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23 心豊かに杜甫に向き合う 杜甫全詩訳注 登場の意味 最新の研究成果をふまえている 本書の訳注は 清の仇きゅう兆ちょう鰲ごうの 杜詩詳注 によっている 本書は凡例で 杜詩詳注 は 杜甫詩の標準的な解釈として今日なお安定した評価を得ている として これを底本としている そして そこからはみ出す知見

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Academic year: 2021

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  下定雅弘・松原朗編『杜甫全詩訳注』四巻が、平成二八年 六月から一〇月にかけて刊行された。 それは刊行というより、 登場というのがふさわしい現れ方だった。杜甫の詩を、簡便 で、しかも確かな訳注によって読みたいという研究者や漢詩 読 者 た ち の 期 待 に 応 え て、 こ の 書 は 登 場 し た の だ と 言 え る。 こ の 書 の 登 場 に よ っ て、 杜 詩 を リ ュ ッ ク に 詰 め て 背 に 負 い、 旅先で心豊かに読むこともできるし、またこの書を指針にし て、たくさんの資料を参照しながら杜詩の深部にわけいるこ ともできる。その両方が、可能になった。           *   訳注という仕事の最も困難な領域は、翻訳だろう。他の部 分も十分に困難なのだが、原文を明晰な日本語に翻訳するこ とは、他のすべての要素を集約してさらに言葉をつむぎだす

心豊かに杜甫に向き合う

 

――『杜甫全詩訳注』登場の意味――

安藤

 

信廣

Book Review 文庫判 講談社 [本体 2300円 + 税/本体 2300 円 + 税/本体 1900円 + 税/本 体 2900円 + 税] という、 困難な上にも困難な仕事である。 この 『杜甫全詩訳注』 ( 以 下、 本 書 と 称 す る ) の 大 き な 意 義 は、 何 よ り も ま ず、 杜 甫 のすべての詩について明晰で簡潔な翻訳を示したという点に ある。説明的な訳文には、相応の意義があるが、本書の訳文 はそういう態度を選ばなかった。本書の訳注に携わった人々 は、二人の編集代表者を含めて三七人にのぼるという。その すべての人々の日本語訳がこれほどの明晰さを持っていると いうことは、驚くべきことと言える。一人一人の高い能力は 言うまでもないとしても、恐らく三七人の人々の間で相互に 批評し修正する長い努力無しには、この日本語訳は生まれな かっただろう。           *   訳文を補って、注釈は、必要な場合には説明的で、しかも 下定雅弘・松原朗編 注( )~

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最 新 の 研 究 成 果 を ふ ま え て い る。 本 書 の 訳 注 は、 清 の 仇 きゅう 兆 ちょう 鰲 ごう の『杜詩詳注』によっている。本書は凡例で、 『杜詩詳注』 は「杜甫詩の標準的な解釈として今日なお安定した評価を得 ている」として、これを底本としている。そして、そこから はみ出す知見・解釈については、語釈あるいは題意、補説で 触れるようにしている。訳注の統一性をたもち、且つ、他の 重要な解釈や最新の研究成果をとりいれるために、慎重な処 置をしたものと言える。   本 書 の 語 釈 の 大 き な 意 義 は 、 最 新 の 学 説 を 各 所 に ふ ま え て い る こと に あ る 。 本 書 第 三 巻 の 、 〇 八 二 五 ( 詳 注 に よ る 作 品 番 号 。 以 下 同 じ ) 「 蜀 を 去 る 」 詩 の 題 意 に は 、「 杜 甫 が 五 年 間 住 ん だ 成 都 ( 四 川 省 ) を 去 る 際 に 、 流 浪 の 生 涯 を 回 顧 し て 詠 ん だ 詩 。 永 泰 元 年 ( 七 六 五 ) の 作 」 と 、 詳 注 に 従 っ た 説 明 が あ り 、 そ の 上 で補 説 に は 次 の よ う に 言 う 。「 制 作 時 期 を 『 黄 鶴 補 注 』 ( 宋 ・ 黄鶴 の 『補 注 杜 詩 』 の こ と ) 巻 二 七 は 広 徳 二 年 ( 七 六 四 ) の 閬 ろう 州 しゅう 滞 在 期 と 見 る 。 杜 甫 は こ の 時 い よ い よ 蜀 を 去 っ て 長 江 を 下 ろ う と 計 画 し て い た が 、 友 人 厳 武 が 成 都 尹 いん ( 長 官 ) に 再 任 さ れ る と の 消 息 を 知 っ て 計 画 を 取 り や め て 成 都 へ と 戻 る 。 陳 尚 君 ﹁ 杜 甫 の 離 蜀 後 の 行 跡 に 関 す る 考 察 ﹂ ( 石 井 理 訳 、 研 文 出 版 『 生 誕 千 三 百 年 記 念 杜 甫 研 究 論 集 』 所 収 ) は 、 こ の 黄 鶴 説 を 支 持 す る 」。 こ の 補 説 が 重 要 で あ る の は 、『 黄 鶴 補 注 』 の 説 が 陳 尚 君 の 最 新 の 学 説 に つ な が っ て い る こ と を 知 ら せ て く れ る か らで あ る 。 陳 尚 君 の 説 に つ い て は 、 本 書 第 一 巻 末 の 論 文 、 松 原 朗 「 杜 甫 と そ の 時 代 」 に 説 明 さ れ て い る 。「 厳 武 は 、 七 六 四 年 春 、 再 度 成 都 に 来 任 し た 。 … … ( 彼 は ) ま た 朝 廷 に 働き か け て ( 杜 甫 の た め に ) 中央 官 で あ る 検 校 工 部員 外郎 を 手 に 入 れ て や っ た 。﹁ 検 校 ﹂ と は 一 般 に 、 そ の 実 務 を 持 た ず に 中 央 官 の肩 書 き を 帯 び る こ と である 。 た だ 近 年 、 こ れが 長 安 の朝 廷に お い て 就 任 を 予 定 さ れた実 職 で あ る 可 能 性 が 提 起 さ れ た 。 杜甫 の 伝 記 研 究 に お け る 画 期 と い っ て よ か ろ う 」。 こ の 「 画 期 」 を 提 起 し た の が 陳 尚 君 で あ る 。 こ う し て 、 晩 年 の 杜 甫 が 検 校 工部 員 外 郎 と い う 実 職 に 就 く た め に 、 老 病 と闘 い つ つ 長 安 を目 指 し て い たとす る 、 従 来 の考 え 方 と は 大 き く 異 な る 新 し い 学 説 を 、 本 書 に よ っ て 知 る こ と が で き る の で あ る 。   松原朗「杜甫とその時代」は、それ自体が杜甫研究の現在 の到達点を示す論文である。平明な筆遣いではあるが、研究 の最前線における杜甫像を示すものとなっている。 たとえば、 杜甫の秦州時代の文学についての指摘がある。華州司功参軍 を 辞 し て か ら 秦 州 に た ど り つ く ま で の 間、 「 約 一 ヵ 月 の 旅 に お い て、 杜 甫 は た だ の 一 首 も 詩 を 作 る こ と が で き な か っ た。 秦州の詩は、この﹁詩の死﹂ともいうべき空白の後に復活し た」と述べ、華州以前と秦州以後の詩の質的違いを明瞭に示

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している。   また、七言律詩の実質的な完成者が杜甫だったことをとり あげ、 「この事実は、杜甫が貴族文学の最終局面に位置して、 そこに有終の美を飾る詩人となったことを証している」と位 置付ける。つまり、六朝以来の貴族文学の伝統を、杜甫が全 面的に背負っているとするのである。 にもかかわらず詩を 「宮 廷の儀礼空間」に閉じ込めるという態度をとらなかったため に「次の時代の文学を先取りするものとなった」とする。杜 甫の全体像に関わる、注目すべき発言である。           *   本 書 の 語 釈 は、 相 互 に 有 機 的 に 関 連 し て い る。 た と え ば、 〇 四 二 四「 雲 山 」、 〇 八 二 五「 蜀 を 去 る 」 を は じ め、 多 く の 詩に「鷗」が登場する。〇二三九「独り立つ」詩にも「河間 の 双 白 鷗 」 の 句 が あ り、 そ の 語 釈 に、 「 し ろ い カ モ メ。 鷗 に は自由な鳥のイメージがあり、 杜甫の詩にしばしば描かれる」 とある。そして〇八三六「旅夜   懐 おも いを書す」詩の補説参照 との指示がある。同詩の 「天地の一沙鷗」 句の補説を見ると、 〇四〇一「江村」詩の「相い親しみ相い近づく水中の鷗」等 を 例 と し、 「 こ れ ら の 詩 に お け る 鷗 鳥 は 閉 塞 疎 外 感 に 苦 し む 晩年の杜甫にとって、束縛されない自由な心中の飛翔という 意味を持つ。 『校注唐詩解釈辞典』 (松浦友久編、 宇野直人執筆。 大 修 館 書 店 ) 参 照 」 と 言 う。 語 釈 の 連 繫 に よ っ て 言 葉 の 世 界 の奥ゆきが現れてくる。これを手掛かりにして読み方を広げ て み る と、 「 相 い 親 し み 相 い 近 づ く 水 中 の 鷗 」 等、 複 数 性 が 示される時のおだやかな充足感、 「天地の一沙鷗」 と言う時の、 孤独でありつつ天地と対峙する生命の誇り等が見えるように 思われる。   〇一四八 「春望」 の初句 「国破れて山河在り」 を、 本書は 「国 家はことごとく破壊されたが、山や河はもとのまま」と訳し ている。 「国」を、 通説のように「みやこ」と訳さず、 「国家」 と し て い る の で あ る。 語 釈 で は、 「 安 禄 山 の 乱 に よ っ て 国 家 が破壊されたことをいう。一説に「国」を長安と解する。た だ し 後 藤 秋 正「 『 春 望 』 の『 国 』 に つ い て 」 に よ れ ば、 杜 甫 において「国」が単独で用いられる場合、長安の意で用いら れることはない (『東西南北の人――杜甫の詩と詩語』 研文出版) 」 と言う。根拠を示して、 「国」を「国家」と訳したのである。 そうであれば、昭和二〇年の敗戦に際して、多くの日本人が 「 国 破 れ て 山 河 在 り 」 の 句 を 肌 身 に 刻 む 思 い で 想 起 し た こ と の意味も分かる。唯一永遠の国家だと思われていた軍国日本 が崩壊しても、山河はある。そのように実感した当時の日本 人の理解は、正鵠を射ていたと言えよう。           *

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  本書第二巻には、下定雅弘の論文「杜甫の詩の魅力――そ の内容と形式」が載る。この論文は、これまでのように杜甫 の文学の「悲しみの面」を偏重してとらえるのではなく、 「喜 び や 楽 し み 」 の 面 を も 正 当 に 評 価 し よ う と し た も の で あ る。 「 人 は ど ん な に 苦 し い 境 遇 に あ っ て も、 何 か 喜 び や 楽 し み を 見出して生きるものである」 。「 (杜甫も) 悲哀と苦悶の日々の 中で、 数々の喜びを見出して生きている。そのように見れば、 次 世 代 の 白 居 易 の﹁ 兼 けん 済 さい ﹂﹁ 独 善 ﹂ の 人 生 観 は 杜 甫 の 詩 を 読 む 上 で 有 効 な 補 助 線 に な る 」。 こ う し て、 「 兼 済 」 ( 人 民 の 窮 乏 を 救 う た め に 官 職 に 就 き 活 躍 す る こ と ) 、「 独 善 」 ( 公 務 を 離 れ た 時 の 私 的 な 場 で の 喜 び ) と い う 概 念 を 杜 甫 に も 適 用 し、 こ の 両 面 から杜甫を見ようとする。特に杜甫の「独善」の種々相を示 し、新しい杜甫観を展開している。杜甫を複数の側面からと らえようとする、 新鮮な視点である。白居易がはっきりと 「兼 済」 、「独善」を区分して方法化したのに対して、杜甫はやや 未分化のように、あるいは意識的に重ね合わせているように 見えるが、それらの位置付けも含めて、今後豊かな発展が期 待される視点であろう。           *   本 書 の 刊 行 に 先 ん じ て、 興 膳 宏 編『 杜 甫 詩 注 』 ( 岩 波 書 店 ) 第一期全一〇冊が完結した。同書は、先に吉川幸次郎によっ て第五冊まで刊行され、著者の逝去によって中断されていた 『 杜 甫 詩 注 』 ( 筑 摩 書 房 ) を 補 筆・ 修 訂 し た も の で あ る。 旧 著 の基礎を継承しながらも、新たな訳注としての面目を持った 大著である。第一冊に収められた興膳宏「解説   吉川幸次郎 の 杜 甫 研 究 」 に、 「 杜 甫 の 境 涯 と 戦 後 日 本 の 状 況 と の 相 似 性

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が、 (吉川に) 杜詩に関する文章を多く書かせる一つの動機に なっていたのだろう」と言う。この文章は、吉川幸次郎の杜 甫研究の根底に横たわっていたものを鋭く提示したものであ る。 こ こ に は、 吉 川 幸 次 郎 そ の 人 に 止 ま ら ず、 戦 後 日 本 に お ける中国文学研究者が何がしか共有した思いが示されていて 印 象 深 い。 二 人 の 著 者 が、 杜 甫 の 生 涯 の 体 験 に 分 け 入 り、 懇 切 な 注 釈 と 翻 訳 を 示 し て い る の は、 そ の た め で あ ろ う。 同 書 を、 本書と補い合うものとして合わせ見ることを広く勧めたい。           *   本書は、二人の編集代表者、一〇人の編集委員、三七人の 執筆者の協同作業によって完成した。その経緯は、下定雅弘 「まえがき」 等に記されている。 年齢構成も出身学校等も様々 であるのに、それを越えて協力して事に当たった三七人の執 筆者に、また多くの力をまとめあげて本書の完成という事業 を成し遂げた編集代表者に、賛辞を呈したい。   杜甫の文学を開けば、現代の私たちの言葉のあり方、現実 に対する姿勢を撃つものにくりかえし出会う。それは私たち にとって、 重々しい課題でもある。だが本書の登場によって、 杜甫の詩を読むという重々しい課題に心豊かに向き合うこと が、間違いなくできるようになったのである。 (あんどう・のぶひろ   東京女子大学) 二〇一七年度   日本儒教学会大会 ▼日時: 5月 14日(日)受付 10時~ ▼ 会 場: 早 稲 田 大 学 戸 山 キ ャ ン パ ス 33号 館 3階   第 一 会 議 室( 東 京 都 新 宿 区 戸 山 1― 24― 1早 稲 田 大 学 文 学 学 術 院 ) 東 京 メ ト ロ 東 西 線「 早 稲 田 駅 」 徒 歩 3分、 学 バス・高田馬場駅→早大正門、馬場下町バス停で下車 ▼研究発表   10時半~ 12時半 経と図――清朝における経書の読解法について(廖娟) 江戸前期における道統論と儒家神道(森新之介)   五井蘭洲と崎門の関係について(清水則夫) 伊 藤 仁 斎 と 陽 明 学 ―― そ の 思 想 形 成 に お け る 接 近 の も つ意味について(阿部光麿) ▼シンポジウム「アジアの中の陽明学」 14時~ 16時   中国陽明学 (佐藤錬太郎) /朝鮮陽明学 (中純夫) /   日本陽明学(小島毅)/司会・進行:前田勉 ▼参加費:二、 〇〇〇円 ▼懇親会: 16時 45分~ 18時半   会費二、 〇〇〇円 *参加費、懇親会費は当日受付でお願いします。 * 当 日 は 休 日 な の で 閉 門 し て お り ま す が、 学 会 参 加 者 で あ る 旨 を 言 え ば お 入 り に な れ ま す。 な お 係 が 門 に 立 つ予定でおります。 ▼お問い合わせ : 日本儒教学会大会準備委員会(〒 162-8644 東 京 都 新 宿 区 戸 山 1― 24― 1早 稲 田 大 学 文 学 学 術 院   早稲田大学東洋哲学研究室)

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