一︑・はしがき
元来︑企業会計学の理論は企業活動に則して考えられる理論であ︾︑る︒企業活動はもとノー合目的活動であるから︑それが会計理論の
一J・綱成に対して極めて重要な意義をもつことは当然である︒
どの目的論的見地から会計学︑簿記論を見る場合に︑そこに見出
一︑︒.される理論の目的論的性格は收益計算を司る損益計算書から貸借対
照表へと理論の総成を現実の手続きの過程とは逆に展開することを
可能とする︒この目的論的性格をはなれて企業会計原則を理解する
ことは困難であり内容の一貫性を期し難いと思う︒
・私の方法論は会計学の旧い理論的伝統をはなれて︑自由に企業活
動そのものを見つめることによって会計学の理論を構成しようとす
7;︲㈹るが︑これは経営経済学︑私の謂5企業経営経済学の体系に於て童
︑庵・要な役割を演ずるものである︒私が企業経営経済学の理競的展開が
﹃企業会計学の屡閉によって促進されると考える所以である︒
一二︲.戸春・△.
一.︒〃︒︒︲・一昨●●ケ︲.﹄︲.F︐函︲..i︲I.︲.■︐1.卜.可一凸b︐・・L・I..?︒.w畑口i凸凸︲4.!︲︲︐b︐︒.︲.二.︒︾・︲L︐︒.
1
企業会計学の理論構成について
l企業経営経済学の理論体系の一考察としてI
「
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一
卜
企業経営経済学の理論体系に包摂される会計学として特に指摘す
べき一つの方法論的特徴は統計と会計との関係を不可分なものとし
て採り上げている点にある︒会計と統計との関連づけ︑即ち︑貨幣
的な流れと物没的な流れとの二側面から企業活動を把握することこ
れが私の企業会計学の今後の発展方向を明らかにすると思うが︑こ
れは在り方としての企業活動の複雑化を予想するとき︑必然的に見
透される会計理論の一般的発展方向だある︒
私は従来の会計学との方法論上の相違点を指摘するとすれば.鶴
踏なく︑この会計と統計との関連並に目的論的理論榔成を挙げるこ
とが出来る︒会計学はこの点を結合点として企業経営経済学と結び
つく︒経営分析︑経営比較論等を会計理論の一つに織成し上げるた
めには会計と統計との融合が必要となるが如くである︒
︲二企業活動と会計学の在り方
企業会計学は企業活動の聡成果の疫幣価値的な綜合把握を担当す
丸岡淳夫
l﹂ ︑
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一一
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76
る︒企業会計学は生産物又はサービスの貨幣価値的計算を行うこと
によって︑企業資本運動の期間的な綜合的成果を貨幣価値的に把え
ようとするが︑資本運動が物︵財︺的支出と貨幣的收入との対流に
よって形成されている関係上︑右の綜合的把握は二側面から︑即ち
蜜川・收益関係から統一されねばならない︒絃に企業会計学の今後
の展望がある︒
企業会計学は単なる璽幣的な成果計騨学ではない︒災幣的な成果
計算が物没的な成果計算によって裏打ちされているし︑又︑されね
ばならぬところに会計学の発展のコースが与えられる︒
農︶拙著〃企業経営経済学と事業構造論〃参照
我奇は会計学の歴史を︑その前身としての簿記論の歴史を遠く中
世にまで遡りうるのであるが︑会計学が企業会計学として今日の高
度な発展を示しえたのは︑会計学が企業活動の発展のテンポに対応
し︑或は発展テンポに拍車をかけてその理論と技術とを展開するこ
とに成功しえたことに基くものである︒盗本主義の発展は企業の発
展であると考えるべきであり︑巨大なる組織体或は榊成侭としての
企業の発展によると考えられる︒この巨大なる組織体或は樅成体と
/しての企業活動が成立しうるためには︑その個々の企業活動が機構
として︑物︵財︺と貨幣の流れとの綜合とLて理解され把握される
ことが前提となる︒
この綜合的な理解のための経済科学としての理論体系が企業経営
経済学であるのであるが︑︑会計学はこの貨幣の流れの側面から企業
活動の綜合的把錦を為すべき理論的な要諸をもつ︒この意味に於て
企粟会計学は企業経営経済学の理論体系に中心的支柱として包摂さ れる︒会計学の独自な発展は経営隆済学より会計学の理論を次第に遊離せLめようとする傾きをもつのであるがlこれは経営経済学の理論的峡陥に基くところであるlこの発展は早晩行詰らざるをえないと予想することが出来る︒蓋し︑貨路的計算それ自体という↑考え方は単に数学の一分野としてのみ許容されるに過ぎない︒又数学の一形式として見る限り︑会計学は理諭的に独自な性格をもつも
のと評しえない︒
会計学の発展の歴史は会計学の独目なる発腿を何等示さない︒会
計学の理論の発展の契磯は外部より長えられ︑それは企業費本の拡
大︑企業活動の充実を促す諸要因︵例えば︑一般的に云えば︑技術
の進歩︑盗本の蓄檀︑市場の拡大等令これらは実に多くの因子に
細分される︺に滞せられる︒即ち︑会計学の理論は常に企業の在り
方︑将来の発展への諸契機によって裏付けられ︑概説的には物批の
面の裏打ちによるのであり︑企業経営経済学の理論体系から遊離し
た会計学は単なる抽象的理論に堕落せざるをえない︒資本主義社会
の榊成単位体としての企業活動は節々なる側面から認識把握されう
るのであるが︑災幣価値的に成果を綜合的に把撮しうる理論が会計
学の理諭であり︑この意味に於て会計学の理論は企業活動の綜合的
把握を目的とする理論の主要な一つであるということが出来る︒
盗本・韮義社会の発展は︑企業の立場からいえば︑企業の物錘的側
面の進化発展であるということが出来る︒企業資本の有椴的組成の
高次化と雌も︑この物竝的側面の高次化に外ならぬ︒この物錘的側
面の商次化はその当然の性絡として貨幣価値的把蝿を益々困難なら
しめ︑これが会計学をして近代会計学へ︑更に企業会計学へと発腿
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せしめる契機となった︒企業会計学はかくの如き企業発展の様相を
見究めることによって︑即ち勺物量的側面の進化︑高次化を前提と
することによってはじめて理論織成の展開を考えるべきであると私
は思う︒
この物堂的側面の把撮は従来経営統計学の任務とするところであ
って︑はしがきに於て会計と統計との深い関連性を説いたのは︑物
量的側面の進化によって近代会計学の建設が見られるに至った内面
的関連性を説いたに外ならない︒
笹本主義社会は錯線せる無数の企業活動を基底としており︑盗本
主義的商品群は正にかかる企業活動の再生産的活動の應物であり︑
商品の流通とはかくの如き企業活動の成果の回收︑実現過程に外な
らぬ︒︐かかる商品の資本主義的生産︑流通の担当者としての企業の立場
に於て織成されたる企業会計学は企業活動の闘幣的側面に則して成
立するものであるが︑一般に企業は観々なる側面から理解される︒
企業会計学に於ける企業とは以下述べるが如き性格をもつ︒︵前掲
拙著︑参照︶
S企業の重要なる形態上の一側面は社会の獺成単位体である点
に見出される︒経済社会の所謂細胞として企業を考える見方である
この細胞的見方によれば︑経済社会は国家︑家計並に企業なる無数
の単位体より組織されているといいうる︒併し乍ら︑これらの機成
単位体のうち︑生産的へ流通的︑サービズ的社会磯能を果す構成単
万位体が爾余の鱗成単位体から範畷とLて区別され︑これらが企業と
呼ばれ恥社会的槻能の点から国家︑家計等と範聴的に区別される︒
イ
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ノ
我燕はかかる榊成単位体観に立脚Lて企業の諸形態を考えると︑
企業の形態としては種毎のものを挙げることが出来る︒例えば︑人
的企業と資本企業︑或は自然人と法人企業︑又.人企業﹂と然ら
ざるもの︑更に︑私企業︑公私混合企業︑公企業︑協同組合等の区
別の如きである︒
㈲企業が櫛成単位体であるということは経済行為上の総成単位
体であると理解されねばならない︒経済行為とは本来的には外部と
の関係に於て発生するから︑この解釈によれば︑外部との関係に於
て企業を考察することを惹味し︑内部関係に於て成立する経営活動
の地位体とは同一ではない︒即ち︑企業が外部と何等かの経済関係
を取り結ぶことは︑商品の生産︑流通或はサービスの提供等を介す
る物と貨幣との交換関係であり︑而して企業的にはこの関係はコス
ドー收益の関係である︒このためには何等かの手段の体系と手段の
対象とが必嬰となる︒このように企業が経済行為を営むとは経営内
部の活動の成果をぱ対外的な社会的評価関係に持ち込むことである
と理解される︒企業はこれによって価値の︑究極に於て收益の実現
を図ることになる︒かくて企業が︑経済行為の構成単位体であると
の立言は︑つまり︑コストー收益の関係に於て企業活動を評価する
ことに外ならない︒物戯的側面の経営内部的な自己評価がコストで
あり︑その社会的評価によって收益が算出される︒
骨企業は経営をもつ櫛成単位体である︒即ち︑前段に於て述べ
たところの手段の体系とは︑対象に鋤きかけるものである︒具体的
な手段の体系としては物的手段の体系︵建物︑士地︑椴械︑設臓等
︶と人的手段の体系︵労働組縦︑郡務組織等︺とを区別し︑抽象的
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一〃ノ/〃″﹄︒・手段の体系とLて盗本の体系をもっている︒これら諸々の手段の体
.・沌系の結合されたものが経営である︒企業は︑原則として︑かかる経
一一卜|︲営を一つもつのであるが︑艇皇一つ以上に亘る多数の経営をもつこ
とが起る・企業の経営上の発展とはかかる経営の戯的増加を指す場
一帳合が多い︒
一↑之に反して︑企業が質的に発展ずるとは︑企業の経営が高匪に複一︐雑になることを指す︒この複雑化は一般に経営の盆的拡大に伴う︒
−1企業の経営が如何なる発展をとるにせよ︑会計学が企業会計学とし
て内面的な成長を遂げるのは︑正にかかる経営の量的並に質的な自
一五七句己発展の在り方に則応せんとするところに基き︑経営の貨幣価値的一把握の漸増する困難さに起因する︒私はこの貨幣価値的把握の困難一︲という問題の展開のうちに︑会計理論の発展的契槻を認め︑技術論
としての会計学を超えた理論会計学の成立を考ようとする︒
我益は企業の形態と本質とを︑換言すれば︑企業の経営と企業を
一J区別するが︑資本主義的経済体制下に於て変化︑成長を遂げんと
するものは企業の形態並に経営の在り方である︒会計学は︑〃従って﹃この変化成長を遂げようとする企業の在り方に則応して榊成さる可
一きで︑会計学上の原理は固定的に考えられてはならない︒企業会計
一■原則に調うところの継続性の原則の如きも︑変化成長を予期せる継
一続性の原則で為る可き筈である︒継統性の原則は当然に変化発展の
内面的契機の存在を予期すると思う︒重要性の原則とは萠芽として
︵.︑︲の内面的発展の契磯が箸るしく表面化していない事実に着目して.︑
これを省略しうることを主張するに過ぎない︒・いづれにせよ︑企業
の将来の発展に関し重要な影響を及ぼすが如き事象は必ず脚註か附
一
記かの形式によって記赦される必要があるや
・㈲︸企業は営利企業に限定されないことは企業経営経済学に於け
る私の主張であるが︑会計学に於ても同織の主張をぱ繰返さざるを
えない︒既に述べた如く︑私の調う企業は経済行為という社会的機
能の点に蒜眼して規定づけられており︑生産︑流通︑サービス的機
能の担当者としての社会的椛成単位体である︒普通の見解によれば
企業は営利企業に限定さ・訓ているが︑私は企業をこのように狭く解.
釈する理論上の根拠を理解出来ない︒併し︑本稿に於ける企業会計
原則は商工業を営む株式会社を対象とするものであって︑この企業
会計原則の一般的適用を主張するものではないが︑この原則の原理
或は箱神は企業の凡てに震当すると考えられる︒我々は法人企業と
個人企業とを会計陳則上取扱いを異にし︑個人企業の利益を不当に
圧迫する原理を排斥したい︒税務会計上に於ける個人企業の差別的
取扱いの如きは原理上渓当でない︒
盗本主装社会に於ては鴬利企業が︑而して︑特に会社制企業が重
要視されて︑盗本主義の発展に対して重大な推進的役割を演じて来
たことは否定し難い事実である︒資本主義の初期の段階に於ては︑
特許会社或は官営企業が私的営利企業の培養育成的な意味で重要視
されて︑民間私的企業成長の基盤を形成した事実を想い出すことが
出来る︒併し乍ら︑かかる先駆的意味の非営利企業は漸次に営利企
業と交替し︑かくて私的営利企業の時代に突入したのであって︑今
日再び非営利企業として問題になっている企業とはその歴史的役割
を全く異にする︒今日の非営利企業は︑営利企業の目醒しい発展に
伴って惹き起された営利企業の限界の問題︑或は営利企業のもつ営
一卜 I︲も一
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79
利性の修正とい5任務の担い手として新しい理念の下に登場せるも等の相違をも衝らすものでないことは明らかである︒匪を公益企業
ので︑表面上︑営利企業と非営利企業とはそれぞれの発展コースをに於ては質幣価値的把握が物赴的成果計算に対して従属的地位を占
ぱ辿らんとしているが︑併し乍ら︑両者共に本質的には区別されなめることが起る︒併し︑このことは貨幣価値的把掻が不必要であり
いものである︒この意味で︑企業経営経済学の場合と同様に︑私は無用であることを決して意味しない︒
営利企業と非営利企業とを区別せずに同じ範聴の企業と見倣L︑同企業活動が縮少再生産活動を目的とせざる以上︑前述の如く企業
じ会計学上の原理の下に処理きる可きものと考える︒同様に︑私はの髄囲を企業一般に拡大することは当然に許さる可きである︒従つ
営利企業のうちでも巨大企業と零細企業とを原理上区別する理由をて︑企業会計学にとって企業の形態︑或は成果の帰属形態等は第二
発見し難いと考える︒方の企業観は企業の本質観に出るものであり次的な性絡でしかありえないと私は思う︒右の企業の形態︑或は成
企業の社会的綴能観︑或は産業構造︑事業拙造観に出るものであつ采の帰属形態が第二次的性絡をもつという主張は︑第二次的な理論
て︑現象としての個盈の会計事象の取扱については別途考慮される部面に於て︑即ち︑各論的な実践的問題としては重要な役割を演じ
ことを必要とする︒5るであろうことを否定しない︒
実際問題としては︑営利非営利叉はその他の区別が必要となる︒御企業は盗本の臘能的榊成単位体である︒盗本主義的経済活動営利︑非営利に於て收益性の取扱方を異にし︑或は零細企業に対しの根底には盗本の槻能的存在があり︑この盗本の溌能的榊成単位体
損益計算書︑貸借対照表等財務諸表の作成に関する会計処理の仕方が企業である︒企業の盗本が盗本の源泉から自己資本︑他人資本︑
の相違老認め︑作成義務を強制しえない等々がこれである︒私蚕本︑国家資本等々の名称の下に分類される必要は屡玲認められ
企業会計学が一般的な会計理論を追及する限りに於て︑これらのろが︑資本の源泉が何であるかを問わず︑機能的見地からいえば︑
企業間の形式的相違は原理上の質的相違を商らすものではない︒資本は明らかに家計経済とは異った栂成単位体に凝結されている︒
ただ︑企業会計理鯛の実際的適用面︑即ち︑各論的面に於て絞述の家計経済は企業盗本の有力な供給源ではあるが︑我奇が家計経済を形式と表現の形式の相違が採り上げられるに止まる︒資本の職能体であると見倣すことは明らかに不当である︒
我々は公益企業の会計理論を別途展開L5るであろうが︑この公企業が資本の機能的櫛成単位体であることは価値増殖過程︑価値
益企業の会計理論はその基本原理として企業会計学の理論をもつ︒の再生産過程に於ける費本の構成単位体であることを意味する︒↓
即ち︑再生産過程に於ける生産物の貨幣価値的︑物量的計算をぱ成家業形態に於ける経営を含めて︑所謂零細経営がその規模に於て
果計算とLて統一的に把握せんとする点に於ては営利︑非営利企業倭小︑零細であり︑家計と営利経済とが倒然とされておらず︑又︑ゞ
の区別は固より︑巨大営利企業と零細営利企業との区別は理論上何前資本主蕊的形態であると指摘されようとも︑これらのものが資本
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80
の槻能的綱成単位侭であり︑価値増殖過程に於ける拙成単位体であ
ることについては竜も疑問は存しない︒価値増殖の在り方がこの場
合問われるべきではなく︑価値増殖過程が何らかの構成単位体に於
て凝結せしめられているか否かが問われているのである︒
産業構造︑事業繊造等の樅造論的立場からこれらの零細経営を構
造的体系に包摂することが至当であると私が考えるのは︑資本がこ
れらの大︑中︑小︑零細企業のいづれかに於て相互関連的に擬能し
ていることを認めるが故に外ならない︒私が所謂零細経街を零細企
業と呼ぶ所以である︒
従って︑企業会計学の対象となる企業或は経営は大規模のものに
限定されないことも自ら明らかと思う︒併し乍ら︑大企業がその会
計処理上に於て直面する困難な諸問題の特異性によって大企業と零
細企業とが会計上同一に取扱われ難いことは固より明らかであって
均しく大企業と錐も事業により異る取扱いを受くべきことも容易に
首肯されるであろう︒実際の会計処理上の問題と処理の仕方の相違
は右の如くに存在するのであるが︑会計的事象の取扱い原理に関し
てはこれらの企業間に差別を設けうる何等の根拠も発見出来ないと
思5.︑
㈹企業は資本の財務単位体である︒これは一般に会計学の基礎
にある企業観である︒これ墜則段に於て述べた資本の機能的撰成単
位体観の重要なる帰結である︒これは屡灸静態的企業観に導くであ
る孔が︒
︵住︾企業会計原則が成立しうるための社会的コンヴェンション︵
◇︒︒ロゴ8号目︶の一つに企業実体Sg冒關①口受己が挙げられ
』
1
︑
■一るが︑﹁企業実体は誰れが会計を行うかに関する会計の主体の
概念であり﹂︵黒沢溝︑近代会計学︑八頁︺﹁企業実体と恥
うコンヴ一ンションは︑企業それ自体が存在するとい5社会的
仮定でいわゆる﹁企業それ自体﹂︵厚5目島昌冒鳴出曾号冒冨︶
にほかならないPそれは企業主︵厚篇目島目胃︶に対立して︑企.
業そのものが存在するという考え方である︒﹂︵黒沢︑前掲審︑
八頁︺
企業が盗本の財務単位体であるという私の規定の意味は︑誰れが
会計為行うかという以外に会計的事象が何に於て綜合され統一され
るかという綜合或は統一の主体の意味を含んでいるp既に繰返して
説明したように︑企業活動に伴う貨幣価値計算と物鐘計算との二元
的計算が綜合統一されねばならぬこと︑而してこの綜合統一の主体
が財務単位体の意味である︒かくの如き統一的把握によって︑本節
㈹の同頭に於て述べた企業の静態観の峡陥が除去されると信ずる︒
私が従来会計学として呼び慨れて来た名称に対して敢えて企業会
計学なる新しい名称の提嬢を試みる所以は右の点にもある︒個別取
引的な価別計算的会計学︹簿記論︺或はその進化せる簿記学的会計
学と近代会計学とを識別ようとする大きな理由の一つはこの財務単
位体としての企業観のうちに見出される︒・〆・
右の貨幣価値的計算と物量的計算という二元的性絡は勘定式に於
ては資産金砲方︶勘定に於ける各種賓本の現実態と費本︵貸方︶勘
定に於ける各種貸本の抽象態の如くに或は報告式に於ける資産の部
負俄の部︑資本の部の如くにも表現される︒資本取引と損益取引と
の竣別の如きもこの二元的性絡の現われである︒叉命損益計算醤が
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〃βrⅡ0■■Ⅱ小凸PJJp111.Fp■r﹄︒.四牙︲⁝■fL1士ⅡIItIL0■41中14︲︲pⅡ4441.1・か︲ⅡId8■且.■q︲▲..凸i︐L︒.qi1.コ.■■8巳9号LP可IPb生I︲■■
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近代企業会計原則に於て重要な地位を占めるに至ったのも成果計算という理念の結果であって︑右の二元的性格が︑統一者としての企
業に於て︑差引計算され︑最終的手続きとしての営業利益︑総利益
純利益の確定が要請せられるという事実に基く︒
現実態とLての資本は資産︑及び繰延勘定に変容する︒流動資産
は現金︑受取手形へ商品︑原材料︑製品︑貯蔵品等々として︑有形
固定資産は建物︑櫛築物︑機械装騒︑土地等々として︑無形固定資
産は営業権︑特許権︑鉱業権等として︑投費は有価証券︑出資金等
として︑繰延勘定は前払費用︑創業蜜︑開発喪等として物化され物
として対象化され︑その或る部分は長期に亘って固定せしめられ︑
減価彼却法によ.って徐々に流動資産へ還元せられ︑かくて抽象態と
しての資本化が実現される︒之に反して抽象態としての盗本は常に
資本本来の流動性の菱に於て存在し負侭︑資本金︑剰余金として企
業に凝結せしめられる︒
資本はその価値増殖実現の過程に於て物或は現金にその姿を変ず
ろの看あるが︑●絶えざる資本の変容の裡にあって︑常に不変なる主
体を象徴し︑価値増殖の主体となるものが財務単位体とLての企業
である︒
企業はかくの如くにして抽象態としては金融証券市場に接し︑現
実態としては商品市場︑労働市場等に連ろ︒
㈹企業は時間的な存在である︒この時間的存在であることに近
代会計学︑その最も新しい型とLての企業会計学の理論的転換の鍵
がある︒企業は過去︑現在︑未来の三つの時間的範鳴の統一者とし
ての意味を担っている︒現代の企業は昔のように伝統的に︑恰も習
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一
慨的にその日その日の営みを行っていると考えることが出来ない︒
資本主義的経済体制は企業活動の基調である商品←貨幣←商品とい
う転化の必然性を約束したり保証するものではないが故に︑企業の
活動は日に日に新たな活動であり︑単なる過去の復元であると理解
L難い︒
企業会計学の理論の基調は次の点にある︒企業の活動は一面に於
て過去によって制約されると共に︑他面に於て未来によって制約さ
れ︑企業資本の有機的組成が大きくなるに伴い︑未来によって制約ロ一される度合が逓増する点にある︒
この意味に於て企業資本の増大と共に目的論的見地は企業会計学
の理論の上により強く反映せしめられる︒企業会計学の理論が目的
論的性格を醗厚に示すと述べた理由はここにある︒
未来によって制約されるとは︑不硴実なる未来の收益︑未実現の
收益によって︑企業の成果計算の結末が箸るLく支配される可能性
の逓増をも意味する︒・
企業会計原則に於ける継続性の原則は︑過去より現在を︑現在よ
り未来を理解しようとするものであり︑本質的には現在は過去によ
って制約されると解する︒未実現の問題の如きはこの場合に問題に
ならぬことは明らかである︒この過去よりの制約を説く継練性の原
則に対Lて︑未来によって制約される原則としては︑評価︑減価彼
却︑各種引当金等待を挙げることが出来る・これらは・いずれも未来
に予想される変化によって支配されることを意味する︒
この未来を評価するという意味に於て︑この未来よりの制約を尊
重する立場は多分に主観的要素の介入支配を免れ難いこととなる︒
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11
即ち︑この立場に於ては純粋に客観的立場を固執することは不可龍
躯である︒例えば技術上の賭進歩による減価のテンポの促進の如きで
ある︒貸倒引当金の如きは市況の好不況に左右される︒市況が枇界
経済的な影響を受ける国際商品の如きものについての貸倒引当金の
見込如何は極めて困難な問題を提起することになろう︒
我燕は次段に於て述べる創造的破壊を採り上げるまでもなく︑未
来の変化の洞察は困難となり︑資本の有機的組成が複雑となり︑高
次となるに伴って︑未来の変化見込は当期︵現在︺の成果結果に対
Lて重大な影響を与えることとなる︒
私は嘗って︵前掲︑拙著参照︺企業の発展性を説き︑企業の発展
段階について幼年︑勃興︑壮年︑老衰の四期を区別したが︑未来の
重要性はこの企業の発展段階説によって哨充分に説明されうると信
ずる︒
会計学の重要な手続きは過去の企業活動の跡を記録し︑これを集
計整理して妓后に損益計算を5る点にある︑と理解される︒かかる
︑損益計算の手焼きは費本主義の前段階に於ては鮫も基礎的な会計学
上の理念であった︒
このように過去の記録に全面的に依拠することは︑今も筒︑会計
﹃︲ヘ学の本質的理念を形成するが︑右は未来からの評価について欠陥を雄んでおり︑未来に於て過去を整理するとい詑私の理念からは遠い
ものである︒・
会計期間ego冒昏︑己昌&8目の目︒巳という考え方が会計
学の基本概念として導入されて来たことは︑貨幣的評価︵旨︒目の暦剣
ぐゅ冒冒園︒︒pぐの島︒己と不可分に融合して原理上未来の重要性を
〆
1
J
示すものである︒既に砥を私は会計と統計どの一体化を説いたが︑
この未来の推定をより科学的に客観化するためには統計が欠く可ら
ざる手段であることを予想するがためである︒企業会計学に於ける
困難な問題は実にこの未来の動向に関する見透Lにあるということ
が出来る︒
︵住︶﹁しかし︑会計学生成上⁝:重要な要因をなしたものは︑近
代生産の特徴でありかつ株式会社組織によって促進された巨額
の固定資本の形成である︒固定資本を大規模に使用するように
なったことは︑率業の期間利潤計算を昔にくらべていちじるし
く困難ならしめた︒期間利潤の計算という点に関してはパヅィ
オロはたいして貢献するところはない︒当時の営業は個別的に
損益の計算される委託売買・組合売買の集種から成っていた︒
一の船は甲港へ行くし︑一の隊商は乙地へおもむ陸た︒或る
いは︑丙地の商品について某商人と組合売買取引を試みるの蚕
ある︒こうした投機的な売買が一回終ると︑取引の完了した分
について燗別的に売買取引がきまる︒取引の完了しないものに
ついては完了するまではそのま室に放置される︒これに対して
近代の事業は継続的である︒機械は数年間使用されるし︑工場
建物は時に一世紀以上も使用に耐え︑鉄道線路は将来継ぎたき
れる予定で建設される︒生産工程は原料と仕掛品との絶えるこ
となき流れから成っている︒費用は多数の工程と多数の製品に
共通に生じ︑隊商の費用のように︑一包の商品について個奇に
一生ずるのではない︒⁝⁝永続的な頚業をとりあげて︑これを﹁年﹂とよぶ人為的な無 争〆
『,−、.‐ :当一〆
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意味の長さに切り︑そして五十年の寿命をもつ熔鉱炉の原価︑|巳f︐|十二月に購入Lて春までに消費すべき石炭の溺入額などについ
てそれぞれ各年度にその適正孟を割当てるという面白くない仕
一︐事をするために計算係が必要なのである︒会計上のいろいろの
︑問題は大部分年の経過に応じて期間的成果を表示するというこ
一/・の要求から起ってきている︒⁝⁝Lかも︑この期間成果計算の
問題がいまだに解決されていないことは︑人が会計書を繕いてこ・みれば︑或名いはまた︑所得税森定の妥当性に触れてみればた
fだちに合点がゆくところである︒〃ヘリトルトン︑片野一郎訳︑一心会計発達史一九二○頁︺〃︒︲
︽畦ご〃簿記は十九世紀に入るとさらに一段と発展すべき環境にお
かれるにいたった︒産業革命にひき続いて私的企業の目ざまし一︲い勃興をみるにいたった十九世紀は︑実に商業的にも工業的に
一■
弓髄も金融的にも︑また︑法律的にも大躍進の時代であった︒簿記
をとりまく各種の外部的与件は︑これまで単なる組織的記録方
法としてとどまっていた簿記を発展せしめて︑企業経営上の管一安理手段たらしめる力をもっていた︒いいかえれば︑十九枇紀に一才いたって簿記は会計厚§垣甘館に発展したのである︒〃︵リトルトン︑片野訳︑前掲雷.二五五頁︺
前記の註は一面に於て簿記より会計への発展可他面に於て過去の
一記録より未来の動向洞察への発展という発展方向を良く表現してい
る︒︲
鯛期間成果計算は会計学上の基本的概念の一つであり︑基本的範鳴の一つに数えら沙ているが︑かかる期間計算が成立L5るためには
君..Lq︲・山09..0.傍︲.■■.
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企業の永続性︑或は継続性が換言すれば未来の存在が前提となって
いる︒而して︑かかる企業の永焼性︑或は継統性の基底には資本の・
現実態としての在り方が永規性︑或は継統性をもつこと詮必要とす↑
る︒減価侭却の如きも機械設備等の更新を前提とするのでなければ・
大きな意味がないことは自ら明らかと思う︒
資本の固定化が大になればなる程︑未来が現在︵当期︶に対し︑
過去の記録に対Lてもつ比重は愈萄大きくなる︒発生主義が期間損
益計算上の原則として︑実現主義が売買利益と未実現利益区捌の原
則として重要視されるわけである︒
一般に会計上の諸原則の適用に於て妓も困難な問題を提起するも
のは未来に於ける企業活動の在り方に対する見透Lである︒原価に
於ける諸要素は凡て変数的であり︑更に一般的貨幣価値の変動が不
可避であるとすれば︑未来の企業活動の予測に関する推定は極めて
困難となり︑諸種の推定方式が提案されることも当然である︒
㈹妓后に企業の妓も大切な而して本質的な側面は︑企業の本質夕・が創造活動にあるという点にある︒前段に於て述べた未来からの制︑
約の問題も︑企業の本質が創造活動にあるとすれば︑益々その見透
Lは困難となる︒所謂創造的破壊骨扇島ぐの色旦昌昌︒巳のテンポ
とそれが影響をもつ範囲の大きさと深さに関する予想は今日のとこ
ろ全く不可能と思われる︒.然るに︑投下資本の固定化の部分は益今・
増大する傾向をもっており︑蕊に未来の変動を巡って企業活動上に
大きな矛盾が発生することを予感する︒
・我燕は企業の健全化が近代会計学の底にある基本的思想の一つで
︑あると述べたが︑企業の健全化輩﹂の創造活動への鈎動とは企業に
︑
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一
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礎
経済学の多くの分野に於ける理論は︑企業の成長I︵論者によつ口﹄ては経営の発達︶lを必ずしも前提としないのみならず︑企業の在
り方そのものに批判の目を向けていない︒かかる経済学の理論体系
から会計学の理論を誘導し︑櫛成することは不可能であるといわな
ければならない︒経済科学の領域に於て︑会計学が精々もすれば異
端視される所以は︑経済科学の理論総成と同じ理論榊成をもちえな
い点にあると考えることが出来る︒
会計学は従って理論櫛成上直接に経済科学の理論体系中に組み入
れられることは出来ない︒それは所謂経営経済学︑而して私の謂う
企業経営経済学の一内容として経済科学の理論体系に間接的に包摂
されることを意味する︒
企業経鴬経済学は企業の在り方を中心諜題として理論を展開する
が︑右に述べた企業経営経済学の一構成理論として会計学が成立す
るということは企業の在り方という主体を巡って会計学の理論が成
立することを謂う︒即ち︑企業経営経済学の一分科として成立する
ことによって会計学は経済科学の一分科となり5るのであって︑こ
の意味で直系的な経済科学の分科ではない︒
会計学は一般に簿記学の理論的根拠として説かれ︑簿記学より生
まれたと考えられているが︑これは技術的な手統き︑或は操作とし
ての観方に外ならない︒会計学が経済科学として成長するためには
企業経営経済学の半面の理論として成長字ることが要請される︒
第二節に於て述べたところの意義を絃に再び想起するであろう︒
即ち︑企業会計学は企業活動の総成果の綜合的な蜘幣価値的把握を
担当し︑企業の資本運動の覚幣価値的側面を解明する︒貨幣価値的
01.01︲FbIL日日︲I︒L・F■:・戸則 一
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側面を担当する限りに於て企業会計学は企業経営経済学の一半とな
る.而して︑企業経営経済学は企業会計学を喪うことによって理論
的な完全さを同時に喪うであろう︒ドイツ経営経済学が会計理論の
面を代表し︑アメリカ経営学が市場経済的︑経営管理理論の面を特
徴的に代表するといえるが︑この両側面の理論を綜合することによ
って︑私の調う企業経営経済学が成立すると私は考える︒
この企業会計学の論理的榔造を前提とすることによって︑技術的
な手統きの学︑若しくは︑操作としての会計学の非論理性が明らか
となる︒企業経営経済学より企業会計学が完全に独立しえざること
はかくの如くであるが︑かかる性格は往奇にして誤認せられ︑会計
学の経営経済学よりの独立が考えられ易い︒会計学の独立性は︑前
述の論理性を無視せる技術論とLて可能となるが︑かかる技術論と
しての会計学は数学の分野に算えられようとも︑経済科学の領域に
於てその存在を正当に主張することは許容されない︒
私がかくの如く会計学の経済科学としての論理性を追求まる所以
は︑会計学の発展は経済の発展に基くものであり︑究極に於て企業
の成長に依るものであることを論証せんとするところにある︒固よ
り︑我狩は複式簿記の技術によって︑企業成長の基盤が形成された
ことを否定するものではないが︑簿記の技術それ自体の内在的発展
の契機が常に企業の成長によって与えられていることを我為は明ら
かにすべきであると信じている︒
企業会計学は企業の会計的事象についての知識の体系であるが︑
企業の成長に伴い︑会計的事象も亦当然に複雑になることは稔を俟
たぬd単純なる会計的事象︑鋤えば口別計算の如貫ほ極めて単純
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86
な方式によって把握され計算されうる︒初期の企業の成果の計算の
如き或は今日の零細企業の成果計算の如きは︑かかる単純な方式に
よって充分に遂行された︒大福帳の如き簿記の形式も成果計算の方
式としては充分に役立つと評することが出来る︒かかる大福嘘式な
単式簿記より複式簿記への進化は企業の基底たる生産構造の複雑化
を予想するものであるが︑中世に於て複式簿記が成長を数世紀に亘
り停止したのはこの生産構造の停滞に帰することが出来る︒産業革
命によるこの停滞性の止揚によって︑簿記が本来あるべき意味を充
分に実現しうるに至ったのである・
企業の在り方は二つの方向に対して複雑となった︒その一つは企
業の資本的組成の強化であり︑巨大なる企業資本が機能するように
なるという方向である︒企業がかかる方向を辿ることによって資本
の有穣的組成の巨大化に伴って︑資本の運動を把握し理解すること
が益々困難となった︒
その第二の方向は企業の社会的存在が自由放任体制によって自由
に解放され︑排他的なギルド的企業が自由競争的企業へと駆り立て
られるという方向である︒企業がこの方向を辿った結果として企業
の在り方が社会的に理解せられ︑この理解が会計学にも強く反映す
るに至った︒会計士制度及び企業経理の公開主義等はいづれもかか
る社会的存在の要請と解せらるべきである︒
会計士制度及び株式会社の経理の公開制度等は近代会計学の発展
を促したものであるが︑かかる衝動が発生しうるということは企業
の社会的な在り方がその基底にあることを意味する︒
会計士制度の起源は古く複式簿記と共に中世紀に遡りうるといわ 一
一
れるが︑過去の会計士制腱と今圓の会計士制腱との間には大きな相
違があり愚一言にしてこの相違を表現するならば︑旧い会計士は企
業の個別的な自己擁謹に務め︑今日の会計士の役目は企業の社会的
存在の自己擁護にあるということが出来る︒
企業経理の外部監査制度の確立は我国に於ては昭和二十三年七月
の計理士法の廃止と公認会計士法の制定によるものであるが︑一般
に旧い制度の下に於ける会計士の会計監査は企業経理の誤謬不正の
発見による企業所有者のもつ企業財産の保護に重点をもっていた︒
今日の会計士は︑旧制度下の資本家︑低権者の利益保謹以外に︑企
業財政の社会的信用の保証をその主たる任務とする︒公認会計士制
度は公正なる第三者的立場に置かれたる他人による企業会計の監査
制度であって公正なる第三者的判断によって企業会計の社会性を確
認せんとするものである︒この制度は株式会社の経理の公開制度と
結合し︑株式会社の放窓な勝手な経営の在り方を防止せんとする︒
いづれにせよ︑企業の在り方の発展によって会計学の理論に大き
な質的変化が惹き起されたことは疑うべくもない︒・
企業経営経済学は企業の個別的存在と社会的存在との矛盾の解明
を基本課題とするが︑この胴別的存在と社会的存在との矛盾の問題
は会計学に於ても同様に問題にされねばならぬというのが︑私の謂
5企業経営経済的会計学の主張である︒換言すれば︑この矛盾を最.︑一も良く反映し︑従って︑その矛盾を自己解決に導く路は企業の在似
方を究明するこどによって可能とされる︒.企業の在り方の究明11
鼓に私が敢えて会計学を企業会計学と呼ぶ所以である︒︑
虚︶私は〃企業経営経済学は企業活動の基礎にある諸条件の統一
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87
についての理論的根拠と統一原理の究明に当る″︵前掲︑拙著
第一章参照︶とするが︑右の企業活動の諸条件が外部関係を基
︑底とすることを問題解決の出発点とすることによって.一般の経
営経済学の見解と箸るしく相違する.かかる理解を出発点とす
るが故に︑私の企業会計学の本質把握は一般の会計学理論と必
ずしも一致しない︒
会計学へ発展する以前の簿記論は単に技術論に止まるのであるが
会計学に於ける所謂会計士学的会計学は企業の社会的存在の初期形
態に対応するものであり︑この所謂会計士学的会計学より近代会計
学へ︑その新しい段階としての企業会計学への発展傾向は正に企業
の飛躍的発展傾向によって裏付けられている︒
以上述べた如く︑会計学は経済の発展と共に進化せざるをえない
のであり︑企業の経済活動︵外部生活︶が困難となり︑↓企業の経営
活動︵内部生活︶が高次化するに伴いそれらを発展契捜とする会計
学は企業経営経済学の峡く可らざる重要な理論的側面を櫛成する︒
企業の経営は単に簿記の知識を以ってしては把握され難く︑理論
的な会計学の援助を必要とするが︑この会計学は科学的会計学とし
て経営現象の統計的認識によって更に裏付けられることとなる︒
企業会計学へ近代会計学が展開するのは企業の本質に基くもので
あって︑この一つの証左として原価計算と予寡統制とを挙げること
が出来る︒いづれも過去の記録の整理という基本的態度より脱却し
たものとして注目される︒
産﹄原価問題に関する妓初の文献はバペエヂ︵g量阻冒g畠の︶
の︑﹁椴械及び製造の経済﹂︵○回︑夢の胃︒g目田島・旨四号目の匂
1
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lriL.︲10トー!︲.宮一︐lLIOPトー.■一・︲q0L
穆昌冨鈎呂曾具胃綴︑届g︶である︒
工場の会計制度として原価計算の組識を研究畦た妓初の文献は:⁝⁝・ガルフ及びフエルズの共著﹁工場会計﹂︵胃員︒qン?
g冒豚胃囹己であろう︒.:糖密なる間接蟹配分法殊に機械時間配分法を説ける妓初の文献はハミルトン・チャーチの﹁経費の.適当なる配分法﹂角冨呼名胃・目震昌9号ロ島因暑①gの田胃号昌ごg︶である︒⁝チャーチ以後原価計算の研究は英国からアメリカに移った︒⁝アメリカに於ける原価計算の研究は妓近二十年間に於て標単原価︵聖鱈且鱒昌8里︶の研究にまで進腿した︒従来の原価計算は既に発生した所の原価嗣即ち歴史的原価︵属営︒号昌8場︶の計算を行うのゑである︒標準原価計算は︑・過去の統計的資料の基礎の上に立つも︑進んで生産物の原価に対する科学的予測を行ない︑標準的作業状態の下に於ける原価を決定せんと十るものである︒標準原価は売価政策と経営統制との手段として峡くべからざるものである︒⁝標準原価の研究とその実際への適用が特に旺盛になったのは
欧州戦後のことに属する︒殊に予算統制の研究と結合すること
によって︑標準原価は始めてその真実の意義を見出し得た︒⁝
原価計算を含めて︑従来の一切の会計制匪は総べて事後計算
︵z斡号暦涛巳畠︒p︶の性質を存ず巻に対し︑予算統制と標準原
価とは事前計算2.時匙冨︼畠︒目︶たる特質を持つ︒最近に於
ける超大規模生産の管理は到底従来の如き過去の計算のみを以
てしては不可能であって︑将来に対する科学的観測に基く計算
に⁝⁝頼らざるを得ない︒︵黒沢︑会計学︑二一西七頁︶︲.
ー
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配
薩二︶〃企業会計は可及的没大の收入︵收益︶を目的として︑可及
的妓少の犠牲︵蚤用支出︶をなすことをその特質とするが故に
予算の綱成は頗る困難であって︑決算制匪︵即ち事後計算︶が
その重点とならざるを得なかったのである︒企業会計をして予
算制度を併用せしむる磯会を作ったものは︑一方に於ては企業
の集中︑経営の拡大化の傾向の産物たる標準化運動であり︑他
方に於ては景気観測S昌口:昏吋︒鼠冒巴市場分析︵冨鼻2
場冒瞬々爵︶の如き統計技術の発達である︒︵一三八頁︶
独乙に於ては原価計算及び予算統制の研究は︑当初にありて
ほ︑むLろアメリカの影響下にあったもののようである︒.:戦
後シュマーレンバッハ学派が擾頭L︑原価計算の研究に主力を
︑注ぐことによって︑この方面の研究に於ても英米を凌ぐ業績が
表われるよ5になった︒:.独乙に於ける此の方面の特徴は︑理
論の精繊なるとアメリカに於て比較的粗略なりL操業度の研究の進歩とである︒〃︵黒沢︑会計雲︑三ヌー九頁︶
経営経済学が独乙に於て学問的大成を見たのは︑その土台に会計
学があり︑経営内の諸価値の変化を追求する会計学の発達があった
ためであり︑従って︑会計学の方向へ経営経済学の全体系が箸るし一
く偏向せしめられた嫌は免れえない︒このことは︑当時の独乙企業
界が比較的に安定しており︑槻械器具工業等を中心として経営合理
化運動が平行していたことにもよる︒新しい広大な市場と上昇する生活水準とに直面し市場拡大と生産機織強化に重点を震いていたア
メリカの経営経済学的歩みと同一の傾向を示していない︒
企業がもつところの経営上の諸条件はその数が多く︑而もその賭
ノ
一、
条件がいづれも可変的である︵この諸条件の安定性については拙著 季
を参照されたいが︑︑企業の発達段階と緊密に関連している︶・これ
らの諸条件の統一に当って貨幣的価値計算が重要な役目を演ずる︒
この賀幣的価値計算の合理性の理論的根拠が企業会計学の理論のう
ちに与えられなければならない︒言〆
右の如くに諸条件の統一について貨幣的価値計算の重要性が認識せられるのであるが︑可変性の諸条件の安定化に対して統計の果た
すべき任務は極めて大となることを注意しておかねばならない︒物
量的計算を基として可変性の予測乃至は安定が導き出されると考え
るべきである︒会計学的理解が求めんとする会計的経営現象は物蛍
的経営現象と常に一体として結合する︒この二つの経営現象を一つ
のものの表裏として理解しようと企業会計学は努めるのであり︑蕊
に私の立場がある︒私が会計学を企業会計学とLて吟味しようとす
るのは正にかくの如き関係に於て会計学を反省しようとするからで
ある︒
物没的経営現象を貨幣価値的経営現象へ転換せしめる原理か究明
が企業会計学の任務とするところであって︑この意味で評価問題︵
国①君の旦冒顕著gzの目のらと蟹用問題とが強く表面に浮び上ると共に
損益計算書︑貸借対照表の問題が出発点にもなる︒
かくて企業会計学の果たすべき任務は大きくその分野は広いとい
わざるをえな略企業経営経済学は企業会計学を重要な理論的支柱
に高めることによって︑企業がもつところの経営経済的考慮9ス
トー收益的考慮︶の合理性を実現しうることとなる︒
︵二八︑九︑三○︺
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