• 検索結果がありません。

13 特集死刑制度と被害者支援について考える特集死刑制度と被害者支援について考える死刑存廃論における一つの視点 応報的正義(Retributive Justice )から修復的正義(Restorative Justice )へ 高橋則夫一これまでの死刑存廃論二被害者(遺族)と死刑制度三被害者(遺族)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "13 特集死刑制度と被害者支援について考える特集死刑制度と被害者支援について考える死刑存廃論における一つの視点 応報的正義(Retributive Justice )から修復的正義(Restorative Justice )へ 高橋則夫一これまでの死刑存廃論二被害者(遺族)と死刑制度三被害者(遺族)"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

Title

死刑存廃論における一つの視点 : 応報的正義(Retributive Justice)から修復的正義(Restorative

Justice)へ

Sub Title

Ein Aspekt des Diskurses über die Abschaffung der Todesstrafe : Von der „Retributive Justice" zur

„Restorative Justice"

Author

高橋, 則夫(Takahashi, Norio)

Publisher

慶應義塾大学法学研究会

Publication year

2013

Jtitle

法學研究 : 法律・政治・社会 (Journal of law, politics, and

sociology). Vol.86, No.6 (2013. 6) ,p.13- 20

Abstract

Notes

特集 : 死刑制度と被害者支援について考える

Genre

Journal Article

URL

http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00224504-20130628

(2)

特集   死刑制度と被害者支援について考える

死刑存廃論における一つの視点

︱︱ 応報的正義 ( Retributive Justice )から修復的正義 ( Restorative Justice )へ ︱︱

  

  

  

一   これまでの死刑存廃論 二   被害者(遺族)と死刑制度 三   被害者(遺族)と刑事司法 四   応報から修復・回復へ 五   被害者関係的刑事司法から修復的司法へ 六   これからの課題 一   これまでの死刑存廃論   わが国における死刑論議は、すでに論点が出つくした感があり、残るはチョイスの問題すなわち、それぞれの

(3)

世界観、価値観からの決断の段階にあるといえよ う )1 ( 。   死 刑 廃 止 論 か ら は、 ① 人 道 上 の 禁 止 ( 死 刑 = 野 蛮 か つ 残 虐 ) 、 ② 国 民 に 殺 人 を 禁 止 す る 一 方 で、 国 家 に よ る を認めるのは矛盾である、③国家が与えられない生命を奪うことは許されない、④死刑囚に対する改善の余地が な く な る ( 教 育 刑 ) 、 ⑤ 動 的 な 刑 罰 の 性 格 に 不 適 切 で あ る、 ⑥ 犯 罪 者・ 一 般 人 に 威 嚇 力 は な い、 ⑦ 誤 判 の 場 回復が困難である、などが根拠とされている。   これに対して、死刑存置論は、①と②と③に対しては、生命を奪った犯罪こそ非人道的である、④と⑤に対し ては、刑罰の目的は因果応報である、⑥に対しては、死刑の威嚇力はある、⑦に対しては、誤判は死刑に限らな い、などの反論がなされている。   このように、両者譲らず、水掛け論的様相を呈している。そこで、国家対加害者という枠組みと被害者対加害 者という枠組みの関係性という視点から死刑を考えてみたい。この点は、現在、被害者遺族の応報感情の充足と いう点が死刑存置論の重要な論拠となっているだけに、避けては通れない問題である。 二   被害者(遺族)と死刑制度   被 害 者 ( 遺 族 ) と 死 刑 の 問 題 は、 地 下 鉄 サ リ ン 事 件 や 光 市 母 子 殺 害 事 件 な ど に お い て、 議 論 が 活 発 化 し た。 市 母 子 殺 害 事 件 差 戻 し 控 訴 審 ( 広 島 高 判 二 〇 〇 八 年 四 月 二 二 日 高 刑 速 報( 二 〇 〇 八 ) 平 成 二 〇 年 五 号 二 〇 一 頁 元 少 年 ( 犯 行 当 時 一 八 歳 一 ヶ 月 ) に 対 し て 死 刑 の 判 決 を 言 い 渡 し た。 こ の 事 件 は、 被 害 者 遺 族 の 思 い が メ デ を通して広範に報道された結果、国民の多大な関心事となった。この控訴審判決については、様々な角度から検 討されるべきであるが、ここでは、とくに犯罪被害者という観点から考えてみたいと思う。

(4)

  最 高 裁 は、 「 連 続 ピ ス ト ル 射 殺 事 件 ( 永 山 事 件 ) 」 ( 最 判 一 九 八 三 年 七 月 八 日 刑 集 三 七 巻 六 号 六 〇 九 頁 ) に お い て、 犯 行 の 罪 質、 動 機、 態 様 と く に 殺 害 の 手 段 方 法 の 執 拗 性・ 残 虐 性、 結 果 の 重 大 性 と く に 殺 害 さ れ た 被 害 者 の 数、 遺族の被害感情、社会的影響、犯行時の年齢、前科、犯行後の情状という九項目を総合的に考慮し、刑事責任が きわめて重大で、罪刑均衡の見地などからやむを得ない場合には死刑の選択も許される、と判示し た )2 ( 。   まずは、この永山基準との関係が問題とされるべきである。たしかに、この永山基準は抽象的な指針にすぎず、 個 別 事 案 に お い て 具 体 化 さ れ る べ き も の で あ る が、 「 例 外 的 に 死 刑 」 と い う 基 準 を 採 用 し て い た の に 対 し て、 光 市 母 子 殺 害 事 件 で 破 棄 差 戻 し た 最 高 裁 判 決 ( 最 判 二 〇 〇 六 年 六 月 二 〇 日 判 タ 一 二 一 三 号 八 九 頁 ) は、 永 山 基 準 を 前 提 と し つ つ も、 「 原 則 的 に 死 刑 」 と い う 基 準 を 採 用 し た と い わ ざ る を 得 な い )3 ( 。 す な わ ち、 犯 罪 が 悪 質 な 場 合 に は 原則として死刑であり、とくに酌量すべき事情がある場合に限って例外的に死刑を回避するという考え方が表明 されたといえるだろう。しかし、本件は、被害者の数と被告人の年齢などの点で、このような「原則・例外の逆 転」という判断を簡単には下すことのできない限界事例であることに注意すべきであろう。それにもかかわらず、 最高裁がこのような判断を行い、控訴審判決もそれに従ったのは、九項目の永山基準のうち、とくに「被害者遺 族の感情」を重視したのではないかという推測が働くのである。 三   被害者(遺族)と刑事司法   犯罪被害者遺族が「死刑にしてもらいたい」という感情を抱くのは、至極当然のことである。愛する人を残忍 な形で失ったのであり、被害者の声はまさに魂の叫びである。被害者の手記を読むと、加害者への復讐感情が湧 き出ることを押し止めることはできないだろう。しかしながら、これは被害者という私人の応報感情であり、国

(5)

家刑罰権はそれのみによって根拠づけられているわけではないことも自明である。ここには、私的なレベルと公 的なレベルという段階の差があり、問題は、その差を埋めることができるのか、埋めるための適切な手段は何か という点にあるように思われる。すなわち、国家刑罰権が被害者の応報感情のみで行使されるわけではない以上、 刑事司法において被害者感情が完全に充足されることはあり得ない。そこでは、個々の被害者感情は、客観的被 害 者 感 情 と し て 類 型 化・ 一 般 化 さ れ て し ま う の で あ り、 法 の 世 界 で あ る 以 上、 こ れ も ま た 当 然 の こ と で あ むしろ、被害者感情を表明する公共の場として刑事司法とメディアしかないということが問題なのである。   さらに、問題は、被害者感情=応報=死刑存置という等号が絶対的なものかどうかにある。被害者感情が応報 と 結 び つ く の は、 犯 罪 以 前 の 状 態 へ の 回 復 が 困 難 で あ る こ と か ら の 反 射 的 効 果 で あ る と い う こ と も 考 え ら すなわち、応報感情の充足の前に、回復感情の充足という課題に取り組むべきであり、その点にこそ、被害者保 護の実質的課題があるにもかかわらず、死刑こそ被害者保護になるという短絡的思考が流布しているように思え る。この思考によれば、死刑によって被害者保護は完全に充足されることになるが、それは幻想である。死刑制 度は、適切な被害者保護施策の実現を阻むものとさえいえるだろう。 四   応報から修復・回復へ   わが国では、刑罰の本質を応報と解する考え方が有力である。すなわち、刑罰は、犯罪に対する反作用として、 刑罰を科すことそれ自体に意味があるという見解である。カントの「目には目を」という正義論を基礎とするも の で あ り、 回 顧 的 な 刑 罰 観 に 基 づ い て い る。 も っ と も、 応 報 の 意 味 は 多 義 的 で あ り、 形 而 上 学 的 な 国 家 的 罪刑の均衡を意図する応報、自己の内的な純化プロセスを問題とする贖罪としての応報などがある。ヘーゲルに

(6)

よ れ ば、 刑 罰 は、 法 の 否 定 の 否 定 で あ り、 「 法 の 回 復 」 と 解 さ れ る こ と に な り、 こ う な る と、 応 報 刑 論 も 何 ら か の 目 的 を 持 つ こ と に な っ て く る。 「 法 的 平 和 の 回 復 」 と い う 考 え 方 も、 ヘ ー ゲ ル 的 な 思 想 が 基 礎 に あ る だ ろ う。 無目的な絶対的な応報刑論は、絶対的な国家論を前提とするがゆえに妥当ではなく、刑法規範の目的が法益保護 にあると解する以上、刑罰は何らかの社会的目的を持たざるをえないだろう。   さ ら に、 「 罪 刑 の 均 衡 」、 「 非 難 可 能 性 と し て の 責 任 」 な ど の 概 念 も、 刑 法 の 基 礎 に あ る こ と は 疑 い な い。 し か し、その内容は、依然としてきわめて曖昧であり、イメージとして受け取られる危険性もある。刑罰は、あやう い土台の上に存立しているシステムであることを看過すべきでないだろう。   こ れ に 対 し て、 修 復 的 正 義 ( 司 法 ) は、 犯 罪 を 人 々 の 関 係 の 侵 害 と 把 握 し、 被 害 者、 加 害 者、 コ ミ ュ ニ テ ィ が 関与して、それぞれの修復・回復を目指すシステムであり、刑事司法の補完的役割を果たし得るものであ る )4 ( 。各 当 事 者 は 修 復 的 司 法 シ ス テ ム に 任 意 に 参 加 し、 う ま く い か な い 場 合 に は 刑 事 司 法 シ ス テ ム に 戻 る こ と に な る が、 このようなシステムが存在しないところに問題がある。すなわち、修復的司法システムにおいては、訓練された 仲介者によって、当事者のコミュニケーションが実施され、この場でこそ感情のぶつかり合いが可能なのである。 もちろん、直接対話が不可能な事案であれば、代理人等による間接的なコミュニケーションが行われる。要する に、修復的司法は、事件に関わる様々な人々がコミュニケーションをとれる場を提供し、それらの人々を架橋し ようとするシステムなのである。   このように、法的コミュニケーションの場である刑事司法と生のコミュニケーションの場である修復的司法と が相俟って犯罪問題の解決に向かうべきであるように思われる。刑事司法が、規範的な「法的平和」を志向する のに対して、修復的司法は、事実的な「法的平和」を志向するものである。   修復的司法の観点によれば、加害者の責任とは、被害者の回復・再生のために何らかの措置を果たすことにあ

(7)

り、また、コミュニティの責任さらにはメディアの責任は、被害者の苦しみを共有し支援することであって、加 害者に厳罰を科すことを要求することではない。 五   被害者関係的刑事司法から修復的司法へ   刑 事 司 法 の 中 に 犯 罪 被 害 者 を 包 含 す る 方 向 に は、 二 つ の 道 筋 が あ り、 一 つ が「 懲 罰 的 な 被 害 者 ( 権 利 ) モ ( 被 害 者 関 係 的 刑 事 司 法 ) 」 で あ り、 も う 一 つ が「 非 懲 罰 的 な 被 害 者 ( 支 援 ) モ デ ル ( 修 復 的 司 法 ) 」 で あ る。 被 参加制度などは、前者の実現という方向性にあり、このような被害者関係的刑事司法にとどまるかぎり、死刑廃 止への道はきわめて困難であり、絶望的と言っても過言ではないように思われる。   犯罪被害者に当事者的地位を与えるとしたら、刑事司法とは別個の修復的司法のシステムにおいてそれは実現 可能であろう。修復的司法においては、犯罪被害者は主体的地位を獲得できるからである。   被害者参加制度は、被害者の生の声を考慮するという意味があるといわれているが、検察官の介在と裁判所の 許可という制約があり、また、弁論としての意見陳述は証拠とされないなど、結局、被害者の生の声を出すこと はできず、そこには、二次被害の可能性もあるように思われる。さらに、被害者参加制度は、被害者が事件の真 相、情報を知ることに意味があるともいわれているが、この点についても、刑事司法の枠内では制約があり、こ こでも二次被害の可能性の存在も否定できないだろう。   刑事司法においては、事件の法的関連性が問題とされるわけだから、いわば、法的な対話が行われることとな り、被害者の生の声、事件の真相アクセスが制限されることはやむをえないことであろう。これに対して、修復 的司法においては、人間的対話が実践されることによって、事件の全体像が明らかになる。修復的司法では、法

(8)

的 な 関 連 性 で は な く、 被 害 者 の ニ ー ズ 関 連 性 が 中 心 的 テ ー マ と な る か ら で あ る。 被 害 者 ( 遺 族 ) は 修 復 的 司 法 に 参加し、そこで得られた成果が刑事司法にフィードバックされればいいのである。そこで何らの成果も得られな かった場合には、刑事司法において「法的対話」の世界に委ねることしかできないのであって、その場合、人間 的対話は刑事司法の原理によって削減されることになろう。   「 懲 罰 的 な 被 害 者 ( 権 利 ) モ デ ル ( 被 害 者 関 係 的 刑 事 司 法 ) 」 の 実 現 に 限 界 が あ り、 そ の 結 果、 犯 罪 被 害 者 の ニ ー ズ が 十 分 に 満 た さ れ な い こ と か ら、 も う 一 つ の 選 択 肢 で あ る「 非 懲 罰 的 な 被 害 者 ( 支 援 ) モ デ ル ( 修 復 的 司 法 ) 」 の実現の可能性も考慮に値する課題となろう。被害者・加害者・コミュニティそれぞれの回復と相互の関係修復 へ向かうためのシステムを、刑事司法とは別個にかつそれに関連させて構築していくべきであろう。 六   これからの課題   被害者感情が死刑存置に向かう要因は、被害者支援の不十分性とコミュニティの無責任性にあるように思われ る。したがって、被害者支援の充実化とコミュニティを構成するわれわれ一人一人が被害者を支えるという社会 の構築が望まれるのである。これが死刑廃止に至り得る唯一の道であろう。   具体的な施策としては、終身刑の導入も考慮に値する問題である。被害者にとって、かりに、対話などの修復 的司法に参加することによって、その結果が加害者の刑や処遇に影響を与え、仮釈放になってしまうのではない かという危惧も生じるであろう。そうであれば、仮釈放のない終身刑を導入し、刑務所内において修復的司法を 実 現 し て い く と い う シ ス テ ム も 実 現 可 能 性 が あ ろ う )5 ( 。 刑 務 所 に お い て、 受 刑 者 は、 一 生 か か っ て、 被 害 者 ( 遺 族 ) の 再 生・ 回 復 に 向 け て 償 う こ と が 義 務 づ け ら れ る の で あ る。 も っ と も、 そ の た め に は、 刑 務 所 に お け る 処 遇

(9)

を被害者志向的に行う必要があり、基本的に懲罰的である刑務所というシステムの再構築が必要となる。   しかし、注意しなければならないのは、行刑段階に至ってはじめて対話などの修復的司法を実施するのではな く、 刑 事 手 続 の 各 段 階 に お い て、 対 話 の 場 を 設 け る こ と が 要 請 さ れ る と い う こ と で あ る。 現 在、 警 察 段 階 「 少 年 対 話 会 」 と い う 制 度 が 存 在 し て い る の も 一 つ の 参 考 と な ろ う )6 ( 。 刑 事 司 法 と 修 復 的 司 法 を 車 の 両 輪 と し 開していくことが、これからの課題であるように思われる。 ( 1)   死刑存廃論について、向江璋悦『死刑廃止論の研究』 (一九五二年) 、斎藤静敬『死刑再考論』 (一九六七年) 原憲三『死刑存廃論の系譜[五版] 』(二〇〇三年) 、団藤重光『死刑廃止論[六版] 』(二〇〇〇年) 、「 〈特集〉死刑制 度の現状と展望」現代刑事法三巻五号(二〇〇一年)六頁以下、井上薫編著『裁判資料   死刑の理由』 (一九九九年) 『量刑法の総合的検討[松岡古稀] 』(二〇〇五年) 、森達也『死刑』 (二〇〇八年) 、森達也・藤井誠二『死刑のある国 ニッポン』 (二〇〇九年)など参照。 ( 2)   本件につき、墨谷葵「判批」 『昭和五八年度重要判例解説』一五二頁参照。 ( 3)   本件につき、平川宗信「判批」 『平成一八年度重要判例解説』一六一頁参照。 ( 4)   ハワード・ゼア(西村春夫・細井洋子・高橋則夫監訳) 『修復的司法とは何か』 (二〇〇三年)一九五頁以下参照。 修 復 的 司 法 に つ い て は、 さ ら に、 高 橋 則 夫『 修 復 的 司 法 の 探 求 』( 二 〇 〇 三 年 )、 同『 対 話 に よ る 犯 罪 解 決 』( 七年)参照。わが国における修復的司法の実現可能性については、細井洋子・西村春夫・高橋則夫編『修復的正義の 今日・明日 ︱ 後期モダニティにおける新しい人間観の可能性 ︱ 』(二〇一〇年)参照。 ( 5)   E dg ar = N ew ell , R es to ra tiv e J us tic e i n Pr iso ns , 2006, 長谷川裕寿「殺人と修復的司法」前掲『修復的正義の今 日・明日 ︱ 後期モダニティにおける新しい人間観の可能性 ︱ 』八八頁以下、太田達也「ベルギーにおける修復的司法 と矯正の取組み(前) (後) 」刑政一一二巻八号二〇頁以下、同巻九号五八頁以下(二〇〇一年)参照。 ( 6)   高 橋 則 夫「 『 少 年 対 話 会 』 の 意 義 と 限 界 ︱ 修 復 的 司 法 の 可 能 性 ︱ 」 早 稲 田 大 学 社 会 安 全 政 策 研 究 所 紀 要 二 〇一〇年)三三頁以下参照。

参照

関連したドキュメント

(2)特定死因を除去した場合の平均余命の延び

ヨーロッパにおいても、似たような生者と死者との関係ぱみられる。中世農村社会における祭り

 My name Is Jennilyn Carnazo Takaya, 26 years of age, a Filipino citizen who lived in Kurashiki-shi Okayama Pref. It happened last summer year

 2015

また、視覚障害の定義は世界的に良い方の眼の矯正視力が基準となる。 WHO の定義では 矯正視力の 0.05 未満を「失明」 、 0.05 以上

法制執務支援システム(データベース)のコンテンツの充実 平成 13

○防災・減災対策 784,913 千円

平成 支援法 へのき 制度改 ービス 児支援 供する 対する 環境整 設等が ービス また 及び市 類ごと 義務付 計画的 の見込 く障害 障害児 な量の るよう