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日本人によるフルンポイル地方の調査−おもに畜産調査について−

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(1)査の概略をまとめて記してみたい︒. 吉. 田. 順. る当時の調査と調査報告の把握に︑格別に努めてきた︒今︑その調. 日本人によるフルンポイル地方の調査 −おもに畜産調査について−. はじめ. 本稿は︑呼倫貝爾地方における牧畜研究の基礎作業となるもので. ある︒ただし︑満洲国建国以前の時期については︑必ずしも畜産調. 査だけではなく︑広く呼倫貝爾地方調査一般を扱うことにしたい︒. 日本人で最も早く呼倫貝爾地方を調査したのは︑関東都督府の関. 係者であろう︒その調査成果として︑﹃東部蒙古誌草稿﹄上・中・下. ︵関東都督府陸軍部︑明治四十一年︶および﹃東蒙古﹄︵関東都督府 ^2︺. 最も牧畜が盛んであったこともあって︑当時熱心に畜産調査が行わ. 特に呼倫貝爾地方については︑満洲国支配下の内モンゴルの中で. 倫貝爾地方に入って︑シネ・バルガ︵新巴爾虎︶左旗︑ソロン︵索. 蒙古︵現在のモンゴル国︶のハルハ︵喀爾喀︶王府から北上し︑呼. 広く実地踏査したことが知られる︒正確な遣順は不明であるが︑外. 陸軍部編纂︑大正四年︶がある︒これらを読むと︑呼倫貝爾を相当. れた︒また私自身が一九九一年以来︑力を注いで現地調査を進めて. 倫︶旗︵現在のエヴェンキ旗︶を通ってハイラル︵海拉爾︶に至り︑. ^1︺. 日本人によるフルンボイル地方の調査. 五七. きたところでもある︒これらの理由によって私は︑呼倫貝爾に関す. るようになった︒. の調査とそれに基づく報告の状況を把握できたのではないかと考え. その結果︑全貌をつかめたとは言えないにしても︑ある程度︑当時. るものがあると考えて︑これまで国内外の図菩館等を調査してきた︒. めには︑戦前満鉄や満洲国等によって出された文献に利用価値のあ. 私は︑モンゴルの牧畜︑とりわけ内モンゴルの牧畜を研究するた. いたことはあまり知られていない︒. 位置するフルンボイル︵呼倫貝爾︶地方の畜産調査を熱心に行って. 日本人が第二次大戦敗戦まで︑現在の中国内蒙古自治区東北部に. に.

(2) 鉄道を使わずに道路によって満洲里に至り︑そこからシネ・バルガ ︵新巴爾虎︶右旗のハルハ・モンゴル境界近くを南下してダライ湖 ︵フルン湖︶南岸を通過してボイル湖北岸に至り︑ハルハ河を遡って. 五八. 方に対する調査意欲を刺激したに違いなく︑この時期相次いで調査 が実施された︒. 一九二二︵大正二︶年四月十七日に谷村正友︑牛島正巳の二人は︑. ﹁東北蒙古新開地方経済踏査ヲ命ゼラレ﹂︑四平街を出て鄭家屯︑鎮. 東その他各地を経て斉斉姶爾に達し︑そこから﹁東清鉄道ニヨリテ. 東南に進み︑ふたたびハルハ王府に出るルートが踏破された︒この 踏査の成果は︑︐東部蒙古誌草稿﹄の遭路と都市の章に︑ある程度詳. 海拉爾︑満洲里ヲ視察﹂する一ヶ月の旅をして︑﹃東北蒙古踏査報告. ︐東部蒙古誌草稿﹄が刊行されたのと同じ明治四十一︵一九〇八︶. 爾と満洲里については︑ほんの付け足し程度の記述しかなく︑畜産. 書﹄を同年にまとめた︒この報告書において︑呼倫貝爾にある海拉. ︷5︶. しく記されている︒. 年に︑鳥居縫蔵が東部モンゴルの調査を実施し︑﹃蒙古旅行﹄︵明治. 関係の記述に至っては数行を出ない︒呼倫貝爾独立の影響について. 鳥居が呼倫貝爾地方をある程度調査できたのは︑大正八︵一九一九︶. 男と陸軍一等主計鈴木晟太郎を︑﹁学術上の研究ノ名義ニテ軍事上. 一九一四︵大正三︶年には︑関東都督府が︑陸軍砲兵大尉山縣初. は︑何ヶ所か触れられている︒. 四十四年︶を著わした︒鳥居は呼倫貝爾地方を調査する意志を有し ^3︺ たが︑果すことができず︑呼倫貝爾の南部をかすめた程度で戻った︒. 年にチタ方面から汽車で満洲里︑ハイラル一海拉爾一を訪れたとき. 二関スル諸調査ノ為五月十日頃ヨリ約五十日間達頼竿旗札魯特旗烏. ^4︶. 珠穆沁部ヨリ外蒙古車臣汗部ノ一隅ヲ経テ呼倫貝爾地方二公然ノ旅 ^6︶ 行ヲ為サシメント﹂して︑従者二名を付けて派遣した︒一行は︑大. で︑そのさいハイラル周辺の地域に出かけてダグール族やソロン族 の調査を実施した︒. 呼倫貝爾地方は︑一九一一︵明治四十四︶年に外蒙古が独立宣言. 貝爾を特別区域とする協定を締結して独立を妨げた︒そして一九一. 爾地方南部の新巴爾虎左旗に入り︑北上して索倫旗を経て海拉爾に. 一行は︑東烏珠穆沁旗からハルハ・モンゴルの東端を経て呼倫貝. 正三年五月十日に旅順を出発し七月二日までの五十四日間調査旅行. 七一大正六一年にロシアが革命勃発によって政情が乱れたのに乗じ. 入った︒以後海拉爾︑満洲里を調査し︑フルン︵呼倫︶湖︵1ーダラ. したのをうけて︑ロシアと外蒙古の支援を得て︑独立を宣言した︒. て︑一九一九年に呼倫貝爾の特別自治制を廃し︑一九二〇年一月に. イ湖︶を訪れ︑帰途についた︒呼倫貝爾に滞在したのは︑十五日間. ^7︺ を行い︑﹁蒙古縦断旅行記﹂を著わした︒. ロシアとの協定を廃止する旨︑宣言した︒. であった︒報告も呼倫貝爾について一定の分量が割かれ︑﹃東部蒙古. それに対して中華民国は︑一九一五年にロシアと話をまとめて呼倫. この事態は︑当然︑呼倫貝爾地方への日本の関心を高め︑この地.

(3) して︑地誌として﹃呼倫貝爾事情﹄︵外務省政務局︑大正五年︶をま. 吉原は︑在斉斉姶爾総領事館外務菩記生として呼倫貝爾地方を調査. 呼倫貝爾のみの調査として古いのは︑吉原大蔵の調査であろう︒. から汽車で西方満洲里に戻った︒それまでの調査者と比べて新しい. 上して︑九月十日にジャライノール︵札来諾爾︶駅に到着し︑同駅. 西進してウルシュン河を渡ってダライ湖南岸に至り︑西岸沿いに北. 廟と東方の塩湖︵珠爾伯特塩池︶に出かけ︑そののち甘珠爾廟から. 破ルートは︑満洲里から汽車で海拉爾に行き︑八月二十六日に馬車. とめた︒本菩には呼倫貝爾を特別地域と定めたロシアと中国の協約. 点は︑海拉爾から甘珠爾廟に行ったことと︑甘珠爾廟とウブドケ廟. 誌﹄の記述に加えるところがある︒呼倫貝爾の独立宣言と独立状況. 締結後までの経緯およびその後のことを記している︒この書を見て. と塩湖に行ったことである︒志水は︑この調査や別の調査に基づき︑. で海拉爾から甘珠爾廟に行き︑そこを起点にして西南方のウブドケ. 気付くのは︑開墾および漁業等の産業のことを記しながら畜産に言. 上記珠爾伯特塩池やタルバガン関係の報告を書き︑また昭和初めに. 下の呼倫貝爾の雰囲気についても記している︒. 及していないことである︒呼倫貝爾を調査し︑地誌を記して畜産に. 畜産関係の報告文を発表した︒これらは︑呼倫貝爾在住者の手にな. ^9︶. 触れていないというのは︑とりもなおさず吉原の呼倫貝爾認識の浅. るはじめての本格的な調査報告として︑評価されるべきものと思わ れる︒. さと偏りとを示す︒. こののち大正十年代になると︑一九二一︵大正十︶年に外蒙古が. の一連の著作である︒志水は︑当時満洲里に居住し︑大正十二年に. そのような著作の一つであるが︑この時期注目されるのは︑志水語. 例を挙げると︑前注に引いた弓場盛吉﹃蒙古貿易と東支鉄遭﹄も. 国の人々の注意が集まるようになった︒そのこともあって呼倫貝爾 ^8︺ に関する著作や訳書が次第に増えてくる︒. に対する関心が高まり︑それとの関連で隣接する呼倫貝爾にもわが. の書は︑主に軍事的観点から呼倫貝爾の地誌を概観したものである. かに︑少なくとも海拉爾南方の地域も踏査したことが知られる︒こ. ができないが︑この書から︑斎藤が呼倫貝爾に滞在中︑興安嶺のほ. 刷りで残されている︒その踏査の具体的な状況については知ること. 講語し︑その概要が︑︐呼倫貝爾ノ概況﹄と題されて︑手書きの謄写. 藤騎兵大尉が呼倫貝爾地方に起居し︑帰途それまで未踏査であった. 大正十五年六月から四ヶ月の間︑関東軍司令部支那馬調査班の斎. 種々の調査をするためにガンジュル︵甘珠爾一廟に出かけ︑十三年. が︑そのほかに札免公司︑甘珠爾廟市とハロンアルシャン等につい. 独立するという事件が起ったこともあって︑北モンゴル︵外蒙古︶. にも家畜の取引の調査を主目的として同地に出かけた︒十三年の旅. て︑二章を設けて述べている︒そして最後に﹁外蒙封鎖ノ呼倫貝爾. ^10︶. 五九. 興安嶺地区を通過して帰った︒斎藤は帰任後関東軍司令部において. 行は﹁呼倫貝爾踏破記︵一︶−︵三︶﹂としてまとめられた︒この踏 日本人によるフルンボイル地方の調査.

(4) 経済上二及ホセル影響﹂について記している︒. 鉄は蒙古調査隊第一班を組織し︑挑南と満洲里の間の鉄遭敷設予定. 年代である︒すなわち大正十四年五月十五日から十月二日の間︑満. 呼倫貝爾に関する総合的な調査がはじめて行われたのも︑大正十. は︑昭和七年に一部手直しされ縮刷され︑﹁呼倫貝爾地方住民分布要 ^H︺ 図﹂と題されて︑陸軍 省 の 刊 行 物 に 転 用 さ れ た ︒. 地方に関するこの種の資料の最初のものとみなされる︒なおこの図. 資料に基づいて普き込まれたのか不明であるが︑ともかく呼倫貝爾. 図示されているからである︒この移動経路がどのような調査ないし. というのは︑そこには新旧巴爾虎族︑索倫族の季節的移動の経路が. 住民分布要図﹂は︑牧畜の観点から注目すべき内容を含んでいる︒. な記述に終始している︒これは︑調査報告菩としてみた場合︑大き. されていることもあるが︑概して内モンゴルの畜産に関する一般的. ているのみで︑他の箇所では︑部分的に呼倫貝爾の畜産について記. て海拉爾と満洲里の畜産市場の状況について五〇頁程度が費やされ. 通過地の牧畜状況について五頁が費やされ︑第九章﹁市場﹂におい. すなわち第一章﹁沿道の土地及牧畜の状況﹂の後半部で呼倫貝爾の. の畜産状況について記述した﹂とあるように︑一般的な記述が多い︒. 洲里間旅行地域内の事情のみに限らず︑東部内蒙古及呼倫貝爾全般. の凡例に﹁本報告に於ては第一章及第九章を除き必ずしも桃南︑満. このうち第四編が﹁畜産業﹂を扱っている︵坪井清が担当︶が︑そ. この調査の成果は︑︐洗南満洲里間蒙古調査報告書︵第一班︶﹄と ^H︶ いうタイトルで七冊︵第一編−第六篇︑別冊︶として刊行された︒. 六〇. 地の調査を実施した︒そしてこの調査隊は︑鉄道関係事項以外に沿. な欠点であると指摘しないわけにはいかない︒けれども一応︑この. 隅︑東支鉄逝の札来諾爾駅に達するものであった︒. 遣の概況︑村邑︑農業︑畜産︑漁業︑林業︑地質鉱産等についても. ときわが国で最初の呼倫貝爾に対する本格的な畜産調査が行われた. 本書には四枚の附図があるが︑その第三図﹁呼倫貝雨主要都市及. 調査したので︑総合的な調査となったのである︒このようなさまざ. と言うことは︑許されるであろう︒. なお同じ頃︑満鉄姶爾濱事務所調査課中村撰一は︑基本的に実地. ^ 一. まな分野の調査を実施するために︑調査隊は︑隊員数も十七名と多 く︑これを三班に分けて調査を実施した︒他に雑役夫四人が加わっ. 踏査に依拠して︑東支鉄遭沿線の畜産を総合的に叙述し︑呼倫貝爾. 斎藤騎兵大尉が附図作成に使った何らかの資料の存在からもうか. た︒調査は大興安嶺の東西にまたがるものであり︑呼倫貝爾だけが. いた︒調査ルートは︑ウランホト︵烏蘭浩特︶︑索倫︵今の興安盟科. がえることであるが︑この時期呼倫貝爾には︑現地の牧業に通じた. ^H一 の畜産についても触れた︒. 爾沁右翼前旗索倫鎮一を経て大興安嶺を越え︑ハルハ河の支流アル. 人物がいたようである︒﹁呼倫貝爾地方の牧畜企画に就て﹂︵大正十. 対象とされたわけではないが︑呼倫貝爾は調査地域の半分を占めて. シヤン河に出て︑ハンダガヤ︑甘珠爾廟を通過してダライ湖の東北.

(5) したり︒本篇は該局員の依嘱に対する委細を極めたる解答にして︑. 小資本を以て該地方に牧畜業の基礎を築き得るや否やの調査を以て. 来民族発展の好舞台なるを痢感し︑満洲里在留の研究者に嘱するに︑. 東支鉄道沿線視察に際し︑興安嶺西呼倫貝爾の荘洋たる草原が︑将. 二年︶という報告があり︑冒頭に﹁一東亜経済調査局員︑本年八月. 呼倫貝爾の畜産について︑相当に詳細な記述がなされている︒この. り見たる呼倫貝爾事情﹄上巻をまとめた︒その最初の部分において︑. の畜産に関する資料も参考にして︑昭和四年三月に﹃経済的方面よ. 主に自身の調査に基づきつつ︑杉原訳のコルマゾフの著書や坪井清. 事情﹄をまとめた︒続いて前述の満鉄姶爾濱事務所の中村撰一が︑. 貝浜岡福松が現地調査も行って︑﹃政治的方面より見たる呼倫貝爾 ︶. 三人の脊年が︑各一千円合計三千円を出資して牧畜に着手するもの. ように︑昭和に入るとともに︑それまでの内外の調査報告書等に基. ^. と仮定して︑一切の調査を進めたるものなり﹂とある︒満洲里在留. づき呼倫貝爾の政治︑経済に関する相当に詳細な概説書が相次いで. 言ってよいかもしれない︒. 一20︺. の研究者といえば︑前述した志水語が思い浮かぶが︑今のところ確. 刊行された︒呼倫貝爾に関する調査研究の新たな段階に移行したと. ^旧一. 認できない︒. なお同じ頃︑すなわち大正十二年に満鉄蛤爾濱事務所調査部が︑. 呼倫貝爾の産業開拓を標祷して︐呼倫貝爾産業公司﹄なるものを創 一m一. 設し︑第一期には貿易業を経営し︑その付随業務として牧畜業等を 営もうと企画した︒. 最もよく知られているものの一つであるので︑特に挙げると︑コル. 日本人が著わしたものではないが︑この時期に出された文献の中で. のため︑日本人がそこに安全に出かけて調査でき︑しかも興安北省. を構成する興安北省とされ︑国務院興安局の管轄下に置かれた︒そ. 洲国が建国され︑満洲国時代に入る︒この時期︑呼倫貝爾は満洲国. こののち間もなく満洲事変が勃発し︑一九三二︵昭和七︶年に満. マゾフの著普の翻訳﹃巴爾虎︵呼倫貝醐︶の経済概観﹄がある︒刊. 当局から種々の便宜を与えられたので︑多数の者が入り︑関係著作. 一π一. ﹃﹁バルガ﹂︵巴爾虎︶事情﹄というタイトルで︑別の人物によって訳. は本稿の主題である呼倫貝爾の畜産調査とその報告にしぼって記す. 一㎎一. されて出されている︒コルマゾフの著普には︑牧畜についても︑参. 六一. ただその前に一つ︑満洲国建国後間もなく一九三二︵大同元︶年. ことにしたい︒. 日本人によるフルンボイル地方の調査. コルマゾフの書が刊行されるより前に︑満鉄姶爾液事務所調査課. 照する価値のある記述が見出される︒. も増加した︒従ってそれらをすべて述べるわけにはいかない︒以後. 行されたのは︑昭和五年である︒この書は︑実はすでに昭和三年に. 呼倫貝爾に対する文献は︑昭和時代に入って︑急速に数が増える︒. 二.

(6) 六二. 就て﹄を出したことは︑述べておきたい︒この書は︑呼倫貝爾事件. 事件があり︑これについて陸軍省調査班︵編︶が﹃呼倫貝爾事件に. 経済調査会の畜産関係調査の対象として選ばれた十四の地域のうち. 興安嶺西斜面とそれに西接する草原に過ぎなかった︒そこで︑満鉄. 墾が進み︑なお広大な純牧畜地帯が残されていたのは呼倫貝爾の大. た理由を述べると︑満洲国領の内モンゴル各地方は︑当時すでに開. 満鉄経済調査会の畜産調査が呼倫貝爾の本格的な畜産調査となっ. について述べる目的で編纂されたものであるが︑附録の﹁呼倫貝爾. 実に十一までがこの呼倫貝爾地方に属していたのである︒それらを︑. 十月一日に蘇柄文が呼倫貝爾の独立を宣言して起した所謂呼倫貝爾. の概観﹂の方が頁数が多く︑既述のように︑その附図に﹁呼倫貝爾 ^刎︶ 地方住民分布要図﹂がある︒. 報告書における配列順に従って示すと︑つぎのとおりである︒調査. 山龍介. 八︑三河拉南部接壌地区及牙克石地方における畜産状況︑九年. −以上︑満洲関係資源調査編纂書類第四編第四巻−. 七︑北鉄西部沿線畜産報告書︵海拉爾第十三班︶︑九年二月︑永. 永山龍介. 六︑海拉爾以南畜産調査報告︵海拉爾第十四班︶︑八年十一月︑. 十一月︑山本眞. 五︑額爾古納︵海拉爾︶河南流域地方に於ける畜産情況︑八年. 月︑坂本弥直. 四︑満洲里︑札来諾爾及海拉爾における畜産調査書︑八年十一. の年月と担当者の名前も付しておく︒. 呼倫貝爾の本格的な牧畜調査は︑満鉄による調査と満洲国による 調査に大別されよう︒以下に︑これらについて︑現在までのところ 知り得たことを記すことにしたい︒. 呼倫貝爾の本格的な畜産調査は︑満鉄経済調査会によってはじめ て実施された︒すなわち昭和八︵一九三三一年七月に関東軍は︑満 洲国内の兵要給水調査を実施することとし︑それを満鉄と関東庁の 技術と資材並びに満洲国の行政的力量を動員して実施しようとした︒. 満鉄は︑関東軍の要請に応じて兵要給水調査に協力する一方︑関東 軍がこの調査隊に随行する各産業部門の調査員の参加を要請したの をうけて︑経済調査会から︑一般経済︑農業︑林業︑畜産︑水産︑. 交通の六部門に︑全体で五十名以上の調査員を派遣し︑兵要給水調 ^η︺ 査隊と一緒にこれらの部門に関する調査に従事させたのである︒そ. 二月︑山本眞. 九︑三河拉南部接壌地区及牙克石地方における畜産状況附. してこの満鉄経済調査会の六部門の一つである畜産部門の調査の一. 環として︑呼倫貝爾地方の調査も行われ︑それが呼倫貝爾における. 十︑畜産関係より見たる海拉爾に於ける市場経済の現状︑九年. 別冊通過地方部落戸別飼養家畜頭数表︑九年二月︑山本眞. 本格的な畜産調査となったのである︒調査の成果は︑︐満洲畜産資源 ^困︶ 調査報告﹄と題する 報 告 書 二 冊 の 中 に 収 め ら れ た ︒.

(7) る調査は簡略であった︒呼倫貝爾の畜産の中心がモンゴル人であつ. たことを考えると︑調査地域のこのような偏りは︑本調査の限界を. 四月︑山本眞 十一︑新巴爾虎左翼旗畜産調査報告︑九年六月︑渡辺勇. 示すということができよう︒. 騰写刷り冊子として出された︒. 書第○号︑興安○号畜産第○号﹂という保管番号が付されたタイプ. 続に収録されている十四の報告についていうと︑﹁経済資源調査報告. が付されて出されていた︒資源調査編纂書類第四編第四巻・第四巻. としてタイプ騰写刷りされ︑資源調査編纂菩類版にはない保管番号. る前の段階において︑そこに収録された報告がそれぞれ独立の冊子. ところで︑満鉄経済調査会の資源調査編纂書類は︑活版印刷され. 十二︑北鉄西部沿線畜産調査報告一海拉爾第十二班︶︑九年八月︑. 永山龍介 十三︑額爾古納左翼旗三河地方畜産事情調査報告︑九年十一月︑. 坂本弥直 十四︑大興安嶺北鉄沿線南部畜産調査報告書︑九年十一月︑坂. 本弥直 −以上︑満洲関係資源調査編纂書類第四編第四巻続− ただし以上のうち︑五︑七︑八︑九︑十二︑士二︑十四は︑白系. 注意すべき相違もある︒例えば︑︐新巴爾虎左翼旗畜産調査報告﹄︵経. これらは︑資源調査編纂書類版と内容がほぼ完全に一致するが︑. 住地域に対する調査ではない︒四と十は︑満洲里︑札来諾爾︑海拉. 済資源調査報告書第八十二号興安十七号畜産第五号︶には︑資源調. ロシア人と少数の漢人が居住する地域の調査であり︑モンゴル人居. 爾という呼倫貝爾の三都市に対する調査であり︑満洲里と海拉爾に. 査編纂書類版には存在しない﹁海拉爾第三次第十四調査隊行程図﹂. 六三. ﹁諸資料を蒐集整備し︑其中から畜産に関するものを編纂し﹂︑﹁従っ. その後昭和十二年になって︑満鉄吟爾濱鉄道局係員の斎藤時輔が. なお︑経済調査会の一般経済調査の呼倫貝爾関係報告にも︑畜産 ^脳︺ の観点からみて価値のある記事が含まれている︒. 価できると言わなければならないものである︒. り︑本報告の価値は︑これらの付図とあわせて︑はじめて正当に評. る︒この付図は︑新巴爾虎左旗の牧畜に関する重要な調査成果であ. および﹁新巴爾虎左翼旗放牧経路略図﹂と題される四枚の付図があ. おける屠殺︑獣皮︑乳製品加工等の問題を扱うさいに︑モンゴル人. との家畜取引にわずかに言及していることによってモンゴル人の畜 産に触れているに過ぎない︒結局︑真にモンゴル人に対する畜産調. 査といえるのは︑索倫旗の一部と新巴爾虎左旗を調査した六と︑新 巴爾虎左旗を調査した十一のみである︒実質的には新巴爾虎左旗の みと言ってもよい︒新巴爾虎左旗と索倫旗以外に︑大興安嶺西のモ ンゴル旗として︑新巴爾虎右旗と陳巴爾虎旗があるが︑この二つの 旗に住むモンゴル人の営む牧畜については︑全く調査がされなかっ. た︒要するにロシア人居住地に比べて︑モンゴル人居住地域に対す 目本人によるフルンボイル地方の調査.

(8) 六四. 斎藤の著作が以上のように興安北省の公的機関の調査成果を多く. が︑自ら呼倫貝爾の畜産の調査を相次いで行うようになる前の︑い. て全般的現地調査の結果ではないが︑多方面の踏査者から事情を聴 取して能ふ眼り新資料を採入れることと新資料の誤謬を訂正するこ 一珊一 とに相当の努力﹂を費やして︑︐呼倫貝爾畜産事情﹄を著わした︒こ. わば過渡的な段階であると総括することもできよう︒. 利用している点は︑こののち興安北省や興安北省の所属する興安局. れは︑呼倫貝爾の畜産を包括的に︑かつ相当詳細に扱った最初の文. て一九三九︵康徳六︶年に出された﹃興安北省に於ける牧野並放牧. 興安局による最初の注目すべき調査報告は︑興安局調査科によっ. 班︶﹄第四編の﹁畜産業﹂が︑呼倫貝雨も調査しながら東部内蒙古の. 慣行調査報告﹄である︒この報告書は︑報告のもととなった調査と. 献である︒先述した坪井清の﹃挑南満洲里間蒙古調査報告菩︵第一. 畜産の概説にほぽ終始したのに比べると︑呼倫貝爾地方に焦点をし. ともに︑ほとんど忘れ去られた状態になっているものである︒. ^邪︺. ぼって記述しているので︑呼倫貝爾の牧畜の研究に︑大いに有益で. 関する調査は種々発表されてゐるが何れも一局部に留り全省に亙り. この報告の序言によれば︑﹁従来興安北省に於ける牧野並放牧に. 本書の凡例に引かれている参考資料一覧から判断すると︑斎藤は︑. 綜合的に調査せるものは皆無であった︒康徳五年国境地帯の産業開. ある︒. 昭和十年十一月に出された満鉄経済調査会の資源調査編纂書類版. は︑この時期の呼倫貝爾の畜産状況を知るのに不可欠の文献である. の多くは︑昭和十年から十二年にかけての資料である︒従って本書. る︒しかもそれらの本書における利用箇所を明示している︒それら. が所属していた満鉄関連機関等の調査成果を随所で十分に使ってい. した︒しかしながら粛藤は︑満洲国興安北省公署の各種機関や白ら. 類版の﹁北鉄西部沿線畜産報告書︵海拉爾第十三班︶﹂︶だけを利用. だ一冊︑すなわち﹃海拉爾第十三班畜産調査報告﹄︵資源調査編纂書. という課題で畜産局技佐芝原恭一郎が直接ハイラルに派遣され︑秘. 若し戦えばホロンバイルニ百万の家畜を如何に避難誘導すべきか﹂. 保の見地から︑有事対策の検討を政府に提示した︒すなわち﹁日ソ. 年一一九三八年−吉田一の九月︑関東軍はホロンバイル家畜資源確. この調査の主旨は︑実際に調査に携わった佐村恵利によると︑﹃この. 省各旗公署を煩はし本調査の実施を見るに至った﹂とある︒しかし. 其の重要性を認識せらるるに及び康徳五年より同六年に亘り興安北. 於ける放牧慣行は緊急に解決すべき事項として中央関係部局に於て. 発問題が討議せられ我が国の最重要なる畜産資源地たる興安北省に. と言える︒また斎藤は︑呼倫貝爾の畜産をひとまとめにせず︑﹁純放. ︵﹃満洲畜産資源調査報告﹄︶は利用せず︑タイプ謄写刷り版のうちた. 牧地帯﹂と﹁鉄道沿線地帯および三河地方﹂に区分して︑地域的相. 密裡にその調査実施を北省に提示した︒当時︑北省次長は馬込信一 ^η︺ で畜産主任は佐藤正巳であった﹄とある︒確かに佐村の述べるとお 違に配慮している︒この意味でも本書は評価できる︒.

(9) 知識を有し各旗の畜産事情に通じている技士によって旗別に相当詳. 一男︑東新巴旗織笠某︑陳巴爾虎旗永美遼二︑東額旗失念︑索倫旗 ^㎎︶ 佐村恵利の各技士が中心となって従事﹂したとあるように︑専門的. われた牧野および放牧慣行の調査は︑佐村によると︑﹁西新巴旗渡辺. されたことが理解できる︒ただし︑そのために基礎的作業として行. りであって︑本書の目次や本文を読むと︑この提示に基づいて調査. 容を十分に知ることは︑到底できない︒. の限られた論文を使うよりほかないのであるが︑それらから調査内. から康徳十年にかけて掲載された︑これら三旗についてのいくつか. 査集計表のみを収録したに過ぎない﹂から︑調査の全貌を知ること. 制度︑土地関係については扱われず︑﹁経済関係中の調査部落戸別調. 計篇﹄においては︑その﹁はしがき﹂に記されているように︑社会. ほぼ同じ時期に興安局は︑管轄下の興安四省すなわち興安北省︑. 牧慣行調査報告﹄とともに︑呼倫貝爾における牧畜および牧畜社会. とはいえ︑本調査と報告書は︑先の﹃興安北省に於ける牧野並放. ^30︺. はできない︒その欠を補うためには︑雑誌︐蒙古研究﹄に康徳六年. 細に行われたので︑その報告は︑質の高いものとなっている︒. 興安東省︑興安西省︑興安南省の四つの省の非開放蒙地の実態調査. に関するきわめて重要な調査成果であるといって差し支えない︒. る︒そして興安北省の呼倫貝爾については︑康徳六年の七月に新巴. 帯では従来試みられることのなかったものであり︑大いに評価され. 書として出すこととした︒このような一地点集中の調査は︑牧畜地. 査結果を﹃実態調査報告﹄と﹃実態調査統計篇﹄という題目の報告. 菓落に関する祉会制度︑土地関係︑経済関係について調べ︑その調. を康徳六年から康徳八年にかけて行い︑選ばれた旗の︑ある特定の. 十二月十六日に索倫︵今の興安盟科爾沁右翼前旗の索倫鎮︶に至り︑. 間をこの地で過ごし︑札羅木特︑海拉爾︑奈魯穆特︑満州里と廻り︑. に︑北満洲の一部として調査対象にされ︑山崎等は最も長い約十日. 安北省は︑興安東省一現在の呼倫貝爾東部︶︑濱江省︑龍江省ととも. て二十六日間︑北満洲地方の役畜資源の調査を行った︒このとき興. 日に︑満鉄調査部の職員山崎武雄と雇貝の澤井武が︑大連を出発し. 右の興安局の実態調査より少し早く︑昭和十三年の十一月二十三. ︺. 爾虎右旗のケルレン部落の新巴爾虎族︑同年の八月に索倫旗のバイ. そこから桃南を経て︑十二月十九日に大連に戻った︒満洲里からは︑. ^. を突施した︒すなわち予備調査を一九三八︵康徳五︶年に︑本調査. ンホショのプリヤート族︑康徳七年の七月に陳巴爾虎旗のテニヘ・. おそらく車で新巴爾虎左旗のハンダガヤ︑ハロンアルシャンを経由. して索倫に出たものと推測されるが︑詳細は不明である︒ともかく︑. ヂルクの陳巴爾虎族に対して徹底した調査が実施された︒. ただしそれらの調査報告として﹃興安北省新巴爾虎右翼旗・索倫. この調査の成果は︑﹃興安北省同東省濱江省及龍江省二於ケル役畜. ^31︺. 旗・陳巴爾虎旗実態調査統計篇﹄は出されたが︑この三旗の︐実態. 資源調査報告﹄としてまとめられた︒. 六五. 調査報告薔﹄の方は︑残念ながらついに刊行されないで終った︒︐統 日本人によるフルンボイル地方の調査.

(10) ではない羊や山羊は調査対象から外され︑馬︑牛︑ラクダ等につい. であった︒本調査は︑このような目的のもとに行われたので︑役畜. ヲ調査シタ︵中略︶中ノ北満地帯二於ケル役畜資源ノ現態調査報告﹂. 目的ヲ以テ実施セルモノテ先ス北満及内蒙古ノ主要生産地帯ノ実態. アル﹂として︑﹁満洲国二於ケル役畜需給調整方策ノ確立二資スルノ. 移植ハ益之ヲ深刻化スルニ至ツタ﹂ので︑﹁之カ対策ノ講究カ急務テ. 畜ノ急速ナル需要激増ヲ招来シ極度ノ供給難二陥リ更二邦人ノ大量. 本報告は︑﹁凡例﹂によれば︑﹁満洲国産業五箇年計画ノ実施ハ役. それが本報告の全二編のうちの第二編﹁畜産編﹂となっている︒た. の調査を主目的としつつも︑畜産の現状把握にも努めたのであり︑. 料たらしめんとす﹂るにあった︒すなわち呼倫貝爾の牧野の植生等. 換地問題の解決に資し併せて満洲国に於ける畜産開発方策の基礎資. る呼倫貝爾地方に於て牧野の植生︑生産力並畜産の現態を確め牧野. 本調査の目的は︑﹁満洲国に於ける唯一且最重要なる牧畜地帯た. 名で調査を実施し︑呼倫貝爾に関して︑かつてない本格的な牧野調 ^茄︶ 査を行い︑この報告をまとめたのであるから︑価値がある︒. 興安北省公署畜産科技士伏見貞利︑通訳一名をともなって︑総数五. 六六. て種々の角度から分析をしているに過ぎないが︑呼倫貝爾の牧畜を. だし︑第一編﹁牧野編﹂に比べると質量ともに貧弱である︒. 十日に海拉爾に入り︑二十三日に満洲里に移動し︑翌日満洲里から. 五日に︑満鉄新京支社調査室から派遣されて新京を出発し︑八月二. この調査の担当者であった山崎武雄は︑その後昭和十五年八月十. なければならない︒そしてこのことは︑﹃興安北省同東省濱江省及龍. と支援を得て行われ︑必要な資料の提供も受けていることを指摘し. 産司︑興安北省公署︑興安北省内旗公署等の関係当局の十分な協力. 本調査は︑満鉄が実施したものであるとはいえ︑満洲国興農部畜. ^36︺. 理解するのに参考となる記述を含んでいる︒. 南下して新巴爾虎右旗︑新巴爾虎左旗そして索倫旗の各地をめぐっ. 江省二於ケル役畜資源調査﹄についても同様であったと見て差し支. 地方の牧畜・畜産関係の調査報告類に比べて︑充実していると言え. と報告に主眼を置いて通覧してきた︒これらは︑内モンゴルの他の. 以上︑大興安嶺以西の呼倫貝爾地方に対する調査を︑牧畜の調査. おわりに. ^〃︺. て調査し︑九月十七日に海拉爾に戻り︑九月二十日に新京に帰った︒. えない︒. ^祝︶. 調査成果は︑﹃呼倫貝爾地方牧野植生調査報告﹄として昭和十八年に. 出された︒山崎は︑一年前の昭和十四年にも︑八月下旬から一ヶ月 ^珊︺ の間︑北満と東満地方の牧野植生の調査を飯島昇とともに実施し︑ 昭和十五年八月にはじまる調査の直前にも︑六月二十日から四十日 の間︑今の錫林郭勒盟の牧野の調査を張家口経済調査所の工藤丹︑ ^拠︺ ■谷井俊男とともに実施しており︑十分な経験の持ち主であった︒そ の山崎が︑前述の澤井武の外に公主嶺国立農事試験場技佐砂川泰夫︑.

(11) る︒それにまた︑本稿で記した報告書以外にも︑調査報告類が少な. も之を忽せにすべからざるに至った﹂と記し︑また後述する斎藤騎兵大尉. は支那本国問題と併せて漸く世界の視聴を惹き之に関する調査閑明は一時. 志水語﹁呼倫貝醐踏破記︵一︶1︵三︶﹂^︐満蒙﹄第五巻十二月号︑第六. 年三月︶. 巻三月号︑第六巻四月号︑一九二四年十二月︑一九二五年二月︑一九二五. ︵9︶. カ﹂と述べている︒. 喧シクナッテ以来人々ノ注目ヲ牽ク呼倫貝醐トハ一体如何ナル処テアロフ. が講謡録の鐘言において︑﹁外蒙ノ独立後殊二近時露支間二北満ノ問題カ. からずあるし︑旅行記類もかなり存在する︒それらの記述にも呼倫 貝爾の牧畜を研究するのに価値のあるものが含まれている︒. これらの諸資料をあわせて分析し十分に批判を加えて利用するな らば︑二十世紀前半期の呼倫貝爾地方の牧畜の状況を︑他の内モン ゴル地方のそれに増して明らかにすることが可能であると思われる︒. 志水語﹁呼倫貝爾塩湖箏惰﹂︵﹃満蒙﹄第六巻十一月号︑一九二五年九月︑ 八八頁−一〇〇頁︶︒. 一月︑五四頁−六一頁︶. 志水語﹁呼倫貝爾タルバガン市況﹂︵︐満蒙﹄第六十七冊︑一九二五年十. 志水語﹁呼倫貝醐に於ける羊毛市況と夏季漁況﹂^︐露亜時報﹄一〇六︑. 一九二八年八月︑四頁−八頁︶︒. 斎藤太尉﹃呼倫貝爾ノ概況﹄︑関東軍司令部支那馬調査班︑昭和二年︑全. 坪井清﹃挑南満洲里間蒙古調査報告書︵第一班︶第四編畜産業﹄︑満鉄庶. 六七. 況︑各村邑︑桃満鉄道の価他其他﹄︑大正十五年八月二十五日︑全一五〇頁︒. 西村潔︐挑南満洲里間蒙古調査報告沓︵第一班︶第一編総論︑沿道の概. し満洲里に出るというものであった︒. トは︑ダライ湖東岸に至ってから南下し︑湖南岸を通って湖西に出て北上. 務部調査諜︑大正十五年九月二十五日︑全一五三頁︒なお本報告の踏査ルー. ^13︶. した︒. 調査し︑︐東部内外蒙古調査報告^第二班︶﹄第一編−第三編の三冊を刊行. 第一班とは別に第二班があり︑同じ時期に束部内外蒙古接壌地域附近を. 注︵21︶参照︒. 二一枚︒. ^10︶. 二七年九月︑三〇頁−三二頁︶︒. 志水語﹁呼倫貝爾羊毛市況及満洲里獣腸相場﹂︵︐露亜時報﹄九五︑一九. 一九九一年の調査についてのみは︑調査結果の一部を報告した︒吉田順. このことに取り組むのが︑私の今後の課題である︒. ^1 ︶. 畑地農菜振興会︑一九九二年・三八九号︑平成四年二月二十八日︑一六頁. 吉mm順一﹁関東都督府陸箪部の束部内蒙古調査搬告普﹂^︐日本モンゴル. −二四頁︶ ︵2︶. ︐鳥屠寵蔵全災﹄第九巻一靭日新閉祉︑昭和五十年十一月︶︑一五〇頁−. 学会紀要﹄︑日本モンゴル学会︑一九九九年三月三十一日︑⁝二−四四頁︶ ^3 ︶. 一五三頁︒ ^4 ︶. この調査の概要は︑﹁人類学及人種学上より見たる北東亜細亜﹂^︐鳥居龍. 蔵全集﹄第八巻所収一によって知ることができる︒. 外務省外交史料館蔵︐蒙古視察閥係雑纂﹂所収. 大正三年四月﹁山縣大尉内外蒙古視察ノ件﹂一︐外務省外交史料館蔵﹃蒙. 関東郁督府陛軍部編纂︐東蒙古﹄︑大正四年二月十日︵宮本武林堂︵東京︶. 古視察隊派遺雑件﹄所収︶ ^7 ︶. 版︐東蒙古﹄︑大正四年六月八日︶︑三二三頁−四三八頁︒. 例えぱ姶醐液郭務所調査課長山内勝雄が︑弓場盛吉︐蒙古貿易と束支鉄. 道﹄一満鉄姶醐滅事務所調査訳︑大正十三年十一月︶の序において︑﹁蒙古. ︵8︶. 日本人によるフルンボイル地方の調査. 11. 12. 一﹁フルンブイル盟を訪れて−ホーチン・バルガ放の遊牧−﹂^︐畑地農業﹄︑. 注. 65.

(12) 西村潔他︐桃南満洲里間蒙古調査報告書一第一班︶第二編︑桃南−満洲. 三簡功︐桃南満洲盟間蒙古調査報告沓︵第一班︶第三編農業及漁業﹄︑大. 里閲級路調査報告沓﹄︑大正十五年九月二十日︑全一〇八頁︒. 辛島馨︐桃南満洲盟間蒙古調査報告書︵第一班一第五編林業・地質鉱産. 正十五年九月二十日︑全一七二頁︒. 地﹄︑大正︑全三二 十 一 九 頁 ︒. 上之繭権太郎・鈴木誠一︐桃南満洲盟間蒙古調査報告脊一第一班︶第六 編旅行日誌・衛生状況﹄︑大正十五年十月十日︑全=一四十二二頁︒ ︐桃南満洲里間蒙古調査報告書︵第一班︶別冊﹄︑大正十五年十月十日︑ 全二四十一〇頁︒. 中村撰一﹃束支鉄道沿線に於ける畜産﹄︑満鉄姶醐濱邪務所調査課︵姶調. 資料︶︑大正十五年六月三日︑全=一四頁︒. 呼倫貝醐地方の牧畜企画に就て﹂︑満鉄東亜経済調査局︐経済資料﹄第八. 巻第十二号︑大正十二年︑三七頁−六九頁︒. 外交史料館蔵︐各国箏情閥係雑纂支那ノ部︑蒙古﹄一所収﹁外蒙古二対. スル報告典ノ一﹂のうち﹁呼倫貝爾産業公司企画書﹂︒なお満鉄は︑当時す. でに林業を耶葉内容とする札免公司の経営に関わっていた︒ コルマゾフ著︐巴醐虎一呼倫貝醐︶の経済概観﹂^昭和五年︑高橋克己訳︑. 大阪毎日新閉社・露 西 亜 経 済 調 査 叢 書 ︶ ︑ 全 四 四 六 頁 ︒. 附. 六八. 呼倫貝醐の概観﹄︑陸軍. て纏める意向で﹂あったが︑下巻は刊行されずに終った︒. 陸軍省調査班︵編一﹃呼倫貝耐箏件に就て. 省調査班︑昭和七年︒. 原覚天︐現代アジア研究成立史論﹂︵勤草書房︑一九八四年一︑五八三頁. −五八四頁︑六七二頁−六七四頁︒. 満鉄経済調査会︑満洲関係資源調査編纂許類第四編第四巻および第四編. ︐満洲関係一般経済調査搬告﹄︑資源調査編纂普類第四編第一巻続四に︑. 四巻続︑昭和十年十一月︒. ︐呼倫貝爾畜産塾脩﹂秘︑満鉄鉄逝総局︑昭和十三年一月︒なお本文中の. 呼倫貝醐関係の報告がいくつか概せられている︒. ︐興安北省に於ける牧野並放牧慨行調査報告−極秘︑興安局調査科︵編︶︑. 鍵括弧内の引㎜川文は同沓の﹁凡例﹂に茶づく︒. 佐村恋利編︐ああホロンバイル蒙古物語−元満洲国興安北省在住邦人終. 興安局調査科︑康徳六年十二月︑全五二==貝十表十図. 佐村︑前掲書︑十六頁︒なお西新巴籏とは新巴爾虎右旗︑東新巴旗とは. 戦史録﹄一私家版︑平成五年十月一︑十六頁︒. 新巴醐虎左旗︑東額旗とは額醐古納左放のことである︒. 吉田順一﹁興安四省実態調査についてー非開放蒙地の調査を中心に1﹂︑. ﹃早稲田大学大学院文学研究科紀要﹄第四三輯第四分冊︵一九九八年二月一. ︐興安北省同東省濱江省及龍江省二於ケル役畜資源調査報告﹄極秘︑満鉄. 吉田順一︑前掲書︑六五頁−六六頁︒. 五七頁−七一頁参照︒. 書臓写刷一︑昭和三二九二八︶年一一月︒全三一九枚︒なお︑杉原とは︑. 四年二月に外務宥詐記生となり︑姶爾濱総領箏館に配属され︑一九二八年 当時︑引き続き姶醐濱総領班館に勤務していた︒. 上巻の凡例によれぱ︑﹁上巻には畜産業︑農業︑漁業︑狩猟業を収め下巻. 満鉄吟醐濱事務所調査課︵姶調貨料︶︑昭和二年四月一七日︒. には林業︑商業︑工業︑鉱業より蒙古人の個人経済に至る調査研究をなし. 部︑昭和十五年五月︑全四三五頁十附録一〇四頁︒. 新京支社調査室編︐北満及東満地方牧野椛生調査報告﹂極秘︑満鉄調査. 昭和十八年四月十八日︑全四五八頁︒. 新京支社調査室編︻呼倫貝醐地方牧野植生調査報告﹄極秘︑満鉄調査部︑. 五〇−一−印五十︶︑一九三九︵昭和十四一年︑全一九四頁︒. 調査部第一調査室畜産班編︑満鉄調査部︵保三五二/調一調九/乙資分三. リトアニアのカウナス領班館の副領事として︑一九四〇年にユダヤ人に日. 30 32 33. 本通過ビザを発給し︑多くの命を救った杉原千畝である︒杉原は︑一九二. 31. 杉原︵訳一︐﹁バルガ﹂一巴爾虎一事情﹄︑在吟醐滅日本帝国総領箏館一手. 21 22 23 24 25. 26 27 28 29. 14. 15 16. 17 18 19. 20.

(13) ︒^銚︶ 北支経済調査所編︐蒙搬牧野調査報告﹄秘︑満鉄調査部︑昭和十五年十. 梅樺忠夫も︑検討対象とした隈られた調査報告の中で︑山崎武雄の業絨. 二月︑全一六七頁︒ 一3 5 一. に対しては商い評価を下している︒﹃梅樺忠夫著作集﹄第二巻︵一九九〇年 十月二十日︑中央公軌舳祉︶所収﹁内蒙古牧畜調査批判﹂一六二頁︑一七八 頁など︒ 一36︶ ︐呼倫貝醐地方牧野植坐調査報告﹄︑一頁︒. ^37︶ ︐呼倫貝醐地方牧野植生調査報告﹄︑例言および本文各所︒. *本稿は︑平成十一年度文部省﹁科学研究搬補助金︵基盤研究一C︶②﹂に基 づく 研 究 成 ⁝ 木 の 一 部 である︒. 日本人によるフルンボイル地方の調査. 六九.

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