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大 学 の 使 命

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Academic year: 2021

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はじめに

 大学が大衆のものになってから、久しい歳月を経た。

大学は、もはや、有閑富裕層のものではない。現在では、

同年齢層の半数近くが大学に進む。大学が日常の生活の なかに入ってきて、普通のものになったのである。普通 教育は、義務教育から高等学校に及び、続いて、大学も 普通教育に近づいている。大学がおかれている状況が変 容したのである。このため、大学の使命、任務ないし目 的が曖昧になって、それだけに、大学とは何かという問 いが求められる。

 もちろん、この問いは、今まで繰り返えされて来たも のであったが、とりわけ、1960年代、世界的規模で大学 紛争が生じたときには、これは激しく人びとに投げかけ られたのであった。

 ところが、現在では、この問いさえも見失われている。

この問いは、大学の存在根拠、その根源を問うがゆえに、

大学に関わるすべての人びとと組織・機関、すなわち教 師、学生、保護者、国家、官僚、財界、企業の内奥に触 れ、震撼させることにもなる。したがって、こうした問 いは、むしろ避けられる。

 だが、これは、大学の危機的状況を意味している。む しろ、そうであるからこそ、大学とは何であるか、何の ために大学はあるのか、なぜ大学はあるのか、なんのた めに教え、何のために学ぶのか、こうした問いが投げか けられなければ、大学は危機的状況を脱出できないこと は明らかである。

 これらの問いは、一言でいえば、大学の使命というこ とに収斂する。それゆえ、ここで明らかにされるのは大 学の使命である。この使命が、拡散し、分解しはじめて いる大学に求心力をもたらし、大学を統合し、その存在 意義をもたらすのである。

1 大学の状況

 1960年代の前半においては、大学生は少数であった。

地方では、大学進学率は一割を満たないところが多かっ た。地方の郡部では、大学進学の予備校も学習塾もなかっ た。家庭教師さえもなかった。たまたま、大学生が、夏 や春の休暇期に帰省したとき、アルバイトに家庭教師を

する程度であった。

 それだけに、大学生はエリートであった。学生たちに は、自分たちは選ばれた者であるとの意識があったので、

社会や政治にも関心を示していた。1960年代の初めには、

政治体制および大学の変革を求めて、組織をつくり、デ モなどの運動をくりかえしていた。学生の主張は、マス コミ(新聞、ラジオ、テレビ、雑誌など)を通じて世間 に伝えられ、大きな影響を与えたのであった。

 だが、1960年代の後半になると、高度経済成長が進み、

大学の大衆化が顕著になってきて、大学生のエリート意 識は揺らいでくる。大学で学ぶことの意義に疑問が生じ、

実存的な生の不安といったものが生じた。読まれる書物 もマルクスから実存主義を標榜するサルトルらに移って いった。だが、これを言葉として語ることをしなかった ため、組織内部の対立が生じ、学生の運動は先鋭化した のであった。結局、この運動は、高度経済成長、共同体 の崩壊、受験競争のなかで生まれる自己同一性の揺らぎ、

実存的な不安を乗り越えることができずに、終焉する。

こうして、学生たちは、大衆となって、大衆消費社会に 順応してしまったのである。

 日常の生活においては、都市出身の学生たちに続いて 地方出身の学生たちも、エリートのシンボルである角帽 と学生服を脱いでいた。学生は、選ばれた者ではなく、

普通の若者になったのである。青春を生きる青年にくら べると、若者こそが大衆消費社会を生きる学生にふさわ しい言葉であった。1)

 学生の大衆化の波は、女子には、男子より後れて到来 した。1960年代では、裕福な家庭の女子であれ、ほとん ど、ミッション系の女子短期大学の英文科や国文科など に進学し、卒業後には、ピアノ、生け花、料理などにみ がきをかけて、結婚するというのが一般的であった。だ が、1970年代に入ると、女子の四年制大学への進学が増 加して、化粧をした女子学生が目立つようになる。女子 にとっても、男子と同様、大学は選ばれた者が入るとこ ろではなくなったのである。それは、進路選択の一つに 過ぎなくなったのである。

 周知のように、1945年8月15日、終戦においてGHQ

(連合国軍総司令部)は、政治、経済、教育の全分野に わたって改革を断行したのであった。すなわち、1945年 の農地改革(翌年、第二次農地改革)と財閥解体、1946

高 田 熱 美

大 学 の 使 命

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年の日本国憲法公布(翌年5月3日施行)、1947年の教 育基本法と学校教育法公布、これらは、民主主義を支え る自由と平等の理念によって断行されたものであった。

ここで、教育制度は六・三・三制となり、教育の機会均等、

男女共学となったのである。これらの改革が、大学の大 衆化を促す大きな動因となったのはいうまでもない。

 わが国の伝統ないし文化は、そこに生きる者の心性に 育まれるものであるが、日本人の心性は、古いものを捨 て、新しいものをためらうことなく取り入れるのを容易 にした。過去のことにこだわらず、それを水に流すとい うものである。戦時中には、民主、自由、平等、社会といっ た言葉は禁句であったが、戦後には、一転して、急速に 普及したのであった。これには、わが国の教育水準の高 さ、いわば識字率の高さにも関わっていた。ちなみに、

1905年には、わが国の義務教育(六年制)の就学率は90 パーセントを越えていたのであって、そのことは、外国 の新しい文化を吸収するのを容易にしたのであった。

 1960年以降、日本は高度経済成長期を迎え、すべての 人びとが、階層において中流意識をもつようになった。

経済的実体を有した中間層が、意識においても確かなも のになったのである。これら中流意識を有した人びとが、

自分の子女を大学へ進めようとする。すなわち、アメリ カと同じように、単線型学校制度を取り入れたわが国に おいて、経済的支えをもった中間層が、子女たちのさら なる階層の上昇を目指して、一挙に単線型の階段を駆け 上がらせようとしたのである。

 イギリス、フランス、ドイツなど、伝統的に複線型教 育制度をとってきた国が、かりに単線型制度に転換した としても、大学の進学率は上昇しなかったであろう。2)

わが国においては、大学に入れば、あらゆる面で本人の ためになるとの意識があった。都市の中間層は、その意 識を現実のものにしようとしたのである。

 かつて、わが国の農村においては、田畑・山林などの 財産が階層を決める大きな要因であったが、農村が解体 して、都市にサラリーマン層が形成されると、財産は、

学歴、職業、収入の下位におかれた。都市においては、

学歴が階層を決める第一の要因と目される。この意識が 学校神話といえるものをつくりあげたのである。すなわ ち、大学を出れば、先は開けるというものである。3)

 しかしながら、学校神話がいつまでも続くわけではな かった。1980年には、高等学校の進学率が93パーセント を越えるに至って、大学の進学もピークになる。経済成 長もかげりを見せてきた。生活の便宜品は満たされ、働 いて、なんとしても手に入れたい物品もなくなってきた。

品物はなんでもあり、それは、あふれているが、どうし ても必要なものではない。こうして、購買が落ち、生産 は低迷し、勤労の意欲も減退しはじめる。このことは、

社会階層の上昇にも連動する。もはや、大学を出さえす れば何とかなる、階層の上昇も可能である、というわけ

にはいかなくなった。

 大学進学が普通化して、大学卒(学士)のインフレー ションが生じた。大学に入ることは、エリートの証でも、

エリートになることでも、自分の属する階層からより上 位の階層に上がることでもない。大学に行くのは、人並 みのことであって、人並みに、普通の職業につくためで ある。人並みということが大事であって、人並みという ことでなければ格好がつかないと意識がある。

 そもそも、学位というのは、現在においては、博士の 学位のことであって、大学卒であることを証する学士の 称号は学位とは見なされないのである。大衆の大学では、

学位よりも、人並みに大学に行き、職に就き、人並みの 生活をすることが望まれるのである。

 このため、大学は、就職に有利になるような資格・免 許が取れるカリキュラム、支援のシステムを備える。もっ とも、大衆の大学では、すべての学生が資格を取り、自 分が希望する職業に就けるわけではない。ここでも、熾 烈な競争があって、それに勝つ者と負ける者とに分けら れる。また、一部を除いて、学生たちは、アルバイトに おおくの時間を費やしている。これには、経済的に貧し いので学費を稼ぐため、遊ぶ費用に当てるため、社会体 験のため、などがあるが、いずれも学業に当てる時間は 減少する。

 さらに、学生の多くが大学の講義にも出席しなくなる。

大学のなかには、受講生が大人数のため、出席を取らな いクラスでは出席者が二割に満たないところがある。講 義に出なかった学生は、友だちと、とりとめのない話で もして、その間をやり過ごすか、アルバイトに出かける か、ひとり無為に時を費やすかする。それゆえ、講義を 受けないのは確信によることは少ない。なんとなく、気 が向かない、やる気がない、ほかに都合があるから、と いったことによる。

 こうしても、わが国では大学を出ることができる。わ が国の大学では、諸外国に比べて、中途退学者はきわめ て少ない。学ばずに大学を出ても、なんとか生活はでき る。家族に支えられて、ひきこもり、ニート、パラサイ トであれ、ともかく食べることはできる。したがって、

このような状況は学生を二極化する。すなわち、学ぶ者 と学ばない者とに大きく分かれ、学力の差が顕著になる。

 大衆に開かれた大学は、大量消費社会のなかで大衆化 し、普通・義務教育へと変容する。将来の就職のために 大学にいるという意識は、ほとんどの学生がもっている が、はっきりした目標があるわけではない。職業に魅力 のあるものは少なく、魅力のあるものがあっても、それ に就くことが難しいとなれば、学ぶ意欲は涌きにくい。

そもそも、消費社会では、努力、忍耐、苦労、勤勉、節 制、質素などは、負のイメージをあたえられている。「若 い時の苦労は買ってでもしろ」といったことは、馬鹿げ ているのだ。なにも、あくせくせずとも、生活するだけ

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であれば、できるのである。

 勉学のなかで、学問探求や人間形成、教養に関心をも つ学生は少ない。もちろん、自分の現在を、空間(地理)

と時間(歴史)のなかで確かめ、自分の行動、いわば、

生き方に責任を負おうとする者、すなわち大人である者 も少ない。

 かくして、大学は、学生が学ぶ気を起こすように動機 づけを工夫し、理解力に応じた教材を準備する。それゆ え、もはや講義(lecture)ではなく、義務教育と同じ ように、授業(class)と呼ばれる。まさに、授業だか らである。ここでは、あらゆるメディア機器、教具が備 えられ、プリントが配布され、教え方、黒板への文字の 書き方、話す時の音声、所作などに注意が喚起される。

 ただし、こうした工夫は、小・中学生が対象であれば、

何ほどかの効果を見ることはできるが、大学生には有効 ではない。むしろ、これは有害でさえある。そもそも、

大学の名にふさわしい大学とは、たんなる知識の記憶や 理解ではなく、問いを生み、考えることを学ぶこと、す なわち学問があることからいえば、メディアに依存する 教育は、教える者を脇に退かせ、問うことを後退させ、

学生を受身的にしてしまう。本来の問いは、教える者と 学ぶ者との間で生まれる言葉として発されるのである。

メディアが有効であるのは、映像でもって、知覚にうっ たえるため、認識が直ちに行われ、知識の受容が速くな ることである。したがって、自然科学系の学習には有効 である。しかし、問いを喚起して探求への意欲を沸き立 たせるには、教える者と学ぶ者との対話的関係があるこ とが前提である。

 消費社会の大学は、さらに、授業アンケートを用い て、学生が授業の内容を理解したか、授業から学ぶこと があったか、関心・やる気が高まったか、教師の教え方 はよかったか、教える熱意は感じられたか、この授業に 満足したか、などを質問し、授業の改善に役立てようと する。だが、大学は、将来、学生がどのような職業に就 くにせよ、問いを起こし、創造的な何かをなす人間を形 成しようとするのであって、そうであるからには、授業 アンケートにある「この授業に満足したか」というよう な質問は、学生を受身的にしてしまう。いつの日か、学 生は、教師を踏み台にして、それを乗り越え、自ら問い を起こすことを望まれる。それゆえ、この質問は教育的 ではない。

 そもそも、「この授業に満足したか」という質問は、「満 足」という言葉の意味があいまいであるため、どのよう にも答えられる。意味があいまいとは、それが、欲望、

すなわち私的情動を表しているからであって、それゆえ、

これは学生の主観を伺っている。主観は、好き・嫌いに 収斂し、それは、どれほど集められても客観的にはなら ない。「満足」 は希望にも意見にもならない。集められ たデータから、満足者と不満足者の割合が見られるが、

そのことから、教育のいかなる改善も生み出されない。

 満足度、不満足度によって、授業を改善するとすれば、

それは、学生が満足できるようにすること、すなわちサー ビスを授業のなかに取り入れることである。かくして、

教育はサービスに変容する。ちなみに、ホテルのフロン トの応対に満足したか、当店のラーメンに満足したか、

当社の車に満足したか、といった質問でさえ、多様な条 件があって、容易に答えられるものではないが、これら の質問は、いずれも、サービスの向上を図り、さらなる 利潤を狙っている。大学も、企業と同じように、サービ ス業へ転向し始めたのである。人間の幸せではなく、利 潤を最終の目標にする新古典経済が蔓延して、社会の全 体が利潤追求に狂奔するようになると、利潤追求から最 も遠いところにある教育や医療も、危うくなる。たとえ ば、看護師や学生に、患者を「患者様」と呼ばせる病院 や看護学校がある。これが一般化すれば、生徒も学生も

「生徒様」「学生様」と呼ばれることになろう。

 本来、教育や医療は、サービス業ではなく、自己の心 身が全面的に関与する対話的関係のなかに在る。教育に おいては、教える者と学ぶ者とが、互いに向き合いなが ら新しい知識、業、精神の崇高さを共に創造する。創造 するとは産むことである。産むということにおいて、相 互に向き合う者の苦闘がある。学ぶことは安易ではない。

学びには、産みの苦しみ、いわば陣痛を伴うのである。

 また、教育と等しく医療においても、そのことがいえ る。すなわち、医師および看護師と患者とは協力して、

病という共同の敵を撃つ。ここには、双方の苦闘がある。

患者にとって病は自らの問題であるがゆえに、共に苦闘 するのである。この時には、サービスという意識は放逐 されている。

 教育や医療を、サービス業務という面で見るかぎり、

学生にも患者にも自立は望めない。学生も患者も、顧客 として教師や医師に接し、そのことによって、自己の努 力を放棄して、相手に依存せざるをえなくなる。ここに は、人間の対話を可能にする信頼の欠如が指摘できる。

 資本の論理、すなわち利潤を第一の価値とする論理は、

それを貫徹するため競争という方法を取ってきたが、こ れが、教育をも医療をも席捲している。これは、共同体 に亀裂を生み、信頼を失わせる。信頼の喪失は、人と人 との間に、とげとげしさやいらだちを醸成し、不安をつ のらせる。これは、ささいなことでも気になるようにさ せ、他人を責め、許し難くさせる。不寛容の拡大である。

そのため、多くの規則が作られる。これは、相互の争い を合理的に調整するのみならず保身、いわば安全保障に もなる。だが、このことは、教育と研究の時間を削減さ せるだけではなく、その熱意をも奪う。

 大学にも及んできた資本の論理は、教育と研究を自由 化して、競争を生み、豊かな成果をもたらすように見え る。だが、競争は、現実には規制になる。競争という規

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制が生み出す成果への要求、すなわち成果主義が、自由 な研究を追放する。

 本来、教育と研究は、長い歳月を経て、種から樹木が 育ち、実を結ぶように、長い歳月を要するものである。

これは、性急さ、せっかち、促成と正反対のものである。

待つことができること、忍耐、寛容さが教育と研究に携 わる者の徳性である。

 大量消費社会のなかで、大学が、大衆のものとなって 以来、少子化は、さらに大学を普通教育の流れに押しやっ ている。このため、学生の学力、すなわち学んだ知識、

理解する力、考える力、それに、学び、探求する意欲が 希薄になって、教育が困難になっている。しかし、そう であるとしても、なお、大学は自己の基本的使命を貫徹 することはできる。なぜなら、学生たちは、若く、その 可能性は大きい。学力が低い者にも、それなりの対応は ある。さらに、優れた学生には、特別なカリキュラムを 用意し、大学院を充実してそこで学ばせることもできる。

大衆の大学といえども、大学は、このようなエリートと 称される者を看過しない。もちろん、このエリートとは、

たんに成績が良い者ということではない。大学の使命は 学問であるからには、ここでは、文字通り問いを学ぶこ とである。問いを学ぶとは、問いを立てることである。

これは、自然科学、人文社会科学、芸術はいうまでまも なく、現実の政治、経済、教育、精神の生活などのあら ゆる分野において、創造を喚起する。4)

2 大学であること

 大学の市場化が進む。ここでは、教育も研究も目に見 える成果、すなわち経済的効果に還元される。ここでは、

教育と研究は低迷する。教師は、人件費であり、コスト とみなされる。学生の学力も意欲も低下しているので、

大学の教育は、問いの教育ではなく回答の教育に切り換 えられている。

 周知のように、大学(university)は、普遍(universitas)

を探求する教師と学生の共同体(unuversitas)であった。5)

普遍を探求するということにおいて、大学は、宗教(キ リスト教会)からも世俗的権力、すなわち都市や国家か らも距離を保ち、自立しようとしたのである。大学の使 命は、問いを立て探求することであり、探求するとは、

知において世界を明らかにすることである。したがって、

大学の使命は、宗教における信ではない。信は、知的探 求の外にあるものであって、状況のただなかで現れる実 存である。知的探求が、ひとつの信、いわば、世界の秩 序ないし普遍への信に依拠するものであるとしても、探 求自体は純粋に知的である。ここには、いかなる情念も 信念も介在しない。このことは、信と知的探求とが対立 するということではない。問題は、相互が依って立つ原 理の違いを解せず、寛容さを失い、お互いが他を侵食・

併呑しようとすることである。たとえば、ガリレオの『天 文対話』やダーヴィンの『種の起源』が、宗教の側から 異端、神への冒涜として攻撃を受け、他方、宗教が科学 の側から迷妄、無知として攻撃されるようなことには、

枚挙にいとまがない。

 また、世俗権力、社会ないし国家も、大学に介入して、

純粋な知的探求を妨げる。これは、人文社会科学のみな らず自然科学にも及ぶ。とりわけ、これは、国家社会主 義や独裁国家に顕著に見られる。ちなみに、ナチスのド イツでは、生物学や遺伝学も、ドイツ民族の優越性を証 明するものとして利用された。かのアインシュタインの 発見は、かれがユダヤ人であるということで評価されな かったのである。さらに、戦前のわが国は、神道を支柱 にした国家主義教育によって、政治学や経済学はいうま でもなく、歴史や考古学、哲学、社会学などにも圧力を 加え、歪曲したのであった。6)

 なお、現在では、社会経済的圧力が大学に介入してい る。これは、大学を経済的価値の観点から見て、経済的 効果の上昇に資そうとする。その結果、大学は、経済的 に有用な人材形成の工場に変容する。このように、大学 が、その歴史において、外圧から完全に自由で、その独 自性を保持したことはない。ゆえに、これは、大学にとっ て、いつも変わらぬ課題である。

 大学は、いつ、いかなるところにあっても、共に問い、

普遍を探求し、創造する場である。したがって、強大な 外圧があるところでは、あえて、象牙の塔にこもり、自 己の学問を守ることも起こりうる。象牙の塔のすべてに、

負の価値をおくのは、歴史を解さぬことである。金銭や 栄達に無関心、世間のことに無知、いわば、世俗を離れ た探求者も意味をもっている。このような探求者のなか から、社会、国家に対して、義(正義)を唱える者も現 れる。こうしたことによって、大学は、はじめて大学に ふさわしい地位と権威を現わすのである。ちなみに、日 本国憲法は、「学問の自由は、これを保障する」 と語る。

これは、学問が、聖(信仰)と俗(世間)のいずれにも 加担せず、両者に関与しながらも、その間に屹立するこ とを意味している。そうであるがゆえに、大学は、教授 に関する人事権をもち、学位授与権を行使し、なお、文 部科学省の指導要領の外にあって、独自の教育内容、方 法、評価を可とするのである。

3 教育社会の状況

 かつて、大学に進む者は少数であった。それは、ほと んどが社会的に恵まれた人びとであった。そこには、自 由と平等の雰囲気があり、信頼と寛容とがあった。学生 にも、それを享受できる能力と精神的成熟とが見られた。

彼らは、日常性を脱し、自分の新たな地平を拓くエリー トでもあった。もちろん、法、文、医、理、工など、そ

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れぞれの学問を学んだ者は、職を得て、世俗の社会で暮 らすことになる。神学や仏教学を学んだ者は、たしかに、

聖のなかに身を入れるのであるが、それとても、聖職と いうひとつの職を得るのである。彼らの多くは、法律、

政治、経済、技術、医療、研究などの分野で、貢献した のであった。また、哲学を中心とした文科に学んだ者も、

世俗から最も遠いところで学んだため、職を得ることが 難しいと見えながら、教育の職に就いたのである。

 ところが、戦後、経済の成長、教育制度の単線化、教 育の機会均等、教育による社会階層上昇への期待、が、

大学の大衆化を進め、大学は普通教育になったのであっ た。もちろん、大学の拡大は、地域共同体、家族の解体 と連動していた。このため、勤労体験はなく、子ども集 団は消え、少子化のなかで個室を与えられ、人と人との ふれ合いを経験することなく、齢を重ねる。こうして、

精神的成熟、いわば、大人であることに、はるかに至ら ない若者たちが、人並みにということで、目的を定めえ ないまま、大学に参入したのであった。

 こうして、大学は、いままで経験したことがなかった 状況に見まわれている。これは、小学や中学、高等学校 が陥っている状況よりも、はるかに危機的である。ちな みに、小学校であれば、そもそも、学力の低さや学ぶ意 欲の乏しさは問題にならない。とりわけ、低学年であれ ばそうである。これから、子どもは、教育を受けて、学 力をつけ、学ぶ喜びを経験するからである。

 これに対して、大学は、すでに定められた学力を有し、

学ぶ意欲があり、なお、学ぶ途中で大人の年齢になる者 が集うところである。ところが、大人の年齢に達してい ながら、いまだ少年少女の状態にある者を、大学は受け いれている。大人になっていない、しかも、大人になる ことを望まない者には、学問を探求することも困難であ る。したがって、大学ほど、理念と実態が乖離している 教育の場は他にない。そのため、大学は、一方で、学問、

すなわち問いを立て、普遍を探求することを望みながら、

他方で、大学教育についていけない者に、まず、高校生 並みの学力をつける教育を企てるとともに、学生を大人 である者、いわば、精神的に成熟した者に形成する必要 に迫られている。

 大学は、この乖離を克服することが可能であるか。こ のための試みはなされてはいる。大学教育ができる水準 までに学力を上げるための特別授業の設置、修学指導や 生活指導の充実が図られる。だが、学生は、こうした試 みを受け入れることはない。学生の意識は大学の枠の外 にあって、大学の意向とはかけ離れたところにある。そ れゆえ、大学の試みが成功する可能性はない。学生には、

この試みは、たんなる規制と見られる。事実、これは規 制の強化となってしまうのである。

4 大学の蘇生

 大学は、大衆化のみならず市場化によって、サービス 業に変容をはじめた。市場化は、目に見える成果を優先 して、競争を熾烈にする。もともと、教育と研究は、永 い歳月を要して、やっと実を結ぶといったような、地道 な働きであるが、これは望めなくなってきた。競争は拙 速を生む。これによって、信頼が失われ、教育と研究の 共同体は瓦解する。共同体の瓦解は不安を生み、それは 他者に対する不寛容を醸成し、相互に自己責任を追及す るようにしむける。

 現代社会の病弊は信頼の蝕である。この信頼は無為の 生活において生まれるわけではない。信頼もまた、共に 問い、学び、探求することのうちに生まれる。それゆえ、

大学は、どのような学生に対しても、問うことを学ぶこ と、すなわち学問を求めるほかはない。もちろん、現在 の大衆化された、消費社会の大学において、本来の大学 教育に応答できない学生が多数いることを看過すること はできない。かくして、大学の教育は二極化する。

 まず、学力が低いだけではなく、長年にわたって回答 の教育(既存の知識の習得)を続けてきたため、大学に おいては、問うことが学びの基本であることが分からず、

自ら学ぶことができず、その意欲もない学生を、いかに 教育するかという課題がある。また、他方には、学力が あり、自ら問う可能性と学ぶ意欲のある学生を助成する という課題がある。

 大学は、二極化する学生に対して、それに応じた教育 ないし助成が求められている。すなわち、カリキュラム

(教育の内容、方法、評価)、時間割、クラスを、学生の 学力および意欲に応じて編成するということである。こ の場合、かつて、ヨーロッパ中世の大学に見られたよう に、専攻・学科に応じた職業体験・実習が課せられる。

これは、授業ないし講義の理解を深めるのみならず、現 実体験が希薄で、精神的に未成熟である者にとって、自 己形成および社会的責任の自覚を促す。現在、ほとんど の学生が、勉学以上にアルバイトに時間を費やしている 事情から見れば、職業体験を大学のカリキュラムに導入 することは可能である。

 学力、意欲ともに豊かな学生に対しては、特別なカリ キュラムが用意される。大学は、普通の学力以下の学生 を収容するようになったとはいえ、他方では、優れた学 生に応えて、できれば、エリートとして社会に送り出す ことを期待されている。エリートとは、たんなる成績優 秀者のことではない。エリートとは、創造的な働きをし て、社会の文化ないし幸せに資する者のことである。そ れは、学問、芸術、スポーツ、冒険、政治、経済、など、

あらゆる分野における創造的活動である。本来の大学は、

このようなエリートの養成を、つねに射程においている。

もちろん、ここでは、エリートとは何であるか、との問

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いが不断に求められる。

 大学が、教育と研究の共同体として、その使命を果た そうとするならば、二極化のなかで、両極に属する、い ずれの学生にも、少人数クラスの教育が必須である。さ らに、教えるからには、教科の内容を精選して、しかも、

徹底して学ぶようにすることである。そうしなければ、

問いを立てることができないからである。なぜなら、徹 底して学ぶことによって、学ばなかったことが明らかに 見えてくるからである。それゆえ、あらゆる教育におい て、失敗の最大の原因は、過剰で、うんざりさせられる ことである。要するに、「あまりにも多くの科目を教え るな」「教えるからには徹底して教えよ」7)というのが 教育の原則である。

 現在の大学が、その使命を保持し、蘇るとするならば、

それは、教育の原則に立つことである。徹底してまなぶ ことが、学ぶことのできないものを浮上させ、これが、

新たな問いを喚起し、探求が開始される。このあたりま えのことが、あたりまえの仕方で、行われること、大学 の使命はこのことに尽きる。そして、このことが、大学 を蘇生するのである。

1)三浦雅士『青春の終焉』講談社 2002 p.306, p.338, p.401

2)ウィリス『ハマータウンの野郎ども』熊沢誠・山田 潤訳 筑摩書房 1985年

3)R・P・ドーア『学歴社会 新しい文明病』松居弘 道訳 岩波書店 1978年

4)M・J・Langeveld: School and Education in an Affluent Society; International Pädagogishe Kontakte, Haidelberg 1963 『教育の人間学的考察』

和田修二訳 身来社 1973 pp.181-194.

5)G・Gusdorf: L’Universite en question,1964 『問われ ている大学』片山寿昭・郡定也訳 法律文化社  1971

6)山本尤『ナチズムと大学』中央公論社 1985 7)A. N. Whitehead: The Aims of Education and

Other Essays, Williams and Norgate Limited, London 1929 p.2

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