<翻訳>クリスチャン・ベッシー(著) 「価格と市場についての社会学の刷新」
全文
(2) ン経済学の特定の展開に対して、 『 市 場 の 支 配 』を 対 置 さ せ よ う. 2) 。要 す る に 、Callon. にと. っては、市場が展開するためには、財の品質についての一般的合意が存在することは必ず し も 必 要 な く 、こ の こ と は 、 「 品 質 の コ ン ヴ ァ ン シ オ ン 」も し く は モ ノ の 価 値 づ け の コ ン ヴ ァンシオン的形態という概念を疑問視させるのである。このためにこそ彼は「市場」より も 、「 市 場 的 配 置 」 に つ い て 語 る こ と を 選 ぶ の で あ る 。 市 場 で は 、 一 般 的 に 、( 価 格 が 結 合 され得る)財の均質性の形態が存在することが前提されているからである。 こうした比較の試みが我々に必要であるように思われるのは、これらの著作があまり知 ら れ て い な い か ら で あ る 。二 つ と も 、1980 年 代 に フ ラ ン ス で 発 展 し た プ ラ グ マ テ ィ ッ ク 社 会 学 か ら 強 く 刺 激 さ れ て い る の で あ る が (Lemieux, 2018)。ど ち ら も 、主 と し て 間 接 的 な 経 験に基づいていることを特徴とし、主題(市場価格)についての理論的野心を持ちながら も、彼らの最初の社会学的問題設定には対応していない。彼らは、必ずしも専門ではない ような領域に自らの分析枠組みを適用するように促される。このことは、この領域でよく 知られた何人かの研究者に対して極めて手厳しい批判をもたらすことを妨げはしない。 こ う し た 指 摘 は Callon (1998)に は そ れ ほ ど 当 た ら な い 。 市 場 の 場 所 に つ い て の 彼 の 最 初 の 研 究 は 1990 年 代 末 に 遡 り 、 次 い で 経 済 理 論 の 「 遂 行 性 」 の 観 念 に 関 す る 深 い 考 察 が 引 き 続 く (Callon et Muniesa, 2009)。 こ の こ と が 彼 に 対 し て 経 済 理 論 に つ い て よ り 良 い 知 識 を 与えることになる。 彼らの研究は、使用される社会学手法によって、また追求される目標によって異なる。 『豊穣化』の著作のオリジナリティは、金融的蓄積の、もしくは労働の剰余価値という伝 統的手法とは異なった、利潤追求様式を強調することである。こうした様式は相対価格の 構造を根本的に修正し、新しい不平等を生み出すことになる。批判の社会学という 観点か ら、価値付けの様々な形態が、価格を正当化し、批判するのに役立つとしても、 著者たち はブルデューの批判的伝統にも接近して、支配階級の特性と、モノの間での妥当な差異の 定義に関する権力とを特徴づけるのである。 Callon の 著 作 は 、市 場 的 配 置 と 、そ の 存 在 様 式 、そ の 機 能 様 式 の 分 析 の 展 望 に よ り 導 か れ 、科 学 社 会 学 の 分 析 手 法 を 取 り 入 れ 、と り わ け 活 動 に お け る 事 物 と 道 具 の 役 割 を 導 入 し 、 さらに社会的なこととは、ヘテロな実体の連結の永続的過程である 、という考え方を導入 す る 。 こ う し た 展 望 に し た が っ て こ の 書 物 は Cochoy (2012)に よ り 編 集 さ れ 、 Callon が 後 書きを書いた研究の延長に位置づけられている。しかしそれはまた規範的次元を有してい る。そのサブタイトルが示すように、まずなによりも「市場的配置を 変革するために、こ の配置の機能を理解すること」が重要なのである。こうして、金融市場はその技術的効率 性 に 縮 減 す る こ と な ど で き ず 、組 織 化 と「 格 付 け 計 算 [qualcul]」(qualification-calcul)に 依 拠しており、それについて討議し、それを変容するために解明しなければならないのであ って、拙速な一般化を回避しなければならない。 しかし商品もしくは商品化の構造の分析を超えて、我々は価格の問題について、また財 の 差 別 化 と 特 異 化 の 問 題 含 み の 概 念 に つ い て 、二 つ の ア プ ロ ー チ の 比 較 に 焦 点 を 当 て よ う 。 2.
(3) このことは市場競争と、力関係ないし支配の問題、経済アクターのコーディネーションの 問題に取りかかることを可能とさせる。したがって我々は、これらの二つのアプローチが いかにして、価格と市場の社会学の刷新に貢献するかを 示したい。. 1.市場の存在様式:相互依存的な5つのフレーミング Callon は そ の 同 じ 数 の 章 別 編 成 の 対 象 と な る 、相 互 依 存 的 な 5 つ の フ レ ー ミ ン グ を 同 定 することで、市場のミクロ構造を検討する。すなわち、財の市場的受動化(受動的活動) [passiva(c)tion]、エ ー ジ ェ ン シ ー と そ の 計 算 的 装 備 、市 場 的 突 き 合 わ せ の 組 織 化 、人 と モ ノのアタッチメントとデタッチメント 、価格の設定、である。彼がその連続した提示を行 うとしても、これらのフレーミングは同時的であり得るし、もしくは往復運動に基づくこ ともできる。その語句の形式的意味での構造を文字通りに定義するというよりもむしろイ ンフラストラクチャーを定義しているのであり、著者は、そのレールと転轍機を備えた鉄 道というメタファーに言及している。 市場的配置のこうした分析は、 「 市 場 = イ ン タ ー フ ェ ー ス 」の 概 念 を 批 判 す る こ と で 、市 場とは何であるかについて著者が立ち返る最初の章から 続けられる。市場インターフェー スは、財とエージェントとを純然と切断するが、こうした切断こそは伝統的な経済学と一 部の経済社会学が展開していることなのである。 この書物は第7章でおわり、これは集合的で、戦略的な、問題解決に向けられた活動と して市場的配置を見なし、そのダイナミズムを検討している。最終章は、市場的配置の規 制と変容の政治的問題に取りかかる。 しかし、まず何よりも重要なのは、財とエージェンシー(個人的、集合的)の物質性に 入りこみ、これらが作り出すものに入りこみ、とりわけ、その格付け計算の作業、その関 連付け、モノへのアタッチメント、価格設定の詳細に入りこむことで、市場的配置の存在 様式を理解することである。実施されている、様々な技術的機能を具体的に理解するため に 、 (G. Simondon で あ れ ば こ う 言 っ た で あ ろ う )市 場 の 鋳 型 に 入 り こ ま な け れ ば な ら な い のである。技術的詳細をふんだんにちりばめた特定の記述の浪費を超えて、著者は 細部に 生命を与えることをいとわず、ドラマチックに描写し、取得とアタッチメントの欲求(デ ラ ッ ク ス 財 )、 事 物 の 抵 抗 ( 核 廃 棄 物 )、 事 物 に よ る 支 配 ( ギ ャ ン ブ ル ) へ と 我 々 を 誘 う 。. ( 1 ) 市 場 的 受 動 化 = 受 動 的 活 動 [passiva(c)tion] それでも、こうした文献紹介的手法が、最初のフレーミングの提示には適している。す な わ ち 市 場 的 受 動 化( 受 動 的 活 動 )と い う 造 語 に よ っ て 、Callon は 、財 が 自 律 的 に 流 通 し ( 財 の 誕 生 と 結 合 し た 環 境 ― ― 構 想 と プ ロ フ ァ イ リ ン グ ― ― を 脱 却 す る こ と で ― ― )、 消 費 者 に よ る 予 測 可 能 な 使 用 を 引 き 起 こ す こ と が で き る よ う な 、財 の 状 況 化 [mise en etat]の 装 置 ( 定 式 化 [mise en forme]に は 縮 減 さ れ な い ) を 考 慮 す る こ と が で き る 。 こ の 章 の 利 点 の 一 つ は 、農 地 と 労 働 、貨 幣 の 商 品 化 に つ い て の K.ポ ラ ン ニ ー の 分 析 の 再 3.
(4) 解釈である。とりわけ先物取引市場の歴史の、きわめて説得力ある想起により、貨幣の商 品化について詳細に展開される。これらの市場が安定化するためには、資産の流動化と、 その抑止(投機と商品としての貨幣の支配と関連した危機を回避することを可能とさせる の に 必 要 な )と の 間 で 、均 衡 が 見 出 さ れ な け れ ば な ら な い 。 「流動性の源泉と効果を理解し、 掌 握 で き る 、な ど と 主 張 す る 建 築 主 任 は 己 惚 れ る の も い い と こ ろ で あ る 」(p.125)。こ れ は 、 あらゆる調整活動の限界についての別の言い方であろう。 結局、双務的な取引に至るためには、所有権の付与と移転の問題を規制しなければなら ず 、 こ の こ と は 、 遺 伝 子 組 み 換 え 作 物 GMO の よ う な 生 き た 世 界 に 近 い 財 に つ い て は 、 自 明 で は な い 。著 者 は 正 当 に も 、当 該 の 財 と 構 想 者 と 生 産 者 、 (その流通とその使用に必要な 環 境 を 生 産 す る ) 人 々 と の 間 で の 、 も し く は GMO に お け る よ う に 、 人 間 的 力 と 自 然 の 力 の間での寄与分を確定する際の、特許権をめぐる現在の困難を強調している。著者は、こ の点での新しい法的カテゴリの発明の作業を強調している。. (2)格付けと計算のエージェンシー 商品の地位に到達するのに必要な第二のフレーミングは、財の評価の、もしくは「格付 け計算」の能力を様々な(集合的、個人的)エージェンシーに付与することである。格付 け 計 算 と い う の は 、あ ら ゆ る 計 算( 単 に 、序 数 的 で あ り 得 る )が 、 ( 交 換 に 入 り 得 る )実 体 についての予めの格付け操作に基づいていることを示すためにである。彼は、カテゴリー 化の操作、取引に特殊な意味を与える言語ゲームの重要性を強調する ンシーの装備は言語的分類に留まらず、判断と会計の装置. 3) 。 し か し エ ー ジ ェ. 4) 、 計 算 手 法 の 装 置 全 体 ( プ ロ. ファイリングとスコアリングの様々な実践を可能とさせるアルゴリズム が最終的に登場す る ) を 含 む の で あ る (p. 194)。 エージェントとその「社会認知的人工補装具」との間に分散されたこうした評価は、以 下の事実にいたる。財の格付けと評価の過程は時間と空間の中で展開するのであり、こう し た 過 程 は 財 を 変 容 さ せ 、翻 っ て 評 価 を 再 開 さ せ る (p.166)。財 の 格 付 け = 再 格 付 け の 繰 り 返し過程は、著者に対して財とサービスとを区別させないようにさせ、商品に集中する Boltanski et Esquerre (2017)の ア プ ロ ー チ よ り も 、 よ り 多 く の 一 般 性 を Callon の ア プ ロ ーチに与えるのである。 し か し 、も う 一 つ の 重 要 な 点 は 以 下 に あ る 。 「 格 付 け 計 算 」の 異 な っ た エ ー ジ ェ ン シ ー の 間での競合において、もっとも多くの能力を保持するエージェンシーが、その財の格付け 権 力 を 押 し つ け る リ ス ク が あ り (p.197)、こ こ で 力 の 非 対 称 性 を も た ら し 、支 配 の 機 会 を も たらすのである(そのクライアントに対する量販店の関係の場合、もしくはブルデューの 著 作 が よ く 示 し て い る よ う に 、 不 動 産 市 場 で の 事 例 )。 したがって計算装置の記述に入りこむことによってこそ、資本主義的市場の支配を探求 することを可能とさせるのであり、それは、これらの装置を統合するエージェンシーの間 での新しい同盟の同定を通じてなのである。これは今日、デジタルプラットフォームの領 4.
(5) 域 で 、ま た GAFAM の 間 で の 合 意 に 見 ら れ る こ と で あ る 。エ ー ジ ェ ン シ ー の 間 で の 同 盟 の こ う し た ゲ ー ム を 解 明 す る こ と で 、Callon に よ り 提 案 さ れ た 分 析 が 、特 定 の「 エ ー ジ ェ ン ト /エ ー ジ ェ ン シ ー 」の「 価 値 付 与 権 力 」を 説 明 す る の は 、そ の 正 統 性 に 言 及 す る こ と に よ ってではなく、エージェンシーが確立することができる(ここでは、科学的言明の枠組み において発展された「義務的通過点」の概念が重なる)コネクションの数を参照すること に よ っ て で あ る 。こ う し て 、 「 格 付 け 計 算 す る 」や り 方 が 、エ ー ジ ェ ン シ ー の 間 で の 戦 略 的 相互作用を生み出す。このことは政治的な観点から、そのコントロールの問題を鋭く提起 する。. (3)突き合わせのプラットフォーム 続いて、著者は第4章で、エージェンシーと財(格付け計算された)との間での突き合 わ せ の 組 織 化 の フ レ ー ミ ン グ を 記 述 す る 。 彼 は 、( あ ら か じ め 存 在 し て い る と 考 え ら れ る ) 供給と需要との間での最適なマッチングを組織化することを可能とさせる市場のデザイン についてのあらゆる経済文献の限界を示す。しかしながら特定のモデルはその多様性を考 慮 し 、と り わ け 労 働 市 場 で の ( 、 成 功 裏 の 双 務 的 取 引 を も た ら す )情 報 探 索 費 用 を 考 慮 す る 。 これらの摩擦の多い市場のモデル化において、それぞれの マッチングは、双方独占として 考えられ、その価値の余剰は、それぞれの探索費用に応じて、二つの当事者の間で配分さ れ る (Pissarides, 1990)。 Callon に と っ て 、こ う し た ア プ ロ ー チ の 主 た る 限 界 は ― ― イ ン タ ー パ ー ソ ナ ル な 関 係 の ネ ッ ト ワ ー ク の 重 要 性 に つ い て の Granovetter の 分 析 に お い て も 見 ら れ る の だ が ― ― 、こ うしたアプローチが需要と供給との共同プロファイリング (市場の機会に応じたエージェ ンシーと財との共進化)過程について語らないことである。こうして、それぞれの取引の イノベーティブな側面を強調するために、突き合わせのプラットフォームの機能の中に、 つまりマッチングに至ることを可能とする一連の調節の中に、入らなければならない。 こ うして著者は「装備されたナッジ」について語るのである。 著者がきわめて詳細な叙述を行っているアマゾンをはじめとして 、こうしたプラットフ ォーム――相互的な探求の装置として考えられる――は今日、市場的配置の構造化のいっ そうの役割を演じているであろう。この種のプラットフォームの中心的な要素の一つは、 アルゴリズムにより構成され、このアルゴリズムが それぞれのクライアントにアタッチさ れたデータを分析し、 「 ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 接 合 的 定 義 」(p.241)に し た が っ て 、同 一 の 購 買 により特徴付けられる消費者のプロフィールと階級を構成することを可能とさせるのであ る。著者はさらに、ユーモアを交えて、ピケティの本を買った後でウェルベックの小説 を 買うように誘うアマゾンの提案を記述している。 彼の推論は、治療内容と、バイオマーカー、さらに価格設定とを同時に定義する、パー ソ ナ ル 化 さ れ た 医 療 の 発 展 に よ り 説 明 さ れ る ( P. Keating et A. Cambrosio 2003 に よ り な さ れ た 腫 瘍 学 の 歴 史 を 参 照 せ よ )。こ う し た 展 望 に し た が っ て 、ペ ア リ ン グ は 、進 化 的 で あ 5.
(6) る。というのも、財とエージェンシーのアイデンティティは絶えず変容し、したがって、 アルゴリズムの助けにより継続的に調節されるからである。共同プロファイリングのこう したプラットフォームが多くの部門( 金融、保険、就職、輸送、農業)で普及し、大衆の 特 異 化 の 運 動 に 参 画 す る( 著 者 は そ の 逸 脱 を 分 析 す る )。プ ラ ッ ト フ ォ ー ム の 独 占 的 行 動 を 超えて、個人データの使用に関して、あるいはさらに社会生活に関して、他の不安が引き 起こされる。過剰な特異化は社会的結合の基盤を覆すこともあり得る。. (4)財へのアタッチメント い わ ば 継 起 的 な 小 さ な 襞 [plis]( 身 体 が 折 り た た ま れ る = 服 従 す る [se plier]と い う 意 味 での)を通じて、それ以前のフレーミングを延長させる、取引の実現に必要なもう一つの 操 作 は 、 財 へ の ア タ ッ チ メ ン ト で あ る 。 第 5 章 で 、 著 者 は 市 場 的 情 動 [affecto mercantus] の問題、すなわち購買を促し、それと対称的に販売 、デタッチメントを促す情動全体に取 りかかる。彼はこうして、先行のミクロ経済理論、さらには、行動経済学の新しい展開を 乗り越えるように促されるが、こうした理論は、情動を生み出し、フレーミングする装置 に関心を向けるために、依存症的過程についての興味深い成果を提示しているのである。 こ う し た 分 析 は 、 ア タ ッ チ メ ン ト の 過 程 へ の A. Hennion (2004)の 研 究 に 多 く を 負 っ て い る 。そ れ は 、嗜 好 す る 仕 方 を 知 っ て い る 愛 好 家 と 、 (コレクションを形成することができ る)愛される事物の総覧とを同時的に生産するさいに、感覚的能力の重要性を示している のである。次いで、格付け計算的エージェンシーの間での突き合わせの装置と 密接に絡み 合った、アタッチメントの操作を説明するために、 著者は三つの説明を与える。すなわち 聞くことと対話の装置、共同生産の装置、依存症(序章ですでに展開されたギャンブルの 事例)の装置である。したがって身体へのモノのいっそうの支配を伴っており、市場的集 合的行為を疑問視させる抗議運動としばしば関連している。 「価格の定式化」は第6章で検討される、第5の、最後のフレーミングをなし、おそら く も っ と も オ リ ジ ナ ル で 、ミ ク ロ 経 済 理 論 と 経 済 社 会 学 に も っ と も 批 判 的 で あ る 。著 者 は 、 と り わ け J. Beckert の 研 究 を 標 的 に す る 。後 者 は 財 の 象 徴 的 側 面 と 物 質 的 側 面 と の 間 の 区 別に依拠しているのである。競合する個人的選好、もしくは関係と社会規範によって決定 される、従属変数としての価格という観念に対して、著者は完全な転覆をもたらそうとす る。そのために、財の格付けの暫定的性格を考慮することが必要であり、価格は、財の価 値に参画することができるのであって、価値は終わりを知らないのである。. 2.価格についてのオルタナティブな理論 著者により提案される理論において、価格はもはや供給と需要との間の関係の状態(こ れにとって価格は外在的なままに留まるような)を測定するものとしては考えられず、財 の特異化の要素として、数あるその品質の中での一つの品質として考えられるのである。 この特異化の過程をよく理解するためには、 価格のエンジニアリングを検討しなければな 6.
(7) らない。これは、別の配置、別の集合的行為の形態により刺激される氾濫の資源に服する ことができるような市場的配置を永続化させるために、フレーミング全体を 整序化=同盟 化 [aligner]す る こ と を 担 っ て い る の で あ る. 5) 。 し か し 「 配 置 」 と い う タ ー ム に よ っ て 、 著. 者は、価格に対する、もしくはその定式化に対して向けられた様々な批判の研究を行うよ う に 促 さ れ る の で あ る 。 我 々 と し て は 、 価 格 の 定 式 を 巡 る こ う し た 疑 問 が Boltanski et Esquere (2017)の ア プ ロ ー チ の 検 討 と 重 複 し て い る こ と を 見 る こ と に な ろ う ( 異 な っ た 分 析 図 式 を 提 示 し な が ら も )。こ れ こ そ 、プ ラ イ シ ン グ [pricing]の 新 し い 実 践 に と り か か る 彼 ら の や り 方 の 場 合 で あ る 。Callon が 、か な り 精 錬 さ れ た 定 式 化 作 業 を 関 与 さ せ る パ ー ソ ナ ライズされた価格実践の典型的事例とさせるために、イールドマネージメントを 捉えるの に対して、 『 豊 穣 化 』の 著 者 た ち は そ れ を 最 大 限 の 利 潤 の 探 求 方 法 の み な ら ず 、消 費 者 に と っての不確実性の源泉とさせるのである。消費者は、同一の財の価格の可変性によって、 またより一般的に、相対価格構造の永続的変容により不安定化されるのである( したがっ て 社 会 的 現 実 に 関 す る 彼 ら の 感 覚 に 著 し い 影 響 を 与 え る ) 6) 。 し か し 正 当 に も Callon は 、 相対価格の構造の安定性に社会学的重みを付与するのではなく、財は同一の財なのではな い。というのも、ネット購入に慣れた人にとって、価格水準が財の特異化の過程に参画す るからである。. (1)価格設定のエンジニアリング 市場的配置の理論家の主要な仮説は以下のようである。価格は常に 別の価格によって、 「 格 付 け 計 算 さ れ る 」。 価 格 は 様 々 な サ イ ト に 配 分 さ れ た 財 の 生 産 チ ェ ー ン 全 体 を 通 じ て 、 格付けと定式化の作業に同時発生的に、連結されるのである. 7) 。 異 な っ た サ イ ト の 間 に 分. 散 さ れ た 格 付 け 計 算 的 な こ う し た 力 が 、( 特 異 な る 諸 取 引 と そ れ に 関 連 し た そ の 価 格 を 集 計する)市場的配置の力を作るのであろう。自らの推論を説明するために著者は、イール ドマネージメント(彼はこれを、排他的独占の理論と、それに関連して実施される実験の 適 用 と し て 考 え て い る ) の 典 型 的 事 例 を 取 り 上 げ る (pp.346-351)。 競 合 す る 様 々 な オ ペ レ ーターが排他的独占として考えられ、それぞれが自らのクライアントの各人に対して、そ の 所 有 に 関 す る( ま た 計 算 手 法 全 体 の )情 報 、と り わ け 彼 ら の 支 払 い 能 力 に 関 す る 情 報( 価 格の比較のサイトへ彼らが依拠するかどうかを知ろうとさえする) に従って財と価格を提 示するのである。 こうしたプライシング実践は、運輸や、次いでエネルギーの分野で発展し、ますます洗 練されたエンジニアリングのおかげで多くの活動分野で普及している。 しかし価格設定の こ う し た 実 践 は ま た 、Kirman(2001)に よ り 研 究 さ れ た マ ル セ イ ユ の 魚 市 場 の そ れ の よ う に 、 伝統的市場への読解格子として役立つこともできる。そこでは一日を通じて、売り手が同 一の魚について、異なった価格を、異なったクライアントに提示することができるのであ る。その上この経済学者は、双務的な、様々なミクロな取引がいかにして、競争的な集計 された市場の構築を促すかを示すのであり、価格は需要と供給の古典的な法則に従うので 7.
(8) あ る 。し か し な が ら 、Callon に と っ て は こ れ は 必 ず し も 必 然 性 で は な く 、こ う し た 配 置 は 、 エージェンシーにより精緻化された戦略に応じて、異なった集計結果をもたらすこともで きるという。本質的に重要なのは「競争的独占」の解明である。ところがこうした配置タ イプを強調することで、経済学者にとって重要なこと、つまり自らのモデルに統合された 特定のパラメータに応じた価格水準の決定と予測可能なその進展の決定を 、著者は過小評 価している。 著者にとって、この種の市場的配置は「基準となるモデル」をなすに違いない。しかし 「モデル」という単語を曖昧にさせることによってである。というのも彼は、一般均衡モ デルにおけるような、もしくは労働市場におけるマッチングのモデル(市場が参照する賃 金水準と失業水準を説明しようとする)におけるような、厳密には市場のモデル化を語る こ と を 提 案 し て い な い か ら で あ る (Pissarides, 1990)。 要するに、著者は、価格水準の観点から、集計された成果よりも、マッチング技術の性 格にいっそうの関心を向ける。それに対して経済学者は自らのモデルの中に二つを接合さ せるのである。こうして彼は新古典派的市場の完全競争に対して「競争的独占」を代替さ せ、かくして価格競争と価格外競争との誤った対立を解消するよう提案する。結局、価格 競 争 は 特 異 化 の 強 い 運 動( 競 争 を も た ら す )に 従 属 し て い る 。価 格 下 落 は こ の 運 動 を 促 し 、 下落を再発動させる(携帯電話の領域では、異なった価格のついた異なった サービスパッ ケ ー ジ が 増 殖 し て い る )。( 消 費 者 が あ る 製 品 に き わ め て ア タ ッ チ さ れ て い る た め に 、 消 費 者はもはやこれを拒否することができないような) 「 社 会 技 術 的 ロ ッ ク イ ン 」の そ の 他 の 状 況 に 倣 っ て 、価 格 が 排 除 的 な 品 質 と な っ て い る 。 「 価 格 に よ る 圧 倒 的 な 特 異 化 に よ っ て 、結 局のところ消費者は合理的計算には支配されない。消費者は市場的情動(価格を優先的に 考 慮 す る よ う に 促 す )に よ っ て な す が ま ま に さ れ る 」(p.357)。こ う し て そ の 情 動 に よ り 主 と し て 突 き 動 か さ れ 、反 省 的 能 力 の な い 、装 置 の 支 配 の 下 に あ る ア ク タ ー が い る の で あ る 。 依存症の状況が極端な例である。. (2)定式の権力 分析のこの段階では、また理論的な相違を脇において 、財とサービス給付の永続的特異 化 に よ り 正 当 化 さ れ る 価 格 設 定 形 態 を 中 心 に し て 、Callon の 思 考 を 要 約 こ と が で き る か も し れ な い 。こ う し た 価 格 設 定 形 態 は 、Boltanski et Esquerre (2017)の 財 の 価 値 づ け の「 標 準的形態」と親和性がある。こうした価格へのアプローチ は、価値の概念が価格を正当化 するのに役立つという意味で、価値への言及を保持している。ところが正当にも、こうし た価値への言及こそは、価値の定義の操作と、価格設定をもたらす操作と を相も変わらず 混合させることで、あえて言うならば、こんがらがった分析的混沌をもたらすとして、 Callon が 拒 絶 す る の で あ る 。 Callon に お け る 価 格 の 定 式 化 の 検 討 は 、 序 数 か ら 基 数 へ の (「 ラ ン キ ン グ 」 か ら 「 ス コ アリング」への)移行をうまく考慮させてくれる。すなわち 評価の操作によって産出され 8.
(9) た 、長 い 一 連 の 分 類 か ら 生 ま れ る 価 格 は 、今 度 は 、 (同一母集団の中にエージェンシーがお いた)財に適用される分類の道具となる。クレジット・スコアリングの実践が好例をなす のは、 ( 不 動 産 融 資 を 要 求 す る 企 業 も し く は 家 計 で あ る )借 り 手 の リ ス ク 水 準 へ と 利 子 率 の 額を接近させることによってであり、こうして買い手の品質の統一的ヒエラルキーを確立 することになる。 しかしこの種のアプローチは決して新しいものではない. 8) 。 逆 に 、 価 格 競 争 と 価 格 外 競. 争との間の区別を乗り越えるという発想はよりオリジナルである。 もし競争があるとすれ ば、――と著者は言う――それは、格付け計算のエージェンシーの間での非対称性に由来 する価格の様々な定式化の間にあるのであって、とりわけ産出される特定の効果が無視さ れるのか、それとも別の効果が体系的に考慮されるのかを押しつける彼らの能力にある。 つまり、彼らの支配権力は、支配つまり連結し、排除する彼らの能力、彼らの価格設定を 押 し つ け る 能 力 に あ る の で あ っ て 、単 に そ の 金 額 だ け で は な い 。し か し こ こ で も Boltanski et Esquerre と の ア プ ロ ー チ と の 接 合 が 可 能 で あ る 。 後 者 は モ ノ の 間 で の 妥 当 な 差 異 の 定 義を執り行う特定の支配的アクターの権力を強調するのである。 Callon は 定 式 を 議 論 の 余 地 の な い も の と さ せ る 様 々 な や り 方 を 提 示 す る 。こ の 本 の 序 説 で見事に描かれているラスヴェガスでのギャンブルの組織化のように、定式の、結合した 物質的配置を提示する。しかし、彼は、価格の定式の公的討議の方法を 示し、とりわけ労 働 報 酬 や 、賃 金 計 算 を 巡 る 格 付 け の コ ン フ リ ク ト を 示 し 、そ れ に つ い て 、 「労働者への報酬 を 設 定 す る 定 式 ほ ど 、い っ そ う 洗 練 さ れ 、い っ そ う 量 的 な よ り 複 雑 な 定 式 」(p.377)は 存 在 しないと我々に言うのである。 著者は、医薬品の価格設定についても同一の議論を展開する。そこでは、患者団体が、 労働世界における失業者団体に等しい役割を演じており、プロファイリングの操作に固有 な排除過程への、また銀行融資からの排除への闘争を行っている。こうした過程は、使用 さ れ て い る 定 式 の 正 当 化 の 試 験 (Boltanski et Thévenot, (1991)の 意 味 で の )を 促 す こ と も できる。こうした試験はこれらの定式をより明示的にさせることに貢献するのである。そ こに倫理(そして政治)があるとすれば、市場的配置の 中から、またそのフレーミングの 構想の中から、これを引き出さなければならないのである。. (3)批判とカテゴリー化 し か し M. Callon が 言 い 忘 れ た こ と が あ る 。 そ れ は こ れ ら の 批 判 的 操 作 は 、 一 般 性 へ の 上昇を関与させる財とエージェンシーの事前のカテゴリー化に基づいている、ということ で あ る 。事 前 の カ テ ゴ リ ー 化 は 、 (公的アリーナにおけるその 全的一般性をもって正当化可 能な)評価と権利付与の操作に固有な等値化のコンヴァンシオン的な形態の構築を前提と し て い る (Thévenot, 2015)。 彼 は そ れ で も 、 交 差 さ れ た 予 想 の 現 象 に 言 及 す る ( こ う し た 企 図 は 例 え ば 、消 費 者 団 体 の 評 価 基 準 を 統 合 す る こ と に な ろ う )。こ れ は 、財 の 同 意 に 満 ち た記述をもたらし、 ( 加 え て 言 う な ら ば )品 質 の コ ン ヴ ァ ン シ オ ン を も た ら し 、複 数 の エ ー 9.
(10) ジェンシーの間でのコーディネーションを可能とさせる。しかしコーディネーションの問 題と、それがもたらす不確実性の問題とはあまり検討されていないのである。 彼が我々に言うのは、とりわけプラットフォームの作業が質的なことと量的なこととの 間の関係を再定義する、ということである。 諸個人を評価するために考慮される次元の増 殖は、各人の特異性を補強することに貢献し、究極的には、階級(クラス)と いう概念を 除去することに貢献する。あるいは、諸個人と同じ数の階級を製造することに貢献し、し かも集団、 ( 企 業 に 対 し て 膨 大 な 量 の ビ ジ ネ ス を 保 証 す る )特 異 な る 群 衆 [multitudes]の 集 計と構築を排除せずに、である、と言うのがより公平であろう。以下のように付け加える こともできよう。つまりこうしたプラットフォームは、 おびただしい数のエージェンシー のコーディネーションに必要な財のカテゴリー化の 作業をもはや義務づけることなく、完 全に特異なるマッチングの実現を可能とさせる。 こうした新しい展望が需要と供給を定義するのは、取引に関与するエージェンシーにと って外在的なデータとしてでなく、 「 内 生 的 な 変 数 と し て で あ る ― ― と い う の も 、そ の 水 準 は、成功裏の突き合わせと調節に依存し、つまりそれを実現するプラットフォームのパフ ォ ー マ ン ス に 依 存 す る か ら で あ る ― ― 」(p.257)。こ う し て 集 計 の 操 作 は 、そ の 等 価 性 の コ ンヴァンシオンを立ち上げる必要のないエージェンシーのなすがままに 、価格を操作する こ と が で き る 。企 業 が「 集 計 の 独 占 」保 持 し よ う と す る 、と い う 考 え 方 を 説 明 す る た め に 、 M. Callon は Tim Mitchell (2013)に よ り 研 究 さ れ て い る 米 国 系 石 油 会 社 に 依 拠 す る 。 こ う した企業があらゆる集計作業を回避することに成功したのは、価格設定の主人にとどまる ために、自らの取引に関する情報を普及しないことによってなのである。 定式化作業を私 的 領 域 に 閉 じ 込 め る 、こ う し た 戦 略 的 活 動 は 、標 準 的 と 考 え ら れ て い る よ う な 製 品 、 (支配 的地位の濫用に対する競争当局の取り組みの介入を妨げる)製品について、驚くべきこと のように思われるかもしれない。顕著に異なった製品の間での等価性のコンヴァンシオン なしには、当局は、市場シェアを計算し、独占を同定することはできな いからである。 そ こ で も な お 、Callon の 分 析 は 、も し 公 共 活 動 を 、も し く は 、等 価 性 の コ ン ヴ ァ ン シ オ ン (Desrosières, 2003)を 説 明 し よ う と す る な ら ば 、 品 質 の コ ン ヴ ァ ン シ オ ン の 存 在 と 和 解 しなければならないのである。うまい説明が、消費者価格指数の計算によって構成されて いる。これは財の定義における特定の一般性を想定し、次いで、 賃金と年金をはじめとし た再分配の公共政策の枠組みにおいて、価格全体のインデクス化に役立つことができるの で あ る (Samuel, 2014; Jany Catrice, 2018)。 Boltanski et Esquerre (2017)の 『 豊 穣 化 』 の 利 点 は ま さ に 、 製 品 の 間 で の 通 約 可 能 性 、 もしくは通約不可能性のルールに応じて、経済競争の組織化を説明することである。著者 たちによれば、モノは二つの軸により区別される。差別化の一つの軸は商品の提示の分析 的様式と物語的様式を対立させる。時間的軸は、時間に応じてモノが価値下落されるか、 評価を高めるかに応じて、市場的力を関連づける。価値付けのそれぞれの形態は、これら の 二 つ の 軸 に 応 じ て 、同 一 の 、ま た 差 別 化 さ れ た 構 造 を 有 し 、こ の こ と は 4 つ の 形 態 を 接 10.
(11) 合する変容のグループの構築に至る。 こ う し て「 標 準 形 態 」と は 逆 に 、 「 コ レ ク シ ョ ン 形 態 」が 価 値 づ け る モ ノ は 、単 純 な 商 品 のようなその使用にではなく、シリーズ全体におけるその位置に依拠する。こうしたモノ は、最もしばしば物語的手続きにより引き起こされる記憶的力に応じて、時間とともにそ の価格が上昇する。他方で標準的商品の価格はその使用とともに下落する. 9) 。. M. Callon は 293 ペ ー ジ の 注 で 、Boltanski et Esquerre の 著 書 に 言 及 し 、財 と エ ー ジ ェ ントの豊穣化におけるコレクションの役割を指摘するが、この価値付与装置がこの二人の 著者にあっては、 ( 市 場 参 加 者 全 体 に 対 し て 知 覚 と 評 価 の 共 有 さ れ た 図 式 を 供 給 す る )価 値 付けのコンヴァンシオン的形態のより一般的な構成に統合されていることについては指摘 しないのである。何らかのやり方で、著者はこうしたコンヴァンシオンを認めることを拒 絶するが、このことは彼をして、アクターの間でのコーディネーションの問題と、それが 生み出す不確実性の問題を過小評価させるだけでなく、相対価格構造の中で意味を有する 価 格 の 一 般 的 決 定 要 因 ― ―『 豊 穣 化 』の 著 者 た ち が 、経 済 的 モ デ ル 化 に 依 拠 す る こ と な く 、 彼ら自身のやり方で、解明しようとする―― を過小評価させる。 し か し な が ら M. Callon は 、 大 衆 の 特 異 化 の 装 置 の 帰 結 を 提 示 す る こ と で 、 一 般 性 へ の 上昇すべてを拒絶するわけではない。結局、プライシングの新たな実践は 、財の生産過程 に貢献し、バーコードや(製品を変容させる)表示の形で、価格が顕著な存在を有しさえ するのである。以下のように付け加えることもできよう。すなわちこれと対称的に、消費 者の身体がコネクションの人工補装具(消費者に対して絶えず、市場機会を通知する)の 統合により変容するのである。敷衍して言えば、この新しい度量衡の発展は、新たな社会 を 構 築 す る こ と が で き よ う 。 著 者 は 特 異 な る 大 衆 [multitudes]の 様 々 な 布 置 に つ い て 、 と りわけプロファイリングとスコアリングの実践と関連した排除のリスクについて検討する。 同 様 に Boltanski et Esquerre は 、「 コ レ ク シ ョ ン 形 態 」の 拡 大 が 、ど の よ う に し て 、 豊 穣化の経済と文化遺産化の経済(文化的、ツーリズム的活動を集計する)に資するのか、 ま た( こ う し た 豊 穣 化 か ら 利 益 を 得 る )新 し い 階 級 と 、 ( 自 己 搾 取 の 形 態 の 登 場 で 、そ れ を 堪え忍ぶ)階級との間での不平等を拡大させるかを示す。. 3.結論:市場的配置のダイナミズム 価格の定式化もしくは価格の正当化というこれらのアプローチは、市場についての、ま た資本主義的活動の中での支配関係についての経済社会学を根底的に刷新することに貢献 する。それは市場的配置もしくは商品構造の批判、さらには変容の問題に至る。消費主義 へ の 抵 抗 の ラ デ ィ カ ル な 身 振 り の 外 側 で 、 Callon の ア プ ロ ー チ は 、( 逆 説 的 に も ) モ ラ ル の問題をいっそう強調する。モラルは価格の定式に宿り、特定の登場人物たちによりかき 立 て ら れ て い る 。 他 方 で Boltanski et Esquerre は 、 そ の 倫 理 性 に つ い て 即 断 を 下 す こ と なく、経済的価値付けの形態に集中するのである。 フレーミングと氾濫のダイナミズムの分析は所与の配置の軌跡の多様性を描き出すこと 11.
(12) を 可 能 と す る 。こ れ は Callon が 、葬 儀 の 組 織 化 や 住 宅 建 設 に 関 す る 市 場 的 活 動 に つ い て 示 していることである。後者の場合、社会技術的なロックインの効果が新しい活動モデルの 登場を抑止している。普遍的で抽象的なモデルを脱却し、学者や普通の人々により表明さ れている様々な「関心事項」に関心を向けることで、経済的理論化の作業は、市場的配置 の機能を理解させるだけでなく、これを変容させることを助けることがで きることを示す こ と で 、著 者 は そ の 書 物 を 結 論 づ け て い る 。こ れ は 絶 え ず や り 直 し さ れ る べ き 作 業 で あ る 。 というのも装置のデザインは常に不完全であるからである(この点では進化経済学のアプ ロ ー チ に 従 う )。市 場 を 永 続 的 な 謎 と し て い る の が 市 場 の 機 能 の 、こ う し た 還 元 不 可 能 性 な のである。 惜しむらくは以下のことである。すなわち配置の様々なレジームを区別することを可能 とさせる一定の基準によって、市場的配置のタイポロジーを少なくとも提案することを可 能とさせるような、より定式化された分析枠組みを、著者は提案していないことである。 こ う し た 観 点 か ら は 、モ ノ の 価 値 付 け の 一 般 的 コ ン ヴ ァ ン シ オ ン( Callon は ま さ に そ の 重 要 性 を 認 め な い )に 関 し て 、Boltanski et Esquerre に よ り 提 案 さ れ る 構 成 は 、解 明 す べ き メ リ ッ ト が あ る 。そ の ダ イ ナ ミ ズ ム( 価 値 付 け の 4 つ の 形 態 を 接 合 す る 変 容 の グ ル ー プ と いう考えに基づいている)については、それほど説得力はないとしても。そこで検討され て い る 市 場 の 広 が り は 、『 市 場 の 支 配 』( 多 様 な 種 類 の サ ー ビ ス を 扱 っ て い る ) ほ ど 広 く は ない。それでもこうした構成は、交換を支える認知構造を解明することを可能とさせ、よ り 体 系 的 な レ ベ ル で 、こ う し た 認 知 構 造 を 非 対 称 性 と 力 関 係( 資 本 を 、あ る い は Callon の タ ー ム を 使 用 す る な ら ば 、資 本 化 [capitalization]の 定 式 を 稼 働 さ せ る )へ と 関 連 づ け る こ とを可能とさせるのである。 最後に、これらの著者たちによっては十分には取り組まれていない点は、資本主義的イ ノ ベ ー シ ョ ン の ダ イ ナ ミ ズ ム に お け る 知 的 財 産 権 の 役 割 で あ る 。Callon が 、市 場 的 配 置 の 変 容 に つ い て の 次 作 の 中 で 、こ の 問 題 を 扱 う こ と を 約 束 し て い る と し て も 、 『 豊 穣 化 』の 著 者たちはこのテーマについて軽く触れるだけである。ところが 、それぞれの価値付け形態 に固有な偽造の経済を明らかにしているのである。 それでもなお、我々の市場経済の変容を検討するに際して、この二つの著書はオリジナ ルであり、読むのに情熱をかき立てられ、すでに成熟した著者たちの分析的な方法論の強 みを証明しているのである。. 12.
(13) 原注 (1)こ こ で は 経 済 社 会 学 の 領 域 す べ て に 触 れ る こ と は で き な い 。 Steiner et Vatin (2009)の 見事なまとめを参照せよ。 (2)我 々 は 、 こ の 書 物 を よ り 詳 細 に 紹 介 し た 論 文 (Bessy, 2019)の 中 で 、 EC と こ の 書 物 と の 関係について詳細に論じている。 (3)著 者 は 人 類 学 者 Jane Guyer (2004)の 研 究 に 依 拠 し て い る 。 こ の 研 究 は 西 ア フ リ カ の 市 場的関係を対称としており、財の評価過程における三つの段階とレベルを区別している。 す な わ ち 、名 目 的 [nominale]、序 数 的 、基 数 的 レ ベ ル で あ る 。し か し Alain Desrosières (2003) の研究にも言及することができたことであろう。 (4)著 者 は こ こ で は L. Karpik (2007)に 言 及 し て い る が 、こ の ア プ ロ ー チ に 対 し て 自 ら の 立 場をはっきりさせているわけではない。 (5)著 者 に と っ て 新 古 典 派 理 論 の 直 感 ( そ れ に よ れ ば 、 価 格 は 市 場 の 機 能 を 要 約 し て い る ) は 、完 全 に は 誤 り で は な い と い う( 供 給 と 需 要 と の 均 衡 と い う 意 味 に お い て で は な く )。価 格は、財のマルチサイトな生産過程全体を通じて、財の格付けの操作全体の抵抗可能な考 慮を示しているのに過ぎないのである。 (6)著 者 た ち は 、 価 格 の い っ そ う の 不 確 実 性 と 、( 現 実 全 体 へ と 拡 張 す る ) 不 安 と が も た ら す政治的帰結すべてを測定することはなかったようである。 (7)量 販 店 で の 精 肉 の 処 理 に つ い て の A. Anzalone の 研 究 (2009)に よ り 、彼 は 、牛 肉 の 塊 の 価格の長い定式化が、いかにして、家畜の価値付与過程(そのキャリアの各段階に応じて 家畜について状態を変化させるようにもたらす)に応じて、それぞれの家畜の牛肉への変 更 に つ い て ま わ る か を 示 し て い る 。す な わ ち 、 「 定 式 化 は 、計 算 の 分 散 的 性 格 を 維 持 す る こ と、これを統合すること、内部化すること、再検討すること、という二重の特性を有して い る 」 (p.340)。 (8)価 格 と 品 質 の ヒ エ ラ ル キ ー を 結 合 さ せ る L. Karpik (2007)の 研 究 を と り わ け 参 照 せ よ 。 (9)著 者 た ち は 二 つ の 別 の 形 態 を 区 別 す る 。 「 資 産 的 形 態 」の 場 合 、モ ノ の 価 値 は 、 (即座の、 もしくは近い将来での)その流動性への信念、貨幣への転換のその度合いへの信念に依拠 す る 。 最 後 に 「 ト レ ン ド の 形 態 」 は 、 社 会 的 ヒ エ ラ ル キ ー ( 金 持 ち vs 貧 者 、 若 者 vs 高 齢 者など)により構造化される市場において欲望を惹起させるモノに関わる。これらの事物 は、それを使用することによるというよりもむしろ、その価値下落をもたらす大量生産が 発動されることにより、急速に価値を減じる。. 13.
(14) 参考文献. Anzalone A., 2009. « Comment transformer un produit en marchandise et lui attribuer un prix. Le traitement de la viande dans la grande distribution », Sociologie du Travail, 51/1, p. 64-77. Bessy. C.,. 2019.. « Economie. des. conventions. et. transformations. du. capitalisme,. enrichissement », Revue Française de socio-économie, à paraître. Bessy C., Chauvin P.-M., 2013. ‘The power of market intermediaries: From information to valuation process’, Valuation Studies, 1(1): 83-117. Boltanski L., Esquerre A. (2017), Enrichissement, une critique de la marchandise , Paris, Gallimard. Boltanski L., Thévenot L. (1991), De la justification. Les économies de la grandeur . Paris, Gallimard. Callon M. (2017) L’Empise des Marchés: Comprendre leur fonctionnement pour pouvoir les changer, La Découverte. Callon M. (dir.), 1998, The Laws of the Markets, Oxford, Blackwell. Callon M., Muniesa F., 2009, « La performativité des sciences économiques », in Steiner P., Vatin F. (eds.), Traité de Sociologie économique, Paris, PUF, p. 289-318. Cochoy (dir.), F., 2012. Du lien marchand : comment le marché fait société. Essai(s) de sociologie économique relationniste, Presse universitaire du Mirail, Toulouse. Desrosières A., 2003. La politique des grands nombres: histoire de la raison statistique , Paris, La Découverte. Eymard-Duvernay F. (1989), « Conventions de qualité et formes de coordination », Revue Economique, Vol. 40, n°2, p. 329-361. Guyer J., 2004. Marginal Gains: Monetary Transactions in Atlantic Africa , University of Chicago Press, Chicago. Hennion A., 2004. « Une sociologie des attachements. D’une sociologie de la culture à la pratique des amateurs », Sociétés, 85/3, p. 9-24. Karpik L., 2007, L’économie des singularités, Paris, Gallimard. Keating P., Cambrosio A., 2003, Biomedical Platforms, The MIT Press, Cambridge. Kirman A., 2001. « Market organization and individual behavior: Evidence from fish markets, in J.E. Rauch et A. Casella (dir.), Networks and Markets, Russel Sage Foundation, New-York, p. 155-210. 14.
(15) Jany-Catrice F., 2018. L’indice des prix à la consommation, Paris, La Découverte, Collection Repères. Lemieux C., 2018. La sociologie pragmatique, Paris, La Découverte, Collection Repères. Mitchell T., 2013. Carbon democracy. Le pouvoir politique à l’ère du pétrole , La Découverte, Paris. Pissarides C., 1990. Equilibrium unemployment theory, Basil Blackwell. Samuel B., 2004, “Statistics and Political Violence: Reflections on the Social Conflict in 2009 in Guadeloupe », Partecipazione e Conflitto, 7/2, p. 238-257. Steiner P., Trespeuch M., 2014. Marchés contestés: quand le marché rencontre la morale , Presse universitaire du Mirail, Toulouse. Thévenot L., 2015, « Certifying the World : Power Infrastructures and Practices in Economics of Conventional Forms”, in Patrik Aspers and Nigel Dodd (eds), Re-Imaging Economic Sociology. Oxford: oxford University Press, pp. 195-223. Steiner P., Vatin F. (dir.), 2009. Traité de Sociologie économique, Paris, PUF. Zelizer V., 1979. Morals and Markets: The Development of Life insurance in the United States , Columbia University Press, New-York. (訳 注: 原 文 は L’Année sociologique 誌に掲 載さ れる 予 定の 原 稿の 草稿 であ る 。最 終 稿 に つ い て は 同 誌 を 参 照 さ れ た い 。 ま た 本 稿 が コ ン ヴ ァ ン シ オ ン 経 済 学 に よ る Callon (2017)の読 解 をな して いる のに 対 して 、 Revue Française de socio-économie 誌掲 載 予定 の Bessy (2019)は Boltanski L., Esquerre A. (2017)に つい ての そ れを な して いる 。 併せ て ベ ッシ ー著「コ ン ヴァ ン シオ ン経 済 学と 資 本主 義の 変容:豊 穣 化に つ いて 」、 『 総合 政 策』 第 21 巻(岩 手県 立 大 学 、2020)を 参 照さ れ たい 。ま た M.カ ロン の「市 場的 配 置 」論 に つい ては 、カ ロ ン著「 市場 的配 置 とは 何 か」、『経 済 論集 』( 関西 大学 )、66(2),2016 を参 照せ よ 。 ). 15.
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