• 検索結果がありません。

欧州統合の停滞と『欧州合衆国』構想 : ベルギーの欧州統合政策(二) 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "欧州統合の停滞と『欧州合衆国』構想 : ベルギーの欧州統合政策(二) 利用統計を見る"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Title 欧州統合の停滞と『欧州合衆国』構想 : ベルギーの欧州統合政策(二)

Author(s) 松尾, 秀哉

Citation 聖学院大学総合研究所紀要, No.45

URL http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_i d=2011

Rights

聖学院学術情報発信システム : SERVE

SEigakuin Repository for academic archiVE

(2)

欧州統合の停滞と﹃欧州合衆国﹄構想

︱ ︱ ベルギーの欧州統合政策︵二︶

松  尾  秀  哉

はじめに

人 類 史 上 稀 に 見 る 大 実 験 で あ る 欧 州 統 合 は︑ 欧 州 憲 法 条 約 の 批 准 を め ぐ っ て 加 盟 各 国 の 動 向 が 異 な り︑ こ こ 数 年 の 間︑若干の停滞期にあるといっていいだろう︒戦後から開始されたこの実験の歴史の重みを考えれば︑この停滞は微々 たるものかもしれない︒しかし︑総仕上げというべき憲法条約批准をめぐる近年の顛末が︑ヨーロッパ研究者のみなら ず国際政治学者︑国際政治経済学者らに︑この試みを再評価する機会を提供していることも確かである︒ 筆者は︑ベルギー内政の専門家として︑昨年来︑その立場から統合の歴史を再考しようとしてきた︒まず︑第二次世 界大戦以前の試みを検討し

に て﹃ 日 本︑ ヨ ー ロ ッ パ と 東 ア ジ ア ︱ ︱ 戦 略 的 パ ー ト ナ ー シ ッ プ と 地 域 統 合 ︱ ︱﹄ と い う 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム が 開 催 さ れ 同時に︑筆者は︑二〇〇八年一一月に︑科研費採択課題の資料調査のためベルギーを訪れたが︑運よくブリュッセル Spaak, Paul-Henri ︵ ︶の思想と当時のベルギー内政状況とを結びつけて検討しつつある︒ ︑現在︑大戦後からローマ条約︵一九五七年︶までの試みを︑その立役者といえるスパーク

1

(3)

ており︑それに参加することが許された

そしてそれでもこの壁を乗り越え︑ え る 機 会 を 得 た︒ は た し て︑ 総 仕 上 げ の 段 階 で の こ の 停 滞 が 意 味 す る も の は な ん だ ろ う か︒ こ の 壁 は 巨 大 な 壁 な の か︒ ︒そのなかで︑先の研究計画を一時離れて︑現在の欧州統合の停滞について考

2

Ver hofstandt, Guy De Ver enigde Staten van Eur op ホフスタット︵ ︶が記した﹃欧州合衆国︵ 的な問題を抽出することにある︒そのさい︑停滞の分析︑またそれを打破する提言として︑ベルギーの元首相︑フェル 小論の目的は︑主に︑現在︑批准否決国の国内要因レベルにとどまっている停滞の原因分析を︑より一般化し︑本質 U E が拡大と深化を続けるのだとすれば︑その推進力は何か︒

﹁欧州統合﹂政策理念を検討してみたい︒以下では︑まず近年の状況を概観する︒ さ ら に︑ 補 足 的 に︑ 筆 者 の 過 去 の 成 果 を 加 味 し な が ら︑ 今 ま で 欧 州 統 合 の 推 進 者 と 位 置 付 け ら れ て き た ベ ル ギ ー の 考えるからである︒ ニフェストを取り上げたい︒彼は憲法条約推進の最大の功労者の一人であり︑その提言から示唆を得ることができると a ︶﹄ ︵二〇〇五年︶というマ

3

一︑欧州統合の停 滞

4

フランスとドイツの対立解消を思想的な背景として︑第二次世界大戦後にベネルクス経済同盟を機に始まったと一般 的に理解される欧州統合は︑その後欧州経済共同体︑市場統合を目指した欧州共同体︑さらに政治統合を企図する欧州 連合へと歩みを進めてきた︒この間︑たとえば一九五三年の欧州防衛共同体構想がフランスの批准否決により発効しな かったことなどがあり︑決してその歩みが順調であったとは言い切れないものの︑それでも六〇年程度の間に︑フラン ス︑ドイツそしてイギリスが同じ﹁ヨーロッパ﹂の旗印のもとに集うことになったのは驚くべきことであり︑国民国家

(4)

を相対化する大実験は成功裏に進んだと言ってもいいだろう︒ しかし︑おおよそ二〇〇一年から︑その総仕上げともいうべき﹁欧州憲法条約﹂の起草︑採択︑批准作業に加盟国は 入り︑そのなかで加盟各国の︑若干の足並みの乱れが生じている︒いずれはこの混乱も収拾されるであろうが︑しかし 現下の混乱を解きほぐし︑停滞の原因と今後の課題を検討することは︑同時代人として必至である︒以下︑その混乱の プロセスを追ってみよう︒

(一)憲法条約の背景

憲 法 条 約 が 登 場 し た 背 景 に は︑

E U 拡 大 が あ る︒

が 加 盟 ︶︑ こ の 拡 大 に 対 応 し た り旧共産圏の東欧諸国が加盟することが予定されており︵二〇〇四年五月に一〇カ国︑のちの二〇〇七年一月に二カ国 ア︑フィンランドが加盟し一五か国が加盟する超国家的組織体となった︒この時点ですでに︑将来的な東欧拡大︑つま 八六年にスペイン︑ポルトガルが加盟した︒九二年のマーストリヒト条約以降︑九五年にはスウェーデン︑オーストリ ル ク セ ン ブ ル ク︑ オ ラ ン ダ ︶ に 加 え︑ 一 九 七 三 年 に デ ン マ ー ク︑ ア イ ル ラ ン ド︑ イ ギ リ ス が︑ 一 九 八 一 年 に ギ リ シ ア︑ E U は 原 加 盟 国 六 か 国︵ ド イ ツ︑ フ ラ ン ス︑ ベ ル ギ ー︑ イ タ リ ア︑

U E の ア イ デ ン テ ィ テ ィ と 機 構 の 改 革 ︱ ︱ よ り 具 体 的 に は︑

U E 大 統 領 お よ び

︱ ︱ に迫られていたのである の 設 置︑ 国 旗 や 国 歌 の 制 定 に 加 え︑ 新 規 加 盟 国 の 急 増 に よ る 欧 州 理 事 会 に お け る 意 思 決 定︑ 多 数 決 の あ り 方 の 見 直 し U E 外 相 数配分が決定された る加盟各国の票数配分が重要な論点となった︒ここにおいては︑結果的に議長国フランス主導による︑大国に有利な票 これらの問題が公に議論されたのは︑二〇〇〇年一二月にニースで開催された欧州理事会であり︑特に理事会におけ ︒

5

6

(5)

そ の 後 ベ ル ギ ー が 輪 番 制 に よ っ て 二 〇 〇 一 年 七 月 か ら 議 長 国 に 就 任 す る︒ 二 〇 〇 一 年 一 二 月 に 開 催 さ れ た ラ ー ケ ン 欧 州 理 事 会 と︑ そ こ で 採 択 さ れ た ラ ー ケ ン 宣 言 は ベ ル ギ ー の 首 相︑ フ ェ ル ホ フ ス タ ッ ト の 尽 力 に 負 う と こ ろ が 大 き い と い わ れ て い る

Giscar d d’ ︒ そ の 結 果︑ 憲 法 条 約 草 案 作 成 の 手 続 き の た め に︑ フ ラ ン ス 大 統 領 ジ ス カ ー ル・ デ ス タ ン︵

7

Estaing, Valér y René Marie ︶ を 議 長︑ イ タ リ ア の ア マ ー ト︵ Amato, Giuliano ︶︑ ベ ル ギ ー の デ ハ ー ネ︵ Dehaene, Jean Luc ︶︵ と も に 元 首 相 ︶ を 副 議 長 と す る﹁ 欧 州 の 将 来 に 関 す る コ ン ベ ン シ ョ ン︵ Convention on the Futur e of Eur ope ︶﹂ が 設 置 さ れ た︒ こ れ は︑ 閉 鎖 的 な 意 思 決 定 を 打 破 す る た め に︑ 政 府 代 表 以 外 も 加 わ る こ と を 可 能 と し た 会 議 で あ り︑

U E が 市 民 に よ り 近 い も の と な る こ と を 謳 っ た も の で あ る

一 に︑ こ こ ま で の ︒ ラ ー ケ ン 宣 言 の 成 果 は 大 き く 二 つ に ま と め ら れ よ う︒ 第

8

さ れ て き た︒ ラ ー ケ ン 宣 言 と コ ン ベ ン シ ョ ン の 設 置 は︑ E U は 主 要 各 国︵ か つ 大 国 ︶ の 代 表 を 中 心 と し た 密 室 で の 意 思 決 定 が な さ れ︑ そ れ が し ば し ば 批 判

に わ か り や す く し よ う と し た と い う 点 で は︑ こ れ も ま た 計 画 が で き あ が っ た︒ ﹁ 簡 素 化 ﹂ は 必 ず し も﹁ 民 主 化 ﹂ を 意 味 し な い が︑ そ れ で も 統 治 ル ー ル︑ 意 思 決 定 ル ー ル を 市 民 の指針となっていた九二年のマーストリヒト条約を︑その複雑性ゆえに﹁憲法﹂の名のもとに簡素化︑一本化する行動 めることに成功した︒第二に︑従来の基本条約︑特に市場統合のルールとされていた五七年のローマ条約と︑政治統合 E U の 密 室 に よ る 意 思 決 定 を よ り 民 主 化 し︑ よ り 透 明 性 を 高 かし︑この﹁憲法条約﹂をめぐって欧州は混乱することになったのである︒ E U の 民 主 化 を 目 指 し た 試 み で あ る と 言 っ て い い だ ろ う︒ し

(二)憲法条約の批准反対

 

9

先の﹁コンベンション﹂は二〇〇二年三月に開始され︑二〇〇三年七月に﹁欧州のための憲法を制定する条約案﹂が 発表された

︒その後最終草案が二〇〇四年六月に取りまとめられ︑一〇月二九日に︑加盟二五ヶ国の政府首脳は︑ロー

10

(6)

マで開催された欧州憲法条約調印式において条約に署名した︒憲法上国民投票実施が義務となっているアイルランドを 除くほかのほぼすべての加盟国は︑政府主導で欧州憲法条約を批准し︑また欧州議会も圧倒的多数でそれを承認するこ とが期待された︒実際に欧州憲法条約を承認した加盟国の数は多数ある︒ し か し︑ 二 〇 〇 四 年 四 月 二 〇 日 に︑ イ ギ リ ス の ブ レ ア︵ Blair , T ony ︶ 首 相 が︑ 予 定 し て い な か っ た 国 民 投 票 の 実 施 を 宣言した︒これは野党︑保守党と自由民主党とが︑ともに国民投票実施を支持していたからだとされる︒当時のイギリ ス貴族院では︑この両党が多数を占めていた︒そのため貴族院の動向如何によっては︑批准手続きを総選挙後まで遅ら せることができた︒もしそうなれば︑与党である労働党は︑国民投票実施に反対する唯一の政党という立場で総選挙を 迎えることになる︒それを回避するために︑ブレアは国民投票実施を認めたとされている︒ ま た︑ イ ギ リ ス が 国 民 投 票 を 実 施 す る こ と を 決 め た こ と で︑ フ ラ ン ス の シ ラ ク︵ Chirac, Jacques René ︶ 大 統 領 も フ ランスで国民投票を実施する決定をした︒さらにドイツでは︑国民投票を実施しない場合の批准の法的効力を司法が審 議していたところであったため︑議会が批准を承認しても︑連邦大統領はただちに批准を承認しはしなかった︒あえて 名づけるならば︑イギリスを機に始まった︑ ﹁負の連鎖反応﹂である︒ 結局︑二五加盟国と二加盟予定国︵当時︶のうち︑五か国で国民投票が実施され︑スペイン︑ルクセンブルク︑ルー マニアでは欧州憲法条約批准が支持されたが︑既によく知られているように︑二〇〇五年︑フランス︵五月二九日︶と オランダ︵六月一日︶で批准が拒否された︒オランダの国民投票は︑本来法的効力を持たないものであったが︑政府は 投票結果を受けて欧州憲法条約を批准しないと表明したのである︒ さらにフランスでの国民投票を受けて︑批准手続きが延期または凍結された加盟国も現れ︑結局︑直後の欧州理事会 において︑この問題を再検討する﹁熟慮期間﹂が置かれることになったわけである︒ その後の動向は後に記すこととするが︑フェルホフスタットは︑この間ベルギーの首相であり︑前述のように︑ラー

(7)

ケン宣言︑憲法条約起草の﹁コンベンション﹂の構成に尽力したと評価される︒そしてフランスとオランダが憲法条約 の批准を否決した後に彼が記したマニフェストが﹃欧州合衆国﹄である︒つまり︑憲法条約の推進者が︑その否決を受 けて︑方向性を記した政策提言であるといえる︒以下︑その内容を簡単に紹介するが︑その前に︑この﹁停滞﹂がわれ われに提起している︑地域統合理論上の問題について検討しておきたい︒

二︑理論的問題 ︱ ︱ 新機能主義と政府間主義 ︱ ︱

欧州においてなぜ統合が進んだかという問いは︑欧州研究者のみならず国際政治︑国際政治経済学者の︑戦後の最も 重 要 な 問 題 の ひ と つ で あ っ た と 言 っ て も い い だ ろ う︒ そ の 理 論 は︑ 大 き く 二 つ あ り︑ ひ と つ は﹁ 新 機 能 主 義 ﹂︑ も う ひ とつが﹁政府間主義﹂である︒前者は︑国家︵政府︶下の行動主体の役割を重視し︑経済分野におけるある

00

政策協調が 各主体へ利益を与えることによって︑他の分野にも協調が波及︵ spill over ︶することを理由に︑欧州統合の進展を説明 する︒ 他方で︑後者は︑むしろ政府︑国家の影響力を重視する︒つまり︑各国家の主権が維持されることを前提に︑それに 抵触しない範囲で︑むしろ国家の経済的利益を拡大する側面において統合が進んできたと主張する︒逆に言えば︑各国 家の利益や主権を侵害する場合には︑統合は停滞するということになる︒ こ れ ら の 議 論 は︑ そ の 後︑ 多 様 な 展 開 を 見 せ 修 正 さ れ て い る が︑ い ず れ に せ よ ジ ー ニ︵ Cini, Michelle ︶ が 述 べ る よ うに︑この多様性は欧州統合過程の歴史的状況を反映している︒つまり経済統合が順調に進んでいる時代には新機能主 義が有力な理論となっていた︒逆に欧州の政治統合に向けた一時的停滞期においては後者が有力となっていった

11

(8)

なお︑筆者は︑従来近年のベルギーの﹁国家分裂危機﹂を研究する立場として︑マーストリヒト以降の欧州の政治的 ﹁ 制 度 化 ﹂ が︑ ベ ル ギ ー 政 府 の 政 策 オ プ シ ョ ン の 範 囲 を 狭 く す る と 仮 定 し︑ そ れ が ベ ル ギ ー 政 府 の 政 策 を 限 定 か つ 国 内 の 政 治・ 社 会 問 題 へ の 対 応 を 遅 ら せ た と 論 じ た こ と が あ る

︒ つ ま り︑

12

institutionalism い う 視 点 で は あ る が︑ い わ ゆ る﹁ 制 度 論︵ ︶﹂ の 立 場 を 採 る U E の 深 化 が 及 ぼ す 国 内 政 治 へ の 影 響 を 測 る と も制度の︑政治的主体の行動に対する拘束力を論じたものとして同様の範疇にある ガン︑サッチャーなどの代表的な新保守主義政治的リーダーでさえ︑大幅な福祉縮減は不可能であったと示した︒これ Pierson, Paul で あ り︑ た と え ば ピ ア ソ ン︵ ︶ も︑ 福 祉 制 度 が い っ た ん 成 立 す れ ば︑ そ の 受 益 者 の 抵 抗 が あ る た め︑ レ ー もとでは︑政治的主体の行動は︑ある程度︑当該制度を維持ないし進める方向へと行動を規定されてしまうという議論 ︒ こ れ は︑ す な わ ち︑ 固 定 的 な﹁ 制 度 ﹂ の

13

Gar rett, Geof fr ey 進展を論じるものとしては︑ギャレット︵ ︶らのものがある ︒さらに︑この立場から欧州統合の

14

﹁ 停 滞 ﹂ は︑ 制 度 論 の 理 論 的 前 提 ︱ ︱ 筆 者 は︑ こ う し た 制 度 の 拘 束 力 が マ ー ス ト リ ヒ ト 以 降 に 強 固 に な っ た と 考 え た が︑ そ う で あ っ た と し て も︑ 近 年 の ︒

15

改めて︑今回の停滞は精査されねばなるまい E U の 政 治 的 制 度 化 に よ る 国 内 政 治 に 対 す る﹁ 縛 り ﹂ ︱ ︱ を 超 え た も の で あ る︒

下のようなものである︵ 表 現在のところ言われている︑フランス︑オランダの批准反対の理由は︑ユーロバロメーターの調査結果によれば︑以 ︒

16

タットの提言を見てみよう︒ る 問 題 を 念 頭 に お い た と き︑ わ れ わ れ は も う 一 歩 先 に 進 む 必 要 が あ る︒ そ の た た き 台 と し て︑ 推 進 者︑ フ ェ ル ホ フ ス つまり︑現状の﹁停滞﹂分析は︑各国レベルのそれにとどまっていると言っていいだろう︒先の包括的な理論におけ 1 ︶︒

(9)

三︑フェルホフスタットの提言

こ の 小 冊 子 は︑ ﹁ 欧 州 は 現 在 危 機 の な か に あ る︒ 単に一過性の台風のようなものではなく︑欧州﹇統 合﹈計画自体が深刻な問題に直面している

た が︑フランスとオランダの国民投票で明らかになっ ように⁝欧州に少しずつ広がっていた潜在的な不満 彼 の こ う し た 問 題 意 識 は︑ ﹁ 一 般 に 知 ら れ て い る 激的な一文で始められる︒ ﹂との刺

18

配 さ れ て い く 大国︑すなわち米国︑中国︑インド︑日本により支 な の で は な い︒ よ り 深 刻 な 問 題 は︑ ﹁ 世 界 が 四 つ の ランダの批准否決にともなう統合の停滞だけが問題 ﹂ことを契機としている︒しかし︑フランスとオ

19

﹂ な か で︑ ﹁ こ ん に ち︑

20

に分断しつつあり︑経済的に弱くなった E U は 政 治 的 る で あ ろ う︑ グ ロ ー バ ル 化 し て い く 世 界 に お け る︑ る︒ 今 回 あ ら わ に な っ た 意 見 の 相 違 に よ っ て 生 じ ﹂ことにあ

21

国 フランス オランダ

1 位 フランス企業の移転など雇用への悪

影響(31%) [憲法条約が難解であり]情報の不 足(32%)

2 位 高失業率(26%) 国家主権の喪失(18%)

3 位 自由主義経済の偏重(19%) 政府・政党への不満(14%)

4 位 大統領・政府・政党への不満(18%) 欧州統合にかかるコスト(13%)

5 位 社会政策の不備(16%) 欧州統合自体への反対(8%)

6 位 条約の複雑性(12%) オランダ企業の移転など雇用への悪 影響(7%)

7 位 トルコ加盟反対(6%) 憲法条約の良い点がわからない

(6%)

8 位 国家主権の喪失(5%) 憲法条約の複雑性(6%)

表1 フランスとオランダの否決理由 ( )は%(17)

(10)

ヨーロッパの相対的な地位の低下こそが問題なのである︒ 続いて彼は﹁なぜこれほどまで多くの市民が﹃否﹄を投じたか﹂と議論を進める︒それによれば︑その多くは﹁国民 レ ベ ル︑ 国 内 要 因 を 重 要 な 要 因 と し て 挙 げ て

﹇連合﹈が日々の生活においてより重要な役割を果たすであろうと信じている ﹂ お り︑ そ の 結 果︑ ﹁ 五 〇 % の﹇ 欧 州 ﹈ 市 民 が︑ こ の 先 数 年 の 間 に︑ 欧 州

22

州の統一が﹇欧州市民にとって﹈不確実性を高めたことを示している︒たとえば︑ 七五 % の欧州市民は︑ 職が他の ﹂一方で︑ ﹁ユーロバロメーター誌は︑欧

23

U E

の 生 産 コ ス ト の 低 い 国 々 に 奪 わ れ る で あ ろ う と 信 じ て お り︑ ま た ほ ぼ 三 分 の 二 の 欧 州 市 民 が ド ラ ッ グ の 流 通 や 組 織 犯 罪 の 増 加 を 恐 れ て い る

﹂ と 指 摘 す る︒ つ ま り︑

24

いる 合 の 市 民 は︑ ヨ ー ロ ッ パ が よ り 強 く︑ よ り 意 図 が 明 確 な︑ そ し て ま た﹇ 現 在 と は ﹈ 異 な っ た も の に な る こ と を 望 ん で

0000

し か し︑ 彼 に と っ て こ の 分 析 結 果 は 重 要 な 問 題 で は な く︑ む し ろ こ の 帰 結 は︑ 欧 州 統 合 に 対 す る 否 定 で は な く︑ ﹁ 連 fear and doubt 経済的︑社会的不安定に対する﹁恐怖と疑念︵ ︶﹂があるのだと述べる︒ U E が 拡 大 し て い く に 従 っ て 日 常 生 活 の な か に も た ら さ れ る で あ ろ う︑

い国家となったのである 義者との対立などがあり脆弱なものであったが︑それを経て︑連邦制度を完成させ︑長い時間をかけて︑アメリカは強 ディール政策を経て︑アメリカ合衆国は十分強力な政府を作り出した︒つまりそのスタートは︑連邦主義者と反連邦主 も の で あ っ た︒ し か し︑ そ の 後 の 連 邦 軍 の 創 設 や 南 北 戦 争︑ 西 部 開 拓 の た め の 鉄 道 敷 設︑ さ ら に は 大 恐 慌 時 の ニ ュ ー・ 州が一票を有する議会が存在した︒この点で︑この時点でのアメリカという国家は︑まだ州の寄せ集めにすぎず︑弱い カ 独 立 革 命 直 後︑ 新 し い 一 三 の 独 立 し た 州 が 自 分 た ち の 合 意 を 制 度 化 し よ う と し た︒ こ の 時 点 で 政 府 は 存 在 せ ず︑ 各 そして彼は︑より強いヨーロッパを目指すために︑例としてアメリカ合衆国の歴史を挙げる︒それによれば︑アメリ ﹂ことの裏返しだと解釈する︒つまり﹁新しいヨーロッパ﹂が求められているのだと解釈する︒

25

そのうえで彼は︑フランスとオランダの国民投票が明らかにしたように︑今や全加盟国がそろって前進することは難 ︒

26

(11)

しく︑そこで︑加盟国のうちごく少数からなる集団が主導権をもち︑新しいヨーロッパを形成していくべきである︑と 主 張 し て い る

︵﹁ 合 衆 国 機 構 ﹂ = 非 ユ ー ロ 圏 ︶ が︑ 新 し い ヨ ー ロ ッ パ に 加 盟 す る こ と で あ る︒ つ ま り︑ ユ ー ロ 圏 の 経 済 的 発 展 と 経 済 成 長 に 重 き を 置 き つ つ 政 治 的 中 核 も 担 い︑ 停 滞 す る 欧 州 統 合 の 推 進 者 と な る︒ 究 極 的 な 目 標 は︑ す べ て の 加 盟 国 る︒ つ ま り︑ ヨ ー ロ ッ パ と は 二 つ の 同 心 円 に よ っ て 成 り 立 つ︒ 中 核 部 分 が﹁ 欧 州 合 衆 国 ﹂︵ ユ ー ロ 圏 ︶ で あ る︒ こ れ は ︵ 一 二 か 国 ︶ か ら 形 成 さ れ る こ と が 望 ま し い︒ さ ら に︑ こ れ は︑ よ り 大 き な﹁ 欧 州 合 衆 国 機 構 ﹂ に 包 括 さ れ る も の で あ ︒ そ の 少 数 派 が 担 う﹁ 新 し い ヨ ー ロ ッ パ ﹂ が﹁ 欧 州 合 衆 国 ﹂ で あ る︒ こ れ は 具 体 的 に は﹁ ユ ー ロ 加 盟 国 ﹂

27

大とが矛盾しないオプションこそが﹁欧州合衆国﹂案なのである︒ E U 拡

以上の彼の提言は︑理念的であり具体性に欠ける︒ユーロ圏と非ユーロ圏とを区別することは直感的に理解できたと し て も︑ で は な ぜ 現 在 の 問 題 の 克 服 の た め に ユ ー ロ 圏 は﹁ 合 衆 国 ﹂ で な け れ ば な ら な い の か︒ も し

ある Rubbish つ あ る︒ 実 現 可 能 性 は 小 さ い だ ろ う︒ 以 上 の よ う な 理 由 か ら︑ 本 提 言 を﹁ く だ ら な い︵ ︶﹂ と 一 蹴 す る も の も 家 だ か ら で あ る︒ さ ら に 言 え ば︑ 現 在 の ヨ ー ロ ッ パ の 政 治 リ ー ダ ー に な か に︑ モ ネ 以 来 の 連 邦 主 義 者 は 希 少 と な り つ 州合衆国﹂を目指したとしても︑現在の問題は解決しないかもしれない︒実際に憲法条約に否を投じたのはユーロ圏国 U E が 明 確 に﹁ 欧 停 滞 の 原 因 を︑ 当 事 者︑ 推 進 者 の 立 場 か ら 包 括 的 な 把 握 を 試 み︑ そ れ を﹁ しかしフェルホスタットの提言に興味深い点があるとすれば︑従来フランスとオランダの各国分析にとどまっていた ︒

28

解を論じていくこととしたい︒ ﹁ 合 衆 国 ﹂ を 提 起 し た フ ェ ル ホ フ ス タ ッ ト の 意 図 を 考 察 す る こ と か ら 始 め︑ 次 に︑ 現 在 の 停 滞 の 原 因 に 対 す る 筆 者 の 見 ヨーロッパを求めているからだ﹂と述べているところにあろう︒そこで以下では︑実現可能性が小さいにもかかわらず E U 市 民 が︑ 新 し い ヨ ー ロ ッ パ︑ よ り 強 い

(12)

四︑考察

(一)なぜ「合衆国」なのか

フェルホフスタットは︑一九九九年からベルギーの首相であった︒就任当初︑キリスト教民主主義政権の長期化によ る 弊 害 ︱ ︱ 政 治 汚 職 ︱ ︱ か ら の 脱 却 を 期 待 さ れ︑ 彼 は 様 々 な﹁ 古 典 的 な 民 主 主 義 へ の 回 帰 ﹂ を 目 指 す 改 革 を 行 っ た︒ 同 時に︑一九九三年にベルギーは連邦国家へと統治体制を改革したが︑それに伴う﹁積み残し﹂の課題の解決がフェルホ フスタット政権の重要な役割であった︒具体的にそれは選挙制度の改革であった︒連邦化に伴い︑選挙区の変更︵フラ マン選挙区とワロン選挙区の明確な分離   後述︶が必要であった︒またより民主的な制度へと改革が求められた︵選挙 区 を 減 ら し︑ 一 つ を 拡 大 す る こ と に よ っ て︑ 数 多 く の 有 権 者 か ら 支 持 さ れ る 議 員 を 選 出 す る こ と ︶︒ 詳 細 は 別 稿 に 譲 る が︑しかし︑この改革過程において︑特にブリュッセル周辺地域の選挙区改革は困難を極めた︒ これは︑ベルギーの特殊な言語事情による︒ベルギーは一八三〇年にオランダから独立したが︑そのときから既に二 つの民族を内に抱えてきた︒ベルギー北方には︑ゲルマン系でオランダ語を話すフラマン民族が︑南部には︑フランス 語を話すワロン民族が住む︒独立当初は経済的に優位であったワロン民族が語るフランス語による国民統合政策が進め られていたが︑それに対して一九世紀末からフラマン民族の言語権利を獲得する運動︑ ﹁フラマン運動﹂が進んできた︒ この両﹁言語﹂の対立が﹁言語問題﹂である︒ 特に第二次世界大戦後︑両民族の対立は激しくなり︑一九七〇年から四半世紀の時間をかけて︑ベルギーは各民族の

(13)

政治的自治を許容する連邦制度を採用した︒しかし︑首都ブリュッセルは複雑な問題を残した︒ブリュッセルは地理的 に は オ ラ ン ダ 語 圏 に あ る︒ し か し 首 都 と し て︑ 国 際 都 市 と し て︑ ブ リ ュ ッ セ ル の 住 民 は そ の 多 く が フ ラ ン ス 語 を 語 る︒ そのためブリュッセル首都圏は両方の言語を公用語とする﹁両語圏﹂として規定されてきた︒ し か し︑ 問 題 は そ の 周 辺 域 で あ る︒ ﹁ 周 辺 ﹂ は 本 来 で あ れ ば オ ラ ン ダ 語 圏 で あ る が︑ 言 語 の 別 を 問 わ ず︑ 通 勤︑ 通 学 の た め︑ 多 く の 人 び と が 住 む︒ そ こ に は フ ラ ン ス 語 住 民 も 済 ん で い る︒ ﹁ 言 語 圏 ﹂ の 設 定︑ 政 治 的 自 律 化 が︑ 必 ず し も 住 民 の﹁ 住 居 の 自 由 ﹂ を 制 限 す る も の で は な い と い う こ と に 留 意 さ れ た い︒ じ ょ じ ょ に 増 加 す る﹁ 周 辺 ﹂︵ オ ラ ン ダ 語 圏 ︶ に 住 む フ ラ ン ス 語 住 民 の た め に︑ ベ ル ギ ー は し ば し ば 便 宜 的 に︑ ﹁ ○ ○ 地 区 に お い て は︑ 例 外 的 に フ ラ ン ス 語 も 使 用可能﹂との特例を設けてきた︒現在︑こうした便宜措置は三〇以上の地区に及んでいる︒ 特 に ハ ッ レ・ フ ィ ル フ ォ ル デ︵ Halle-V ilvoor de ︶ 地 区 に は フ ラ ン ス 語 住 民 が 多 く︑ 六 〇 年 代 の ベ ル ギ ー 政 府 は︑ 彼 ら の政治的権利のために︑ブリュッセルと同一選挙区とし︑フランス語住民が︵両語圏であるブリュッセルで立候補でき る︶フランス語政党に投票できることを可能としていた︒ しかし︑それはブリュッセルにおけるオランダ語系政党には不利に働く︒これが二〇〇二年からの選挙改革で大きな 問 題 と な り︑ 連 邦 改 革 後 で あ る に も か か わ ら ず︑ オ ラ ン ダ 語 政 党 と フ ラ ン ス 語 政 党 と の 対 立 が 再 燃 す る こ と と な っ た のである︒結局フェルホフスタットは︑この問題を処理できず﹁凍結﹂し︑これによって彼は政治的信任を失った︒結 局二〇〇七年以降︑総選挙でフェルホフスタット率いるフラマン自由党は議席を失って下野︑さらに﹁ベルギー分裂危 機﹂にまでこの事態は発展した

の議長国の首相として︑先のマニュフェストを提示したのである ︒こうした近年のベルギーの危機的状況のなかで︑フェルホフスタットは︑かつかつて

29

問題を処理するはずであった連邦化後も︑このハッレ・フィルフォルデ問題を一つの契機として再びベルギーは分裂危 興味深いのは︑この時点で︑決してベルギーの連邦制度は︑決してうまく運営されてはいないという点である︒言語 ︒

30

(14)

機に陥り︑しかも︑それは六〇年代︑八〇年代並みの﹁国家分裂﹂の危険にまで高まっている︒ では︑連邦国家のそうした脆弱性を目の当たりにしつつも︑なぜ彼は﹁合衆国﹂を主張するのか︒先のマニュフェス ト か ら は︑ ﹁ 合 衆 国 ﹂ で な け れ ば な ら な い 明 確 な 理 由 は 見 い だ し え な い︒ こ の 問 い を 解 題 す る ヒ ン ト は︑ ま ず 彼 が ア メ リ カ を 引 き 合 い に 出 し て い る 点 に あ る︒ 第 一 に︑ 彼 の こ の 提 言 は︑ し ば し ば﹁ 二 五 カ 国 に よ る﹇ 統 一 さ れ た ﹈

成の放棄﹂と評価される E U 形 大 な 国 家 と な っ た こ と を 主 張 し て い る︒ む し ろ﹁ が︑それはやや短絡的な評価であろう︒彼はアメリカの合衆国こそが長い歴史を経て︑今や強

31

あきらかに不十分な成果であった 一 三 票 ︶ が な さ れ た︒ 特 に オ ラ ン ダ と の 差 が つ け ら れ た こ と は︑ 首 相 フ ェ ル ホ フ ス タ ッ ト そ し て ベ ル ギ ー か ら 見 れ ば︑ を推していた︒しかし協議のうえで︑結局四大国に有利な票割り︵四大国は二九票︑ベルギーは一二票で︑オランダが フ ス タ ッ ト は︑ 実 は︑ 現 行 規 定 に よ る︑ 仏︑ 独︑ 英︑ 伊 の 四 大 国 が 一 〇 票︑ ベ ル ギ ー︑ オ ラ ン ダ が と も に 五 票 と の 案 も触れたニース理事会において︑拡大を前提として意思決定方式︵票割り︶が見直されたが︑ベルギーそしてフェルホ を強調している点に注目すべきである︒つまり︑構成主体間の政治的対等が︑強くなるためには重要なのである︒先に 第 二 に︑ 今 や 強 力 な ア メ リ カ 政 府 が ︱ ︱ 彼 の 理 解 に よ れ ば ︱ ︱ 当 初︑ 等 し く 一 票 を 持 つ 州 の 合 意 か ら 形 成 さ れ た こ と 考えているのである︒分権的国家﹇=弱い﹈体制か中央集権的﹇=強い﹈国家体制かという二分法ではない︒ E U も 強 く あ る た め に︑ ﹇ ア メ リ カ を ま ね た ﹈ 合 衆 国 が 望 ま し い ﹂ と 衆 国 ﹂ 構 想 と は︑ 実 は 加 盟 国 の 政 治 適 的 権 利 を 等 し く し︑ 結 局 政治的利権を侵害するな﹂という点にある︑と読めるわけである︒つまり︑自国の連邦制にさえ苦しんでいる彼の﹁合 に﹂を名目または事実上のスローガンとしつつ︑しかしその本音は﹁大国よ︑我々は等しいのだ︒これ以上ベルギーの め る た め に︑ 彼 は ア メ リ カ の 例 を 引 い た の で は な い だ ろ う か︒ つ ま り︑ ﹁ 合 衆 国 ﹂ と は︑ ﹁ ヨ ー ロ ッ パ が 強 く あ る た め ギ ー の 発 言 権 が 相 対 的 に 低 下 す る 可 能 性 を 有 す る︒ こ れ が 背 景 に あ る と す れ ば︑ そ の 低 下 を 阻 止 し か つ 欧 州 統 合 を 進 ︒さらに言えば︑大国に優位である決定方式は︑今後︑東欧諸国の動向如何で︑ベル

32

U E に お け る ベ ル ギ ー の 政 治 的 地 位 を 維 持 す る た め の

(15)

構想でもあると言えないだろうか︒もしそうだとすれば︑つまりベルギーが自国の対外的利権を重視しているのであれ ば︑結局のところ︑それはベルギーという小国のナショナリズムの発現でもある︒ 筆者は別稿で︑第二次世界大戦以前のベルギーがベネルクス統合に向かった背景には︑強烈な領土拡大主義があると 論 じ た と言っていいだろう︒ ︒ そ の 点 は ︱ ︱ い き な り 時 代 を 飛 ば し て し ま う が ︱ ︱ 現 在 の ベ ル ギ ー の 欧 州 統 合 政 策 に も 通 底 す る も の が あ る︑

33

(二)停滞の原因についての考察

フ ェ ル ホ フ ス タ ッ ト に よ れ ば︑ 今 回 の 停 滞 は︑ 拡 大 に よ っ て も た ら さ れ る﹁ 不 確 実 性 ﹂ が 重 要 な 引 き 金 と な っ て い る︒ 一 気 に 射 程 範 囲 を 広 げ て し ま う こ と を お 許 し い た だ け れ ば︑ 今 回 の 停 滞 は

て﹁ 確 実 性 ﹂ を 求 め︑ 強 く あ る こ と を 望 ん だ 帰 結 で あ り︑ 換 言 す れ ば︑ U E 市 民 が︑ 帰 属 す る 国 家 の 市 民 と し

00

帰 結 で あ る︒ フ ェ ル ホ フ ス タ ッ ト は﹁ E U 拡 大 に 伴 う 各 国 ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 発 現 の さ ら に 要 因 と し て﹁ 自国なのである︒ U E に よ り 強 く あ っ て ほ し い ﹂ と 論 じ た が︑ 真 に 強 く あ る べ き 対 象 は︑ む し ろ

シ ョ ナ リ ズ ム に 規 定 さ れ る こ と も 致 し 方 な い こ と で あ る︒ つ ま り︑ な意思決定にさいして国民投票が実施されることが望ましい︒そうなれば︑その結果が︑今の状況を鑑みるに︑各国ナ から︑より市民にわかりやすく多くの意見を考慮して体制を決定しようとの意図であるが︑だとすれば︑必然的に重要 U E が よ り 民 主 的 で あ る こ と ﹂ が 望 ま れ て い る こ と を 考 慮 し よ う︒ こ れ は︑ 閉 鎖 的 な 政 策 決 定

だとすれば︑これは先の理論的考察の範疇において何を意味するのか︒それは︑政府以下の行動主体の利益を重視し リズムを表面化し︑結局停滞の遠因となっている︒ U E の 民 主 化 が︑ 従 来 か ら 潜 在 す る 各 国 ナ シ ョ ナ

(16)

た﹁ 機 能 主 義 ア プ ロ ー チ ﹂ と︑ 政 府 主 体 に 注 目 し た﹁ 政 府 間 主 義 ア プ ロ ー チ ﹂ と の 間 の 齟 齬 を 表 現 し て い る の で あ る︒ つまり︑経済統合を目的とした時期︵前者によって説明される︶と︑政治統合を意図した時期︵後者によって説明され る︶を経て︑市民と政策エリートとの間に意思の乖離が生じてきた︒それを経た総仕上げの段階になって︑二つの意思 決定主体の間に齟齬が生じていることが露呈しているのである︒つまり理論的には︑決定主体間の相互作用を前提とし た統合モデルが今求められているわけである︒それは︑換言すれば︑超国家機関の完成を目前にして︑新しい民主主義 の形態が求められていると言うことを意味しよう︒この点は︑たとえベルギー一国を対象としたとしても︑長期的調査 が求められる︒そこで以下では︑本小論の結語として︑現在の状況に触れて︑今後の見通しについて私見を述べるにと どめたい︒

五︑結語 ︱ ︱ リスボンと金融危機︑それでも

U E が前進するなら ︱ ︱

二〇〇七年六月の欧州理事会の会合で︑各国首脳は新条約についての協議を︑政府間会議で行うよう結論づけた︒新 条約は二〇〇七年秋に協議が終了し︑リスボンにおいて署名され︑ ﹁リスボン条約﹂と呼ばれるようになった︒これは︑ 憲 法 条 約 で 合 意 さ れ て い た︑ 欧 州 理 事 会 議 長︵

U E 大 統 領 ︶ や

投票が実施されるべきだと報じている 会委員の削減など機構改革に関する規定の多くが継承された︒そのためイギリスにおいては︑メディアが︑改めて国民 U E 外 相︑ 欧 州 議 会 の 国 別 の 議 席 数 の 配 分︑ 欧 州 委 員

約に対する理解が浸透せず︑これに受けて議会で少数派のシン・フェイン党などが﹁わからないものには反対を﹂とい またアイルランドでは︑主要政党がリスボン条約批准賛成を呼びかけていたが︑その一方で有権者の間にリスボン条 ︒

34

(17)

う運動を起こし︑有権者も同調したことを原因として︑リスボン条約の批准が否決された︒ さらにアイルランドの否決後︑二〇〇八年四月に議会での批准手続きを完了させているポーランドの大統領カチンス キ が﹁ ア イ ル ラ ン ド が 批 准 し な い 限 り 批 准 書 に 署 名 し な い ﹂︑ チ ェ コ の 大 統 領 ヴ ァ ー ツ ラ フ・ ク ラ ウ ス か ら は﹁ リ ス ボ ン条約は死んだ﹂といった発言がなされている︒その後アイルランドのための適用除外規定を加えることなどが協議さ れ︑これらの対応を受けてアイルランドは二〇〇九年一一月までに再び国民投票を実施することとなり︑リスボン条約 は二〇〇九年末の発効が目指されることとなった︒現時点でリスボン条約︑そしてその後の改革が順調に進むというこ とを確約できるものはない︒やはりアイルランドという国家の事情︑ 利益が考慮される必要があり︑ それを前提に

U E

は 拡 大 と 深 化 を 良 し と さ れ る の で あ る︒ こ の 点 だ け を み れ ば︑ 先 の﹁ 齟 齬 ﹂ は︑ か な り 市 民 よ り に

え る よ う に も 思 わ れ る︒ こ の 齟 齬 を ポ ジ テ ィ ヴ な 相 互 作 用 へ と 変 換 す る シ ス テ ム を 構 築 し な い 限 り︑ E U の 方 向 性 を 変 歴 史 が 教 示 し て く れ る こ と で あ る 一 層 懸 念 さ れ る べ き は 昨 今 の 金 融 危 機 で あ る︒ こ の よ う な 経 済 状 況 に お い て 各 国 ナ シ ョ ナ リ ズ ム が 高 揚 す る こ と は︑ ばしば各国ナショナリズムの顕現によって停滞することもありえよう︒ E U は 今 後 も し

︒ 破 滅 的 な 経 済 状 況 に あ っ て︑ い っ そ う

35

ランドの例のように︑ 各国事情を考慮した方向にも流されるはずである︒ ﹁強い 他方で︑経済危機に苦しむ各国においてナショナリズムが高まるならば︑リスボン︵以降の︶条約批准は︑先のアイル U E は 強 く な る こ と が 求 め ら れ る だ ろ う︒

力を及ぼす可能性を否定はできない︒ という二重の目標を達成しようとするとき︑妥協の産物として﹁合衆国﹂構想が︑少なくとも金融危機以前より︑影響 U E ﹂という目標と﹁各国事情の考慮﹂

小論では︑フェルホフスタットという一指導者を事例として︑近年の停滞理由を考察した︒そして彼の﹁合衆国﹂構 想 か ら︑ 既 に 政 治 統 合 を 進 め て い る

U E 諸 国 に お い て で さ え 各 国 ナ シ ョ ナ リ ズ ム は 根 底 に 流 れ て い る こ と を 示 し た︒

(18)

さらにそれが︑ ﹁民主化﹂の動きにともない政治化し︑今回の停滞につながっていることを指摘した︒ さ ら に︑ こ の 構 想 自 体 が 実 現 す る 可 能 性 は 小 さ い が︑ 昨 今 の 金 融 危 機 の な か で︑ ま た リ ス ボ ン 以 降 の

最 初 に 述 べ た よ う に︑ こ の 停 滞 は 微 々 た る も の か も し れ な い︒ し か し︑ 主張を強めるであろうから ︱ ︱ これが無視しえない影響力を及ぼすことを主張した︒ に お い て︑ 合 意 形 成 が い っ そ う 困 難 に な る 可 能 性 も あ り︑ そ の な か で の オ プ シ ョ ン と し て ︱ ︱ お そ ら く ベ ル ギ ー は こ の E U 統 合 過 程 ナ リ ズ ム の 修 羅 場 と 化 す な ら ば︑ ま だ ま だ ︱ ︱ そ の ゴ ー ル 自 体 が 不 明 確 で は あ る が ︱ ︱ U E に か ん す る 合 意 形 成 の 場 が 各 国 ナ シ ョ

こと政治学者にとって︑これからも そこに政策エリートと市民との乖離という︑より本質的な民主主義の正統性にかかわる問題が垣間見える以上︑なおの E U は 紆 余 曲 折 を 経 る だ ろ う︒

U E という大実験から目を離すことはできないのである︒

追記 本 論 文 は︑ 平 成 一 九 ︱ 二 〇 年 度 科 学 研 究 費 補 助 金  若 手 研 究︵ ス タ ー ト ア ッ プ ︶ 課 題 採 択 番 号 一 九 八 三 〇 〇 五 六﹁ 政 治 制 度と市民的自己決定の間の齟齬 ︱ ︱ ベルギー型連邦制の脆弱性 ︱ ︱﹂ ︵研究代表者・松尾秀哉︶の成果の一部である︒

    注

所紀要﹄四三号︑二〇〇九年 1 ︶ 拙 稿﹁ ベ ル ギ ー の 初 期 欧 州 統 合 政 策 ︱ ︱ 一 九 二 〇 ︱ 三 〇 年 代 を 中 心 に ︱ ︱﹂ ︑ 聖 学 院 大 学 総 合 研 究 所﹃ 聖 学 院 大 学 総 合 研 究

︵ a ︒

“ Ja pa n, E ur op e & E as t A sia : S tra te gic P ar tn er sh ip s a nd R eg io na l I nte gr ati on ,” 11 A nn ua l B ru ss els C on fe re nc e, 24 -2 5 2 ︶

th

(19)

N ov em be r 2 00 8, B ru ss els , E gm on t P ala ce , w ith th e s up po rt of, th e J ap an F ou nd ati on , T he B elg ia n M in ist ry o f F or eig n Af fairs, The Japan Mission to the EU, The Inter national Christian University , The Université Libr e de Brixelles, The Eur opean Commission, The Gar net Network of Excellence, The NESCA Network of Excellence. ︵

︵ V er hofstadt, Guy 2005 , De V erenigde Staten van Eupora , Br ussels: Houlkieit. 3 ︶ ︵ ︶ 4 ︶ 以 下 は︑ 主 と し て︑ 山 田 邦 夫﹁ 欧 州 憲 法 条 約 ︱ ︱ 動 向 と 展 望 ︱ ︱﹂ ︑ 国 立 国 会 図 書 館 調 査 及 び 立 法 考 査 局 編﹃ 拡 大

U E

︱ ︱ 機 構・ 政 策・ 課 題 ︱ ︱ 総 合 調 査 報 告 書 ﹄︑ 国 立 国 会 図 書 館 調 査 及 び 立 法 考 査 局︑ 二 〇 〇 七 年︵ www .ndl.go.jp/jp/data/ publication/document/2007/200705/2mokuji.pdf ︶による︒ ︵

5 ︶ 佐藤幸男﹁

E U 憲法条約とそのゆくえ﹂ ︑佐藤幸男監修﹃拡大

︵ E U 辞典﹄ ︑小学館︑二〇〇六年︒

6 ︶ 小久保康之﹁ニース条約の概要と

︵ U http://www2.jiia.or .jp/pdf/global_issues/h12_eu-ampo/8_okubo.pdf E 統合の行方﹂ ︑ 7 ︶ 小 久 保 康 之﹁ ベ ル ギ ー ︱ ︱ 欧 州 統 合 の 新 た な 牽 引 者 を 目 指 し て ︱ ︱﹂ ︑ 大 島 美 穂 編﹃ 国 家・ 地 域・ 民 族 ﹄︑

︵ 三︑勁草書房︑二〇〇七年︑一六四ページ︒ U E ス タ デ ィ ー ズ http://www .jetr o.be/jp/business/eur otr end/200209/r epor t-2.pdf 8 ︶ こ れ に つ い て︑ 概 要 は ︵ ジ ェ ト ロ

︵ るコンベンション﹄の概要﹂ ︶ H P ﹁﹃ 欧 州 の 将 来 に 関 す

︵ 会︶ ︑九巻︑二・三号︑二〇〇七年を参照︒ 9 ︶ 批 准 の 過 程 に つ い て は︑ 吉 武 信 彦﹁ 欧 州 憲 法 条 約 批 准 過 程 と 国 民 投 票︵ 一 ︶﹂ ︑﹃ 地 域 政 策 研 究 ﹄︵ 高 崎 経 済 大 学 地 域 政 策 学

︵ 10 ︶ 小久保︑二〇〇七年︑前掲論文︑一六四ページ︒

States of Eur ope , Federal T rust. による︒ Oxfor d U.P . Ver hofstadt, Guy 2006 , The United なお︑ 小論執筆時においてはオランダ語版が入手困難であり︑ 以下の引用は ︵ ︶ 11 C in i, M ic he lle 20 07 , “ In te rg ov er nm en ta lis m ,” M ic he lle C in i e d. E ur op ea n U nio n P oli tic s , 2 .e dit io n, N ew Y or k: ︶ 以 上 は ︑ ︵ ︶

nd

︵ 一八︱二︑二〇〇八年︒ 12 ︶ 拙 稿﹁ 欧 州 統 合 過 程 が ベ ル ギ ー に 及 ぼ す 影 響・ 概 論 ﹂︑ 聖 学 院 大 学 総 合 研 究 所︑ ﹃ 聖 学 院 大 学 総 合 研 究 所 ニ ュ ー ズ・ レ タ ー﹄

︵ 13 Rosamond, Ben 2007 , “ New Theories of Eur opean Integration ,” Cini ed., op. cit. ︶ これについては︑ ︵ ︶

14 Pierson, Paul 1994 , Dismantling The W elfare State?: Regan, Thatcher , and The Politics of Retrenchment , Cambridge: Cambridge ︶ ︵ ︶

(20)

U. P . ︵

︵ Or ganization, V ol.50, no.2, pp. 269-299. 15 G ar re tt, G eo ffr ey a nd G eo rg e T se be ilis 19 96 , “ A n In sti tu tio na lis t C rit iq ue o f i nt er go ve rn m en ta lis m ,” In te rn ati on al ︶ ︵ ︶

国 際 世 界 に お け る 合 意 形 成 と い う 点 を 考 え る 場 合︑ 彼 の 取 り 上 げ る 事 例 が フ ラ ン ス で あ る こ と は 十 分 考 慮 し な け れ ば な ら で も 国 際 政 治 の 場 に お い て 合 意 形 成︵ つ ま り 妥 協 ︶ が 可 能 だ っ た の は な ぜ だ ろ う か と い う 問 題 は 提 起 さ れ て い い︒ そ し て︑ か し︑ そ の 場 合︑ 欧 州 統 合 の 合 意 形 成 の 場 は︑ 各 国 の﹁ 失 敗 ﹂ の 補 償︑ ま さ し く 政 治 的 リ ア リ ズ ム の 修 羅 場 と 化 す︒ そ れ 失 敗 し 続 け て い た こ と に な る︒ 確 か に 戦 後 の 欧 州 各 国 の 政 府 で 国 内 政 策 に﹁ 成 功 ﹂ し た 政 府 な ど な い の か も し れ な い︒ し う 少 し 包 括 的 に 見 る な ら ば︑ も し﹁ 政 府 の 失 敗 ﹂ が 統 合 の 推 進 力 と な る の で あ れ ば︑ 各 国 政 府 は 戦 後︑ 概 し て 国 内 政 策 に 二 〇 〇 八 年︑ 前 掲 論 文 ︶︒ つ ま り︑ よ り 一 般 化 を 試 み る な ら ば︑ ﹁ 政 府 の 失 敗 ﹂ の﹁ 閾 値 ﹂ が 設 定 さ れ る 必 要 が あ ろ う︒ も 化 改 革 の 時 期 に お い て は︑ 首 相 デ ハ ー ネ は︑ 国 内 政 治 に 忙 殺 さ れ︑ そ れ ほ ど 統 合 に 関 与 し な か っ た と 言 わ れ て い る︵ 拙 稿︑ 導 入 さ せ た︑ つ ま り 統 合 推 進 政 策 を 阻 害 し た︑ と 読 め な い だ ろ う か︒ 実 際 に︑ ベ ル ギ ー で も お お よ そ 八 〇 年 代 以 降 の 連 邦 点 を 指 摘 し て お き た い︒ た と え ば 先 の イ ギ リ ス の 例 は︑ 国 内 政 治 に お け る 政 府 の 対 応 の 失 敗 が︑ 国 民 投 票 と い う 手 続 き を 統合の動向を説明するロジック ︱ ︱ は︑現在の﹁停滞﹂をも説明しうるため︑妙味もあるし魅力的である︒しかし︑以下の として︑当該政府は欧州統合推進政策に乗り出していくのである︒吉田の議論 ︱ ︱ 相対的に政治的諸力に重きを置いて欧州 敗 ﹂ が︑ 各 政 府 の 欧 州 政 策 重 視 へ の 転 換 を 迫 っ た︑ と さ れ る︒ つ ま り﹁ 政 府 の︵ 他 の 分 野 に お け る 政 策 の ︶ 失 敗 ﹂ の 補 償 代 の ミ ッ テ ラ ン に よ る﹁ 社 会 主 義 経 済 化 政 策 ﹂︑ 九 〇 年 代 の﹁ ド イ ツ 統 一 ﹂ 時 の フ ラ ン ス の 対 応︑ と い う 三 つ の﹁ 政 府 の 失 と し て︑ 欧 州 統 合 の 進 展 を 説 明 し よ う と 試 み て い る︒ こ れ に よ れ ば︑ フ ラ ン ス の 場 合︑ 五 〇 年 代 の﹁ 植 民 地 問 題 ﹂︑ 八 〇 年 と す る ︱ ︱ を 取 り 上 げ︑ こ れ を﹁ 政 治 的 リ ベ ラ リ ズ ム ﹂ と し︑ 自 ら は﹁ 政 治 的 リ ア リ ズ ム ﹂ の 立 場 か ら︑ フ ラ ン ス を 事 例 ︱ ︱ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン︵ 交 流 ︶ の 促 進 に よ る︑ 欧 州 の﹁ 安 全 保 障 共 同 体 ﹂ と し て の 一 体 感 の 高 ま り が︑ 欧 州 統 合 を 進 め た Deutch, Karl, W olfgang を﹁ 経 済 的 リ ベ ラ リ ズ ム ﹂︑ 後 者 を﹁ 経 済 的 リ ア リ ズ ム ﹂ と 対 置 す る︒ さ ら に︑ ド イ チ ェ︵ ︶ の 議 論 ﹃ 聖 学 院 大 学 総 合 研 究 所 紀 要 ﹄︑ 四 一 号︑ 二 〇 〇 八 年 ︶︒ 吉 田 は︑ 先 の 新 機 能 主 義 と 政 府 間 主 義 の 対 立 を 経 済 軸 上 に︑ 前 者 挙 げ る こ と が で き る︵ 吉 田 徹﹁ フ ラ ン ス と 欧 州 統 合 過 程 ︱ ︱﹃ 政 府 の 失 敗 ﹄ に よ る 統 合 の 推 進?﹂ ︑ 聖 学 院 大 学 総 合 研 究 所 16 ︶ こ う し た 理 論 の 多 様 性 を 背 景 に︑ 改 め て 欧 州 統 合 が 進 む 理 由 を 包 括 的 に 理 論 化 し よ う と し た 労 作 と し て︑ 吉 田 徹 の も の を

(21)

な い︒ フ ラ ン ス が

を 防 ご う と す る 他 国 と の 関 係 は 対 立 的 で あ っ た︒ フ ラ ン ス と い う︑ U E 統 合 の 最 大 の 推 進 力 で あ っ た こ と は 事 実 で あ る が︑ 特 に ド・ ゴ ー ル 時 代 に は︑ フ ラ ン ス の 覇 権 国 化

︵ 国を対象としても︑状況が多様であり︑長いスパンで検討されるべき問題であり︑吉田氏とともに今後の課題としたい︒ 的 リ ア リ ズ ム ﹂ 論 を 説 明 可 能 に し︑ し か し 逆 に 一 般 化 を 困 難 に し て し ま う リ ス ク を 有 す る︒ こ れ ら の 問 題 は︑ お そ ら く 一 E U に お け る 大 国 を 事 例 と す る こ と が︑ 吉 田 の﹁ 政 治

︵ 17 ︶ 山田︑前掲論文より筆者作成︒

︵ 18 V er hofstadt, op. cit ., p.19. ︶

︵ 19 V er hofstadt, op. cit ., p.22. ︶

︵ 20 V er hofstadt, op. cit ., p.15. ︶

︵ 21 V er hofstadt, op. cit ., p.16. ︶

︵ 22 V er hofstadt, op. cit ., p.26. ︶

︵ 23 V er hofstadt, op. cit ., p.23. ︶

︵ 24 V er hofstadt, op. cit ., p.24. ︶

︵ 25 V er hofstadt, op. cit ., p.30. ︶

︵ 26 V er hofstadt, op. cit ., pp.43 -47. ︶

︵ Ver hofstadt, op. cit ., pp.53 -64. ロッパ軍の創設︑である︵ ︶︒ ︵二︶新しい技術立国としてのヨーロッパ︑ ︵三︶ヨーロッパエリアの正義と安全︑ ︵四︶共通のヨーロッパ外交︑ ︵五︶ヨー 27 V er hofstadt, op. cit ., p.72. ︶ な お︑ ﹁ 新 し い ヨ ー ロ ッ パ ﹂ の な す べ き 課 題 は︑ ︵ 一 ︶ ヨ ー ロ ッ パ 共 通 の 社 会・ 経 済 統 治 と 戦 略︑

︵ 28 Har vey , Elaib The Br ussels Jour nal www .br usselsjour nal.com/node/536/print ︶ による の書評︒ ︵二〇〇八年一二月一九日︶ ︒ るリスク ︱ ︱﹂ ︑聖学院大学総合研究所﹃聖学院大学総合研究所紀要﹄四三号︑二〇〇九年 29 ︶ 詳しくは︑拙稿﹁人口の大都市集中︵都市化︶と民族紛争 ︱ ︱ ベルギー型多文化主義から考える現代ヨーロッパ社会の抱え

︵ b ︒ 凍結した後の施政方針演説で︑フェルホフスタットは 求 め た と き で あ る︑ と 理 解 で き る︒ こ の 点 で 先 の 吉 田 の 指 摘︵ 注 一 六 ︶ は 当 を 得 て い る と 評 価 で き る︒ 実 際 に こ の 問 題 を 30 ︶ こ の 点 を 考 慮 す れ ば︑ こ の マ ニ ュ フ ェ ス ト 執 筆 時 は﹁ 政 府 の 失 敗 ﹂ の と き で も あ り︑ 彼 が そ の 補 償 を 外 交︵ 欧 州 統 合 ︶ に

U E の進展を謳っている︒

(22)

︵ をみよ︵二〇〇九年二月一九日︶ ︒ 31 The Bussels Jour nal http://www1.doshisha.ac.jp/~yonozuka/Review2005/121805r eview .htm ︶ 先 の の 評 以 外 に も︑ た と え ば︑

︵ 32 ︶ 小久保︑前掲論文︑二〇〇七年︑一六一ページ︒

33 ︶ 拙稿︑前掲論文︑二〇〇九年

︵ b ︒ 34 ︶ 労 働 党 は︑ 新 条 約 で は︑

え て い な い と し て︑ 国 民 投 票 の 実 施 は 必 要 な い と 述 べ て い る︒ し か し U E と し て の 外 交 政 策 や 社 会 政 策︑ 税 法 に つ い て 拒 否 権 が 残 る こ と か ら﹁ レ ッ ド・ ラ イ ン ﹂ を 越

U E は 外 交 担 当 機 関 が 数 多 く 残 っ て お り︑

︵ 問が投げかけられた︒ ギ リ ス の 関 心 と は 関 係 な く 外 交 政 策 を 運 営 す る こ と と な る た め︑ ブ レ ア の 外 交 政 策 に 関 す る 適 用 除 外 の 実 際 の 有 効 性 に 疑 U E が イ 35 ︶ こ の 点 に つ い て フ ェ ル ホ フ ス タ ッ ト は︑ 二 〇 〇 八 年 一 二 月 に︑ 現 在 の 世 界 経 済 危 機 に お い て

済 政 策 政 府 ﹂ は 銀行間の借入要求を透明化する制度︑ ︵三︶ ユーロ圏を統括する経済政策政府︑の設立である︒特に ﹁ユーロ圏を統括する経 あり︑ ︵一︶ 明確なルールと基準に従って施行され︑グローバル ・ ネットワークの流れに乗った︑単一の財政規制装置︑ ︵二︶ つ の 課 題 を 提 示 し て い る︒ そ れ は︑ 全 体 と し て︑ 単 な る 経 済 的 方 法 論 に と ど ま ら な い ﹁ 構 造 改 革 ﹂ と 位 置 づ け ら れ る も の で U E が な す べ き 役 割 と し て 三

Por tals/6/download/T rustee_speak_out/V er hofstadt_Thr ee_W ays_Out_for_Eur ope_08-11-13.pdf ︵二〇〇九年二月一九日︶ ︒ G uy 20 08 , “ T he F in an cia l C ris is: T hr ee W ay s O ut fo r E ur op e,” B er te lsm an nS tift un g, ht tp :/ /w w w .fr ie nd so fe ur op e.o rg / ︵ ︶ E U Ver hofstadt, 経 済 を 強 く す る た め の 策 と し て︑ ﹁ 合 衆 国 ﹂ 構 想 と 通 底 す る も の と し て 位 置 づ け ら れ よ う︒

参照

関連したドキュメント

[r]

 Whereas the Greater London Authority Act 1999 allows only one form of executive governance − a directly elected Mayor − the Local Government Act 2000 permits local authorities

国際仲裁に類似する制度を取り入れている点に特徴があるといえる(例えば、 SICC

In the main square of Pilsen, an annual event where people can experience hands-on science and technology demonstrations is held, involving the whole region, with the University

The B OTDR (Brillouin Optical Time Domain Re‰ectometry) method is applicable to the measurement of strains on the order of 10 -4 m and has been employed for measuring

toursofthesehandsinFig6,Fig.7(a)andFig.7(b).A changeoftangentialdirection,Tbover90゜meansaconvex

【フリーア】 CIPFA の役割の一つは、地方自治体が従うべきガイダンスをつくるというもの になっております。それもあって、我々、

2011 年の主たる動向は、欧州連合 (EU) の海洋政策に新たな枠組みが追加されたことであ る。漁業分野を除いた