〈1>せ い ぶ 市民 カ レ ッジ ・第25回 奈 良 大 学 文 化 講 座

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○奈 良を中心 とする研究

研 究代 表者 所 属 ・職 名 研 究 課 題

西 脇 ニ ー 現 代 社 会学 科 ・教 授 衛 星 デ ー タに よる奈 良地 域 の地 形 ・地 質 判 別 基 準 の検 証

上 野 誠 国 文 学 科 ・教 授 万 葉 文 化 論 の 基礎 的研 究 一奈 良 を中 心 に 一

鎌 田 道 隆 史 学 科 ・教 授 世界遺 産都市奈 良の観 光開発 と交通

深 石 一 夫 地 理 学 科 ・教 授 奈良盆地 における気候特性

三 木 理 史 地 理 学 科 ・助 教授 奈 良 盆 地 東縁 お よび 中 部地 域 の地 籍 図収 集 お よ び 研 究 ・調 査

○その他 の研 究

研究代表者 所 属 ・職 名 研 究 課 題

中 川 寿 夫 教 養 部 ・教 授 硬 熱 ルー プ近 似DS方 程 式 に基 づ く熱 ゲ ー ジ場 理論 の相 構 造 ・相 転 移 機 構 の研 究

永 井 一 彰 国 文 学 科 ・教 授 佛光寺蔵板木 の研究

藤 本 寿 彦 国 文 学 科 ・教 授 現 代 日本 の メ デ ィア と幸 田文 一幸 田文 研 究 一

塩 出 貴 美 子 文 化 財 学 科 ・教 授 十巻本 「高野大師行状図画」の研究

西 山 要 一 文 化 財 学 科 ・教 授 世界遺産の大気環境観測 と大気汚染 による損傷 の 防止の研 究

芹 澤 知 広 現 代社 会 学科 ・助 教 授 アジアの歴史的地域にお ける文化遺産保存 のネッ トワークについ ての予備的研究 一白川郷とベ トナム ・ホイアンを中心 に して

尾 上 正 人 現代 社 会 学科 ・助 教 授 世界遺産指定地域 における保存活動 とツーリズムの共存の実態に関す る調査 一鹿児島県屋久島および岐阜県白川郷の比較社会学研究一

湯 川 隆 子 人 間関 係学 科 ・教 授 奈 良 大 生 にお け る ジェ ンダ ー認 識 の 変 容 過程 一本 学 『ジ ェ ン ダー論 』 講 義 で の 教 育 実践 効 果 一 卜 部 敬 康 人 間関係 学 科 ・講 師 観 光 地 の 災 害 復 興 に 関す る社 会 心 理 学 的研 究

一有 珠 山噴 火 災 害 被 災 地 を例 と して 一

※所 属 ・職 名 につ い て は 、助 成 金 交付 時 の 現 職

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事 業 報 告

平 成16年 度

公 開 講 座 概 要

奈 良 大 学 総 合研 究 所 で は 、 毎 年 、 生 涯 学 習 教 育 お よび 大 学 開 放 の 観 点 か ら、 また 大 学 にお け る研 究 成 果 の 社 会 へ の 還 元 方 法 の0つ と して 、 「公 開講 座 」 を 開催 して い る 。

本 年 実 施 した 「公 開講 座 」 は 、(1)本 学 が 企 画 ・共 催 、(2)研 究 機 関が 企 画 、(3)自 治 体 等 との協 力 で 企 画 、 の3種 類 で 行 われ た 。 以 下 、 講 座 につ い て 紹 介 す るが 、 開催 日時 ・会 場 ・講 師 お よび演 題 は、 次 頁 以 降 に記 載 して い るの で 、 ご参 照 い た だ きた い。

【(1)に分 類 さ れ る 講 座 】

〈1>せ い ぶ 市民 カ レ ッジ ・第25回 奈 良 大 学 文 化 講 座

《開 講 年 》1980年 《テ ー マ 》 奈 良 を メ イ ン に し た 話 題

《募 集 定 員 》 各 回300名(5回)《 応 募 者 》1,194名 《受 講 者 》957名

8月7日

「 飛 鳥 で最 近 出土 した木 簡 につ い て語 る」

寺 崎 保 広

発 掘 調 査 で土 の 中 か ら掘 り出 され る 木 の札 に文 字 を書 い た もの が 木 簡 。 そ の 中 で も、 年代 の 古 い 飛 鳥 時代 の 木簡 は貴 重 で あ る。 今 回 は 、最 近発 見 され た 飛 鳥 ・藤 原 京 な どの 木 簡 を紹 介 し なが ら、 以 下 の よ うな古 代 史 の 問 題 を考 え た 。

1.藤 原 京左 京 七 条 一坊 の 調査 で 出 土 した 木 簡 か ら、 大 宝 律 令 が 古 代 国 家 に と って 重 要 な画 期 と な る こ と を改 め て確 認 した 。

2.飛 鳥 池 遺 跡 出 土 の 木 簡 か ら、7世 紀 後 半 の 寺 院 に関 わ る もの が 多 数 を 占め 、 寺 院 の実 態 を示 す 材 料 で あ る こ と を述 べ た。

3.石 神 遺 跡 出 土 の 木 簡 か ら、 『日本 書 紀 』 の 記 事 の 信{,,.性を確 か め る、 重 要 な 意 味 を もつ こ とを指 摘 した。

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8月28日

幸 田家 の人 々 と奈良

藤 本 寿 彦

明 治 の 文 豪 、 幸 田露 伴 は小 説 「五 重 塔 」 で 知 られ て い ます 。 彼 の娘 ・文 は つ ねつ ね 、幸 田家 の 家 計 が この 作 品 の 印 税 に よ って 支 え られ て き た と感 謝 して い ま した。 塔 に対 す る 強 い思 い入 れ を抱 い て い た 文 は、 奈 良 斑 鳩 の 法 輪 寺 三 重 塔 再 建 の 話 を 聞 き、 や が て法 隆 寺 付 近 の 医 院 に 間 借 りを し、 時 には や りが ん な で 材 木 を削 った り して 再 建 運 動 の 先 頭 に立 ち ます 。 彼 女 が 塔 の再 建 に た ず さわ っ た 日々 は 、NHKの ドキ ュ メ ン タ リー番 組 「新 日本紀 行 私 の塔 私 の い か る が」

に 描 か れ ま した 。 近 年 、 再放 送 され た この 番 組 の 取 材 の た め 、 文 の 孫 娘 ・青 木 奈 緒 は法 輪 寺 を 訪 れ 、 二 十有 余 年 を経 て な お塔 内 に広 が る桧 の香 りに 感 動 し ま した 。 娘 の 玉 、 そ して 孫 の 奈 緒 へ と、幸 田 文 が法 輪 寺 で得 た体 験 は受 け継 が れ て い ます 。

9月4日

歴史 を創 った考古学者達

酒 井 龍 一・

考 古学 や歴 史 学 は 面 白 い もの で す 。 歴 史 上 の 「常 識 」 が 、新 発 見 や 解 釈 の 変 更 な どに よ って 、 そ の 座 を奪 わ れ る こ と も多 々 あ ります 。

例 え ば 、C14年 代 法 の測 定 で弥 生 時 代 の 始 ま り年 代 が 常 識 よ り 「500年」 も遡 る見 解 が 出 た こ と、飛 鳥諸 宮 の候 補 地 が大 き く変 更 され た こ と、 法 隆 寺 心礎 の 年 輪 年 代 が 予 想 と は大 き く違 っ て い た こ と も、 そ う した事 例 です 。

9月18日

『 万 葉 集 』 の字 余 り

柳 田 征 司

現 代 短 歌 や俳 句 で は字 余 り句 は 普 通 に認 め られ る。 と こ ろ が 、 『万 葉 集 』 で は 、 宣 長 が 指 摘 した よ うに 一 定 の 条件 の も とで の み 許 され て い る。 どの よ う な条 件 で 許 され るの か 、 ま た、 そ れ は なぜ な の か 、 に つ い て考 え て み た い 。

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10月2日

「地理 情 報 シス テ ム(GIS)で 見 る奈 良 の 歴 史 」

酒 井 高 正

地 図 と地域 情 報 を コ ンピ ュ ー タで 統 合 的 に処 理 す る 地 理 情 報 シ ス テ ム(GIS)を 利 用 す る と、

奈 良 の 歴 史 的 事 象 や 景 観 は どの よ う に見 え る の で あ ろ うか 、 三 次 元GISに よ る景 観 表 示 の デ モ な どを取 り入 れ て視 覚 的 に紹 介す る。

〈2>第4回 世 界 遺 産 公 開 講 座

《開 講 年 》2001年 《テ ー マ》 世 界 遺 産 に 関 す る話 題

《募 集 定 員 》 各 回100名(7回)《 応 募 者 》1,556名 《受 講 者 》717名

4月25日 ・29日

古 都 奈 良 の に ぎわ い と文化 遺 産

水 野 正 好

『古 都 奈 良 と文 化 財 』 が 世 界 遺 産 に 登 録 さ れ 、 い ま 奈 良 は 喜 び と饒 わ い で 活 気 づ い て い る。 平 城 宮 跡 、 東 大 寺 、 興 福 寺 ・元 興 寺 、 薬 師 寺 、 唐 招 提 寺 、 春 日大 社 、 春 日 山 原 始 林 中 遺 産 面 積616.9ha、 緩 衝 地 帯1962.5haが そ の 対 象 地 と な り、 こ れ らの 遺 産 保 護 の た め の 歴 史 的 環 境 調 整 区 域539haが 付 加 さ れ て 全 体 を 構 成 して い る 。 積 極 的 な保 護 と活 用 が 期 待 され て い る 中 、 各 対 象 の 個 性 の 強 調 が 必 要 か と考 え る 。 平 城 宮 跡 は 朱 雀 門 に つ い で 現 在 大 極 殿 の復 原 工 事 が 進 捗 中 。 遺 跡 と化 して 地 上 に 全 く遺 構 を見 な い現 状 で は 、 発 掘 調 査 の 実 施 で 地 下 に埋 る遺 構 を 発 掘 し、 成 果 に 基 づ い て 着 実 に遺 構 整 備 す る こ とが 望 ま れ る 。 そ の 復 原 過 程 が 常 々社 会 に 問 わ れ 情 報 を 流 布 す る こ と が 望 ま れ る で あ ろ う。 東 大 寺 は 盧 舎 那 大 佛 の 二 度 に わ た る 罹 災 と そ の 復 興 の 歴 史 を行 基 や 重 源 ・道 安 ・公 慶 上 人 の 活 動 一 わ け て も宗 教 的 復 興 活 動 で あ る 「勧 進 」 の 姿 で 見 る と今 もあ る 東 大 寺 の 蘇 生 維 持 の エ ネ ル ギ ー が ど こ か ら生 まれ て あ る か が 判 る 。 興 福 寺 の 場 合 は 天 皇 や 藤 原 氏 の 手 で 建 立 され る エ ネ ル ギ ー が 各 時 代 を 貫 き氏 の 力 で 長 く復 興 維 持 が 果 され る が 、 明 治 の 廃 佛 殿 釈 の 動 きの 中 で 僧 の 春 日社 へ の 移 動 で 宗 教 活 動 は 衰 微 し、 上 地 に よ り寺 坊 地 は 塀 ま で壊 さ れ 土 地 は 国 有 化 、 結 局 僅 か の 伽 藍 地 を 除 け ば公 用 地 と して 県 庁 、 学 校 等 の 用 地 とな り景 観 は0変 、 往 時 の 面 影 を 失 い 、 一 部 は 奈 良 公 園 と化 し往 時 の 興 福 寺 を偲 ぶ 「よ す が 」 を失 っ た 。 元 興 寺 は飛 鳥 寺 の 移 建 で 誕 生 し宝 徳 年 間 ま で 堂 々 た る 景 観 を保 っ た が 、 一 揆 で 極 楽 坊 以 外 の 伽 藍 建 築 を焼 亡 、 奈 良 時 代 の 智 光 礼 光 法 師 の 極 楽 感 得 の 遺 跡 と して 、 今 日 まで 極 楽 坊 が 遺 さ れ て きた 。 奈 良 町 の 極 楽 信 仰 の 支 え あ っ て の 今 日で あ る。 こ の よ う に 三 寺 は 三 様 の 歴 史 を描 い て い る 。 世 界 遺

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産 と し て 意 義 づ け る 時 、 そ れ ぞ れ の 文 化 財 は そ の 特 色 あ る 歴 史 を 活 か し個 性 化 し、 社 会 に 訴 え る べ きで あ ろ う。 個 性 を 訴 え る 世 界 遺 産 が 息 づ く よ う に な る 時 、 始 め て 奈 良 も、 歴 史

も、 文 化 も息 づ き新 しい エ ネ ル ギ ー が 生 ま れ る。

5月16日

世 界 遺 産 研 究 に お け る 中 心 と 周 辺 一文化 人類 学 か らの ア プ ロー チ ー

芹 澤 知 広

最 初 に 、 「中心 的 な 世 界 遺 産 は あ る か?」 、 「世 界 遺 産研 究 の 中心 は あ るか?」 と い う問 題 を 参 加 者 に提 起 し、 世 界 遺 産 登 録 と世 界 遺 産 研 究 が 、 「ハ ー ド」(建 築)か ら 「ソ フ ト」(社 会) へ 。 「中 心 」(ヨ ー ロ ッパ 地 域)か ら 「周 辺 」(非 ヨー ロ ッパ 地 域)へ と傾 向 を 移 して い る こ と を論 じた。 文 化 人 類 学 の ア プ ロ ーチ の 特 徴 を説 明 し、 白 川郷 と屋 久 島 の環 境 と歴 史 、保 存 と活 用 の 現 状 を具 体 的 に と りあ げて 、 世 界 遺 産 が もつ 社 会 的 ・文 化 的側 面 の重 要性 を示 した 。

6月20日

紀伊 山地 の霊場 と参詣 道

浅 田 隆

世 界 遺 産 へ の 登 録 が ほ ぼ 確 実 視 され て い る段 階 で 、 「紀 伊 山 地 の 霊場 と参 詣 道 」 につ い て 、 そ の 霊 場 の 成 立 の 背 景 に あ る 「役 の 行 者 」 伝 承 を中 心 に話 した。

「役 の行 者 」 伝 承 の初 見 で あ る 「続 日本 紀 」 や そ の 後 の 「日本霊 異 記」 「今 昔 物 語 」 「三 宝 絵 」 な どの伝 承 を比 較 す る と共 に 、 奈 良 県 下 各 地 に散 在 す る伝 承 地 を紹 介 し、 信 仰 説 話 が 形 成 さ れ る 過 程 と神 仏 習 合 とい う信 仰 形 態 の 成 立 過 程 、 大 峯 山系 と金 剛 ・葛 城 山系 の 修 験 な どをか らめ て概 説 した 。

7月18日

世 界 遺 産 ガ ラ パ ゴ ス 諸 島 一巨大 な カ メ と小 さ な恐 竜 の 島 一

高 橋 春 成

ガ ラ パ ゴ ス 諸 島 は 、 博 物 学 者 チ ャ ー ル ズ ・R・ ダ ー ウ ィ ン が ビ ー グ ル 号 で 訪 れ 、 の ち に 『種 の 起 源 』 を あ ら わ す こ と に な っ た と こ ろ と し て 有 名 で あ る 。 ホ ッ ト ・ス ポ ッ トか ら 噴 き 出 る 溶 岩 に よ っ て 形 成 さ れ た ガ ラ パ ゴ ス の 大 地 は 、 最 初 は 死 の 世 界 で あ っ た 。 そ こ に 南 米 大 陸 か ら フ

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ン ボ ル ト海 流 や 鳥 な ど に運 ば れ て 植 物 や 動 物 の パ イオ ニ ア が や って くる。 ガ ラパ ゴス に運 よ く 到 達 す る動 植 物 は ご くわ ず か で あ った が 、 彼 らは 新 しい 環 境 に適 応 し進 化 を と げて い っ た。 ガ ラパ ゴス ゾ ウ ガ メや イ グ アナ た ちで あ る。

8月8日

万 葉 び と の 「洗 濯 」 は …?

上 野 誠

奈 良 の世 界 遺 産 の特 色 は、 創 建 当時 の文 献 が 多 く存 在 して い る とい うこ とで あ る。 そ の文 献 資料 の 一・つ が 『万 葉 集 』 で あ る。 本 講 座 で は、 世 界 遺 産 研 究 の一・分 野 と して 、万 葉 研 究 が い か に 関 わ る の か とい うこ とを念 頭 に話 を した。 そ こ で、 取 上 げ た の は 、女 性 労 働 で あ る 「洗 濯 」 とい う労 働 につ い て で あ る。 まず 、 『万 葉 集 』 に 洗 濯 と い う労 働 が どの よ うに 表 わ れ て い る か を紹 介 し、古 代 に お け る洗 濯 の意 味 を考 え て み た。 そ うす る こ とに よっ て 、 無垢 を 表 す 白 の 意 味 を逆 照射 して み たつ も りで あ る。

9月19日

世 界 遺 産都 市 は天 然 記 念 物 ワー ル ド ー天然記念物が作 る奈良公園の自然一

岩 崎 敬

奈 良 公 園 に は 、 「奈 良 の文 化 財 」 と して 指 定 さ れ た 世 界 遺 産 群 が 点 在 し て い ま す 。 そ の 中 の 0つ で あ る春 日 山原 始林 は、文化財保護法に よって 「特別天然記念物」 に指定 されてお り、「奈 良 と言 えば 鹿 」 と言 わ れ て 親 し まれ て い る鹿 た ち や 「春 日神 社 境 内 ナ ギ 樹 林 」、 「知 足 院 ナ ラヤ エ ザ ク ラ」 「ル ー ミス シ ジ ミ(蝶)」 な ど も国 指 定 の 重 要 な天 然 記 念 物 と して 指 定 され て 、 手 厚 く保 護 され て き ま した 。 国 指 定 の 天 然 記 念 物 の 密 度 が 日本 で 最 も高 い 場 所 、 そ れ が 奈 良 公 園 で す 。 こ うい っ た貴 重 な 自然 も文 化 財 保 護 法 に よっ て 保 護 され て きた こ とで 、 奈 良 の 独 特 な 自 然 ・歴 史景 観 が 保 たれ 、 世 界 遺 産 に指 定 され る契 機 と な っ たの で す 。

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〈3>第13回 桜 井 市 生 涯 学 習 シ リー ズ ・奈 良大 学 教 養 講座

《開 講 年 》1992年 《テ ー マ》 地 元 密 着 お よび教 養 全 般(混 合 形 態)

《募 集 定 員 》100名 《応 募 者 》79名 《平 均 受 講i率》59.4%

6月6日

「大和 の 城 と文 学 一高 取 城 ・信 貴 山城 他 一」

浅 田 隆

「お 城 」 とい う もの に は なぜ か ロマ ンチ ック な もの を感 じて し ま うが 、 城 が 城 と して 機 能 し て い た 時 代 には 、 城 は 最 も厳 しい現 実 に さ ら され て い た はず だ 。 近 代 日本 文 学 に描 か れ て い る 大和 の 城 につ い て 、 そ の 立 地 と歴 史 と をか らめ なが ら、 作 品 の 中 に どの よ う に描 か れ て い るか を紹 介 。 具 体 的 には 高 山 右 近 の 沢城 、織 田信 雄 の 松 山城 、 松 永 久 秀 の 信 貴 山城 、 植 村 氏 の高 取 城 な どに 関 わ る作 品、 加 賀 乙 彦 「高 山 右 近 」、 中 山義 秋 「凡 将 の 商 」、 井 上 靖 「平 蜘 蛛 の 釜」、

司 馬 遼 太 郎 「お お 、 大 砲 」 な ど を紹 介 し、作 者 の 個 性 的 な表 現 姿 勢 な ど につ い て も言 及 。

6月27日

世 界 経 済 の 動 き と私 た ち の暮 ら し

田 中 文 憲

私 た ち はす で に グ ロー バ ル 化 した 社 会 に住 ん で い るが 、 そ れ ゆ え に私 た ち の 日々 の暮 ら しは 世 界 経 済 の 動 き に大 き く影 響 され る。 そ の 中 で も、 特 にエ ネ ル ギ ー と食 糧 問題 は重 要 で あ る。

エ ネル ギ ー に関 して は 、 日本 は石 油 を100%海 外 に依 存 して お り、 しか も中 東 に偏 っ て い る。 日 本 は70年 代 の 石 油 危 機 の 後 、 様 々 な対 策 を打 って きた が 、 石 油 依 存 体 質 は現 在 も基 本 的 に は変

わ って い ない 。 今 ほ ど ロ シ アそ の 他 か らの 石 油 、 天 然 ガ スの 確 保 、 ま た代 替 エ ネ ル ギ ー の 開発 が 急 が れ る時 は ない 。 一 方 、 食 糧 も 自給 率 が28%と 先 進 国で もず ば抜 け て低 い状 態 が 続 い て い

る。 国 内 農 業 政 策 の 抜 本 的 見 直 し と国 際 的 な連 携 が 急 務 で あ る。

7月25日

電 子 国 土 と 桜 井 一住 民 サ ー ビス の 向上 とは 一

碓 井 照 子

政 府 の ビ ッ グ プ ロ ジ ェ ク トで あ る 「国 土 空 間 デ ー タ基 盤 整 備 」 は 、21世 紀 の 社 会 情 報 基

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盤 を 築 く もの で あ り、 電 子 国 土 づ く り と も言 わ れ て い る。 桜 井 市 で デ ィ ジ タ ル シ テ ィ が で き る と住 民 サ ー ビ ス は 、 どの よ う に 変 化 す る の か 。

9月19日

香 港 の 英 語 教 育 一最 近 の 動 向 に つ い て 一

武 久 文 代

154年 間 にわ た る英 国統 治 下 で の香 港 の 英 語 教 育 は特 異 な発 展 を遂 げ て 来 たが 、1997年 の 歴 史 的 返 還 後 の 政 治 的社 会 的変 動 の 中 で大 き く変 革 した 。 さ らに 、 そ の 後 行 わ れ た 指 導 要 綱 の 改 訂 に よ り新 変 革 に挑 む香 港 の英 語 教 育 の動 向 を分 析 し、 日本 の 英 語教 育 に資 す る もの を提 示 す る。

10月24日

古代桜 井の豪族 ・阿部氏

水 野 正 好

北 方 の奈 良 ・天理 市 へ 一 直 線 、北 上 す る 山 の辺 道 ・上 つ 道 、西 の 大 阪へ 一・直 線 、 西 走 す る横 大路 、 こ の2つ の 道 の起 点 は桜 井 市 阿部(安 倍)。 この 阿部 の地 は古 代 の 豪族 阿倍 氏 の 居 地 。多 くの卓 越 した古 墳 が 集 中 し、 そ の被 葬 者 が 想 定 で きる稀 有 の 地。 しか も安 倍 寺 の建 立 もあ り歴 史学 や考 古 学 の常 に注 目す る地 で あ る。

崇 神 天皇 の 時代 、 四道 将 軍 の一 人 と して北 陸 に派 遣 され た 阿倍 氏 の祖 、大 彦命 は埼 玉 県稲 荷 山古 墳 発 掘 の金 象 嵌 銘 文 を もつ 鉄 剣 の銘 文 中 に そ の名 が 見 出 され騒 然 た る話 題 を よん だ 。 阿 部 の メ ス リ山古 墳 の鉄 弓 ・鉄 矢 、 大 量 の武 器 ・儀 侯 を副 葬 した姿 は大 彦 命 の墳 墓 を想 わせ る 。 文 珠 院 の境 内 の西 古 墳 は整 然 た る切 石 積 の横 穴 式 石 室 、 日本 で最 も優 美 な石 室 。 大 化 改新 の 政 治 をす す め た トップ、 左 大 臣阿 倍 倉 梯 麻 呂 の墳 墓 に ぴ た り。 文 珠 院 の本 寺 で あ る安 倍 寺 は彼 の発 願 で建 立 さ れ た寺 で あ る。 巨大 な石 室 に 巨大 な石 棺 を容 れ る艸 墓 古 墳 、 巨大 な石 材 で構 成 され る石 室 を備 え た谷 首 古 墳 な どは被 葬 者 を阿 部 氏 の人 物 の何 れ に宛 て る かが 実 に楽 しい夢 あ る作 業 。 私 は谷 首 古 墳 に は大 夫 阿 部 朝 臣大 麻 呂。 艸 墓 古 墳 に は階 使 斐 世 清 を迎 え た大 夫 阿部 朝 臣 鳥 を被 葬 者 に … と考 え て い る。 現 地 で 夢 み る こ と もま た楽 しい。

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11月14日

中国の宗法一体化構造

蘇 徳 昌

中 国社 会 は官 僚 機 構 と統 一 的信 仰 が 一 体 化 し、政 治 と文化 が 結合 して い る。 そ して 、 国 家 と 個 人 の 間 に父 系 同族 集 団及 び そ の制 度 、 風 習 が 存 在 して い る 。 この宗 法 一体 化 構 造 を理解 す る

こ とが 中 国 を知 る.,の カ ギで あ る。

〈4>第12回 都 祁 村 生涯 学 習 シ リー ズ ・奈 良 大 学 教 養 講座

《開 講 年 》1993年 《テ ー マ》 地 元密 着 お よび教 養 全 般(混 合 形 態)

《募 集 定 員 》60名 《応 募 者 》55名 《平 均 受 講 率 》59.7%

5月16日

「 大 和 の温 泉 を楽 し もう」

小 泉 泰 一・

奈 良 県 は、 古 来 、 温 泉 に は余 り恵 まれ ない 土 地 の ひ とつ で あ っ たが 、 近 年 は地 元 「フ ィ ッ ト ネス バ ー ド」 を は じめ 、 県 内 各 地 で 公 営 、 民 営 を問 わず 温 泉 開発 が 活 発 にす す め られ 日帰 りで も楽 しめ る温 泉 施 設 が各 所 に設 け られ て い る 。 こ う した傾 向 は全 国 的 に も言 え る こ とで あ るが 、 そ の 背 景 と してバ ブ ル経 済 の崩 壊 で低 料 金 で も温 泉 を楽 しむ こ との で き る温 泉 施 設 へ の 人 気 が 高 まっ て きた こ と、地 方 自治体 が そ の活 性 化 対 策 や 高 齢 化社 会 に対 応 す るた め の 健 康 、 福 祉 施 設 の拡 充 に積 極 的 に取 り組 ん で きた こ と等 々 が あ げ られ る 。

奈 良県 内 で もこ こ数 十 年 の 間 に各 市 町村 で温 泉 の堀 削 、 施 設建 設 が す す め られ 、 気 軽 に楽 し め る温 泉 施 設 が32市 町 村 に53か 所 存 在 す る に至 っ て い る。

こ れ ら大 和 の 温 泉 の す べ て を検 証 しつ つ 、 温 泉 の もつ 魅 力 、 温 泉 の有 効 適 切 な利 用 に つ い て こ0緒 に考 えて み た い と思 い ます 。

5月30日

江戸 時代 公慶上人の東大寺復興

水 野 正 好

聖 武 天 皇 は 行 基 菩 薩 や 良 弁 僧 正 た ち の 援 助 を う け 熟 銅739,560斤 、 白 膓12618斤 、 錬 金10,436 両 、 水 銀58,620両 、 炭16,656斜 を 用 い 、 材 木 役 夫1,665,071人 、 金 役 夫514,902人 、 材 木 ・金 知 識 人

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計423,665人 の 就労 を得 て東 大 寺 大 仏 を完 成 させ 、 つづ く東 大 寺 諸建 築 や 多 くの 仏像 を整 え た 。 天 下 の大 事 業 で あ る、 そ の 開 眼 供 養 に参 加 した 衆 僧 、 沙 弥 尼 、 請 僧 併 せ て10,026人 、 ま さ に万 僧 供 にふ さ わ しい盛 儀 、 奈 良 時 代 最 大 の に ぎ わ しい イベ ン トで あ っ た。 平 重 衡 、 松 永 久 秀 に よ る焼 亡 で大 仏 は常 に膝 上 まで を融 解 す る重 大 な危 機 を迎 え たが 重 源 上 人や 山 田道 安 の手 で復 原 され て 来 た。 松 永 焼 亡 後 は大 仏 は大 仏 殿 な く露 仏 で あ っ た。 そ の余 りに も痛 ま しい姿 に発 奮 し た 東大 寺 公慶 上 人 は幕 府 の力 を得 て大 仏 ・大 仏 殿 を再 興 。 大 仏 開 眼会 が催 され る 。期 間 は31日 間 、3月27日 、 奈 良 の 旅 館 に泊 っ た参 詣 人 は49,054人 、 木 津 川 の渡 守 に よ り渡 川 した 人 数 は0 万 余 人 とい う、 大 阪 道頓 堀 の 芝居 は30日 間 見物 人 な し。 芸 人 は 閑古 鳥 に 泣 く。 暗 闇 峠(く らが

り峠)を こ えて 奈 良 まで 人 々 が続 きび っ し り。 猿 沢 池 は 鯉 、鮒 に参 詣 者 の 数 十 万 人 が投 げ 与 え る菓 子 で 水 面 び っ し り、 魚 浮 か ず 鹿 が 食 う とい う有 様 。 に ぎわ い の 奈 良 の 一 駒 が み られ た 。 奈 良 に活 気 と華 や か さが か え った0刻 で あ った 。

6月13日

「人 生 の 最 期 を ど こ で 、 ど う 迎 え る か 」

大 町 公

戦後 、 日本 人 の 平均 寿 命 は、 男78歳 、 女85歳 まで 延 び た。 医療 の 急 速 な進 歩 の お か げ で あ る。

これ には い く ら感 謝 して も し過 ぎる こ とは な い 。

他 方 、 ます ます 増 える 高 齢 者 は 、 現代 日本 の か か え る最 も深 刻 な問 題 の0つ で あ る。 高 齢 者 を家 庭 で 介 護 す る こ と は可 能 な の か 。 近 年 、 高 齢 者 介 護 を社 会 的 問題 と見 な し、 〈介 護 の社 会 化 〉 が 進 め られ 、 施 設 や 制 度 の 充 実 が はか られ て い る。 結構 な こ とで あ る。

しか し、 高 齢 者 問 題 は、 同 時 に高 齢 者 自身 の 生 き方 の 問 題 で あ る。 病 院 で の 〈延 命 医 療 〉 は

〈尊 厳 あ る死 〉 を保 証 して くれ ない 。 われ われ 自身 が 人 生 の 最 期 を ど こ で、 どう迎 え る のか を しっ か り と考 え てお か ね ば な らな い。

高齢 者 に 必 要 な哲 学 とは どの よ う な もの か 。 有 吉 佐 和 子 『悦 惚 の 人 』、早 瀬 圭 一 『長 い命 の た め に 』、 佐 江 衆0『 黄 落 』、 深 沢 七 郎 『楢 山節 考 』 な どを取 り上 げつ つ 、 こ の 問題 を 考 え て い

きた い 。

6月27日

こ こ ろの風 景 と旬 の 感 覚

山 田 隆 敏

「あ め ・つ ち ・ほ し ・そ ら ・や ま ・み ね ・た に ・ く も ・ き り ・む ろ ・こ け ・ひ と ・い ぬ ・う へ ・す ゑ ・ゆ わ ・さ る … 」 こ れ ら は 平 安 時 代 初 期 の 手 習 い 歌 詞 で あ る 。 「天 地 の 詞(あ め つ ち

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の こ とば)」 の 一 部 で あ ります 。 仮 名48文 字 が重 な る こ とな く織 り込 まれ て い ます 。文字の源 は 言 葉 。 言 葉 の 背 景 には 自然 が あ ります 。 そ の 自然 の 中 で 植 物 も動 物 もそ して人 間 も、 共 々 に そ の 自然 の 中 で生 きてい ます 。 この 詞(こ とば)に 漢 字 をあ て て み る と、 「天 ・土 ・星 ・空 ・山 ・ 峰 ・谷 ・雲 ・霧 ・室 ・苔 ・人 ・犬 ・上 ・末 ・硫 黄 ・猿 … 」 と な ります 。 こ こ に 自然 と向 か い 合 い 、 自然 を手 本 に して きた先 人 の研 ぎ澄 ま され た 自然 観 と、 自然 との共生 を受け入れて きた先 人 た ち の 瑞 瑞 しい旬 感 覚 と感 性 が 見 え て き ます 。 古 くは 「〜 京 」(藤 原 京 ・平 城 京 ・平 安 京) 以 外 はす べ て 「田居 なか 」 と呼 ばれ 山紫 水 明 の 自然 の風 景 に恵 まれ て い ま した。

都 祁 村 は とて も豊 か な 自然 に 恵 まれ た と ころ で す 。 「昔 は そ う だ っ た で は な く、 今 こ そ、 今 か ら」 この 自然 の共 生 と 「こ ころ の風 景 」 を しば し、 お互 い に考 えて み た い。 「温 故 知新 」 きっ

と何 か が 始 ま ります 。

7月11日

明 治 時 代 移 民 達 がUSA内 陸 部 に 築 い た 『日本 人 街 』の 経 緯 と 現 状 一ユ タ州 ソ ル トレー ク市 を例 と して 一

池 田 碩

鎖 国 体 制 か ら開 国 へ 、 明 治 に 入 る とわ が 国 の 近 代 化 は急 激 に進 み 出す 。 そ の 結 果 欧 米 の文 化 や 物 質 は 、 貿 易 や 政 治 の 中枢 で あ る港 湾 や都 市 域 か ら押 し寄 せ て きた が 、 一・方 地 方 の 農 山漁 村 で あ る 田 舎 か らは逆 に発 展 す る先 進 国へ と、 多 くの 出 稼 ぎ者 や 移 民 達 を労 働 者 と して 送 り出 す こ とに な っ た。

初 期 はハ ワ イ で のサ トウ キ ビ栽 培 が 中心 で あ っ た が 、徐 々 に ア メ リ カ大 陸 の 太 平 洋 岸へ 、 そ の うち の一 部 は さ らに広 大 な 内陸 部 へ と向か っ た移 民 達 が い た。 そ の 中 に 、 明 治期 の 末 す で に 日本 人 の 集 団 と して ま と ま り、 日本 語 新 聞 を発 刊 、 仏 教 会 を もつ 「日本 人達 の街 」 を築 い た特 異 な都 市 が ロ ッキ ー 山麓 の ソル トレー ク市 で あ り、 市 の 中心 部 の一 角 を 占 め て い た。 街 は、 大 正 末 〜 昭 和 初 期 に全 盛 をむ か えた が 、 そ の 後 種 々の 変 転 を経 て、 現 在 は4〜5世 の代 に至 っ て お り、 ほ ぼUSA社 会 へ と同 化 し終 え つ つ あ る 。 ア メ リ カ人 と化 した 日本 人 の末 商 達 の現 状 を た

ど りつ つ 、初 期 移 民 に つ い て 考 え て み た 。

7月18日

「 孔子 と毛沢東」

蘇 徳 昌

二 千 年 以 上 も中 国 人 の 心 を捉 え て 来 た の は 儒 教 で あ り、 三 綱 五 常 の 道 徳 規 範 は慣 習 ・常 識 に もな っ て い る 。 そ れ に 対抗 して現 れ た の が 自由 ・民 主 ・平 等 ・博 愛 で あ り、 マ ル クス 主 義 で あ

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る。 孔 子 と毛 沢 東 は この 両 者 の 代 表 で あ り、 水 と油 の 関 係 で 、 相 容 れ ない 。 と こ ろが 、 君 臣 ・ 父 子 ・夫 婦 の 道 と階 級 ・階 級 闘 争 ・共 産 党 独 裁 とは 実 に よ く似 て お り、 中 国 の 封 建 性 が 長 く続 い た の も、 今 現 在 共 産 党 政 権 が 安 定 して い るの も、 み な この 相 似 点 に よ る もの と見 る こ とが で き る。 そ の 中 心 にな るの が 秩 序 と服 従 で あ る。 家 族 の 中 、 家 族 の 間 、 君 臣 或 い は官 民 の 関 係 、 み な これ に貫 か れ て い る。 儒 教 の 影 響 は 今 も根 強 く残 って お り、 孔 子 崇 拝 は流 行 の 兆 しさ えあ る。 毛 沢 東 は これ を一掃 す る ど ころ か 、 助 長 ・利 用 して い る と言 え る。 中 国 とい う国 を治 め 、 成 長 ・発 展 させ る には 孔 子 も毛 沢 東 も必 要 な の で は なか ろ うか 。

〈5>第17回 社 会 学 部 連 携 講 座

《開 講 年 》1988年

《募 集 定 員 》30名

《テ ー マ》 現 代 日本 の社 会 が 直 面 して い る 基 本 問 題

《平 均 受 講 率 》55.8%

10月14日

男 女 差 は ど こ で 生 ま れ る の か?

一遺 伝 決 定 論 を越 え て 一

大 坪 庸 介

最 初 に、 空 間 把 握 能 力 や 場 所 記 憶 な どの 心 理 課 題 で 性 差 が 見 られ る こ と、 ま た脳 の 中 に性 的 二 型 を示 す 部 位 が 存 在 す る こ と を紹 介 した 。 次 に、 様 々 な男 女 差 を生 む要 因 の ひ とつ と しての 母 胎 内 で の 男 性 ホ ルモ ン(ア ン ドロゲ ン)の 働 き につ い て 講 義 した。

10月14日

つ よ い 女 性 と や さ し い 男 性 一中国 南 部 と香 港 の 近 現 代 史 か ら考 え る 一

芹 澤 知 広

最 初 に、 性 差へ の社 会 学 的 ・文化 人類 学 的 ア プ ロ ーチ を説 明 し、 と くに 「ア ジ ア女 性 の 強 さ」

につ いて 、 学 問 的 に は どの よ う に考 え る こ とが で き るか を講 じた 。 そ の 後 、 香 港 映 画 「自硫 」 の 冒頭 部 分 を紹 介 し、 「結 婚 拒 否 」、 「外 国 人 メ イ ド」、 「客 家 女 性 」 な ど、 香 港 と 中 国 南 部 の 近 現 代 社 会 史 にお け る著 名 なエ ピ ソー ドか ら、 女 性 の 自立 の イ メー ジ と実 際 につ い て 多 角 的 に議 論 す る ため の 材 料 を提 供 した 。

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10月21日

生 物 学 的性 差(セ ックス)と 文化 的性 差(ジ ェ ンダー)の 関係 湯 川 隆 子

人 間 の性 ・性 別 につ い て現 在 知 られ て い る、 生 殖 機 能 や脳 の 機 能 に 由 来 す る と考 え られ る生 物 学 的 性(性 差)と 、 社 会 規 範 や 法 律 、 文 化 、 慣 習 に よっ て規 定 され て い る 文化 的性(性 差) の意 味 内容 とそ の 特 質 につ い て 、 まず 、 具 体 的 な現 象 や研 究 結 果 を あ げ て 説 明 し、 次 い で 、 両 者 の 関係 を ど う捉 え た らよい か につ い て 、 考 え う る ア イ デ ィア や仮 説 を紹 介 した。

【(2)に分 類 され る講 座 】

〈1>公 開 講 座 フ ェ ス タ2004

(阪 神 奈 大 学 ・研 究 機 関 生 涯 学 習 ネ ッ ト)

《加 盟 年 》1999年 《テ ー マ》 い ま 、 考古 学 は 最 高 に 楽 しい

《講 師 》教 授 水 野 正 好

《募 集 定 員 》180名 《応 募 者 》178名 《受 講者 》148名

〈2>教 職員のための夏の公 開講座(奈 良県立教育研究所)

《開講 年 》2003年 《テ ー マ 》 『お くの ほ そ 道 』 をめ ぐる 海 賊 版 な人 々

《講 師》 教 授 永 井 一 彰

《募 集 定 員 》50名 《応 募 者 》34名 《受 講 者 》33名

〈3>奈 良県 生 涯学 習 カ レ ッジ 「 奈 良県 大 学連 合 依頼 講 座 」 (奈 良県 社 会 教 育 セ ンター)

《開講 年 》2001年 《テ ー マ 》 国 際 観 光都 市 の ゆ くえ〜 香 港 の 過 去 と現 在

《講 師 》 助 教 授 芹 澤 知 広

《募 集 定 員 》200名 《応 募 者 》122名 《平 均 受 講 率 》61.0%

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【(3)に分 類 さ れ る 講 座 】

〈1>第7回 こお りや ま市 民 大 学

《開講 年 》1998年 《テ ー マ 》心 の 豊 か さ、 豊 か な教 養 を身 につ け る

《募 集 定 員 》100名 《応 募 者 》84名 《平 均 受 講 率 》81.5%

催場マ員日一催主会テ定開

大 和 郡 山市 中央 公 民 館(三 の 丸会 館)・ 奈 良 大 学 の 協 力 大和 郡 山市 中央 公 民 館(三 の 丸会 館)3階 小 ホ ー ル

歴 史 ・文化 や今 日的課 題 に学 び 、21世 紀 を夢 と希 望 に満 ち た 人 生 に 100名

演 題 ・講 師

回 開 催 日 講 師 演 題

1 6月5日(土) 教 授 水野 正好 大和 は歴 史の檜舞台

2 6月12日(土) 助教授 三木 理 史 城下 町 と鉄道忌避

3 6月19日(土) 教 授 田中 文憲 世 界経 済 の動 きとわた した ちの くら し

4 6月26日(土) 教 授 蘇 徳 昌 中国人の食文化 と食生活

5 7月3日(土) 講 師 栗 原 麻子 古 代 ギ リシ ャの 家 族 と教 育

6 7月10日(土) 教 授 上野 誠 万 葉 び と の コ コ ロ …?

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