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價値單位の研究(一)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

茂 岩 井 二十せ紀に於いて貨幣論上に翳らされた重安なる諸の貢献の中の鵬に、貨幣の中に於いて償値罫位が叫個猫立 の布衣を輿へ′られるに至ったことのあるのは何人も之を承認するところであらう。併し従解この憤倍額位の理論 的研究は戎分であつたとはいへない。クナツプは慣倍諒位の歴兜性、名目性をカ改したが、慣倍軍位そのものゝ ︵二︶ ︵一︶ 研究を寂してゐない。ベンテイクセンは偶倍率位を貨幣記耽と共に貨幣存立の二揖捉となしたが、叉特に慣倍畢 ︵三︶ 位が諸償億の共通分母たることを明かにし、終に﹁共通分母としての貨幣﹂を詮くに至った。虞にエルスタアは 敢昏的主産物に封する垂加可能性と之に封する参加測度と叉之に射する蓼加手段とを共に貨簡と認めてゐる。そ して参加手段は所謂支沸手段であり、参加測度は朗謂低値革位なのであるから彼にあつては憤倍賞位は叉貸簡な ︵四︶ のである。 東に此の系統とは別個の研究道粗をたどつて、リイフマンは貨幣は抽象的計算単位なりど結論して、以って偵 ︵五︶ 棺轟位の中に貨幣の姿を認め七ゐる。之等何れの著者についても慣情誼位の重嬰性は大いに認められてゐるが憤 鰭単位と菟執事段又は交換手段との開係及び慣低質位それ自身の性質に就いては未だその峯穿の手は深く至って 侶位牌位の研究

餞値軍使の研究

、叫、J ﹁ ㌦ ︵ここ九︶ 三九 邁

(2)

欝四谷 第三班

ハニ三〇︶ 四〇 ゐないも併し今日貨簡論が渾沌としてその鐸趣を知らざる状態を呈してゐるが、それは州南確かにこの償借軍位 の研究の不充分なことに基因してゐる様に私には考へられる。依ってこの方面への考察は特に私の注意を誘敬す るのである。 扱て斯くの如き事情の許にあつて最近私の眼にふれた叫文がある、それは経済畢及統計年表に掲げられたゾム ︵六︶ マアの﹁貨幣と償情誼位の現象形態﹂︰と題する論文である。私は以下に於いて此の論文の要旨を紹介したいと思 ふ。 く箪K。。PP㌔r・︰Staat〓che↓heOriedesGe−des・u・碧芦芯N︼・S・p邦繹宮田審代戒雇照固定嬰訊﹂一三貰以下 <巴●Beコ法話コ︶F﹁.︰Wes川コdes Ge︼des.u.ユuコ﹂紀N一S.N箋.

<巴.Bend訂e⊃−Fr.︰Geln uコd Kap⋮訂−.N.コu芦︼冶P N慧.

右拙謂﹁共通分権ミしての化見解に就いて﹂耐工感臍研究第三億第劇携 <箪E︼s宮ス・⋮Seeled甘sGeldes.N.ぎ〓﹂治山S●N賢 邦語 入澤民政 化見解原論 三九貫以下 く巴・﹁致∋aココ,︵ギuコdsa訂e derく○︼kswir什scha畑狂ehreニー.Bd.N.声︼治N.S.︼NO佃¶. SOヨヨer︸望b−eCh叶㍉もasG−duコd Erscheぎuコ∽SfOrヨeコderWer貢コheit㌧二コーLahrb宍heニur コa︷州○コa−OkOコ○ヨおuコd Sta〓s芳−。︼u〇.Bd.芦FO古e∴声Bd.Hef叶.︼.﹂a⊃uar﹂治p

叫 貨幣と偶感畳餞

a 貨隊の慣伍測定職髄

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(3)

充釆貨幣職能諭は貸飴の窮する意味を理解せんとの熱望の現はれである。そこで職能論は貨幣が如何なる目的 の為に存するものであるかといふ問に答へ、衰に之によつて貨簡現象の﹁本質﹂を明かにしようとするのである。 この職能論は金属主義的貨幣親に傾いてゐるものではあるが、名目主義でも少くとも仙つの貸簡職能を是認しな けれぼ存立し得ないのである。何故かといへぼ凡そある叫つの制度が何の焉めに存するかといふとき、それ自身 彷焉めに存するものだと説くのは、矛盾をなすからである。貸循がなす職能が幾つあるかゞ問題となるとき、貨 幣職能問題が起って来るのである。従来絆々の臭った意見が出てこの問題は未だ満足な解決を見てゐない。 どの貸簡にも総べての職能が備はつてゐるといふのではないから、貨簡職能の数は幾つと根本的にきめること はできない。併し大鰐次の如きものを撃げることができる。︵Wa笥ヨaココ︰望︼笥ヨeiコeGeid−ehreこ、一遵u∼S.︼β︶ − 側 般的交換,手段 ニー般的、特に洗律的支沸手段 三 山般的償倍及び憤格の測度

囲 慣値保有手段

五 慣倍移相手段

六 財産表示手段

七 資本流通 の媒介

慣槍単位の研究 ︵二三一︶ 四一

(4)

第四巷 ︰第三購 ︵二三二︶ 四二 大牌以上七つの職能が蓉げられるのであるが、その中初めのこちが主要職能で他は此の主要職能から誘致され た派生的職能である。そこで問題はどうして貨幣が之等ころの職能を果たすかといふことにな告此の問題に答 へる焉めには兜づ食滞概念そのものを考究してみる必要がある。 貨幣に就いては多くの人が色々に考へてゐるが、韮に二三蓼げてみると、コンラツド︵COコ﹁ad︰Gruコ賢isszuヨ

Studどヨ含rp01itisnheコ02kO⊃○∃i2こ●↓e〓−Ⅵ−ぎコ・か二準︶は之を財なりとし、ワァゲマン ︵空∽e∃eiコe Geldlehre−

S●芦︶は僧借畠位の保持者なりとし、ワグナ7 ︵Wa篭er︰迂.SON致OkOコ○ヨ落he↓heOr訂desGeldesuコdGe−dwes・ eコS︼8りS・︼Nこやヘルツエリツヒ︵〓el謬rich、K●ロasGeld、N,戸S・NNO●︶やフィリツポヴヰツチ ︵Phil官○くich︰ G−uコ今issd2−PO≡訂nheコ02kOコ○ヨ訂ここ00●ぎf㌻S◆Nさ︶は之を物腰︵Objekt︶なりとしてゐる。叉オツベンハイム ヽヽ ︵Oppeコb巴ヨーSaヨuei︰ロieコaturdesGe−des.︼00邸S.u.︶は之をもの︵Sache︶といひ、ヘラア︵He=er︰↓heO邑ische <。lkswirtschafをehre・−揺JS●︼OU◆︶は﹁貨幣は交換財の純粋なる範疇である﹂と論じてゐる。更にイデイー︵Ed訂叫﹁ D●⋮EcOコ○ヨ首sこ結か︶S.金山.︶は次の様に云ってゐる。即ち﹁貨鰭とは或敢合に於いて、それ以外の放べての財や勤 労と交換するときに仙般に受領ざれ得るところのあるもので︵a首hヨ已ある﹂と。 ▲之等の諸詮を見るに何れも貨幣を、流通場裡に於いて交換手段や支彿手段たるの職能を霹す、具標的なものと 考へ、錯貸を以ってその典型的なものとなしてゐるようである。ところが低値測定の職能は之と趣を異にしでゐ る。もと′∼貨幣の偶値測定職能といふときには、そこに多少の誤解が潜んでゐる。第W低値は精密に測定する

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ことはできない。之は質的な現象であつて、只程度の差を付けることができるだけである。次に文運繰的な低値 ヽ︳ 現象佗断ち切った場合にのみ、之を貸簡で云ひ表はすことができるのであつて、之を偶倍の測定といふわけには ︵こ いかない。そこで限界数用論者達は貨奮が使用低値を測定するものでないことをカ改してゐる。けれどもそれを いくら力説しても積極的に慣憶測定職能が何を意味してゐるかを明かにすることはできぬ。寧ろこの低値測定職 能を諭するに嘗り大切なことは、慣惜決定や債楕決意の行程に蓼興するのは、具牌的な貸倦ではなくして、之と は別の抽象的な等位であるといふことを知ることである。この軍使を償値単位といつてもよいのである。 ︵こ 次の締着参照 Wieserこりr∴二号t:、Geid㌔エaコぎOr許buch de−Staaけsw訂s2コSCha芽コ︼△・ぎf一・二<・Bd・㌦二当・

≧おes.﹁く.︰TheOrie計s Geides uコd der U∃laコ冴ヨ迂e−二重扇S.Np

エe=e﹁︰<○弄swir訂cha房−ehre二拾メS−岩切− b 貨幣ご償低質位ビは混同の危険ぁり 貨幣と橋値謹位とは寄賛上は相合して叫鱒となつて現はれるが、言直・虻⋮○ココーコ∴Objekt占コd Gruコdbe官ffe derく○−kswir落ha蔓ehreこ彗.S.u声︶ 原理上はこの雨着は別個のものである。それはそれ等両者がなす職能が 興るのでわかるのである。即ち貨幣本来の職能は交換手段といふ技術的なものであるが、憤億箪位は全然敢合的 な範疇である。アドルフ・ヴエーバブハWebe﹁−琵︰空駕ヨeiコey。lkswirtsnbats客reこ∽N00,S・u革︶は賓在的交換手段 慣値軍使の研究 ︵こ三三︶ 四三

(6)

第四潜 第三兢

︵二三四︶ 四囲 と桝念的交換手段とを区別L、具倍的なもので、昏々が手にとることのできるようなものが資在的で、只それを

以って抽象的に計算を行ひ得るに過ぎないものは観念的であるといつてゐるが、その置別も結局は貨幣と慣値軍

位との区別と攣りはない。簸て叉この貨幣と傾倍軍使とはよく混同されるのであるが、それは主にこの丙概念を

同叫の平面に置いて眺めようとすること砿起因してゐるようである。併しそれが叉硯代の様な高度の資本主義時

代に於いては、常に単位を貨幣に具醍的させてゐるのであるから無理のない瓢もある。併し革位は何時如何なる

場合にも億顧の形態をとつて現はれぬぼならぬかといふに、必ずしもさうではないのであるから、アドルフ・ヴ

︵こ

ヱバアやゴツトルの楼うにあまり同じ様な名稲を用ひない方がよい。

殊に吾々が諸郁の現象を理論的に研究する場合たは、どうしてもこの貨幣と憤倍単位とを協別しなけれぼなら

ない憲遺貸幣職能論に於いて交換手段とか、文殊手段とか、僧侶測度とかいふ職能を皆伺〓半面に於いて見て

ゐる場合には、何時でもこの大切な畷別を看過してゐるのである。

︵二▼ ゴダールほ計数貨幣量腰蒜ミふ胃薬を用ひて慣低質位三晶詑眈三相應ず孟別ねなしてゐろ。 く早く・GO苧Ot蔓eコ訂きFrトロ訂wirts︹haf芳heロぎeコSiOコこ冶汁 C 名鱒論者は僧侶畢位をざう名付けてゐるか 貸幣と憤胎齢位との匿別を知らないで混同するのはまだしもで雪が、之を知りつ∼混同してゐるものがある

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それはリイブマンである。彼は貨幣を理念であり、抽象鰭であり、剛般的計算畢位であるとなしてゐる。併し更 に、貸簡が漸次牽達すると貨幣制度は国家の揃絆を脱し、交換取引の要求に應するようになる。そしてその取引 そのもの1中からその取引に用ひられる交換手段が別法される云々といつてゐる。︵く掌﹁ieぎa∃︰GeimuコdG。inJ︶ ︼望m、S. 当こⅦごZutNeコuコdKOS蒜コ、Wert亡邑Preis、iコ一−Scブヨ011ersJahrbuch㌔B拝金、S.︼8ご。併し之はワァゲマ ンが、いつたように原埋を鼓脹しすぎて、償倍単位としての貨幣を詮くものである。︵く苧 W遥eヨ当コ︰≧官ヨe5e Ge︼d訂hre二﹁忘恩 S一声︶ かく批評されたに拘らず、リイフマンは佃流通せる貨幣を慣憶測走者であるとなして ゐる0 叉エルスタアは償倍諒位を抽象的なものと考へたが、併し之を矢張貨幣であるとなしてゐる。︵EIster︰DieSeele des Ge−dr。S﹂霊○−︶ 貨幣と偶伯⋮甲仰とを混同してゐるのはリイフマンやエルスタアに限ったことではない。ベンデイクセンも亦憤 値州単位即ち共通分臨としての貨幣を祝いてゐるのである。発釆償値麗位に関する思想そのものが名目論者に覆し て釆てゐるのであるから、名目論的な貨幣親は貨幣と偵億造位とを混同し易いわけである。コ!/ハnOhコ一戸W.⋮ KaココdasGe−dab笥S︹ha叫蒜werdeコり︼治○︶S.山鳥いく箪S.ジ汐︼N\︼ム.︶の訟はその典型的なものだといへよう。即ち日 く﹁貨幣は計合控臍的償倍を計算する共通分母︵横言すれば憤格表示手段︶であり、叉苗場財を典へてそれと交換 的に受取る物牒的な記紀である﹂と。 惜櫨軍使の研変 ︵二三五︶ 四五

(8)

第四番 第三鱗

︵こ三六︶ 讐ハ 併し貨幣と低値単位とが夫々別個の概念内容を有するのならば、それを同㌫ものだといふことはできない筈 である。だからこの雨着の概念内容を楠本する必要がある。そして偵倍革位が貨幣の申へ打込まれたときにのみ この両者の結合を見ることができるのである。併し他方に於いて叉、貨幣は償偲寮眩の支持を受けないでは存立 し待ないものだといふことを悟らねぼならぬ。

d 貨幣存在の前提ビしての惜低質位

放てすべての貨幣革位は抽象的槽憶説位が確立してゐなけれぼ存立し得ないものである。換言すれば低価畢位 の存在は貨幣存在の論理的前提である。ジンガア︵Siコ軍Kur什⋮DasGe己a訂Ne昏eコこ将PS.声︶が﹁貸簡概念は 惜憶説他の概念皇剛掟としてゐる、そして斯くの如き慣億罫位が存立してゐなけれぼ、支沸手段に就いて諭する こともできない﹂といつてゐるのも此の意味である。叉此の外ラフリン︵﹁a長官ぎPr芽p−2SO惰ぎコeyこ岩も・ご やカツセル︵nasse言∴The。ret賢eノS。N嘗誉。ヨieこ男S・憲・盲同左結論に到達して居美文ゴツトル′? G。学Ott≡訂⊃feざF﹁・仙D芥w註cha雲︹heDぎeコSiOコこ蔓−S・00・︶は計数貨幣が存在しないで文沸貸簡がその働らき を硯はすものとは考へられないといつてゐる。更に叉ヌスバウム ︵ぎssbau∋︰DasGeldiコ↓heOr芥uコdPraxisdes 倉皇s。beコaコnauS−aコdischeコRe箕sこ冒−S・eは観念的単位のことを論じ、次の様に云ってゐる。即ち﹁此の叩単位 は細論理的に見れば個々の貸幣記紀の前にあるものである。そはそれ自身では観念的なものではあるが、流通婁

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裡にあつては直接貸簡記振の中へ具鰭化するものである﹂と。

e 抽象的貨鮮単位

以上に依って大鰐明かになつたように、貨幣は償値軍使が務め存在するのでなけれぼ、之を考へることはでき ない。併しそれにも拘らす、貸簡は抽象的単位の成立す為るめの前童條件であるといふ従来の主張は無下に却け てしまふわけにはいかない。ヘラア︵HeHerこheOretischeく○芳swir叶scha芽訂hr♪↓把ジ∽.岩ごが云ってゐる様に﹁計 算罫位としての職能は、仙般的交換手段たるの職能に繚いて起るものだ﹂といふ訟は或意味に於いては本賞なの である。然らばどういふ場合正此の詮が是認せられるかといふに、それは流通せる貨幣罫位と一定の購見カといふ ものとが結び付けられた場合に於いてゞある。エルスタア︵E︼ster︰ロieSee︼edesGe−計sこ治○㌫■鍔︶が次の様に 云つてゐるのも結局はとの事嘗を云ひ硯はさうとしてゐるものに他ならない。即ち日く﹁我々が惜値罫位といつ てゐるものは、支彿手段を持ってゐるものに、その収得が保記されてゐるところの、財の分丑であるといふこと である﹂と。かように購買力といふ考を入れてくると、貸簡が低値単位の出蟄鮎となり,従って貨幣が革位に封 して俊位性を持ってゐるといふことができるのである。併し此の単位は、兜きに述べたところの岬単に抽象的に定 義されるばかりで、貨幣の中へ具鰭化されることを頼りとしてゐないで、然かも貨幣造出の前捉僚件となるとこ ろの本釆の慣倍単位とは根本的に異つたものである。即ち本来の低値革位は ー 恨令抽象的な罫位に過ぎないと 帰依単位の研究 ︵二三七︶ 四七

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第四番 第三兢

︵こ三入︶ 四入 はいへーー㌧∵尾骨の素材と同一なものであるから、それ自身で欒化するといふことはないが、流通せる貨幣から 誘導され窯単位は欒化することを以ってその特徴としてゐる。例へぼ﹁馬克﹂といふ概念の内容は法律によつて定 義きれてゐるが︵即ち純金叫乾から二十ライヒスマアク貸を百三十九個牛、又は十ライヒスマアク貸を二七九偶 作ること︶、流通坂裡にて不断に流通し、鳥克といふ登別で云ひ硯はされてゐる貨幣が持ってゐるところの購買力 は仝麓で何程といふ様にきまつてゐ・るものではない。ところで旅通坂裡に於いては、すべての評債をなすに常り、 法律上及び寄驚上の理由により、どうしてもこの後の箪位にたよらねぼならぬ、従って叉慣倍賞位は貨幣が遭遇 するすべての遇然性の影響牽党けるのである。かくして慣鮨盤他の本来の意味が撃つて来る。そこでこの貨幣か ら抽象され窪単位は明かに抽象的なものであるから﹁抽象的囲単位﹂といふことができるが、之はかの本来の意味で の、そして欒化しないところの憤倍畢放とは別個のものであり、そして個々の具鰭的な貨幣単位の購買力と阿℃ ものだといふことを明瞭にする篤めに、之を﹁抽象的貨幣革位﹂と名付けた孜らぼ便利かと思ふ。 此の約蒐を承認しての上であれぼ、貨幣が軍使の拙戦鮎をなすといふ仮定は全然掠り寂のないものではない。 叉この意味に於いてのみ﹁貸簡に慣庵の剛般的表示着である﹂︵Fet什er㌔﹁.声⋮E︵OnOヨーC召コCipざ︼崇、S∴賃ごと いふこともいへるのである。 f 憫値軍使の現象形放言本質

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扱て叉この流通せる貨幣そのものから抽象し窯単位を認めなけれぼ、或析の硯象を詮明することが思らくでせ

ないであらう。即ち偵侭選任の貨幣代用駒硯象形態︵貨幣が消滅した場合に憤倍濁位が硯象界陀於ぃて呈するその 態様︶の多くのものはこの革位を認めなけれぼ坪解ができないのである。叉大戦前と大戦後とでは猫逸の貨幣憶

倍は非常な下落をなした、併しその間法先の惜値轟位は少しも毀損されてゐない。馬寛の室警竺九山二奉と一

九二二毎とで異ってはゐないのである。若しせ人が貨幣に先行せる憤倍賞位のみを本常の単位だと認めようとす

れぼ、通貨膨脹によつ七著しくその横倍を落した罫位は叫照営んなものであるのか、わけがわからなくなつてし す

まふ。そこで之は次の様に詭明しなければならぬ。即ち通億膨脹の職牲となつたのは、本来の低価畢位ではなく

貨幣から抽象された翠位である。即ち貨幣の購買力に封する信頗に動感を凍たすと、直ちに低位箪僚の貨幣代用

的現象形態にその反動が在る様なものである。整備tた本位制慶に於いて、この償別竺向日立って見えな小q 何故かといへぼ叫馬充分の金は、こ坤克といふ刻印の押してやQ、現に流通せる貨幣と同℃丈けの交換低位即ち

購買力を持つてゐるからである。併しそれでもこの両種の軍位、即ち﹁抽象的偵借罫位﹂と﹁抽象的貨幣軍位﹂との

区別は之を存置しなければならない。

以上の如く考へて来ると貨幣が先きか、叩単位が発きかといふ論争は靡駄なものであるかも知れないが、又仮令

無駄であつてもなくても、低値単位の本質に就いて研究したこ上については何等の攣化はな小C即ち諭班的根掠

から云へぼ具髄的な貨幣より以前に存在せる畢位のみが本港の﹁軍使﹂であると小ふことである。以下に於いては

低位塔他の研究 ︵二三九︶ 四九

(12)

専らこの横倍罫位について考へようと思ふ。 現代の資本主義的経済に於いては、貨幣と憤値単位との結ム管換言すれぼ単位の具鱒化といふことが、低値単 位の汲も普通な現象形態である。低値革位が貸借単位や本位制慶と相結合してゐるのは、貨簡単位と償値聾放と の問に防がないからある。現代の文明国にあつてはこの状態が原則であつて、この特徴を慣値軍使の貨幣的現象 形態といふ。 アモンは貨幣品位と偵格表示手段畢位とは二致するといふが、併しそれは概してさうであつて、必然的にさう だとはいへない。そこで例へぼ特別の理由でこの雨着が一致しなかったり、又は偵値単位のみあつて、貨簡の存 在しない場合がある。だから単位が貨幣に具牌化するのは只憤倍単位の一一現象形態忙過ぎないのである。その他 把もう二つの現象形態が考へられるのだから、、合計三つの現象形態がある。即ち憤値単位の 貨簡約現象形態 ヨ○コetareErscheぎuコ皿SfOrヨ● 貨幣代用的現象形態 aコtぎ○コetareErscheぎuコ揖Sぎヨ. 発覚簡的現象形態 Eraeヨ○コe曹eE叫SCheiコUコ甥ざr∃● の三つがそれである。この分顛に勤しては、或はこうした歴史的な分類の仕方はいけないではないかといふ人が あるかも知れぬ。鹿程その疑問はそれ百倍としは全く正しいのであるが、之に封しては次の戌に反駁することが できる、即ち﹁憤倍単位の問題﹂金地Tl⊥埋論的にも歴史的忙も挑めて一!が貨幣現象陀関する思想の中にその梶 務四谷 .勢三窮 ︵こ四〇︶ 義○

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掠を鹿示て屈るのであつて、償値箪政の多様なる形態や抽象的単位の根本特徴といふものは、との貨幣からのみ

明かにすることができるからであると。

9 憎歯質位ビ顆似の概念

この侶佑罫位の沸教形態が多様であるのは、横倍罫位の本性から氷るのである。この単位は具鰹的なものでは

なく、抽象的なものである、換言すれば只頭で考へ得る財の蟹葺ある。この絶息が具腰的に如何経であるかと

いふことは個々の場合に・きまるので参る。債倍轟位の定義に於いて、融合的慣倍を持った具蘭的な封象と何等か

の闘係を持ってゐることが示されてゐないような償倍歯位は考へることができない。即ちP−ドベルトス︵ROdt berぎN。rErk。。。t。訂s。iコ。rStaatswritsc邑〓誉eコNustaコdeこ革S・l声︶ の云ってゐる様に、﹁畢に観念的な大さ﹂ といふものは慣憶測暖たることを得ないものである。叉ヴヰルケン ︵≦keコ︰ロiePhaコ0ヨeコ○富iedesGe一dwe子 宮wuss叶seぎs︰−署。hiく¶叫SONia首訂seコSCha采uコdS。Nia官≡芦。Bd・歩S・竃・︶が﹁交換償値の事賛上の代表者とし

て、或剖粂の物質的分患の単位が必勢なりとしてゐるのは正しい。ところが之に反して抽象的な低値単位が同時

に具鰐的に存在する必要はない。抽象的償倍罫位の本性は具鰭的な素材とは離れて猫立にその職能を果たす鮎忙

存する。この慣倍単位と類似の内容を持った諸概念によつて、何れもこの偵借軍使の抽象的性質が力詮されてゐ

る。アモンの﹁惜格未森手段軍使﹂にしろ、ヴヰルケンの鹿分椎能とか、計堺単位とか、偵格表示︵之等は皆同︼ 慣低質他の研究 ︵二四一︶ 五一

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Fつlリー.、 琴甲忽へ 第三航 ハニ攣.こ 五二 等項を異った概鮎から云ひ硯はLたものに過ぎぬ︶とかいつてゐるものに就、いて克ても同様である。 この叩単位は教蕊的に云ひかへる必姿がある。そこで教の箪位を用持てもよければ、畳の箪位を用払てもよい。 叉重さの箪位、長さの罫位、平面の単位でもよいdけれども現代鮭臍に於いては大低重きの軍使が用ひられる。 イデイー︵Edie︸﹁D.⋮Ec。コ。ヨicニⅦN加︶S.gごは.このことを次の様に云つてゐる、即ち﹁之は重さの罫位であるが それが憤倍を測嘉する箪位として用れられる。雷さの単位が償値単位として役立つのである﹂と。 償値軍位を最的にきめたゞけでは未だ不充分であつて、それと学んで慣倍単位として役立つ抽象財を性質的に もきめる必要がある。即ち財たる性質を有し、従って正常な状態に於いては商品となり、代償をうる能力を有す るものを出畿断とすることが必労である。この鮎に就いて、チエルゴー︵↓ur笥t︰雷f−ex什iOコSSur訂ぎヨa−iOコet d監−詳u什iOコdesr帥各e溜eSこ顔m㌫en.u会〇.︶が仰借測度となり比較の尺度となるものはそれ自身低値の充分あるも のでなければならぬといつてゐるのは正しい。叉ジンがア︵S孟er︰ロ訟Ge−dせsNeicheコーS・ぎ︶は貨幣史上その初 期に於いては憤倍単位が財の低値に基いてゐたことは否定し得ないといひ、ムYヱーラア︵きOeニer︰ロieL筈reく○∃ Ge己e、S一︼声︶ も亦貸将軍位が低値性質を有すべきものであるといつてゐる。 惜値軍使は具鰹的な財の中に認められる。少くともその登生の常時に於いては撃位は物慣に舷梯をもつてゐた のである。換言すれば偵倍単位は典鰐的な物鰐から生じたのである。然るに之に反して笹位がその作用を現はす ことはあらゆる具標的な傭件とは猫立なものである。抽象的畢位が貨幣佗密着してゐた場合でも、その罫他のT

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走の敢静的職能は既に感知せらるのである。アモン︷コヨ○ココ︰ObiektuコdGruコdbe箋訂usw㍉S∴NOき当p︶は慣格や単 位が共に概念的なものであることを訟き、そして箪位が貸簡の中へ押込められてゐることや、憤棺罫位と憤格箪位 とが一致することなどを大切だとは考へてゐ患い。叉カツセル ︵Casse︻︶G⋮↓heOretischeSOZialOkOコ○ヨ菌S−u尋︶ によれぼ、却て憤格の計算といふ・ことは、棟準財から解放されて猥立の布衣を持った、抽象的な単位による計算 臥のである。かくして数量的な表現であるところの慣格は、常然誰にもよくわかる、交換機楠臨位を前提してゐ るのである。 然らばこの単位がどうして濁正するか、換言すれば、故初その軍位と結合してゐた物腰の捕絆をどうして脱す るかといふ問頓に封してテふルゴーが巧妙な例を撃げてゐる。即ち或国民が﹁羊﹂といふ慣倍革位を用ひてゐたと ころ、具腰的な二匹の挙が抽象的な孝︵低値単位として用られてゐるもの︶二つとその償値相等しとなされるよ ぅになつて、その学といふ単位の敢初の内容を失ふに至ることがあると。かく僧備轟位は汲初その根掠としてゐ た素材から解放されて、賂ひには、その物曜は拘滅してしまつて、只極めて神秘的な名栴の単位だけが残存する に至ることもある。︵G。tt二DieWir叶scha軍cheDiヨeコSiOコ︶S.001..︶之等両極端の問を結ぶ諸郁の段階を尊げて叫系 列主なし牽り、叉慣値単位、と流通せる貸衛又は貸簡革位とが定義通りに叫致してゐるよぅな場合を考へること はちつとも固鄭ではない。只それには慣倍単位の現象形態が多様であるととを認めれぼよいのである。併しその 如何なる現象形態に於いても畢位が抽象的せあると小ふ本性には攣りはない。叉偶価単位と貨幣とが密着せる坂 慣値鞘位の研究 ︵こ四三︶ 五三

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倉でも、又は物照との関係を欠って畢に紳秘的な軍位となつた場合でも、慣棺轟位は何時でも同じ作用を螢んで

ゐる。

この革位の抽象的性質を認めなけれぼ、単位の統仙的な意味は到底理解できない、叉そが何の馬に存するのか

もわからない。慣倍単位を共通分母とするのは、マルクスの所謂等償方綜式をエ且てる焉である。併し此の場合不

撃的な客鶴的交換慣倍を持った財なんかは存しないのであるから、どうしても叫の擬制を入れてこなけれぼなら

ぬ。そこで慣値単位を選ぶときには.比較的動括の少ない財を根底とし怒単位を選ぶようにしなけれぼならぬ。

換言すれぼ、多くの財と、比較的欒化の乏しい慣借方柱式包作る様な物によつて債伯轟位を兄弟するようにする

のである。此の梯の方程式を作る必要は強ち交換行程にのみ限ったことではないのであつて、慣格方程式を作る

ときに特に之が主要な役割を濱ずるのである。叉例へぼ﹁敢愈主義的経開脚慶﹂とか﹁共同経済﹂といふ様な場合忙

はこの抽象的単位の應用範囲はもつと靡いのである。その際僧侶軍位がどういふ任務を裁たすかといふに、それ

は流通手段たる貨幣を排除して仕舞った場合を想像してみればわかるのである。共産主義による分配組絨元於て

も或山定の単位はどうしてもなければならないのである。又生産行程を合理的に遂行し、経酒計測を梯立するに

はこの単位が非常に大切である。

慣値単位は祀禽過程の中にあつてその意味を有する、換言すれぼ償倍轟位は明瞭な一致か、曙獣の劇致かとに

角鵬致といふ様な致命的な行馬がなけれぼ生じて卒訂い。.何故こうした山致を見るかといふにそれは客観的交揆 弟四億 第三覇 ︵こ四四︶ 玉四

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慣備の姦を容易にしたいからである。それで慣備軍使の現象形態といふものはすべてが、狭義の慣格にではな いか知れぬが、兎に角慣格現象に関係がある。

慣格を表示すをことはこの抽象的な慣惜単位のみがな卜得るのである、そしてこの職汚を果たす蔑めには具鰭 的な形態の有無といふことは﹁向関係がない¢それのみならす具標的な形態をとれぼ、色芸憩い影響を蒙むる 憐れがあるから、寧ろ無形的、抽象的の方が造かに那合がよい。 左記の串者達はこの慣借単位の抽象性を大いに弧調してゐる。 戸de FOく≡e∵﹁aヨ○∃a首︼宍戸S.声 SOぎy︶E−コeS−︰G2Se=scb琶ch2−︹0ヨtabi一isヨ仁S完−uSSe二00彗︸S・p SOd当、Fr■﹂●コ●R−く・︰2atiOコal O訂コ○ヨie、Bm・lI︶S−u声 以上の如く憤僚単位の概念を積極的に規定したからといつて、滑極的な規定を止めてしまふことはできない。 即ちこの慣億歯位の問題の申へ紛ぎれ込んで米た、いろくの現象と慣倍単位とをはつきり直別せなけれぼなら ぬ。どうしてそうしたものが紛ぎれ込んで来たかといふに、それ埠前に述べた貨幣の﹁慣倍尺度﹂たる職能から起 って釆てゐるのである。そこで偶借畢位と貨幣罫位とを方法論的に区別することが必要である。いひかへてみれば ある抽象的罫位が用ひられてゐる場合に、それが本来の慣僚単位を指してゐるものであるか、又は抽象的貨幣単 位む指してゐるものであるかを吟味しなければならぬ。併し日常の大概の評債には抽象的貸簡単位が用ひられて 偶倍爵位の研究 ︵こ四五︶ 罰五 崇

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第四谷 弟三窮

ハニ四六︶ 五六 ぁて、本来の慣借罫位は極特殊の場合に用ひられるのみである。例へぼ資本額や手形交換高などはみな貨幣単位 せいひ硯はされる。叉名目論者が貨幣なりとする振替貨幣などもどちらかといへば抽象的貨幣単位に近いものだ 流通塩袖にあつては抽象的貨幣轟位のみをよく知ってゐるといはれるが、このことに就ては殊に経常経済の方面 に於いて多くの例語が存する。叉猫逸の通貨膨脹の際に、流通界に於いて不断にその内容を欒化する抽象的貨幣 革位をいかに辛抱強く使用してゐたかといふことは、上述の富を裏書きするものである。 どの著者でも皆叫様に経験的な専管を概念的に分析しょうとはしてゐるが、併しその際この抽象的な革位をい ひ表はすに用ひた言葉が皆いづれも同叫の意味を持ってゐるとは限らないので、それは剛々の著書について吟味 しなけれぼならぬ。 現代猫逸の名目諭は概念内容をはつきりさせる必要があるといふことを強調してゐるが、併し﹁慣倦革位﹂の概 念を色々に用ひたので、抽象的単位の本木の本質を見失ってしまつたのである。 ︵未完︶

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