震災復興の法的基盤と公共政策
著者
樺島 博志
雑誌名
三井物産環境基金2011年度研究助成・最終報告書
発行年
2019-09-30
震災復興の法的基盤と
公共政策
東北大学大学院法学研究科
三井物産環境基金,2011年度,東日本大震災復興助成(研究助成) 【R11-F3-251】東北大学大学院法学研究科 共同研究 「震災復興の法的基盤と公共政策―持続可能な社会のための政策インフラ―」 研究代表者:樺島博志 最終報告書「震災復興の法的基盤と公共政策」 編集: 樺島 博志 発行: 2013年9月30日 樺島 博志 東北大学法学部:仙台市青葉区川内27-1 © KABASHIMA, Hiroshi 2013 キーワード: 東日本大震災; 震災復興; 緊急事態; 国際支援; 福島原発事故
目
次
樺島博志(東北大学) 最終報告書発行にあたって ... 4 I 研究活動と研究成果 ... 6 1 ワークショップ ... 6 2 研究成果 ... 8 3 トピックス ... 11 II 被災地域の復興を繞り~現地からの報告 ... 14 安達和久(福島県庁) 福島からの報告1 ... 15 福島勉(南相馬市役所) 福島からの報告2 ... 20 遠藤幸恵(スポットライトギャラリー) 気仙沼からの報告1 ... 23 小野寺英彦(三陸新報社) 気仙沼からの報告2 ... 28 千葉慶人(気仙沼市議・㈱徳田屋) 気仙沼からの報告3 ... 32 III 震災と国際支援~中国からの報告 ... 37 王華(中国駐新潟総領事) 大災害と国際協力―中国からの支援・協力をめぐり ... 38 張雲(新潟大学) 3.11をめぐる中日間の災害外交 ... 54 IV 震災・原発事故をめぐる法と政策 ... 71 M. Kloepfer(ベルリン・フンボルト大学) ドイツ原子力法における脱原発立法の手続にかんする諸問題... 72 J. Rheuben(東京大学,NSW州弁護士) 福島原発事故における規制の失敗にかかる政府の責任:コモン・ローとの比較研究 ... 93 樺島博志 震災復興をめぐる法・公共政策の問題点 ... 125最終報告書発行にあたって
本報告書は,三井物産環境基金,2011年度,東日本大震災復興助成(研究助成)による共 同 研 究 「 震 災 復 興 の 法 的 基 盤 と 公 共 政 策 ― 持 続 可 能 な 社 会 の た め の 政 策 イ ン フ ラ ― 」 (【R11-F3-251】東北大学大学院法学研究科,研究代表者:樺島博志)の最終報告書である。 本研究は,東北大学大学院法学研究科に所属する研究者・実務家教員を中心に,研究大 学院・法科・公共政策大学院生,学部学生を加えた共同研究として進められた。また,学 外から国内外の一流の実務家・研究者に,共同研究の一翼を担っていただいた。もとより 本報告書の内容については,研究代表者・編者が一切の責任を負うものであるが,実務と 理論の架橋という観点から,きわめて優れた研究報告をまとめることができたと思う。本 報告書への掲載を快諾していただいた実務家・研究者の皆様はもとより,下記,研究成果 に記載した論文・編著書・学会報告などの成果発表をしていただいた共同研究者の皆様, フィールド・ワークの実施に協力しリサーチ・ペーパーをまとめていただいた大学院生・ 学部学生の皆様すべてに,心より御礼申し上げたい。 本研究は,持続可能な社会のための政策インフラの観点から,震災復興と環境問題をめ ぐる法・公共政策に取り組む学際的共同研究として,次の目標を掲げた。国内外の先行研究 を踏まえた理論研究と,被災地現場のフィールド・ワークによる実証研究を統合すること によって,政策提言を行う。その際,持続可能な社会復興と世代間衡正の観点を,共同研 究の指針とし,国家の役割,被災地再建,金融問題,原発問題の 4 つの課題を中心に研究 の重点を定める。研究手法として, フィールド・ワークを行い,被災地現場から,法・ 公共政策の問題を汲み上げるとともに,公開のワークショップを開催して,理論研究と実 証研究の統合を行い,理論的検証に耐えうる政策提言を行うこととした。 まず,フィールド・ワークと公開ワークショップを通じた理論と実務の架橋と政策提言 という点について,本共同研究は,当初の目標通りの成果を上げることができた。すなわ ち,フィールド・ワークを大学院生・学部学生とともに実施し,研究成果をまとめるとと もに,行政実務家である菅原泰治(総務省),島田明夫(国土交通省),西田主税(環境省) らの共同研究者を通じて,行政機関への政策提言をおこなった。さらに,学部学生による フィールド・ワークの成果についても,小粥太郎「東北大学“行政法・民法合同ゼミ”の 活動」,樺島博志編「震災復興の法理学」I,IIとして報告書をまとめることができた。いず れの研究成果についても,理論,実証,政策提言が統合されており,将来の復興を担う学 生たちにとって有意義な研究の機会となった。フィールド・ワークと並んで,共同研究者 が主催した公開ワークショップも,大学院生・学部学生の研究・学習の重要な機会となっ た。研究計画では 4 回の公開ワークショップを予定していたところ,研究期間全体で全 9 回のワークショップを開催することができ,そのうち,計画通り 2 回を公募によるワーク ショップとして実施することができた。ワークショップの主な成果は,研究誌・書籍において公表されているもの以外については,本最終報告書に掲載したとおりである。 共同研究者自身による研究成果についても,本最終報告書のほかに,16 篇の論文・報告 書を公表することができた。研究成果の詳細は,下記「I 研究活動と研究成果」に記した とおりであるが,4つの重点課題としてかかげた国家の役割,被災地再建,金融問題,原発 問題のそれぞれの主題について,顕著な成果を上げており,その多くが日本の権威ある研 究誌や出版社から公表されている。さらにまた,国際的な研究の発展に寄与するという点 についても,諸外国の研究者との研究交流を通じて,実り豊かな成果を上げることができ た。公募を含むワークショップには,スウェーデン,オーストラリア,アメリカ,ドイツ, 中国の実務家・研究者に参加してもらうことができた。共同研究者の外国での成果発表も 活発に行い,シドニー(オーストラリア),台北(台湾),ベロ・オリゾンテ(ブラジル) のシンポジウム,学会にて研究報告を行った。外国での研究報告は国際的な関心を集め, 成果 の 一部 は ,日 本 法研 究 の権 威的な 国 際雑 誌であ る ZEITSCHRIFT FÜR JAPANISCHES RECHT (17. Jahrgang Herbst 2012 Nr. 34); JOURNAL OF JAPANESE LAW (Volume 17 Autumn 2012 No. 34)に招待論文として掲載された。
研究代表者としての立場から,本研究の成果の内容を次のように総括したい。現在,震 災から 2 年半が経過したが,法的基盤と公共政策にかかわる当初の問題点を解消できない まま,復興の遅延を招いている。国際協力について,当初の災害救助の段階では成功した ものの,震災復興にかかわる災害外交の戦略は欠如したままである。被災地再建について, 津波被災地も原発被災地も停滞している。それは,集団移転の時間コストが計算されず, 被災者の高齢化と過疎化により経済復興が妨げられ,そのなかから被災者の国任せ・行政 任せの体質が育まれているからでもある。金融面でも経済復興に寄与するところが見られ ない。地震保険は震災復興には満たず,二重債務問題は未解決のまま進展がない。原発賠 償問題は,和解中心の賠償スキームであるために,東京電力の政府依存体質とガバナンス の欠如が解消されない。このように,震災復興の法的基盤と公共政策について,個々の実 務担当者の遂行能力の高さに比して,国家の全体構想が脆弱であるために,効率的な政策 遂行の妨げとなっている。中長期的で安定的な復興政策が必要と考えられる所以である。 震災後 2 年半を経過した今日なお,震災復興は道半ばであり,引き続き,法的基盤と公共 政策にかんして,理論・実証・政策提言を発展させてゆく必要がある。とりわけ,福島原 発事故と被災地の経済復興については,解決まで相当期間を要するものと考えられる。震 災後5周年,10周年という節目に合わせて,定期的に法的基盤と公共政策の批判的検証を 続けてゆきたいと考えている。 さいごに,研究助成を提供していただいた三井物産株式会社・三井物産環境基金,関係 者の皆様に,衷心より感謝申し上げたい。 仙台,2013年9月 研究代表者 樺島 博志
I
研究活動と研究成果
本共同研究の研究活動および研究成果は,ワークショップ(口頭成果発表),研究成果(文 献成果発表),トピックス(その他)に区別して,次に記載する(所属・肩書は発表当時)。
1
ワークショップ
1 Nature Catastrophe, Sendai: Tohoku Univ, 2011/10/14 Chair: IKEGAMI Masako, Stockholm Univ
1st Presenter: Luke NOTTAGE, University of Sydney
Comparing Disaster Law in Japan: Culture, Politics and Economics 2nd Presenter: KABASHIMA Hiroshi, Tohoku Univ
Settlement in pollution cases - contribution to the dispute resolution of the Fukushima Nuclear Power Plant's melt down
3rd Presenter: MORITA Hatsuru, Tohoku Univ Rescuing the Victims and Rescuing TEPCO 2 講演会,仙台・東北大学,2012/01/11 ロバート・E・エルドリッヂ 米国海兵隊太平洋基地政務外交部(G-7)次長・元大阪大学准教授 トモダチ作戦と防災を巡る日米協力 3 講演会,仙台・東北大学,2012/03/27 Michael KLOEPFER, ベルリン・フンボルト大学教授 原子力法における脱原発立法の手続にかんする諸問題 コメンテーター:藤田宙靖,東北大学名誉教授・元最高裁判事 コーディネーター・通訳:樺島博志,東北大学 4 講演会,仙台・東北大学,2012/06/09 溝畑宏現,内閣官房参与・前観光庁長官 地域活性化の明日を拓く~東北再生のための観光戦略~ コーディネーター:菅原泰治,東北大学
5 緊急事態における権利保障,仙台・東北大学,2012/08/28 小粥太郎,一橋大学 緊急事態と人格権をめぐる諸問題 コーディネーター:樺島博志,東北大学 6 講演会,仙台・東北大学,2012/10/12 王華,中華人民共和国駐新潟総領事 大災害と国際協力―中国からの支援・協力をめぐり コーディネーター:橋本逸男, 元東北大学公共政策大学院教授,元駐ラオス大使・駐ブルネイ大使 7 原発事故損害賠償と公害裁判―新潟・水俣・福島,仙台・東北大学,2012/12/07 坂東克彦,新潟弁護士会弁護士 公害裁判の歴史~今学んでいることをどう生かすか~ コーディネーター:樺島博志,東北大学
8 Disaster Management and Japanese Law, Sendai: Tohoku Univ, 2013/02/09 Session 1: Disaster and Japanese Law
Presenter: Joel RHEUBEN, Univ of Sydney, Univ of Tokyo
“ Bureaucratic Capture” in Japan’s Nuclear Disaster Compensation Scheme?
Commentator: KOGAYU Taro, Hitotsubashi Univ Session 2: Disaster management
Presenter: ZHANG Yun, Niigata University
The Role of Emergency Diplomacy in Large-scale Disaster Management Commentator: HASHIMOTO Itsuo, Tohoku Univ
Session 3: Japanese Law
Presenter: MORITA Hatsuru, Tohoku Univ
Measuring the effect of consumer regulation change: a case of university enrollment fee in Japan
Commentator: Luke NOTTAGE, Univ of Sydney
Comprehensive Discussion, Chair: KABASHIMA Hiroshi, Tohoku Univ
9 被災地域の復興を繞リ―現地からの報告,仙台・東北大学,2013/06/29 Session 1:福島からの報告 報告1:安達和久,福島県立医科大学復興事業推進課長 報告2:福島勉,南相馬市役所総務部総務課法務文書係 コーディネーター:橋本逸男, 元東北大学公共政策大学院教授,元駐ラオス大使・駐ブルネイ大使 Session 2:気仙沼からの報告 報告1:遠藤幸恵,スポットライトギャラリー代表 報告2:小野寺英彦,三陸新報社編集局長 報告3:千葉慶人,気仙沼市議,(株)徳田屋社長 コーディネーター:樺島博志,東北大学 総合討論:橋本逸男
2
研究成果
1 森田果(東北大学) 放射能汚染による損害賠償におけるヘドニック・アプローチ (上) NBL965 (2011), 28-37, (下) NBL966 (2011), 69-76. 2 牧原出(東北大学) 東日本大震災後の地域間連携 ガバナンス(2012年2月号). 3 MORITA Hatsuru (Tohoku Univ)A Hedonic Approach to Radiation Contamination Damages GEMC journal no.6 (2012), 26 - 36.
4 KABASHIMA Hiroshi (Tohoku Univ)
Settlement in Pollution Cases : Contribution to the Dispute Resolution of the Fukushima Nuclear Power Plant’s Melt Down
5 菅原泰治(編)(東北大学) 東北地方における広域連合等の広域的実施体制創設の可能性について 2011年度,公共政策ワークショップI,プロジェクトC 最終報告書 東北大学公共政策大学院(2012). 6 島田明夫(編)(東北大学) 東日本大震災に照らした我が国災害対策法制の問題点と課題に対する実証研究Ⅰ (災害応急対策) 2011年度,公共政策ワークショップI,プロジェクトA 最終報告書 東北大学公共政策大学院(2012). 7 飯島淳子(東北大学) 東日本大震災復興基本法 駒村圭吾,中島徹(編)『3.11で考える日本社会と国家の現在 』 日本評論社(2012),pp. 124 - 135.
8 MORITA Hatsuru (Tohoku Univ)
Rescuing Victims and Rescuing TEPCO: A Legal and Political Analysis of the TEPCO Bailout
ZEITSCHRIFT FÜR JAPANISCHES RECHT; JOURNAL OF JAPANESE LAW 17. Jahrgang Herbst 2012 Nr. 34; Volume 17 Autumn 2012 No. 34, pp. 23-41.
9 KABASHIMA Hiroshi (Tohoku Univ)
Current Issues in Legal Policy for Recovery from the Aftermath: One Year After the 3.11 Tôhoku Earthquake and Tsunami
ZEITSCHRIFT FÜR JAPANISCHES RECHT; JOURNAL OF JAPANESE LAW 17. Jahrgang Herbst 2012 Nr. 34; Volume 17 Autumn 2012 No. 34, pp. 7-22. 10 樺島博志(東北大学) 公害事件の和解による解決―福島第1 原発炉心溶融事故の紛争解決に寄せて 陳起行,江玉林,今井弘道,鄭泰旭(主編) 『後継受時代的東亜法文化―第八届東亜法哲学研討会論文集』 台北市:元照出版有限公司(2012), pp. 431-452.
11 小粥太郎(一橋大学) 名誉毀損からみる不法行為法 小野秀誠,滝沢昌彦,小粥太郎,角田美穂子(編) 『民事法の現代的課題』松本恒雄先生還暦記念』 商事法務(2012), pp. 611-641. 12 島田明夫(東北大学) 公共政策大学院における災害法制の研究と復旧・復興への提言 稲葉馨,高田敏文(編) 『今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言―』 東北大学出版会(2012), pp. 31-116. 13 稲葉馨(共編)(東北大学) 稲葉馨,高田敏文(編) 『今を生きる―東日本大震災から明日へ!復興と再生への提言―』 東北大学出版会(2012). 14 西田主税(東北大学) 震災復興に向けた市民・行政協働型の環境政策の課題と推進方策について 2012年度,公共政策ワークショップI,プロジェクトD 最終報告書 東北大学公共政策大学院(2013). 15 島田明夫(東北大学) 東日本大震災に照らした我が国災害対策法制の問題点と課題に対する実証研究II 2012年度,公共政策ワークショップI,プロジェクトA 最終報告書 東北大学公共政策大学院(2013). 16 小粥太郎(一橋大学) 民法における二重債務問題 論究ジュリスト第6号(2013年夏号)【特集】震災と民法学 2013, pp. 53 - 63.
17 樺島博志(編)(東北大学) 震災復興の法的基盤と公共政策 三井物産環境基金,2011年度東日本大震災復興助成 第3回募集分・研究助成,最終報告書(本報告書) 東北大学大学院法学研究科(2013).
3
トピックス
1 新聞記事,2011/09/26 牧原出(東北大学) 第3回・毎日新聞・震災フォーラム:原発災害と避難生活(座談会) 毎日新聞2011年09月26日 2 新聞記事,2011/11/07 牧原出(東北大学) 第4回・毎日新聞・震災フォーラム:岩手・釜石にみる復興の課題(座談会) 毎日新聞2011年11月07日 3 新聞記事,2012/01/25 菅原泰治(東北大学) 「東北広域連合」創設を―東北大院生7人,村井知事に提言 河北新報2012年01月25日 4 新聞記事,2012/02/09 牧原出(東北大学) 第5回・毎日新聞・震災フォーラム:実効性ある危機管理を(座談会) 毎日新聞2012年02月09日5 雑誌記事,2012/03 小粥太郎(東北大学) 東北大学「行政法・民法合同ゼミ」の活動―東日本大震災に関する法律問題 の研究 法学セミナー686号(2012年3月号).
6 Conference at University of Sydney, 2012/03/01-02
Socio-legal norms in preventing and managing disasters in Japan and the Asia-Pacific
1 March 2012 to 2 March 2012, Sydney Law School, Building F10, Eastern Avenue
Presenter: KABASHIMA Hiroshi, Tohoku Univ
Current issues in legal policy for recovery from the aftermath: one year after the 3.11. Tohoku earthquake and tsunami
Presenter: MORITA Hatsuru, Tohoku Univ
Rescuing the Fukushima Victims and Rescuing TEPCO: a Legal & Political Analysis
7 Radio interview, ABC Radio Australia, 2012/03/09
Feature: Japan still recovering one year after March 11 disasters Correspondent: Karon Snowdon
Speakers: Koichiro Ueno, resident of Nihonmatsu; Hiroshi Kabashima,
professor of Jurisprudence and environmental law at Tohoku University; Associate Professor Hatsuru Morita, Tohoku University Law
School; Luke Nottage, law professor, Sydney University 8 Presentation, 2012/03/17
Kabashima, Hiroshi, Tohoku Univ
Settlement in pollution cases - contribution to the dispute resolution of the Fukushima Nuclear Power Plant's melt down
in: WS 7 Bioethics and the Regulation of Nuclear Contamination
at: East Asian Conference on Philosophy of Law, Eighth Conference 2012: East Asian Legal Cultures in the Age of Post-Reception
National Chengchi University, Taipei, 2012/3/17-18.
9 学会発表,2012/06/16 樺島博志(東北大学) 震災復興をめぐる法・公共政策の問題点 環境法政策学会,2012年度第16回学術大会,第2分科会 西南学院大学,2012/06/16 10 ラウンドテーブル・ディスカッション,2012/12/05 ディーター・プルーム裁判官(コブレンツ行政裁判所) 危機状況における人権保障と行政裁判 東北大学片平キャンパス,2012/12/05 11 東北大学法学部・2012年度・法理学演習・報告書,2013/03 樺島博志(編)『震災復興の法理学』 東北大学法学部,2013/03 12 Presentation, 2013/07/25 Kabashima, Hiroshi
Crisis and Rule of Law
Special Workshop SW91: The Idea of Justice - from the Viewpoint of Legal Philosophy, 25th July 2013
26th World Congress of Philosophy of Law and Social Philosophy Universidade Federal de Minas Gerais
Belo Horizonte, MG, Brazil, 21 - 27 July 2013
13 東北大学法学部・2013年度・法理学演習・報告書,2013/09 樺島博志(編)『震災復興の法理学 II』
東北大学法学部,2013/09
福島からの報告1
安達
和久
(福島県立医科大学復興事業推進課長)
福島県の県立医科大学に勤務しております安達と申します。今日はよろしくお願い申し 上げます。先ほど橋本先生にご紹介いただきました。実は私は二回上海に勤務しておりま す。一番最初,1997年にはじめて中国に行きまして,その時の上海総領事が橋本先生でし た。私はその時は県事務所ではなく,JETROに派遣になりました。その後2004年に福島 県事務所ができて,再び上海に参りました。その時から橋本先生にはご指導いただいてお ります。今日は,福島さんと一緒に 1 年間,南相馬市に勤務しておりましたこと,それか ら,今携わっている放射線の拠点整備のことについて,お話させていただきます。 まず,3月17日に,南相馬市に赴任を命じられました。当時は,観光交流課で県庁の仕 事をしておりましたが,いきなり人事課に呼ばれまして,朝3月17日に辞令が出て,その 日にすぐ行け,とりあえず行け,ということでした。何をするんですか,と言ったのです が,いいから行くようにということで,取るものもとらずに,服だけを詰めまして,とり あえず行きました。私一人ということではなく,部下を一人連れて行くようにということ でしたので,直属の部下と二名で赴任いたしました。 さしあたりの業務は,避難するための支援,それから,県との調整ということでした。3 月17日に市役所で市長にご挨拶しまして,何すればよいのですか,と聞きましたら,今日 の夜に説明会があるから,説明会に行ってくれということでした。夜,説明会に行きまし たら,その時は,南相馬市は,桜井市長が関係のある新潟県や群馬県の方に依頼をして避 難先を確保しており,明日,出発するので,今日の夜,住民に説明する,ということでし た。説明会では,住民の方にいろいろと質問されました。その次の日にバスを出して,各 避難先への避難のお手伝いを致しました。これが一番初めの仕事でした。 当時はガソリンもなく,ホテルも開業していなくて,同僚の家に泊めていただいきまし た。震災当時,私は福島市に住んでおり,福島市では水も出ず,お風呂も入れなかったの ですが,なぜか南相馬市は電気も水道も出まして,その17日の日に,1週間ぶりにお風呂 に入れました。南相馬市では,インフラはあまり破損していないようでしたが,皆さんは 避難しておられて,人があまりいないなという感じでした。こうした状況のなかで 4 月に 体制が強化され,二人組で交代で支援するという形になりました。 市民の皆さんは,避難所に避難したり県外に避難しておられましたが,避難をするのに は,災害救助法が基本になります。皆さんの避難所は小学校などでしたが,避難所は学校, 体育館,公民館など公共の施設でなければダメだという決まりです。開設の期間は7日間, つまり1週間で,一人一日 300 円です。このような規定にもとづいて,市町村の方は避難所に避難をしておられました。実は,皆さん相当疲弊しておられまして,小学校でも段ボ ールを立てたりしながら避難しておられる状況です。 その後,避難所からホテル・旅館に避難してもらうことになりました。これは, 3月19 日に厚生労働省から出された災害救助法の弾力的運用にもとづくものです。先程申しまし たように,避難所は公共の施設で一日 300 円でしたが,これを弾力的に運用してください ということです。なぜかというと,プライバシーも保てない,お風呂も入れないというこ とで,これが1ヶ月,2ヶ月続くと,やはり住民の方々にストレスがかかり,大変だという ことです。ようやくこの措置が1週間から10日後ぐらいに出されました。この措置は,避 難所ではなくホテル・旅館を借り上げて,国が一泊三食に5000円を負担するというもので す。この仕事を私が県と南相馬市のあいだで担当するようになりました。実際,福島県と して,ホテル・旅館への二次避難を実施するかどうか,相当議論がありました。結局,私 の元の部署であった観光交流課の所管として実施が決まりました。 二次避難は4月1日からでしたので,制度設計から要項の作成は3月末に始まりました。 私が南相馬市から要望を出しても,県では予算の関係や上局との調整があり,ようやく 3 月20日から1週間くらいで要項ができました。要項を各市町村に通知しました。受け入れ のホテルなどは県が準備しました。避難する地域の割り当てを県で行いました。これがあ とで批判を招きました。浜通りからの避難者は県内県外にバラバラにおられて,二次避難 のことを市町村にお話しをすると,まとまって避難先を確保してもらいたいということで した。ある程度希望を聞きながら,たとえば南相馬市はどこ,浪江町はどこ,という形で 県で二次避難先を指定しました。南相馬市は,福島市の北にある飯坂温泉と南会津になり ました。南会津は遠いところです。これにたいして市役所と市民からクレームが出ました。 二次避難先の割り当てについては,飯坂温泉が人気があったので,浪江町や富岡町など直 接の被災地に割り当てるべきか,距離が近く人数の多い南相馬市が良いのか,県の内部で も議論がありました。被災地から南相馬市への避難者もおられたこともあり,飯坂温泉は 距離が近い南相馬市に割り当てることになりましたが,その代わりに,少し遠くの南会津 も割り当てられました。他の市町村をなだめたこともありまして,二箇所に分かれること になったのです。これが離れすぎているということで,市役所から批判されました。それ から,二次避難は4月 5日に始まったのですが,学校の入学転校の時期に重なり,すでに 学校の手続を済ませていた避難者の方から,二次避難で別の場所に移らなければならない ということで,批判を受けました。批判はありましたが,避難所にいるよりはホテルのほ うが良いということになったようです。それから,通学のためのバスを出してほしい,と いった要望については,福島さんもご苦労されたと思いますが,南相馬市にバスを出して いただくことになりました。こうした手続きを経て落ち着くようになりました。 二次避難がある程度落ち着いてから,1年くらい続きました。南相馬市からホテル・旅館 への二次避難者が,飯坂温泉と南会津の二箇所を合わせて,のべ約38万人,一日最大で3000 人でした。二次避難が終了したのが約1年後の2月末です。これにかかった経費は一日5000
円として,南相馬市だけで約20億円,県全体ではその 10倍くらいにのぼります。やはり 災害が大きく長期化したので,福島県は特殊だと思います。一次避難所に緊急的に避難し ている方にとっては,プライバシーやお風呂の問題があるので,1週間から10日で二次避 難できるような体制を確保してあげないとならないです。その後に仮設住宅という形で, 段階をふんで避難者を支援していかなかければならないと感じました。この制度は,新潟 中越地震の時にはじめて厚生労働省で出したもので,おそらく今回で二回目か三回目の適 用だと思います。やはり,先に述べた災害救助法は,緊急的には良いでしょうが,時代に はそぐわない形になっているようです。今回の震災は,3月11日に地震があり,3月19日 に弾力的運用が出されたのですが,弾力的運用は必要だったと思います。法律自体が追い ついていないというのが,実際にやってみて感じたところです。 避難している方には,ホテル・旅館での二次避難は感謝されました。しかし,ホテル・ 旅館からはクレームがありました。宮城,岩手と福島はちがっていたかもしれませんが, お客さんがもともと少なくて感謝されるのは最初だけでした。避難者の方は,三食 1 日じ ゅうずっとホテルにいまして,光熱費がかかり,部屋は汚れるようになります。6ヶ月たっ た頃からだんだんホテルからクレームが来るようになりまして,原状回復の補償を出せと いう話になり,県議会からも話がきました。そのため,制度を作って原状回復の補償を出 すことになりました。このように,住民側と受け入れ側で,思惑もあったと思います。こ うした表に出ていない問題もありながら,2012年の3月頃にすべて県内の二次避難が終わ り,避難者の方々は仮設住宅に移って生活するようになりました。 二次避難に際して,私が一番思い出に残っている事例としまして,南相馬市,市長さん にご迷惑をお掛けしたことがありました。旧相馬女子高,現相馬東高校に避難者の方が250 から 300 人くらいいらっしゃいました。相馬東高は災害救助法の一次避難所になっており ます。相馬市としては,仮設住宅の建設が相当進んでいたこともあり,早く一次避難所を 解消したいということで,相馬東高に避難しておられる 300 人くらいの方が最後になって いました。この人達は南相馬市の小高区,浪江町の方が多く,1ヶ月くらい一緒にいて連帯 感が強く,ホテル・旅館には行かない,行くならみんなで行かなければならない,という 話になりました。いろいろお話しはしましたが了解してもらえませんでした。そこで桜井 市長が説得にあたることになり,4月11日に,テレビやマスコミにも入ってもらって,相 馬東高から避難者をまとめて二次避難するということを約束しました。市長のお話しはテ レビにも写りました。私たちは,飯坂温泉の大型ホテルを手配していまして,300-400人 を受け入れられますという話でしたので,避難者に約束してもらって大丈夫ですと桜井市 長にお話したのです。ところが,県に戻ってホテルと再交渉しようと思ったら,ホテル側 がダブル・ブッキングしていました。なぜこうなったかというと,先ほどお話したように, 二次避難所は1泊3食5000円給付されます。他方,警察などの部隊が飯坂温泉に入ってき ておりまして,これが1泊2食8000円となります。こちらがちゃんと説明しなかったのも あるかもしれませんが,ホテル側は,こうしたことで,二次避難のための 300 人分の部屋
を確保できないということでした。一晩で状況が変わってしまって,私や県が嘘をついた ことになってしまいました。ホテル側はすでに契約書を交わしたので 300 人分は確保でき ないということだったので,確保できた30部屋くらい押さえました。それから,飯坂温泉 の空いている部屋を全部押さえて,大至急,南相馬市,相馬東高校に行って,皆さんに説 明をしました。市長がまとまって行けるとお話したこともあって,飯坂温泉にまとまって 行けるということで,皆さんに了解していただきました。この時,一番お世話になったの が,南相馬市役所の担当の課長さんでした。課長さんには夜に何回も苦情がきたのをきち んと対応していただきまして,私は徹夜で部屋割りを作りました。次の日に,皆さんに, 飯坂温泉に移れますよと話をしましたら,納得していただけました。こうしてようやく, 相馬東高校の一次避難所が閉鎖されることになりました。このように,私にも責任があり ますし,課長さんにも徹夜でお付き合いいただきました。この失敗は繰り返さないように しなければならないと思います。やはり災害が起きた時に頼りになるのは現場で住民に接 している市町村の方でした。市町村の現場の方に一生懸命やっていただかないと,私たち のように他所から来たものの言うことは住民には聞いていただけない,というのが経験で わかりました。このようなことで,南相馬市における災害支援は,住民の避難にかんする ことがほとんどでございました。 次に,今,福島県立医大としての復興事業として,福島国際医療科学センター基本構想 についてお話しいたします。福島県は,今,放射線の影響があるということで,他県とは 違う形での復興をせざるを得ない状況にあります。福島県民の皆さんは,健康に非常に不 安を持って生活しています。福島国際医療科学センターは,県民の健康不安を払拭するた めの拠点として,県立医科大学のなかに設置を進めています。センターの使命は 3 つあり ます。県民の健康を確保する,地域社会を復興・活性化させる,情報を発信して世界に貢 献する,という三つです。そのための機能が 5 つあります。まず,福島県の方でしたらご 存知と思いますが,県民健康管理調査というのがあります。200万人の県民全員に調査をお 願いして,外部被曝の線量にかんするアンケート調査を取っております。いまのところ, 25%くらいしか回収されていませんが,被曝線量の評価をすると,あなたの被曝の容量はこ のくらいです,という形で戻ってきます。調査はこれから30年続けます。それから,子供 が甲状腺がんにかかるリスクが有ります。甲状腺の調査も30年続けます。このように,基 本構想の一番の中心が,福島国際医療科学センターのなかの県民健康管理センターになり ます。とくに甲状腺の部分です。その他,先端臨床研究センター,病院の建て替え,医療 関係の拠点づくりなどをまとめて,県立医科大のなかにハード・ソフト面を整えていくの が,福島国際医療科学センターです。 このように,理念としては崇高な事業ですが,現場では,中央省庁の縦割りの弊害,予 算の紐付きがあり,一向に計画が進まない状況です。ちなみに,この国際医療科学センタ ー整備の事業予算は,福島県に基金として積み立てる国の交付金というかたちで,事業全 体で600億円,そのうちハード整備に300億円,運営に300億円立てられています。運営
にかんしては,まだ全てが予算化されているわけではなく,これから国と交渉して取って こなければなりません。現在の段階では,ハード整備の 300 億円を使って事業を実施して いますが,これについても国の縦割りの予算になっております。県民健康管理センターを 中心に, 700億円くらいの予算です。県民健康管理センターは経産省のなかの資源エネル ギー庁の予算で,先端臨床研究センターは文科省のなかの科学技術庁の予算,先端診療部 門は半分が環境省で半分が県の起債による予算,医療・産業トランスレーショナルリサー チセンター(TRセンター)は経産省の製造産業局の予算,教育・人材育成部門は資源エネ ルギー庁の予算となっています。建物を作って運営をするには,ある程度自由に予算を使 いながら目的を達成していきたいのですが,予算がバラバラで,一個一個事業を進めなけ ればならないという不便なところがあり,なかなか進みません。一回一回県に伺いを立て て,霞ヶ関に行かなくてはならないということで,事業がなかなか進まず,まだ基本構想 の段階です。予算はできるだけ県の裁量で執行したいところもありますが,そうも行かず, 復興事業で目的外使用のような話もあって,各省庁とも財布の紐を締めてきている感じが しております。ただし私の担当している事業が特殊であって,県全体ではそうではないか もしれません。 そうは言いながらも,来年の 4 月からは建物も設計が始まりまして,人材のリクルート も進んでいます。たくさん全国から医学部の先生方がお見えになり,研究をすすめること になります。将来センターとして残るのは,放射線医学県民健康管理センターだけで,先 端臨床研究センター以下の事業は,予算が切れれば終わりになります。県民健康管理セン ターは 30年から 40年続くので,県立医大のなかに世界的に人材を集めて,放射線研究, 甲状腺研究の拠点になっていくでしょう。 時間の都合もございますので,私からの発表は以上です。ありがとうございました。 (ワークショップ9:被災地域の復興を繞り,Session 1:福島からの報告,報告1より)
福島からの報告2
福島
勉
(南相馬市役所総務部総務課法務文書係)
南相馬市役所の福島と申します。2011年3月に地震がおきた後に,3月に東北大学公共 政策大学院を卒業しまして,4月から南相馬市役所で働く予定でした。ところが,市役所の 方では受け入れる余裕がないということで,入庁が一ヶ月延期になりました。その間,避 難所でボランティアをしておりました。5月に入庁しまして,この間2年に3回の移動があ り,現在,総務部総務課法務文書係,情報公開室で,条例,議会,情報公開の担当をして おります。お話したいことはたくさんありますが,アウトラインだけをまとめました。 南相馬市は,桜井市長がYou Tubeに登場して有名にはなったのですが,よく相馬市と間 違えられます。南相馬市は津波で大丈夫ですか,とか,町の中に入れるのですか,とよく 聞かれます。市の南側 4分の1は居住できないですが,立ち入りは今は自由にできます。 街の中心部は,もとからさほど被害を受けていなくて,街コンやお祭りを普通にしていま す。こうした状況はほとんど伝わっていないようです。これがベーシックな情報になるの ではないでしょうか。福島県の南相馬市は,県の沿岸部の北部にありまして,平成18年に 旧鹿島町,原町,小高町が合併して南相馬市になりました。人口は当時7万 2千人,産業 は農業と工業があり,市の中に旧自治体ごとに区を設けて,鹿島区,原町区,小高区に分 かれています。 2011 年に地震がおきました。津波も来ました。ただ,街の中心部まではほとんど来てい ません。津波の映像として三陸地方の印象が強く,街がなくなった印象がありますが,南 相馬市では,街はほとんど無事でした。破壊されたのは沿岸部で,田んぼと農家,漁港の 集落でした。人口の割合では市の10分の1くらいになります。本来何もなければ,農地と 漁港の復興,沿岸部の集落の移転といった問題で済んだはずだったのです。残念なことに 福島第一原発が 4 月 14 日に爆発しました。南相馬市が他の自治体と違うのが,原発から 20km圏と30km圏の境界線が市内を横断していることです。この境界線によって,人が住 んでいるところが,旧自治体ごとに,分断されました。4月22日に避難区域が指定され, 市の北側は指定なし,原発から20kmから 30km圏は緊急時避難準備区域,20km圏内は 警戒区域になりました。 緊急時避難準備区域とは,避難の準備をしておいて危なくなったら避難するという区域 なので,自力で避難できない人は入ってはいけないことになります。しかし実際には,区 域内と指定区域外に変わりはありませんでした。つまり 20km 圏外であれば,普通にスー パーも飲食店も開いているし,ほとんど生活形態に変わりはありませんでした。ただ20km 圏内は,警戒区域が設定されたために,原則立入禁止ということになりました。この区域分けのために,地域内で複雑な問題が生じました。これには賠償金や義援金の問題もふく まれますが,この点についてはここでお話しするのは控えたいと思います。この区域の設 定によって,大変なことがおきました。住民の方に納得いただけなかったのは,沿岸部は 放射線はあまり高くないということです。なので,20km圏内のまちなかよりも,30km圏 外の山の中のほうが線量が高いです。家も無事,線量も高くない,生活も無事なところか ら,退去するように言われて,避難先として提示されるのは,自分のいるところより線量 の高いところであったりしました。この状態がまだ2年以上続いています。 いまは,20km圏外は指定が解除されました。それまでの警戒区域が3つの区域に分けら れ,帰還困難区域,居住制限区域,避難指示解除準備区域になりました。居住制限区域は, いまだに宿泊してはいけないです。線量としては居住できるレベルなのですが,インフラ が整っていませんので,昼は家に戻れますが,夜は仮設に帰らなければならない状況です。 結局これでは納得行かないでしょう。家はあるし,水道も出るし電気はだいぶ前に来てい るのに,いまだに住めない。国,行政には理由はありますが,住民にとっては納得がいか ないのです。なぜ狭い仮設に住み続けなければならないのか,ということです。はじめは, いつ戻れるのだろうか,戻ったらどうしようか,と思っていたのが,だんだん気持ちが薄 れていっている状況です。20km圏内の小高区に春にアンケートを取りました。地域医療の 復興のアンケートです。そのなかで,戻れるようになったら戻りますかという質問につい て,すぐ帰る人10%,帰らない人16%,分からないという人が5割くらいあります。去年 別の目的のアンケートで同じ質問をした時よりも,今年のほうが,帰らないと答える人の 割合が増えています。さらに,回答者が世帯主である場合が多いので,もともと回答者の 年齢が高いです。サンプル・バイアスがかかっています。帰るという人のほとんどは,年 齢の高い人です。このような角度から見れば,今の現状で 20km 圏内が復興に向かってい るか,と聞かれれれば,全然進んでいないと言わざるを得ないです。 個人的に原発被害にかんして問題を感じていることが二つあります。 ひとつは,被害者意識です。天災は仕方ないという割り切れる部分があります。南相馬 市も津波については天災です。これにたいして,人災,人によって惹き起こされた事故で, 放射能が拡散して,国の指示で退去させられた人たちは,被害者だという意識が強いです。 もちろん被害者なので適切に賠償されるべきです。しかし,被害者意識があるために,自 分で前に進もう,何とかしようという気持ちが育ちにくいのです。被害者だから行政で何 とかしてくれ,ということです。震災前だったら自分でやっていたことも,行政に求める こともあります。もちろん,そうでない人もたくさんいますが,被害者意識をどう解消す るかということが,ひとつの問題としてあります。 もう一つは,帰還と賠償の葛藤という問題です。帰りたいけど,帰っても街がもとに戻 っているわけでもなく,店が通常どうり開いているわけでもなく,仕事が元通りでない人 もたくさんいて,収入が安定するわけでもありません。それでも帰りたいのですが,帰っ たら賠償金が打ち切られるのではないか,ということで,法律についても何の知識もない
一般の方は,どうしたらよいか分からないのです。このように,帰還と賠償のはざまで, 帰りたいけど帰れないという方が非常に多いのが現状です。本来ここで私は,取るべき解 決策を提示すべきだとは思いますが,むしろ皆さんには,南相馬市のこの閉塞感を理解し ていただきたいのです。南相馬市には,もちろん明るい部分もあります。自分なりに住ん でいる人,お祭りを催す人,小学校,幼稚園も再開して,元気にやっている人もいます。 一方でこうした問題,葛藤を抱えて苦しんでいる人もたくさんいます。有効な打開策がな いという状況が2年以上続いています。 細かいところは時間の都合でお話できませんが,南相馬市の現状ということでお伝えい たしました。ありがとうございました。 (ワークショップ9:被災地域の復興を繞り,Session 1:福島からの報告,報告2より)
気仙沼からの報告1
遠藤
幸恵
(スポットライトギャラリー代表)
皆さんは支援の話は十分にあちらこちらで聞いておられると思います。私のケースが全 てに当てはまるとは思いませんが,とてもローコストで,とても効率のよい支援をしてき たと思います。このことについて紹介させていただきます。 私は気仙沼で生れて18歳まで育ちました。ですから気仙沼には,身内をはじめ,親し い友人がいます。そして今は,仙台の一番町で画廊を経営をしています。したがいまして, 普通の人よりも多くの人と接する環境にあります。震災の時,私は仙台に居りましたが, 次の日には気仙沼に入りました。どうしても入らなければならない理由がありました。命 よりも大事な一人娘が気仙沼に居りました。連絡が取れませんでした。次の日,無理やり 気仙沼に行きました。娘は大丈夫でしたけれども,気仙沼は大変な状況でした。 そして一週間後にビーズパーティーという支援チームを立ち上げました。仙台の私の画 廊を中心にして,うちのスタッフと数人の人でチームをつくって,たくさんの物資を集め ました。そしてコップ一個からピアノまで,何でもかんでも運びました。いくらでも運べ ました。布団は400組くらい一日で運んで被災者の手元まで届けました。布団乾燥機は1650 台以上運びました。布団はすべてで2000組運びました。他の家電は,扇風機,ストーブ, こたつなど,数えられません。市にも県にも支援物資は余って腐っていくなか,私たちは 毎日運べました。私たちはNPOではありませんし,ボランティアの経験もありませんが, それでもいくらでも運べました。どんな方法を使ったと思いますか?簡単でした。Homo sapiensのメスは群れで子育てをします。お母さんたちの携帯電話には,一緒に子育てをし ているお母さんの携帯電話の番号やメールがたくさんあります。子供たちは友達の住所を 知っています。リトルリーグの仲間たちの連絡先,娘さんの同級生の連絡先。私は4人と 連絡をとっただけです。私の娘は幼稚園から高校までを気仙沼にあずけて育てました。で すから娘の幼稚園のお母さん一人,小学校のお母さん一人,中学校のお母さん一人,高校 のお母さん一人と連絡をとったのです。私から何でも仙台から運ぶから,困っている子供 たちと親がいたら,どんどん連絡をください,と伝えました。そうすると,私の名前は誰 も気仙沼で知らないですが,サクラちゃんのママといえばだれでも知っています。「いたい た,愛光幼稚園に」「仙台に親御さんがいるサクラちゃんだ,ああ,あのお母さんね」,と なります。中学校も高校も,「ああ,卓球部のサクラちゃんね」「ああ,マンドリン部のサ クラちゃんね,いたいた」。知り合いの助けは何よりも強いし,絶対に切れません。途中か らは私の名前は消えていきます。ユタカくんのママがね,仙台から物資を持ってきてくれる,カツヒトくんのママがね…,ということで,止めないといくらでも広がっていきまし た。 電話が自由に使えるようになった頃には,私の携帯電話には知らないお母さんからいっ ぱい電話がきました。「松岩小学校のPTAのものです,困ってます」。だからいくらでも運 べたのです。おかげさまで,仙台には山のように物資は来ていました。けれども,蛇口が 閉まったボトルにいっぱい水が注ぎ込まれているようなものだから,配られない物がいっ ぱいありました。それを貰えばよかったのです。青年商工会議所には腐るほどパンが来て いて,賞味期限が切れる頃に私のところに来ました。その日のうちにトラックで運んで, その日の夕飯に間に合いました。テレビでもインターネットでも伝えられなかったのです が,避難所にはたくさん物資があったけれども,自宅にいる人達は,一週間も二週間も温 かいものを食べずに待っていたのです。市役所にどんなに物資があっても,車がなかった り,親が亡くなっていたりしたら,取りにいけないでしょう。もちろん,行政側の事情も 分かります。すべきことがいっぱいあって,そういう個々の事情は調べられないのでしょ う。支援者の側からしても,私たちのようなNPOでない団体に物資を送るよりは,学校に 送ったほうが良いと考えるのでしょう。学校は忙しくて,本当に必要な物を提示している 暇がないから,文房具だけが山のように積み重なってありました。気仙沼高校には東北大 学からもいっぱい人が来ていましたけれど,学校に集まった物資を取りに来る人がなくて, 先生たちはとても困っていました。だから,娘に物資を自宅に持ち帰ってもらって,私た ちが配りました。欲しいものはほかにいっぱいありました。布団がなかったので,6月にな っても7月になっても,ダンボールに寝ているお父さんがいました。でも個人のものにな るからということで,支援物資は配られませんでした。それから,子供のためと言って, 山のようにお金を集めていましたが,子供のためにどれだけ使われたのか,と私は思いま す。 一番の例がセンター試験でした。ひどかったです。当然ですが,気仙沼高校のPTAは, 子供には気仙沼でセンター試験を受けさせたかったのです。家が流されていたり,親が亡 くなっていたり,仕事がなくなっていたりするのだから,生徒の受験へのモチベーション は下がっていました。うちの娘も三年生でしたが,私の手伝いをしていて勉強どころでは ありませんでした。気仙沼はそんなに裕福な町ではないから,当然,国公立を受験する生 徒が多いです。センター試験は絶対に受験しなければならないのですが,学校の説明では, 二泊三日で仙台でセンター試験を受験させるということでした。しかし,鉄道はない,車 はない,という状況では,仙台での受験は無理だったのです。結局は,簡単に報道された とおり,気仙沼で受験できることになりました。実際には,私たちが血のにじむ思いをし て,勝ち取ったのです。気仙沼でのセンター試験は,春からずっと学校側にお願いしてい ましたが,蛇口が校長室で閉まっていて,どうにもなりませんでした。よくとれば,高校 の先生方は他のことで手いっぱいだったのでしょう。でも400人の生徒たちが困っていま した。被災地はどんどん人口が減っていました。子供がいない人は落ち込んでいく,孫の
いない人も落ち込んでいく,子供がある人は子供の将来を考えて町を出ます。教育ができ ないからです。どんどん教育の状況は悪化しています。だからなんとしてもセンター試験 を気仙沼で実施して欲しかったのです。お母さんたちがお願いして,PTAも頑張ってくれ たのですが,蛇口が校長室で閉まっていて,どうしようもなかったのです。偶然,樺島先 生と知り合って,お話しをして,目から鱗が落ちました。この状況で400人の子供を仙台 に連れて行くのは難しいけれども,外から50人の大人が気仙沼に行くのは簡単かもしれな い,ということです。本当に,車を持った大人が50人来て済むのであれば,とても簡単な ことのように思われました。でも大学からの支援は高校に来ているから,高校がしたくな いというのであれば,生徒の教育のためになることでも,実現できません。私たちは,山 の頂上に登る途中に岩があるのをおもいうかべました。脇道を探したのです。まず報道関 係に連絡を取りました。私は,報道機関向けのポストが県庁に全部で13あって,そこに嘆 願書を書きました。報道機関から私の携帯電話にいっぱい電話がかかってきました。でも 報道機関は学校に取材に行きます。報道機関も,学校からできないと言われた途端,「遠藤 さん,無理です,学校がしたくないから無理です」ということになりました。親たちのあ いだでは,「ユキちゃん,校長室占拠すっぺ」という話まで出ました。いろんな方法を試し てみましたが,ここでは全部はお話できません。もちろん,教育委員会にも嘆願書を書き ました。そのまえにまず,家が流されていたりして,お母さんだけではできなかったから, PTA会長にお願いしました。PTAの会長・副会長でもダメでした。報道機関もダメでした。 気仙沼出身の国会議員さんにもお願いしましたが,ダメでした。もちろん,樺島先生,東 北大学の皆さんには一生懸命やっていただきましたが,ダメでした。脇道がダメだから, 最後に秋の頃に,上から旗を振って山の上から降りてきてもらう方法があると思いました。 最終手段と思ったけれども,当時の総理大臣はじめ,全部の政党党首に嘆願書を出しまし た。うちのスタッフも一生懸命,嘆願書を書いてくれました。速達で出しました。私の携 帯電話が連絡先でした。有難いことに,第三次補正予算の審議の最中でした。議員さんに とっても,ちょっと良いことがあったようで,食いついてきてくれました。そして,自分 の持ち時間でとりあげます,と言ってくれる幾つかの党がありました。県議からも,私た ちも教育委員会に言ってみます,という話をしてくれました。ギリギリ間に合いました。 私の書いた嘆願書が国会で読まれました。そして,仙台で開催したいという校長の出した 短い文書も読まれました。国会議員は言ってくれました「父兄の意見と校長の意見とどち らが真実だと思いますか」ということです。最後の最後でひっくり返りました。そこから 先は,東北大学の皆様にはご迷惑をお掛けしたと思います。ちょっとした事故があったの で,東北大学の皆様に,やらなければよかったな,と思われていなければと思います。本 当に助かりました。センター試験の朝は,この携帯にメールがあふれるほど入って来まし た。「ユキちゃんありがとう,何とかなったね,良かったね」「今日は自分の家から,自分 が作ったご飯を食べさせて出してあげました」「結果はダメでしょう,この状況だから,勉 強はできなかったから,でも受験させるところまではいきました,次に繋がります,あり
がとう」。夕方は悪夢だったけど,本当に朝までは良かったと思います。行きたい大学に行 けた生徒は少なかったと思いますが,とにかく子供たちを気仙沼の外に出して,たくさん のスキルを学んで,戻ってもらって,そしてはじめて復興が進んでいくと思っています。 気仙沼に行った人なら分かると思いますが,10年20年で回復するものではありません。 30年以上かかるでしょう。私たちはもう役に立たないです。私たちの子供世代が戻って何 とかするしかないと思います。今日は土曜日で私は稼ぎ時なのですが,今日は,気仙沼の ためと思って来ました。被災地の復興は,被災地出身の人間が長く頑張らないと,どうに もならないと思います。そのためには,被災地は教育特区にしてもらいたいと思います。 被災地に大学があればいいのでしょうが,少なくとも,被災地でもきちんと高校まで勉強 ができて,自分で大学に入れるくらいの,特別な何かの措置が必要です。クラスに二人教 員がいるとか,一日中先生がいて勉強を見てくれるとか,塾に行かなくてもいいような支 援です。だって,車も家もない,塾に入るお金がない,という状況では,どうしたって教 育レベルが下がるでしょう。もう下がっているかも知れません。教育が下がるのが嫌であ れば,親は引っ越していきます。高齢の方は,行き場所がなかったり,覚悟が決まらなか ったり,町に残るでしょう。けれど,子供をもつ親は,子供のためだったらなんでもでき るから,大切な故郷でも離れます。仙台に出てきて子供を大学に入れたいと思うでしょう。 いい勉強をさせたい,いい仕事に就かせたい,と思わない親はいません。被災地の人口を 減らさないために,30年40年後に被災地を元通りにするためには,教育が一番だと思いま す。私も毎週休みに気仙沼に帰って,みんなの話を聞くようにしていますが,高齢の方で 孫がいない人は辛いです。将来が見えなくて,楽しみがないからです。私のいとこは癌に かかって70歳代で,それで,家をなくし,伴侶をなくしました。それでも,息子夫婦と小 さい孫がいます。子供の成長をすごく楽しみにしているから頑張っています。いつか家を 建てて,そこで孫達と暮らすのをとても楽しみにして,元気でいます。子供がいると周り がとても元気になる。だから,若い人がいなくなってはダメです。活気を取り戻させるた めには,できるだけ子供を被災地に残す努力をすること,つまり教育を充実させることが 大事です。親は貧乏には耐えられますが,子供の不幸には絶対に耐えられません。子供の 教育が危ういとなれば,当然人口は減っていきます。どんな方法でもいいので,教育を厚 くすることを,皆さんに考えていただきたいのです。それが福島でも,石巻,気仙沼,大 船渡でも,人口を減らさない唯一の方法だと思いますし,人口を増やすこともできると思 います。住民票を置けば,普通に学校に行くだけで東北大学に入れる生徒がいっぱいいる らしい,東北大学だと私立よりお金はかからないし就職率も高いし,みたいな教育のシス テムを考えていただければと思います。いまは下降線をたどって,人口は減っているし, 子供の数は減っているし,子供が減ると学校が統合されていきます。通学にも時間がかか って,学校の備品も減ります。今の状況では,部活動をしないで中学校,高校をおわる生 徒が沢山でてきます。小学校,中学校では,運動会ができないところもあります。これか らもっとひどくなるかもしれません。被災地は教育を強化すべきと思います。支援金はた
くさんあると聞いています。何か子供たちに役立てる方法,支援して頂ける方法を,皆さ んに今日考えていただければと思います。
よろしくお願いいたします。
気仙沼からの報告2
小野寺
英彦
(三陸新報社編集局長)
これまでのお話しのあとでやりにくいところもありますが,私からはざっくばらんにお 話させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。 本当に震災以来,皆さんからご支援いただきまして,改めて感謝したいと思います。と くにいま,遠藤さんからお話がありましたが,センター試験にかんしては,画期的なこと でした。センター試験は,仙台,石巻で受験するのが当たり前という意識でした。気仙沼 で実施できたということは,目からウロコでありました。尽力いただきました樺島先生, 東北大学の皆様,本当にありがとうございました。当時,我々保護者でしたけれども,仕 事も失い,ホテル代も捻出できない父兄もいまして,また,被災して学校内で泊まりなが ら勉強した生徒もいました。そうした中で,センター試験を実施していただきまして,あ りがとうございました。二年目も引き続き実施していただけることになり,これからます ます継続していただくことを,お願いしたいと思います。 簡単に自己紹介をいたします。私自身も被災いたしました。ローンがある家,車3台流 されました。家族は,娘が避難中に流されまして,助かったんですけれども,7人で逃げて いる途中に,幼児3人を含む6人が亡くなりました。娘だけが一人助かりました。私には 想像できませんけれども,想像以上の恐怖があったと思います。そのショックがまだ今も 続いています。24歳なんですけれども,浴槽に入れない,ひとりで留守番ができないです。 この状態がまだ続いていまして,本当にこれから,この娘と長く付き合っていかなければ ならないのではないかな,という思いがしております。そういう心に傷を負っている人が 結構いると思います。学校もそうですけれども,大人になりますと,首輪をつけて病院に 行けというわけにもいきません。その辺が難しいわけでもありまして,時間をかけながら ゆっくり,ゆっくりとケアをしていきたいなと感じております。震災のことになると,ま だまだいろんな思いがこみ上げてきまして,なかなかうまく話せません。そういう状況で あります。 会社関係に移りますけれども,私は三陸新報という気仙沼の小さな新聞社に勤めており ます。震災以来,新聞を発行してきました。震災当日は新聞発行できませんでした。翌日, 電気も輪転機もない状況で,石巻日日新聞さんは手書きだったのですが,我々は,車のバ ッテリーから電源をとって,ノート・パソコンを動かして,それで小さなプリンターでA4 の紙に,簡単な情報でしたけれども,被災状況を概略的に紹介しました。避難所に配りま した。300部です。翌日も同じような状況でした。記者が10人いるんですけれども,現場 から帰ってきた記者からいろんな情報を集めました。現場から最後に戻った記者は,3日た ってようやく帰って来れたのです。そのなかで,一番受け入れられたのは,避難者名簿でした。個人情報という話はありますが,我々は避難所にいる避難者の名簿を新聞に掲載し たのです。どうやったかというと,避難所に行くと,避難者の名前を書いたA4の紙があり ます。それを記者が行って書き写したり写真をとったりしまして,それをパソコンで打ち ました。ほとんどすべての避難所の名簿を写しました。今のような通常の状況では個人情 報ということでお叱りの電話を受けると思いますが,全避難所の避難者名簿を掲載しまし た。あの時一番何が情報として欲しかったかというと,人が生きているのかどうか,助か ったのかどうか,ということです。避難所にいるというのは,助かったという一番の情報 でした。名簿のほとんどの字は読めるのですが,読めない時もありまして,新聞社として はありえないのですが,全部伏せ字にしました。本当は新聞社として全部調べるべきだっ たのでしょうが,当時はやむをえないということで,伏せ字を使いながら掲載しました。 そのほかは,どこの店が開いたとか,どこのガソリンスタンドが開いているというような, 生活情報と,それから物資の情報などを中心に,新聞を発行してきました。 気仙沼の復興状況を話したいと思います。皆さん見て分かる通り,気仙沼はようやく瓦 礫も片付いてきたという感じです。ようやく片付けが終わって,復興が本格化する,とい うところだと思います。今は住まいの再建が課題です。防災集団移転,災害公営住宅の造 成工事が, 2年たった今ようやく始まりました。我々被災者からすれば,もう少し早く何 とかならないのかな,という感じでおります。どうしても国の予算を使うということで, 大臣認可などもあり,なかなか進まない状況です。通常であれば,そういう手続で良いと 思うのですが,こういう状況の場合は,やはり超法規的な措置ということも必要ではない かと,私は思います。現在は,150戸の防災集団移転,都市計画,防潮堤といったことが課 題です。今までは1億円・2億円規模の事業は,プロジェクトチームを作って5年10年と いった長いスパンで実施していました。それをいま,1億円ないし10億円規模の事業を,5 つも6つも一気にやろうとしています。それは不可能に近い,現実的には厳しいと思いま す。しかし国は,復旧事業だから3年で終わらせなければならない,と言います。あと3 年で予算が切れるからということで,3年という制限に振り回されて,防潮堤の問題を何と か進めようとしています。そういう巨大な事業がどんどん入ってきまして,今度は働く人 が足りない,資材が高騰している,入札しても落札できない,事業ができない,という状 況です。漁港区域の嵩上げについても,国の制度の弊害が見られます。漁港区域を嵩上げ して,土地は水産庁の事業で嵩上げが始まりました。道路は水産庁の事業ではありません。 私には,道路も土地も一緒にやったほうが早いのではないかと思われるのですが,そこが なかなか,私の分からない国の制度,省庁の壁があって進みません。国の事業を待ってい られないということで,独自に嵩上げしたところがあります。たとえば1m独自に嵩上げし たとしましょう。国のかさ上げが2mとしますと,段差ができてしまいます。水産加工業社 は国の事業を待ってられません。なぜかというと,これまで気仙沼のカツオを売ってきた ところで,加工がストップしますと,よそのカツオ商品が入ってきます。あるスーパーで 一旦気仙沼以外の商品に取って代わられると,それを取り戻すのは難しいです。たとえば,