白5日(毎月1回25日発行)ISSN凹19-4制3
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部落のいまを考える⑮差別をめ
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景
野 町 均
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来年三月三目、古II落 解 放 述 動 は 全 国 水 平 社 創 立 八 十 周 年 目 を 迎 え ま す 。 創 立 大 会 の 宣 言 は 日 本 の 人 権 宣 言 と も い わ れ 、 各 種 集 会 冒 頭 の セ レ モ ニ ー で は か な ら ず と い っ て よ い ほ ど 読 み 上 げ ら れ て い る 。 し か し 、 巡 動 は 宣 言 に い う 「 人 閑 」 の 意 味 、 内 容 を 豊 か に し て き た と い え る か ど う か 。 運 動 の な か で 語 ら れ る 紋 切 り 型 の 、 薄 っ ぺ ら で 荒 っ ぽ い 人 間 観 に 違 和 感 をおぼえている人は多いはず。貧しい人間観からは、貧しい関係しか生まれないのです。 Lたわ 「人|悶を冒涜する」とはどういうことか。「人附を肋る」とはどういうことか。それらが意 味 す る と こ ろ を 、 自 分 の こ と ば で 考 え 、 表 現 す る こ と に 怠 惰 で な か っ た か ど う か 、 正 而 切 って問われていいのではないでしょうか。 交 流 会 は 「 誰 か が 隠 し 持 っ て い る 正 し い 答 え を 間 違 い な く 、 速 く 見 つ け る 」 た め の 場 で は あ り ま せ ん し 、 小 ざ か し い 議 論 と も 無 縁 で す 。 「 人 間 と 差 別 」 に つ い て 関 心 を 寄 せ る 人 び との参加をお待ちしています。 講 演 : 長 田 弘 ( 詩 人 ) 「 人 間 に つ い て 」 全体討論のテーマ:「部務のいまと〈解放〉のイメージ」 話 題 提 供 者 : 山 下 力(奈良県部落解放同既支部述合会理事長) パ ネ ラ ー : 住 田 一 郎 山 問 委 弘 山 本 尚 友 司 会 : 藤 田 敬 一 日程/9月8日出 14時 開 会 181時 夕 食 19時 再 開 21時 懇 親 会 9H9日(日) 9時 再 開 121侍 解 散 I
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一 人 間 と 差 別 を め ぐ っ て −
日 時 /9月 8日 出 午 後2時 ∼9日(日)正午 場 所 / 大 谷 婦 人 会 館 〔 大 谷 ホ ー ル 〕 ( 京 都 ・ 東 本 願 寺 の 北 側 ) 京 都 市 下 京l王諏訪町通り六条−FJv上 柳 町215 TEL(075)371-6181 交 通 /JR京 都 駅 か ら 徒 歩8分 、 地 下 鉄J烏 丸 線 五 条 駅 か ら 徒 歩2分 、 市 バ スJ烏 丸 六 条 か ら 徒 歩 2分 費 用 / A 8,000円(夕食・宿泊・朝食・参加費込み) B 4,000円(夕食・参加費込み) ご注意/※会場にはなるべく公共の交通機関をご利用のうえ、お越しください。 ※宿泊の方は洗面用具をご用意ください。 ※参加I貨は当日受付にてお支払いください。 申込み/ハガキ・FAXま た は イ ン タ ー ネ ッ ト で 、 住 所 ・ 氏 名 ( ふ り が な ) ・ 宿 泊 の 方 は 性 別 ・ 電 話 番 号 ・ 参 加 形 式 (A・ Bの い ず れ か ) を 書 い て 下 記 あ て に お 申 込 みください。 阿ll!j:社 干6020017 京 都 市 上 京 区 上 木 ノ 下 町739TEL (075)414-8951 FAX (075) 414-8952 E-mail: [email protected]
締切り/ 8月31日働
五条通
部落のいまを考え る ⑮
差別をめぐる議論の風景
野
町
均 ︵ 高 校 教 員 ︶ はじめに 部落問題について自由で聞かれた論議がたいせつ、と の主張に異を唱える人は少ない。にもかかわらず、この 訴えが繰り返されるのはそれだけ現実のものになりにく いあらわれであろう。どうして自由で開かれた論議は現 実のものになりにくいのだろう。いくつかの事例をもと に 考 え て み た い 。2
永井荷風﹁伝通院﹂をめぐって 岩波文庫の野口富士男編﹃荷風随筆集﹂上巻に収める ﹁伝通院﹂が、同書店の﹃荷風随筆﹄第一巻を底本とし か い ぜ ん たといいながら、一部改寵しているという指摘をわたし がおこなったのは一九九六年九月号の﹁こぺる﹂誌上に お い て の こ と だ っ た 。 かつては六尺町の横町から流派の紋所をつけた柿色 の包みを抱えて出て来た稽古通いの娘の姿を今は何 処に求めようか。久竪町の械多町から編笠を冠って 出て来る鳥追いの三味線を何処に開こうか。時代は 変 わ っ た の だ 。 文庫本では、本文は﹃荷風随筆﹂によってつくったと いっている。上に引いたのが底本にある部分である。と ころがそういいながら上記の﹁久堅町の穣多町から﹂を ﹁久堅町から﹂に直してしまっている。削除するならば その旨が示されなければならないはずなのに、なんの言 及もなく、あるのは旧字を新字に、旧仮名遣いを新仮名 遣いにしたとのことわりだけなのだ。 といっても校訂者が差別語と認めた語について削除し こぺる 1ますよとことわったうえで﹁穣多町﹂を除けばよい、と いっているのではない。荷風は小石川、久堅町の一角が かつては﹁穣多町﹂であり、﹁鳥追いの三味線﹂は被差 別民の生業であったと記述しているのだから、ここで部 落差別の問題について見識を示しておかなければならな いと考えれば削除という姑息なやり方ではなく注釈を付 けるべきであった。 ところで岩波書店は昨二
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年四月に現代文庫の一 冊として川本三郎編﹃荷風語録﹄を刊行した。荷風が移 りゆく東京をどんなふうに見であるき、小説や随筆、日 記に表現したのかを知るための簡便なアンリノロジーであ り、荷風ゆかりの東京の町を散策するための入門書とな っ て い る 。 ﹃荷風語録﹄にも﹁伝通院﹂は収められていて、わた しは﹃荷風随筆集﹄のことがあったからまずは編集方針 がどのようになっているかを知りたくて、編集付記の頁 を聞いた。そこには旧仮名から新仮名への変更とあわせ て、﹁本書に収録した作品の中に、今日の観点からは不 適当と思われる表現があるが、原文の時代性を考慮し、 そのままとした﹂とあった。 そこでいったんは﹃荷風随筆集﹄の二の舞はないのだ なと安堵したが、それはたちまちのうちに裏切られた。 だってそうだろう、この付記を読めば、収録作品は、仮 名遣いを別にすれば、﹁原文﹂﹁そのまま﹂と思うはずだ。 ところが﹁伝通院﹂の底本としているのは﹃荷風随筆 集﹄だというのである。つまり改寵版を底本としたうえ で、﹁原文の時代性を考慮し、そのままとした﹂などと い っ て い る の だ 。 ﹃荷風随筆集﹄の編者野口富士男氏は故人となってし まったが、ここは川本三郎氏と岩波文庫編集部に今回の 現代文庫のとった措置について一考を求めたく、わたし はその旨を記した手紙にさきの﹁こぺる﹂の拙稿を添え て同書店あてに送ったのであったが、結果は梨のつぶて で、なんの連絡もなかった。 ﹁久堅町の穣多町から﹂を﹁久堅町から﹂としたのは 単なる誤植、誤記ではなく、言論の根幹にかかわること がらだと考えるから、なんらかのかたちで編集、校訂の 方針を聞いたかったのに、いまのところ無視されたまま なのは、ちょっと語句が抜けたりしているのはよくある こと、たいした問題じゃないと考えているからなのかも し れ な い 。 あ そ つ れf
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行削除﹂と入れることも許さなかった。 :・文句が削られて、削られた跡がわからぬように 上下くっつけて発表される。 これは江藤淳﹃昭和の文人﹂︵新潮文庫︶に引用され た中野重治の文章で、ここで中野重治は﹁五勺の酒﹂の 検閲を受けたときの体験を踏まえて占領軍総司令部の検 閲の実態を述べている。中野はこのような検聞を占領軍 総司令部だけではなく日本共産党からも受けていた。永 井荷風には同様の処置が岩波書店によりなされているの は い う ま で も な い 。 江藤淳は、中野重治が受けた検閲についてこう記す。 それが﹁非道﹂であり、破壊的であるのは、単にテ クストが外部からの力によって改寵されるばかりで はない。このような検閲に規制された言語空間のな かでは、言葉が外界の正確な映像を形成し得なくな り、したがって小説の時空間を形成する力を著しく 減殺し、ついには喪失するからにほかならない。 これが永井荷風の作品に対する岩波書店の処置とは無 縁であると、人はいえるであろうか。 岩波書店は﹃荷風全集﹄を二度にわたって刊行してい る。第一次は一九六二年に、第二次は一九九二年にそれ ぞれ配本がはじまっている。同書店のためにいっておけ ば、第一次の﹃断腸亭日乗﹄はいささか杜撰で無用な校 訂が散見されるが、それらの箇所は第二次では修正され ている。新版全集では厳密な校訂がなされながら、文庫 では本文の改震がおこなわれているのをわたしは残念に 思う。全集でしっかりしたテキストがあるならいいじゃ ないかといった意見があるかもしれないが、それこそ全 集と文庫の読者を差別視しているし、やがて全集にも文 庫と同様の手がくわえられるかもしれない。そうなれば 歴史の抹殺であり、じじっ手許にある﹃激石全集﹂第六 巻︵一九五六年︶に収める﹃坑夫﹄ではすでにそのよう な 措 置 が な さ れ て い る 。 この作品の主人公が長蔵さんから芋を勧められて、空 腹なのになんとなく手を出しそびれたときの心理状態を あれこれと述べるくだりで、さつまいもを﹁芋中の、、 とも云はるべき此のお薩﹂と形容したところがあり、 ﹁、、﹂には﹁差別的言辞を偉り、昭和十年の決定版以 来伏字としたもの﹂と注が付けられている。世に激石の ファン、研究者は多くいると見受けるのに、差別問題と こぺる 3
関係しての全集校訂のあり方についてひょっとしていろ いろと議論されているのかもしれないが、わたしは寡聞 にして知らない。ファンや研究者はこれで痛療を感じな いのかしらと不思議に思うばかりである。 とはいえ、荷風や激石の文業にこんなふうに手をくわ えるのは、差別関連のことばや不快なことばについては 多くの人びとの目に触れないようにしておくほうがよい と考えている人がけつこういるからであろう。だからこ そ岩波書店は、どこかから苦情が寄せられたり難癖をつ けられたりしては対応に苦慮する、ならば後難を恐れる 観点からテキスト改寵もやむを得ないと判断したのであ ろ 、 つ 。 しかしながら自由で聞かれた議論は多くの場合、なに かを媒介としてなされるはずで、たとえば近代文学をと おして部落差別について考え、議論しようとしても、以 上のような校訂がまかり通るならばすでにその時点で議 論はできなくなってしまっているといってよい。 3 ミニスカートの向こう側 女子高校生の制服のスカート丈はどれくらいがよろし いか。高校教育の難問のひとつで、まことに悩ましい。 眺めるに、ひざ上はあたりまえで、どれくらいまでを可 とするか、いろいろと議論のあるところである。 まるで扇情的な服装、あれでは通学の服装ではないと 憤慨し、スカートの下が見えてもよいようにそれを意識 した下着まで着けているありさまにあきれかえる世の大 人は多く、そうした苦情が寄せられた高校も多いと聞く。 けれども、学校の制服メーカーの業界誌を見ていると、 スカートの丈はだんだんと短くなっているようだし、く わえて、かつてのように学校側が一方的に制服を定めて、 生徒は文句があっても口にせず、唯々諾々従っておれと いう時代ではない。生徒と教員、場合によっては保護者、 地域の方々にも参戸加していただき、聞かれた場での説得 と納得という過程を踏んで校則というル
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ルを定めるの でなければ実効は期しがたい。 ある高校で制服のありかたについて、生徒、教職員、 保護者の代表があつまって協議をおこなった。当然そこ でもスカートの長さが話題になったが、なかなか意見が 出ず、いささかしらけた雰囲気になったところ、ある父 親が場を取りなすつもりからか、男子はどんなふうに思 っているの、と矛先をむけた。とはいえこんな公式の場 でスカートの丈をどうするかなんて訊かれでも困ってし まうのがふ?っで、意見を述べる男子生徒はいなかった。父親は、意に反してますます気まずくなってしまった事 態になんとかして幕を引こうと﹁男子は短ければ短いほ どいいのかな﹂といって話題をうち切ったのだった。 そのときはなんの反発も反論もなかったのであったが、 会が終わったあと、数人の女生徒から、学校の管理職に 対し、短ければ短いほど云々の発言はセクシャルハラス メントそのものだと強い抗議があった。そのため学校と しては当の保護者に生徒の考えを伝え了解していただい た 。 そもそもセクハラという概念がない当時は、この保護 者のような発言があって、いやだなと感じてもなかなか 口にしにくかったし、たとえ批判をしたとしても一笑に 付されてしまいやすかった。それがいまではこの概念を もちいて自身の感情を表現し、相手に抗議できるように な っ た 。 ここで少しセクシャルハラスメントという概念の定着 具合を見ておこう。 一九八九年に出された三省堂の新明解国語辞典︵第四 版︶にはセクシユアルの項目はあるがセクシユアルハラ スメントは載っていない。じつは福岡市の女性が全国で はじめて性的いやがらせを理由に提訴したのがこの年で、 当時はいまほど聞き慣れた用語ではなかったから第四版 はこの言葉を採らなかったのであろう。それから十年、 一九九九年に同辞典の第五版が出て、そこにはセクハラ の説明がある。四版と五版のあいだの年月にこの問題が 大きな社会問題となり、セクハラということばが定着し た の が 窺 え る 。 個人の性に関することがらを社会に出すのははしたな いという雰囲気はセクハラ被害を受けた女性が男性を告 発するのを抑制する。だから泣き寝入りゃうやむやのま まにされていてあたかもそのような問題は存在しないよ うにされていたのだ。女性たちがそうした雰囲気に風穴 をあけ、苦痛をともなってもこの間題を白目の下に曝し、 告発しはじめたのが第四版から第五版のあいだに日本の 社会に生じた現象であった。セクシャルハラスメントと いうことばが米国からもたらされて、性的いやがらせが 社会的な人間関係上の問題と把握されるようになった。 新明解国語辞典第五版はそれを追認したのである。 話題を戻せば、ミニスカートをめぐる論議のなかで、 女子高校生たちもこのセクハラという概念を用いて、感 情を表現し、抗議をおこなったのだった。わたしはこれ を意義のあることだと思う。しかしそのいっぽうで、自 由な論議という観点からすれば複雑な問題が潜んでいる と考える。女子生徒がミニスカートを着ける気持のなか こぺる 5
に、男の子に可愛く思われたいとか、注目させたいとか の成分が多少なりともあるのではないか。とすれば制服 のスカート丈をどうするかの問題と性的なことがらは関 連している。両者を結びつけての議論をしようとすると セクシャルハラスメントになるとすれば、議論はそこか ら進まなーくなる。それぞれが自分なりに考え、その結果 を表明しあいながら議論は進む。ところがある発言をセ クハラと決めつけてレッテルを貼り、断罪してしまうと 議論は往々にして停止してしまう。 セクシャルハラスメントということばは性にまつわる いやがらせの問題を語る手がかりとなった。しかしいっ ぽうでこのことばは、気に入らない意見に貼り付けるレ ッテルともなりうる。相手にマイナスのレッテルを貼っ てみずからを﹁正義﹂としてしまうと、対話は成り立ち にくくなる。相手の意見をセクハラと決めつけることで、 みずからを﹁正義﹂の高みに上げてしまうと、﹁正義﹂ からすれば反対意見は悪であり、だから悪は抹消しなく てはならないとの考えに陥る危険性が高くなる。 ここで思い出されるのは横山ノック前大阪府知事によ る強制わいせつ行為だ。大阪地検特捜部が強制わいせつ 罪で横山前知事を在宅のまま起訴した際の起訴状には、 一九九九年の四月におこなわれた大阪府知事選挙の期間 中、同知事はアルバイトの選挙運動員の女子大生に対し わいせつ行為を計画、四月八日午後五時半ごろからおよ そ三十分間、選挙運動用のワゴン車の後部座席に女子大 生と並んで座り、両足を無理やり聞くなどして下着のな かに手を入れわいせつな行為をしたとある。 知事の引責辞任と有罪、賠償金の支払いは当然だとし ても、この事件から察するに選挙カーのなかというのは なかなかあぶないところのようだ。それにしても車中に は候補者とこの女子大生のほかに運転手や運動員もいた のにどうして、と不思議にも思う。傍若無人、厚顔、狼 籍の振舞いは論外だとしても、車のなかは女子大生が知 事の行為を拒否する状況、他の運動員や運転手に助けを 求める状況にはなかったのだろうか。知事の行為への非 難とともに多くの人が覚えた疑問であった。 そこのところを曽野綾子さんは毎日新聞紙上で、なぜ そのとき、キャ!と叫び何するのよ!と知事のほっペた をひっぱたかなかったのか、あとから裁判を起こしたり するのは女性の甘えであると書いた。 ところが、それに対し、女子学生の弁護団は女子学生 の名誉を傷つけたと作家と新聞社に抗議文を出し、曽野 さんには政府の司法制度改革審議会の委員を辞任するよ
う求めた。くわえて、曽野さんの主張を載せた毎日新聞 はメディアとしての責任を免れないとしたのである。 曽野さんの意見を検討し、批判するだけではなく意見 を掲載した新聞社の責任は免れないといった抗議はヒス テリックであり、まことに憂欝である。ちょっと横道に それるが、わたしが人権文化なることばを使う気になれ ないのは、この弁護団のような人びとがこぞって主張し ている概念ではないかと推測しているからで、もしこれ がまちがっていないとしたら、わたしは人権丈化など信 じないし、まっぴら御免をこうむりたい。 ﹁社会的にもセクハラの認識が広まる中、それに逆行 する発言を掲載したのはメディアとしての責任を免れな い﹂と弁護団はいう。曽野さんの発言がセクハラ認識へ の逆行︵とは考えないが︶だとしても、どうしてその種 の意見を新聞社が掲載していけないのか不可解でならな い。異なる立場にある者が相互の批判や対話をつうじて こそ﹁社会的にもセクハラの認識が広まる﹂はずで、曽 野さんの見解がおかしいならば反論すればよい。 ノック裁判の検察側冒頭陳述では、被害者の女子大生 は知事の執揃なわいせつ行為に対して、身体が硬直して 動かず、戸も出せなかったとある。以前にも電車の駅の プラットホームで痴漢に遭ったとき、大声で助けを求め たところ相手の男を逆上させてしまい、その場から逃げ てもさらに執揃に追いかけられた恐ろしい体験をしてい る 。 曽野さんの意見に対してはこれらの事実を対置させて 批判をしてこそはじめて議論は成り立つのに、反対意見 を掲載した新聞社を糾弾するなどはじめから対話の芽を 摘むのにひとしい行為であろう。 ﹁概して、日本の革新派は自分の枠組のなかでの言論 の自由を好むが、他流試合をしたがらない通弊がある﹂ とは粕谷一希氏が中央公論社での編集者としての体験か ら 得 た 痛 切 な 認 識 で あ る 。 ︵ ﹃ 中 央 公 論 社 と 私 ﹂ 文 塞 春 秋 ︶ 革新派だけがそうとは思わないけれど、少なくともこ の弁護団は粕谷氏の挙げる通弊からまぬがれていない。 それに、さきほどわたしは、荷風や激石の丈業に手をく わえるのは、差別関連のことばや不快なことばについて は人びとの目に触れないようにしておくほうがよいと考 えている人がけつこういるからだろうと書いたのだが、 この弁護団はその代表格に映る。他流試合を拒否する姿 勢は言論統制、全体主義につながっている。 こベる 7
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利権獲得の風景
差別の問題をあっかう際にはしばしば心が臆してしま う。気おくれしてびくびくしたり、無意味な気遣いによ って言論の場はゆがめられてしまう。この事態を小浜逸 郎氏は寸遠慮の構造﹂と名付けている。︵﹃﹁弱者﹂とは だ れ か ﹄PHP
新 書 ︶ ﹁ 弱 者 ﹂ や ﹁ マ イ ノ リ テ イ ﹂ の 問 題 を め ぐ っ て は 無 視 、 無関心に取り巻かれているいっぽうで心を寄せる人びと のあいだでは独特の精神的雰囲気がつくられてきた。部 落差別でいえば、差別の苦しみゃ辛さが被差別の立場に ないあなたにわかるはずがない、といった空気。それを 受けて、差別に遭いながらも一所懸命に頑張る心の美し い部落の人びと、というふうに賛美してしまう心性。少 なくともこれまでの同和教育や啓発の基本にあるのはこ うした心のあり方であり、この心性にとらわれたときに ﹁ 遠 慮 の 構 造 ﹂ は 形 成 さ れ る 。 渡辺俊雄氏は﹁部落解放研究﹂第百三十号︵一九九九 年︶において、みずからが身を置いてきた部落史研究の 場を振り返って、つぎのように述べている。 私なりに考えると、今まで何を議論するにしても、 解放運動という枠組みで議論してきたので、運動全 体を否定するわけではなくても批判的な議論は、研 究者などもできていなかったと思う。そういうこと を議論することは、後ろから鉄砲で撃つことになる と、運動の論理が働く。ある人にいわせれば、﹁撃 つでもかまわない、当たらなければいい、警告の意 味で撃つのは大いによろしい﹂という人も中にはい たが、全体としてはそうはならない。歴史の分野で も、松本治一郎の戦争責任の議論などは、なかなか し に く い 状 況 が 続 い た 。 たとえ渡辺氏の周囲に限られた範囲での実感だとして も、まことに率直な表明というべきで、部落史研究にお いて研究者が﹁解放運動という枠組み﹂﹁運動の論理﹂ にどれほど気遣いをしてきたかが窺われる挿話であり、 ﹁ 遠 慮 の 構 造 ﹂ の 具 体 的 事 例 で あ る 。 現代社会ではこの﹁遠慮の構造﹂は特権意識や利権と 結び付く傾向もないわけではない。部落問題に例をとる と、﹁遠慮の構造﹂に組み込まれた同和行政が推進され るなかで、一部に既得権益が発生し、そこを起点にさら に利権獲得にはしるといった現象はその典型であろう。一九九四年八月、高知県において、それまで高知ニッ ト協同組合を構成していた県内五社が協業化してモ
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ド アパンセという会社を創設した。このときモl
ド ア パ ン セは地域改善対策高度化資金からおよそ十四億四千万円 の融資を受けている。高知県としては同和行政の一環と してこの企業を支援したのだった。 ところが昨年になって、この融資のほかに、高知県は 一九九六、九七の両年にわたり、県議会の承認手続きを 経ないまま十二億円余の融資をおこなっていた事実が発 覚した。県民の税金によるヤミ融資であり、これに対し 県議会は同年三月に百条委員会を設置して真相の究明に 乗 り 出 し た の で あ っ た 。 それにしても、どうしてこの同和関連企業が融資を受 けられたのか。なぜ田市は発覚すれば政治問題化する行為 であるのになお違法行為におよんだのだろう。 県議会百条委員会での証人喚問を通じて、協業組合の 代表理事らが高度化資金をだましとったとして刑事告発 され、逮捕された。また偽証罪の疑いで、部落解放同盟 高知県連の委員長と副委員長、さらには県の前副知事や 前商工労働部長が告発され、逮捕者も出た。告発を受け た委員長、副委員長は辞任を表明し、高知県連執行部も 組織的な関与はしていないが道義的に許されることでは な い と し て 総 辞 職 し た 。 同和対策事業をめぐる不祥事や刑事事件はこれまでも 各地において発生している。これらの出来事をふまえて いえば、同和対策審議会答申に基づく法律として一九六 九年に公布された同和対策事業特別措置法の名称のなか の﹁特別措置﹂は一部企業や団体に特権をもたらす質を どこかに秘めていたようで、高知県では同和対策事業が 三十年あまりにわたって推進されるなかで行政からヤミ 融資を受けられるような一部同和関連企業やそれに積極 的に関わる解放運動を生んでいたのであって、行政のほ うもいつしか特権化を助長あるいは容認していたという ほかない。思いあわされるのは﹁呪縛﹂という関係であ る。高知県と解放運動団体のあいだの長年にわたる﹁遠 慮の構造﹂の果てが﹁呪縛﹂につながっていったのであ っ た 。 このような﹁特別措置﹂がもっ危険性については、以 前から指摘がないわけではなかった。たとえば藤田敬一 氏が﹁同和はこわい考﹄において﹁被差別部落民もしく は﹃被差別部落民であるらしい人﹂に便宜を供与するこ とによって平穏と安全を確保しようとする人がいる﹂と 述べたの比一九八七年であったし、またさまざまな研修 会の協議の場で、自身の目に映る特権化のありょうを率 こベる 9直 に 語 っ た 人 も い た 。 政治的立場から特定の運動団体を非難する人から、自 身の生活実感から思いを述べた人までいるにはいたので あったが、それらの言説はおおむね一蹴されて、敵を利 するもの、差別を助長するもの、﹁逆差別﹂﹁ねたみ差 別﹂と批判を受けた。批判というよりもレッテルを貼ら れ た と い う ほ 、 つ が い い か も し れ な い 。 高知県のある学校で人権教育、同和教育のリーダー役 をしている友人が不満げな口ぶりでわたしに﹁周回でヤ ミ融資事件についていろいろとしゃべっている人聞はき わめて限られている﹂という。さもありなんと思いなが らも、﹁でも同和教育の担当者のあいだでは少しは話題 になっているんだろう﹂と訊ねると﹁それどころか担当 者のあいだでは、この事件は触れてはならない問題とな っ て い る よ 、 つ に 思 う ﹂ と 答 え る の だ っ た 。 さきほど引用した渡辺俊雄氏のことばを借りるならば、 ヤミ融資事件について﹁そういうことを議論することは、 後ろから鉄砲で撃つことになる﹂のであろうか。もとよ り友人の観察は限られた範囲ではあるけれど、ここへき てもまだ﹁遠慮の構造﹂はなかなか強固であるといえそ う だ 。 あるいはこんなふうに考えたりもする。ヤミ融資事件 が同和教育の担当者のあいだでも話題にならないのは、 ひょっとしてこの事件と同和教育、啓発とは関係しない、 接点のないことがらだと思っているからかもしれない、 と 。 もしもいろいろな研修会や啓発の場でこの﹁呪縛﹂や ﹁特権化﹂が率直、間違に、そしてっきつめて論議され ていたとしたらどうだろう。﹁呪縛﹂﹁特権化﹂が防げた というつもりはないにしても、論議がもたらす緊張が、 ありょうを少しは変えたのではないか。 部落解放同盟の綱領には﹁部落差別を支えるイエ意識 や貴賎・ケガレ意識と闘い、差別観念を生み支える諸条 件をうちくだき、世界平和と地球環境を守り、人権文化 を 創 造 す る ﹂ と あ る 。 わたしの感覚からすれば、少なくともヤミ融資事件の 報道に接した高校生のあいだではおそらく﹁イエ意識や 貴賎・ケガレ意識﹂がもたらす部落問題のイメージより もはるかにこのヤミ融資事件がもたらすイメージのほう が強烈であると思う。換言すれば、部落の人たちはケガ レた存在だといったイメージ︵いまどきの高校生がほん とうにそんなふうなイメージをもっていると考えている 人はいるのだろうか、疑問ではあるが︶と部落の人たち あるいは運動団体は、議会を通さずにカネをぶんどる、
ひいては議会制民主主義を無視するとのイメージを比較 して、やはり前者が重大だと考える人はよっぽどおめで たい人であるだろう。その意味では、特別措置がもたら す特権化の問題をめぐる議論はいまからでも遅くないの は い う ま で も な い 。
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﹁ 生 命 線 ﹂ 川 ﹁ こ れ だ け は 絶 対 に 譲 れ な い ﹂ 人 た ち かつて日本は朝鮮半島や旧満州を国防の生命線として、 他国民の生活を破壊し、命を奪い、さらには生命線の内 側にいるはずの自国民にも大きな犠牲を強いた。自分勝 手に生命線を設定して、そこからものごとを判断する思 考はきわめて危険である。 わ たL
がこんなことを考えはじめたのは、日米安保条 約は国防の生命線と思いこんでいる人間の、沖縄での少 女強姦事件についての見解に接したときであった。 一九九五年、沖縄に駐留する米軍の兵士が小学校二年 生の女の子に暴行をくわえた事件が起きた。駐留米軍の 幹部が﹁セックスをしたければ金を出せばいいじゃない か﹂と発言して物議を醸した事実は、暴行がどのような 行為であったかをはからずも物語っている。出来事じた い痛ましいのに、さらに追い打ちをかけて痛ましさを増 幅させたのは日本商工会議所稲葉会頭の﹁そんなささい なことで、日米聞に紛争を起こすのはよくない﹂との発 言であった。この人は自分の娘がおんなじ目に遭っても ﹁ささいなこと﹂だというのだろうか。それとも他人の 娘については﹁ささいなこと﹂で自分の娘となるとそう ではないのだろうか。どっちにしたってまともな人間で はない。この発言は、発言者の人間性の問題だけでなく、 日米安保はわが国防衛の生命線というかたくなな姿勢が たぶんに影響している。 日米安保条約を生命線と考えるだけで、暴行を受けた 少女の運命には思いをいたさない神経は心肝を寒からし める。条約は国民の平和と安全を守るのに役立てるため に選択したはずなのだが、現実には駐留兵により国民が 暴行を受けている。だとすれば被害者への支援とともに、 あらためてこの条約の選択が正しいか否かを聞い、それ でもなお維持しなければならぬものならば事件が再発し ないようにするにはどうすればよいかを考えるのが政治 の思考であるはずなのに、生命線の思考がそれを阻んで し ま っ て い る 。 生き抜くためにはどうしても死守しなければならない のが生命線である。だからこれは敵味方を分げる境界線 でもある。敵と味方という党派性は政治じっきものであ こベる 11るが言論の場にあっても同様である。むしろ現実の政治 は社会の変動や党派の離合集散などでしばしば妥協が図 られるが、言論の世界ではそうした要素は少ないから、 生命線の思考はここにおいてより一層明確である。 言論の世界での生命線の思考について検討するにあた って、はじめに、この問題をたいへん刺激的に論じてい る鈴木邦男﹃言論の不自由﹄︵ちくま文庫︶の所説を紹 介 し て み よ う 。 鈴木氏はみずからを右翼という。その右翼の生命線、 氏のことばでは﹁これだけは絶対に譲れない﹂のは天皇 制である。だがこの﹁これだけは絶対に譲れない﹂姿勢 が人びとを遠ざけ、右翼を孤立させてきたと氏は見る。 そこのところの事情を要約してみるとつぎのようになる。 右翼には天皇制という生命線、つまり﹁これだけは絶 対に譲れない﹂というものがはじめからあって、そこか らすべてが出発する。天皇制という生命線を批判するの は悪であり、当然、天皇制を護持する自分たちは正義で ある。たとえ天皇制を批判する者がいても、相手は ﹁悪﹂だから話し合って改心しなければならないし、そ うするはずだと思い込んでいる。それでも改心しなかっ たら﹁滅ぼす﹂しかないと考えている。 鈴木氏は自身をふくむこれまでの右翼の精神構造が話 し合いを成り立たなくさせてきたと批判する。話し合い をするからには、相手のいうことで納得できることがあ れば、素直に認め、自分はそれは知らなかった、自分は まちがっていたと認めたらいい。普通の人ならばそれが できるのに、右翼とか左翼とかいう看板を背負った人が 出て来るとできなくなる。人びとが右翼に持つ不信感と いうのは、何かあれば暴力に訴えるんじゃないかという のが大きい。だから氏は﹁テロ否定宣言﹂を出すべきだ と考える。もっとも﹁テロの自由﹂﹁テロの権利﹂は持 っていたい右翼が多いのが現状であるらじいのだが、そ れはともかく、ここで鈴木氏が描いた右翼の精神構造は 反天皇制論者も多分に持ちあわせている。つまり天皇論 者も反天皇論者も﹁自分こそ正義﹂だと思っていて、話 し合えば、相手は﹁悪﹂だから改心するはずであり、そ れでも改心しなければ﹁滅ぼす﹂七かない。だからもう この際、正義と悪という考え方をやめて、世のなかには いろんな考えの人がいると思った方がいいのではないか、 相手は悪なのだとわざわざレッテル貼りをして罵倒しな くとも、おなじ言論の土俵に上げたら、見えてる人には すぐわかるだろう、というのが氏の結論である。 ここで要約した、右翼とテロの関係についての思考は 部落解放運動と糾弾との関係にそっくりあてはまる。テ
ロと糾弾をおなじにしているのではなく、その発想や精 神構造がよく似ていると思う。糾弾は部落解放運動の ﹁生命線﹂であり、その否定は解放運動の否定につなが ると考えている人も多い。でもほんとうにそうなのだろ うか。﹁生命線﹂の思考が、人びとをして自由な対話に 向かわせない大きな要因なのではないだろうか。 もっとも糾弾路線を批判し、その影響を排除しようと する人びとと交渉をもった経験からいえば、糾弾を徹底 的に批判しようとした人たちが発していたのはまさに糾 弾口調であった。糾弾批判を糾弾する、これもまた﹁生 命線﹂の思考の発露と考えれば当然の成り行きであった。 こんなふうに鈴木邦男氏の見解は、右翼、左翼、解放 運動等々にたずさわる政治的人聞が抱きやすい﹁生命 椋﹂的思考H﹁これだけは絶対譲れない﹂の陥葬を鋭く 衝いている。自由な対話をめざしながら、一線を越えた ならばなんとかするぞというのであれば、相手の腰が引 けるのは当然であって、﹁生命線﹂の思考、﹁生命線﹂的 政治思想をどのように考えるのか、自由な対話に向けて の 大 き な 課 題 で あ ろ う 。 * 鈴木氏の﹁テロ否定宣告一己は、何かあればテロに走る 右翼の思考と行動への不信感を拭いたいと考えた結果だ った。右翼の内部にあっても意見はさまざまであろうが、 それらの意見を訴えようにも市民が相手にしてくれない、 相手にしてくれないからますます声高になる、すると市 民はますます避けようとする、この雰囲気を氏は運動を 展開するなかで感じていた、だろう。だから、この悪循環 を断ち、たとえ賛意は得られなくとも、信頼できる運動 だと認識してもらうにはどうすればよいかを考えた結果 ﹁ テ ロ 否 定 宣 言 ﹂ に 行 き 着 い た の だ っ た 。 鈴木氏の思考過程を部落解放運動にあてはめてみよう。 反差別の訴えをしようとしても市民はなかなか関心を 持ってくれない。賛成とか反対とかいうまえに目を向け てくれない。一見、同和問題の研究集会や研修会はたく さんあって、それなりに参ノ加者もいるけれど、官庁や学 校からの動員が多く、市民の自発性にもとづく参加は少 ない。見ようによっては同和問題を避けている。これは 少なくともひとつの要因として、なにかあれば糾弾され るというふうに部落解放運動を見ているからではないか。 ならば、この雰囲気をあらためるには﹁糾弾否定宣言﹂ を す る べ き で は な い か : : : と い う ふ う に な る 。 となれば、糾弾を否定して、差別発言や落書きにどの ような対応をせよというのかとの疑問が出るはずだ。こ れについては、鈴木氏はもう正義と悪というこ項対立の こベる 13
考え方をやめて、世のなかにはいろんな考えの人がいる のであり、相手は悪だと罵倒しなくともおなじ言論の土 俵に上げたら、見えてる人にはすぐわかるだろうという。 これを部落問題に適用すれば、差別発言や落書きをした 者をわざわざ悪だ、差別者だと糾弾しなくてもその不当 性を指摘するだけでいずれがまっとうかは即座にわかっ てもらえるだろう、という結論になる。 ﹃言論の不自由﹄は単行本で出された際は﹃天皇制の 論じ方﹄と題されており、サブタイトルは﹁タブ!なき 言論、テロルなき討論を﹂であった。これを部落問題に あてはめると﹁タブ!なき言論、糾弾なき討論を﹂とな る 。 ﹁差別にたいする糾弾は、部落解放運動の生命線であ る﹂という生命線の思考に立てばこうした意見は一笑に 付されるのは承知している。それに糾弾および糾弾への 恐れが部落差別の抑止効果として作用してきた面もある し、一部に教育効果もあったであろう。それでもなお、 部落問題の解決のためには、﹁糾弾﹂なのか、それとも ﹁タブ!なき言論、糾弾なき討論を﹂なのかをわたしは 聞 い た い 。 このことについてわたし自身の考えを示しておこう。 糾弾は罪や責任を問いただし、厳しくとがめだてる行 為と説明されるが、わたしはこれを広く抵抗権の一環と して考える。それゆえ権利、義務で構成される政治の世 界においては人間だれしも抵抗権は保持しており、その あらわれのひとつとして糾弾はある。いうまでもなく、 抵抗権は権力の不法な行使に対して人民が抵抗する権利 であり、糾弾におよぶかどうかはある差別事象が権力の 不法な行使かどうかを見極めて判断しなければならない。 だから、権力の不法な行使の性格をもたない差別事象に まで糾弾を適用するのはまちがっている。私人間での差 別問題のほとんどは﹁タブ!なき言論、糾弾なき討論 を ﹂ で よ い は ず だ 。 糾弾をそれほどに限定してしまうのは差別の現実の放 任にひとしい、という意見もあろう。しかし﹁タブ!な き言論、糾弾なき討論を﹂が糾弾よりも差別の現実に働 きかける度合いが少ないとは限らない。糾弾というプレ ッシャーは人びとの心を臆させやすいというマイナス効 果をもっている。より多くの人たちに部落問題に目を向 けてもらい、考えてもらうようにするためには﹁タブ! なき言論、糾弾なき討論を﹂のほうが力を発揮するので は な い か 。 糾弾は差別をした人に差別のまちがいをさとらせる教 育活動でもあり、被差別者である部落大衆自身が解放へ
の自覚を高める機会でもあるとの意見もある。これにし た の でも、衆を侍んでの示威行動のなかで教育効果がほんと うに期待できるのだろうか。怒りに満ちた緊張感よりも 相互理解と内省をともなう真撃な対話がもたらす可能性 の ほ う が 大 き い 。 さきごろ部落解放同盟は第五十八回全国大会で﹁部落 解放運動の生命線は糾弾闘争である﹂と確認したうえで、 ﹁同盟外の委員で構成されるチェック機関を創設し、誤 った差別糾弾闘争が展開された場合の早期是正をめざ す﹂方針を決定した。 ﹁生命線﹂の思考 H ﹁これだけは絶対に譲れない﹂と 完全に無縁な人はいない。でもこうした思考に酔ってし まうのはたいへん危険だ。この危険を回避したいなら、 個人でも組織でも、自己を相対化し、客観化する姿勢が 不可欠である。糾弾闘争に﹁外部の目﹂を導入しようと しているのもそのあらわれであろう。 こうした動きに対し、わたしの感覚にもとづくことが らを申せば、さきほども述べたようにわたしは糾弾のす べてを否定はしないが、権力の不法な行使による差別に 対して自身がとる行動は糾弾より抵抗という概念が望ま しいと思っている。まして、人と人との関係をよりよい ものにしてゆくのに、糾弾ということばは相手を桐喝し、 臆させるニュアンスが付きまとっているように感じてい る。糾弾が差別をした人への抗議、反省を求める行為、 反差別の教育の場であるとして、これがどうして対話や 議論ではいけないのか、なぜ糾弾という肩をいからした おどろおどろしい語をわざわざ用いるのか、疑問である。 糾弾にこだわるのは、はじめから相手を差別者 H 悪 と そ ん た ︿ 決めつけておきたいからと付度するが、ほとんどの場合、 そんなところから出発しなくても対等の関係での対話や 議論がもたらす実りが大きいと信じる。それに権力の不 法な行使への対応にしても、糾弾がその主体を立場・資 格の問題と絡めて部落出身者に限ろうとしているのに対 し、抵抗は社会的な不正、不公正に対しては資格とか社 会的立場ではなく事態をなんとかしたいと思う者がとも に手をたずさえてゆけばよいという広やかさがある。
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自由で聞かれた論議をもとめて ある人のはなしを聞き、それを承けて自身の考えを述 べ、さらに他の人が別の意見を表明する。こうした行為 を?っじて、おたがいが考え方についての自由競争をお こない、相互の認識を高め、場合によっては合意に達し もするし、そうならなくても、相手の考えを知ることで、 こべる 15自身との相違が明確になる。自由で聞かれた論議の効用 が こ こ に あ る 。 もっともこうした効用はなかなか発揮されにくい。人 は自身の考えに固執してしまいやすいし、ときに考えの 相違は相手を滅ぼしてやりたいとの思いにさえさせる。 人にはそれぞれが是非善悪を判断する基準があるし、そ の基準の底にはことばにはなりにくい感覚がある。その 感覚をもたらすのは生まれてからこのかたの生活体験の 集積なのだから、みずからの意見の否定はこれまでの人 生の否定にもつながりかねない。 にもかかわらず、いや、だからこそというべきなのだ ろう、わたしたちが自由で聞かれた論議をもとめるのは、 対話の基底には精神の自由があって、この自由を尊重し なければならないと考えているからだ。精神の自由がな ければ心が窒息してしまう。窒息死にはいたらなくとも、 気おくれしてなにかを恐れている状態では論議はできな いし、こんなふうに心が臆する状態はよくないことだと も認識しているからだ。 くわえて部落問題をふくむ差別の問題は、差別、被差 別という立場の問題が絡んできやすい。被差別という立 場・資格が絶対化されると、人と人との関係も差別、被 差別関係として固定されやすくなる。ここでも同様に、 だからこそ自由な論議が重要になってくるといわなけれ ば な ら な い 。 差別者、被差別者というこ項対立のもとでは、差別と いう立場にあるとされた者の心を気おくれさせてしまう。 心が臆すれば論議のことばとともに問題への積極的な関 心も失われるのはいうまでもない。 いっぽう、これは被差別とされる立場に身を置く者に とってもゆゆしいことがらであって、灘本昌久氏は、被 差別者であるというアイデンティティーを強固にもつ人 の﹁そこから現実を差別的に解釈してしまう危険性﹂が 思いのほか高くあり、この危険性を可能な限り避けよう とするならば、差別問題についての自由な論議を繰り返 すことしか手だてはないと指摘する︵灘本昌久﹁差別問 題における思索と現実﹂﹃脱常識の部落問題﹄かもがわ 出 版 所 収 ︶ 。 ほんとうに自由で聞かれた議論がたいせつと考えるな らば、かけ声だけではなくて、それを阻んでいるものは なにかを見極め、克服する姿勢が必要だ。ならばその陸 路となっているのはどのようなことなのだろう、思いつ くいくつかのことがらを記してみたしだいである。
鴨水記 マ6月号︵蜘卯︶の本欄で、わたし が部落解放同盟中央本部の運動方針 を批判したことについて、読者から 次のようなお便りが寄せられました。 ﹁ ︵ 部 落 解 放 同 盟 の ︶ 新 た な ﹃ 同 和 ﹄ 行政、人権行政の確立をというス ローガンは、今年度末の﹁地対財特 法﹄期限後を見据えたものです。具 体 的 中 身 は 、 ﹃ 地 対 財 特 法 ﹄ H 特別 対策の終了が、差別解消のためにお こなう﹁同和﹄対策の終了とする国 の地域改善対策室の姿勢、それに同 調する地方行政の姿勢の問題点を指 摘し、新たなステージで部落問題、 人権問題の解決へ、運動体、地方自 治体、住民が協働の作業として進め よう、ということです。これまでの ﹁同和﹄対策の総括をふまえ、部落 民の自立のために運動体としてでき ること、行政に要求することを精査 し進めていくことは、当然のことで す。新たな﹃同和﹄行政の確立 H 同 和対策事業の継続と読み込むことこ そ、古いパラダイムにとらわれたワ ンパターンの批判ではないでしょう か。新たなステージで何をどうすべ きかを、ともに論じあうことこそ重 要 だ と 思 い ま す 。 ﹂ マわたしの短い文章に目をとめ、こ うして感想を寄せてくださったこと に感謝します。意見がちがうからこ そ﹁ともに論じあう﹂必要があるん ですね。さて、わたしの意見が﹁古 いパラダイム︵枠組み︶にとらわれ たワンパターン︵代わり映えのしな い紋切り型︶﹂かどうかは、議論の 余地がありそうです。なぜなら第一 に、﹃解放新聞﹄が伝える和歌山県 その他の交渉からは、﹁差別がある かぎり同和事業を進めよ﹂という要 求につきているように読み取れるか らです。﹁新たなステージ︵段階︶ で何をどうすべきか﹂という論点が 出ているようには感じられないので す。第二に、﹁これまでの﹃同和﹂ 対策の総括をふまえ﹂とのことです が、いったい同盟はどう総括してい るかが明らかでない以上、いくら ﹁新たな﹂という形容詞を加えても 説得力はない。部落解放と行政施策 との関係についてきちんと議論をし たうえで、なにが、どこが﹁新し い ﹂ か を 明 ら か に す べ き で す 。 いずれにしても、これまでは運動 団体と行政だけが向き合って交渉し、 施策や事業の取り決めをしてきたけ れど、もうそんな方法は通用しない のです。情報公聞がどうのこうのと いうレベルの話ではない。市民に聞 かれた方法でなければ部落差別問題 の解決に向けた取り組みは一歩も進 まないということです。ところが、 行政交渉のスタイルはいっこうに代 わり映えがせず、相変わらずのやり 方が踏襲されている。これでは﹁新 しいステージ﹂なるものは言葉だけ の話に終わるしかないでしょう。 マ ﹁ 多 事 争 論 ﹂ ﹁ 異 論 歓 迎 ﹂ 、 こ の 一 一 つは大切ですな。かつてのわたしは これができませんでした。だから硬 かったのです。いまは多少やわらか くなった、と自分では思っているん ですが、まだあきませんかねえ。 ︵ 藤 田 敬 一 ︶ 編集・発行者 こぺる刊行会(編集責任藤田敬一) 発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下Jレ上木ノ下町739 阿昨社 Tel. 075-414 8951 Fax. 075-414 8952 E-mail: [email protected] 定価300円(税込)・年間4000円郵使振替 01010-7-6141 第101号 2001年8月25日発行