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緊張のなかの多幸感 -- 2015年ミャンマー総選挙瞥見 (特集 選挙の風景)

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Academic year: 2021

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(1)

緊張のなかの多幸感 -- 2015年ミャンマー総選挙瞥

見 (特集 選挙の風景)

著者

長田 紀之

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

251

ページ

14-15

発行年

2016-08

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00002889

(2)

アジ研ワールド・トレンド No.251(2016. 9)

14

  国民民主連盟(NLD)の本部 前に集って歓喜する人々の姿。雨 季の終わりの雨に打たれながらの 群衆の喝采。みなぎる興奮。これ は二〇一五年一一月のミャンマー 総選挙について、選挙後に流通し たひとつの「風景」である(写真 ①) 。たしかに、こうした「風景」 は象徴的な場所での決定的な瞬間 を切り取った「画になる画」であ り、強い訴求力をもつために多く のメディアによって生産され、世 界中の人々に消費された。   とはいえ、異なる視点から眺め るならば、 我々の目に映る「風景」 もまた違ったものとなりうる。こ の小文では、前記の現場に居合わ せた筆者なりの「風景」を述べて みようと思う。ただ、ここで述べ ることは短いヤンゴン滞在に基づ く 単 な る 印 象 論 に 過 ぎ な い。 二〇一五年総選挙の詳細について は参考文献に挙げた近刊予定の書 籍を参照していただきたい。

  二〇一五年のミャンマー総選挙 は、現体制下で行われた最初の総 選挙であるが、現行の二〇〇八年 憲法に基づく総選挙としては二度 目となる。   前回の二〇一〇年総選挙は軍事 政 権 下 で 実 施 さ れ た も の だ っ た。 二〇一〇年総選挙の結果は、軍政 の大衆動員組織が衣替えをした連 邦団結発展党(USDP)の大勝 であった。軍服を脱いで出馬・当 選した元軍政序列第四位のテイン セインUSDP党首が大統領に就 任して、二〇一一年三月から五年 間の政権を担うことになった。   二〇一〇年の選挙結果は民意を 反 映 し た も の と は 言 い 難 か っ た。 その最大の理由は、民主化運動の 象徴アウンサンスーチー氏が率い、 国民の多くの支持を集めるNLD が、軍政が作成した二〇〇八年憲 法の正統性を問題視して選挙に参 加しなかったからである。対照的 に、二〇一五年選挙はNLDが選 挙議席の約八割を獲得する圧勝を おさめ、おおむね自由で公正な選 挙であったとの評価を得た。   民意の反映される自由で公正な 選 挙 と い う こ と で い え ば、 二〇一五年選挙は一九九〇年以来 四 半 世 紀 ぶ り の 選 挙 で あ っ た。 一九八八年の民主化運動とネーウ ィ ン 体 制 終 焉 の 後 に 実 施 さ れ た 一九九〇年選挙では、この民主化 運動の過程で結成されたNLDが 国民の圧倒的多数の支持を得る結 果となった。しかし、この選挙結 果に基づく政権の移譲が行われる ことはなかった。暫定的な治安維 持政権を担っていたはずの国軍が 政権の座に居座り続けたためであ る。 民 意 が 選 挙 結 果 に 反 映 さ れ、 かつ、それが国政に反映された選 挙となると、一九六〇年以来、実 に 約 半 世 紀 ぶ り で あ る。 そ の 一九六〇年選挙で成立した政府も、 わずか二年後に国軍によるクーデ タによってあえなく命脈を絶たれ た。   このようにミャンマーでは、長 い間、普通に選挙が実施されるこ とすらなかったのである。国民の 二〇一五年総選挙への期待は非常 に大きく、それだけ選挙が再び台 無しにされることへの不安も大き かったように思われる。

特集

選挙の風景

緊張

多幸感

〇一

五年

総選挙瞥見︱

写真① 投票翌日、NLD 本部前の支持者たち (筆者撮影、2015 年 11 月 9 日) 11_特集.indd 14 16/08/02 10:40

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15

アジ研ワールド・トレンド No.251(2016. 9)

  現行憲法下で五年に一度実施さ れる総選挙では、国政レベルであ る連邦議会の上下両院の民選議員 と地方レベルの管区域・州議会の 民選議員が一斉に改選される。民 選議員というのは各議会の全議席 の四分の三を占めており、残りの 四分の一は選挙によらず国軍最高 司令官が指名する軍人議員である。 二〇〇八年憲法にはこのような国 軍の国政への影響力を担保する規 定が随所に書き込まれている。議 会により選挙区割りが異なるもの の、いずれも選挙制度は単純小選 挙区制である。選挙権は基本的に 一八歳以上の国民に認められてい る。被選挙権の下限年齢は議会に より異なり、上院で三〇歳、下院 と地方議会で二五歳となっている。   一回の選挙で、有権者は上下両 院と地方議会の議員を選ぶために 三度投票することになる。ただし、 有権者が少数民族に帰属している と、地方議会の民族代表議員の選 挙も含めて四度投票する場合があ る。一度の投票について一枚の投 票用紙が渡される。投票用紙には その選挙区の候補者たちの名前と 政党のロゴが印刷されており、選 んだ候補者の政党ロゴの隣の空欄 に選挙管理委員会のハンコを押し て投票する。投票を済ませた後に は、小指を墨壺につけて染めてか ら投票所を出る。同じ有権者が二 重に投票することを避けるための 措置である。

  投票当日、ヤンゴンは静かであ った。いつもは渋滞する道路も車 がほとんど通っておらずに空いて い る。 投 票 所 に は 夜 明 け 前 か ら 人々が集まっており、投票開始の 朝六時にはすでに整然とした長蛇 の 列 が で き て い た( 写 真 ② )。 政 権交替への期待を胸に列に並んで いた人も多かったであろうが、あ たりにはうっすらと緊張感が漂っ ていた。投票日の前日は、各政党 の 選 挙 活 動 が 禁 止 さ れ て い た が、 テレビの国営放送では投票を呼び かける番組が放送されていた。投 票方法について説明する映像とと もに流れていたのは、中東の紛争 とミャンマーの平和と発展を対比 的 に 描 写 す る 映 像 で あ る( 写 真 ③ )。 前 者 の 映 像 は、 流 れ る 血 を モチーフとしたおどろおどろしい フレームのなかで流され、後者は テインセイン政権によって成し遂 げられた業績として描かれた。あ からさまにUSDPへの投票を促 した映像であり、USDPを選ば なければミャンマーは紛争と貧困 の悲劇に陥るだろうという脅迫と とれなくもない。政権側のこうし た態度が、選挙当日の有権者たち に一定の緊張を強いていたとはい えないだろうか。   投票は午後四時に締め切られた。 その後、開票と集計がすすんでい くなかで、次第にNLDの大勝が 明らかになってくる。NLDはヤ ンゴンの党本部の前に大型のスク リーンを設置し、独自の集計結果 を発表した。多くの支持者が本部 前に集まり、NLD優勢の報が映 し 出 さ れ る た び 歓 声 が 上 が っ た。 こうした状況は翌日のアウンサン スーチー氏の演説を頂点として数 日間続いた。冒頭で述べた 「風景」 もその一 ひと 齣 こま である。しかし、この 興奮と熱狂はNLD本部前に限ら れ た も の で あ り、 「 何 が 起 こ る か 分からない」と家のなかでじっと していることを選んだ人も少なく なかった。とはいえ、多くの人に とってNLDの勝利が朗報であっ たことは間違いない。ヤンゴンを 見渡したときにみえるのは、抑制 のとれた静かな多幸感が町全体を 包んでいるかのような「風景」で あった。 ( お さ だ   の り ゆ き / ア ジ ア 経 済 研究所   動向分析研究グループ) 《参考文献》 ① 長田紀之・中西嘉宏・工藤年博 『 ミ ャ ン マ ー 二 〇 一 五 年 総 選 挙 ――アウンサンスーチー新政権 はいかに誕生したのか――』ア ジア経済研究所、近刊。 写真② 投票日、早朝から並ぶ有権者 (筆者撮影、2015 年 11 月 8 日) 写真③ 投票前日の国営放送。血のフレームと 中東紛争(筆者撮影、2015 年 11 月 7 日) 11_特集.indd 15 16/08/02 10:40

参照

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