文 春冊 −智ー口
株式会社の社会的立場について
経営科河原文敬
株式会社は財の提供,労働の場の創出・提供あるいは文化活動やスポーツ 大会への支援・協賛等により我々の生活に深く係わっている。 ところでこの株式会社は,社会に存在している資金を株式制度を通じて集 中させる事で,信用制度を利用する事で,経済的な力を強めている。たとえ ある種の国家の政策に基づいて,いわば国家の手によって設立・運営されて いた企業が後に株式会社になったとしても1),株式制度と信用制度が株式会 社の経済的基盤の強化と結びついている事に疑いはない。株式による資金調 達に加えて,社債の発行や金融機関等からの借入,企業間信用により資金の 調達(外部資金の調達〉を行っている。即ちこのように言えるだろう。「株 式会社においては,資産状態の厳格なる公開の原則のゆえに,社債または個 別的借入による金融は他のあらゆる企業形態に比し有利であり,このことは 会社の資本構成をさらに社会化する。かくして株式会社は,個人の私的所有 のせまい限界から解放され,巨大な高度な生産力を支配するに至る。株式会 社は,高度に「社会的な」資本である。」2) このように株式会社は,不特定多数の出資者に依拠していながらも(実質 的には「社会的」所有形態である」),同時に,社団法人制度を通じて株式 会社はそうした資本の私的所有の主体となっている。 ところで株式会社が返済義務を負う他人資金(社債,金融機関からの借入金,企業間信用)の場合,それは株式会社にとっての債務であり,一定期間 後の返済義務や確定利息の支払義務等の契約上の制約を受ける。一方,債権 者は,株主とは異なり会社の運営に関与する権利を持たない(勿論,大口の 他人資本提供者は,実際には,その債権の確保のため経営内容に対して積極 的に発言する場合が多い,との指摘がなされている3)。この意味では,銀行 等の大口の債権者の経営方針は「契約上の制約」以上に,当該株式会社に対 するコントロールとなる。とりわけ株主総会が形骸化すればするほど,大口 の債権者によるコントロールは大きな影響を持つ事になるであろう。)。 これに対して,株式会社の自己資金の提供者である株主は,当然,構成員 として株式会社の運営に関与する権利(特に,共益権)を持つ。基本的には, 株主総会を通じてのコントロールである4)(株主総会を通じてのコントロー ルが現実に実効性を持つのかという点については否定的ではあるにせよ)。 以上の点を念頭に置いて,株式会社の社会的立場あるいは社会的責任につ いて考える。 私は前稿で,貨幣の集中によって大きな経済的力を持つに到った株式会社 に対する規制として,組織内部での自治的監督機構(即ち,機関相互間での 自律的なチェック・コントロール機能。昭和49,56年の商法改正はこの自治 的監督機構を機能させるという目的を持っていた。)と独占禁止法を媒介と する市場メカニズムを通じての規制があることを示した。そしてこの両者と も,私的自治に由来する制度である点を指摘した5)。 ここではさしあたり,所有による経営のコントロールという観点から検討 してみたい。 株主の地位に関して,通説である社員権説は次のように要約される。「企 業の所有権は法律的・形式的には法人たる会社に属するが,実質的には株主 にあり,そのような株主の所有権が法律上社団の社員関係に変形されたもの が社員権であって,自益権は所有権の収益機能の,共益権は所有権の支配機
能の変形物である」6) 株式会社は法人であるから,つまり権利の主体であるから,株主イコール 株式会社の所有権者とはならない。従って,「株主の権利は,実定法上は共 同所有権ではありえないが,理論的には高次の所有権と解すべきものである」7) と把握されるのである。変形された所有権であるから,民法206条の物に対 する直接的な使用,収益,処分の権限として捉えることは出来ない。それ故, 経営に対する直接的支配権ではない。それは経営に対する,いわば間接的な 支配権である。即ち,「株主の会社経営のコントロールとは,株主総会を介 し,さらに,取締役会を介して行使されることになるために,直接的でない ばかりか,きわめて抽象的・理念的にならざるをえない宿命を負っているの である。」8)一方,株主が有する直接的な権限は,株式の譲渡である9)。 このことから概略的に観て,株主の「所有権」は,会社に対する間接的支 配権(これは主に株主総会を通じて行使される)と直接的な権限である株式 の譲渡(これは,いわば所有権の処分機能に対応すると把握して良いだろう。 株式の自由譲渡が原則である。)との二方向への発展・変形があり,そして 情報の提供・開示はこの延長上に位置付けられるのではないか,という仮説 が立てられる。 前述のように,株主の「所有権」は会社財産に対する直接的な支配権では なく,間接的支配権となっている。会社財産に対する直接的所有権は会社自 身が有している。そして,社会に散在する広汎な資本を集める株式会社では, 統一的な経営の必要から(また経営に関心もその能力もない者でも出資可能 なように)所有者イコール経営者ではなく,所謂所有と経営の分離がなされ ている。所有と経営の分離を前提にして,経営の意思決定のシステムが作ら れている。これが株式会社の機関である10)。 株主総会は株式会社の最高機関(万能性は否定されても)である。株主の 会社に対する間接的支配権は,株主総会を媒介として行使される。株主は会
社の経営を取締役(=経営者〉に委ねたのであるから,株主総会は経営者の 株主に対する一種の「情報開示の場」であると言えよう(この意味で,幽例え ば株主総会での取締役・監査役の説明義務は,経営に対する所有のコントロー ルの場としての株主総会の本来的機能から導かれる。)11)。 従って,計算書類および附属明細書の株主や債権者に対する公示・閲覧 (商282条),計算書類,監査報告書の株主への送付(商283条2項)等の商 法上のよる企業内容の開示も,間接的支配権の行使にとっての手段あるいは 補完的作用を有していると理解してよいのではなかろうか。従って,ここで の「情報開示」は,株主の間接的支配権の延長として把握することが可能で あろう。もちろん,経営に関する情報を得ること自体一つのチェック機能で あろうが,それは株主総会を活性化させる手段であることに変りはない。こ の点を,確認しておきたい。 それ故,商法による企業内容の開示は,「会社を廻る経済主体の権利行使 を有効ならしめるためのものだという性格が濃厚だといえよう」という評価 がなされるし,投資判断資料としては株主に対してすら不十分なものである と言える12も ところで,企業内容の開示は証券取引法にも規定されている。証券取引法 は,多数の投資者が関与する公開的な会社に適用される特別の規制,あるい は証券市場においてひろく取引される有価証券を発行している株式会社に適 用される特別の規制を定めている。証券取引法の定める開示は,会社の情報 に接近することのできない一般投資者の保護を目的とするものである。従っ て,この開示は,多数の一般投資者が関与する公開会社についてのみ要求さ れる点で,商法上のそれと異っている。また,証券取引法の開示は,既存の 株主や債権者のみならず,将来,株主・債権者になろうとする者をも保護の 対象にしている13)。 一言で言えば,投資者の保護である。ここでの開示には,出資者を個別的 に(株主総会という機関を構成する一員という立場ではなく)利益主体とし
て捉えている。株主は個々の投資家として捉えられ,適正な投資判断に資す る情報の提供が保障される仕組みである14!証券取引法の開示によって得ら れた情報に基づいて,株主が株主総会を通じて会社に対する間接的支配権を 行使することは考えられるが,それ以上に,株主は,この情報を参考にして 自らの判断で自らの意思に基づいて,株式の譲渡が可能となる。将来,株主 になろうとする者も自らの意思に基づいて,譲渡を受ける,受けないを判断 することになる。この意味では,変容しているが(持分を会社から払戻すの ではないが)直接的な権限(権利)を持っていると捉えてよいのではなかろ うか。これは会社の機関を媒介せずに,株主が自らの意思により行使できる。 株式の「自由」譲渡性が原則とされる点である。 証券取引法の開示制度は,株主総会を通じての所有の経営に対するコント ロールにのみ寄与する役目に限定されない。なぜなら,株主は,投資・投機 の目的で株式を取得することが多いであろう。従って,投資判断を左右する 情報が公正に提供されることで会社の資金調達を左右することができるから である。この意味では,株主総会を媒介にしない,ある種の所有の経営に対 するコントロール(経営に対する意識的なコントロールではなくとも,投資 ・投機という貨幣に対する動機からの行動が経営に対するコントロールにな る)と見ることはできないだろうか15も その一例として,平成2年改正証券取引法によって導入された,株券等の 大量保有に関する開示制度(5%ルール)により,株式の買占めで上場廃止 の危機を迎えた会社が挙げられよう16も 四 所有権とはそもそも,所有者に所有物の自由な使用・収益・処分を認める ことである。所有者は自らの意思によって自由にその権限を行使できる(物 の運命を直接に決定する権限を持っている)。これに対して,「変形した所 有権」を持つ株主はこの「所有権」の客体に相当する株式会社に対しては, 株主総会という機関を介してその運命を決定する権限を持つ。一方,証券化
された所有権は「自由」に,直接に処分できる。いずれの場合でも,企業内 容に関する情報の開示はこの「所有権」の行使と不可分である。 この情報の開示は「所有権」の行使と結びつくことで,経営の決定に対す 対抗力となるであろう。というのは,「所有権」の行使のされ方,行使の目 的に応じて,求められる情報の内容も異なるであろう。例えば,投機目的の 株主と反原発を目標に掲げている株主とでは求める情報は異なるであろう (株主総会で求められたなら,説明義務を負う取締役はそれぞれ別の情報を 開示することになる)。反原発を目標に掲げた株主の要求が,結果的に株主 総会の場で否決されるとしても(この意味で,彼らの意思は経営の外側に置 かれたのであるが),彼らが為す情報の開示の要求は経営に対する対抗力と して作用するのではないか。 近時,大規模な株式会社は労働者,消費者の利益をも考慮して行動すべき という所謂「社会的責任」が企業に求められている。所有の経営に対するコ ントロールという観点から見ると,彼らが労働者として,消費者として,労 働者の利益,消費者の利益を主張する目的で株主になり,株主として情報の 開示を求めていくことが結局のところ,有効なやり方ではなかろうか。これ は,経営に対する組織内での対抗力となり,企業権力の社会的制御の基礎と なるのではなかろうか17も 註 1)金澤良夫著『経済法の史的考察』有斐閣 1985年,7−8頁参照。 例えば,新日本製鉄の前身である,官営八幡製鉄所や官営釜石鉄山が挙げられる。 そしてより広い観点から見るなら,明治維新以降,我国は資本主義の後進性のた め国家の積極的な保護・干渉によって,経済的基礎の確立,産業の育成が推進さ れた。従って,我国の場合,大企業の中のかなりのものは,国家の手によって作 られたのであり自由な競争の結果として出現したとは言えないであろう。 2)川島武宣著『新版 所有権法の理論』岩波書店 1987年,301−302頁。 このような点に着目すると,所謂「法人成り」した個人企業(株式会社)は, 高度に「社会的な」資本とは言えない。なぜなら,個人企業の多くは一個人ある いはごく少数の者のみの出資による会社(将来的にも,出資者の増加は望めない
会社)であり,また借入についてもそれは「資産状態の厳格な公開の原則」に基 くのではなく,代表取締役や社員個人の信用に依拠していると言ってよいからで ある(代表取締役・社員の個人の信用が大きければ,債権の満足を受けられる。 この意味で会社財産は,即ち物的要素はそれほど重要な意味は持たないであろう)。 従って,こうした会社の多くは,平成二年改正商法により一定の猶予期問内(8 年2ヵ月)に資本金を1000万円以上にしなくてはならない,いわば零細な株式会 社である(商法168条ノ4,平成二年改正商法附則5条,6条参照)。 3)長浜洋一・平出慶道編『会社法を学ぶ(第三版)』有斐閣 1991年,226−227頁 参照。 4)新山雄三「株式会社立法政策の方法的基礎としての私的自治」加藤勝郎他編『商 法学における論争と省察』商事法務研究会 1990年,726頁以下参照。 新山見解では,株式会社による他人の資金の利用関係について,借入金契約を 介する場合と株式会社制度を利用する場合とでは性格を異にする。前者では様々 な契約上の制約に服する形でのコントロールを受ける。 後者の場合,「所有による経営のコントロール」がなされる。機関の分化と権 限の分配がそれに対応する。所有によるコントロールとは,株主の総体が結集す る株主総会という機関が所有を体現するという事である。しかし,この所有によ る経営のコントロールは,厳密には,総体としての所有そのものによるコントロ ールではなくて,所有の一部である相対的多数派によるものである。 そしてこの見解では,株主総会という多数決機関によるコントロール(第一次 的〔直接的〕コントロール)で事足りるとすれば,株式会社の私的自治には明ら かな空洞化が存在する。この空洞化は制度そのものに内在するものであって,制 度の運用の場面で生ずるものではない。その空洞化を補強する策として,第二次 的コントロール措置(その担い手は一応少数派株主である)を提示されている。 以上が,私の把握である。本稿は新山論文に教えられるところが大である。 5)拙稿「企業活動に対する法的規制について」白鴎女子短大論集15巻2号。 6)富山康吉著『現代資本主義と法の理論』法律文化社 1971年,93−94頁。 7)奥島孝康「株主の経営参加の展望」法律時報60巻9号(1988年8月)17頁。 8)奥島,前掲註7)論文,17頁。 9)この点に関しては,篠田武司「株式会社における所有問題」経済評論 1984年9 月号参照。 篠田見解によると,「近代私法制度は,所有主体に個人を,所有内容としては 経営に対する完全包括的支配を,それぞれ想定していた。当然ここには,所有は 物に対する直接的,具体的所有権であるという一物一権が前提となっておりまた 同時に所有主体が経営主体でもあることが想定されていた。」(これはまさに民 法206条の意味する所有権の意義である。)しかし,この「直接的,具体的所有
権が法人に委譲され………・所有権が本来持っていた種々の権利が,会社機関 に委譲された」とする。そして「これは「本来」の所有概念からは想定できない ことである。」しかし,経営に対する,支配権がなくなったことではなく,収益 権が否定されたのでもないとする。「この意味では従来の所有概念は株式会社に おいて生きている。しかし,それは,会社からの配当という形態でのみ利潤を収 得する権利であり,また会社機関を通してのみ実現できる間接的,抽象的支配権 である。資本所有者が直接に実現できるのは,ただ証券化した所有権を処分する ことだけである。 (傍点は引用者)」(この見解は,株式会社の所有に関するも のであるので,法的に観て若干の附け加えが必要であろう。株主は,例えば,株 式買取請求権・新株引受権により会社から経済的利益を受けることができる。ま た,総会決議取消の訴え等により,会社の機関を介さずに経営に対して一定の関 与ができるであろう。) 10)篠田,前掲註9)論文,19頁参照。 更に,「私的所有はひとまず,直接には自分とは別個のものとして会社機関を つくり,その上で意思決定システムの中に介入し,それをコントロールすること によって経営に対する支配権を実現するのである。」(同19頁) 私が考えるに,所有と経営の分離とは,初めから株式会社に内在する要素であ る。従って,創業者が同時に経営者の場合は,まさに所有が完全に経営に対して 支配権を行使しているが故に,所有と経営の分離なる状況が現れていなかっただ けである。しかし株式の相互保有などを通じて経営者支配の出現によりその状況 が現れてきたのである。 11)奥島,前註7)論文,21頁。 末永敏和「株主総会における説明義務」今井・田辺編『改正会社法の研究』 法律文化社 1984年,160頁。 12)森田 章「投資者の保護」竹内・龍田編『現代企業法講座2 企業組織』東大出 版会 1985年,190−193頁参照。 13)証券取引法の概要については,神崎克郎著『証券取引法(新版)』青林書院 1987年,を参照。 14)新山,前註4)論文,749頁参照。 15)新山,前註4)論文では,第二次的コントロールの担い手として,株主総会での 多数派の支配の局外に置かれた少数派株主を提示されているが,広い意味では投 資者と考えてよい。 16)朝日新聞 1991年6月16日(日曜)参照。 堀本修「株券等大量保有に関する開示制度の導入」商事法務1219号(1990.6.25) によれば,この制度の目的は,次のようなものである。公開会社の株式等が大量 に買い集められるに伴い株価の乱高下が生ずることが多く,これらに関する十分
な情報を有していない一般投資家に不測の損害を与えかねないという問題があり, 更に,欧米証券市場で導入されているこの制度が我国で導入されていないために, 国際的な市場として必要な市場の透明性に欠けるという問題があった。このこと を考慮して,市場の公正性,透明性を高め,投資者保護を徹底さす見地から,株 式等の大量取得・保有・放出に関する情報を開示させるのが目的である。 17)参照,谷本寛治著『企業権力の社会的制御』千倉書房 1987年 特に7・8章。 谷本氏は,「スウェーデンにおける経済民主主義の展開」(7章3節)の中で, 共同決定(労働者の経営への参加)は,労働者・労組が労働者投資基金を通じて 企業の所有者となり彼らが所有に基づいて経営側に対して影響力を持つことで, 実質的に行なわれると述べ,更に,交渉一決定過程の情報構造の民主化が不十分 なら,労働者投資基金を通じての所有構造の変化も企業権力に対する有効な社会 的制御とはならない,と説明される。