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海原文雄海原文雄

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87

メイトランドの﹁我々は訴訟方式を弾った︒しかしそれらは蕊場の中からいまだに我々を支配している﹂という我

︵●且︶現は︑有箔というよりはむしろ使いふるされたものともいえる︒イギリスにおける師松方式︵︷日日唖︒︷國島◎旨︶発腱

の過程が︑とりも直さず︑イギリス私法発展の歴史を示すものであることを思うとき︑メィトランドによって示され

︵2一たこの表現は︑高柳博士のいわれるように︑イギリス法の理解のため今日でも瞥句的かつ不可欠の格率として術に意識

されねばならない︒本稿はかかる歴史的な訴訟方式の中でも︑従来︑兎角等閑祝され勝ちであった計算諦訟︵画&目

︵︒︾︶具胃8色目︶の本質とその展朋過程を考察しようとするものである︒蔽し︑計算訴訟の中核をなすところの計算義務

は単に契約︑不法行為︑相続あるいは信託法等の個別的論理的解釈をもってしては到腹理解し得ず︑その背景には中

世イギリスにおける封建的不動産法理とこれに対立する異質的要素である商取引的衡平意識の錯綜が常に見受けられ︑

このような地盤をめぐる計算訴訟の究明は︑複雑難渋なイギリス中世の土地法および動産法がどのように合理化かつ

四 三 二 一 中世イギリスに於ける計算訴訟と衡平法理

はしがき

計算詠訟法理の生成

遮賑符斑と不当利得

一はしがき むすぴ

海原文雄

(2)

−1

88

近代化されたかを理解し得る手掛りを提供すると同時に︑計算義務履行を中心とするコモンロー︑教会法︑衡平法の

裁判管轄争い︑換言すれば︑コモンロー対エクイテイの最初の交渉の一局面を展開すると共に教会法とエクィティの

限界をも設定し︑イギリス法制史上きわめて興味ある問題を形成する︒

従来︑私はイギリスにおける譲渡抵当受戻権︑信託受益櫓︑組合員の持分︑遺産街理人の責任等を中心にいわゆる

︵︒︒︶信認関係︵臣匡︒旨昌旦昌目︶の歴史を考察して来たが︑これらはいずれもその根抵において衡平法理の支配介入す

るところでありながら反面︑そこには絶えず古いコモンロー的計算訴松の概念が潜在するという矛盾に悩まされ︑而

︽RU︶もその矛盾の拠って立つ理由を究明しない侭に放齪してきた︒それは計算排訟に関する文献が断片的かつ倣少である

︹一○︾ことにも脱因するが︑より大きな理由として︑計算訴訟における衡平法理の展開が近代的商企業としての合理的契機

を多分に包含するため︑川近代的封弛社会の実体的荻礎を破壊してゆく商取引の影騨lそれはまた衝本主義の削芽

︵句〃︾とも関述してコモンローの自己変旅を意味するlという破要な問鼬に立ち入らねばならなかったからである︒勿倫︑

本棚はこのような経済的社会的符蛾を綜合してイギリス私法近代化の全貌を描写せんとするものではないが︑この小

秘が少くも侭認関係における衡平法理の発股を理解するための一助となれば幸である︒

まず︑計算法理自体の起源と特質を概観した後︑これを従来研究せる遺産竹理法と契約法の二部門の雁史に再検討

しながら計算訴訟法理の拡張を考察し︑もってかねてより保留して来た裸脳を解明すると同時に目頭に掲げたメィト

ランドの我現を例証してみることにする︒それはまたイギリス法におけるエクィティの淵源および本質を把握するた

めの一つの示唆を与えることにもなるであろう︒蓋し︑中世イギリスの訴訟方式はすべてコモンローだけに認められ

た制度であるが︑現実のイギリス法の法源はコモンローだけから成るのでなく︑そのほか衡平法︑寺院法︑商悩習法︑

ローマ法等があり︑それに照応してコモンロー裁判所と共に大法官裁判所︑宗教裁判所︑海事裁判所等が存した︒こ

れら裁判所においては元来︑令状の体系や訴訟方式制は存在しなかったのである︒その故にこそ︑高柳博士もいわれ

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q

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︵︒︑︶るように︑エクイテイの精神がこれらコモンローの令状体系の欠陥を補充し端正する役割を演じたのであって︑本稿

で取り扱う計算訴訟と衡平法理の関係も︑これら多元に亘るイギリス法の法源とその発展過程を一側面から理解せん

と欲するものにほかならない︒

①醗旬言昏﹃日切旦画&呂誤﹁の言ぐの言﹃盛.g寓意里︑邑旦①晨良8国吾晋輌呵亀脇・善.言昌冨且︺図昌望︵思溢︶.で由韻.

②高柳賢三可英米法の基礎﹂八三頁︒③我が国においては勿論︑イギリスにおいても︑計算訴訟に関しては殆ど理解されていない︒ラングデルはその理由として︑

コモンロー上すでにすたれたとみなされたものについてエクイティは余り乗り気でなかったこと︑計算法理がエクィティによ

って充分理解されていなかったこと︑計算法理という言葉自体が非決定的かつ暖昧であったこと等を挙げる︒唇ご魁①二ゞ園巨ご

旨﹃一農&︒旨も震F因思い尤も︑私はラングデルと異なり︑計算法理の概念が不明確であったからこそエクィティによって︑

また︑エクイテイによってのみ今日の如く発達したと解することは︑本稿で述べる通りである︒なお︑普些︾勺昔o包厨昌

恩昌運︵岳麗︶.?$参照︒

倒司譲渡抵当の歴史的考察﹂︵熊大法文論叢節五号︶︑﹁信託法理の形成﹄︵金沢大法文諭築第四号︶︑﹃英米組合財産と衡

平法理L︵金沢法学第二巻第二号︶︑﹁英法における法人論の系譜L︵法制史研究7︶︑﹁英国相続法史における衡平原則L

︵末延先生遠暦記念論集︶︒

⑤今日︑計算訴訟の適用される法関係に立つ者は︑前記諸例に限られずその範囲は極めて広い︒例えば︑代理人︑問屋︑後見

人︑競売業者︑受寄者等︑ある租の信頼関係にある者が︑その関係に雑き︑正当な計算をなすべき義務があるにもかかわらず︑

それを怠ったときには︑すべてこの訴訟が被告として提起される︒而して︑一九二五年旨呂8胃思い鼻あ.誤︵この前身は

一八七三年﹈且冨痔員のシgあ.段︶はp計算脈訟がg目8昌貝ぐ亘︒ロあるいは○回$旨・睡闇ロ号貝く璽︒回で行使されるこ

とを規定する︒なお︑我が国の民法九五六条および九五九条は相続人に対する管理人の計算義務を規定しているが︑これらの

規定は︑管理人は相続人たるべき者の代理人として椛成する独民法を素材としたものであり︑従って計算義務も英法の如く信

頼関係から発する義務とはその性絡を異にする︒死者の遺産は必らず一度人格代表者に移転し︑人格代表者狐債務を弁済して

遺産をこれにつき権利を有する者に分配するという原則は︑イギリス相続法が我が民法と異なって特色とするところである︒

⑥計算訴訟に関するまとまった文献としては︑僅かに停雰の旨↓目言・壷︒号冒O冒・8目庁・溌霞F閥心殿士gおよび

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計算訴訟含&・旨具画︒8巨昌︶は一三世紀に荘園傾主がその荘役舎凰冨︶あるいは荘園管理人︵の画冨冨目自画鳴﹃︶

︵●且︶に対し︑荘閲の利益を計算せしめたことに起源するとなすのが通説である︒その最初の例は一三一三年に現われて居

り︑荘園の収入を徴収した荘役が相当な計算︵魂︒鼠︒冒匡の画︒8目己をなすべき荘閲航主に対する義務に基くもので︑

︵ゆ︶形式においてこの訴訟は扱初胃胃g冨呂&門⑦監鼻︵土地占有返還令状︶であった︒当時のイギリスは商度に発達

せる封建制の下にあり︑そこでは土地所有者たる価主は荘役に荘園を管理せしめ︑地代収益に対し計算の義務を荘役

に課するのが通例であった︒一三世紀の憲法的秩序においては︑かかる場合に計算を拒絶する荘役から賠償手段を準

附していなかったとは考えられない︒ペルシエイムによれば︑初期の計算訴訟は法の背後で法の刺造せるものであり︑

︵の⑨︶その範囲︑手続も殆ど封建的な政策に基く立法の結果にほかならない︒従ってまた︑初期の計算訴訟が単一の法原理

によって裏づけられないのも当然である︒計算訴訟が制定法上最初に規定されたのは二一六七年聾胃員の呉冨昌冒魂︐

︵△毛︶・画警第二三章であった︒やがて︑荘役の言葉自体の意味が拡張せられ︑収益管理人︵愚︒号9︶や後見人︵唱目皇§︶

言回︶をも包含するように登達して来た︒この現象は︑既に削記聾色目篇g冨胃言舜呂警第一七章にも見受けられるが︑ 塚固魁の二︒Pgrg.隈や蹟﹃が見受けられるだけである︒木稲は両錨文に負うところが多い︒例近代的商企業の要脳する特賛として完全性︑正硫性︑細職性︑記録性等を挙げ柵ろが︑計算訴舩の目的がまさにこれらの贈

属性の実現にあったことは疑ない︒とくに計算誰務者の法的武任の明硫化は復雑化する企業の発展にとっては必須条件ともい

えるであろう︒この点に関する詳細な解挽として︑︒﹃昌男今乏濤亨固§匡8﹃画目1弓﹃届冨阻︵画で目昌g一電︒﹃ご冨号の旨電診

艮且画質昌号圏目色︒8目冒陶皇8g怠い画己茸属画g︾3爵&aで?心誤の厨2.

⑧商柳賢三可前掲書﹂二八頁︒なお︑エクテイの淵源識としては︑別に研究中である︒海原﹁英国衡平法の淵源﹂︵一︶︵二︶

︵三︶︵金沢法学邦三巻節一号︑節四巻第一︑二号︶・﹁国家椛力と刑覗扱判手続﹂︵法制史研究特韓号︶︒

二計算訴訟法理の生成

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このように計算訴訟が広い多様性をもつところの3︒gぐ閏や唱胃竪自をも含むように拡張されたという事実は︑

︵皿︶一三︑一四世紀において生じた歴史的変化の一縮図とも称し得る︒蓋し︑ペルシエィムもいうように︑従来︑椛利令

状︵笥胃具吋碕胃︶や侵奪不動産占有回復訴訟含腸冨呉回◎ぐ巴監腸骨旨︶︑相続不動産占有回復訴訟︵患骨︒g日︒再

生§・陽8局︶︑僧職推挙権回復訴訟︵鵠鳥①具烏馳吊冒己忌ぃ93の胃︶の如き占有令状によって保護される土地保有に

基礎つけられた経済から︑社会の進展は不動産よりもむしろ動産がより多く意識されるところの商業に基礎を置く経

済に移転したからである︒この結果は当然に物的訴訟よりも人的訴訟の亜要性を高めると共に︑計算訴訟においても

︵唯︶商的色彩︑すなわち︑ベルシエイムのいう愚8ざ関鼠目9号目忌昌且匡昌の増加を物語るであろう︒また︑同じく ︿のり︾より明砿に規定されたのは一二八五年の目昌の具言8§言い§第二章である︒すなわち︑一二六七年法が単に荘役のみを対称していたのにくらべ三一八五年法はその範囲を拡張すると同時に計算獅訟の強制を国家椛力により推進

︵守り︶せしめていることが条文の上から窺うことができる︒ここで︑計算義務が後見人にまで拡張された事実は封難制の推

移と関述して注目すべきであろう︒というのは︑元来︑封建制の下では航臣はきわめて多額の上納金を法定相続人の

後見椎や硲姻梅として後見人たる領主︵唱画a冒旨・匡邑曇︶に徴収されるのが常であり︑また︑髄主に限らず農

家後見人︵唱画a冒冒︒g鴇︶の場合も︑後見の椛利は一般に金銀的かつ所有権的であってこれを遺言によって処

分することもでき︑プラックトンの時代には武家︑農家を問わず︑後見人のこのような収益に関して計算義務が課せ

︵8︶られるということは考えられなかった模様である︒ところが︑ヘンリー三世治世におけるパロン戦争を契機として︑

先に挙げたモールバラ制定法により農家後見人はその法定相続人が成年に連したときは土地の収益に対し法定相続人

︵qや﹀に計算すべき義務を課せられ︑また︑後見権や婚姻権の売買も禁止されるにいたった︒農家後見におけるこのような

計算訴訟の成立は︑まさに鋤奉仕階級︵og需痢︶の封建制枠内よりの離脱かつ近代化の一端緒とも解し得るである

︵加︶う︒

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− − 一 〒 一 一 一 一 − ヤ ー ー ー ー ー ー 一

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人的脈脇に移行したといっても︑従川よりコモンロー上広く行われて来た金銭偵務訴訟︵胃号ロ皇13c︑勤産返還

荊求脈松︵胃昏回具号冒巨の︶および捺印契約脈訟︵胃号画g8ぐg§cは︑いずれも勃興して来たこのような商

的要求には充分に応じ得ず︑結局︑荘役︑後見人︑収益糠理人等がその義務不履行の場合における蝦大の救済手段と

︽卿︶しては計算排訟の発述に依頼せざるを得なくなったわけである︒

侭︶ところで︑計算訴秘を生ぜしめる原告︑被告間のo冨恩号冒の性格はきわめて不明瞭である︒計算額が不確定金

額︵昌冒昌烏命氏︒8自己であることは計算訴訟の特性であった︒このことは後に牌︒算ぐ.胃旨8号︵届呂︶.唖

p目.画誇においても硫認された点であるが︑同判例は直後の曵旨量冨画く.言三画篇目︵冨匡︶︼画爵巨昌.念﹈に

おいて︑引受訴訟︵鼠属目房gが計算のために併存するとの理由で破棄せられ︑同じく口昌のぐ.g二黒︵ミ&︶.﹄

︽鰯︶国巨q・堕患でマンスフィ.Iルドにより荘役に俄務所訟の責任を間うているとして否定されている︒しかしこれら判

例の如く引受訴訟や償務訴訟の法理によってこの疑問点を解決せんと試みるのは妥当ではない︒問題は計算訴訟法理

の本蘭に存するのであって︑元来が不破定金額であったところの債権債務が後に何故清算確定額に変形するかにある.

このためには計算自体が自発的︵ぐ昌目gq︶であったが︑あるいは非任意的︵旨く皇目冨ご︶であったかを識別し︑

︵昭︾計算訴訟の行われたのは後者のみであった点に注目せねばならない︒思うに︑計算訴訟は前述したように︑通術は当

事者よりも計算人︵邑邑冒端︶によって行われ︑而もこの訴は被告が計算を拒絶する場合に衡平的見地より法によって

︹︶強制せられるという点にその効力が存する︒この点を今二︑三の点から考察してみよう︒先ず︑計算訴訟の適用範囲

は動産にのみ適用せられる︒起源的に荘園の領主あるいは鋤奉仕における後見人のように一見すると土地にも適用さ

れるようにみられるが︑これらはいずれも土地そのものに対する計算ではなく単に土地から生ずる地代や収益に対し

︵畑︶一四︾

て行われるだけである︒また︑計算訴訟に関しては所有と占有という非常に困難な問題が存する︒この点は学説の分

れるところであり︑例えばラングデルは所有権は原告に残り占有権のみ披告に移転する場合︑すなわち︑原告による

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︹︾所有と被告による占有が共存する場合にのみ計算碑訟の拘束力を生じ︑共存なくなれば計算訴訟も消滅すると挽くが︑

ベルシエィムはラングデルの所鋭をドグマ的として莫向から反対し︑その為拠として9﹃①管の○四綿︵扇笥︶ロ胃記邑闘

ゞ︵副︶および雪隠ぐ.智屋畠︵諒麗︶厚︒︑国ご・忌配を引用する︒金銭における所有と古所の不分離性l金銭は物とし

ての個性を有せず観念的な価値自体であることにもとづくl︑とくに上述せし計算訴訟概念の商取引的立場よりす

る拡張から眺めて︑後説の方が妥当であるように思われる︒さらにまた︑被告が単に財産を受苛者として受け取る場

合には計算訴訟を生じない︒計算訴訟を生じるためにはそれを売却することによって金銭に帷換する目的か︑あるい

︽魂︶は所打者の利航のために収益を生じるようにそれを使川する目的が存しなければならない︒この点は財産が金銀なる

︽調︶場合にとくに留迩すべきであろう︒

以上︑二︑三の属性から計算訴訟の性格を検討して米たが︑結局︑計算脈綴の解明にとってもっとも決定的な棚鼬

は計算義務の本質にあると思われる︒而して︑計算拙務の本質も初期発生当時の荘役に関しては別に問題はない︒そ

れはただ︑封姓制枠内に於ける荘剛領主が荘役に対して課した一種の封建的政簸のあらわれに過ぎないからである︒

従って︑計算義務の本質はやはり計算義務者の範囲の増大︑すなわち計算訴訟概念自体の拡張に求められなくてはな

らない︒このことは既に本稿において考察して来たところであるが︑問題はこのように拡張された計算訴訟における

原告と被告の間の法関係である︒それは初期の領主と荘役間の封建的政策関係とは本質を異にし︑どこ迄も商取引的

近代商業主我の朗芽がそこにようやく意識されて来たといういわば初期資本主義的要諦にもとづいて︑さらにこれを

法関係の視野に逮元するならば中世もようやく後半にいたって発進して来た契約あるいは愉舵の慨念から判断しなが

ら解釈されねばならないであろう︒しかしながら︑計算排訟における原告と被告側の法関係をただ単純に契約法とか

僧托法によってのみ律せんとする拭みは非雌史的で妥当ではない︒これが究明のためには︑今一度︑計算訴訟の概念

自体の進化過程を再検討することを要するように思われる︒

(8)

一 一 一 一 一 ■ 一 一 一 一

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元来︑計算訴訟における被告の種類は計算のための管理人︵制8ざ胃鼠8日冒冨乱臣目︶と︑取引のための荘役

舎昌覇邑昌⑦思冨且冨且巨日︶に大別され得ることは既にベルシエィムおよびラングデルが共に強調するところで

︵割︾ある︒すなわち︑計算溌務者たる被告の仕事が受領せる財産を安全に保管しそれをただ再移転するだけならば彼は

別⑦8弓g鼠8ョ冒薗且巨目であり︑さもなくして被告が独自に取引を行い報酬︵皇︒弓卸胃⑦︶︑手数料︵言鼻︒﹃樹の︶︑

︽野︶支出盤︵閏月冒關︶等に対して柵限を存しているならば彼は冨豈索邑日の痢島目色旨目昔日である︒而してラングデル

︽調︶によれば︑富一言あるいは愚向のぎ①端いずれの性格において財産に関し計算義務を課せられるかは峨初の受械︵自喧目昌

瑞恩の胃︶によるものであって︑決して問題が生じた際に存する事物の状態によるべきではない︒従って一度言一屋と

して財産を受領せるものは依然として冨二雷であり︑たとえその財産が金銭に転換せられ︑被告に残る唯一の義務

が所存者に対する金銭支払に化したとしても冒二霞には変りない︒ラングデルはこれを○胃⑦國富壹霊画言畠印画

︵訂︶富農軍と表現する︒いずれにせよ︑計算訴訟の発展において亜要なのはこの区別のうちで冨二臺且目の胃冨且冨口

︵郡︶含目にあることは疑ない︒なお︑ず邑壼は形式的に任命されたり授与されたりする必要はない︒冨二室として行為

すること自体が計算訴訟の義務を発生せしめるものであり︑この場合は法の介入においてのみ計算訴訟が認められる

︵認︶点は後にも触れる︒また︑これら分類のほかにニハ枇紀には閉⑦§ぐ胃良目の月冨回島駒自昔日が認められ︑それ歩組

一鋤︶合法理の発展に貢献したことも附記すべきであろう︒

以上の薄茶から推知し抑ることは︑時代の進鵬に伴い計算擁訟が起源的に蔵した封建政飛維持的性格は次第に払拭

せられ︑商取引的要捕に応ずべくその概念ならびに屈性が拡張かつ合理化されてきたことである︒しかしながらこの

蛎尖のみでは依然として法技術としての計算脈訟は不明隙であり︑従ってまた︑時代の要鮒にどのように応じたかと

いう背蛾からのみで計算孫訟の本質を紬論することも早計であろう︒盃し︑計卵訴訟は今迄本秘で概観したように︑

どこまでも封建制度が創設し︑コモンローによって発速して来た法理であり︑このことは当然に︑コモンロー上の他

(9)

戸一一一 一 一 = ー 一 一 一 一 一 ー 一 一 一 一 一 勺 ‐ = 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 → 一 一

計算訴訟がもっとも欠如してい

︹弧︶改革近代化したものといえる︒

以下次節において︑衡平法に ここに︑当時ようやく擬頭して来た衡平法裁判所が計算訴訟に介入し︑従来のコモンロー的計算訴訟法理を継承飛

細せしめる契機が存した︒もちろん︑コモンローと雌も後述するように引受岬松による契約法の新しい鵬州をもって

川来の難点を打開し︑そこに計算脈訟を含む古い人的岬松は諦算統一せられるにいたったが︑衡平法はコモンロー的

計算獅訟がもっとも欠如していた開示制度と特定版行の実現のため︑独自の弦力な訴状e二︶を中心に計算評議を の人的訴椛と同様に計算訴訟と雌も中世的な錯綜手続が附随するという宿命から脱却し得なかったことを物語るから

︵剛︶である︒殊に被告として財産を愛領せる当珈者以外の愛益者の立場にある節三者に関してコモンローの叶騨脈払は殆

︵錘︾んど救済を与えていない︒例えば︑AがBにCの利益のため金銚を附与し︑Bが慨怠せる場合︑コモンローの爪則に

よればAはBを債務訴訟により訴えることができたが︑Cに計算訴訟の救済を認めたのはようやくニハ世紀に入って

以下次節において︑衡平法による計算訴訟の継受発展過程を遺産管理法と不当原理の二面から概観し︑もって計算

訴訟法理なかんずく計算鑑務の本圃ならびに原告︑被告間の法関係︵近代的法技術としての︶を再考察してみよう︒

薇し︑本節で検討した如く相当程度に拡扱合理化されたとはいうものの︑これまでの計算脈松は依然として余りにも

コモンロー的︑従ってまた難渋不明隙であったからである︒ ︵鋼︶からのことである︒

②例えば罰冨言﹃席﹃戸のz具自国厚のく富国︵旨$︶に﹁もし人が彼の荘園の荘役に誰かをするならば︑彼は荘役に対し君昌

昌胃8目挿を提起し抑くしLとあり︑また︑ヘンリー三世時代の令状方式杏に荘役をしてその荘役時に所有せし部分を合理的

に針算し返遼すべきことを命じている︵旨画菖8碗旦の日冒且⁝⁝﹃&烏﹇旦胃鼠目星のg8g冒冒日目︒目烏席冒冒恩曾︒ (1)国①騨凹で︒の②口 例えば︑博互員ョ管oで.§.ゞで.余窮ざ二O烏画己冨豊富且︾弓冨罫冨Oqg團晦一喜冨至忌且a・ぐ◎一.阜石も蟹一国月下

騨.諺8室爵①霊異◎呈昌芹言8ヨョoロす署や心昏&・で.思爵冨画三画己.弓胃さ﹃ョ画9回⑤言○旨罵8目目目一色竃︾︵岳恕︶・

(10)

︑動因堅切琴凰︼旨︾OPO爲・己亭心αP

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亀匡昌目諺鴨ご言⑦︒巨昌些昌喚号呈目鳥のョ◎二ぐ尉篇毎画O﹃の堅の︾己︒﹃画自噴q臨言巨属さ冒昌善の恩ョの旨胃﹃一冨目︑興ず昌圏寄与︑言二

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房2$昌昏のg建言言﹃冒国8g四宮鳶昌シ︑8冒宮︸圏ぐ旨晦8号の閻目①︒巨昌皇自画穿骨月色8回画匡⑦8唖冨.ご

⑥本法は一二五九年の甲oご﹈望︒扇具言の四目﹄冒席﹃を再制定したものである︒岳屋乏息一・︒旨黛9月⑥﹃昌昌解﹃舌昌喚管厘了申申

雷房善︑言ョ言﹃言冒一画且二言色邑ロの﹃昌詞胃凰ぐ負い︾君三号目⑮言巨且8国の瓦諺⑤8ョ胃︾罵扇長﹃①&毎昌Ca色言&︾弓琴鼻■■

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蚤のシ民島8﹃仇旦昏①胃ョのシo8g胃轡号豐冨罵昌︒﹃号寄の﹃&呂昌︒善の旨①鷺︒g一.胃篇尻目唖噸旨号◎恩勺色﹃騨命︶色且

言二冨吊8毒且◎胃言浮胃昌go8行﹃ゞ凹己言冒8国色目岸◎目自画烏﹃9房2農且夢色己顕冨二﹃の目昌冒︼宮号の箇ョ①︒●

︾や淳冒回閏員冨苛︒竃ョ○日行︑目星号畠冨く︒具菖乱吾骨冨画罵①﹃匡辱︒胃言シ﹃﹃g﹃畠綴.

m一二八五年法にみられるように︑通常は計算人︵昌含︒○が計算を行うのであるが︑計算すべき旨の判決︵省a8昌冒冨︶を

受けた当事者が計算人の前に出頭して計算を行わない場合は︑その義務を強制するために令状︵8冒吻且8ョで具自昏ョ︶が発

せられる︒この計算強制令状によって執行官︵鯉言﹃旨︶は被告を揃えるわけであるが︑被告が逃亡し発見し得ざるような場合

は︑執行官はこの令状に所在不明報告︵目目厨冒弓呂冒畢を行う︒而して︑かかる場合はその被告に対し典裁判所から法益剥

癖令状令浜釘昌国鳥輔︶が発せられた︒このようにして法益を剥奪されたものは︑法神上の死亡をとげたものとみなされ︑財産

所打能力を失い︑その所打する一切の財産を没収され︑法祁上救済を求める能力も喪失し︑いわゆる王の平和の外に腿かれる

わけである︒ベルシュィムによれば︑当聯︑このような叶算排訟による法益側奪者の例は非常に多かったらしい︒例えば︑ ︷巨詩津した︒ 冨罠言い呂晨︶︒罵一普普星呂.骨・亨亨溢暉および冨色三目具詞⑦哩呉胃go﹃釘言ロラ量言︾国.r.﹄認より夫々引用

(11)
(12)

|﹄

98

個画:言冒.Opg●萄官亀い 脚いずれも︑願喜愈冒.8.号.苧合︒より引用.もっともエイミスは︑不確定金額に対し計算訴舩がなされることを原則と

してこれらに反対している︒鈩冒の↓FoE﹃8.国r噌一ご黒︒q合習ら息.旨﹃.

︑例えば〆国品陣忌冒君.ヨ串届︵岳堂︶では︑被告が民脈栽判所において債務消滅認証書︵色β鳥冨冒8︶を杵されるに

あらざれば計算人の前で計算することを拒絶し神判に附せられたことを報じている︒このように︑計算訴掻の木質は当郡審問

に法によって強制された関係から派生する義務であると称し得る︒罰﹃︒g雪鷺︒g邑且8胃︒畷︒胃言8目日◎旨︼画君︵惇濃︒︶︾

で︑駅蝉汁算祢訟令状はいわば所有者的令状に型作られるとするポロック・メイトランドの浅現もかかる愈味から適切であろう︒

ぎぎ島国且冨凰二目生.8.・震.ぐ◎一白℃?臆﹄.なお︑衡平的見地といっても︑後年の衡平法扱判所成血後のエクイーアイの窓で

はない︒盃し︑叶算岬訟発生当時の一三︑四阯紀では未だ︑コモンローとエクイテイは未分化の状態であり︑ここにいう衡平

的兄地とは特定刷行的愈味と総びつけて用いたに過ぎぬ︒洋細は海脈﹃英闘衡平法の淵滅︵三︶﹂︵金沢法学第四巻第二号︶七 ⑱本章註例参照︒ 卿計算訴訟は債務脈訟等の如く債務額が確定していないからである︒例えば響曾篇ご・罰⑥言&切色臼ご︾

︑股初の受領がはじめから︵冨昌g取引に方向づけられているときは叶算所松が必潤であるが︑計算が

不正確性を依然として残すし︑また︑人が荘役として求灘せられるときも︑彼の礎倣額の砿定性は叶算さ

と汁算獅訟の不明陳性をⅢ接的に渡現しており︑また︑爵目︒且ぐ.君画匙舎段与︾堕号では可地代のみ

ぬ︒何となれば地代は肺定し物的財座に含まれるからである︒しかし地代が他の物に混合されれば計算岬

と宜言されている︒

九頁以下︒ 決して契約には垂かず︵後述︶との点で両者は本質を異にする︒また︑動産返還舗求訴舩は合法的に引渡した特定動産が︑その後不法に認置されるとき恢復のため提起される訴訟に過ぎず︑同棟に捺印契約訴訟も捺印契約の違反に対する損審賠償を請求する訴訟であって捺印された契約にのみ限られる︒これら謂訴訟は夫々︑物椛説と債権説に分れ︑その本質論が論議されるところであるが︑今は省略することにする︒その詳細に関しては言四三画且︾弓言さ﹃言いg色昌︒p胃8日目︒ぐ﹈︑君︵岳鼠︶.弓.曾里隠畠.なお︑私はかって信託法理起源論においてこれら人的訴訟を證述したことがある︒海原﹁信託法理の形成L︵金沢大法文学部諭集4︶一○○頁以下︒

計算訴訟は債務脈訟等の如く債務額が確定していないからである︒例えば響曾篇ご・罰⑥言&切色臼ご︾出C冨号曾冒では

︑股初の受領がはじめから︵冨昌g取引に方向づけられているときは叶算所松が必潤であるが︑計算が完了するまでは棚の

不正確性を依然として残すし︑また︑人が荘役として求灘せられるときも︑彼の礎倣額の砿定性は叶算されるまであらわれぬL

と汁算獅訟の不明陳性をⅢ接的に渡現しており︑また︑爵目︒且ぐ.君画a︵﹄段﹄︶︾堕号では可地代のみでは叶算脈訟は生ぜ

ぬ︒何となれば地代は肺定し物的財座に含まれるからである︒しかし地代が他の物に混合されれば計算岬訟は生ずるであろう﹂

︑jr

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(16)

r‑

102

まず︑遺産管理の分野から計算訴訟の発展を眺めてみることにする︒イギリスの相続法は一九二五年少凸目言質局l

島︒ロ昌恩目阻シ鼻により物的財産椛法と人的財産樋法が統一せられ︑今日においてはすべての財産が人格代表者

︵穏圃8旨堅圃①胃砺g冨牙︒︶に売却信託の形で帰脚せしめられ︑この人格代表者が相続財産を計算し烈余財産あると

きにはじめて同法に定める一定範囲の親族に分配される︒しかし乍ら旧法時代においては物的財産椎と人的財産樋ま

︵1.︾た遺贈と無遺言死亡とによってその相続法を異にしていた︒計算訴訟に関連して大切なのは主として動産相続である︒

一般に古いイギリスの慣習では︑死者の動産は三分の一法︵苛旨肖註蔚畠ぐ屋︒旨︶によった︒すなわち︑三分の一は

妻に︑三分の一は子供に︑残り三分の一は死者の自由分として分訓され︑この股後のものがいわゆる死者分と呼ばれ︵句必︶︹q︼︶る︒その詳細は略するが︑死者分をめぐって思澗と迩魂の救済を計るキリスト教の目的から動産の椅輔は次鋪に教会

今q︾法が支配するところとなった︒やがてその慈善目的を公的に監督しその財産を公平に処理すべき仲介者が要望せられv

ここに遺言執行者︵関の28儲︶あるいは遺産管理人︵且ョ言質国8吋︶が生れるにいたる︒遺言執行者は遺言管理人よ

り起源的に古く︑既にグランヴィルの時代にその萌芽がみうけられるが︑当初は未だ法定相続人のみが死者の俄務に

対し打蛍であって︑遮菖執行者は単に遺首条項を遂行するのみであり︑プラックトンの時代においても辿首執行者は

教会救判所のみで訴追せられ︑コモンロー上資任を課せられるのは法定相続人のみであった︒このようなコモンロー

上は法定相続人が死者の佼務に対し有責であるという原則に対し︑教会裁判所は遺言執行者の優位を確保すべく努力

し︑さらにそれを無遺言相続の場合にも推し及ぼすことに力を注いだ︒かくして︑教会法とコモンローの間に遺言執

行者と法定相続人という利害を異にする両者の椛限争いが︑それはまた教会と世俗裁判所の監仔権の争いが生ずるに

︽R︾︶|いたった︒ところが︑この両者の関係を決定的ならしめる立法が制定せられた︒マグナカルタ第二六条はその端緒を 三遺産管理と不当利得

(17)

103

︵︑U︶●

示すものであり︑次いで一二八五年ウエストミンスター第二法祁︵川述︶の鰯三瀬は氷教裁判所裁判官︵◎農愚昌︶

︽■J︶に死老の債務支払を命じた.さらに二一五七年エドワード三世制定法は宗教救判所裁判官をして遺産管理の職務を死

者に堀も近くかつ蛾も適法な友人に委託することを規定し︑このように任命された遺産智理人はあたかも遺冨執行者

︵︽B︾の如く死者の債権債務を継承清算し︑然る後に旧来の三分法に従って死者分を慈善目的に適用することを命ぜられた︒

本法制定以後遺産管理人の地位は遺言執行者のそれに同化されたわけであるが︑ここで遺産管理人は宗教裁判所裁判

官に対し計算の義務を負い︑而もその地位が宗教裁判所裁判官からの委託権限にもとづくという理由からその計算義

務も水教的色彩が甚だ強かつたという点は注目さるべきであろう︒ウィリアムスはかかる義務発生の根拠を︑本法の

︽q︾︺立法趣旨が財産に受益者的桶限を右する人をしてその財賑を杵理する椛利を与えたところにあるという︒しかし一四

世紀Ⅲ半の当時においては遺産符理人の地位を侭托法理をもって説明しようと試みるのは未だ無理であり︑それはむ

しろ︑侭義的な宗教上の義務の履行として当然汁算を強制せられるものであり︑マークピーあるいはス・ヘンスのいう

ように︑古いローマ法の財産目録の利益の制度︵肩口島︒旨日旨くg冨農︶から由来する義務の信義的履行の要求がィ

︵︑︶ギリス教会法を媒介して一三五七年法にあらわれたものと解したい︒

いずれの見解をとるにせよ︑一三五七年法において認められた計算義務が︑後年のコモンロー上の遺産管理義務連

︵皿︾反︵号冨ゆgぐごあるいはエクイテイ上の信託受託者的義務の先駆的役割を果したことは充分に推察し得よう︒

しかし乍ら︑やがて宗教改革を契擬とせる教会法の退化に伴って︑コモンロー裁判所は遺産管理に対する宗教裁判

所裁判官の支配を阻止無力化する政策を押し進め︑その結果︑無逆言助産の債椛者は己がコモンロー上の樋利を無制

限に主弧し︑遺産衝理人自身も厳格な計算訴訟の鍵務を回避して己が手中にある巡産を私川化する弊害を生じ︑この

状態はエリザペス王朝初期から王政復古にかけて簸商潮に達し︑遂にニハ七○年印冨冨冨昌些匿凰盲号冨ぃ︵隠伸罵

9罰.P︒.ご︶が制定されるにいたった︒本法はその標題に無遮言死亡者の遺産をよりよく浦算するための法律︵曾悼

(18)

1

シ鼻昏匂昏の冒胃鄙︑騨農侭昌目§冨冨.固唾目恩︶とあるように︑コモンロー裁判所において人格代表者の計算

を展示しかつ証書を作成すべきこと︑ならびに債務支払後の残与財産を三分の一法に従って分麗すべきとと等を規定

︵蛇︶する全文七カ条から成り︑無遮言死亡時の遺産相続に関する現代諸立法の出発点をなすといわれる︒結局︑古くから

存していた動産無遺言相続に関する三分の一法および遺産笹理における計算脈舩法理が今迄長らく教会法の枠内に育

てられてきたものを︑本法によって国家法上の制度として硫銘せられ︑また遺駈禰理に対する椅輔柵が本法を契機と

一画︶して教会裁判所からコモンロー裁判所に移行したという意味で一六七○年は飛要な制定法である︒

一六七○年法によりコモンロー裁判所は遺産祷理に対する実質的符輔椛を渡御したわけであるが︑そこで行使され

る訴訟手続は依然として古い計算訴訟や債務訴訟が中心であり︑また教会裁判所もその後相変らず宗教裁判所裁判術

を通じて計算訴訟を監督することを主張してコモンローに譲らなかったため︑悩椛者あるいは受遺者にとり一六七○

年法と錐も決して満足すべきものでなく︑殊にコモンローが保留権︵尉急旨関︶および優先権︵胃の可98︶等の不

︿川︶公平な特権を認めるようになってからはより公平適切な救済手段が一般から望まれるようになった︒︾﹂こに遺産管理

とくに計算訴訟に関する衡平法の介入が始まる︒すなわち︑既に一五世紀より衡平法は教会法とその管轄権を争い始

めていたが︑教会法の衰微に伴い次第に独自排他的な椅輔楢を有するようになり︑たまたま遺産街理の本鷺が公平信捜

則にあったため本来良心裁判所をもって自認せる衡平法裁判所がこれに干渉し︑チャールスー阯時代には衡平法裁判

所は充全に従来の教会法的遺産椿理法を継受するにいたった︒而して衡平法はまず人絡代表者に計算鎧務の厳枯服行

を要求したのみならず︑扣統価椛者の計算獅松参加を認めることによって従来の教会法あるいはコモンローの欠点を

︵蝿一︿肥︶

補い︑また死者の俄務支払に関し開示︵昌胃◎蔚暑︶を強制することになって叶算排訟をより効果的ならしめ︑さらに

教会裁判所の欠点であった強制力を︑差止命令︵旨言画&◎国︶の発動をもって是正し︑土地法に関しても一樹昌$冒蔚

と区別された別個の新しいgg薗匡の儲吻⑦厨を創設じ︑もってコモンローにおける保留椎および優先樋の不公平を排

(19)

105

◇︽羽︶除することに努めた︒この推移過程は相統償椛者の立賜から眺めてみるとより明瞭に理解し得よう︑すなわち︑相続

悩椛者の遺言執行者に対する計算訴松の目的は遺呂執行者がその手中に如何程の遺産を保布するかを確かめることに

︽鴫︶ある.この場合︑遺産の明確な分量を証明し得るためには債権者は遺言執行者の助力を俟たれば充分にそれをなし得

︵︶ず︑この点に関しコモンローは遺言執行者にかような助力を強制せしめる手段を有していなかった︒叢た教会裁判所

もこの場合︑遺目執行者に対し開示を宣誓することを命じたがそれに対する強制手段を有せず︑而も償椛審は遺言執

︵3行巻を教会裁判所とコモンロー裁判所の双方で脈えることは困難であった︒要するに︑コモンロー︑教会法いずれの

裁判所においても︑債椛肴は単に遺昌執行者の宣誓あるいは開示を期待するにとどまり︑その強制方法に関しては不

充分であ︵一た︒衡平法裁判所はこれらの欠点を補うべく開示請求令状合二具皇m8くのご︶により遺言執行者に対し

その宣誓において開示を強制し︑もって相続債栂者の計算脈訟を貫徹せしめたわけである︒換言すれば︑遺産管理に

おける計算撫訟は沿球的にコモンローおよび教会法によって発展せしめられてきたものであるが︑衡平法は側示納求

︵卸︾令状により開示を強制することによって︑爾後︑計算訴訟に対する完全な符轄椎を渡得したものといえる︒計算訴訟

に関する衡平法の優位は︑さらにノッティンガム卿を中心とせる一七世紀の多数判例により一隅強化せられ︑それは

相続債権者に限らず受遺者︑受益者等すべての関係当事者に正義公平を与うべく努力せられ︑やがて信託法理の発達

︵魂︾に伴って人格代我考の地位は次第に受托者と同一視されるようになってきた︒その非細は略するが︑前章で概観した

計算押訟の本質も︑計算義務自体が衡平法の強制するところとなり︑受託者的義務とまで発達した以上は︑もはや単

なる概念的拡張あるいは商取引的要諦からのみの法技術にとどまらず︑それはまさに原告と被告間の胃一目を韮調

とするところの衡平法的信頼関係︵段目︒一色昌邑島◎冨三巳と称し得るであろう︒プラックネットもいうように︑遺

︽認﹀産椅理法を近代化せしめたものはかかる胃8匡回言ず監遵と弓匡翼恩讐管という衡平法理そのものにほがならない︒

計算沸訟のこのような発逆は︑また古くよりコモンロー上存した原則の﹁対人訴訟は当事者の死亡と共に消滅す﹂

(20)

106

︵色&︒肩制◎愚言go爵胃目目目胃晶◎目︶が︑一七○五年堕鼻員①↑淫目の︾︒︑扇により廃止せられ︑同法により計

一剖一算脈訟は人格代表者に対しても行使されることをコモンローにおいても確立したという一例から充分に肯定し得る︒

かくて︑遺産償樋者と相続人のいずれを菰く保護すべきや︑またいずれを保護するにしてもどの程度にこれを配分す

べきやという立法上の難問をイギリス法は人格代表者制をもうけ︑そこに衡平法的計算訴訟を厳格に適用することに

よって解決したとも結論し得るであろう︒

以上︑計算訴訟の発展を遺産管理法を中心に考察して来たが︑次に観点を契約法とくに不当利得原理の基調という

立聯に側いて︑簡単に眺めてみることにする︒一般に︑古いコモンローにおいては︑契約とみられる法律行為は骨質

号昏馬︑8く自画員胃8目庁群の諸令状によって耶実上保讃され︑財産の移維についても象徴的なアングロ・サクソ

ン法と異なり真正の引渡を要求した︒上記諸訴訟の性格も厳格には契約と称し難く︑原告は被告の約束に対し対価

s回罠胃◎名︒︶を与えたことを立証しない限り︑あるいは捺印証書︵9月亘q︶に基礎づけられない限り︑訴訟の提

起は認められず︑従ってこれら諸令状は︑既行契約︵関の︒具且8旨戴胃ご違反の救済手段とはなつ︲ても未行契約︵⑦×︲

︵濁︺⑮︒具◎q8員目鼻︶述反の救済手段とはならなかった︒時代の進展に伴い初期契約法におけるこのような靴8−かつ

き副目昌な契約のみが拘束力を布するという原則に取引を期待することは一つのアナクロニズムであり︑やがてコモ

ンローは新らしい時代に自らを存続せしめんと欲するならば全く新しい救済手段を創設せねばならなかった︒ここに

︽配︾引受訴訟︵爵呂目冨gが始まる︒その詳細は省略するが︑コモンローにおいて契約法︵とくに未履行契約違反に対

する救済︶が独自の法領域として認識せられるにいたったのはこの引受訴訟によるところが多い︒ところで︑元来無

形式口頭契約に関しては信義則を中心として教会が管轄権を有していた︒すなわち︑ノルマン征服後一三世紀にいた

るまで教会救判所は契約についての符輔梱を主狼し国王裁判所と激しく争って来たのであるが︑ヘンリー二世治枇の

一二ハ四年に定められたクラーレンドン法第一五条によって︑教会は契約に関する符輔椛を国王裁判所に奪われると

(21)

107

︵訂︶ころとなった︒この結果︑コモンローが封処伽の硫立に伴う岡王澱判所の強化によって契約法に主導棚を右するよう

になったわけであるが︑一方教会法の後継将をもって自認する衡平法もコモンロー上の引受脈拙が考案されるおよそ

百年程前から口噸契約に救済を与うべく努力を始めていた︒一五世紀初頭に特定履行が認められた邪突もその一例で

あるが︑とくに注目すべきは大法宮が失当行為︵目墜g閻邑8︶と不作為︵ョ◎ご冒閻ョ8︶の間に区別を設けず︑純粋に

︵型︶契約理論によって口頭契約違反の問題をとりあつかった点である︒エクィティはコモンローと異なり不法行為から始

︵調︺まって契約理論に到達しなった︒蓋し︑エクィティにとってもっとも砿要な目標は無形式口頭契約であり︑それは自

然的正義を理念とし︑被告が原告の出饗により利益することを許さず︑その裁判所は術に貧乏人にも開放せられて王

の正接を実現し︑コモンローの硬直的手続法を回避し︑もって旧来の教会法における信義則を契約に採取することに

あったからである︒ただ︑契約法に関する教会法と衡平法の限界を具体的に決定することは困難であるが︑例えば約

束者に約束不履行より生じた損失に対する補使を罰則附召喚令状︵弓昌旦画ggg︶によって強制した多数の判例

︵︶より推察して諺衡平法は単に教会法の如く僻義則の服行を強制するにとどまらず︑既に一五世紀においては不当利得

︵鋤︶法理︵目宕毘21号目⑦具︶に到逆していたものと解したい︒衡平法による不当利得原理はすなわち本稿で述べる計

算岬訟法即にほかならないからである︒なおこの珊合︑衡平法は教会法の契約法理を継受したのみならず︑古くより

慨習的に存在し当時ようやく発述してきた商人法をも杵帖し︑その結果︑大法鷺と商人が協力してコモンローの契約

︵肥︾法に対抗したという小実も兇逃せないであろう︒

かくて衡平法救判所は教会法ならびに商人法の契約法を継承し発鵬せしめながらコモンローの引受訴訟法理とは別

︽鉤︶個独立に口頭契約述反に対する不当利得原理を州拓し始めたわけであるが︑この場合︑衡平法はコモンローと異なり

口頭契約違反を不法行為として取扱う必要はなく︑前述したように純粋に契約の問題として計算綜訟を適川した点は

︽訓︾注目されねばなるまい︒すなわち︑衡平法は脈訟形式による区別を認めず︑原告の請願も契約の面接履行のために行

(22)

m 8

われ︑原告は契約の存在を鮒提として被告が契約を強制されるべきことを申立てるのであって︑詐偽や不法行為を理

由に申立てる必要はない︒原告が求める唯一の損害賠償は取引上の損失であり︑もし被告が契約を履行したならば原

告に生じたであろうところの利號の損失である︒換言すれば︑コモンローが原告の直接被った損害を救済することを

対象としたのに対し︑エクイテイは被告の立場を綿密に調べ︑被告が理性と良心とにもとづいて契約を遂行したかど

︵鱈︾うかを尋ねた︒このような削平法の契約に対する立場によれば︑計算訴訟は従来のコモンロー上のそれより尚一胴広

範囲かつ厳格に適川せられると共に︑叶算脈訟の性格が自ら変難するのも篭し当然のことであった︒かくて︑コモン

ロー上の計算訴訟︵昌目呈胃8目己に代るものは衡平法上の計算訴状舎崖胃自篇8厘胃︶である︒計算蹄

罷︶状はアウトラインにおいて計算訴訟に類似するが︑本質においてはかなり異なる︒すなわち︑計算訴状により被告に

計算義務を課せられるや否やは陪審の代りに裁判官の決めるところであり︑被告に計算義務を課せられることが判決

された場合は︑コモンローにおける計算人の選任の代りに衡平法裁判所は主事︵日脚降胃︶に計算を監査せしめて判決

a居忌の︶を履行した︒而してコモンローの計算訴訟の場合︑被告は単に計算を強制されるだけで原告は物の返還を

請求するためには計算訴訟とは別個に改めて憤務訴訟や債務負担支払引受訴訟を提起することを要したが︑エクィテ

イの計算訴状の場合は判決によって債務の支払を同時に強制する効力を有し訴訟の錯綜を回避することができた︒こ

れは︑衡平法が原告に対し判決を与えた後にそれを完成するため再びコモンローに頼ることを欲しなかったからであ

妬︶計界岼級と計算押状のこのような相述はまた鮪審制の存否からも推察し褐る︒何となれば陪審制度はコモンロー

において発途せるものであるが︑当時の複雑化せる商取引を中心とせる汁郷脈訟の理解は法律に索人の陪稀風には不

適当であり︑むしろ陪審の手から離れ汁算脈訟を大法官の良心に求めた方がより公平妥当な判決を甑むことができた適当であり︑

︵銅︾からである︒

次に︑衡平法上の計算諌状が如何なる方面に具体的に行使されたかを列挙してみよう︒まず︑後見人︵唱画己冒︶︑

(23)

109

土地管理人︵唖g署員eは計算訴訟の場合と異ならないが代理人︵卸鴨員︶︑とくに他人の財産を売却するためにそれ

︵釣︺を受取った代理人が挙げられる︒また︑譲渡抵当によって抵当不動産を占有している抵当権者が︑作為的慨怠︵乱冒一︲︽⑩︾号奇目gによってその不助雌の利川を怠ったときは︑その捌害額は弁済額として計算する義務を負う︒光買において

︽側︶も刷様である︒さらに︑組合︵冨吋gの旬除君︶において組合貝は相互に他の組合貝に対し汁算獅状を適川し得ること

︽蛇︾は著名な特質である︒なお喰後に︑当事者が既に許而に承認し︑計算の項目を調節し︑決算を済ましているというこ

とは計算訴状に対する般良の防禦方法であって︑これが通常︒8目爵目&倉・尋︒苫屋︶すなわち︑承認済交互計

︵︶算番の名称をもって呼ばれていることを附記する︒この承鯉済交互計算袴は計算の義務を淌滅せしめ︑従ってまた被

告に汁煉済の抗弁︵亘呂①8日冒冨号の︶を与え︑それは汁算碑状に対する完全な防禦となる︒もちろん︑承偲済交互

計算杏が銚誤︑過失または詐偽によってなされ︑決算が不正確になされる捌合は︑衡平法は計媒脈状の消滅を杵さず

その再開を命じ︑原告に切目④冨員のおよび塵︑尋の権利を与えて承認済交互計算書を無効とせしめることは当然で

︵︺

↑のス︾︒

以上概観した契約法における衡平法的計算撫状の本質は結局︑他人を犠牲として利得を収める行為︑あるいはそう

した行為を防止し︑もしくはそうした行為から生じた紡果を調整するための法脱理であると要約し得るものであって︑

これはまさに川述したように不当利得法理そのものにほかならない︒それはまたコモンローにおけるいわゆる地契約

法の韮幹をなす法原理でもあった︒本稿で概観した如く︑不当利得あるいは準契約の基礎理念はイギリス法制史上き

わめて古く計算訴訟を通じて脈芽し︑それがエクィティにおける計算訴状の努力により近代的法技術に進化したもの

ともいえるであろう︒由来︑イギリス法の準契約︑従ってまた不当利得の概念は︑ポッターもいう如くきわめて不正︽絹︾・碓かつ非合理的である︒しかし︑イギリス法は古い中世の令状体系にすべての韮礎を瞳くことを思えばこのことは盆

し当然のことでもあり︑またその故にこそ︑衡平法がこれらに介入し特異な発述を導く余地があったものと思われる︒

(24)

110

側例えば︑︲マグナカルタ節二七条に﹁もし何人か︑山人が脈遺首にて死亡せば彼の勤縦は彼の近組と友人の手により︑敬公の

監視の下に分配さるくしLとあり︑また︑プラックトンは﹁もし間由人が猟過言かつ突然に死亡せぱ傾主は相続上納物︵言﹃さ◎

以外にはその動産に干渉し得ず︑死考の動産の管理は彼の友人と教会に属すくしLと述べる︒Q厨酪韓8.畠・︾呂隈より引用︒

⑤ぎぎ島国且冨昌冨邑︾8.農・︾ぐ◎一.︲FP豊募型冒百:.8.号ざで&忠一囲冒﹃一名.骨.︾で&$.なお︑相続に限らず︑

当事の教会扱判所と世俗穀判所間の管轄椎争いの一般については︑クラーレンド法を中心として別に論じたから省略する︒海

原司英閥衡平法の淵源︵一︶L︵前掲論文︶八四頁以下︒

㈹マグナカルタ第二六条可もし朕より世俗的封を保有する何人かが死亡し⁝・・・⁝而して残余あらばこれは死亡者の通嵩を実行

せんがために執行将に委ねらるくしL・水条は明らかに遮飾執行新が法定相統人に代って被相統人の価獅を負い︑助施を分配

すべきことを宜言しているが︑土地に閲しては触れていないため従川通り不助潅は法定相続人が柵限を布していたと解すべき

であろう︒国邑亀ゞ冒乏昌看豈堕合猩巴雪や婚隠.

い一三三○年堕異.公園署.胃︾o・軌は過言者の生存中︑遺言者の勤潅を侵害せる者に対して遺言執行者は侵害訴訟を行うこ

とを規定するが︑しかし一般に一三世紀の終りまでの遺言執行者は明白に彼を拘束すべき証書ある場合にのみ黄任を課せられ

たに過ぎず︑法定相続人に対する訴訟の方がより有効であった︒後述するように︑コモンロー上︑遺言溝を代表するようにな

ったのは︑一五世紀以降のことであり︑それ迄はコモンローよりもむしろ教会法が通言執行者の地位向上に努力していたわけ

である︒勺呈月床色己冨凰昔乱.8.畠・一ぐ︒一.阜亨豊餌

⑧諺巳目旨冨昌冒邑o冒昌阻冒§・閃碗曾§︵曾園亀.掌ぃ8F目︒︑筐︶.本法制定以前は宋敬殿判所殿判官が死打の財箙を符理

すべく佃正を任命するのが俄習的であり︑而も任命された佃正も宗教扱判所般判官の単なる代理人に過ぎなかったのであるが︑ ②︒3↓富農旨の冨二昌願冨昌ゞ畠園.F詞.届P帥詳細は逗巨︒百2.号・﹄r弓.$②善圏鱒團胃﹃−8.号.急.望鳶3冒鼻色乱冨鍾ごロ邑壱8.骨・︾詞駅.また︑比較法的

には久保正幅﹁西洋法制史の研究L一○八頁以下および近聴英吉﹁ゲルマン法における相続期待樅﹂︵春木先生遠勝紀念潰文 伽詳細は別に論じたから本稿では省略することにする︒海原可イギリス相続法史における衡平原則﹂︵前掲諭文︶︒なお︑イ

ギリス法においては厳格には物的財産椎あるいは人的財産椎と称すべきであるが︑本稿では便宜上︑不動産あるいは動産の表

災︶二九二頁以下参照︒ 現を用いることにする︒

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本制定法により代理人としてではなく代表者食の冒邑として過遊符理状得胃﹃四皇匙目旨冨﹃畠◎己︶により授椛された通常

人が国王裁判所においても正規にその地位を確設されるにいたった︒すなわち︑宗教識判官に︷﹃Cョ蚤①己の鴬自﹄ョc︑三色箸亘

・蛍9号◎冒言号︒8画&月﹃函︒︒旨§冨蔚から誰かを指定すべきことを命じたわけである︒なお︑本条は通常︑イギリスにお

ける遺唾管理人の起源といわれる︒智98・両各冒ケー①旨爵昌昌◎回︵岳余︶︾己.雪野卑O路.8.畠・︾で.届房葛濤自勗.弓篇

一画署皇同×のo員︒﹃い動口邑少昌昌凰毘冨8国︵愚切響︒ご◎一・阜亨﹄甑騨

側乏雲画ョ鰯雲号︒篇.?﹈弓.もっとも︑ウイリアムスは別の個所において︑過言執行背あるいは遺潅椅班人は作為的梛怠なし

には︑遺言者の遺産の損失により五を問われぬところの一顧の無償受寄者a冒冨冒巨ず皇尉︶と述べ︑人格代表者︵それは

近代法の意であろう︶はある目的のために受託者とみなされると説明している︒乏豈画ョ︑寺号匙.弓.呂篭.呂患.なお︑遺言

執行者に関する限り計算訴訟の適用さるる規定が木法より少し早く一三五一年臨園君&・黒罵&一.出にみうけられる︒

側冨・詩ご︾国偲g§筋具層竃︵﹈圏e・弓出苗.野導m罵冒8.8.鼻・も&鴎.

叫口①苫唾冨昌︵因の言吻乏厨︽&︶とは︑過簡執行満または遺唾禰珊人が適産の楠理畿務に述反して遺産に損審をおよぼすことで

ある︒一六七八年の99﹃︑い︑当面胸によりはじめて規定されたが︑後に一九二五年腎言ご宮﹃畠︒冒皇際員のぃ胃︻肋.

暗により改めらる︒すなわち︑争固少.い暗は瞳乏言﹃①四月耐︒回開胃晶o昌一﹃名﹃冊目冨牙①皇ロ号用鼠色罵凰目︵旨?

一己昌員目の×の︒晨昌冒三︑o電ご亀﹃︒ご己君鼠冨︑98昌ぐo﹃g5冨如◎老弓馬③毎昌忌算o勇言﹃9−︒﹃扇﹃︑O昌一の唖冨冨○胃言

号8鼠色︾色乱昌隅々罫⑩胃園◎冒弄の胃阻g冨昏①吻言一言o吾⑥関篇員︒胃言畠呈量①鼠い:旦庁言号﹃呂言﹃肩昏昏自己

同冨員g三自己同偶固閣舜呈い巨号亀色黒①︒﹃8回ぐ①旦○再旨吾の恩ョの目目ロ2息戸言号︷国昌閂雪◎匡壷言ご①常呂回ご冨畠●言.

倒木法に関しては内田力蔵﹁イギリス相統法﹂︵中川蒋之助細相統法下巻︶三七四頁以下に鮮細な解挽がある︒

畑本法は︑さらに第五条において相続分過剰取得防止法理すなわち言︽合図︽を規定している︒その沿革ならびに近代ホッ

チポット法理への展開に関しては海原可イギリス相銃法史における衡平原則L︵前掲諭文︶において詳細に論じたから省略す

るが︑ホッチポット法理そのものは︑厳格な計算訴訟を前提とすることによってはじめて成立し得る点で︑本稿にとっても注

目すべき規定であると思う︒

卿﹈①冒雷亨少号◎貝塚m8q皇團警号一働葛含忠巴.亨臘騨

脚前述せる曽園君.黒.厚︒︑旨においては︑宗教俄判所峨判官は脱に与えられた迫唾の計算を行うのみでそれの立証を強

制することは認められず︑また︑相統価椛者もこの計算に対し反疵をあげることはできなかった︒go四画.︒P・旨.?﹈9.

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