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バリー・ウェイン著「マレーシアの一匹狼 -- 波乱の時代のマハティール・モハマド」 (書評)

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Academic year: 2021

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バリー・ウェイン著「マレーシアの一匹狼 -- 波乱

の時代のマハティール・モハマド」 (書評)

著者

Khoo Boo Teik

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

181

ページ

53-55

発行年

2010-10

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004410

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アジ研ワールド・トレンド No.181 (2010. 10)   マ レ ー シ ア 内 務 省 の 検 閲 が バ リ ー・ ウ ェ イ ン の 著 書 の 発 売 を 差 し 止 め ている。これは当局がマハティー ル・モハマド元首相の巷説にまつ わる虚像と実像とをすっかり混同 し て い る こ と の 顕 わ れ と い え よ う。マハティール政権は、こと出 版に対しては、歴代政権のなかで 最も寛容な姿勢を見せた。こうい うと驚く人もいよう︵ただしマス メ デ イ ア に 対 し て は 別 で あ る ︶。 もしいま彼が首相の座にいたらこ のような些細でたわいもない、い や が ら せ は お こ ら な か っ た ろ う。 この件でウェインが激怒するとも 思 え な い。 ウ ェ イ ン は 紙 の 前 主 筆 で あ り こ の本を書いたときはシンガポール 東 南 ア ジ ア 研 究 所︵ ISEAS ︶ の ビ ジ ティング・ライターであった。   この著作が提供する話題は豊富 だ。マハティールが六〇余年公職 に就き、二二年間、首相を務めた ことを考えればさもありなん、で ある。彼が政治家として在職した 間、一九六九年の彼自身のUMN O︵統一マレー人国民組織︶追放 から、アンワール・イブラヒムの 投 獄︵ 一 九 九 八 年 ︶、 そ し て 二 〇 〇九年のアブドゥラ・バダウィの 早期退任にいたるまで、血なまぐ さいとは言わぬまでも﹁苛酷な政 治﹂が行われた。   ﹁マハティールの時代﹂ ︵一九八 一年七月∼二〇〇三年一〇月︶ は、 金権スキャンダルの発覚、 ﹁メガ ・ プロジェクト﹂ ︵大規模投資事業︶ の実施、失敗に終わった企業民営 化、そして多額の財政を投入して の 再 国 有 化、 な ど が 起 こ り マ ハ ティールの野心的な経済運営が際 だつ﹁波乱の時代﹂であった。マ レーシア情勢に関心をもつ広範な 読者はこの本 が、 コンパクトでありながら最新情報 を豊富に盛り込み、それらが時事 的レポート、 学術論文、 マハティー ル 自 身 や 彼 の 知 己︵ 政 敵 も 含 む ︶ とのインタビューという三つの主 要な情報源を元に丹念に整理され ていることに気づくだろう。   ネット上に掲載されたこの本へ の書評等を読むと、一九九八年∼ 二〇〇〇年におきたレフォルマシ ︵ 改 革 ︶ 運 動 で マ ハ テ ィ ー ル を Mahafi raun ︵ 独 裁 者 大 フ ァ ラ オ ︶ と呼んで糾弾した時代ぐらいの記 憶しか持ち合わせていないマレー シアの若者世代の心情をあおり立 てていることがわかる。   反 応 は と も か く と し て、 こ の ウェインの著作は、情報がアップ デ ー ト さ れ て い る も の の、 マ ハ ティール政治について一般に知れ わたっていること︱無味乾燥な部 分を含め︱を明解に述べているが 際だった修正を行っているわけで はない。また、マハティールが首 相 で あ っ た 時 代 に、 非 難 の 側 に 回った学者達、 オンライン ・ ジャー ナリスト、NGO活動家らが書か なかった批判的、政治攻撃的な分 析を新たに追加するということも していない。おそらく、その点は 意図してのことだろう。序言の最 初でウェインはつぎのように述べ ている。   ﹁ 筆 者 は マ ハ テ ィ ー ル 博 士 の 業 績を理論的な枠組みで分析するこ とはしない。 地上のレベルから ︵マ ハティール︶を述べ、彼のこれま での人生で起こった興味深く見逃 すことができない出来事さらには それらが彼自身とマレーシアに及 ぼした影響について ﹃新鮮な見方﹄ 示すこととする。 ﹂   しかしながら、この﹁地上レベ ルからの新鮮な見方﹂が現在のマ レーシアのネット大衆の草の根の

  

B y B a rr y W a in . B a sin g sto k e, H a mp sh ir e, U K : P a lg rav e M ac m ill a n , 2 0 09 . H a rd cov er : 3 6 3 p p .

クー・ブー・テック

by Barry Wain reviewed by Khoo Boo Teik first appeared in English in April 2010, Vol. 32, No. 1 (Singapore: Institute of Southeast Asian Studies), pp. 98-101. Translated with the kind permission of the publisher.

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アジ研ワールド・トレンド No.181 (2010. 10) レンズを通して見る、と言いたい のだとしたら筆者は、彼の主張に 疑を差し挟みたい。ウェインの視 点はむしろアジア地域及び国際的 英 語 メ デ ィ ア︵ 特 に ︶の見方であ る。これらメディアとマハティー ルとは長年のつきあいがあり、と くに首相時代は最も強固な関係を 築いたのであった。これら英語メ ディアは、外聞もはばからずある ときは国際的に読者層を広げるた め、またあるときは引用数の向上 を狙い、 お互いに利用しあったり、 論争を挑んでみたりした。   確かにマレーシア通と呼ばれる ウェインの仲間達の多くは優秀な ジャーナリストであり、第一級の 研究レポートを発表してきた。だ が、筆頭記者も出版社自身も独善 的 で 相 手 を 見 下 す よ う な 性 格 を 持っていた。東南アジアの政治家 が 新 自 由 主 義 に も と づ く 自 由 化、 規制緩和の実施、企業民営化政策 のための立法化にためらいをもつ 場合、ダウ・ジョーンス傘下の主 要紙誌はきまってそのような姿勢 をとった。   マハティールは、先進国からの 投資や借り入れを拒絶して社会か らのけものにされるような人物で はなかったため英語メデイアは彼 を 毛 嫌 い は し な か っ た。 し か し、 マハティールが欧米の指導者の偽 善にたいし歯に衣着せぬ批判を浴 びせたため彼らがマハティールを 賞賛することはなかった。メディ アもマハティールには愛着がわか なかった。結果、英語メデイアは 彼に﹁マーヴェリック﹂ ︵一匹狼︶ と い う あ だ 名 を つ け る こ と に し た。しかし真実、マハティールは 一 匹 狼 な の か?   彼 自 身、 ﹁ 我 が 道﹂を行く男のイメージにうっと りとし自宅ではシナトラの懐メロ を口ずさむといわれるのでよくこ のあだ名はよく似合っているよう に見える。ウェインもこのメディ アのイメージに同感している。柔 軟なヴィジョンを持つがいざ実行 となると頑固、権威主義であるが 実利的、イスラーム化を理想とし つつ近代化を推進する、ビジネス 指向であるが仲間関係を大切にす る、先進国のお金はウェルカムだ が先進国の価値観はお断り、 等々。 ま た ウ ェ イ ン は あ る 箇 所 で マ ハ ティールを見当違いにも﹁無冠の 帝 王 ﹂ と 呼 び 直 し、 ﹁ マ レ ー シ ア のマクロ経済の筋肉と体力を強固 にしたが、制度をすべて骨抜きに し て し ま っ た ﹂、 そ し て マ レ ー シ アが耳目を集めるようになった反 面、 嘲 笑 に 晒 さ れ る こ と も 多 く なったと言っている。   ウェインのこの見解を受け入れ ることはご容赦願うとして、この 本に盛り込まれた様々な情報を踏 まえ深慮を巡らしてみると読者は マハティールがいかに非急進的で 伝統重視派かがわかるだろう。国 家の開発という面ではマハティー ルは第三世界の行き場のない欲求 を 的 を 得 た 言 葉 や 行 動 で 示 し て いった。それは、世の中をひっく りかえすとはいかないまでも、後 からやってきた者が陽の当たる場 所=まともな境遇を与えられる権 利を主張するように、現在の資本 主義の仕組みに異を唱えたのであ る。国の文化的特徴、 民族の相違、 国際的競争といったことがらに対 するマハティールの視点は植民地 主義的固定観念、社会的ダーウィ ニズムにより形成された。   経済問題に対処するに当たって は近代化論、 構造主義、 従属主義、 東アジア・キャッチアップモデル など様々な理論を場合場合で使い 分けた。経済危機に直面した際に マ ハ テ ィ ー ル が 示 し た 行 動 ほ ど、 皮肉にも彼の伝統主義的信念をさ らけだしたものはなかった。一九 八〇年代半ば経済の停滞に直面し た際、マハティールは海外直接投 資の誘致に救いの手を求めた。   最近の先進諸国の金融破綻にお いてはマハティール自身の手によ るものではないが、東アジア通貨 危機のときに彼がとった政策︱緊 急財政援助、増資、通貨再膨張な ど︱の通貨、資本に関するあらゆ る解決策が無責任にと言ってもい いほど、より大規模に実施された のである。成功した先進国のモデ ルを必死に見習い先進国クラブに 仲間入りすることがマハティール の 一 番 の 野 望 で な い と し た な ら ば、いったい彼は他に何を望んだ だろうか?   非難の嵐を招いたマハティール の失策の中には、先進国の制度か ら学んで取り入れたものもあった と言えよう。その顕著な例をあげ る と す れ ば 、一 九 九 七 年 の 株 価 大 暴 落のおりクアラルンプール株式市 場における企業買収の規約を改定 し、経営不振に陥っていたUMN O系企業レノン社を守ったことで あろう。 この一件を遡ること、 一九 八 一 年 、ロ ン ド ン 株 式市 場 で マ レ ー シア政府が英系プランテーション 企 業 の 経 営 権 掌 握 を 目 的 に 突 然、 株の大量買い占めに走ったことが ある。 ロンドン株式市場はその後、 株 買 い 付 け 規 定 の 修 正 を 行 っ た。 この買い占めはイギリスのメディ

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アジ研ワールド・トレンド No.181 (2010. 10) 書評『マレーシアの一匹狼―波乱の時代のマハティール・モハマド』 アの嘲笑を買ったのであった。   一九八二年、 Maminnco 社︵訳 注 Malaysia Mining Corp. 国の持株 会社︶の錫秘蔵がきっかけで錫の 空売り人が逮捕されたとき︱マハ ティールはこれを投機家を懲らし めるためと受け取った︱、ロンド ン金属取引所は﹁空売り人に罰金 を支払わせ、彼らが法外な割増金 を 支 払 っ て 謎 の バ イ ヤ ー︵ 訳 注 Maminco の こ と ︶ か ら の 錫 を 買 い 付 け す る こ と を 防 い だ ﹂。 こ れ に よ り 空 売 り 人 は 赦 免 さ れ た 一 方 で 、 ︱ ウ ェ イ ン の 筆 は 冷 淡 に 進 む ︱ Maminnco は破産に追い込まれた。   この件でマハティールに弁明の 余地はない。ウェインは、 この ﹁錫 不法取引事件﹂と東アジア金融危 機があたかも比肩しうる危難であ るがごとく紙幅を割いている。し かし株や金属の取引市場で権勢を ふるう先進国のゲームの達人たち が厳格な市場のルールを蔑ろにし ている実態をマハティールが学ん だかどうかについて触れていない のである。これでは読者への裏切 だろう。   これらを背景としてマハティー ルの行動が、不安と自意識過剰の 微妙な揺らぎに左右されていたと してもマハティールの過ちや失敗 がその、頑迷さと自制を欠いた気 まぐれにからきていると判断する のはいかがなものであろうか。   経 済 と 同 様、 政 治 に お い て も、 国内政治、外交の区別なく、マハ ティールは自分の掲げた目標や理 想を実現する過程で躓くことがよ くあった。 重工業化の頓挫、 企業民 営化の失敗、一九八七年のUMN O の 分 裂 、ア ジ ア 地 域 イ ニ シ ア テ ィ ブ構想実現に対する米国の横やり な ど を ウ ェ イ ン は 列 挙 し て い る。 しかしマハティールは、司法府の 蹂躙、アンワルの追放、経済危機 時の短期資本規制導入などに示さ れるように頓着しない便宜主義的 行動や確信に満ちた度胸のよさで 勝利を収めることも多々あった。   このようにみると大きな謎が頭 に浮かぶ。マハティールは情勢を 支配する傀儡師であったのはどこ までで逆にどこから先が自身の支 配力より強大な社会・政治勢力の 道具に甘んじていたか?   ウェイ ン は こ の 問 い を 発 し て い な い し、 マハティール研究者もジャーナリ ストもいまだかつて満足のいく回 答 を 出 す こ と が で き な か っ た。 ウェインの本に盛り込まれた新し い情報が当座の答えの根拠を提供 している。   UMNOのビジネスとの関わり に つ い て ウ ェ イ ン は イ ン テ ン グ ・ ラ ザ レ フ と ダ イ ム ・ ザ イ ヌデ ィ ン と い う二人のUMNOの前財務部長に 注目し、インタビュー取材を行っ ている。テングとダイムは互いに 相 手 の 役 割 と 責 任 の 所 在 を 言 い 争っているが両人ともマハティー ルには言及していない。彼の庇護 の下でビジネスと政治とのつなが りは強まったという点では誰もが 疑 わ な い に も か か わ ら ず で あ る。 加えて、マハティールは資本主義 の前衛たる企業家の育成を目論ん だ。しかし、成功したえり抜き企 業家は単に寡頭的︵多民族︶企業 集 団 を 形 成 し た だ け に 終 わ っ た。 結果的には、マハティールは外貨 の投機家達をコントロールできな かったのと同様に国内の仲間内企 業のコントロールもできなった。   それら企業が国からの補助金に 頼ってビジネスを行い不当に利益 を得てきたことで韓国型工業化の 実現という元首相の大いなる願望 はしぼんでいった。また通貨の投 機家による市場での略奪行為はグ ローバリゼーションへの参加の理 想的手段として位置づけられたマ ルチメディア ・ スーパー ・ コリドー 計画をおしつぶした。   話はそこで終わらない。二〇〇 九 年 の U M N O の 総 会 に マ ハ ティールが出席したことに関する ウェインの結論では、マハティー ルが会場の参加者から受けた拍手 喝采が一匹狼の権力の座への復帰 の前触れであるとの印象を読者に 植え付けている。だとしたら形式 と実態との混同であろう。   一九九八年、マハティールは情 け容赦なく周囲の了解も取らずに ア ン ワ ル を U M N O か ら 追 放 し た。二〇〇九年、アブドゥラを党 総裁の座から引き下ろす一派を惜 しげもなく支持している。二〇〇 四年以降の総会では毎年、UMN Oはマハティールのヴィジョン二 〇二〇︱連立選挙のたびに勝利に 導いた思想的アピール︱を非難し てきた。二〇〇八年三月に行われ た総選挙でのUMNOの退潮はひ とつの帰結である。   二〇〇九年UMNO総会でマハ テ ィ ー ル に 拍 手 を 送 っ た 党 員 の 面々はマハティールがもうなんら 役にたたない存在︱一〇年昔、レ フォルマシの活動家たちが彼をそ う あ ざ け っ た も の だ っ た ︱ で あ り 、 彼が築きあげてきた遺産を解体し てしまったのは自分たちであるこ とさえわかっていないのである。 ︵ Khoo Boo Teik / ア ジ ア 経 済 研 究 所 地 域 研 究 セ ン タ ー 上 席 主 任 研 究 員、 日本語訳   編集部︶

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1 Library, Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization (3-2-2 Wakaba Mihama-ku Chiba-shi, Chiba 261-8545). 情報管理 56(1), 043-048,

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