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ドイツのマス・メディアにおける日本イメージの構築 : Katja Nafroth のZur Konstruktion von Nationenbildern in der Auslandsberichterstattung: Das Japanbild der deutschen Medien im Wandel. Münster: LIT Verlag. 2002 に関する研究ノート

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築 : Katja Nafroth のZur Konstruktion von

Nationenbildern in der

Auslandsberichterstattung: Das Japanbild der

deutschen Medien im Wandel. Munster: LIT

Verlag. 2002 に関する研究ノート

著者

Holst Sven, 真鍋 一史

雑誌名

関西学院大学先端社会研究所紀要 = Annual review

of the institute for advanced social research

5

ページ

47-64

発行年

2011-03-31

(2)

Ⅰ.はじめに

  本 稿 はKatja Nafroth の Zur Konstruktion von Nationenbildern in der Auslandsberichterstattung: Das

Japanbild der deutschen Medien im Wandel. Münster : LIT Verlag. 2002 に関する研究ノートである。

 われわれは、これまで「国際イメージ」という研究テーマに取り組んできたが、それは、一方で この研究がグローバリゼーションの時代の重要な研究課題の1 つになってきているからであり(例 えば、真鍋一史「国際化を日本の視座から考える」渡辺文夫、高橋順一編『地球社会時代をどう捉 えるか』ナカニシヤ出版、1992 年)、他方で国際イメージというテーマが社会科学の領域における 世論研究の1 つの重要な研究課題となってきているからである(例えば、W. Buchanan & H. Cantril,

How Nations See Each Other. A Study In Public Opinion, The University of Illinois, 1953)。

 さて、このような国際イメージの研究は、「文献研究」と「実証研究」に分けられる。まず、「文 献研究」では、関連する先行研究を取りあげ、それらの研究が、「何を分析したか」「どのような方 法で分析したか」「何がわかったか」について体系的に整理していくことが求められる。いうまで もなく、社会科学が「科学」と呼ばれる知的営為であるかぎり、それは蓄積的である(cumulative) ことを重要な要件の1 つとしているからにほかならない。  つぎに、「実証研究」については、「観察の方法」と「観察によって得られたデータの分析の方法」 が区分される。まず、「観察の方法」は、「社会現象がその上に痕を残しているところの諸資料を分 析する方法」と「社会現象を直接観察する方法」の2 つの種類に分けられる(M. Duverger, 深瀬忠一・ 樋口陽一訳『社会科学の諸方法』勁草書房、1968 年)。国際イメージ(あるいは外国像)の研究の 分野についていえば、前者には新聞、雑誌、書籍(教科書を含む)、広告、映画、漫画などのさま

研究ノート

ドイツのマス・メディアにおける日本イメージの構築

Katja Nafroth の Zur Konstruktion von Nationenbildern in der

Auslandsberichterstattung: Das Japanbild der deutschen Medien im Wandel.

Münster: LIT Verlag. 2002 に関する研究ノート−

Sven Holst

(福岡女子大学准教授)

真 鍋 一 史

関西学院大学名誉教授

      

青山学院大学教授

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ざまな諸資料の「内容分析(content analysis)」が、後者には多くの人びとを対象とする「質問紙調 査(survey research)」 が含まれる。

 つぎに、「観察によって得られたデータの分析の方法」については、さまざまな統計的分析の技 法が開発されてきている(Frank M. Andrews et al. eds., A Guide for Selecting Statistical Techniques for

Analyzing Social Science Data, Second Edition, Institute for Social Research, The University of Michigan,

1981)。

 今回の研究ノートは、国際イメージの研究領域における、「文献研究」のための準備作業ともい うべき位置づけがなされるものである。この研究ノートで取りあげる文献は、ドイツ・ミュンスター 大学の博士論文として書かれたものである。この博士論文の研究では、一方においてドイツの4 つ の日刊新聞(全国紙)の記事の「内容分析」が行なわれるとともに、他方においてこれら4 つの新 聞の「編集者(Redakteur: 在独)」「海外特派員(Auslandskorrespondent: 在日)」「自由契約記者(freier Mitarbeiter: 在日)」に対する「質問紙調査(Umfrage)」もなされている。つまり、上述の社会現象 の観察の2 つの方法が、いずれも採用されているのである。  以上のように、この博士論文は「マス・メディアの日本イメージ」という、現代社会における国 際イメージの問題を取り扱う場合に、決して避けて通ることのできないテーマを選んだという点に おいて、貴重な文献であるといわなければならない。それは、いうまでもなく、マス・メディアが、 現代社会にあっては、まさに人びとの意識の「舵取り」を行なう巨大装置であり(S. Ewen,

Captains of Consciousness, McGraw-Hill, 1976)、それによって、人びとのあいだに「共通の現実感覚

や社会イメージや価値観が培養(cultivate)されている(G. Gerbner et al. Growing up with Television: The Cultivation Perspective, in J. Bryant and D. Zillman eds., Media Effects, Lawrence Erlbraum, 1994)と 考えるからであり、そうであるとするならば、マス・メディアによる国際イメージの形成という問 題の重要性はいくら強調してもしすぎるということはないといわなければならないからである。  このようなテーマの重要性とともに、この研究の理論的枠組み、視座、仮説とその実証的検証の 方法、手続き、データ処理の方法は、いずれも手堅く準備されたものであり、その学術的な水準は 高い。この博士論文は、2002 年に書かれたものであるが、10 年の歳月を経て、いまなお十分に取 りあげる価値のある論文であるということができる。  以下においては、この文献の内容をできるだけ詳細に紹介することを試みたい。

Ⅱ.研究の理論的枠組みと実証的検証の方法

 この文献では、はじめにテーマに関する理論的枠組みともいうべきものが示されるが、それはこ の文献で用いる用語の定義(Definition)とその要素(Komponente、Elemente)、機能(Funktionen)、 さらに問題への接近の視座についての解説である。では、それらの用語がどのようなものかという と、「イメージ(Bild)」「ステレオタイプ(Stereotyp)」「偏見(Vorurteil)」「敵のイメージ(Feindbild)」 「味方のイメージ(Freundbild)」などである。そして、その上で、「構築主義(Konstruktivismus)」 の視座に立って、マス・メディアのなかに構築された日本イメージのリアリティを描き出すことを 試みる。

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 つぎに、実証的(empirisch)な方法の議論に移るが、そこでは、具体的に、つぎのようなリサー チ・クエスチョンが立てられる。  ①ドイツの印刷メディアは日本に対してどのようなイメージをもっているか。  ②日本についての新聞報道(Japanberichterstattung)はどのような傾向(Tendenz)を示しているか。  ③日本はドイツの新聞でどのように評価されてきたか。  ④新聞ごとの「日本の記述(Japandarstellung)」と「日本の評価(Japanbewertung)」には差異Unterschiede)があるか。  さて、このようなリサーチ・クエスチョンに対して、どのようにアプローチしていく かであるが、そのようなリサーチ・クエスチョンにただ漫然とアプローチしていくだけでは何も見 えてこない。実証的な観察を導く何らかの「想定(forschungsleitende Annahmen)――変数間の関 連性よりも、諸変数の記述と相互の相違点に焦点を合わせる――」と、それを煮詰めたより具体的 な検証可能な2 変数間の関係――統計的な有意差検定によって判定される――についての「仮説Hypothesen)」を構成しておかなければならない。  こうして準備されたのが、以下の「想定」と「仮説」である。 想定1[新聞報道の傾向]:  新聞報道というものは、詳しく多面的に対象(ここでは日本と日本の事柄)を取りあげることを せず、いわば「偏った報道」ともいうべきものをする。「偏った報道」という場合、そこにはつぎ のような側面が含まれる。 ①新聞報道というものは、それが特別の連続的な報道である場合を除いて、常に「最新情報」とも いうべきものだけを伝えようとする。 ②新聞報道では、「政治」と「経済」に関するものが多く、「社会」と「文化」に関するものが少な い。 ③「わるい出来事」は「よい出来事」よりも記事になりやすい。 ④「関東(とくに東京)」と「関西(とくに大阪、京都、神戸)」の出来事は、ほかの地域の出来事 よりも、記事になりやすい。 ⑤「公人」の行動は、「一般人」のそれよりも、記事になりやすい。 想定2[日本評価の傾向]: ①ドイツの新聞記事における日本の評価は、全体として「否定的(negativ)」なものである。 ②記事のなかの登場人物(の国籍)によって日本の評価が大きく違ってくる。日本人の日本評価は より「肯定的(besser bewerten)」で、ドイツ人やほかの外国人のそれはより「否定的」である。 ③ドイツの新聞の日本に対する評価は、その多くが日本を批判(Kritik üben)し、日本に警告(warnen) する内容のものである。

想定3[日本評価の表現(wertende Ausdrücke)とイメージ形成の表現(imageprägende Ausdrücke)]:1970 年∼ 80 年代の日本のイメージは、90 年代に入って大きく変化した。70 年代の日本のイメー

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ジは、日本経済に対する強い警戒・懐疑が中心となっていたが、80 年代には、それが一転して 称賛・礼賛に変化した。(以上は、これまでの先行研究の記述を踏まえたものであり、そこから つぎの想定がでてくる。)90 年代になると、それはもはや過度な警戒・懐疑でもなく、そうかといっ て極端な称賛・礼賛でもなく、バランスのとれた落ち着いたものになってきた。 ②このような日本のイメージは、マス・メディアによって作られたものである。 ③同じ日本についての記事であっても、その領域によって評価が異なる。具体的にいえば、「経済」 と「社会」では批判的な表現が使われることが多く、「政治」では、ドイツが日本と友好的な国 際関係にあるところから、支持的な表現が用いられることが多い。総じて、日本のイメージは、「経 済」についての新聞記事の影響によって形成されている。  以上のような、ドイツの新聞報道の全般的な傾向についての「想定」とは別に、いわば2 変数間 の関係についての実証的に検討可能な命題としての「仮説」も準備される。それはつぎのようなも のである。  仮説1:ドイツの新聞における日本に関する報道は、その報道が詳しければ詳しいほど、日本の 評価は中立的(neutral)なものでなくなる。報道される出来事についての、いわゆる「背景情報」 が多ければ多いほど日本の評価はわるくなる。  仮説2:最近の報道になればなるほど、日本の評価は否定的なものとなる。    仮説3:ドイツの新聞のなかで、その政治的な立場が保守的な新聞は、日本に対して否定的であり、 リベラルな新聞はそれほど否定的でない。  さて、以上のような実証的研究を導く「想定」と、変数間の関係を示す命題としての「仮説」を、 「内容分析」という方法によって検証をするためには、そのための素材(分析対象)が必要となる。 それが以下のようなドイツの4 つの日刊新聞(全国紙)の記事である。Frankfurter Rundschau (FR):FR はフランクフルトで発行されており、発行部数は 2000 年の調べ(以下同じ)で約 19 万部で、 その政治的立場は左派的(links-liberal)といえる。Süddeutsche Zeitung (SZ):SZ はミュンヘンで発行されている日刊紙で、発行部数は約 42 万部といわれ、ドイツ最大の全国 紙である。政治的立場は社会民主的(links-sozial)である。

Frankfurter Allgemeine Zeitung (FAZ):

FAZ はフランクフルトで発行されていて、発行部数は約 40 万部で、SZ につぐ全国紙である。経 済界に近い立場(marktwitschaftlich)に立つ新聞である。

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Welt:Welt はハンブルグで発行されており、発行部数は約 25 万部となっている。大規模メディア・コ ンツェルンであるシュプリンガー出版社に属し、その政治的立場は保守的(konservativ)といえる。  以上のような新聞を分析対象に取りあげるが、つぎにその分析期間を設定しなければならない。 それは、すでに「仮説」において提示したように、1995 年から 1998 年とした。   内 容 分 析 の 対 象 は、 こ の 期 間 の 上 述 の4 つ の 新 聞 の 日 本 関 連 記 事 ―― 通 信 社 報 道Agenturmeldungen)、株式市場報道を除く――で、それは総数 1070 となったが、そこから無作為 抽出(uneingeschränkte einfache Wahrscheinlichkeitsauswahl / einfache Zufallsstichprobe)された 270 の 記事が実際の分析対象となった。  これら270 の記事について、新聞ごとの割合を見てみると、FAZ が 45%、SZ が 31%、Welt が 13%、FR が 11%となった。  また、記事の行数で見ると、FAZ は 49%、SZ は 28%、FR12%、Welt11%となる。記事の行数の 平均は104 行で、FAZ の記事はこの平均とくらべて 9 行長い。   さ ら に、 こ れ ら に270 の記事を、その形式(formale Kategorie)で見てみると、「報道記事informierende Textgattungen)」 が 半 数 近 く ま で を 占 め、 つ ぎ に「 解 説 記 事(interpretierende

Textgattungen)」が続き、「社説(Kommentar)」「インタヴュー」「寸評(Glosse)」など、いわゆる「意 見表明記事(meinungsäußernde/kommentierende Formen)」の分量は少ない。

Ⅲ.内容分析の結果

1.日本に関する記事の分量の安定度  ドイツの新聞において、日本に関する記事の分量はいつも一定したものであるのか、それともそ れが多い時期と少ない時期というのがあるのかどうかを分析した。その結果、FAZ と SZ の記事数1995 年に少なく、Welt のそれが 1997 年に多いというように、記事数については新聞ごとに異 なる増減の傾向が見られることがわかった。 2.記事の種類  新聞記事は、一般に、「報道(berichtend)」「解説(interpretierend)」「論説(kommentierend)」に 分けられる。では、今回、分析対象に取りあげた記事については、それぞれはどのくらいの分量に なるであろうか。  まず、全体的に見た場合、分析対象の270 の記事のなかで、「報道」は 149 、「解説」は 82 、「論 説」は39 、という結果になった。  つぎに、新聞別に見た場合、この記事の種類の順で、FAZ は 67 、41 、14、SZ は 43 、19、21、 Welt は 26、7、2、FR は 13、15、2、という記事数になった。この記事数からするならば、FAZ、 SZ、FR で「解説記事」がやや多く、Welt でそれがやや少ないということがわかる。  では、そのような「解説記事」では、どのくらい詳しい「背景情報(Hintergrundsinformationen)」

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が提供されているのであろうか。ここでは、その程度を「詳しい(ausführliche)」「ある程度詳しいeinige/teilweise)」「あまり詳しくない(kaum)」「全く詳しくない(keine)」の 4 つのカテゴリーに 分けて分析した。結果は表1 に示したとおりであり、全体としては 4 つのカテゴリーの%にそれほ ど大きな違いは見られないものの、各新聞間にはかなりの違いが見られる。それは、FAZ では「詳 しい」の%が、SZ と FR では「ある程度詳しい」の%が、Welt では「あまり詳しくない」と「まっ たく詳しくない」の%が、それぞれ最も高くなっているということである。  以上の結果から、とくにFAZ が日本関連記事においては、「報道」だけでなく、「解説」にも力 を入れていることが読み取れるのである。 3.記事内容の時事性(zeitlicher Bezug)――最近の出来事であるかどうか――  新聞記事はそもそも時事的なものであると相場がきまっている。しかし、それがどのくらい、そ うであるかについては必ずしも明確ではない。ここでは、日本に関する新聞記事がどのくらい時事 性をもっているかについて分析した。分析のカテゴリーは、「時事性がない記事」「時事性がある記 事」「ある程度の時事性がある記事」「歴史的な事柄についての記事」「現状についての解説記事」「将 来についての予測記事」、の6 つとした。結果は表 2 のとおりである。「時事性がある記事」は、ど の新聞においてもほぼ半数までを占めている。この数値は、「新聞記事は時事的なものである」と いう一般的なイメージからすれば、やや低いものといえるかもしれない。繰り返しになるが、この 点については、新聞ごとに、ほとんど違いは見られない。顕著な違いが見られるのは、「歴史的な 事柄についての記事」はFR でその%が高い、「現状についての解説記事」は Welt でその%が高い、 「将来についての予測記事」はFR でその%が低い、といったところである。これらの違いは、各 新聞の日本記事についての編集方針を反映したものといえよう。 表1 記事の種類――背景情報の詳しさの程度―― SZ FAZ FR Welt 計 詳しい記事 ある程度詳しい記事 あまり詳しくない記事 全く詳しくない記事 22.9% 37.3% 25.3% 14.5% 34.5% 17.2% 26.2% 22.1% 26.7% 36.7% 23.3% 13.3% 14.3% 17.1% 34.3% 34.3% 24.6% 27.2% 27.2% 21.0% 計 100.0% 100.0% 100.0% 100.0% 100.0% 表2 記事内容の時事性 SZ FAZ FR Welt 計 時事性がない記事 時事性がある記事 ある程度の時事性がある記事 歴史的な事柄についての記事 現状についての解説記事 将来についての予測記事 3( 3.6%) 42(50.6%) 12(14.5%) 3( 3.6%) 14(16.9%) 9(10.8%) 3( 2.5%) 62(50.8%) 13(10.7%) 10( 8.2%) 18(14.7%) 16(13.1%) 1( 3.3%) 15(50.0%) 4(13.3%) 6(20.0%) 2( 6.7%) 2( 6.7%) ― 17(48.5%) 3( 8.6%) 3( 8.6%) 8(22.9%) 4(11.4%) 7( 2.6%) 136(50.3%) 32(11.9%) 22( 8.1%) 42(15.6%) 31(11.5%) 計 83 (100.0 %) 122 (100.0%) 30 (100.0%) 35 (100.0%) 270 (100.0%)

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4.記事のテーマ  新聞記事は、多くの場合、1 つの「メインテーマ(Hauptthema)」と、いくつかの「サブテーマUnterthemen)」で構成される。ここでは、分析対象となった記事を、「メインテーマ」に焦点を合 わせて分類した。分類のカテゴリーは、「政治」「経済」「文化・社会」「学術・研究」「ヒューマン・ インタレスト」「その他」とした。結果は表3 のとおりである。  まず、全体的に見て、新聞記事のテーマの中心は「政治」(50%)と「経済」(33%)であること がわかる。  つぎに、新聞ごとに見ていくならば、「政治」の%はFR と SZ でやや高く、FAZ と Welt でやや 低い。「経済」の%はWelt と FAZ で高く、FR と SZ で低い、という傾向が捉らえられる。 5.よい出来事についての記事/わるい出来事についての記事  「わるい出来事は記事になりやすく、よい出来事は記事になりにくい」といわれる。この言説 (Diskurs)の検証が、ここでの分析のねらいである。そのための、記事分類のカテゴリーは、「と てもわるい出来事」「問題のある出来事」「よい出来事」「どちらともいえない出来事」の4 つとした。 結果は表4 のとおりである。  この結果から、確かに「とてもわるい出来事」と「問題のある出来事」を加えると50%弱とな るものの、「よい出来事」も20%ほど取りあげられており、また「どちらともいえない出来事」が 32%にもなることから、ただちにこの言説が検証されたというには、やや無理があるといわなけれ ばならない。 表3記事のテーマ SZ FAZ FR Welt 計 政治 経済 文化・社会 学術・研究 ヒューマン・インタレスト その他 76(51.0%) 47(31.4%) 1( 0.7%) 12( 8.1%) 12( 8.1%) 1( 0.7%) 123(49.2%) 93(37.2%) 12( 4.8%) 10( 4.0%) 12( 4.8%) ― 33(53.2%) 9(14.5%) 4( 6.5%) 8(12.9%) 8(12.9%) ― 27(46.6%) 24(41.4%) 2( 3.4%) 3( 5.2%) 2( 3.4%) ― 259(49.9%) 173(33.3%) 19( 3.7%) 33( 6.4%) 34( 6.5%) 1( 0.2% ) 計 149 (100.0%) (100.0%)250 (100.0%)62 (100.0%)58 (100.0%)519 表4 よい出来事についての記事/わるい出来事についての記事 SZ FAZ FR Welt 計 とてもわるい出来事 問題のある出来事 よい出来事 どちらともいえない出来事 6( 7.2% ) 29(34.9%) 13(15.7% ) 35 (42.2%) 10( 8.2% ) 51(41.8% ) 29(23.8% ) 32(26.2% ) 8 (26.7%) 9 (30.0 %) 6 (20.0 %) 7 (23.3 %) 1( 2.9% ) 14(40.0 %) 7 (20.0% ) 13 (37.1% ) 25( 9.3% ) 103(38.1% ) 55(20.4% ) 87(32.2% ) 計 83 (100.0%) (100.0%)122 (100.0%)30 (100.0%)35 (100.0%)270

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6.記事に取りあげられる地域  ここでは、日本関連記事において、どのような地名(地域名)がでてくるかを分析した。その結 果は、「日本の地名が記された記事」が53.3%、「ドイツの地名が記された記事」が 5.6%、「その他 の地名が記された記事」が20.4%、「地名がでてこない記事」が 20.7%となった。そして、日本の 地名が記された144 の記事については、「東京」49 回、「大阪」40 回、「京都」6 回、「広島」と「沖 縄」3 回ずつ、「東京以外の関東の県・都市」8 回、「その他の日本の県・都市」6 回、「その他(日 本海・尖閣諸島)」4 回、「Japan/Nippon という表記」61 回という結果が得られた。この結果からす るならば、日本に関する新聞記事で取りあげられる地域には、明らかに都会偏重ともいうべき「偏 り」があることがわかる。 7.記事に登場する人物・団体・組織(Handlungsträger)  日本関連記事のなかで、「日本政府」を取りあげた記事が、それだけですでに23.8%までを占め、 それに政界・財界の人物や団体(たとえば、経団連や日経連など)を加えるならば88.2%に達する。 つまり、記事に登場するのは「公の人物・団体・組織」が中心となっていることがわかる。 8.記事の日本に対する評価 (1)方法  日本関連記事において、日本がどのように評価されているかを捉えようとした。そこで、この論 文の著者は、独自の評定尺度ともいうべきものを準備して、それぞれの新聞記事における日本の評 価度の評定を試みた。それは、「非常によい/非常に肯定的(stark positiv)」「ややよい/やや肯定 的(leicht positiv)」「どちらともいえない/中立的(neutral)」「ややわるい/やや否定的(leicht negativ)」「非常にわるい/非常に否定的(stark negativ)」、の 4 つのカテゴリーで構成されるもの であった。 (2)全体的な傾向  著者による評定結果によれば、これらのカテゴリーごとの記事の割合は、順に6.3%、8.8%、 49.6%、22.2%、14.1%となった。つまり、全体的に見て、ドイツの新聞記事における日本評価の 頻度分布は、「中立的」と評定される記事がほぼ半数までを占め、そのように評定される記事を頂 点として、大きく「否定的」と評定される記事のほうに歪んだ山型の形となっていることがわかっ たのである。それとともに、記事の分量が多く、いわゆる「背景情報」が多くなるほど、その記事 の日本評価はわるくなるということもわかった。 (3)各紙ごとの傾向  各紙ごとの評定結果を見ていくならば、Welt では「非常に肯定的」「やや肯定的」の%が高く、「や や否定的」「非常に否定的」の%が低い。FAZ ではその日本評価の%が「やや肯定的」と「やや否 定的」に分かれる結果となっている。FR では「中立的な」記事の%が高いが、何らかの評価が含 まれる場合は、それは「否定的」なものとなる。

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4)評定平均値による分析  今回、分析対象に取りあげた記事数は270 であったが、1 つの記事のなかに複数の評価が含まれ るという場合もあるので、評価数は343 となった。そこで、つぎに、この 343 の評価にそれぞれ点 数を与える。それは、「非常に肯定的(=1 点)」∼「非常に否定的(= 6 点)」という 6 点尺度― ―筆者は、この尺度をドイツの学校における成績評価と同様の考え方にもとづいていると説明して いる――を作成するということで、その結果、記事における日本評価の平均値は4.21、つまり否定 的な評価となった。  テーマ別に見ていくならば、「文化・社会(評価数:21 )」は 3.66、「学術・研究(評価数:21)」3.81、「経済(評価数:115)」は 3.95、「政治(評価数:170 )」の平均値は 4.53 となっており、 この順で評価がわるくなっていることがわかる。つまり、「文化・社会」の評価にくらべて、「政治」 のそれはかなりわるいということである。 (5)記事中のコメントにおける日本評価  新聞記事の日本評価については、もう1 つ重要なポイントがある。新聞記事は、一般に、特定の 社会的な出来事についての報道だけでなく、それをめぐるさまざまな人びとのコメント――意見・ 感想・評価――も含めて構成される。そこで、このような人びとのコメント――それは、インタヴュー 記事という形をとる場合もあるし、あるいはそのような意見表明の引用という形をとる場合もあ る――において、日本評価がどのようになっているかを評定しておくことが重要な課題となってく るのである。  すでに述べたように、この論文の著者は、はじめに「日本人は、ドイツ人やほかの外国人にくら べて、日本をよりよく評価するであろう」と想定した。この点についての検証が、ここでの分析の ねらいである。  さて、今回、分析に取りあげた270 の新聞記事のなかで、記者以外の人物のコメントが確認でき たケースは141 件で、その人物の国籍は、「日本人」が 51.1%、「ドイツ人」が 22.7%、「日本人・ ドイツ人以外の外国人」が25.5%となった。これら人物による日本評価を、上述の「非常にわるい (=6 点)」∼「非常によい(= 1 点)」の 6 点尺度で評定した結果、「日本人」による評価の平均値4.75 で相対的にわるく、「ドイツ人」による評価の平均値が3.03 で相対的によく、それ以外の「外 国人」による評価の平均値が4.28で両者の中間で、全体平均値に近いところに位置することがわかっ た。  こうして、新聞記事におけるドイツ人のコメントにおける日本評価を「ドイツの世論(deutsche Öffentlichkeit)」として捉えるとするならば、「ドイツの世論」における日本評価は必ずしも低いも のではなく、とくにその「経済」というテーマについての評定平均値は1.96 となり、「ドイツの世論」 における日本経済の評価はかなり高いものであるということになる。 (6)新聞記者の日本評価  今回、分析に取りあげた記事数は270 であった。すでに見てきたように、これらの記事のなかで、 記者以外の人物によるコメントが掲載された記事数は141 であった。では、記者による日本評価が

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読み取れる記事はどのくらいあるのであろうか。それは、今回の場合、202 であった。この論文の 著者は、「記者以外の人物によるコメントの掲載された記事数」よりも、「記者による日本評価が読 み取れる記事数」のほうが多いので、日本についての新聞報道は「客観的」とはいえない可能性が あると考えた。  そこで、このような新聞記事の客観性を測定するために、以下のようなインデックスが提案され た。        ∑ 記者による評価  客観性インデックス= ―――――――――――――――――――――――――   (Objektivitätsindex)     ∑ 記者以外の人物による評価+記者による評価  このインデックスで計算された各紙の値は、SZ が 0.78 、FAZ が 0.75 、FR が 0.65、Welt が 0.59 となった。新聞記事が客観的であれば、この値は0.5 に近づくと考えられる。しかし、結果は各紙 ともに0.5 よりも大きい値となったので、客観的とはいえない。強いていえば、Welt がやや客観的 な傾向を示しているといえる。  つぎに、「記者による日本評価」と「コメントにおけるドイツ人の日本評価」を、以上の分析で 用いてきた評定平均値を用いて比較する。その結果、前者は4.19 、後者はすでに述べたように 3.03 で、両者の評定平均値には1.16 の開きがあり、「記者の日本評価」は相対的にわるく、「ドイツ人 の日本評価」は相対的によい、ということがわかった。  では、このような日本評価における「記者」と「ドイツ人」との差異は、テーマ別ではどのよう な傾向を示すであろうか。ここでは、「評価記事数」の多い「政治」と「経済」にかぎって、評定 平均値を示しておく。まず、「政治」については、「記者」は4.38 でかなり否定的であるが、「ドイ ツ人」はそのコメントにおいて評価を表明することが少なく、またその数少ない評価はおしなべて 肯定的なものである。つぎに、「経済」については、「記者」は3.98(否定的)、「ドイツ人」は 1.96 (肯定的)で、両者の平均値の差は2.02 にもなっている。  最後に、各紙別の傾向について記しておきたい。まず、記事中の評価数ということでいえば、 FAZ のそれが最も多く、以下、SZ、Welt、FR という順位が見られる。つぎに、その評定平均値と いうことでいえば、Welt の日本評価が 3.83 で、それでも相対的には最もよく、以下、FAZ の 4.17、 FR の 4.18 、SZ の 4.21 という順位となっている。

9.新聞記事の意図・目的・目標(Ziel des Artikels)

 新聞記事はさまざまな意図・目的・目標をもって書かれている。それらが、具体的に、どのよう なものであるかを分析することが、ここでのねらいである。分析の結果(表5、6、7)は、「批判」 13.0%、「肯定」5.2%、「否定」3.7%、「一部は肯定、一部は否定」11.1%、「称賛」1.5%、「警告」0.7%、 「報告」59.6%、「判断できない」1.9%、「その他」3.3%となった。この結果から、日本関連記事の 6 割までが「事実の報告」を目的に書かれているが、何らかの「評価の表明」が意図される場合には、 それは「肯定・支持・称賛」と「否定・批判・警告」の2 つの方向に分かれ、前者にくらべて後者 の方向を意図した表現数が多い。しかし、その傾向も大きく偏っているとまではいえない。

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 つぎに、記事のテーマ別でいえば、とくに「政治」についての記事が「否定的」な意図で書かれ ていることがわかる。ただ、その「否定的な意図」も、激しく否定的であるといえるほどの目立っ たものではない。 表5 記事の意図・目的・目標 SZ FAZ FR Welt 計 警告 批判 肯定 否定 称賛 肯定と否定 中立的な報道 判断できない その他 ― 13 (15.7%) 7 ( 8.4%) 5 ( 6.0%) 1 ( 1.2%) 7 ( 8.4%) 48 (57.9%) 1 ( 1.2%) 1 ( 1.2%) 1 ( 0.8%) 15 (12.3%) 4 ( 3.3%) 3 ( 2.5%) 2 ( 1.6%) 16 (13.1%) 73 (59.8%) 4 ( 3.3%) 4 ( 3.3%) 1 ( 3.3%) 2 ( 6.7%) 1 ( 3.3%) 1 ( 3.3%) ― 5 (16.7%) 18 (60.0%) ― 2 ( 6.7%) ― 5 (14.3%) 2 ( 5.7%) 1 ( 2.9%) 1 ( 2.9%) 2 ( 5.7%) 22 (62.8%) ― 2 ( 5.7%) 2 ( 0.7%) 35 (13.0%) 14 ( 5.2%) 10 ( 3.7%) 4 ( 1.5%) 30 (11.1%) 161 (59.6%) 5 ( 1.9%) 9 ( 3.3%) 計 83 (100.0%) (100.0%)122 (100.0%)30 (100.0%)35 (100.0%)270 表6 否定的な意図・目的・目標(警告・批判・否定) 無能力で不誠実な政治家 改革不能 内政 戦争責任 外交 経済・政治 リーダーシップがない その他 硬直化した制度 経済界 社会制度 金融制度・銀行 個人・組織 原子力の扱い方 メディアの報道 24(18.5%) 17(13.1%) 14(10.8%) 9( 6.9%) 9( 6.9%) 8( 6.2%) 8( 6.2%) 8( 6.2%) 7( 5.4%) 6( 4.6%) 6( 4.6%) 4( 3.1%) 4( 3.1%) 3(2.3%) 3(2.3%) 計 130 (100.0%) 表7 肯定的な意図・目的・目標(賛意・称賛・感動) 政治(外交・開発援助) 政治家 その他 経済・政治改革 社会慣習・制度 学術・技術の進歩 経済・金融制度 内政 日独関係 革新 景気 将来の可能性 経済・政治 9(15.5%) 7(12.1%) 7(12.1%) 6(10.3%) 5(8.6%) 5(8.6%) 4(6.9%) 3(5.2%) 3(5.2%) 3(5.2%) 3(5.2%) 2(3.4%) 1(1.7%) 計 58 (100.0% )

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 また、そのような意図の表明者別ということでいえば、「記者(在日ドイツ人契約記者)」と「日 本人」の意図には「否定的」なものが多く、「記者以外のドイツ人」のそれには「肯定的」なもの が多い。  最後に、各紙別については、とくに顕著な傾向というのは見られない。 10.新聞記事のなかの日本に関する表現  新聞記事においては、日本に関してさまざまな表現がなされている。ここでは、それらが、具体 的にどのような表現であるかを分析した。  今回、分析の対象とした新聞記事においては、661 の日本に関する表現があった。  まず、それらをテーマ別に見ていくならば、「政治」が402、「経済」が 122 、「文化・社会」92 、 「学術・研究」15、「日本の将来」25 という結果になり、「政治」と「経済」のテーマで表現数が圧 倒的に多くなっている。  では、つぎに、そのような表現がどのような評価の方向を示しているかというと、日本に関する 661 の表現のなかで、「否定的な表現」は 488 、「称賛的な表現」は 173 であった。  これを、テーマ別(「政治」と「経済」にかぎって)に見ていくならば、まず政治では、「国内政 治」101 のうち、「否定的」87 、「称賛的」14、「政治家」56 のうち、「否定的」47、「称賛的」9、 そして経済では、「国内経済」78 のうち、「否定的」62、「称賛的」16、「世界経済」52 のうち、「否 定的」39、「称賛的」13、となった。 表8 社会についての具体的な表現 日本はコンセンサス社会 (−) 日本の社会はある強さをもっている(+) その他 (−) 日本のメディアは信頼できない・刺激的なものを取りあげる(−) 日本人はドイツ人とかわらない (+) 残酷な教育制度 (−) 時代遅れの習慣と伝統 (−) 犯罪と暴力が増加 (−) 10 9 8 7 5 5 5 5 計 54 表9 国民性についての具体的な表現 日本人はヒステリックな変な国民 (−) 積極的な関心をもっている日本人が現在の制度に批判的 (+) 生活環境がわるいにもかかわらず浪費的な消費行動 (−) 日本人は自分が選ばれた民族だと思っている (−) その他 (+) 13 8 7 7 3 計 38

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Ⅳ.新聞記者に対する 「質問紙調査(Umfrage)」の結果

 以上においては、ドイツの新聞に掲載された日本に対する記事の「内容分析」の結果を紹介して きた。このような分析をとおして、ドイツの新聞において、日本に関する記事はどのくらいの分量 であるのか、そしてまた、それらの記事において、日本は肯定的に取り扱われているか、それとも 否定的に取り扱われているか、が明らかとなった。  そこで、つぎのリサーチ・クエスチョンは、「新聞における日本関連記事は記者の『ものの見方・ 考え方・感じ方』を反映したものなのであろうか」というものである。このリサーチ・クエスチョ ンに答えるべく、SZ、FAZ、FR、Welt、という 4 つの新聞社の 18 人の在日の「海外特派員」「編 集者」「自由契約記者」を対象に「調査票(自由回答項目を含む質問紙)」を郵送(2001 年 1 月 31 日発送)し、郵送あるいは電話による回答を求める調査が実施された。有効回答者は13 人(有効 回収率:72%)であった。この 13 人の回答者がどのような属性の人びとであるかというと、  ①男性が9 人、女性が 4 人  ②39 歳以下が 6 人、40 歳以上が 7 人  ③海外特派員が8 人、自由契約記者が 1 人、編集者(存独)が 3 人、その他 1 人  ④経済専門が6 人、政治専門が 4 人、文化・社会専門が 3 人  ⑤その多く(10 人)が日本に長く滞在している  ⑥日本語ができる人がほぼ1/3、できない人および少ししかできない人が半数近い。  さて、調査の結果は以下のとおりとなった。  (1) 記者がどのような「記事」を多く書いているかという質問をしたが、それに対しては、 「解 説記事――出来事の背景情報――」をあげた回答者が7 人、「論説記事」をあげた回答者が6 人となっ た。ところが実際の記事面の分析では、いうまでもなく「報道記事」の割合が最も高い。  (2) 新聞記事の行数というのは、日本関連記事の場合、1 つの記事が 30 ∼ 100 行というのが普通 の形である。そこで、「この行数についてどう思うか」という質問がなされたが、それに対しては「満 足している」という回答が6 人、「もう少しスペースが欲しい」という回答が 3 人、となった。(3) 新聞記者が記事のテーマについてどう思っているかを、以上の 3 つの点から尋ねた。 ①「あなたは、現在、何が最も重要なテーマであると思いますか」という質問に対しては、「経済」 をあげるものが10 人(76.9%)で最も多く、以下、「政治」2 人(15.4%)、「どのテーマも同じ くらい重要」1 人(7.7%)となった。 ②「あなたは、過去2 年間に、何が最も重要なテーマであったと思いますか」という質問になると、 「経済」をあげるものがさらに増え、12 人 (92.3% ) までとなり、「ヒューマン・インタレスト」1 人(7.7%)となった。 ③「あなたは、読者が最も関心をもっているテーマは何だと思いますか」という質問では、回答が 「経済(38.5%)」「政治(23.1%)」「社会・文化(15.4%)」「ヒューマン・インタレスト(7.7%)」 「すべてのテーマ(7.7%)」と散らばる結果となったが、その場合でも「経済」をあげる回答が 最も多いということは変わらない。

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 以上から、日本関連記事においては、「経済」というテーマが、記者の意識のどの点からしても、 特別にきわだったものであるということがわかる。  (4) 新聞記事を書く場合、その背景にまで踏み込んで、情報を伝えているかどうかについては、「必 ず背景情報を伝えている」が53.8%、「いつも伝えている」15.4%、「めったに伝えていない」 15.4%、「全く伝えていない」7.7%という回答が得られた。記者が「背景情報」の重要性を意識し ていることがわかる。  (5) 日本からの報道の使命については、「事実を伝える」が15.4%、「異なる文化について解説する」 30.7%、「両方」23.1%、という結果で、ここでも報道における「解説」という要素の重要性が意識 されている。  (6) 新聞記者は日本をどのように評価しているのであろうか。新聞記事の場合と同様に、それを 質問紙に組み込まれた評定尺度(「非常によい」=1 から「非常にわるい」= 6 までの 6 点尺度) によって捉えた。その結果、評定平均値は2.5 となった。  記事の場合の評定平均値が4.2 であった(つまり記事の日本評価は低い)こととくらべてみるな らば、記者の日本評価は高いといわなければならない。つまり、ここでは「記者の日本評価」と 「記事の日本評価」 に大きな差異が見られるのであり、この点において、「記者のものの見方・考え 方・感じ方は記事に反映されてない」といわなければならない。  では、「記者の日本評価」と「記事の日本評価」には、常に「ずれ」が見られるかというと、決 してそうではなくて、「日本の政治には否定的であるが、日本の経済には肯定的である」という評 価の傾向については、記者と記事に完全な一致が見られる。  (7) ドイツの新聞記者は、日本および日本人に対して、どのような具体的なイメージをもってい るのであろうか。  まず、「日本」に対するイメージとしては、回答数の多いものから順に「変化する産業大国 (40.0%)」、「文化的な特色をもつ国(26.6%)」、「ドイツ人にとっては分かりにくい国(20.0%)」 などがあげられた。  つぎに、「日本人」に対するイメージとしては、同じように「日本人は複雑で分かりにくい(31. 3%)」「仕事や勉強に勤勉で教養がある(25.0%)」「丁寧で親切(18.7%)」「集団主義的で人間関係 に調和を求める(12.5%)」などがあげられた。 表 10 ステイトメント・テスト そう思う そう思わない 日本の政治は力量がなく、未熟である 日本は海外からの輸入に対して市場を閉鎖する 国際的に見て日本は強国である 日独関係は政治と経済の分野において良好である 日本とドイツは重要な貿易のパートナーである 日本はコンセンサス社会であり、集団主義と忠誠心によって 個性が抑圧されている 日本人は変な国民 ドイツ人は日本人から学ぶことが多い 日本はドイツにとっては失敗したモデルだ 8 3 10 12 11 7 3 6 3 3 9 3 1 1 5 9 5 8 計 63 44

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(8) 最後に、日本および日本人の好きなところとしては、「日本人の性格(44.4%)」「文化(33.3%)」 「安全であること(7.5%)」などが、そして嫌いなところとしては、「集団主義的で批判精神に欠け る(42.9%)」「大都会での日常生活(28.7%)」「戦争責任の問題への取り組み(9.4%)」などが、 それぞれあげられた。

Ⅳ.おわりに

 以上において、Katja Nafrth による博士論文の研究内容を、できるだけ詳細に紹介することを試 みた。それは、文献研究においては、取りあげた文献が、「何を分析したか」「どのような方法で分 析したか」「何がわかったか」について、体系的に整理することが求められるからにほかならない。 しかし、今回の「研究ノートという形での文献紹介」の様式は、従来の「文献紹介」の記述のレベ ルをはるかに越える「詳細さ」という点において、異例のものといえるかもしれない。もっとも、 異例であることは、「詳細さ」ということだけにとどまらない。さらに、その紹介の仕方が、どこ までも文献の内容をそっくりそのままに、何の「評価語」も、「修飾語」も加えないままで、あり のままに紹介するという様式をとっているという点においても、異例のものといえるかもしれない。 じつは、筆者らは、このような文献紹介の様式こそが、「科学」と呼ばれる人間の知的営為の重要 な要件である「蓄積性」ということからして、最も適切な方法であると考えているのである。比喩 的にいえば、「器にいっぱい注がれた水を、そのまま一滴も漏らさずに、つぎの器に移していく」(五 木寛之、立松和平『親鸞と道元』祥伝社、2010 年)というやり方である。  しかし、この仕方では、常に水の量は一定のままである。「蓄積」というかぎり、そこには新し い水が加えられなければならない。それによって、はじめて水の量は増えていくことになる。ただ、 科学という知的営為にとっては、どこまでが「古い水」で、どこからが「新しい水」であるかを常 に見定めておくことが重要となる。そして、まさに、この点において、上述のような文献紹介の様 式が意味をもつことになるのである。  では、つぎに、いかにして「新しい水」を加えていくか。ここでは、それをNafroth による研究 の問題点の指摘というところから始めたい。とくに、ここでは、方法論的な側面から、以下のよう な問題点をあげておきたい。 1.「内容分析」に関する問題点  (1) この研究のテーマが、「ドイツの新聞記事における日本の評価」であることから、「日本関連 記事」の内容分析が中心となっている。これは当然といえば当然のことである。しかし、その結果、 この内容分析の知見が「日本関連記事」に固有の傾向であるのか、それとも日本以外のさまざまな 外国関連記事についても同様の傾向が見られるのか、さらにここでの知見は新聞記事の一般的傾向 ともいうべきものが、「日本関連記事」においても同じようにでてきたものに過ぎないのではないか、 などの疑問に対しては、何も答えることができない。新聞記事における国ごとのを取りあげ方の違 いの分析――たとえば、2 ∼ 3 の国を比較の視座から試験的に取りあげるというパイロット・スタ ディも含めて――という視座は、単にそれが興味深いテーマであるというにとどまらず、方法論的

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にも必要不可欠な試みであるといわなければならない。それによって、はじめて日本関連記事にお ける日本評価、そしてそれにもとづく日本イメージの構築のリアリティが、「日本関連記事」に固 有のものであるのかどうか、といった問いに答えることが可能となるからである。  (2) Nafroth は、「日本関連記事」における日本評価――日本に対する評価は「肯定的(よい)」か、 それともを「否定的(わるい)」か――の評定を、独自の評定尺度ともいうべきものを準備して、 一人で行なっている。そして、この方法の適切性を主張するため、この「内容分析」の3 週間後に、 再度、25 の記事を無作為抽出し、同じ評定尺度を用いて評定を行なった結果、その一致率は 96% となったことを報告している。しかし、この「一人で」というところは、相変わらず、問題として 残されたままである。これまでの、「内容分析」という手法を用いた研究では、多くの場合、複数 の評定者によってその評定がなされ、その一致率が検討されるという仕方が採用されてきた。ここ での研究を「科学的」営為とする限り、一人の評定者による評定という「主観」を、複数の評定者 による評定によって「客観」化するという知的操作は、やはりそのための重要なステップの1 つと いわなければならないであろう。  (3) この研究ノートの筆者の一人(真鍋)は、これまで長年にわたって「内容分析」という方法 を実証研究において用いてきた。このような経験を踏まえて、この方法の最大の問題点が、いわば 「方法論的要素主義」(ここではこの用語を「方法論的全体主義」の対立概念として用いている)と もいうべき性格にあると考えている。具体的にいえば、それはつぎのようなことである。Nafroth  は、「日本関連記事」における日本評価の評定にさいしては、その評価が表現された箇所を数え、 それを「評価数」とした上で、それら1 つ 1 つについてその評価の評定を行なっている。もちろん、 この方法は通常の内容分析で用いられる方法である。ところが、新聞の論説(あるいは記事)とい うものを考えてみた場合、例えばA という文では日本が批判されており、B という文でも日本が 批判されており、さらにC という文でも同じように日本が批判されていて、しかし、それに続く 最後の結論のD という文では、日本はそれにもかかわらず、称賛すべきであると書かれているこ とがある。つまり、この論説(記事)の主旨は、日本はA、B、C という個別の側面においては批 判されうるものの、それでも全体的にいえば、やはり称賛すべきものであるということである。こ のような場合、A 、B、C という 3 つの文は、「批判的」で、D という 1 つの文だけが「称賛的」と して集計され、結果は「批判」の数の方が多いということになる。しかし、いうまでもなくこの論 説(記事)の全体的な流れからするならば、日本にはA、B、C という問題点がある、しかし、そ れにもかかわらず、やはり日本は評価できるということが、その主旨となっているのである。「方 法論的要素主義」の立場に立つかぎり、このような論説(記事)における論旨の展開から理解され るその評価の全体的な主旨といったものは捉えられない。論説(記事)というのは、いわば1 つの 完成された作品ともいうべきものであり、それぞれが1 つの統一された全体を構成しているのであ る。そこから評価の主旨を読み取ろうとするならば、そのような「全体を評価箇所という諸部分に 分解して計測した後で、それを再び評価のロジックの展開に合わせて再構成(つまり再計測)する」 ことを可能にする方法の開発が不可欠となる。それは、この領域における新しい方法論的ブレーク スルーの探求ということにほかならない。

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2.「質問紙調査」に関する問題点  (1) Nafroth によれば、この研究において、新聞記事の「内容分析」と、新聞記者の「質問紙調査」 を実施した意図は、「ドイツの新聞の『日本関連記事』は、記者の日本イメージを反映しているで あろうか」というリサーチ・クエスチョンに答えるというところにある。そうであるならば、今回 の研究の企画の段階において、すでにして、「内容分析」と「質問紙調査」の2 つの方法の、いわ ば統合のアイディアともいうべきものが考えられていたのであろう。しかし、両者からでてきた諸 知見を照らし合わせてみるかぎりにおいて、とくにそのようなアイディアを明細化する方法論的提 案はなされていない。それぞれの諸知見が、いわばそれぞれ独立したものとして列記されるに終っ ている。  (2) その結果、「新聞記事における日本評価の評定平均値は 4.2 であるのに対して、新聞記者のそ れは2.5 となり、両者には大きな差異があり、この点において、記者の日本イメージは記事に反映 されていない」という結論が導かれることになる。しかし、そこには、すでに指摘した「内容分析」 についての「方法論的要素主義」ともいうべき問題点を含めた方法論的議論は見当たらない。その ため、今回の博士論文のこの最も重要な知見の報告がやや平板な記述にとどまっている。  (3)「質問紙調査」の回答者は 13 人という少人数であったか、質問紙の形式はいわゆる「量的調査」 のそれであり、回答の結果についても「量的集計」がなされている。しかし、調査対象者がこのよ うにかぎられた人数である場合は、むしろ「自由回答法を中心とする質問紙調査」あるいは「イン タヴュー調査」のほうが、のぞましいのではなかろうか。少なくとも、このような、いわゆる 「質 的調査」 のほうが、より多くの情報の獲得を可能にするということは間違いないであろう。その証 拠に、ドイツの記者が「日本および日本人に対して、どのような具体的なイメージをもっているか」 を、自由回答形式で尋ねた質問への回答は、きわめて豊かで、多様で、鮮やかである。  さて、以上、Nafroth の博士論文をめぐって研究ノートを書き綴ってきたが、最後に、もう一度、 つぎの点を確認しておきたい。それは、この研究ノートの筆者には、一方で、社会科学の領域にお いて、「国際イメージ」という研究テーマはますます重要なものになってきているという「認識」 があり、他方で、そのような重要性に鑑みて、この領域における「科学的な知の蓄積」という課題 ――新しい方法の開発を含めて――にどこまでも真摯に取り組んでいくという「方針」がある、と いうことである。文字どおり、「学問に王道なし」である。ただ、ひたむきに「文献研究」と「実 証研究」を続けていくしかないのである。

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Abstract

The Construction of an Image of Japan in the German Mass Media

---Katja Nafroth, Zur Konstruktion von Nationenbildern in der Auslandsberichterstattung : Das Japanbild der deutschen Medien im Wandel. Münster: LIT Verlag. 2002. ---

Sven Holst (Fukuoka Women’s University) Kazufumi Manabe (Aoyama Gakuin University) The research presented hereafter was conducted as the author's PhD thesis research, which was accepted by the Department of Communications at Münster University in 2002.

In chapter one , the author starts by discussing basic terms including image, national image, stereotypes, national stereotypes, and prejudice. Next the author explains how reality is constructed in the mass media. In chapter two, the author explains the function of the mass media in Germany and the work of foreign correspondents. In chapter three, the author shows how the image of Japan in Germany has changed over the course of history.

In the empirical portion of the study, the author outlines the hypotheses, lists the four major German daily newspapers used as resources, explains the method of research, and provides the findings. The author examined the number of newspaper articles focusing on their main topics and sub-topics, length, form, and correctness. She also examined the background information provided in the articles, the occasions on which the political, economic, social and cultural events took place, and relationships to the places covered. The author attempts to evaluate the overall standing of Japan, the standing according to different journalists and the intention behind the coverage of Japan.

As the second step, the author inquired into the working environment of journalists writing about Japan, as well as the self perception of those journalists and their attitudes toward Japan. German journalists claim to write balanced and detailed reports about Japan. In reality, however, the reports are more or less negative, and limited in the topics and places to which attention was given. On the whole, the German journalists writing about Japan, though claiming to have positive feelings toward Japan, write articles that carry a negative image of the country. The common topic of their articles is Japanese politics. Since Japanese politics is the most negatively presented topic, the overall image of Japan tends to be negative as well.

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