農村の宗教対立を通してみた転換期のルーマニア社 会
著者 新免 光比呂
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 22
号 1
ページ 93‑123
発行年 1997‑08‑29
URL http://doi.org/10.15021/00004151
新免 農村 の宗教対立を通 してみた転換期 のルーマニア社会
農村 の宗 教 対 立 を通 してみ た転 換 期 のル ー マ ニア社会 新 免 光 比 呂*
Social Change and Religious Conflict in a Romanian Village
Mitsuhiro SHEN
Conflict among religious groups became obvious in Romania after the 1989 revolution. For example, relations between the Romanian Or- thodox Church and the Greek Catholic Church are strained. Leaders in both Churches are involved, as are believers in villages where both churches are present. This conflict has strained the collectivity of many villages and has divided communities into opposing groups. In addi- tion, the number of sectarians has increased since the revolution, and this also undermines the established churches in cities and villages. Sect activity is also a threat to the traditional collectivity of village com- munities. In this paper I describe three factors that have brought about these phenomena in a small village in the Maramure§ district of Romania. This paper is based on field work conducted in 1994 and 1995.
The first important factor is the social structure of the tradional village. Villagers are dependent on the Church that each parish priest represents. Traditionally, villagers have been obliged to obey the authority of the ecclesiastical hierarchy. The annual cycle of each village is deeply linked to the sequence of church feasts. The personal life cycle of each villager is also linked to the church. For birth, mar- riage and funerals, there is a strong dependence on priests. Villagers are quickly involved in any religious conflict and generally follow the at- titude of their local priest in conflicts with other religious groups.
A second important factor is the strong antipathy between the
*国 立民族学博物館第3研 究部
Key Words : religious conflict, Romanian Orthodox Church, Greek Catholic Church, sect, socialism
キ ー ワ ー ド:宗 教 対 立,ル ー マ ニ ア 正 教 会,グ レ コ ・カ ト リ ッ ク教 会,セ ク ト,社 会 主 義
国立民族学博物館研究報告 22巻1号
Romanian Orthodox and the Greek Catholic that has existed since the establishment of the Greek Catholic Church in the 17th century. There is no great difference in the daily religious practices of Orthodox and Greek Catholic villagers. As far as the villager is concerned, the difference is only apparent in some words of ritual. But there are great differences in the values on which each church is based historically. The Romanian Orthodox Church is believed to represent more traditional values, while the Greek Catholic Church is associated with more modern values. From 1948 until 1989, activity by the Greek Catholic Church was completely banned. Since 1989, the traditional conflict has become important again, with the return of priests and villagers to the Greek Catholic Church.
The third important factor is the very recent impact of western Europe, following the 1989 revolution. Contact with western Europe ac- celerated community breakdown by encouraging individualistic values and independence from church authority. More people have become in- different to the long-established churches and have been attracted by new sects and new religions. As community power lessens, people feel less need to participate in church activities, and as fewer people participate in church activities, they become less conscious of the significance of com- munity. This negative feedback cycle was triggered by the loss of social networks that existed before the revolution. People are now obliged to struggle individually for survival, and they seek spiritual comfort in sect activity. Evangelical movements (sects) give people a new sense of belonging to a community, and offer chances for support from western Europe.
1.は じめ に 2.村 の生 活 と宗 教 2.1概 観
2.2 農 業 集団 化 と村 人 2.3村 の 生活 と宗 教 2.4 村 人 の価 値 意 識
3,宗 教対 立 の現 状 とそ の 要 因 3.1村 内 の さ ま ざ まな 対立
3.2 対 立 要 因1 司 祭 の 指導 性 に み る伝 統 的 な 村 落 の社 会 構 造
3.3 対 立 要 因2 西 欧 的 価値 と伝統 的価 値 の 対 立 の再 燃
3.4対 立 要 因3 共 同 体 の解 体 と個 人 意 識 の 目覚 め
4.お わ りに
新免 農村 の宗教対立を通 してみた転換期のルーマ ニア社会
1.は じ め に
1989年 の 「民 主 革 命」 以後 のル ーマ ニア で は,旧 共産 党支 持 者 と市 民勢 力 との政 治 的対 決や ル ー マ ニア 人 とハ ンガ リー人 の民 族 的 対 立 の か た わ らで,い くつ か の宗 派 の 間 で の対 立 が顕 著 に な って い る。 なか で もル ーマ ニア正 教 会 と グ レ コ ・カ トリ ック教 会1)の 間 で は,教 会 財 産 の 返還 を め ぐち て 対 立 が先 鋭 化 して い る。 グ レ コ ・カ トリ ッ
ク教会 は共 産 主 義 政 権 下 で 完全 に禁 止 され,そ の信 者 は 政 府 に協 力的 な正 教会 へ 改宗 を 余 儀 な くされ て いた が,「 革 命 」後 の 自由化 に よ って再 び宗 教 活動 を 開始 した。 そ して正 教 会 に接 収 され て い た 教 会財 産,建 物 等 の 返還 を要 求 した が,こ れ を正 教 会 が 拒 否 した た め,両 者 は 鋭 く対 立 す る こ とに な った の で あ る。 さ らに,こ の問 題 は 両 教 会 の指 導 層 の 間 だ け では な く個 々の教 会 が 存 在 す る地 域 の住 民 を 巻 き込 んだ 。 と くY' 村 落 共 同 体 に お い て は,こ の対 立 が住 民 の共 同性 を揺 るがせ,村 内 で2つ の集 団 が い が み合 う事 態 を 引 き起 こ してい る場 合 もあ る。 そ の一 方 で 「民 主 革 命 」 後 は,セ ク ト
(あ るい は ポ カイ ッ ト)と 呼 ば れ るネ オ ・プ ロテ ス タ ン ト系 の福 音 主 義 的運 動 が 勢 い を増 して お り,都 市 で も農 村 部 で も既成 教 会 の地 盤 を 浸食 して い る。 比 較 的均 質 な宗 教 的活 動 と生 活 を 共 有 して きた 村 落 共 同体 で,セ ク トの増 大 は 共 同体 の統 一 を 脅 か し, 住 民 同士 の対 立 を もた ら して い る。
宗教 対 立 を取 り囲 む 社会 環 境 は,社 会 主義 経 済 か ら市 場経 済 へ の移 行 に よ って決 定 づ け られ て い る。市 場 経 済 化 は端 的 にい って 西 欧化(東 欧 の 人 々に いわ せ る と西 欧 「回 帰 」)で あ り,経 済 シス テ ムの み な らず 従 来 の 価 値 観 と ま った く異 な る文 化 ・社 会 シ ス テ ムが導 入 され る こ とを 意 味 す る。 す な わ ち,従 来 の社 会 主 義文 化 は 建 て 前 と して の平 等 性 と理 想 と して の協 同 性 に よって 支 え られ て きたが,新 た な シス テ ムは 個 人 の 選択 の 自 由 と経 済 的格 差 の 存 在 を肯 定 す る。 また 従 来 の シス テ ムに お い ては,宗 教 と 民族 主 義 を 徹 底 的 に抑 圧 す る こ とに よって 宗 教 集 団 あ る いは 民 族 集 団 の間 で の 対 立 と 抗争 は抑 止 され,ま た厳 しい監 視 体制 に も とつ く国 民 の管 理 に よ って個 人 間 の争 い も 抑 制 され て きた 。 しか し,新 しい シス テ ム は集 団 の統制 を放 棄 し個 人 の 自由 な活 動 を 解 き放 った ため,人hは 個 人 あ るい は集 団 で公 然 と争 い 合 う 自由を 手 に 入 れ た。 西 欧
1)ユ ニエ イ ト(合 同 教 会),東 方 典 礼 力 トリ ッ ク,あ る い は 東方 帰 一教 会 な ど と も呼 ぼ れ る キ リス ト教 の 教 派。 正 教 会 と同 じ典 礼方 式,教 会 規 則 を用 い る一 方 で,ロ ー マ ・カ トリ ック 教 会 と同 じ く教 皇 の首 位 権 を 認 め るの が 特色 。 ル ー マ ニ ア では,ト ラ ン シル ヴ ァニ ア の ル ー マ ニ ア人 正 教 徒 が1968年 か ら1700年 に か け て オ ース トリア ・ハ プ ス ブル グ帝 国 の支 配 の も と で カ ト リッ クに集 団改 宗 した こ とに よ って 成立 した。
国立民族学博物館研究報 告 22巻1号
化 は,市 場 内部 で の 自 由な 競争 と議 会 内 での 自由 な論 争 を理 想 とす るの で あ るが,現 実 に は 住 民 同士 の対 立 が 目立 って い る。 そ れ は,社 会主 義 体 制 下 で もか ろ う じて 保 た れ て い た一 種 の伝 統 的 な 共 同 性 が 消滅 してい く過程 の よ うにみ え る。
この よ うな認 識 に立 って 本 稿 で は,村 落 共 同 体 内 部 の宗 教 対 立 を 分析 す る こ とに よ っ て転 換 期 の ル ー マ ニ ア社 会 の 特徴 を記 述 す る。 都 市社 会 では な く村 落共 同体 を 対 象 とす るの は,村 落 共 同体 は 比 較 的 小 さな規 模 であ るが ゆ え に,そ こで は 「革 命 」 後 の 自由化 に よ って生 じた 衝 撃 の 影 響 を 地域 社 会 どそ れ に 属 す る人 々 の行動 か ら直 接 に観 察す る こ とが で き,ま た村 落 共 同 体 の な か には 戦 後 の ル ー マ ニ ア社 会 の歴 史的 経 験 と 特徴 を集 約 的 に み て とる こ とが で き るか らで あ る。 す な わ ち,社 会 主 義 時 代 の集 団 主 義 の典 型 で あ る集 団農 場 化 の経 験 とそ の解 体,教 会 と深 く結 び つ いた 宗 教 的心 情 の強 さ と世 俗 主 義 との 緊張,社 会 主 義 時 代 に 始 ま った 伝 統 的 慣 習 の変 化 の過 程,ル ー マ ニ ア社会 に お け る人hの 行 動 規 範 に しめ る農 民 的心 性 の影 響 とい った点 で あ る。 東 欧 に お け る宗 教 とナ シ ョナ リズ ム との関 係,お よび社 会 主 義 体 制 下 で の共 同性 と 「革 命 」 後 の そ の 変 容 に つ い て は,す で に 別 の機 会 に 論 じた こ とが あ る が1新 免1997a, 1997b,1997c],農 村 で の 実際 の調 査 に もとつ い た 本稿 は,そ こで論 じ尽 くせ なか った 村 人 の 具 体 的 な現 実 を 描 くこ とが で きるで あ ろ う。
ル ーマ ニア に おけ る農 村 調査 の歴 史 は古 く,社 会 学,民 俗 学 の 分 野 で膨 大 な集 積 が あ るが,人 類学 的 調 査 とな る とそ の数 は多 くは な い。 外 国 人 に よ る研 究 が大 部 分 を し め るが,そ の な か で筆 者 に と って参 考 に な った の は,ト ラ ソ シル ヴ ァ ニア の農 村 の 社 会 変 容 に 関 す る研 究 【BECK 1979;EvAscu 1980】,マラム レシs地 方 の農 民 の フ ォー ク ・イ デ オ ロギ ーに つ い て の研 究[KI,IGMAN 1988】,「革 命 」 後 の ル ーマ ニ ア農村 の 変 容 につ い て の研 究[KIDECK肌 1993】 な どで あ る。 本 稿 で は,こ れ らの研 究 を ふ ま え て,ル ー マ ニア北 部 の マ ラム レシ ュ地 方 の農 村 で 行 った現 地 調 査 を 通 して農 村 内部 の宗 教 対 立 の 原 因 を探 り,転 換 期 に あ るル ー マ ニ ア社 会 に つ い て考 察 す る。
2.村 の生 活 と宗教
2.1概 観
筆 者 が 調 査 を 行 っ た の は,ル ー マ ニ ア 北 西 部 マ ラ ム レ シ ュ 地 方 のA村 で あ る 。 マ ラ ム レ シ ュ地 方 の 面 積 は6,215平 方 キ ロ,人 口 は538,534人(1992年)か ら な る 。 標 高 1,000〜2,300メ ー トル の 山 々 が 連 な り,イ ザ,マ ラ,コ サ ウ,ヴ ィ シ ェ ウ な ど の 河 川
新免 農村の宗教対立を通 してみた転換期のルーマニア社会
に よ って で きた谷 沿 い の平 地 に人 々が暮 ら して い る。 マ ラム レシ ュ地 方 の産 業 と生 活 は,山 地 が 多 く平 野 に恵 まれ て い な い こ と と年 間 の平 均 気 温 が 低 い こ とか ら穀 物 生 産 には 適 して お らず,家 畜 の飼 育 と穀 物 の栽 培 を複 合 させ た 有 畜 農業 を基 本 と して い る。
他 方,豊 か な森 林 資 源 と鉱 物 資 源 に恵 まれ て い るの で,林 業 と鉱 業 が 発達 して い る。
社 会 主 義 時 代,マ ラム レシュ 地方 は両 義 性 を も った地 方 と して位 置 づ け られ た 。 山 間 の地 方 の 常 と して大 規 模 な機 械 化 農業 には 向 か ずr交 通 の不 便 な こ とか ら工 業 投 資 も見 送 られ て 「後進 地 域 」 と して と ど ま って いた 。 しか し,そ の一 方 で 「伝 統 的 」 な 生活 が 現 代 に も受 け継 がれ てい るが ゆ え に,ル ー マ ニア 民族 の揺 ら ん の地 と して賞 賛 され て いた 【KLIGMAN l9881。現在 で もまた,そ の置 か れ た 状 況 は さほ ど変 わ らな い 。 イ ソ フラ の遅 れ か ら投 資対 象 とは な らず,農 業 もまた 原 始 的 と住 民 み ず か らが 自嘲 す るほ ど立 ち 遅 れ て い る。 現 在 の と ころ 唯 一 の 有 望 な 産 業 は,「 ヨ ー ロ ヅパ 中世 の生 活 が 今 も残 る場 所 」 と して の観 光 だ け の よ うに 思わ れ るz)a
A村 は,人 口1,702人,戸 数600あ ま りの村 で あ る。 隣 接 す る2つ の村 と地 方 行政 単 位 で あ る コム ーナ3)を 構 成 し,行 政 機 関 事 務 所 が 置 か れ て い る。 ふ つ う3,000人 く ら い の 村 が 多 い マ ラム レシ ュ地方 の村 々 のな か で は 小 さい 方 に は い る。 民 族 的 に は ル ー マ ニア 人 が99%を しめ る。 マ ラム レシ ュ地 方 の 中心 都 市 の1つ で あ る シ ゲ ッ トは村 か ら20キ ロの距 離 に あ り,1日 に お よそ6便 の バ ス で村 は結 ば れ て い る。A村 は,マ ラム レシ ュ地方 の伝 統 と,お そ ら くは社 会 主 義 体制 下 で始 ま った 社 会変 化 が 共 存 して い る よ うに み え る村 で あ る。 家 並 み は伝 統 的 な 木造 家 屋 が 立 ち並 び,マ ラム レシ ュ地 方 が 誇 る木 彫 りの 門 も林 立 し,い わ ゆ る伝 統 的 な村 の外 見 を も って い る。 しか し,そ の一 方 で 村 人 の 生活 はす でに シ ゲ ッ トに大 き く依存 し,仕 事,教 育,消 費,医 療 の面 で都 市 の 影 響 に取 り込 まれ て い る。
この村 の 経 済 は,農 業 と近 くの シゲ ッ トで の賃 金 労 働 に よ る収 入 を 中心 と して い る。
賃金 労 働 者 のな か で は,ト ラ ック の運 転手 が多 い 。 他 に は木 材 加 工 工 場 の 労働 者,鉱 山労 働 者,教 師 な どが い る。 農 業 は 輪 作 を行 い,穀 物 と して は小 麦,カ ラス麦,じ ゃ が い もな どを 生 産 す るが,土 地 は 丘 陵 が 多 く,大 規 模 な農 業 に は 向 いて い な い。 現 在 は土 地 もや せ てい るの で,家 畜 に よ る有機 肥 料 が 欠 か せ な い もの とな って い る。 家 畜
2)例 外的 に サ プ ンツ ァ村 では 織 物 に よ って潤 って い る が,そ れ も 「陽 気 な墓 」 を訪 れ る観 光 客 に か な り依 存 して い る。
3) コム ー ナ の人 口は3,822人 で,農 地 面 積 は5,775ヘ ク タ ール(そ の 内訳 は耕 地200ヘ クタ ー ル, 放牧 地1,764ヘ ク タ ール,牧 草 地2,682ヘ クタ ー ル,果 樹 園99ヘ クタ ー ル)。 人 口に 対 して耕 作 可 能 な 土 地 が 少 な い こ とがわ か る。 な お さま ざま な統 計 資 料 は コ ム ー ナを 単 位 と して い るた め,村 単 位 の資 料 を 得 る こ とは難 しい。
国立民族学博物館研究報告 22巻1号 には 羊,牛,山 羊,豚 ア ヒル,鶏 な どが い る。 羊 は夏 の間,羊 飼 い に 託 され ウ ク ラ イ ナ国 境 に近 い放 牧 地 で過 ごす。 夏 の短 い マ ラム レシ ュ地 方 では,羊 た ち は5月 初 め に村 を 離 れ,8月 の終 わ りに 村 に帰 っ て くる。社 会 主 義 時 代 には,ル ーマ ニア の大 部 分 の 村 の例 に漏 れ ず この 村 も集 団化 され,土 地 は ほ とん ど強 制 的 に 取 り上 げ られ,国 営 集 団 農場 や農 業 生 産 協 同組 合 で管 理 され る よ うに な った 。 農 民 は 農業 労働 者 と して 集 団 農 場 で 勤 務 す る こ とに な り,決 め られ た 労 働 時 間 とノ ル マが 課 せ られ た。 「民 主 革 命 」後 の現 在 では 土 地 は返 還 され,農 民 は それ ぞ れ の私 有 地 を耕 作 して い る。
2.2農 業 集 団 化 と村 人
農 業集 団化 は東 欧 ・ソ連 の社 会 主 義 国家 を特 徴 づ け る政 策 で あ った が,ル ー マ ニ ア で も戦後 の共 産 主 義政 権 が農 民 の激 しい抵 抗 を排 除 しな が ら強 引 に集 団 化 を 進 め て い った。 この政 府 方 針 の背 景 に は,ル ーマ ニア に固 有 と もい え る農 村 問 題 が あ った 。 す な わ ち,相 続 に よ って細 分 化 され た 農地,農 村 に お け る人 口過 剰;原 始 的 な 農 業 技 術 な どを原 因 とす る農村 社 会 の停 滞 で あ る。 これ らは,近 代 に 入 っ てか らル ーマ ニ ア社 会 に常 につ き ま と って きた が,解 決 す るた め の農 村 改革 は こ と ご と く失 敗 して きた 。 赤 軍 の 占領 下 で の政 治 的 闘 争 の 結 果,1947年 に権 力 を完 全 掌 握 した ル ー マ ニア共 産 党 は膨 大 な農 業 人 ロ と未 発 達 な工 業 とい う伝 統 的 な課 題 に 直面 した ば か りで は な く,ソ 連 か らは 多 額 な賠 償 義 務 も課 せ られ た。 問 題 の 解決 策 と して共 産 党 は,農 村 の集 団 化
と重 工 業 化 を 柱 とす る ス タ ー リソ主 義 的 政 策 を導 入 した。 こ の集 団 化 に 国家 が期 待 し た のは,政 治 的 に は農 村 共 同 体 の 解体 に よ って農 民 を社 会 主 義 社 会 へ 統 合 す る こ とで あ り,経 済 的 に は合 理 的 な 農 業 を築 くこ とに よ って農 業 生 産 性 を 上 げ 産業 発 展 の基 礎 とす る こ とで あ った 【VERDERY l983】。 図式 的 に は,ま ず 農 村 を 集 団 化 す る こ と で 国 家 管 理 を農 村 に浸 透 させ て 穀物 を都 市 労 働者 に安 定 供 給 させ る。 次 に集 団化 に伴 う農 業 の 近代 化 と合 理 化 で 生 産 性 を上 昇 させ,同 時 にそ のた め の 機 械 類,化 学 肥 料 な ど の 工 業 製 品 の需 要 に よって 国 内市 場 を 形 成す る。 そ して 農 村 で 生 じた余 剰 労 働 力 を 産 業 労 働者 と して 吸収 し,重 工 業 に集 中投 資 す る こ とで急 速 な工 業化 を 図 る とい うもの で あ った。 この共 産 党 の政 策 は,戦 間 期 の 自由党 の 経 済 政 策 に 類似 して お り,ど ち らの 政 策 も経 済 的 従 属 か ら抜 け 出 し,自 給 的 で広 範 な 発 達 を 遂 げ た産 業 構 造 を 望 ん だ とい
うこ とが で き る。
集 団化 の過 程 は,ま ず 農 村 の集 団化 の方 向が1949年3月 の共 産 党 大 会 で 決 定 され た の を受 け て,戦 後 ま もな くの農 業 改革 に対 して 「第 二 次農 業 改 革 」 と呼 ば れ る改 革 に よ って始 め られ た 。 この改 革 では50ヘ クタ ール を超 え るす べ て の所 有 地 が収 用 され,
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これ に よ って 農 業 の社 会 主 義 セ クタ ーが 創 設 され,同 時 に中 央 委 員 会 は富 農 と戦 わ せ るた め に貧 農 を動 員 して農 村 に お け る階 級 闘 争 を 組織 した 。次 に 「農 業 生 産 協 同 組合 」 と 「機 械 ・ トラク タ ー ・ス テ ー シ ョン」 の設 立4)を 発表 し,富 農 撲 滅 を ね らった 財 政 的 差 別 措 置 を 利用 して協 同組 合 の設 立 を急 い だ5)OA村 に お い て も同様 に集 団化 が 進 め られ た 。 村 人 に よる とA村 で の 集 団 化 は,ま ず マ ラム レシ ュ地 方 の 中心 都 市 で あ るバ イ ア ・マ ー レか ら共 産 党 員 が プ ロパ ガ ソ ダのた め に村 を訪 れ,土 地 を 収 用す る た め に 貧 農 や土 地 を もた な い労 働 者 を 扇動 す る こ とか ら始 ま った。 同 じマ ラ ム レシ ュ地 方 で も,イ ザ 川 流 域 の村hは 村 人 の 団 結 が 固 く集 団化 を免 れ た が,A村 で は 村 人 が 団 結 して 政 府 に対 抗 す る こ とが で きな か った と村 人 は語 る。 そ して,協 同組 合 へ の参 加 を 拒 む 農 民 に は集 団で 家 に押 し掛 け,加 入書 に署 名 す る まで 脅 した。 現 在 で も,そ
う した 脅 しを 受 け て土 地 を 手放 した とい う農 民 の 家族 は,当 時 を振 り返 って 語 る と き 憎 しみ を 隠 さな い。 一 方,全 国 的 に農 民 の 抵 抗 は 執拗 であ った の で1951年 の中 央 委 員 会 会 議 では 強 制 措 置 の利 用 が 批 判 され,土 地 と家 畜 が私 有 とな る協 同組 合 の創 設 に よ って緩 和 が はか られ た。 しか し,1952年 に は 私 的 セ クタ ー で耕 地 面積 に応 じて特 定 量 の 生産 物 を特 定 価 格 で 義務 的 に供 出 させ る制 度(強 制 供 出 割 当制 度quota)が 導 入 さ れ た。 これ は農 民 に 協 同組 合 加 入 を説 得 す るた め に 経 済的 圧 迫 を加 え る方 法 で あ り, 多 くの 農 民た ち の恨 み の 的 とな った 。 当時 の状 況 は 非常 に厳 しい も ので,た とえぽ, 強 制 供 出 の割 当 て の きび し さに耐 え か ね て乳 牛 を夜 陰 に乗 じて殺 した た め に,隣 人 の 密 告 に よ って投 獄 され た 人 が い た とい う。1953年 の ス タ ー リソの死 は ル ーマ ニア に も 影 響 を 与 え,非 ス タ ー リン主義 化 の流 れ の な か で強 制 供 出 割 当 制 度 は1956年 に は廃 止 され,一 方 集 団 化 は抑 制 され た。 しか し,1959年 に は集 団 化 が 再 開 され,農 業 に お け る賃 金 労 働 が 禁 止 され,中 農 が 自力 で耕 作 で きな い土 地 は 没 収 され た。 こ う して 集 団 化 は1962年 に 終 了 した。
しか し,組 合 農場 の賃 金 は 低 く,農 民 は そ れ だ け では 生 きて い くこ とが 困難 で あ っ た。 そ の ため に 村 人 は夜 の間 に 畑 か ら野 菜 を 盗 み 出す こ と も多 く行 わ れ た とい う。 そ こで 農 民 た ち は生 き残 りのた め の戦 略 を選 び とる こ とに な る。 す な わ ち家 族 の うち1 人(多 くの場 合 主 婦)が 組 合 員 とな って農 場 で働 いて,組 合 員 に認 め られ て い る個 人 土 地 用 益 権 を確 保 し,一 方 家 の主 人 は 出稼 ぎや 近 くの町 の工 場 労 働 者 とな る こ とに よ
4) 国 営 農 場 は 完 全 に 国家 に よ って 所 有 され,労 働 者 は 国家 か ら給 与 を 受 け取 る社 会 主 義 的 な 資 産 形 態 で あ る。 農業 生 産 協 同農 場 は,理 論 的 に は土 地 と労 働 力 を 提 供 した構 成 員 に よ る集 団所 有 に も とつ く。 機 械 トラ クタ ー ス テ ー シ ョ ソは機 械 を 供給 す るセ ンタ ーで あ る。
5) 1949年 に は56協 同組 合 が 成 立,1950年 には1,000の 協 同 組 合,25万 ヘ ク タ ール の 土地,138 の ス テ ー シ ョソの 規模 に 達 した 。
国立民族学博物館研究報告 22巻1号 っ て現 金 収 入 を得 る とい うもの で あ る。 土 地 か ら得 られ る作物 と現 金 収 入 は,暮 ら し の不 足 を 補 った。 また 個 人土 地 用 益権 とい うの は社 会 主 義 経済 自体 の重 要 な部 分 とな った 。 社 会 主義 セ クタ ーの生 産 性 に 比べ て は るか に 高 い生 産性 を もち,生 産 と流 通 に 関 す る国 家政 策が 引 き起 こ した一 般 の食 料 不 足 を この個 人 に よ る生 産 が か な り補 って
いた ので あ る6)0
とこ ろで,社 会 主 義 政 権 の 労 働 者優 遇 策 もあ って,こ の農 民兼 工 場 労 働 者 とい う農 民 の戦 略 は 成功 したか に み え た 。 しか し,工 場 労働 や 農 場 で の 労働 の後 で 個 人 用 益 地 を維 持 す る こ とは か な りの重 労働 とな り,協 同 組合 員 は 個 人 用益 地 に精 を 出す 一 方 で 集 団農 場 で の協 同作 業 に は 手 抜 きをす るた め に 農場 の耕 地 は 次第 に荒 廃 してい った 。 管 理 者 は 国 家 へ の納 入 ノル マを 果 た す ため に,季 節 労働 者 を 雇 って まで労 働 力 の確 保 に苦 労 す る こ とに な り,ま た ノル マ を果 た す た め に は現 金 で穀 物 を 買 い入 れ て 供 出 す る よ うに もな った。 大 部 分 の 社 会 主義 国家 で 農 業 生産 が 低 下 し,食 料 不 足 に苦 しむ よ うに な った の は,こ う した 農 業 集 団化 の結 果 な の だ とい え よ う。
集 団 化 の村 の生 活 へ の影 響 は,そ うした 経 済 的 な面 に とど ま らず 社 会 的,文 化 的 な 面 に もお よん だ。 集 団農 場 や 組 合 の 労働 ノル マ の た め に,日 曜 や祭 日に も労 働 が 強 制 され,本 来 は 教会 に よっ て禁 じられ た安 息 日の 労働 が行 わ れ る よ うに な った 。 そ れ に と もな っ て,日 曜 の午 後 に 村 人 に よ って行 わ れ て い た ホ ー プ(輪 舞)も 廃 れ た 。 また 労 働 形 態 の変 化 と工 業 製 品 の流 入 に よ って,麻 に よる衣 服 が 少 な くな った ため シ ェザ トワー レ とい う女 た ち の夜 なべ の 習慣 も消 え てい った。 これ は 口頭 で伝 承 され て きた 多 くの物 語 や歌 が 失わ れ る こ とを 意 味 した 。 もち ろ ん,こ れ らの こ とはす べ てが 集 団 化 つ ま り社 会 主義 の影 響 ぽ か りで な く,貨 幣 経 済 の 浸透 な ど広 い 意 味 で の近 代 化 の影 響 で あ る とい え よ うが,村 で の調 査 か らは集 団 化 とそれ に と もな う労働 ノル マ の強 制 に よ って村 の 伝統 的 な生 活 が 変 わ った とい う思 い を村 人 が 強 くも って い る こ とが理 解 され る。
「民 主 革 命 」 後 の土 地 の私 有 化 に よ って村 人 た ち に は,以 前 の 土地 が10ヘ クタ ール を 上限 に返 還 され た。 す で に土 地 を離 れ て しま った農 民 や 協 同 組 合 で の仕 事 を 好 んで 個 人 農 業 を 行 うこ とを望 ま な い農 民 もい るが,土 地 を再 び 手 に 入れ た農 民 た ち に と っ て は,市 場 化 に よ る物 価 高 騰 が続 くな か で生 存 を 確保 す る重 要 な手 段 とな って い る。
6)個 人 的用 益 地 は1970年 代 に は 耕 作面 積 の8%を しめ,一 方 国営 農 場 は19%,用 益 地 を の ぞ い た協 同組 合 は68%だ った 。1975年 に は,用 益 地 の穀 物 の生 産 は おお ざ っば に い って 比 率 で 10%,国 内全 体 の 肉生 産 の3分 の1,じ ゃが い も と野菜 の36%,ミ ル ク の38%,果 物 の40%, す べ て の卵 の 半 分 を 生産 して い た[VERI)ERY 1983】。
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2.3村 の 生 活 と宗 教
現 在 の ル ー マ ニ アで は,「 革 命 」 後7年 を へ て 社 会 の変 化 も農 村 部 に ま でい っそ う 深 く浸透 して い る。 社 会 主義 時 代 の習慣 が今 も残 って い るが,協 同組 合 の解 体 と土 地
の返還 は急 激 な変 化 を 農 民 の生 活 に もた ら した 。 人 々の 思考 パ タ ー ンに変 化 が 生 じた とい うに は まだ は や い が,受 動 的 な 生活 か ら個 人 の 積 極 的 な労 働 意 欲 の存 在 す る余 地 が 生 まれ た よ うに 思 わ れ る。 また 宗 教 の 自由化 は,農 村 の なか に さ ま ざ まな宗 派 が 混 在 す る状況 を生 み だ して い る。
A村 の特 徴 の1つ は,ル ー マ ニア で は 珍 し く グ レコ ・カ ト リッ クが村 の 多数 派 を しめ る とい うこ とで あ る。 人 口1,700人 あ ま りの村 人 の うち,約1,100人 が グ レ コ ・カ トリッ ク,111人(政 府 資 料)も し くは154人(グ レ コ ・カ トリ ック司 祭 の資 料)が 正 教 会 に属 して い る。残 りの人 々は.ネ オ ・プ ロテ ス タ ン ト諸 派 とい うこ とに な る。 村 人 た ちが セ ク トとか ポ カ イ ッ トと呼 ぶ ネ オ ・プ ロテ ス タ ソ ト諸 派 の福 音 主 義 運 動 に は,エ ホバ の証 人,バ プテ ィス ト,ペ ソ タ コス タル,ミ レニス トな どが あ る。 さ らに, 正 教会 内部 か ら生 じた福 音 主 義 運 動 で あ る 「主 の 軍 隊 」7)の 信 者 が か な りい る。 セ ク
トと 「主 の 軍 隊 」 とは,聖 書 の勉 強会 と祈 りを 重 視 す る 点 で似 て お り,村 人 は この 両 者 を ほ とん ど同 一 視す る が,セ ク トの人hが 教 会 行事 に ま った く参 加 しな いの に対 し て,「 主 の軍 隊 」 の人 々 は教 会 行 事 に も熱 心 に 参 加 し,教 会 内 活 動 の 一 線 を 越 え て い な い こ とが 特 徴 で あ る。
さて,グ レコ ・カ ト リッ ク教 会 に属 す る村 人 の 宗 教活 動 は,村 の はず れY'あ る2つ の教 会 と 「革 命 」 前 か らこ の村 に暮 ら して い る司 祭 を 中心 と して 行 われ て い る。 日曜
日や教 会 の祝 祭 日に は,現 在 で も多 くの村 人 が 教 会Y'集 ま りミサ に 参 加す る。 重 要 な 祝 祭 日 と して は,ま ず 春 の復 活 祭,夏 の聖 母 就 寝 祭,そ して 冬 の 降誕 祭 とそ れ に 続 く 公 現 祭 が 挙 げ られ る。 そ のほ か に 多 くの聖 人 の 日が あ り,ま た 死者 の 日,諸 聖 人 の 日 な どの特 別 な 祭 日が あ る。 これ らの 宗教 的 祭 日は 生 業 の サ イ クル と関 わ って お り,人
々の1年 の 生 活 を季 節 ごとに 分 節化 す る とと もに,教 会 での ミサ に よ って精 神 的 に も 村 人 を 教 会 に つ な ぎ止 め てい る。
復 活 祭(イ ース タ ー)は い うまで もな く救 世 主 イ エ ス の復 活 を 祝 うキ リス ト教 最 大
7)正 教 会 司 祭 ヨ シ フ ・ ト リフ ァに よ って 創 設 され,ル ー マ ニア正 教 会 のな か で 非 常 に 大 きな 成 功 を 収 め た 福 音 主 義 的 覚醒 運 動 。 ル ー マ ニ アに 浸 透 して きた ネ オ ・プ ロテ ス タ ソ トの 影 響 へ の正 教 会 の 側 か らの 対抗 的 な運 動 とみ な され る。 ル ーマ ニア西 部 に 広 く普 及 し,聖 書 の研 究,熱 心 な 説 教,福 音 主義 的 行動 を促 進 す る こ とが 特 徴 で,信 者 は キ リス トの 兵 士 とな って 自分 自身 や 世 界 の な かY'あ る悪 と戦 う こ とを求 め られ る。
国立民族学博物館 研究報告 22巻1号 の行 事 で あ り,春 分 を 過 ぎた最 初 の満 月 の後 の 日曜 日に行 われ る移 動 祭 日で あ る。 村 人 は,子 羊 を屠 っ て ご ちそ うを用 意 し,家 の 中 を は き清 め,前 日には 身 体 を洗 って祭 日に備 え る。復 活 祭 の1週 間前 の 日曜 日は 枝 の主 日 と呼 ば れ,教 会 で ミサ が 行わ れ, 村 人 は 聖 別 され た ネ コヤ ナギ の枝 を家 に 持 ち 帰 る。 こ の枝 は 台所 の隅 に置 かれ て,家 族 の健 康 を 守 る とされ て い る。 復 活 祭 当 日に は,夜 が 明げ や らぬ頃 か ら ミサ が教 会 で 行 わ れ,村 人 は用 意 した 食 物 を教 会 に運 ん で 祝福 を受 け る。 復活 祭 が 終 わ れ ぽ,農 耕 の季 節 の 始 ま りで あ る。 耕 作 と播 種 が行 わ れ,羊 た ち は それ ぞ れ の家 か ら1ヵ 所 に集 め られ,夏 の 放牧 地 へ と出か け て い く。
8月15日 の 生 神女 就 寝 祭 は,カ トリッ クで い うと ころ の聖 母被 昇天 の祭 日で あ る。
ル ーマ ニ ア中 で聖 母 を守 護 者 とす る教 会 へ 人 々が巡 礼 す る。 マ ラ ム レ シ ュ地 方 で は, 2ヵ 所 大 きな 巡 礼 地 が あ るが,グ レ コ ・カ トリ ックの 人hは ジ ュ レ シ ュチ とい う村 に あ る教 会 で ミサ を 行 う。 この 日が過 ぎて しば ら くすれ ば,秋 の 訪 れ を 感 じる よ うに な
り,作 物 の収 穫 が 始 まる。
10月 末 に教 会 の 死 者 の 日が あ る。 村 に よって 日は 異 な る。 人 々は 教 会 に集 ま り,ミ サ に参 加 し,そ れ ぞ れ の近 親 者 の個 人 の墓 に ろ うそ くを 供 え て魂 の 平 安 を願 う。 グ レ
コ ・カ ト リッ ク教 会 は,ロ ーマ ・カ トリ ヅク教 会 同様 に煉 獄 の 存 在 を公 に認 め て お り, 人 々は死 者 の運 命 が ミサ な どの生 者 の行 い に よって 影 響 され る と信 じてい る。
12月 に入 る とい っそ う冬 と祝 祭 の訪 れ を意 識 す る。 まず12月8日 は 聖 ニ コ ラエ の 日 で,子 ど もた ちは 贈 り物 を楽 しみ に眠 りに つ く。 この 時 期,ど この家 で も豚 の屠 殺 が 行 わ れ る。 この季 節 のた め に 各家 で飼 って きた豚 を 屠 って 解体 し,ソ ー セ ー ジな どに 加 工 す る。 解 体 は 男 の 仕 事 で,女 た ちは 補助 的 な仕 事 を行 う。12月25日 の降 誕祭(ク
リス マ ス)は,イ エ ス ・キ リス トの誕 生 を 祝 う重要 な 祭 日で あ る。 この 日か ら1月6 日の公 現 祭 まで は大 晦 日と新年 を挟 ん で特別 な 時期 に な る。 特 に雪 に 閉 ざ され る マ ラ ム レシ ュ地 方 で は,村 人 は 暖 か い 台所 での 会 話 の楽 しみ を求 め て 訪 問 を繰 り返 す 。 だ が,休 息 期 の この時 期 にお い て も家 畜 の世 話 は 決 して お ろそ か に され る こ とは な い 。 子 どもた ちは ク リス マ ス ・キ ャ ロル(コ リンダ)を 歌 い なが ら村 の な か を 門付 け して 回 る。
1月6日 は 「主 の公 現 祭 」 で あ る。 これ は イ エ ス が洗 礼 者 ヨハ ネ に ヨル ダソ川 で 洗 礼 を 受 け た こ とを 記 念 す る行 事 で あ る。A村 で は2日 に わ た って 行 われ る。 村 の 司 祭 が一 軒 一 軒 信者 の家 を回 り,祝 福 を して回 る。 信 者 は ごちそ うと ツイ カ8)を 用 意 し て 司祭 を 迎 え る。 そ して2日 目に は イ エ スが 受 け た洗 礼 に倣 って 川 へ 行 き,記 念 の ミ
8)村 の蒸留所へ果 実を持 ち込んで作 る50度を超 える強い蒸留 酒。
新免 農村 の宗教対立を通 してみた転換期 のル ーマニア社会 サ を行 う。
これ らの共 同体 に 関 わ る公 的 な教 会 の機 能 の他 に,家 庭 内 の 私 的 な領 域 で の教 会 の 役 割 は,い わ ゆ る通過 儀 礼 で あ る出産(洗 礼),結 婚,葬 式 に お いて 現 在 も際 立 っ て い る。 洗 礼 は キ リス ト教共 同体 へ の参 加 条 件 で あ り,村 落 共 同体 が キ リス ト教 共 同体 とほ ぼ重 な る状 態 で は,役 所 で の 出生 届 以 上 に重 要 な儀 式 とな る9)0洗 礼 に お い て は, 名 付 け 親 の存 在 が非 常 に 重 要 で あ った 。 名 付 け 親 は,洗 礼 に関 わ る費 用 と将 来 の結 婚 の費 用 もか な り負担 す る名 誉 あ る役 割 で あ った 。 子 の方 は,そ う した 贈 与 に対 して労 働 力 の提 供 で応 じた 。 現在 のA村 で は,名 付 け 親 自体 は 存 在 す るが,そ う した 意 義 は失 わ れ て い る。
結 婚 式 に つ い て は,現 在 で も教 会 の 関与 が信 者 に と って 必要 不 可 欠 な もの とい って も よい。 結 婚 は 役所 へ の登 録 で 法 律上 は成 立 す る ので あ るが,教 会 へ の儀 式 を 省 略 し よ うな ど とい う人 は い な い。 この 教 会 で の儀 式 と村 の集 会 所 で の 大勢 の招 待 客 を 集 め て の 披 露 宴 が,結 婚 の 大 切 な 行 事 で あ る。 招 待 客 は,ふ つ う2‑300人 に も上 る 。 そ れ を まか な う出費 は 大 きな負 担 とな るが,そ れ に よ って社 会 的 ネ ッ トワー クの維 持 が は か られ る。 招待 客 は,新 郎 新 婦 のた め に 現 金 あ る い は何 か しら の贈 り物 を用 意 す る。
葬 式 もま た,洗 礼 と結 婚式 同様 にキ リス ト教 徒 に は不 可 欠 の儀 式 で あ る。 教 会 に 忠 誠 を 誓 って い る信 者 の多 くは,現 在 で も死 後 の 復活 を 強 く信 じてい る。 死 後 の魂 の平 安 と復 活 の た め に は,遺 族 は葬 儀 を行 わ なけ れ ぽ な らな い し,追 善 の 法要 も欠 か す こ とは 許 され な い 。 した が って,死 後 の運 命 を 気 遣 って くれ る子 孫 を 残 す こ とは,重 要 な意 味 を もつ 。教 会 の墓 地 で の埋 葬 が終 わ る と,葬 列 に 参 加 した人hは 追 善 の食 事 に 与 る。雪 の 中 で も,人 々は 庭 に 用 意 され た長 い テ ー ブル に 向 か い合 っ て座 り,ス ー プ, サ ル ・マ ー レ(ロ ール ・キ ャベ ツ),ツ イ カや ビー ル で供 応 され る。 こ う した 追 善 は 死者 のた め の功徳 を積 む こ とであ り,同 時 に村 々の 共 同 性 を 維持 す る機 会 とな る。
グ レコ ・カ トリヅ ク教 会 の 村 内 で の組 織 運 営 は,司 祭 を 中心 と して補 祭,寺 男 の3 人 に よ って行 わ れ る。 司祭 の給 与 は 社会 主 義 時 代 か ら国 家 の 補 助 金 に た よって い る。
だ が,そ の額 は非 常 に 少 な く実 質 的 に は村 人 の寄 付 に よ って 生 活 して い る。 村 人 が教 会 に寄 進 す る機 会 は,枚 挙 に い とまが な い。 あ らゆ る ミサ で寄 進 が 行 われ る し,年 の 暮 れ に は 司祭 へ信 者 た ち は 農作 物 を運 ん で い る。 この よ うな関 係 を み る と,司 祭 とい
9) 具 体 的 な 習 慣 に つ い て は,残 念 なが ら筆 者 の 滞 在 中 に 洗 礼 行 事 を 観察 す る機 会 が なか った の で デ ー タを 欠 い て い る。 た だ し,教 会 の ミサ に お け る司 祭 の 説教 で,出 産 の減 少V'対 す る 教 会 の危 惧 が 明 らか に な った。 司祭 は 出産 が 減 少 して い る こ とを 憂 い,具 体 的 に1年 間 の村 で の 出産 数 を挙 げ,こ の ま ま で は キ リス ト教 共 同 体 が 解 体 す る と警 告 し,村 人 に子 ど も を生 む よ うに勧 め て い た。
国立民族学博物館研究報告 22巻1号 う存 在 は 一 般 的 に い って教 会 の 権 威 を楯 に村 人 か ら搾 取 して い る よ うに も思わ れ る。
た だ し,こ の村 の 司祭 はか な り質 素 な暮 ら しを 守 って い るの で,村 人 か らの反 感 とい うものは 受 け て い な い。 もちろ ん,家 族 が い る以 上修 道 僧 の よ うな わ け に は いか ない だ ろ うが,他 の村 に はず いぶ ん と豊 か な暮 ら しを して い る司 祭 もい るの で,そ の対 照 は 著 しい。 補 祭,寺 男 につ いて は 司 祭 か ら,い くらか の給 与 が 支 払 わ れ る。 教 会 の運 営 に つ い て,い ろ い ろ な問 題 は 司 祭 の発 案 に も とつ い て男 性 信 者 の 集 ま りだ け で討 議
され る。
女性 の社 会 的 立場 に関 して は,女 性 は基 本 的 に は教 会 の運 営 を め ぐる議 論 には 参 加 しな い のが 習 慣 の よ うで あ る。 年 輩 の 女性 に理 由を確 認 した とこ ろ,大 切 な問 題 は男 性 が 決 め る もの だ とい う答 えが 返 って きた。 公 的 な 問題 に は 男 性 が 中心 とな っ て関与 す るの が習 慣 とな って い る。 この こ とか らもわ か る よ うに,現 在 で も村 で は男 女 の役 割 分担 が か な りは っ き りと行 わ れ て い る。 労 働 に関 して も家 内労 働 は 女性 の分 担 であ り,女 性 が料 理r洗 濯,掃 除,機 織 りな どを行 う。 一 方,堆 肥 の 運 搬,家 畜 の食 料 用 と して の干 し草 の 刈 り取 り,牛,子 羊,豚 の屠 殺 ・解 体 は 男 性 の役 割 とな って い る。
教 会 で の椅 子 の座 り方 で は,祭 壇 に 向 か って右 側 に 男 性,左 側 に 女 性 が座 る傾 向 にあ り,前 後 関 係 では 男 性 が前 に,女 性 が 後 ろ に座 った り立 った りす る。 以前 は,教 会 内 部 は 入 り口ま で しか 女性 は入 れ なか った が,今 では そ うい う規 則 は ない。 しか し,女 性 は 遠慮 が ち に振 る舞 うの がふ つ うで あ る。 教 会 のイ デ オ ロギ ーが 男 女 差 を構 築 して い る との指 [KI,IGMAN 1988】が あ るが,否 定 はで きな い と思 わ れ る。
正 教徒 の人 た ちの 暮 ら し も,ほ ぼ 同様 で あ る。 教 会 と司祭 を 中心 とす る点 で は異 な る と ころ は な く,教 会暦 に よる祭 日や 農 業 に関 わ る1年 の サ イ クル も同 じで あ る。
セ ク トの人hは,教 会 活動 に参 加 せ ず 自分 た ち の集 団 で それ ぞれ の祭 礼 を 行 う。 礼 拝 は,中 心 的 な信 者 の 家 に集 ま って行 うか,村 の 中に 集会 所 が あれ ぽ そ こに 集 まる。
筆 者 の 参 加 した ペ ンテ コス タル,エ ホバ の 証 人,「 主 の軍 隊 」 の集 会 で は,礼 拝 は祈 薦 と讃 美歌 を 中心 と して い た。 祈 りを 行 うとき は,祈 りを声 に 出 して,は っ き りと神 へ の帰 依 を表 明す る こ とが求 め られ る。 誰 の祈 薦 に も非常 に強 い感 情 が 込 め られ て い るが,型 に は ま った 印象 も与 え る。 そ の 強 い感 情 移 入 の様 子 か らは,い つ 悦惚 状 態 に 陥 って も不 思議 で はな い と思わ れ る。 礼 拝 は通 常 世 俗 信徒 の リー ダー シ ップで行 わ れ
るが,村 外 か ら説 教 者 が きて教 え を説 くこ と もあ る。
2.4 村 人 の価 値 意 識
村 人 の 宗教 的活 動 と生 活 実践 につ いて は 以上 で 明 らか に な った と思 わ れ るが,調 査
新免 農村の宗教対立を通 してみた転換期のル ーマニア社会
と文 献 か ら得 られ た村 人 の土 地,家,家 族,教 育 な どに つ い て の考 え方 を ま とめ て補 足 して お く。
まず 農 民 に と って の土 地 とは,伝 統 的 に は家 の繁 栄 を 象徴 す る も の であ った と思 わ れ る。 貨 幣経 済 が 浸透 す る 以前 の 農 村 生 活 に お い ては,多 くの土 地 を も ち,そ れ を 耕 作 す る労働 力を も って い る こ とが 富 を 意 味 して いた で あ ろ う。 そ の名 残 りは,今 もな お花嫁 道 具 に大 量 の ベ ッ ドカバ ー,絨 毯,ク ッシ ョン,衣 装 を 用意 す る こ とに もみ ら れ る。 しか し,土 地 の 集 団 化 は,そ う した 農 民 の価 値 観 を 不 可 能 に した。 土 地 の売 買 に よる拡 大 は お ろか,私 有 す らで き な くな った 。集 団化 に よ る生 活 の 変化 で他 の地 方 で働 くよ うに な って手 に 入 れ た現 金 は,大 き な家屋 を建 て る こ とに 使 われ,土 地 に 代 わ って家 屋 が繁 栄 の象 徴 に 代 わ って きた よ うに 思 わ れ る。
大 き な家 族 は 同 じ く家 の繁 栄 を表 して い る と考 え られ るが,そ れ は 同 時 に カ ト リッ ク的 な価 値 観 の反 映 で も あ る。 教会 の説 教 で も,道 徳 の要 と して,あ るい は共 同体 の 維 持 の た めに 家族 の重 要 さが 強 調 され る。 ま た家 族 は 労働 力を 意 味 す るが,同 時 にそ れ は社 会 的 な ネ ッ トワ ー クを 形 成 す る主 体 で もあ る。 婚姻 に よ って ネ ッ トワー クは広 が り,労 働 交 換 に よ って さ らに多 くの 労働 力 を集 約 す る こ とが可 能 に な る。現 在 も親 戚 の 間 で の労 働 交 換 は 大変 多 く行 わ れ て い る。 外 の村 に嫁 に 出 た娘 も,農 繁期 に は夫 を 連 れ て村 へ 帰 り,農 作 業 を一 緒 に 手伝 って い る。
教 育 の 重要 性 は,村 人 に よ ってか な り大 きな認 識 の差 が あ る。 教 師 の子 ど もは,誰 よ りも大 きな利 点 が あ る。 教育 関 係 者 の 子 ど もは,ほ とん ど例 外 な く比 較 的 高 い 教 育 を受 け て い る。 た とえぽ,小 学 校 の付 属 幼 稚 園 の教 師 の息 子 は クル ー ジ ュ大 学 の 数 学 科 を卒 業 して い る。 隣 村 の 小学 校 へ 通 って い る教 師 の娘 は ブ カ レス ト大学 に在 籍 して
い る。 た だ し,教 師 は さほ ど農 民 に尊 敬 され て は い な い。
信仰 に つ い て は,教 会 の建 物 そ の もの の意 義 が重 要 で あ る。 あ る村 人 は,「 正 教 会 で あれ,グ レコ ・カ ト リッ クで あれ,そ こに あ るの は昔 か らの 自分 た ちの教 会 で,こ の 教会 の信 仰 を 守 るの だ」 と語 って くれ た 。こ の言 葉 は,司 祭 は 教会 の付 属 物 で あ り, 何 よ り大 切 なの は 自分 た ち の伝 統 な の だ と解 釈 で き る。 た だ し実 際 に は,司 祭 が 正 教 会 の 信仰 だ とい えぽ そ れ に従 う し,グ レ コ ・カ トリ ッ クの 信仰 だ とい えぽ そ れ'/rも従 うこ とが 多 い よ うだ 。正 教 会 か グ レコ ・カ トリッ クか とい う信仰 の問 題 は,多 くの場 合 村 の 司 祭 次第 なの で あ る。 この こ とは,正 教 会 と グ レ コ ・カ ト リ ック教 会 が儀 式 に お い てほ とん ど違 いが な い た め であ ろ う。 つ ま り,教 義 に 関 係 す る信 条 の問題 で あ る
よ りは身 体 化 す る ほ どに 慣 れ親 しんだ 日常 的 実 践 の 問題 な の で あ る。
国立民族学博物館研究報告 22巻1号
、
3.宗 教 対 立 の現 状 とそ の要 因
前 章 で記 述 したA村 の暮 ら しに 亀 裂 を もた ら してい るの が,宗 教 を め ぐる対 立 で あ る。 宗 教 対 立 に は様 々な レベ ル が あ って,組 織 的 な対 立 もあれ ぽ,個 人 的感 情 にす ぎな い もの も あ る。 こ こで取 り上 げ るの は,農 村 の外 部 に超 地 域 的 な 宗 教 対立 が 存 在 し,村 内 で の特 殊 な事 情 か ら村 人 の 多 くが この超 地 域 的 な 宗教 対 立 に 基 づ い て2つ の 信 者集 団 に分 か れ,緊 張 に耐 えて い る状 態 で あ る。 さ らに,セ ク トな どの 新勢 力 が 加 わ って事 態 が 複 雑 さを増 して い る。 この 対立 現 象 の 中に,転 換 期 にあ るル ーマ ニ ア社 会 の現 状 を鮮 明に 描 き出す 鍵 が 含 まれ て い る よ うに思 わ れ る。
3.1村 内 の さ ま ざ ま な 対 立
村 の 中 に顕 在 化 して い る対 立 は,グ レコ ・カ ト リッ ク教徒 と正 教 徒 の 間 で の対 立 で あ る。 そ の現 状 は 具体 的 に どの よ うな もの で あ ろ うか 。 まず 争 点 とな って い る のは 村 の 教会 の管 理 権 の 問題 で あ る。 現 在,村 に は木 造 の教 会 が2つ あ るが,そ の鍵 は グ レ
コ ・カ ト リッ クの 寺 男 が保 持 して い る。 そ して,教 会 は グ レコ ・カ トリ ックの人 々に よ って も っぱ ら使 用 され,正 教 会 の 人 々は使 用 す る こ とが で き な い。 そ もそ も2つ の 集 団 が ほ とん ど同 一 の教 会 暦 に した が って い る た め に,同 じ 日に ミサ を 行 わ な くて は な らな い。 た だ しグ レコ ・カ トリ ッ クに は 司祭 が1人 しか い な い ので,当 然2ヵ 所 で の ミサ は 同時 には 行xな い。 そ れ な らば,2つ の教 会 で それ ぞれ が 分 か れ て ミサ を 行 え ぽ 問題 は な さそ うな ものだ が,教 会 の所有 権 の問 題 が 関 係 してお り,一 時的 に も鍵 を 渡す わ け には い か な い ので あ る。 そ こで,正 教 会 の人hは グ レ コ ・カ トリッ クの 人 々 とか ち あわ ない よ うに,使 用 してい ない一 方 の教 会 の 庭 を使 用 しなけ れ ば な らず, 雪 の 日で も教 会 の 外 の庭 で ミサ を あ げ て い る。 村 に よ って は ミサ の時 間 を ず ら して 同
じ教会 を用 いて い る と ころ も あ る ので,村 ご との事 情 に よ って グ レコ ・カ ト リック教 会 と正 教 会 の関 係 もか な り異 な っ てい る と思 われ る。 この村 は 教 会 の 所 有権 をめ ぐっ て 教会 の共 同使 用 が で きな い ほ どに深 い 対 立 を か か え てい るの であ る。
次 の問 題 は,村 人 の個 人 的 な人 間 関 係 に 関わ る対 立 で あ る。 まず 正 教徒 の村 人 と グ レコ ・カ ト リック教 会 の 司祭 との 対 立 状 態 で あ る。2つ の宗 教 勢 力 が対 立 して い るの だ か ら,信 者 同士 や 司祭 が 対 立 して い るの は 当然 と して も,そ れ 以 上 に 正教 徒 のな か で 中心 的 な村 人 の グ レコ ・カ ト リッ ク司 祭個 人 へ の反 感 は非 常 に 強 い 。 路上 で 出会 っ て も挨 拶 せ ず,も ち ろ ん 口を 利 くこ と もな い。 筆 者 の よ うな外 部 の 人 間 に むけ て,非
新免 農村 の宗教対立を通 してみた転換期のルーマニア社会
常 に 熱 心 に 司祭 へ の 中傷 を 行 う。 それ は,お お む ね協 同組 合 の解 体 に 関 わ る怨 恨 に も とつ い て い る ら しい。 また,解 体 に伴 って生 じた 暴 力事 件 の責 任 を 問 うもの もい る。
正 教 徒 のあ る人 は,組 合 解 体 時 の い ざ こざ で村 人 の1人 に頭 を殴 られ,陥 没 す る ほ ど の怪 我 を 負 った こ とを 「革 命 」 後 の 司祭 の リー ダ ー シ ップの責 任 だ とす る。 さ らに, 村人 同士 で も微 妙 な 緊張 関 係 が あ る。 た い て い の場 合 は,村 人 同士 の間 で は カ ト リ ッ
ク と正 教 会 とい うよ うに宗 派 が 違 って も通 婚 や 近 所 づ きあ い が行 わ れ,家 庭 内 で も, 夫 と妻,子 ども の宗 派 が違 って い る場 合,さ した る問 題 は 実 際 に は ない 。 しか し,教 会 へ の 関与 度 の違 い),YỲ̲よって は,口 も聞 かず,挨 拶 も しない 関 係 に な りうる よ うだ 。
この よ うな 関 係 は,小 さな 村 の 中 でか な りの ス ト レスを 人hに 与 え て い るで あ ろ う。
これ に 関 連 して,教 会 の 土地 をめ ぐる争 い が 法廷 に持 ち込 まれ て い る。 そ れ は 司 祭 と,以 前 この村 の教 師 を して いた 女 性 お よび 正 教 会 との 係争 で あ る。 「革 命 」 後,そ の女 教 師 は 出 身地 で あ る南 の トゥル ナ ・セ ヴ ェ リソに帰 るた め に 自分 が建 てた 家 と庭 を売 り払 お うと した。 司祭 はそ の 家 を買 い取 った 。 しか し,そ のほ か の土 地 は も と も と教 会 に属 す る土 地 で あ っ て売 買 の対 象 には な るべ き もの で は な く,教 会 に返 還 す べ きで あ る と主 張 した。 そ の ため,こ れ を受 け 入 れ な い 女 教 師 は 司祭 や 信者 た ち と対 立 す る よ うに な った 。 そ の後 両 者 の歩 み 寄 りはみ られ ず,こ の 問題 は裁 判 に 持 ち込 まれ た とい う こ とで あ る。 司 祭 は 今述 べ た もの を含 め て4つ の 裁 判 を抱 えて お り,そ れ は 現 在 の 司祭 が住 ん で い る家,司 祭 の家 の横 に あ る庭,教 会 の 土 地,教 会 の付属 墓 地 な どが 対 象 とな ってい る。 この例 に限 らず,社 会 主 義 体 制 下 で 禁 止 され,強 制 的 に 正 教 会 へ 統 合 され た グ レ コ ・カ トリ ック教 会 の 教 会財 産 の返 還 は 難 しい 問題 で あ っ て,正 教 会 と グ レコ ・カ ト リッ ク教 会 の 間 で の政 治 的 懸案 に もな っ てい る。 司祭 は 政 府 に も 村 の教 会 財 産 の承 認 を求 め る一 方 で,ス トラス ブル グの ヨmッ パ評 議 会 に も訴 えを 届 け てい る。
こ う した 正 教 会 と グ レコ ・カ トリ ック教 会 の対 立 とい う基 本 的 な 図 式 の一 方 で,確 実 に状 況 を 変 えつ つ あ るのが セ ク トの増 加 で あ る。 この 村 に は第 二 次 世 界大 戦 の前 か
ら セ ク トが 浸 透 して い た が10),「革 命 」 後 か ら積 極 的 な布 教 の 影 響 もあ って セ ク トが 急 激 に増 加 した 。 この セ ク トの増 加 は,同 時 に グ レ コ ・カ トリッ ク教 会,正 教 会 を と わ ず既 成 の教 会 活 動 の 求 心 力 の低 下 を 意 味 して い る。 セ ク トの人 々は,教 会 お よび そ の聖 職 者 組 織 を認 め ず,伝 統 的 な教 会 の 行事 に も参 加 しな い。 洗礼,結 婚,葬 式 とい う人 生 の 三 大 通過 儀 礼 も,も ち ろ ん 自分 た ち の宗 派 の なか で 行 う。 死 者 の 日に 墓 地 で 10)村 人 の 説 明Y'よ る と,今 の 司祭 か ら2代 前 の 司 祭 が 素行 不 良 で村 人 の信 頼 を 失 った た め に セ ク トが 増 え た のだ と い う。
国立民族学博物館研究報告 22巻1号 ろ うそ くを供xる とい う行 事 も行 わ な い。 これ らの こ とは,教 会 に属 す る村 人 の大 き な反 発 を 呼 ん で い る。 さ らに,セ ク トの人 々は布 教 に 熱 心 で あ り,ま た 議論 を好 む 。 そ う した傾 向 は,隣 人 関 係,親 戚 関 係 のな か で不 快 感 を 醸 し出 して い る。 教 会信 者 の なか に は議 論 を受 け て 立 つ 人 もい るが,議 論 は違 和 感 を 増 大 させ るぼ か りで あ る。 議 論 の ポイ ソ トは聖 書 を ど う解 釈す るか であ り,セ ク トの人 は 宗教 の解 釈 に も とつ いた 独 特 の 聖 書 の字 句 解 釈 に こだ わ り,教 会 信 者 は教 会 司 祭 の 説 教 の 中 で慣 れ 親 しん で き た伝 統 的 解釈 で対 抗 す る。 議 論 に よっ て相 互理 解 が 深 ま る可 能 性 は,ほ とん どな い と い う印象 を 受 け た。
村 の中 の 対立 に は,宗 教 間 の 対立 の かた わ らで 司祭 と教 師 とい う,世 界 観 に も とつ く宗 教 対 世 俗 の 対立 もあ る。 社 会 主義 時 代,教 師 は マ ル クス ・レー ニ ン主 義 に も とづ き無 神 論 教 育 を 行 った。 司祭 は 「革 命 」後 も無 神論 を教 え て いた 老 た ち が教 育 の場 に 今 もい る こ とに 不 満 を もっ て い る。 教 師 の なか に は,確 か に科 学 的 世 界観 に 固執 す る 人 もい る。 た だ し,こ の よ うな無 神論 的立 場 の人 は村 の 中 で は実 に 少 数 で,キ リス ト 教 的 立場 が圧 倒 的 に優 勢 に あ る なか で は 大 き な声 で そ の立 場 を主 張 で きな くな って い るの が現 状 で あ る。 す で に学 校 教 育 法 で任 意 の宗 教教 育 は認 め られ て お り,実 際 に司 祭 も学校 で xて い るが,学 校 教 育 の 中 で きち ん と した宗 教 教 育 を す るた め に は,宗 教 に理 解 の あ る教 師 で あ るべ きだ と考え て い る。
3.2 対 立 要 因1 司 祭 の 指 導 性 に み る伝 統 的 な 村 落 の社 会 構 造
この よ うに村 落 内 で2つ の 宗派 間 で の宗 教対 立V'陥 った 原 因 は,ま ず 第 一 に 「民主 革 命 」後 に行 わ れ た 協 同組 合 解 体 の問 題 に 起 因 す るで あ ろ う。 「民 主革 命 」後,ル ー マ ニア の各 地 で農 民 た ち は 土 地 の返 還 を 求 め て運 動 を起 こ した。 救 国戦 線 臨 時政 府 の 土地 に関 す る政策 は動 揺 しな が ら も,最 終 的 に は 「革 命 」 直 後 の組 合 解 体 の 動 きを追 認 す る形 で土 地 私 有化 を 決 定 した 。 しか し,そ の過 程 は混 乱 して お り,農 民 た ち の運 動 が 大 き な役 割 を果 た した 。 マ ラ ム レシ ュ地 方 で も農 民 た ちは,バ イ ア ・マ ー レの県 庁 へ 押 し掛 け 土 地 返 還 を求 め た。A村 も例 外 で は な く,バ イ ア ・マ ー レに村 人 た ち が 出 か け てい った 。 そ う した 行 動 に 出 る こ とが 決 ま る まで,村 人 は 農 民集 会 を 開 い て 方 針 を討 議 した 。 グ レ コ ・カ トリ ヅク司祭 は 共 産 党 員 だ った村 長 に代 わ っ て臨 時村 長 に な り,村 人 が 方 針 を決 定 す るの に 大 きな役 割 を 果 た した。 実 際 に 司祭 が どの よ うに 村 人 に 働 きか け た のか は 明確 では な い。だが 少 な く と も,農 民 た ち が迷 って い る とき, い ま土 地 を取 り返 さな けれ ぽ次 の機 会 は な い と助 言 した こ と と,村 人 の グ レ コ ・力 ト
リッ クへ の復 帰,改 宗 を 能 動 的 に進 め た こ とは,本 人 の 発 言 か ら も確 認 で きた 。 「革