洋務運動時期 における中国近代 技術産業の導入 と発展の研究 ( 五)
田 育 誠
目 次
は じめに
一.欧米造船企業の中国進 出 (1840年代〜 1860年代) 1.中国初の欧米造船企業の設立
2.香港及び広州 にお ける欧米造船企業の立地 3.上海 にお ける欧米造船企業の発展
二
.欧米造船企業の中国における発展 1.香港黄輔造船会社 の発展2.上海 における欧米造船会社 の事業展開 と耶松造船会社の躍進 3.他 の地区における欧米造船企業の状況
結 び
はじめに
中国近代企業の展開は外国企業の立地によっ て開始 された。その うちで も、外国船建造修理 業が もっ とも早 く立地 した。すなわち第一次阿 片戦争の直後、香港、広州、上海 において営業 を開始 した。 これは洋務運動の開始 よ りも20年 もはやい。
1840年代及び50年代 の二度 にわた る阿片戦争 の結果、中国はその沿岸部及び長江流域 をすべ て開港せ ざるを得ない状況 に立ち至 った。 この 時期 は正に西洋 にお ける産業革命 の成功 と展開 の時期である。大量生産が産み出す商品を世界 中‑、特 に大市場である東アジア‑輸 出す るた めの手段 としての大量の蒸気船の建造 と運行が 行われ、西洋か ら東洋‑向けてかつて見ないほ どの海運ブームが現出 した。先述の よ うに中国 は数十港 を開港せ ざるを得 な くなったが、西洋 列強は 自国の綿布等の紡績製 品、阿片、機械等
の工業製品な どを大量に輸 出 し、他方 中国か ら はシル ク製品、茶、綿花、皮革 、その他の特産 品を略奪 ともいえる低価格 によ り輸入 した。
蒸気船 は産業革命 の産物であるが、当時の蒸 気船は推進力 として帆 と蒸気機 関を併用 してお り、 この ことは適切 な風力がない と航行速度が 低下す るとい う帆船の弱点を克服す るとともに、
乗組員の過酷な労働条件 を大幅 に軽減す ること ができた。 また現在 の視点か らす る と、 ̀省エ ネ 'の効果 も果た していた とい うことができよ う。特に1850年代以降、蒸気船 の推進方式が外 輪式か ら内輪式 (スク リュー)へ と技術革新が お こなわれ、蒸気船 の航行速度 は著 しく向上 し た。 1860年代 における蒸気船の設計、建造技術 の不断の革新、即ちスク リュー、高圧ボイラー、
複式蒸気機 関の開発 と使用が、造船 コス ト及び 航行経費の逓減化 をもた らした。
1869年11月17日、スエズ運河が開通 し、西洋 か ら東洋‑の航行距離が約半分 に短縮 された こ 洋務運動時期における中国近代技術産業の導入と発展の研究 (五) 75
とは蒸気船 に とって さらに有利 な情勢 とな り、
7,000年 に及ぶ帆船 の時代 に終止符 が打たれ 、 蒸気船 による海運独 占の時代が到来す ることと なる。
本稿 においては、一.欧米造船企業の中国進 出 (1840年代〜 1860年代)、
1.中国初の欧米造船企業の設 立、2.香港及び 広州 における欧米造船企業の立地及び
3.上海 にお ける欧米造船企業 の発展 につ いて 考察す ることとす る。
‑.欧米造船企業の中国進出
(1840 年代 〜1860 年代)
1.中国初の欧米造船企業の設立
中国の開国は、1840年代、西洋列強によ り強 引にお こなわれた とはいえ、蒸気船産業は振興 の産業 を代表す るひ とつであ り、時代遅れの伝 統産業である帆船産業が これ に取って代わ られ るのは不可避 の時代的潮流であった。欧米海運 会社の経営者 たちは、従来の洋式帆船か ら蒸気 船 による海運‑の切 り替 えを開始 した。 しか し なが ら蒸気機 関な どの機器類 は一旦故障す ると 現地において修理す る必要があるが、当時の中 国においては、大多数の造船や修理の技術者た ちは蒸気機 関な どの機器類 についての知識 がほ とん どな く、 これ らの製造修理の技術 はすべて 西洋人技術 たちの手に握 られていた。 こ うした 情勢下、中国において近代欧米資本 による蒸気 船建造修理産業が機運 に乗 じて誕生 した。1860 年代 までに多 くの欧米資本の海運、船舶建造修 理会社が、香港、広州、上海 、アモイ (度 門)、
福州 な どの地 に相次いで近代蒸気船建造修理会 社 を設立 し、蒸気船修理事業 を独 占 した。
1840年代 に設立 された会社はほ とん ど例外 な く蒸気船建造修理会社である。彼 らは独 占的に 莫大な利益 を手中に収 めた後、あるものはただ ちに当該会社 を他社 に売却す るな どし、またあ るものは さらに他社 を買収、合併、吸収す るな
どの行動 に及んだ。そ うした経済行動の過程 を 経て、 よ り大規模 な近代欧米資本蒸気船造船修 理会社が形成 されていった。
近代欧米資本蒸気船造船修理企業の興隆によっ て旧来の中国造船産業は厳 しい環境下に晒 され ることとな り、悠久の木造帆船の歴史を有す る 中国造船産業は欧米企業の進 出によ り急速に衰 退 し、一方欧米資本蒸気船造船修理企業は中国 国内おいてその勢力を次第に浸透拡大 させていっ た。
2.
香港及 び広州 における欧米造船企業の 立地
中国がイギ リスに香港 を割譲す る以前、香港 においてはイ ギ リス資本の ドックが既 に建造 さ れ ていて、蒸気船修理事 業 が営 まれ ていた。
1843年2月7日、イギ リス人のジ ョン ・ラモ ン ト 船長 (CaptainJohnLamont,中国名林蒙) は、
香港島の東部 に建設 した ̀ラモ ン トドック'に お いて80トンの蒸 気 船 '中国'号 を建 造 して い る1)。 ラモ ン トドックは外 国資本 によって建設 された中国初の ドックであるとともに、また中 国初の近代洋式企業であるとい うことができる。
当時香港島は開発 されたばか りの孤島であ り、
船舶 の停泊や修繕 をお こな うにはまだ不十分な 状態であるとともに、飲料水や産業用水の供給 も十分ではなかった。そのため外国か ら来航 し た船舶は大多数が停泊や修繕のため広州の黄輔 に赴いていた。1840年代か ら50年代においては、
ラモ ン トドック以外 には、バーデ ノーチ社 (p.
Badenoch,中国名 巴登奇公 司,1846年)、ヤ ング ハ ズバ ン ド社 (Younghusband&Co,中国名楊 赫士板公司,1846年)及びパーキンス ・アンダー
ソン社 (perkins&Anderson,中国名 帖金斯 ・
安徳生公 司,1851年) とい う小規模 な造船修理 会社3社 のみが香港 で営業 していた2)01857年 6月 、 ラモ ン トドックは ダ グラス蒸気船会社
(DouglasLapraik&Co,中国名徳忌利 士火輪船
公 司) との資本提携 によ り、香港島の南岸部 に アバデ ィン石造 ドック (AberdeenDockCo,中
国名阿柏丁石船鳴) を建設 し、以降同 ドックの 事業は順調な発展 を遂 げた。香港島の海運業は 日一 日と発展 を遂 げ、 ラモ ン トドックは石排湾 に大規模 なホー プ ドック (HopeDock,中国名 賀普船墳)の建造 に着手 してい る3)。
広州の黄輔 は長年 に渡 って外国商船来航時の 唯一の停泊地である とともに、中国にお ける木 造帆船建造の中心地のひ とつであ り、木造帆船 を修繕 で きる泥製 ドックが建造 され ていた。
1845年、イギ リスの大英蒸気船会社 (peninsular
&OrientalSteam Navigation Co)は、 中国航 路を開設 した。同社が派遣 したジ ョン ・クーパー (JohnCouper,中国名村拝) は、 中国にお ける 船舶修理業は将来的に多 くの利益が期待できる と判断 した。そ こでクーパーは黄輔 にある民間 の泥製 ドックを数箇所借 り上げ、中国人労働者 を雇用 して蒸気船機器修理業 を立 ち上げた。 当 時イギ リスの蒸気船が極東地域 に到 る航海所要 日数はすでに大幅に短縮 されてお り、船舶の ドッ ク入構 日数 の長短が蒸気船会社 の営業利益 に及 ぼす影響力は従来にも増 して大きくなっていた。
当該 ドック‑の入構船舶数量は 日増 しに増加 し、
わずか数年 の うちにクーパーは多額の黒字 を計 上す るに到 った。1851年、クーパーは事業の更 なる拡大のため、黄輔 の南端の対岸 、長州島に 浮開門 (可動式間門) を備 えた石造 ドックを建 造 した。その ドックは ̀クーパー ドック' と命 名 され、蒸気機 関によって駆動す る吸排水装置 を備 えた当時極東地域初の石造 ドックであると ともに、世界最高水準の蒸気船修理能力 を備 え ていた。 クーパー ドックは広州 において外国資 本 が経営す る最初 の企業である[図1]、[図2]、 [図3]。 1856年 、 クーパー は当該 ドックにお い て 自ら設計 した長 さ54m、幅6.7m、排水量1,000
トンの蒸気船'百合花'号 を建造 してい るが、 こ の船 は中国で建造 され た最大の外国製蒸気船で ある4)。
南京条約 によって開港は したが、外国人の中 国国内における企業経営、工場建設等は許可 さ れていなかった。 しか しなが ら、クーパーは前 述の よ うに密かに民間の泥製 ドックを借 り上げ
て事業展開を図った。その後 も清朝政府がその ことに干渉 して こなかった ことか ら今度 は公然 と新 ドック建設の挙に及んだのである。
クーパーの こ うした行為は中国にお ける外国 人の違法起業の悪 しき先例 となって しまった5)。 そのため、英米の各企業は黄輔 において次々 と 起業を図った。 アメ リカのデニス ・アイ ラン ド ドック社 (DanesIslandDockCo,中国名 丹斯 島船鳴公司,1847年)、アメ リカの ソス ・ハ ン ト
社 (Thos&HuntCo,中国名旗記船廠,1850年)、
アメ リカのライダース ・ドック (Ryder'sDock, 中国名頼徳船廠,1850年)及びイ ギ リスのユニ オ ン ドック (UnionDock,中国名 干仁船廠,1853 午) の4社 がその例 である6)。 ソス ・ハ ン ト社 は黄輔の長州島に立地 し、は じめは造船所兼輸 出入セ ンターであったが、その後1852年 にはデ ニス ・アイラン ドドック社を買収 し、3基の ドッ クと固定排水設備 を備 えた黄輔 における大規模 企業の うちのひ とつ となった。ユニオ ン ドック は連合 ドックともいわれ、黄輔 の長州 島に4基 の ドックを有 し、蒸気機 関駆動 の排水機 のみで な く、蒸気船や帆船の修繕及び蒸気船 に関わる すべての設備 を備 えていた7)。
第二次阿片戦争後、戦火に破壊 されたクーパー ドックは、クーパーの息子 ジ ョン ・カルデ ュ ・ クーパ ー (JohnCardew Couper)に よって修 復 され、 さらに拡張 されて5千 トン級の蒸気船 の修理が可能 な ドックとなった。それは当時中 国最大の ドックであ り、 さらに3基の中型 ドッ ク (1基の木造 ドック及び2基の砕石 と泥使用 の ドック) も建造 されて、 ここにクーパー ドッ ク会社 (村拝船場公司)が誕生 した。 同時に ソ ス ・ハ ン ト社 と提携 して花 園岩 を使用 した ドッ クを建造 した。その ドックがル ックスン ドック (Looksun,中国名録順 ) で あ り、1861年 に操業 を開始 した[図4]。
1860年代 、黄輔 においては、次々 と数多 くの 蒸気船修理会社 が設立 された。例 えば、イギ リ スの ゴウ社 (Cow&Co,中国名 高阿船廠,1863 午)、イギ リスのファーガ ソン社 (Ferguson&
Co,中国名福格森船廠,1867年) な どで あ る。
洋務運動時期 における中国近代技術産業の導入と発展の研 究 (五) 77
ゴ ウ社 は木材 と石材 を使 用 した2基 の ドック (1基 は、長 さ68.6m、幅12.2m。他 の1基 は、
長 さ63.4m、幅10.5m)を保有 し、 ファーガ ソ ン社は木材 と泥 を使用 した 1基の ドック (長 さ 73.2m、幅15.2m)を保有 していた。 上述 した 多 くの外国資本蒸気船造船修理会社が設立 され た ことに伴い、広東地域 に居住す る人々が黄輔 周辺 に数多 く集 ま り始 めた。
3.
上 海 にお け る 欧米 造 船 企 業 の 発 展外国資本が経営す る近代蒸気船産業の中国に おけるも うひ とつの拠点は上海 であるが、1843 年の開港以降、外国蒸気船が上海 に来航 し始 め た。太平洋 と長江が接す る上海 の地理的重要性 によ り上海 はま もな く広州 に代わって中国の対 外貿易の中心地 となる。上海 に出入港す る各国 蒸気船の数量は年々増加 し、1845年と1863年 を 比較す る と、出港 において隻数で約40倍、総 ト
ン数では約41倍 の伸びを示 し、一方入港におい ては隻数 で約77倍 、総 トン数 では約112倍 とい
う猛烈な伸び を示 している。
表
1
.上海 及 び広州 か らの外 国船 出港隻数及 び総 トン数( 1844
年〜1863
年)8)年 代 上 海 広 州
1844年 296隻 140,128トン 1845年 89隻 24,585トン
1846年 72隻 20,849トン 297隻 126,755トン 1847年 101隻 26,288トン 310隻 122,975トン 1848年 95隻 29,328トン 257隻 108,401トン 1849年 132隻 52,574トン 313隻 135,627トン
表
2.
上海及 び広 州へ の外 国船 入港隻 数及 び総 トン数( 1844年〜1863年) 9 )
年 代 上 海 広 州
1844年 44隻 8,584トン 306隻 142,099トン 1845年 87隻 24,342トン
1846年 76隻 21,759トン 304隻 130,170トン 1847年 102隻 26,735トン 312隻 125,926トン 1848年 104隻 33,378トン 261隻 110,242トン 1849年 127隻 44,026トン 331隻 142,357トン
蓑3.
英国の上海及 び広州経由の輸出入総額( 1 844
年〜1 856
年)‑o)年 代 上 海 広 州
1844年 4,800,000元 33,400,000元 1845年 ll,100,000元 38,400,000元 1846年 10,200,000元 25,200,000元 1847年 ll,000,000元 25,300,000元 1848年 7,500,000元 15,100,000元 1849年 10,900,000元 19,300,000元 1850年 ll,900,000元 16,700,000元 1851年 16,900,000元 23,200,000元 1852年 16,000,000元 16,400,000元 1853年 17,200,000元 10,500,000元 1854年 12,800,100元 9,300,000元 1855年 23,300,000元 6,500,000元 1856年 32,000,000元 17,300,000元
表
4.
主要国(英国及び米国)の上海への入港隻数及び総 トン数( 1 843
年〜1 863
年)‖ )年 代 英 国 米 国
1843年 1844年
1845年 62隻 15,917トン 19隻 6,531トン 1846年 54隻 15,069トン 17隻 5,322トン 1847年 76隻 19,361トン 20隻 5,454トン 1848年 76隻 22,966トン 17隻 6,592トン 1849年 89隻 30,812トン 25隻 10,252トン 1850年
1851年
1852年〜91月月 103隻 38,420トン 66隻 36,532トン
洋務運動時期 における中国近代技術産業の導入と発展の研究 (五) 79
1854年7月
〜55年6月 213隻 71,971トン 77隻 49,943トン
1855年7月
〜56年6月 287隻 86,224トン 81隻 40,425トン
18〜 156年27月月 163隻 49,084トン 38隻 30,908トン 1857年 302隻 115,409トン 61隻 44,850トン 1858年 290隻 120,205トン 97隻 56,280トン 1859年 376隻 142,008トン 177隻 75,228トン 1860年 494隻 143,609トン 248隻 93,365トン 1861年 810隻 229,894トン 359隻 95,858トン 1862年 1,532隻 390,139トン 806隻 226,056トン 1863年 1,790隻 530,921トン 820隻 272,428トン
表5.主要国(英国及び米国)の上海か らの出港隻数及 び総 トン数 (1843年〜1863年)‑2)
年 代 英 国 米 国
1843年 1844年
1845年 66隻 16,760トン 17隻 5,931トン 1846年 50隻 14,159トン 17隻 5,322トン 1847年 75隻 18,914トン 20隻 5,454トン 1848年 67隻 18,916トン 17隻 6,502トン 1849年 94隻 38,875トン 25隻 10,252トン 1850年
1851年 1852年 1853年
1855年7月
〜56年6月 277隻 81,814トン 81隻 43,446トン
185〜 16年72月月 145隻 45,748トン 25隻 17,703トン 1857年 169隻 66,149トン 35隻 28,101トン 1858年 174隻 77,496トン 56隻 38,270トン 1859年 383隻 150,016トン 179隻 78,184トン 1860年 485隻 138,068トン 235隻 94,061トン 1861年 782隻 229,775トン 344隻 92,305トン 1862年 1,531隻 389,280トン 805隻 226,056トン 1863年 1,810隻 554,716トン 884隻 287,021トン
上述 の よ うに、上海 が広州 に代 わ って 中国の 対外貿易 の最大 の拠点 とな り、1840年代末 か ら 英米 を中心 とす る外 国蒸 気船建造修理会社 が相 次 いで誕 生す る。
1851年、上海 に、ア メ リカの蒸気船修理会社 パー ビス社 (purvis&Co,中国名伯維公 司) が 外 国人技 師た ちを招聴 して設 立 され 、翌年 には 操業を開始 した。1852年には、アメ リカ人、デュー スナ ップ (JamesDewsnap,中国名 杜那普 ) が、
蘇州河 口に 1基 の泥製 ドックを建造 した。 その ドックは 当時 ̀新 ドック ' と呼 ばれ 、 後 に は
̀旧 ドック' と呼 ばれ るよ うになった。 さ らに 1856年7月 、呉推 口地 区 にア メ リカ人 、ベ イ リ ス (NicholasBaylies,中 国名 貝 立斯 ) が会 社 を 設 立 し、長 さ21m、喫水0.82m、積載量40トン、
12馬 力 の蒸 気船 ̀パイ オニア (Pioneer)'号 を 建造 した。 この船 は上海 において外 国人が建造 した初 の蒸 気船 で あ りlう'、 ま もな くそ の姉妹船 も1隻建造 され てい る。 ところでア メ リカ人た ちが経営す る会社 は概 して小規模 で、設備 は貧 弱 、経営基盤 も脆 弱 で あ り、経営 が長続 き しな い もの もあった。 この時期 、ア メ リカ人の水先 案 内人、ポ ッタ‑ (M.L.Potter,中国名 包徳 ) と い う人物 な どは、下海 浦蒸気船修理会社 を設立 し大儲 けを してい る。 ほ どな く彼 は中国で稼 い
だ大金 をア メ リカの西部 開拓事業 に注 ぎ込 んで い る14)。 ポ ッタ一 に代表 され る金儲 けだ けが 目 的で大金 を掴 む と高飛 びす るよ うな輩 も見受 け
られ るよ うにな った。
上海 においては、イ ギ リス人 の会社 のほ うが ア メ リカ人 の会社 よ りもず っ と長 い蒸気船建造 修理業の経営歴 を有 していた。1840年代以降で は、 ミッチ ェル (A.Mitchell,中国名密 契爾) が 浦 東に開業 した上海初 の外 国資本蒸気船建造修 理 会 社 ̀浦 東 造 船 所 ' (Pootung Dock)が あ る15)。 また1853年 には造船経験 を有す るス コ ッ トラン ド人 、 ムア‑ ツ ド (DavidMuirhead,中 国名莫海徳) は、浦東 にお いて董家渡石造 ドッ ク (TungKaDooDock)を建造 してい る。 そ の ドックの施設設備 はほ とん ど完壁 で あ り、大 型倉庫及び埠頭 を備 えた当時極東地域最高の ドッ クであった といわれ、1859年 に浦東蒸気船造船 所 と改称 してい る。1859年版 、『上海 年歴 (午 鑑 )』 (shanghaiAlmanac)の記載 に よる と、浦 東蒸気船造船所 は造船 、機器製 造 、鉄鋼精錬 な どその営業 品 目は非常 に多彩 で 、上海 にお け る 未曾有の蒸気船造船所 であったl
G '
。1872年 には、9万4千 両銀 の資本 金 に よ り浦 東 ドック会 社 (PootungDockCo)を設 立 して い る。 さ らに イ ギ リス人、ホ‑ キ ンス (E.Hawkins,中国名産 洋務運動時期 における中国近代技術産業の導入と発展の研 究 (五) 81
金斯)は、1859年、虹 口のデ ュースナ ップ ドッ クに近接す る場所 に、上海新 ドック (Shanghai New Dock,中国名祥安順船廠) を設立 し、 1基 の ̀新 ドック' といわれ る泥製 ドックを建造 し ている。上海新 ドックは、1863年 にホ‑キンス 洋行 (外国人経営の商社)に改組 され、先述 し たデ ュースナ ップ社保有の泥製 ドックを買収 し て石造 ドックに改修 したが、従来か らの ̀旧 ドッ ク'とい う名称は変更 しなかった。1867年、ホ‑
キンス洋行は22万両銀 の資本金 によ り上海 ドッ ク会社 を設立 してい る [図5]。
そのほかに、1860年代以前、上海 において設 立 された蒸気船建造修理会社 には、アメ リカの トランナ ック社 (Trannack&Co,中国名丹舎克 船廠,1858年)及 びイ ギ リスの上海 ドック (Sha nghaiDockYard,中国名上海船廠,1858年)があ る。上海 ドックは後に虹 口において、コリア ドッ ク (Collier'sDock,中国名苛立爾船場) といわ れ る ドックを建造 してい る17)。
上海 開港後30年間の変化が次のよ うに記述 さ れ てい る。
「
‑上海 の黄浦江辺 は外国人商人 の 商館 、居宅あるいは ドックや埠頭 ばか りで、当 地に働 きに来ている広東や寧波地域の人々が数 多 く見受 け られ る。」18)。 また上海 に長期駐在 した英 国外交官 、マイヤー ズ (W.F.Mayers,中 国名梅輝 立) も1867年、次のよ うに記述 してい る。 「近頃外 国人た ちが黄浦江一帯の土地 を工 場用地や港湾用地 として広範囲に買収 してお り、た くさんの大型倉庫や ドック、埠頭が建設 され てい る。」19)、 「当時の上海港 にある海事施設 は 外国人経営者 たちが全体の70‑80%を所有 して いた。」20)
このよ うに欧米資本造船企業は阿片戦争後、
南 中国の香港、広州か ら中部 中国の上海 まで迅 速かつ容易に進 出 し、その経営は順調な発展 を 遂げた とい うこ とができよ う。 また中国のサイ ドか ら見る と、上述の よ うに中国の開国は西洋 列強によ り強引にお こなわれたわけであるが、
西洋の先進技術 が、いわば西洋か らの貿易風 に 乗って もた らされた とい ういいかた もできない わけではない。 その貿易風 は中国の伝統工業 を
なぎ払い、市場 を席巻 した。欧米船舶建造修理 会社が雨後の竹の子の よ うに中国の大地に頭 を 出 し、中国造船産業の基盤 を形成 した。外国造 船産業が更なる発展 を遂 げるなかで、中国産業 近代化‑の動きである洋務運動‑の幕開けとなっ た とい うこともできよ う。
参考図
[図 1] 19世紀後半頃の広州市街平面図 [図 2] 1906年、英国海 軍部が作成 した卑江
(珠江)図
[図 3]クーパー ドックが建造 された長州島の 拡大図
[図 4] 1861年 に建造 されたル ックスン ドック (李春潮氏提供)
[図 5] 1863年、英国ホ‑キンス洋行が上海虹 口に建造 した ドック
[図 日 19世紀後半頃の広州市街平面図
[ 図
2] 1906年、英国海軍部が作成 した卑江 ( 珠江)図
洋務運動時期における中国近代技術産業の導入と発展の研 究 (五) 83
[ 図 3] クーパー ドックが建造された長州島の拡大図
[ 図4] 1861年に建造されたルックスン ドック ( 李春潮氏提供)
[ 図
5] 1863年、英 国ホー キ ンス洋行 が上海 虹 口に建造 した ドック注
1)孫硫菓 『抗文集』 中華書局,1981年、第68 頁。
2)『香港年暦和行名録』1846年,『中英年暦』
1851年。
3)この ドックは、イギ リス軍人ホープ (James Hope、中国名賀普) の命名 になるC
4)黄輔造船廠廠 史参考資料匪編之二,第2頁。
5)黄桶造船廠廠史参考資料匪編之二,第3頁。
6)広東省船舶工業連合公司 『広東省誌一船舶 工業誌』1996年版 、第37頁。
7)別名 は洛克森船廠。
8)、9)、 10)、ll)黄葦著 『上海 開埠初期対外 貿易研究』(1843年〜1863年)上海人民出版 社,1979年第2版。
12)唐振常著 『上海史』,上海人民出版社,1989 年、第226頁。
13)孫統業 『中国近代 工業史資料』 第1韓 、第 15頁。
14)唐振常著 『上海史』,上海人民出版社,1989 年、第226頁。
15)江敬虞著 『十九世紀西洋資本主義対中国経 済侵 略』北京、人民出版社,1983年版 、第 350東。
16)劉恵吾著 『中国近代史』上海 、華東師範大 学出版社,1985年版、第112頁。
17)葛元栴 『櫨遊雑記』、巻1,『租界』、第12頁0 18)肌F.Mayers『Treaty PortofChina and
Japan』,1867年版、第385頁。
19)斎宝嘩 『中国近代航運史資料』第1輯上冊、
第586東。
20)田育誠等著 『西学東漸 中国 と日本』北京, 中国社会科学出版社, 2007年,第82頁。
参考文献
1.辛元欧著 『中国近代船舶 工業 史』 上海古籍 出版社,1999年第1版。
2.上海船舶 工業志編纂委員会編 『上海船舶 工 業誌』上海社会科学院出版社,1999年第1版。
3.金 jt、噴然編著 『中国船舶 工業的昨天輿現 在』北京、中国大地出版社,1999年第1版。
4.当代 中国叢書編輯部編輯 『当代 中国的船舶 洋務運動時期における中国近代技術産業の導入と発展の研究 (五) 85
工業』北京、当代 中国出版社,1999年第 1版。
5.王志 毅 著 『中国近代 造船 史』 北京 、海 洋 出 版社,1986年 、第29頁。
6.席龍飛著 『中国造船 史』湖 北教 育 出版 社,2 000年第 1版。
7.席億 飛 等 主編 『中国科 学技術 史 ・交通 巻 』 科学 出版社,2004年1月。
8.楊 著 『輪 船 (蒸気 船 ) 史』 上海 交通 大学 出版社,2005年第1版。
9.張仲礼 主編 『東 南 沿海 都 市和 中国近代 化 』 上海 人民出版社,1996年第 1版。
10.張洪祥 著 『近代 中国通 商 口岸輿租 界』 天津 人民 出版社 ,1993年 第1版。
ll.劉 捧 著 『近代 中国的新 式砺 頭 』 北京 、 人 民 出版社,2006年第 1版。
12.醇理 男 著 『旧上海 租 界 史話 』 上海 社 会 科 学 院。
13.劉 国 良著 『中国工業 史 (近代巻)』 江蘇科学 技術 出版社,1992年第 1版。
14.董 光壁 主編 『中国近 現代 科 学技術 史』 湖 南 教育 出版社,1997年第1版。
15.杉 浦 昭典 著 『蒸 気 船 の世 紀 』 NTT出版株 式 会社,1999年 第 1版。
16.楊 宏 烈編 著 『広州 法 十 三行 商埠 文化 適 地 開 発研 究』 広州 、華 南理 工大学 出版社 ,2006 年第1版。
17.中国第 一歴 史梢案館 等編 『清 宮広州 十 三行 梢案精選』 (広州十三洋行 に関す る公文書) 広州 、広東経 済 出版社 ,2002年第 1版。
18.呉 幣敬 主編 『中国近 現代 技 術 史』 科 学 出版 社 ,2000年3月。
19.張 忠 民 主編 『近代 上海 城 市発 展 輿城 市総 合 競争力』上海 社会科学院 出版社 ,2005年 第1版。
20.黄葦著 『上海 開埠初期対外貿易研 究』(1843 年〜1863年)上海人民出版社,1979年第2版。
21.華少序 、隅舟編 著 『図説 世界格 局 中的晩晴』
四川 人民 出版社,2004年 第 1版。
22.黄漢 民 、 陸光龍 著 『近代 上海 工業 企 業発 展 史論』上海財経大学 出版社,2000年第1版。
23.徐新 吾 、黄漢 民 主編 『上海 近代 工業 史』 上
海社会科学院 出版社 ,1998年第1版。
24.朱新 軒 、陳敬 全著 『上海 科学技術発展簡 史』
上海社会科学院 出版社 ,1999年 第 1版。
25.周積 明著 『中国早期 現 代化研 究』 高等教 育 出版社,1996年 第 1版。
26.孔令仁 主編 『中国近 代 化 輿洋務 運動 』 山東 大学 出版社,1992年第1版。
27.陳平原 、 夏 暁虹編 著 『図像 晩晴』 天津 、 百 花文芸 出版社,2001年第1版。
28.呉 申元 主編 『中国近 代 経 済 史』 上海 人 民 出 版社,2003年 第1版。