25
脊髄虚血に対する硬膜外冷却灌流を用いた脊髄保護の実験的検討
伊 藤 真 義,安 倍 十三夫
札幌医科大学医学部外科学第 2 講座(主任 安倍十三夫 教授)
Protection of Rabbit Spinal Cord from Ischemia with Epidural Perfusion Cooling
Masayoshi I
TO, Tomio A
BESecond Department of Surgery, Sapporo Medical University School of Medicine, South 1 West 16, Chuo-ku, Sapporo 060-8556, Japan
(Chief: Prof. Tomio Abe)
ABSTRACT
Paraplegia remains a major devastating complication of operations on the descending thoracic aortic and the thora- coabdominal aortic aneurysm. The purpose of this study is to examine the effects of epidural cooling on spinal cord and systemic temperatures and to determine if selective spinal cord hypothermia is protective against ischemic injury which is mediated by two types of neural cell death, necrosis and apoptosis. Twenty-seven New Zealand White rabbits were used in this study and divided into three subgroups: a control group (n=3), a 40-minutes normothermic ischemia group (n=12), and a 40-minutes hypothermic ischemia with epidural cooling group (n=12). All hypothermic group ani- mals exhibited full neurological recovery, whereas all normothermic group animals suffered from complete paraplegia.
There were no histopathologic abnormalities in control and hypothermic groups. These results demonstrate that selec- tive spinal cord hypothermia obtained by epidural cooling facilitates complete recovery of neurological functions and protection against ischemic injury which is mediated two types of neural death, necrosis and apoptosis.
(Received April 24, 2002 and accepted May 16, 2002) Key words: Paraplegia, Descending and thoracoabdominal aortic aneurysm, Spinal cord protection, Hypothermia,
Epidural cooling
2
方 法2
・1
実験動物および実験モデル実験動物として,体重
2.5
〜3.4 Kg
(平均:3.1
±0.2 Kg
)雄のNew Zealand white rabbit27
匹を使用した.麻酔は,ケタミン(
50 mg/kg
)+キシラジン(2 mg/kg
) 筋注にて導入した後,気管内挿管し人工呼吸器(KN-56
小 動物人工呼吸器 夏目製作所)による人工呼吸管理を行い,2
%ハロセンにて維持した.人工呼吸管理中は,大動脈遮 断前,遮断中,遮断後に動脈血ガスを測定し,Pco
2が40 mmHg
前後となるように呼吸器を調節すると伴に,代謝性アシドーシスは重炭酸ナトリウムを用いて適宜補正し た.体動疼痛時には
1
%キシロカインの局所麻酔を併用し,筋弛緩薬は用いなかった.左総頚動脈は末梢を結紮した後 に
20
ゲージの留置針を中枢側へ向かって挿入し,遮断中枢 の動脈圧のモニタリング(PAP: proximal aortic pressure
) 及び動脈血ガス分析用採血を行った.また,薬物投与及び 水分管理のために左内頚静脈に静脈カニューレを挿入した.1
諸 言胸部下行及び胸腹部大動脈瘤手術時の大動脈遮断による 脊髄虚血は,対麻痺等の重篤な合併症を
5
〜21
%に引き 起こす最も重篤な術後合併症である1,2).脊髄栄養血管であ る前脊髄根動脈の術前及び術中の同定は困難3)であるので,できるかぎり多くの肋間,腰動脈の再建が施行されている.
しかし,常温での虚血許容時間は短く,対麻痺の発症は虚 血時間が
30
分以内では3
%,30
分以上では11
%と高頻度 に発症する4).そのため,種々の脊髄保護法が試みられてい るがいまだ確立された方法はなく,今後検討を要する課題 の一つである5,6).低体温の優れた脊髄保護効果は既に多くの報告があり認 められているが,全身低体温に起因する術後呼吸不全・不 整脈,凝固機能障害といった問題点が指摘されている7−9). これらの問題を解決するために,硬膜外冷却灌流による選 択的脊髄冷却を行い,その脊髄保護効果について検討した ので報告する.
原著
体温は直腸に温度プローベ(
YSI401J YSI
)を挿入し測定 した.また,遮断末梢の動脈圧(DAP: distal aortic pres- sure
)のモニタリングのために右大腿動脈に24
ゲージの留 置針を中枢側へ向かい挿入した.次に,腹臥位とし清潔野 にて後腹膜経路を用いて腎動脈下腹部大動脈部の露出を行 い,大動脈遮断は大動脈にまわしたベッセル・ループを大 腿動脈圧の圧波形がプラトーになるまでタニケットを締め て行った.全例,遮断3
分前にヘパリン100 IU/kg
を静脈 内投与した.実験中はheating pad
を用い,直腸温を39
±1
℃に維持した.直腸膀胱障害の症例に対しては,1
日2
回のクレーデ法にで排尿補助を行った.2
・2
実験群コントロール群(
C
群,n
=3
):腎動脈下腹部大動脈 テーピングするが大動脈無遮断,Group I
群(G-I
群,n
=12
):
常温単純大動脈遮断40
分,Group II
群(G-II
群,n
=12
):硬膜外冷却灌流+大動脈遮断40
分,の3
群に 分けて検討した.G-II
群の硬膜外冷却灌流は(図1
),流出 部,流入部として第11
−12
胸椎および第6
−7
腰椎部の2
カ所にそれぞれ正中切開を行った後,腰椎部で筋肉を切 離し,第6
−7
腰椎間靱帯に小切開をおき硬膜外灌流用の カテーテル(Arrow Flex Tip Plus
,Arrow Japan
)を硬膜 外腔へ挿入した.挿入した硬膜外カテーテルは頭側に向か い2 cm
挿入し,第7
腰椎に歯科用セメントを用いて固定 することで挿入部からの灌流液の漏れを防止した.胸椎部 では,第11
−12
胸椎間の椎体間靱帯の切除と伴に第11
胸椎の椎体の一部をラミネクトミーして大きく開放すると ともに,開放部より腰椎方向に向かい硬膜外温測定用に2.5Fr
の温 度 プローブ(Ed slab T.D. prove
,model 030F25
,BAXTER
)を挿入した.灌流液として4
℃の生 理食塩水を用い,流量は20 ml/min.
で開始した.硬膜外腔 に挿入した温度プローブが20
℃となった時点で大動脈遮断を行い,遮断中は硬膜外温が
20
℃前後となるように灌流量 を適宜調節した.大動脈遮断解除と同時に灌流を終了し,硬膜外腔に留置していた灌流用カテーテル及び温度プロー ブを抜去し,手術創を閉鎖した.
2
・3
神経学的回復の評価40
分の大動脈遮断後,G-I
群・G-II
群においては虚血 後24
,48
時間に神経学的検査を行った.神経学的評価は 実験内容を知らせていない共同実験者が判断し,Johnson score
10)用いて以下の点数化を行った.完全対麻痺(hind- limb paralysis
)0
点,高度不全対麻痺(severe parapare- sis
)1
点,下肢の動きはあるが腰を上げられない(func- tional movement, no hop
)2
点,腰を上げられるも共役運 動ができない(ataxia, disconjugate hop
)3
点,軽度失調(
minimal ataxia
)4
点,正常(normal
)5
点.2
・4
組織学的検討組織学的検査のために,
G-I
群・G-II
群においては虚血24
,48
時間後(各々n
=6
)の神経学的回復度の評価後,ケタミン(
50 mg/kg
)+キシラジン(2 mg/kg
)筋注にて 導入した後気管内挿管し,2
%ハロセンにて維持しつつ人 工呼吸管理とした.左総頚動脈のPAP
モニターに用いた部 位より血栓のない中枢部に18
ゲージの留置針を下行大動脈 にむけ挿入し,さらに右内径静脈より脱血用のカニューレ を右房まで挿入した.ペントバルビタール100 mg/kg
の深 麻酔にて犠牲死させた後,4
℃の生理食塩水で動脈から灌 流し直ちに腰髄を摘出した.コントロール群では腎動脈下 大動脈テーピングの後大動脈遮断をせずに創閉鎖をした後,直ちに腰髄を摘出した.取り出した脊髄組織は
10
%ホルマ リンに3
週間以上浸した後,パラフィン包埋し組織標本を 作 製 し た . 第2
,3
腰 髄 の 神 経 細 胞 の 虚 血 変 化 はHematoxylin-Eosin
(H-E
)染色にて脊髄前角細胞の状態 を検索した.また,脊髄前角細胞核内のDNA fragmenta-
Dental cement Th11
Partial-laminectomy Thermistor
Epidural catheter
Epidural space Spinal cord
L6 L7 L7
L6
図
1 G-II
群,硬膜外冷却灌流法 硬膜外灌流用カテーテルは第6-7
腰椎間靱帯に小切開をおき硬膜外腔へ挿入.第11-12
胸椎間の椎体間靱帯の切除と伴に第
11
胸椎の椎体の一部をラミネクトミーして大きく開放するとともに,開放部より腰椎方向に向かい硬膜外温測定用の 温度プローブを挿入.灌流液として4
℃の生理食塩水を用い,流量は20 ml/min.
で開始し,硬膜外温が20
℃前後となるように灌流量を 調節した.図
1
実験シェーマtion
検索のためにkit
(Apotosis in situ Detection Kit
,Wako
)を用いてTUNEL
染色を行った.パラフィン包埋 組織をキシレンを用いた脱パラフィン処理した後,100
%,70
%エタノールにて親水化処理を行い,Protein Digestion Enzyme
溶液に浸し(37
℃,5
分間)蛋白分解処理を行っ た.100 µ l
のTdT
反応液(37
℃,5
分間)を用いてDNA3'
末端の標識をした.内因性ペルオキシダーゼ阻止処理として
3
%過酸化水素加エタノール液に室温で5
分間浸 した.100 µ l
ペルオキシダーゼ標識抗体(37
℃,10
分間)による標識抗体反応の後,
Tris
緩衝液に置換(1
分)し,100 µl DAB
(diaminobenzidine tetrachloride
)・H
2O
2 溶液による発色反応(室温,5
〜8
分間)を行った.その 後,対比染色としてメチルグリーン液(室温,1
分間)に よる核染色を行った.2
・5
電気泳動法を用いたDNA fragmentation
の検討DNA laddering
の検索のために,組織学的検討に用いた 以外の腰髄(第4
〜7
腰髄)を用いた.腰髄摘出後,直ち に培養液に組織を入れ,4
℃に保存し摘出から24
時間以内 に以下の方法でDNA
を抽出した.組織をシャーレに移し,眼科用剪刀にて細切した組織を試験管に移し,
5 ml
のPBS
を加えた後ピペットにて混和し,ナイロンメッシュにて上清 を分取.その後1000 rpm
,5
分間の遠心分離により沈殿層(細胞)を分取した.取り出した細胞に
Lysis buffer 100 µl
,Proteinase K 10 µ l
を加え56
℃で2
時間インキュベーショ ン後,RNase A 10 µ l
を加え37
℃で一晩インキュベーショ ンした.等量のフェノールを加え混和し,1200 rpm
,10
分 間の遠心分離により上層を分取.その後,フェノール・ク ロロホルム(イソアミルを含む)さらにクロロホルム(イソ アミルを含む)を用いて同様の作業を行い上層を分取した.2
倍量の100
%エタノールを少量ずつ加え撹拌し,−20
℃ にて12
時間静置した.6000 rpm
,5
分間の遠心分離によ り沈殿層を分取し,70
%エタノールを加え撹拌.さらに,6000 rpm
,5
分間の遠心分離により沈殿層を分取し,TE buffer
を加えDNA
を溶解した.電気泳動は,1/10
量のRnase A
を加え37
℃で2
時間インキュベーションした後,DNA
サンプルを2
〜5 µ g/10 µ l
に調整しゲルに流し込み,ゲルを
Running buffer
を満たした泳動槽に移し,100V
で 泳動を開始した.マーカー(BPB
)がゲル内に入ったこと を確認し,マーカーがゲルの端まで到達した時点で泳動を 終了しUV
イルミネーター上でポラロイド写真を撮影した.2
・6
統計処理測定値は平均±標準偏差で表示した.各群間の測定値は,
Factorial ANOVA
(analysis of variance
)にて行い,Fisher
のProtected Least Significant Difference
(PLSD
) による多重比較検定を行った.3
結 果3
・1
硬膜外灌流量硬膜外冷却灌流を
20 ml/min.
で開始してから硬膜外温が20
℃に到達するまでに3
〜10
分(平均:6.0
±0.8
分)の時間を要した.大動脈遮断後は硬膜外温が
20
℃前後と なるように流量を10 ml/min.
から20 ml/min.
(平均:16
±3.6 ml/min.
)まで適宜コントロールした.これらの灌 流量の差異は,主に硬膜外腔における脂肪組織の個体差に よると思われた.3
・2
直腸温および硬膜外温の変化(表1
)直腸温及び硬膜外温の変化は表
1
に結果を示した.G-I
群 で は ,大 動 脈 遮 断 前 (3 9 . 6
±0 . 5
℃ )・ 中 ・ 後(
39.4
±1.0
℃)において有意差を認めなかった.G-II
群 では硬膜外冷却灌流開始後から直腸温は緩徐に低下し,大 動脈遮断前の40.0
±0.6
℃から灌流終了時38.5
±0.8
℃ まで低下した.(P
<0.01
)硬膜外温は虚血中平均20.0
±1.5
℃に維持され,虚血終了後30
分以内に復温された.3
・3
血行動態の変化(表2
)実験中の血行動態の変化を表
2
に示した.虚血中のDAP
はG-I
,G-II
群伴にPAP
より有意に低下した.(P
<0.01
) しかし,実験を通して各点におけるG-I
,G-II
群間の血圧 に有意差は認めなかった.42.5 40 37.5 35 32.5 30 27.5 25 22.5 20 17.5
Pre
30-min.
Unclamp 35-min.
30-min.
25-min.
20-min.
15-min.
10-min.
5-min.
Cross-clamp
(℃)
Group Rectal temperature
Group Rectal temperature
Group Epidural temperature
*
**
;p<0.05
;p<0.01
* * * ** **
表
1
硬膜外温・直腸温の変化Group PAP Group PAP Group DAP Group DAP
120 100 80 60 40 20 0
Pre
Cross-clamp
5-min.10-min.15-min.20-min.25-min.30-min.35-min.Unclamp 30-min.
PAP: Proximal mean arterial pressure DAP: Distal mean arterial pressure
(mmHg)
表
2
血行動態変化3
・4
神経学的評価(表3
)G-I
群では麻酔覚醒後より全例完全対麻痺(score 0
)と なり,直腸膀胱機能障害も伴い24
,48
時間後も同様であ った.G-II
群では麻酔覚醒後,数時間軽度の不全麻痺を呈 したが次第に回復し,24
,48
時間後には全例完全に術前の 状態(score 5
)に回復した.3
・5
組織学的検査3
・5
・1 H-E
像(図2
)G-I
群では24
・48
時間後ともに,ほとんどの神経細胞 は核が委縮・消失,あるいは一様に濃染し,核小体や核質 の区別がつきにくく,細胞質も一様に赤く染まり,Nissl
小 体は認められなかった.また,細胞体の周囲は白く抜け,いわゆる虚血後の神経細胞像を示した.(図
2A
,B
)G-II
群では24
・48
時間後ともに,神経細胞は核内の核小体は 明瞭に認められ,細胞質内はNissl
小体とその周囲のlipo- fuscin
で占められており,樹状突起基部までNissl
小体が 認められ,正常の神経細胞像を示した.(図2C
,D
)3
・5
・2 TUNEL
染色像(図3
)G-I
群では24
時間後にTUNEL
陽性神経細胞を全例に 認めた(図3A
,B
)が,48
時間後においては神経細胞にTUNEL
陽性所見は,はっきりと認められなかった.G-II
群では
24
・48
時間後ともにTUNEL
陽性神経細胞を認め なかった.(図3C
)3
・6
電気泳動法を用いたDNA fragmentation
(図4
)G-I
群では24
時間後に180base pair
の典型的なDNA
図
2 H-E
像G-I
群,48
時間後のH-E
像(A
×200
,B
×400
)では,典型的な虚血後神経細胞の像を示した.G-II
群,48
時間後のH-E
像(C
×200
,D
×400
)では正常の神経細胞像を示した.24 hr.
(n=6)
6 0 0 0 0 0
Johnson score 0 1 2 3 4 5
48 hr.
(n=6)
6 0 0 0 0 0
24 hr.
(n=6)
0 0 0 0 0 6
48 hr.
(n=6)
0 0 0 0 0 6 Johnson score (0; hind-paralysis, 1; severe paraparesis, 2; functional movement, no hop, 3; ataxia, 4; minimal ataxia, 5; normal)
Ⅰ群 Ⅱ群
表
3
神経学的評価A B
C D
ladder
を認めたが(lane1
),48
時間後では,はっきりしな かった(lane 2
).G-II
群,C
群では24
・48
時間後ともにDNA
のintegrity
が保たれていた(lane 3
,4
).4
考 察胸部下行大動脈及び胸腹部大動脈瘤人工血管置換術後に 発症する脊髄障害は,臨床的に次の
2
つの型が存在する5,6). ひとつは,術直後より対麻痺などの症状で発症する型であ り,これは脊髄の栄養血管である肋間・腰動脈の不充分な 再建による恒久的虚血,あるいは術中の大動脈遮断時間の 遷延による虚血が原因とされる4).もう一方は,術直後は 何ら神経学的異常を認めないが,数日後に対麻痺など症状 を発症するもので,遅延性対麻痺あるいは遅延性神経細胞 障害と呼ばれる型をとる5,6).遅延性麻痺の原因として,脊 髄灌流動脈の血栓・塞栓,術後の低血圧,脊髄の浮腫,な どのの多因子にわたる原因が報告されている5).いずれの型 にせよ,脊髄障害は発症すれば手術のmortality
,morbidi- ty
に強く影響をおよぼす重大な合併症1,2)であり,脊髄虚 血障害に対する保護法の研究は現在極めて重要な研究課題 である.図
3 TUNEL
像G-I
群では24
時間後にTUNEL
陽性神経細胞(↑)を全例に認めた(A
×200
,B
×400
)が,48
時間後においては神経細胞に
TUNEL
陽性所見は,はっきりと認められなかった.G-II
群では24
・48
時間後ともにTUNEL
陽性神経細胞を認めなかった.(
C
×200
)図
4
電気泳動法を用いたDNA fragmentation
G-I
群では24
時間後に180base pair
の典型的なDNA ladder
を認めた(lane 1
).G-II
群,C
群では24
・48
時間後ともにDNA
のintegrity
が保たれていた.(lane 3
,4
)A
C
B
脊髄への灌流虚血再灌流障害による神経細胞死は,これ までネクローシスによるものとされていた11).しかし,最近 の報告では脊髄の虚血再灌流障害により神経細胞の受ける 損傷の結果として,ネクローシスのみならずアポトーシスの 存在も指摘されている12−14).脊髄の虚血再灌流障害におけ るアポトーシスの意義は明確に解明されてはいないが,こ れが遅発性神経障害の原因とする報告12)もあり,理想的な 虚血再灌流障害に対する脊髄保護法としては,ネクローシ スのみならずアポトーシスも防止されるものが望ましい.胸 部下行大動脈及び胸腹部大動脈瘤置換術後に発症する対麻 痺は重篤な合併症であるため,脊髄虚血障害に対する保護 法としてさまざまな研究5−9)が行われてきたが,アポトー シスについて言及した報告は非常に稀である14).本研究で は,現在最も臨床において信頼のおける脊髄保護法である 低体温が,アポトーシスに対しても有効であることを硬膜 外冷却灌流による選択的脊髄冷却モデルを用いて示した.
脊髄の虚血再灌流障害による神経細胞死が,いかなる因 子によりネクローシスあるいはアポトーシスの型をとるのか については,複雑な虚血再灌流障害のメカニズムの解明が されていない現在,不明確である.本実験においてはアポ トーシスの局在については確認できなかったが,
Kato
14),Mackey
ら13)はネクローシスとアポトーシスが脊髄の虚血 再灌流障害後に同時に存在することがあり,その場合ネク ローシスが前角部位に多く認められるのに対しアポトーシ スはより側副血行の得られやすい後角部位に多く認められ ることから,虚血再灌流障害の侵襲が強い場合はネクロー シスとなり,弱い場合はアポトーシスになる可能性を示唆 している.さらに,Duval
ら15)は虚血により生じた細胞膜 障害が軽度である場合,アポトーシスを誘導するのに充分 なCa
2+の流入を引き起こすが,phospholipases
を活発にactivate
してネクローシスを誘導するには不充分であったと 報告している.この分野における今後のさらなるメカニズ ムの解明が期待される.今回使用した腎動脈下腹部大動脈単純遮断によるウサギ の脊髄虚血モデルは,腰椎,仙椎を栄養する動脈が,腹部 大動脈全体から小さな分枝として分岐しており10),さらに,
腰椎が第
7
腰椎まであるため腎動脈下腹部大動脈単純遮断 で,下部脊髄の虚血が作成されるので非常に有用なモデル である10,12,15).Moore
ら16)は10
〜30
分間のウサギ腎動 脈下腹部大動脈単純遮断モデル用いた脊髄虚血後の神経学 的機能について,次のように報告している.16
分以下の虚 血時間では全例完全に機能は回復したが,27
分以上の虚血 では全例対麻痺となった.さらに,20
〜21
分の虚血では 全例完全に機能は回復したが,14
〜48
時間以内に70
% が遅発性神経障害が出現し対麻痺となった.本実験で設定 した40
分の虚血時間は対麻痺を起こすのに充分な時間であ り,また,48
時間の観察時間は40
分の虚血時間において は遅発性神経障害の因子を除外するに充分と思われた.胸部下行大動脈および胸腹部大動脈術中の脊髄虚血を防
ぐための戦略は大きく二つに分けられる.第
1
の戦略とし て,動脈遮断中・遮断後の脊髄への血流を維持する為の外 科的な手技,及び補助手段の工夫がある.このために,開 存するより多くの肋間動脈を再建するとともに,再建中の 虚血範囲を最低限にする様に,1
ないし2
肋間ずつ順次遮 断をかけ直して再建していく分節遮断法を部分体外循環に よる末梢灌流を併用して行い,さらに脊髄血流を良好に維 持するために,脳脊髄液(CSF
)ドレナージを用いてCSF
圧を低圧に保つなどの工夫がなされている5).第2
の戦略と しては,神経細胞自体の虚血によるダメージを軽減させる 神経細胞保護があり,これには各種の薬剤や低体温が臨床 及び実験において用いられている.薬剤による虚血再灌流 障害に対する神経細胞保護は種々の薬剤が実験的に検討さ れてきたが,いずれも虚血再灌流障害における部分的な効 果にすぎず,必ずしも有効とは言えない5,6).また,臨床に 用いる場合にはその用量,投与法,副作用についても充分 に検討がなされているものばかりでなく,現状ではこれのみ で信用できる保護手段とはなっていない.低体温についてはその虚血再灌流障害に対する神経保 護作用は必ずしもすべてが解明されてはいないが,酸素お よびブドウ糖に対する代謝需要を軽減することはよく知 られている17,18).しかし,低体温の虚血再灌流障害に対 する神経保護作用についての研究は多岐にわたり,低体 温の神経保護作用はさらに複雑なものであると考えられ る19−21).現在,次のような多数の虚血再灌流障害に対する 神経保護作用が報告されている.
1
)高エネルギーリン酸化 物の保存,2
)異常イオンの流入の軽減18),3
)lactate
産生 と組織のacidosis
の軽減22),4
)遊離脂肪酸産生による生 合成の抑制20),5
)dopamine
,glutamine
などのneuro- transmitters
の放出と取り込みの抑制19),6
)酵素反応の遅 延,7
)活性酸素の産生抑制6),8
)膜透過性亢進の防止6), などである.これらの全ての因子が,虚血組織における破 壊過程の停止あるいは抑制に関与し,神経機能の温存に役 立つと考えられている.また,臨床的にも神経細胞保護法 として有効であったという多数の報告7−9)がなされており,現在,低体温は臨床の場において最も信頼のおける神経細 胞保護法として認められている.
これまでに,胸部下行大動脈及び胸腹部大動脈瘤置換術 中の脊髄虚血障害を防ぐ手段として種々の低体温法が報告 されている.人工心肺を用いた超低体温循環停止法は優れ た脳脊髄保護法としてこれまで多くの胸部大動脈瘤手術に 用いられてきたが,不整脈,凝固異常,呼吸器合併症とい った低体温による全身に対する侵襲が問題点として指摘さ れている5).このため,脊髄のみを低体温とし全身の低体温 による侵襲を最低限に抑える局所冷却法が実験的に試みら れるようになった.
Coles
ら7)は,遮断により孤立した大動 脈内に冷却生理食塩水を灌流し選択的に脊髄を低体温にす る方法を用いたが,この方法は最も術後対麻痺の可能性の 高い急性解離性大動脈瘤には真腔の確認が術中に不可能であることから用いることができないという難点を有する.ま た
Berguer
ら8)が行った,くも膜内冷却灌流法は髄液が灌 流液である生理食塩水に置き換えられ,さらに灌流用のチ ューブをくも膜内に少なくとも2
本は挿入しなければなら ないというリスクを伴っている.本実験で用いた硬膜外冷 却灌流法は,臨床で行う場合,通常の疼痛管理に用いる経 皮的硬膜外チューブを灌流用として使用できるため,どの ような症例にも安全に適用可能であると考える.既に臨床で硬膜外冷却灌流法を用いている
Davison
23),Cambria
9,24)らは最近,優れた多数例の手術成績を報告し ている.彼らは胸椎11
−12
間より硬膜外腔へ挿入した通 常の硬膜外麻酔に用いるカテーテルと,腰椎3
−4
間より くも膜下腔へ挿入した4Fr.
の温度センサー付き小児用バル ーンの2
本を用いて脊髄局所冷却を行っている.大動脈遮 断から約30
分前より4
℃の冷却生理食塩水を硬膜外カテ ーテルより注入し,くも膜下腔に挿入したカテーテルの温 度センサーで測定したCSF
温が約25
℃になるまでまで下 げ,大動脈遮断中は冷却水の流量を適宜調節しこの温度を 維持する.くも膜下腔に挿入したカテーテルは,CSF
圧の 測定用及びCSF
圧上昇時のCSF
ドレナージ用としても用 いる.この方法を用いた場合,硬膜外灌流に伴いCSF
圧の 上昇が問題となるが,くも膜下腔に挿入したカテーテルを 用いて圧を持続的にモニターし,圧が上昇した場合は灌流 液の注入速度を調節したり,髄液を排液することでコント ロール可能であったと報告している9,23,24).この方法を170
例の胸部大動脈手術に用いて,166
例(97
%)の症例で硬 膜外灌流によりCSF
温を目標温度である約25
℃(25
−28
℃)まで下げることが可能であったと報告している.ま た,硬膜外灌流による直腸温の変化は,ベースラインの36.0
±0.5
℃から34.6
±0.8
℃と,低体温による全身の影 響が問題とならない程度の低下であった.全手術のmortal- ity
は9.5
%,術後の脊髄障害は7
%であり,さらに脊髄障 害の半数は軽度で遠隔期に症状が全く消失したと報告して いる9).我々は,臨床での硬膜外冷却灌流の使用に関してはこれ のみで完全な脊髄保護手段であるとは考えていない.先に 述べたように,胸部下行大動脈および胸腹部大動脈術中の 脊髄虚血を防ぐ為の戦略には,動脈遮断中・遮断後の脊髄 への血流を維持する為の外科的な手技,及び補助手段と神 経細胞自体の虚血による損傷を軽減させる神経細胞保護法 の
2
つが必要である.補助手段としての部分体外循環は,出血時の血行動態の維持,全身温のコントロールに重要で あり,さらに脊髄血流を良好に維持するために,
CSF
ドレ ナージを用いてCSF
圧を低圧に保つことも大事なことであ る5).肋間,腰動脈の再建は術中,術後の虚血防止に必須 のものであるが,脊髄の虚血による障害の明確な許容時間 はなく,脊髄栄養血管である前脊髄根動脈の術前及び術中 の同定は困難3)であるため,現状ではできるかぎり多くの 肋間,腰動脈の再建をする必要があるが,硬膜外冷却灌流による選択的脊髄冷却は先の神経細胞保護法にあたり,肋 間,腰動脈の再建に際して充分な時間的余裕が得られると 考える.また,遅発性神経障害についてアポトーシスが原 因とする報告11)もあり,低体温による保護効果が期待さ れるが,臨床例においては脊髄灌流動脈の血栓・塞栓,術 後の低血圧,脊髄の浮腫などのの多因子にわたる原因が報 告されておりアポトーシスのみで説明がつかない場合も多 い5,16,25).そのため,脊髄血流を良好に維持するには,
CSF
圧を術後数日低値に保つCSF
ドレナージ,および全 身の循環動態を安定させることも併せて重要であると考え る.5
結 語1
.腎動脈下腹部大動脈単純遮断によるウサギの脊髄虚血 モデルを用いて,硬膜外冷却灌流法による脊髄局所低体 温の優れた脊髄保護効果を確認した.2
.本法は上記の効果に加え,全身に対する低体温の侵襲 を抑えることを可能にする優れた補助手段になると思わ れた.本実験は「動物実験に関する指針」(日本実験動物学会)
に基づいて行った.
謝 辞
稿を終えるにあたり,本研究に対して,ご助言,ご協力 いただいた教室員各位,およびお世話になった動物実験施 設部の各位に感謝いたします.
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