﹃源氏物語﹄における唐楽・催馬楽の演奏場面一〇五 一︑はじめに
﹃源氏物語﹄には︑多くの楽曲の名前が見られる︒特に登場する
唐楽と催馬楽の曲数は豊かであり︑唐楽は十五曲︑催馬楽に至って
は二十二曲にものぼる︒
﹃源氏物語﹄の音楽描写については︑近年︑磯水絵 ︵1︶︑植田恭代 ︵2︶ら
によって︑中古・中世の演奏記録や楽書などと比較検討する試みが
なされ︑山田孝雄 ︵3︶の研究以来の成果をあげている︒また︑唐楽や催 馬楽については︑スティーヴン・G・ネルソン ︵4︶や遠藤徹 ︵5︶らの研究が︑
平安期におけるこれらの楽曲の姿に迫っている︒平安期は︑中国か
らもたらされた雅楽が国風化され︑楽曲の新作や改作が盛んになさ
れた︑日本の雅楽史上大きな転換期に当たり︑当時の雅楽は現行の
ものとは大きく異なっていたと見られる︒
本稿では︑これらの先行研究を踏まえ︑﹁若菜下﹂巻の春秋の優 劣に関するやりとりを起点とし︑平安中期に形成されたと見られる︑楽曲を﹁呂﹂﹁律﹂に二分類するという概念と﹃源氏物語﹄におけ
る唐楽・催馬楽の演奏場面との関わりについて論じる︒
第二節では︑﹁若菜下﹂巻に見える﹁げに律をば次のものにした
るは︑さもありかし﹂︵若菜下 ④一九五︶という光源氏の言に注
目し︑雅楽の旋法である﹁呂﹂﹁律﹂を︑それぞれ春秋に結びつけ
る捉え方の成立について考察する︒
第三節では︑調子や楽曲を﹁呂﹂﹁律﹂に分類するという意識が︑
﹃源氏物語﹄成立頃の平安中期に成熟した可能性について検討する︒
また︑この時代は︑﹁呂﹂﹁律﹂が一対で御遊の中心となり︑両者の
対照性にそれぞれの音楽の面白さが見出されていった時代だと捉え
られる︒そこで︑第四節︑第五節では︑こうした﹁呂﹂﹁律﹂への
意識が︑﹃源氏物語﹄全体の音楽表現にどのように表れているのか
について考察を加えることにする︒
﹃源氏物語﹄における唐楽・催馬楽の演奏場面
││
﹁呂﹂﹁律﹂の分類との関わり
││
山 﨑 薫
一〇六
二︑﹁春の調べ﹂と﹁秋の調べ﹂
﹃源氏物語﹄﹁若菜下﹂巻の女楽には︑光源氏と夕霧が︑音楽に関
連し︑春秋の優劣について語る場面がある︒春秋のうち︑音楽に適
しているのは春の方だとする夕霧に対し︑光源氏は次のように発言
する︒
﹁いな︑この定めよ︒いにしへより人の分きかねたることを︑
末の世に下れる人のえ明らめはつまじくこそ︒物の調べ︑曲の
ものどもはしも︑げに律をば次のものにしたるは︑さもありか
し﹂と申し給へば︑⁝⁝ ︵若菜下 ④一九五︶
﹁物の調べ﹂という語は﹃源氏物語﹄に他に三例あり︑いずれも
雅楽の調子のこととして解釈される︒また︑﹁曲 ごくのもの﹂という語は︑
﹁竹河﹂巻や﹃紫式部日記﹄の用例を見るに︑催馬楽などの﹁歌﹂
とは区別される唐楽などの楽曲を指していると解釈できよう︒
いまめかしう爪音よくて︑歌︑曲の物など上手にいとよく弾き
たまふ︒ ︵竹河 ⑤九九︶
双調の声にて︑安名尊︑つぎに席田︑此殿などうたふ︒曲の物
は鳥の破︑急を遊ぶ︒ ︵﹃紫式部日記﹄二二一︶
問題となるのは︑次の﹁げに律をば次のものにしたるは︑さもあ
りかし﹂という部分である︒日本の雅楽の旋法には﹁呂﹂﹁律﹂の
二分類があり︑光源氏の発言は﹁呂﹂に対して︑﹁律﹂を第二流の ものとする捉え方によるものであると従来解釈されて来た︒正楽に多く用いられる旋法である﹁呂﹂に対し︑﹁律﹂は俗楽に多く用い
られる旋法である︒平安期の御遊における唐楽や催馬楽の楽曲の演
奏状況を知る手掛かりとして︑綾小路家の源有俊︵一四一九│︶が
編纂した﹃御遊抄﹄があるが︑﹁律﹂に分類される曲名が確認され
るのは︑寛治三年︵一〇八九︶一月十一日の朝覲行幸記事が初めて
である︒それ以前の記事には︑﹁呂﹂に分類される曲のみしか見え
ないことから︑平安期においても︑﹁呂﹂に分類される楽曲が︑特に ︵6︶
公的な行事の御遊で重要視され︑順序としても先に演奏されていた
ことが多かったと考えられる︒なお︑寛治三年以降の記事になると︑
いずれの行事においても︑概ね唐楽・催馬楽ともに﹁呂﹂﹁律﹂双
方の曲を複数演奏する形式になっていることが分かる︒
ところで︑﹃源氏物語﹄の当該場面では︑この﹁呂﹂﹁律﹂の問題
が︑春秋の優劣と関わって来る︒古く︑﹃花鳥余情﹄が﹁呂は春の
しらへ律は秋のしらへといふ歟 ︵7︶﹂と指摘しており︑現行の注釈の多
くがこの﹃花鳥余情﹄の説を引く︒この︑﹁呂﹂を﹁春の調べ﹂︑﹁律﹂
を﹁秋の調べ﹂とする概念は︑いつ頃どのように成立したものなの
だろうか︒
﹃源氏物語﹄及び︑﹃源氏物語﹄以前の作り物語と歌集の中で︑﹁春
の調べ﹂︑﹁秋の調べ﹂の語の用例について調査したところ︑作り物
語では︑﹃うつほ物語﹄に﹁秋の調べ﹂が二例︑﹃源氏物語﹄に﹁春
の調べ﹂が一例見られた︒
﹃源氏物語﹄における唐楽・催馬楽の演奏場面一〇七 北の方︑﹁秋の調べは弾く者こそあなれ﹂とて︑
︵﹃うつほ物語﹄ 内侍のかみ 四二五︶
まづ︑習ひ初めのりうかく風を︑秋の調べに弾き鳴らし給ふ︒
︵﹃うつほ物語﹄ 楼の上・下 九二九︶
物の師ども︑ことにすぐれたるかぎり双調吹きて︑上に待ちと
る御琴どもの調べ︑いとはなやかに掻きたてて︑安名尊遊びた
まふほど︑生けるかひありと︑何のあやめも知らぬ賤の男も︑
御門わたり暇なき馬︑車の立処にまじりて︑笑みさかえ聞きけ
り︒空の色︑春の調べ︑響きはいとことにまさりけるけぢめを︑
⁝⁝ ︵胡蝶 ③一六八〜一六九︶
﹃うつほ物語﹄の二例からは︑﹁秋の調べ﹂が﹁律﹂のことを指し
ているのかどうかは判然としない︒一方︑﹃源氏物語﹄﹁胡蝶﹂巻の
舟楽の場面では︑雅楽の調子の一つである双調︑あるいは催馬楽﹁安
名尊﹂が﹁春の調べ﹂とされていると解される︒これらは共に︑﹁呂﹂
に分類される調子・楽曲である︒
また︑歌集においては︑﹁春の調べ﹂は﹃古今集﹄︑﹁秋の調べ﹂
は﹃躬恒集﹄の用例が古く︑それ以降も数例見られる︒このうち︑﹃伊
勢集﹄と﹃大斎院前の御集﹄の﹁春の調べ﹂﹁秋の︵に︶調べ﹂の
例は︑琴の調律に関して用いられており︑﹃花鳥余情﹄の説を裏付
けるものであると考えられる
こ中務宮ことをかりたまひて御かへしたまふとて
あづまごとはるのしらべをかりしかばかへし物ともおもはざり けり ︵﹃伊勢集﹄・三五〇︶
御︑ことを秋にしらべさせ給へば︑宰相君
あづさゆみはるにいり立つころなるをいかにしらぶることにか
あるらむ 進
あづさゆみひくねはことにたがはねどときにあはずときくぞく
るしき ︵﹃大斎院前の御集﹄・六︑七︶
﹃伊勢集﹄三五〇番歌中の﹁かへし物﹂は︑﹁呂﹂を﹁律﹂に︵あ
るいは﹁律﹂を﹁呂﹂に︶旋法を変化させることと︑借りた琴を返
却することの掛詞になっており︑﹁春の調べ﹂とあるのは旋法を指
していると解釈出来る︒﹃大斎院前の御集﹄の贈答歌も︑もう春に
なるというのに︑琴を﹁秋の調べ﹂︵恐らく﹁律﹂︶で調律している
ので︑それが時節に合わないのではないか︑というやりとりになっ
ている︒これらの例から︑一〇世紀半ば頃には︑雅楽の二旋法を︑
﹁春の調べ﹂﹁秋の調べ﹂と呼び︑それぞれの季節に演奏するのが相
応しいとする概念が形成されていたと見られる︒
さらに︑季節と音楽とを結びつける発想としては︑源為憲の﹃口
遊﹄︵九七〇︶に︑四季を日本の雅楽の十二律中の﹁五音﹂に当て
はめる思想が見える︒
春雙調︒東大 ︵木︶音︒夏黄鐘調︒秋平調︒西︒金音︒冬盤渉調︒北︒
水音︒中央越調︒土音︒亦謂之五音 ︵8︶︒
こうした分類は︑後に述べるように︑陰陽五行思想に拠ったもの
一〇八
と考えられる︒源高明︵九一四︱九八二︶の﹃西宮記﹄には次のよ
うな記述がある︒
夫於w律遊q平調︑於w呂遊q者用w雙調q︒
至 w于他調q︑
随 p時用p之︒
但︑律呂遊以p歌爲p本︒楽曲相交及 反聲 ︵9︶︒
ここでは︑御遊において︑﹁律﹂は雅楽の一調子﹁平調﹂を主とし︑
﹁呂﹂は﹁双調﹂を主とすることが示されている︒先述の﹃口遊﹄
の分類では︑﹁双調﹂が春︑﹁平調﹂が秋に配されており︑日本の雅
楽の二旋法を春秋に分類するという概念にも︑陰陽五行思想が深く
関わっていると見られる︒
時代がやや下るが︑平安時代後期の楽人︑大神基政が著わした楽
書﹃龍鳴抄﹄︵一一三三︶では︑日本の雅楽の﹁六調子﹂が全て﹁呂﹂
﹁律﹂に二分類され︑さらにそれぞれの調子に属する唐楽曲も﹁呂﹂
﹁律﹂に分類されて列挙されている︒﹃龍鳴抄﹄は︑﹁六調子﹂のうち︑
﹁壱越調﹂﹁双調﹂﹁太食調﹂を﹁呂﹂に︑﹁平調﹂﹁盤渉調﹂﹁黄鐘調﹂
を﹁律﹂に分類した上で︑次のように記す︒
呂といふ聲はおとこのこゑなり︒律のこゑといふは女のこゑな
り︒陰陽又これをなじ︒文武といふも︑天地といひ︑おもてう
らといふ︑上下といふ︑みなこれ也
︶10
︵︒
陰陽五行思想は︑遅くとも六世紀には日本に受容され
︶11
︵︑陰陽道の
形成とともに社会や生活に深く浸透した︒中国の雅楽の五声や十二
律の音高に︑陰陽五行思想に準じた意味があり︑それぞれが五方や
五季などに対応していることは︑天平七年︵七五三︶︑吉備真備に よって伝来したとされる
︶12
︵古代中国の楽書﹃楽書要録
︶13
︵﹄にも明らかで
ある︒日本の雅楽が︑平安期に国風化され︑独自の発展を遂げなが
らも
︶14
︵︑強く陰陽五行思想と結びつけられていったのは︑こうした中
国の音楽理論に倣っているためであると考えられる︒
ここで︑もう一度﹁若菜下﹂巻のやりとりに立ち返ってみると︑
夕霧の言に︑﹁女は春をあはれぶと古き人の言ひおきはべる﹂とある︒
﹁⁝⁝女は春をあはれぶと古き人の言ひおきはべる︑げにさな
むはべりける︒なつかしくもののととのほることは︑春の夕暮
れこそことにはべりけれ﹂と申したまへば︑⁝⁝
︵若菜下 ④一九五︶
この箇所は︑﹃奥入﹄以来︑﹃詩経﹄の﹁七月﹂との関連が指摘さ
れている︒
七月流火 九月授衣 ︽七月流火 九月衣を授く︾
春日戴陽 有鳴倉庚 ︽春日戴て陽に 鳴く倉庚有り︾
女執懿筐 遵彼微行 ︽女は懿筐を執り 彼の微行に遵って︾
爰求柔柔 ︽爰に柔柔を求む︾
春日遅遅 采蘩祁祁 ︽春日遅遅たり 蘩を采ること祁祁たり︾ 女心傷悲 殆及公子同歸 ︽ 女心傷悲す
殆て公子と同く歸 がん︾ ︵﹁七月﹂第二章︶
﹃詩経﹄には︑既に陰陽五行思想に基づく習俗が反映されている
という指摘もある
︶15
︵︒少なくとも︑﹁七月﹂の﹁女心傷悲す﹂関して︑
毛氏は﹁春女悲しみ︑秋士悲しむは︑其の物化に感するなり﹂︑鄭
﹃源氏物語﹄における唐楽・催馬楽の演奏場面一〇九 玄は﹁春女陽気に感じて男を思ひ︑秋士は陰気に感じて女を思ふ︒是其の物化の悲しむ所以也﹂と注をつけており
︶16
︵︑後漢の時代には陰
陽思想からこの詩が解されていたことが明白である︒
﹁若菜下﹂巻の﹁女は春をあはれぶ﹂については︑﹁春の女君﹂で
ある紫上など︑六条院の女君の物語と関連付けて論じられてきた
︶17
︵︒
その解釈を否定するものではないが︑日本の雅楽の楽理に陰陽五行
思想が深く関わっていることを考慮すれば︑当該場面における夕霧
の﹁女は春をあはれぶ﹂という言は︑﹁男/女﹂︑﹁春/秋﹂︑﹁呂/律﹂
という陰陽の二分類を想起させ︑﹁春の調べ﹂︵呂︶の﹁秋の調べ﹂
︵律︶に対する優位を導き︑続く光源氏の発言﹁調べ︑曲のものど
もはしも︑げに律をば次のものにしたる﹂に繋がるものと考えられ
るのではないだろうか︒
三︑﹃源氏物語﹄における﹁呂﹂﹁律﹂への意識
先に引用した﹃西宮記﹄には︑﹁但︑律呂遊以p 歌爲p 本︒楽曲相 交
及 反
聲﹂とあった︒ここから︑御遊における﹁呂﹂﹁律﹂の分類が︑
主に催馬楽などの﹁歌﹂の演奏に適用されていたことが分かる︒同
じく︑先に引用した﹃口遊﹄においても︑催馬楽に関しては﹁律﹂
﹁呂﹂に分けて曲名が列挙されているが︑調子や唐楽などの﹁曲の
もの﹂に対しては︑一切︑﹁呂﹂﹁律﹂の語は用いられていない︒な
お︑催馬楽の曲の﹁呂﹂﹁律﹂の選定は︑源雅信︵九二〇︱九九三︶ によって行われたとされる
︶18
︵︒現存する中世の催馬楽の譜では︑﹁呂﹂
の歌は全て﹁双調﹂︑﹁律﹂の歌は全て﹁平調﹂に整理されている︒
﹁歌﹂ではない﹁曲のもの﹂に﹁呂﹂﹁律﹂の分類があることを示
している記述は︑管見の限り︑この﹃源氏物語﹄﹁若菜下﹂巻のや
りとりが最も古い例である︒次いで︑藤原宗忠︵一〇六二︱一一四
一︶の﹃中右記﹄の御遊の記録部分において︑催馬楽の曲名ととも
に唐楽の﹁壱越調﹂の﹁鳥﹂や﹁賀殿﹂︑﹁平調﹂の﹁万歳楽﹂や﹁五
常楽﹂がそれぞれ﹁呂﹂﹁律﹂に分類されている︒そして︑﹃龍鳴抄﹄
のような中世の楽書になると︑調子や唐楽の曲目までも︑﹁呂﹂﹁律﹂
に二分類しようとする姿勢が表れるのである︒
山田孝雄は︑﹃源氏物語﹄の音楽描写が︑延喜・天暦期︵九〇一
│九五七︶のものを想定していると指摘した
︶19
︵︒﹁若菜下﹂巻の音楽
の春秋の優劣に関するやりとりにおける光源氏の﹁律﹂への言及は︑
中世の楽書に見られるような︑﹁六調子﹂全てを陰陽五行思想に従っ
て﹁呂﹂﹁律﹂の二分類に当てはめようとする理論に拠っている可
能性が高いと思われる︒﹃源氏物語﹄以前の資料が乏しいため︑確
証はなかなか見出し難いものの︑このような理論が成熟したのは︑
延喜・天暦期よりも下る時期だと推測される︒﹁若菜下﹂巻に見え
る光源氏の﹁律﹂への言及は︑延喜・天暦期のものではなく︑﹃源
氏物語﹄成立時の音楽観を反映していると考えられるのではないか︒
では︑﹁若菜下﹂巻に見られるような﹁呂﹂﹁律﹂の分類への意識
は︑﹃源氏物語﹄の音楽の描写にどの程度反映されているのだろうか︒
一一〇
先行研究として︑﹃源氏物語﹄中の﹁呂﹂﹁律﹂の語と調子名の用例
︵全十八例︶について調査した小林久子の論がある
︶20
︵︒小林は︑﹁呂﹂
あるいは﹁呂﹂に分類される調子が春に︑﹁律﹂あるいは﹁律﹂に
分類される調子が秋を中心に春以外の季節に用いられていることか
ら︑﹃源氏物語﹄の作者が﹁春には社交的︑公的な場面で格調ある
正楽の音楽を多く用い︑秋には︑哀感ただよう律旋法の音楽を私的
な場面で人々の心情と密着したものとして描いている﹂と指摘した︒
また︑﹁律﹂が﹁今めかし﹂﹁なつかし﹂﹁けぢかし﹂などと形容され︑
﹁呂﹂に比べて描写が豊かであることに注目し︑そこに﹃源氏物語﹄
の時代の﹁日本音楽が律旋に風靡されていく過渡的な様相﹂が反映
されているとしている︒﹁若菜下﹂巻のやりとりにも触れ︑﹃源氏物
語﹄作者は﹁中国音階の基礎である呂旋を理論の上では上位に置き
ながらも︑実際には︑日本的音階の律旋に心がひかれていた﹂と結
論づける︒
﹃源氏物語﹄が平安中期の日本の雅楽の状況を反映しているとい
う小林の指摘は示唆に富んでおり︑﹁呂﹂を﹁春の調べ﹂︑﹁律﹂を﹁秋
の調べ﹂とする概念が﹁若菜下﹂巻以外にも及んで音楽表現に利用
されていることが分かる︒しかし︑現行の日本の雅楽の﹁呂﹂﹁律﹂
の理論に基づいて﹁律﹂を﹁日本的音階﹂と捉え
︶21
︵︑﹃源氏物語﹄の
時代に﹁日本音楽が律旋に風靡されていく﹂としている点や︑わず
かな用例から︑作者が﹁呂﹂よりも﹁律﹂に﹁心がひかれていた﹂
と読み取っている点には問題があると思われる︒ 近年︑遠藤徹によって︑﹁律﹂が現行の形になったのは中世以降
であり︑平安期においては︑﹁律﹂は中国由来の﹁羽調﹂を原調と
して保っていたことが明らかにされている
︶22
︵︒遠藤は︑平安中期にお
いて︑中国由来の音程体系に変化をきたしたのはむしろ﹁呂﹂の方
であったとし︑その理由の一つとして︑御遊における﹁呂﹂﹁律﹂
の対照性の創出を挙げている
︶23
︵︒この研究成果を援用すれば︑平安中
期は︑﹁日本音楽が律旋に風靡されていく﹂というよりは︑御遊の
中心として﹁呂﹂﹁律﹂が一対で重要視され︑﹁呂﹂の音程系列の変
化も伴って︑両者に分類される調子や曲の対照性がより明確に意識
されるようになった時代だと捉えるべきであろう︒
﹃源氏物語﹄の時代には︑御遊で演奏される唐楽や催馬楽などの
楽曲が︑﹁呂﹂﹁律﹂に分類︑整理されていたと考えられる︒しかし︑
先述の小林論においては︑楽曲にも﹁呂﹂﹁律﹂の分類が意識され
ていることや︑その点が演奏場面の時節や描写とどのように関わっ
ているのかということについては︑検討されていない︒﹁若菜下﹂
巻の音楽の春秋の優劣に関するやりとりに留意して﹃源氏物語﹄の
音楽表現を考える上で︑﹁呂﹂﹁律﹂という語や調子名の用例だけで
はなく︑こうした楽曲の演奏についても﹁呂﹂﹁律﹂の分類との関
わりから考察する必要があると考える︒
﹃源氏物語﹄における唐楽・催馬楽の演奏場面一一一 四︑﹃源氏物語﹄における唐楽の演奏
﹃源氏物語﹄における唐楽の演奏場面は︑全部で二十五例ある
︶24
︵︒
それぞれの場面の季節を調べると︑春七例︑夏一例︑秋二例︑冬十
五例と︑冬の演奏が最も多いことになるが︑紅葉の盛りの頃の﹁紅
葉賀﹂巻や﹁藤裏葉﹂巻の御幸︵試楽︶︑﹁若菜上﹂巻の祝宴︑﹁若
菜下﹂巻の住吉参詣︑﹁総角﹂巻の御遊は︑暦月的季節区分に拠れ
ば初冬に当たるものの︑物語の中では秋の場面として描かれている
のではないかと思われる
︶25
︵︒これを考慮すると︑春七例︑夏一例︑秋
九例︑冬八例となる︒加えて︑冬の八例のうち六例もの楽曲の演奏
が集中している﹁若菜下﹂巻の朱雀院五十賀︵試楽︶は︑二回の延
期を経た末に晩冬一二月に催されたのであり︑本来ならば二月︵春︶
か︑秋の内に催される予定であったことも留意すべきだろう︒以上
のことから︑﹃源氏物語﹄における唐楽の演奏場面は︑春秋の二季
に偏っていると見て良いと考えられる︒
演奏されている楽曲の内︑﹁呂﹂に分類される調子の曲は︑述べ
﹁双調﹂一例︑﹁壱越調﹂五例︑﹁太食調﹂五例の十一例見え︑﹁律﹂
に分類される調子の曲は︑述べ﹁平調﹂七例︑﹁盤渉調﹂四例︑﹁黄
鐘調﹂三例の十四例見える︒ただし︑﹁太食調﹂については︑先に
も挙げた﹃龍鳴抄﹄において﹁呂﹂に分類されているものの︑﹁あ
る管絃者これをうたがふ︒平調の聲にてあるに︑かけたることやは ある︒なにの故に大じきてうをわけたるぞといふ﹂とも記述されており︑﹁太食調﹂と﹁平調﹂は原調を別としながらも主音が一致す
るため︑分類に混乱が生じていたことが伺える︒そのためか︑﹃龍
鳴抄﹄は﹁太食調曲﹂を挙げる箇所のみ﹁呂﹂という分類を示さな
い︒また︑遠藤徹も︑﹁六調子﹂の中で﹁太食調﹂だけが︑平安末
期に到るまで中国由来の音程体系を保っていることを指摘し︑﹁壱
越調﹂や﹁双調﹂とは︑御遊での用いられ方に違いがあったのでは
ないかと示唆している
︶26
︵︒﹃御遊抄﹄を見ると︑﹁呂﹂として挙げられ
ている唐楽は︑﹁賀殿﹂などの﹁壱越調﹂の曲に限られていること
が分かる︒さらに︑﹁呂﹂﹁律﹂に分けて曲目を記す﹃中右記﹄にお
いても︑﹁壱越調﹂に加えて﹁双調﹂の唐楽曲を﹁呂﹂として挙げ
てい
る例
はあ
った
が
︶27
︵︑﹁太食調﹂の曲を挙げている記事は見られない︒
以上のことから︑平安中期の御遊においては︑﹁太食調﹂及び﹁太
食調﹂の唐楽曲が︑御遊の場で﹁呂﹂としては意識されていなかっ
た︑あるいは分類が混乱していた可能性が高いと考える︒
そこで︑さらに﹁太食調﹂の五例を除くと︑春七例︑秋八例︑冬
五例の全部で二十例となる︒これらの演奏場面と季節とを対照する
と︑春には﹁呂﹂の楽曲が︑秋には﹁律﹂の楽曲が用いられている
ことが分かる
︶28
︵︒例外となるのは︑﹁胡蝶﹂巻の二例のみである︒
﹁胡蝶﹂巻の六条院における舟楽では︑春の場面なのにもかかわ
らず﹁律﹂に分類される﹁平調﹂の﹁皇䍎﹂︑﹁盤渉調﹂の﹁喜春楽﹂
の二曲の名が見える︒
一一二
暮れかかるほどに︑皇䍎といふ楽いとおもしろく聞こゆるに︑
心にもあらず︑釣殿にさし寄せられておりぬ︒
︵胡蝶 ③一六八︶
返り声に喜春楽立ちそひて︑兵部卿宮︑青柳折り返しおもしろ
くうたひたまふ︒ ︵胡蝶 ③一六九︶
この場面において留意されるのは︑﹁皇䍎﹂は昼の御遊の︑﹁喜春
楽﹂は夜の御遊の︑それぞれ終盤に用いられている点である︒第二
節でも述べたように︑平安中期の御遊において﹁呂﹂に分類される
曲は﹁律﹂に先んじて演奏されることが一般的であったようだ︒御
遊終盤の﹁皇䍎﹂の音は︑御遊の﹁暮れ方﹂の描写に調和している
と言えるのではないだろうか︒釣殿から聞こえて来る﹁律﹂の楽の
音は︑日中の御遊の終了を象徴し︑それを耳にして︑舟から降りる
女房たちの描写に繋がっていくと考えられる︒﹁喜春楽﹂の場合は︑
その曲名が春に相応しいということもあるが
︑第二節で引用した
﹁胡蝶﹂巻の本文から明らかなように︑直前に﹁呂﹂の催馬楽﹁安
名尊﹂の演奏があったことが記されている︒場面の春という季節と
の音楽的な調和は︑この﹁安名尊﹂の音が果たしていると言え︑﹁喜
春楽﹂の﹁律﹂の音は︑やはり御遊の最終盤を象徴するものと捉え
られる︒
次に︑唐楽の音の描写について注目してみたい︒先に見た﹁胡蝶﹂
巻の二例のように︑その楽の音について特に描写がある場面として︑
﹁紅葉賀﹂巻の﹁青海波﹂︵盤渉調・律︶︑﹁胡蝶﹂巻の﹁鳥﹂︵壱越調・ 呂︶︑﹁夕霧﹂巻の﹁想夫恋﹂︵平調・律︶︑﹁御法﹂巻の﹁陵王﹂︵壱
越調・呂︶の演奏場面が挙げられる︒
源氏の中将は︑青海波をぞ舞ひたまひける︒片手には大殿の頭
中将︑容貌用意人にはことなるを︑立ち並びては︑なほ花のか
たはらの深山木なり︒入り片の日影さやかにさしたるに︑楽の
音まさり︑もののおもしろきほどに︑⁝⁝
︵紅葉賀 ①三一一︶
鶯のうららかなる音に
︑鳥の楽はなやかに聞きわたされて
︑
⁝⁝ ︵胡蝶 ③一七二︶
琵琶を取り寄せて︑いとなつかしき音に想夫恋を弾きたまふ︒
︵夕霧 ④三五五︶
陵王の舞ひて急になるほどの末つ方の楽︑はなやかににぎはは
しく聞こゆるに︑皆人の脱ぎかけたる物のいろいろなども︑も
ののをりからにをかしうのみ見ゆ︒
︵御法 ④四九七〜四九八︶
これらの場面において︑﹁呂﹂に分類される楽の音は︑﹁はなやか﹂
と形容されている︒これに対して︑﹁律﹂の楽の音は﹁おもしろし﹂
﹁なつかし﹂と形容されることはあっても︑﹁はなやか﹂は用いられ
ず︑楽の音の描写にも︑﹁呂﹂﹁律﹂の区別が表れていると考えられ
る︒また︑こうした描写の方法からは︑前節に述べた小林論が指摘
したような︑﹁呂﹂と比べて﹁律﹂にのみ描写が詳細であるという
特徴は見られない︒
﹃源氏物語﹄における唐楽・催馬楽の演奏場面一一三 このように︑﹃源氏物語﹄における唐楽の演奏場面の多くには︑
楽曲の音楽的側面︑﹁呂﹂﹁律﹂の分類なども意識されており︑場面
の折に相応しい楽曲が選択されていると言える︒
五︑﹃源氏物語﹄における催馬楽の演奏
﹃源氏物語﹄における催馬楽の引用のうち︑音楽的要素が重視さ
れていると考えられる︑楽器を伴って演奏されている場面は︑全部
で二十九例ある︒これらの演奏場面の季節は︑春二十例︑夏四例︑
秋四例︑冬一例で︑春の演奏が圧倒的に多くを占めている︒﹁呂﹂
に分類される曲は述べ十九例︑﹁律﹂に分類される曲は述べ十例見
える︒季節と対照すると︑やはり春の場面には﹁呂﹂の曲︑秋の場
面には﹁律﹂の曲名が見え
︶29
︵︑唐楽の演奏場面と同様の傾向を示す︒
例外となるのは︑﹁花宴﹂巻の﹁貫河﹂︵律︶︑﹁胡蝶﹂巻︑﹁若菜上﹂
巻の﹁青柳﹂︵律︶の三例である︒
まず︑﹁花宴﹂巻では︑春の場面でありながら︑光源氏が自らの
筝の演奏に合わせて﹁律﹂に分類される催馬楽﹁貫河﹂を歌ってい
る︒
大殿には︑例の︑ふとも対面したまはず︒つれづれとよろづ思
しめぐらされて︑箏の御琴まさぐりて︑﹁やはらかに寝る夜は
なくて﹂とうたひたまふ︒ ︵花宴 ①三六一︶
従来指摘されている通り︑この場面において﹁貫河﹂の詞章は︑ 葵上との不仲を嘆く光源氏の心情と一致するように引用されている︒重視されているのは詞章であり︑一見︑音楽的な要素は無視されているようにも思われる︒しかし︑ここで︑当該場面と良く似た︑光源氏が女君との関係についての嘆きを﹁歌﹂に託すという︑﹁若紫﹂
巻と﹁真木柱﹂巻の二場面に注目してみたい︒﹁若紫﹂巻では︑同
様に葵上との不仲を嘆く光源氏が風俗歌﹁常陸﹂を歌唱し︑﹁真木
柱﹂巻では︑光源氏が玉鬘を偲んで風俗歌﹁鴛鴦﹂を歌唱する︒
あづまをすが掻きて︑﹁常陸には田をこそつくれ﹂といふ歌を︑
声はいとなまめきて︑すさびゐ給へり︒
︵若紫 ①二五一〜二五二︶
あづまの調べをすが掻きて︑﹁玉藻はな刈りそ﹂とうたひすさ
びたまふも︑⁝⁝ ︵真木柱 ③三九三︶
風俗歌は︑催馬楽と同様︑平安期の宮廷貴族に親しまれた歌謡で
ある︒これら風俗歌の譜は現存しないが︑豊原統秋の﹃體源抄﹄︵一
五一二︶には﹁風俗事 風俗ハ律ノ物也
︶30
︵﹂とあり︑﹁律﹂の旋律で
演奏されたものと推定出来る︒﹁若紫﹂巻は秋の場面︑﹁真木柱﹂巻
は春の場面であるが︑﹁花宴﹂巻も含めたこれらの場面においては︑
﹁秋のしらべ﹂の﹁律﹂が︑光源氏の憂愁に重なるものとして選択
され︑場面に用いられているのではないか︒
次に︑第二節に引用し︑前節でも取りあげた﹁胡蝶﹂巻の夜の御
遊と︑﹁若菜上﹂巻の光源氏四十賀では︑春の場面でありながら︑
双方とも﹁律﹂の﹁青柳﹂が演奏されている︒
一一四
夜の更けゆくままに︑物の調べどもなつかしくかはりて︑青柳
遊びたまふほど︑げにねぐらの鶯おどろきぬべく︑いみじくお
もしろし︒ ︵若菜上 ④六〇︶
﹁青柳﹂の曲名・詞章は︑春の風物を表しており︑場面の季節と
の調和という点では︑楽曲の音楽面よりも︑詞章の内容が重視され
て用いられているようである︒ただし︑いずれの場面においても︑
﹁かへり声﹂
︑﹁物の調べどもなつかしくかはりて﹂と
︑﹁呂﹂から
﹁律﹂へと旋法が移ったことが示されている︒直前に﹁呂﹂の﹁安
名尊﹂の名が挙げられている﹁胡蝶﹂巻はもちろん︑これによって︑
﹁若菜上﹂巻の場面においても
︑﹁青柳﹂の演奏の前に
︑ 何らかの
﹁呂﹂の楽曲の演奏があったことが明らかにされている点は注目さ
れる︒﹃源氏物語﹄において︑﹁かへり声﹂という語は︑﹁若菜下﹂
巻の女楽にも見られるが︑﹁若菜上﹂巻の例と同様に﹁なつかし﹂
という形容がなされている︒
かへり声に︑みな調べ変りて︑律の掻き合はせども︑なつかし
くいまめきたるに︑⁝⁝ ︵若菜下 ④二〇一︶
前章でも触れたように︑これらの春の御遊の場面における﹁律﹂
の楽の音は︑場面の季節ではなく︑御遊終盤のくだけた雰囲気を象
徴する意味を持たされていると考えられる︒
一方で︑催馬楽においては︑歌唱する人物の声の様子に重点が置
かれて描写されていることが多く︑﹁なつかし﹂は︑歌声に対しては︑
﹁呂﹂﹁律﹂の楽曲の区別なく用いられている︒例えば︑﹁初音﹂巻 の踏歌で歌唱される﹁竹河﹂︵呂︶は︑次のように描写される︒
竹河うたひてかよれる姿︑なつかしき声々の︑絵にも描きとど
めがたらんこそ口惜しけれ︒ ︵初音 ③一五九︶
しかしながら︑唐楽の演奏場面で﹁呂﹂の楽の音の描写にのみ見
られた﹁はなやか﹂は︑催馬楽の演奏場面においても︑やはり﹁呂﹂
の楽曲特有の形容として用いられている︒次に挙げるのは︑それぞ
れ﹁此殿﹂︵呂︶︑﹁葛城﹂︵呂︶の演奏場面である︒
物の調べどもおもしろく︑﹁この殿﹂うち出でたる拍子はなや
かなり︒ ︵初音 ③一五二︶
葛城遊びたまふ︑はなやかにおもしろし︒
︵若菜下 ④二〇〇︶
以上のように︑催馬楽の演奏の場合︑その詞章や歌唱という行為
が深く関わってくるため︑勿論それを無視して論じることは出来な
い︒しかし︑やはり唐楽と同様に︑楽曲の﹁呂﹂﹁律﹂の別︑それ
ぞれの旋律の特徴なども︑意識的に場面に生かされていると考えら
れるのではないか︒
六︑結び
本稿では︑﹁若菜下﹂巻の光源氏と夕霧の音楽に関するやりとり
を起点として︑﹃源氏物語﹄における唐楽と催馬楽の演奏場面を︑
雅楽の二旋法である﹁呂﹂﹁律﹂の観点から考察した︒ここで︑改
﹃源氏物語﹄における唐楽・催馬楽の演奏場面一一五 めて以下に私見を示す︒・﹃源氏物語﹄﹁若菜下﹂巻における︑光源氏の﹁律﹂を第二流のも
のとする言及は︑雅楽の﹁呂﹂﹁律﹂二旋法を春秋に結びつける
概念が反映されたものである︒この概念は︑陰陽五行思想の影響
の下︑一〇世紀半ば頃には成立していたと見られる︒
・光源氏の﹁律﹂への言及の直前にある︑夕霧の﹁女は春をあはれ
ぶと古き人の言ひおきはべる﹂という発言は︑﹁男/女﹂︑﹁春/秋﹂︑
﹁呂/律﹂という陰陽の二分類と︑その優劣を想起させるものと
して捉えうる︒光源氏の言及は︑夕霧のこの発言を受けて導かれ
たと考えられるのではないか︒・﹁若菜下﹂巻の光源氏の言及は︑管見の限り︑﹁曲のもの﹂に﹁呂﹂
﹁律﹂の分類があることを示している最も古い例であり︑調子や
唐楽曲を﹁呂﹂﹁律﹂の二分類に当てはめる中世の楽書の記述に
近いものがある︒﹃口遊﹄には︑催馬楽以外に﹁呂﹂﹁律﹂の分類
が示されていないことから︑﹁曲のもの﹂に対する﹁呂﹂﹁律﹂の
分類意識の確立が﹃口遊﹄成立以降と仮定すれば︑﹁若菜下﹂巻
の記述が︑作品成立時期の音楽観に基づいたものである可能性を
指摘できる︒・﹁若菜下﹂巻に見られる﹁呂﹂﹁律﹂の分類意識は︑﹃源氏物語﹄
全体の唐楽と催馬楽の演奏場面の描写にも及んでいる︒作者は御
遊の描写において︑特にその場面の折に相応しい楽曲を選択し︑ 物語本文に明示したのだと考えられるが︑その選択基準の一つとして︑春には﹁春の調べ﹂の﹁呂﹂の楽曲︑秋には﹁秋の調べ﹂の﹁律﹂の楽曲という︑﹁呂﹂﹁律﹂の分類に則った音楽的な側面
も重視されている︒唐楽においては︑やや﹁律﹂の曲が多く見ら
れ︑催馬楽においては﹁呂﹂の曲が多く見られる︒詞章に祝賀性
があり︑歌唱を伴う催馬楽は︑春の場面に相応しい音楽として選
択されていると考えられる︒・﹃源氏物語﹄においては︑楽の音の描写にも﹁呂﹂﹁律﹂の区別が
表れている︒﹁呂﹂の楽の音は﹁はなやか﹂と形容され︑主に行
事などの﹁晴れ﹂の場を彩る︒一方︑﹁律﹂の楽の音は﹁なつかし﹂
と形容され︑御遊終盤のくだけた雰囲気を象徴することが多い︒
また︑私的な演奏の場においては︑しばしば演奏者の憂愁と重な
るように用いられている︒
﹃源氏物語﹄の唐楽と催馬楽の演奏場面には︑﹁呂﹂﹁律﹂それぞ
れの楽の音の良さが用い分けられ︑生かされていると言える︒こう
した音楽描写の成立には︑作者周辺で催されていたであろう﹁呂﹂
﹁律﹂を中心とした御遊の成熟が無関係ではないと思われる︒調子
や楽曲を﹁呂﹂﹁律﹂の二分類で捉え︑その対照性に面白さが見出
された平安中期の雅楽の状況が︑楽曲の旋法をも場面と調和するよ
う意識した︑綿密な音楽描写に反映されているのではないか︒
一一六
※﹃源氏物語﹄︑﹃紫式部日記﹄の本文引用は︑原則として︑﹃新編
古典文学全集﹄︵小学館︶に拠った︒なお︑適宜本文や表記を改
めた箇所がある︒
※﹃うつほ物語﹄の本文引用は︑室城秀之﹃うつほ物語 全 改訂
版﹄︵おうふう︶に拠った︒
※和歌の引用及び歌番号は︑﹃新編国歌大観CD︲ROM﹄︵角川書
店︶に拠った︒
※﹃詩経﹄の引用及び書き下し文は︑﹃新釈漢文大系﹄︵明治書院︶
に拠った︒
注
︵1︶ 磯水絵﹃﹃源氏物語﹄時代の音楽研究││中世の楽書から﹄︵笠間書院 二〇〇八︶
︵2︶ 植田恭代﹃源氏物語の宮廷文化 後宮・雅楽・物語世界﹄︵笠間書院 二〇〇九︶
︵3︶ 山田孝雄﹃源氏物語之音楽﹄︵宝文館 一九三四︶
︵4︶ スティーヴン・G・ネルソン﹁蘇る平安の音﹂︵﹃越境する雅楽文化﹄ 書肆フローラ 二〇〇九︶
︵5︶ 遠藤徹﹃平安時代の雅楽 古楽譜による唐楽曲の楽理的理解﹄︵東京堂 出版 二〇〇五︶
︵6︶ ただし︑具体的な曲名が記録されていないだけで︑実際には﹁律﹂に分
類される何らかの曲が演奏されている場合もあると考えられる︒
︵7︶ ﹃源氏物語古註釈叢刊二﹄︵武蔵野書院 一九七八︶
︵8︶ ﹃続群書類従三二上﹄︵続群書類従完成会 一九五八︶
︵9︶ ﹃神道大系 朝儀祭祀編二﹄︵神道大系編纂会 一九九三︶ ︵
10 ︶ ﹃群書類従一九﹄︵続群書類従完成会一九五九︶
︵
11︶ ﹁七年の夏六月に︑百濟︑姐弥文貴将軍・州利即爾將軍を遣して︑稲積臣
押山に副へて︑︵百済本記に云はく︑﹁委の意斯移麻岐弥﹂といふ︒︶五経
博士段楊爾を貢る︒﹂︵﹃日本書紀﹄継体天皇七年九月の条︶
︵
12︶ ﹃続日本紀﹄天平七年四月条
︵
一九四一・四二︶ 13 ︶ 羽塚哲明﹁校異楽書要録﹂︵﹃東洋音楽研究﹄第二巻第三・四号附録
︵
14︶ 日本に伝来した外来系音楽は︑仁明天皇︵在位八三三︱八五〇︶の頃か ら半世紀にわたって全体に整理されたと言われる︒︵﹃日本音楽大事典﹄ 平凡社 一九八九︶
︵
15 ︶ 井上聡﹃古代中国陰陽五行の研究﹄︵翰林書房一九九六︶
︵
16︶ ﹃奥入﹄はこの毛伝の注を引く︒
︵
17︶ 後藤幸良﹁女は春をあはれぶ││﹃源氏物語﹄若菜巻の春と﹃詩経﹄引 用﹂︵﹃源氏物語鑑賞と基礎知識三四 若菜下︵前半︶﹄ 二〇〇四︶
︵
18︶ ﹁催馬楽の譜は一條左大臣の時こそは︑はじめて律呂の歌もさだめられた
れとうけたまはれば︑﹂︵﹃奥儀抄﹄︶
︵
19︶ 注︵3︶の前掲書
︵
20︶ 小林久子﹁源氏物語の音楽観︱│春秋の優劣に関するやりとりを中心に して﹂︵﹃源氏物語研究﹄六 一九七八・一二︶
︵
21 ︶ ﹃新日本古典文学大系二一源氏物語三﹄︵岩波書店︶も同様の解釈をす
る︒
︵
22︶ 注︵5︶の前掲書
︵
23︶ 注︵5︶の前掲書︑第三章四八五頁
︵
24︶ 以下︑この四節と五節で扱う全用例については諸情報をまとめた表を用
意しているが︑紙幅の都合でここに掲載しえなかった︒別の機会に紹介で
きればと思う︒
︵
25 ︶ 田中新一﹃平安朝文学に見る二元的四季観﹄︵風間書房一九九〇︶
︵
26︶ 注︵5︶の前掲書︑第三章
﹃源氏物語﹄における唐楽・催馬楽の演奏場面一一七 ︵ 27︶ 寛治七年三月十一日の﹁中宮御遊﹂の記事に︑﹁呂﹂として双調曲﹁柳花
苑﹂が挙げられている︒
︵
28︶ 冬の五例は︑﹁呂﹂に分類される曲が一例︑﹁律﹂に分類される曲が四例
である︒
︵
29︶ 夏の四例は︑﹁呂﹂に分類される曲が二例︑﹁律﹂に分類される曲が二例︑
冬の一例は﹁律﹂に分類される曲である︒
︵
30 ︶ ﹃復刻日本古典全集音楽二﹄︵現代思潮新社二〇〇八︶