土地の記憶とともにある石巻研究 ──序論的考察
著者
奥堀 亜紀子
雑誌名
東北宗教学
巻
16
ページ
189-214
発行年
2020-12-31
URL
http://hdl.handle.net/10097/00131071
土地の記憶とともにある石巻研究
──序論的考察
奥堀亜紀子
キーワード 東日本大震災、喪の作業、幽霊の問題、記憶論、地域研究 はじめに1 いま私が暮らしている町は、東日本大震災によって大きく風景を変えた宮城 県石巻市である。2011年3月11日に東北地方沿岸部を襲った大地震は、発生時 点で日本観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、震源域は岩手県沖から 茨城県沖までの広範囲に渡った。発生直後16時20分に気象庁がこの大地震に対 して命名した名は「東北地方太平洋沖地震」であった。だが地震によってもた らされた状況を伝えるにも正式名称が必要なほど、甚大な被害が明らかとなっ てきた。同年4月1日に政府が対応したのが、同地震によってもたらされた災 害の名称を「東日本大震災」とすることを了解するという発表であった。 私が宮城県石巻市を初めて訪れたのは2012年6月のことであった。当時在籍 していた大学の倫理創成論発展演習で訪問したのが最初の機会であった。まさ かその町に自分が住むことになるとは思ってもいなかった。地震直後の私は、 当時のアルバイト先の仲間たちとテレビの臨時ニュースを見ていた。テレビに 映る光景が翌年に自分が足を踏み入れる場所にどのような影響を与えているの か。2012年の時点の私は、表面的に見えている印象を通してしか、それを読み 取ることができなかった。例えば、訪れたある場所に震災で被害を被った墓地 があった。私はこの墓地から目が離せなかった。私たちを案内してくれたのは アスベスト調査のために何度も石巻を訪れている東京の方だったが、その方に 1 倫理的配慮:研究協力者へは、研究目的、協力内容、研究参加の自由意志および匿名性の 保持および結果の取扱いなどを書面及び口頭で説明した。研究協力への同意は協力者が書面 にサインすることにより確認した。また本研究は、大阪大学大学院の人間科学研究科の研究 倫理委員会の審査を受け、承認を得た。(特別研究員期間2017年4月~2020年3月)「壊れているお墓に混じっている新しいお墓は震災後に設置されたものなので しょうか」と尋ねたところ、「そうですね。最近ここを含めて他の被災地でも 墓石業者が賑わっています。震災から1年が経ち、被災者のご家族も心の余裕 が出てきたのではないでしょうか」と彼は答えてくれた。だが、私はその言葉 を素直に受け入れることができなかった。というのも、新しいお墓が増えてい る反面、まだ震災当時から修復されていないお墓も多く見受けられたから、つ まり被災地にはまだ多くの震災の傷跡が残っており、そのような状況で「心に 余裕が出てきた」という言葉を理解するには、少し立ち止まる必要があるよう に思えたからである。当然ながら被災に遭った町にはそれによって失くした人 びとや景色があったはずだが、石巻から帰ってきた私は、その問題を考え続け ていく方法論を持っていなかった。 それから5年が経って、博士課程を修了して特別研究員という身分を得るこ とになった。自身の哲学研究の幅を広げられる立場となった2017年夏、私は再 び石巻市を訪ねることになった。 研究計画 ―― 東日本大震災後の喪の作業の過程に見られる死者と生者の関係 性の変容 倫理審査のために大学に提出した研究の目的は、東日本大震災後の生者の喪 の作業の構造を解明していくことであった。具体的には、喪の作業の過程にお いて生者が、どのような死者との関係性を築いて、その関係性によって、どの ような新しい生者との関係性を築いていくのか、それらを哲学の知見に基づき 記述し、分析することを目指していた。死別による喪失の悲嘆、すなわち喪の 作業は死生学の主要な研究対象とみなされている。東日本大震災によって多く の方が身近な人だけでなく普段は見知らぬ人の死にさえ直面した。東日本大震 災発生から10年が経って町の復興は少しずつ進められているが、生者の死者に 対する想いは本人だけの思考回路では袋小路に陥りやすい。このことはケアの 方法論を確立させる研究に拍車をかけている。その主要の方法論は二つある。 一つはスピリチュアルケアを基盤としたグリーフケア研究である。これは心理
学的な手法に宗教的な視点を取り入れながら行われるケアの方法である。もう 一つは霊性の震災学である。これは心のケアを生者自身が行う点で前者とは異 なる。この方法は生者が自分自身で自らの痛みを温存させる点が特徴的である。 本研究はスピリチュアルケアに基づくグリーフケア研究や霊性の震災学に対し て、それらの理論を哲学的課題や概念に還元し、彼らが行おうとしている研究 をあらためて哲学の観点から理解しなおす試みである。また本研究の分析は、 喪が発生する臨床的な現場における哲学的な課題や概念を、地域の現場の具体 的な状況の中で問い直す試みでもある。 石巻での活動経緯 東日本大震災における喪の作業に関する研究計画を掲げて本格的に石巻で研 究を始めた私は、以下のような活動の経緯を辿ることになった。 ⑴ 2017年8月より、知り合いをつたって石巻市の介護事業所でボランティ アとして参加させてもらうことになった。まずは事業所で働いているスタッフ や通っている利用者との交流を深め、石巻に住む人びとの特徴や人柄から「東 日本大震災」を視察した。⑵ 翌月からは交流によって話をしてくれた人びと と聞きたい内容を決めずに個別的な交流を深め、そこから改めて自分の問題意 識を検討し直した。⑶ 同時に、滞在先を蛇田地区から湊地区に移すことにした。 フィールドワークを始めた当初は蛇田地区の長期滞在用のホテルに滞在してい た。しかし蛇田地区は他の地区に比べて被災が少なかった地域で、震災当時も 早くから支援側にまわっていたため、震災から6年経った2017年夏には震災前 に栄えていた石巻駅周辺とは対照的に賑やかな地域となっていた。それゆえ、 津波の被害が甚大だった湊地区に部屋を借りて「住む」ことで、被災した人び とと生活を共にしたいと考えるようになった。 「住む」という方法論 石巻の活動経緯の中でも「湊地区に部屋を借りる」という段階に入ったこと
によって、主に三つの観点から石巻での活動が変化し、フィールドワークの方 法論も固まってきた。第一に、不安が共感できるようになった点である。被害 が甚大であった土地に住んで生活することで、当時とりわけ早朝に震度3の地 震が起こることが多かったのだが、その地震を経験することを通して、東日本 大震災を経験していない私でも、「また大きな震災が起こるのではないか」と 思うことがあり、同じような不安を感じる町の人びとと話が共有できるように なった。第二に、震災当時の様子が実感しやすくなった点である。湊地区では 津波によって空き家になっている建物がそのままになっていることが多かった。 または更地になって人が帰ってきていない土地、区画整理中の土地が多いこと から、町を歩いているだけでも震災当時の様子が自然と浮かんできた。第三に、 石巻に部屋を借りたということで町の人びとの目線が変わってきた点である。 介護事業所の利用者との心の距離も近くなり、湊地区周辺に住む利用者との交 流も増えた。また、湊地区は石巻駅から自転車で20分程の距離にあり、石巻駅 周辺で活動している震災直後からボランティア活動をしている諸団体との交流 も始まり、そこから地域交流の範囲が広がった。 ニュースや本を通じて、東日本大震災の被害状況やその後の被災地の様子、 復興状況は知っていると思っていた。だが実際に被災地に来ても、ニュースで 見ていたはずの震災後の諸問題が自分のいる町のどこで生じているのか、どの ような様相で問題と化しているのか、何も見えてこなかった。私が馬鹿なのか、 怠惰なのかとも思ったが、1年という時間を掛けてようやく、メディアが伝え る「東日本大震災」が見えてきたように思えてきた。その過程には、石巻に住 んで現在の町並みを見ているうちに、震災前の石巻の町並みが知りたいと思う ようになってきたことが大きかったように思われる。震災前の石巻の町並みを 知りたいと思うようになってきたのは、大量に亡くなった町の人びとを、彼ら が生きていた時の景色を知りたいという気持ちの表れから来ていたのではない だろうか。できるだけ自分の足で自分が住んでいる周辺の地域をまわって、地 理的な感覚を身に着けたこと。それぞれの地域の人びとと交流して、それぞれ の地域の人間模様とその歴史を知るように努めたこと。地域の人間模様と歴史
の観点から人びとの死について考えることが現在の町について考えることでも あると気付いたこと。以上の活動の経緯から私は、湊地区を中心にして、石巻 を地政学的に視るようになった。地図とともに歩き、石巻の人びとの暮らしが 見えてくるような研究活動に専念しはじめたのだ。ニュースや本を読んでも 知っているのは文字から生じている意味だけであって、それらの言葉を現地に 行って探そうとしても、同じ言葉で当てはまるものは何も見つからなかった。 東日本大震災後の生者の喪の作業の構造を調査するという研究計画をもって 石巻で活動を始めて1年が経った時に私が活動の中心に据えていたのは、「住 む」という方法だった。フィールドワークをするにあたって石巻を地理的に把 握し、歩ける範囲は歩きながら町の特徴を探り、そこに住む人びとの生活のリ ズムを知ることを重視しはじめたのである。 1.新しい問い ――町があるとはどういう状態なのか 「住む」という方法論を意識し始めてから間もなく、東日本大震災から7年 が経った2018年3月11日、私は石巻市に滞在して初めての3月11日を迎えた。 当初の天気予報では雪の可能性も伝えられたが、当日は晴れやかな青空の広が る日となった。日和山の脇を流れる旧北上川沿いにあった被災した多くの家は、 3月に入る前に次々に壊され、津波にさらわれた土地は薄茶色の土が広がる更 地となっていった。これからこの辺りには大きな復興祈念公園が作られる。公 園の前には海が広がっているが、この大きく広がる海を私たちは見ることがで きない。海と私たちのあいだには高さ7.2~3.5m の防潮堤の壁が立ちはだかり、 ここには新しい公園ができる2。だが、その土地にはかつて人びとが生活を繰り ひろげた町があった。 翌日3月12日には福島県の浪江町と双葉町を訪れた。新しく作られた漁港か 2 石巻市は、石巻南浜津波復興祈念公園内に建立する市慰霊碑の除幕式を2021年3月11日に 開催し、同年3月28日に公園を開園する方針であることを発表した。(2021年2月10日付「河 北新報」https://kahoku.news/articles/20210210khn000013.html、2021年2月12日閲覧。2020年 12月14日付「河北新報」https://kahoku.news/articles/20201214khn000005.html、2021年2月12 日閲覧。)
ら開かれた視線には、石巻と同じようにかつては町があった。しかし、福島の 町はまだ使用されていない新しい漁港の色鮮やかさとの対比が激しすぎるくら い、漁港から見える土地は全体が枯れ色で、石巻の町の色とは違うように思わ れた。「石巻の町と福島の町の色が違う」という感覚はいったい何だったのか と考えていたところ、若松丈太郎という詩人を知った。彼について調べてみる と次のような言葉が綴られていた。以下は「神隠しされた街」の一節である。 多くの人は三日たてば帰れると思って ちいさな手提げ袋をもって なかには仔猫だけをだいた老婆も 入院加療中の病人も 千百台のバスに乗って 四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた 鬼ごっこする子どもたちの歓声が 隣人との垣根ごしのあいさつが 郵便配達夫の自転車のベル音が ボルシチを煮るにおいが 家々の窓の夜のあかりが 人びとの暮らしが 地図のうえからプリピャチ市が消えた3 若松が綴っているのは、チェルノブイリ原発事故があったウクライナにかつ てあった町の光景のイメージである。原発事故から8年後に現地を訪れた彼が 書いた詩が「神隠しされた街」である。17年後の2011年3月11日、若松が住む 福島県南相馬市は大震災と津波に襲われ、近隣地域の福島第一原発の水素爆発 の影響によって2016年7月まで避難指示区域とされた。 3 若松丈太郎「神隠しされた街」『福島核災棄民町がメルトダウンしてしまった』、コールサッ ク社、2012年、202203頁。
町に人がいないことは、町にいた人びとの声や音が消えて、人びとがつくる 食事のにおいが消えていくことでもある。人びとが消えることで町をつくって いたものが見えてくる。私の目に映った漁港から広がる浪江町や双葉町が枯れ 色に見えたのは、ただ草木の枯れ色によってそう見えたのではなく、枯れ色の 草木が広がる土地に人の気配がなかったからではないだろうか。 1−1.「人びとがいる」 13日には飯舘村の復興住宅を訪れた。浪江町と双葉町と違って、飯舘村には 人びとが帰ってきている。それでも、住民の様子には「悲しさ」が見えた。 村に帰っても、以前のように実りの秋を楽しみにすることもなく、よろこ び合う隣近所もなく、暮らしに彩りをあたえてくれ、自然に感謝した山の 恵みもいただけないのなら……。4 この言葉はフォトジャーナリスト豊田直巳さんの『「孫たちは帰らない」けれ ど失われた「ふるさと」を求めて』の一節で、帰村を先送りして仮設に住む、 庄司ヨネ子さんと目黒晴子さんの話につづく言葉である。村に帰っても原発事 故以前のような山の暮らしはできず、隣近所に住んでいた人びともいない。さ らに、仮設でできた新しい隣近所の人びととの生活がそこで続けられるわけで もない。 仮設にいた人びとの一部は帰りたかった飯舘村にいるが、まだ復興住宅にい る隣近所の人びとと親しくできている様子はなかった。例えば、仮設に住んで いたときに親しくなった友人が近くに住んでいる場合もあるだろう。その場合、 二人は支えあって生きていくことができるかもしれない。しかし、近くに親し い友人が住んでいて会話が成立する環境にいるだけでは満たされないものがあ るのではないだろうか。その人にとって成立する会話が一つの集団にあるので 4 豊田直巳『「孫たちは帰らない」けれど失われた「ふるさと」を求めて』、農文協、2018年、 27頁。
はなく、複数の集団にあることによって、その人がいる場所は賑やかになって いく。一対一として関わり合いのある人がいるだけでなく、親しくなくとも顔 見知りである人びとがいることによって、人は生きていくための活力のような ものを手に入れて、自分のいる場所を町だと認めて、安心して生きていけるよ うになるのではないだろうか。 1−2. 「町がある」 いくら国の政策によって人が住める地域として帰宅許可が下りてその町に人 がいるようになったとしても、そこが町として機能しないこともある。飯舘村 の復興住宅を訪問して考えたことは、町とはいくら家や施設があっても町とは ならないことであった。福島の町並みについての報告で、浪江町や双葉町の風 景の色が石巻の町並みと違って全体的に枯れ色だったと述べた。その際に引用 した若松丈太郎の「神隠しされた街」は、チェルノブイリ原発事故によって失 われた町、町をつくっていた人びとの気配がなくなった町の異様さを物語って いた。しかし飯舘村の場合に問題となっているのは、決してたくさんの人が 帰ってきているわけではないが、そこに住む人びとにとって飯舘村が決して町 とは言えない点にある。若松の詩に描かれている「人の気配」は、ただ言葉の ままに「人びとがいなくなった」と理解するとすれば、その土地に人びとが帰っ てこれば町の異様さは消えることになる。だが人びとが帰ってきても、そこに 住んでいる人の生活を構成している環境に顔見知りの人びとやその人びとの生 活の気配がなければ、現在の町を町と認識させる人びとの賑やかさは、以前の 町の記憶に比べて不足しているように感じるだろう。鬼ごっこをする子供たち の歓声、垣根ごしのあいさつ、郵便配達夫のベルの音、ボルシチを煮るにおい。 プリピャチ市の場合に若松が言うような、かつての町の賑やかさを構成してい た「人の気配」が、人びとが帰ってきている現在の飯舘村にまだできていない のかもしれない。 原発事故の前に話したことがない人であっても、飯舘村に帰った人の生活に とって、実のところ居なくてはならないかけがえのない人であったのかもしれ
ない。私自身の生活について振り返ってみると、例えば自分の行動範囲でよく 見かける人がいるとする。その人を1週間見かけていない、さらに2週間見か けていない、どうやら遠くに引っ越したらしいということが分かるとする。引っ 越しの事実が分かったとき、なぜか自分の生活を構成していたその人がいない ことに対してなにか寂しさのようなものを感じる。若松の詩に描かれている「人 の気配」もまた、近しい人の面影ではなく、むしろこのような遠くにいた人び との面影によって多くが成り立っているように思われる。飯舘村において人び とが全くいない異様さはなくなってきているかもしれない。だが、その「町」 は決してまだ町ではない。 2.被災地の幽霊話 論文のはじまりから第一章にかけて、私が石巻に拠点を置くようになるまで の経緯、拠点を置くようになってからの活動と思考の変遷について話をしてき た。石巻を中心にフィールドワークを始めて、「住む」という方法論をとるこ とで町のリズムを知りたいと考え始めたことをきっかけに、本研究は地政学的 視点から「喪」を見るという方向へと転じた。 ただこの町で共に生きてきた人びとが突然に死んでしまったこと、その人び との気配がなくなった町を目にしてそれでも未来に向かっていかなければなら なかった、という意識の中で置き去りになっている死の理解しがたさは町中に 拡がっている。震災後に被災地では震災で亡くなった人びとの幽霊話が多く語 られるようになった。タクシードライバーが乗せた客の話、家族が見かけた死 者の話、近所の人が見かけた死者の話。生前の関係性によらず、町の多くの人 が自分たちの住んでいる町に住んでいたはずの誰かの姿を見かけている。この ような現象は、生死にかかわらず、一般的に私たちが営む生活の中で触れる 「かつてそこいた人の気配」と同じ仕組みをもっているのではないだろうか。 例えば、町の駄菓子屋のお父さん。普段は話をしたことがなかったけれど、お 店から彼の姿がなくなった。どこかに彼の姿を探してしまう時がある。いつも お店にいた彼の姿が見えないのは寂しい。町の駄菓子屋のお父さんの姿は町か
ら消えてしまったが、どこかで見かけたような気がする。まだお店にいた気が する。しかし実際に彼はそこにいない。彼の気配は、幽霊を見るのと同じよう に、残された者たちにとって、存在している何ものかであるように在り続けて いるのではないだろうか。 2−1.『ヒロシマノワール』における「人間ではないもの」 東日本大震災という主題から離れるが、『ヒロシマノワール』の第二部で東 琢磨は「ヒロシマではなぜ幽霊が現れないのか」5を論じている。幽霊とはどう いった存在なのだろうか。東は以下のように定義している。 幽霊、妖怪、あるいは妖精、ここでは人間ではないもの。奇しくもリオター ルの他の主著に『言説、形象、ディスクール、フィギュール』というタイ トルのものがあるのですが、形象・形姿あるいは文彩などの意とされる フィギュール。英語ではフィギュア。いわゆる人形という意味もあります が、姿形、取りあえずどのように見える形になっているものとして、表現 されているものかという形で、人間ではないものというのを考えてみた い。6 東が言うところの「人間ではないもの」は、「人間と人間の間で、お前は人間 か人間ではないか」7と問うところから始まっている。幽霊、妖怪、妖精が人間 ではないものと付け加えられる前の議論は、石原吉郎というシベリア抑留から 帰ってきた詩人の話から人権の話へと展開されている。シベリア時代に強制収 容所で自殺した石原の友人の言葉である「もしあなたが人間であるなら、私は 人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない」、この言葉 5 「ヒロシマではなぜ幽霊が現れないのか」は、2012年12月14日に青山学院大学で開催され た講演の書き起こしに加筆された論考と、2014年の出版の際に書き下ろした「『幽霊』をめぐっ てのやや長めの追記」で構成されている。 6 東琢磨『ヒロシマノワール』、インパクト出版社、2014年、72頁。 7 同上、71頁。
から東がさらに、視覚的なイメージとしてはどうなるかというと、人間と人間 の間で、お前は人間か人間ではないかという問いを超えて考えるならばどうな るのか、と展開させたことによって導き出された概念が、「人間ではないもの」 である8。 東の言うところの人間ではないものとしての幽霊は、日本の研究ならば民俗 学、宗教学が多くを担っているとみなされ、例えば、柳田國男の『妖怪談義』 が挙げられている。同著作において柳田は幽霊とお化けを区別し、お化けは妖 怪であり場所を選ぶが、幽霊は相手を決めて追い、時間も決めて現れる。多方 面から幽霊にまつわる文献に触れ、東はヨーロッパの哲学者が幽霊について多 く触れているのに対して、日本の哲学がその研究の多くを民俗学、宗教学に任 せてしまっていると驚いている。彼の本意は次のような問題である。 かつてその文化を「普遍」へと横滑りさせてしまったヨーロッパ自体がそ のことを反省しているにもかかわらず、日本の学問はいまだに過去のヨー ロッパのモデルのままで「普遍」を追いかけているのではないだろうかと いうこと。哲学自体がその本拠では地域研究に近い構えを持ちつつその乗 り越えを図っているのにひきかえ、いまだ日本では「地域研究」を低めに 押し込みながら、限定されているはずの「普遍」を語っているのではない か。9 最後に幽霊について論じることを以下のように捉えている東の言葉を挙げたい。 「幽霊」(的なもの)を論じるとは別にオカルトになるわけでも、きわめ て現在の日本で勘違いされたままもてはやされ攻撃されている「スピリ チュアル」系に走るわけでもない。私たちが、「合理的」「客観的」「中立」 「科学的」と思い込みつつ、あるいはそれらにとらわれているなかでこぼ 8 同上、7172頁。 9 同上、126127頁。
れおちているものはなにかをみつめていくまなざしであり構えのようなも のを建て直す、ひとつの試みである。10 2−2.「記憶を持つこと」と「幽霊が現われること」 東はこの論考の問いが生じた背景を以下のように語っている。 僕が生まれ育った広島、ここでは一瞬にして10万人が亡くなり、その後に 10万人が緩漫な死を迎え、今も次々とその影響で死に続けている町ですが、 なぜかここには幽霊話がまったくというほどにないんですね。日常ではあ る程度あっても、いわゆる「作品」のようなかたちではほぼない。これは 何だろうかなという疑問がひとつ発生してきて、では、その幽霊を語る文 化、あるいは語らない文化というのはどういうことなのか。11 東の故郷である広島は第二次世界大戦時の原子爆弾投下によって一瞬にして町 の姿を変えた。町の姿だけではない、そこに住む多くの人びとが一瞬にして命 を落としたことは日本の歴史を知る者であれば知らない者はいないだろう。東 も語っているのだが、「幽霊・妖怪大国(?)」12と言っていいほど日本には幽 霊や妖怪に関する研究書や物語がある。しかしなぜか広島には幽霊を語る文化 がない。広島では幽霊が現われない、ということを言っているのではなく、こ こで東が問題にしているのは広島では幽霊について語り、それを定着させる文 化がないということである。広島では8月6日に灯篭流しを行っているが、当 初は原爆で非常に近しい人を亡くした人が死者の霊を慰めるために行ってきた。 しかし現在では灯篭流しが観光化してきており、多くの人が詰めかけている。 もともとは「死者それぞれのより身近な人々が、具体的な記憶とともにあるた めのもの」13であったはずが、今や「土地の記憶、そこの人びとの記憶の中に 10 同上、127頁。 11 同上、73頁。 12 同上、125頁。 13 同上、75頁。
入っていくある程度の、なんらかの手順のようなもの」14を持たないまま、手 を合わしてそのまま長崎に向かう。東が続けて語るのは、次の言葉である。「広 島にしろ長崎にしろ、それでわかるのかなあと。せっかくだから、それぞれの 土地の記憶の襞のなかに入ってほしいと、高らかな演説や語り部が語ってくだ さる語りだけではなく、沈黙のままうずくまる何かにも耳を傾けてほしい」15。 広島の原爆被害者の個々人、広島という町と今も住む人びとが持つ記憶を知ら ないまま死者を弔いに来てくれる人たちの例を挙げて、「これじゃあ、広島に はもう幽霊が出ようがないだろうな」16と締めくくるのである。 3.『物質と記憶』における記憶論17 土地の記憶を持たないものが死者を想い、そこからすぐにまた違う土地で手 を合わせる。そこに幽霊は現れようがないと語る東は、「記憶を持っていること」 と「幽霊が現われること」を繋げている。幽霊を視覚的なイメージで捉える認 識と、記憶はそもそもどのような繋がりをもっているのだろうか。最後にこの 問いを論じる土台として、フランスの哲学者アンリ・ベルクソン(1859 1941)を中心に、知覚と記憶に関する哲学の議論を見ていくことにしたい。『物 質と記憶』18においてベルクソンは、私たちが考える通常の知覚には記憶が含 まれていると述べている。ベルクソンは、従来の心理学者および形而上学者た ちがこの問題に目を伏せたまま考察を進めたため知覚と記憶に対する考えを 誤ったとみなし、自らは知覚と記憶の本性を明らかにするため知覚を再構成さ せようと試みる。 14 同上。 15 同上、77頁。 16 同上、78頁。 17 本稿における『物質と記憶』研究は、修士論文「過去の実在について ─ベルクソン『物 質と記憶』研究─」の一部を加筆修正し、石巻でのフィールドワーク研究に適用させたもの である。本稿を基盤として、修士論文と博士論文「ジャンケレヴィッチの郷愁論」を統合し、 石巻での研究成果を分析していく予定である。 18 アンリ・ベルクソン『物質と記憶』、ちくま学芸文庫、2007年 (Matière et mémoire, 1896.)。『物 質と記憶』からの引用はこの著作を参照し、以下引用箇所は本文に頁数のみを記載する。翻 訳に際して、主としてちくま学芸文庫版を使い、一部、白水社版を参照した。『物質と記憶』 に関する文献は、参考文献に記載した。
3−1.純粋知覚 『物質と記憶』第七版の序においてベルクソンは、この書の目的が「精神の 実在と物質の実在を肯定し、一つの明確な例、記憶という例にもとづいて一方 から他方への連関を定める」(358頁) ことであると述べている。彼の目的は、 従来の物質観への批判、とりわけ実在論 (デカルト) と観念論 (バークリー) の 物質観に対する批判から生まれている。彼らへの批判を発展させて、ベルクソ ンは独自の物質的世界を構成することで「物質的世界」を分析し、身体の実在 を肯定させようと試みたのである。 A. イマージュ ベルクソンが分析した物質的世界とは、イマージュという私たちが感覚器官 を開けば知覚され閉じれば知覚されなくなるものが、一定の諸法則に従って作 用・反作用を及ぼし合っている空間である。しかし、イマージュの中には物質 的世界の諸法則を乱す一つのイマージュがある。それが身体イマージュである。 身体イマージュは物質的世界の行動の中心であり、他のイマージュとは異なり、 「現在に新しい何かを付け加える」(8頁)という性質を持っている。ベルク ソンは身体を中心としたイマージュが運動する瞬間を、現在と定めている。 本書の第一章の目的は、観念論と実在論はいずれも過激な二つの主張であ り、また、物質をそれについてわれわれが抱く表象に還元することは過ち であるが、物質をして、われわれのうちに表象を生じさせるが、これらの 表象とは本性を異にした一つの事物 (chose) たらしめることも過ちである、 という点を示すことにある。われわれにとって、物質は「イマージュ」の 総体である。「イマージュ」ということで、われわれは、観念論者が表象 と呼んでいる以上だが、実在論者が事物と呼んでいるもの以下であるよう な何らかの実在の意味に解している ──「事物」と「表象」の中間の意 味に。物質についてのこうした考え方はただ単に常識のそれである。(358 359頁)
B.純粋知覚 だが、ベルクソンは物質的世界の分析を通してイマージュの性質に関わるあ る点に気が付く。それが、知覚には記憶(mémoire)が混在しているという点 である。ベルクソンは、この点こそが従来の心理学者ならびに形而上学者が誤っ た点であり、その結果、彼らが知覚と想起 (souvenir) にあるはずの本性を見 失ってしまったと指摘する。それゆえベルクソンは彼らの誤りを正すため、ま ず知覚から記憶を取り除き、純粋知覚 (perception pure) という仮説を置く。 純粋知覚とは、事実上というよりもむしろ権利上存在する知覚、私がいる 場所に置かれ、私が生きているのと同様に生き生きとしてはいるが、現在 に吸収され、あらゆる形の記憶を排除されることで物質についての直接的 で瞬間的なヴィジョンを獲得できる存在が持つような知覚の謂である。(34 頁) この仮説を置くことによりベルクソンは、純粋な知覚と純粋な記憶、純粋な 想起についての分析を可能にしていく。つまり、純粋知覚という仮説を第一に 置くことによって純粋な状態である記憶と想起を見出し、純粋な想起を純粋知 覚に再び結合させることで、彼独自の知覚を再構成させようと目指したのであ る。そこでまず結論付けられたのが、純粋知覚の本性である。ベルクソンによ れば、「純粋知覚は定義からして、われわれの諸器官と神経系を動かしながら、 現在の諸対象に係わっている」(94頁)。つまり、純粋知覚とは、身体が外部の 対象イマージュから受け取った震動を脳へ伝達し行動へ向かわせるための作用 であり、私たちが通常考えているような純粋認識に向けられている作用ではな いのである。 脳の役割は、運動を伝達し、分割することにとどまる。皮質の高等な中枢 においても脊骨髄においても、神経の諸要素は認識をめざして働くのでは ない。それらは多くの可能的な諸作用を一度に素描する、もしくは、それ
らのうちのいずれか一つを準備するだけである。(28頁) 3−2.記憶と想起の本性 一方で、ベルクソンの純粋知覚という仮説によって通常の知覚から排除され た記憶は、『物質と記憶』の第二章・第三章において分析され、その本性を明 らかにしていく。ベルクソンが再構成しようとしている知覚にとって、記憶は 非常に大きな役割を果たす。このことをより明確に示すため、記憶とその働き によって現在に見出される想起について考察を進めたい。 A.二つの記憶と再認 ベルクソンが記憶を分析するにあたって最初に行った作業は、記憶を二つの 形式に区別することである。ベルクソンによると、記憶の形式は、第一に「身 体の記憶」(218頁)、第二に身体から「独立した記憶」(118頁)に区別するこ とができる。そして、ベルクソンは、これらの記憶のうち第一の記憶が「記憶 というよりむしろ習慣」(216頁) であり、第二の記憶である独立した記憶こそ が「真の記憶」(同頁)、つまり「純粋記憶 (mémoire pure)」(89頁)であると 主張する。したがって、私たちは二つの仕方によって現在において過去を捉え ることができるのである。それは二つの仕方の再認があるということでもある だろう。ベルクソンにとって再認 (reconnaissance) とは、「われわれが過去を 現在のうちで改めて把持する具体的行為」(118頁) である。 自動的再認 ベルクソンは、まず身体の記憶による再認を「自動的再認」(130頁)、「瞬時 の再認」(123頁)と呼ぶ。この再認がこのように呼ばれている理由は、この再 認のあり方を考察すれば理解できるだろう。自動的再認は、「いかなる明晰な 記憶が介入することもなしに、身体だけで可能であるような再認」(同頁)な のである。つまり、表象のうちにあるような再認ではなく、行動のうち、つま り行動の中心とされている身体のうちにある再認なのである。ベルクソンが挙
げている例を参考に挙げたい。 例えば私が初めてある町を散策するとしよう。通りの曲がり角に来るたび に、私はどこに進むのか分からないでためらう。私は態度を決めかねてい るのだが、それによって私が言いたいのは、数々の二者択一が私の身体に 課せられていること、私の運動がその全体において不連続であること、来 るべき態度を知らせ、準備するものは、数ある態度のうちの一つのうちに 何もないということだ。時が過ぎ、その町に長く滞在した後であれば、私 は、私がその前を通り過ぎる諸対象について判明な知覚を持つことなく、 その町を機械的に往来できるだろう。(同頁) つまり、この例からも明らかなように、この再認は想起が介入することなしに 自らの身体運動によって機械的に過去を「反復する(répéter)」(107頁) ので ある。 注意的再認 それに反して、次に考察する純粋記憶による再認、つまり「注意的再認」(131 頁)と呼ばれる再認は、自動的再認とは異なった方法で過去を現在に捉える。 しかし注意的再認においても、先に考察した身体の記憶が関わっている。では、 いったい身体の記憶と純粋記憶はどのような関係にあるのだろうか。この疑問 を抱きつつ、注意的再認の考察を進めたい。 ベルクソンが示す注意的再認の特徴は、再認するまでに二つの過程を通ると いう点である。ベルクソンが区別した二つの段階とは、第一の過程が身体運動 の過程であり、第二の過程が「イマージュ想起 ( images-souvenirs) の規則正 しい介入」(130頁)を必要とする過程である。これらの二段階を経て、純粋記 憶によって見出される想起、つまり純粋な想起が仮説として置かれていた純粋 知覚と結びつき、私たちが通常行っている知覚となるのである。これがベルク ソンの再構成した知覚理論である。
判明な知覚は、一方の外的対象から来る求心的な流れと、他方のわれわれ が「純粋想起」と呼ぶものを出発点とする遠心的な流れという反対方向の 二つの流れによって引き起こされるということだろうか。第一の流れはそ れだけでは、受動的な知覚とそれに伴う機械的な諸反応しか与えないだろ う。第二の流れは自分だけでは、流れが強まるにつれて益々現実的になる ような、現実化された想起を与えようとする。結びつけられることで、こ れら二つの流れは合流点において、判明でかつ再認された知覚を形成する のである。(172頁) 一切の具体的知覚は、どれほど短時間のものと想定されようと、すでにし て、相継ぐ無数の「純粋知覚」の記憶による綜合である (261頁) これだけではこの再認がどのような仕組みをしているのかは明らかにならない のではないだろうか。しかし、この道のりこそが純粋記憶を明確にしていく考 察点となる。 B.純粋想起の進展 ――記憶の本性 すでに見たように、この想起は、純粋知覚と結びつくことによって初めて具 体的な知覚として現実化する。しかしこれまでの考察では純粋記憶の本性、さ らに純粋想起の本性も明らかになっていない。それゆえ、私たちは、つぎに注 意的再認の二つの過程について分析を進め、どのような仕組みでこの再認が行 われているのかを知らなければならない。この二つの過程を知ることによって、 純粋記憶はその全貌を明らかにするだろう。そのために、まずは第一の過程で ある身体運動がどういった役割を果たすのかを確認していきたい。 運動図式 ベルクソンは、自動的再認が運動から始まったのと同様に、「注意的再認も また運動から始まる」(131頁)と述べている。しかし、注意的再認で行われる
身体の記憶の働きは、自動的再認が表象なしで行動へと知覚を拡散させたのと は異なり、身体の記憶によって作られる「鋳型 (moule)」(同頁) にイマージュ 想起を嵌め込ませるための働きなのである。では、この鋳型とは何だろう。こ の型について正確に理解するため、私たちは、先に述べた自動的再認の際に行 われる身体運動についてもう一度考察をしなければならない。 ベルクソンはこの型を「運動図式 (schème moteur)」と呼んでいる。運動図 式は「われわれの意識のなかで、生まれつつある筋肉感覚の形で展開される」 (148頁)。生まれつつある筋肉感覚の形とは、私たちが具体的な知覚を開始す る手前に描くぼんやりとした輪郭のことを意味する。ベルクソンは、この図式 と知覚された表象そのものの関係が「スケッチと完成された絵画に等しい」(150 頁) と考える。例えば、私たちは未知なる言語を習得するために何度もその言 語を知覚して理解する。これは、この発語の図式 (スケッチ) を何度も描くこ とにより実現したと言えるだろう。私たちは、何度も繰りかえすことによって 発語の図式 (スケッチ) を描くことができるようになり、最終的にはその発語 そのもの (完成した絵画) を得ることができるのである。 つまりこの第一の過程は、対象から身体へという 「求心的な流れ」(172頁) によって働いており、その過程において身体の記憶は運動図式を見出す役割と して、注意的再認にその力を貢献しているのである。ベルクソンは、注意的再 認に対する身体運動の働きが「意思的な注意への前奏曲のようなものである」 (156頁)とも表現している。 イマージュ想起の介入 すでに述べたように、注意的再認の第二の過程は、イマージュ想起が運動図 式に嵌まり込む過程である。ということは、身体の記憶はここで何らかの力を 発揮しているのだろう。しかし、この道のりを示すにあたってまず明らかにし なければならない存在がある。それが、純粋知覚と結合する純粋想起 (souvenir pur)の存在である。ベルクソンは、純粋想起が純粋記憶によって精神の領域 に保存され、見出されるものであると述べている (342頁)。ベルクソンは、こ
の領域が潜在的だが存在していると主張している。実はこの純粋想起こそが、 イマージュ想起のもとの姿である。つまり従来考えられてきた知覚の中には、 純粋記憶の本性と同様に純粋想起の本性も隠されていたということがここで明 らかになる。 イマージュ想起とは、純粋想起のうちに留められた日付をもった私たちの過 去のイマージュである。つまり私たちは、経験した過去のイマージュすべてを イマージュ想起として純粋想起に記録させているのである。だが、私たちが先 に考察した純粋想起は、本質的に無力なため自らの力でイマージュ想起へと変 化することも、現実化することもできない。では、純粋想起はどのようにイ マージュ想起へと変化し現実化を果たすのか。べルクソンは、純粋想起が動き 出すきっかけを作るのが先に考察した身体運動であると述べている。つまり、 身体運動の呼びかけによって「諸観念、すなわち記憶の底から呼び出された純 粋想起はみずからを展開してイマージュ想起と化し、これらのイマージュ想起 は運動図式に益々嵌まり込むことができるようになる」(169頁)のである。「遠 心的な流れ」(172頁)によって、純粋想起は、求心的な流れによって見出され た運動図式に嵌まり込むのである。それゆえ、身体の記憶における身体運動が 注意的再認を開始させる際の前奏曲のような役割となるのである。 イマージュ想起それ自体は、純粋想起の状態に還元されれば無効なままだ ろう。潜在的なものとして、この想起は、それを引き寄せる知覚によって しか現実的なものとなりえない。無力なものとして、この想起はその生命 と効力を現在の感覚から借りていて、現在の感覚のなかで物質化される。 (171172頁) このようにして、私たちが行う注意的再認には〈身体の記憶による身体運動〉 と〈純粋記憶による純粋想起から運動図式という遠心的な流れによる進展〉と いう「二重の努力」(240頁) が隠されていたことが明らかとなる。そして以上 の考察により、注意的再認を考察する際に抱いていた疑問、つまり身体の記憶
と純粋記憶の関係についての回答が示されることになる。 おわりに ――〈土地の記憶とともにある石巻研究〉に向けて 2012年夏に初めて石巻を訪れて5年という歳月を経て、2017年夏から本格的 に石巻で「東日本大震災後の喪の作業の過程に見られる死者と生者の関係性の 変容」についてのフィールドワークを始めた私が、実際に石巻に長期滞在する ことで「住む」という方法論を持つことになった。自らも同じ町でご飯を食べ て、仕事をして、眠って起きて、大事な人たちと暮らす。震災前から石巻の人 たちがそうであったように、自分もこの町で暮らしていくその単純な日常の中 で、自分の経験した感情も含めて、研究を続けていく。町のリズムを知りなが ら研究を進めていくこの研究の手法は、いま思えば東が言うところの土地の記 憶の中に入って行う地域研究に近いものだったのかもしれない。 「住む」という方法論でフィールドワークを進めながら、東北の他の町へも 足を運ぶようになり、福島県を訪れたときに生じた新しい問いが「町があると はどういう状態なのか」であった。この問いに対して私は「人の気配」という 視点を持つようになった。若松丈太郎の「神隠しされた街」が描いている詩の 世界は、福島がその後で辿っていくことになる、チェルノブイリ原発事故の影 響で消えた町の痕跡に見える人の気配であった。人びとが消えた町に見えてく る、町の人びとの声や音、食事のにおいといった暮らしの光景は、それが当た り前にあった人びとにとっては、住む場所が変わっても、その記憶が決して現 実化されないという満たされない状態を作ることになる。「生活を彩っていた 賑やかさを失う」という状態は欠如した状態とも言え、それは自ら住んでいる 町を「町」と認識できないという事態にも通じている。かつて慣れ親しんでい たものの気配を現在の生活の中に見ることは、亡くなってしまった人の幽霊を 見ることと同じ構造を持っているのではないだろうか。『ヒロシマノワール』 において東は、広島の灯篭流しの観光化を通して、土地の記憶を持たない弔い が幽霊の出現を妨げていると展開している。しかし幽霊を視覚的なイメージで 捉える認識と、記憶を持っていることはどのように関わってくるのだろうか。
私が最後に浮かべたこの問いは、ひとつの論考には収まりきらない多くの問題 が潜んでいるだろう。だが、本稿が前半で提起した「人の気配」と「幽霊」を 見る仕組み、その仕組みを生み出す私たちの喪失への感情、これらの問題を含 む、いわば総合すると〈土地の記憶とともにある石巻研究〉といっても過言で はない長期的な研究を進めるにあたって、土台を作っておくことは可能である。 『物質と記憶』においてベルクソンは、純粋な知覚と純粋な記憶を切り離し たうえで、想起がどのようにして知覚と結びつき、知覚の中で存在することに なるのかを仔細に説明している。例えば彼は記憶を二つに区別し、身体の記憶 と、身体から独立した記憶を挙げている。身体の記憶は習慣と言われるような、 想起なしに身体だけで自動的に可能となる再認である。しかしその自動的に行 われる再認がきっかけとなって、個々人の、個々の風景の想起が動き出して知 覚へと結びついていくこともある。その時に潜在的なものとして存在していた 純粋想起が現在の力を借りて生命を回復させる。このような状態で私たちが知 覚するものは、イマージュ想起とともに背後に見える何ものかとともにあると も言うことができるだろう。私たちの「喪」の感情は、こうした過去のイマー ジュとともにある知覚において拡がっているのではないだろうか。福島、石巻 の話に戻るならば、残された者が現在の生活に見る「かつてそこにいた人の気 配」は、彼らに残っている何らかの残存する想起によって見えるようになるも のとも考えられる。つまり、残存している想起が潜在的に彼らのうちに在るこ とによって、今はそこにいない者、あるいはそこにない光景が見えてくる。残 存する過去のイメージが、かつての町を構成していた人びとの気配を、現在の 町の光景の中に再び作り出すのである。拡がる喪の感情の中で暮らす町の人び とそれぞれが、それぞれの記憶を持ちながら、悲しく苦しみがあるとしても暮 らしの中に心の支えを見つけて生きていくためには、以上のような不在のもの の気配が彼らともに在ることができる環境が整っていなければならないという ことでもある。
参考文献 石井光太『遺体』、新潮社、2011年。 池澤夏樹『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』、中央公論新社、 2011年。 門脇健『哲学入門 死ぬのは僕らだ! 私はいかに死に向き合うべきか』、角川マ ガジンズ、2013年。 金菱清『震災メメントモリ 第二の津波に抗して』、新曜社、2014年。 金菱清『震災学入門 ──死生観からの社会構想』、筑摩書房、2016年。 菅原裕典『東日本大震災「葬送の記」鎮魂と追悼の誠を御霊に捧ぐ』、PHP 研 究所、2013年。 創風社編集部 編『震災の石巻 ─そこから 市民たちの記録─』、創風社、2011年。 創風社編集部 編『震災の石巻 ─再生への道 市民たちの記録─』、創風社、 2012年。 高橋哲哉『記憶のエチカ 戦争・哲学・アウシュヴィッツ』、岩波書店、2012年。 竹内敏恭『竹内敏恭 写真集 石巻2002~2011』、HuRP 出版、2014年。 谷山洋三『医療者と宗教者のためのスピリチュアルケア 臨床宗教師の視点か ら』、中外医学社、2016年。 豊田直巳『「孫たちは帰らない」けれど失われた「ふるさと」を求めて』、農文 協、2018年。 日本哲学会『哲学 NO.66 ケア ──共に生きる』、知泉書館、2015年。 東琢磨『ヒロシマ独立論』、青土社、2007年。 東琢磨『ヒロシマノワール』、インパクト出版社、2014年。 東琢磨、川本隆史、仙波希望 編『忘却の記憶 広島』、月曜社、2018年。 港千尋『記憶「創造」と「想起」の力』、講談社、1996年。 村上靖彦『仙人と妄想デートする 看護の現象学と自由の哲学』、人文書院、 2016年。 柳田國男『柳田國男全集 第20巻』、筑摩書房、1999年。 柳田邦男、高松哲雄 編『「生と死」の21世紀宣言 Part 6』、青海社、2014年。
山内明美『こども東北学』、イースト・プレス、2011年。
若松英輔『魂にふれる 大震災と、生きている死者』、トランスビュー、2012年。 若松丈太郎『福島核災棄民 ──町がメルトダウンしてしまった』、コールサッ
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ベルクソンに関する一次文献
Œuvres, 3e èdition, P.U.F., 1970.
『物質と記憶』(Matière et mémoire) 田島節夫訳『ベルクソン全集』第2巻、白水社、1965年。 合田正人・松本力訳、ちくま学芸文庫、2007年。 『創造的進化』(L’ évolution créatrice) 松浪信三郎・高橋允昭訳『ベルクソン全集』第2巻、白水社、1965年。 『精神のエネルギー』(L' énergie spirituelle) 渡辺秀訳『ベルクソン全集』第2巻、白水社、1965年。 宇波彰訳、レグルス文庫、1992年。
『思想と動くもの』(La pensée et l e mouvant)
矢内原伊作訳 『ベルクソン全集 』第2巻、白水社、1965年。 河野与一訳、岩波文庫、1998年。
ベルクソンに関する二次文献
Delhomme, J., Vie et conscience de la vie, P.U.F., 1954. Lacey, A.R., Bergson, Routledge, 1989.
東昌紀 「人間の経験の生起と持続 ── ベルクソン哲学における『物質と記憶』 の位置付け──」、 『メタフュシカ』第31号、2000年。 石井敏夫『ベルクソンの記憶力理論 「物質と記憶」における精神と物質の存在 証明』、理想社、2001年。 加藤憲治「ベルクソンにおける〈記憶〉の運動 ── 判明な知覚へ向けて──」 、『カルテシアーナ』第9号、1989年。 山田秀敏「ベルクソンにおける『過去の実在性』について」、『名古屋大学人文 科学研究』vol. 22、1963年。