地方都市における男女共同参画の試みに
関する考察
一兵庫県豊岡市の男女共同参画プラン誕生の過程の分析
Equal oPPortunities plans in a rural city:
with particular reference to the plan made by the Toyooka City Council in Hyogo Prefecture
佐 藤 実 芳 SATOH, Miyoshi
はじめに
最近大都市と地方との格差の拡大が問題となっている。特に交通不便な山間部や島喚部な どでは、過疎化・高齢化が激しく進行して、一部の地域には消滅寸前の「限界集落」が数多 く出現している。そもそも過疎地は時代の流れに取り残される要素が多い。そして地方都市 や地方の農村部などには、古くからの因習が依然残っており、男女差別をなくして男女共同 参画社会の実現を図るには、困難の多い地域でもある。
2000年以降、国からの地方への補助金交付額の減額や、地方自治体の財政状況の悪化な どに伴い、主に財政上の理由から合併する自治体(市町村)が増えてきている。この「平成 の大合併」といわれる地方自治体の合併と広域化は、過疎地においては、その地域の男女共 同参画への試みにどのような影響を与えているのであろうか。あるいはそもそも男女共同参 画にあまり関心のないような過疎地では、男女共同参画社会への実現を目指してどのような 施策がとられているのであろうか。本稿では衰退する懸念の強い過疎地域の自治体を例に、
男女共同参画プランの見直しと策定を規定する要因とを探り、男女平等の実現に向けた試み がこれらの地域で有する課題を分析してみたい。
1.旧豊岡市における男女共同参画プランの策定に至る過程
(1)但馬と豊岡市の歴史(昭和以前)
本稿で取り上げる豊岡市は、兵庫県の北部、但馬地域の中心都市である。市の中央部を円 山川が流れ、市内中央部には但馬最大の豊岡盆地が広がる。2004年10月には台風による洪 水被害で全国に報道され、また2005年以降は国内の野生では絶滅した「コウノトリ」を人 口繁殖させ、自然界に放鳥・復帰させて、全国の注目を集めている。
兵庫県北部は江戸時代までは但馬の国であり、藩内最大の出石藩に城が(出石城)、そし て豊岡藩と村岡藩に陣屋があった。山陰街道が通り京都と鳥取との中間に位置していた。西 部は村岡藩、北部は出石藩と豊岡藩、そして生野銀山を抱える南部が幕府の天領であった。
また急峻な山地とリアス式で平野部の少ない海岸線に囲まれ、各藩はそれぞれ独自の文化を 育んだ。大きな河川(円山川、八木川、矢田川、岸田川)沿いの谷間と峠をっなぐ形で山陰 道が東の福知山と西の鳥取を結び、西日本の日本海側の幹線交通路の一端を担っていた。
1871年(明治4年)11月2日に但馬・丹後・丹波3郡(氷上郡・多気郡・天田郡)が豊岡 県に統合され、県庁が城崎郡豊岡町に置かれた。しかし5年後の1876年(明治9年)8月21 日に豊岡県が廃止され、兵庫県に編入された。明治維新後の地方行政の区分では、それ以前 あまり経済交流のなかった播磨や摂津の地方と一緒に兵庫県に組み込まれて、交通通商上の 隣接地(鳥取、宮津、福知山)とは別の県に編入された。このことは昭和後半から平成にか けて、豊岡を中核都市とする但馬地域が、日本の経済発展から取り残されて過疎地になった 遠因でもある。
(2)過疎化の進行(昭和)
明治以降生野の天領は朝来郡、村岡藩は美方郡、豊岡藩は日高郡、出石藩は出石郡と養父 郡に行政区分が引き継がれ数多くの市町村に分かれた。その後1950年代の自治体の「昭和 の大合併」により、1市(豊岡市)と5千人から2万人程度の18の町(朝来、養父、出石、
城崎、美方の5郡)に整理された。1950年4月1日に城下町の中心部であった城崎郡豊岡町 と周辺の五荘村、新田村、中筋村が合併し、豊岡市となる。そして1955年4月1日に城崎郡 港村と奈佐村を、1957年9月1日に出石郡神美村穴見谷地区を、さらに1958年1月1日には 城崎郡日高町上佐野地区を編入した。この時点で昭和の合併が完成して豊岡市の市域は固定
された。そして但馬地域の唯一の市として、半世紀後に平成の自治体の大合併を迎えた。
但馬地域は高度経済成長から取り残されて、高齢化、過疎化の波に飲み込まれていく。新 幹線、高速道路、航空路線などの高速交通網から外れてしまい、地域を横断する山陰本線な どは、今でも単線で一部非電化のままである。しかし地域の輸送の大動脈である国道9号に は、高速道路(山陽道・中国道)の料金を節約する大型トラックが夜間に大量に通過し、排 ガスと交通事故を地域にもたらしている。農山村は次第に疲弊し、大規模な工場もなく、か に、温泉、スキー、海水浴などの季節観光に依存する状況である。平成の自治体の大合併ま で但馬の唯一の市であった1日豊岡市(2005年4月に近隣の町と合併してできた新『豊岡市』
と区別して、本稿では以降2005年3月以前の豊岡市を『旧豊岡市』と表記し、合併後の新 市を単に『豊岡市』と表記する)においても、人口が5万人を切っており、過疎化・高齢化 の進行する典型的な地域になっていた。
(3)平成の大合併と新『豊岡市』の誕生
過疎化・高齢化が深刻になって、各自治体の人口特に子どもや若者の人口は減少した。一 方道路網の完備と自動車の普及により、住民の生活圏は行政の境界を越えて広範囲に広がっ ていった。さらにはゴミ処理や公営病院の運営など、行政需要が従来の自治体(市町村)の 能力を超えてきた。そこで時代の変化に対して従来の市町村では有効に対応できないと指摘
されるようになってきた。
但馬地域でも各郡内の町が同一郡内の自治体と合併する動きをみせた。養父郡の4町は 2004年4月に、朝来郡の4町は2005年4月に、合併してそれぞれ養父市と朝来市になった。
美方郡の5町は市庁舎の場所をめぐる争いなどにより、統一はできず香美町と新温泉町の2 つの町になった。出石郡の2町と城崎郡の3町はさまざまな形の統合を模索したが、結局旧 豊岡市の誘いに応じて旧豊岡市との合併を決断した。その結果2005年(平成17年)4月1日 に旧豊岡市は、周辺の城崎町・竹野町・日高町・出石町・但東町の5町と合併して、新しい 豊岡市となった。新市の面積は697.66平方キロで、2007年11月1日時点の推計人口は
87,666名である。
(4)旧豊岡市政における単線型の人脈
多くの地方都市同様、旧豊岡市でも特定の地域や学校の出身者が、市役所の幹部職員や市 内在住のエリート層の多数派を占めていた。旧豊岡市では第二次大戦後の1947年4月に、
周辺の4村(4村はその後1950年と1955年の2回に分けて旧豊岡市と合併する)と協同で学 校組合立の豊岡南中学校と豊岡北中学校の2校を設置した。両校は敷地の移転や周辺地域の 中学校との統合があったものの、その後豊岡市内の中学生を一手に受け入れた )。高度経済 成長に取り残された旧豊岡市においては、地場産業は鞄の製造が中心で、但馬地域外からの 流入者はそれほど多くはない。そのため市政に影響を与える人々の多くが、豊岡市及び近隣 の町の出身者であり、豊岡南か豊岡北のどちらかの中学校の卒業生が大半を占める。
また豊岡市の小学校区は、城下町の旧市街部を一括して豊岡小学校の校区としている。そ して昭和以降に合併した旧村部ごとに、それぞれ小学校を1−2校設置している。そのため市 内の富裕層や旧家の多くが豊岡小学校の卒業生である2)。また豊岡市内には、2007年現在豊 岡高校、豊岡総合高校、近畿大学豊岡高校の3つの高等学校がある。この内豊岡高校は1897 年(明治29年)創設の高等学校で、兵庫県下で3番目に開校した歴史と伝統に輝く旧制中 学校であった。旧豊岡市の中学校の学業成績上位者は、今でもほぼ豊岡高校への進学を希望
している。
その結果旧豊岡市政では、豊岡小学校→(豊岡北中学校または豊岡南中学校)→豊岡高校 の出身者が大変影響力を持っていた。役所の職員や市政に関する各種の審議会の委員の多く が、同一の小学校、中学校、高等学校の先輩・後輩の関係にあったわけである。
(5)合併により多様化する豊岡市政の人脈と市政の「都会化」
1市5町の合併により、豊岡市の人口はほぼ2倍に増加した。その結果新市の市役所に は、旧5町の職員も勤務することとなる。審議会委員も地域構成のバランスを考える必要が あるから、旧郡部在住の委員も数多く選ばれることとなる。その結果旧市役所の幹部の間で は長らく多数派を占めていた豊岡小学校の卒業生は、少数派になった。また新市には現在 10校の中学校がある。旧市では豊岡南中学校と豊岡北中学校の卒業生が圧倒的多数を占め ていたと考えられる。しかし今は両校の卒業生を合わせても、市職員の半数を超えるかどう かは分からないし、南中学校、北中学校各校の卒業生は、旧市と新市の人口比を考えれば、
それぞれ全職員の約4分の1程度になったと思われる。もちろん合併により役所のある旧豊 岡市の勢力が周辺の旧郡部よりも強くなる傾向はあるであろう。しかしもはや特定の中学校 の先輩・後輩という単純な図式は、役所内の人間関係を築く手段としては通用しなくなって
しまった。
小学校と中学校の出身者は多様化しても、幹部職員や富裕な市民の大半を豊岡高校の卒業 生が占めるとも予想される。確かに旧豊岡市と旧城崎郡の3町(竹野町、城崎町、日高町)
では、中学校の成績上位者はほぼ全員が豊岡高校へ進学してきた。しかしながら旧出石郡の 2町(出石町、但東町)では、中学生の大半が地元の出石高校に進学していた3)。その結果 合併後の市役所の職員を出身高校で分ければ、豊岡高校出身者が過半数を占めると予想され るが、豊岡総合高校(旧豊岡実業高校、旧豊岡南高校)、出石高校の両校出身者も一定人数 以上いるものと思われる。
このように合併により市役所の職員(特に管理職以上)そして市内のインテリ、富裕者の 学歴は多様になった。旧郡部の人々が合併を機に市政へ参加するようになると、今まで特定 地域や特定の学校の出身者が身内感覚で進めてきた市政は、多くの地域や学校の出身者から 構成される都会的な雰囲気で進められるようになった。もちろん過疎地で複数の自治体が合 併しても、例えば小さな田舎町が広範囲な田舎町の集合体になるようなものだと考える人も 確かにいるであろう。しかしながら豊岡市の場合には、隣近所のような身内感覚で進めてき た市政が、合併により見知らぬ人々の前で緊張感をもって運営する、「都会」的な行政に変 化した。そして男女共同参画という新しい時代の流れにとって、このような変革が有利に働
くことは間違いない。
(6)男女共同参画プラン策定に向けて
男女平等に対する日本の地方自治体の施策は、国際社会の動き→外務省を窓口とした中央 政府の国際向けの対応→都道府県への施策の指導→市町村への施策の指導という、上からの 行政指導に対応して行われる要素が強い。特に自治体が策定する男女共同参画社会の実現に 向けての計画は、このような国際社会の動きと連動している。そのことを示す例として、旧 豊岡市が男女共同参画プランの策定を計画する1998年以前の流れを、表1にまとめた。
表1男女平等に関する施策の歴史(1997年まで)
西暦(元号) 国際社会の施策 日本政府の施策 兵庫県の施策
O国際婦人年、 ●婦人問題企画推進本部を
1975(昭和50) O国際婦人世界会議を開催 iメキシコシティ)、「世界行
設置
恤w人問題企画推進会議を
動計画」を採択 開催
1976(昭和51) O国連婦人の10年開始(〜
P985年)
1977(昭和52) ●「国内行動計画」を策定
1979(昭和54) ○国連第34回総会にて「女 ォ差別撤廃条約」を採択 O「国際婦人の10年」中間 年世界会議を開催(コペン 1980(昭和55) バーゲン)
○「国連婦人の10年後半期 行動プログラム」を採択
●「国内行動計画後期重点 口「ひょうこの婦人(白
1981(昭和56) 目標計画」を策定 書)」を発行
口婦人問題研究会議を設置
○「国際婦人の10年」ナイ ●「国籍法」の改正 口「ひょうこの婦人しあわ ロピ世界会議を開催(ナイ ●「男女雇用機会均等法」 せプラン」を策定
1985(昭和60) ロビ)、「女性の地位向上の スめのナイロビ将来戦略」
の公布
怐u女子差別撤廃条約」を
口女性施策推進委員会を設
u
を採択 批准
○国連婦人の10年最終年
●婦人問題企画推進本部を
1986(昭和61) 拡充:構成を全省庁に拡大
怐u婦人問題企画有識者会 議」を開催
1987(昭和62) ●「西暦2000年に向けての
V国内行動計画」を策定
○国連経済社会理事会「女 口「新ひょうこの女性しあ
性の地位向上のためのナイ わせプラン」を策定
1990(平成2) ロビ将来戦略に関する第1 口女性施策推進委員会を設
回見直しと評価に伴う勧告 置
及び結論」を採択
1991(平成3) ●「育児休業法」の公布
1992(平成4) 口県立女性センター・イー
uンを開設
1993(平成5) 口「審議会等の委員への女
ォの登用推進要綱」を制定
●男女共同参画室を設置
●男女共同参画審議会を政
1994(平成6) 令で設置
●男女共同参画推進本部を 設置
1995(平成7) ○「第4回世界女性会議」
i北京)を開催
●「育児休業法」を改正 怏諟?x業制度を法制化
●男女共同参画推進連絡会 口「新ひょうこの女性しあ 議(えがりてネットワー わせプラン後期実施計画」
1996(平成8) ク)が発足 を策定
●「男女共同参画2000年プ 口女性施策推進委員会を設
ラン」を策定 置
●「男女共同参画審議会」
設置
1997(平成9) ●「男女雇用機会均等法」
改正
●「介護保険法」公布
兵庫県は、1985年に「ひょうこの婦人しあわせプラン」を、続いて1990年に「新ひょう この女性しあわせプラン」を次々と作成した。また1992年にJR神戸駅前のビル内に「県立 女性センター」(現県立男女共同参画センター)を開設して、女性問題全般に関する相談業 務、研修、資料の閲覧などのサービスを県民に提供している。続いて兵庫県は女性団体等の 活動拠点として「ひょうご女性交流館」を、県庁の近くに建設した。また2001年度からの 兵庫県の女性の地位向上に関する行動計画である「兵庫県男女共同参画計画」を、2000年 に策定した。
旧豊岡市が男女共同参画プランを策定した2000年の6月以前に、兵庫県内の12の市が男 女共同参画に関する行動計画を既に策定している。その他にも高砂市が、豊岡市とほぼ同時 期に作成の作業を進めていた。
(7)旧豊岡市における男女共同参画プランの策定
旧豊岡市は1999年の2月から、男女共同参画プランの策定の作業を開始した。検討を開 始した2月にプラン作成の方針を話し合い、それから市民に対する意識調査を実施して、同 調査の報告書を9月に完成させた。その報告書の分析を10月から11月にかけての審議会等 の会議で行い、12月には市民の意見も広く募集した。2年目の2000年に入ると共同参画プ ランの原案の作成作業を開始し、3月に原案を完成させた。その後会議で原案の検討を重 ね、一部内容を修正して6月に最終プラン「豊岡市男女共同参画プラン:女性が変わる。男 性が変わる」4)が完成した。なおプラン策定に至る主な経過は次の表2に示す通りである。
表2プラン策定の経過 1999年2月15日
2月24日 3月10日〜26日 5月21日 6月7日 10月27日 11月4日 11月10日 12月1日〜15日 2000年2月25日 3月3日 3月25日 6月2日
第1回策定委員会開催(第1回ワーキング部会開催)
第1回推進懇話会 市民意識調査の実施
第2回策定ワーキング部会開催一市民意識調査の結果の検討 第3回策定ワーキング部会開催一プランの理念、目標、構成の検討 第4回策定ワーキング部会開催一プラン原案の作成にっいて 第2回策定委員会開催一市民意識調査の分析
第2回推進懇話会開催一市民意識調査の分析 プラン策定に対する市民意見募集
第5回策定ワーキング部会開催一プラン原案の検討 第3回策定委員会開催一プラン原案の検討 第3回推進懇話会開催一プラン原案の検討 庁議一プランの了承
2.合併後の豊岡市における男女共同参画プランの策定に至る過程
(1)国際社会と国の取り組み
旧豊岡市が男女共同参画プランを策定した2000年に、国連の特別総会「女性2000年会
議」がニューヨークで開催されて、「北京宣言」、「行動綱領」に関する検証と、取り組み事 項の確認を行った。そして2005年には、第49回国連女性の地位委員会、通称「北京+10」
がニューヨークで開催されて、「北京宣言及び行動綱領」と「女性2000年会議成果文書」を 再確認した。それまでの男女平等に関する達成事項を歓迎するとともに、完全実施に向けた r層の取り組みを国際社会に求める宣言を採択した。
日本政府は2000年に「男女共同参画社会基本法(1999年制定)」に基づいて、「男女共同 参画基本計画」を策定した。この計画で、①政策方針を決定する過程への女性の参画の拡 大、②男女共同参画の視点に立った社会制度の見直し、意識の改革等、合計11項目の目標 を示した。さらに10年後の2010年(平成22年)までを見通した「施策の基本的方向」と、
5年後の2005年度が年限とされる「具体的施策」を定めた。そして2005年12月に、それま での取り組みを検証・評価して改訂を行い、「(第二次)男女共同参画基本計画」を策定し た。同計画の主な内容は次の点である。
①政策・方針決定過程への女性の参画の拡大、②女性のチャレンジの支援、③男女雇用均 等の推進、④仕事と家庭・地域生活の両立支援と働き方の見直し、⑤新たな分野への取り組 み、⑥男女の性差に応じた的確な医療の推進、⑦男性にとっての男女共同参画社会、⑧男女 平等を推進する教育・学習の充実、⑨女性に対するあらゆる暴力の根絶、⑩あらゆる分野に おいて男女共同参画の視点に立って関連施策を立案・実践し、男女共同参画社会の実現を目
指す。
(2)兵庫県の取り組み
「男女共同参画社会基本法」の成立を受けて、兵庫県は2001年に「兵庫県男女共同参画計 画一ひょうご男女共同参画プラン21」を策定した。そして翌2002年には「男女共同参画社 会づくり条例」を制定して、具体的な施策の実施に努めた。そして2005年から「兵庫県男 女共同参画計画一ひょうご男女共同参画プラン21」の後期実施計画の検討を開始し、2006 年4月に改訂を行った。改訂されたプランの重点項目は次の5点である。
①チャレンジしたい女性に対する支援の一層の充実、②地域活動における男女共同参画の 取り組みの一層の推進(地域おこし・まちづくり・観光、環境分野における男女共同参画の 取り組みの一層の推進、団塊世代の地域活動等への支援)、③子育て支援策の一層の充実、
④DV(ドメスティック・バイオレンス)対策の一層の充実、⑤生涯を通じた女性の健康支 援の一層の充実。
(3)兵庫県下の市町の取り組み
2000年以降兵庫県下の都市では、洲本、相生、西脇、三木、小野、加西の各市が男女共 同参画社会の推進に関するプラン(計画)を策定した。また町どうしの合併で誕生した篠山 市と養父市でも、同プランが策定された。なお2007年7月現在同プランをまだ策定してい
ない市の中で、淡路市以外のすべての市が、同プランの策定作業に既に入るか、あるいはプ ラン策定の検討を開始している。
2007年7月1日現在、兵庫県下には29市と12町の自治体がある。その内男女共同参画に 関する条例を設けているのが、神戸、尼崎、赤穂、宝塚、小野の5市であり、さらに10市 がその策定を検討している。また既に拠点施設(「女性センター」「婦人会館」等の名称が多 い)を設けている自治体が19市ある。インターネットでの情報提供・相談指導(ひょうご 女性チャレンジねっと)、庁内連絡会議の設置、諮問機会の設置なども、半数強の市町で実 施されている(表3参照)。兵庫県の北部但馬地域では、平成の合併で誕生した3市2町すべ てが同プランの策定の検討に着手し、2006年11月に豊岡市が、2007年3月に養父市と香美 町が策定を行った。
(4)合併までの旧豊岡市の取り組み
旧豊岡市が2000年6月に「豊岡市男女共同参画プラン」を策定した後は、同市の企画課 が男女共同参画の担当部局として、プランに掲げた施策の実施、検証、広報等の業務を行っ た。ただし企画課内には、男女共同参画や女性関連の施策に専念できる係はなく、専属のス タッフもいなかった。しかも企画課は市長直属の市役所の中枢機能を担い、豊岡駅前再開発 事業(特にショッピングセンター『アイティ』の建設と同建物に入る「市民センター」の構 想)、豊岡病院の移転・改築、市町合併交渉などの重要なプロジェクトを担当していた。そ の結果男女共同参画に関する施策のフォローを十分に行う時間的な余裕があったのか、若干 疑問が残る。しかし豊岡市職員の中でも優秀な職員と言われる企画課の若手・中堅職員なら ば、業務多忙にもかかわらず、男女共同参画に関する施策についても、最低限の仕事をして いたと信じたい。企画課は2001年以降、民間の学識者、関連団体の代表からなる「男女共 同参画プラン推進協議会」を設置して、台風被害のあった2004年度以外は年間1回必ず協 議会を開催していた。この協議会では、市民の希望者を委員に募ったりするなど斬新な試み
もなされた。
協議会で毎年委員から出された意見は、保育サービスの充実と女性施策に関する拠点施設 の設置の2点であった。保育サービスにっいては、父母が自主的に運営していた学童保育所
(市内若松町の『たんぽぽ』)の代わりに、市が学童保育所を市立めぐみ幼稚園内に設置する というサービスの向上を決断した。しかし拠点施設については、予算不足を理由に実現に至 らなかった。
(5)合併後の豊岡市の取り組み
前述のように2005年4月に旧豊岡市、城崎町、日高町、出石町、但東町の合併により新 豊岡市が誕生した。前年の2004年10月20日の台風23号がもたらした大雨により、この地 域は洪水被害に見舞われ、各自治体はその復旧に追われていた。台風災害からの復旧作業と
表3 兵庫県内の都市における男女共同参画施策の取り組み状況〈市〉
(2007年7月1日現在)
条例の
ァ定
計画の 拠点施設 フ設置
ひょうご女性
̀ャレンジねっと
庁内連絡会 cの開催
諮問機関 フ設置
神戸市 ○ ○ ○ ○ ○ ○
姫路市 △ ○ ○ ○ ○ ○
尼崎市 ○ ○ ○ ○ ○ ○
明石市 × ○ ○ ○ ○ ○
西宮市 △ ○ ○ ○ ○ ○
洲本市 X ○ × × ○ ○
芦屋市 × ○ ○ ○ ○ ○
伊丹市 X ○ ○ ○ ○ ○
相生市 × ○ ○ ○ ○ ×
豊岡市 × ○ △ ○ ○ △
加古川市 × ○ ○ ○ ○ ○
たっの市 × △ × ○ × ×
赤穂市 ○ ○ ○
○ × ○
西脇市 × ○ × × ○ ○
宝塚市 ○ ○ ○
○ ○ ○
三木市 × ○ ○ ○
△ △
加東市 × △ × × × △
高砂市 × ○ ○ ○
○
○
川西市 △ ○ ○ ○ ○ ○
小野市 ○ ○ ○
○ ○ ○
三田市 × ○ ○
○ × ○
加西市 △ ○ ○ ○ ○ ×
篠山市 △ ○ ○ ○ ○ ?
養父市 △ ○ ○ ○ ○ ×
丹波市 × △ × ○ ○ ×
南あわじ市 △ × × ○ × ×
朝来市 △ × × ○
○ ○
あわじ市 × × × × × ×
穴粟市 ○ × ×
○
× ×
兵庫県立男女共同参画センター作成 (○:実施 ×:予定なし △:計画・検討中)
表4 兵庫県内の町における男女共同参画施策の取り組み状況〈町〉
(2007年7月1日現在)
町名 条例の
ァ定
計画の 拠点施設 フ設置
ひょうご女性
̀ャレンジネット
庁内連絡会 cの開催
諮問機関 フ設置 阪神北 猪名川町 × ○
× ×
○ ×
東播磨
稲美町 × ○ × × ○ ×
播磨町 × ○ × × × X
北播磨 多可町 △ △ × × △ ○
神河町 × × × ○ × ×
中播磨 市川町 × × × ○ × ×
福崎町 × × × × × ×
太子町 × ○ × × × ×
西播磨 上郡町 × × × × × ×
佐用町 × × × X × ×
香美町 × ○ × × × ×
但馬
新温泉町 × △ × × X ○
兵庫県立男女共同参画センター作成 (○:実施 ×:予定なし △:計画・検討中)
合併に伴う煩雑な事務手続きをこなしながら、豊岡市は新市誕生と同時に市役所の企画課の 中に、「男女共同参画推進係」を設置した。係の構成は係長1名(女性)と係員1名(男 性)の2名である。
同係の設置により、豊岡市は意見啓発のためのセミナー開催(年間6回)、中学生を対象 としたワークショップの開催など、男女共同参画社会を推進するための広報・啓発活動を開 始した。そして2005年7月に「市民意識調査」を実施し、合併による地域間の市民意識の 違いを確認した。そして同年8月に、「豊岡市男女共同参画プラン推進懇話会」を設置し て、市民意識調査の結果や社会情勢の変化等を踏まえて、新市における男女共同参画プラン の策定に取りかかった。
3.豊岡市における男女共同参画プランの策定
(1)豊岡市の人ロ上の特徴
新豊岡市は、旧豊岡市周辺の農村部の4町を合併した。そのため旧豊岡市に比べて過疎化 の特徴が一層顕著になっていると考えられる。女性1名当たりの出生率(合計特殊出生率)
は、1995年は国や兵庫県の数値を大きく上回り1.85もあった。しかしその後同出生率は低 下し、2003年には1.25にまで低下している。少子化の傾向がはっきりとでている(表5参 照)。1世帯あたりの人数も5年ごとの数値でみると、豊岡市では確実に減少している(表6
表5豊岡市の合計特殊出生率の推移 国 兵庫県 豊岡市 1995年 1.42 L41 L80 1997年 1.39 1.37 1.75 1999年 135 1.35 1.55
2001年 1.33 L29 L59 2003年 L29 1.25 L52 出典:「豊岡市男女共同参画プラン」
2006年11月 図2
表6豊岡市の総人口、世帯数、平均世帯人数の 推移
総人口 世帯数 平均世帯人数 1990年 94,163 26,441 356 1995年 93,859 28,131 3.34
2000年 92,752 29,181 3.18 2005年 89,208 29,617 3.01 出典:「豊岡市男女共同参画プラン」2006年11月
図3及び図4
表7 豊岡市の家族構成の推移 (単位%)
単独世帯 核家族 夫婦と親 夫婦と親と子
@(3世代) その他 1990年 13.5 50.5 4.6 24.1 7.3 1995年 17.1 50.6 4.9 20.6 6.9 2000年 18.6 51.7 5.1 17.9 6.7
出典:「豊岡市男女共同参画プラン」2006年11月 図5
参照)。家族構成も3世代同居の大家族は、1990年の24.1%からわずか10年後の2000年には 17.9%へと大幅に減少している。少子化の進行は豊岡市のような過疎地域でも深刻で、大家 族で構成される田舎の家族の光景は、豊岡市からも急速に失われていることが分かる。逆に 単独世帯がその10年間に、13.5%から18.6%へと約40%近くも増加している。これは一人 暮らしの高齢者の急速な増大を示していると思われる。このように人口統計数値の主なもの を見ると、日本の他の地域同様、豊岡市では少子高齢化の動きが深刻であると考えられる。
(2)豊岡市男女共同参画プランの策定へのプロセス ①旧豊岡市の男女共同参画プランの見直し
新豊岡市を構成する1市5町のうち、男女共同参画プランを策定していたのは旧豊岡市の みであった。そして合併協定において、新市は旧豊岡市の男女共同参画プランを引き継ぐこ ととした。旧豊岡市のプランが成立して約5年の歳月が経過していることから、まず時代の 要請と地域の実情にあわせて見直す必要が生じた。またこの間男女共同参画プランに関し て、国及び兵庫県でも見直しが行われていた。プランは原則10年計画で、5年が経過した段 階で見直しが行われる。そこで国や県の見直しに沿う形で、旧豊岡市のプランを見直す必要
もあった。旧豊岡市のプランは2000年6月に策定されたので、2005年の6月の策定を目指し て2004年の秋頃から見直しの作業に入るべきであった。しかし2004年の10月の台風被害に より、見直しのスタートが大きく遅れざるを得なくなり、また市町合併も間近に迫ってい
た。それゆえ新プランの策定は、2005年4月に合併で誕生する新豊岡市に引き継がれたので あった。
②市民意識調査
旧豊岡市とは異なる4町が合併したのであるから、まず新市の市民の考えを正確に把握す る必要がある。2005年の4月に合併してすぐの同年7月に、市民意識調査を行うことにし た。満20歳以上の市民の中から年代別のバランスに配慮して2,000名を無作為に選び、自宅 ヘアンケートと調査票を郵送して、調査票に回答を記入してもらい、返信用封筒に調査票の みを入れて返送してもらう方式をとった。質問内容は、回答者の年齢・性別などプロフィー ルに関する質問が9項目、男女共同参画に関する質問が19項目で、調査表の最後には自由 記述欄を設けた。回答と集計を容易にするために、あらかじめ複数の回答文を各設問に用意
して、正しいと思った文の番号を○で囲む方式をとった。回答は同年7月末までに調査票の 投函を行うよう、依頼した。回収した調査票は944通で、回収率は47.0%であった。なお予 算の関係上マークシートを用いなかったため、集計は職員の手作業で行い、莫大な時間と労 力を投入することになった。
③庁内組織による検討
プランの原案は、役所の職員が作成する。プランの作成・検討を行う庁内組織は2っあ る。一っが各部局の担当者から成る「策定ワーキング部会」である。ここでプランの内容の 詳細が検討・協議される。企画課の男女共同参画推進係の担当職員と各部局の担当職員の間 で、議論と検証が繰り返されて叩き台が作成される。今回この策定ワーキング部会は3回開 かれた。
次に策定委員会がある。これは関係部局の管理職から構成される。ワーキング部会が作成 したプランの素案を綿密に査読・検討して、報告書の原案を確定する。この委員会で承認さ れた原案が、庁外組織である「推進懇話会」に提出される。なお策定ワーキング部会、策定 委員会とも、審議は原則として非公開である。
(3)豊岡市男女共同参画プラン推進懇話会の発足
推進懇話会は、学識経験者、関連団体の代表などから構成されて、役所が作成した原案に 対して市民の視点から意見を言い、原案を改善することが期待される組織である。自由に意 見を述べてもらうために「懇話会」という名前がっいている。しかし実態は行政運営に不可 欠な審議会である。今回の豊岡市のプラン策定には、推進懇話会は合計6回開催された。各 会の開催日時、開催場所、協議事項は、次頁の表8に示す通りである。推進懇話会は議事録 が原則公開されていて、インターネットでダウンロードできる5)。部外者にとっては、貴重 かっ最大の情報源である。
表8 男女共同参画プラン推進懇話会の開催
日程 時間 開催場所 協議事項
第1回 2005年8月8日 13時15分〜
P5時45分
豊岡市役所 謔P会議室
○取り組み施策の現況と見直し方針に ツいて
n今後の作業の進め方について
第2回 2005年12月5日 13時30分〜
P6時00分
豊岡市民プラザ iアイティ7階)
?ョ室
○プランの見直しについて
第3回 2006年3月3日 13時30分〜
P6時00分
豊岡市民プラザ iアイティ7階)
?ョ室
○プランの見直しについて、○豊岡市 zームページへの議事録の掲載につい
ト
第4回 2006年4月17日 13時30分〜
P6時00分
豊岡市民プラザ iアイティ7階)
?ョ室
豊岡市男女共同参画プラン(案)にっ
「て
第5回 2006年7月31日 13時30分〜
P5時30分
豊岡市民プラザ iアイティ7階)
?ョ室
豊岡市男女共同参画プラン(案)にっ
「て
第6回 2006年10月16日 13時30分〜
P5時30分
豊岡市民プラザ iアイティ7階)
?ョ室
豊岡市男女共同参画プラン(案)にっ
「て
(4)懇話会のメンバー(委員)
推進懇話会のメンバーは15名であるが、職に応じて委員になるいわゆる「あて職」のメ ンバーが4名いて年度の変わり目に交代したので、総勢19名となった。(表9参照)。座長に は生活評論家の三輪昌子さんを大阪から招いた。残りの委員は全員豊岡市に在住もしくは在 勤の者である。学識経験者が座長を含めて2名、人権擁護委員と教育委員が計2名、民間の 女性団体の代表が2組織から計2名、JA(旧農協)と商工会の女性部門から計3名、労働基 準監督署、労働組合、職業安定所から計3名、自治会関係が2名、子育てサークルから1名 の、合計15名で委員が構成されている。発足時の委員15名の内女性は9名で、男性は6名 であった。事務局からは担当部局の市役所企画課の課長、男女共同参画推進係の2名の計3 名が参加する。また庁内から関係の深い部局(生涯学習課及び子育て支援課)から、係長と 課長が1名ずっオブザーバーとして参加している。
旧豊岡市の男女共同参画推進協議会では、市内の婦人会の代表などが入り、どちらかとい うと高齢者を代表して保守的な意見をいう傾向があった。その点若い女性の意見を抑圧する ような意見は、今回の懇話会のメンバーからは出る可能性は低い。しかし委員の大半は50 歳以上の役職者と推測されるから、子育てや仕事に追われる若い母親の声がどこまで届くか は疑問である。この種の審議会には必ずっいて回る問題であるが、審議会の委員の年齢構成 が比較的高齢に偏っている。これでは若い人々の意見が反映されにくく、彼らの審議会に対 する関心も高まりにくい。
表9 豊岡市男女共同参画プラン推進懇話会委員一覧
役職・所属団体等 性別 備考
生活評論家 女 座長、大阪在住
大学助教授 男
人権擁護委員 男
豊岡市教育委員 女
イーブンネットたじま代表 女 2006年3月31日まで委員 イーブンネットたじま代表 女 2006年4月1日以降委員
豊岡女性交流会理事 女
たじまJA女性会豊岡ブロック会長 女
豊岡商工会議所女性会長 女
城崎町商工会女性部長 女
但馬労働基準監督署長 男 2006年3月31日まで委員 但馬労働基準監督署長 男 2006年4月1日以降委員 豊岡公共職業安定所長 男 2006年3月31日まで委員 豊岡公共職業安定所長 男 2006年4月1日以降委員 連合兵庫但馬地域協議会事務局長 男
出石まちづくり会議副理事長 女
豊岡市区長連合会副会長 男 2006年3月31日まで委員 豊岡市区長連合会副会長 男 2006年4月1日以降委員 子育てサークル代表(主任児童委員) 女
生涯学習課主幹兼人権・社会教育係長 男 オブザーバー
子育て支援課長補佐兼子育て支援係長 女 2006年3月31日までオブザーバー 子育て支援課長補佐兼子育て支援係長 男 2006年4月1日以降オブザーバー
合併直後に組織された委員会の一っの典型であろうか。5っの旧自治体の地域から偏りな く委員を選んでいるので、委員どうし知り合いではないと推測される。また組織や団体の代 表が大半なので、ほとんどの委員が男女共同参画関連の審議会に初めて選ばれている。また 事務局の方も合併により大幅な機構改革と人事異動があり、職員どうしも4月に初めて顔合 わせをした者である可能性も高い。5年前の旧豊岡市のプランの作成から継続して参加して いるのは、大学助教授1名であり、発言もこの委員の比率が高くなっている。旧豊岡市の審 議会では、豊岡の市街地の区長や婦人会の代表など、地域に長く生活されている方が、時に
は方言をまじえて率直に意見を述べていたかもしれない。しかし今回の懇話会では、見知ら ぬ人々に囲まれて、緊張感のある雰囲気で発言を控えた委員がいた可能性がある。
(5)豊岡市男女共同参画プラン推進懇話会での議論の考察
議事録をみる限り比較的なごやかで穏やかな懇話会の議事進行が想像できる。しかし次の 点については、男女共同参画に関して本質的な意見だと思うのでここにその要点をまとめた い。なお議事録の内容の詳細な検討は、紙幅の関係上次稿にて行うこととする。
①ジェンダーフリーについて
第1回懇話会において、座長からジェンダーフリーに対するバッシングの問題が提唱され た。特に石原都政下の東京都の状況などを例に、逆風的な一部の世相やメディアの対応に対 して懸念が示された。しかしながら委員の多くは、過激な行動や思想のみを取り上げて、男 女平等への試みを攻撃することの不合理性をよく理解していた。少なくとも豊岡市の参画プ
ランの中には、過激なフェミニズムによる行き過ぎた行為などは微塵もないということ で、委員全員が一致していた6)。全体の流れをとらえて冷静に考える委員が多いといえる。
②弱者救済の考えが底流に
過疎地でもあることから、高学歴の女性が能力を発揮する方法などを議論するのではな く、母子家庭、要介護者のいる家庭の女性、乳幼児のいる女性など、社会的弱者に対する手 厚い援助を求める意見が多かった。
③役人用語の追放
報告書の素案に書かれている、いわゆる「お役所用語」がわかりにくい。また説明の文章 が抽象的であり具体的でないという苦情や指摘が、毎回のように委員より出された7)。男女 差別の解消にはまず役所独自の習慣や言い回しの見直しから始めないといけないようであ
る。特に今回は5つの自治体の合併直後のため、その中の1っの旧自治体が行っていた施策 が、目標を達成したとして、今後の実行計画(全市に対して)から除外されているという表 記上の問題もあった8)。
委員会の指摘はそれぞれが有意義なものではあったが、それが最終報告書にどの程度反映 されたのであろうか。その検討を次回の課題に致したい。
まとめ
旧豊岡市以外の4町では、役場の規模も小さく職員の数も不十分で、とても男女平等に関 する施策を専門に扱う部門やスタッフを有することはできなかった。奇しくも自治体どうし の合併により役所の規模が大きくなり、豊岡市は企画課に女性施策を専門に担当する部署を 設置することができた。また自治体の財政規模が大きくなったことにより、念願の拠点施設
(女性センター等)の建設も真剣に検討されている。過疎地における男女平等の問題に取り 組むには、広域をカバーして専門的な対応の可能な自治体組織を設置することが、きわめて 重要である。
注
1)1957年4月に神美村を豊岡市が併合した際に、神美中学校が豊岡市立の中学校となった。しかし同中学 は1976年に閉校となり豊岡南中学校に統合された。神美中学校は小規模な学校であり、卒業生が豊岡市 政にそれほど影響力を与えるほど人数がいなかった。また1947年から1970年の豊岡北中学校への統合 までの間、旧奈佐村の生徒は奈佐中学校に通っていたが、これも小規模な中学校であった。なお1996年 4月には市内戸牧に私立近畿大学豊岡中学校が開校した。同中学校は進学指導に力を入れているが、
2007年4月時点で第一期生はまだ23歳であり、市政に影響を与える年齢に達するにはまだ相当の時間が かかる。
2)豊岡小学校の卒業生は、約半数ずっ豊岡南中学校と豊岡北中学校に分かれて進学する。豊岡小学校の校 区を半分に分けて、両中学校にほぼ均等に卒業生が進学するよう配慮されたからである。
3)但馬地区の普通科高校の学区は北但馬(旧豊岡市、1日城崎郡、旧出石郡、旧美方郡)と南但馬(旧養父 郡、旧朝来郡)に2分されている。しかし地元に普通科の高校がある町の中学生は、普通科進学を希望 する場合原則その地元の高校しか受験できない。ごく少数の(1中学校あたりせいぜい多くて2−3名程 度)生徒しかその他の自治体内にある高校に進学できなかった。新豊岡市の市内に関しては、1日出石町 と旧但東町の中学校の生徒は、ごく少数しか豊岡高校に進学できず、普通科志望の生徒の大半は地元の 出石高校へ進学するしかなかった。
4)旧豊岡市の策定した「豊岡市男女共同参画プラン」の内容等については既に次の論文で分析・検討して いるので、本稿では触れない。拙稿『男女共同参画社会の実現に向けた行政施策における学校教育の役 割』「愛知淑徳大学論集一文学部・文学研究科編第29号」2004年3月15日発行51頁一65頁
5)豊岡市男女共同参画プラン推進懇話会に関しては、豊岡市役所のホームページから、次の3種の件名の 記事を閲覧した。検索手順は、市役所のトップページ〉市民ガイド〉行政情報〉男女共同参画の順であ る。なお第1回から第4回までの懇話会の概要と議事録は、③をクリックすると閲覧することができ る。最終の閲覧日は、2007年12月10日である。
①「第6回男女共同参画プラン推進懇話会が開催されました」(2006年10月26日登録)
②「第5回男女共同参画プラン推進懇話会が開催されました」(2006年8月28日登録)
③「男女共同参画プランの見直し作業を進めています」(2006年5月16日登録)
6)なお豊岡市議会の「ジェンダー」バッシングの動きにっいては、第1回の懇話会で次のような発言が あったことが、第1回懇話会の議事録要旨に記載されている。
(座長)「世間一般的に男女共同参画バッシング(ジェンダーフリーバッシング)が、ここ数年前から他 の議会では出始めている。豊岡市の議会ではどうか。」
(事務局)「豊岡市ではない。豊岡市議会では男女共同参画施策には、前向きである。」
7)例えば第2回の懇話会の議事録要旨には、ある委員が「男女共同参画プランの素案」に関して次のよう な発言をしたことが記載されている。
「行政的な文言でわかりにくので、わかりやすい民間レベルの文言にしていただきたい」
8)第3回懇話会で、ある委員が次のように発言したと議事録要旨に記載されている。
「合併をしたため、今までの豊岡市としての目標年度としての指標が活用できないのではないか。例え ば1ヶ所でも旧町で施策を行っていればA判定となる。また、市民の目から見た場合、A判定となってい るが、自分の近くにはこのような施策は実施されていない。」
このような提言の結果、具体的な施策の「実施目標年度」について次のような()内に示す但し書 きが、最終プランの中に書き加えられた。
A:現在の施策を継続及び拡充させる(一部の地域または所管課で実施しており、全市域へ拡充させる 施策を含む)