本の製造業にとっての可能性
著者 上田 曜子
雑誌名 經濟學論叢
巻 66
号 4
ページ 683‑703
発行年 2015‑03‑20
権利 同志社大學經濟學會
URL http://doi.org/10.14988/00027459
【研究ノート】
「タイプラスワン」 (タイ+ 1) としてのラオス
―日本の製造業にとっての可能性―
上 田 曜 子
1 は じ め に
2014年3月に,ラオスを訪問する機会があった.南部のパクセ,2013年 にニコンが進出したことで注目されるサワンナケート,そしてビエンチャン を回り視察を行った.現地では日系も含めた複数の企業や工業団地を訪問し,
ラオス政府から投資環境についての説明を受けた.そこで見聞した内容を踏 まえて,タイ経済を研究する筆者からみた,ラオスにおける日本の製造業の 可能性を論じたい.
近年,タイの賃金が上昇した結果,労働集約的産業,あるいは労働集約的 な生産工程が,低賃金の周辺国(ラオス,カンボジア,ミャンマー)に移転するケー スがみられるようになった.これに伴い,これら3カ国が「タイプラスワン」
(タイ+1)と称されるようになった1).タイに拠点を置く日系企業2)の場合は,
1) ただし,どの国が「タイプラスワン」に該当するのかについては,流動的である.本稿では,
タイと国境を接する上記3カ国に限定した.「タイプラスワン」の概念として,タイに拠点を置く 企業が,タイ国内の整備されたインフラを有効利用することを念頭に置いて,周辺国で生産され た部品などをタイの工場に輸送し,タイで最終製品として組み立てるケースを想定しているため である.盤谷日本人商工会議所(JCC)(2014,9頁)は,「タイプラスワンとはタイに拠点をお いて活動する企業が,周辺国に生産拠点などを拡大しつつ,分散・補完をする動きをいう」と述 べ,上述の3カ国以外に,インドネシア,ベトナム,フィリピン,南アジア諸国(バングラデシュ,
パキスタン,インド,スリランカ)を候補国として掲げている.JCCが2013年11-12月に実施し た調査票による調査(前掲書,9―10頁)によると,タイプラスワンの観点から,タイ以外にすで に拠点を設立した企業が28%,検討中の企業が19%にのぼった(回答企業数295社).また,拠 →
タイの賃金上昇により,競争力を失った労働集約的なセクターが国境を越え て,その活動範囲を周辺国に拡大させていく様子を表している.
2 タイにおける日系企業の直接投資について
日本企業によるタイへの直接投資は1960年代に始まり,すでに半世紀が経 過した.日本企業の直接投資は,これまで製造業を中心に行われ,タイの工業 化と経済発展を促進する大きな力となってきた.タイは,産業別GDPや輸出 品の構成という観点から,1980年代に農業国から工業国へと転換を果たした.
日本企業の貢献がなければ,タイが輸入代替工業化を開始した1960年前後か ら20数年間で,農業国から工業国に転換することは困難であったと言っても 過言ではないだろう.特に自動車産業においては,日本企業が成長の牽引役を 果たしてきた.2012年には,自動車・同部品の輸出は総輸出金額の10.0%に達し,
コンピュータ・同部品を抜いて,最大の輸出品目となった(ジェトロHP). 2013年には,その比率は10.7%となった(ジェトロバンコク事務所,2014c). タイでは日本企業による産業集積が進み,ASEAN諸国の中では,タイに最 も多くの日系企業が進出している.同国で操業する日系企業の正確な数は不 明であるが,ジェトロバンコク事務所(2014c)によると,タイ商務省に登録 している日系企業は2013年8月時点において,7,739社に達している3).ま た中小企業基盤整備機構が2008年に実施した調査(ジェトロバンコク事務所,
2014b)によると,タイに進出した日系企業3,884社のうち,1,879社(48.4%)
が製造業企業である.なお,製造業で大きな割合を占めるのが,金属製造・
3) ただし7,739社の中には,撤退など企業活動を行っていない事業所も含まれる.2012年3月
14日のジェトロバンコク事務所での聞き取り調査によると,同事務所が電話を通じて,その所 在を確認した日系企業は約4,000社であった.参考までに,近年,日本企業が注目するインド ネシアの日系企業数は,1,517社(2014年3月)である(時事速報,2014年9月25日). 点設立国・有望国(複数回答)として最も多かったのはインドネシア(59%)で,以下,ベトナ ム(42%),ミャンマー(34%),カンボジア(19%),ラオス(14%)の順であった.
2) 本稿において「日系企業」とは,「日本資産100%の企業および日本資本が資本参加している
企業全般」を指す.他方「日本企業」には,「経営戦略に従って行動する企業」というニュアン スを持たせて使用した.
→
加工376社(進出企業全体の9.7%)と輸送用機器330社(8.5%)である.
タイがASEAN最大の日本製造業の生産・輸出基地となった背景には,タ
イ政府の外資優遇政策,整備されたインフラ,日本企業による産業集積とサ プライチェーンの存在の3点があげられる.
まず,政府の外資誘致に関しては,マレーシアとインドネシアもタイと同 様に,輸入代替工業化政策を開始した際に,製造業における外資導入を進めた.
これらの国では,当時,工業化の担い手となる現地の企業家層が形成されて いなかった.輸入代替という国内産業保護政策をとりながらも,製造業の成 長のために外国資本を導入せざるを得なかったのは,外国企業の資本と技術 力によらなければ工業化を進めることが難しかったからである.
この3国の中でタイが,日本製造業にとって重要な拠点となったのは,徐々 に国内産業保護から自由化へと政策を転換し,外国企業が活動しやすい環境 をつくることに成功したからである.
マレーシアではブミプトラ政策の下,ブミプトラ資本を保護育成するため の措置が取られ,現在に至るまで継続している.ブミプトラ政策の一環とし て,1983年には国民車プロジェクトが発足し,それ以降,自動車産業では国 民車生産に対して特別な保護が付与されてきた.国民車プロジェクトにおい て日本の自動車メーカーが参加した経緯があるとはいえ,特定の民族資本を 保護し続けるマレーシアが,日本の自動車メーカーの生産拠点となり得なかっ たのは,自然の成り行きであったといえよう.
インドネシアにおいては,アジア通貨危機後の1998年にスハルト大統領が 辞任,32年間に及んだ長期独裁政権が崩壊し,経済も混乱に陥った.その後 しばらくは,インドネシアは,日本の製造業の進出先として敬遠されたので ある.
他方,タイでは政権は頻繁に交代したものの,治安は比較的安定してお り,外資の誘致を通じて工業化を図る政策に変更はなかった.タイの投資委 員会(BOI)は,日本企業による直接投資を一貫して誘致し続けてきたのであ
る.加えて,自動車産業においては,1990年代以降の自由化が,日本からの 直接投資を促進することとなった.1978年に導入された乗用車組み立て工場 の新設禁止は1993年に撤廃され,1994年から自由化された.Kriengkrai and Thammavit (2004, pp. 50, 52)は,この乗用車組み立て事業への参入自由化によ り,タイの自動車産業は「高度に保護された産業からより自由な産業」へと 転換したと述べている.そして,これがきっかけとなり,日本の自動車メーカー はタイを生産・輸出基地に転換する戦略を打ち出すようになったのである.
2点目のインフラ整備に関しては,日本のODAが果たした役割が大きいと 考えられる.シンガポールは別格として除くと,ASEAN諸国の中で最もイン フラが充実しているのは,タイとマレーシアであろう.タイの場合は,東部 臨海開発計画などに円借款が供与され,工業化に必要な経済インフラが整備 された.日本企業のタイ進出を,日本政府によるODAが支えてきたのである.
3点目の日本企業による産業集積については,前述したように,他国と比 べてタイでは元来,日本企業が進出しやすい環境が整っていたため,プラザ 合意後の円高を契機として,多くの日本企業がタイに投資するようになった のである.
さらにリーマンショック(2008年)後は,日本企業のタイ進出がブームと なり,小規模の企業もタイへ出ていくようになった.ジェトロバンコク事務 所によると,リーマンショックを境に,日本企業のタイ進出の理由が変化し たという4).リーマンショックの前は,親会社や取引先のタイ進出に追随す る形で,タイにやってくる企業が多かった.しかし,リーマンショック後は,
日本国内の市場縮小のため,企業が自らリスクを負って,生き残りをかけて 進出するようになったという.小規模の企業や自動車部品の3次・4次サプ ライヤーまでもが,日本市場に見切りをつけて,タイにやってくるようになっ たのである.その結果,日本企業による産業集積の厚みが増し,ASEAN諸国 の中では,日本企業による最大のサプライチェーンが形成されるようになっ
4) 2013年3月14日,ジェトロバンコク事務所での聞き取り調査による.
た.このようにして,原材料や部品の調達に関しても,日本企業にとってさ らに良好な事業環境が整うことになった.
3 タイにおける賃金上昇と人的資本形成の遅れ
このように,タイは,日本企業の力を借りながら,工業化を進め,日本製
造業のASEAN最大の拠点となることに成功した.しかしながら,現在のタ
イは,賃金の上昇と労働力不足5)という問題に直面している.タイにとって の課題は,日本製造業の拠点としての地位を維持,活用しつつ6),これらの 問題を乗り越えるために,高付加価値産業へ移行していくことである.
2011年に誕生したインラック政権は,最低賃金(日額)を全国一律300バー ツ(2014年8月時点で約975円)に引き上げることを公約としていた7).支持基 盤である農村部の所得を引き上げることが主たる目的である.同政権は,ま
ず2012年4月から約40%の最低賃金引き上げを実施し,2013年1月には,
全国一律で300バーツとした.
一般的に,この最低賃金の引き上げは,農村部の支持を維持するためのポ ピュリスト的政策と評されることが多い.しかし同時に,この賃金の大幅引 き上げによって,タイ経済が今後目指すべき方向,つまり労働集約的部門に ついては周辺諸国への移転を促し,タイ経済自身は高付加価値産業への移行 を目指すという点がより鮮明となったともいえよう.
5) 2011年の失業率は0.66%,2012年は0.68%,2013年は0.72%,2014年1-7月は0.94%であっ た(Thailand, National Statistical Office HP, 2014.8.25取得).ここでは各月の失業率の単純平均を,
それぞれの期間の失業率とした.
6) 2013年11月に修正恩赦法案が下院を通過した直後から,バンコクでインラック前政権に対
する反政府運動が始まり,その後,タイは政治的混乱に陥った.2014年5月に,憲法裁判所が 違憲判決を下したことにより,インラック前首相と9名の閣僚が失職し,同月,プラユット陸 軍司令官がクーデタを宣言した.その後,一連の政治的混乱は,少なくとも表面上は収束に向 かい,同年8月には,プラユット陸軍司令官が,暫定首相に就任した.筆者は,この政治的混 乱が日本企業の直接投資には,当面の間,大きな影響を与えないと考えている.日本企業が数 十年かけて作り上げた拠点としてのタイの重要性が,短期間で失われることはないからである.
7) 2011年1月時点での最低賃金(日額)は,バンコクで215バーツ,日本企業が多く立地する
工業地帯であるチョンブリー県とラヨーン県では,それぞれ196バーツ,189バーツであった
(ジェトロバンコク事務所,2014c).
産業高度化に向けた政府の考え方は,BOIが投資プロジェクトに対する恩 典供与のルールを大幅に変更する方針を発表したことにも表れている.BOI はこれまで,バンコクと地方の所得格差を是正するために,法人所得税や輸 入関税等に関する減免措置などの投資恩典を,ゾーン制に基づいて供与して きた.つまり,バンコクを中心として,バンコクから遠隔地になるほど恩典 を厚く供与するというのが,これまでの原則であった.ところが,BOIはこ のゾーン別恩典を廃止し,代わってR&Dや先端技術産業などに対象を絞っ て,恩典を供与するという方針を発表した8).
産業の高度化は,2015年のAEC(ASEAN経済共同体)完成という観点からも,
タイにとって急務である.ASEAN域内の自由貿易が実現すると9),周辺諸国 と比べて賃金が高水準のタイにおける労働集約的産業の競争力が,今まで以 上に低下するのは避けられないからである.
ここで,タイ経済が産業高度化を進めるに当たり,最大の障害となってい るのが人的資本形成の遅れである.例えば,2014年5-6月に盤谷日本人商工 会議所が,会員企業に対して行ったアンケート調査(ジェトロバンコク事務所,
2014d,51頁)の結果は,現地の日系企業がタイの人材育成の遅れを問題視し
ていることを示唆している.つまり,「経営上の問題点」(複数回答)として回
答企業(414社)の48%が,「マネージャーの人材不足」を指摘している.「タ
イ政府への要望事項」(複数回答)に関しても,回答企業(415社)の25%が「教 育・人材開発向上」と回答している.
世界経済フォーラムによる「国際競争力レポート」においても,タイに おける教育の質の低さが指摘されている(World Economic Forum, 2014, pp. 28,
8) 2014年9月現在,BOIは2015年1月から新制度を施行するとしている.ただし,詳細につ
いては公表されていない.
9) ただし,ASEAN全加盟国の関税撤廃が実現するのは2018年となる見通しである.新規加盟
国であるCLMV〈カンボジア,ラオス,ミャンマー,ベトナム〉に対しては,総品目の7%を
上限に,2018年まで関税撤廃期限の猶予が与えられている.2013年末時点において,先行加盟 6カ国は,ASEAN域内の物品貿易における99.2%の品目の関税を撤廃済みであるが,CLMVで は,その比率は72.6%に留まっている(ジェトロバンコク事務所,2014b).
458).タイにおいては「すべてのレベルでの教育の質が二流」であり,これ に関する国際ランキング(2014-2015年)は,調査対象144カ国のうち87位で ある.さらにこの順位は,2013-2014年の順位から9ランク低下している.同 レポートにおいて,タイの国際競争力の総合順位10)が,144カ国中31位と評 価されている点を考慮すると,教育の質の低さがタイの問題点であることは 明確である.
次に,賃金が上昇する一方で,それに見合った人的資本の形成が進んでい ないというタイの現状を,データで確認しておきたい.ここでは前述した
2012-2013年における最低賃金の大幅な引き上げが,労働生産性の向上に対応
した引き上げであったのかどうかを検討する.第 1 表が示すように,全国一 律で最低賃金が300バーツに引き上げられた2013年においては,一人当たり 労働生産性の上昇をはるかに上回って,平均賃金が上昇している.これは特 に労働集約的な産業および工程において生産コストが上昇したことを意味す る.従って,この賃上げによって,タイは労働集約的な産業の競争力を失い,
企業は,今まで以上に労働節約的あるいは資本集約的な技術を採用しようと するであろう.日系企業の中で,「タイプラスワン」という新たな動きが見ら れるようになったのは,労働生産性を上回る賃上げによる当然の結果ともい えるのである.また,注5)に明記したように,近年,失業率は低水準で推 移している.この点からも,タイは低賃金労働力が豊富な経済から卒業した といえる.
ところで,「タイプラスワン」と称される3カ国のうち,カンボジアがその 最有力候補であるという(助川,2014).現地の日本人商工会議所・日本人商 工会の会員企業数についても,第 2 表が示すように,3カ国の中ではカンボ
10) 世界経済フォーラムが定義する「国際競争指数(GCI:Global Competitiveness Index)」に基 づくランキングである.「競争力を,一国の生産力のレベルを決定する諸制度,政策,諸要因 の組み合わせであると定義し,GCIスコアは国の競争力の包括的な12の分類―競争力の柱―に ついての公表されているデータと各国データを基に算出」される.12の柱については,World Economic Forum (2014, pp. 4―9)を参照のこと.
ジアが最も多い11).
11) これらの日系企業のうち,どれくらいの企業が「タイプラスワン」として,タイ工場の補完 的な機能を担っているのかについては不明である.
第 1 表 タイ製造業の平均賃金と1人当たり労働生産性 2001年=100 平均賃金 一人当たり労働生産性
2001 100.0 97.2
2002 97.6 102.2
2003 101.1 106.4
2004 101.0 114.1
2005 106.7 109.9
2006 111.8 122.6
2007 112.0 128.2
2008 130.9 140.5
2009 125.0 124.0
2010 124.6 152.8
2011 134.1 158.5
2012 156.1 148.3
2013 182.2 154.0
2014 194.7 -
出所: National Statistical Officeホームページ,Bank of Thailand ホームペー ジより作成.
注:データは各年の第1四半期の値である.
第 2 表 タイおよび「タイプラスワン」3カ国における日本人商工会議所の会員企業数
出所:各日本人商工会議所およびJETROのホームページより作成.
* 2014年3月7日にラオス日本国大使館で行った聞き取り調査によると,同年1月現在,103社 の日本企業が進出している.
会員企業数 タイ(盤谷日本人商工会議所) 1552社(2014年4月末)
カンボジア(カンボジア日本人商工会) 178社(正会員148社,準会員30社)
(2014年9月)
ミャンマー(ヤンゴン日本人商工会議所) 105社(2013年5月)
ラオス (ビエンチャン日本人商工会議所)48社*(2012年12月末)
いずれにせよ,これまで日本の製造業の投資先として,注目されることの 少なかったラオスが「タイプラスワン」の候補国として,日本企業の関心を 引くようになった.本稿では,ラオス現地で見聞したことに基づき,その可 能性について論じる.
4 ラオスの賃金水準と雇用
「タイプラスワン」の前提となっているのは,周辺3カ国はタイと比べて 賃金が安価であるという認識である.そこで,各国の経済統計と賃金水準を,
それぞれ第 3 表と第 4 表にまとめた.1人当たりGNI(購買力平価換算)や賃 金水準を比較すると,ラオス(ビエンチャン)の水準はタイ(バンコク)の約
第 3 表 経済データの比較(2013年)
出所:World Bank (2014).
*: 世界銀行は,米ドル表示のGNIを計算する際に,為替レートの変動の影響を軽減するため に,為替レートの代わりにAtlas conversion factorを使用している.これをアトラス方式(Atlas method)と呼ぶ.
**:1人当たりGNI(アトラス方式)が4,086-12,615米ドルの経済.
***:1人当たりGNI(アトラス方式)が1,035米ドル以下の経済.
タイ ラオス カンボジア ミャンマー 人口(100万人) 67.0 6.8 15.1 53.3 GNI
(アトラス方式*:10億USドル) 359.9 9.9 14.5 - 1人当たりGNI
(アトラス方式:USドル) 5,370 1,460 950 - GNI
(購買力平価換算:10億USドル) 905.2 31.0 43.7 - 1人当たりGNI
(購買力平価換算:USドル)
13,510 4,570 2,890 -
(100) (33.8) (21.4)
GDP成長率(%) 1.8 8.1 7.5 - 世界銀行による分類 高位中所得
経済** 低所得
経済*** 低所得経済 -
(人人口密度/平方km) 131 29 86 82
34~47%の水準となっている.
在ラオスのある「タイプラスワン」日系企業によると,ラオスの賃金は,
タイの3分の1から4分の1の水準であるという.しかしながら,現地の複 数の日系企業から,従業員集めに苦労しているという話を聞いた.ラオスで 想定していた人員を確保できないため,キャラバン隊を組んで村々を回り,
両親を説得して若い労働力を集めるという採用活動を行っているそうである.
従って,ラオスの賃金水準は確かに,タイと比べて低い水準ではあるが,労 働集約的産業が必要とする多数の若年労働力を直ちに雇用できる状況にはな いようである.
日系企業が労働力の確保に苦労しているのは何故かというと,一つには多 くのラオス人がタイに出稼ぎに行っているためである.タイとラオスは,言 語や文化が似通っており,お互いの意思疎通に障害はない.地理的に近いと いう利点もある.ラオス政府の説明によると,50万人ものラオス人が,タイ で働いているという.人口651万人のラオスにおいて,国民の13人に1人が
第 4 表 投資コストの比較(USドル)
出所:ジェトロバンコク事務所(2014d,51,58頁).
注1: 調査期間は2013年12月から2014年1月.ただし法定最低賃金については,2012年12月- 2013年1月.
2:カッコ内の数字は,バンコクの水準を100とした時の値.
バンコク ビエンチャン プノンペン ヤンゴン
月間基本給︵製造業︶
(一般工職)作業員 366
(100) 137
(37.4) 101
(27.6) 71
(19.4)
エンジニア
(中堅技術者) 699
(100) 330
(47.2) 315
(45.1) 126
(18.0)
マネージャー
(営業担当課長クラス) 1,570
(100) 562
(35.8) 694
(44.2) 404
(25.7)
賞与支給額(カ月) 3.08 1.10 0.98 1.93
名目賃金上昇率(最新年) 11.8% - - -
法定最低賃金(月額) 197
(100) 78
(39.6) 80
(40.6) なし 産業用電気料金(kWh当たり) 0.10 0.07 0.19 0.12
第 5 表 小学校修了率と若年の識字率
出所:World Bank (2013).
*:該当する年齢層における比率.
タイに出稼ぎに行っていることになる.従って,ある程度の教育を受け,体 力や気力の充実した若者の多くが,高賃金の隣国で働いているのが現在のラ オスの実情なのである.
そのため,ラオスに進出した工場は,人集めに苦労し,その結果,識字能 力を持たない工場勤めにふさわしくない人材も雇用せざるを得なくなってい る.訪問した日系企業のうち,ある企業では従業員の約20%が非識字者,他 社でも字が読めない従業員が多いという話を聞いた.
識字能力のない従業員に対しては,文章で指示を出すことが出来ないので,
口頭あるいは図式化によって意思伝達を行っていた.このようなやり方では 伝達できる情報量に限界があり,労働集約的工程の中でも,ごく初歩的な作 業しか担当できないと考えられる.さらに,安全性を重視する自動車部品製 造は,ラオスへの投資を躊躇するのではなかろうか.従って,ラオスが「タ イプラスワン」として,タイから労働集約的な製造業の移転を誘致する場合,
労働者の質が問題となろう.
筆者はこれまで,タイをはじめとするASEAN各国で日系も含めて,多数 の工場を訪問した経験を持っている.しかしながら,読み書きができない従 業員を雇用している日系の工場は,今回が初めてであった.改めて,ラオス における教育レベルの引き上げが急務であることを痛感した.
これに関連して,第 5 表に小学校修了率と若年の識字率に関するデータを 示した.「タイプラスワン」3カ国の中で,ラオスの若年識字率は最低の水準 である.第 6 表においては,ラオスで操業する日系企業の「経営上の問題」が,
タイ ラオス カンボジア ミャンマー 小学校修了率*(2011年) - 93% 90% - 若年(15-24歳)の識字率
(2005-2011年) 98% 84% 87% 96%
第 6 表 経営上の問題点(現地日系企業による回答,上位5項目,複数回答)
出所:ジェトロ(2013b,32―33頁).
注:各国に進出した日系企業に対する調査(2013年10月-11月実施)の結果である.
タイ (%)
1 従業員の賃金上昇(n=811) 73.4
2 現地人材の能力 ・ 意識(n=762) 57.3
3 競合相手の台頭(コスト面で競合)(n=812) 55.5
4 従業員の質(n=811) 51.4
5 幹部候補人材の採用難(n=762) 48.7
ラオス (%)
1 幹部候補人材の採用難(n=22) 68.2
2 原材料 ・ 部品の現地調達の難しさ(n=11) 63.6
3 人材(一般ワーカー)の採用難(製造業のみ)(n=11) 54.5
4 人材(中間管理職)の採用難(n=23) 52.2
5 従業員の賃金上昇(n=23) 47.8
5 従業員の定着率(n=23) 47.8
カンボジア (%)
1 原材料 ・ 部品の現地調達の難しさ(n=14) 78.6
2 現地人材の能力 ・ 意識(n=25) 76.0
3 幹部候補人材の採用難(n=25) 64.0
4 従業員の賃金上昇(n=30) 63.3
4 従業員の質(n=30) 63.3
ミャンマー (%)
1 原材料 ・ 部品の現地調達の難しさ(n=3) 100.0
2 電力不足 ・ 停電(n=3) 100.0
3 従業員の賃金上昇(n=13) 76.9
4 従業員の質(n=13) 76.9
5 現地人材の能力 ・ 意識(n=13) 69.2
他国の日系企業と比べると,人材の採用難に集中していることがわかる.
労働者の教育には,時間と根気が必要である.日本企業がタイに進出して,
およそ半世紀が経過した.日本企業は,長い年月をかけて,タイ人労働者を 育成し,タイに生産・輸出拠点を形成してきたのである.同様に,ラオスに 進出する日本企業が一からラオス人を訓練するには,長い期間を要するであ ろう.ラオスの賃金水準がタイの3分の1という情報の裏には,このような 影のコストが隠されていることに,留意すべきである.
以上のように,ラオスでは,豊富な若年労働力を,日系企業が想定する低 賃金で雇用するのは難しいというのが実情である.ラオスで操業するある日 系企業は,「月額70~80ドルで一般ワーカーを雇用できるという情報がある が,実際には,それでは雇用できない.150~200ドルの賃金を支払っている」
と述べている.
人材確保のためには,タイで働いているラオス人に,帰国を促す必要があ る.彼らに自国で働いてもらうには,どれくらいの賃金を支払う必要がある のだろうか.この点は,ラオス人をタイに派遣している人材派遣会社(ラオス 民間資本)のコメントが参考になる.「タイの賃金は1日300バーツ.ラオス では100バーツ.ラオス人は200バーツの賃金がもらえるなら,ラオスに戻っ て働くと思う」という.従って,今後,ラオスで操業する工場が増加し,若 く優秀な人材を確保しようとするならば,ラオスの賃金も短期間のうちに上 昇することになろう.
もっとも,タイで働くミャンマー人は200万人,カンボジア人は130万人 である.他の「タイプラスワン」国も事情は同じかもしれない.しかし,タ イ語を理解するラオス人にとって,タイは働きやすい場所である.高賃金の タイからの帰国を促すには,ラオス人に現在の水準以上の賃金や労働条件を 提示する必要があるだろう.
5 日系企業にとっての利点と可能性
以上述べたように,ラオスの賃金は,確かにタイの水準より低いとはいえ,
現状では,近代的製造業セクターの労働力にふさわしい人材を十分に確保す るのが困難な状況である.それにも拘わらず,「タイプラスワン」としてラオ スが注目されているのは,日本の製造業にとって,タイからラオスに移転す る利点が存在するからである.以下2点指摘したい.
最大の利点は,タイ人従業員を活用できることにある.先述したように,
タイにおける日本企業の直接投資は,すでに半世紀の歴史を持っている.そ の結果,タイでは,日本人の指導を受けた管理職や技術者が育成されている.
従って,タイに拠点を置く日系企業がラオスで操業する場合,日本人がラ オス人を直接指導する必要はない.タイ人従業員を送り込み,ラオス人の指 導に任せることができる.日本人がラオスの工場に常駐する必要がなくなれ ば,大幅なコスト削減につながるのである.
タイに生産拠点を置き,2013年にラオス工場を操業開始して,労働集約的 工程のみをラオスに移転したニコンも,ラオス進出の理由の一つとして,タ イ人技術者やタイ人トレーナーを活用できるという点を指摘している12).タ イ人従業員の有効活用,これがタイで操業する日系企業にとって最大の利点 であろう.
これとは対照的に,「チャイナプラスワン」としてラオスに進出したある日 系企業,つまり,中国に生産拠点を持ち,ASEANにおける最初の投資先とし てラオスを選んだ日系企業の場合は,種々の問題を抱え厳しい状況に置かれ ている様子であった.この企業は,インドシナ半島の中心に位置するラオス において,モノと人を自由に動かすことが可能であると想定し,ラオスで操 業開始した.しかし実際は,低賃金の労働力を確保するのが難しく,タイに
12) 2013年3月6日,ラオスにて開催された「ラオス経済・投資フォーラム」での村石信之氏
(Nikon Thailand Co., Ltd.およびNikon Lao Co., Ltd.社長)の講演「Nikonのラオス進出」による.
出稼ぎに行っている労働者の帰国を促すために,タイ並みの賃金を支払って いるという.加えて,中国の工場から中国人をラオス工場に派遣して指導に 当たらせているが,労務管理がうまくいっていないようであった.この工場 の場合,「タイプラスワン」としてのラオスの強みを活用できないという点が,
マイナスに働いていると考えられる.
日系企業にとってのもう一つの利点は,電力が豊富で安価であるというこ とである.ラオスは,水資源に恵まれた電力の輸出国である.ソムサワート・
レンサワット副首相も,ラオス経済の強みとして豊富な水資源をあげている.
メコン川とその支流を合わせると,23,000MW(メガワット)の電力を発電す る潜在力を有するという13).前掲第4表によれば,ビエンチャンの産業用電 気料金は4都市の中で最も安価である.ミャンマーでは,電力不足と停電が 深刻である(第6表)が,ラオスでは豊富な電力がその競争力の一つとなって いる.大量の電力を必要とする産業にとって,ラオスは有望な投資候補国と なろう.
ソムサワート副首相は,他に,オーガニック農産物の生産と輸出,そして 豊富な鉱物資源(金,銅,鉄)という強みにも言及している.そこで日系企業 にとっての可能性として,製造業という本題からはそれることになるが,農 業分野への進出について言及したい.
第3表が示すように,ラオスは他国と比べると,かなり人口密度が低い.
つまり,土地に対する人口圧力が相対的に弱い国である.副首相によれば,
ラオスには200万ヘクタール14)の農業に適した土地があるという.つまり,
ラオスは人口1人当たりの土地面積が比較的大きいため,十分に有効利用さ れていない農地も残っていると推測される.そこで,ラオス政府は,付加価 値の高いオーガニック農産物の栽培を促進し,輸出産業に育成したいと考え
13) 2014年3月6日,ラオスにて開催された「ラオス経済・投資フォーラム」での講演「ラオ
スの投資政策と日本企業への期待」による.
14) 2013年時点で,日本の耕地面積は約454万ヘクタールである(農林水産省ホームページ
http://www.maff.go.jp/j/tokei/sihyo/index.html 2014年9月22日閲覧).
ているのであろう.
実際,ラオスではすでに,タイ企業がオーガニック農産物を栽培する農場 を経営し,タイへの輸出を行っている.筆者が訪問した農場での説明によると,
タイでは所得水準の上昇に伴い,有機野菜に対する需要が強まっている.し かし有機栽培は,大変手間がかかる作業であるため,賃金水準がタイの3分 の1であるラオスで栽培し,タイへ輸出しているのだという.なお,この農 場の農産物は,日本の「有機JAS」の認定も受けているとのことであった.
副首相によると,日本企業はすでにラオスで漢方薬や生薬を栽培し,日本 へ輸出している.しかし,オーガニック農産物の日本への輸出はまだ行って いない.現在,タイ産の野菜が日本へ輸出されていることから,条件が整え ば,ラオス産のオーガニック野菜を日本へ輸送することは可能であると考え ているそうである.これに関して,ラオスでは灌漑設備が不足しているので,
灌漑設備の整備についても日本に期待していると述べていた.
6 結 語
今回のラオス訪問で得た知見を総合するならば,現在のラオスに適してい るのは,製造業においては,ごく初歩的な労働集約的な工程を小規模で始め るというやり方であろう.例えば,タイの工場において,賃金上昇から生産 コストが上昇した工程を,小規模でラオスに移転するというやり方が考えら れる.筆者が訪問した工場の例を挙げるならば,日本市場向けのかつら製造 工程における単純かつ労働集約的な作業のみをタイの工場からラオスの工場 に移転する,部品組み立ての労働集約的工程のみをタイからラオスに移転す る,といった事例がこれに相当する.ごく初歩的な工程としたのは,識字能 力のない若年労働力を雇用せざるを得ないのが,実情だからである.
大規模工場になると,労働力を確保するため,あるいはタイへの出稼ぎ労 働者を呼び戻すため,高い賃金を提示する必要があり,結果として,低賃金 国としての利点を生かすことが難しくなる.従って,大規模な製造業は,た
とえ労働集約的産業であったとしても現在のラオスにはそぐわないように思 われた.
現在の日本企業にとって,タイはASEAN随一の拠点である.このタイの 重要性が,ゆるぎないものであることは,2013年11月以降の大規模な反政 府デモや2014年のクーデタという政治的要因が,日本企業の投資活動にほ とんど影響を与えなかったことからも,明らかになったと考えられる.従っ て,タイの賃金上昇に対しても,日系企業は機械化や労働節約的技術の導入 を図り,当面はタイで,踏みとどまっていくのではなかろうか.その過程で,
労働集約的な生産工程の一部をラオスなどの周辺国へ移転していく動きも活 発化すると思われる.このような日系企業によるサプライチェーンの拡大に,
ラオスが積極的に関与し,製造業の発展につなげたいというのが,ラオス政 府の意図である.
ラオス政府の日本に対する期待は,経済面にとどまっているわけではない.
安全保障の観点からも,中国の対抗勢力としての役割が期待されている.現 在のラオスにおける中国の影響力は極めて大きい.中国は,「経済協力」とし て,水力発電,鉱物資源,森林,不動産などの開発を行っている.しかし実態は,
「貿易,投資と一体となった『三位一体型』の援助」であり(白石, 2012,96頁), ほんとどの利益が中国に還流する仕組みとなっている.
その「経済協力」に伴い,近年,中国から移民した「新しん華か僑きょう」は約30万人 に上り,その圧倒的多数が「『契約労働者』の身分で到来した,中国語(標準 語=普プートンフア通話)を話す人々」である(前掲書,91頁).これは680万というラオス
人口の約4.4%に相当する.
現在,中国政府は,中国からラオスを通過して,ASEAN地域を縦貫する高 速鉄道の建設を計画している.ラオス政府は,この計画を承認済みであるも のの,副首相によると,同計画がラオス経済に与える影響が多大であるため,
調査 ・ 研究を行っているという.ラオスのGDP(2013年)が約100億ドルで あるのに対し,同国における高速鉄道建設の総工事費は,約70億ドルと巨額
である.建設に際して,中国が借款を供与すれば,ラオス政府は多額の負債 を負うことになる.そのため,慎重に検討が行われているという15). 最後に,ラオスでは日系企業による投資は,一般のラオス国民からも歓迎 されるであろうという点を付け加えておきたい.筆者が,現地の大学院生に 対して講義を行った際に印象的であったのは,中国とタイに対するラオス人 の見解である.ある学生によれば,ラオスは内陸国家で経済成長に不利な条 件であるため,中国のようなやり方であったとしても,自国に投資をしてく れる国は歓迎するのだという.また学生たちが,日本企業の力を借りて経済 成長に成功したタイに,密かな対抗意識を持っていたのを感じた.日本政府は,
ラオスに対して,ODA供与を通じて多大な貢献を行ってきた.その延長線上 に,日本企業による直接投資が加わることが期待されているのである.
ラオスは,2020年までに後発開発途上国から脱却することを目指している.
ODAによる支援に加えて,日本企業による直接投資が,同国の発展に貢献す ることを期待したい.
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【参考資料】
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(うえだ ようこ・同志社大学経済学部教授)
The Doshisha University Economic Review, Vol. 66 No. 4 Abstract
Yoko UEDA, The ‘Thailand-Plus-One’ Strategy in Laos: A Potential Opportunity for the Japanese Manufacturing Sector
In recent years, Japanese manufacturing companies in Thailand have started relocating their labor-intensive processes to three neighboring low-wage countries (Cambodia, Laos, and Myanmar). Japanese companies are pursuing this ‘Thailand- plus-one’ strategy because of large wage increases in Thailand. This research note analyzes the business potential of Laos as one of the ‘Thailand-plus-one’ countries based on information obtained through research conducted in Laos in March 2014.
Analysis results reveal that Japanese companies in Laos face difficulties in securing a large number of young, qualified workers. Therefore, a promising strategy for Japanese companies would be to transfer rudimentary labor-intensive processes from Thailand to Laos on a small scale, at least for the near future.