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鹿児島県上野原遺跡「縄文の森」を訪ねて

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Academic year: 2021

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鹿児島県上野原遺跡「縄文の森」を訪ねて

著者 上杉 彰紀

雑誌名 阡陵 : 関西大学博物館彙報

巻 47

ページ 14‑15

発行年 2003‑09‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00024030

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鹿児島県上野原遺跡「縄文の森」 を訪ねて

上野原遺跡は鹿児島県国分市に所在する縄文 時代早期を中心とする遺跡である。遺跡は鹿児 島湾をみはらす標高250m前後のシラス台地上 に立地しており、鹿児島県を象徴する桜島の雄 大な姿も遠望することができる。

上野原遺跡では1991‑97年にかけて調査が行 なわれ、広範な面積に遺跡が広がるとともに、

きわめて濃密かつ豊富な遺構・遺物が存在する ことが明らかにされている。調査は匡分上野原 テクノパークの造成工事に伴って開始された が、調査の結果、きわめて重要な遺跡の存在が 確認されたことから、遺跡の保存が企図され、

国指定史跡として整備が進められることになっ た。 2002年10月には史跡整備が完了し、「上野 原縄文の森」として出土資料の展示施設ととも に一般公開されるにいたっている。また、 2001 年および2002年には縄文時代早期に関する調査 報告書が鹿児島県立埋蔵文化財センターによ り 刊行されている。

上 杉 彰 紀

上野原遺跡のうち、特に注Hを浴びたのは第 3エ区 (第10地点)および第4エ区(第2 7 地点)である。

第 3エ区は主に早期中葉〜後葉(特に妙見式 期• 平梧式期・塞ノ神式期)を中心とする時期 の遺跡で、膨大な遺物が出土している。この時 期の壺形土器を埋納した遺構や土偶、多様な異 形石器など、祭祀的な色彩の強い遺物が多く含 まれているだけでなく、遺物の分布が中央の稀 薄部分を中心に環状にめぐるという興味深い遺 跡の構造も明らかにされている。

第 4エ区は主に早期前葉(加栗山式期)を中 心とする遺跡で、当該期の竪穴住居が52軒に及 んで確絃されており、発見当初は「最古の定住 集落」として全国的にも脚光を浴びることとな った。最終的には一時期に同時に存在した軒数 は5 6軒と推定されたが、それでもなおー土 器型式の時間幅の中で多数の竪穴住居が繰り返 し構築されたことは、遺跡の性格を考える上で

整備された上野原迫跡

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体験学習に利用される復元炉穴 きわめて重要な手掛りとなっている。

このように上野原遺跡では多くの貴重な発見 があり、南九州の縄文文化を象徴する役割を担 っている。広範な面積の調査が行なわれ、遺跡 の全体的な姿が明らかにされたことから、 一躍 南九州の縄文文化を象徴する遺跡としてその名 が知られるにいたっている。

さて、現在上野原遺跡を訪れると、第 4エ区 で発見された竪穴住居や集石遺構、土坑などの 遺構の発掘時の姿をそのまま保存した遺跡保存 館や、遺構を復元した屋外展示、出土遺物を展 示する展示館が設けられている。展示館では上 野原遺跡の出土遺物だけでなく、南九州各地の 遺跡の資料も展示されており、上野原遺跡の重 要性を実感することができる。また、遺跡地内 では調査成果に甚づいて当時の植生を復元する ように植林され、復元された炉穴や集石では調 理実験が行なわれており、見学者が縄文時代の 人々の生活を体験することができるように工夫 されている。そこには新束晃ー氏が中心となっ て進めてきた長年にわたる地道かつ着実な研究 の成果が反映されており、研究活動と普及活動 がうまく一体化されているように思う。

しかし一方では、上野原遺跡における往時の 人々の生活の実態はほとんどわかっておらず、

むしろ遺跡の評価はこれからの研究によるとこ ろが大きい。第4エ区の早期前葉の集落跡に関 しては、多数発見された竪穴住居を取り巻いて どのような生活が営まれていたのか、あるいは

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一土器型式内(加栗山式期)で多数の住居が反 復的に構築・廃棄されたとするならば、それは どのような空間利用の原理に基づいていたのか 等々、多くの興味深い疑問が湧いてくる。また、

第3工区における多くの祭祀性の強い遺物の存 在は、実態としてどのような行為を物語ってい るのか、あるいはなぜこの時期にこうした祭祀 行為が大規模に行なわれたのかなど、遺跡の評 価にとって大きな課題となっている。

ところで、南九州では上野原遺跡のほかにも 多くの重要な縄文時代早期の遺跡の調査が行な われている。上野原遺跡に共通する性格を有す ると考えられる遺跡もあり、上野原遺跡にとど まらず、点から面へと視野を広げ、再度その面 の中で個々の遺跡を位置づけていく必要があ る。研究の進展の中で遺跡の評価が刻々と変わ ることは当然のことであり、むしろその方が望 ましいと考える。上野原遺跡がさまざまな面で 南九州の縄文文化の象徴的存在であることは変 わりないが、遺跡に対する評価が固定化するこ となく、研究の進展とともにその成果が遺跡の 理解や普及活動に反映されていくことを切望す るc

「縄文の森」が名実ともに南九州の縄文文化 に関する研究活動と普及活動の場として豊かな 実りを育んでいって欲しいと思う。

上野原縄文の森ホームページ http:/ /www. 

Jomon‑no‑morLJp/ 

参照

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