Title 欧州統合の停滞と『欧州合衆国』構想 : ベルギーの欧州統合政策(二)
Author(s) 松尾, 秀哉
Citation 聖学院大学総合研究所紀要, No.45
URL http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_i d=2011
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欧州統合の停滞と﹃欧州合衆国﹄構想
︱ ︱ ベルギーの欧州統合政策︵二︶
松 尾 秀 哉
はじめに
人 類 史 上 稀 に 見 る 大 実 験 で あ る 欧 州 統 合 は︑ 欧 州 憲 法 条 約 の 批 准 を め ぐ っ て 加 盟 各 国 の 動 向 が 異 な り︑ こ こ 数 年 の 間︑若干の停滞期にあるといっていいだろう︒戦後から開始されたこの実験の歴史の重みを考えれば︑この停滞は微々 たるものかもしれない︒しかし︑総仕上げというべき憲法条約批准をめぐる近年の顛末が︑ヨーロッパ研究者のみなら ず国際政治学者︑国際政治経済学者らに︑この試みを再評価する機会を提供していることも確かである︒ 筆者は︑ベルギー内政の専門家として︑昨年来︑その立場から統合の歴史を再考しようとしてきた︒まず︑第二次世 界大戦以前の試みを検討し
に て﹃ 日 本︑ ヨ ー ロ ッ パ と 東 ア ジ ア ︱ ︱ 戦 略 的 パ ー ト ナ ー シ ッ プ と 地 域 統 合 ︱ ︱﹄ と い う 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム が 開 催 さ れ 同時に︑筆者は︑二〇〇八年一一月に︑科研費採択課題の資料調査のためベルギーを訪れたが︑運よくブリュッセル Spaak, Paul-Henri ︵ ︶の思想と当時のベルギー内政状況とを結びつけて検討しつつある︒ ︑現在︑大戦後からローマ条約︵一九五七年︶までの試みを︑その立役者といえるスパーク
1ており︑それに参加することが許された
そしてそれでもこの壁を乗り越え︑ え る 機 会 を 得 た︒ は た し て︑ 総 仕 上 げ の 段 階 で の こ の 停 滞 が 意 味 す る も の は な ん だ ろ う か︒ こ の 壁 は 巨 大 な 壁 な の か︒ ︒そのなかで︑先の研究計画を一時離れて︑現在の欧州統合の停滞について考
2Ver hofstandt, Guy De Ver enigde Staten van Eur op ホフスタット︵ ︶が記した﹃欧州合衆国︵ 的な問題を抽出することにある︒そのさい︑停滞の分析︑またそれを打破する提言として︑ベルギーの元首相︑フェル 小論の目的は︑主に︑現在︑批准否決国の国内要因レベルにとどまっている停滞の原因分析を︑より一般化し︑本質 U E が拡大と深化を続けるのだとすれば︑その推進力は何か︒
﹁欧州統合﹂政策理念を検討してみたい︒以下では︑まず近年の状況を概観する︒ さ ら に︑ 補 足 的 に︑ 筆 者 の 過 去 の 成 果 を 加 味 し な が ら︑ 今 ま で 欧 州 統 合 の 推 進 者 と 位 置 付 け ら れ て き た ベ ル ギ ー の 考えるからである︒ ニフェストを取り上げたい︒彼は憲法条約推進の最大の功労者の一人であり︑その提言から示唆を得ることができると a ︶﹄ ︵二〇〇五年︶というマ
3一︑欧州統合の停 滞
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フランスとドイツの対立解消を思想的な背景として︑第二次世界大戦後にベネルクス経済同盟を機に始まったと一般 的に理解される欧州統合は︑その後欧州経済共同体︑市場統合を目指した欧州共同体︑さらに政治統合を企図する欧州 連合へと歩みを進めてきた︒この間︑たとえば一九五三年の欧州防衛共同体構想がフランスの批准否決により発効しな かったことなどがあり︑決してその歩みが順調であったとは言い切れないものの︑それでも六〇年程度の間に︑フラン ス︑ドイツそしてイギリスが同じ﹁ヨーロッパ﹂の旗印のもとに集うことになったのは驚くべきことであり︑国民国家
を相対化する大実験は成功裏に進んだと言ってもいいだろう︒ しかし︑おおよそ二〇〇一年から︑その総仕上げともいうべき﹁欧州憲法条約﹂の起草︑採択︑批准作業に加盟国は 入り︑そのなかで加盟各国の︑若干の足並みの乱れが生じている︒いずれはこの混乱も収拾されるであろうが︑しかし 現下の混乱を解きほぐし︑停滞の原因と今後の課題を検討することは︑同時代人として必至である︒以下︑その混乱の プロセスを追ってみよう︒
(一)憲法条約の背景
憲 法 条 約 が 登 場 し た 背 景 に は︑
E U 拡 大 が あ る︒
が 加 盟 ︶︑ こ の 拡 大 に 対 応 し た り旧共産圏の東欧諸国が加盟することが予定されており︵二〇〇四年五月に一〇カ国︑のちの二〇〇七年一月に二カ国 ア︑フィンランドが加盟し一五か国が加盟する超国家的組織体となった︒この時点ですでに︑将来的な東欧拡大︑つま 八六年にスペイン︑ポルトガルが加盟した︒九二年のマーストリヒト条約以降︑九五年にはスウェーデン︑オーストリ ル ク セ ン ブ ル ク︑ オ ラ ン ダ ︶ に 加 え︑ 一 九 七 三 年 に デ ン マ ー ク︑ ア イ ル ラ ン ド︑ イ ギ リ ス が︑ 一 九 八 一 年 に ギ リ シ ア︑ E U は 原 加 盟 国 六 か 国︵ ド イ ツ︑ フ ラ ン ス︑ ベ ル ギ ー︑ イ タ リ ア︑
U E の ア イ デ ン テ ィ テ ィ と 機 構 の 改 革 ︱ ︱ よ り 具 体 的 に は︑
U E 大 統 領 お よ び
︱ ︱ に迫られていたのである の 設 置︑ 国 旗 や 国 歌 の 制 定 に 加 え︑ 新 規 加 盟 国 の 急 増 に よ る 欧 州 理 事 会 に お け る 意 思 決 定︑ 多 数 決 の あ り 方 の 見 直 し U E 外 相 数配分が決定された る加盟各国の票数配分が重要な論点となった︒ここにおいては︑結果的に議長国フランス主導による︑大国に有利な票 これらの問題が公に議論されたのは︑二〇〇〇年一二月にニースで開催された欧州理事会であり︑特に理事会におけ ︒
5︒
6そ の 後 ベ ル ギ ー が 輪 番 制 に よ っ て 二 〇 〇 一 年 七 月 か ら 議 長 国 に 就 任 す る︒ 二 〇 〇 一 年 一 二 月 に 開 催 さ れ た ラ ー ケ ン 欧 州 理 事 会 と︑ そ こ で 採 択 さ れ た ラ ー ケ ン 宣 言 は ベ ル ギ ー の 首 相︑ フ ェ ル ホ フ ス タ ッ ト の 尽 力 に 負 う と こ ろ が 大 き い と い わ れ て い る
Giscar d d’ ︒ そ の 結 果︑ 憲 法 条 約 草 案 作 成 の 手 続 き の た め に︑ フ ラ ン ス 大 統 領 ジ ス カ ー ル・ デ ス タ ン︵
7Estaing, Valér y René Marie ︶ を 議 長︑ イ タ リ ア の ア マ ー ト︵ Amato, Giuliano ︶︑ ベ ル ギ ー の デ ハ ー ネ︵ Dehaene, Jean Luc ︶︵ と も に 元 首 相 ︶ を 副 議 長 と す る﹁ 欧 州 の 将 来 に 関 す る コ ン ベ ン シ ョ ン︵ Convention on the Futur e of Eur ope ︶﹂ が 設 置 さ れ た︒ こ れ は︑ 閉 鎖 的 な 意 思 決 定 を 打 破 す る た め に︑ 政 府 代 表 以 外 も 加 わ る こ と を 可 能 と し た 会 議 で あ り︑
U E が 市 民 に よ り 近 い も の と な る こ と を 謳 っ た も の で あ る
一 に︑ こ こ ま で の ︒ ラ ー ケ ン 宣 言 の 成 果 は 大 き く 二 つ に ま と め ら れ よ う︒ 第
8さ れ て き た︒ ラ ー ケ ン 宣 言 と コ ン ベ ン シ ョ ン の 設 置 は︑ E U は 主 要 各 国︵ か つ 大 国 ︶ の 代 表 を 中 心 と し た 密 室 で の 意 思 決 定 が な さ れ︑ そ れ が し ば し ば 批 判
に わ か り や す く し よ う と し た と い う 点 で は︑ こ れ も ま た 計 画 が で き あ が っ た︒ ﹁ 簡 素 化 ﹂ は 必 ず し も﹁ 民 主 化 ﹂ を 意 味 し な い が︑ そ れ で も 統 治 ル ー ル︑ 意 思 決 定 ル ー ル を 市 民 の指針となっていた九二年のマーストリヒト条約を︑その複雑性ゆえに﹁憲法﹂の名のもとに簡素化︑一本化する行動 めることに成功した︒第二に︑従来の基本条約︑特に市場統合のルールとされていた五七年のローマ条約と︑政治統合 E U の 密 室 に よ る 意 思 決 定 を よ り 民 主 化 し︑ よ り 透 明 性 を 高 かし︑この﹁憲法条約﹂をめぐって欧州は混乱することになったのである︒ E U の 民 主 化 を 目 指 し た 試 み で あ る と 言 っ て い い だ ろ う︒ し
(二)憲法条約の批准反対
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先の﹁コンベンション﹂は二〇〇二年三月に開始され︑二〇〇三年七月に﹁欧州のための憲法を制定する条約案﹂が 発表された
︒その後最終草案が二〇〇四年六月に取りまとめられ︑一〇月二九日に︑加盟二五ヶ国の政府首脳は︑ロー
10マで開催された欧州憲法条約調印式において条約に署名した︒憲法上国民投票実施が義務となっているアイルランドを 除くほかのほぼすべての加盟国は︑政府主導で欧州憲法条約を批准し︑また欧州議会も圧倒的多数でそれを承認するこ とが期待された︒実際に欧州憲法条約を承認した加盟国の数は多数ある︒ し か し︑ 二 〇 〇 四 年 四 月 二 〇 日 に︑ イ ギ リ ス の ブ レ ア︵ Blair , T ony ︶ 首 相 が︑ 予 定 し て い な か っ た 国 民 投 票 の 実 施 を 宣言した︒これは野党︑保守党と自由民主党とが︑ともに国民投票実施を支持していたからだとされる︒当時のイギリ ス貴族院では︑この両党が多数を占めていた︒そのため貴族院の動向如何によっては︑批准手続きを総選挙後まで遅ら せることができた︒もしそうなれば︑与党である労働党は︑国民投票実施に反対する唯一の政党という立場で総選挙を 迎えることになる︒それを回避するために︑ブレアは国民投票実施を認めたとされている︒ ま た︑ イ ギ リ ス が 国 民 投 票 を 実 施 す る こ と を 決 め た こ と で︑ フ ラ ン ス の シ ラ ク︵ Chirac, Jacques René ︶ 大 統 領 も フ ランスで国民投票を実施する決定をした︒さらにドイツでは︑国民投票を実施しない場合の批准の法的効力を司法が審 議していたところであったため︑議会が批准を承認しても︑連邦大統領はただちに批准を承認しはしなかった︒あえて 名づけるならば︑イギリスを機に始まった︑ ﹁負の連鎖反応﹂である︒ 結局︑二五加盟国と二加盟予定国︵当時︶のうち︑五か国で国民投票が実施され︑スペイン︑ルクセンブルク︑ルー マニアでは欧州憲法条約批准が支持されたが︑既によく知られているように︑二〇〇五年︑フランス︵五月二九日︶と オランダ︵六月一日︶で批准が拒否された︒オランダの国民投票は︑本来法的効力を持たないものであったが︑政府は 投票結果を受けて欧州憲法条約を批准しないと表明したのである︒ さらにフランスでの国民投票を受けて︑批准手続きが延期または凍結された加盟国も現れ︑結局︑直後の欧州理事会 において︑この問題を再検討する﹁熟慮期間﹂が置かれることになったわけである︒ その後の動向は後に記すこととするが︑フェルホフスタットは︑この間ベルギーの首相であり︑前述のように︑ラー
ケン宣言︑憲法条約起草の﹁コンベンション﹂の構成に尽力したと評価される︒そしてフランスとオランダが憲法条約 の批准を否決した後に彼が記したマニフェストが﹃欧州合衆国﹄である︒つまり︑憲法条約の推進者が︑その否決を受 けて︑方向性を記した政策提言であるといえる︒以下︑その内容を簡単に紹介するが︑その前に︑この﹁停滞﹂がわれ われに提起している︑地域統合理論上の問題について検討しておきたい︒
二︑理論的問題 ︱ ︱ 新機能主義と政府間主義 ︱ ︱
欧州においてなぜ統合が進んだかという問いは︑欧州研究者のみならず国際政治︑国際政治経済学者の︑戦後の最も 重 要 な 問 題 の ひ と つ で あ っ た と 言 っ て も い い だ ろ う︒ そ の 理 論 は︑ 大 き く 二 つ あ り︑ ひ と つ は﹁ 新 機 能 主 義 ﹂︑ も う ひ とつが﹁政府間主義﹂である︒前者は︑国家︵政府︶下の行動主体の役割を重視し︑経済分野におけるある
00政策協調が 各主体へ利益を与えることによって︑他の分野にも協調が波及︵ spill over ︶することを理由に︑欧州統合の進展を説明 する︒ 他方で︑後者は︑むしろ政府︑国家の影響力を重視する︒つまり︑各国家の主権が維持されることを前提に︑それに 抵触しない範囲で︑むしろ国家の経済的利益を拡大する側面において統合が進んできたと主張する︒逆に言えば︑各国 家の利益や主権を侵害する場合には︑統合は停滞するということになる︒ こ れ ら の 議 論 は︑ そ の 後︑ 多 様 な 展 開 を 見 せ 修 正 さ れ て い る が︑ い ず れ に せ よ ジ ー ニ︵ Cini, Michelle ︶ が 述 べ る よ うに︑この多様性は欧州統合過程の歴史的状況を反映している︒つまり経済統合が順調に進んでいる時代には新機能主 義が有力な理論となっていた︒逆に欧州の政治統合に向けた一時的停滞期においては後者が有力となっていった
︒
11なお︑筆者は︑従来近年のベルギーの﹁国家分裂危機﹂を研究する立場として︑マーストリヒト以降の欧州の政治的 ﹁ 制 度 化 ﹂ が︑ ベ ル ギ ー 政 府 の 政 策 オ プ シ ョ ン の 範 囲 を 狭 く す る と 仮 定 し︑ そ れ が ベ ル ギ ー 政 府 の 政 策 を 限 定 か つ 国 内 の 政 治・ 社 会 問 題 へ の 対 応 を 遅 ら せ た と 論 じ た こ と が あ る
︒ つ ま り︑
12institutionalism い う 視 点 で は あ る が︑ い わ ゆ る﹁ 制 度 論︵ ︶﹂ の 立 場 を 採 る U E の 深 化 が 及 ぼ す 国 内 政 治 へ の 影 響 を 測 る と も制度の︑政治的主体の行動に対する拘束力を論じたものとして同様の範疇にある ガン︑サッチャーなどの代表的な新保守主義政治的リーダーでさえ︑大幅な福祉縮減は不可能であったと示した︒これ Pierson, Paul で あ り︑ た と え ば ピ ア ソ ン︵ ︶ も︑ 福 祉 制 度 が い っ た ん 成 立 す れ ば︑ そ の 受 益 者 の 抵 抗 が あ る た め︑ レ ー もとでは︑政治的主体の行動は︑ある程度︑当該制度を維持ないし進める方向へと行動を規定されてしまうという議論 ︒ こ れ は︑ す な わ ち︑ 固 定 的 な﹁ 制 度 ﹂ の
13Gar rett, Geof fr ey 進展を論じるものとしては︑ギャレット︵ ︶らのものがある ︒さらに︑この立場から欧州統合の
14﹁ 停 滞 ﹂ は︑ 制 度 論 の 理 論 的 前 提 ︱ ︱ 筆 者 は︑ こ う し た 制 度 の 拘 束 力 が マ ー ス ト リ ヒ ト 以 降 に 強 固 に な っ た と 考 え た が︑ そ う で あ っ た と し て も︑ 近 年 の ︒
15改めて︑今回の停滞は精査されねばなるまい E U の 政 治 的 制 度 化 に よ る 国 内 政 治 に 対 す る﹁ 縛 り ﹂ ︱ ︱ を 超 え た も の で あ る︒
下のようなものである︵ 表 現在のところ言われている︑フランス︑オランダの批准反対の理由は︑ユーロバロメーターの調査結果によれば︑以 ︒
16タットの提言を見てみよう︒ る 問 題 を 念 頭 に お い た と き︑ わ れ わ れ は も う 一 歩 先 に 進 む 必 要 が あ る︒ そ の た た き 台 と し て︑ 推 進 者︑ フ ェ ル ホ フ ス つまり︑現状の﹁停滞﹂分析は︑各国レベルのそれにとどまっていると言っていいだろう︒先の包括的な理論におけ 1 ︶︒
三︑フェルホフスタットの提言
こ の 小 冊 子 は︑ ﹁ 欧 州 は 現 在 危 機 の な か に あ る︒ 単に一過性の台風のようなものではなく︑欧州﹇統 合﹈計画自体が深刻な問題に直面している
た が︑フランスとオランダの国民投票で明らかになっ ように⁝欧州に少しずつ広がっていた潜在的な不満 彼 の こ う し た 問 題 意 識 は︑ ﹁ 一 般 に 知 ら れ て い る 激的な一文で始められる︒ ﹂との刺
18配 さ れ て い く 大国︑すなわち米国︑中国︑インド︑日本により支 な の で は な い︒ よ り 深 刻 な 問 題 は︑ ﹁ 世 界 が 四 つ の ランダの批准否決にともなう統合の停滞だけが問題 ﹂ことを契機としている︒しかし︑フランスとオ
19﹂ な か で︑ ﹁ こ ん に ち︑
20に分断しつつあり︑経済的に弱くなった E U は 政 治 的 る で あ ろ う︑ グ ロ ー バ ル 化 し て い く 世 界 に お け る︑ る︒ 今 回 あ ら わ に な っ た 意 見 の 相 違 に よ っ て 生 じ ﹂ことにあ
21国 フランス オランダ
1 位 フランス企業の移転など雇用への悪
影響(31%) [憲法条約が難解であり]情報の不 足(32%)
2 位 高失業率(26%) 国家主権の喪失(18%)
3 位 自由主義経済の偏重(19%) 政府・政党への不満(14%)
4 位 大統領・政府・政党への不満(18%) 欧州統合にかかるコスト(13%)
5 位 社会政策の不備(16%) 欧州統合自体への反対(8%)
6 位 条約の複雑性(12%) オランダ企業の移転など雇用への悪 影響(7%)
7 位 トルコ加盟反対(6%) 憲法条約の良い点がわからない
(6%)
8 位 国家主権の喪失(5%) 憲法条約の複雑性(6%)
表1 フランスとオランダの否決理由 ( )は%(17)