フ
レ
ー
ム ワ
ー
ク プ
レ
ゼ
ン
テ
ー
シ
ョン
Framework
Presentation
吉 見 俊 哉
Shunya
Yoshimi東 京 大 学 大 学 院 情 報 学 環 lnterfaculty lnitiative in lnformation Studies
,
University of Tokyoお話 をさせ ていた だ く前に申し
E
げてお きたい の です け れ ど も、
お 手 元の 資料で私の 肩 書き は今私 共の 組 織の長をし て いることになっ て いますが、
今 日、
私が お 話 を させ てい た だ くの は、 私 が個
人 として考
えてい るこ とです。
組 織 的に は、
先ほど石 島 先生からのお話 もご ざい ました け れ ど も、 ど うやっ て 予算
を獲 得す るか とか、 ど うやっ てポストを維持 するか とか、
そういう極めて行 政 的 なことを毎 日考えてお ります。
同時に、
先ほ ど首 都 大 学東 京の な か に で きたデ ザイン・
アー
トのコー
ス とい うお話 もあ りました が、
私た ちの組 織 もデ ザインとかコ ン テンツあるい は情報 を キー
ワー
ドに して やっ てお りま す の で、
これ か らいろいろ ご協 力させ て いた だきたいとい うか、
いろいろなことで お 互い に関わ りあっ て くることも あ るの では ない か と思っ てお ります けれども、
今 日の 話 は そ ういうことは措い て お い て、
私 自身のmaT
一
な 考え を 話 させ てい ただくとい うことで どうか お 許 しい た だ き たい と思い ます。
さて、
今 日の テー
マ は 「都 市のクリエ イティビティ 」 で す。
最 初か ら文句をっ け るよ うなところ か ら始め ることに な り申 し訳ない の ですが、
こ の クリエ イテ ィビ テ ィ、
創 造 力、
「都 市の 創 造 力」を論じる にあ たっ て、
基 本 的 な 概 念 図の ようなもの が お 手 元の 資 料に 示されてお りま す。 Industry・Art ・City
Administration
・Design
という四角 形がつ くられて いる
。
これは、
先ほど見せ て い ただい た ん ですけ れ ども、
私、
これ に 文 句 が あ ります。 「都 市の創造力」を考え る時に決定的に重 要 な 要 素が この 図か らは抜 けているの で はない か、
と私 に は 思 え る か らで す。 デ ザイン とアー
1
・
とい うの は Art & Design と い うことで重 ねて.
.
・
辺 に凝 縮し てもいい ん じ ゃない かと 思いますが、
そうするとIndustry
とArt
&Design とCityAdministration
の 三 つ の辺 が で きる、
で も 四 辺 目 に も う ひ とつ あ るの では ないか という気がするの です。 先ほど の 長出 さんの お話でも実は それは 出てい たの ですが、
私は 「市民」あ るい は 生 活者、 オー
デ ィエ ン ス、 消費 者、
あ るい は 日常の生活を送っ て いる一
人ひ とりの 私 達、
そうし た存 在がデ ザインとい うテー
マ とどう関 わり合 うの か という問い が あ るの で は ない か とい うこと 実 は これこそ が今口私のお話しようとすることそのもの なの で すが一一
を、
まず 最 初に申し上げさせてい た だ きたい と思います。
私 自身は都 市 研 究、
ある い は メディ ア研 究を主としてやっ てお ります が、
その メディア研 究の 中 で申しますと、1970、80
年 代か ら、
世 界 的なメディ ア スタディー
ズ、
カル チュ ラル スタディー
ズの いろいろな 新しい流れの 中で、
メディアー一
様々 な テレビの 番 組 や映 画 などが受 け手 にどう受 容 されるか、
そし てその受 容の 中で番 組や メディア、情
報の 意 味が どの ようにつ く り変 え られ 変 容し て いくのかということにつ い て の研 究が 人変 進み ました。 都 市 や デ ザイン の テー
マ も 同じだ と 思うの です。
私 が今
日 の話の 中で・
番強調したい こと は、
デ ザイン、
都 市 とい うテー
マ は、
生活 者、
受 け手、
消費
者、
そ うした 人 々 が 主体の一
端 を担っ てい る一一
そうした 人々 との関 係におい て問 題 を組み 立て直 すべ きだ とするテー
マ ではない か、
という問いなの です。
こ れ は 私 自身が社 会学
者で あ る とい うことからくる偏 見で もあ るのか もしれ ま せ ん が、
そ うい うことを まずに申し上 げ させ ていた だきたい と思います。
つ ま り、
「都 市のクリ エ イティヴィティ 」を 間 うとい うことか らは、
当 然、
都 市と いう空間 やそこに おける デザインと、
そこに 生 きる市民、
生 活 者、
住民という人 々 との関 わりを どのように概 念 的 に 捉 え直す の か とい う問い が 出 て くる わ け で す。今
日 は、
そ れにつ い て私 自身の 非 常に大 雑 把 な歴 史 的 な 見 取 り図のようなもの を お話させ てい ただい て、
後での ご 批 判 を仰 ぎたい とい う風 に 思っ てお りま す。
私の 報 告の タ イ トル に は、
副題 に 「都市 空間に お け る集 まりと眼 差し 」 と書い ております。
「集 まり」と 「眼 差 し」、 この 二つ が キー
ワー
ドで す一
つ ま り 「 都 市は 人々 の 集ま りの 場である1
とい うことが一
方にあ り、
他 方に 「都 市は人々 の 眼差しの 場であ る」 とい うこ と があ デ ザ イン学 研究特 集号 SPECIAL ]SSUEOF JSSD Vo:、
14 No.
4 20075ります
。
この 「集ま り」、
都 市にい ろい ろ な 人間が群れ 集い 盛 り場であっ た りい ろい ろな 場ができてくるというこ とと、
それとも うひ とつ都 市が 「眼 差し」の 場であ るとい うこと、
こ の 二 っ の ベ クトル の緊
張関 係の中で都市
空間 を考えてみたいということです。
まず、
抽 象 的 なことを三 っ 最 初に お 話 させ てい た だ い て、 つ い で少 し具 体 的に説 明し て いくという順 序で話 をしたいと思います。
第
一
は、
「眼 差し 」 につ いての 若干の説 明 で す。 近 代 都 市 とい うの は様々 な都 市計 画 の 場であっ た り、
デ ザイン の 場であっ た りしました が、
同 時に眼 差しの 場で もあ りま した。
その 眼 差しというの は、
私 たち・
人 ひ と りが視 知 覚 を持っ てい る とい う意 味で視覚
的 に 眼差しを 持っ てい る とい うことももち ろ ん あ りますが、
これは釈 迦 に 説 法かもしれ ませ ん が、
都 市におい て様々 な風景を 見る見 方 など私 たちが もの を 見 る 見方が、
歴史 的文化 的に構 造化 され、
制 度 化されて い る というその ことを意 味 して います。
とりわけ近 代はこうした 眼差し を特 権 的 に拡 張 させてい く時代 だっ た とい うことはいろい ろ な 形 で 言 わ れてき た ところです、
その眼 差し の拡 張 を、
乱 暴に整理すると、
三 っ ぐ らい の段階
に分け られ る か も しれない 。 ま ず、 近 代の 比較 的 早い 段階、18
世 紀 末 か ら19世 紀 ぐ らい の 段階で、
こ こ で都 市の中に盛ん に 現れてき た眼 差しの 場は、
単 純に言 え ば俯 瞰 (鳥 瞰 ) する眼 差しの 場 で した。 パ ノラマ 的 な 眼 差 しと言っ ても い い か と思い ます。 パ ノラマ 館、
塔、
観 覧 車、
博 覧 会、
動 物 園、
デパー
トなん かもそ うですが、
そ うした あ りとあ らゆる装置が 19世 紀の 都市の 中に 溢 れてき ました。
と ころ が第二 の、20
世 紀の段階になる と新し い映像メディ アが 登場し てきます。
代 表は 言うまで もなく映 画です。
映画という装 置が提 供した眼 差しは、19
世 紀までにあっ た都 市の 眼差しとは若干 異 なっ てい た かの ように 思い ま す。 もち ろ ん俯 瞰 するとい う要 素 もなかっ た わけではあ りませ ん が、
しか し、
ル ミエー
ル の列車の 到着
とい う作 品か ら始 まる初 期映 画や 名 作映 画の い ろい ろ な場面 を 思い 起こしてみ ますと、
俯 瞰 するとい うよ りは運 動 する、
つ まり一
点か ら世 界 を見 回すの で はなく、
都 市の 中 を 駆 け 巡っ てい くような視点 を映 画というメディ アは提 供し てきた という風 に思い ます。
ところ が第
二の、
20
世紀末 か ら21 世紀に な りま して、
今、
都 市 を 眼 ざす 視 点 とい うの は ますますメディ ア と一
体を成す よ うに なっ て きてい ますが、
こ の メディアの 中でどうい う形 が出てきてい る か というと、
非 常に デ ジ タル な 眼 差しです け れ ども、
都 市 の中 を駆け巡っ てい くとい うよ りも都 市の 中に偏在
して い く、
監視カ メラで は あ りま せ んけ れども、
都 市のあ ら ゆ る空 間に視 点が あ る。
あ る地点の 眼 差 しか ら全然別 な ところの 眼 差し に一
瞬で ワー
プする、
全てあ りとあ ら ゆ る点から都 市が眼 差 され る ような偏 在す る 眼 差 しの 場 が現 代の 都 市に おい て成立 してくるとい う、
こうした 大き な流れ が まずある の で はない か とい うこ と ですね。 これ らは具 体 的 な私達一
人ひとりが 持っ てい る眼 差しとい う よりも、
意 思 的に 制度 化され た 眼差しの 場として都 市を 捉え るとい うことです。
これが第 点 です。
第二 点は、
近代の 都 市は、
い つ も 外部との 関 係 に おい てその 文化が 構 造化されてきた とい うことです。
近 代 都市の 発達、
とりわけ都 市の文 化的 な場の 発達は、
外 部 との 関 係の 変化 に絞っ て整理する と3
つ ぐ らい の フェー
ズ に 分 け ることができ ます。
近代の都 市がで てく るちょっ と前 くらい、
近 世から近 代にい た る くらい の とこ ろの 都 市の 発達、
特 に 日 本の 場合を考えてみ ますと、
基本 的な都 市の文化 的 な 場の成立 は、
江 戸の場 合、
浅 草だっ た り両国 だっ た りした わ け ですけ れ ども、
いず れ も基本的に は 門 前 町です。 つ ま り寺社が中心であ り、
寺 社の 向こうに は墓場 とか 悪所とか が ある。
遊郭と寺社 とか がくっ つ い て、
門 前町的 なところから盛り場が発 展 し近代の娯 楽地 が 発 展 してい くわ けです ね。
な ぜ そう い うところ か ら 近世の 都 市文化が そこ に発 達し てきたか とい うと、
人々 の 意 識に注 目しますと、
その 向こう側 に は 死者 達の世 界であっ た り、 お ぞ ま しい 者 達の 世 界で あっ た り、
そ うした都市の 言わ ば外 界、
外 部が存 在してい た。 その 近世 都市 までの 基 本 的 な 構 造 が 近代に おい て決 定 的に転 換します
。
その決 定 的 な 転 換の 出 発 点 を 形づくっ たの が言 うまでもな く銀 座の レ ン ガ街で す。
銀座の レンガ街が江 戸 時 代までの盛 り場と何が一
番 違っ ていた か とい うと、
銀 座の 発 展 は、
外 部の 宗 教 的 なもの に文え られ る ということは 全くご ざいませ ん。
銀 座の レン ガ街が で き、
築地の居 密地 とい うの もありまし た が、新
橋か ら横浜 に 鉄道が伸び横浜 が貿 易港 に な る一一
銀 座の向こう に新 橋、
新 橋の 向こうに横 浜、
横 浜 の 向こうに 西 洋があ りま す。 当 時の 明治 初 期の 錦 織な ど を見ますとそうした図 柄がい ろ い ろと出てきます。
西 洋一一
それは未 来 的 なもの でもあっ た わ けですが一一
に 向 けての 窓 として銀 座 が発 展してい っ たn この 近代 的 なものへ の窓 とし て の銀 座では、
空 間 的・
場 所 的 な 都 市構造が時間 化 され るわ けです。
未 来 に 向 けての 時 間という軸が都 市の 中 を貫い て いき、
そ れ が近 代 都 市 の 空間的 な編 成を変え て参ります。 ところ が その 近 代 都 市の 空問 編 成が ど ん ど ん ど ん ど ん変 わっ て現 代まで きます。 そうする と1970 、80 年
代か ら何が 起こっ て き た か とい うと、
そ うした 近代的 な 空間が都市の 中に飽和 し てい く。
都 市だけではな く口本の 場 合 だっ たら全 土が そ うし た 近 代的な 空間に よっ て飽 和 されてい くとい うこと ですね。
その 時 何が起こっ て いくか一一一
種の都 市の テー
マ パー
ク化あ るい はファンタジー
化、
あ るいは メディ ア化と言っ てもい い のかもしれ ま せ ん が。 都 市 自体が メ ディアを複製
する、
メディアが都 市を複 製 するの で はな く、
都 市 そのもの が、
その 具 体 的 な空 間そのもの がメディ ア を複 製す るよ うな 構 造 が 出 て くる とい うの が70、80
年 代 以 降の 都 市の 様子です。
三 点目の お話を しますと、
私 は都
市あ るい は 近代の 都 市が 発 展 す る、 都 市 化のプロセス に は、
基本的 に は 二 つ の フェー
ズがあり、
二 っ の ベ クトル の 組 合せ で 起 こっ てきたとい う風 に考え て ま す。第
一
の フェー
ズ は、 例えば東 京であっ た ら、
江 戸時代 か ら、
東 京 に住んで いる人の ほとん どは外から東 京に集まっ てきた人 達で す。
つ まり近代の 産 業化、
工業化、
あるい は 発 展の プ ロセス の 中で大 量の 人々が都 市に流入 してき ます。 外 から都 市に入が集 まっ てくるというプロ セス があるわ けで す。
これが第一
の フェー
ズです。
も う少し詳しく言 うと、
こ の 第一一
の フェー
ズ とい うの は 目本の 場 合で 言 うと戦 前 と戦 後とい う二つ ぐ らい の 段階
に 分 か れ てい て、
日露 戦 争の 終 わりくらい から第二 次 大 戦の 前、1900 〜
1920、
30 年 代くらい まで が第
一
次の都
市化です。
東 京の 場 合で言え ば下町4
区墨 田
、
江 東、
台東、
巾央一
一 一
一
帯 に 人 口 が集 中し て非 常に高 密 化し てい きます。
関 朿大震 災の 時に そこが一
番や られ た ところです。第
二次 都 市化 というのは戦 後、
言 うまでもなく高 度 成 長 期 です。 この 時 に は ド町では な く、 む しろ 東 京の 新 宿と か渋谷とか 池 袋とか、
遷 移地帯と社 会 学 などで は言い ま す け れ ども、 そ うした副 都心、
山の 手線西 側一
帯の 裏町的な ところに人 口が ど ん ど ん 入っ てき た。
東京 に 出てきた若 者 達が住ん でい るとい う現 象が見 られるわけ です。
日露 戦 争か ら20
年 代ぐ らい ま での 東 京の 文化 や、
高 度 成 長期からその後 くらいまで の東 京の文 化は、
そ うした 東 京 に 流 入 して きた 人々 の 生 き方、
都 市の 中 で の生活の仕 方と不 可分に絡ま りあっ て、
そ れ を抜 き に して は 語 れない わ け です ね。 ところ が80
年 代以降に なる と、
そ うした形が あ る飽 和 状 態に達 する。 先ほ どの 近代 的 な眼差
し が飽和して い くとい うの と同じ です けれ ども、
都 市に流 入し てくるある種の力学が 飽 和 す る状態 に達 するわ けです。
もうひ とつ、
都 市 化の第二のフェー
ズとい うの は、
先 ほ ど 話 しま した〈 近代 的な 眼差し〉や く外 部〉との関 係におい て都 市に住まう人々 の意 識が 再編 成され てい くとい うことで す。 つ ま り、
地方か ら 出 てきた若 者達 が、
そ うい うことを意
識 しない 都 市の 消費
者になっ て いくということです。
都 市の人 々 の 意識 が 再 編 成 されてい くそうした プロセスが、
戦 前であれば1920
年 代 か ら30
年 代 くらい に起こっ た わ け です。
つ ま り銀 座が非 常に発展し て いくプロセ スと重 なっ て い ます。
第 「次 都 市化、
高 度 成 長 期の 都 市 化 との関 係で言 うと、
70
年 代か ら80
年 代に か け てこうしたことが起こりま す。 渋 谷の パ ルコ とか原 宿とかそ うい う街が出てくるプロセ ス です ね。 今 述べ てきた銀 座の 発 展や、
渋谷・
原宿の 発 展 や と対 を成す 形で都 市の在り方が変 容してい くとい うことが ございました。
以一
ヒ申しE
げて き た3
つ ぐらい の視 点 をベー
ス に考え ると、1970
年 代以降の 都市 が あ る種の 飽 和状態 に達し、 その 中で都 市の在 り方が変 容し てきた とい うことです。
70年代以降の 変 容をた どっ てみる と、70
年 代の 公 園 通 りの 発 展、
80 年 代に は東 京 ディズニー
ランドが現 れ多くの 若 者 達を
集
め、2000
年 代に なると六本 木ヒル ズ の ようなもの が現 れる。
これは都 市の 眼差しや 都市のメ ディア化 とい う、今
中 し上 げ た一
連の もの があ る種の 臨 界 点まできた中で起こって いた とい うこ とだと基 本 的に は言うことができるかと思い ます.
で は
、
そ うい う中 で起こっ ていることは何か ということを、
これ か らもう少し具 体 的にお話し てみ たい。80
年 代以 降の巨大 な 商 業開 発、
私 よ り皆さ んの 方 が よくご存知 か もしれ ませ んけれ ども、
六本 木ヒル ズや 表 参 道ヒル ズ、
ある い は恵比寿、
あるい は汐留、 とい ろい ろ あ る わけで す ね。
そ れ を ちょっ と眺 めて みたい と思います。
六本 木ヒル ズの 場 合に は、
イメー
ジ・
メディア・
コ ンプレック スと書い てい ます。
六本木のイメー
ジ演出 は成功 しま し た。
次 に あ るメディ アとい うの は、2000
年 代以降 全 国 で成 されてきた 巨大 開発 は大 体テレビ局 とくっ つ い てい る ところ が多
い のです が、
六本 木の 場 合 もそうだ という ことなの です ね。
表 参 道、
そ れ か ら汐 留。 汐留は 例 外 でこ こは イメー
ジ的に あ ま り盛 り場として はうまくい っ てな い。
そ れか らお台 揚、
フジテレビの戦 略と非 常に 重 なっ てい ますが、
お台 場に は、
自由の 女神 も あ れ ば イ タリ アの 都 市も あ る というキッチュ なテー
マ パー
クが出て来 る わ けで、
その 先 駆は既に東 京 ディズニー
ラン ドの 中 にあっ た わけです ね。
そ うい う都 市が 東 京の 中 に 溢 れ てい る。
こ の 問 題 をも うちょっ と、
戦 後の 東 京の 歴史の 中で敷 衍し てお きたい と思い ます。
こうした テー
マ パー
ク的な 都 市の 拡 大の 中 に あ る、
もうひとつ の要 素の 問 題です。
これ は私が別な形でやっ て いる作 業の一
部 なので、
ご く簡 単に留めます けれ ども、
乱暴に 言っ て しまい ます と、
東 京 ディズニー
ランドか ら六本 木ヒル ズに 至る、
こうした 様々 な 「バー
チャ ル な 都 市」が増 殖してい くプロセ ス を、
戦 後の 東 京の アメリカに よる占領と結
びつ けて考え てお きたい とい うことです。
六本 木や原 宿、
銀 座も若十 そうですが、
戦 後、
特に80
年 代、90
年 代から東 京の ファ ッショナ ブルな盛り場になっ てい き ました ね。
実 は そ れ らい くつ かの 街 に は 共 通の 特 徴が ある の です。
か つ てそれらは、
広い 意 味で の 「基 地の 街」であっ たの で す。
六 本 木は、
戦 前は近衛士団 あ るい は 冖本 軍の 街、
軍隊の 街だっ た わ けです ね。
戦 後その ほとん ど がア メ リ カ軍に接 収されて、
米 軍の街になっ てい ます。
原宿の 場 合は間 違い なくワ シン トンハ イツです。
原 宿と六本 木 は とりわ け分か りや すい の ですが、
かつ て米軍施設 が 集 中してい た街で は、
ア メリカ 軍 物 資な ど が その 周辺 に 流れ てい っ た り、
ア メリカ兵 達の た めの レス トランとか ブ テ ィックな どの店が 基 地周辺 に集まるわけです ね。 そし てその 店 を求めて若 者 達が集まっ てきて、
原 宿や 六本 木の 街の イメー
ジの原形 がつ くられて いくとい うプロセス が あっ たの です。
これ は 1946 年にGHQ
がつ くっ た 地図で す。
米 軍 施 設の配 置が示 されて います が、
銀 座、
日比 谷 あ た り か ら大 体 今の 口比 谷線
沿線
にアメリカの 主 な 施設が 広 がっ てい るの が 分 か りま す。
銀 座の 場 合にもそ れは顕 著です。
か つ て 占領 期に は銀 座の 通 りに ポー
カー
スト リー
トとか ゼットアベ ニ ュー
な どの 名前 も付 け られて いた ということが あ ります。
占領 期の銀 座 をちょっ と見 て み る と、
面 白い の は流行 歌 を 見ても 占領 期 初 期に は 銀 座 と ア メリカ兵を結びつ けたイメー
ジ が非 常に多いが、
次 第 にアメ リカ兵の 影が 退 け られ てい くプロセスを 見 ることが で きるの です。 六本 木の 場 合 も、
かつ て基 地の 街であっ た とき米 軍 施設の周 りに様々 な施設がつ くられ、 そこに スター
達 や 若 者 達が集まるよ うになっ て イメー
ジ が 形 成 され て くる と、
や がて六 本 木の街 か らア メリカ軍の街とい うイメー
ジ が 消 えて いきます。
原 宿につ い ても 同じ で、
まずワ シ ントンハ イツ があり、
その 周 りに 米 軍の 街 が 形 成されてい た わ けですが、
や がてそうした軍の 結びつ い た イメー
ジは原 宿から消えて い く。
だから今日、
六本 木や原 宿 を歩 く若 者 達の ほとん ど は、
こ こが かっ て基 地の 街 だっ た とは 思っ てい ない わ けです。
同じことは湘 南にっ い ても 言え、
実は横 須 賀から辻堂、
藤 澤のあた りは米軍演 習 場 だっ た わ け ですが、
そ れ と例 えば 『太 陽の 季節』
の 太陽 族イメー
ジ が むすびつ けられ、
やが て米 軍 関係の イメー
ジ は消 えて いく。
この ようなプロセ ス は かなり緻 密に 検 証 す ることが でき るの です。 大雑 把 に 言え ばこ こに米軍の影 の よ うな もの が 消 えて いくプロ セスを確 認 することができるわけですが、
それは裏返し て言え ば、
戦 後 東 京の 盛り場的 都 市空 間の 発 展の 中 に は、
ア メリカ 軍 が非 常に暴力的な要 素としてまずあっ た とい うことでもあっ た わけです。
その 暴 力 的要素であ る ア メリカ とい う存 在は、
その 暴力 的 に介
入 した部 分と 同時に、
その ア メリカに対し て人々 が憧れて いくというもうひとつ の 部 分 をそなえ
、
二つ の 側 面 を持っ ているの で す。 実 際のアメリカ軍が撤退した 後、 も うひ とつ の 憧 憬 する ア メリカ が よ り強 く現れる。
先ほどの 眼差しの 問題 が 非 常に具 体 的 な 形で現 れて、
そうしたア メリカとい う 他者の 眼 差 しとの 関係 の 中で人々 の 意識 が 再 編成され て いくということが起こっ てきたわ けです。
口本の場 合、
ディ ズニー
ラン ドの 開 題 な ど もこ の 延 長線上 で考え てい くことができるとい う風 に考 えています。
最 後に、
申 し.
L
げてお き たい一
番重要な 点です。
今 私は主 とし て眼 差し の場 とし て の都 市に焦 点 を合 わせ て、
非常に 駆 け 足で、
近代 日本の 都市 空間の 歴 史 を ざっ とたどっ て参りました。
ところ が最 初に申し上げ たよ うに、 都 市は 眼差しの 場であ るだ けで は ない。 都 市は 眼差しの 場であ る以前に、
様々 な地域か ら人 が集まっ てきてつ くられ る場 所であ る ということです。
様々 な異 質 な 人々、
様々 な 異 なる 人々 が都 市に集 まり、
そこに既 に住ん でい た者た ち と交渉してい く、
そ うい う交 渉、
山 会い、
集ま りの 中か ら都 市の文化がつ くられるというの が、
都 市とい う存 在の 最も重要な要素、
性 質であると い う風 に 思い ます。 先 ほ ど第一
.
一
・
次都 市 化、
第二 次 都 市 化とい うことを 申しました け れ ど も、
第一
次 都市化、
つ まり戦 前の都 市化の 中で朿 京に 人々 が集 まっ てきた 時 に、
ど うい う都 市の 文化が 出 て き た か。 最も顕 著な 例 は浅 草です。 浅 草の民 衆文化というもの が、
第一
次 都 市 化の 中でつ くられました。
そして第二次 都 市化の 中 で どういう都 市の 文化がつ くられ たかとい うと、 い くつ か あ る と思い ま す が、
ひ とつ だ け 例 を挙 げれば、新
宿 の 若 者 文 化、
さまざまな60
年 代の新 宿の若 者 文化で した。
これ は 乱暴 な整理 で す け れ ども、
そ うした都 市に集まっ てくる人々 が具 体 的に出 会 う中か ら浅 草の 民衆文化や 新 宿の 若 者文 化 をっ くっ てきた。
そ うした都 市の 文化 が どこ にい くのか とい うことが、
私 はデ ザイン の 問 題 とし ても考 えるべ きではない かという気が して い ます。
っ ま り 新 宿 的 な 60 年 代の 退行文 化 とい うの は70
年 代以降 消 えて いきました。
でもそれは本 当に消え たの か ということ で す。
都 市の 中に は お金がなくても佇むことができるよ うな心 地の よい 場 所が あ る限り、
そうした 文化は違 う形 で 生まれ る 可能 性が あるの で はない か、
と考えるの で す。
お金が な くても 心 地 よ く佇むことができる場 所 を都 市の 中にい かにつ くっ て いくか。
例え ば 迷路 性、
っ ま り整 然とした 通 りで はなく、
非 常に ぐ にゃぐにゃ し て細か くて、
どこにいる か分か らな くなっ てしま うような 迷 路 性一一
これ は都 市の 演 劇 性 と非 常に絡ん で います一一、
あ るいは異 質な もの が そこで 出会う・r
能 性 とか、
そ うい う場 を都 市 とい う空 間がい かに保 証し てるかとい うことで す。 その 典型的な分か りや すい 例の一
つ を、90
年 代 以降の 東 京ですと、
私は下北沢とい う街の 中に見 るこ とがで きると思い ます。
下北 沢とい う街が大 変 面 白い の は、
これ は都 市計 画の な され てい ない、
谷筋の い ろい ろな微 地 形 を生か した街で、
だからこそ一
番 先 端 的な 街であ る とい うところ に あ ると 言 え ると思い ます、
, 下北沢 という街に は、
近 代 的 な都 市 計 画がなかなか入り得 ず、
微地 形 を 生か した細か い 迷路が入 り組ん でい て、
そ れ が大 変人気の (東 京で今.
番 テ ナント料が高い の は 下 北 沢 だ そ うです け れ ど も)街 に なっ ている。 そ して 車 が 入っ て こない。
大 規 模 商 業 施 設が不 在であ る。
そうし た 下北沢の ような 街が今 若 者 達に とっ て、
ま た そ れ 以 外の 世 代に とって、
魅力 的 となっ てい ます。 歩 け る とい うこと、
迷 路 的であるということ、
大 きなもの がない という こと、
とい う点で ド北沢 は、
非 常に多 様 な都 市文 化を 生 む 基 盤 になっ てい ま す。
他 に もい くつ か 似 た 街 が あ る と思い ますが、
こうした街は先 程 来の 眼 差しの 問 題に は 還 元 され ない都
市の 創 造 力、
まさに クリエ イティビティ を育む 基 盤で有り得るの では ない か とい うことです、 と ころ が、
ご 承知のように この 下 北 沢に関し て は、
現 在こ れ は 世 田谷 区、
東 京都の 計画だ と思い ます け れども、
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号線とい う極めて幅の 広い 道 路 (しか し私 は無 意 味 な 道 路だ と思い ます けれども)が計 画され、
下 北 沢の こうし た魅力 や ク リエ イ ティビティが破 壊 され ようとしています。 その 基盤 に なっ てい るの は戦 災 復 興 計 画です け れ ども