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『枕草子』における「ゆかし」の考察

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Academic year: 2021

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全文

(1)

における

﹁ゆかし﹂という語の意味は従来の古語辞舎によると 、 お よ そ ﹁見たい﹂﹁聞きたい﹂﹁知りたい﹂などと解かれており、その方 向に心が引かれる状態を示す場合に用いる語とされている。 この﹁ゆかし﹂という語について 、 本稿では﹃枕冊子﹄について、 その用語例をすべて日本古典全書により抽出し 、 語義および作者が 意識した好奇心などを検討する。 さ て 、 ﹃ 枕 冊 子 ﹄ の ﹁ ゆかし﹂を知る上で、特に注目すべき一章段 ﹁とくゆかしきもの﹂がある。先ず ζ の章段を吟味し、逐次順序に 従って検討を加えていくことにする。 では、﹁とくゆかしきもの﹂の章段を示すと、 I l l i -ー ま 倉 ぞ め ど 川とくゆかしきもの巻染・むら濃・くくりものなど染めたる。 お と 乙 人の、子生みたるに、男女、とく聞かまほし。よき人さらなり、 げ す 舎 は 1 i t i l l 1 1 5 b ︿ えせ者、下衆の際だになほゆかし。除目のつとめて。かならず 知る人のさるべきなきをりもなほ聞かまほし(一五四段)

の考察

乙の章段の冒頭部に﹁とくゆかしきもの﹂と﹁形容詞の連体形﹂プ ラス﹁も の﹂という形で用 いられ、乙の場合﹁早く見たいもの﹂ ﹁早く聞きたいもの﹂﹁早く知りたいもの﹂と広義に受け取れる。 作者が好奇心を覚えた物の中でも、特に気持ちの釘く事象を具体的 に列挙している。それは、先ず、染め上がりの出来具合を期待し、 ﹁早く見たい﹂という女性らしい意識を挙げ、次に、生まれた赤ん 坊の性別が男性か女性か、身分のよき人・えせ者 ・ 下衆など区別な く、﹁早く知りたい﹂という人間共通の心情を 挙げ 、続いて、除目 を記し、これも興味のある関心事の一つであり、﹁早く聞いて(知 りたい)﹂と思う心情を示している。いずれも女性特有のせっかち な心理状態ぞ捉えている。 次の用語例から順次﹁ゆかし﹂を検討していく。

ω

思はひ子を法師になしたらむ乙そ心苦しけれ。ただ木の端な さ う u a も の どのやうに思ひたる ζ そいといとほしけれ。精進物のいとあし

(2)

きをうち食ひ、寝ぬるをも。若きはものもゆかしからむ。女な どのあると ζ ろをも、などか忌みたるやうにさしのぞかずもあ らひ。それをもやすからずいふ。(五段) 本 章 段 で は 、 ﹁ ゆ か し か ら ﹂ と ﹁ 形 容 詞 の 未 然 形 ﹂ で 用 い ら れ て い る 。 若い法師は﹁物も見たいし﹂﹁聞きたいし﹂﹁知りたい﹂とも思う だろう。女などのいると乙ろも、どうして、忌み嫌ったように覗か ずにいられょうか、それをも世の中の人は非難すると、当世の法師 の窮屈な生活の一端を示しながら、人間としての若 法 師の素直な好 奇心を﹃枕冊子﹄の原作者は理解している。 よ は ひ

ω

年ふれば齢は老いぬしかはあれど花をし見ればもの思ひもなし と い ふ ζ とを、﹁君をし見れば﹂と書きなしたる、御覧じくら べて宮﹁ただこの心どものゆかしかりつるぞ﹂とおほせらるる ついでに、(一二段) 本 章 段 で は 、 ﹁ ゆ か し か り ﹂ と ﹁ 形 容 詞 の 連 用 形 ﹂ で 用 い ら れ て い る 。 ﹁年ふれば飴は老いぬ﹂の歌を﹁君をし見れば﹂と書きかえた時、 才 豊 かな中日臼が発した言葉の中に﹁(あなたの機知)を知りたかっ たのだよ﹂と、きも満足した心情で述べ、相手の機知の鋭利さを称 賛 し て い る 。 削 す さ ま じ き も の : : : : ・ ・ j i -: : : : : : : : : 人 の 図 よ り お こ せ た る対の、ものなき。京のをもさこそ思ふらめ、されど、それは ゆかしき乙とどもをも書き集め、世にあることなどをも聞けば、 いとよし。(二三段) ﹁ ゆ か し き ﹂ と ﹁ 形 容 詞 の 連 体 形 ﹂ で 用 い ら れ て い る o 田舎からきた手 紙に、産物がついていないのは面白くない。また、京からきた手紙 も、田舎ではそう思 う だ ろ う 。しかし、京からの手紙には、田舎の 人が﹁知りたい﹂と思っていることなどを書き集めてあり、世の中 に あ る ζ となどを、知る乙とができるので、手紙だけでよい。とあ り、当時の世相の一 端 が窺い知れる。即ち、栄撃を極めていた京文 化を田舎の人達が﹁知りたい ﹂ と思う強い好奇心が顕わに示されて い る 。 同 に く き も の ・

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も の う ら や み し 、 身 の 一 い い う へ ち り 1 1 1 1 t i l l -歎き、人の上いひ、つゆ塵のこともゆかしがり聞かまほしうし ゑ ん て、いひ知らせぬをば怨じ、そしり、またわづかに聞き得たる ζ とをば、われもとより知りたることのやうにこと人にも語り しらぶるも、いとにくし。(二六段) ﹁にくきもの﹂の章段に、﹁動詞の連用形﹂で用いられている。他人を うらやみ、自分の身の上を嘆き、他人の身の上を評判にし、ほんの ちょっとした ζ とでも﹁知りたがり﹂聞きたがったりして、言って 知らせないのを怨み、そしり、またわずかに聞き得た事を、自分が もとから知っていることのよ う に、他の人に調子づいて 語 るのもに くらしいとある。人間世界に生活している限り生じる不快感情の描 写 である。些細なことでも﹁知りたがる﹂好奇心は女性特有の心情 で あ ろ う 。したがって、女性の作者が捉えた観察眼で記されている。 む細企 e a ヘ 附池はかつまたの池 0 ・ ・ j i -: : : : j i -: : : ・ 御 前 の 池 、 ま た なにの心にてつけけるならむと、ゆかし 。 鏡の池。( 三 六 段 ) ﹁ 池 は ﹂ の 章 段 に 、 ﹁ ゆ か し ﹂ と ﹁ 形 容 詞 の 終 止 形 ﹂ で 用 い ら れ て い る 。 -

(3)

それは興味のあるおよそ十の池の名が挙げられている中で、﹁御前 の池﹂はどういう訳でこの名がつけられたのだろうか。その訳が ﹁知りたい﹂と、一つの池の名の由来をも﹁知りたい﹂とする作者 の精綴な知識欲が見られる。 ' レ & e 志 向 7 4 0 A ' ' L U 川 職 の 御 曹 司 に お は し ま す こ ろ : ・ . いみじうくちをし、この山のはてを知らでやみなひ ζ とと、ま めやかに思ふ。乙と人も﹁げに馴州

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料引つるものを﹂などい どぜん ふを、御前にもおほせらるるに、おなじくはいひあてて御蹴ぜ させばやと思ひつるに、かひなければ、御物の具どもはこび、 いみじうさわがしきにあはせて(八三段) ﹁職の御曹司におはします ζ ろ﹂の章段の﹁雪山﹂の条に、﹁ゆか しかり﹂と﹁形容詞の連用形﹂で用いられている。いつまで雪の山が もつか、見届けたかったが、急に中宮様が宮中にお帰りになる乙と になり、この雪の山のおしまいを見届けられないのが残念である。 他の女房達も﹁(その雪山が)本当にどうなるか見届けたかったの に﹂というと、中宮様も、またそのようにおっしゃる。とのように 雪 山を中心に、中 宮様とその周囲の女性逮が描かれている。雪 山が ど うなるか自分自身の限で確認したいという好奇心である。したが って、ここは女房 一 達 の会話文中に﹁見届けたい﹂という語義で使わ れている 。 ま ゆ み い 則清﹁なにするぞ﹂と問へば、室副﹁手つがひにて、真弓射るなり。 しばし御覧じておはしませ﹂とて、車とどめたり。﹁左近の中 将、みなつきたまふ﹂といへど、きる人も見えず。六位など、 立ちさまよへば、清﹁ゆかしからぬことぞ。斡く過ぎよ﹂とい ゆ み ち ま つ り ひて、行きもて行く。道も 、 祭 の ζ ろ恩ひ出でられてをかし 。 ( 九 五 段 ) さ っ き み さ う じ ﹁五月の御精進のほど﹂の章段に 、 ﹁ ゆかしからぬ﹂と﹁形容詞の 未然形﹂プラス﹁打ち消しの助動詞の連体形﹂で会話の発語に用い られている。清少納言の一行が時鳥の声を聞きに賀茂の奥に出立す る。その途中の ζ とである。車副の男が﹁競射で、弓を射るのだそ うです。しばらく御覧になっていらっしゃいませ﹂といって、車を 止めた。﹁左近の中将方が、みな着座なさいます﹂というけれど、 それらしい人も見えない。六位の人などが、あちこちしているだけ なので、﹁見たくもない ζ と よ ω 早く行きなさいよ﹂といって、ず んずん行く途中も、賀茂の祭のころが想い出されておもしろい。と いう時鳥を賀茂神社の奥へ探訪に出向く途中、競射の場面に偶然で くわす、その時、清女が発した言葉﹁(そんなもの)見たくもないわ﹂ と強い拒否的態度で視点を逸らしている。視点の対象となったもの、 即ち競射は女性としての清女には興味を惹起するものではなかった。 それより心は時鳥に向けられていたのである。 ぐ し し げ U さ 削まだ乙なたにて、御髪などまゐるほど、宮﹁淑景舎は見たてま つりたりや﹂と聞はせたまへば、 清 ﹁ まだ、いかでか。御車ょ せの日、ただ御うしろばかりをなむ、はつかに﹂とき ζ ゆ れ ば 、 宮﹁その柱と界風とのもとによりて、わがうしろよりみそかに 見よ。いとをかしげなる君、ぞ﹂とのたまはするに、うれしく ゆかしさまきりて、いつしかと思ふ。(一

OO

段 )

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﹁ 淑 景 舎 、 春 宮にまゐり たまふほどの乙となど﹂の章段に、﹁ゆか し さ ﹂ と ﹁ 名詞形﹂で用いられている。中宮様が ζ ちらで御髪を整え な さ っ て い る 時 、 清女に ﹁ 淑景舎を拝見した ζ とがあるか﹂とお尋ね になるので、﹁まだでとぎいます。ど うして 、おみかけ 出来る時が ございましょう。御車ょせの日、ただ う し ろ姿だけをちょっと﹂と 申し上げると、﹁その柱と界風のそばによって、私の後から、ひそ かに見なさい。大変美しいお方ですよ﹂とおっしゃるので、清女は 嬉しく、﹁拝見したい﹂気持ちにかられて、いつになったらお出に なるのだろうと待ち遠しく思う、という叙述である。宮中の今 一 番 の関心事は淑景舎原子様が御姉 、 定 子中宮のもとにおみえになる乙 とである。美しきの点では、御姉定子中 宮 と双墜をなすと 知られて いる淑景舎原子様を早く﹁拝見したい﹂のである。特に 美意識の強 い清女の好奇心の一端が窺い知れる。 と う ぽ い か た も ん 号 eb ん ぞ ︿ れ 江 ゐ ぞ み へ う ヘ 帥 紅栂の固紋、浮紋の御衣ども 、 紅のうちたる 、 御 衣三重が上に フ か き ただ引き重ねてたてまつりたる。 宮 ﹁紅梅には、殺き衣乙そを かしけれ 、 ぇ 着ぬとそくちをしけれ。いまは紅梅のは着でもあ もえ ぎ ︿れ江ゐ り ぬ べ し か し 。 きれど 、 蔚 黄などのにくければ 、 紅 に あ は ぬ か ﹂ などのたまはすれど、ただいとぞめでたく見えさせたまふ。た ぞ てまつる御衣の色ことに、やがて御かたちのにほひあはせたま ふぞ、なほことよき人もかうやはおはしますらなとぞゆかしき。 ( 一

O

O

段 ) 同じく﹁淑景舎 、 春宮にまゐ りたまふほ どのことなど﹂の章段の前 用例文の連繋節である。 ζ こ で は ﹁ ゆ か し き ﹂ と ﹁ 形 容 詞 の 連 体 形 ﹂ で 用いられている。先ず、定子中宮の服飾と容貌とを讃 美 し て い る 。 中宮様は紅梅の間紋、浮紋の御召物などを、紅の打衣と、下着 三 枚 を重ねた上に 、 ただひき重ねてお召しになっていらっしゃる。中宮 様が﹁紅梅には、紅の濃い衣がよいものですね。今はもう着られな いのが残 念。今の季 節では、紅梅の 衣 は当然着ないでいいでしょう。 しかし、蔚黄などがきらいなのでね 。紅色 には合わない気がし て ね ﹂ などとおっしゃるが、ただまことにすばらしくお見えにな っ て い ら っしゃる。お召しになっていらっしゃる御衣裳の色が格別で、それ が、そのまま御容貌の 美 しさに映えているのはすばらしいが、も う一方(淑景舎様)も 、 ζ のようでいらっしゃるのだろうか。早く ﹁拝見したい﹂と姉宮 、 定子中宮の衣装の美が清女の自によって詳 細に捉えられ 、 それが御容貌に照り映えこの上なく美しいと、女性 特有の鋭い観察限をもって巧みに叙述されている。では 、 妹君淑景 舎原子様はどのように美しいのであろうか。﹁(早く)拝見したい﹂ と、美的感覚に秀でた清女の好奇心を駆り立たせている。 き ぬ す そ も み す と

ω

衣 の 裾 、裳などは、御簾の外にみなおし出だされたれば、腕、 た か み す ま 端のかたより御覧じ出だして、﹁あれは誰そや。彼の御簾の間 より見ゆるは﹂ととがめさせたまふに宮﹁少納言がも│刷例制

M

州引甘侍るならむ ﹂と 申させたまへば 、 ( 一

O

O

段 ) 乙の例文も同じく﹁ 淑景舎 、 春宮にまゐりたまふほどの乙となど ﹂ の章段の一節である。乙乙では、接頭 語 ﹁ も の ﹂ プ ラ ス ﹁ 形 容 詞 の 語 幹﹁ゆかし﹂プラス接尾語﹁がる﹂から組成された﹁ものゆかしが る﹂という形態で用いられ、なんとなくしきりに心がひかれる 意 で - 28ー

(5)

ある。では本断章の 叙 述描写を見てみると、着物の 裾 や 裳 な ど は 、 御簾の外にみなおし出されていたので、 殿 は、端の方からお 見つけ 出しあそばされて、﹁あれは誰かね。あの、御簾の聞から見えるの は﹂とおとがめなさると、中宮様が﹁少納言が(乙ちらを) ﹃ 見 た がっている﹄のでごぎいましょう﹂と申し上げなさる。という 場面 で、中宮様が関白道隆様に申し上げた言葉の中に﹁ものゆかしがり﹂ とあり、﹁見たがっている﹂と意味付けるのが最も適訳である。作者 清少納言は 、 意識の対象を高貴な方々に求め 、 その様子を直接自分の 目でじっと観察したいという積極的な心理を自ら記しているのであ る。本断章中には﹁御覧じ﹂﹁見ゆる﹂﹁ものゆかしがり﹂と視覚用 語の連鎖で視覚的構図を作り上げている。因に、前用語例制帥は、 本章段の連繋文であるが、

ω

の﹁ゆかしさ ﹂ は美しい淑景舎原子様 を早く﹁拝見したい ﹂ と視覚的知覚を示し、帥の﹁ゆかしき﹂は、御 姉定子中宮がこの上なく美しい様子を讃美し 、 そ の よ う に 御 妹 君 、 淑景舎様もきっ と美しいだろう早く﹁拝見したい﹂。乙の心情をやは り、視覚的に知覚を求めている。結局、本 意段に は﹁ゆかし﹂の感 覚が三例見られたが、三例共、気品に満ち溢れた高貴な御方に関心 を よ せ 、 積極的に早く﹁拝見したい﹂気持ちが、次々に強く働くの である。いずれも清女の視覚的鋭さが 窺 え る 。 よ る ひ と び と め を に ぴ き し ぬ き わ た い

ω

また夜などは ζ もらで、人人しき人の、青鈍の指 貫の綿入 り た -ぬ 会 ζ み を と ζ る白き衣どもあまた着て、子どもなめりと見ゆる若き男のをか き う ぞ わ ら は ぺ さ ぷ ら い しげなる、装束きたる重などして 、 侍などゃうの者どもあまた かしとまりゐねうしたるもをかし。かりそめに界風ばかりを

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ぬ か てて、額などす ζ しつくめり。かほ知らぬはたれならむとゆか し。知りたるはきなめりと見るもをかし。(一一六段) ﹁ 正 月 に 寺 に ζ もりたるは﹂の章段に、 ﹁ ゆかし﹂と﹁形容詞の終止 形﹂で用いられている。夜などは能らないで 、 かなりの身分らしい人 が、青鈍の指 震 の 綿の入っているのや、白い衣どもをたくさん着て、 子供であるらしいと見える若い男の 美 しいのや、着飾った少女など をつれて、侍などのような者どもがたくさんかし ζ まって、座して 祈念しているのも面白い。ほんのかりそめに界風だけを立てて、額 づきなど少しするようだ。顔を見知らないのは誰であろうかと﹁知 りたい﹂。知っているのは 、 あの人だと思って見 る の も 面白 い 。と 描写している。清女は自分自身の目で、いろいろな人の様子を精細 に観察し、さも楽しそうに捉えている。その中で、顔を知らない人 は、一体 誰である か好奇心がわき ﹁ 知 りたい﹂と思うのである。し た が っ て 、 ζ 乙 の ﹁ ゆ か し ﹂ は ﹁ 知 りたい﹂と意味付けるのが適 当 で あ る 。 まつり み そ ぎ を と 乙 帥いみじ う心づきなき も の 祭 ・ 繭 駄 な ど す べ て 男 の も の 見 る に 、 ひ と り の た だ 一 人 乗 りて見る乙 そ あ れ 。 い か な る 心 に か あ ら ひ 。 や む と と を の ζ i l l l 1 1 1 I l l -なからずとも、若き男などのゆかしがるをもひき乗せよかし。 か げ ひ と り すき影にただ一人ただよひて心ひとつにまぽりゐたらむよ 。 い かばかり心せばくけにくきならむとぞおぽゆる。 ( 一 一 七 段 ) ﹁いみじう心づきなきもの﹂の 章段 に 、 ﹁ ゆ か し が る ﹂ と ﹁ 動 詞 の 連 体形﹂で用いられている。たいそう気に入らないものは、祭や綾など

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すべて 、 男 が 、何 か見物する時に 、 た だ一人車に乗って見ることだ。 いったいどんな気持ちなのであろう。よい身分でなくても、若い男 などで﹁見たがっている﹂者でも乗せてやればいい。策の透影にた った一人ちらちらして 、 自分だけで見つめていたりするなんて。ど んなに心がせまく 、 乙にくらしい人なんだろうと思われる。という 心理描写の中に、よい身分でなくても 、 若い男などの﹁見 た が っ て いる﹂者でも乗せてやればよいのにと 、 いかにも女性らしい情愛の こもった心情をみせ て い る。乙乙の﹁ゆかし﹂は祭や棋を﹁見たが っている﹁という意である。 かんだちめ 帥 藤 三 位 ﹁ さ は 、 こは誰がしわざにか。すきずきしき心ある上達部 そうがう ・ 僧綱などはたれかはある。それにや 、 か れ に や ﹂ な ど 、 おぼめ きゆかしがり申したまふに、うへの、﹁ ζ のわたりに見えし色 & ひ と 紙 に ζ そいとよく似たれ﹂とうちほほ笑ませたまひて 、 い ま 一 み づ し と つ御厨子のもとなりけるを取りて、きしたまはせたれば 、 こ 三三段) ﹁円融院の御はての年﹂の章段に、 ﹁ ゆ か し が り ﹂ と ﹁ 動詞の連用形﹂ で用いら れ ている。乙の語の周辺の叙述をかいつまんで説明すると 、 藤三位は、その手紙を二つながら持って 、 中宮様の御前にいそぎま ゐるのである。そして 、 ﹁ か か る ζ となむ侍りし﹂と藤三位は 、 天 皇もいらっしゃる御前でお話し申し上げる と 、 中宮様は 、 知らぬ風 にご覧になり 、 ﹁藤大納言の手のさまにはあらぎめり。法師のに ζ お に そ あ め れ 。 むかし の鬼のしわざ と ζ そおぽゆれ﹂などと 、 大変真面 目におっしゃるので 、 藤三位は、﹁では、乙れは誰のしわぎでしょ うか。風流心のある上達部 ・ 僧綱などには誰がいますか。乙の人か 、 あの人だろうか﹂などと 、 不審がり 、 ﹁ 知 りたがり ﹂申き れるので 、 天皇が﹁乙のあたりに見えた色紙(の筆跡)に 、 大変よく似ている﹂ とほほえまれて 、 いま一つ御厨子のそばにあったのを取って 、 お示 しになる。という描写中 、 ﹁ おぼめきゆかし﹂という心理をみせて いる。したがって、懐疑心を解明しようとする意図が明瞭に表われ て い る 。 ぜ ん ざ い ︿ わ ん ざ う ゆ 同前栽に 萱草と いふ草をませ結ひ ていとお ぼく値 ゑたり け る 。花 せんざい のきはやかにふさなりて咲きたる 、 h u べむべしきと乙ろの前栽 つ づ み お と に は 、 いとよし。時づかさなどは 、 ただかたはらにて 、 鼓の音 れ川 I l l 1 1 1 I l l i -も例のには似ずぞ聞ゆるをゆかしがりて 、 若き人人 二 十人ばか は し ゃ りそなたに行きて 、 階より高き屋にのぼりたるを 、乙れより見 あ う す 隠 ぴ も 苧 り き ぬ ひ と へ が さ ね ︿ れ 忽 ゐ 上ぐれば 、 あるかぎり薄鈍の裳・唐衣 、 お な じ 色 の 閥 単 衣 襲 、 紅 の袴どもを着てのぼりたるは 、 い と天人などこそえいふまじけ れど、空よりおりたるにやとぞ見ゆる。(一五六段 ) ﹁故殿の御服の乙ろ﹂の 章段に 、 ﹁ ゆ か し が り ﹂ と ﹁ 動 詞 の 連 用 形 ﹂ で 用いられ﹁見たがる﹂﹁聞きたがる﹂の意である。本段の情況を説 明すると 、 故殿の御服のとろ 、 六月のっともりの日 、 大破という ζ とで、中 宮は宮中 からおでましになるはずであったが 、 職の御曹司 あいたど ζ ろ は方角が悪いので 、 太政官庁の朝所にお移りになった。その翌朝、 あたりの様子が珍し い の で 、 女房達は庭に下りて遊ぶ。 庭には萱草という草を 、 ま せ垣を結って 、 たいそう多く植えであ った。花が際立って房になって咲いているのは 、 格式ばった所の庭 -30ー

(7)

には、たいそうよい。漏刻の司などは、ただすぐそばで、(時刻を 告げる)鼓の音もいつもとちがって聞えるのを﹁(そばで聞きたが り)見たがって﹂、若い女房達が二十人ばかりそちらに行って、 階 段から高い鐙楼にのぼっているのを、乙ちらから見上げると、皆薄 鈍の裳・唐衣・同じ色の単衣襲・紅の袴を着てのぼっているのは、 とても天人などとはいえそうにない。空から降りたのであろうかと 見られる。という叙述場面には動きが看取出来る。その楽しそうな 雰囲気を醸し出す描写中、﹁聞ゆるをゆかしがりて::そなたに行 きて﹂と、﹁聴覚﹂+﹁視覚﹂+﹁行動﹂という精妙な技法をとっ ているのは見遁し難い。即ち、鼓の音に誘われて行って、そして﹁(そ ばで聞き)見たい﹂といういかにも清女らしい感覚で捉えている。 作者清女はこの一場面から考察しても、秀でた感覚の持ち主である といえよう。結局、本用語例文中の﹁ゆかし﹂は視覚を表わし、 ﹁(聞きたがり)見たがって﹂と解するのが適当である。 と の 帥しばしありて、前駆高う追ふ声すれば、 女 房 ﹁ 殿 ま ゐ ら せ た ま ふなり﹂とて 、 散りたるもの取りやりなどするに、いかでおり 主 ︿ なひと思へど、さらにえふとも身じろかねば、います乙し奥に I I l l 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 唱砂町き 引き入りて 、 さすがにゆかしきなめり、御凡帳のほ ζ ろびより はつかに見入れたり。(一七九段) ﹁宮にはじめてまゐりたるとろ﹂の章段に、﹁ゆかしき﹂と﹁形容詞 の連体形﹂で用いられている。乙の﹁ゆかしき﹂の好奇心を検討して みる。本章段は、清少納言がはじめて中宮定子のもとに宮仕えした 時の印象を、回想的に記録したものである。中宮僚にはじめて接し た時の心情から雪の 美 と い う ように展開していく。そして、前駆ば らいの 声 がすると、女 房 達が﹁関白殿がいらっし ゃ っ た よ う だ ﹂ と 言って、ちらかしであったものをとりかたづけなどするので、どう かして局へ引っ乙んでしまおうと思うが、全然、どうにも身動きが とれないので、いま少し奥にはいり込んだが、やはり﹁見たい﹂の であろう。御凡帳のほとろびから少し中をじっと見ていた。と新参 の清女らしい心境を自らやおら 4記している。弱気の内にも、﹁(お姿 を)見たい﹂という好奇心が強く湧くのである。そして視点は関白 殿 に 向 け ら れ る 。 仰心にくきもの j i -: : j i -・ : : : : : 夜 い た く ふ け て 、 御 前 に 留は E の ど も ね の ち と も大殿館り、人人みな 寝 ぬる後、外のかたに殿上人などのもの お く ど い し け お ﹄ た び などいふに、奥に碁 石の笥に 入るる 音 あまた度聞ゆる、いと心 に く し 。 火箸をしのびやかに突い立つるも、まだずきたりけり と聞くも、いとをかし。なほ寝ねぬ人は、心にくし 。 人 の 叫 臥 し た る に 、 ものへだてて聞くに 、 夜なかばかりなどうちおどろきて 酢けば、起きたるななりと聞えて、いふ ζ とは聞えず、関

V

し のびやかにうち 笑 ひたるこそなにごとならひと例制叫明利 。 ( 一 九 二 段 ) ﹁ 心 に く き も の ﹂ の 章 段 に 、 ﹁形容詞の己然形﹂で用いられている。こ の﹁ゆかしけれ﹂の対 象 お よ び 語義 を検 討 するに当たり、先ず本断 章の叙述描 写 を見てみたい 。 夜が大層更けて、中宮もおやすみにな り、女房達も皆寝てしまった後、外の方で、殿上人などが何か話を しかける、その奥で碁石を笥に入れる 音 が何度も聞とえる。 実 に 心

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がひかれる。火箸をそっと突っ立てるのも、まだ起きていたのだっ たなと聞く。まことによい。なお寝ない人は、心ひかれる。人が寝 ている時、夜なかなどに、ふと白をきまして、ものとしに聞くと、 起きているのだなあと思われて、いうことは閲乙えず 、 男も忍びやか に一寸笑っている様子こそ、何を話しているのだろう。﹁聞きたい ものだ﹂。視界が暗くなると、聴覚の世界に移る。それは、夜更け たしじまの中で耳を傾げると、話し声や碁石を笥に入れる音等が、 微かにそして明瞭に伝わってくる。なん とも清女らしい聴覚の鋭敏 さを感受することが 出来る。また、乙の断 章中 、﹁音あまた度開ゆ る ﹂ ・ ﹁ 起 き た り け り と 聞 く ﹂ ・ ﹁ も の へ だ て て 聞 け ば ﹂ ・ ﹁ 起 き た る な な り と 聞 え て ﹂ ・ ﹁ いふことは聞えず(話しの内容は間 ζ えなくても 声は聞こえるのであろう) ﹂・﹁なにごとならひとゆかしけれ ﹂と聴 覚用語が連鎖していることに注目した い。乙のように見てくると、 ﹁ 聞 く ﹂ と い う 聴 覚用語の連鎖の最後を飾って 、 好 奇心を示す語﹁ゆ かしけれ﹂と結んでいるのは、私見によると、これも聴覚的意義を 有する語であると判断したい。したがって、ここの﹁ゆかしけれ﹂ は﹁聞きたいものだ﹂と解すると、より文脈に適合すると思う。因 に、能因本﹃枕冊子﹄の ζ の該当部分には﹁なにごとならむとをか

U

州制﹂と本文に少異を見せているが、勘案するに、乙こはやはり、 聴覚用語の連鎖の締めくくりとして、聴覚的好奇心を示す﹁ゆかし けれ﹂の本文の方が、より原作者の意図に添うものであると考えた 同うれしきもの

-

E み I ll i -まだ見ぬ物語の一を見て、いみじうゆかしとの み思ふが、のこり見出でたる。さて、心おとりするやうもあり か し 。 ( 一 一 六

O

段 ) ﹁ う れ し き も の ﹂ の 冒 頭 部 に 、 ﹁ ゆ か し ﹂ と ﹁ 形 容 詞 の 終 止 形 ﹂ で 用 い られている。清女が﹁うれし﹂と感じた第一の乙とは、まだ読んだ ζ とのない物語の第一巻を読んで、その続きが﹁読みたい﹂とばか り思っているのが、その続きを見つけ出した時はうれしい。とあり、 本の第一巻を読んで 、その続きが読みたくて仕方がないという、読 書欲旺盛な清女の心情が感受出来る。したがって、乙この﹁ゆかし﹂ の語義は﹁(本を早く)読みたい﹂という、視覚系の好奇心を示して い る 。 ふ み と

ω

御文は大納言殿取りて殿にたてまつらせたまへば、引き解きて、 l I l l 1 1 1 1 1 1 1 ふ み み 関白殿﹁ゆかしき御文かな。ゆるされ侍らば 、あけて見侍らむ﹂ お ぽ とはのたまはすれど、あやふしと思いためり。関 白 殿 ﹁ か たじけ なくもあり﹂とてたてまつらせたまふを 、 取らせたまひても、ひ ろげさせたまふやうにもあらずもてなさせたまふ御用意ぞあり が た き 。 ( 一 二 ハ 二 段 ) ζ さ︿ぜんじ ﹁関白殿、二月二十一日に法興院の積善寺といふ御堂にて﹂から始 まる長文の一断 章 に 、 ﹁ ゆ か し き ﹂ と 会 話 文 中 に ﹁ 形 容 詞 の 連 体 形 ﹂ で 用いられている。乙の語が用いられている場面は、宮中から式部の ぞ う 丞なにがしが参上する。そして、御手紙は大納言殿が受け取って 、 関 白殿にさしあげなさると、殿は、包みをあけて、﹁﹃読みたい﹄お手 紙だな。お許しがございましたら、あげて見とうとぎいます﹂とは おっしゃるが、また、ひやひやしていらっしゃるようです。関白殿 -

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﹁やはりおそれ多い乙とです﹂とおっしゃって、中宮様にお手紙を さしあげなさるが、中宮様はそれをお受け取りになっても、おひろ げになると様子もない御心づかいはたぐいないものだ。と、関白殿 の言葉の発語に ﹁ ゆ か し き 御 文 か な ﹂ と 感情をより一層強めておっし ゃ る o 即ち 、﹁読みたいお 手紙だな﹂と訳し、視覚系好奇心を示す。

ω

まいて、うちほほゑむところはいと刷州州刑判ど、一引っゐたる は、黒き文字などばかりぞ、さなめりとおぼゆるかし。 ( 二 七 七 段 ) ﹁つねに対おこする人の﹂の章段に 、 ﹁ ゆかしけれ﹂と﹁形容詞の己 然形﹂で用いられている。後朝の文を扱った乙の章段の ﹁ ゆ か し け れ ﹂ は、微笑しながら読んでいるあたりの文面をとても﹁読みたい気も ずるけれど﹂、遠くに座っている時は、黒い文字などだけが、それ らしいなとおもわれることだ。と、文字を扱っている描写である故、 ﹁読みたい﹂心境を表わしているものと思われる。したがって、本 章段にお いても、視覚系好奇心を示す心情である。 次に最後の用語例の検討に移る。 削よき人のおはしますありさまなどのいと刷州叫剖こそ、けしか らぬ心にや。(二八六段) ﹁宮仕へする人々の出で集まりて﹂の章段の末尾の一文に、﹁ゆか し き ﹂ と ﹁ 形 容 詞 の 連 体 形 ﹂ で 用 い ら れ て い る 。 ζ の 一 文 は 、 清 少 納 雪 一 口 が宮仕え中の乙とを記述したものであれば、貴人の生活は自ら体験 してわかっているはずである。したがって、宮仕えを退いた後、貴 人の生活が気になって、人伝てにでもその消息を聞いて﹁知りたい﹂ と い う 、 区仕え時代を懐旧 しながらの心理であろうと思われる。こ のように考えて、ここの﹁ゆかし﹂は﹁知りたい﹂と意味付けるの が最も適切であり、貴人の生活を直接体験出来なくなった今、間接 的に聞いて﹁知りたい ﹂ という心情を表わし、聴覚系好奇心を示し て い る 。 以上、個々の用語例をつぶさに検討吟味してきたが、ここで全用 語例を通覧しま と め を す る 。 ﹃枕冊子﹄における﹁ゆかし﹂の意味は、先に考察してきたが 、 明確に判定出来るものもあったが 、 どの感覚で捉えた好奇心である か 、 暖昧で境界線を簡単に引き難いものもあったが 、 文脈上その感 覚の要素が濃厚に感受 出来るものによって意味付けを試みた。それ ら の 意 味 は ﹁ 見 た い ﹂ ・ ﹁ 聞 き た い ﹂ ・ ﹁ 知 り た い ﹂ ・ ﹁ 読 み た い ﹂ の 四 種と 、﹁見 たい・聞きたい ・ 知りたい﹂と三種の意味を複合的に使 つであるものに大別出来る。この内、﹁知りたい﹂と意味付けした ものに多少問題がある。即ち、﹁知りたい﹂という知覚には、あら ゆる感覚が包含されているため、さらに詳しくその該当部分のみ、 どの感覚が強く働いているかを見てみたい。 先ず用語例

ω

赤ん坊が男か女か(聞いて V ﹁ 知 り た い ﹂ 、

ω

機知 を︿見て V ﹁ 知 り た か っ た ﹂ 、

ω

都のことを手紙を会読んで﹀﹁知りた い ﹂ 、

ω

ほんのちょっとした ζ とでも(聞いて}﹁知りたがる﹂、川 御前池と名がつけられた理由を︽聞いて}﹁知りたい﹂、

ω

誰である か ( 聞 い て } ﹁ 知 り た い ﹂ 、 同 誰 の し わ ぎ か ︻ 聞 い て ) ﹁ 知 り た が る ﹂ 、

ω

貴人の生、活を(聞いて)﹁知りたい﹂。乙の八例が﹁知りたい﹂と

(10)

意味付けた事例である。乙のように﹁知りたい﹂という知覚には八 例中の六例に聴覚が伴っており、二例に視覚が伴ってそれぞれの関 心事を捉える乙とが出来る。 では、ここで改めて先に検討してきた﹁ゆかし﹂の全用語例を次 のように整理しておく。 但し、用語例山は 三事 例に基づく し 党 間︹計 一 例 ︺ ~ (1) ※ (3) 印 (4) は (7) 否 (8)※ 定 (9) 感 (10) 党(11) ~ (1)3 ~ (15) 計 (16) 十(18) 問(19) 例 (20) か 了 日 日 目 川 町 ゆ 川 川 川 川 ﹁ 汁 へ 列 ﹂ ( ( ( ( C C U C F よ = F J f 、 ゆ 生 日 その他 ( 三 種の核合感覚 このように三系列の感覚に大別出来る。したがって、﹃枕冊子﹄の ﹁ゆかし﹂は 、 視覚系範鴎に属する好奇心が最も数多く、次いで聴 覚系範鴎に属する好奇心が多く、嘆覚 ・ 味覚などの感覚は見当たら ない。そして、それらの対象は種々の事象に対して好奇心を求めて おり、又、﹁ゆかし﹂の意識を起こした人達は 、 中宮 ・ 女房 ・ 清少 納言の女性が総用例数の大部分を占め、その中でも 、 作者清少納言 の好奇心が最も多く見られる。結局、清少納言という女性は 、 好奇 心の旺盛な性格であるといえる。 - 34

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