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ジャン=ポール・サルトル : 反体制の体制化

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ジャン=ポール・サルトル : 反体制の体制化

著者 鈴木 正道

出版者 法政大学言語・文化センター

雑誌名 言語と文化

巻 17

ページ 39‑60

発行年 2020‑01‑30

URL http://doi.org/10.15002/00022984

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ジャン ポール・サルトル:反体制の体制化

鈴 木 正 道

このようにジャンポール・サルトル(19051980)は,1972年に撮影され 1976年に公開されたインタヴュー映画の中で語っている。サルトルがノーベ ル文学賞を拒否したという知らせは1964年の10月に世界を駆け巡った。その 後もサルトルというと,実存主義,左翼(極左?)というキーワードとともに,

ノーベル賞を拒否した作家として語られることが(今なお語られるとすれば)

多い。人々の抱くそのようなイメージに感じ取れるのは,「反権力」,「反権威」,

あるいは「反骨」といった生き方に対する驚きと痛快の念である。特に当時ノー ベル受賞者は湯川秀樹一人であった日本において,恐れ多くも世界的に権威あ る賞を足蹴にした作家は,構造主義の隆盛の陰にやや呑まれかけていた思想家 兼作家にそれなりの注目を集めたと言えよう。

「…に反する」 とはサルトルが掲げた哲学思想である 「実存主義 (exis- tentialisme)(2」の根幹をなす。人間とは絶えず自らの存在を顧みてはそれを 脱して(ex-)未来に自らを投げ込んでいく,これが自由であり,これこそ人 39

いつもと同じような具合だ。脱アンガージュマンとみなさ れる作品だというわけだ。でもそれはとんでもない誤りで あって,「言葉」には全く別の意味があった。で,私がア ンガージュマンから脱したのだから,ブルジョワ社会は私 の過去の誤りは考慮しないでおいてやろうというわけだ。

そこにはある種の告白が見て取れるから,ゴンクール賞,

じゃなくてノーベル賞をくれるというわけだ。私を許して くれるということで,私がノーベル賞を受ける権利がある というのだ。私から見れば全く素っ頓狂なことだった(1

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間の本来的な生き方である。こうして彼は政治権力,社会制度のみならず,と りわけ自らに反して生きた。時にはそれが人々の喝采を呼び起こし,他方では 苛立ちや反発を引き起こした。何かに反すれば,その対象を信奉する者は不快 を覚えるだろうし,絶えず自らを否定していれば,付き合う人間は不安になろ う。しかし,というか,そのために彼は,死後は急に語られることが少なくなっ てしまった。ことさら無視されているのか,何となく関心が冷え込んだのか,

サルトルは「獄にいる」とも語られた(3。その一方でサルトル作品を「正統 な古典」として扱う動きも見られる。草稿の検証に基づいた校閲と詳しい注付 けで「権威」あるプレイヤード版の発行およびバカロレアの課題での採用であ る。いかに物議を醸した作品でも,作品として残れば「歴史」の中にそれ相応 の位置を与えられて「組み込まれる」ことを示しているとも言える。

このように述べると予定調和的な弁証法の一例に思われてくるが,実際サル トルの「反」の言動はそれほどすっきりしたものではない。本論ではサルトル のテクストを見渡し,彼の「…に反する」言動を検証し,その意味するものを 考え直したい。まずは年代的にさかのぼり,サルトルの初期の小説作品におい て「…に反する」要素,「反抗」の精神とも言うべき要素を探す。さらに戦後 のテクストにおける「反」精神の変化を検討する。そしてノーベル賞拒否(辞 退?)に象徴される行為とそれに対する人々の反応,「誤解」のきっかけとなっ た自伝作品を検証し,彼の死後における彼の作品の扱われ方を見たうえで,

「反」という行動を考え直したい。

1

.反抗児ロカンタンと成りそこないの反社会分子イルベール

『嘔吐』の主人公アントワーヌ・ロカンタンは,身寄りのない人間として描 かれ,の多い人物ロルボンについての本を書くための資料を調べるためにブ ヴィルのホテルに滞在し,市立図書館に通う。彼は,何らかのカテゴリーに組 み込まれること(integrer)に対して強い拒否反応を示す。ロカンタンは,

「独学者」と彼があだ名をつけた男とレストランで昼食を取っているとき,自 分は社会主義者であると打ち明けられる(4

僕の友達というのはすべての人間です。朝,役所に行くとき,前にも後ろ にも仕事に行く他の人たちがいます。僕はこの人たちを見て,勇気があれ

(4)

ば微笑んで見せるでしょう。僕は考えます。自分は社会主義者だ,この人 たちは皆,僕の人生,僕の努力の目的なのだ,そして皆,まだこのことを 知らないんだと(5

そしてロカンタンに自分と同じように感じないか,あなたが本を書くのも人に 読まれたいからでしょうと,何とかロカンタンを自分の議論に引きずり込もう とする(6。自分と同様にロカンタンも人間をありのまま愛する人間だと見なそ うとする独学者にロカンタンは苛立って心の中で言う。「組み込まれるのはご めんだ。(…)俺はヒューマニストで。それだけだ(7。」

ジャンルイ・コルニーユは,『エロストラート』を『嘔吐』の延長として 読めることを指摘している(8。ロカンタンが拒否したヒューマニズムを「エロ ストラート」の主人公にして語り手のポール・イルベールはさらに過激に攻撃 するのである。

この攻撃性は,冒頭に示される。彼は7階(sixemeetage)の自分のアパー トから通りを見下ろす。

人間どもというのは,上から見なくてはならない。私は明かりを消して,

窓辺に身を置くのであった。連中は誰かが自分を上から観察しているかも しれないなどとは思ってもみない。(…)連中は,強烈な色や目立つ布地 で肩や頭蓋骨を守ることを怠り,人類のこの不倶戴天の敵と戦う術を知ら ない。つまり俯瞰のことだ。私は身を傾け,笑い出すのであった(…)(9

それに対して,いよいよ翌日にブヴィルを去ろうという日に,ロカンタンは町 を見下ろす。

私は何と連中から隔たっていると感じていることか。この丘の高みから 見下ろして。自分が別種の生き物に属しているかのようだ(10

コルニーユは,このように高みから群衆を見下ろして距離をとる態度を,サル トルも扱ったボードレール(11にも見出している(12。私としては,『言葉』に注 意を促したい。幼少期のサルトル,プルーにとって,文学こそが宗教であった。

ル・ゴフ通りにあるアパートの祖父の書斎は神殿であった。その高みに彼は控 ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 41

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えていた。

誰にも自分の生来の場というものがある。プライドとか価値観とかがその 高さを決めるのではない。幼少期が決めるのである。私にとってその場と は,屋根を見下ろすパリの7階である(13

サルトルがこれを書いたときに『エロストラート』の一節を思い出していたの かは明らかではない。ただ幼少期に住んでいたアパートの記憶が二つの作品の 舞台設定を生み出していることは確かであろう。いずれにせよ,自らを高みに 置き,他人と距離を取る,他人を寄せ付けないという態度は共通している。ロ カンタンの態度は,当時のサルトルを映し出していると言えるだろうし,イル ベールは,サルトルの妄想的な欲望をあぶりだしているようにも感じられる。

他方プルーは,サルトルが子供時代の自分を寛容な眼差しで批判的に描いてこ とさら距離を置いていると考えられる。

イルベール自身は語り手として述べていないが,往来で拳銃を乱射するとい う行為はアンドレ・ブルトンが『第2マニフェスト』で最もシュルレアリスト らしい行為として挙げている(14。ただ,サルトルの主人公は自分の計画に実 に惨めな失敗をするのである。5発で5人を殺すはずだったのが1人しか倒せ ない。しかも犠牲者が本当に死んだかどうかもわからない(15。自分のために とっておいた最後の一発を放つに至らず,結局投降する。

イルベールは犯行に先立って予告状を102人の作家に送る。「ヒューマニス ト」である作家たちに宛てた手紙の文言は,まさにロカンタンを苛立たせた

「独学者」の自己陶酔の人間愛の告白を思い起こさせる。

あなたは血の中にヒューマニズムを抱いておられます。結構なことです。

あなたは人といるときに晴れやかな気分になります。自分の同類を見るや 否や,知らない人でも共感を覚えるのです(16

人間同士の肌と肌の接した繋がり,肉体と精神の区別がなくなった共感,それ をサルトルの二人の主人公たち(17は嫌悪し,憎悪する。ロカンタンは「吐き 気」を催し,イルベールは破壊衝動を覚える。このような「人間臭さ」をそぎ 落としたイメージが黒い乾燥した場所やものとして両作品には描かれる。

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ヌワール通り(LeBoulevardNoir)は非人間的である。鉱物のように。

三角形のように。ブヴィルにこんな道があるのは結構なことだ(18

2000年以上も前に,そいつは死んでその行為はいまだに黒いダイヤモン ドの如く輝いているのだった。私は,自分の運命は短く悲劇的なものにな るだろうと考え始めた(19

金属的で人を寄せ付けない冷たさ,数学的な非存在,非人間性はまた「一指導 者の幼年時代」の主人公リュシアンが自らのアイデンティティのよりどころと する右翼の具現でもある。

外は暑く穏やかだった。人々はそぞろ歩いていた。顔には春の驚いたよう な最初の微笑みを浮かべていた。この軟弱な群衆の中に,リュシアンは一 片の鋼のように突き進んでいった(20

権利! 三角形や円の類のものだ。あまりにも完璧だから存在しない

(…)(21

「存在しない」硬質の概念。ロカンタンにあってはかなり肯定的に描かれて いるイメージが,『壁』の二人の主人公においては明らかに作者の非難の対象 となっている。裏を返せば,このイメージの対立概念である「人間愛」が,

『嘔吐』において独学者の大勢順応および自己陶酔の態度として提示されるの に対して,『壁』の2作品では,積極的に支持されずとも,本来的な自由から 目をそらす自己欺瞞である「非存在としての硬質性」に対立する理念として浮 かび上がってくる。

いずれにせよ,戦前の小説作品においては,「ヒューマニズム」そのものと いうよりも広く認められた価値に取り込まれることへの強い反発が表現されて いる。「俺はヒューマニストで。それだけだ。」というロカンタンンの言 葉からもそれは見て取れるだろう。実際サルトルは1945年10月29日に,サ ルトルの実存主義は悲観的であり,反ヒューマニズムであるという評判に対抗 するかの如く「実存主義はヒューマニズムである」という講演を行ってい る(22。矛盾するようにも取れるが,常に過去を見直し未来に向かっていく,

ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 43

(7)

自分に「反する」実存主義の立場からすれば不思議はないとも考えられる。戦 後の作品においてはこうした態度はまた変化を帯びることになる。

2

.『汚れた手』:「反体制」の「反抗児」と「反体制」の「革命家」

1948年4月2日にアントワーヌ劇場で初演された『汚れた手』は,革命政 党に個人的な英雄心で入ったユゴーと党の指導幹部の一人エドレールの対立を 描く。エドレールは当時の党の方針とは異なる政策を掲げており,その暗殺を ユゴーは党の執行部に命じられる。しかしユゴーはエドレールの人柄に惹かれ ていき,任務を遂行できない。ある日,彼は自分の妻がエドレールに抱かれて いるのを見て,拳銃の引き金を引く。彼が刑務所にいる間に党の方針は変わり,

エドレールはカリスマとして祭り上げられる。これにより,党にとって,ユゴー の行為は,党の命令の遂行ではなく,情事のもつれでなくてはならないことに なる。ユゴーがこれを認めれば彼は,「回収可能(recuperable)」として新た な任務を授かることになるが,自分の行為をあくまでも自分の自由な行為とし て認めたい彼はこれを拒否する。

青臭いナルシスト的な青年にサルトルの面影を認めたくなるのは当然である。

体制の利益に「回収」されることをあくまで拒む態度はロカンタンの延長とも 言える。また党の利益を守るために党の執行部が事実を曲げるという現実主義 を描いている点で,フランス共産党がこの作品に反共的な意味合いをかぎ取っ たのもうなずける(23。しかし第二次世界大戦を経てアンガージュマンを唱え るサルトルは,もはや単に反体制的な主人公を自らの代弁者に仕立てることは しない。『蠅』(1943年6月2日初演)の主人公オレストは孤高の自由を捨て て,自らの行為を引き受ける自由を選び取った。『汚れた手』においても,反 抗児的なユゴーは作者の肯定的な視点に裏打ちされているとはいいがたい。

『自由への道』に登場するフィリップはユゴーやサルトルの描くボードレール と共通点が多いが,明らかに否定的な視点で描かれている。実際,サルトルは,

1964年3月4日のパオロ・カルーゾから受けたインタヴューで,『汚れた手』

に関して語っている。

(…)私は,ユゴーの態度はこの上なく理解していますが,私が彼の中に 自らを具現していると考えるのは間違いです。私は,エドレールに自らを

(8)

具現しています。もちろん理想的にです。私は自分がエドレールだと主張 しているなどとは思わないでください。しかしある意味では,彼のことを 考えると自分がはるかに実現されていると感じます。エドレールは,自分 が革命家だったらなりたいと思う人物です。したがって,象徴的なレベル だとしても私はエドレールです(24

また1948年の3月に『汚れた手』のリハーサルに立ち会ったアルベール・

カミュは,「反抗児」ユゴーよりもエドレールが正しいようにうかがえること を残念だと言ったそうである(25

サルトルとカミュの決裂を決定的にした『反抗的人間』は,1951年秋に出 版されている。サルトルが次第に「現実派」として革命路線を取り,共産党の

「道連れ」としての立場を明確にしつつあったときに,1935年に共産党に入党 したものの37年には離党したカミュの『反抗的人間』はサルトルと『現代』

の編集者たちを戸惑わせた。「革命」を否定し,「反抗」を掲げるカミュの主張 はサルトルとその同志には受け入れがたい考えであった。

カミュは『反抗的人間』において述べている。

反抗の要求するところのものは統一(unite)であり,歴史的革命の要求 するところのものは全体性(totalite)である。反抗は,イエスに基づい たノーから出発し,歴史的革命は,絶対的否定から出発して,時代の極限 に投げ出されたイエスをこしらえるためにあらゆる隷属に身をゆだねるは めになる。反抗は創造的であり,歴史的革命は虚無的である(26

サルトルは,『存在と無』(1943年)で予告した倫理学のためのノートを 1947年から1948年にかけて書いている。彼の死後1983年に出版されたこの 著書の中で,反抗を「具体的で個人的な拒否,すなわちアナーキーなテロ行為」

とし(27,それは「些細な局所的な混乱」にとどまり,既成秩序に回収されて しまうと書いている(28。彼が期待するのは革命であり,これこそ自由を疎外 する体制を破壊し,新たな社会を創り出すのである。革命の仕組みは1960年 の『弁証法理性批判』で詳しく論じられることになる。

サルトルは政治的考えの違いにも関わらずこれまで友情を保ってきたカミュ を真正面から批判したくなかったので,書評の書き手を編集者たちから募った ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 45

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ものの,フランシス・ジャンソンが名乗りを上げるまで半年かかった。ジャン ソンは1952年5月の『現代』79号に発表された「アルベール・カミュ,反抗 的魂」で,歴史を拒否するカミュの態度は説教調なばかりで有効性がないと強 くたしなめる(29。それに対してカミュは「『現代』編集長に宛てた手紙」と題 してジャンソンの頭ごなしにサルトルに反論をぶつける。彼は,歴史にじかに 取り組んでもいない者から有効性の説教を受けるのはたくさんだと主張す る(30

実は,こうしたカミュの考え方は,ロカンタンのそれに通じると言えよう。

「体制」に組み込まれることによって,「個」としての生き方が奪われることに 対する断固とした拒否である。『汚れた手』においては,サルトルの面影を担っ た主人公がそれを継承しながらも,作者としてのサルトルはその人物と距離を 取り,むしろ「体制」を創る人物に政治的,思想的立場を託している。ただし,

この「体制」は,もともとは「異端」として「主流」の迫害を受けたのちに本 人の死後に「主流」として利用されるのである。またこの「革命」遂行路線と しての「体制」は,ブルジョワ社会という「体制」に対する「反体制」である。

戦後のサルトルの「反」の思想における「個」の反抗的な側面をうかがわせ るもう一つの例を挙げておこう。倫理学のためのノートを書いた1947年から 1948年にかけて,サルトルは『自由への道』の第3巻も構想していた。第3 巻は2部からなり,第1部は1940年の6月15日から18日すなわちパリ陥落 とフランス軍降伏までを描き,第2部は6月18日から29日までのフランス兵 のドイツ移送と収容所の様子を描く(31。第1部はマチューの意識に,第2部 はブリュネの意識にそれぞれ焦点を当てている。第1部は,潰走するフランス 軍にあって,マチューが教会の鐘楼に立てこもってドイツ軍に乱射する場面で 終わる。士官たちが兵士を見捨ててすでに逃げてしまっている軍にあって,こ のような行為は戦略的には無意味であり,まさに『倫理学ノート』でいうとこ ろの「個人的な反抗」にすぎない。しかし他方,これまでいかなる「アンガー ジュマン」をも拒否していたマチューにおいて,このようなやけくその英雄行 為はどこかサルトルの隠れた欲望を浮き出させているようでもあり,『エロス トラート』のイルベールが大舞台で自分の計画をやり遂げたようにも思われて くる。この場面の後は第2部が始まり,革命政党という「体制」を凝り固まっ て具現しているという点でやはりサルトルの批判的な視点から描かれるブリュ ネが主人公となる。その意味で第1部の終わりのマチューの行為も作者の考え

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る「自由」の具現ではないことがわかるものの,彼の爆発的な行為はどこか惹 きつけるものがあることは否定できないのである。

こうして戦前の小説の主人公たちは,社会において流布するヒューマニズム のような「空気」に対してアナーキーな反抗心を抱いており,作者の立ち位置 は,『嘔吐』のように主人公よりの場合から『一指導者の幼年時代』のように 批判的なものまである。しかし批判的であっても幼いリュシアンの描写と『言 葉』における幼いサルトルの描写が重なることから,どこか否定しながらも惹 かれているような印象を与えてしまうとも言えよう。それに対して,戦後の作 品においては,ブルジョワの支配する体制に対する「革命」という組織行動つ まりもう一つの体制としての「反」の立場が主張されている。しかしそれでも アナーキーな「反抗」に惹かれる気持ちが見え隠れするとも言えるのである。

3

.ノーベル賞という体制

それから20年近く経ち,政治的な言動が増してきた1960年代半ばにサルト ルは実に「文学的」な印象を与える自伝的作品を発表し,それを追うようにし て一大事件が起きる。1964年10月14日の日刊紙『フィガロ』に短い無署名 の記事が載った。それによるとサルトルがその年のノーベル文学賞の候補に挙 がっているとのことであった。またこの記事には「論争を巻き起こした彼の政 治的過去はとやかく言われることはないだろう。」との一文があった。サルト ルはスウェーデン・アカデミーおよびノーベル賞に対する敬意を表しながらも,

今回も今後も賞を受ける意向はないことを伝える手紙を1964年10月14日付 でアカデミーの事務長宛てに送った(32。 翌日の15日付の 『文芸フィガロ

(Figarolitteraire)』に載った,おそらく新聞の記事と同じ筆者のクイェル・

ストロンベルク(KjellStromberg)の記事で彼はさらに詳しいことを知る(33。 10月22日に彼はガリマール社を通じて公式に,スウェーデン・アカデミーは,

彼の作品がその「自由の精神と真理の探究を示すことにより我々の時代に広い 影響を与えた」がゆえにサルトルの受賞を決めたことを知る(34。サルトルは これを受けて受賞拒否の理由を説明することにする。作家で『ダーゲンス・ニュ ヘテル(DagensNyheter)』紙特派員のカールギュスターフ・ビュルスト ロム(Carl-GustavBjurstrom)がサルトルの口述を書き取り,スウェーデン 語に訳してスウェーデでサルトル作品を手掛ける出版社に送った。またフラン ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 47

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ス語の原稿をサルトルに渡し,サルトルはそれに手を入れて「スウェーデン語 から翻訳」と最後に付した。これはAFPを通じて配信され,10月24日の日 刊紙『ル・モンド』に全文が掲載され,他の新聞に一部が掲載された(35

『作家は制度に変換されることを拒まなくてはならない』と題されたこの声 明(36の中でサルトルは受賞の拒否(放棄)の理由を二つ挙げている。一つは 個人的な理由である。自分はレジオン・ドヌールであろうが,コレージュ・ド・

フランス入りであろうが,公的な栄誉は今まで断ってきており,これは政治的,

社会的,文学的な立場を明確に持つ作家が独立して行動するために必要なこと である。もう一つは客観的な理由であり,東西の対立があり,ノーベル賞が西 側の作家もしくは東側の反体制作家に与えられる賞である限り,独立した作家 として自分はこれを受け取るわけにはいかない。

言い換えると彼が受賞を承諾すれば,その後の彼の行為や発言は「ノーベル 賞作家サルトル」の行為や発言として受け止められ,それは彼の自由を縛り,

またノーベル賞の意味合いを決めてしまうということである(37

「文学に戻ってきたサルトルがノーベル賞の有力候補であり,賛否を巻き起 こした彼の政治的な過去はとやかく言われることはないだろう」という『フィ ガロ』のくだりに関しては,もし自分が賞を受ければ「客観的に見て回収され た」ことになるだろうとも言っている(38。その後,『ヌーヴェロプセルヴァトゥー ル』などのインタヴューにおいてサルトルは,政治的な意味合いを持つノーベ ル賞を受けることは,自分が共産党などに属していればその党が賞を受けたこ とになるのに対して,独立した個人として賞を受ければ制度に「回収されるこ と」になったであろうと述べている(39

サルトルの受賞拒否に対する反応としては,ガブリエル・マルセルがサルト ルを「根っからの中傷者,最も悪辣な教育を終始一貫してまき散らした冒涜者,

若い世代に未だかつてないほど有毒な助言を垂れ流した札付きの腐敗者」と称 している(40。アンドレ・ブルトンは,受賞拒否を「完全に政治的な立場を取っ た行為,『東側の陣営』のためのプロパガンダ活動」(41とみなしている。また

『フランソワ・モーリアック氏と自由』(42で,サルトルに全知全能の神の如く に登場人物を操るモーリアック氏は芸術家ではないとこき下ろされたフランソ ワ・モーリアックは,サルトルこそ自由で真の人間だと皮肉と自虐の混じった 文章で述べている(43

日本においては,平井啓之が受賞拒否を「静観主義的なモラリスト」である

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カミュや「静観的な近くの現象学」を唱えるメルロポンティと異なる「ダイ ナミックに実践をめざす」サルトルらしい行為と捉えている(44。それに対し て『嘔吐』をいち早く翻訳したものの,その後サルトルの政治的な活動を批判 的に見ていた白井浩司は,受賞辞退を「それほど重要ではないように思う」と 述べている。ノーベル賞受賞者というレッテルが自分の活動の妨げになると考 えたとしても,受賞辞退により,彼の歴史的な評価がなされたことを変えるこ とはできないとしている(45

サルトルの辞退は賛否両論を巻き起こしたと言ってしまえばそれまでのこと であり,ことの性質からして当然である。彼の作品の挑発的ともいえる表現や 内容,学生時代や教員時代の言動,およびその後メディアにひけらかした言動 から鑑みてそれほど驚くべきことではないとも言える。サルトルと近しい関係 にあり,プレイヤードの編集に関わるなどサルトル研究の中心を担うことにな るミシェル・コンタは,受賞を知ったとき,それは当然であり,むしろスウェー デン・アカデミーがこれにより威光を増すことになるだろう,とは言うものの サルトルが受賞を受け入れたら情けないことになるだろうと考えたと言ってい る(46。他方受賞辞退を伝えてスウェーデン・アカデミーに宛てた手紙は極め て丁重であるが,世界的に名の知れた知識人として生きる以上,それも当然だ とも考えられよう。そのうえで興味深いのは,本論の冒頭で見たようにそれか ら8年ほど経った1972年に,このことを振り返って,自分の自伝的な作品が

「ブルジョワ体制」への回収を可能にする「良い子」の作品とみなされたこと に対する憤慨を表している点である。

しかし時をさらに経て,サルトルの死後,彼の名がかつてのような人々の熱 狂的な関心を引き起こすことがなくなって久しい中,彼のテクストが新たな認 められ方,使われ方をするようになっている。「古典」としてのプレイヤード 叢書入りおよびバカロレアの課題への採用である。以下これらの点を検討しよ う。

4

.プレイヤード叢書入り

プレイヤード叢書とは,1931年にジャック・シフラン(JacquesSchiffrin) が自社プレイヤード出版(1923年創設)の叢書として創ったもので,1933年 にガリマール社が買収した。古典的作品を携帯版で提供することを趣旨として ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 49

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いた。戦後には現在のように詳しい注釈が付くようになった。現代作品や外国 作品も収められるようになり,1939年にアンドレ・ジッドがプレイヤード入 りしたのをはじめに,存命中の作家も扱われるようになっている(47。そのイ ンディアペーパー,滑らかな革表紙および凝った活字体により「贅沢品」であ ると同時に詳しい注ゆえ研究用の底本ともみなされている(48

サルトルの作品の最初のプレイヤード版が出たのは1981年で,『嘔吐(La Nausee)』,短編集『壁(LeMur)』(LeMur,LaChambre,Erostrate, Intimite,L・Enfanced・unchef)および『自由への道(LesCheminsde laliberte)』(第1巻 『分別盛り (L・Agederaison)』, 第2巻 『猶予 (Le Sursis)』,第3巻『魂の中の死(LaMortdansl・ame)』),さらには付録とし て未発表の『異郷(Depaysement)』,『魂の中の死』(『自由への道』に入れら れるはずだった日記の断章),『最後の機会(LaDernierechance)』(『自由へ の道』の完結編になるはずだった部分の断章)といった小説作品が収められて いる(49

プレイヤード版第2巻目の演劇作品集が出るのは2005年である。『蠅(Les Mouches)』,『出口なし(Huisclos)』,『墓場なき死者(Mortssanssepul- ture)』,『恭しき娼婦 (LaPutainrespectueuse)』,『汚れた手 (Lesmains sales)』,『悪魔と神(LeDiableetleBonDieu)』,『キーン(Kean)』,『ネク ラソフ(Nekrassov)』,『アルトナの幽閉者(LesSequestresd・Altona)』,『ト ロイの女たち(LesTroyennes)』,また付録として『バリオナ(Bariona)』,

『犠牲(LaPartdufeu)』,『け(LePari)』が収められている(50

さらに2010年には『言葉(LesMots)』と他の自伝的作品(『奇妙な戦争日 記(Carnetsdeladroledeguerre)』,『女王アルブマルルあるいは最後の旅行 者(LaReineAlbemarleoulederniertouriste)』,『言葉』の第一稿である

『失地王ジャン(Jeansansterre)』)や評伝(「ポール・ニザン(PaulNizan)」

および「メルロポンティ(Merleau-Ponty)」)などを収めたプレイヤード版 第3巻目が出ている(51

一巻目の小説集に関しては1975年の時点でミシェル・コンタとミシェル・

リバルカがすでに準備を始めており,サルトルはコンタのインタヴューに答え ている。1967年ごろは,プレイヤードは墓石みたいなもので自分は生きてい るうちに埋葬されたくはないと思っていたが,ボーヴォワールなどはプレイヤー ド入りもいいではないかと言っているし,生きているうちにプレイヤードに収

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められた作家もいることなどから考えが変わったと述べている。それは結局

「聖別(consecration)」を意味するのかと畳みかけられるとそうだと答え,

自分は嬉しいし,早く出来上がった本を見たいとも述べている(52

「聖別(consecration)」は本来神にささげることで神聖なものにすること,

さらには永続するものとして確立することを意味する言葉である。コンタは明 らかに「体制」に組み入れられることを常に拒否してきたサルトルが,少なく とも自分の作品に関しては以前の考えを翻した,もしくは柔軟になったことを 確認しようとしている。『言葉』でサルトルが皮肉を込めて描いたはずの永遠 の本と化した己のイメージが今や皮肉抜きで認められているのではと疑ってい るようである。『一指導者の幼年時代』にせよ『言葉』にせよ,サルトルの自 伝的な要素は彼自身の否定的な意味合いと肯定的な意味合いという両義性を持っ ている。サルトルの近年の「制度化」のもう一つの現れであるバカロレアの課 題採用を通して改めて考えたい。

5

.サルトル作品とバカロレア

バカロレアとはフランスの中等教育修了証もしくはそのための試験である。

1808年にナポレオン・ボナパルトによって創設された国家資格試験であり,

これを取れば大学に登録することができる(53。ちなみに2018年の試験の一般,

技術系,職業系全体の合格率は88.3%。一年齢層あたりのバカロレア取得者は,

79.9%であった(54。その後の人生を大きく左右する大切な試験であるだけに,

受験者は対策を練り入念に準備をして臨む。合格発表の際の狂喜乱舞は毎年大 げさに報じられる。それだけにこの試験は「国民の教育」という「体制」を象 徴すると言える。

バカロレアにおけるサルトルのテクストの採用を扱う前に,1969年に起き たある事件に触れておきたい。学校教育の場でサルトルの作品が当時どのよう に見られていたかを示す出来事である。

サルトルはこの事件について『ル・モンド』紙において語っている。ノルマ ンディーのヴェルノンにおいて工業高校の助教員が『壁』を論述の課題として 取り上げたところ校長に呼び出され,さらに大学区当局より移動を命じられた。

『壁』の「生々しく」「大胆な」描写が当局や一部の保護者から問題視されたと いうことである。しかしこの作品集は,サルトルによると国内では高校などで ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 51

(15)

論述の課題として取り上げられ,さらに外国語にも翻訳され教科書版まで出て いる。サルトルはここに1968年の5月革命の余波としての政治的な意図を読 んでいる(55

興味深いのは,サルトルが1939年には挑発的な意図をもって世に出した自 分の作品を,1969年においては教育の分野において「市民権」を得たものと して擁護しているとも言える点である。確かに発表当時彼自身は『壁』の思想 的テーマとして「実存」を述べている。それぞれの作品の登場人物は自分の自 由と向き合っていないと彼は説明している(56。しかし死を前にしておびえる 人間の生理現象,精神を病むとされた人間とその妻,不能者とその妻の性関係 の描写,テロリストの欲望うずめく告白,性をり出すような精神分析のパロ ディなどは極めてお騒がせで,今で言うなら炎上狙いの文章だと言わざるを得 ないだろう(57

しかし1969年において彼はこれらの作品が「学校教育」の枠組みの中で取 り上げられて然るべき「教材」であるとしている。その意味で「体制」の中で の位置づけを与えられることを受け入れていると言えるだろう。もちろんここ ではとりわけ更迭された助教員,つまり教員の中でも特に立場の弱い者の地位 保全という意図も強い。その一方で68年5月の出来事に対する目配せをする 点では「反体制」の意図も含めているのである。いずれにせよ,ここではもは やロカンタンやイルベールのアナーキーな反抗ではなくむしろ体制と反体制に 関する弁証法的な考えが見て取れるというべきだろう。

そのうえで近年のバカロレアでのサルトルのテクストの扱いを見よう。2008 年には哲学のテクスト分析の課題で『倫理学ノート』(58の一節が出され,2010 年の口頭試験では『実存主義はヒューマニズムである』の一節が課され,2011 年にはフランス語(国語)の試験で『言葉』の一節が課題になっている。ここ では『言葉』の課題を検討してみよう。

フランス語(国語)のバカロレアは,高校2年の終わりに受ける試験であり,

その成績は翌年のバカロレアにおいて考慮される。2011年にポリネシアで行 われた試験では,ジョルジュ・サンド,ロマン・ガリおよびサルトルの自伝作 品の一節が挙げられ(59,問1(全員回答)として3人の作家が描く幼年時代の 共通点を少なくとも2つ挙げること,問2としてサルトルの『言葉』の一節の 注釈(commentaire)もしくは作家の自伝が読者にとっていかなる関心を引 き起こすものなのかという論述(dissertation)もしくは自伝の著者が自分を

(16)

よく見せようとする傾向があることを批判する無署名記事を書く(ecriture d・invention)ことが課されている。

サンドのテクストは,話者がアパートに一人でいるときに,大鏡にぬいぐる みのを抱いて自分の姿を映し,芝居を演じたり踊ったりする様子を伝えてい る。ガリのテクストは,母親が経営する裁縫店が破産して差し押さえを受け,

幼い話者がことさら悠然と振る舞って見せることで母親を元気づけようとする 様を描いている。

それに対してサルトルのテクストは,語り手が祖父の書斎でコルネイユを読 み,大人たちがこっそりその様子をのぞき,早熟ぶりに感嘆しているというも のである。ここで注意したいのは,60歳近くに達したサルトルの視点を担っ た語り手が,子供の「教養自習」がお芝居であることを明らかにしていること である。

私の後ろで扉が開いた。「私が何をしているのか」を見に来たのだった。

私はインチキをした。私は一気に立ち上がり,ミュッセを元のところに戻 し,すぐさまつま先立ちになって両手を挙げて,重いコルネイユを取りに 行くのであった。

とはいえ,話者はこのお芝居がそれなりの効果を持っていたことも認めている。

同時に,私は本努力もしたし,それが本当に楽しくもあった。(…)

(…)教養のお芝居は,長い目で見れば私の教養を培っていったのであっ た(60

サルトルは自分の自伝的作品が,政治的な迷走から文学への回帰を示すものと して評価されてノーベル文学賞受賞に至ったことを誤解だとして,この作品は むしろ文学への決別を表すものだとした(61。この試験に引用された部分では,

語り手は確かに早熟な文学少年の教養形成を暖かい皮肉の混じった目で振り返っ ている。とは言えそこから文学への別れの辞を読み取ることは難しいのではな いか。そもそも『言葉』という作品全体が,古典から子供向けの通俗小説まで 間テクスト性に富み,凝りに凝った文体で書かれており,著者の意図がどうあ ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 53

(17)

れ,文学に対する強い思いを感じさせてしまう。いかに著者が「卒業した」自 分の姿だと言っても,またそれが広く知れ渡ったはずの己の自由の哲学(人間 は絶えず己の存在を脱し,未来への己へと投企する)を具現しているとしても,

「理系」の父親を幼くして亡くして「文系」の母方祖父の家に住み,その書斎 で背伸びして古典に親しむ幼児の姿,さらには祖父が神事のごとく念入りに扱 う「本」という形で自分も永遠の存在になりたいと空想する子供の様子は,読 む者を魅了する(62

「共産主義者と平和」とほぼ同時期の1950年代前半に第一稿が書かれた『言 葉』に政治的な読み込みをする者もいる(63。しかし前述の如く,サルトルの 作品において,著者自身が批判的に見ているとされるものは,どこか魅惑的な 要素を含んでいるように感じられることが多い。けだしかつてサルトル自身の 過去の,もしくは隠れた欲望として描かれるからであろう(64。『汚れた手』の ユゴーの青臭い英雄願望,『エロストラート』のイルベールの引きこもり的爆 発感情といったアナーキーな反抗心など。いずれにせよ極めて「文学的」とい える感情である。

サルトルは『言葉』の終わり(M.pp.135139)で文学という宗教から覚め たと述べるものの,文学に対する強い懐疑はむしろ『言葉』の発刊に際して受 けたインタヴューで明確にされる(65。この意味で,バカロレアの課題に取り 上げられるということは,ほかのサルトル作品とともに,サルトルが広い意味 での「古典」もしくは「正統派」の作品として「御用達」の扱いを受けるよう になったとも言えるのである。ちなみに『嘔吐』において,ブヴィルの市立図 書館で青少年にとって望ましくない図書として禁書扱いにされているボードレー ルやジッド(66も今では当たり前のようにバカロレアでは扱われる。

他方フランスのラジオ局「文化フランス」では,2013年4月14日に放送さ れたシリーズ番組「悦ばしき知識」でサルトルの『言葉』が扱われ,前置きで

「サルトルはトーテム,銅像,さらに悪いことに論述試験の課題になった」と 言われている(67。あの反体制児が殿堂入りかと言わんばかりである。

結 び

ロカンタンは,ブヴィルの町に住むブルジョワが作り上げた「体制」に対し てアナーキーな反発を感じていた。この反発はサルトル自身の反発であったと

(18)

考えられよう。パリに住むイルベールはこれを人類全体に対する憎悪に広げる。

『汚れた手』のユゴーは革命政党の「体制」に反抗した。しかしサルトル自身 が共感を抱くエドレールは現実路線派であり,最終的には彼の方針が党により 採られる。その意味でエドレールは,反体制という革命の流れの中で,党とい う体制に逆らいながらも,死後にこの体制に「回収される」ことになる。

生きている間にプレイヤード叢書に作品が収められることがあるにせよ,

「プレイヤード作家」は,その評価が確立した作家である。かつて物議を醸し たことがあるとしても,また論述の課題として取り上げられる以上,互いに対 立する観点を呼び起こすはずであるにせよ,バカロレアに採用される作家,思 想家は「良識」の範囲に収まるとみなされているはずである。ノーベル賞は生 きている人に与えられるが,その研究の成果がすでに人類に多大な貢献をした と認められる場合に与えられる。

サルトルは『弁証法理性批判』(1960[1980])において,硬直した社会制度 が革命により壊され,新たなる制度が作られるものの,その制度が安定すると 再び硬直し,新たなる革命を必要とするさまを描いた。ヘーゲルやマルクスの 弁証法と異なり,サルトルは完成としての最終段階を置かない。破壊と確立の 動きは永遠に続くのである。これはサルトルの自由の観念から必然的に導かれ る考え方だとも言える。人間という存在は常に自分という確立された存在(即 自)を脱し,未来に向けて投企する。しかしまたサルトルは言う。「死」とは 人間を即自とする現象であり,死んだ者はこれをどうしようもすることができ ない(68。しかしこうも言えるだろう。死者を即自とする他者のまなざしは一 つではなく,いくつものまなざしがある。一つのまなざしが作り上げた即自存 在を別のまなざしが打ち消す(あるいは修正する)。そしてまた別のまなざし がそれを変えていく。もちろん数々の眼差しの最大公約数のようなものができ あがるだろうが,それも壊されるなり修正されることも多いであろう。特に現 代のように「多様性」が奨励され,また「マスメディア」の影響力が相対的に 低下し(たように見え),個人が簡単に発信することができるようになった時 代において,「イメージ」は絶えず変わっていくとも考えられるかもしれない。

これを「弁証法」と呼んでいいかどうかは私にはわからない。しかし「体制」

なるものが「確立」しにくい時代になったと同時に,それだからこそ他方では

「ぶれない」「体制」を望む動きも欧米および日本で感じられるようになってき たとも言えはしまいか。

ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 55

(19)

(1) AlexandreAstruc,MichelContat,Sartre.Texteintegral,Gallimard,1977, p.113.

(2) existentialismeは日常語であるexistenceから派生させた言葉であり,西欧 ではそれほど特殊な響きを持つわけではなさそうだが,サルトルが単にそこにあ るだけの「もの」の存在をetreとしてexistenceと区別したことを受けて,日 本語ではetreを「存在」と訳し,existenceを「現実存在」,さらに縮めて「実 存」と訳した。結果として「実存主義」という何か崇高で有難いめいた概念が 出来上がり,流行を刺激することになった。

(3) 例えば2010年にサルトルの自伝および伝記作品のプレイヤード版が出た際の クロード・ランヅマンへのインタヴューで聞き手は,「サルトルの自伝的作品が 出た今日,彼の作品は獄に入ったままという感じですが…」と問いかけ,ラン ヅマンは,時代が変わったということで,サルトル自身は今日も生きていると述 べている。Cf.GillesNoussenbaum,ClaudeLanzmann,Sartreaupurgatoire?

Jeletrouvetresvivant,LeQuotidienSante,11juillet2018;https://www.

decision-sante.com/actualites/breve/2018/07/11/claude-lanzmann-sartre-au- purgatoire-je-le-trouve-tres-vivant_27661;2019年9月27日閲覧。

(4) Jean-PaulSartre,uvresRomanesques:editionetablieparMichelContat etMichelRybalkaaveclacollaborationdeGenevieveIdtetdeGeorgeH.

Bauer,BibliothequedelaPleiade,Gallimard,1981,p.137.以下ORと略 す。

(5) OR,p.138.

(6) OR,pp.138140.

(7) OR,p.140.

(8) Jean-Louis Cornille,Le complexe d・Erostrate. L・anticipation du BaudelairedansLeMur,EtudesSartriennesn 13,EditionsOUSIA,2009, pp.189192.サルトルは1936年に,のちに『嘔吐』となる『メランコリア』の 原稿をガリマール社に出したが断られ,それから「エロストラート」を書いてい る。Cf.OR,Chronologie,p.L.

(9) OR,p.262.

(10) OR,p.186.

(11) Jean-PaulSartre,Baudelaire,Gallimard,1947.

(12) Cornille,op.cit.pp.192194.

(13) Jean-PaulSartre,LesMotsetautresecritsautobiographiques:editionpub- lieesousladirection deJean-FranoisLouette,aveclacollaboration de Gilles Philippe et de Juliette Simont,Bibliotheque de la Pleiade, Gallimard,2010,p.32.以下Mと略す。

(14) Cf.GenevieveIdt,LeMurdeJean-PaulSartre.Techniquesetcontexte d・uneprovocation,Themesettextes,Larousse,1972,p.154.

(15) 語り手が過去を振り返る一人称態の語りであるので,これは不自然だとも言え

(20)

る。

(16) OR,p.270.

(17) こうした嫌悪感は『壁』,『水入らず』,『一指導者の幼年時代』といった『壁』

の他の作品にも,登場人物もしくは語り手の感情として描かれている。

(18) LaNausee,OR,p.33.

(19) Erostrate,OR,p.269.

(20) L・Enfanced・unchef,OR,p.384.

(21) OR,p.387.

(22) この講演の記録は出版されてサルトルの実存主義の手っ取り早い解説書のよう にうけとめられた。そのせいか本書の邦訳題名は『実存主義とは何か』となって いる。Cf.Jean-PaulSartre,L・Existentialismeestunhumanisme,Nagel,1946.

(23) 共産主義者は反サルトルのキャンペーンを繰り広げる。例えばポル・ガイヤー ルは,「著者の代弁者」であるユゴーとその妻ジェシカを「マネキン」のような 現実味のない人物と評し,エドレールだけが「人間としての厚み」を備えた人物 であり,サルトルは公平性を装うためにこの人物を有能な人格者として演出して いると述べている。Cf.PolGaillard,Quandlemensongeridiculise.C・est Sartrequialesmainssales,LesLettresfranaises,8avril.

(24) Jean-PaulSartre,Untheatredesituations.Texteschoisisetpresentespar MichelContatetMichelRybalka,Idees,Gallimard,1973,p.259.

(25) OR,Chronologie,p.LXVI.

(26) AlbertCamus,uvrescompletes,tomeIII19491956,Bibliothequede laPleiade,Gallimard,2008,p.277.

(27) Jean-PaulSartre,Cahierspourunemorale,Gallimard,1983,p.412.以下CM と略す。

(28) CM,p.413.

(29) FrancisJeanson,AlbertCamusoul・amerevoltee,LesTempsmodernes, n79,mai,1952,pp.20772090.Cf.MichelContat,MichelRybalka,LesEcrits deSartre.Chronologie,bibliographiecommentee,Gallimard,1970,p.250.以下 ESと略す。

(30) AlbertCamus,Lettreau directeurdesTempsmodernes,LesTemps modernes,n82,aout1952,pp.317333;reprisedansActuellesII,sousletitre Revolteetservitude. Cf.ES,p.250. Reprisedansuvrescompletes, tomeIII19491956,BibliothequedelaPleiade,2008,pp.412430.

(31) NoticedeLaMortdansl・ame,OR,pp.20122013.

(32) MichelContat,PourSartre,PUF,2008,p.406.

(33) CamilleLestienne,22octobre1964:Jean-PaulSartrerefuseleprixNobel delitterature,LeFigaro,publiele22/10/2014a09:10,misa jourle 22/10/2014a18:04;http://www.lefigaro.fr/histoire/culture/2014/10/22/ 26003-20141022ARTFIG00082-22-octobre-1964-jean-paul-sartre-refuse-le-prix- nobel-de-litterature.php

(34) MichelContat,PourSartre,op.cit.,p.407.

ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 57

(21)

(35) MichelContat,PourSartre,op.cit.,408.ES,p.401.

(36) L・ecrivain doisrefuserdeselaissertransformeren institution,ES, pp.402404.

(37) CamilleLestienne,op.cit.

(38) ES,pp.402404.

(39) LeNouvelObservateur,n1,19novemre1964.Cf.ES,pp.405406.

(40) GabrielMarcel,Prisedeposition,Nouvelleslitteraires,29octobre1964. Cf.ES,p.405.

(41) AndreBreton,LerappeldeStockholm,LaBreche,decembre1964. Cf.ES,p.405.

(42) MonsieurFranoisMauriacetlaliberte,LaNouvellerevuefranaise, n305fevrier1939:Situationsに再録。Cf.SituationsI:nouvelleeditionrevue etaugmenteeparArletteElkam-Sartre,Gallimard(1947)2010,pp.4263.

(43) Le Bloc Notes,Le Figaro litteraire,29octobre1964. Cf.Camille Lestienne,FranoisMauriac:Sartreestunhommevrai!,LeFigaro,pub- liele22/10/2014a09:11,Misajourle22/10/2014a09:39;http://www.

lefigaro.fr/histoire/culture/2014/10/22/26003-20141022ARTFIG00084-francois- mauriac-sartre-est-un-homme-vrai.php:2019年10月1日閲覧。

(44) 平井啓之,「ノーベル文学賞とサルトル:固辞に彼の面目躍如」,『朝日新聞』,

1964年10月24日朝刊,p.13.

(45) 白井浩司,「サルトルとノーベル賞:受賞辞退しても評価は変わらぬ」,『読売 新聞』,1964年10月24日,夕刊,p.9.

(46) MichelContat,PourSartre,op.cit.,p.405.

(47) ガリマール社ホームページ 「プレイヤードカタログ」:http://www.galli mard.fr/Catalogue/GALLIMARD/Bibliotheque-de-la-Pleiade:2019年10月 4日閲覧。

(48) 数々のプレイヤード叢書の作品の編集校閲に携わってきたジル・フィリップは,

かなり高価なこれらの本の売り上げを支えているのは,特定の作家に絞らずにコ レクションとして買っている「地方の公証人」のタイプの人々,つまりささやか ながらも地味で堅実な生活をしているそれなりの教養人だと言っている。Cf.

GillesPhilippe,Entreeditionscientifiqueeteditioncommerciale.Dansles coulissesdelaPleiade:2018年6月7日開催法政大学言語文化センター主催 講演会。

(49) Jean-PaulSartre,uvresRomanesques,op.cit.

(50) Jean-PaulSartre,Theatrecomplet:edition publieesousladirection de MichelContat,avecla collaboration deJacquesDeguy,Ingrid Galster, GenevieveIdt,JohnIreland,JacquesLecarme,Jean-FranoisLouette,Gilles Philippe,MichelRybalkaetSandraTeroni,BiobliothequedelaPleiade, Gallimard,2005.

(51) Jean-PaulSartre,LesMotsetautresecritsautobiographiques,op.cit.

(52) Jean-Paul Sartre,Autoportraita soixante-dix ans,Situations X,

(22)

Gallimard,1976,p.206.

(53) 近年日本でも「国際バカロレア」が話題となっている。ジュネーブに本部を置 く国際バカロレア機構が統括し,1968年に設置されたプログラムで,「世界の複 雑さを理解して,そのことに対処できる生徒を育成し,生徒に対し,未来へ責任 ある行動をとるための態度とスキルを身に付けさせるとともに,国際的に通用す る大学入学資格(国際バカロレア資格)を与え,大学進学へのルートを確保する ことを目的」としている(文部科学省IB教育推進コンソーシアム:https://

ibconsortium.mext.go.jp/about-ib/;2019年10月6日閲覧)。中等教育の修了 の証明と大学への進学資格保証を目的としている点でフランスのバカロレアを国 際レベルに広げたものと考えられよう。

(54) フランス国民教育省:https://www.education.gouv.fr/cid143/le-baccalaur eat.html#L・organisationdubaccalaureat;2019年9月18日閲覧。

(55) Jean-PaulSartre,LeMuraulycee,publiedanslarubriqueLibres opinionsdansleMondedu18janvier1969;cf.OR,pp.18071810.

(56) Jean-PaulSartre,Priered・insererduMur;cf.OR,p.1807.

(57) 1972年に発表されたジュヌヴィエーヴ・イットの『壁』の分析は「挑発の技 術と文脈」という副題を伴っている。Cf.GenevieveIdt,LeMurdeJean-Paul Sartre.Techniquesetcontexted・uneprovocation,op.cit.

(58) Jean-PaulSartre,Cahierspourunemorale,op.cit.『存在と無』の最後で予 告された「倫理学研究」のための準備ノートであり,サルトルの死後1983年に 出版された。そのためかなり読みづらい文章で,高校生の試験の課題としては難 問だと言わざるを得ない。ただし試験に取られた一節は自由に関する部分であり,

その意味でサルトルの理論をあらかじめ知っていれば「どうにかなる」とも言え る。

(59) GeorgeSand,Histoiredemavie(18541855).RomainGary,LaPromessede l・aube(1960).Jean-PaulSartre,LesMots(1964).

(60) 3つの引用は,プレイヤード版では38ページ。「本気で(pourdebon)」は イタリック体で強調されている。

(61) AlexandreAstruc,MichelContat,Sartre,op.cit.,p.112.

(62) この点に関しては,ヴェロニック・サムソンが,ジャンフランソワ・ルエッ トやジャック・ルカルムの名を引用して同様の指摘をしている。Cf.Veronique Samson,Onentredansunmortcommedansunlivre:Sartreirreveren- cieuxCf.https://self.hypotheses.org/publications-en-ligne/lirreverence/

lirreverence-critique-2:2019年10月8日閲覧;Jean-FranoisLouette,Les Motsetautresecritsautobiographiques,BibiliothequedelaPleiade,op.cit., p.12941307;JacquesLecarme,LesMotsdeSartre:uncaslimitedel・auto- biographie?,Revued・HistoirelitterairedelaFrance,n6,1975,p.10471066.

(63) Cf.Jean-FranoisLouette,Surl・engagementsartrien:LesMots,Les Tempsmodernes.51annee,mars-avril-mai,1996,N 587.

(64) サルトルの「隠れた欲望」の分析としてはジョゼット・パカリーが1980年に 出した精神分析の応用である『鏡に映ったサルトル』が「古典的」であるが,そ ジャンポール・サルトル:反体制の体制化 59

(23)

もそも精神分析の「科学性」に対する疑問は,カール・ポッパーの言う「反証不 可能性」など散々論じられた感があり,せいぜい「そういう見方もあるかな」と されなければ「とんでもない」と否定される傾向にある。Cf.JosettePacaly, Sartreau miroir.Unelecturepsychanalytiquedesesecritsbiographiques, Klincksieck,1980.

(65)「死んでいく子供を前にして 『嘔吐』 は重みを持たない」Cf.Jean-Paul Sartres・expliquesurLesMots,interview parJacquelinePiatier,LeMonde, 18avril1964.Cf.ES.,p.398.

(66) OR,p.192.

(67) https://www.franceculture.fr/emissions/le-gai-savoir/les-mots-sartre-0 2019年9月22日閲覧。

(68) Cf.Jean-PaulSartre,L・EtreetleNeant,1943[1998],Tel,4partie, chapitre1er,II,E)Mamort,pp.576592.

(フランス・欧米・思想・文学/国際文化学部教授)

参照

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