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米国行政法における司法審査の範囲

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Academic year: 2021

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(1)栄国行政法における司法審査の範囲 荒. The・. Scope. of JudicialReview. of Administrative By. There tive. are. knotty. many. is. One. Hide. problems. Act. in the. U.S.A.. ARA. judicial review. the. about far. of administra・. the. are courts of也em problem血ow able to relie upon decisions This the administrative tribunal's is of fact finding. monography an to speak, introduction so thinking of the way judges of of scholars and n basir)i upon Administrative Law to this problem, Treaties pertain mainly Davis. by Professor written into two 丘rst have a case American to separate courts at endeavored. act.. a. ". parts,. uded. question. expertness. that. a. namely a. the. of. question. of fact is. standards. thinking courts. open. to. This. monography. of this. crucial. じめに. 範囲画定の基準. 第1節. 1.序説 2.法律問題と事実問題. of fact,. then. they preclby respecting the of ]'udicialreview as But, it is gradually understood American to seek coロ.rts bad other. objection,. 目 は. question. agencies.. administrative. measure. adequate rican. of law and a from the scope. intends. to. show. and. the. tide of. Ame-. problem.. 次 第2節. 実質的証拠の法月り. 第3節. 管轄的事実と憲法的事実. 1.管轄的事実 2.憲法的事実. 3.審査範囲を画定する諸要素 は. じ. め. に. 栄国裁判所が,一方においては,社会的,経済的の必要性から,可能な限り行政権を尊 重し,司法審査を制限しようとする配慮と,他方においては,伝統的な「法の支配」,. の優位」の城郭により私権を死守しようとする要望との葛藤に絶えず坤吟してきたことは, 夏めて述べるまでもあるまい。. まさに,行政行為の司法審査の問題は,行政権と司法権との戦の場であった1)。しかも その戦は,行政府にとっても,また,司法部にとっても,苦難の連続を強要したのであつ. た。そ・して,現今,連邦最高裁判所でなされる判決の三分の一以上のものが,その戦場と 化しているといわれる2)。しかも,裁判所は,行政のめまぐるしい発展的性格にその一端 を帰しうるとしても,その多大な努力にも拘らず,この間題に対する首尾一貫した理論を. 「法.

(2) 52. 秀. 創り出すことに失敗していると罪難されている8'のを見ると,如何に,この闘争を円滑に. 休戦へと導くことカ噛難であるかを知ることができよう.さればこそ,行政行為に対する 司法審査の消長は,現在,アメリカ行政法の中核をなすものといわれるのである。 本稿は,この司法審査に関する諸問題の中,その範囲の研究を目的とした。いうまでも なく,行政権と司法権の権限の配分に当って先ず問題となるのは,ある特定の行政処分が 司法審査の対象となるかどうかという訴忍物の観点からの,司法権に対する制約であつ た4'o. しかしながら,いったん,司法審査の街域内に引き入れた行政行為を,如何なる限. 度または範囲で審査するかの決定は,行政府と司法部の権限の配分という観点からは,前者. にもましてより微妙な,また核心に触れた問題であり,より重要な問題であるといわねばな らない。そ-こで,本稿ではいわゆる審査の対象となる行為の研究は後日に期し,専ら審査 の範囲の問題に関する,行政府と司法部の権限の配分に対する争に焦点を置くことにした。. また,本論の研究に際し,当初の目的としたものは,単に実定法上の研究のみならず, 個々の判例の変遷の底流となった,歴史的,社会的,経済的諸要因の追求にもあった。し かし,既に幾多の秀れた文献が示すような,・判例の一般的趨勢に対する諸要因を把挺する ことができても,個々の判例の変動をバック・アップするファクターを見出すことは非力 な私にとっては不可能なことであった。これは米国の学者,たとえばディゲィスすらも,. 個々の判例の変遷についてのかかるファクターについては何等触れることなく,また他の 学者も述べるところがない。したがって私も当初の目的を放棄せざるを得なくなり,専ら. 実定法上の判例,学説の動向に焦点を当てることとなった。 ところで,外国法の研究には,二つの方法論が存すると思われる。すなわち,一つは, 専らその外国法を,それ自体として研究する方法であり,他は,わが国の法との関連にお. いていわば比較対照する比較法的研究方法である。学問的に両方法の価値につき,軽々し くその軽重を決することはできまい。しかし,比較法的研究が,充分な価値を持ちうるた めには,単純な両者の比較でほ無意味であり,比較される法の基盤が少なくとも相共通す るものをもたねばなるまい。なぜならば,法の形成されている社会的,歴史的,経済的基. 盤を全く異にする法を比較対照することは余り意味がないからである。そこで本稿は, その方法論として,外国法自体の研究,すなわち,前者の方法論を採った。その理由とし. ては,わが国において司法審査の対象となりうる行政庁為に対しては,法律問題,事実問 de 題を問わず,全く新たな審理(英米法上のtrial novo)をなしうるのに対し,米国の 司法審査の範囲の問題は,まさに,この方法をめぐって,如何に司法権の抑制をなすべき かに閲し争われた問題であり,英米行政法上の固有の街域といわねばならず,その比較対 照を求めることが困難であったためである. とはいえ,米国行政法上の司法審査の範囲に関する研究は,わが行政争忍法上に与える. ヒントは必ずしも少しとしないであろう。例えばわが国における自由裁量論に新しい境地 を開きうる導火線ともなりえよう。 なis,本稿作成に当っては,桝寸章三郎,田中二郎,鵜飼信成,雄川一郎,伊藤正己, 諸教授より,種々貴重な教示,指導を賜ったoにも拘らず,私の非力と不勉強のた捌こ,.

(3) 53. 米国行政法における司法審査の範囲. 文献や判例の誤読,誤解が多々あることと思われ,また,研究方法にも問題があることと 思われる.読者の厳正な批判を乞う次第である. 1) 2). Landis,. Administrative. Davis,. Administrative. 3). Davis,. supra. Process, Law. 122・. Treaties,. ⅠⅠIPreface. iii・. iv.. area Of reviewが用いられることがあるo 4)この訴訟物の観点から寄査を限界づける用語として, of reviewの訳であるo しかし,本稿の司法審査の範囲はscope. 第1節. 1.序. 範囲画定の基準 説. ある行政行為が訴菰物の観点から,司法審査の対象となりうるものとしても,果して・ どの程度まで裁判所が審査権を行使しうるか,また,その考慮に当って裁判所を指導する. 基本原理となるものは何か,すなわち,審査範囲を如何なる基準で統一的に限界づけるこ とができるかの問題は1',栄国行政法上,裁判所,ならびに法曹家が絶えず苦闘を続けね ばならなかった問題である。言うまでもなく,紛争の解決には,通常,事実を認定し,そ の認定された事実に対して法律的判断を下すのであるが,わが国と制度を異にする米国に おいては,法の優位の原則,行政庁の専門能力の尊重,行政行為の迅速性の要請,ならび. に英米裁判制度の伝統としでの陪審制度の存在,といった種々の要素が,米国の行政法に ぉける司法審査の範囲の決定に対し,稜々微妙な影響を与えたのであった.試みに具体的 Communications Act)は,連邦放送委 な一例を挙げてみよう. 1934年の放送法(The 員会が,公共に便利であり,かつ必要と認めた場合には,放送局の周波数の決定,勉局の 放送効果に影響を与えるような機械器具等に対する規制,ならびに本法施行に必要な規則. の制定等の権限を有する旨の規定をおいていた。ところで,.同委員会は慎重な聴聞を行な った後に,カラ-テレビの送信基準を公布した.しかし,その結果,. R・C・A・会社により. 撞案されていた方式が拒否され,コロンビア放送局の方式が採用される結果となった。そ` こでR.C.A.会社は,その決定の停止と取消を求める訴を提起した。同会社は訴の理由 として,この決定が充分な証拠づけなくして行なわれ,公共の利益に合致しないことを主 張したのである2)o. そこで,かかる事件の場合に,裁判所は委員会の決定について,どの. 程度の審査権を行使しうるかが問題となるのである。 上記のような審査範囲の決定に迫られた米国裁判所が,その基準として最初に考えたも. のは,事件を「法律問題」と「事実問題」に分離し,. 「法律問題」は裁判所の審査権に限. せし軌「事実問題」は行政庁の専門的,技術的特殊知識を尊重して裁判所の干与を差控 えるという方法であった。行政手続法第十条も. 「(1)法律が司法審査を排除せず,または,. (2)行政行為が法により行政庁の自由裁量に. 委ねられていない限度で・-・. (氏)審査の範囲一審査裁判所は,判決に必要,かつ当事者の主張する限りにおいて・ 関連する全ての法律問題を審査し,憲法および法律の規定の解釈,行政行為の字句の意義 ならびに適用の決定をせねばならない--」と規定し,司法審査の範囲の基準として「法.

(4) 54. 荒. 香. 律問題」の観念を明示したのであったoそして,この「法律問題」と「事実問題」を区別 することによる基準は, は,. 「アングロ・アメリカン世界における行政行為の司法審査の範囲. "法律''ならびに"事実''の区別により特徴づシナられる--」といわれるまでに,大. きな指示標となったのであったoこの基準は,一見,簡明であり,かつ, 陪審へ,. 「事実問題」ほ 「法律問題」は裁半怖-という英栄法の伝統である陪審制度にも合致しているの. で・行政法分野に流用されたことは極砂で自然であったといえる.れて,陪審よりはる かに専門的な知識を具備した行政庁によってなされた事実認定は,より尊重されねばなら ないと考えられるのも当然であったろうoしかし・次のような理由から,-この基準に対し. 尿間が抱かれるに至ったoすなわち・第一に,抽象的,観念的に「法律問題」と「事実開. 削を分離することが可能であっても,現実の事件においては, 的観点の下における「事実」であり, と・また・. 「事実」といっても法律. 「法律」と「事実」の両者を明確に切断しえないこ. 「事実」と考えられるものであっても,その「事実」が憲法上の権利,または,. 行政庁の管轄(権限)に関するものである場合には,なお裁判所の審査権を留保すべきで はないかという疑問が生じたからであるo行政手続法白身は,何がそこでいう「法律問. 題」にあたり・また「事筆問題」と区別しうる基準が何であるかについては何らの解答を も示しておらず・・また,同法に関する法務総裁による説明書も,この間題についてほ何ら の解明も行なっていないpのみならず・法務総裁委員会最終報告は「法律問題」と「事実 問題」の区別に関する明確な基準の存しないことを告白さえしているのである。従ってこ の間題に関する限り,行政手続法は全く無力であって,この基準の決定権は裁判所に留保 され・磨大な判例が形成されることとなったのである。しかし,この判例の生成発展に 応じて・後述する如く,この「法律問題」と「事実問題」を分離する基準は棄てられ, それに代る種々の基準が探究されてきたoいうまでもなく行政事件には多種多様な事件が 含まれているo例えば,労働事件・料金決定に関する事件,外国人の入国,退去に関する 亭件等,相異なる事案を内容とすること・から,審査範囲も-律に決しえず,各事案に応じ て自ら異った考慮が払われねばならなくなるoまた,等しく行政委員会であっても,その 専門的能力は均質のものといえないので,行政委員会ごとにその審査範囲も異なりうる し,また・行政庁為の基礎となる行政手続が準司法手続を経てなされるか否かといったこ. とも審査範囲の画定に影響を与えるものである.かように,審査範囲の決定にほ種々の要 素が微妙に影響しあっているので,統一的,体系的な基準を望むことは困賛なことであつ たが,裁判所は法的安定性と具体的妥当性,法理論的解決と政策的考慮といった矛盾の中 にその両面を検討しながら法的正義確保のた捌こ極めて弾力性ある努力を重ねてきたので あったoそしてこの矛盾相魁の中に米国裁判所の深い思慮が潜んでいるとさえ考えられる. のであるo以下この審査範囲決定の基準に,如何なる考慮が払われてきた.かを辿ってみよ う。 1)ディゲィスは,行政行為の司法審査についての主たる論点を五つの分野に分枠るoすなわも, Whether,. when,. れであるo. whetherはreviewabilityの,. howはforms. for whom, of. how. and. how. much. judicialreview. whenはtimingの,. reviewの,、Jそして最後のhow. be providedがそ should for whomはstandingの,. muchが以下静ずるscope. of reviewの間.

(5) 55. 米国行政法における司法審査の範囲 題である。 Radio. 2). Corp・. of. America. v・. U・S・. 341・. U・S・. 412・. 2.法律問題と事実問題 1.思うに,行政庁の事実認熱こ対する裁判所の審査方法としては次の如き瞳塀が考え られよう。 (1)行政庁の事実認定を最終的なものとして,裁判所はその認定事実に基づいてのみ法律. 的判断を下す場合。換言すれば,裁判所を事実問題から全く隔離させる方法である。 (2)裁判所は,行政庁の事実認定が何らかの証拠で支持されている場合には・それに基い て法律的判断を下す場合o. (g)行政庁の事実認知増資的証拠によって支持されている時にのみ・その事実に基き法 律的判断を下す場合. (4,)行政庁が事実認定のた捌こ作成した記録に基き証拠を評価し,裁判所が事実認定をIF す場合。. (5)裁判所が全く新たに記録を蒐集し,独白の証拠の評価に基づき事実を認定し法律的判 断を下す場合1)0 (1)乃至(4)は,審査の範囲が多かれ少なかれ限界づけられており,. (5)は・裁判所が,全く. 完全な意味で,新たに事実の認定を行うものである.米国行政法における司法審査の範囲 の問題は,右に挙げた種類の中から,何れを採るべきかをめぐって論ぜられたのであったo そして前にも触れた如く,司法審査の範囲画定の基準として「法律問題」と「事実問題」 を区別し, 「事実問題」は実質的証拠により支持されている限り,裁判所の審査権の対象 とはならないとする会式-前掲(8)の方式-が一般原理として認められるに至ったので ぁる。実質的証拠の法則については次節にゆずり・ここでは,何故に「法律問題」と「事. 実問題」を区別する方法が採られるに至ったかの吟味から論じて行くことにするo 2.この方法はしばしば英米裁判制度の特質である陪審制度の行政法分野への涜用であ 殊に一般人より専門的知識において数段と勝る行政庁に事実認定を任か るといわれる2,o せ,それに信頼することができたであろう.ランデイスは,憲法により陪審評決が認めら れているのに,陪審より専門性を持つ行政庁によりなされる事実認定が,実質的証拠によ って裏付けられている場合に,最終性が与えられないと解するのは奇妙なことであるとい ぅ3,.しかしひるがえって考えるならば,そもそも陪審制度を採用していない行政訴菰に ぉいて,直接には「法律問題」と「事実問題」を区別する基準が登場する必然性が存した とはいえないであろうo確かに伝統的に根強く支配している陪審制度への類似性を求めた ことは首肯しうるが,さりとて必然的に行政事件訴訟に流用される程に強い根拠とはなり ぇないと思われる。何政ならばコソモソ・ロウ裁判所に相対するものとして設けられた衡 平法裁判所には陪審制度が採られず,かつ,行政法は一種の衡平法として考えられている. ことを思い合せると,直ちには,単なる陪審制への類似性の追刺こ根拠を求めることは充 分な理由とはならないと思われるからであるoそこで次の如く考えるのが妥当ではないか.

(6) 56. 荒. 秀. と思うoすなわち,対等個人間の権利関係を扱う一般民事事件への介入と異なり,国権の. 一機関としての行政府の登場する行政事件においては,権力分立の建前から,裁判所が採 った自己制限の理論の適用を,如何に合理的に説明づ仇正当化するかに腐心した裁判所 が,伝統というバックに強く支えられ・かつ,法曹家から容易く承認を求められる「法律 問題」・. 「事実問題」の区別を,一つの道具として一時的に借用したと解するのが恐らく正. 当であろうと思われるo果して,民事,刑事事件にその基盤を有するこの方封ま,忽ちに 行政事件の土壌に根を深く下すことができず,その一時的借用性を暴露したのであった. また,そもそも,陪審制度目体が如何なる根拠に基いて設立され,如何にその機能が運 営されたかの根本問題に目を向ける必要もあるo事実問題は陪審へ,法律問題は裁判官へ, という各式にも拘らず,その機能の分離は,単に分析的根拠にのみ基いたものでなく,覗 実的根拠に基いたものであった4'o. セイヤーが「陪審制度は決して単なる法律的,または. 理論的考慮によって形作られたものではないこと,また,陪審は常に人民を代表し,人民 の自由の保護者としての地位を昧有しているので,裁判所と陪審の何れがある問題を決定 すべきかということは,単なる法律上の根拠からだけでなく,政策的考慮によって深く彩 られる--」5'と述べられているように,陪審制度自体における機能の分離が,単純な「法 律問題」, 「事実問題」の区別で律しえないと解されているのであるから,事件の性質を異 にする行政事件訴菰にこの方式が安住しえなかったのは当然のことであった. しかし,ともあれ・米国裁判所ならびに法曹家は,この「法律問題」,. 「事実問題」の区 別を,司法審査の範囲を決定する一基準として打樹て,そこからより妥当な他の基準への 発展のための出発点としたのである,a. 3・しかしながら,この方式の採用に当って,裁判所は直ちに重大,かつ,根本的な障 害に直面せねばならなかったoすなわち,一体「法律問題」と「事実問題」が戟然と区別 しうるものであるかどうか,もし区別しうるとするならばその基準となるものは何かとい. う問題がそれであったo学説もまこれをめぐって積極,消極の両説に分れた。先ず,両者 の区別を認める積極説の代表者たるブラウンの説くところを概観してみよう。彼は両者の 区別は困難であって機械的に適用しうる如き正確な基準を発見することはできないが,一 見相反すると思われる多数の判決を説明し,かつ,少なくとも将来生じうる事件に対して 役立ちうる一般原理は発見できるものとし,法とは国家が人間関係を規整する塊則,また. は基準であると定義づければ充分であり,. 「法律問題」とは「--このような規則,また は基準の存否の検討,その正確な意義と範囲の決免その言葉の定義づけ,ならびにその 制定の仕方が憲法の要件に合しているか否かといった諸問題である」とするセイヤーの説 を引用・かつ・同意し・これに対して事実とは,組織化された政治的関係のある社会一. 立法府とか行政府とか裁判所の如き-とは無関係な外界現象であり,. 「事実問題」とは. 正確な意味での物理的外界における行為の存否とか,存在の状態や,心理的餌域での個々 の態度・意図,ならびに他の心理的状態であるとし,さらに,この「事実問題」を二つの. 類型に分類するoすなわち,一つは証人が通常肉体上感得しうる生の要素を含む事実(こ れをevidentiary. factと呼んでいる)であり,第二のものは,第一のものから引き出さ.

(7) 57. 米国行政法における司法審査の範囲. れる結論に関する事実(これをultimate. factと呼んでいる)であるとする6'.この外モ. リスも「法律問題」と「事実問題」の差異は種類の差であり,単なる程度の差でなく質的 に異なるものであると説く7)0. ブラウソの説く如く,概念的,抽象的に事を論ずれば,両者の区別は簡単に行なわれる ように見えるが,個々の具体的事件においては,しかく簡単に解決することができなかつ たoこの間題が如何に田難なものであるかほ,次に引田する-ソダースソの例示によって もよく理解されえよう.. -ある人がある街の歩道を歩いていたかどうかは事実問題であ る。歩道上の石炭渡し口に人が落下するのを防ぐための覆がなされていたかどうかも事実 問題である。人がその石炭渡し口に落ちたかどうかも事実問題である。これらの場合の事 実は観察により確かめることができる。別に意見が分れるということはない。しかし,汰 律問題として,石炭渡し削こ程々の条件を課せられている老の責任は,その石炭渡し口に 合理的な施設がなされていたか否かにかかつている.この事は,石炭渡し口の物理的性格・. 位置,またはその周囲の状況という問題と,またこれらの物理的要素が法の要求する合理 性の基準に合致するかどうかという問題にかかつている。前者は事実問題といえるが,級 者は何であろうか。われわれが何らかの基準に合致するかどうかを語る時には,物理的な. 事実を意味する言葉を用いている.. --しかし過失が問題となっている事件で,陪審に説. 示を与える裁判所は,何らその判断に必要な基準を与えない。例えば裁判所は,. 「少なく. ともニフィトの高さの横木で囲まれ,また,昼間は旗で,夜間にランターンでその位置が 認識しうるようになっているならば,その石炭渡し口には妥当な施設がなされている」と. いったような説示を陪審には述べないのである。裁判所は陪審に何が合理的な保護施設で あるかの決定を下すことを求めるのみである.時により裁判所は,問題を明白にするため. に,陪審に対して,第一に諸般の事情の下で合理的な人がどのような基準を守るか,第二 に,具体的事件で被告がその基準を守らなかったか否かを確かめることを要求する。しか し,このような合理的な人ということは,事実の認定ではなく,諸般の事情の下で何が正 しいかの陪審自身の判断のpersoni丘cationである。. --しからば,かかる判断は法律問. 題に対する判断であろうか-と8)0 へソダースソの撞起した疑問は,公益事業を規律する規則にしばしば用いられる「合理 (undue prefe・ (reasonable rate)とか,商取引規制における「不当な差別待遇」 「不正競争」 (unfair com(unfair trade practice),また, rence), 「不公正な取引行為」 的な料金」. petition)といった法律用語の中の"reasonable",. ``undue'',``unfair''について等しく生. ずるものであるoまた,たとえば,労働者災害補償事件において,電気関係の使用人がゴ. ム手袋を使用せずに仕事に従事し,その結果死亡した場合に,これが労働者災害補償法の 適用除外規定中にある"willful たことがある。事実の側から見れば, て"evidentiary ・wi11ful. misconduct"という語に羨当するかどうかが問題になっ. "willful"がどうかは使用人の心理状態の問題であつ. fact"によって確かめられるものであり,法律の面から見れば条文中の. misconduct''という語に如何なる定義が与えられるかという問題にある。上記の ように, 「法律問題」と「事実問題」の区別を具体的,実質的に考慮すると,ブラウソの.

(8) 58. 荒. 秀. 説くことには容易に象限しえぬものがある. そこで次に,この問題に対する裁判所の動向を探ってみよう9以下,具体的事件,なら. びにその判旨を追い,如何に両者の区別が困難なものであるか,また,この方法が司法審 査の範囲の限界づ桝こ対して満足な基準たりえず,如何に不安定なものであるかにつき一 瞥してみよう。. 4・先ず料金決定の問題について次の如き制例がある。 I・ C・ C.. Louisville. v.. Nashville. and. R. R.. Co.,9). 本件では,ニューオルレアソよりモンゴメリー間の鉄道料金の増額がunreasonableであ り,また,差別的であるということが争われた。委員会に提出された証拠によるとこの増 額は合理的であり,公正であるという認定が引き出されそうであった.というのは初めの 料金が低東であったのはある競争関係のためであったが,競争関係がなくなった後までこ の低料金が続いていたがためである。しかし委員会は料金増額を不合理とする決定を下し. た。最高裁判所は,料金増額を不合理とした委員会の決定を,結果的には維持することと なったoというのは,かかる事件については,裁判所は委員会の事実藩定については審査 しないと判決したからである.すなわち,料金増額が合理的か否かの間溝を事実問題とみ なしたわけであるo Texas. and. これに反し,次の如き判決も存する. Paci丘c. Railway. v.. Ⅰ.C. C.10). 本件では,委員会が木材運送賃の増額を酎肖し,旧運賃に引き戻す命令を発したが,そ の命令が争われた。裁判所は,委員会がこの命令を発した根拠には,運賃の増額が木材工 業の破滅をもたらすのではないかという顧慮が働いていることを発見した。そして,関係 法律は委員会に不合理な運賃を無効にする権限を与えているが,それは内在的な不合理 (intrinsicunreasonable)を意味するので,関係産業者に与える間接的影響を考慮する権 限なしとの理由から該命令を取消したのであった。結局この判決は料金の合理性の問題が 委員会の専権に属する事実認定の問題であることを否定し,法律問題として扱ったわけで ある。. 次に不公正な差別待遇に関する判例を挙げよう。 U・ S・. v・. Louisville. and. Nashville. A. R.. Co.,ll). 州際通商法第三条は旅客,貨物につき不公正な差別待遇(an. undue. and. unreasonable. preference)を禁じていたが,ある鉄道会社が再運送に関する特権をある地方で与え,他 の地方で与えなかったゎが,同条に競るか否かの問題となった。州際通商委員会はこれを 積極に解したので,鉄道会社は商事裁判所に委員会の命令の停止を求めたのが本件である0 地方裁判所は,かかる特権が不当な差別待遇になるかどうかは,法律問題であり,裁判所 は独白の判断をなしうるものと結論づけたが,最高裁判所は,地方裁判所の判断が,法律 により裁判所に与えられた権限を超えるものとし,そもそも委員会を設立した目的は,事 実が争われていようとなかろうと,その事突から不当な差別待遇の存否を最初に行なう最 適の横関を設立することにあったのであり,そうでなければ委員会は,裁判所に窮極的な. 判断を求めるた捌こ証拠を蒐集する単なる道具と化してしまうという理由から,法律問題.

(9) 米国行政法における司法審査の範囲. 59. と解した下級審の判決を破棄したのである。 上記の判例でも解るように,確かに個々の料金や取引行為が合理的か,差別的であるか の決定は,単なる法律の解釈や定義づけでほ解決しえない問題である。少なくとも行政庁 の裁量が食い込む余地のある問題でもある.そこでかかる裁量問題は一般に事実間緩と解 される傾向にあるが,必ずしも一貫したものではなかった。そこでいましばらぐ判例を, 事実間窟と解されたものと,法律問題と解されたものとに分けて通観してみようム (i)事実問題として扱われた例. (1). 0'Leary. v.. Brown・Pacific-Maxonl乞). ガム島で労役に従事していた沖仲仕が,会社の娯楽施設でバスを待っている途中,水路 で溺れている老の叫声を聞き救助せんとして却って溺死した。彼の扶養家族としての母が 「港湾労働者災害補償法」に基いて補償を請求したのが本件である6行政庁は,彼が溺死 した当時,会社が労務者の使用のために提供していた娯楽設備を慣閏していたこと,そし てかかる際に生じた事故は労務に際して生じたものであることを.事実問題に該当するも のとして認定した.地方裁判所はこれを認めて行政庁の補償命令を肯定した。しかし控訴 裁判所は,この事故が雇傭着から提供されていた設備から生じたものでなく,また,この 救助は娯楽に当たらぬことを理由に補償命令を否定した。これに対し最高裁判所は,控訴 裁判所の判決を破棄し,地方裁判所の判決を東認したものであった.その理由は,かかる. 問題は「法律問題」として裁判所が独自の認定を行なうべき性質のものでないというので あった。. (tl) Dobson. v.. Commission13). 1929年にある納税者は株を寛い,その一部を1930年と1931年に売却し損害を蒙った。 後に彼は売主を相手どって,詐欺を理由に訴熟を提起し,・. 1939年にその清算を得た。そこ. で1939年に得た清算額を租税上知何に扱うかが問題となったのである.租税裁判所は, 1930年ならびに1931年の損失 利益なきところに租税なしとする租税利益理論を採用し, が租税上の利益とならなかった限度で,. 1939年の清算額の分には課税しえない車判決した.. 関係法律によると,審査裁判所は租税裁判所の判決が違法である場合には,変更,破棄し うる旨規定されていたoそ七て,租税利益理論を採用すべきか否かは法律問題と考えられ たに拘らず,最高裁判は,この間題ほ純粋に会計上の問題であり,従って事実問題だと結 論づけて穿査を拒んだのである。 ;/,)Alleghany. Copt. v・. Breswick. and. Col,14). 本件では,アレ-ニー会社が他の会社を企業支配しているか否か,また,企業安部とは 何を意味するかが問題とされたが,事実問題であると判決されたのである。州際通商委員 会は,アt'-ニー会社が他の会社を企業安田していると認定したが,地方裁判所は同委員. 会の第四部局が,アレ-ニ-会社の有する株式数が,他の国名の個人の有する株式の合計 よ、り少額であると認定していたことを重視し,委員会の決定を取消したのであった。最高 裁判所は,この地方裁判所の判決を破棄し,この間題は審査裁判所が独白の判断を加え得 ない事実問題であると判決したのであった。.

(10) 60. 荒. (I). Shields. v.. Utah. Idaho. 秀. Central. ある鉄道が鉄道労働法(Railway. Labor. R.. Co"15). Act)に規定されている"internal. urban. electric"に該当するか否かにつき,州際通商委員会はこれを否定する認定を下した。最 高裁判所は証拠を要約し,諸事実につき実際上争のないことを確認した。したがって,節. 争が制定法の用語の解釈についてなされていることを意味したにも拘らず,審査範囲を決 定する目的のために,委員会の決定は事実に関する決定であると無条件に述べているので あるoこれに対し,. 1)-ド,ジャックスソ,ロバート判事は,本件に操出された問題は制 定法の解釈問題であると解している. 次に法律問題と解した-判例を挙げよう. F. T. C.. Ⅴ.. Gratz16). 本件では不正競争に関する認定をめぐっての事件であった。元来,連邦郎l委員会は, その専門的知識と経験により,トラストに関する公正な規整活動を行なうことを期待され. て発足したものであった。そして前述した諸判例の傾向からは事実問題と解されるべきで あったが,最高裁判所は「不正競争という語は法律で定義づけられておらず,本件ではそ の意義について争われているものである.この語が如何なる内容を含むかを最終的に決定. するのは,法律問題として裁判所であって委員会ではない」と判決したのであった. ところで判例の中には,法律の解釈と,適用を分離し,前者は裁判所の,後者は行政庁 の権限に属せしめるという操作を行なっているものがある.その代表的な事件として, Licbter. v・. U・ S・17'事件を挙げえようo. The. Renegotiation. Actは各省長官が各自の判断. で・超過利益が存すると思料するときには,各省が契約を締結している契約者と契約価格. の再交渉をなす権限を与えていた。行政庁(Under. Secretary. of. War)はリヒターが一. 万ドルの超過利益を有していることを認定したが,リヒタ-はその返還を拒んだβそこで 合衆国ほ地方裁判所に提訴し・勝訴判決を得た.控訴裁判所でも地方裁判所の判決が支持 されたo最高被判所の審理でリヒタ-は,この超過利益の算定に充分な基準が存在してい. ないので運憲な立法権の委任であると主張したが,最高裁判所ほ「超過利益」. (excessive. profits)という語ほ立法政策を示すのには充分な表現であって合憲であり,議会が立法の 際をこ広範な意味を有する語を使用したのは,議会が正確な定義づけを示しえないので行政. 庁に委ねたのであり,法の解釈と適用は別個のものであって,後者については行政庁の決 定が最終的なものであると判決したのであったoわれわれにとってほ,法の解釈と適用は 切り離して考えられず,解釈ほ適用のためになされるのであり,強いて差異を求めるとす るならば,適用とは抽象的に為しうる解釈を具体的事件に当てほめるだけのことであって, 両者はその実質において同一のものといわねばならない。にも拘らず判例がかかる論理的 に妥当でない方法を採ったのは個々の事件の具体的妥当性を図るための便法にすぎなかつ. たと思われるoシューウォーッは,現実に制定法を解釈する段階には次の三過程があると するo. (1)妥当な適用法規の発見(2)技術的な意味における(in. technical. sense)法規の. 解釈(3)現実の事件に解釈された法律の意味を適用すること,である.そして,解釈と ほ制定法の条文の語句から知覚しうる妥当な意味の決定のみを指し,適用とは具体的諸事.

(11) 61. 米国行政法における司法審査の範囲. 突が,解釈によって得られた意味の範囲内か否かを決定する過程だと主張する説は,単に ァヵデトリクなものであって無益であり,制定法の言葉は個々の事件の個々の事実に適用 する場合にのみ意味をもつものであって,具体的な事件への最終的な適用が制定法解釈の. 全過程の終結点であると述べている。しかし,法律の解釈と適用を全く分離しえないとす 「不当. ることには疑問がないわけではない。例えば,制定法上に「合理的な料金」とか,. な差別待遇」といった,諸般の事情によってその内容が変化しうる如き幅の広い表現が存 する場合がそれである。ブラウソは,法律を,証拠によって確定された事実に適用する場. 合には二つの作用が働くという。第一のものは,規範の定義づけ,解釈であり,第二のも のは,証拠で明白になった事実が,定義づけられた法規の要求に合致するか否かを決定す. ることであり,これは定義づけカミ限界に達した時に生ずるもので,行政庁に留保された事 実認定の機能であるとする20'.ブラウンが第二のものとして挙げたものは,恐らくはわれ. われの適用という概念であろうが,適用が必ずしも全ての場合に定義づけが限界に達した 場合にのみ生ずるのではないから妥当でないとしても,. 「合理的」とか「不当」といった. 概念を裁判所が解釈する場合には,純粋な技術的意味での解釈でなく,諸般の客観的事情 を掛酌して判断するのであるから,裁判官に固有な分野といえず,むしろ行政庁に委ねる 方が妥当な場合がありうるであろう。したがって,司法審査の範囲の限界づけとして,法. の解釈に,かかる分野の存することを指摘した点で意義あるものといえようo法律の適用 Publication N・L・R・B・ Ⅴ・ Ⅲearst が行政庁の権限に属すると解した他の判例として, lnc.,21}を挙げることができる。労働委員会は--スト会社に対し,ある新聞配達員よりな る労働組合と団体交渉を行うことを命じたが,会社はこの新聞酉己達員は会社の被傭老でな く,会社とは別個の独立した地位を有していることを理由に委員会の命令の酎肖を求めたo Labor Relation Act)の適 巡廻控訴裁判所は新聞酉己達員には全国労働関係法(National 用なきものとして,労働委員会が棒限を超えていることを認めて命令を取消したo最高裁 判所は,行政庁が法の適用を決定する場合に,法律上広い意味をもつ用語を特別の事件に 適用する時には,審査裁判所の作用は制限されること,また・本件において,新聞配達員. が法律上の意味内の被傭者か否かについての委員会の決定は,記録上根拠があり,法律上 合理的な根拠があるならば,裁判所の容壊すべきものでないとして審査しなかったのであ る。. かような判例の傾向についてディヴイスは次の如く述べている。. 「勿論,確定された事. 実に対し法律の言葉を適用することが行政庁の分野であると最高裁判所が繰返したからと いって,当事事が何を行ったかという事実問題と,法律の言葉が何を意味するかという法 律問題とを最高裁判所が全然分析しえなかったということではないo最高裁羊蹄がこれ等 の二つの問題を一括して事実問題と呼ぶ真の意味ほ,審査裁判所が審査を避けねばならぬ と思った問題について「事実」という言葉が使われるということなのである」22'とo 5.上記の請例によっても解る如く,. 「法律問題」と「事実問題」を劃するものが何ん. であるかについて充分な説明しておらず,また,その区別が如何に捕え難いものであるか が判明したであろう.そこで,審査範囲画定の基準として,. 「法律問題」と「事実問題」を.

(12) 62. 香. 区別する方法に大きな疑問と非難が投げかけられたのであった。デイツキンスは,いみじ くも次の如く述べた。. 「実のところ,法律問題と事実問題を区別したところで司法審査の. 範囲の画定には何の役にも立たないのである。というのは,両者の間に決まった差異がな. いからであるo両者は相互に排斥しあうものではない。法律問題は掘り下げてみれば事実 に板ざしているし,また,事実問題をたぐり上げて行桝ま法律問題えと結びついており, その間に切れ目はないのである。裁判所が,公益と私人の権利との問の何処で限界線を引 くかの選択をした場所で,政策というナイフのみが人工的な裂け目をつけるのである。. 裁判所が審査を差控えたいと思う時には,事実問題だと呼ぶ簡単な方法で説明しがちであ り,道の場合には法律問題だとするように見えるのである」23'と.また,ディゲィスも法. 律および事実の分析が,司法審査の範囲を解決する鍵となりえぬこと24',そして裁判所が 法律および事実の区別により司法審査の範囲を決定しようとしていると解して,その底に 流れている本質的なものを探究しないところに多くの混乱が生ずるq)であると述べてい る25'。この外,この法律・事実の区別による方法が,司法審査の範囲画定の基準となりえ. ないことは多くの学者によって指摘されているのである26)o 確かに判例によれば,一見して法律問題とみなしうる如き問題を事実問題としたり,.普 た・撰似の事件において片方では法律問題と解し,他方では事実問題とするのであっては, この区別の方法は使用に耐えないものといわねばならぬであろう。されば裁判所自身もこ の事を藩論して・他の基準を明示的に・または陪黙裡に示したのではあったが,なお,こ の法律・事実の区別による基準から完全に脱却しにくいようであり,現在でも裁判官の胸. 奥に深く蔵されているのではないかと思われるのである。しからば,何故に裁判所はこの 法律・事実の区別による基準に執着を感じたのであろうか。事実問題は陪審の,法律問題 は裁判官の専権だとする公式を単純に信奉した結果によると解決しうる程に,両者の区別 の不合理性の認識は弱いものでほなかったのである。にも拘らず裁判所をして,この基準 に固執せしめたものは何であったのであろうか。これについてランデイスが次の如く述べ ているのに注目すべきであろうo. 「しかし,法律問題と事実問題の区別を否定することが,. 事実に合致するとしても,行政的活動と司法的暗動の妥当髄域についての考え方に何らの. 基礎づけとなるものを残さない。もしわれわれの憲法に対する基本的な考え方が,法の優 位(supremacy. of. law)の存在を信ずることから離れることができないならば,汰(law). という語にある内容を与えなければならないのである。程々の事件を集積し,行政庁の性 格の相違とか・その活動龍城の相違によって,如何に司法審査の範囲が変化するかを例証 することは,司法審査の範囲の動きについての一幅の絵を措くことになるのであろうが, このような分析は裁判所と行政庁間の境界を求める者にとっては何の要望をも満たすこと にならないのであるoそこで,依然としてわれわれの誇りである法の優位の鋸域を拘束す るもの-として-司法審査の限界線としての法(law)の問題にたち帰るのである--」27, と。正に,裁判所をして,腐に時代遅れとなった法律・事実の区別による基準に執着せし めたものは,この法の優位,法の凄配の概念であった。すなわち,国民の権利,義務を保 障する「法の支寵」老として君臨した裁判所が,時代の要請に応じて相次いで拍頭する行.

(13) 63. 米国行政法における司法審査の範囲. 政委員会の前に審査範囲の縮少を強いられながらも,なお,伝統ある「法の支配」の観念 から,法の保障は裁判所の専権だとする理念を曲げることを錬って,法律問題と目される ものについても譲歩を強いられた時に,それを事実問題と刻印を押すことによって自負心. を慰め,また,責任感を満足せしめるた糾こ,法律・事実の区別の基準を使用し続けたも のと解されるのである28'oそして,この裁判所の執着は,今後も命脈を保ち続けるであろ うと,この基準に反対するディヴィスをして言わしめているのである29)o しかし,ともあれ,法律と事実の区別による審査範囲決定の基準が妥当でないことが認. められた以上,それに代るべき基準を見出すことに努力を払わねばならなかった。そ.こで 次に考えられたものは「法律問題」と「事実問題」を,実質的,機能的に解釈して行く方 「法律問題」とか「事実問題」といった言葉の文字や,制定法 法であった。この方法は, 規の文言に重点を置かず,機能的な面から実際的理由に焦点をあてた現実的な,プラグマ ティヅクな政策的方法である.したがって,法律問題,事実開港を機能的に解釈するとは いっても,実質的にはもはや法律問題,事実問題の区別からは完全に脱却した別個の方法 ところで機能的な解釈とは何であろうか。ディヴィスはこ といわねばならないであろうo の間に答えて,そもそも,何故に法律問題が裁判所に属するとされたかの目的をよく反映 したものでなければならぬとし,その主たる目的は,疑もなく裁判官は法律問題を決定す. るのに行政官より適任だと見られたからであ.aとなし,機能的解釈の基本となるものを裁 判官と行政官の,事件に対する能力の相違に求めたのであった抑.しカiし,数多い判例を 通じて言えることは,裁判所が司法審査の範囲の決定の基準となる要素として用いたもの は,この能力の比較衡量だけではなく,軽々の要素が存在しているのを発見する.デイツ キンスソによれば,そもそも法律とは政策そのもでのあるという。日く「法律が普通の意. 味での政策よりも柔軟性に乏しいことは確かであるが,より正確に考えるならば・法律は 広い寵域の,また,一般化された政策に外ならない」31'.すなわち,法律は一定の政策を. 施行するために,その政策を具現,結集した大綱にすぎず,政策と分離された純粋な「法 律」は存しないということである。これに対する批判ほ別として,少なくとも民事関係の 法律に比し行政分野ではより妥当することは否めまいoしかりとせば,当然にその政策趣 旨によって審査範囲が影響をうけることも止むをえないことであろうし,また,この政策 趣旨が一様でないことから,審査範囲に影響を与える要素も多様とならぎるを得ないこと となる。そこで,次に,如何なる要素が裁判所によって考慮されてきたかを辿ってみたい と思う。 Th占Doctrine. Larson,. 2) 3) 4) 5). Jaffe, Judicial Review・・. Tbayer,. A. 6). Brown,. Fact. 7) 8) 9). Morris,. Law. Landis, Davis,. Administrative. Brown,. Preliminarie and. Law. and. Fact,. The supra,. Question Process, Law. Administrative. Henderson,. Fact". of "Constitutional. 1). Treaties,. Treaties. on. 55. Harv・. 69. Harv・. Q・ 185, Pike & Fisher・ 1020 L・ Rev・ (1956)・ L・. Temp・. ⅠV 197・ Evidence,. in JudicialReview,. FederalTrade 905・. of Fact, 125・. 15. L・ R1. 56 1303,. Commission,. 230 Harv,. 1306. (1890)・ L・. R・. (1942)1. 93ff(1924)・. 899-903. (1943)I. 158・.

(14) 64. 秀. 10) ll) 12) 13) 14) 15) 16) 17) 18) 19) 20). 162. U.S.. 197.・. 21) 22) 23). 322U.S.,. 24) 25) 26). Davis,. Administrative. Law,. Davis,. Administrative. Law. 235U.S.. 314.. 340. U.S.. 504.. 320. U.S.. 489.. °it. from. Davis,. 305. U.S.. 177.. 253. U.S.. 421.. 334. U.S.. 742.. Schwartz,. Admi血istrative. Introduction. to. Law. American. Treaties,. ⅠV 207.. Law,. Administrative. 199-200.. Id. 219-220. Brown,. Davis,. supra,. 916.. 111.. Administrative. Report. Law,. Administrative. Dickinson,. of the. Henderson,. Attorney. 881.. of Law,. Treaties,. Generals case. ⅠV 193.. Committee book,. Administrative. 88, ・ Process, 561・アイザックは,法律問題と事実問題が,明白 on. な境界線によって,簡単に限界づけられると考えることは,鬼火(a ものであると述べている。 27). Landis,. Adminitrative. 55.. 874.. Gellhorns. supra,. the Supremacy. Justice and. Issacs, Process,. "The. Law. and. Facts". the. (1941),. 90. will・of-the.wisp)のような 22. Colt. L.. Rev.. 1. (1922).. 146.. 28)ヲソデイスは,これらの裁判所の態度を理解するためには,. 「比較的最近まで,英米のgovern-. mentが,本質的には裁判官のgOVernmentであったのを忘れてはならないのである」という。 Landis,. 29) 30) 31). supra. 135.. Davis,. Administrative. Davis,. Supra. Dickinson,. Law. Treaties,. ⅠV 202.. 208.. Supra. 219.. 3.審査範囲を画定する諸要素. 1・前にも触れた如く,ディヴィスは,裁判所が法律問題,あるいは事実問題として解 決した多数の判例を検討した結果,裁判所が審査範囲画定のために採用した基準として, 裁判所と行政庁の,事件に対する能力の差異(comparative. qualification)が第一次的な. ファクターであることを突きとめたのであった。彼は,裁判官が行政官と比較して事実問. 題を決定する資格なきやにつき,二つの理由から裁判官に資格な.しとの結論を得た.すな わち,証拠を実際に見,かつ聴く者は,冷い記録に限定されている者よりは事実認定には 適任であること,また,往々,事実認定にほ行政庁が有していると見られる専門的知識を 必要とするということであった1)。また,前述した如く,ランデイスはsupremacyoflaw. の観念から,司法審査の限界線を引くものとして法律と事実の区別方法を否定はしなかつ たが,両者を区別するた捌こは, 「行政行為の司法審査に関する限り,専門性(expertness) の問題に戻ることになる」とし,. 「裁判所が法律問題を簡決することをわれわれが願うの. は,この間題について裁判所が専門的知識を有していると信じているからなのである。こ のように法(law)を見ることは,. supremacy. of lawという概念に理論をもたらすものと. 思う。このことは,立法行為と行政行為の両者に対する司法審査の手続を形成するのに,.

(15) ノノ. 65. 米国行政法における司法審査の範囲 ある指導標を与えるようである。. --このことは,異なった内容をもった行政庁について. 司法審査の範囲が異なることを説明しうるし,また,事実の差異,ならびに,事実認定に っいての専門性の相違のために,相異なる行政庁の事実認定について別々の扱いをなさね. ばならぬという主張を強固ならしめるものである」2'と述べ,抽象的,概念的である「法 律問題」という観念に,専門性という実質的内容を盛りこんだのであった。しかし,何が 裁判所の専門事項であり,行政庁の専門分野であるかの決定は,必ずしも容易ではなかつ た。そこで,能力の比較によっては妥当な解決がなされないという主張もなされた3)。と いうのは,一般的に,裁判所の専門分野に属するものとして,憲法,コソモソ・ロウ,倫 理,法と政治に関する思想,制定法の解釈を通じて発展した判例法,立法史の分析,行政 庁の各分野を超えた一般的問題といったものが挙げられており,また,行政庁の専門分野 に明らかに属するものとして,地理,地質,医学,理学,工学等に関する事項が挙げられ. ているがチ',かかるばく然たる分顕では,具体的事件の解決には何ら活用しうるものとは いえないからである。 そこで以下,具体的事件において裁判所がこの専門性に着眼して如何に審査範囲の限界 づけを行なったかを瞥見してみよう。 Addisson. v.. Holly. Hill Fruit. Inc.5). Products. ある柑橘煩の缶詰工場の労働者が,. (Fair Labor. 1938年の「公正労働基準法」. Standards. Act)の適用範囲内に属するか否かが問題となり,下級審ほ,これに関する行政庁(Admini& Hour Division)の決定を取消し,該労働者は本法の適用をうけ strator of the Wage る労働者に該当しないと判決した。これに対し,最高裁判所はフランクファータ-判事に ょり次の如く述べた。すなわち,如何なる労働者が本法適用内に属するか否かを決定する. 境界線は,立法府によっては明定しうるものではなく,立法府はこれを経験豊富な,また 充分な情報を基礎にして判断しうる行政庁にその決定をゆだねていると述べているo また,. F.P.C.. v.. Natural. Gas. PipeLineCo・,6'事件においても,料金の基礎となって. いる経済的価値に関する事項は裁判所の関与しえないものであること,委員会は妥当な料 金の根拠となるものを選択する広範な裁量を有しており,その決定のた捌こシ3:.,高度に専 Driscoll. 門的判断を必要とするものであると述べた。また,. Edison. v・. Light. &. Power7). 事件においても,公益事業の料金決定につき同旨のことが述べられている。 次に裁判所の専門額域だと判断した例を挙げよう. Board. of Governors. of the. Federal. Reserve. System. v.. Agnew8). ボ-ド・オブ・ガバナ-ズはナショナル銀行の理事を除名したが,それは,その理事が 1933年の銀行法(Banking. Act)第32条の禁止条項に違反したからとの理由によるもの. であった.当該条項によると,これらの理事は「主として,株式,公債,その他これに輝似. する証券の発行,募集,引受,公売等」に従事する会社には関与しえないことになってい た。しかし,これらの理事が関係していた会社の収益は,. 1942年には全収益の26%が引. 受業からのものであり,仲立業からの収益は42%であった。翌年は,この比率が32%と となった。しかし,. 1943年の引受業関係会社93杜の成績の中では九位を占めていた。そ.

(16) 66. 秀. こで,この会社が「主として株式,公債,その他これに類似する証券の発行,募集,引受, 公売等」に従事している会社に該当するかどうかが争われたわけである。これに対して最. 高裁判所は自己の判断を下した上で,委員会の認定を支持したのであった.これは「文書 の言葉が,通常の意味に用いられた場合には,その解釈は法魯問題のみを提起する」 Northern. Ry・,. Ⅴ・. Merchant. Elevator. Co・,. 259. U・ S. 285,. (Great. 291)とする裁判所の見解の. 一例であるとディゲィスはいう。とも角,裁判所は,その間題を自己の専門額域であるこ とを認bt,,独自の判断を加え委員会と同一の結論に達したのであった。しかし,本件にお いてラットレッジ判事は,裁判所の結論を支持しながらも,それは委員会の専門性を認め ることによるのであって,本案につき独白の判断を加えた結果によるものでないことを, 特に強調していることに注目すべきである。 F. T.C.. Ⅴ.. R. C.A.. Communication. lnc.9). ある会社は,ポルトガルならびにオランダを含めた外国に対する無線電信業を拡張する ことにつき,連邦通信委員会の許可をうけたが,同鞄域に既に無線通信業を行なっていた R・C・A・会社はこれに対し異議を申立てた。委員会は二重の施設を否定すべきでないと決 定したが,最高裁判所は,連邦通信委員会に非ずして自己が競争に関する国家政策の全般 的な視野を有する審判所であると述べて,さらに委員会の再考慮を求めた。. 次に,一口に専門性により解決するといっても,同一事件にらいて,二つの異なった観 点から,裁判所と行政庁の両者がそれぞれ専門分野とみなされるものがある。州際通商法 の規定する差別待遇に如何なるものが該当するかの問題は,長年,州際通商委員会の専門 分野と目されていたものであったが,黒人乗客に対する差別待遇が州際通商法のそれに当 るか否かが争われた事件について,最高裁判所は,人種関係については州際通商委員会ほ 専門家でないとの理由から審査権をおよぼしたMitchell. v.. U.S.10'事件がある。. 上記に述べた専門能力の比較による司法審査の範囲の限界づけが,決して満足すべき基. 準となりえぬことは,これらの判決を見て-も認められることであろう。また,何れの専門 分野に属するかが断定しえぬ事件については,この基準の活動しうる余地が存しなくなる。 ディゲィスによると,この中間的分野に属するものとして,不当労働行為,不当取引行為 (unfair trade ception. in the. practice),公益事業における差別的行為,証券売買における詐欺行為(demarketing. of securities),不当な料金,放送に関する公共の利益,租税. 法規の解釈,適用等に関する事項が挙げられている11'。かかる中間点に属するものには,. 能力の差異によって解決を望むことはできなかった。このように,各瞳の行政行為に対し て単に専門性という基準のみでは妥当な結果が得られぬことが認識され,他の種々の要素 が探求されるに至ったのである。この能力の差異を基準とする方法は,行政権を拡大し, 司法権を制限する手段として使用されがちであるという非難も存するが,この方法が妥当 に行使される限り,誤ったものとはいえないであろう1皇'o. しかし,妥当に行使しうる保障. を見出すことは極めて困難であるo 2・そこで,以下,如何なる他の要素を,審査範匪卜の限界づ桝こ裁判所が考慮したかを 辿ってみることにする。.

(17) 米国行政法における司法審査の範囲. 67. 裁判所は専門性の判断について,単に裁判所との対比において比較したのではなかった。 恐らくは,行政委員会は特定の行政の専門的担い手として設立されたのであるから,殆ん どの行政委員会は,裁判所よりも専門性を有しているといわねばなるまい。その意味では,. 行政委員会の専門分野に関する事実認定の全ては,司法審査の額域から外されねばならな い。しかし,裁判所はこの専門性を,裁判所の能力との単なる比較に求めずに,行政庁の 専門街域に一応属するものと巳されるものについても,その専門的手腕に対する裁判所の. 倍額性の度合,換言すれば専門性の適切性に対する評価が,審査範囲の限界線を流動せし めているようである。例えば,州際通商委員会と連邦取引委員会の同行政庁の行政庁為に 対する裁判所の態度を見ると,相異なるものがみられるといわれている。すなわち,連邦 取引委員会の命令に対しては,州際通商委員会のそれに対するよりも審査範囲を拡げてい たのであった。連邦取引委員会は,通商分野における専門的知識を有する行政庁であるが, 1920年において制定法上明らかでなかった「不正競争方法」という語につき絞争が生じた. 場合,これは窮極的には法碍問題であり委員会の決定すべき事項でないと判決された18'. このように,両者に対して相異なる態度を採る理由には,後にも触れる如く,単に信療性 の度合の相違にのみ基くものでなく,同行政庁の行なう行為の性質の差異にもよるのであ. るが,この裁判所の態度は,連邦取引委員会の長期にわたる豊富な経験の集積と共に緩和 されてきているといわれるのを見ると,倍額性の度合の相違が一つの要素として働いてい ることを否定できない。 この裁判所の行政庁に対する信蹟性は,その専門的能力についてのみならず,行政行為 の行われる行政手続によっても影響をうける。司法審査は行政庁の下した結論に対しての. みならず,これに至った方法にもおよぶわけであるが,それと共に,委員会の採った行政 手続の公正性が実体審査をなすべきか否かの一つの決め手となっているようである。たと えば,対立当事者による聴聞,協議,討論等,行政行為の公正を保障する手続を経て行な われた行為と,行政庁が一方的に行なった行為とでは,その信顕性に相違が生ずるのは当. 然であろう。そこに審査範囲が異なってくるのは理解しうるところである14'。次に行政行 為は,その性質,その規整の対象となる権利,利益の性質,により種々に分賛しうるが,. 大別して,私的企業間,ならびに私的企業とイ由人間の調整を主たる目的とするものと, 関軌. 粗軌移民事件といった公的色彩の強い政策を施行するものとに分類することがで. き,裁判所はこの要素を審査範囲の限界づ捌こ考慮していることを述べよう15'。すなわち,. 裁判所は行政庁の決定や行為が,直接に私的企業間,ならびに私的企業と私人間の調整を 目的とする場合には,公的色彩の強い政策に対するものよりも,より広い司法審査を認め る必要があると考えているといわれている。しかし,私的企業の調整といっても,広い意. 味では公的な国家政策に連なるものであり,また,各企業の性格の相違によって,政策関 与の程度も異なるので,この行政行為の内容の相違による司法審査範囲の基準も明確では ない。行政委員会の先駆とみられる州際通商委員会の機能は,元来私的企業の規整を含む ものとは見られなかった。. 「鉄道の所有者は百姓が自己の畠を自由に耕す如くにほ自由に. 運営しえない。これ等の設備は先ず第一に公衆のために建てられたのであり,またその運.

(18) 68. 罪. 常は,本質的に公的な磯能である」といわれ,従って鉄道,ならびに他の運送業に対する 州際通商委員会の規整が公的色彩の強い政策と類似しているとみられたのであった.これ に反し,. 1914年に設立された連邦取引委員会は,反トラスト法の施行を主たる目的とした. 行政委員会であるが,裁判所は州際通商委員会に対するよりも,より広い審査範囲を認め ているといわれている。これは前に触れた専門能力に対する信板性の相違に基づくことも ー理由として挙げられるが,その外に連邦取引委員会が,生産者の販売価格,価格引下,. 販売者の広告方法といった私的企業の核心となるものの規整にあるからであるといわれ, 証券取引委員会に対する態度もまた同様であるといわれる。 これらに対し,公的性格を有する行政行為の代表は租税行為であろう。. 「政府を維持す. る手段は主として租税であり,徴税については可能な限り干渉されないことが最も肝要で ある。収税吏の徴税手続における遅延は,政府の運営を阻害し,従って,また,公衆に対 し重大な障害となる」16'のであり,また,. 「公の財政収入を迅速に集めねばならぬ必要性は,. 裁判所が租税事件に関する行政的決定を審査する場合に,司法的良心の中に絶えず存在し ていた」のであり,. 「租税の分野ほど司法審査の範囲が狭い分野はないのである」17,といわ. れている。この傾向ほ,問題が明白に法律問題と考えられるような場合においてすら見出 すことができるo先に述べたドブスソ事件で,最高裁判所は租税事件につき下級裁判所が 余りにも短兵急に行政庁の決定に干渉したことを批判し,租税事件に関する法律問題につ いての行政庁の裁決が合理的である限り,その裁決を取消すべきでないとした根底にも租 税事件の迅速性の要請といった公的必要性を認識していたがために外ならなかった.租税 事件にやや額似するものとみられるものに,移民事件と国外追放事件とがある.外国人の. 追放,入国拒否は,いわば,主権に内在する外国の侵略に対する自国防衛権に基くものと 解され,また政府の存立,安全の維持という点では租税行為と等しいとする考え方が,司. 法審査の範囲を狭少にする傾向に潜んでいたといえる18'。ただ既に国内に居住している老 を国外に排除する追放事件と,新らしく入国する場合の入国事件とでは,既得権の保護の 点から,両者に対して審査範囲を異にせしめ,国外追放事件には入国事件に比し,審査範 囲を緩和している。 ところで,行政委員会の中には,租税事粗. 関税事件,移民事件よりも公的性格が稀薄. であり,さりとて,連邦取引委員会が扱うような私的企業に対する調整というものを役割. としないものがある。その例として,全国労働関係委員会を挙げえよう19'。同委員会は, 不当労働行為の救済,ならびに交渉単位の決定を行う行政委員会であるが,労働時間,質 金等については決定を行わない。そして当委員会は,コソモソ・ロウの知らざる分野で活 動したのであった。すなわち,団体協約を締結しうる労働組合はどれかとか,不当労働行 為に対する妥当な救済は何かといった問題は,裁判所の親しまないものであったので,勢 い裁判所はその審査を狭める傾向にあったが,他面,労働問題には裁判所の本来の職務と する法律の解釈問題が含まれていたわけであるが,連邦取引委員会の決定に対するよりは. 審査範囲を狭めているといわれる。その理由は,当委員会の対象とする事件が,連邦取引 委員会の如く私的企業の調整を対象とせず,労働関係規整という公的関係に密接なもので.

(19) 69. 米国行政法における司法審査の範囲 あるからであるといわれている。. また,司法審査の範囲に関して中間的な地帯にあるものとして労働者災害補償委員会の 決定が挙げれている望0'..労働者災害補償委員会は,本質的に社会補償計画を実行しており, この行政行為は他の行政行為,たとえば,特殊産業の取引行為の規整等とは異なり,私人 問には直接的な圧力を加えることはない.補償委員会の業務は,ある面では政府の通常の 機能一郵便の配達,道路運送の取締りといった-を行なっているようなものである。. そこで裁判所は,この委員会の機能が公共的性格を有するとみなされる範囲で司法審査の 範囲を制限せんとする傾向にあるといわれている。しかし,他面,補償金は個人の使用主 にとって直接的な重荷であり,純粋な公益上の目的で行なわれる行政行為に対するよりも 広範な審査が認められるといわれる。. 以上に述べた要素の外に,特定の事件が,コソモソ・ロウ上の背景を有しているか否か が,審査範囲の決定に対する一要素となっていることが指摘されてい。すなわも,ある事 件が,コソモン・ロウ上の土壌に基く場合には,その事件を裁判所の専門領域に属するも U.S.v・Bal-. のとして,審査を認める根拠とする傾向があるといわれている.ブラウソは, timore. &. (234U.S.. Ohio. R.良.. (293 U.S.. 454)事件,ならびにU.S.. Ⅴ.. Louisiana. &. Pac.. Ry. 1)事件において,ある慣行が,連邦取引委員会法の下での不当競争方法に該当. するか否かの決定に当って,裁判所が法律問題と解した理由につき,これの事件の性質, ならびに用語が,相当のコソモソ・ロウ上のバックと内容を有していることを指摘してい る21)o前述したN.L.R.B.. v.. Hearst事件においても,右の基準が一要素とされていた. のであった。 さらに,控訴裁判所の判決との関係につき,次のようなことがいわれている。すなわち, 壁訴裁判所が独自の判断を下した場合には,最高裁判所も独白の判断を加えるようであり,. また,高等裁判所で意見の対立がなかった場合よりは,あった時の方が,最高裁判所は独 自の判断を下す傾向にあると22'。また,行政庁が,ある政策を施行する場合に,行政庁自. 身が矛盾した決定を下し不安定であるような場合,後に生ずる事件のために一般的原則を 確定して,行政庁,また,一般国民に対して,法的安定性と,無用の紛争を除去するため. に,司法審査の範囲内に引き入れんとする傾向にあることが指摘されている28). 3.以上の如く,司法審査の範囲の決定に働きかける要素は多様であり,かつ,明確な ものとして捕えられていない。そ・して,裁判所が,何れの要素を採るかは,裁判所の裁量, 偶然によるとさえいわれている24)0. 「司法審査の範囲に関する裁判所の慣例を理解するた. 釧こ根本的に必要なことは,裁判所の態度が先ず裁量に基づいており,一定の公式や先例, また,法律と事実の分析やその精撤な理論に基づいていないことを認めることであり」, 「恐らく最も重要なことは,裁判官のstate. of mindによって,裁判所が独白の判断を下. すか否か--が決定されるのである」25)。確かに以上に述べた諸判例によると整然とした 理論的体系は打樹てられないようである。そしてディヴィスは,裁判所は,政策的考慮を 採りながら,その理由づ桝こは分析的表現をとる結果,非論理的となっていることを指摘 し,また,裁判所が審査範囲を画定するにあたって,以上述べた諸要素の中の-つのみを.

(20) 70. 罪. 基準として判決したと解してはならないという26'oそして,上記に述べた裁判所の傾向は, 将来においても続くであろうと予言する27). 以上,司法審査の範囲の画定に当って,裁判所,ならびに学説が何を考慮してきたかを 概観してきた。これらから,何らかの結論を引き出すことは,私の到底なしうるものでは. ない。以下,ディヴィスが,一般的指針として,審査を認めることが望ましいと解した事 項を述べて本章を結ぶことにする。彼は,次の場合には司法審査をおよぼすことが望まし いとするo. (1)特殊な行政庁の専門分野を超えた,一般的問題が含まれているとき (2)コソモソ・ロウの解釈を必要とする場合 ¢)コソモソ・ロウ上の倫理とか,公正に関する問題 ;4)憲法上の問題が,直接,問擦を問わず提起され,憲法上の考慮によって,実質的に 影響をうけるような問題 (5)行政庁の専門分野での技術的な面についての調査が必要なのではなく,主として, 政策的な紛争が生じている場合に,立法史の分析を必要とする問題 (6)制定法の解釈に当り,従前に発展した判例を問題とする場合 (7)何らかの理由で,行政庁または関係当事者のガイドとするために,裁判所が法を生 成することが適当と認めたとき28)29). 1). 2) 3) 4) 5) 6) 7) 8) 9) 10) ll) 12) 13) 14). Davis,. Administrative. Landis,. Jaffe, Question Davis,. Supra. 322U.S.. 607.. 315. 575.. U.S.. 307U.S.. 104.. 329U.S.. 441.. 346. 86.. U.S.. 313U.S.. of 240.. Treaties,. Process,. Law:. 69. Harv.. ⅠV 208.. 152-153. L.. R.. 272. supra. 244.. Davis,. supra. 245-246.. Davis,. supra. 237.. Davis,. supra. 238,. Cooper,. Cuscbman,. Corn,. Administrative. the. Constitutional. Administrative. "Jurisdictional. 22). Dows. Cooper, Black,. v.. supra. Cooper,. supra. Cboper,. supra. Brown,. supra. Davis,. supra. the. of. lndependent. Agencies. and. the. Courts.. Fact〃 ll. 354-355. 524.. 377. 350. 913-914. 237.. Reg山atory. 350ff.また,ステイスソも同趣旨に基づ Stason,. Cases. and. Other. Tribunals・また,ブラックもこの見解に基いて静を進めている。. Chicago,. supra. Statute. L・ Q.行政裁判資料第9号157貢.. き,司法審査に閲し,二分野に分けて説明している。. 16) 17) 18) 19) 20) 21). (1955).. 80.. Davis,. Commission,24. 15). Law. Administrative. Theory Wall. and 108.. Administrative. Finality,. 22. Corn.. Materials Black,. L. Q. 513.. on. The.

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