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特集特別企画展「吹上の考古学史をたどる」

文化財の調査研究における高校生のフィールドワークの可能性 一特別企画展「吹上の考古学史をたどる」展示資料から−

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l) 891‑0197鹿児島市坂之上8‑34‑I 鹿児島国際大学

1.はじめに

本施設主催の特別企画展「吹上の考古学史をたどる一 吹上高等学校社会研究部の活動を中心に−」は平成29 年6月6日〜7月]2日. 10月9日〜11月10日. 12月9 日〜12月22日の3期にわたって開催した. また12月9 日には, 日置市吹上の文化財の魅力を体感する講演会とバ スツアーを開催した資料の借用や情報提供,バスッァー 案内など.多くの関係者の方々にご協力いただき.無事企 画展を終えることができた.

今回の企画展で扱った日置市の旧吹上町一帯では,多く の遺跡の存在が知られている南さつま市金lll紫町や吹上町 が位置する薩摩半島西部の一帯は.北部九州や南島大陸 との交渉の重要な拠点となっていたことが. これまでの考 古学の調査研究から明らかにされている.

吹上や金峰町一帯の調査研究の進展は,先人の地道な フィールドワークに基礎づけられている.吹上町の考古学 研究の進展は.鹿児島県考古学会長や鹿児島県文化財専 門委員などを歴任された故河口貞徳氏による発掘調査と.

その後の文化財調査体制の整備によるところが大きく、吹 上の遺跡が学界に知られるようになった

河口氏による本格的な発掘調査の着手, さらにその後の 行政の文化財調査と保存体制の整備にいたる吹上の考古学 研究の歴史をひもとくと.その噴矢となったのは.昭和 30年代から40年代にかけて活躍した鹿児島県立吹上高等 学校社会研究部員の活動であった部員は,高橋貝塚や黒 川洞穴などの発掘調査において, 当時の学界の最先端をゆ く研究者に交じって発掘調査に参加するとともに. 自らも 丹念に地元の工事現場などを歩きまわり遺物を採集して多 くの世跡を発見した.高校生による地道なフィールドワー クの積み重ねが,吹上一帯での学界上重要な遺跡の発見 本格的な発掘調査の展開につながったと評価されよう.

特別企画展「吹上の考古学史をたどる」展示室

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今回の企画展で扱った主要な遺跡

ここで注目されるのは.高校生の文化財に関するフィー ルドワークの意義である一般の住民に文化財の意義や保 存・活用を理解していただき,それを後の世代に受け継い でいくためには,若年層に対して地域の文化財の意義や重

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吹上高等学校社会研究部室(1968年有元彰順氏提供)

吹上高等学校社会研究部員(1969年有元彰順氏提供)

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吹上高等学校文化祭(1973年有元彰順氏提供)

吹上高等学校文化祭(1973年有元彰順氏提供)

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高橋貝塚調査風景(1963年栫井廣志氏提供) 黒川洞穴の調査風景(1967年日置市教育委員会提供)

要性への理解を促すことが不可欠であり,吹上高等学校社 会研究部の文化財に関する活動は,文化財の保存と活用,

将来への継承のあり方を考えるうえで欠かせない視点を現 代に提示してくれているように思える.

本稿では,企画展で扱った吹上高等学校社会研究部の考 古学調査を中心として.残された写真や図面を紹介しつつ 企画展の概要と成果を提示するとともに.今後の課題につ いて考えてみることにしたい.

なお本報告書では当時の部の顧問であった上村俊雄氏 (前鹿児島国際大学教授),吹上高等学校卒業生の久保好実

氏有馬正己氏に, 当時の高校での思い出や本施設主催の 企画展に関する玉稿をいただいているさらに日置市教育 委員会の常田和彦氏には.現在の日置市吹上歴史民俗資料 館の活動状況について報告をいただいている. あわせてご 覧いただければ幸いである

2.吹上高等学校社会研究部の創設と活動の展開 吹上高等学校社会研究部の活動は. 1961 (昭和36)年 からスタートした当初は地域に残る民話や伝説の調査が 活動の中心であったが,徐々に活動の範囲を拡大し、考古

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黒川洞穴平函図 絢式

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黒川洞穴の調査風景(1967年日置市教育委員会提供)

学や民俗調査. 当時の地域産業や交通,人口など社会的な 問題にも取り組むようになった. また部誌も刊行し、活動 内容と成果を報告した.部誌の名称は創刊当初『民話と伝 説』 『吹上町名所旧蹟』であったが2号以下は『ふきあ脳

として年1回刊行された.

1963(昭和38)年当時の顧問の上村俊雄氏の指導の もと,部員が南さつま市金峰町高橋貝塚の発掘調査に参加 したことが『ふきあげ』第2号に記されているこの発 掘調査の参加をきっかけとして吹上一帯の遺跡の発掘調 査やジェネラルサーベイに積極的に取り組むことになっ た. また校内のテニスコートから.完形に近い弥生土器な どの遺物が採集されたことは.当時の高校生にとって考古 学への関心や部への誇りを高める出来事であったようであ る(山口1967).

次に.社会研究部員が調査に関わった日置市旧吹上町の 主要な遺跡のうち.黒川洞穴.入来遺跡.花熟里(辻堂原)

遺跡について.部誌に記された部員の記述観点を紹介し つつ概観することにしたい

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黒川洞穴の平面略図(昭和42年鯛査時有元1968)

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(1)黒川洞穴

日置市吹上町永吉に位置し,川の浸食によってできた谷 の斜面にある洞穴である.先史時代から中世.そして現代 の黒川神社にいたるまで長い期間人類によって洞窟が利

用されたことがうかがえる九州の洞窟遺跡としては代表的

な遺跡である(河口1967ほか).

黒川洞穴は. 当時の坊野小学校教諭の辻正徳氏によっ て洞穴内から遺物が発見され,遺跡の存在が周知された.

1952 (昭和27)年には,河口貞徳氏と玉竜高校生らによっ

て発掘調査が行われたさらに1964 (昭和39)年と1965

(昭和40)年には. 日本考古学協会洞穴遺跡調査特別委員 会によって調査団が組織され.河口貞徳,江坂輝弥,小片保

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黒川洞穴のFトレンチ断面と遺物略図

(昭和42年鯛査時中村1968)

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入来遺跡調査風景(1969年有元彰順氏提供) 入来遺跡調査風景(1969年有元彰順氏提供)

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入来遺跡調査風景(1969年有元彰順氏提供)

入来遺跡発見時の断面略図(尾辻ほか1968)

八幡一郎,鏡山猛賀川光夫をはじめとする当時の学界の 中心的な研究者が調査に参加したことも.黒川洞穴を周知 させることにつながった. 1967 (昭和42)年には.河口 貞徳氏らを中心とする鹿児島県史跡調査会が調査を実施し た.

黒川洞穴の調査では.各時期の縄文土器が出土しており.

弥生土器など後の時代の遺物も少量出土することから.長 期間にわたって洞穴が利用されたことがわかる洞穴から は石器などの道具類.貝輪や骨製のかんざし,ヘラなどの

垂飾品,食料としての貝殻や動物の骨などが発見され当

時の食生活や精神世界を示す貴重な資料を提供している.

さらに.縄文晩期の遺物にともなうとされる女性の埋葬人

骨の出土にも注目される.

吹上高等学校の社会研究部員は.昭和39年と40年. 42 年の発掘調査に参加した.社会研究部員は,同じく調査に 参加した玉龍高等学校の学生との交流を楽しみながら,調 査に取り組んだとのことである. また.洞穴の出土遺物か

ら縄文時代から海や陸を通じた交易がおこなわれていた こと,当時の海岸線は現在よりもかなり内陸側にあったこ とが指摘されている(東久保ほか1966).

黒川洞穴の調査は.吹上高等学校だけでなく玉龍高等学 校. ラサール高等学校. 中種子高校といった鹿児島県内の 複数の学校の生徒が参加しており.県外からは九州大学.

別府大学岡山理科大学の大学生も発掘調査に参加してい た夜のミーティングでは各トレンチで発掘状況や出土 迩物を責任者が報告し、活発な議論が行われたとのことで ある(有元1968).

(2)入来遺跡

吹上町入来にある弥生時代から古墳時代にかけての遺跡 で.伊作川下流域左岸の沖積平野へ張り出した.標高約 20mの台地上にある吹上高等学校社会研究部の部員が.

1967 (昭和42)年に入来の支石墓の測量調査を行ってい

た際.土取工事現場で多くの土器を採集したことから,遺 跡の存在が確認された(尾辻ほか1968)社会研究部員は.

土器や貝殻片の下に柱穴らしき遺構も確認している.その

後河口貞徳氏らが4回にわたって発掘調査を実施した(河 p1976ほか)社会研究部員は. 1969(昭和44)年の発

掘調査に参加した(竹之内1970)

調査では,北西から南東にほぼ直線に伸びる溝が検出さ

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花熟里遺跡調査風景(1968年有元彰順氏提供)

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花熟里遺跡の遺構配置図(堀之内1969)

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れ.最大幅約1.5m,最大深さ1.15m,長さ47mにも及ぶ.

瀞の中からは多量の弥生土器や石器.木の実などの遺物が 出土した.別地点では幅約3.0m.深さ1.25mにも及ぶ識 が検出されている(河口1976)

瀧のほかには,住居跡や貯蔵穴も検出されたさらに遺 跡の近くには.部員が測量を行った径1.4〜1.6m,厚さ 20〜30cmほどの2枚の大石を重ねた支石墓がある(上村 1964:河口1976) 調査によると大石は元の位置から動か

された可能性が高いが、近くの白寿遺跡や石塚遺跡でも同 様の大石がみつかっていることから. この付近に遺体を埋 葬した弥生時代支石墓が存在した可能性がある

社会研究部の部員は,発見時の状況や支石墓との関係か ら弥生時代の大規模な集落の存在を予測していた(尾辻ほ か1968) また発掘調査では,冬休み期間を利用して参加 したが,事前に遺跡の一部が工事によって破壊されてし まったことに対する悔しさ.天候に左右される発掘現場の 苦労.チームワークの大切さなどが『ふきあげ』に綴られ ている(石田1970).

研究部の3年生部員3名が.吹上町田尻の道路工事の現場 で炭化米が詰まった貯蔵穴と竪穴を発見したことが,遺跡 の周知のきっかけとなった(堀之内1969;上村1983) れを受け.河口貞徳氏と出口浩氏らが調査を実施し, この 遺跡は「花熟里遺跡」として知られることになった(河口・

出口1973) その後近接する吹上中学校の敷地内で遺跡の 存在が明らかになり. 「辻堂原遺跡」として出口氏.池畑 耕一氏らによって本格的な調査が行われた2009(平成 21)年には.吹上町教育委員会(現日置市教育委員会)に

よって辻堂原遺跡の発掘調査が実施された.

辻堂原遺跡からは.溝や竪穴建物跡貯蔵穴などが検出 された.古墳時代の溝は断面V字形,あるいはU字形をな し集落を弧状に囲むように検出された断面がU字状 の溝は,幅2.8m.深さ1.0mにも及び,途中で途切れるか,

曲がっている溝もあることから.溝の掘削の目的は敵から

の防御よりも,集落の部分を区画する機能が想定される(池

畑2012)

住居とみられる竪穴建物跡は計141軒検出され.方形と

円形の形態があり 面積は20㎡前後のものが多くを占め

るが, 45㎡を超える大型住居跡も検出された. また貯蔵穴 とみられる土壌も25基ほどあり,その中には炭化米の詰 まった土壌もあった.

溝や住居跡からは.多量の土器が出土しており 3世紀

後半から6世紀後半ごろの土器が主体となる古墳時代の

土器のうち, 中期の土器型式に対して「辻堂原式土器」の

名称が与えられ,南九州の古墳時代の成川式を榊成する土

器型式として学界に広まった.

社会研究部の部員は.昭和43年の花熟里遺跡の第1次 調査と翌年の第2次調査に参加した第1次調査は夏休み

(3)花熟里(辻堂原)遺跡

花熟里遺跡は,古墳時代の集落遺跡である.遺跡からは,

鱗状遺構や炭化米が詰まった貯蔵穴.竪穴建物が検出され ているそれらの遺構は,近接する南九州を代表する集落 である辻堂原遺跡から検出された溝や貯蔵穴竪穴建物の 遺構と一連のものであり,出土遺物の様相も類似すること から.近年は花熟里遺跡と辻堂原遺跡は同一の集落である

と評価されている(池畑2012:常田2012).ただし.花熟

里遺跡と辻堂原遺跡は調査の経緯が異なり,花熟里遺跡の 名称は学会発表や論文等でも用いられていることから.混 乱を避けるため本報告書では両方の名称を併用する.

昭和43年2月,卒業を間近に控えた吹上高等学校社会

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校の高校生,鹿児島大学と岡山理科大学の大学生が集まっ た.第1次調査は夏の現場で疲労に苦しめられることも あったが,住居跡も完掘でき,一生忘れられない経験となっ たと記されている. また2次調査では, トレンチ間での瀞 の関係が把握されるなどの成果があった(堀之内1969).

取り組みは,文化財の調査研究,保存の体制の構築と,そ の将来にわたる継承のためにも重要である.大学の研究室 と行政・民間を含めた調査機関と, 中学や高校の生徒の活 動との間で連携を強化し,若年層の活動を積極的に支援し 能力や可能性を広げるように環境を整えることが,文化財 の調査研究,保存をめぐる持続可能な発展に向けた鍵とな るだろう.

3. まとめと今後の課題

本稿では,企画展で扱った遺跡のうち,黒川洞穴と入来 遺跡,花熟里遺跡について,吹上高等学校社会研究部員の 関わりを通じて概観した.詳細を紹介できなかったが.社 会研究部員はこれらの遺跡以外にも南さつま市高橋貝塚や 上加世田遺跡薩摩川内市の薩摩国分寺跡など,学史上重 要な遺跡の発掘調査に参加していた.本稿で扱うことがで きなかった遺跡調査と部員の活動との関わりについては,

別稿で改めて紹介できればと考えている.

今回の企画展を開催するうえで着目したのは,高校生の フィールドワークであり,文化財の研究の進展および保存 活用における若年層の役割の重要性である.社会研究部員 のフィールドワークが,その後の南九州の文化財調査の礎 となったことは確かであり,多くの重要な遺跡と遺物の発 見は.文化財の調査研究における高校生の備える潜在能力 と可能性を明示している.文化財に関する学界や学術機関,

行政の関係機関においても, こうした若年層の能力の活用 を今後積極的に進める必要があると考える.

現在の吹上高等学校に,社会研究部は残っていない. れは,近年の少子高齢化をはじめとする社会状況の変化や 高校の活動方針の転換などに要因があった考えられるが,

従来こうした高校生の学術活動に対して,サポートする体 制が十分に整っていなかったことも要因として挙げられる かもしれない.高校生の文化財に関する研究活動が,単独 で一過性のものにとどまるのではなく,持続可能な形で発 展させるには,高校生の自発的な活動と成果の結実を期待 するだけでなく,学会や研究機関,行政機関の側から,文 化財に関する高校生の活動を多角的かつ積極的にサポート することが必要であろう.

近年日本考古学協会では.高校生によるポスターセッ ションが組み込まれ,高校生によるオリジナリティあふれ

た発表がなされている. また北海道の礼文島では,高校生 も発掘調査に参加したことが報告されており (岐阜県立関 高等学校礼文島調査班2016),高校生の学術調査への参画 を促しそれを支援する取り組みも模索されている. こうし

最後に,吹上高等学校社会研究部の顧問として南九州の 考古学研究の礎を築き,本施設の創設にもご尽力いただい た上村俊雄氏には,企画展開催にあたって多くのご協力い ただき,部誌「ふきあげ」などの展示資料を提供していた だいた. また鹿児島県立埋蔵文化財センターの東和幸氏,

日置市教育委員会の常田和彦氏,吹上高等学校OBの有元 彰順氏,栫井廣志氏,久保好実氏,南日本放送の永江廣見 氏,鹿児島県立埋蔵文化財センター, 日置市吹上歴史民俗 資料館には.展示資料の借用や提供など多大なるご協力い ただいた.末筆ながら深く感謝の意を記します.

文献

有元彰順1968「黒川洞穴発掘報告」 「ふきあげ」第6号 吹上高等学校社会研究部

池畑耕‑2012「古墳時代の拠点集落一日置市辻堂原遺 跡一」 『平成24年度鹿児島県考古学総会・研究発表会」

池畑耕一・弥栄久志・出口浩・久保二男編1977『辻堂原遺跡」

吹上町教育委員会

尾辻高徳・松木明仁・久保園彰人1968「入来(弥生)土 器採集より」 『ふきあげ」第6号吹上高等学校社会研 究部

上村俊雄1964「吹上町入来のドルメン鹿児島県考古学 会の近況」 『九州考古学」 20・21

上村俊雄l983「鹿児島県日置郡吹上町華熟里遺跡出土の 炭化米について」 「鹿大史学」第31号

河口貞徳1967「鹿児島県黒川洞穴」 「日本の洞穴遺跡j日

本考古学協会洞穴遺跡特別委員会平凡社

河口貞徳1976「入来遺跡」 「鹿児島考古』第ll号鹿児

島県考古学会

河口貞徳・出口浩1971「第一次花熟里遺跡調査報告」「鹿 児島考古」第5号鹿児島県考古学会

岐阜県立関高等学校礼文島調査班2016「浜中2遺跡で大

量の石器が発見されたのはなぜか」 『日本考古学協会第

(7)

きあげ」第4号吹上高等学校社会研究部

堀之内悟1969「花熟里逝跡発掘報告」第7号吹上高等 学校社会研究部

山口邦昭1967「発掘報告(テニスコート)」 『ふきあげ』

竹之内芳郎1970「入来遺跡発掘調査」 『ふきあげ』第8号 吹上高等学校社会研究部

常田和彦編2012「辻堂原逝跡』 日置市埋蔵文化財発掘調 査報告書(3) 日置市教育委員会

中村順‑1968「Fトレンチ」 「ふきあげ』第6号吹上高 第5号吹上高等学校社会研究部 等学校社会研究部

参照

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