• 検索結果がありません。

パーリ学仏教文化学 (5) - 005書評・島 岩「Stanley Jeyaraja Tambiah : The Buddhist Saints of the Forest and the Cult of Amulets」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "パーリ学仏教文化学 (5) - 005書評・島 岩「Stanley Jeyaraja Tambiah : The Buddhist Saints of the Forest and the Cult of Amulets」"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

NII-Electronic Library Service

書  評

Stanley

 

Jeyaraja

 

Tambiah

7

he

Buddhist

 

Saints

   

c

the

 

Forest

 

and

 

the

 

Cult

 

c

4

zulet

s

1

。 は じ

 

日本に お い て こ れ まで 仏 教研 究を リー ド して き たの は仏 教 学で あっ た。 そ して その

研究

は,

文献学

的 な方 法に基づ き な が ら仏 教の 教 理 ・哲 学研 究 す る とい

う形

の ものが 屯流であっ た。 その

果,

民俗信仰

高 尚

な仏 教

学に 比べ て 呪 術 的で 劣っ た もの で ある と考え られ が ちであ っ た し また 仏 教の

つ 政 治 イデ オロ ギー

面な ど も見 過ごさ れ が ちであっ た。 そ して , 宗 教に おける民

俗信仰

意味

や,

教 と国家 ・政 治

りを

して きたの は , 日

で はむ しろ, 日本 民 俗 学や 宗教 学

新 宗教 研 究な ど

や,

R

本史

側 からの 仏 教

究 (

家永

・笠 原 一男

等)

の ほ

であ っ た。

 

・方, タ イ ・

上 座仏 教 圏い て, この よ

な問題 を

り 上げた の は, 主 に

Obeyesekere

, 

Tambiah

等の社 会人類 学 者た ちで あ っ た。 そ して その で も,

仏教

と政 治 との 関わ りを重

したの が, こ こ で取 り 上げる

Tamblah

で あろ う。

 

タ イの仏 教に関 する

Tambiah

の 主要な

著作

は 三つ る。 最 初の著 作 『 北 タイ にお ける仏 教 と精 霊 信 仰』

Tambiah

 

1970)

は, 村落 の視点 か ら, 精 霊信 仰 とい う民

俗信仰

と超 世俗 的 な悟 りと涅

教 とさ れて きた仏 教が, 村 落の社 会 構 造 に基づ な が ら , 構 造 的に密 接にか か わ り合っ て い る こ とを 明 らかに した もの で

る。 これ は, た と え ば 日本で 言 えば, 祖 霊 信 仰や 自然 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(2)

 

76

       /t−一 リ‘学でム教 文£: 霊信 仰が ,

村落社会

の 中で仏 教 と構造 的に

密接

にか か わ り合っ て い るの に相 当 するで あ ろ う。

一二の 著 作 『世界

と放 棄 者

 

一.現代タ イに お ける 仏 教 と政 治お よび その歴 史 的 背景

  

一]

Tambiah

 

1976 )

は,

首都

か らの

点 か ら,

仏教

とモ

の関わ りを取 り上 げ,

1

を放棄 した僧 集 団

サ ン ガ) が世

を支配 する王 の 正統 性 を保 証 し, 王 は サ ン ガに保 護 を

える とい う構 造が, 国家

合の イデ オ ロ ギ ー と して , 上座 仏 教 圏の 政 治 をさ まざま な形で 規

して い るこ と を明 らかに して い こ れは, た とえば 臼本で 言え ば ,奈

良時

代の鎮 護 国 家の ための 仏 教 と国家 との関わ りに相 当 する もの であろ う。 そ して最

に こ こで取 り上げる 『

仏 教 聖者 た ち と呪

信 仰… 一一カ リス マ , 聖

者伝

派主義, 千

王 国 的仏 教の研 究 一 ヨ は,

林の視 点か ら, 超世

的だ と考え られ がちな森 林 僧と世俗 的な現 世 利 益 的な もの と考えら れ が らな 呪

信仰が共 通の 基 盤 を

つ こ と,

林の 聖

に たい する信 仰が千

王 国 的信 仰 と結 びつ い さ まま な反 乱 を引 き起 を明ら か し, さ らに は ウ ェ ーバ ーの カ リス マ 論の修正 も行っ てい る。

 

こ の よ うに, タイの 仏

を,

村 落

・都 市 (首

都)

森林

と言 う複 合 的な 三 つ の

視点

か らとらえ, 仏

と民

俗信

仰, 国家 ・政

との 関わ りを全

として 明ら か にす るこ とに よっ て,

Tambiah

の タ イ仏教の研 究は 一一つ の

に至 っ た の で ある。

1

所 説

紹 介

1

.本

の テーマ と構 成お よび テキス ト ・:コン テキス ト解 釈の方 法

 

まず 本書は

前書

世界

服 者 放 棄 者 』 にたい する次の よ うな反

の も とに書か れ た もの であ る。 すな わ ち, 前 書で は王

と仏 教の 関 わ りを 王 と都 市や村 落の 制 度

さ れ た サ ン ガ との 関わ りとい

で と らえてお り,森 林 僧の 存

とい 一 つ 考慮 入 れ な か た と完 全 る反 省であ る 。従っ て 本書で は , 王権と仏 教の わ りは次の よ

な 一

瀬 構

造 で と ら え なお され て い る。 すな わ ち, (1圧 と

都 市

落の 制 度 化 さ れ たサ ン ガ との 関係 , (2:圧 と森 に住む

た ちの 隠 遁 的な共同

との 関係   サ ン ガ内

(3)

NII-Electronic Library Service

<書 評>Tlae飽 d識 お ’S側 瑠 ofthe Fo?’est and  ti・ze C’ttlt ofAmulets 77

部での 町や村に住む僧と森に住む僧との 内 的な対 話 とい う三極構 造で ある。

 

その な かで も特に本書で は, 森 林僧にス ポ ッ トライ トが 当て られ るわ けで あるが, そ れ は近

の よ

現象

に たい

心に基づ い てい る。

な わち, 近

バ ン コ ッ ク の 人々 の あい だで , (

1

伝統

的には 出 家 に属す と

えら れて きた瞑想に在 家の 人が ます ます

加す る よ うになっ て きて い る こ と と, (

2

護符

な どの

呪物

対す

信仰

が盛ん に なっ て きて い る こ と とい

, 一

調 和 しが たい 二 つ の現象が 見 ら れ , その 背 後に は と もに森 林に住む有 名な仏 教 聖者

彼 ら は瞑 想の 入で あ り阿羅 漢 と称え られ る)に対 する

敬の があ る とい

事実

に たい る関心 で ある。 こ の よ うな

実 ・現 象を ど解 す ばい い の か。 こ れ が本書の テ ー お よ び 出

なの である。

 

こ の よ

なテ ーマ の もとに

本書

は 四部に別れてい る。 まず 第 一 「 阿羅 漢 と瞑 想の

で は ,『清 浄

道論

』 に基づ きなが ら, 現代 の

林の 聖 者の 古 典 的モ デ ル とで も誘 うべ き阿羅 漢 につ い て, その仏 教 的な教 義 的概 念, 浄化の 道, 仏 教 的 な

在の階層の な かで の位 置が記述 さ れ, さ らに は, ス リ ラ ン カ, ミャ ンマ ー , タイ に お け る森 林 僧の 伝 統に関 する歴 史 的記 述に見られ る森 林 僧につ い て の い くつ

え方が紹 介さ れる。

 第

の 聖

者伝

:テ キス トとコ ン テ キス ト,

宗派

の 政

治学

」 で は, まず, 近 年の タ イの 有 名な森 林の 聖者

Acharn

 

Mun

)の 系譜 が扱わ れて い る。 すなわち, 聖者の 伝 記, 聖 者たちが創 設 した ア ー ュ ラマ

想 の

と認 可 さ れ た

子た ちとの

である 聖

た ち と

家との 係が, 聖者

の 分析 を も とに明らか に さ れ るの で ある。 そ して さ らには, 聖 者伝 を

indexical

 symbol

指 標 的

徴 記 号 後 述

と して 読み解 くこ とで

森 林

た ちに よ

り在家

い だ に

め ら れ た

想の

背後

に は,

Mahanikai

派 と

Thammayut

派の 宗 派 的 対立 お よ び両 派の支 援 者た ちの対立 が ある こ と が 明 らか にさ れ る。

 

第三部 厂呪 物信

:カ リス マ の

と伝 達」 で は, まず 仏

や仏

にた い す信 仰 護 符 等の 呪物に た い る信 仰 との 通性が指 摘 さ れ, 次に歴

的なあるい は現 代の さ ま ざ ま な呪物が 紹 介さ れ る。 そ して

の 呪物が N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(4)

 7’8      パ ーリ学 仏 教 文 化 学 どの よ

られて儀 礼 に よっ て聖

さ れ その 呪力 が 活 性

され るの か につ い て民族 誌 的 記 述が行われ る。 さらに呪物を

indexlcahcon  

指標

的類 似 記

として読み 解 くこ とに よ っ て, 呪 物の もつ 呪力の 源

森林

の 聖 者の カ リス マ あ り その カ リス マ が

さ れて

呪物

さ れ るこ と に よ っ て 呪 物が呪力 を持つ に至る の だ とい うことが

明さ れて い くの で あ る。

 

な お こ こ で,

Tarnbiah

が聖 者 伝お よ び呪 物が

意味

くた め に

用い た

方法

indexical

 symbol

indexical

 

icQn

つ い て

に説 明 して お く

こ とに したい 。 こ れは流 行の 記号 論で用い られた概 念で ,

Peirce

に よる記 号 の 三

symbol  =

徴 記 号 , 

icon

一 類 似 記 号 , 

index

  :

標 記

琴)

ちの 二 つ を

Burks

合 わ た もの に基づ い てお り, 語 用 論 におい て

Jakobson

の用 い る shifter

と も対 応す る概 念で ある。 上述の 記号の ・

意様

式の ち, まず

icon

と は, その

記号

の 性

が その 対

と類 似 し て い る もの で あるv た とえ ば,

とい

意 して い る私の 写 真 などがそ う である。 次 に

index

と は ,

対象

理的につ な が っ て お り, その た め対

が 取 り除 か れた ときに は直 ちに記

と して の

性 格

失 う

もの で

る。 た とえ ば 気 温 の 高 さ を

表 意

する温

度計

水 銀柱

さ な ど が そ うで ある。 最

に symbol は, それ を その対 象 と関連づ る わ れ わ れの 側 の 解 釈思 想や

習の 性 格 に よっ て 特徴づ けられ るもの で ある、, た とえ ば目

表意す

る 日の

な どが そ うで ある。

 

従っ て

indexical

 symboi とは 二

lo

の 役 割 (すな わ ち そ れ は慣 習的 な

味論 の

規 則

によっ て

現さ れた対

と結びつ い て い る syrnbol で あ り, 同

にま た そ れ が表 現 して い る対 象と

につ が っ てい る

語用論 的

関係

で の

index

で もある

が 組み合わ さっ た もの であ る。

に聖者

indexical

symbo ]として扱

とい こ とは, 聖 者 伝の :二重の

すな わち象 徴 的 ・ 意 味 論 的な意 味 と存 在に関わ る語用 論 的な

号 とし て

ん だ もの と し て読み解こ とす る とい こ とにな る。 他方, 呪物を

indexical

 

iCOII

と し て扱 うとい と は ,

物 (

た と え ば 聖

姿

まれ た コ イン

を同

に 二重の 意 味 (すな わ ち一方で は元の対 象 あるい は 人 との

し,

他 方

(5)

NII-Electronic Library Service

<書 評 >The Bttddh・ist Sadnts o Foxest and tJte Cttlt・o

プAmule 亡∫ 79 では その使 用 者に価 値 を伝 達 する

を暗号 として含んだ もの して読み解こ うとする とい うこ と になるの で あ る。

 最後

念 的 ・理

的分

」 で は, 三

まで の

実 質

的な記述に基 づ つ つ , 以下の三つ の

題に関

る概 念 的 ・

論的検討

わ れ

な わ ち まず

…は, タイ とビル マ にお ける千

王 国的信 仰 に基づ く諸 反 乱が

た ちに たい

信仰

びつ い てい る とい

題 で ある。

二 は ウェ ーバ ーの カ リス マ

再考

る。

西

欧の キ リス ト

教 的世界

をモ デ ル に して

構 築

さ れ た ウェ ーバ ーの カ リ ス マ の概

で は ,仏 教の聖者の もつ カ リ ス マ が と ら え きれ ない を問 題に し, カ リス マ の 概 念を もっ と広い 範 囲に適 用で きる ような もの へ 広 げ

三 は カ リス マ が 人ばか りで は な く物 に も宿る とい う間題 で あ る。 そ して カ リ ス マ の宿 っ た護 符 等の 呪 物 が

換 され る

に注 目 し, それ をモ ー 贈 答 理 論 ス の

商 品の 物神 化 と比 較 して , 呪 物信 仰 をよ り広い ス コ ー

えてい こ

と する の で ある。

2

.各 章の 内容 紹 介

 

以 上が

部の 紹

で あ る が, 次 に もう少 し

し く

各章

ご とに内

の 紹

っ てい きたい 。

 

まず

阿羅

と瞑 想 の 」 は

2

5 章

か ら な る が, まず

2

「 阿羅

の仏

的概

」 で は 『ミ リ ン ダ十{の問』 とかア ヴァ ダ ー ナ等 を用い なが ら, 仏 教 的伝統 の な かで 阿羅漢 と は どの よ う な もの で ある と考 え られてい た か が 明ら か に され る。 す なわ ち, 阿羅 漢 と は(ユ牾 り ・涅

に到達 した 人の こ とで あ り, (

2

>そ れ は

修行

の な かで も

想に よ り

実現

され たこ と

が まず 明

に さ れ るの で あ る。

 

3

章 「浄化 の 道 :苦 行」 で は, その 修 行の 中 身が 『清 浄道

つ 紹 介 さ れ 要 する 修 行 者は , 戒 ・ , 浄化の 道 を

槃へ とた どる である 。 N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(6)

  80       パ ー学 仏 教 文 化 学

 

4

「 仏 教 的瞑

の 階

と果

で は, ひ きつ づ き 『清 浄 道論 』 に基づ き つ つ

瞑 想)の 階梯が紹 介さ れ, その 際 その 階梯の 途 中で 果報 とし て神 通 力が

られ る と され るこ とが,

現代

の 聖

が もつ とさ れる

超 自然的

との 関係で か な り詳し く触れ られ る。 また

で 到達さ れる

地 が欲 界 ・ 色 界 ・無 色

とい う仏教 的コ ス モ ロ ジー と

応 して い る こ と が 述べ られい る。

 

5

章 「東南ア ジア における森 林 僧の伝 統 :その歴 史 的背 景.」 で は, ス リラ ン カ ・ミャ ン マ ー ・タイの

林 僧

と その 歴史 的背 景が比 較 さ れ , 世

お よ び巾

れて

縁 に

置する

森林僧

が ,中

に位 置 して 王権 を支 えて い るサ ン ガ が硬 直化 した り,堕 落 した り,内部 分 裂を起こ した りして混 迷 し て い る と きに, そ れ を浄

して活 性 化さ せ る とい う役 割 を果た して きた こ と が明ら かに され る。 そ し て王 と町や村に住む出家 僧た ち

中央の体 制 化 した サ ンガ

林僧お よ び

家の人 たちとの 関係につ い て 図の よ うなパ ラ ダ イ ム を呈示 してい る。

 

この うち

Fig

1

は下 と中央の サ ン ガと森 林 僧の

との 三

関係 を示 し て い る。 すなわち,

ll

)申央の サ ン ガが王の 正統 性を保証 し王 は その サ ン ガ に

Figure

 1.Triadic relations

kULER

・− A

ロエロコ

Vi且tage!10W 臨dwe 駄ing monks

  くsec電slrratemi 電ios》

CAP

TAL

For¢5竃dwelling menk5

(se ¢ 菰slf剛 emi 巳i¢s}

PER

PHERY

    OF {a

CapiIal

town {b)K萓nBdom

(7)

NII-Electronic Library Service < 書 評>The Bt・tddhist ∫α膨’s ofthe  FoTest a’,td thF Cutt oプAinittets

8

Figure

 

2

. Pentadic  relations

      Town  and  viHago  monk  eommunlties

 

 

 

r

冖 →

巨 =

← 囮

         

Central P・li【ica黜a”therily       O   o

Hnd  its satclHte doma  ns

  {po「ilica聖 ce絢lreK.                                                                                                  Vi1置ag¢ @and  Iown@ 奮al

 

 

 L

_

_

_−villagt

j        Fo「e5t  monk communil

カ5

保護 を与え,

(2

) 中 央 のサ ン ガが 堕 落したと

は周縁

の 森林

に そ 活

性化

を要

請 し

3

沖 央

堕落とは 無

縁で

った周

の森

林僧 は 中央の

ガを浄 化 ・活 化す るとい

関 係 で

る(た だし森 林 僧 か ら 王 へ サ ンガか ら 森 林僧

矢印 の意味は

で あ る )。  さら に

Fig

2

はこ の三 極関 係に 在家と

の 関係

を 加えて四 関係 とした 訂正 図 である。 す なわち在家が 福 田 として 町や

村の

サンガ を え ,森林 僧 の超自 然的 力の

り たく

森林僧を支え る と う 係 が加わ

るの である 。

 次に

第二 部「 仏教聖 者の 聖者 伝: テキ ス トとコ テ キス ト ,宗 派主

の 政 治学 」は

6

13 ら な

が ,

ま ず

6

現代の聖 者の伝記」では, Acharn  

Maha

 Boowa の書 いた

Acharn

 Munの伝記の英訳The  l

enerable

 

Phra

ハ酌α Metn  BhM γ

idatta

 

Thera

,2)4edit α

ticm

Vas

r

に 従 いながら ,聖者の生涯 が 紹介される。

Acharn

 

Mun

1870

1

20

 

B

まれ。

15

才 で見 習い 僧となり

26

才で正 式に 出家 となるそ の 後 「真理

の瞑 」(

vipassana

) に

, 森林 僧 と し ておも に タ イ束 北部 活躍し,

まざ

力を 示

1949

年 に死去 。  

7

9

章では 伝 記を分 析 す る た の 三 つの枠 組み が提示 さ れ る 。なわち N

(8)

 82       パ ーリ学 仏 教 文 化 学 まず

7

章 「 ラ ダ し て の

仏 陀

」 で は, 仏 陀 および

有名

な仏 教の 聖 者た ちの 一生 につ い て の

伝統 的

述 (carita , avadana

が, タ イの 聖 者た ちの 伝 記の モ デル と して

響を

えて い る点が明 ら か に され る。

 

次に

8

章 「仏 教 聖 者

背後

原 埋 」 で は ,聖 者の 伝

の 背

に は, (

1

)仏 陀等の 生 涯 をモ デル に したス テ レオ タ イ プ, (

2

)道

的 な

模範

と し て聖

提示

しよ うとする意 図, (3陛 者の もつ 超

自然力

へ の

期待

えよ

とする意 図が ある こ とが 明ら か に され る。 なお

Acharn

 

Mun

伝 記

傑作

であるの は, ス テ レオ タ イプに陥らずに聖者の具 体 的な 生 き生 き と した記述 を

い , 聖

特定

人と して

か びあが らせ る ことに成功 してい る

に ある と さ れて い る。

 

そ し て

9

章 「師の 弟子た ち 1 で は,

Acharn

 

Mun

の 弟子た ちが紹 介 され,

で ある

Acharn

 

Mun

伝 記

い た

弟 了

Acharn

 

Maha

 

Bo

。wa には, 伝 記

作 者 と して の

彼独 自

動機

や意 図が あっ た はずであるこ と が明 ら か に さ れ る。

 

以上の ような三つ の 分 析枠 組みに

い つ つ ,

IO

模 範

的な森 林僧,

瞑 想 者, 師と して の伝 記 作 者」 で は,

作 者

Acharn

 

Maha

 

Boowa

の 生 涯

が紹 介される。 そ してその な かで,

Thammayllt

1836

年にモ ン ク ッ ト

王に よ っ て 創 始 され た復

k

的革

新派

で,パ ー リ語に よる 聖

お よ び 仏

理主 義 的側 面 を強 調 する

との 密接なつ な が りが明らか に され て い の で

る。

 

11

派 主 義 と瞑 想 の 支 援 で は,

家 に よ る瞑

推 進

し た

Mahanikai

派 と そ れ に 対 抗 し て 森 林 僧 の 超 自 然 力 と瞑 想 を 支 援 し た

Thammayut

との

さ ら にはその 背 後 には両 派をそれ ぞ れ支援 した 政 治 家 ・

ti

族 等の 政 治 的 対 立 が あるこ と が

れ られる。   そ の う ち ま ず

12

章 「

Mahan

kai

在 家 」 で は,

Mahanikai

派がバ ン コ ッ ク の

Mahathat

院を中心 に

70

年代

家に よ る

想 を

進 した ことが 明 らかに され る。

 

次 に

13

章 「中 央 周 縁

Mah2that

支 援

(9)

NII-Electronic Library Service

       〈書 評>The BZtddJtist Saints of the 1“oTest aTZ‘‘thc,α躍 ひ∫.,lnittlets.    

83

Bovonniwet

院 に よ る 瞑 想の 支 援 の比 較 」 で は, (

1

)数 的 に は 多 数 派 の

Mahanikai

派が

Mahatha

院 を中心 と し て推 進 した瞑 想 は, そ の 支

基 盤 である

北 タイへ と

都 甫

の ほ

か ら

が っ て い っ たの にたい し , (2瞰 的に は

少数派

で はあるが , モ室とつ なが りが深 く, その た め 中央 集 権 的な サ ン ガ

の 中 で は 有 力 で, 都

を 支

基 盤 と して い る

Thammayut

は, Bov 。nniwet

院を中心 に東 北 タイの 森 林 僧の 瞑 想の 流れ を

り込ん で

対抗

し, その た め その 瞑想は地 方か ら都市へ と広 い っ た こ とが 明 らか にさ

れ るb一そ して伝 記 作 者

Acharn

 

Maha

 

Boowa

森 林

の 聖

Acharn

 

Mun

Thammayut

派 との 関 わ りを強 調 す

背後

には, こ の よ

な両

お よび両派 を それ ぞれ 支援 する政 治 家 等 との 関わ り, さ らに は 中

央 (

都 市 ) と周縁 (地 方

との関係 等がある ことが明 らか に されて い の である。

 

第三部 「物 信仰 カ リ 対 象 化伝 達

14

19

か ら , 最 初 に

14

と呪

信 仰 で は , まず(】現 在 タイで 呪物 信 仰が盛ん なこ とが 紹 介 され, 次 に(

2

}仏 陀は

で に亡 くなっ て お り現

しない の に, なぜ仏

利 や仏 像が崇拝 さ れ るの か とい こ と が 闘 題に さ れる。 そ して この 問題に た い す る

伝 統 的

解釈

が, 『

大般

』 や κα嫌

g

α 海嫌 α などに基づ い て

紹介

さ れ,

結 局

は仏

舎利

や 仏

に は仏 陀の 遺 徳が宿っ て い るか らで あ り, ま た そ れ らに宿 る力の 泉 は最 終 的には仏 陀の悟 りにある と され て きた こ とが明ら か に さ れる。 さ らに,

陀が

indexical

に は仏

利弋 ’仏 像 にい

存在

てい と と

で ,

乗の 三

, 受

容 身

,変 化

)が採 り上げ られて い る。

 

15

「 歴

的で人

の ある呪 物の 列

で は, 呪

が 四つ に

分類

され, そ の

ち現

の聖

の聖

した現 代の 呪 物を除 く三種の 歴 史 的な 呪物が紹

さ れ る。 す な わ ち , (].)タ イモ国の 守 護像 と して 有 名な歴 史 的仏 像。 た と え ば ,

Buddha

 

Janaraja

 

Buddha

 

Jinaslha

エ メ ラル ド仏 陀 な ど。 (

2

有 名

なか

で も

19

によっ て聖

され た呪物。 た とえば phra  solndet

通常

白か黄色の 土で で た小 さ な平板の で 一三昧に入 っ たイ∫、陀の 像が 浮 き彫 り

(10)

 

84

        パ ーリ学仏教 文化 学

に さ れ てい る。

19

世 紀 後 半の 森 林 僧

Laang

 

Phau

 

To

に よ り聖

さ れた と さ

れる

phra

 kring さ な仏 像 中が

の ように な っ てい て 振る と

kring

とい う音 が す る,

Bovonniwe

寺 院の 僧 院 長で

1892 年

84

才で 死亡 した

Pavares

に よ り聖

さ れた)。 (

3

)八 間, 神々 ,動 物,

な どを

した もの で, 出家 僧や特 殊 な能 力 を

っ た

在家

専門家

に よ り聖

さ れ たもの 。 そ して最 後に, この よ うな呪

物信仰

の 流

の 背

に は, 近代

によ る

社会変動

の 中で の 人々 の 競 争 と成 功へ い が あ るこ とが指 摘 され て い る。

 

16

章 「仏 像 仏 陀

類似性

仏 陀場 合 は , 仏 像が 仏 陀の 遺徳 と力 を

け継 ぐには, 正

承 された仏 陀 との 類 似 性が必 要なわけだ が, その 正 統 的 な類似 性 はい か に認 知 さ れる の か とい う問題 を提 示 し,国の

守護像

として の シ ンハ 仏 陀

を た どる こ と に よっ て 次の よ うに結 論 づ けてい る。 す なわち,

東南

ア ジア

仏教諸 国

の 王

の 正 統 性と安

基盤

は, (

1

)輪 転 聖 王 あるい は ダル マ の 王 とい

う考

えと

2

>仏 陀の 遺徳 と力が宿っ て い る王国の

守護像

, 王

徴の 所

に あっ た。 その

ち王

守護

像と して の シンハ 仏 陀

を た どっ て み る と,その 仏

との 正

統的

とは, 結 局は 王 をは じめ とす る仏 像の 支 援 者が与え綛 知 した もの で あるこ とが分か るの であるe

 

17

章 「像 と呪

を 聖

す る過 程 :出家僧 に よ る

で は, (

1

)呪物の 制作 過 程, (

2

)仏

の 聖化儀 礼, 潅 頂の 儀礼, 開眼供 養 等につ い ての 民 族

的 記 述が行わ れ, 仏

と仏

あるい は仏 像 と出家 僧の 問に わ た さ れた聖 なる

を通 し て,〔

1

>有

な 仏

か ら新 しい 仏 像 に徳や力が転

し, (

2

想してい る 出家 僧か ら仏像や呪

に精

的エ ルギ ーが転 移 する こ と, そ して その

3

) パ ッ タ (護 呪経 典) を唱 える こ とが重

役割

を果た してい る こ とが

指摘

され る。

 

18

章 「現 代 の

林 僧 に聖 化 され た 呪 物」 で は, 表に森 林 僧 しUang  

Pn

Waen

胸像

に ミャ ンマ ーの 侵 攻 を退 けた過 去の 英

Nares

 cne n 王が

られ たメダル を

り上げ, この メ ダルが ,

森林

僧へ の

信仰

媒 介

とし なが ら,

(11)

NII-Electronic Library Service

      一≦

i

彗置 ≧丁勉 β多磁 1η5圃 α翩 δ vfthe  Forest and  the Ctttt ofAmzttets ,    

85

思い こ させ, 共時 的には国民 と しての ア イデ ン テ ィテ ィ ーを形 成

る とい う

役割

っ た もの であるこ とが明ら か に される 。

 

18

章で は森 林僧 (

)と王

裏 ) とい 政治 的 意 味を持 っ た メ ダル を取 り 上 げたの に たい して

19

宇宙

的山上 の 聖者たち」 で は まず,

森林僧

Acharn

 

C

舩 n

Bangkok

 

Bank

 of 

Commerce

の マ ー とい

経済

関わ る

味 あい をもっ たメダルが取 り上 げられ る。 そ して,

経済

界の 人 た ち が

経済

栄 を求めて森 林僧 に寄 付 を行い , 森林 僧の ア ー ュ ラマ に遠 くか ら巡

に来る とい う現 象に注 目し, 巡 礼の 地で ある

森林僧

の ア ー 仏 教 的な宇宙 論 的構 造を もち, 巡 礼 者の 山の

上へ の

程が禅 定の 階 梯 と対 応するように

成さ れ て い る こ とが

ら か に され るの で ある。

 

以 上の 実質 的 な記述 に基づ つ つ , 次に

概 念 的理 論 的分 類

20

22

, それぞれ以 ドの 三つ の

題に

関す

概念 的

討 が

れ る。 す なわち まず,

20

「 タ イ とミャ ンマ ー における千

王国 的仏 教に 関 する論 評」 で は, (

1

 )ph fi mT  

bun

, 

pha

 wiset , 

khru

 

ba

, arahan , reesl , chrphakao

とい さ ま ざ ま なタ イ プの 聖

紹介

さ れ, そ れ らの 聖者た ちが, 同 国 家 形

成の た めの 地 方の 文 明化 とい

う使命

, (

b)

仏教

維持

拡大

, (c)改 革 者と して

また千 年.

E

国の 実 現 をめ ざして既成の 政

的 ・

教 的秩 序に立 ち向か う, と

う役割

を果た し きた こ とが

摘 され る。 その うち(

2Xc

)の

例 と して, ミ ャ ンマ ーの gaing , 

Karen

, 

Saya

 

San

の 反 乱や タ イの

Khra

 

ba

 

Slwichai

1899

一ユ

902

の 北 タ イの反乱

が紹 介さ れ る。 そ して (

3

)ミ ャ ンマ ー

宗教

仏 教 と アニ ズム とい う形で 二 元 論 的に と らる立 場か ら gaing を

と規

し, その 密 教 的仏 教に練 金術 的な実 践に基づ く

末 論 的仏 教 と既 成 の 秩 序 に立 ち向か う

r

年王国 的 仏 教がある とする

Spiro

の 二元

的理解を批

し, それ ら は む しろ 全

性 と して の 仏 教の 異 なる状 況 ・側面 にお け る現れ と して と らえるべ と されい る。 そ し て最 後に 東南 ア ジ ア の 千

王 国的 仏 教に は弥

勒等

未 来仏 に対 する信 仰 と未 来の 輪 転聖王 に

する信 仰 と い

1

つ の もの が とけ あっ て お り, その

造は ま さに

南ア ジア の

仏教

N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(12)

 

86

      =聟二ニ リ

t

lt

1

ゴム鏨文イ墜謎一 に お け る王

の構 造 と同一 であるが ,千

的仏 教は仏 教 国 家に対 抗 する もの で

っ て, 仏 教 国家の腐 敗 堕 落に回復 と復 興 を もた ら そ うとす る運動で ある こ とが指摘 さ れ て い る。

 

21

リス マ 的支 配の 源

:マ ッ クス ・ウェ ーバ ー再 考一で は

ウェ ーバ ーの 一

1

, す なわ ち 「

iu

:俗 内 的

苦行

と メ シ ア 的

予言 者

」 (西欧の

救済

と 「世 俗 外 的 苦行 主 義 と模 範 者 的予 言者」 (

洋の

宗教

とい うcognitlve −en1 。tional とい う :元論 に基づ く対比 は, 仏教にお

い て無 明,

知慧

つ 意 義 を十分 理解 してい ない もの で あ る と批

して い る。 そして カ リス マ 的

配 に関して も, そ れ が神の恩 寵 とし て の カ リス マ に基づ , 既 成の 秩 序に

で ,

 

的な不

定な もの で ある と す る ウェ ーバ ーの カ リス マ

念で は, 制 度 的な修 行の シス テム (苦 行 と瞑想 ) に基づ い て神の 介在な しに達成 さ れ る 仏教聖者の 超 自然 的 な力 とカ リス マ は 理

しえ ない こ と になる としつ つ ,

他方

で は ウェ ー

言 う

「 日常 化 され たカ リス マ とい う考 えを発 展 させて,

たに

Fig

3

の ようなカ リス マ の 類 型化を行っ て い る。

 

な わち, カ リス マ には まず, ユ ダヤ教 ・キ リス ト教 的な

か らの贈 り物 と して選 ばれ た人に だけ備わっ て い る よ

な タ イプの カ リス マ と, 仏教 的 な

修行

に よっ て 達 成 され る よ うな タイ プの カ リス マ が ある。 その うち酊者に は, メ シ ア

な予

言者

・指

者に認め られる ような個人的 ・ 一

時的

で不

安定

の カ リス マ

あ るい は カ リス マ

配) と, ロ ー

E

ら れ

され た形の カ リスマ (あるい はカ リ ス マ 配)が ある。 一

方後者

も,

林 の 聖

られ るよ

な個 入 的 ・一時 的で不 安 定 な 形の の と, ダライラマ や東 南ア ジ ア の仏教 的王 に見 られ る ような制 度 化 さ れた形の の が ある と さ れ る の で あ る。

 

22

厂カ リス マ の 対

化 と物の 物 神 化 で は まず, ウェ ーバ ー リス マ が物に

宿

るこ とを見 落と して い た点を問題 に し て い る。 そして タイの 呪物が 聖者の カ リス マ 宿 物 神 化 れ る社 会 的ル には ,〔

1

)在 家が

布施

功徳

を積み その 見 返 りとして福 田で ある出 家か ら呪

か る とい

(13)

NII-Electronic Library Service

< 'in/tt'n[>T,Pt.e.,..BuddhistSaintsof theForestandtheCultofAmttlets,

87

Figure

3,The

sources ofcharismaticleadership

Seurceef charisma:

relationship totranscendentalseurces

Judaeo-Christian:

giftof gracefromGod;

elective

rr

femporar.y.unslable, messianic leadership;

biblicalprophets;Joan

of Arc:etc,

Instituliona!ized

through apostolic succession:

pope;also divinckingship

``king's twe bodies"

Buddhist:

achieyed sa]vation and

supranormal powers Bvddhist: ascetlc salnts, arahants LLInstitutionalized'' reincarnation of bodhisattva,

DalaiLama, and

Buddhist kingsof

v

SoutheastAsia

Figure

4,The

semiotics offetishismofobjects

Cenmioditytypeanc Doniinnntva]ue velecityofexc/hangeBasisoicontrolKincioffetishismSourceofctharisffia ttt orientation "'esterneapi-Highvelocityofex-ExehangcriclesonHighi),impersonalA]legedspiritofen-Centralityefeenspl-talist/ change/highconi-expieilRtlonofsecietywhe'ethetrepreneurshipandcuouscensumption eonimodity'nlnclitl,aCCII]]]Ll].ltia91' producersandrelatiensbetweencapita[istethic;high-forsocietyatlarge;

E..xc:ha-geihi,grhcoisumption/h,bor, objectsstandforre-lvinciividua[ized' Lhecentrn]ityof productionaeeord・ /latiensbetweenniencOnception,opelTLo"ethicofwork"for

ingtoaplannedoo- 'Anrlactasindexetha[1, entrcprencursas

solescence.

i'Of3ocia]e]ass,'

'

justificatioT,.ofsuc-1wealtht'power, t:e$s.

'

Trobriand/Highvelocityefelr-Exchangreultti-HighlyI]erso"a]izedControlof''bcautyCentralits,ofachiev- ' }euia cu}ation'durable' ffLHte.Tvridesonsocietvwhercex・ ' magie"'highl,yindi-mg"renown''(butum)/

exehnngevaliiables/historicexploitationofchangeefvaluablesvidua]izedtoneep-dynamicvo]ati[eac-objects. kin, objeetifiesseductianLion,opeiito:ill.tionenhighseas:

!contro]ouer questfor"immortal-strHnger-partners. ltY," 't..-.. tttnttttt.. Thailand:FairlyhighvelocityExchan,geridesonHis,hlypersonaiizedDisinterestedasce-CentralitytoBuddh- amulettradeuftel'eonverslontodifferentia]rank,butstratifiedsocietv'tics",hotrnnscendistmonkofascetic- tradeobjects:per-poweranclweaithwhereobjectsassociety:h{ghlyindi-ismaspathto]i-sonalaccumulatinn''ofex-snersl'spon-sedirmentatiensei'vidua]ized;opentoi)eration,wisdom,

hisLnric[]bjects,sors, virtucindexmeritall. :mdcompassionate

L'.ierarchyHnden-' "detachedaetion." ;lbtpL/ontr{)]of Centralittrof'rnerit others. makingt"for]ur'men, / whosepo"'eren- ablesaceesstc)con-: sumptlonofsK)ods 1/ andaffirrnstheir merlt,

(14)

 

88

      パ ー一リ学仏 教 文 化 学

, 仏教の 解 脱へ の 方

に沿っ た形の サ イク ル

上昇

方向

) と, (

2

)聖

神的 ・超 越 的力が 呪物を通 して 政治 的 ・経 済 的 利 益の 獲 得 とい う物 質 的レベ ル へ と る とう ド降 方 向の サイクル が あ り,

者の 場 合 には呪物 は

布施

と慈 悲 とい う文脈か ら

易 と利

脈に

移動

し て

商晶

となっ て い る と い う点に注目 し,

物神化

され た物の 交換 とい う観 点 ら, 資本主義 社 会にお ける 商品の

交換

, トロ ブ リ ア ン ド

諸島

にお け る ク ラの 交換, タイにおける呪 物の交 換が持つ 意味 論的 な 相 違 の 比較 を

Fig

4

の よ うに行っ て い る。

た だ し

Fig

4

につ い ての

しい

明はない

 

そ して 最 後に, タイに おける近

の カ リス マ

信仰

呪物信仰

の 流

, お よ びその信 者が都 市の 支 配者 層で ある こ とに

れ ,こ の ような 流

背後

に は , タ イの 支 配 者層の 正

性が疑問視さ れる ように な り支 配 者 層が 自信 を失 っ て い る とい う政 治状 況, 具

的には, 〔

1

)イ ン ドシ ナ 三国の 共 産

とそ れに と も なうサ ン ガの 崩壊 とい う外 的政 治 状 況と, (

2

1973

1976

生反 乱, モ室 の

治介

自山

反 対 ,

1976

年以来の軍 部に よる国 家 支 配等の 内 的政治 状 況がある こ とが

摘 さ れ て い る。 皿 .

本書

論考

対 す

疑 問点

 

以 ヒ

Tambiah

の 所 説 を紹 介 して きたが, まず 全

と して彼の タ イ仏 教 理

につ い て く感 じられ るの は, (ユ)仏 教の 一二元 論 的な理解を排 し て仏 教を民

俗信仰

を もそ の に含み込 んだ全 体 性と し て理解 し よ うとする態 度 と, (

2

淙 教 現 象お よ び そσ)

変化

を現

の 政

状 況 との 関 わ りで 理解 して い こうとする 態 度である、、 こ の ような態度の な かで も特に

者の 態度 は, ス リラ ン カの 仏 教をで きるだけ

教の

枠内

で 処 理 しよ

と し, 仏 教 を社 会状 況 との 関わ りで と ら えるこ とは あっ て も 現 実の 政治状 況 との 関わ りを

接問 題 にする こ と はで き る だ け 避 け ようと して い る よ うに思 わ れ る

Gombrich

 

Obeyesekerc

の 仏

理解 と は か な り対 照 的 な態 度で ある よ うに思 われ る。

 

その よ な態 度の さら に は同 じ上座 仏 教 圏で はあっ て もタ イ とス リ ラ ン カ とい う地 域い に よ る現 象 の 相 達 もあ っ て の こ と だ ろ うが ,

(15)

NII-Electronic Library Service

      〈 警司三≧ 塾8 β7己鋸 腮 ぶ 毋7謝 oμ触 Fρ}襯 α αoμ 燃 ・    

89

Gombrich

, 

Obeyesekere

等は, その 書 評の 中で か な り

し く

Tambiah

判し て い る。 そ こ で まず, 彼らの 批 判の い くつ か を紹

す る こ と か ら

め る こ とに したい ,,

1

.事 実 誤認と ミス

 

その 批 判の

Tambiah

した

認 と ミス に 第一部の 占 典 的な文

っ てい る

箇所

関す

事実誤認

と ミ ス に関 して である。 た と えば, (

1

月 懴 紀以前に仏 典が サ ン ス ク リッ トで書か れ た こ と な ど な く, また 中 国に仏教が伝わ っ たの は早 くて

68

 

A

D

.で あるに もかか わ らず , 

Tambiah

303

 

B

C

.にサ ン ス ク リ トの 仏

訳さ れた と書い て い る (2 )出家 僧 を意 味 する シン ハ ラ語

himi

を個人

だ と思い んでい る。 (

3

)十 戒の うちの ・

独 身

禁 欲 生 活だ が,十 戒 を守る

家が

と子

を もっ て い る と され る。 (

4

.)

Ratana

・ 

Sutta

か らの 引用 と されて い る箇所の うち

30

はずっ とあとの

注釈

か らの もの で あ る。 (

5

Zl

次 資 料 に依 拠 しす ぎて お り, た とえば

Lamotte

HistoiTe

 

du

 

Buddh

tsme

 

lndien

 pp .

765

70

所 と なっ て い る が,

実際

は文

えて英 訳 しただ けで その ま ま使っ てい る。 1〔

6

仏教

の テ クニ カ ル ・タ ー ム と 庵

的 人 物 の つ づ り 一一貫 し て 誤 っ て い る 等々 で あ る。

Gombrich

985

2

教義

理解 に関 する問 題 点

 

第二

は仏

伝 統

的な教 義 に 関 す る 理 解 に 関 わ る 問 題 で あ る。 (

1

Tambiah

は, すで に

紹 介

し た よ

に,

現 代

の 聖 者が備 えて い る とされ る超 自然 力 との関わ りで,

統的 仏 教 の 教 義の 中ですで に阿羅 漢には

が 認 め られ てい た とい

典 拠 として 『清 浄道 論』 を, ま た呪物が持つ 呪 力の根 拠 を示 す 典 拠 と して 『大 般 涅 槃 経』 をあ げてい る [

本書

80

83

頁]

。 し か しこ れ らの 文献は, 全体の コ ン テ キス ト か らい え ば ,神 通 力や呪 力を示す こ とを む しろ否 定し諫め てい る もの で あ っ て

Tambiah

の 意図 を裏 付 ける も の と は な ら ない であろ う。 (

2

Tambiah

は 「

問 に関心 を 示さず 瞑 想に専 念 す る森 林 僧」 と 「学 問に従

する町や村の 出

家僧

」 とい う対 比 をして い る が , N工 工一Eleotronlo  Llbrary  

(16)

 

go

       一つ一

1

と曁払教文江壁: ス リ ラ ン カの 森 林 僧は 「 学 問 と瞑想 に専 念 する 出家

」 で ある。 仏 教は ,師 に従 うの で は な くて教理

つ ま り本,

えと

仏 陀 自身

が説い て い る ように t 学 問に基づ く

宗教

に限

される もの で はない に して も 本 質 的には 学 問 (教理

に基づ

で ある。 学 問に 関心を示さ ない 出家 僧 など とい う もの が 果た してあ りうる のだろ うか ?

 

Obeyesekere

985

3

.歴

史的事実

に関 す る問 題

 

第三点は歴 史的

実に関 する問題で ある。 た とえば(

1

)(a)

Keyes

は, 現 在の ような形の

林の 聖

19

紀 後 半

お よ び

20

に考 案 された もの で る と して い 。 一.・

方 Tambiah

森 林僧

伝 統

くか ら

存在

し そ れ が現 在 につ なが っ てい る と理 解 して い る。 この 場 合 少な くと も

Keyes

の仮 説 に言 及 し, それ を批

した上で

論議

開さ れ るべ

Tambiah

Keyes

仮説

に は まっ た

く答

えてい ない 。 (

b

)また呪

も, その 起 源は

か に

い が, 現

の よ

の呪

19

毋紀

半か ら

20

世 紀に か けて の しい の で あ る。 回 従っ て ,

森林

の 聖

に して も呪

信 仰 に して も, 近代 タイ

家の 発生 に 関連 するある

の 仏

ル ネッ サ ン ス と関わ りが ある こ とが 一方で は予

さ れ る が, その

につ い て は な ん ら触れ られてい ない 。

Carrih

匸ers 

1985

2

) ま た,

Tambiah

林 僧の もつ 超 自然 力お よび 呪物 の もつ 呪

との関わ り で, タ イの 出

僧の 問に タ ン ト ラ的 な実践があっ た とい

を示してい る が , そ のような実 質 的証 拠はない の で は ない しあっ た と して も , そ れ は

伝統 的

仏教

の タ ン トラ

な 要

の 反

で は な くて, 民 間

信仰

の呪 術 に山 来する もの なの で はない か

た とえ ばス リ ラ ン カ では呪術に従 事 する の は出 家僧で は な くて 職 能 者

。 また, 仏 教が タ ン トラ的 な もの ある い は呪術 と結びつ い た ときに は,

統 派

か らの 批 判の

きが 生 ずる もの で ある が,

Tambiah

は こ の よ

な動 きにまっ た くふ れて い ない 。 現在タ イで この ような批 判が 果 た して

存在

し ない の で あろ うか 。 (

3

>ま た

Tambiah

は, 千年 王 国 的イム教は仏 教に固

の もの で あ り, 既 成 仏 教が硬 直

した と きにそ れ に対

する もの として

的 に生 ずる もの だ と して い る。 しか しだ とすれ ば ,同 じ上座 仏 教 圏にあ りなが らも千

王国 的仏 教の 存

(17)

NII-Electronic Library Service < 書』評> The Bttctdhist撹 s of the Forest and  the Ci慮 oハ}川娘 瘤

91

在 し な か っ た ス リ ラ ン カ の 場 合 に は ど

う考

えれ ば い い の だ ろ うか。

LObeyesekerc

 

l985

4

.仏 教 と政 治 的 ・

経済的状

況 との 関

わ躄

重視 する

度に

題 点

 

第四点は

Tambiah

仏教

実の 政 治 的

済的状況

との

で理

してい こ うとする態 度 に関わ る 問 題 で る。 (

11Tambiah

は ,制

度化

さ れ た サ ン ガ 内の 出家 僧お よび

林僧が その

援 者であるエ ー ト層の 政

的 正統 性の

拠 と され た と してい る“一 しか し な が ら, まず, 布 施を行い

功徳

む こ とによっ て

施 者の 地 位が 高まる とい

こ と はあっ て も タイの軍 事 的, 宗 派 的動 き を別にすれば, タ イの エ リー ト層が

体系

的な形で, 布 施 と功 徳 に よっ て そ 0)政治的 正統 性 を確立 した とい

う証

拠は, 少 な くとも今 世紀に入 っ てか ら は

在 しない 。 ま た ,森林 僧に対 してエ リ ー 守 護, 金 , め る こ と は あ っ て も,

体系

的 な形で 政治 的正

統性

根拠

林 僧 に求め た と い う 事 実 も 認 め ら れ な い

Heinze

 

1986

Obeyesekere

 

l985]

。 (

2

)ま た

Tambiah

は, 森林僧 に

大の 金 額 の 布 施が 経 済界 か ら な さ れ, また

Loan

Phan

護符

り上 げで建 設 された

の,

森林僧

経 済

動 機

を 一 方 で は強 調 しつ つ も,他 方で は

Laan

 

Phal1

の アー一シ ュ ラ マ お よび寺 院 を仏

宇宙

論に基づ く小

宇宙

だ と とらえて い る。 しか し,護 符

売店

があ り 巡礼 者の れ る こ の ア ー シュ ラマ は, その 経 済 的側 面 を同

考慮

す れ ば, 「 仏教 的デ ズニ ーラー一ン ド」 だ とも言 えるの で は ない か

Obeyesekere

 

l986亅

5

. 理論 的 問題一一 記 号

の適用 とカ リス マ に関して

 

以 上 さ まざま な批 判 を紹

し て きた。 しか しこの よ うな批 判に もか か わ ら ず,

Tambiah

の 仕 事が高い 評 価 を

けて き た 理由の 一 に は

の す ぐれ た理

的態 度 あるい は理

築の

抜 さがあっ た もの と思 わ れ る。 そ こで 最

に,

が聖 者 伝お よび呪

意味

み解 くた めの 理

方法

と して用 い た記 号 論 の 適 用 と,最 終 的な 理論的 課 題 と て 提 示した カ ス マ

っ て この 霄 評 を

わ りたい 。

 

1

)記

号論

の 適 用につ い :すで に本 書 評

77

頁,

78

頁,

83

頁で紹

し た よう

に,

Tambiah

は, 流 行の 記号 論を駆 使 しなが ら, 聖

者伝

indexicai

 symbol

(18)

 

92

       バ 猛麩文化 と して , ま た呪物 を

indexical

 

ic

。n と して読み

くとい

う方法

を用い た し か しな が ら, すでに

Carrither

.s 

1985

摘 して い る よ

に,必 ず しもその       タ 試み が

体系 的

に ト分遂 行 されてい る とは思 えない 。 すな わち言い 換 えれ ば, 聖

者伝

や呪 物が もつ 意

, それ らが 置 かれ てい る

社 会

的 ・心 理 的

の さ ま ざまなコ ン ス トの 中で理 解 しな け れ ば十 分には とらえられ ない の だ とい うこと以 上の 意 味が, 彼の 記 号 論の適 用 に はみ と め られ ない の で はない か と い う疑 問るの で ある。

 

〔:

2

}カ リス マ

につ い て :

Tambiah

の カ リス マ の う ち, まず

21 章

1.カ リ ス マ 的一

配の源 泉 :マ ッ クス ウェ ーバ ー再

」 で提 示 さ れたウェ ーバ ーの カ リス マ

iliは レ分に理解 ・評価 し

る もの である。 こ の 種の 問題はす で に,

TO

、 

Beidelman

が ア フ リカの ヌ エ ル 族の研 究 を もとに, また

P

, 

Rigby

が ア フ リカ の キ ガ ン ダ社 会 を もとに, ま た

P

Berger

が 1 ’

T

予言 者につ い て , さらには

B

R

0

, 

G

 

AndefSon

が 古 代 ジャ ワの 王 国 を もとに それぞれ扱 っ て お り,

で は , カ リス マ が 一 時 的な, 不

的な ,革 命 的性 格 をもつ とする ウェ ーバ ーの 見

特 定の時代 と地域に限っ て

妥当

する もの であ る と

えるの が む しろ一

般的

だ か らで ある。

 

一づ∫,

22章

カ リ ス マ の 対 象化と物の 物神 化提 示 さ れ たカ リス マ に宿る とい う見解 つ い ては , 十分に理解で きない し ま た

きない 。 とい の は, 呪物の

存在

UI

中どこ に で も認め られ る

現象

であ り, タ イ以

の 地 域で は カ リス マ と

関係 な呪 物が い らで も見い だ さ れる か らで あ る。 その こ とは た と え ば 日本の 成田山の 交通

全の お

りを例に とっ て も, また

杜の お

りを例に とっ て も 明 らかであろ

っ て, タ イの 場合に 限 っ て は呪

は 聖者の カ リス マ を宿 して その 呪 力を もつ のだ , とは考 えに く い の で ある (つ ま りそ うで は ない 呪 物だっ て タ イにもい くらもあるだ

と 思 っ て しま

の で ある) また , カ リス マ を

宿

し た呪 物が 交 換あ るい は交 易 の 対 象c なる とい う点に注 目して行われ た比較, す な わ ち タイに お ける呪 物 の 交 換 と資 本 主義 社 会にお ける商品の 交換と ト ア ン ド諸 島にお け るク ラの 交換の比 較 もまた, こ の ような比 較 にい っ たい

意味

が ある の か 了

Figure   1.Triadic   relations
Figure   2 .   Pentadic   relations

参照

関連したドキュメント

The inclusion of the cell shedding mechanism leads to modification of the boundary conditions employed in the model of Ward and King (199910) and it will be

Keywords: Convex order ; Fréchet distribution ; Median ; Mittag-Leffler distribution ; Mittag- Leffler function ; Stable distribution ; Stochastic order.. AMS MSC 2010: Primary 60E05

(Construction of the strand of in- variants through enlargements (modifications ) of an idealistic filtration, and without using restriction to a hypersurface of maximal contact.) At

It is suggested by our method that most of the quadratic algebras for all St¨ ackel equivalence classes of 3D second order quantum superintegrable systems on conformally flat

Inside this class, we identify a new subclass of Liouvillian integrable systems, under suitable conditions such Liouvillian integrable systems can have at most one limit cycle, and

This paper develops a recursion formula for the conditional moments of the area under the absolute value of Brownian bridge given the local time at 0.. The method of power series

Answering a question of de la Harpe and Bridson in the Kourovka Notebook, we build the explicit embeddings of the additive group of rational numbers Q in a finitely generated group

Then it follows immediately from a suitable version of “Hensel’s Lemma” [cf., e.g., the argument of [4], Lemma 2.1] that S may be obtained, as the notation suggests, as the m A