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Vol.26 , No.1(1977)007上田 本昌「阿仏房について」

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文 永 八 年 ( 一 二 七 二 ) 十 一 月、 日 蓮 聖 人 は 竜 口 法 難 を 経 て 佐 渡 島 に 流 さ れ、 塚 原 の 三 昧 堂 に 住 ん だ。 此 の 頃 の 佐 渡 は 念 仏 を 信 仰 す る 者 が 多 く、 阿 仏 房 ・ 唯 阿 弥 房 等 を 始 め、 極 楽 往 生 を 願 う 徒 が 盛 ん で あ つ た。 又 こ れ に 加 え て 生 喩 房 ・ 印 性 房 ・ 慈 道 房 等 の 禅 ・ 律 を 含 む 諸 僧 が、 聖 人 の 来 島 を 聞 い て、 対 決 を 行 う 企 て が 起 り 次 第 に そ の 機 運 が 高 ま つ て い つ た。 こ う し た 矢 先 き に、 阿 仏 房 は 単 身 で 聖 人 と 会 い、 二 気 に 勝 劣 を 決 し よ う と 試 み た が、 逆 に 教 化 さ れ、 遂 に 帰 伏 し て そ の 妻 の 千 日 と 共 に、 聖 人 の 門 弟 と な り、 聖 人 在 島 二 年 五 か 月 間 に 渡 つ て の 外 護 を 尽 し、 名 を 日 得 と 賜 つ た の で あ つ た。 阿 仏 房 の 出 生 ・ 事 蹟 に つ い て は、 古 来 異 説 が あ つ て、 必 ず し も 一 定 し て い な い。 例 え ば ﹃ 別 頭 統 紀 ﹄ に よ る と、 俗 姓 は 藤 原、 俗 名 は 遠 藤 左 衛 門 尉 為 盛 と 称 し、 遠 藤 武 者 盛 遠 ( 後 の 文 覚 上 人 ) の 曾 孫 で、 順 徳 帝 に 仕 え 金 吾 従 四 位 上 に 叙 せ ら れ、 和 漢 の 学 に 通 じ 歌 道 の 奥 旨 に 達 し た と い う。 承 久 三 年 に ﹁ 帝 ス ニ ニ ニ モ 狩 二 干 佐 州 一為 盛 随 レ 之 時 歳 三 十 三 ﹂ と あ り、 ﹁ 妻 亦 衣 冠 之 女 ﹂ ( 1) ト モ と し て い る。 仁 治 三 年 に 帝 が 崩 御 の あ と ﹁ 洛 之 親 族 招 而 不 レ シ テ ス ル コ ト 帰 夫 婦 落 飾 盧 二 干 陵 下 一三 十 年 矣 ﹂ と も 記 し て い る。 ﹃ 健 ロミ コ 紗 ﹄ に よ る と ﹁ 千 日 尼 ト 申 ハ 神 子 也 ﹂ と し、 阿 仏 房 に つ い て は ﹁ 盛 遠 ト 云 タ ル 人 ノ 末 也。 而 ル ヲ 佐 渡 嶋 二 流 レ テ 流 人 也。 ( 2) 佐 渡 ニ テ 今 ノ 千 日 御 前 ヲ 語 ヒ テ 夫 妻 ト 成 リ 玉 ヘ リ ﹂ と し て、 阿 仏 房 も 流 人 で あ り、 佐 渡 へ 来 て か ら 結 婚 し た こ と に な つ て シ テ ヲ タ リ ニ フ ヲ い る。 ﹃ 高 祖 年 譜 ﹄ に は、 ﹁ 深 信 二 弥 陀 一 行 履 似 レ 僧、 人 呼 二 之 阿 ト ヲ ト ( 3) 仏 房 -妻 日 二 千 日 こ と 簡 略 に 記 し て い る。 ま た ﹃ 録 外 考 文 ﹄ ノ に よ る と、 ﹁ 民 部 卿 忠 文 第 六 世 為 長 第 四 子 ﹂ と し、 ﹁ 在 家 僧 ﹂ ( 4) と し て い る。 更 に ﹃ 本 化 別 頭 高 祖 伝 ﹄ に は、 ﹁ 従 二 位 藤 原 朝 ナ リ テ ニ リ ニ ヲ ら 臣 為 盛 入 道、 事 二 順 徳 帝 一 到 二 佐 州 一送 レ 終 焉。 ﹂ と 記 し て い る。 こ う し た 諸 説 を ふ ま え て ﹃ 本 化 聖 典 大 辞 林 ﹄ で は、 ﹁ 参 議 藤 原 忠 文 の 末 窩、 左 馬 允 滝 口 為 長 が 子、 遠 藤 武 者 盛 遠 ( 文 覚 ) が 弟 に し て、 武 者 所 と 称 す。 順 徳 上 皇 の 北 面 た り 承 久 三 年、 阿 仏 房 に つ い て ( 上 田 )

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-43-阿 仏 房 に つ い て ( 上 田 ) ( 6) 上 皇 の 佐 渡 に 遷 さ れ た ま ふ や、 妻 と 共 に 随 逐 し 奉 る。 ﹂ と 述 シ テ ニ セ ラ ル ニ ベ て い る。 然 し、 ﹃ 高 祖 年 譜 孜 異 ﹄ に は、 ﹁ 坐 レ 罪 配 レ 佐 ﹂ と ( 3) あ り、 先 き の ﹃ 健 砂 ﹄ と 同 じ く 流 人 と し て 扱 つ て い る。 即 ち 北 面 の 武 士 と し て 順 徳 帝 の 佐 渡 遷 幸 に 従 つ た 従 四 位 上 ( 或 い は 従 二 位 ) の 地 位 に あ つ た 者 と す る 説 と、 全 く 逆 に 罪 に 坐 し て 流 人 の 身 を 送 つ た 人 で あ る と す る 説、 ま た 文 覚 上 人 と な つ た 盛 遠 の 曾 孫 で あ る と す る 説 と、 弟 な り と す る 説 な ど が あ つ て、 女 房 に つ い て も、 佐 渡 で 結 婚 し た と す る 説 や、 夫 婦 で 佐 渡 へ わ た つ た と す る 説、 神 子 で あ つ た と い う 説 と、 右 衛 門 佐 局 の 女 房 で あ つ た と す る 説 な ど が あ り、 何 れ と も 決 め か ね る こ と が 困 難 な 状 態 で あ る。 二 阿 仏 房 夫 妻 と 順 徳 上 皇 と の 関 係 に つ い て は、 浅 井 要 麟 教 授 が ﹃ 昭 和 新 修 日 蓮 聖 人 遺 文 全 集 ﹄ の 別 巻 の 中 で、 中 村 又 衛 氏 ( 7) の 説 を 紹 介 し て い る。 そ れ に よ る と 阿 仏 房 夫 妻 を 始 め、 国 府 ・ 二 谷 ・ 中 興 の 各 入 道 に 宛 ら れ た 十 通 の 祖 書 を 挙 げ、 そ れ ら の 中 に 順 徳 上 皇 や 承 久 の 乱 に 関 す る 記 述 が、 全 く 見 当 ら ず 上 皇 と 阿 仏 房 の 主 従 で あ つ た と い う 事 を 証 す る 文 も 見 え な い し、 更 に 関 係 が 若 し あ つ た と し た な ら、 信 仰 生 活 上 に 於 て 何 ら か の 形 で こ の 関 係 に ふ れ て い な く て は な ら な い で あ ろ う と し、 結 極 こ う し た 点 か ら 推 断 し て、 ﹁ 順 徳 上 皇 と 阿 仏 房 夫 妻 と は、 何 の 関 係 も な か つ た の で は あ る ま い か。 ﹂ と 述 べ て い る。 ま た 聖 人 が 弘 安 三 年 七 月 に 千 日 尼 へ 宛 て 出 さ れ た 御 返 事 に、 ﹁ 故 阿 仏 聖 霊 は 日 本 国 北 海 の 島 の え び す の 身 な り し か ど も、 後 生 を を そ れ て 出 家 し て 後 生 を 願 ひ し が、 流 人 日 蓮 に 値 ひ て 法 華 経 を 持 ち、 去 年 の 春 仏 に な り ぬ。 ﹂ (昭 定 一 七 六 五 ) と い う 二 文 か ら 考 え、 ﹁ 阿 仏 房 は 京 の 人 で も な く、 ま た 由 緒 あ る 北 面 の 士 で も な く、 北 海 佐 渡 の 土 着 の 住 人 で あ つ た。 そ し て そ の 入 道 は 順 徳 上 皇 の 追 福 の 為 め で も な く、 己 が 後 生 を 願 は ん 為 め で あ つ た の で あ る。 ﹂ と し て 従 来 の 伝 え て い る 説 と は 異 つ た 立 場 を と つ て い る。 尚、 こ の 中 村 又 衛 氏 の 説 を 受 け て、 最 近 に 至 り 河 野 智 彰 氏 ( 8) が、 ﹁ 阿 仏 房 夫 妻 の 史 伝 に つ い て の 考 証 ﹂ を 行 つ て い る。 そ れ に よ る と、 ﹁ 中 村 氏 が 関 係 の 祖 書 を 渉 猟 し て、 順 徳 院 と 阿 仏 房 の 間 に は、 何 の 関 係 も な か つ た こ と を 立 論 さ れ た こ と は、 阿 仏 房 夫 妻 の 史 伝 に つ い て の、 学 問 的 検 討 の は じ め て の 業 績 で あ つ た と 考 え ら れ る。 ﹂ と 評 価 し つ つ、 更 に 他 の 文 献 や 史 料 か ら、 順 徳 院 の 佐 渡 遷 幸 供 奉 者 に つ い て、 史 料 と の 照 合 を 行 い、 阿 仏 房 夫 妻 の 伝 歴 を 検 討 し て い る。 即 ち 中 村 氏 の 説 を 支 持 し て、 よ り 広 く 文 献 を 求 め、 深 く 史 料 に 当 つ て 阿 仏 房 夫 妻 に つ い て の 考 証 を 進 め て お り、 中 村 説 を 更 に 一 歩 学 問 的 に 深 め た も の と い え よ う。 こ の よ う に 阿 仏 房 に つ い て の 研 究 は 続 け ら れ て 来 て い る

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が、 前 述 の 如 く 阿 仏 房 を 遠 藤 盛 遠、 即 ち 文 覚 上 人 の 曾 孫、 又 は 弟 で あ る と す る 説 が 生 れ て 来 た の は、 盛 遠 が 嘗 て 上 西 門 院 の 北 面、 武 者 所 と な つ た が、 十 八 歳 の 時 に 源 渡 の 妻 袈 裟 を 誤 つ て 殺 し、 発 心 し て 出 家 し 名 を 文 覚 と 称 し た こ と や、 源 頼 朝 の 帰 依 を 得 て 神 護 寺 や 東 寺 の 復 興 に 力 を 注 い だ が、 頼 朝 の 死 後、 正 治 元 年 ( 一 二 九 九 ) 二 時 佐 渡 へ 配 流 さ れ た こ と な ど が あ ( 9) つ た の で、 盛 遠 の 結 び つ き が、 自 然 に 考 え ら れ て い つ た の で は な い か と も い え よ う。 尚、 文 覚 に つ い て も 近 衛 校 尉 時 遠 の ( 9) 子 と す る 説 と、 左 近 将 監 茂 遠 ( 又 は 盛 光 ・ 或 い は 持 遠 ) の 子 と ( 10) す る 説 も あ り、 こ れ 又 一 定 し て い な い た め、 一 層 両 者 の 関 係 を 接 近 さ せ る 結 果 と な つ た も の で あ ろ う。 三 阿 仏 房 の 生 い 立 ち に つ い て は、 右 の 如 く 諸 説 が あ つ て、 古 来 の 伝 え る 説 の み に た よ る わ け に は い か な い こ と が、 中 村 ・ 河 野 両 氏 の 説 に よ つ て 判 明 し て 来 て い る。 し か し い ず れ に し て も 阿 仏 房 夫 妻 が、 元 は 念 仏 の 信 者 で あ り、 日 蓮 聖 人 に よ つ て 教 化 さ れ、 熱 烈 な 法 華 信 仰 の 徒 に 改 ま つ た 人 で あ る こ と に は 相 違 な い。 そ こ で 聖 人 が 阿 仏 房 夫 妻 に 与 え ら れ た 御 書 を 中 心 に し な が ら、 念 仏 信 仰 か ら の 改 心 と 教 化 の 跡 を 窺 つ て み る こ と に し よ う。 元 来、 思 想 ・ 信 仰 の 異 つ た 者 に 対 す る 説 得 ・ 教 化 は、 至 難 の 業 と 云 う べ き も の で あ る。 殊 に 対 告 衆 が 己 の 信 仰 に 対 し て 熱 烈 で あ り、 信 仰 上 の 仇 と し て ね ら つ て 来 て い る 場 合 に、 そ の 信 仰 の 寸 心 を 改 め さ せ て、 ﹁ 実 乗 の 一 善 ﹂ に 帰 せ し め る こ と は、 単 な る 説 得 力 ・ 話 術 の み で は、 安 易 に な し う る こ と は で き な い。 又 一 方、 説 得 さ れ る 側 に あ つ て も、 己 の 非 を 悟 つ て、 直 に 改 心 す る 事 は 困 難 で あ る。 単 に 理 論 上 の 問 題 だ け で 割 り 切 つ て 考 え を 処 理 す る こ と は 不 可 能 で あ り、 思 想 や 信 仰 上 の 問 題 で、 大 き な 転 換 を な す に は、 自 己 内 心 に お け る 変 革 の た め の 相 当 な 力 を 要 す る も の と い え よ う。 阿 仏 房 の 場 合 は、 長 い 間、 専 ら 弥 陀 の 本 願 力 に す が つ て、 極 楽 浄 土 へ 往 生 し よ う と す る 二 向 念 仏 の 信 仰 か ら、 一 変 し て 法 華 経 の 題 目 に よ る 救 済 の 道 へ と 転 じ た の で あ つ て、 信 仰 上 に お け る 大 き な 変 改 を み せ た わ け で あ る。 こ れ は 聖 人 の 感 化 力 に よ る こ と は 勿 論 で あ る が、 阿 仏 房 自 身 の 清 廉 ・ 実 直 な 気 質 が 大 き く 作 用 し た も の と 考 え ら れ る。 即 ち 体 面 に こ だ わ る こ と な く、 一 気 に 信 仰 の 転 換 を 決 行 し た と こ ろ に 阿 仏 房 自 身 の 旺 盛 な 力 を 感 じ 取 る こ と が で き よ う。 そ の 力 は 自 身 の み な ら ず 女 房 や 友 人 で あ つ た 国 府 入 道 夫 妻 ら を も 勧 め て、 法 華 信 仰 へ 共 に 導 き 入 れ る 結 果 を 生 じ た の で あ つ た。 と こ ろ で 女 房 の 千 日 尼 は、 夫 に 劣 ら ぬ 熱 烈 な 信 仰 を 持 ち、 聖 人 在 島 の 約 二 年 五 か 月 間 を 外 護 し て い る。 例 え ば 千 日 尼 へ 宛 て ら れ た 聖 人 の 書 簡 に よ る と、 地 頭 や 念 仏 者 等 が ﹁ 流 人 僧 阿 仏 房 に つ い て ( 上 田 )

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-45-阿 仏 房 に つ い て ( 上 田 ) チ 日 蓮 ﹂ を あ だ み、 ﹁ 庵 室 に 昼 夜 に 立 そ い て 通 う 人 も あ る を ま ど わ さ ん と せ め し に、 阿 仏 房 に 櫃 を し を わ せ、 夜 中 に 度 々 御 ノ わ た り あ り し 事、 い つ の 世 に か わ す ら む。 只 悲 母 の 佐 渡 国 に レ レ 生 か わ り て 有 か。 ﹂ ( 二 五 四 五 ) と 述 べ て い る 点 か ら 見 て も わ か る 如 く で あ る。 ま た 阿 仏 房 夫 妻 に 宛 た 御 書 を 拾 つ て み る と、 次 の 如 く で あ る。 (1) 阿 仏 房 尼 御 前 御 返 事 建 治 元 年 九 月 三 日 ( 日 朝 写 本 ) (2) 阿 仏 房 御 書 同 二 年 三 月 十 三 日 ( 同 ) ( 或 文 永 九 年 ) (3) 阿 仏 房 御 返 事 弘 安 元 年 六 月 三 日 ( 本 満 寺 本 ) ( 或 建 治 三 年 ) (4) 千 日 尼 御 前 御 返 事 同 元 年 七 月 二 十 八 日 ( 真 蹟 妙 宣 寺 ) (5) 千 日 尼 御 前 御 返 事 同 元 年 十 月 十 九 日 ( 平 賀 本 ) (6) 千 旧 尼 御 返 事 同 三 年 七 月 二 日 ( 真 蹟 妙 宣 寺 ) (7) 妙 法 曼 茶 羅 供 養 事 文 永 十 年 ( 平 賀 本 ) こ の 中 (2) と (3) の 二 書 が 阿 仏 房 宛 で あ り、 他 は 千 日 尼 宛 の も の で あ る。 尼 の 信 仰 が 夫 に 勝 る と も 劣 ら ぬ も の で あ つ た こ と を 知 る 上 の 一 つ の 証 左 と も 云 え よ う。 鳳田 は 宛 名 が 記 さ れ て い な い た め、 二 説 に は 日 妙 尼、 或 い は 妙 法 尼 宛 の 御 書 で は な い か、 と も い わ れ て お り、 必 ず し も 二 定 し て い な い。 さ て、 右 の 諸 御 書 を 二 見 す る に、 先 ず (1) は 法 華 経 が 皆 成 仏 道 の 教 え で あ る こ と を 示 し、 諺 法 を 強 く 誠 し め て い る。 (2) は 阿 仏 房 が 宝 塔 の こ と で 質 問 し て 来 た 事 に 対 す る 解 答 の 書 で あ つ て、 題 目 と 宝 塔 と 法 華 経 の 信 行 者 た る 阿 仏 房 と の 三 者 一 体 を 説 示 し て い る。 (1) の 書 と 同 様 に 法 華 経 と そ の 題 目 が、 論 述 の 中 心 と な つ て い る の で あ る。 (3) は 阿 仏 房 が 聖 人 の 病 状 を 案 じ て、 見 舞 状 を 発 し た 事 に 対 す る 御 返 事 で、 極 め て 短 文 で あ ハ る。 正 月 か ら 現 在 六 月 ま で 病 疾 が 続 い て い る 事 を 記 し、 ﹁ 今 テ ヲ ニニ レ ハ ヲ ニ ク 棄 二 毒 身 一後 受 二 金 身 一堂 可 レ 歎 乎 ﹂ ( 二 五 〇 八 ) と 結 ん で い る。 今 ヌ ル 生 の 毒 身 を 棄 て、 後 生 の 金 身 を 受 け る と い う 表 現 も、 ﹁ 死 事 キ ヒ 無 レ 疑 者 欺 ﹂ と い う 聖 人 晩 年 の 病 身 か ら 考 え、 極 め て 自 然 な 言 い 方 と も と れ る が、 相 手 が 嘗 て 念 仏 の 信 者 で あ り、 又 老 齢 で あ つ た こ と を も 考 慮 し て の 表 現 で は な か つ た か と 考 え ら れ る。 凶 は 弘 安 元 年 七 月 六 日 に 千 日 尼 が 夫 を 使 と し て、 身 延 山 へ 三 回 目 の 登 詣 を し た 時 に 記 さ れ た 書 で あ る。 五 か 年 間 に 三 回 も 佐 渡 か ら 身 延 へ 来 る 事 は、 壮 者 と 錐 も 安 易 な こ と で は な か つ た で あ ろ う。 こ の 御 書 に は 月 支 ・ 漢 土 ・ 日 本 の 三 国 に お け る 法 華 経 流 布 の あ と を 述 べ、 更 に 真 実 の 教 え で あ り、 如 来 の 金 言 で あ つ て、 ﹁ 一 切 経 に 勝 れ た ﹂ 事 を 述 べ、 女 人 成 仏 の 報 恩 経 で あ る と し て い る。 ま た ﹁ 此 御 経 を し る し と し て 後 生 に は 御 た つ ね あ る べ し ﹂ ( 二 五 四 六 ) と あ り、 法 華 経 に よ つ て 後 生 を た つ ね よ と い う の も、 前 書 (3) と 同 じ よ う な 配 慮 が、 尼 の 上 に も つ か わ さ れ た も の と み な し え よ う。 (5) は 佃 の 約 三 か 月 後 に、 身 延 へ 尼 が 青 烏 二 貫 文 ・ 干 飯 二

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斗 ・ 其 の 他 種 々 の 物 を 御 供 養 し た 礼 状 で あ る。 ﹁ 法 華 経 は 十 方 三 世 の 諸 仏 の 御 師 也 (乃 至 ) 二 切 の 諸 仏 尽 十 方 世 界 の 微 塵 の 菩 薩 等 も、 皆 悉 く 法 華 経 の 妙 の 二 字 よ り 出 生 し 給 へ り ﹂ ( 二 五 九 七 ) と、 愛 で も 仏 よ り 法 を 優 位 に 置 き、 ﹁ 仏 は 子 也。 法 華 経 は 父 母 也 ﹂ と い う 立 場 を と つ て い る。 即 ち 法 華 経 に す べ て の 仏 と 法 を 統 一 し、 更 に 単 二 化 し て 妙 法 を 受 持 し 供 養 す る 者 は、 十 方 の 仏 と 法 を 供 養 す る 功 徳 と 同 じ も の で あ る と し て い る。 こ の よ う に ﹁ 法 仏 相 対 ﹂ に お い て、 法 に 重 き を 置 い た の は、 阿 弥 陀 如 来 を 中 心 と す る 信 仰 体 験 者 を、 一 変 し て 妙 法 を 中 心 と す る 法 華 信 仰 に 導 入 す る た め の プ ロ セ ス と し て、 法 に 大 き な 意 義 を 与 え、 法 の 勝 れ て い る 点 を 力 説 し、 妙 法 に 帰 依 す べ き 事 を 結 論 づ け ら れ た も の と い え よ う。 又 こ の 御 書 は ﹃ 御 身 は 佐 渡 の 国 に を は せ ど も 心 は 此 国 に 来 れ り。 仏 に 成 る 道 も 如 レ 此。 我 等 は 繊 土 に 候 へ ど も 心 は 霊 山 に 住 む べ し。 か ほ 御 面 を 見 て は な に か せ ん。 心 こ そ 大 切 に 候 へ。 い つ か い つ か 釈 迦 仏 の を は し ま す 霊 山 会 上 に ま ひ り あ ひ 候 は ん。 ﹂ ( 二 五 九 九 ) と い う 言 葉 で 結 ん で い る。 我 等 の 住 む 繊 土 と 釈 迦 仏 の 霊 山 と を 相 対 し て、 霊 山 で の 再 会 を 約 束 し て い る 形 を と つ て い る。 こ れ も 極 楽 浄 土 へ 往 生 し よ う と す る 信 仰 を 永 い 間 持 つ て い た 人 に 対 す る 教 化 の 一 方 法 と し て、 ﹁ 繊 土 か ら 霊 山 会 上 へ ﹂ と い う 表 現 が 採 用 さ れ て い つ た も の と み な し え よ う。 こ う し た 教 化 は 阿 仏 房 夫 妻 に 限 ら ず、 常 に 対 告 衆 の 立 場、 殊 に 心 情 を 深 く 理 解 し、 適 切 な 化 儀 が と ら れ て い る が、 こ れ も 最 も よ き 元 例 と い え よ う。 ﹁ 心 こ そ 大 切 に 候 へ ﹂ と い う 所 に 信 仰 の 世 界 に 於 け る 基 本 的 立 場 が 理 解 で き る。 四 さ て、 こ の ﹁ 霊 山 会 上 に ま ひ り あ ひ ﹂ と い う 言 葉 の 意 味 は、 こ の 御 書 の み に 見 ら れ る の で は な く、 実 は 晩 年 身 延 山 か ら 発 し ら れ た 諸 御 書 の 中 に 散 見 で き る へ霊 山 往 詣 > の 説 と 同 じ で あ る。 例 え ば 阿 仏 房 の 友 人 で、 同 じ く 念 仏 の 徒 で あ つ た 佐 渡 の 国 府 尼 御 前 に 宛 た 書 簡 の 中 に も、 ﹁ 又 後 生 に は 霊 山 浄 土 に ま い り あ ひ ま ひ ら せ ん ﹂ ( 一 〇 六 四 ) と ほ ぼ 同 様 の 言 葉 が 使 わ れ て い る し、 上 野 殿 尼 御 前 に 宛 た 御 書 や、 是 日 尼 御 書 等 を 始 め そ の 他 の 御 書 の 中 に も、 <霊 山 浄 土 > に つ い て 語 ら れ ( 11) て い る。 霊 山 と は い う ま で も な く 寿 量 品 の ﹁ 倶 出 霊 鷲 山 ﹂ か ら 出 た 語 で あ り、 嘗 て 釈 尊 が 法 華 経 を 説 か れ た 者 闇 堀 山 ( マ カ ダ 国 の 首 都 王 舎 城 の 東 北 ) か ら 源 を 発 し て い る が、 聖 人 は こ の 山 を 単 な る 山 岳 の 一 つ と み な し て は お ら ず、 法 華 経 の 説 か れ た 山 で あ る が 故 に、 特 に 霊 山 と し て 最 も 勝 れ た 仏 の 住 所 で あ り < 浄 土 > で あ る と 考 え、 更 に 純 粋 に 奈 教 的 な 境 界 と し て 昇 華 し、 法 華 経 行 者 の 唱 題 受 持 の 一 信 に 顕 現 さ れ る 悟 界 で あ る と み な し て い る。 こ の 事 を 最 も よ く 表 し て い る の が、 (6) の 御 書 で あ る と 考 え 阿 仏 房 に つ い て ( 上 田 )

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-47-阿 仏 房 に つ い て ( 上 田 ) ら れ る。 こ の 書 は 阿 仏 房 が 九 十 一 歳 で 逝 去 し た 翌 年、 息 子 の 藤 九 郎 守 綱 が 前 年 父 の 舎 利 を 頸 に 懸 け て 登 山 し た の に 続 い て、 二 年 連 続 身 延 参 詣 を し た 時、 千 日 尼 へ 宛 ら れ た も の で あ る。 ﹁ 故 阿 仏 房 の 聖 霊 は 今 い つ く に か を は す ら ん と 人 は 疑 ふ と も、 法 華 経 の 明 鏡 を も つ て 其 の 影 を う か べ て 候 へ ば、 霊 鷺 山 の 山 の 中 に 多 宝 仏 の 宝 塔 の 内 に、 東 む き に を は す と 日 蓮 は 見 ま い ら せ て 候 ﹂ ( 一 七 六 二 ) と あ る が、 (2) の 御 書 の 多 宝 塔 を ふ ま え て 述 べ ら れ た も の と い え よ う。 又 尼 に 対 し ﹁ い そ ぎ く 法 華 経 を 根 料 と た の み ま い ら せ 給 ひ て、 り ょ う ぜ ん 浄 土 へ ま い ら せ 給 て、 み ま い ら せ 給 ふ べ し ﹂ と も 記 し て い る。 こ の よ う に 阿 仏 房 夫 妻 に 対 し て は、 法 華 経 即 ち ︿法 ﹀ を 表 と し た 教 化 を 行 い、 後 生 の 霊 山 浄 土 を 示 し て い る。 し か し 聖 シ ヲ ニ ケ ソ ヲ 人 は 立 正 安 国 論 で ﹁ 先 安 二 生 前 一 更 扶 二 没 後 こ と 述 べ て い る 如 く、 先 ず 生 前 を 安 ず る た め に 娑 婆 即 寂 光 ・ 即 身 成 仏 を 説 き、 し か る 後 に 没 後 を 扶 け る た め の 霊 山 往 詣 が 示 さ れ て い つ た も ( 12) の と み な す こ と が で き よ う。 つ ま り 現 世 安 穏 と し て の 立 正 安 国 ・ 娑 婆 即 寂 光 と、 後 生 善 処 と し て の 霊 山 浄 土 は、 法 華 経 行 者 の 立 場 に あ つ て は、 全 く 別 の も の と し て 考 え る の で は な く、 娑 婆 即 寂 光 の 延 長 と し て 霊 山 浄 土 が あ り、 し か も そ の 霊 山 は 時 々 刻 々 に 唱 題 受 持 を 通 し て、 実 際 的 に 体 験 で き る 境 界 で も あ る と す る の で あ る。 従 つ て 単 に 教 化 の 手 段 と し て の み 説 か れ た の で は な い が、 阿 仏 房 の 場 合 は 前 述 の 如 く、 教 化 上 の 配 慮 も 又 否 定 で き な い も の が あ つ た と い え よ う。 尚、 聖 人 の 霊 山 往 詣 に 関 し て は、 望 月 歓 厚 博 士 が ﹃ 日 蓮 教 学 の 研 究 ﹄ の 中 ( 13) で、 ﹃ 御 義 口 伝 ﹄ を 引 用 し 詳 細 に 論 究 し て い る。 即 ち ﹁ 霊 鷲 山 と は、 大 曼 茶 羅 に 表 現 さ れ た 浄 土 で あ つ て、 法 華 経 行 者 の 当 処 に 顕 現 す る 悟 界 で あ る と い う 事 実 に な る。 ﹂ と し、 霊 山 往 詣 と 即 身 成 仏 と は 本 質 的 に は 全 同 で あ る が、 ﹁ 機 に 約 し て 霊 山 往 詣 が 勧 進 さ れ る の で あ る。 ﹂ と し て い る。 阿 仏 房 夫 妻 宛 の 御 書 の 中 で は、 図 の 書 の 中 で、 題 目 を 唱 う る 者 を ﹁ 我 身 宝 塔 に し て、 我 身 又 多 宝 如 来 也。 ﹂ と 説 き、 現 世 に お け る 安 心 を 示 し、 更 に (6) の 書 で は 没 後 の 霊 山 浄 土 を 説 い て、 阿 仏 房 の 聖 霊 は 霊 鷲 山 の 多 宝 塔 の 中 で 東 む き に お わ す と 見 て い る の で あ る。 即 ち 図 は 生 前 を 安 じ、 (6) は 没 後 を 扶 け る た め の 書 で あ つ て、 愛 に 又 聖 人 の 説 か れ た 即 身 成 仏 と 霊 山 往 詣 に 関 す る 深 い 意 義 を 汲 み 取 る こ と が で き る で あ ろ う。 1 ﹁ 本 化 別 頭 仏 祖 統 紀 ﹂ 巻 一 二-五 頁。 2 ﹁御 書 砂 ﹂ 巻 一 八 -一 二 頁。 及 び、 巻 二 三-二 三 頁。 3 ﹁ 高 祖 年 譜 ﹂ ( 二 十 六 ) 及 び ﹁ 孜 異 ﹂ ( 中 三 十 三 )。 4 ﹁ 録 外 考 文 ﹂ 巻 二-十 五 頁。 5 ﹁ 本 化 別 頭 高 祖 伝 ﹂ 下 巻-四 三 頁。 6 ﹁ 本 化 聖 典 大 辞 林 ﹂ 一-九 八 頁。 7 ﹁ 昭 和 新 修 日 蓮 聖 人 遺 文 全 集 ﹂ 別 巻 八 九 頁。 8 ﹁ 大 崎 学 報 ﹂ 一 二 九 号 八 二 頁 参 照。 9 ﹁ 日 本 歴 史 大 辞 典 ﹂ 九 -二 九 七 頁。 10 ﹁ 望 月 仏 教 大 辞 典 ﹂ 五 -四 八 七 四 頁。 11 ﹁ 昭 定 遺 文 ﹂ 一 〇 六 四 ・ 一 四 九 四 ・ 一 七 九 四 頁 等。 12 ﹁ 日 蓮 聖 人 に お け る 仏 国 土 思 想 の 展 開 ﹂ ( 上 田 本 昌 ﹃ 日 蓮 教 学 の 諸 問 題 ﹄ ) 二 七 一 頁 参 照。 13 ﹁ 日 蓮 教 学 の 研 究 ﹂ (望 月 篇歓 厚 著 ) 二 四 二 頁。

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