東京農大農学集報,57(3),146-153(2012)
国営公園整備の変遷にみる発展過程の考察
鹿野 央*・濱野周泰**
(平成 24 年 2 月 22 日受付/平成 24 年 6 月 8 日受理) 要約:近年,国と地方公共団体が様々な公園事業を実施することに関して,どちらが役割分担を担うべきか について政策的課題として浮かび上がっている。都市公園法に基づく都市公園事業においても,国および地 方公共団体が共に都市内でオープンスペース整備を行っている。そのうち国が直接整備している国営公園事 業は,全国に 17 公園で行われてきている。それらの国営公園事業の端緒は,第二次世界大戦後の旧皇室苑 地整備による国営公園事務所の設置にみることができる。その後も国が関与しなくてはならない法制度の整 備とともに事業の展開に関与する様々な事象に対応してきた。しかし,これら一連の過程は体系的に整理さ れておらず,国が政策的に果たしている役割が明らかになっていない。 そこで本論文では,はじめに現在の国営公園の端緒となった,戦後に国が都市内に直接整備したオープン スペースである旧皇室苑地について,国としての政策決定から法令の制定や一連の整備過程を整理・通観し た。次にこれまでの法制度区分とともに事業の展開に関与する①社会的背景,②整備形態,③基本方針等策 定の変遷を踏まえて分析した。これにより,国によるオープンスペース整備事業を類型化することが可能と なり,その発展過程について考察した。 国営公園整備事業が利用主体となる国民生活の変化等を含めて社会状況の変化に呼応して,継続的に適切 な対応を行ってきていることを明らかにした。こうした手法を引き続き,国が保持することがオープンスペー ス整備を主体とした様々な国の政策実現に今後も有効であることを示唆した。 キーワード:オープンスペース,国営公園,整備,変遷,旧皇室苑地1. 研究の目的および方法
⑴ 研究の背景と目的 国営公園は,一の都府県の区域を超えるような広域の見 地から設置する都市計画施設である公園又は緑地,もしく は国家的な記念事業や我が国固有の優れた文化的資産の保 存及び活用を図るため閣議決定を経て設置する都市計画施 設である公園又は緑地で,都市公園法に基づき国(国土交 通大臣)が設置している都市公園である。 国営公園制度は,昭和 51(1976)年の都市公園法の改 正時に位置づけられ,これまでに,国営武蔵丘陵森林公園 をはじめ全国 17 箇所で整備・管理が行われ,都市部にお ける大規模かつ永続性のある公園緑地として担保され,時 代や地域ニーズに対応してきている。 国営公園の変遷を辿ると,その端緒として,第二次世界 大戦後,国民の慰楽,保健,教養等国民福祉のために確保 し,平和的文化国家の象徴となるよう閣議決定1) により国 が管理を行うこととなった旧皇室苑地等の整備事業があ る。都市内におけるオープンスペースを整備・管理する一 連の法制度が十分に整っていない状況下で,国の直接的な 都市内のオープンスペース整備事業として国営公園事務所 を設置し,整備を行った2) ことが,その後の国営公園制度 として整備から管理までの法制度に明確に位置づけられ, 今日の国営公園制度へつながっている。 平成 22(2010)年 7 月に東京都江東区有明に開園した 東京臨海広域防災公園(以下,「有明公園」という。)は, 従来の国営公園の整備方法と異なり,新たに政令を改正し, 災害救援活動の拠点という定義を追加して,整備を行って いる。また,鹿野(2011)3) によると,有明公園の運営維持 管理における,市場化テストの導入により,国営公園は利 用主体へのサービスが新たな態勢へ入ったと述べている。 さらに,平成 22(2010)年 12 月 28 日に閣議決定され た「アクション・プラン∼出先機関の原則廃止に向けて∼」 によると,国の出先機関の事務について,「地方自治体の 意見・要望を踏まえ,事務・権限の移譲を積極的に行う」4) こととされている。 本論文では,こうした社会状況が変化する中で,戦後の 国による直接的な整備事業について,変遷を振り返り,そ の過程を通観して整理を行い,分析・考察する。これまで に,蓑茂ら(1990)5) により昭和 20 年代から平成へ入るま での都市公園の発展の経緯については,社会情勢や国民の 多様な要請を踏まえた成果が示され,国営公園についても, その成果の一つに挙げられている。 本論文では,国が直接的に整備してきた国営公園の整備 変遷に着目することにより,国が直接オープンスペースを 整備する手法を引き続き,保持することがオープンスペー * ** 東京農業大学大学院農学研究科環境共生学専攻 東京農業大学地域環境科学部造園科学科ス整備を主体とした様々な国の政策実現に今後も有効であ ることを明らかにする。 ⑵ 研究方法 戦後,国による直接的な都市内のオープンスペース整備 事業について,閣議決定等の国の方針決定,法令等の制定 状況,都市計画法上の都市計画決定,都市公園法上の設置 すべき区域の設定・供用告示の一連の変遷について,一覧 化する。 これにより,国の方針決定,法令制定,整備状況につい て,これまでの法制度上の分類ではなく,①社会背景,② 公園区域設定・整備形態の変遷,③公園毎の基本方針・基 本計画(以下,「基本方針等」という)の策定主体の変遷の観 点から通観した。通観にあたり国が直接的に整備してきた 都市内オープンスペース整備事業における変化の特徴を抽 出し,整備事業の類型化を行い,様々な事象に対応し,発展 してきた過程について時代ごとの類型化を行い考察する。
2. 国が直接整備した公園制度の変遷
明治 6(1873)年の太政官布達第 16 号6) においては,府 県が指定した「土地」が「公園」となっており,その後の 都市内で設置される公園は,専ら国の出先機関である都道 府県知事が整備・管理するもの,又は市町村長が整備・管 理(都道府県知事からの委任を含む)するものがほとんど であり,一部の神社林整備7) や関東大震災後の帝都復興事 業8) を除き,国が直接「国の公園」として,整備している ものはなかった。 戦後,日本国憲法や地方自治法の施行により「国と地方」 の制度が戦前と大きく変わることにより,新たな国による 都市内オープンスペース整備が始まり,現在まで受け継が れ,展開している。 ⑴ 終戦後の国整備の国民公園 国民公園は,第二次世界大戦後の昭和 22(1947)年 5 月に施行された日本国憲法第 88 条の「すべて皇室財産は, 国に属する」及び「皇室財産の財産税対象9) 」により,皇 室苑地が国へ属することとなり,同年 12 月 27 日「旧皇室 苑地の運営に関する件」の閣議決定により国が管理を行う こととなったオープンスペースである。 整備は,既に都市計画公園10) となっていたことから,都 市計画事業を所掌していた建設院11) が行うこととされた が,戦前の公園整備は,国の出先機関である都道府県知事 (又は市町村長)が整備・管理するものであり,昭和 22 (1947)年 4 月の地方自治法施行により都道府県は国の出 先機関ではなくなった。地方自治体となったことから,こ れまでの執行体制では公園を整備できない状況が生じてい たと考えられる。 このため,建設院は昭和 23(1948)年 4 月に直接整備 を行う機関として新宿御苑内に園地整備のための出張所を 設置している。この出張所が,その後,国営公園工事事務 所となり,建設省設置法に基づく「公共空地及び保勝地の 整備」として,都市内オープンスペース整備を行っていく こととなる。 ⑵ 昭和 38 年の閣議決定による霞ヶ関公園,北の丸公園 霞ヶ関公園及び北の丸公園は,戦前,旧日本軍が使用し ていた土地であったが,国民公園を整備していた国の工事 事務所が国民公園整備から国営公園整備に着手するまでの 間,国有地の苑地整備を行った。こうしたオープンスペー ス整備事業が連続して継続されたことは,工事の技術的・ 事務的ノウハウが散逸せず,蓄積されたことが,その後の 国営公園事業に引き継がれた。 a) 霞ヶ関公園 霞ヶ関公園は,現在の国会議事堂前庭であり,戦前は旧 陸軍参謀本部等が置かれていた。昭和 29(1954)年 5 月の 首都建設法に基づく首都建設委員会による「中央官衙地区 整備に関する計画(霞ヶ関地区の街路網及び公園の都市計 画決定について)」を経て,昭和 34(1959)年首都圏整備 法に基づく首都圏整備委員会による首都官衙地区整備計画 により計画され,昭和 38(1963)年 6 月「国会周辺の緊急 整備について」の閣議決定12) により整備された13-15)。 b) 北の丸公園 現在の北の丸公園であり,戦前は旧近衛師団司令部等が 置かれていた。昭和 21(1946)年 4 月「戦災復興都市計 画御濠緑地」として都市計画決定され,昭和 34(1959) 年 4 月総理府に皇居造営審議会が設置され,同 10 月に「早 期公園化を図ること」の答申が出された。その後,公園事 業は都市計画事業で東京都知事が行うこととなった16) が, 昭和 38(1963)年 5 月の閣議決定により,「北の丸地区は 皇居外苑の一部とし,森林公園として整備すること」とさ れ,建設省が整備を行っている。 ⑶ 経済成長期における国営公園 現在の国営公園制度は,都市公園法に基づき,国土交通 大臣が整備・管理を行うこととされており,これまでに 17 公園の整備を行っている。当初は,昭和 43(1968)年 10 月「明治百年記念事業として行う国営森林公園の設置につ いて」の閣議決定により,武蔵丘陵森林公園の整備が着手 され,また,昭和 45(1970)年 12 月「飛鳥地方における歴 史的風土および文化財の保存等に関する方策について」の 閣議決定に基づき,飛鳥歴史公園の整備に着手されている。 その後,昭和 51(1976)年 5 月の都市公園法改正により現 行の国営公園制度が法制度化され,現在のイ,ロの 2 区分 (以下,「イ号」「ロ号」と称す)となった。 ロ号公園の整 備決定に際しては,「閣議決定」という内閣の手続きが必 要となっており,法制度前に整備着手していた 2 公園の整 備決定の枠組みがロ号公園として,位置づけられているこ とが分かる。 一方で,広域の見地から設置する公園をイ号公園として いる。当初は,レクリエーション需要への対応のみであっ たが,平成 15(2003)年 3 月の都市公園法施行令改正によ り,「災害時に広域的な災害救援活動の拠点となるもの」を 追加している。イ号公園の配置,規模,位置及び区域の選 定並びに公園施設の整備について,基準が定められている。3. 国営公園整備の時代区分の類型化
戦後,国が都市内に整備してきた旧皇室苑地,霞ヶ関公 園,北の丸公園,国営公園について,整備経緯(都市計画 決定(都決),閣議決定,設置区域告示,開園,供用始の時 期)及び昭和 22(1947)年の日本国憲法施行,昭和 31(1956) 年の都市公園法,昭和 51 年の都市公園法改正(国営公園 の制度化)等の法制度経緯について,図 1 に一覧化したも のを示した。 これまで,国営公園は法制度上の分類として,設置目的 によりイ,ロ号の 2 区分で国営公園事業の整理がなされて きたが,国が都市内に整備してきたオープンスペースであ る旧皇室苑地や国営公園の整備過程を通観することによ り,今回,新たな視点として,①社会背景,②公園区域の 設定・整備形態の変遷,③公園毎の基本方針等の策定から 整備までの主体の変遷の観点から,年代毎に探察すると, 国営公園事業に一連の連続性はあるものの,ある時点にお いて変化点があり,この変化点毎に区分することで,特徴 のあるまとまりが確認できる。これを整理・類型化し,次 の 5 期に分けて考察した。 ⑴ 年代毎の公園整備の特徴 a) Ⅰ期(昭和 20 年∼40 年頃) この時期の特徴は,旧皇室苑地等を対象に皇居外苑,新 宿御苑,白金御料地,霞ヶ関公園,北の丸公園にみること ができる。 類型化の特徴:昭和 20 年代以降 40 年頃まで:戦後,憲 法を含む法制度が大きく改正され,皇室財産のうち苑地の 取り扱いについて,国によるオープンスペース整備が進め られることとなった。法的な計画・整備制度が無い中で, 設置決定から設計まで内閣及び内閣総理大臣による意思決 定・関与が行われている。 昭和 30 年代:旧皇室苑地の整備が進められる中で,霞ヶ 関公園,北の丸公園にみられる事業は戦後,緑地として計 画された都心に残された旧日本軍用地について,天皇陛下 の還暦記念や東京オリンピックを契機に首都におけるオー プンスペース整備を進捗させ,国際社会への復帰を内外に 示す必要があり,国によるオープンスペース整備が進めら れた。設置決定から設計まで建設省だけでなく他の省庁を 含んだ国の委員会や審議会による意思決定・関与が行われ ていた期間をⅠ期として分類した。 戦後の新憲法施行後の法的な計画・整備制度が無い中で, 皇室の苑地や軍の用地について,その整備にかかる基本方 針等が策定された。策定は,内閣及び内閣総理大臣による 意思決定や関与が行われ,国として都市内のオープンス ペース整備における技術的知見を取得・蓄積し,現在の国 営公園制度の源流となった期間について,「萌芽期」とし て類型化した。 b) Ⅱ期(昭和 40 年頃∼50 年頃) この時期の特徴は,武蔵丘陵森林公園,飛鳥歴史公園に みることができる。 類型化の特徴:昭和 40 年代:わが国固有の文化的資産 である古都や歴史的風土を保存する「古都における歴史的 風土の保存に関する特別措置法」(以下,「古都保存法」と いう)が昭和 41(1966)年 1 月に制定され,昭和 45(1970) 年 12 月には「飛鳥地方における歴史的風土及び文化財の 保存等に関する方策について」閣議決定され,文化財周辺 について,飛鳥歴史公園の区域 3 箇所を都市計画公園とし て,整備することとなった。 また,昭和 43(1968)年が明治百年にあたることから, 国によるオープンスペース整備の検討が進められ,同年 10 月に「明治百年記念事業として行う国営森林公園の設 置」が閣議決定された。位置選定,区域設定,用地取得, 設計施工まで,建設省が主体的に行っている。基本方針等 の策定は,Ⅰ期に比べ内閣総理大臣から建設大臣へかなり の事務が移行され,設計に当たっては,「設計競技」を導 入し,建設大臣が基本設計の作成要綱や審査会委員を定め, 最終的に建設大臣が決定している。Ⅰ期と比較すると建設 省がより主体的に意思決定に関与していることが窺える。 大都市を中心に急速な都市化が進み,「文化財保全」や「み どりの保全」に対する国民的要求が高まった時期であり, 昭和 41(1966)年 1 月に「古都保存法」が施行されると ともに,同年 11 月に「国土の緑化」として大都市に記念 森林公園の整備が明治百年記念事業の望ましい項目の一つ として,内閣総理大臣が主宰する「明治百年記念準備会議」 において決定されるなど,政府の方針として,公園設置に ついて,閣議決定している。区域設定,基本方針等の策定, 整備,管理まで,整備主体である建設省が主体的に関与し ている現在の国営公園の直接的な原型が形成された期間に ついて,「展開期」として類型化した。 c) Ⅲ期(昭和 51 年∼60 年頃) この時期の特徴は,海の中道海浜公園,淀川河川公園, 滝野すずらん丘陵公園,昭和記念公園,常陸海浜公園,木 曽三川公園,みちのく杜の湖畔公園,備北丘陵公園,讃岐 まんのう公園,沖縄記念公園,越後丘陵公園にみることが できる。 類型化の特徴:昭和 50 年代:都市公園法上,建設大臣 の所掌及び分掌事務が明確化され,基本方針等の策定は, 具体の計画・設計を実施する建設省の各地方支分部局長に 基本的に委ねられ,公園毎に様々な分野の有識者からなる 委員会が設置・検討され,策定している。各地方ブロック 毎にイ号公園整備が進められ,この時期に整備着手してい る。レクリエーション需要に対応するため,河川敷や丘陵 地における公園区域の設定がなされ,整備主体である建設 省の関与が大きくなっている。一方で,在日米軍基地等の 返還による跡地の土地利用として,公園区域が設定されて 表 1 在日米軍用地の返還による跡地利用の公園いる。表 1 に示すとおり,3 公園で 1,069 ha であり,国営 公園全体の計画面積の約 9.2%となっている。 昭和 51 年の都市公園法改正により国が設置する公園又 は緑地について,整備・管理する法的体系が整い,国営公 園のイ,ロ号の区分がなされ,広域的なレクリエーション 需要に対応するため,イ号公園は各地方ブロック毎に整備 が進められた。また,世界情勢の変化により,昭和 40 年 代後半から在日米軍基地等の返還による跡地利用の形態と して,大規模公園設置が検討され,国営公園としての土地 利用が見られるようになった。 さらに,昭和 47(1972)年以降,都市公園等整備緊急措 置法に基づく数次にわたる整備五箇年計画等の計画額の推 移を表 2 に示す。この整備計画策定により,国全体の都市 公園予算を伸ばそうとした時期であり,国営公園だけでな く地方公共団体の都市公園整備が進捗17) した期間につい て,「発展期」として類型化した。 d) Ⅳ期(平成元年∼10 年頃) この時期の特徴は,アルプスあづみの公園,明石海峡公 園,吉野ヶ里歴史公園にみることができる。 類型化の特徴:平成元年代以降:既に全国において,整 備着手されてきた国営公園であるが,広域レクリエーショ ン需要に対応するため,ブロック内に 2 箇所目となるイ号 公園の整備が着手されている。公園区域の設定では,これ までの大規模な公園を単独で一地区整備する手法ではな く,計画当初より二地区を一つの公園とみなして,都市公 園法施行令の規模基準を満たす区域設定が見られる。また, 管理者が異なる国営公園と地方公共団体の都市公園や緑地 を一体的に計画し,それぞれを整備・保全することにより, 公園緑地としての効用を相乗的に一層発揮させようとする 整備手法が見られる。 さらに,歴史的な遺跡等の発見に伴い,文化財保護法に よる「特別史跡」周辺について,平成 4(1992)年 10 月 に飛鳥歴史公園から 22 年ぶりに歴史公園のロ号公園とし て吉野ヶ里歴史公園の閣議決定がされた。公園区域の設定 は,国営公園と県立公園の一体となった区域となっている。 基本方針等の策定手続きはⅢ期と同様である。 こうした広域レクリエーション需要に対応するため,ブ ロック内に 2 箇所目となる公園の整備着手や二地区のよう に複数地区を分散させる整備手法や管理者が異なる公園を 一体的に整備するなど整備手法の多様化が見られた期間に ついて,「充実期」として類型化した。 e) Ⅴ期(平成 10 年∼現在) この時期の特徴は,東京臨海広域防災公園,新規区域を 追加する飛鳥歴史公園にみることができる。 類型化の特徴:平成 10 年代以降:概成していた国営飛 鳥歴史公園について,キトラ古墳の発見に伴い平成 13 (2001)年 3 月にキトラ古墳周辺地区の追加が閣議決定さ れ,平成 20(2008)年 10 月には,平城宮跡を既存の「国 営飛鳥歴史公園」と一体的に整備を進める国営公園として, 「国営飛鳥・平城宮跡歴史公園 平城宮跡区域」を閣議決定 した。 また,平成 15(2003)年には防災拠点整備の必要性が高 まったことを踏まえ,都市公園法施行令の改正を行い,広 域的な災害救援活動の拠点となる国営公園について,イ号 公園の一形態として追加を行っている。「防災拠点」とし ての機能が付与された国営公園は,これまでのイ号公園や ロ号公園とは異なり内閣に設置された「都市再生本部(本 部長:内閣総理大臣)」(その後,平成 14(2002)年 6 月 1 日 に都市再生特別措置法が施行され,都市再生本部は法に基 づく組織へ移行)が決定した都市再生プロジェクトにより 「防災拠点の整備」が決まり,その後,関係省庁と南関東 の都県市による協議会「首都圏広域防災拠点整備協議会」 を設置し,整備計画が策定されている。 こうした基本方針等の策定経緯は,イ号公園でありなが ら内閣の関与が行われるなど,これまでのイ号公園の経緯 とは異なる形態となっており,Ⅰ期に近いといえる。概成 した公園について,新たな地区の追加や我が国を代表する 歴史・文化資産の一層の保存・活用を図ることを目的とし 表 2 都市公園等整備五(七)箇年計画の計画額の推移 表 3 国によるオープンスペース整備の類型と特徴 表 4 国によるオープンスペース整備の類型と特徴
て区域を追加する公園が見られるとともに,平成 7(1995) 年 1 月の阪神・淡路大震災等を契機に都市防災拠点整備の 観点から,これまでのイ号公園とは異なる公園区域が小さ く,政策目的に合致した公園整備が現れた期間について, 「変換期」として類型化した。
4. 結 論
これまでに国営公園は法制度上の設置目的の違いによる イ号とロ号の二形態から考察されることはあったものの, これまでに国が都市内に整備してきたオープンスペースで ある旧皇室苑地や国営公園の整備過程について①社会背 景,②公園区域設定・整備形態の変遷,③公園毎の基本方 針等策定から整備・管理までの主体の変遷の 3 観点から通 観し,考察されてこなかった。 そこで本論文において,3 観点と事業の関係を分析する ことで変遷の変化点を抽出し,国営公園事業を 5 期に類型 化し,それぞれの特徴を明らかにしたものを表 3 に示す。 ①社会背景の変遷の観点からは,戦後の旧皇室苑地の取 り扱い,東京オリンピック開催前における都心部にある旧 軍用地の取り扱い,急速な都市化に伴う歴史的風土保存へ の気運の高まり,明治百年等の国家的記念事業,在日米軍 跡地利用,広域レクリエーション需要の高まり,我が国固 有の優れた文化的資産の保存及び活用,防災拠点整備など, その時代に国が関与しなくてはならない都市内オープンス ペース整備事業が戦後途切れることなく,タイミング良く 連続したことにより,国による都市内のオープンスペース 整備事業が継続的に行われてきていることが確認できた。 ②公園区域設定・整備形態の変遷の観点からは,国が整 備してきた都市内オープンスペースについて,具体の公園 整備にあたり,周辺も含めどのように公園区域が設定され, 整備されてきたか整備対象空間から分類を行ったものを表 4 に示した。Ⅰ期では従前にあった土地を公園として整備 した「従前苑地」型から,Ⅱ期には公園の位置選定も含ん だ「大規模単独」型や「文化的資産周辺」型と「複数分散」 型の複合タイプが見られる。Ⅲ期では,主に丘陵地に整備 された「大規模単独」型,河川敷に整備された「複数分散」 型が見られる。Ⅳ期では,「周辺一体」型と組み合わさる「複 数分散」型と「文化的資産周辺」型の 2 種類の複合タイプ が見られる。Ⅴ期では,「小規模単独」型と「周辺一体」 型の複合タイプがみられる。 こうした推移及び現下の国の財政状況から推察すると, 過去にあったような「大規模単独」型の整備は今後,困難 と考えられる。一方で,「複数分散」,「周辺一体」,「小規 模単独」,「文化的資産周辺」については,今後の整備にお いて,状況に応じた組み合わせにより,一層の整備手法の 多様化が進むと考えられた。 ③基本方針等の策定から整備・管理までの主体の変遷の 観点からは,関与の度合いに応じ,ア)内閣府等,イ)国 土交通省(建設院,建設省等),ウ)それ以外の者(環境省, 国会等)と国の機関を分類し,整備決定から管理までの一 連の事務処理について,ⅰ整備の決定,ⅱ位置の選定,ⅲ 基本方針等の策定,ⅳ整備,ⅴ管理の 5 区分から整理し, 比較したものを図 2 に示す。これにより公園整備の一連の 過程について,一律ではないことが確認できた。 都市公園法改正以前の都市内オープンスペース整備の基 本方針等策定において,Ⅰ期では,公園計画の策定過程に 閣議決定や内閣総理大臣など整備主体である建設省以外の 関与が見られたが,国営公園が制度化されたⅡ期以降,整 備は建設省(現在は国土交通省)が主体となって基本方針 等を策定してきた。 法制度化に伴い,一の都府県の区域を超えるような広域 の見地から整備された国営公園(イ号公園)では,位置の 選定から基本方針等の策定は主に整備主体である建設省内 部の検討会において検討され,整備が進められてきた。 一方で,平成 10 年(Ⅴ期)から整備された国営公園の特 徴として,社会的に必要性が高まった「広域的な災害救援 活動の拠点」となる有明公園は,「都市再生プロジェクト」 として,スタートし,最終的にイ号の国営公園として整備 されており,その過程は国土交通省のみならず内閣府等と 図 2 オープンスペースの整備変遷各期における代表的な公園事業主体の比較 図 3 これまで整備された国営公園の計画概念の協力・連携や専門家からの意見を反映させている点等で Ⅰ期の旧皇室苑地の整備過程と類似性が高いことが明らか になった。 また,国家的記念事業や我が国固有の優れた文化資産の 保存 ・ 活用を目的として整備される国営公園(ロ号公園) では,文化的資産周辺を整備することから,これまでにも 文化庁との協力・連携が見られたが,歴史・文化への国民 意識の一層の高まりにより,飛鳥歴史公園のように柔軟に 既存公園へ新たな地区や地域を追加し,新たな発見への対 応や事業進捗に対応する形態がみられた。 これらのことから,国の直轄事業によるオープンスペー ス整備は,図 3 に示した従前土地の自然や文化的資産等を 活用する「資源依存型」と都市住民の高いレクリエーショ ン需要等を満たすことが求められた「利用者本位型」の混 在した空間整備であったことが考えられ,戦後,継続的に 国民生活の変化等の社会状況の変化に即応し,整備を行う ための対応を行ってきていることが明らかになった。 国による直接的な整備は,その当初の過程から継続的に, 基本方針等の策定や公園整備の技術的知見を蓄積し,制度 構築を適切に行い,昭和 51(1976)年の都市公園法を改正 することにより国営公園を制度化したことで,公園計画事 務が明確となり,事務が分掌されたことにより全国に国営 公園整備が促進されたことが明らかになった。 さらに,社会状況に対応した国の方針決定,様々な関係 機関と協力・連携した基本方針等の策定,整備形態の組み 合わせの多様化等により複合的に構成されてきた国のオー プンスペース整備事業は,画一的な整備手法に固執せず, 様々な社会条件に対して,柔軟に対応してきたことが明ら かになった。 こうした戦後の国有地におけるオープンスペース整備と して体系的に研究された事例は散見されず,国が直接,オー プンスペースを整備・管理する法制度・整備手法について は,社会要請に対応し,高度化する運営維持管理と併せ, 様々な国の政策目的を実現させる手法として,引き続き時 代や状況に応じた改良を加えつつ,保持し続ける必要があ ると考えられた。 補注及び引用文献 1) 「旧皇室苑地の運営に関する件」昭和 22 年 12 月 27 日 閣 議決定 2) 建設省関東地方建設局,2000,関東地方建設局史,(社)関 東建設弘済会 p 329 3) 鹿野 央:国営公園の維持管理業務における市場化テスト 導入の意味と課題,日本造園学会造園技術報告集 6 2011, p 116-119 4) 首相官邸 HP http : //www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/ 2010/1228action_plan.pdf 5) 蓑茂寿太郎,高梨雅明,後藤和夫:都市公園行政の現状と 展望,造園雑誌 53(3)1990,p 178-183 6) 「総テ社寺境内除地域ハ公有地ノ類,従前高外除地ニ属セ ル分ハ永ク万人偕楽ノ地トシ,公園ト可被相定ニ付,府県 ニ於テ右所ヲ択ヒ,」とされている。 7) (社)日本公園緑地協会,1992,佐藤昌と近代公園緑地の歩 み,(社)日本公園緑地協会,p 79-81 8) (社)日本公園緑地協会,1992,佐藤昌と近代公園緑地の歩 み ,(社)日本公園緑地協会,p 69-72 9) 公園緑地協会,1947,国営公園の誕生,公園緑地 11(1)p 1 10) 公園緑地協会,1947,国営公園建設の経緯,公園緑地 11(1) p 32,「新憲法第 88 条と財産税の対象として物納された皇 室財産の内,新宿御苑,白金御料地,皇居前広場,皇居本 丸(坂下門から乾門に至る線の以東),京都御苑は各々東 京復興都市計画,京都都市計画の上からも重要な地域であ るので既に都市計画公園として決定されていた。」 11) 昭和 22 年 12 月 26 日に建設院設置法により設置。その後, 昭和 23 年 7 月 8 日に建設省となり,平成 13 年 1 月 6 日に 現在の国土交通省となっている。 12) 「国会周辺の緊急整備について」昭和 38 年 6 月 28 日 閣 議決定「ロ 霞ヶ関公園用地の整地及び芝生植栽等を昭和 39 年 8 月を目途として整備する。」 13) 首都圏整備委員会,1959,首都圏整備 第 2(1957-1958), p 84 14) 建設省関東地方建設局,1980,国営公園工事事務所の歴史, (社)関東建設弘済会,p 100 15) 建設省公園緑地課,1969,国会周辺の公園整備について, 新都市 18(4),都市計画協会,p 37-40 16) 建設省関東地方建設局,2000,関東地方建設局史,(社)関 東建設弘済会,p 333 17) (社)日本公園緑地協会,2010,公園緑地マニュアル:(社)日 本公園緑地協会,p 64
A Study of the Development Process of National
Government Parks in Japan
By
Hisashi SHIKANO* and Chikayasu HAMANO**
(Received February 22, 2012/Accepted June 8, 2012)Summary:In recent years, national or local governments have been responsible for a range of park
projects, in which role a policy problem has emerged. In urban park projects, the national government and each local government work together on open space development in cites. In this context, the national government has managed 17 park projects across the country. The first national government-managed park project was the development of the old Imperial Garden after World War II, for which the National Government Managed Park Office was established. Since then, the legal system of the country has responded to various issues of developmental projects, but these responses have not been organized systematically. A clear national policy has not yet been established.
This paper describes the beginnings of the national government park project, starting with the development of the old Imperial Garden immediately after the war, then the development process involving the enactment of laws and regulations and the series of policy decisions required. Next, the paper describes the legal processes involved, taking into account (1) the social background, (2) forms of development, and (3) other key aspects. It thus examines how, through this process, open space develop- ment projects were made possible.
The national government parks development project has changed the lives of the people and has responded to changes in society when appropriate. The effectiveness of any future policies based on open space development is suggested by these methods, although they may vary in their application in other countries.
:Open space, National Government Park, development, transition, old Imperial Garden
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Department of Environmental Symbiotic Biological Science, Graduate School of Agriculture, Tokyo University of Agriculture Department of Landscape Architecture Science, Faculty of Regional Environment Science, Tokyo University of Agriculture