NII-Electronic Library Service
〈
書 評
〉
Stanley
Jeyaraja
Tambiah
:7
「he
、Buddhist
Saints
c
ゾ
the
Forest
and
the
Cult
c
ゾ
・4
〃zulet
’s
島
岩
1
。 は じめ
に日本に お い て こ れ まで 仏 教研 究を リー ド して き たの は仏 教 学で あっ た。 そ して その
研究
は,文献学
的 な方 法に基づ き な が ら仏 教の 教 理 ・哲 学を研 究 す る という形
の ものが 屯流であっ た。 その結
果,民俗信仰
は高 尚
な仏 教哲
学に 比べ て 呪 術 的で 劣っ た もの で ある と考え られ が ちであ っ た し, また, 仏 教の持
つ 政 治 イデ オロ ギー的
な側
面な ど も見 過ごさ れ が ちであっ た。 そ して , 宗 教に おける民俗信仰
の意味
や,宗
教 と国家 ・政 治 ・社会
との 関わ りを問
題に して きたの は , 日本
で はむ しろ, 日本 民 俗 学や 宗教 学(
新 宗教 研 究な ど)
や,R
本史
の 側 からの 仏 教史
研究 (
家永
三郎
・笠 原 一男等)
の ほう
であ っ た。・方, タ イ ・ス リラン カ
等
の 上 座仏 教 圏におい て, この よう
な問題 を取
り 上げた の は, 主 にObeyesekere
,Tambiah
等の社 会人類 学 者た ちで あ っ た。 そ して その 中で も,特
に仏教
と政 治 との 関わ りを重視
したの が, こ こ で取 り 上げるTamblah
で あろ う。タ イの仏 教に関 する
Tambiah
の 主要な著作
は 三つ ある。 最 初の著 作 『東 北 タイ にお ける仏 教 と精 霊 信 仰』(
Tambiah
1970)
は, 村落 の視点 か ら, 精 霊信 仰 とい う民俗信仰
と超 世俗 的 な悟 りと涅槃
の宗
教 とさ れて きた仏 教が, 村 落の社 会 構 造 に基づ きな が ら , 構 造 的に密 接にか か わ り合っ て い る こ とを 明 らかに した もの であ
る。 これ は, た と え ば 日本で 言 えば, 祖 霊 信 仰や 自然 N工 工一Eleotronlo Llbrary
76
/t−一 リ‘学でム教 文イヒ£デ: 霊信 仰が ,村落社会
の 中で仏 教 と構造 的に密接
にか か わ り合っ て い るの に相 当 するで あ ろ う。第
一二の 著 作 『世界の 征服者
と放 棄 者一.現代タ イに お ける 仏 教 と政 治お よび その歴 史 的 背景
一]
(
Tambiah
1976 )
は,首都
か らの視
点 か ら,仏教
とモ権
の関わ りを取 り上 げ,1
佳界
を放棄 した僧 集 団(
サ ン ガ) が世界
を支配 する王 の 正統 性 を保 証 し, 王 は サ ン ガに保 護 を与
える とい う構 造が, 国家統
合の イデ オ ロ ギ ー と して , 上座 仏 教 圏の 政 治 をさ まざま な形で 規定
して い るこ と を明 らかに して い る。 こ れは, た とえば 臼本で 言え ば ,奈良時
代の鎮 護 国 家の ための 仏 教 と国家 との関わ りに相 当 する もの であろ う。 そ して最後
に こ こで取 り上げる 『森
林の 仏 教 聖者 た ち と呪物
信 仰… 一一カ リス マ , 聖者伝
,宗
派主義, 千年
王 国 的仏 教の研 究 一 ヨ は,森
林の視 点か ら, 超世俗
的だ と考え られ がちな森 林 僧と世俗 的な現 世 利 益 的な もの と考えら れ が らな 呪物
信仰が共 通の 基 盤 を持
つ こ と,森
林の 聖者
に たい する信 仰が千年
王 国 的信 仰 と結 びつ い てさ まざま な反 乱 を引 き起 こ してい る こ とを明ら かに し, さ らに は ウ ェ ーバ ーの カ リス マ 論の修正 も行っ てい る。こ の よ うに, タイの 仏
教
を,村 落
・都 市 (首都)
・森林
と言 う複 合 的な 三 つ の視点
か らとらえ, 仏教
と民俗信
仰, 国家 ・政治
との 関わ りを全体
として 明ら か にす るこ とに よっ て,Tambiah
の タ イ仏教の研 究は 一一つ の完
成 に至 っ た の で ある。1
.所 説
の紹 介
1
.本書
の テーマ と構 成お よび テキス ト ・:コン テキス ト解 釈の方 法まず 本書は
前書
『世界
の征
服 者 と放 棄 者 』 にたい する次の よ うな反省
の も とに書か れ た もの であ る。 すな わ ち, 前 書で は王権
と仏 教の 関 わ りを 王 と都 市や村 落の 制 度化
さ れ た サ ン ガ との 関わ りという
二極
で と らえてお り,森 林 僧の 存在
とい うもう一 つ の 極を考慮 に入 れ な かっ た とい う不完 全 さにたい す る反 省であ る 。従っ て 本書で は , 王権と仏 教の 関わ りは次の よう
な 一瀬 構
造 で と ら え なお され て い る。 すな わ ち, (1圧 と都 市
や村
落の 制 度 化 さ れ たサ ン ガ との 関係 , (2:圧 と森 に住む僧
た ちの 隠 遁 的な共同体
との 関係, サ ン ガ内NII-Electronic Library Service
<書 評>Tlae飽 d識 お ’S側 瑠 o.fthe Fo?’est and ti・ze C’ttlt ofAmulets 77
部での 町や村に住む僧と森に住む僧との 内 的な対 話 とい う三極構 造で ある。
その な かで も特に本書で は, 森 林僧にス ポ ッ トライ トが 当て られ るわ けで あるが, そ れ は近
年
の次
の よう
な現象
に たいす
る関
心に基づ い てい る。す
な わち, 近年
バ ン コ ッ ク の 人々 の あい だで , (1
)伝統
的には 出 家 に属す と考
えら れて きた瞑想に在 家の 人が ます ます参
加す る よ うになっ て きて い る こ と と, (2
)護符
な どの呪物
に対す
る信仰
が盛ん に なっ て きて い る こ と という
, 一見
調 和 しが たい 二 つ の現象が 見 ら れ , その 背 後に は と もに森 林に住む有 名な仏 教 聖者(
彼 ら は瞑 想の 達入で あ り阿羅 漢 と称え られ る)に対 する尊
敬の 念があ る とい う事実
に たい する関心 で ある。 こ の よ うな事
実 ・現 象を どう理解 すれ ばい い の か。 こ れ が本書の テ ーマ お よ び 出 発点
なの である。こ の よ
う
なテ ーマ の もとに本書
は 四部に別れてい る。 まず 第 一部 「 阿羅 漢 と瞑 想の道
」 で は ,『清 浄道論
』 に基づ きなが ら, 現代 の森
林の 聖 者の 古 典 的モ デ ル とで も誘 うべ き阿羅 漢 につ い て, その仏 教 的な教 義 的概 念, 浄化の 道, 仏 教 的 な存
在の階層の な かで の位 置が記述 さ れ, さ らに は, ス リ ラ ン カ, ミャ ンマ ー , タイ に お け る森 林 僧の 伝 統に関 する歴 史 的記 述に見られ る森 林 僧につ い て の い くつ かの考
え方が紹 介さ れる。第
二部
「仏教
聖者
の 聖者伝
:テ キス トとコ ン テ キス ト,宗派
主義
の 政治学
」 で は, まず, 近 年の タ イの 有 名な森 林の 聖者(
Acharn
Mun
)の 系譜 が扱わ れて い る。 すなわち, 聖者の 伝 記, 聖 者たちが創 設 した ア ーシ ュ ラマ ,瞑
想 の師
と認 可 さ れ た弟
子た ちとの 関係
, 瞑想
の師
である 聖者
た ち と在
家との 関 係が, 聖者伝
の 分析 を も とに明らか に さ れ るの で ある。 そ して さ らには, 聖 者伝 をindexical
symbol(
指 標 的象
徴 記 号, 後 述)
と して 読み解 くこ とで ,森 林
の 聖者
た ちに より在家
の あい だ に広
め ら れ た瞑
想の 流行
の背後
に は,Mahanikai
派 とThammayut
派の 宗 派 的 対立 お よ び両 派の支 援 者た ちの対立 が ある こ と が 明 らか にさ れ る。第三部 厂呪 物信
仰
:カ リス マ の 対象
化と伝 達」 で は, まず 仏像
や仏塔
にた い する信 仰 と護 符 等の 呪物に た い する信 仰 との 共通性が指 摘 さ れ, 次に歴史
的なあるい は現 代の さ ま ざ ま な呪物が 紹 介さ れ る。 そ して護
符等
の 呪物が, N工 工一Eleotronlo Llbrary7’8 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 どの よ
う
に作
られて儀 礼 に よっ て聖化
さ れ その 呪力 が 活 性化
され るの か につ い て民族 誌 的 記 述が行われ る。 さらに呪物をindexlcahcon
(指標
的類 似 記号
,後
述)
として読み 解 くこ とに よ っ て, 呪 物の もつ 呪力の 源泉
が森林
の 聖 者の カ リス マ にあ り, その カ リス マ が対
象化
さ れて呪物
に移
さ れ るこ と に よ っ て , 呪 物が呪力 を持つ に至る の だ とい うことが解
明さ れて い くの で あ る。な お こ こ で,
Tarnbiah
が聖 者 伝お よ び呪 物が持
つ意味
を読
み解
くた め に用い た
方法
indexical
symbol とindexical
icQn
につ い て簡
単に説 明 して お くこ とに したい 。 こ れは流 行の 記号 論で用い られた概 念で ,
Peirce
に よる記 号 の 三種
の分
類(
symbol =象
徴 記 号 ,icon
一 類 似 記 号 ,index
:指
標 記琴)
のう
ちの 二 つ をBurks
が組
み合 わせ た もの に基づ い てお り, 語 用 論 におい てJakobson
の用 い る shifter等
と も対 応す る概 念で ある。 上述の 記号の ・{種の 表意様
式の うち, まずicon
と は, その記号
の 性質
が その 対象
と類 似 し て い る もの で あるv た とえ ば,私
という
対象
を表
意 して い る私の 写 真 などがそ う である。 次 にindex
と は ,対象
と物
理的につ な が っ て お り, その た め対象
が 取 り除 か れた ときに は直 ちに記号
と して の性 格
を失 う
もの であ
る。 た とえ ば 気 温 の 高 さ を表 意
する温度計
の水 銀柱
の高
さ な ど が そ うで ある。 最後
に symbol は, それ を その対 象 と関連づ ける わ れ わ れの 側 の 解 釈思 想や慣
習の 性 格 に よっ て 特徴づ けられ るもの で ある、, た とえ ば目本
を表意す
る 日の丸
な どが そ うで ある。従っ て
indexical
symboi とは 二lo
の 役 割 (すな わ ち そ れ は慣 習的 な意
味論 の規 則
によっ て表
現さ れた対象
と結びつ い て い る syrnbol で あ り, 同時
にま た そ れ が表 現 して い る対 象と物
理的
につ なが っ てい る語用論 的
な関係
の中
で のindex
で もある)
が 組み合わ さっ た もの であ る。故
に聖者伝
をindexical
symbo ]として扱う
とい うこ とは, 聖 者 伝の :二重の意
味(
すな わち象 徴 的 ・ 意 味 論 的な意 味 と存 在に関わ る語用 論 的な意
味)
を暗
号 とし て含
ん だ もの と し て読み解こ うとす る とい うこ とにな る。 他方, 呪物をindexical
iCOII
と し て扱 うとい うこ と は ,呪物 (
た と え ば 聖者
の姿
が刻
まれ た コ イン)
を同様
に 二重の 意 味 (すな わ ち一方で は元の対 象 あるい は 人 との類
似性
を表
し,他 方
NII-Electronic Library Service
<書 評 >The Bttddh・ist Sadnts oノ伽 Foxest and tJte Cttlt・o
プAmule 亡∫ 79 では その使 用 者に価 値 を伝 達 する
)
を暗号 として含んだ もの として読み解こ うとする とい うこ と になるの で あ る。最後
に第
四部
「概
念 的 ・理論
的分類
」 で は, 三部
まで の実 質
的な記述に基 づ きつ つ , 以下の三つ の聞
題に関す
る概 念 的 ・理論的検討
が行
わ れる 。す
な わ ち まず第
…は, タイ とビル マ にお ける千年
王 国的信 仰 に基づ く諸 反 乱が森
林
の 仏教
聖者
た ちに たい する信仰
と結
びつ い てい る という
問題 で ある。第
二 は ウェ ーバ ーの カ リス マ論
の再考
であ
る。西
欧の キ リス ト教 的世界
をモ デ ル に して構 築
さ れ た ウェ ーバ ーの カ リ ス マ の概念
で は ,仏 教の聖者の もつ カ リ ス マ が と ら え きれ ない 点を問 題に し, カ リス マ の 概 念を もっ と広い 範 囲に適 用で きる ような もの へ と広 げよう
とするの で ある 。第
三 は カ リス マ が 人ばか りで は な く物 に も宿る とい う間題 で あ る。 そ して カ リ ス マ の宿 っ た護 符 等の 呪 物 が交
換 され る点
に注 目 し, それ をモ ース の 贈 答 理 論 とマ ル クス の言う
商 品の 物神 化 と比 較 して , 呪 物信 仰 をよ り広い ス コ ープの 中で考
えてい こう
と する の で ある。2
.各 章の 内容 紹 介以 上が
各
部の 紹介
で あ る が, 次 に もう少 し詳
し く各章
ご とに内容
の 紹介
を行
っ てい きたい 。まず
第
一部
「阿羅漢
と瞑 想 の道 」 は2
−5 章
か ら な る が, まず2
章
「 阿羅漢
の仏教
的概念
」 で は 『ミ リ ン ダ十{の問』 とかア ヴァ ダ ー ナ等 を用い なが ら, 仏 教 的伝統 の な かで 阿羅漢 と は どの よ う な もの で ある と考 え られてい た か が 明ら か に され る。 す なわ ち, 阿羅 漢 と は(ユ牾 り ・涅槃
に到達 した 人の こ とで あ り, (2
>そ れ は修行
の な かで も特
に瞑
想に よ り実現
され たこ と等
が まず 明確
に さ れ るの で あ る。3
章 「浄化 の 道 :苦 行」 で は, その 修 行の 中 身が 『清 浄道論
に基づ きつ つ 紹 介 さ れる。 要 する に修 行 者は , 戒 ・定 ・慧の 三 学に より , 浄化の 道 を涅
槃へ とた どるの である 。 N工 工一Eleotronlo Llbrary80 パ ーリ学 仏 教 文 化 学
4
章
「 仏 教 的瞑想
の 階梯
と果報
」 で は, ひ きつ づ き 『清 浄 道論 』 に基づ き つ つ 定(
瞑 想)の 階梯が紹 介さ れ, その 際 その 階梯の 途 中で 果報 とし て神 通 力が得
られ る と され るこ とが,後
の現代
の 聖者
が もつ とさ れる超 自然的
な力
との 関係で か な り詳し く触れ られ る。 また各
階梯
で 到達さ れる境
地 が欲 界 ・ 色 界 ・無 色界
とい う仏教 的コ ス モ ロ ジー と対
応 して い る こ と が 述べ られてい る。5
章 「東南ア ジア における森 林 僧の伝 統 :その歴 史 的背 景.」 で は, ス リラ ン カ ・ミャ ン マ ー ・タイの森
林 僧の伝
統と その 歴史 的背 景が比 較 さ れ , 世俗
お よ び巾央
を離
れて周
縁 に位
置する森林僧
が ,中央
に位 置 して 王権 を支 えて い るサ ン ガ が硬 直化 した り,堕 落 した り,内部 分 裂を起こ した りして混 迷 し て い る と きに, そ れ を浄化
して活 性 化さ せ る とい う役 割 を果た して きた こ と が明ら かに され る。 そ し て王 と町や村に住む出家 僧た ち(
中央の体 制 化 した サ ンガ) と森
林僧お よ び在
家の人 たちとの 関係につ い て 図の よ うなパ ラ ダ イ ム を呈示 してい る。この うち
Fig
,1
は下 と中央の サ ン ガと森 林 僧の 共同休
との 三極
関係 を示 し て い る。 すなわち,ll
)申央の サ ン ガが王の 正統 性を保証 し王 は その サ ン ガ にFigure
1.Triadic relationskULER
・− A
ロエロコ
∵
〉
目
一Vi且tage!10W 臨dwe 駄ing monks
くsec電slrratemi 電ios》
CAP
亘TAL
For¢5竃dwelling menk5
(se ¢ 菰slf剛 emi 巳i¢s}
PER
耳PHERY
OF {a)
CapiIal
/town {b)K萓nBdomNII-Electronic Library Service < 書 評>The Bt・tddhist ∫α膨’s ofthe FoTest a’,td thF Cutt oプAinittets
8
]Figure
2
. Pentadic relationsTown and viHago monk eommunlties
r
冖 →巨 =
← 囮「
。
合
自
鰌
Central P・li【ica黜a”therily O o
Hnd its satclHte doma ns
{po「ilica聖 ce絢lreK. } Vi1置ag¢ @and Iown@ 奮al
L .
_
_
皿コ
_−villagt
j Fo「e5t monk communil
カ5
保護 を与え,(2
) 中 央 のサ ン ガが 堕 落したとき
王は周縁
の 森林僧
に そ 活性化
を要請 し
,(
3
沖 央の
堕落とは 無縁で
あった周
縁の森
林僧 は 中央のン
ガを浄 化 ・活 性化す るとい う三極
関 係 であ
る(た だし森 林 僧 か ら 王 へ サ ンガか ら 森 林僧への
矢印 の意味は多
少明
で あ る )。 さら にFig
.2
はこ の三 極関 係に 在家との 関係
を 加えて四 関係 とした 訂正 図 である。 す なわち在家が 福 田 として 町や村の
サンガ を え ,森林 僧 の超自 然的 力の恩
恵に
あず
かり たくて
森林僧を支え る と いう 係 が加わて
い
るの である 。次に
第二 部「 仏教聖 者の 聖者 伝: テキ ス トとコ テ キス ト ,宗 派主義
の 政 治学 」は6
−
13 章 か ら な るが ,
ま ず6
章現代の聖 者の伝記」では, Acharn
Maha
Boowa の書 いたAcharn
Munの伝記の英訳The lenerable
Phra
ハ酌α Metn BhM γidatta
Thera
,2)4edit αticm
、
Vas
r
に 従 いながら ,聖者の生涯 が 紹介される。Acharn
Mun
,1870
年1
月20
B
まれ。15
才 で見 習い 僧となり26
才で正 式に 出家僧 となる。そ の 後 「真理洞
察の瞑 」(vipassana
) に専
念し
, 森林 僧 と し ておも に タ イ束 北部 活躍し,さ
まざま
な通
力を 示す
。1949
年 に死去 。7
−9
章では 伝 記を分 析 す る た の 三 つの枠 組み が提示 さ れ る 。すなわち N工工一82 パ ーリ学 仏 教 文 化 学 まず
7
章 「パ ラ ダイム とし て の仏 陀
の生涯
」 で は, 仏 陀 および他
の有名
な仏 教の 聖 者た ちの 一生 につ い て の伝統 的
な記
述 (carita , avadana)
が, タ イの 聖 者た ちの 伝 記の モ デル と して影
響を与
えて い る点が明 ら か に され る。次に
8
章 「仏 教 聖 者の伝
記の背後
にある諸
原 埋 」 で は ,聖 者の 伝記
の 背後
に は, (1
)仏 陀等の 生 涯 をモ デル に したス テ レオ タ イ プ, (2
)道徳
的 な模範
と し て聖者
を提示
しよ うとする意 図, (3陛 者の もつ 超自然力
へ の期待
に答
えよう
とする意 図が ある こ とが 明ら か に され る。 なおAcharn
Mun
の伝 記
が傑作
であるの は, ス テ レオ タ イプに陥らずに聖者の具 体 的な 生 き生 き と した記述 を行
い , 聖者
を特定
の個
人と して浮
か びあが らせ る ことに成功 してい る点
に ある と さ れて い る。そ し て
9
章 「師の 弟子た ち 1 で は,Acharn
Mun
の 弟子た ちが紹 介 され,師
で あるAcharn
Mun
の伝 記
を書
い た弟 了
・Acharn
Maha
Bo
。wa には, 伝 記作 者 と して の
彼独 自
の動機
や意 図が あっ た はずであるこ と が明 ら か に さ れ る。以上の ような三つ の 分 析の 枠 組みに
従
い つ つ ,次
にIO
章
「模 範
的な森 林僧,瞑 想 者, 師と して の伝 記 作 者」 で は,
伝
記作 者
Acharn
Maha
Boowa
の 生 涯が紹 介される。 そ してその な かで,
彼
のThammayllt
派(
1836
年にモ ン ク ッ ト親
王に よ っ て 創 始 され た復k
主義
的革新派
で,パ ー リ語に よる 聖典
理解
お よ び 仏教
の 合理主 義 的側 面 を強 調 する)
との 密接なつ な が りが明らか に され て い くの であ
る。11
章
[宗
派 主 義 と瞑 想 の 支 援」 で は,在
家 に よ る瞑想
を推 進
し たMahanikai
派 と そ れ に 対 抗 し て 森 林 僧 の 超 自 然 力 と瞑 想 を 支 援 し たThammayut
派
との対
立, さ ら にはその 背 後 には両 派をそれ ぞ れ支援 した 政 治 家 ・ti
族 等の 政 治 的 対 立 が あるこ と が触
れ られる。 そ の う ち ま ず12
章 「Mahan
三kai
派 に よ る 在 家 の 瞑想 の 推 進 」 で は,Mahanikai
派がバ ン コ ッ ク のMahathat
寺
院を中心 に,70
年代
に在
家に よ る瞑
想 を推
進 した ことが 明 らかに され る。次 に
13
章 「中 央 と周 縁 の 対立 :Mah2that
寺
院 に よ る 瞑 想 の 支 援 とNII-Electronic Library Service
〈書 評>The BZtddJtist Saints of the 1“oTest aTZ‘‘thc,α躍 ひ∫.,lnittlets.
83
Bovonniwet
寺
院 に よ る 瞑 想の 支 援 の比 較 」 で は, (1
)数 的 に は 多 数 派 のMahanikai
派がMahatha
し寺
院 を中心 と し て推 進 した瞑 想 は, そ の 支持
基 盤 である東
北 タイへ と都 甫
の ほう
か ら広
が っ て い っ たの にたい し , (2瞰 的に は少数派
で はあるが , モ室とつ なが りが深 く, その た め 中央 集 権 的な サ ン ガ組
織
の 中 で は 有 力 で, 都市
を 支持
基 盤 と して い るThammayut
派
は, Bov 。nniwet寺
院を中心 に東 北 タイの 森 林 僧の 瞑 想の 流れ を取
り込ん で対抗
し, その た め その 瞑想は地 方か ら都市へ と広がっ て い っ た こ とが 明 らか にされ るb一そ して伝 記 作 者
Acharn
Maha
Boowa
が森 林
の 聖者
Acharn
Mun
とThammayut
派 との 関 わ りを強 調 する背後
には, こ の よう
な両派
お よび両派 を それ ぞれ 支援 する政 治 家 等 との 関わ り, さ らに は 中央 (
都 市 ) と周縁 (地 方)
との関係 等がある ことが明 らか に されて い くの である。第三部 「呪物 信仰 :カ リス マ の対 象 化と伝 達は
14
−19
章か らなるが , 最 初 に14
章
「像
と呪物
の信 仰」 で は , まず(】)現 在 タイで 呪物 信 仰が盛ん なこ とが 紹 介 され, 次 に(2
}仏 陀はす
で に亡 くなっ て お り現存
しない の に, なぜ仏舎
利 や仏 像が崇拝 さ れ るの か とい うこ と が 闘 題に さ れる。 そ して この 問題に た い す る伝 統 的
な解釈
が, 『大般
涅槃
経 』 や κα嫌g
α 海嫌 α などに基づ い て紹介
さ れ,結 局
は仏舎利
や 仏像
に は仏 陀の 遺 徳が宿っ て い るか らで あ り, ま た そ れ らに宿 る力の 源泉 は最 終 的には仏 陀の悟 りにある と され て きた こ とが明ら か に さ れる。 さ らに,仏
陀がindexical
に は仏舎
利弋 ’仏 像 にい まで も存在
し てい るこ と との 関連
で ,大
乗の 三身
説(
法身
, 受容 身
,変 化身
)が採 り上げ られて い る。15
章
「 歴史
的で人気
の ある呪 物の 列挙
」 で は, 呪物
が 四つ に分類
され, そ のう
ち現代
の聖者
の聖化
した現 代の 呪 物を除 く三種の 歴 史 的な 呪物が紹介
さ れ る。 す な わ ち , (].)タ イモ国の 守 護像 と して 有 名な歴 史 的仏 像。 た と え ば ,Buddha
Janaraja
,Buddha
Jinaslha
,エ メ ラル ド仏 陀 な ど。 (2
>有 名
な僧
なかで も
特
に19
世紀
の僧
によっ て聖化
され た呪物。 た とえば phra solndet(
通常白か黄色の 粘土で で きた小 さ な平板の 牌で 一三昧に入 っ たイ∫、陀の 像が 浮 き彫 り
84
パ ーリ学仏教 文化 学に さ れ てい る。
19
世 紀 後 半の 森 林 僧Laang
Phau
To
に よ り聖化
さ れた と される
)
,phra
kring (小 さ な仏 像で 中が鈴
の ように な っ てい て 振る とkring
とい う音 が す る,
Bovonniwe
寺 院の 僧 院 長で1892 年
に84
才で 死亡 したPavares
に よ り聖化
さ れた)。 (3
)八 間, 神々 ,動 物,鳥
な どを表
した もの で, 出家 僧や特 殊 な能 力 を持
っ た在家
の専門家
に よ り聖化
さ れ たもの 。 そ して最 後に, この よ うな呪物信仰
の 流行
の 背後
に は, 近代化
によ る社会変動
の 中で の 人々 の 競 争 と成 功へ の願い が あ るこ とが指 摘 され て い る。16
章 「仏 像 と仏 陀との類似性
:シンハ ラ仏 陀の場 合」 では , 仏 像が 仏 陀の 遺徳 と力 を受
け継 ぐには, 正統
に継
承 された仏 陀 との 類 似 性が必 要なわけだ が, その 正 統 的 な類似 性 はい か に認 知 さ れる の か とい う問題 を提 示 し,国の守護像
として の シ ンハ ラ仏 陀の 盛衰
を た どる こ と に よっ て, 次の よ うに結 論 づ けてい る。 す なわち,東南
ア ジア仏教諸 国
の 王権
の 正 統 性と安定
の基盤
は, (1
)輪 転 聖 王 あるい は ダル マ の 王 という考
えと, (2
>仏 陀の 遺徳 と力が宿っ て い る王国の守護像
, 王位
の象
徴の 所有
に あっ た。 そのう
ち王国
の守護
像と して の シンハ ラ仏 陀の盛衰
を た どっ て み る と,その 仏陀
との 正統的
な類
似性
とは, 結 局は 王 をは じめ とす る仏 像の 支 援 者が与え綛 知 した もの で あるこ とが分か るの であるe17
章 「像 と呪物
を 聖化
す る過 程 :出家僧 に よ るカ
の転
移」 で は, (1
)呪物の 制作 過 程, (2
)仏像
の 聖化儀 礼, 潅 頂の 儀礼, 開眼供 養 等につ い ての 民 族誌
的 記 述が行わ れ, 仏像
と仏像
あるい は仏 像 と出家 僧の 問に わ た さ れた聖 なる糸
を通 し て,〔1
>有名
な 仏像
か ら新 しい 仏 像 に徳や力が転移
し, (2
)瞑
想してい る 出家 僧か ら仏像や呪物
に精神
的エ ネルギ ーが転 移 する こ と, そ して その 際(3
) パ リッ タ (護 呪経 典) を唱 える こ とが重要
な役割
を果た してい る こ とが指摘
され る。18
章 「現 代 の森
林 僧 に聖 化 され た 呪 物」 で は, 表に森 林 僧 しUangPn
Waen
の胸像
が裏
に ミャ ンマ ーの 侵 攻 を退 けた過 去の 英雄
Nares
cne n 王が彫
られ たメダル を
取
り上げ, この メ ダルが ,森林
僧へ の信仰
を媒 介
とし なが ら,NII-Electronic Library Service
一≦
i
彗置 ≧丁勉 β多磁 1η5圃 α翩 δ vfthe Forest and the Ctttt ofAmzttets ,85
思い 起こ させ, 共時 的には国民 と しての ア イデ ン テ ィテ ィ ーを形 成
す
る とい う役割
を担
っ た もの であるこ とが明ら か に される 。18
章で は森 林僧 (表
)と王(
裏 ) とい う政治 的 意 味を持 っ た メ ダル を取 り 上 げたの に たい して ,19
章
「宇宙
的山上 の 聖者たち」 で は まず,表
が森林僧
(
Acharn
C
舩 n)
で裏
がBangkok
Bank
ofCommerce
の マ ーク という
,経済
と関わ る
意
味 あい をもっ たメダルが取 り上 げられ る。 そ して,経済
界の 人 た ち が経済
的繁
栄 を求めて森 林僧 に寄 付 を行い , 森林 僧の ア ー シ ュ ラマ に遠 くか ら巡礼
に来る とい う現 象に注 目し, 巡 礼の 地で ある森林僧
の ア ーシュ ラマ が 仏 教 的な宇宙 論 的構 造を もち, 巡 礼 者の 山の頂
上へ の道
程が禅 定の 階 梯 と対 応するように構
成さ れ て い る こ とが明
ら か に され るの で ある。以 上の 実質 的 な記述 に基づ きつ つ , 次に
第
四部
「概 念 的 ・理 論 的分 類 」20
−22
章では , それぞれ以 ドの 三つ の問
題に関す
る概念 的
・理論
的検
討 が行
わ れ る。 す なわち まず,20
章
「 タ イ とミャ ンマ ー における千年
王国 的仏 教に 関 する論 評」 で は, (1
)ph fi mTbun
,pha
wiset ,khru
ba
, arahan , reesl , chrphakaoとい うさ ま ざ ま なタ イ プの 聖
者
が紹介
さ れ, そ れ らの 聖者た ちが, 同 国 家 形成の た めの 地 方の 文 明化 とい
う使命
, (b)
仏教
の維持
と拡大
, (c)改 革 者と してまた千 年.
E
国の 実 現 をめ ざして既成の 政治
的 ・宗
教 的秩 序に立 ち向か う, とい
う役割
を果た して きた こ とが指
摘 され る。 その うち(2Xc
)の事
例 と して, ミ ャ ンマ ーの gaing ,Karen
,Saya
San
の 反 乱や タ イのKhra
ba
Slwichai
,1899
一ユ902
年
の 北 タ イの反乱等
が紹 介さ れ る。 そ して (3
)ミ ャ ンマ ーの宗教
を 仏 教 と アニ ミズム とい う形で 二 元 論 的に と らえる立 場か ら gaing を密
教的
仏教
と規定
し, その 密 教 的仏 教に練 金術 的な実 践に基づ く終
末 論 的仏 教 と既 成 の 秩 序 に立 ち向か うr
年王国 的 仏 教がある とするSpiro
の 二元論
的理解を批判
し, それ ら は む しろ 全体
性 と して の 仏 教の 異 なる状 況 ・側面 にお け る現れ と して と らえるべ きで ある と されてい る。 そ し て最 後に 東南 ア ジ ア の 千年
王 国的 仏 教に は弥勒等
の 未 来仏 に対 する信 仰 と未 来の 輪 転聖王 に対
する信 仰 と いう
1
つ の もの が とけ あっ て お り, その構
造は ま さに東
南ア ジア の仏教
国家
N工 工一Eleotronlo Llbrary
86
=聟二ニ リt
−lt
.1
ゴム鏨文イ墜謎一 に お け る王権
の構 造 と同一 であるが ,千年
王国
的仏 教は仏 教 国 家に対 抗 する もの であ
っ て, 仏 教 国家の腐 敗 堕 落に回復 と復 興 を もた ら そ うとす る運動で ある こ とが指摘 さ れ て い る。次
に21
章
「カ リス マ 的支 配の 源泉
:マ ッ クス ・ウェ ーバ ー再 考一で は, まず
ウェ ーバ ーの 一1
元論
, す なわ ち 「iu
:俗 内 的苦行
主義
と メ シ ア 的予言 者
」 (西欧の救済
の宗
教)
と 「世 俗 外 的 苦行 主 義 と模 範 者 的予 言者」 (東
洋の救
済の 宗教
)
とい うcognitlve −en1 。tional とい う :元論 に基づ く対比 は, 仏教におい て無 明,
知慧
,律
の持
つ 意 義 を十分 理解 してい ない もの で あ る と批判
して い る。 そして カ リス マ 的支
配 に関して も, そ れ が神の恩 寵 とし て の カ リス マ に基づ き , 既 成の 秩 序に挑
戦的
で ,個
人的
,・
時
的な不安
定な もの で ある と す る ウェ ーバ ーの カ リス マ概
念で は, 制 度 的な修 行の シス テム (苦 行 と瞑想 ) に基づ い て神の 介在な しに達成 さ れ る 仏教聖者の 超 自然 的 な力 とカ リス マ は 理解
しえ ない こ と になる としつ つ ,他方
で は ウェ ーバ ーの言 う
「 日常 化 され たカ リス マ 」 とい う考 えを発 展 させて,新
たにFig
.3
の ようなカ リス マ の 類 型化を行っ て い る。す
な わち, カ リス マ には まず, ユ ダヤ教 ・キ リス ト教 的な神
か らの贈 り物 と して選 ばれ た人に だけ備わっ て い る よう
な タ イプの カ リス マ と, 仏教 的 な修行
に よっ て 達 成 され る よ うな タイ プの カ リス マ が ある。 その うち酊者に は, メ シ ア的
な予言者
・指導
者に認め られる ような個人的 ・ 一時的
で不安定
な形
の カ リス マ(
あ るい は カ リス マ支
配) と, ロ ーマ法
E
に見
ら れる よう
な制度
化
され た形の カ リスマ (あるい はカ リ ス マ 支配)が ある。 一方後者
も,森
林 の 聖者
に見
られ るよう
な個 入 的 ・一時 的で不 安 定 な 形の もの と, ダライラマ や東 南ア ジ ア の仏教 的王 に見 られ る ような制 度 化 さ れた形の もの が ある と さ れ る の で あ る。最
後
に22
章
厂カ リス マ の 対象
化 と物の 物 神 化」 で は まず, ウェ ーバ ーが カ リス マ が物に宿
るこ とを見 落と して い た点を問題 に し て い る。 そして タイの 呪物が 聖者の カ リス マ を宿 して物 神 化 され る社 会 的サイ クル には ,〔1
)在 家が布施
で功徳
を積み その 見 返 りとして福 田で ある出 家か ら呪物
を授
か る といNII-Electronic Library Service
< 'in/tt'n[>T,Pt.e.,..BuddhistSaintsof theForestandtheCultofAmttlets,
87
Figure
3,The
sources ofcharismaticleadershipSeurceef charisma:
relationship totranscendentalseurces
Judaeo-Christian:
giftof gracefromGod;
elective
rr
femporar.y.unslable, messianic leadership;
biblicalprophets;Joan
of Arc:etc,
Instituliona!ized
through apostolic succession:
pope;also divinckingship
``king's twe bodies"
Buddhist:
achieyed sa]vation and
supranormal powers Bvddhist: ascetlc salnts, arahants LLInstitutionalized'' reincarnation of bodhisattva,
DalaiLama, and
Buddhist kingsof
v
SoutheastAsia
Figure
4,The
semiotics offetishismofobjectsCenmioditytypeanc Doniinnntva]ue velecityofexc/hangeBasisoicontrolKincioffetishismSourceofctharisffia ttt orientation "'esterneapi-Highvelocityofex-ExehangcriclesonHighi),impersonalA]legedspiritofen-Centralityefeenspl-talist/ change/highconi-expieilRtlonofsecietywhe'ethetrepreneurshipandcuouscensumption eonimodity'nlnclitl,aCCII]]]Ll].ltia91' producersandrelatiensbetweencapita[istethic;high-forsocietyatlarge;
E..xc:ha-geihi,grhcoisumption/h,bor, objectsstandforre-lvinciividua[ized' Lhecentrn]ityof productionaeeord・ /latiensbetweenniencOnception,opelTLo"ethicofwork"for
ingtoaplannedoo- 'Anrlactasindexetha[1, entrcprencursas
solescence.
i'Of3ocia]e]ass,'
'justificatioT,.ofsuc-1wealtht'power, t:e$s.
'
Trobriand/Highvelocityefelr-Exchangreultti-HighlyI]erso"a]izedControlof''bcautyCentralits,ofachiev- ' }euia cu}ation'durable' ffLHte.Tvridesonsocietvwhercex・ ' magie"'highl,yindi-mg"renown''(butum)/
exehnngevaliiables/historicexploitationofchangeefvaluablesvidua]izedtoneep-dynamicvo]ati[eac-objects. kin, objeetifiesseductianLion,opeiito:ill.tionenhighseas:
!contro]ouer questfor"immortal-strHnger-partners. ltY," 't..-.. tttnttttt.. Thailand:FairlyhighvelocityExchan,geridesonHis,hlypersonaiizedDisinterestedasce-CentralitytoBuddh- amulettradeuftel'eonverslontodifferentia]rank,butstratifiedsocietv'tics",hotrnnscendistmonkofascetic- tradeobjects:per-poweranclweaithwhereobjectsassociety:h{ghlyindi-ismaspathto]i-sonalaccumulatinn''ofex-snersl'spon-sedirmentatiensei'vidua]ized;opentoi)eration,wisdom,
hisLnric[]bjects,sors, virtucindexmeritall. :mdcompassionate
L'.ierarchyHnden-' "detachedaetion." ;lbtpL/ontr{)]of Centralittrof'rnerit others. makingt"for]ur'men, / whosepo"'eren- ablesaceesstc)con-: sumptlonofsK)ods 1/ andaffirrnstheir merlt,
88
パ ー一リ学仏 教 文 化 学う
, 仏教の 解 脱へ の 方向
に沿っ た形の サ イク ル(
上昇方向
) と, (2
)聖者
の精
神的 ・超 越 的力が 呪物を通 して 政治 的 ・経 済 的 利 益の 獲 得 とい う物 質 的レベ ル へ と下 っ て くる とい う ド降 方 向の サイクル が あ り,後
者の 場 合 には呪物 は布施
と慈 悲 とい う文脈か ら交
易 と利益
の文
脈に移動
し て商晶
となっ て い る と い う点に注目 し,物神化
され た物の 交換 とい う観 点か ら, 資本主義 社 会にお ける 商品の交換
, トロ ブ リ ア ン ド諸島
にお け る ク ラの 交換, タイにおける呪 物の交 換が持つ 意味 論的 な 相 違 の 比較 をFig
,4
の よ うに行っ て い る。(
た だ しFig
.4
につ い ての詳
しい説
明はない)
。そ して 最 後に, タイに おける近
年
の カ リス マ信仰
や呪物信仰
の 流行
, お よ びその信 者が都 市の 支 配者 層で ある こ とに触
れ ,こ の ような 流行
の背後
に は , タ イの 支 配 者層の 正統
性が疑問視さ れる ように な り支 配 者 層が 自信 を失 っ て い る とい う政 治状 況, 具体
的には, 〔1
)イ ン ドシ ナ 三国の 共 産化
とそ れに と も なうサ ン ガの 崩壊 とい う外 的政 治 状 況と, (2
)1973
,1976
年
の 学生反 乱, モ室 の 政治介
入, 自山化
へ の軍部
の反 対 ,1976
年以来の軍 部に よる国 家 支 配等の 内 的政治 状 況がある こ とが指
摘 さ れ て い る。 皿 .本書
の論考
に対 す
る若
干
の疑 問点
以 ヒ
Tambiah
の 所 説 を紹 介 して きたが, まず 全体
と して彼の タ イ仏 教 理解
につ い て 強 く感 じられ るの は, (ユ)仏 教の 一二元 論 的な理解を排 し て仏 教を民俗信仰
を もそ の 中に含み込 んだ全 体 性と し て理解 し よ うとする態 度 と, (2
淙 教 現 象お よ び そσ)変化
を現実
の 政治
状 況 との 関 わ りで 理解 して い こうとする 態 度である、、 こ の ような態度の な かで も特に後
者の 態度 は, ス リラ ン カの 仏 教をで きるだけ宗
教の枠内
で 処 理 しよう
と し, 仏 教 を社 会状 況 との 関わ りで と ら えるこ とは あっ て も, 現 実の 政治状 況 との 関わ りを直
接問 題 にする こ と はで き る だ け 避 け ようと して い る よ うに思 わ れ るGombrich
,Obeyesekerc
の 仏教
理解 と は か な り対 照 的 な態 度で ある よ うに思 われ る。その よ うな態 度の 違い , さら に は同 じ上座 仏 教 圏で はあっ て もタ イ とス リ ラ ン カ とい う地 域 の 違い に よ る現 象 の 相 達 もあ っ て の こ と だ ろ うが ,
NII-Electronic Library Service
〈 警司三≧ 塾8 β7己鋸 腮 ぶ 毋7謝 oμ触 Fρ}襯 α塵 !塵 α卿oμ 塑 燃 ・
89
Gombrich
,Obeyesekere
等は, その 書 評の 中で か な り厳
し くTambiah
を批
判し て い る。 そ こ で まず, 彼らの 批 判の い くつ か を紹
介
す る こ と か ら始
め る こ とに したい ,,1
.事 実 誤認と ミスその 批 判の
第
・点
はTambiah
の犯
した事
実誤
認 と ミス , 特に 第一部の 占 典 的な文献
を扱
っ てい る箇所
に関す
る事実誤認
と ミ ス に関 して である。 た と えば, (1
月 懴 紀以前に仏 典が サ ン ス ク リッ トで書か れ た こ と な ど な く, また 中 国に仏教が伝わ っ たの は早 くて68
A
.D
.で あるに もかか わ らず ,Tambiah
は303
B
.C
.にサ ン ス ク リッ トの 仏典
が漢
訳さ れた と書い て い る。 (2 )出家 僧 を意 味 する シン ハ ラ語himi
を個人名
だ と思い 込 んでい る。 (3
)十 戒の うちの ・つ は独 身
禁 欲 生 活だ が,十 戒 を守る在
家が妻
と子供
を もっ て い る と され る。 (4
.)Ratana
・Sutta
か らの 引用 と されて い る箇所の うち30
行
はずっ とあとの注釈
か らの もの で あ る。 (5
)Zl
次 資 料 に依 拠 しす ぎて お り, た とえばLamotte
,HistoiTe
du
Buddh
・tsme
lndien
pp .765
−70
は参
照箇
所 と なっ て い る が,実際
には文
章
を少
し変
えて英 訳 しただ けで その ま ま使っ てい る。 1〔6
)仏教
の テ クニ カ ル ・タ ー ム と 庵史
的 人 物 の つ づ りが 一一貫 し て 誤 っ て い る 等々 で あ る。[
Gombrich
ユ985
]
2
。仏
教教義
理解 に関 する問 題 点第二
点
は仏教
の伝 統
的な教 義 に 関 す る 理 解 に 関 わ る 問 題 で あ る。 (1
}Tambiah
は, すで に紹 介
し た よう
に,現 代
の 聖 者が備 えて い る とされ る超 自然 力 との関わ りで,伝
統的 仏 教 の 教 義の 中ですで に阿羅 漢には神
通力
が 認 め られ てい た という
典 拠 として 『清 浄道 論』 を, ま た呪物が持つ 呪 力の根 拠 を示 す 典 拠 と して 『大 般 涅 槃 経』 をあ げてい る [本書
評80
頁
,83
頁]
。 し か しこ れ らの 文献は, 全体の コ ン テ キス ト か らい え ば ,神 通 力や呪 力を示す こ とを む しろ否 定し諫め てい る もの で あ っ て,Tambiah
の 意図 を裏 付 ける も の と は な ら ない であろ う。 (2
)Tambiah
は 「学
問 に関心 を 示さず 瞑 想に専 念 す る森 林 僧」 と 「学 問に従事
する町や村の 出家僧
」 とい う対 比 をして い る が , N工 工一Eleotronlo Llbrary
go
一つ一1
と曁払教文江壁: ス リ ラ ン カの 森 林 僧は 「 学 問 と瞑想 に専 念 する 出家僧
」 で ある。 仏 教は ,師 に従 うの で は な くて教理(
つ ま り本,学
問)
に従
えと仏 陀 自身
が説い て い る ように t 学 問に基づ く宗教
に限定
される もの で はない に して も, 本 質 的には 学 問 (教理)
に基づ く宗
教で ある。 学 問に 関心を示さ ない 出家 僧 など とい う もの が 果た してあ りうる のだろ うか ?[
Obeyesekere
!985
]3
.歴史的事実
に関 す る問 題第三点は歴 史的
事
実に関 する問題で ある。 た とえば(1
)(a)Keyes
は, 現 在の ような形の森
林の 聖者
は19
世紀 後 半
お よ び20
世紀
に考 案 された もの で ある と して い る 。 一.・方 Tambiah
は森 林僧
の伝 統
は古
くか ら存在
し そ れ が現 在 につ なが っ てい る と理 解 して い る。 この 場 合 少な くと もKeyes
の仮 説 に言 及 し, それ を批判
した上で論議
が展
開さ れ るべ きであるが ,Tambiah
はKeyes
の仮説
に は まっ たく答
えてい ない 。 (b
)また呪物
も, その 起 源は確
か に古
い が, 現在
の よう
な形
の呪物
は19
毋紀後
半か ら20
世 紀に か けて の新 しい もの で あ る。 回 従っ て ,森林
の 聖者
に して も呪物
信 仰 に して も, 近代 タイ国
家の 発生 に 関連 するある種
の 仏教
ル ネッ サ ン ス と関わ りが ある こ とが 一方で は予想
さ れ る が, その点
につ い て は な ん ら触れ られてい ない 。[
Carrih
匸ers1985
]
(2
) ま た,Tambiah
は森
林 僧の もつ 超 自然 力お よび 呪物 の もつ 呪力
との関わ り で, タ イの 出家
僧の 問に タ ン ト ラ的 な実践があっ た という
理解
を示してい る が , そ のような実 質 的証 拠はない の で は ない か。 また もしあっ た と して も , そ れ は伝統 的
な仏教
の タ ン トラ的
な 要素
の 反映
で は な くて, 民 間信仰
の呪 術 に山 来する もの なの で はない か(
た とえ ばス リ ラ ン カ では呪術に従 事 する の は出 家僧で は な くて 別の 職 能 者で ある)
。 また, 仏 教が タ ン トラ的 な もの ある い は呪術 と結びつ い た ときに は,絶
えず
仏教
正統 派
の側
か らの 批 判の動
きが 生 ずる もの で ある が,Tambiah
は こ の よう
な動 きにまっ た くふ れて い ない 。 現在タ イで この ような批 判が 果 た して存在
し ない の で あろ うか 。 (3
>ま たTambiah
は, 千年 王 国 的イム教は仏 教に固有
の もの で あ り, 既 成 仏 教が硬 直化
した と きにそ れ に対抗
する もの として定
期的 に生 ずる もの だ と して い る。 しか しだ とすれ ば ,同 じ上座 仏 教 圏にあ りなが らも千年
王国 的仏 教の 存NII-Electronic Library Service < 書』評> The Bttctdhist∫伽撹 s of the Forest and the Ci慮 oノハ}川娘 瘤
91
在 し な か っ た ス リ ラ ン カ の 場 合 に は ど
う考
えれ ば い い の だ ろ うか。LObeyesekerc
l985
]4
.仏 教 と政 治 的 ・経済的状
況 との 関わ躄
を
重視 する態
度に関
す登
邇
題 点第四点は
Tambiah
の仏教
を現
実の 政 治 的 ・経済的状況
との関
わり
で理解
してい こ うとする態 度 に関わ る 問 題 で ある。 (11Tambiah
は ,制度化
さ れ た サ ン ガ 内の 出家 僧お よび森
林僧が その後
援 者であるエ リー ト層の 政治
的 正統 性の根
拠 と され た と してい る“一 しか し な が ら, まず, 布 施を行い功徳
を積
む こ とによっ て布
施 者の 地 位が 高まる という
こ と はあっ て も, タイの軍 事 的, 宗 派 的動 き を別にすれば, タ イの エ リー ト層が体系
的な形で, 布 施 と功 徳 に よっ て そ 0)政治的 正統 性 を確立 した という証
拠は, 少 な くとも今 世紀に入 っ てか ら は存
在 しない 。 ま た ,森林 僧に対 してエ リ ー ト層が守 護, 金 ,力を求 め る こ と は あ っ て も,体系
的 な形で 政治 的正統性
の根拠
を森
林 僧 に求め た と い う 事 実 も 認 め ら れ な い[
Heinze
1986
;Obeyesekere
l985]
。 (2
)ま たTambiah
は, 森林僧 に多
大の 金 額 の 布 施が 経 済界 か ら な さ れ, またLoan
Phan
の寺
院は護符
の売
り上 げで建 設 された等
の,森林僧
の経 済
的動 機
を 一 方 で は強 調 しつ つ も,他 方で はLaan
Phal1
の アー一シ ュ ラ マ お よび寺 院 を仏教
的宇宙
論に基づ く小宇宙
だ と とらえて い る。 しか し,護 符等
の売店
があ り 巡礼 者の 訪れ る こ の ア ー シュ ラマ は, その 経 済 的側 面 を同様
に考慮
す れ ば, 「 仏教 的デ ズニ ーラー一ン ド」 だ とも言 えるの で は ない か[
Obeyesekere
l986亅
。5
. 理論 的 問題一一 記 号論
の適用 とカ リス マ 論に関して以 上 さ まざま な批 判 を紹
介
し て きた。 しか しこの よ うな批 判に もか か わ ら ず,Tambiah
の 仕 事が高い 評 価 を受
けて き た 理由の 一つ に は ,彼
の す ぐれ た理論
的態 度 あるい は理論
的構
築の卓
抜 さがあっ た もの と思 わ れ る。 そ こで 最後
に,彼
が聖 者 伝お よび呪物
の意味
を読
み解 くた めの 理論
的方法
と して用 い た記 号 論 の 適 用 と,最 終 的な 理論的 課 題 と して 提 示した カ リス マ 論の検
討 を行
っ て , この 霄 評 を終
わ りたい 。(
1
)記号論
の 適 用につ い て :すで に本 書 評77
頁,78
頁,83
頁で紹介
し た ように,
Tambiah
は, 流 行の 記号 論を駆 使 しなが ら, 聖者伝
をindexicai
symbol