民事責任と社会秩序(1) : 社会思想からみた19 世紀フランスにおける民事責任の変遷
その他のタイトル La responsabilite civile et l'ordre social (1): l'evolution de la responsabilite civile en France au 19e siecle au point de vue de la pensee sociale
著者 今野 正規
雑誌名 關西大學法學論集
巻 60
号 5
ページ 1133‑1174
発行年 2011‑01‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/5009
民事責任と社会秩序 (1)
社会思想からみた 1 9 世 紀 フ ラ ン ス に おける民事責任の変遷ー一
今 野 正 規
目 次 序 説
第1節 導 入一~論的問題意識 第2節 分 析 の 対 象
第 3節 分 析 の 方 法
第4節 叙 述 の 順 序 及 び 構 成
第1章 中間法期における社会秩序観と民事責任 築1節 中間法期の政策的視座
第2節 労 使 関 係 と 産 業 保 護 政 策 第 3節 民法典の絹纂と民事責任
第4節 小 括 (以上,本号)
第2章 19世紀中葉における社会秩序観の変容と民事責任論のゆらぎ 第1節 19・ 世紀中葉における政策的視座の転換
第2節 19世紀中業における労使関係の変容 第3節 使 用 者 の 民 事 責 任
第4節 小 括
第3章 19世紀末葉の連帝思想と民半責任・労災補償 第1節 19世紀末葉の政策的視座
第2節 19世紀末葉における労使関係の再構築 第3節 民 事 責 任 と 労 災 補 償
第4節 小 括 結 語
序 説
第 1 節 導 入
総論的問題意識本稿は, 1 9 枇紀フランスにおける民事責任の変遷を社会思想の変遷に即して 分析しようとするものである。
135 ‑ (1133)
関 法 第 6 0 巻 第 5 号
民事責任の変遷が「過失責任から無過失責任へ」と表現されること,そして そうした変遷がその背後にある文化,社会,政治,経済といった様々な構造の 変化と密接な関係にあることについては異論がないものと思われる 。たとえば 過失責任が自由主義,個人主義,産業主義を背景とするものであるという場合,
あるいは,その延長線上に,それらのもたらす弊害の克服手段として無過失責 任の登場が説かれる場合には,民事責任の背後にある様々な構造が意識されて いるということができる 。
もっとも,今日の議論は, ともすれば過失責任と無過失責任(さらには,そ れらとセットに語られるところの保険・社会保障制度)との体系的な整合性の 確保や各制度間の相互調整に終始している観があり,何ゆえ特定の時代にそれ らの帰責原理が登場し,受容されていったのかという点には考察が及んでいな い。かつて我妻栄は,「無過失責任は, 過失責任の例外とみられようが,
並存する原理とみられようが,或いはまた,原則とみられようが,総合的原理 の一要素とみられようが, 近代の特殊な経済的・社会的事情の生んだ新た な現象と不可分の関係に立つものである」とし,「この現象と無過失責任との 結びつきを検討し,その理論の具体的な内容を明かにすることが何よりも必要 なことである」と述べていた
1)。 こうした問題提起は,今日に至るまで必ずし
も十分に受け止められてこなかったように思われる。
いかなる背景のもとに「過失責任から無過失責任へ」という変遷が生じたの か。民事責任の変遷を法解釈や立法上の変遷として捉えるのみでは,この問い に対して本質的な回答を得ることは困難である 。以上が本稿の出発点となる問 題意識である 2 ¥
1 ) 我妻栄「序」岡松参太郎『無過失損害賠償責任 論』(有斐閣, 1 9 5 3 ) 1 6 頁。
2 ) こうした問題意識 は,結果債務と手段債務という近時の債務二分論の甚礎につい て検討した拙稿「フランス契約責任論の形成 ( 1 ) ‑ ( 3 ・完)」北大法学論集 5 4 巻 4 号 ( 2 0 0 3 ) 1 4 1 0
頁以下,5 号 ( 2 0 0 3 ) 1 8 2 4
頁以下,6 号 ( 2 0 0 4 ) 2 4 1 4 頁以下に連な
るものである
。かつての拙稿では, P h i l i p p eRemy らの議論に
示唆を得つつ, 1 9 世 紀から 2 0 世紀のフランス民事責任における法解釈(これには契約責任のみならず不 法行為責任の解釈も含まれる
)の変遷に着目して,債務二分論の基礎と
その構造を 分析し,通常,契約責任に固有のものとして語られることが多い債務二分論が/'
‑ 1 3 6 ‑ ( 1 1 3 4 )
民 事責任と社会秩序 ( 1 )
第 2 節 分 析 の 対 象
以上の問題意識を踏まえ,以下での考察は, 19 世紀におけるフランス民事責 任の変遷を分析対象とする 。 ここでフランス法が分析対象とされる理由は,フ ランス民法がわが民法の母法であることに加え,後述するように,近年,フラ ンスでは,主に社会思想史の領域において, 19 世紀の民事責任の変遷に従来と は異なる意味を付与する注目すべき議論がみられることにもある 叫 もっとも,
少なくともフランスの議論を表面的に追跡するだけでは,わが国の理解と大き な差を見出すことはできない 。 ここであらかじめ,フランスにおける民事責任 の変遷を簡単に整理しておくことにしよう 。
フランスでは, 1 8 0 4 年の民法典制定から 20 世紀初頭にかけてみられる民事責 任の変遷を,産業化の進展 産業の機械化及び人間関係の複雑化 によっ てもたらされた「労働災害」 ( a c c i d e n tdu t r a v a i l ) とそれに伴って展開された 判例・学説の議論を中心に理解する 叫 すなわち,産業化の進展に伴い増加し
\不法行為責任の変遷によって特徴づけられることを明らかにしたつもりである
。以下での考察では,これをさらに
一歩進めて,そうした民事責任の変遷がもたらされた社会思想的事情を検討しようとするものである
。なお,本稿と類似の問題意識に 甚づき, 1 9 世紀イギリスにおけるネグリジェンス法理を分析するものとして,河野 良継「責任意識の制度化と近代化についての
一考察(上)(下)」阪大法学50巻
4号
(2000) 593頁以下,
50巻
6号
(2001) 923頁以下,同
「鉄道事故とネグリジェンス責任の形成」阪大法学5
2巻
3=4合併号
(2002)865頁以下が ある
。3 ) これらの議論は, 1 9 世紀の民事責任の変遷に,従来と異なる意味を付与するばか りでなく,従来型の民事責任の限界をも示し.さらには今日の民事責任が無過失責 任から次の段階へと変遷しつつあることをも
示唆している
。この点については,
HIV 感染事件を契機にフランス民事責任が直面した問題及びそれに関する議論を 扱った拙稿
「リスク社会と民事責 任
(1)一( 4. 完)一ーフランス HIV 感染事件を 中心に 」北大法学論集5
9巻
5号
(2009)2890頁以下,
60巻
1号
(2009)296頁 以下,
60巻
3号
(2009)946頁以下,
60巻
5号
(2010)1336頁以下を参照。
4 ) なお,用語の問題として次の 2 点に留意されたい。
まず民事責任 ( r e s p o n s a b i l i t ec i v i l e )
という語を,以ドでは,主に不法行為責任 を念頭に用いることにしたい
。フランスでは民事責任という語は, 1 9 世紀中葉以降 に,不法行為・契約両責任 を包括する概念として用いられるようになった
。Viney によれば,
19世紀中葉から末葉にかけて,民事責任と いう語は,行為や状況に対し て 応 答 す る あ ら ゆ る 種 類 の 債務を再編成するために用いられるようになり,/
‑ 137 ‑ (1135)
関 法 第60 巻 第 5 号
た事故によって,判例・学説は,損害の原因(=加害者のフォート)の証明を 被害者に課すことについて不都合を意識するようになり,被害者の損害填補を
容易にするために,被害者の証明負担を緩和•免除する法律構成を考案し,被
害者の救済を図った,というものである叫こうした民事責任の変遷は,加害 者の制裁よりも被害者の損害填補を重視するため「被害者学」 ( v i c t i m o l o g i e )
と呼ばれることがある見
こうした判例・学説の理解を最も純化した形で示したのは, 2 0 世紀中葉に民 事責任の基礎理論を包括的に検討した BorisStarck の議論であろう叫 Starck
は,民事責任の変遷を被害者の権利保護の拡大として描き出している 。 Starck
によれば,これまでの民事責任の基礎に関する議論は,フォートを基礎とする 場合であれ, リスクを基礎とする場合であれ,加害者の「活動の自由」と被害 者の「安全に対する権利」の間の均衡を探求するものであった。現代は「労働
\
「その学説上の起源は,その適用領域が新しい対象(契約不履行,懲戒権,国家や 公共団体に対する特定の賠償の権利……)に徐々に広げられたということを説明し ている」 (GenevieveV i n e y , l a r e s p o n s a b i l i t e , Archives de p h i l o s o p h i e du d r o i t 1 9 9 0 , t
.XXXV, p . 2 7 8 .
)。こうした理解からすれば,フランス民法典の編纂時の不 法行為責任を民事責任と表現するのは,厳密にいえば不正確であることになる。し かし,語の射程・対象を明確にしておく限りで,民事責任という語を用いることに 不都合はないと考える
。次に,以下では a c c i d e n tdu t r a v a i lという語に「労働災害」 という訳語をあてる ことにしたが,これは慣例に倣ったものであり,「事故」という語と区別する意図 はない
。したがって,以下では「
労働災害」を「事故」の一類型として位置づけ,「
事故」に関する言及は,そのまま「労働災害」にも及ぶものであることに留意さ れたい
。5
)H E N R I
ET LEON MAZEA
UD , J E A N MAZEA
UD E T FRAN
CO I
SC t t A B A S , L e f o n s de d r o i t c i v i l
:O b l i g a t i o n s : t h e o r i e g
徊r a l e ,t . I I
,V o l . 1 , g e e d i t i o n , M o n t c h r e s t i e n , P a r i s , 1 9 9 8 , n
°3 8 0 , p
.3 7 2 .
6
)P H I L I P P E L E TouRNEAU, La r e s p o n s a b i l i t e c i
℃i l e , P . U . F . , P a r i s
,2 0 0 3 , p . 1 7 .
7
)B o R I
SSTAR
CK , E s s a i d ' u n e t h e o r i e g
徊r a l ede l a r e s p o n s a b i l i t e , c o n s i d e r e e e n s a double f o n c t i o n de g a r a n t i e e t de p e i n e p r i v e e , t h e s e , P a r i s , 1 9 4 7 . なお, S t a r c kの t h e s eは未公刊であるが,北洵道大学附属圏書館に原本のコピーが所蔵されている
。S t a r c kの民事
責任論については,淡路剛久 「ス タ ル ク 教 授 の 民 事 責 任 論 _ 『 保 障理論』 を中心にして」日仏法学1 0 号 ( 1 9 7 9 ) 1
頁以下(同 『不法行為における権 利保障と損害の評価』〔有斐閣, 1 9 8 心 1 8
頁以下に所収)が詳細に紹介している。‑ 1 3 8 ‑
(1 1 3 6 )
民事責任 と社会秩序 ( 1 )
者,旅客,歩行者の上位に,人間を,つまり社会で生活する人間を見出す」時 代であり,人間は「あらゆる状況で,確かに常に,『全く同じものでも,全く 別のものでもない』が, しかし,結局は,有責性なければ責任なし,という規 範を弛まずにきっぱり否定しさえする技術によって身体的安全を保証されてい
る 」
8)。すなわち,今日まで作り上げられてきた「リスクの観念,管理債務,
契約上の安全債権,運送概念の変貌,これらの技法は,異論の余地なく認めら れ,追及される目的を達成することもあれば,達成しないこともあるが,いず れも安全の権利という非常に単純な現実をみることを妨げる幕にすぎないので ある」
9)。確かに,「引き起こされた損害の全てが他人の権利に対する侵害を構 成するわけではない」
10)。「その活動によって害する権利を被告が行使すること ができる場合」には,権利の侵害がある場合であっても,加害者の「活動の自 由」が保護される
11)。 しかし,「人間の生命,身体の完全性,物理的な財産の 侵害,それらはまさにいかなる社会も看過できない最低限の安全であ」り
12),これらの権利は他の権利に優先して保護されなければならない 。 したがって,
「現代的形式のもとで責任の問題を生んでいるのはそれら〔活動についての加 害者の権利と安全に対する権利〕の衝突である」
13)。現実を直視するならば,
今日検討されるべき課題は,加害者の「活動の自由」 これは加害者の権利 である と被害者の「安全に対する権利」の均衡をいかにして確保するかに あり,「損害の発生から生じた紛争において,係争中の二当事者の権利と自由 がいかなるものであるかを探求しなければならない」
14)。 こうして S t a r c k は , 権利間の序列を確立することが現代における民事責任の課題であるとした 。そ れゆえ, 1 9 世紀末に学説上展開された民事責任の基礎理論や,政策的意図に基
8 ) I b i d . ,
p.5 5
et s.9 ) I b i d . ,
p.5 6 . 1 0 ) I b i d . ,
p.4 4 . 1 1 ) I b i d . 1 2 ) I b i d .
1 3 ) I b i d . ,
p.4 3 . 1 4 ) I b i d .
‑ 1 3 9 ‑ ( 1 1 3 7 )
関 法 第6
0巻 第
5号
づいて制定・設置された特別法や社会保障制度は,こうした被害者の権利保護 の拡大とそれによる民事責任の拡大の延長線上に描き出されることになる 。
Starck による加害者の「活動の自由」と被害者の「安全に対する権利」の 均衡という図式は, 権利保護の拡大という観点から保障責任を導く構成に 独創性がみられるとしても フォートやリスクに基づく従来型のフランス民 事責任の理解のみならず,過失責任と無過失責任に関するわが国の説明にも通 じるところが多い 。さらに,こうした理解の示唆する方向性についても,わが 国の議論とフランスの議論にはある程度の共通点を見出すことができる 。たと えば, Starck は,自らの議論の延長線上に「保険」による損害の補償を位置 づけている
15)。「保険は被害者保護を確実にするだけでなく,『事故』の偶発的 な加害者に対してさらなる利益を有している 。なぜなら今日,保険を契約する ことは,おびただしい数のフォートの 1 つを犯さないよりもずっと容易である からである」
16)。かくして被害者救済の拡大とそれに伴う民事責任の拡大は,
保険・社会保障制度への民事責任の発展的解消を示唆することとなる
17)。 こう した議論がわが国における近時の議論とも一定の共通性を有することについて は,あらためて 言及するまでもないであろう 1 8 ¥
15)
I b i d . ,
p.7 1 .
16)
I b i d . ,
p. 73.ただし, S t a r c k は , 保 障 と し て の 民
事 責任を強調する反面で,フォートの
主観的側面を重視し, その限りで民事罰 (peineprivee)を認めている
。保障としての民事責任とフォートに
基づく 民事責任をこうした機能上の観点から明確に区別できるかどうかは問題がなくはないとしても,民事責任による被害者救済 を強調する S t a r c k が,それでもなお民事責任に民事罰としての機能の存続を認め てい
たことには留
意すべきである。民事罰についての S t a r c k の議論については,
淡路剛久「損害論の新しい動向
(2)クロロキン判決を契機に」ジュリスト
771号
(1982) 130頁以下(同『不法行為における権利保障と損害 の評価』 〔有斐閣,
198
釘
106頁以下)を参照。
17)
こうした観点から,フランス法を分析対象に,社会法が民事責任に及ぼした影響 を分析したものとして山口俊夫「社会法と民事責任 とくに社会法による民事責 任排除の
意義について」日仏法学 4 号
(1967)1頁以下がある
。18) 民事責任と保険・社会保障の関係については,わ
が国でもかねてから議論されて きたところである
。先駆的なものとして
,自動車事故に関する災害保険化構想を提 示する藤岡康
宏「
自動車事故による損害の 賠償 交通災害保険化構想への総論
/‑ 140 ‑ (1138)
民事責任と社会秩序
(1)第 3 節 分 析 の 方 法
以上のように,民事責任の変遷を表面的に捉えるならば,たとえフランス民 事責任の変遷を分析対象とする場合であっても,わが国の理解と大きな差はな
く,いかなる背景のもとに「過失責任から無過失責任へ」という変遷が生じた のかを明らかにすることは困難である 。 「過失責任から無過失責任へ」という 法現象の含意を理解するためには,それを判例・学説の変遷として捉えるこれ までの議論と意識的に距離を置く必要がある。そこで以下では,近時のフラン ス社会思想史からの示唆をもとに,フランスにおける民事責任の変遷について,
次の 2 つの観点から考察を加えていくことにしたい。
第 1 に,以下では「過失責任から無過失責任へ」という法現象を,判例・学 説の変遷としてではなく,判例・学説の変遷の背後にある社会秩序観の変化と
して理解する。ヨリ具体的には,被害者救済の拡大として繰り返し検討されて きた民事責任の変遷を,社会秩序をめぐる問題構成の変遷との関連で問いなお すという方法を用いることにする 。 その際に注目するのは,事故をめぐる言説 の変化である。事故をめぐる言説の変化を考察するという方法は,後述する F r a n c o i s Ewald によって採用されている方法であるが,以下での考察では,
これを引き継ぎつつ, ヨリ民事責任の変遷に引きつけて,次のような含意で用 いることにしたい 。すなわち,従来の議論は,労働災害や交通事故,公害や医 療事故といった事故を, 1 9 世紀初頭に編築された民法典が想定していなかった 現象と捉え,その帰結として, 1 9 世紀後半以降にみられる民事責任の拡大を被 害者救済の拡大と結びつけてきた 。 このような見方に立てば,それまで,立法 や学説に進展がなかったのは,労働災害や交通事故,公害や医療事故という事
...
実が存在しなかった または無視できるほど例外的な事実にすぎなかった ことに帰され,他方で,立法・判例及び学説による法解釈の進展は,新し
\的展望(一)(ニ
・完)
」北大法学論集24巻
3号
(1973)25頁以下,
25巻
1号
(1974) 43頁以下を,さらにヨリ包括的な「総合救済システム論」を主張する加藤雅信「現行の不法行為被害者救済システムとその問題 不法行為法の将来構想のために」
ジュリスト
691号
(1979)52頁以下を参照
。‑ 141 ‑ (1139)
関 法 第6 0 巻 第 5 号
い現象へ対処するための積極的かつ賞賛されるべき営みとして描かれることに なる
19)。 しかしながら,容易に想像がつくように,労働災害や交通事故,公害 や医療事故といった事実は,多かれ少なかれ時代を問わず存在した事実であり,
1 9 世紀前半に存在しなかったわけではない。こうした観点からすれば,民法典 がそれらの事実を想定していなかったという前提に基づいた分析は,必ずしも 妥当ではない。それらの事実がいつの時代にも存在したとすれば,民事責任の 変遷は,少なくともある特定の時代においては,それらが何ゆえ民事責任に よって処理されるべき問題ではなかったのか,反対に,ある特定の時代におい ては民事責任の外部に位置づけられていた問題が,何ゆえ別の時代においては 当然のように民事責任によって処理されるようになったのか,といういわば問 題構成の変遷として分析される必要があるのである 0 2 ¥
なお,こうした観点から,以下では 1 8 8 0 年以前の議論が検討の中心となる。
従来,フランス民法典制定以降の民事責任を検討するにあたっては, 1 8 8 0 年を 境に 2 つの時期に区切って検討されてきた
21)。そして,これまでの研究の多く
は , 1 8 8 0 年以降の議論のみを分析対象とし,それよりも前の議論については せいぜい民法典の編纂過程に注目するのみで あまり検討していない。
しかし,民事責任の変遷を,その問題構成の変遷との関連で問いなおすという
1 9 ) こうした進歩史観に対しては,今日学術研究の方法論
一般として多くの批判があることにも留意すべきである
。また,「リスクを伴う活動を
一定時間継続した時に発
生する総体としての事故の確率」は一定である,とするリスク・ホメオスタシス 理論は,学説としての評価は分れているとしても,こうした進歩史観的理解につい て,統計学的・確率論的に再考を迫るものとして
受け止めることができる
。リス ク・ホメオスタ
シス理論については,ジェラルド・ J ・ワイルド(芳賀繁訳)『交通 事故はなぜなくならないか一ーリスク行動の心理学』 (新曜社, 2 0 0 7 ) を参照。
2 0
)これは「過失責任から無過失
責任へ」という法現象を法対象性 G u r i d i c i t e ) の変 遥として位置づけることにほかならない。法対象性は,風俗,道徳,礼節などの他 の規範から,法規範を区別するための概念であり,法現象を他の社会現象から独立 した現 象 と し て 考 察 す る 際 に 用 い ら れ る
。}EANCAR
BO N N J E R , S o c i o l o g i e j u r i d i q u e , P . U . F . , P a r i s , 1 9 9 4 , p
.305
.2 1
)HENRI ET LEoN MAZ
EA
UD ETANDR
ET
uN
c,T r a i t e t h e o r i q u e e t pratique de l a r e s p o n
‑s a b i l i t e c i v i l d e l i c t u e l l e e t c o n t r a c t u e l l e
,t
.l
,6
ee d i t
io n , M o n t c h r e s t i e n , P a r i s , 1 9 6 5 , n ゜ 5 6 ,p . 70
.‑ 1 4 2 ‑
(1 1 4 0 )
民事責任と社会秩序 (1)
方法を用いる場合には,むしろ,注目されるぺきは民事責任に根本的な変化が もたらされる 1 8 8 0 年以前の議論であり,それを明らかにすることによってのみ 問題構成の変遷を確認することができるのである 。
第 2 に,以下では,被害者救済の拡大という観点から離れ,社会秩序の維持 という観点からフランス民事責任の変遷を捉えなおすことにしたい
22)。 これま での議論は,民事責任の変遷が被害者救済の歩みであることを無批判の前提と してきた 。確かに,民事責任は被害者の損害填補を目的とする制度である。し かし,従来の議論は,民事責任の機能を被害者の損害填補に集約するあまり,
その他の機能をあまりにも軽視しすぎる傾向にある。つまり,これまで被害者 の救済という側面が強調される反面で,加害者の制裁やそれを通した社会秩序 の維持という側面は,消極的に 言い換えれば,被害 者救済の反射的効果と して一一位置づけられるにすぎなかった。これに対して,近時では,被害者救 済という機能とは異なる観点から,民事罰 ( p e i n ep r i v e e ) を通した行為の道 徳化という機能に,民事責任の新たな活路を見出すものがある
23)。たとえば,
Suzanne Carval の指摘するように,こうした民事罰は,今日消費者契約や労
2 2 ) なお,以下では,社会秩序ないし社会秩序観という語を多用するので,ここであ らかじめこれらの語について,言及しておくことにしよう
。一般に秩序
( o r d r e ) という語は,規則立った関係のことを意味し,したがって 社会秩序という語は,社会の規則立った関係を意味する。しかしながら,以下では ...
社会秩序という語を,
一定の規律によってもたらされる社会の規則立った関係という意味で用いることにしたい
。ここで規律という要素をあえて強調したのは,社会 秩序が規律する主体=支配層の認識(=社会秩序観)と密接に関係することを明確 にするためである
。換言すれば,以下では,ア・プリオリに事実として存在する社 会秩序を想定しているのではなく,支配層の規律を通して構築される社会秩序を想定している
。2 3 ) S u z A N N E C A R V A L , La r e s p o n s a b i l i t e c i v i l e dans s a f o n c t i o n de p e i n e p r i v e e , p r e f a c e de Genevieve V i n e y , B i b l i o t h e q u e de D r o i t P r i
西,t . 2 5 0 , L . G . D . J . , P a r i s , 1 9 9 5 . フ
ランスにおける民事罰概念については,廣峰正子「民事責任における抑止と制裁 ( 1 ) ( 2 ・
完)一ーフランスにおける民事罰概念の生成と展開をてがかりに一~」立命館法学 2 9 7 号 ( 2 0 0 4 ) 1 2 2 3 頁 , 2 9 9 号 ( 2 0 0 5 ) 2 7 0 頁以下を参照。なお,近時では,
カタストロフィによってもたらされた損害について加害者の制裁が強調されている ことにつき,拙稿・前掲注 (3) 「リスク社会と民事責任 ( 2 ) 」 2 7 5 頁以下を参照。
‑ 1 4 3 ‑ ( 1 1 4 1 )
関 法 第60巻 第 5
号
働契約などの領域において加害者の行為を道徳化することにも資しており,被 害者救済の拡大によって消滅するどころか拡大さえしている。それゆえ,こう
した機能を無視してまで民事責任の保険・社会保障制度への移行を語ることは できない 。民事責任と呼ばれる制度を,契約を履行しなかった債務者や他人の 権利を侵害した加害者に対する法的制裁として位置づける場合には,契約不履 行や不法行為に対する事後的救済を法的に明確化しておくことで,契約不履行 や不法行為を犯さないことを義務づけ,社会秩序の維持を図る機能が民事責任 には認められる。こうした指摘に鑑みれば,民事責任の変遷は,行為主体の道
徳化という側面からも問いなおされる必要があろう
24)。
そこで,以下では, 1 9 世紀における支配層の社会秩序観に着目しつつ,民事 責任を規律権力のー作用として位置づけ,民事責任を通した社会秩序の維持の
ありかたを検討することにしたい 。 1 9 世紀フランスにおいて,支配層は社会秩 序を形成・維持するために,個人の日常生活を規律する多くの手段を提案・実
践した。 MichelFoucault は , 1 8 世紀末にヨーロッパに広まった監獄制度の登 場に,それまで犯罪者を死刑にすることで無害化していた権力が,犯罪者を生 かしたまま監獄に収容し,絶えざる監視と規律に服せしめることで社会適合的 な存在に再生する権力へと変化するありさま,つまり規律権力の拡散を見出し た25) 。 こうした Foucault の枠組みを受け継いだ Fran~ois Ewald は , 1 9 世紀 末葉に生じた「責任の社会化」を,責任から連帯へ,民法から社会法へ,ある
いは自由主義社会から保険社会 ( s o c i e
託a s s u r a n t i e l l e ) へと至る過程として描 き出し,民事責任を規律権力の拡散という社会政策ならびにそれを司る支配層 の社会秩序観の変遷のなかに位置づけている
26)。 Ewald の議論は,われわれ
24) 吉田克己『フランス住宅法の形成 住宅をめぐる国家・住宅・所有権』
(東京大学出版会, 1997)は,こうした分析視角から19世紀フランスにおける住宅 法の変遷を分析する先駆的な研究である。
2 5 )
ミシェル ・フーコー(田村傲訳)『監 獄 の 誕 生 監視と処罰—―ー」(新潮社,1977)
。
2 6 ) FRAN C O I S Ew A L D , L ' E t a t p r o v i d e n c e , Bernard G r a s e t , P a r i s , 1 9 8 6 .
なお,Ewald
の 議論については,わが国では主に基礎法学者をはじめとして,様々な領域で注目を 集めている。今関源成「自由主義的合理性の変容と福祉国家の成立ー一ーフ ラン/‑ 144 ‑ (1142)
民事責 任と社会秩序
(1)の関心事である被害者の救済と社会秩序の維持の両立を,あるいは民事責任と 保険制度・社会保障制度との両立を可能にしてきた民事責任のメカニズムを分 析するうえで,社会政策やそれを司る支配層の社会秩序観の分析が必要不可欠 で あ る こ と を 示 し て い る 。 もっとも, Ewaldは 法 制 度 や 法 解 釈 に か な り 言 及 しているものの,彼の議論が法制度や法解釈へ直接的に還元されることを目的 としていないためか,これまで民事責任の観点から彼の議論に検討を加えるも の は 必 ず し も 多 く な か っ た
27)。 したがって,以下では Ewaldの 議 論 を 引 き 継
ぎつつも, ヨ リ 法 制 度 や 法 解 釈 と の 関 連 を 意 識 し つ つ , 必 要 に 応 じ て Ewald の議論をも相対化する形で分析を加えることにしたい
28)。
第 4 節 叙 述 の 順 序 及 び 構 成
以下では,「過失責任から無過失責任へ」という法現象を, 1 9 世紀フランス の議論に仮託する形で,各時代の社会秩序観に示される問題構成の変遷として 分析する 。 その際には,まず民法典に体現された民事責任の理論的基礎を明ら か に し ( 第 1 章),次にその解釈的変容を社会秩序観の変化に即して検討する
\ソワ・エヴァルド『福祉国家 ( L ' E t a tP r o v i d e n c e ) 』 」大須賀明編 『 社会国家 の憲法理論』 (敬文堂, 1 9 9 5 ) 3 貞以下,中山竜一 「 『 保険社会』における不法行為 ー一不法行為法から私保険・社会保障への重心の移動に関する思想史的考察」近大 法学4 3 巻 1 号 ( 1 9 9 5 ) 1 0 5 頁以下,竹内章郎『平等論哲学への道程 l ( 青 木書店,
2 0 0 1 ) , 中沼丈晃「エワルドの責任論」摂南法学2 9 号 ( 2 0 0 3 ) 1 頁以下,米 I J J 高生
「 フランソワ・エワルドによるパラダイム論と無過失責任論」損害保険研究 6 5 巻 3=4 合併号 ( 2 0 0 4 )3 0 9 頁以下,西迫大祐 「 フランソワ・エワルドにおける『リス クの法哲学 』 」法哲学年報2 0 0 6 ( 2 0 0 7 ) 2 4 3 頁以下 。
2 7 ) もっとも,これは民法学者が無関心であ っ たということではない 。Ewaldの 議 論について民法学的な観点から検討を加える必要性についてはかねてから意識され ており(前掲注〔2 6 〕 の諸論稿を参照),フランスでは,民法学者が Ewaldの議論に 言及することは珍しくない 。また,わが国でも 早い段階から民法学者によ って Ewaldの議論が取り上げられてい た 。 星野英ー = 出中成明絹『法哲 学 と実定法学 の対話』 (有斐閣, 1 9 8 9 )3 9 5 頁 〔 星野英一発言 〕 。
2 8 ) なお, Ewaldの 議論の前提となる F o u c a u l tの議論と民事責任との関係について は,別稿「民事責任とミシェル・ フ ーコーの仮説 ( 仮題) 」において扱う 予定であ る 。本稿で扱うことができない問題の ← 。 部もそこで扱われる 。
‑ 1 4 5 ‑ ( 1 1 4 3 )
関 法 第 6 0 巻 第 5 号
ことにしたい(第 2 章 ) 。そのうえで,最後に民事責任と保険・社会保障制度 との関係を連帯思想との関係で検討することにする(第 3章)。各章の叙述の 構成は,次の 3点に要約される。
第 1 に,各時代の支配層の社会秩序観を社会問題に対する政策的対応に即し て明らかにする。もっとも,一言で社会問題といっても,その含意は多様であ る。以下で考察の対象となるのは,貧困という社会問題に結びつけられた支配 層の社会秩序観に関するものである。ここで貧困が取り上げられるのは, 1 9 世 紀フランスにおいて,貧困が,あらゆる社会問題の根源に位置づけられる問題 であったからである。支配層が社会秩序を形成するために国家・社会・個人の 関係をどのように理解していたかを知るうえでは,貧困に関する政策的対応を 無視することはできないのである 2 9 ¥
第 2 に,各時代の社会政策の適用対象である労使関係を取り上げ,検討を加 える。労使関係は,近年のフランス社会思想史において,個人や国家に解消す る こ と が で き な い あ る い は そ れ を 媒 介 す る 「社会的なもの」 ( l e
s o c i a l ) を観察する際に分析対象とされているが,民事責任の文脈において,
労使関係は,社会政策と民事責任の交錯点としての意味をも有している。とい うのも, 1 9 世紀末葉にフランス民事責任の大転換をもたらしたのは,労働災害 2 9 ) 民事責任による被害者救済が労働者及びその家族の扶助と結びつけられるのは,
1 9 世紀ヨーロ
ッパの特徴といってよい
。1 8 7 1 年にドイツで制定されたラィヒ損害賠 償法が,こうした動機に基づくものであった点については,浦川道太郎「ドイツ危 険責任法の甚礎― ‑ t ヽ
`イツ民法典の成立と危険責任の展開 」比較法学1 1 巻 2 号
( 1 9 7 7 ) 1 0 2
頁を参照。なお, 1 9 世紀フランスの社会問題とその政策的対応につい ては, JA
CQ
UESDoNZELO
T,La p o l i c e d e s f a m i l i e s , Edition de Minuit, P a r i s , 1 9 7 7 , p
.4 9 e t s
. (ジャ
ック・ドンズロ〔宇波彰訳〕『家族に介入する社会』〔新曜社, 1 9 9 1
〕53 頁以下): I o , L ' i n v e n t i o n du s o c i a l : E s s a i sur l e d e c l i n d e s p a s s i o n s p o l i t i q u e s , Seui4 P a r i s , 1 9 9 4 : GrovANNA PRocAc
cr , Gouverner l a m i s e r e : l a q u e s t i o n s o c i a l e en F r a n c e , 1789‑1848, Seui4 P a r i s , 1 9 9 3 : RoBERT CASTEL
,Les metamorphoses de l a q u e s t i o n s o c i a l e : Une chronique du s a l a r i a t , Gallimard, 1 9 9 9 . 邦語のものとして,
阪上孝
『近代的統治の誕生』(岩波書店, 1 9 9 9 ) ,
吉田・前掲
書注( 2 4 ) , 赤司 道和
『 1 9
世紀パリ社会史』(北海道大学 図書刊行会, 2 0 0 4 ) , 田中拓道
『貧困と共和国 社会的連帯 の誕
生 』(人文書 院, 2 0 0 6 ) を参照。以下で社会問題に
言及する箇所は,これらの先行研究に負 うところが大きい
。‑ 1 4 6 ‑ ( 1 1 4 4 )
民事責任と社会秩序 (1)
をめぐる労使間の紛争であったからである 。つまり,労使関係は,支配層の社 会秩序観が私人間にどのように反映され,または反映されなかったのかを確認 することを可能にする場であると同時に,民 事責任にどのように反映され,ま たは反映されなかったのかを確認することを可能にする場でもあり,労使関係 を取り上げることで,支配層の社会秩序観と民 事責任を接続することが可能と なる
30)。
第 3 に,各時代の社会秩序観と労使関係にみられる適用のありかたから得ら れた示唆をもとに,民事責任に関する議論の変遷を確認する 。先述したように,
これまで民事責任に関する議論の変遷は ,判例・学説の変遷として捉えられて きた。 しかし,こうした議論と意識的に距離を置く以下での考察においては,
判例・学説の変遷よりも,その基礎にある社会秩序観や労使関係におけるその 適用のありかたと対照することが主要な課題となる。また, 1 8 8 0 年以前の民事 責任に関する動向については,そもそも判例・学説上,民事責任に関する議論 自体が非常に乏しい 。 したがって,社会秩序観と労使関係にみられる実践のあ
りかたは,こうした不足を補ううえでも,重要な視点を提供する 。
最後に,以上の問題意識・分析対象・分析方法と関連して,ここであらかじ め次の点を確認しておくことにしたい 。以下での目的は,民事責任の変遷を,
1 9 世紀フランスの議論に仮託する形で,支配層の社会秩序観に示される問題構 成の変遷として分析することにあるが,それはただ単に民事責任が社会秩序の 維持という観点から一貰して説明できることを示すことのみを,また民事責任 が積極的に社会秩序の維持という役割を担ってきたことのみを示すことに向け られているわけではない 。以下での分析は,今日における民事責任の基礎を確 立した 1 9 世紀の議論が,いかなる社会秩序観のもとに形成されたかを埋解する
3 0 )
なお,以下では, 労使関係を原則として労働者( o u v r i e r )
と使用者( p a t r o n )
の関係に単純化して理解する。厳密にいえば,労働者と使用者の間には,作業場長( c h e f d ' a t e l i e r )
や職工長( c o n t r e m a i t r e )
といった管理職にあたる者がおり,こ れらを労働者に含めるか使用者に含めるかについては,時代によ って違いがみられ るが,さしあたりわれわれの関心からすれば,これらを労働者と使用者に単純化し て考えることに問題はないと考える。‑ 1 4 7 ‑ ( 1 1 4 5 )
関 法 第60巻 第5
号
ことで,その条件及び限界を明確にすることへも向けられている 。支配層が個 人の規律に最も関心を寄せた 1 9 世紀フランスは,かつてないほどに労働運動・
社会運動が実施された時期でもある。被害者救済,民事罰による行為者の道徳 化,保険・社会保障制度の登場は,こうした労働運動や社会運動への対応とい う側面も有しており,またその限りにおいて,一定の条件や限界をも示唆して いるのである。
第 1 章 中間法期における社会秩序観と民事責任
フランス民法典の編纂事業は,
1800年
8月
12日の民法起草委員会の設立には じまる。この委員会によって作成された草案は,各機関での審議を経て,
1803年
3月から各章ごとに単行法として制定された。
1804年
3月
21日の法律によっ
てこれらの単行法は
1つにまとめられ,「フランス人の民法典」
(Codecivil des Francais)として公布されることになる。
このフランス民法典に設けられた民事責任規定
(1382条から
1386条)は, し ばしばフランス民法典の一般的性格に照らして理解されてきた。すなわち,フ
ランス民法典は,自然法思想に基づく個人主義・自由主義を体現した近代的な 法典であり,そうした性格は,過失責任という形で民事責任の諸規定にも具体 化され,契約の自由や所有権の絶対性とならんで,近代法の精神を具現化する ものとして位置づけられてきたのである。実際, 1 9 世紀初頭から中葉にかけて,
いくつかの学説は,フォートを定義する際に
1789年の「人及び市民の権利宣 言 」 5 条を参照し,個人は法によって禁止される有害な行為以外のすべてをな
しうること,それゆえ個人が責任を問われるのは当該個人が違法行為(=
フォート)を遂行した場合のみであること 換言すれば,法律さえ守れば責 任を問われることがないこと を強調するようになる
31)。今日の学説におい
31) こ う し た 理 解 は , 民 法 典 編 築 後 の 比 較 的 早 い 時 期 か ら み ら れ る。たとえば,Toullierは, 1382条のフォート要件を「なす権利を有しないことをなしたこと」で あるとし,「なす権利を有することをなしたこと」はフォートにあたらないとする。 CARLEs‑BoNAVENTURE‑MARIE TouLLJER,
Le
droit civil franrais suivant l'ordre du Code, t.11, 4e edition, Waree, Paris, 1824‑1828. Halpもrinは, こうしたフォートの定義/‑ 148 ‑ (1146)
民事責任と社会秩序 ( 1 )
ても過失責任は自由意思を有する諸個人を活動へと駆り立てる原理として位置 づけられている
32)。
ところで,近時,従来とは異なる観点からフランス民法典の性格を検討する 動きがみられる 。 これらの議論は,民法典が絹纂委員や各機関での審議におい て,ローマ法,慣習法,王令をはじめとする古法,あるいは自然法思想,啓蒙 思 想 NapoleonBonaparte の影響など様々な要素を加味して制定されたこと ヘ目を向ける 。たとえば XavierMartin にとって,民法典は,家族を基礎とし て国家に奉仕する封建的な社会の枠組みを維持しており,フランス革命の理念 であった個人の解放に対する反動的な側面を有している
33)。 また, Jean‑Louis Halperin は,フランス革命によって崩壊した国家や社会の法的再統合を目的
とした民法典が,中間法期に,法律家による様々な批判にさらされ,結果的に 自由主義とはほど遠い伝統的な法制度をも包摂することになったとしている 4 3 ¥
こうした近時の議論は ,民法典を個人主義的・自由主義的なものとしてのみ理 解すぺきでないこと,さらには民事責任の諸規定についても再検討が必要であ
ることを示唆しているように思われる 。
それでは,中間法期における支配層の社会秩序観から民事責任の諸規定をみ た場合,それらに体現された社会秩序観とは, 一 体いかなるものであろうか 。
\
に H e i n e c c i u s
やWolffの影響を指摘している
。J e a n ‑ L o u i sH a l p e r i n
,French d o c ‑ t r i n a l w r i t i n g , i n , The development and making of l e g a l d o c t r i n e , e d i t e d by N i l s Jansen
,Cambridge U n i v e r s i t y P r e s s , 2 0 1 0 , p . 8 0 f f .
3 2 ) P h . L
eTourneau,
supra n o t e 6
,p . 9 e t s .
3 3 ) X
AV I E R MARTIN, Natur
ehumaine e t R e v o l u t i o n f r a n r a i s
e: du si e c l e d e s l u m i e r e s au Code Napoleon
,Dominique Martin Mo
ガn ,P a r i s , 1 9 9 4 : I o , Mythologi
edu Code Napoleon
:Aux s o u b a s s e m e n t s de l a France moderne, Dominique Martin Morin, P a r i s
,2 0 0 3 . また,クザヴィエ・マルタン
(野上博 義訳) 「ナポレオ
ン法典の神話」
名城法学 40 巻 1 号 ( 1 9 9 0 ) 1
頁以下,同(金山直樹訳)「自 由 ,
平等,
博愛 フ ランス革命神話の再検討
」姫路法学8 号 ( 1 9 9 1 ) 1 4 1
頁以下も参照。3 4 ) J E A N
‑L
omsH A L P E R I N
,L'
im p o s s i b l e Code c i v i l
, P.U . F .
,P a r i s
,1 9 9 2 : I o , H i s t o i r e d
eD r o i t p r i
涎f r a n r a i
sd e p u i s 1 8 0 4 ,
P.U . F . , P a r i s
,1 9 9 6 . また,
ジャン
=ルイ・アル
ペラ
ン(野上博義訳)「ナポレオン法典の独
自性」名城法学4 8 巻 4 号 ( 1 9 9 9 ) I
頁以下も参照。
‑ 1 4 9 ‑ ( 1 1 4 7 )
関 法 第60巻 第5
号
以下では,まず個人主義・自由主義を中核とした社会秩序観を 一瞥し,個人主 義・自由主義の外縁とその民事責任規定への影響を確定しよう ( 第 1 節 ) 。そ のうえで,次に,統領政府期には労使関係をめぐって,それとは相容れない社 会秩序観が存在したことを確認し(第 2 節),以上を踏まえて,最後にフラン
ス民法典の民事責任規定について考察を加えることにしたい(第
3節 ) 。
第 1節 中間法期の政策的視座
一般に,過失責任は,個人主義・自由主義を基礎とするものと理解されてい
る。 しかしながら,ここでいう個人主義・自由主義は,時代に応じて様々な意 味を付与されており,必ずしも 一義的なものではない。したがって,フランス 民法典が採用した過失責任と個人主義・自由主義との関係を理解するためには,
何よりもまずフランス革命後の個人主義・自由主義の意味を固定しておく必要 がある 。
フランス革命後の個人主義・自由主義は,貧困に関する社会政策(ないしそ れに関する支配層の認識)に端的に示されている 。革命後のフランスでは,旧 体制下において国王の臣民として,あるいは同業組合に服する労働者として生 活してきた人々を,国家の担い手として自由を享受しうる国民に育て上げるこ
とが政策的な課題となった。しかしながら,当初から全ての国民が自由を享受
できる主体であったというわけではない。旧体制下で社会の外部で生活してい た物乞いや浮浪者,あるいは私生児や捨て子は,革命後,杜会秩序を不安定に する要素であると同時に,国民として社会へ包摂されるぺき対象ともされた 。 その際に,旧体制下の政策は激しい批判を招き, ヨリ個人主義的・自由主義的 観点からの社会政策が喚起されることとなったのである 。
Ewaldによれば,こうした社会政策にみられる個人主義・自由主義は,フ ランス民法典の民事責任規定とも無関係ではない 。 ここでは, Ewaldに倣い,
まず貧困という社会問題に関する支配層の認識とその社会秩序観を確認し
(1),次にそうした社会秩序観と民事責任規定との関係を確認することにしよう ( 2 ) 。
‑ 150 ‑ (1148)
民事責任と社会秩序
(1)( 1 ) 貧困に対する政策は古く,既に 1 7 世紀に見出すことができる 。貧民の収 容目的で 1 6 5 6 年にパリに設置された一般施療院は, 1 6 7 6 年に,フランスの各都 市へと拡大された 。また,こうした動きと並行して,教会は一般施療院と同じ 目的を持つ施設を各地に設置した 。 これらの収容施設は,「『性別,出身地,年 齢の別なく,地位身分を問わず,健康であれ病身であれ,全治可能であれ,不 治であれ」あらゆる貧困者にふりむけられ」
35),貧民に救済を与えると同時に 彼らを監禁・抑圧し,強制労働に服さしめるものであった 。 も っ と も こ う し た政策は,ほとんど効果を示さず,収容施設の設置後も,貧困は拡大の 一途を 辿った。たとえば, 一般施療院は,その設置当初においてこそ貧困の抑止に貢 献したが,その 20 年後には収容人数が 1 万人を超え,施設を拡大せざるを得な い状況に陥る
36)。 こうした収容施設の拡大と収容人数の増加は,収容施設が公 的資金によって運営されていたために,国庫を圧迫するようになる 。
かくして 1 8 ‑ 世紀になると,啓蒙主義者を中心に,貧困に対する社会政策が再 検討されるようになる 。その基本指針は,貧民の経済的自立を促進する観点か ら,貧民に対する扶助を国家的に実施する, という点にある 。 これは監禁と抑 圧による従来の政策との決別を意味し,貧民を社会に包摂することで,貧困を 解消しようとするものであった。貧民を監禁・抑圧し,強制労働に服さしめる だけの従来の政策は,人間に貧民になる利益のみを与えるものであり,貧民に 依存心をもたらし,彼らを怠惰にする。その結果として貧困が拡大し,監禁・
抑圧が強化され,収容施設の拡大をもたらすという悪循環に陥る。この時期の 貧困に関する認識は, Montesquieuが明確に述ぺているように,「人間は無一
物であるがゆえに貧しいのではなく,働かないがゆえに貧しいのである」
37)と いう点にある 。それゆえ,貧困は労働を促進することによって解消されなけれ
35)
ミシ
ェル・フーコ
ー(田村俄訳)『狂気の歴史
古典主義時代における一―‑』(新潮社, 1975)69頁。
36)
フーコー・前掲書注
(35)補注(〈一般施療院〉 の歴史)
566頁。また阪上・前掲書 注(29)245頁によれば, 1767年に設置された物乞い収容所には,その廃止の前年には
7万
1760人が収容されていた。
37)
モンテスキュー(野田良之他訳)『法の精神
(中)』(岩波書店,1
989)391頁。‑ 151 ‑ (1149)
関 法 第
6 0
巻 第5 号
ばならない。 1757 年に AnneRobert Jacque Turgot は,貧民を施設に収容す ることが貧民の増加をもたらすと同時に,それが公的資金の浪費に繋がってい ることを指摘し,こう述べている。「健康な人間はみな自分の労働で自分の生 活の糧を手に入れるべきである。なぜならひとが労働せずに養われるとすれば,
そのひとは労働している人たちの犠牲において養われるであろうからである。
国家がその成員ひとりひとりのためにしなければならないこと,それは彼らの 勤労を妨げたり,その報酬としての生産物の享受を妨げたりするもろもろの障 害を取り除くことである」
38)。
このように 18 世紀の啓蒙主義者は,貧民への扶助を労働の促進に見出し,そ れを政策の中核とした。もっとも,労働の必要性それ自体は,古くから宗教上,
道徳上認められてきたところであり,収容施設でも強制労働が実施されていた。
しかし,その場合の労働は,生活の糧を手に入れる手段というよりも,毎日を 無為無策に過ごすことに対する宗教的・道徳的な制裁・規律の手段であり,そ の罪に対する贖罪を意味するものであった
39)。 これに対して, 18 世紀の啓蒙主 義者が説いた労働は,その価値に結びつけられている点で,意味を異にしてい る。周知のように, 18 世紀後半に,イギリスの経済学者 AdamSmith は,労 働をもって富の源泉とし,あらゆる商品の交換価値を測定する真の尺度として 位置づけ,そうした商品の自由な交換,すなわち契約を可能にする市場によっ
て社会秩序が形成されると考えた。 18 世紀フランスの啓蒙主義者は,ちょうど これと同様の観点から,封建制や中間団体によって経済的自由が阻害されてい ることこそが貧困の原因であると考える。換言すれば,啓蒙主義者にとって,
貧困を解消するためには,市場を歪める封建制や中間団体を排除し,市場と契 約を機能させることで労働の価値を回復させる必要があったのである。労働は,
3 8 ) Anne Robert Jacque T u r g o t , a r t i c l e ≪ f o n d a t i o n ≫ , i n , E n c y c l o p e d i e , ou D i c t i o n ‑ n a i r e r a i s o n n e d e s s c i e n c e s , d e s a r t s e t d e s m e t i e r s , par une s o c i e t e de g e n s de l e t t r e s .
(〔津田内匠訳〕「財団『百科全書」の項目 」 『チュルゴ経済学著作集』 〔岩波書店,
1 9 6 幻 3 8 頁 ) 。なお,本文の叙述との関係で,引用した箇所の訳語を 一部改めた。
Turgot
は,1 7 7 4
年に財務総監に就任し,いくつかの収容施設を廃止している。3 9 ) R . C a s t e l , s u p r a n o t e 2 9 ,
p.2 7 4 e t s .
‑ 1 5 2 ‑ ( 1 1 5 0 )
民事責任と社会秩序 (1)
従来のように貧民を監禁・抑圧し,強制的に行わせるものではなく,また封建 領主の搾取や中間団体の介入の危険にさらされることもない状態で,自由に行 われるものでなければならない。富は労働によって創り出され,労働の自由に よって最大化される 。国家の役割は,貧民の労働や,それによってもたらされ る利益を享受する障害となるものを除去すること,換言すれば労働の自由 厳密には,労働ヘアクセスする自由 を保障することにある
40)。こうした観 点から, Turgot は 1776 年 2 月に同業組合をはじめとする中間団体を禁止する 勅令を布告する 。 この勅令は, 同年 8月の勅令によって緩和されるものの
フランス革命直後の政策に大きな影響を与え, 1789 年 8 月1 1 日のデクレに よる封建制の廃止, 1791 年 3月 2日のデクレ(いわゆるダラルド法)による同 業組合の廃止と営業の自由の宣言へと結実することとなる
41)。
かくして,経済活動を制限する旧体制下の政策は,革命後,労働者と使用者 との自由な契約による取引を可能にするために,次々と改革の対象とされ,貧 民の経済的自立を促進する政策へ置き換えられることになった 。 ここにみられ
4 0 ) Turgot はこう述べている
。「もしこれらの障害が存続するなら,個々の慈善は全 体の貧困を少しも減少させないであろう
。なぜなら原因がそのまま完全に残るから である」。 A . R . J .T u r g o t , s u p r a n o t e 3 8 .
(前掲注〔3 釘 3 8
頁)。4 1 ) さらに, 1 7 9 1 年 6 月 1 4 日のデクレ(いわゆるル・シャプリエ法)は,同業組合の 廃止に加え,労働者の結社をも市場を阻害する要因として位置づけ,禁止したが,
その狙いは,労働者の結社による秩序の悪化を防止し,同時に労働条件の改善要求
に よ っ て 窮 地 に 立 た さ れ た 使 用 者 を 救 済 す る と こ ろ に あ っ た と い わ れ る
。Le C h a p e l i e r は,労働者の結社による労働条件の改善要求が,個人と個人の自由な合
意を阻害するとしている( A r c h i v e s p a r l e m e n t a i r e s d e 1787 a 1 8 6 ' 0 , l ' e s e r i e 1 7 8 7 ‑ 1 7 9 9 , t . 2 7 , C e n t r e N a t i o n a l de l a R e c h e r c h e S c i e n t i f i q u e , P a r i s , 1 8 8 7 , p . 2 1 0 . )
。なお,
同法による中間団体の廃止を「営業の自由
」との関係で位置づけるものとして中村紘
ー 「ル・シャプリエ法研究試論」早稲田法学会誌2 0
巻( 1 9 6 9 ) 1 頁以下を,また ヨリ包括的な観点から革命期の諸立法を「営業の自由」との関係で位置づけるもの として稲本洋之助「フランス革命と『営業の自由』」高柳信
一=藤田勇絹『資本主義法の形成と展開 l 資本主義と営業の自由
』(東京大学出版会,1 9 7 2 ) 1 7 9
頁以下,同
「フランス革命と近代私法秩序」長谷川正安他編『講座・革命と法第 1巻』(日本評論社, 1 9 8 9 ) 1 4 5
頁以下を参照。革命期の社会秩序観との関係では,高村学人
「フランス革命期における反結社法の社会像一―ール・シャプリエによる諸立法を中
心に
」早稲田法学会誌4 8
巻( 1 9 9 8 ) 1 0 5 頁以下を参照。
‑ 1 5 3 ‑ ( 1 1 5 1 )
関 法 第60巻 第 5
号
る社会秩序観は,社会が自由で責任ある主体として労働に服する個人の集合か ら形成される場合には,市場と契約が労働へのアクセスと労働から得られる正 当な利益を保障する限り貧困は生じない, という非常に明確なものである。反 対に,貧困に陥っている個人は,その怠惰さや,あるいは不連によって貧困に 陥っているものと考えられる 。 1790 年 4 月 30 日に設置された「物乞い根絶委員 会」は,こうした観点から貧民を,労働可能であるにもかかわらず,労働しよ うとしない貧民(偽の貧民)と,年齢・疾病のために労働できない貧民(真の 貧民)に区別し,このうち労働できない貧民のみが,完全な扶助を要求するこ とができるとする
42)。反対に,労働できる貧民については,怠惰なものとされ,
労働を課すことによって社会に再び包摂される 。 同委員会委員長 LaRoche ‑ fouca uld‑Liancourt は,こう述べている。「社会の義務はそれゆえ貧窮を予防
し,救済し,生活するために労働を必要とする人々に労働を提供し,貧民が労 働を拒む場合には,労働を強制し,最後に年齢や身体障害 ( i n f i r r n i t e ) によっ
て仕事に就くあらゆる手段を奪われている者たちに労働抜きで扶助を 与えるこ とである」
43)。
もっとも,国家が偽の貧民へ労働を提供することに対しては多くの批判がな され,現実の社会政策には結びつかなかった点には注意すべきである 。 Castel によれば, 19 世紀前半の自由主義者へと引き継がれるこの批判は, Delecroy を嘴矢とする
44)。 1796 年 1 0 月 3 日(共和暦 5 年葡萄月 12 日)に, Delecroy は , 貧民への扶助を国家の債務とし,その反射的効果として貧民に扶助を要求する
4 2 )
この労働能力のある貧民 (真の貧民)と労働能力のない貧民(偽の貧民)という 区別は,Turgot
をはじめ,1 8
世紀後半の様々な貧困政策の計画案において用いら れた区別である。A N N E ‑ R O B E R T ‑ J A C Q U E ST u R G O T , I n s t r u c t i o n s s u r l e s moyens L e s p l u s c o n v e n a b l e s de s o u l a g e r L e s p a u v r e s , i n , <Eu
℃r e s du Turgot e t d o c u m e n t s l e c a n c e r ‑ n a n t , ed . p a r Gustave S c h e l l e , t . 2 , F ' e l i x Alcan , P a r i s , 1 9 1 3 ; r e i m p . 1 9 7 2 , p . 1 2 e t s . 4 3 ) La R o c h e f o u c a u l d ‑ L i a n c o u r t , P l a n de t r a v a i l du c o m i t e pour ! ' e x t i n c t i o n de l a
m e n d i c i t e , i n , P r o c e s ‑ verbau x e t r a p p o r t s du c o m i t e de m e n d i c i t e de L a c o n s t i t u a n t e , 1790 ‑ 1791 , p u b l i e s e t a n n o t e s p a r C a m i l l e Bloch e t Alexandre Tuetey , Im‑
p r i m e r i e n a t i o n a l e , P a r i s , 1 9 1 1 , p . 3 1 7 . 4 4 ) R . C a s t e l , s u p r a n o t e 29 , p . 3 7 4 .
‑ 1 5 4 ‑ ( 1 1 5 2 )
民事責任と社会秩序 (1)
権利を認めることが,国家の財政的悪化をもたらしていると批判した。 もっと も,自由主義者の見解は,確かに扶助の権利を承認することに否定的ではあっ たが,貧民への扶助そのものを否定してはいない 。 Ewald によれば,彼らの 関心は,貧民への扶助に終止符を打つことではなく,従来のありかたを改革す ること,言い換えれば,貧民への扶助を否定するのではなく,それを法的債務 とし,貧民に扶助を要求する権利を認めるという過度なまでの扶助のありかた に向けられた
45)。 Delecroy は,こう述ぺている。「貧民は一般的な同情につい てのみ権利を有する」
46)。つまり,貧困に関する政策は,ア・プリオリに扶助 の可能性を否定するものではないにしても,貧民の権利を国家の債務に対応す るものとして法的に承認すること,あるいはその扶助を法的債務とすることに は消極的である必要がある, というのが自由主義者の主張である 。貧民に与え られる扶助は, もはや貧民の権利としてではなく,扶助を与える者の同情に よってなされる道徳的義務として位置づけられるにとどまるのである。
こうした議論は,貧民の経済的自立を促し,貧民をいかにして貧困を克服す る自由な主体に至らしめるかという点において,従来の議論の延長線上にある 。 その出発点は,貧民の貧民たる所以が,貧民の怠惰な性格にかかわるものであ る以上,その帰結である貧困は,あくまで貧民に帰属されるべきであるという ものである 。 しかし,それを促す扶助の具体的形式については,従来の議論と 一線を画している。貧民への扶助は, もはや国家の債務ではない。貧民へ扶助 を与える債務は,貧困の現実から直ちに生じるのではなく,悲惨な運命や苦し みのみならず,そのような光景を目の当たりにする者の同 l 冑から生じる
47)。そ れは社会における人間相互の道徳的義務であり,法的債務ではない 。貧民に対
4 5 ) F . Ewald, s u p r a n o t e 2 6 , p . 5 5 .
4 6 ) J . ‑ B . D e l e c r o y , Rapport s u r / ' o r g a n i s a t i o n d e s s e c o u r s p u b l i c s , Convention n a t i o n a l e , s e a n c e du 1 2 v e n d e m i a i r e an V , p . 4 , c i t e p a r R . C a s t e l , s u p r a n o t e 2 9 , p . 3 7 5 .
4 7 )
このような観点から,扶助は施設において集権的になされるべきではなく,家庭 においてなされるべきであるという識論が展開される。1 9 世紀フランスにおいて,
家 族 が 社 会 秩 序 の 維 持 に 重 要な役割を担っていたことについては,
J .D o n z e l o t , s u p r a n o t e 2 9 , La p o l i c e d e s f a m i l i e sに詳しし
'o‑ 1 5 5 ‑ ( 1 1 5 3 )
関 法 第60巻 第5号