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待遇コミュニケーション教育から見た 日本語能力の育成

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Academic year: 2022

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1.はじめに

本稿は、待遇コミュニケーション教育の観点から、日本語教育において育成すべき日本 語能力とは何かを論じるものである。核となる用語の概念を明らかにすることを通じて、

日本語能力の育成とは何を意味するのかを考えていきたいと思う。

2.待遇コミュニケーションとは

まず、「待遇コミュニケーション」とは何かについて述べておく。

待遇コミュニケーションというのは、簡潔に言えば、コミュニケーション行為を「人間 関係」と「場」の総称である「場面」に重点を置いて捉えるものである。その意味では、

コミュニケーションとは別に待遇コミュニケーションというものがあるわけではない。ま た別の観方をすれば、待遇コミュニケーションとは、表現行為としての「待遇表現」に、

理解行為である「待遇理解」も加え、それらを総合的にコミュニケーション行為として位 置づけようとする捉え方であるとも言える。

待遇コミュニケーションは、敬語、敬語表現、敬意表現、配慮表現、待遇表現、対人コ ミュニケーション、ポライトネスなどの領域すべてに関わるものとして提唱した概念であ る。敬語や丁寧さに関わるコミュニケーションだけを扱うものではなく、待遇表現と同様、

上下親疎にわたるすべてのコミュニケーションを包括するものである。また、待遇コミュ ニケーションは、すべての言語において見出せるものだと思われるが、音声や文字を媒材 とする狭義の言語だけではなく、表情・動作など非言語のコミュニケーション行為も含む ものとして考えている。

日本語能力の育成

蒲谷 宏

1

キーワード

待遇コミュニケーション 「〈言語=行為〉観」 コミュニケーション主体 コミュニケーション行為

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3 .待遇コミュニケーション教育とは

待遇コミュニケーションを以上のように捉えると、待遇コミュニケーションの教育/学 習(以下、総称して「待遇コミュニケーション教育」とする)においては、〈だれが・だ れに・だれのことを(「人間関係」)、いつ・どこで(「場」)、なぜ・どういう気持ちで(「意 識」)、どういう中身を(「内容」)、どういう形で(「形式」)表現し、理解するのか〉、そう したコミュニケーション行為を総合的、動態的なものとして扱っていく必要がある。

待遇コミュニケーション能力とは、コミュニケーション主体である学習者が、「人間関 係」、「場」を認識し、それに基づく「意識」、「内容」、「形式」を適切に連動させながらコ ミュニケーション行為を行う力である。こうした能力を養い、高めていくことが待遇コ ミュニケーション教育の目的であり、課題となる。

ただし、待遇コミュニケーションでは、現にある「人間関係」を受動的に認識するだけ ではなく、主体的に新たな「人間関係」を作り出すこと、状況や雰囲気に配慮するだけで はなく、自らが状況や雰囲気を能動的に変えていくこと、相互に尊重しながらも自分らし さを表現していくことなどに関する意識や能力も必要とされる。コミュニケーション主体 である学習者は、こうした待遇コミュニケーションの行為を主体的に学び、行い、自らの コミュニケーションのスタイルを確立することが求められるのである。

待遇コミュニケーション教育は、より大きな観点から見れば、人と人が社会を作り、社 会の中で人と人が生きていくこと、人が人らしく生きていくためにどうすればよいのかを 考えていくことにつながるものである。待遇コミュニケーション能力を高めるというの は、知識や技術の習得の問題ではなく、コミュニケーション主体の生き方にも通じるもの であって、上手に敬語が使いこなせる、円滑にコミュニケーションができるなどという問 題に矮小化されるべきものではないと考えている。

4 .日本語とは

日本語を教え、学び、日本語の力を高めるなどということを考えるとき、その前提とし て、「日本語」とは何を意味するのかを明らかにしておく必要がある。それは、日本語教 育に携わる者だれもが自らの拠って立つ言語観を明らかにするにつながるものであり、そ のことが、日本語教育における日本語能力の育成とは何か、という課題を考えることにも 大きく関わってくるからである。

筆者は、〈言語とは、コミュニケーション行為である〉と規定し、その言語観を「〈言語

=行為〉観」と名づけている。もちろんすべてのコミュニケーション行為が言語だという わけではないので、より正確に規定すれば、〈言語とは、「言材」(音概念・文字概念と概 念との回路)によるコミュニケーション行為である〉ということになるが、ここでの要点 は、〈言語とはコミュニケーション主体の「行為」そのものだ〉と捉えることにある。言 語をこのように規定すると、「日本語」もコミュニケーション行為だということになる。

この〈日本語=コミュニケーション行為〉という規定は、あまりわかりやすいものだと は言えないだろう。日本語とは、「行為」などではなくコトバ(の体系)である、と考え

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るほうが一般的だからである。「〈言語=行為〉観」においても、「ニホンゴ」「ハ」「コミュ ニケーション」「ダ」といった「コトバ」の存在を否定するものではない。あえて言えば、

〈言語とはこうした「コトバ」を用いて表現し、理解する行為である〉すなわち〈日本語 とはコトバを用いたコミュニケーション行為である〉ということになる。ただし、これら の「コトバ(の体系)」のことを「日本語」とするのではなく、あくまでも〈日本語とは コミュニケーション行為である〉と規定するということなのである。

〈日本語=コミュニケーション行為〉と規定する主眼は、コミュニケーション主体の行 為そのものを「言語」と直結させることにあり、言語と人間との関係を不可分のものとし て捉えることにある。

5 .コミュニケーション行為とは

コミュニケーション行為を考えるとき、最も重要なものは「コミュニケーション主体」

である。当然のことながら、コミュニケーション主体なしにコミュニケーション行為は成 立し得ない。コミュニケーション主体の認識によってコミュニケーション行為のありかた も大きく変わってくる。

こうしたコミュニケーション行為には、コミュニケーション主体が自己との対話を行う こと、自らが書いたものを推敲する行為など、自己内でのコミュニケーション行為も射程 に入れて捉える必要がある。

コミュニケーション行為は話す・聞く・書く・読むという行為によって成立するが、こ れらの行為は個別に行われるだけではなく、相互に関わりを持ちながらコミュニケーショ ンが進められるのだと言えよう。さらにそうしたやりとりをくりかえしながら、知識や情 報を得るだけではなく、自らの考えを広げ、深め、思考力を養い、判断力を磨き、生きる ための知恵を身につけていくわけである。ここでは、コミュニケーション行為というもの をそのように捉えたい。

6 .日本語能力とは

日本語が〈コミュニケーション主体が行う、コトバを用いたコミュニケーション行為〉

だと規定すると、狭義の日本語能力とは、〈コミュニケーション主体が行う、コトバを用 いたコミュニケーション行為の能力〉ということになる。広義の日本語能力は、それ自体 は言語とは言えないが、言語に伴う表情・動作なども含めた総体的なコミュニケーション 行為の能力である。

コミュニケーション行為におけるコトバの重要性は認められる。しかし、コトバの教育 だけでは、コトバを使う人間の行為を離れた知識・情報の教育に偏るおそれがあることは 否めない。日本語教育は、コトバの教育を取り込みつつ、コミュニケーション主体となる 人間が社会の中で人間らしく生きていくための適切なコミュニケーション行為を行うこと につながる教育になるべきだと考えたいのである。

言語というコミュニケーション行為は、単にコトバによる二者間のやりとりを意味する

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ものではない。コミュニケーション主体同士が行う、主体的な表現行為、理解行為であり、

それは極めて心理的、文化的、社会的な行為なのである。日本語がコトバを用いたコミュ ニケーション行為そのものであると規定することによって、日本語教育はコトバ教育を超 えた、真の人間教育となる可能性を持ってくるのだと言えよう。

一方で、日本語教育にそこまでの役目を担わせることはせず、コトバの教育に留めてお くべきだという考え方もあるだろう。しかし、コトバ教育=言語教育という捉え方では、

言語の持つ本質とも言える、言語と人間の関係を見失ってしまうおそれがある。日本語能 力とはコミュニケーション行為を行う能力だと考える真のねらいは、そうした問題を乗り 越えようとするところにある。

7 .日本語能力の育成とは

日本語とはコミュニケーション行為であり、日本語能力とはコミュニケーション行為を 行う能力であり、日本語教育の目的がそうした日本語能力を育成するにあると考えると き、日本語能力の育成はどのようなあり方になるのだろうか。

上にも述べたように、コミュニケーション行為は、コミュニケーション主体一人一人の 生き方の問題にもつながる。したがって、そのコミュニケーション行為について、他者が 安易に判断し、評価することなどできないと言えよう。教師も学習者の生き方にまでは踏 み込めないのである。したがって、本質的には、学習者一人一人のコミュニケーションの あり方を見守り、育てていくという姿勢を持つしかない。コミュニケーション能力を育て、

高めるというのは、知識や技術の問題だけではないからである。

待遇コミュニケーションという観点からは、だれもが自分らしさを発揮できるように、

互いに配慮し合い、他者を尊重すること、だれもが自分らしく生きていけるための様々な 知恵を持ち、その知恵を生かしていくことが、コミュニケーションにおいて重要な意味を 持つ。これは、コミュニケーションにおいて規範を重視すること、正しい言葉遣いやマ ナーの問題だけを考えようとする姿勢とは、根本的に異なるものである。

こうした捉え方は、もちろんすべてのコミュニケーション行為において求められるもの である。日本語教育における日本語能力の育成とは、コトバの教育を含みつつ、しかしコ トバの教育を越えた人と人とのコミュニケーション行為の能力を育成することであり、そ れはすなわち人間教育そのものだと言えるだろう。

しかし、日本語教育において、このような総合的かつ本質的なコミュニケーション行為 を「教える」ことができるものなのか、という疑問が生じるかもしれない。それは、コミュ ニケーション主体としての学習者の主体的なコミュニケーション行為について、他者であ る教師がどこまで関わることができるのかという疑問でもあるだろう。

学習者のコミュニケーション行為に関する能力のある部分については、教師が指導する ことや支援することによって育成することができる。知識や情報、実践的な練習などに よって、コトバを学び、基本的なコミュニケーション能力を育て、高めることは可能だと 考えている。

ただし、教師は、コミュニケーション行為の能力を育成するということの限界を知って

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おく必要がある。教師の役割として、コトバやコミュニケーション行為に関する知識や情 報を与えることは大切だが、それだけではコミュニケーション能力は身に付かない。また、

学習者が社会の中でただ単にコミュニケーション実践を行うだけでも、コミュニケーショ ン行為の能力は高まらないだろう。学習者自身が主体的、自覚的に自らのコミュニケー ション行為を捉えられるようになること、そして目的を持ってコミュニケーション能力を 高めようとする意識を持つこと、コミュニケーション能力を高めることが自らの生き方に つながっていると認識すること、こうした問題意識なしに、言語教育の真の意味は見出せ ないからである。

このように考えてくると、教師の果たすべきより重要な役割は、教師が学習者の日本語 能力を高めるということよりも、〈日本語とはコミュニケーション行為であり、日本語能 力とはコミュニケーション行為を行う能力であり、日本語を学ぶ目的はそうした日本語能 力を身につけ、高めていくことである〉という言語観、言語教育観を明確に示し、それに ついて学習者とともに考え、上に述べた学習者自身の問題意識そのものを養っていくこと にあると言えるのではないだろうか。

8.おわりに

筆者は、日本語教育において育成すべき日本語能力とは、コミュニケーション主体であ る学習者がコミュニケーション行為を行う能力であると考えている。待遇コミュニケー ションの観点から、という前提をつけてはいるが、そもそも待遇コミュニケーションとい う捉え方自体が言語をコミュニケーション行為とする考えに基づいているため、かりにそ の前提を外したとしても、結論は同じことになると思う。

いずれにしても、育成すべき日本語能力とはコミュニケーション行為の能力であるとい うことを明らかにした上で、そのコミュニケーション行為の能力をどのように育成するか を考え、実践していくことが、これからの日本語教育において極めて重要な課題になると 言えるだろう。

1 かばや・ひろし(早稲田大学大学院日本語教育研究科・教授)

参考文献

蒲谷宏(2000)「「〈言語=行為〉観」に基づく日本語教育学の構想」『早稲田大学日本語研究教育セン ター紀要』13、15-26

蒲谷宏(2003)「「待遇コミュニケーション教育」の構想」『講座日本語教育』39 早稲田大学日本語 研究教育センター、1-28

蒲谷宏(2006)「「待遇コミュニケーション」における「場面」「意識」「内容」「形式」の連動について」

『早稲田大学日本語教育研究センター紀要』19、1-12

蒲谷宏(2007)『大人の敬語コミュニケーション』(ちくま新書694)筑摩書房

蒲谷宏(2011)「コミュニケーション教育の意味を考える」『日本語学』30-1 明治書院、4-12 蒲谷宏・川口義一・坂本惠(1998)『敬語表現』大修館書店

蒲谷宏・川口義一・坂本惠・清ルミ・内海美也子(2006)『敬語表現教育の方法』大修館書店

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蒲谷宏・金東奎・高木美嘉(2009)『敬語表現ハンドブック』大修館書店

蒲谷宏・金東奎・吉川香緒子・高木美嘉・宇都宮陽子(2010)『敬語コミュニケーション』朝倉書店 蒲谷宏・高木美嘉(2008)「待遇コミュニケーション学の構築を目指して」『待遇コミュニケーション

研究』5号 待遇コミュニケーション学会、111-126 時枝誠記(1941・1955)『国語学原論 正編・続編』岩波書店

細川英雄・蒲谷宏編(2008)『日本語教師のための「活動型」授業の手引き』スリーエーネットワーク

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