柱掘 形 は20cm前 後 と小 さい。S K0625と 重 複す るが 、時期 は これ よ

り古 く、 また全体 の配置か ら考 えて、 S B 0650よ り新 しい。

S B 0660 発掘 区西端 南半 に並 ぶ柱列 。

4間

(7尺

等 間 )検 出。柱掘 形 は、30cm前 後 と小 さいが 、整 然 と並 んでお り南北棟 の東側柱列 の可能性 が 強 い。

S K0665 

発掘 区西 南 にあ る不 整 形大 土媛 。 深 さ20cm前後 。東端 は、 S B 0640の 柱掘 形 に か か る。土器 類 が 多量 に出土 した。

S B 0672 発掘 区西寄 りに あ る掘 立柱 南北棟 建 物 。桁行

3間 (7尺

余 り)、 梁行2間

(6尺 5寸

等 間

)で

南 半 に間仕切 柱 が建 つ 。北 妻 柱 掘 形 か ら瓦 器 (13世 紀

)が

出上 した。

S B 0675 発掘 区西端 中央 に位 置す る掘 立柱 南 北棟建 物 。 東西2間

(7尺

等 間)、 南 北2間 (10尺 平 均)と変 則的 な平 面 に な る。柱 掘 形 の一部 が 奈 良 時代 後半 に掘 られ た土竣 等や

SB

0640の 柱掘 形 で壊 されてお り、時期 は古 い と思 われ る。

S B 0678 発掘 区 中央西寄 りにあ る掘 立柱 南 北棟建 物 。桁 行

4間 (6尺 5寸

平均)、 梁 行2

(8尺

等 間)。 東側 柱 は 、中世 濤等 に よって壊 され たため 、遺存状況 は良好 と言 えな い。

北 妻 柱 掘 形 は 、 S B 0615と 重 複す るが 、時期 は この建 物 の方 が新 しい。

S B 0680 発掘 区西端 中央 に あ る掘 立柱 東西棟 建 物 。西 半 部 は発掘 区 外へ 出 る。桁行

2間

以上

(8尺

等 間 )で 東妻柱 は検 出 しなか ったが 、梁 行

2間 (7尺

等 間)と考 え られ る。棟 方 向 は東 でや や 南 に振 れ る。遺存状況 は良 くない。柱掘 形 は一辺60Cm以 上 で比較 的整然 とす る。

S B 0675と 重 複 す るが 、時期 は この建物 が新 しい。

(6)

S K 0685 S B 0680内に あ る不 整形 の大 型土羨 で、時期 は、 出土遺物 の年代 か ら奈良時代 後半 と思 われ る。

S B 0690 発掘 区北 西 にあ る掘 立柱建 物 。遺存状 況 は良 くないが 、 後)、梁 行

2間 (5尺

前 後)の東西棟 建物 に復 原 で きる。柱 間に比べ て 柱掘 形 は大 きい。棟 方 向は、東 でやや 南 に振 れ る。

S K0692,0693,0702,0704 

いず れ も発掘 区北西 に分布 す る土壊 で 、深 さは10〜 20cmほ どと浅 く、不 整形 であ る。奈良時代後半 に属 す る土 器類 が か な り出土 した。

S B 0700(PL.7)発

掘 区北西隅 に位 置す る掘 立柱 南北棟建 物 。桁 行

2間

以上 (6.5尺 等 間)、梁行2間(6.5尺 等 間

)に

な り、北半 は発掘 区外に出る。南妻柱列は、いずれ も土城

SK

0625の底か ら検 出 されてお り、時期 は古 い。

S D0716,0720 ‑条

大路確認のため調査地 区北寄 りに設けた トレンチで検 出 した素掘 り の中世濤。幅30cm、 深 さ10cmほどで、一条大 路推定位置 よ り南 にあることが判明 した①

 

もにほぼ東西の直線上 に位置 してお り、同一 滞の可能性 もある。

IY‐

9607      Y一

:&627

Fig.H 

西 北 及 び 東 北 トレ ンチ 遺 構 図

tab.3 主 要 建 物 一 覧 表

‑ 10‑

桁行

2間

以上 (4.5尺 前

二 ▲ 員

時 期 遺構 番号

棟方向   時 期 遺構 番号

棟方向 備 考

桁 行 (尺) 梁 行 (尺) (尺) (尺)

A

S B 0545 S B 0565 S B 0650 S B 0675 S B 0700

3以(6) 3  (6) 3  (65) 2  (10)

2以 上(65)

2幌 ) 2  (7) 2  (7)

2  (6 5) 東西 南北 東西 南北 南北

南廂(65) 間仕切有 C‑1

S B 0615 S B 0660

3   (7) 4  (7)

2   (6) 東西 南北

C̲2

S B 0521 S B 0561 S B 0630 S B 0630 S B 0640

1以(8) 3   (6)

2以(7) 2  (7)

2   (6) 2 ?(55)

2   (6 5)

2   (7) 2  (6)

頁西 東西 南北 南北 南北 総 柱

B‑1

S B 0590 S B 0620 S B 0655 S B 0690

3  (5 5) 2   (8) 3  (5)

2以 上(45)

2  (7) 2  (6) 2  (4) 2  (5)

南北 南北 東西 東西

総 柱?

D

S B 0555 S B0584 S B 0635 S B 0678 4

3 (7)

(6) (65)

(6 5) 3 3

2 (6)

? (7) (8)

2 2

苗北 南北 東西 南北 B̲2 S B 0570

S B 0580

2   (8) 3? (9)

2  (6) 2  (8)

南北 南北

総柱 北へ延びる?

C‑1

S B 0522 S B 0539 S B0610

3 (35)

4以 上(75) 2  (8)

1以(3

2(65) 2 (6)

南北 東西 東西

仮 設的

総柱

S B 0550 S B0680 S B 0672

4 (75)

2以(8) 3  (7)

2   (8) 2  (7) 2  (65)

南北 東西

南北 中世

(7)

3.十

六 坪 周 囲 の 条 坊 復 原 平城 京 右京 二 条二坊 十六坪 は 、北 に 一 条大 路 、西 に西二坊大路 に面 し、南 と東 をそれ ぞれ十五坪 、九坪 との坪 境 小路 に面 してい る。今 回の調査 区が十 六坪 内 に 占め る位 置 を明 らか にす るに は 、 まず これ らの条坊道路 の 交 点の推 定 復 原座 標 を求 め るこ とが必 要 であ る。

本 調 査 区の近 隣地 点で 平城 京 の 条坊 に 関連す る遺構 を確 認 してい るのは 、 玉 手 門(15次 調査)、 右 京一 条一 坊 四坪 に おけ る西一坊大路両側 濤

(103‑14次

調 査)、右 京二 条三坊十一 、十五 坪 にお け る二 条条間大路両側 濤及び坊 間小 路 東側 溝(123‑17次調査

)な

どが あ る。

これ らの位 置 及び実 測値 はfig.12、tab.

4の

とお りで あ る。この うち、

103‑14

次調 査 で得 た西一坊大路両イ民」濤 心か ら

1西 を 寺

│□

Fig。

12 

発掘条坊位 置図

▲ 二 E E 凩 平 城 宮

西 一 坊大路心 を算 出す る と、

X=‑145,394.829、 Y=‑191119

959と な る。 また同調査 に よれば 、西一 坊大 路 東側 濤 は国土 方 眼 方位 に対 して北 で西20′03″振 れ て お り、朱 雀大路 が 同 じ

く北 で西 に∬41'(平城京朱雀大路発掘調査報告書 奈良市 1974) 振 れ て い るの に比較 す る とや や 大 きい こ とが わか る。側 濤 の 振 れ を大路 の振 れ と同一 とは即 断 し難 いが 、今 、西一 坊大路 以 西 の南 北 条坊 を北 で西 に 2げ03″ 振 れ て い る もの と仮定 し

f感

13 

十六坪 条坊 推定復 原概 念図

      調査次数

平城宮玉手門′ 西一坊大路西側薄′ 西一坊大路東側濤′ 西一坊大路東側濤′ 二条条間大路北側濤′ 二条条間大路南側溝′ 右京二条三坊坊間小路 東側濤′

‑145,753540

‑145,395156

‑145,394502

‑145,443702

‑145,747107

‑145,770635

‑145、777204

‑19,093260

‑19,131783

‑19,108135

‑19,107848

‑20,082222

‑20,042112

‑201051846 15次 103‑14

123‑17

tab.4 発掘 条坊座標 表

X Y

A B C D

‑145,490212

‑145,623410

‑145,622677

‑145,489479

‑19,652212

‑19,651435

‑19,518237

‑19,519014

tab.5 十六坪復 原座 標 表

平 成宮

柴出 μ脱

平 城 宮

玉 手 門

(8)

て 、

103‑14次

調 査 で得 た西一 坊大路心 か ら、玉 手 門前 におけ る二 条条間大路 と西一坊大 路 との交 点 の推定復 原座 標 と求め る と、

X三

145,753675、

Y=‑19,117.866と

な るc

また 、

123‑17次

調査 の成果 に よれ ば 、二 条条 間大路 (復 原幅80尺)は国上方H艮方 位 に対 し 西 で商 に0° 18′55″の振 れ を もつ こ とが判 明 してお り、これ を西一 坊大路 以西 の東西 条坊 の振 れ と仮 定 す る こ とが 可能 で あ る。

この 南北 方 向 、東西方 向の条坊 の振 れ を考 慮 して 、先 に求め た玉手 門前 におけ る二 条条 間大 路 と西 一 坊 大 路 との交 点 の推 定復 原座 標 と、玉 手 門心 との 距離 を計算す る と

24606m

とな り、大 路心 か ら平城宮築地大垣心 までの計 画尺 (80尺

)に

近 い値 を得 る。

したが って 、南北 条坊 が国土方B艮方位 に対 して北 で西 に20′03'、 東西条坊が西 で南 に

18′55″の振 れ を持 つ もの と仮定 し、小路心 々 間計画 尺450尺 として 、十六坪 をめ ぐる条坊 の交 点 の推 定復 原座 標 を試算 した。 なお 、 これ までの調 査 で判 明 してい る計画単位尺 は場 所 に よ って1尺あ た り

0294〜 0296mと

定 ま らな いが 、

123‑17次

調査 で は条坊の計画単位尺 が

0.296mに

近 似 す るこ とが判 明 してお り、今 回の試 算 で もこの数 値 を採 用す るこ と とした。

結 果 はtab.5の とお りであ る。

4.占   

十六 坪 を囲む条坊路 の交 点の推定復 原座 標 を も とに 、今 回調査 地 区の位 置 を復 原す る と、

fig.14に示 す よ うに十六坪 の 中央西寄 りにあ た るこ とが わか る。そ こで検 出 した道路状遺構 S F0529の位 置 を考 えてみ た い。 まず 、一 条大 路心 と十五 ・十六坪 の坪境小 路心 との距離 450尺 を二等分 す る線 は 、東西 濤 S D 0530上 に位 置す る。 また、一 条大 路計画幅 を80尺 、十 五 ・十 六坪 の坪 境大路計画幅 を20尺 と考 え る と、坪 の南北長 は400尺 とな る。 この二等分 線 は 、東西 濤 S D 0525に 位置す る。

この こ とか ら、二条の東西 濤S D o525、 0530に よって画 され る道路状 遺構 S F 0529は 、 十 六坪 を南北 に三分す る位 置にす るこ とが わか る。S F0529は 、平城 京造営 当初 か ら構 築

されて お り、十六坪 の宅地割 の施 設 であ る と判 断 され る①

fig 14  十六坪 占地概 念図

▲ 員

‑12‑

(9)

5.時

期 区 分

調査地区は、十六坪の西辺部に位置 し、坪の約ちにあたる。検 出遺構 を検討 した結果、

調査地は宅地 として利用 された もの と思われる。奈良時代の敷地利用は、坪 内に貫通す る 小路S F0529が京造営 当初か ら存在 し、奈良時代の後半に至 り廃絶 した と考 えられ ること か ら大 き く

2時

期に大別でき、更に建物や井戸等の遺構の重複関係や配置状況か ら検討す ると、全体 として古い順に

A,Bl,2,Cl,2, Dの 4期

に区分す ることがで きた。

A期

(奈 良時代 初頭

)十

六坪 は、坪 内東西小路 S F0529に よって南北 に三分 され る。南廂付東 西棟 S B 0545は 、北半坪 の 中央やや西 南寄 りに 位 置す る。柱 間寸法 は、桁行6尺、梁 行 及 び廂 の 出が6尺 5寸 と小 さいが 、 この区画 におけ る 主要建物 であ り、西南 に建つ南北棟建 物S B05

65と ともに居住 区画 を形成す る と思 われ る。

他 の

3棟

は 、いずれ も付属 的施 設 と考 え られ る小規模 な建 物 で、その配置 に計画性 は特 にみ られ な い。

B期

(奈 良時代 前半 〜 中頃

)宅

地害」は 、

A期

を 踏襲す る と考 え られ る。発掘 区東端 に丼 戸

SE

0540がIFLられ 、これ を中心 とす る付属 的施 設が 建 ち並 ぶ 。 この時期 は、建物 の一部 に建 て替 え が あ り、

Bl,B2の

2期に細分 で きる。

Bl期 は、倉庫風の建物 S B 0620を は じめ 、小 規模 な建 物が建 ち並 ぶ。 各建物 の柱 間は5〜 6 尺 が主 で規模 も小 さ く、 また柱 筋 もやや雑 然 と

な り、雑合 を想起 させ る。発掘 区東端 の井 戸S E0540を中心 とす る付属 的施 設が建 つ 区画 とし て利用 され た もの と思 われ る。

B2期 は、Bl期 の雑合 等 を建 て替 え整備 した と 考 え られ る時期 であ る。即 ち S B 0590は S B06 80に 、 S B 0620は S B 0665に 建 て替 わ る。 また、

これ らの建 物 の東側 に S B 0680の 雨落 濤 を兼 ね る水路 S D 0560が 掘 られ る。調査範 囲内では西 半部 に建 物 は な く、土媛 が掘 られ た よ うであ る。

井 戸 S E 0540は 存続す るの で、敷地 利用形態 は基 本的にBl期 を踏襲 した と思 われ る。

SB 0700□

sB 0650

│:::IsB0675  sB 0565

SB 0665  田 H 0560

fig.15  時期変遷図 (I)

(10)

C期

(奈 良 時代 後半

)坪

内 を三分 す る東 西小 路 S F0529は 廃絶 し、少 な くとも十六坪 西半 は一 体 として利用 され た と考 え られ る。

この時期 は井 戸 S E 0600を 中心 に、それ を囲 む よ うに配置 され る建 物群か ら構成 され てい る。

いずれ も小規模 な建物 であ るこ とか ら、敷地 利 用 は前期 と同様 に付属施 設が建 つ 区画 であった。

Cl、 C2の

2時

期 に細分 で きる。

Cl期 は 、調査地 中央 の井戸 S E 0600 Aの 周囲 に S B 0539を は じめ 、総柱 の建物 S B 0610な ど 全 体的に建 物が建 ち、建ぺ い率 も高 くな って い る。 S B 0522は 極 め て規模 が小 さ く、仮 設的。

C2期 は 、調査 区南半 に建物が集 中 し、敦地 利 用 に若千変 化 がみ られ る。 しか し、井 戸S E06

00Bは

Cl期 の井 戸 S E 0600 Aの 改作 であ り、S B0521及び S B 0640は 、それ ぞれS B 0539、 S B0610の建 て替 え と考 え られ るので、全体 とし て は変 わ らない。建 物 の一部 に側柱 筋 を合 わせ るな ど配置上 に配慮が み られ る。 なお 、調査地 北 辺や 西辺 に は 多 くの土媛 がIFLられ た。

D期

(奈 良 時代 末期

)敷

地 は

C期

の ものが踏襲

されたが 、井 戸S E 0600Bは 廃絶 して い る。

南北棟建 物 を主 に

4棟

の建 物が調査 区全体 に わ た って建 ち並 ぶ 。建 物 の規模 は桁行3間、梁 行2間が主 で、柱 間 も6〜 7尺 と狭 い。奈良時 代 末期 に属 す る出土遺物 が極 め て少 な い こ とか ら、 この地 区の性格 は、

B,C期

とか な り異な る と思 われ る。 しか し、坪 の西方 であ り、 しか も規模 の大 きな建 物 は存在 しな いので 、前期 同 様 に付属 的施 設が建 つ 区画 と考 え られ る。

平安時代以降

 

この地 区は、平安 時代 以降 も一 時宅 fig。

16 

時期 変遷 図 (Ⅱ)

地 として利用 され た らしいが 、判明 した主要遺構 は、S B 0550、 S B 0672、 S B 0680の ほか には な く、利用密度は極 めて低 い。 また、この時期 の出土遺物 もほ とん どないの で 平城 京廃絶 とともに宅地 として利用 され な くな った もの と考 え られ る。 それ以降 は、若 干 の南北斜行 濤や土媛群が存在す るにす ぎない。

こ こ

:こ

:isA

sB 0615 H SE 0600A

0660田

sB 0610  SB 0539

SA 0645 H SE 8600B

sB 064箇

B0661

園 sB 0678

‑ 14‑

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