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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容

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(2019) 001–050

クリスピン・デ・パセのシビュラ

図像集の流布とメキシコにおける受容

伊 藤 博 明

1 クリスピン・デ・パセ『12人のシビュラのきわめて

  優雅な図像集』

 クリスピン・デ・パセ(Crispijn [Crispiaen] de Passe)は1564年にアル ネムイデンに生まれ,1637年にユトレヒトで没した,オランダ人の版画家, 素描家,出版者である1)。彼はアントウェルペンで仕事を始め,1584年に 当市のギルドに登録するとともに,マールテン・デ・フォス(Marten de Vos)と共働して多くの版画を制作した。制作年の判明している最初の作 品は,《ユストゥス・リプシウスの肖像》(1587年)であり,1588年には46 枚の聖書の挿絵を作成し,同地の書肆クリストフ・プランタン(Christoph Plantin)によって刊行されている。  アントウェルペンが1585年にスペインの支配下に置かれたため,彼は宗 教上の理由から,1589年にアーヘンに逃れ,そして同年にケルンに移って, 版画家および出版者として旺盛な活動を開始した。その後,1612年にデ・ パス一族はユトレヒトに出版社を興し,クリスピンは1613年に同市の市民 権を獲得し,大きな工房を率いて活躍した。彼は自分の版画をユトレヒト の画家,学者,統治者に献じたが,その中には古物蒐集家で人文主義者の アエルノウト・ファン・ブヒェル(Aernout van Buchel)がいた。彼は *

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専修人文論集105号 1599年来のクリスピンの友人であり,クリスピンの版画のためにラテン語 によるキャプションを作成していた。  クリスピンの版画が対象とする領域は,書物の挿絵,聖書や神話の光景, 歴史的出来事,寓話画,肖像画など広範囲におよび,その作品はヨーロッ パ中に流布した。それらの中には書物の形態を取るものもあり,たとえば, 1590年代後半に作成された『寓話集成』(Collectanea fabularum)は 6 枚 の版画を2),1602⊖04年にケルンで刊行されたオウィディウスの『変身物語』 (Metamorphoses)は103枚の版画を3),1612年にユトレヒトで刊行された『創 世記の書』(Liber genesis)は59枚の版画を含んでいる4)  彼は1601年にユトレヒトにおいて18枚の版画から成る『12人のシビュラ のきわめて優雅な図像集』(XII Sibyllarum icones elegantissimi)を刊行し

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専修人文論集105号

も数多く購入していたのであろう。『12人のシビュラのきわめて優雅な図 像集』のタイトルページの次には,フォン・ルスキリヒェンの紋章が描か れており,「良き学芸の確固たる庇護者で,古典古代の卓越した称讃者」 (bonarum atrium patronus fidelis et antiquitatum admirator insignis)という言

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) を付け加えるという彼の希望に応じる限りでのことだった。もちろん, 私としては,彼の希望に従ったのであり,それというのも,ともかく も,高い評判を得ている著作家たちから何らかの仕方で取り出すもの で彼が満足するだろうということを,私は理解していたからである。  この序文から判明するのは,クウァッドがクリスピン・デ・パセに勧め て,『12人のシビュラのきわめて優雅な図像集』が制作されたことであり, また彼が各シビュラの図像の下に「広く知られている 6 行詩」(ea quae vulgo circumferuntur Hexasticha)を紹介することを提案したことである。

他方,クリスピンの方は,シビュラについての「簡単な解説」(Enarratiuncula) の執筆をクウァッドに依頼したのだった。結局,本書には,オヌフリウス・ パンヴィニウス(Onuphrius Panvinius, 1529―1568),イタリア名,オノフリ オ・パンヴィーニオ(Onofrio Panvinio)による,シビュラと「シビュラの 託宣」について記した文書に拠って解説が書かれた。パンヴィニウスはヴェ ローナ出身のアウグスティヌス会の修道僧で,歴史家かつ古物研究者であ り,枢機卿アレッサンドロ・ファルネーゼの蔵書を管理していた。  クウァッドが用いた「広く知られている 6 行詩」と,パニヴィニウスの 文書は,一五九九年にパリで,ヨハネス・オプソポエウス(Johannes Opsopoeus, 1556―96)によって刊行された,浩瀚な『シビュラの託宣集』

(Σιβυλλιακοι Χρησμοι,hoc est Sibyllina oracula)から採られている。この 書物には,ギリシア語の『シビュラの託宣』のテクストとそのラテン語訳 の他に,クシストゥス・ベトゥレイウス(Xistus Betuleius),ドイツ語名 シ ク ス ト・ ビ ル ク(Sixt Birck) と ヨ セ フ ス・ カ ス タ リ オ(Josephus

Castalio)の注釈,セバスティアン・カステリョ(Sebastian Castellio)の

解説などを含まれており,ゾロアスターの「魔術的託宣」とそれに対する

ゲミストス・プレトンとプセロスの解釈が合本されていた7)。その冒頭に

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) れている。天使の巻紙には『ペトロの手紙二』( 1 :21)の預言の神性に ついての言及が見いだされ,円環には『テサロニケへの信徒への手紙二』 ( 5:18―19)の一句が記されている。  12人のシビュラの周囲に記されたキャプションと,託宣の六行詩は以下 のとおりである。 1)ペルシアのシビュラ

SIBYLLA PERSICA OMNIVM VATICINANTIVM VETVSTISS[A] (ペルシアのシビュラ,あらゆる巫女で最古の者)

Virgine matre status, pando residebit asello. Iucundus princeps, unus qui ferre salute Ritè queat lapsis : tamen illis fortè diebus Multi multa ferent, immensi fata laboris. Solo sed satis est oracula prodere verbo : Ille Deus casta nascetur virgine magnus.

(処女の母から生まれ,曲がった驢馬に乗る,陽気な君主。堕落した者た ちに,然るべく,救いをもたらすことのできる唯一の者。しかし,かの日々 には,多くの者が,測り知れない労苦という,大きな不運を甘受するだろ う。だがここでは,託宣を言葉で伝えるだけで十分だ。あの偉大な神は, 汚れなき処女から生まれる,と。) 2 )リビアのシビュラ

SIBYLLA LIBYCA QVAE PHOEMONOE APOLLONIS FILIA NONNVLIS (リビアのシビュラ,多くの者によれば,フォエモノンのアポロンの娘)

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専修人文論集105号

Sordida qui solus reserabit labra reorum, Aequus erit cunctis, gremio rex membra reclinet Reginae mundi, sanctus, per saecula vivus.

(見よ,あの日々がやって来る。その時には,永遠の君主が,豊かな作物 の種を撒きながら,人々から彼らの罪を取り去るだろう。彼のシナゴーグ は新しい光で輝くだろう。彼だけが,叱責される者の汚れた唇を開けるだ ろう。彼は万人に対して公平だろう。王,聖なる者,諸世紀にわたって生 きる者をして,世界の女王の胸に自ら四肢を横たわらせよ。) 3 )デルポイのシビュラ

SIBYLLA DEPHICA QVAE ET DAPHNE, TYRESIAE FILIA (デルポイのシビュラ,ダプネ,ティレシアの娘)

Non tarde veniet, tacita sed mente tenendum Hoc opus. Hoc memori semper qui corde reponet, Huius pertentant cur gaudia magna prophetae Eximii, qui virginea conceptus ab alvo Prodibit, sine contactu maris. Omnia vincit Hoc naturae opera : at fecit, qui cuncta gubernat.

(彼はゆっくりとは来ないだろう。しかし,この務めは静かな思いによっ て行わなければならない。彼はこのことを心の中に常に留めておくだろう。 なぜ,彼の預言者たちはこの高められたことを告知するのか。誰が,処女 の胎で,人間の汚れなしに懐抱されて生まれるのだろうか。これは自然の あらゆる業に打ち勝つ。そして,万物を治める者がこれを行う。) 4 )クマエアのシビュラ

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) (クマエアのシビュラ,キンメリアとも,クマエのアポロンの祭司)

In teneris annis facie praesignis, honore Militiae aeternae regem sacra virgo cibabit Lacte suo: per quem gaudebunt pectore summo Omnia, et Eoo lucebit sidus ab orbe

Mirificum : sua dona Magi cum laude ferentes, Obiicient puero myrrham, aurum, thura Sabaea.

(美しさが際だっていた,若い年齢で,誉れのうちに,聖なる処女は,永 遠の客である王を自らの乳で養うだろう。彼を通して,万物は高まる心で 喜ぶだろう。そして東に驚くべき星が輝くだろう。マゴスたちが贈り物を 持参して讃えながら,その子どもにミルラ,黄金,シバの乳香を贈るだろ う。) 5 )サモスのシビュラ

SYBYLLA SAMIA QVAE ET HEROPHILE PROPRIO NOMINE DICITVR (サモスのシビュラ,またヘロピレという固有の名前によっても呼ばれる。)

Ecce dies, nigras quae tollet laeta tenebras, Mox veniet, solvens nodosa volumina vatum Gentis Judaeae, referent ut carmina plebis. Hunc poterunt clarum vivorum tangere regem, Humano quem virgo sinu inviolata fovebit. Annuit hoc coelum, rutilantia sidera monstrant.

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専修人文論集105号

6 )クマエのシビュラ

SIBYLLA CVMANA QVAE ET AMALTHLAE NVNCVPATVR (クマエのシビュラ,またアマルティアのシビュラとも言われる。)

In mea certa manent, et vera, novissima verba, Ultima venturi quòd erant oracula regis, Qui toti veniens mundo cum pace, placebit, Ut voluit, nostra vestitus carne decenter, In cunctis humilis, castam pro matre puellam Deliget, hanec alias forma praecesserit omnes.

(私の最新の言葉は確実で,真なるものであろう。というのは,それらは 来たるべき王の最後の託宣であり,彼は,平安とともに全世界へとやって 来て――彼が意図したように――われわれの肉を着ることを,万物の中で 慎ましくなることを喜ぶだろう。彼は自らの母として貞潔な処女を選ぶだ ろう。彼女は美において他のすべての者に優っているだろう。) 7 )ヘレスポントスのシビュラ

SIBYLLA HELLESPONTICA MARINESSENSIS EX AGRO TROIANO (ヘレスポントスのシビュラ,トロイアの地出身の海に因む)

Dum meditor quondam vidi decorare puellam, Eximio (castam quod se servaret) honore, Munere digna suo, et divino numine visa,

Quae sobolem multo pareret splendore micantem: Progenies summi, speciose et vera Tonantis, Pacifica mundum qui sub ditione gubernet.

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) われた。最高の雷神の美しく,真実の子は,世界の平安の権威によって治 めるだろう。)

8 )ピュリギアのシビュラ

SIBYLLA PHRYGIA ANCYRAE VATES CASSANDRA NonNullis CREDITA (ピュリギアのシビュラ,多くの者によって,アンキラの予言者,カッサ

ンドラと信じられている)

Ipsa Deum vidi summum, punire volentem

Mundi homines stupidos, et pectora caeca, rebellis. Et quia sic nostram complerent crimina pellem, Virginis in corpus voluit demittere coelo Ipse Deus prolem, quam nunciet Angelus almae Matri, quo miseros contracta sorde levaret.

(私は自ら,至高の神が,地上の愚者たちと反逆者の盲目の心を罰しよう と望んでいるのを見た。そして,罪はこのようにわれわれの皮膚に満ちる ので,神ご自身は天から処女の身体に中へと自らの息子を送ろうと欲した。 彼のことを天使が養う母へと告げ知らせるだろう。そして彼は,悲惨な者 たちから,彼らが罹った不潔さを取り除くだろう。) 9 )エウロパのシビュラ

SIBYLLA EVROPAEA INCERTAE ADHVC PATRIAE EXIS[T]ENS (エウロパのシビュラ,今も祖国が不確かな者)

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専修人文論集105号

Humano simul ac divino semine gnatus.

(処女の身体から,純粋な永遠の言葉がやって来て,彼は谷と高山を横切 るだろう。彼は進んで,星辰のオリュンポスから送られ,この世に貧しい 者として送られ,あらゆる被造物を沈黙の力によって治めるだろう。こう して,私は信じ,心の中で認めるだろう。彼は人間的かつ神的な種から生 まれた者である。) 10)ティブルのシビュラ

SIBYLLA TYBVRTINA QVAE ET ALBVNEA ET ITALICA ALIAS DICTA (ティブルのシビュラ,アルブネアのシビュラ,イタリアのシビュラとも

言われる)

Verax ipse Deus dedit haec mihi munia fandi, Carmine quòd sanctam potui monstrare puellam, Concipiet quae Nazareis in finibus, illum

Quem sub carne Deum Bethlemica rura videbunt. O nimium felix, coelo dignissima mater,

Quae tantam sacro lactabit ab ubere prolem.

(真実の神ご自身が私に預言の贈り物を下さったので,私は歌において聖 なる処女を告知するだろう。彼女はナザレの境界であの神を懐抱し,彼の ことをベツレヘムの地は肉において見るだろう。おお,天にふさわしい, 最も幸福な母よ。彼女は自らの聖なる胸でこの子を養うだろう。)

11)エジプトのシビュラ

SIBYLLA AEGYPTIA QVAE ET AGRIPPA A QVIBVSDAM DICTA

(エジプトのシビュラ,ある者たちによってアグリッパのシビュラと呼ば れる)

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) Virginis et verae complebit viscera sanctum

Verbum, consilio, sine noxa, spiritus almi: Despectus multis tamen ille, salutis amore, Arguet et nostra commissa piacula culpa : Cuius honos constans, et gloria certa manebit.

(もっとも高次の,もっとも親愛な者が,肉の中において,真の処女の息 子として生まれるであろう。そして,聖なる言葉が,養育する霊の純粋な 意図を通して,乙女の胎を満たすだろう。彼は,多くの者にとっては卑し むべき者であるが,われわれの救済への愛のゆえに,われわれの過ちによっ て犯された罪を咎めるだろう。彼の栄光は,常に,確実に留まるだろう。) 12)エリュトライのシビュラ

SIBYLLA ERYTHRAEA EX ASSYRIORVM BABYLONE, BEROSI FIL[IA] (エリュトライのシビュラ,アッシリアのバビロン出身で,ベロソスの娘)

Cerno Dei natum, qui se demisit ab alto, Ultima felices referent cum tempora soles: Hebraea quem virgo feret de stirpe decora, In terris multum teneris passurus ab annis, Magnus erit tamen hic divino carmine vates, Virgine matre natus, prudenti pectore verax.

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専修人文論集105号 行詩に特徴的なことは,そのすべてが,処女マリアの懐妊と彼女からのイ エスの誕生に関わっていることである。本書に先行する,15世紀に成立し たシビュラ図像集においても,この点については共通しているが,各シビュ ラの説明や,託宣の内容については大きな相違が見られる。

3

 15世紀におけるシビュラ図像集

 「シビュラ」(Σίβυλλα)とは,古代ギリシアの巫女たちに属する女性を 指しており,元来は固有名であったと思われる。実際に,エウリピデス, アリストパネス,プラトンは単数で言及している9)。その後,シビュラの 名が高まるにつれて,彼女はさまざまな土地と結びつけられ,「シビュライ」 と複数化して用いられるようになった。紀元前 1 世紀のローマの文学者, マルクス・テレンティウス・ウァロ(Marcus Terentius Varro)の『人間 と神々に関する故事』(Antiquitatum rerum humanarum et divinarum libri

XLI)においては,10名のシビュラの名を挙げられている。この著作は散

逸したが,当該の箇所は,教父ラクタンティウス(Lactantius, ca.250―

ca.325)の『神学教理』(Divinae institutiones)によって伝えられている。

そのシビュラの名前は,ペルシア,リビア,デルポイ,キメリア,エリュ トライ,サモス,クマエ,ヘレスポントス,ピュリギア,ティブルである 10)

 ウァロによる10名のシビュラのリストは,セビーリャの司教イシドルス (Isidorus, ca.560―630) の『 語 源 誌 』(Etymologiarum sive originum libri

XX)第 8 巻第 8 章「シビュラについて」,また,フルダの修道院長ラバン・

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専修人文論集105号 る17)。その名称は,ペルシア,リビア,デルポイ,キメリア,エリュトライ, サモス,クマエ,ヘレスポントス,ピュリギア,ティブル,エウロパ,ア グリッパの各シビュラであり,上記のウァロのリストに,エウロパのシビュ ラとアグリッパのシビュラを新たに付加したものである。  この部屋に描かれたシビュラの託宣を記した,『キリストの受肉につい て の12人 の シ ビ ュ ラ の 予 言 』(Prophetie XII sibillarum de incarnatione

Christi)と題されたテクストは刊行されなかったが,多くの写本によって

流布したと考えられる。実際,その影響を受けたと思われるシビュラの予 言集,図像集が15世紀の中頃よりイタリアを中心に成立している。  1470年代の半ばに,フィレンツェで活躍した銅版画家のバッチョ・バル ディーニ(Baccio Bardini, ca.1435―ca.1487)は,24枚の銅版画による,預

言者のシリーズと12枚のシビュラのシリーズを制作した[図 3 ]18)。シビュ

ラの名称は,ペルシア,リビア,デルポイ,キメリア(「キミカ」と表記), エリュトライ,サモス,クマエ,へレスポントス,ピュリギア,ティブル,

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専修人文論集105号 ラの図像の上下に記された文言は,すべて『12人のシビュラの予言』と一 致している。

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 フィリッポ・バルビエーリのシビュラ図像集

 イタリアでシビュラの図像集が初めて印刷されたのは,1481年にローマ で刊行された『聖なる博士たち,ヒエロニムスとアウグスティヌスの不一 致』(Discordantie sanctorum doctorum Hieronymi et Augustini)と題する書 物 中 の「 シ ビ ュ ラ た ち と 預 言 者 た ち の キ リ ス ト に つ い て の 予 言 」 (Sibyllarum et prophetarum de Christo vaticinia)においてであった21)。著

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) てはほぼ同一であるが,異同のある箇所もある。全体として託宣の内容は, 『12人のシビュラの予言』を踏襲しているが,改変された部分や独自に付 加された部分も見いだされる。バルビエーリによる12人のシビュラの図像 集は大きな成功を収め,当時の美術作品に対しても影響を及ぼした24)  16世紀に入っても,バルビエーリの著作は再版され,なおかつ,テクス トが増補されて刊行された。1505年から10年にかけて,ヴェネツィアにお いて『ここに 4 つの小論が含まれる:「聖なる博士たち,ヒエロニムスと アウグスティヌスの不一致」,「キリストについてのシビュラたちの予言, 各 々 は 適 切 な 図 版 を 伴 う 」...』(Quattuor hic compressa opuscula.

Discordantiae sanctorum doctorum Hierymi. Augusti. Sibyllarum de Christo vaticinia: cum approriatis singularum figris ...)というタイトルの,12枚 の図版を含んだ,56ページほどの小著が現れた。その最初のペルシアのシ ビュラ[図 6 ]については,以下のように説明されている。

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専修人文論集105号

   Sibylla persica. Quo tempore fuit non invenimus. Eam tamen aurea veste indutam et candido velo coopertam incessisse legimus. Que de christo hec prenunciavit: panibus simul quinque et duobus piscibus hominium milia in heremo quinque satiabit. Et reliquas tollens duodecim cophinos impulevit in spem multorum. Alio quoque in loco sic ait. Ecce bestia conculcaberis et gignetur dominus in orebem, et gremium virginis erit salus gentium et pedes eius invalitudine hominum, et invisibile verbum paplpabitur. Huius sibylle mentionem facit Nicanor, qui res gestas Alexandri Macedonis scripsit.

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) 多くの人々の希望のために,12の籠を満たす。彼女はまた,別の箇所 でこう述べている。見よ,獣は踏みつけられ,主が地上に生まれだろ う。処女の胸は民の救済となり,その足は人の健康となるだろう。そ して,不可視のことばが触れられるだろう。このシビュラについては, 『マケドニアのアレクサンドロスの事績』を書いたニカノルが言及し ている。)  この文章が,第一に,バルビエーリの1482年版に拠っていることは間違 いない。図版もシビュラの首の向きが反対なだけで,ヴェールを被った様 子も,手にした託宣の巻物に記された「見よ,獣は踏みつけられ……」も 同一である。同版のシビュラ像の下には以下のように記されている。    Sibylla persica, vestita vesta aurea cum velo albo in capite. Dicens sic:

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専修人文論集105号 「このシビュラについては……」以下は,同じくラクタンティウスが『神 学教理』で引用している,ウァロによる10人のシビュラの説明に見える表 現である26)  さて,『ここに 4 つの小論が含まれる……』の,ペルシアのシビュラの 項目では,続いて,以下のように,託宣が語られている。

Virgine matre status: pando residebit asello. Iucundus princeps: unus qui ferre salute Ritè queat lapsis: tamen illis fortè diebus Multi multa ferent immensi fata laboris. Solo sed satis est oracula prodere verbo. Ille Deus casta nascetur virgine magnus.

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) リの1482年版を基にした『ここに 4 つの小論が含まれる……』に拠ってい るのである27)  これまで,クリスピン・デ・パセの図像集が成立するための歴史的状況 について,それに含まれる託宣の典拠を推測しつつ述べてきた。続いて, この図像集が同時代,および後代に及ぼした影響について,フランス,イ ギリス,スペイン,メキシコを舞台に論じることにしたい。

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 パリで刊行された 3 種のシビュラ図像集

 クリスピン・デ・パセの『12人のシビュラのきわめて優雅な図像集』は 1601年にユトレヒトで刊行されたが,そのすぐ後に,それに影響を受けた 3種のシビュラ図像集が,いずれもパリで刊行された。タイトルはすべて 同じで,『12人のシビュラ。順序,銘文,これまでよりも優雅な形姿による。 古代のモニュメントから復元され,各々の託宣が帰される』(XII Sibyllae:

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専修人文論集105号 エウロパ,12)エジプト,となっている。  デ・パセにおいてエウロパのシビュラとされていた肖像は, 3 人ではエ ジプトのシビュラの肖像として,反対に,デ・パセにおいてエジプトのシ ビュラとされていた肖像は, 3 人ではエウロパの肖像とされている。また, デ・レウとグラントムにおいては,ピュリギアのシビュラを除いて,肖像 が正確に反転している。フィレンの場合には,ピュリギアのシビュラにお いてだけ,肖像が反転している。  とはいえ,図像の表現とキャプションはまったく同じというわけではな いので,デ・パセのシビュラ図像集と他の 3 人のそれを比較検討して,影 響関係を推測することは可能である。最初に,キャプションを一覧するな らば,以下のようになる。 1)ペルシアのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA PERSICA OMNIVM VATICINANTIVM VETVSTISS  De Leu: SIBYLLA PERSICA OMNIVM VATICINANTIVM VETVSTISS  Granthome: SIBYLLA PERSICA QVAE HEBRAE SAMBETA NOMINE ET ALIIS CHALDAEA BEROSI FILIA

 Firens: SIBYLLA PERSICA QVAE HEBRAE SAMBETA NOMINE ET ALIIS CHALDAEA BEROSI FILIA

2 )リビアのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA LIBYCA QVAE PHOEMONOE APOLLONIS FILIA NONNVLIS

 De Leu: SIBYLLA LIBYCA QVAE PHOEMONOE APOLLONIS FILIA NONNVLIS

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤)  Firens: SIBYLLA LIBYCA QVAE PHOEMONOE APOLLONIS FILIA NONNVLIS

3 )デルポイのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA DEPHICA QVAE ET DAPHNE, TYRESIAE FILIA  De Leu: SIBYLLA DEPHICA QVAE ET DAPHNE, TYRESIAE FILIA  Granthome: SIBYLLA DEPHICA QVAE ET DAPHNE, TYRESIAE FILIA  Firens: SIBYLLA DEPHICA QVAE ET DAPHNE, TYRESIAE FILIA

4 )クマエアのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA CVMAEA QVAE ET CIMMERIA APOLLINIS IN CVMIS SACeRDos

 De Leu: SIBYLLA CVMAEA QVAE ET CIMMERIA APOLLINIS IN CVMIS SACERDOS

 Granthome: SIBYLLA CVMAEA QVAE ET CIMMERIA APOLLINIS IN CVMIS SACERDos

 Firens: SIBYLLA CVMAEA QVAE ET CIMMERIA APOLLINIS IN CVMIS SACERDOS

5 )サモスのシビュラ

 De Passe: SYBYLLA SAMIA QVAE ET HEROPHILE PROPRIO NOMINE DICITVR

 De Leu: SYBYLLA SAMIA QVAE ET HEROPHILE PROPRIO NOMINE DICITVR

 Granthome: SYBYLLA SAMIA QVAE PHYTO ET HEROPHILE PROPRIO NOMINE DICTA

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専修人文論集105号 NOMINE DICTA

6 )クマエのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA CVMANA QVAE ET AMALTHLAE NVNCVPATVR  De Leu: SIBYLLA CVMANA QVAE ET AMALTHLAE NVNCVPATVR  Granthome: SIBYLLA CVMANA QVAE ET AMALTHLAE ET DEMOPHILE NVNCVPATVR

 Firens: SIBYLLA CVMANA QVAE ET AMALTHLAE ET DEMOPHILE NVNCVPATVR

7 )ヘレスポントスのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA HELLESPONTICA MARINESSENSIS EX AGRO TROIANO

 De Leu: SIBYLLA HELLESPONTICA MARINESSENSIS EX AGRO TROIANO

 Granthome: SIBYLLA HELLESPONTICA MARINESSENSIS EX AGRO TROIANO

 Firens: SIBYLLA HELLESPONTICA MARINESSENSIS EX AGRO TROIANO

8 )ピュリギアのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA PHRYGIA ANCYRAE VATES CASSANDRA NonNullis CREDITA

 De Leu: SIBYLLA PHRYGIA ANCYRAE VATES CASSANDRA NONVLLIS CREDITA

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤)  Firens: SIBYLLA PHRYGIA ANCYRAE VATES CASSANDRA NONNVLLIS CREDITA

9 )エウロパのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA EVROPAEA INCERTAE ADHVC PATRIAE EXIS [T]ENS

 De Leu: SIBYLLA EVROPAEA INCER TAE ADHVC PATRIAE EXISTENS

 Granthome: SIBYLLA EVROPAEA INCERTAE ADHVC PATRIAE EXISTENS

 Firens: SIBYLLA EVROPAEA INCER TAE ADHVC PATRIAE EXISTENS

10)ティブルのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA TYBVRTINA QVAE ET ALBVNEA ET ITALICA ALIAS DICTA

 De Leu: SIBYLLA TYBVRTINA QVAE ET ALBVNEA ET ITALICA ALIAS DICAT

 Granthome: SIBYLLA TYBVRTINA QVAE ET ALBVNEA ET ITALICA ALIAS DICTA

 Firens: SIBYLLA TYBVRTINA QVAE ET ALBVNEA ET ITALICA ALIAS DICTA

11)エジプトのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA AEGYPTIA QVAE ET AGRIPPA A QVIBVSDAM DICTA

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専修人文論集105号 DICTA

 Granthome: SIBYLLA AEGYPTIA QVAE ET AGRIPPA A QVIBVSDAM DICTA

 Firens: SIBYLLA AEGYPTIA QVAE ET AGRIPPA A QVIBVSDAM DICTA

12)エリュトライのシビュラ

 De Passe: SIBYLLA ERYTHRAEA EX ASSYRIORVM BABYLONE, ORIVNDA, BEROSI FIL[IA]

 De Leu: SIBILLA ERYTHRAEA EX ASSYRIORVM BABYLONE ORYVNDA PRISCA VOCITATA

 Granthome: SIBYLLA ERYTHRAEA EX ASSYRIORVM BABYLONE ORIVNDA PRISCA VOCITATA

 Firens: SIBYLLA ERYTHRAEA EX ASSYRIORVM BABYLONE ORIVNDA PRISCA VOCITATA

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤)  しかし,デ・パセのシビュラ図像集とド・レウ(およびグラントムとフィ レン)のそれとの最大の相違は,図像に下に添えられた託宣である。デ・ パセではラテン語の 6 行詩であったものが,ド・レウではラテン語の 4 行 詩に代替されている。たとえば,ペルシアのシビュラでは以下のようであ る。

Chara Dei soboles nascetur Virgine matre, Et lapsae Genti causa salutis erit.

Ipse triomphator Solymas pervadet assello. Quies tandem egressis ultima fata feret.

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) 再度述べるならば,この解説は元来,ヨハネス・オプソポエウス編纂の『シ ビュラの託宣集』に,オノフリウス・パンヴィニスが執筆したものだった。 そのペルシアのシビュラの解説では,「殉教者ユスティヌスは……バビロ ニアの予言を,カルデアの歴史を 3 巻で執筆したベロソスと,その高貴な 妻のエリマンタとの娘に伝えた」と,そして,「ある人々はこのシビュラ をヘブライ人で,その者を名前はサンベタ・ノエであったと伝えてい る」33)と記されている。また,サモスのシビュラの解説では,「古の著作 家エラストテネスは,ピュトと呼ばれる,と書いている」34)と,さらに, クマエのシビュラの解説では,「 5 番目のクマエのシビュラは,アマルテ アという名があり,他の者たちによってデモピレ,あるいはヘロピレと呼 ばれている」35)と記されている。

6

 シビュラ図像集のイギリスとスペインへの伝搬

 クリスピン・デ・パセの『12人のシビュラのきわめて優雅な図像集』の 影響はイギリスにも及んだ。1625年頃にロンドンで,同書ときわめて類似 した構成のシビュラ図像集が刊行された。そのタイトルは,『12人のシビュ ラ図像集。われわれの主であり救世主であるイエス・キリストの受肉,誕 生,生涯,死,復活,審判について明白に予言する,12人のシビュラの託 宣 』(XII Sibyllarum Icones, The Prophecies of the Twelve Sybills, Plainly

foretelling the Incarnation, Birth, Life, Death and Coming again to Judgement

of our Lord and Saviour Jesus Christ)である36)。出版者はロジェー・ダニエ

(36)

専修人文論集105号 し,1652年頃に亡くなっている37)  シビュラを取り巻く部分に記された,ラテン語によるキャプションはデ・ パセのものと,すべてのシビュラにおいて同一であり,シビュラの肖像に ついても同様である[図15]。一方,シビュラ像の下に記されていたラテ ンによる 6 行詩は英訳されている。たとえば,ペルシアのシビュラの場合 は次のとおりである。 SIBYLLA PERSICA

Borne of a virgin, riding on an asse,

A Prince belouʼd and one that brings to passe Safety to drooping motalls; happy then Turmoysiling woe shall cease on many men, But God whose Mother shall a Viregin bee Can with his word cure all, and set them free.

(処女から生まれ,驢馬の上に乗る,愛される君主,疲れ果てた人々 図 15 マーティン・ドゥローシャウト「ペルシアのシビュラ」

(37)

クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) に安寧をもたらす者。幸いにも,降りかかる災難が多くの人々の上で 止むだろう。母が処女のままである神は,彼の言葉ですべての者を癒 し,彼らを解放するだろう。)

 本書はその後もイギリスで読まれ続け,1630年頃にトマス・ジョンソン (Thomas Johson),1662年にピーター・ステント(Peter Stent),1673年にジョ

ン・オヴァートン(John Overton)によって,それぞれ再刊されている38)

 デ・パセのシビュラ図像集の影響は,ヨーロッパ大陸を南下して,スペ インにまで及んでいる。1621年にクエンカで,当地の教区司教代理であっ たバルタサル・ポッレーニョ・デ・モラ(Baltasar Porreño de Mora)は, 次のタイトルの書物を刊行した。『異教徒たちの間でわれわれの主,キリ ストについて予言した,12人のシビュラの託宣』(Oráculos de las doce

Sibilas, Profetisas de Christo nuestro Señor entre los Gentiles)[図16]。

(38)

専修人文論集105号  バルタサル・ポッレーニョは1569年にクエンカに生まれ,マドリッドの コンプルテンセ大学で神学を学び,1587年に学士号を得ている。大学では トレド出身のイエズス会士,ヘロニモ・ロマン・デ・ラ・イゲラ(Jerónimo Román de la Higuera)によって歴史への関心を呼び起こされた。大学卒 業後はコルコレスとサセドンの教区司祭となり,またパレドスの教区司祭 も兼ねた。その後,クエンカの司教ペドロ・ポルトカッレロ(Pedro Portocarrero)の代理を長らく務める一方で,17世紀の初頭からウエテの サン・エステバン教会の修道院院長となり,1620年代にはコロコレスとサ セドンの司教職の巡察使を務めて,1639年に亡くなった。  彼の同時代人の一人,劇作家で詩人のロペ・デ・ヴェーガ(Lope de Vega, 1562―1635)は彼の教養を誉め讃え,彼がラテン語とスペイン語で 詩作をおこない,雄弁であったと述べている。彼が残した著作の大部分は 歴史的なものであり,生前刊行された27の書物の中には,『トレドの大司 教の歴史』(Historia de los arzobispos de Toledo),『スペインの枢機卿たち の称讃』(Elogios de los cardenales de España),『フェリペ 2 世殿の言行録』 (Dichos y hechos del rey don Felipe II),『フェリペ 3 世殿の言行録』(Dichos

y hechos del señor don Felipe II)などがある。彼の拠った資料はしばしば信

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クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) い。版画家が,意図的に十字架を外したとは考えられず,デ・パセあるい はトマス・ド・レウの図像集が参照されたのであろう。だが,ボッレーニョ の著作におけるシビュラの順序がデ・パセの場合と同様であることから, デ・パセの図像集が参照された可能性が高いと思われる42)

7

 メキシコにおけるシビュラ像の受容

 メキシコ自治大学(UNAM)の管理下にある,メキシコシティのパラ シオ・デ・ラ・アウトノミア(Palacio de la Autonomía)のパラニンフォ の間(Salón Paraninfo)には,18世紀の中頃にペドロ・サンドバル(Pedro Sandoval)が油彩で描いた,12枚のシビュラの図像が飾られている[図 18]。これらの絵画は,2004年まではメキシコシティのパラシオ・デ・ラ・ ミネリア(Paracio de la Minería)に収蔵されていた。  サンチャゴ・セバスティアンは,1982年に発表した論考「ヌエバ・エス パ ー ニ ャ の 画 家 サ ン ド バ ル の シ ビ ュ ラ た ち の イ コ ノ グ ラ フ ィ ー」 (“Iconografia de las sibilas del pintor novohispano Sandval”)43)において,こ

れらのシビュラの図像をすべて紹介するともに,バルタサル・ポッレーニョ の『12人のシビュラの託宣』に収められた木版画も掲載して,ボッレーニョ

(42)

専修人文論集105号

のサンドバルへの影響を論じた。その後,彼が1992年に刊行した『ヌエバ・ エスパーニャ美術のイコノグラフィーとイコノロジー』(Ionografia e

Iconología del Arte Novohisopano)44)においても同様な議論を展開し,そこ

では12枚の鮮明なカラー写真が12枚の木版画と対になるように配されて掲 載されている。  たとえば,ペルシアのシビュラ[図19]を見るならば,中央の楕円形の 中に,若い女性が右手に本をもち,左手で十字架を抱えて,天の方に仰ぎ 見る姿で描かれている。楕円形の周りには,シビュラを同定するキャプショ ンが記され,その下には託宣が 4 行詩として描かれている。形態的には, ポッレーニョのシビュラ像と酷似しているが,大きく異なるのは,キャプ ションも託宣もスペイン語によって書かれている点である45)  楕円形の周りに記されているのは,「ペルシアのシビュラ,サンベタと 呼ばれる,ベロソスの娘」(SIBILLA PÉRSICA LLAMADA SABETA,HIJA

DE BEROSO)という言葉であり,すなわち,ボッレーニョにおける,「ペ

ルシアのシビュラ,ヘブライの名ではサンベタであり,他の者たちによれ 図 19 ペドロ・サンドバル《ペルシアのシビュラ》18 世紀中頃,メキシコシティ,

(43)

クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) ば,カルデアのベロソスの娘」という表現に対応しているのである。同様 に,スペイン語による 4 行詩の託宣も,ボッレーニョにおけるラテン語の

4行詩と対応している(正確な翻訳とは言えないが)。

De Virgen y Madre nacerá Dios hijo

De nuestra salud causa, â quien tiumphante Ve en un asno Gerusalen, que amante Saldrá de allí attormento mas prolixo.

(処女である母から神の子は生まれ,われわれの救いの原因となる。 彼は驢馬の上で勝ち誇ってエルサレムに行く。この神に愛される者は, そこから,より深い苦悩へと赴く。)

  ま た,「 エ リ ュ ト ラ イ の シ ビ ュ ラ, 古 の 者 と 呼 ば れ る 」(SIBILLA ERITHREA LLAMAD LA ANTIGUA)[図20]に添えられた託宣は以下の 通りである。

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専修人文論集105号

  Tieno de Dios el hijo, y ya crecido Penas tolerará del Cielo embiado Ya de Vigen hebrea alimentado Cielo prepara al endurecido.

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専修人文論集105号

イのシビュラ[図23]は名前が削りとられているが,右手に十字架を抱え た姿で表されている。

1)クリスピン・デ・パセについては以下を参照.Daniel Franken, L’æuvre gravé des van de Passe, Paris, 1881, rpt. Amsterdam: G.W. Hissin & Co., 1975; S. Laschitzer, “Berichtungen, Ergänzungen und Nachträge zu Œuvre gravé des van de Passe décrit par D. Franken,” Repertorium für Kunstwissenschaft, 8 (1885), pp.439―483; Hollestein’s Dutch and Flemish Etchings, Engravings, and Woodcuts, ca.1450―1700, vol.15: Van Ostade – De Passe, Amsterdam: Menno Hertzberger, 1964; vol.16: De Passe (continued),1974; J.-P. Ester and John Fitzhugh Millar, “Crispijn [Crispiaen] (van) de Passe ,” in Jane Turner (ed.), The Dictionary of Art, vol.24, London: Grove, 1996, pp.235―236; Ilija M. Veldman, Crispijn de Passe and his Progeny (1564―1670). A Century of Print Production, translated from the Dutch by Michael Hoylemm, Rotterdam: Sound & Vision Publishers, 2001; Idem, Profit and Pleasure. Print Books by Christian de Passe, translated from the Dutch by Michael Hoyle, the Latin translated into Dutch by Clara Klein, Rotterdam : Sound & Vision Publishers, 2001. 2)Cf. Laschitzer, op.cit., 218―214; Hollstein’s Dutch and Flemish ..., vol.16, 230 ad; Veldman,

Profit and Pleasure, pp.9―14, 135-137, 259-262.

3)Cf. Franken, op.cit., 1338; Hollsteins’s Dutch and Flemish … vol.15, 852; Veldman, Profit and Plaesure, pp.73―84, 189―240, 317―384.

4)Cf. Franken, op.cit., 1342; Hollsteins’s Dutch and Flemish … vol.15, 855; Veldman, Profit and Plaesure, pp.61―72, 169―188, 287―316.

5)Cf. Franken, op.cit., 280―297; Hollsteins’s Dutch and Flemish … vol.15, 314―331; Veldman, Crispin de Passe and his Progeny (1564―1670), pp.73,151―154; Augustina Rodoríges Romero – Almerindo Ojeda, “Sibilas en Europa y América: Repercusiones del Sibyllarum icones de Crispijn de Passe en los siglos XVII y XVIII,” Archivio español de arte, 88, 351 (Julio-Septiembre, 2015), pp.264―266.

6)Cf. Franken, op.cit., 710; Hollsteins’s Dutch and Flemish … vol.15, 768; Veldman, Crispin de Passe and his Progeny (1564―1670), p.72, fig.31.

(47)

クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) 8)Veldman, Crispijn de Passe and his Progeny (1564―1670), p.153.

9)Euripides, Fragmenta, ed. Nauck, p.403; Aristophanes, Pax, 1095; Plato, Phaedrus, 344B. 古代におけるシビュラの伝統については以下を参照。A. Bouché-Leclercq, Histoire de la divination dans lʼantiquité, II, Paris : E. Leroux, 1889 [rpt. Bruxelles : Cluture et Civilisation, 1966] ; A. Rzach, “Sibyllen,” in Pauly und Wissowa, Real-Encyclopadie der classichen Altertumswissenshaft, Stuttgart, II A 2, 1923, coll.2070―2103 ; H.W. Parke, Sibyls and Sibylline Prophecy in Classical Antiquity, London: Routledge,1988; D.S. Potter, Prophecy and History in the Crisis of the Roman Empire : A Historical Commentary on the Thirteenth Sibylline Oracle, New York: Oxford University Press, 1990.

10)Lactantius, Divinae institutiones, I, 6, 8―11, ed. Samvel Brandt, Corpus Scriptorum Ecclesiasticorum Latinorum, 19, Wien, 1890, pp.21―22.

11)Emile Mâle, Quomodo Sibyllas recentiores artifices repraesentaverint, Paris, 1899, p.16. Cf. Idem, L’Art religieux de la fin du Moyen-Age en France, Paris : A. Colin, 1922, p.255. 12)Augustinus, De civitate Dei, 18, 23, ed. B. Dombart – A. Kalb, Corpus christianorum Series

Latina, 47―48, Turunhout: Brepols, 1955, p.613.[アウグスティヌス『神の国』,赤城善光 他訳,全 5 巻,「アウグスティヌス著作集」11―15 巻,教文館,1980-83 年;服部栄次 郎・藤本雄二訳,全 5 巻,岩波文庫,1982―-91 年]

13)ゲフケンによる校訂版が標準的である。Oracula Sibyllina: ed. Johannes Geffcken, Berlin: Hinrichs, 1902.[『シビュラの託宣』,柴田有訳,日本聖書学研究所編「聖書外 典偽典」第3巻,教文館,1975 年/佐竹明訳,「聖書外典偽典」第 6 巻,1976 年]ゲ フ ケ ン 以 降 の 校 訂 版 と し て は 以 下 が あ る。Sibyllinische Weissagunge: Urtext und Übersetzung, ed. Alfons Kurfess, Berlin: Heimeran, 1951 [neu übers. und hrsg. von Jörg-Dieter Gauger, Düsseldorf / Zürich : Artemis und Winkler, 1998].『シビュラの託宣』全体 のサーヴェイと研究文献については以下を見よ。John Collins, “The Developpment of the Sibylline Tradition,” Aufstieg und Niedergang der römischen Weld, II, 20, Berlin: W. de Gruyter, 1987, pp.421―453. 14)伊藤博明「サンタンジェロ・イン・フォルミス聖堂のシビュラ像について」,『専修 人文論集』第 102 号(2018 年3月),127―159 ページを参照。 15)伊藤博明「セッサ・アウルンカ大聖堂のシビュラ像について」,『専修大学人文科学 年報』第 48 号(2018 年3月),27―62 ページ。 16)伊藤博明『ヘルメスとシビュラのイコノロジー』――シエナ大聖堂に見るルネサン ス期イタリアのシンクレティズム研究』,ありな書房,1992 年,78―79 ページを参照。 Cf. Simona de Luca, Le Sibille attraverso la storia, l’arte e il mito, Roma: Accademia degli Incolti, 1999, pp.36―41.

(48)

専修人文論集105号

108―112 ページ。同「預言者とシビュラ――キリスト教の普遍性と教会の革新をめぐっ て」,『フレスコ画の身体学――システィーナ礼拝堂の表象空間』,上村清雄編,あり な書房,2012 年,214―223 ページ。同「パラッツォ・オルシーニの 12 人のシビュラ について」,『専修人文論集』第 103 号(2018 年 11 月),51―101 ページ。

18)Cf. Carlo de Clercq, “Quelques séries italiennes de Sibylles,” Bulletin d’Institut historique belge de Rome, 48―49 (1978―1979), pp.108―117; Mark J. Zucker , The Illustrathed Bartsch, 24, Commentary, Part 1: Early Italian Masters, New York: Abaris Books, 1993, pp.199―216; Charles Dempsey, The Early Renaissance and Vernacular Culture, Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 2012, pp.207―316. 伊藤『ヘルメスとシビュラのイコノロジー』, 114―122 ページ;同「預言者とシビュラ」,233―238 ページ。

19)Oracula Sibyllina (Weissagungen der zwölf Sibyllen), nach dem Einzigen, in der Stiftsbibliothek von St. Gallen, harg. Von P. Heitz, Mit einer Enleigung von W.L. Schraiber, Strassburg: J.H. Ed. Heitz, 1903,

20)E. Tremp, J. Huber and K. Schmuck, The Abbey Library of St. Gall, St. Gall, 2007, p.112. 21)Gesamtkatalog der Wiegendrucke [GW], 03385; Incunabla Short Title Catalogue (The

British Library) [ISTC] ib00118000. Cf. Mâle, Quomodo Sibyllas recentiores artifices repraesentaverint, pp.60―65 ; Idem, L’Art religieux de la fin du Moyen-Age en France, pp.258―261 ; De Clercq, op.cit., pp.118―124 ; Raybould, op.cit. 伊藤『ヘルメスとシビュラ のイコノロジー』,152―176 ページ;同「預言者とシビュラ」,250―261 ページ。 22)GW 03386; ISTC ib00119000.

23)GW 03387; ISTC ib00120000.

24)伊藤『ヘルメスとシビュラのイコノロジー』,176―183, 204―220 ページ;同「預言 者とシビュラ」,263―281 ページを参照。

25)Lactantius, Divinae institutiones, 4, 15, 18, ed. Samvel Bradt, p.333. 26)Ibid, 1,6,8, p.21.

27)『ここに 4 つの小論が含まれる……』の各シビュラの六行詩は,フランドルの作曲 家オルランド・ディ・ラッソ(Orlando di Lasso, 1532―94)のモテット集『シビュラた ちの託宣』(Prophetiae sibyllarum)の歌詞として採用された。その出版は 1600 年で あるが,制作は 1560 年頃と考えられている。Cf. Peter Bergquist, “The Poems of Orlando di Lassoʼs “Prophetiae Sibyllarum” and Their Sources,” Journal of the American Musicological Society, 32. 3 (Autumn, 1979), pp.516―538.

28)たとえば,ブリティッシュ・ミュージアムのデータベース。The British Collection Dababase, Prints & Drawing Department (<htttp://www.british museum.org/collection>). 29)ロドリゲス・ロメロとオジェダは,デ・レウとグラントムの制作年を 1602 年と

(49)

クリスピン・デ・パセのシビュラ図像集の流布とメキシコにおける受容(伊藤) a Europa al segle XVII, Barcelona: Col.lecció Gelonch Viladegut, 2015, pp.36―45.

30)Cf. André Linzeler, Inventaire du Fonds Français, grveurs du XXème siècle, tomo 1, Paris: Maurice Le Garrec, 1932, pp.461―546; Jean Ermann, “La vie de lʼatlier du graveur Thomas de Leu, gendre du Peintre Antoine Caron,” Archives de l’Art Française, 26 (1984), pp.43―46; Agustina Rodoríguez Romeo – Almerindo Ojeda, op.cit., p.266.

31)Cf. Σιβυλλιακοι Χρησμοι, hoc est Sibyllina oracula, ed. Johannes Opsopaeus, Paris, 1607, p.9. 32)Cf. Marie-Antoinette Feury, Documents du Minutier Central concernant les peintres, les

sculpteurs et les graveurs au XVII siècle (1600―1650), Tome 1, Paris: S.E.V.P.E.N., 1968, pp.272, 442; Maxime Mréaud, Pierre Casselle, Marianne Grivel et Corinne Le Bitouze, Dictionnaire des éditeurs d’estampses à Paris sous l’Ancien Régime, Paris: Promodis, 1987, pp.147―148; Rodoríges Romero - Ojeda, op.cit., p.267.

33)Cf. Σιβυλλιακοι Χρησμοι, hoc est Sibyllina oracula, pp.18―19. 34)Cf. Ibid., p.12.

35)Cf. Ibid., p.14.

36)Cf. Arthur Hind, Engraving in England in the Sixteenth and Seventeenth Centuries, Part II: The Reign of James I, Cambridge: Cambridge University Press, 1955, pp.365―366. 37)Cf. Christiaan Schuckman, “The Engraver of the First Folio Portrait of William

Shakespeare,” Print Quarterly, 8 (1991), pp.40―44; June Schlueter, “Droeshout,” Print Quarterly, 27 (2010), pp.253―262.

38)Cf. Hind, op.cit. p.250; Anthony Griffiths, The Print in Stuart Britain, 1603―1689, London: British Museum Press, 1998.

39)Cf. Eva Mariá Castro Caridad, “Balatasar Porreño y su tratado sobre las doce Sibilas,” José María Maestre Maestre et al. (eds), Humanismo y pervivincia del mundo clásico. Homenaje al professor Antono Fontán, vol.4, Madrid: CSIC, 2002, pp.1827―1842.

40)Baltasar Porreño, Oráculos de las doce Sibilas, Profetisas de Christo nuestro Señor entre los Gentiles, Cuenca: Domingo de la Yglesia, fol.A8b.

41)Santiago Sebastián, El barroco iberoamericano: mensaje iconográfico, Madrid: encuetro, 1990, p.286. Cf. Juan Carrete Prrondo, Summa Artis, Historia General del Arte, El grabado en España, siglos XV a XVIII, Madrid: Espasa-Carpe,1996, p.219; José Miguel Morales Folguera, Las Sibilas en el Arte de la Edad Moderna, Europa Mediterránea y Nueva España, Málaga: Universidad de Málaga, 2006, p.495.

42)ロドリゲス・ロメロとオジェダは,ボッレーニョのシビュラ像の直接的な典拠とし てド・レウとグラントムの名を挙げ,デ・パッセからの影響を否定している(Rodoríguez Romeo – Ojeda, op.cit., p.273)。ヴィラデグートもグラントムを典拠と判断している (Viladegut, op.cit., p.36)。

(50)

専修人文論集105号

45)キャプションと託宣は以下に翻刻されている。Jesús Galindo y Villa, “Apuntes de epigrafia mexicana,” en AA.VV., Memoris de la Sociedad Cientifica ‘Antoniot Azate’, tomo IV, México D.F.: Imprenta del Gobierno Federal en el ex-Arzobispado, 1890, pp.219―223. サ ンチャゴ・セバスティアンもクマエのシビュラを除いたシビュラたちの託宣を紹介し ているが,不正確な部分も存在する(Santiago Sebastian, Ionografia e Iconología del Arte Novohisopano, pp.123―129)。

46)Rodoríguez Romeo – Ojeda, op.cit., p.277. Cf. Gararía 10 de PESSCA, Project on the Engraved Sources of Spanish Colonial Art. <http://colonialart.org/galleries>

47)Cf. Rodoríguez Romeo – Ojeda, op.cit., p.276. Cf. PESSCA, Project on the Engraved Sources of Spanish Colonial Art, 1323B-1330B. http://colonialart.org/archive/437a-1323b 【付記】本稿は,2017 年度 DNP 文化振興財団グラフィック文化に関する学術研究助成(研

図 3 バッチョ・バルディーニ「ペルシアのシビュラ」1470 年代中頃
図 5 「ペルシアのシビュラ」フィリッポ・バルビエーリ『聖なる博士たち,
図 16 バルタサル・ポッレーニョ『12 人のシビュラの託宣』
図 18 メキシコシティ,パラシオ・デ・ラ・アルトノミア,パラニンフォの間
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