• 検索結果がありません。

第1部 南スマトラの民族と自然 : 南スマトラ,コムリン川流域の稲作景観 [Part 1 Man and Nature in South Sumatra : Agricultural Landscape in the Komering River Basin, South Sumatra ]

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "第1部 南スマトラの民族と自然 : 南スマトラ,コムリン川流域の稲作景観 [Part 1 Man and Nature in South Sumatra : Agricultural Landscape in the Komering River Basin, South Sumatra ]"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

東 南 ア ジア研 究 17巻3号 1979年12月

高 谷

*

A皇riculturalLandscapeintheKom erin皇River Basin,SouthSum atra

YoshikazuT AKAYA

*

ま え この特集 にお け る 私 の役割 りは, コム リン (Komering)川流域 の 土地利 用 を 自然環境 と の関係 にお いて記述す る ことで あ る。 自然 の 面 か らみて も,社会 の面か らみて も, この流 域 は少 な くと も3地 区 に分 け る ことが可能 で あ る。 それ らは, それ ぞれ上流 山地 , 中流域, 海岸低地 と してい る。3地 区で の土地利 用 は もちろん多 岐 にわた って い るが, と りあえず, Ⅰ 上 流

-

i

火 山 湖 周 辺 ス ミノ ン山(GunungSeminung)の頂 は ほ とん どいつ も雲 に覆 われて い る。 おそ ら くそ こは, もうモス ・フ ォ レス トに属 して い るの で あ ろ う。 その直下 には, まだ処女林 と思 わ れ る濃 い縁 の森林 が残 されて い る。 この高 さ は, もう少 し北 の ラ- ッ ト(Lahat)あた りで は茶栽培 の拡が って い る所 だ。 しか し, ここ には茶 はない。垂れ下 が った雲 の下 に残 され た この処女 林 は,せ いぜ い高度差 で

1

0

0

mは * 京都大学 東南 ア ジア 研 究 セ ンター ;TheCenter forSoutheastAsianStudies,KyotoUniversity

4

4

4

が き ここで は議論 を稲作 に しぼ る。 それ は, この 熱帯雨林 にあ って も,生活 の基本 はその主 要 部 の稲作 で把握可能 と考 え るか らで あ る。 た だ,稲作 とい って も数十年 前 まで は焼 畑 が 中 心 で あ った。 ここで は, したが って,焼 畑 陸 稲 か ら水稲へ の変 化 を 中心 に この地域 の土 地 利 用を描写 し, で きる ことな らその変 化 の原 因を もさ ぐろ うとい う もので あ る。 山 地 どで あ る。それ よ り下 は湖 面近 くまで の約

4

0

0

mにわた って は大 きな木 は全 くない。薮 か草 原 の よ うな ものが濃淡 の縞 を作 って い る。 こ こが ラナ ウ (Ranau)農業 の 核 心部 で あ り, コー ヒーや丁字 や タバ コ, ピーナ ツ, みか ん な どの畑 にな って い る

。1

9

1

5

年 に中部 ジ ャワ か ら導入 された タバ コは ス ミノ ン山の特 殊 な 火 山灰 に極 めて よ く適合 して,一躍 , ラナ ウ の最重要産物 にの し上が って しま った といわ れて い る。 これ に 次 ぐ主 産物 は コー ヒー だ が,最近 で は丁 字が急速 にその面積 を拡 げて い る。湖 ぎ りぎ りの火 山据部 には, こん もり と茂 った樹 々の帯が続 く。バ ナナ,パパ イ ヤ,

(2)

高 谷 :南 スマ トラ, コム リン川 流 域 の稲 作景勧 マ ンゴー な ど, 自家用 の果樹 の混 ざ った屋 敷 林 で あ る。 晴 れ た 日の ラナ ウ湖 は極 めて 明 るい。澄 み き った水 の上 を ア ウ トリッガ ーをつ けた丸木 舟 が 滑 って ゆ く。 その軽快 さは南 太平 洋 の島 島を連 想 させ る。私 は この火 山湖 を眺 め なが ら,何 度 か太 平 洋 の島 にい る よ うな錯 覚 に陥 った の を覚 えて い る。一 万,両 の 日の ラナ ウ 湖 は, 一転 して極 めて み じめ な もの に変 って しま う。 霧が か か り,肌 寒 くな る。何 よ り も い けな いのは、 あ らゆ る渓 流が小 砂利 を多量 に混ぜ た濁流 に変 って しま うことだ。 渓流 か ら引いた用 水 溜 め は, 降雨 後30分 もす ると泥 溜 め に な って しま う。 ラナ ウの水 田は, コー ヒー な どに比 べ ると, その 占め る比率 は極 めて小 さい。 どの部 落 に も水 田が あ るとい うわ けで もない。湖 に注 ぎ 入 る渓 流 が時 に小 さな平 坦 面 を作 るが ,水 田 は そ う した 所 にまれ にみ られ る。 ス カ ラ ミ (Sukarami)はそ う した 水 田を持 つ 部落 の一 つ で あ る。以 下 は この部 落 の1老 人 か ら聞 い た話 で あ る。 在) 現在 スカ ラ ミには50戸 の家 が あ り, 10 haの水 田が あ る。60年 前 には,30-40戸 ぐ らい しか なか ったが, その時 す で に 10ha の水 田は開 田 されて い た。 した が って,皮 近 ,水 田は細 分 化 の傾 向が強 くな って い る。 ㊥ 自分 の持 ち田は60年前 に開 田 したが, 開 田は森林 を焼 いて行 な った。2カ年 問 だ け陸稲 を作 り, 3年 目よ り水 田 と し,以 後 ず っ と水 田で現在 に至 って い る。

自分 の 田は斜 面脚 部 にあ り, 湧 き水 の 直下 にあた って い るか ら水 の調節 は可能 で あ る。一 般 に この部 落 の 田は.例 え ば隣村 の ジ ェパ ラ (Jepara)の 田に比べ ると 難排 水 で泥深 い。 こ う した湿 田を サ ワ ・ルバ ッ ク(sawahlebak)と呼んで い る。 ㊤ 稲作 作 業 は以下 の通 りで あ る。10月 中 ごろか ら雨 が来 ると,早 い所 で は苗代 作 り を始 め る。 ふつ うは11月 に な って か ら始 め る。苗代 は本 田の一部 を よ く耕 して, そ こ にバ ラ播 きす る。苗 代期 間 は約40日間。 ⑳ 苗代 準 備 後す ぐに本 田準 備 を行 う。 鋤 は用 い ない。 ク ワで荒 起 こ しをす る。時 に 2頭立て の牛 または水牛 にギ リンガ ン (gi -1ingan)とい う,直 径 20cm,長 さ 80cm ぐらいの ツ メの埋 め込 んだ木 製 の コ ロバ シ ャを曳 かせ る こ とが あ る。 こう した作 業 を ング ンダ ック (ngundak)と い う。 まれ に ギ リンガ ンを曳 かせ ず牛 だ け歩 かせ る こと もあ るが , これ も ング ンダ ックとい う。特 別 に泥 深 い 田 には水 牛 も入 らないので, ひ とが入 り,手 で草 を と り足 で踏 み入 れ る。

植 え付 けは指 で行 う。植 え付 け棒 の類 は用 いない。移植 は1回 のみで あ る。 G) 植 え付 け後,除草 を 1回行 う。除草 に は手 も用 い るが,主 と して 足 で泥 中 に踏 み 入 れ る。 ㊦ 稲 作 に と って最大 の敵 は ネズ ミと野猪 だ。 しか し,最近 は ウェル ン(wereng,N2- -7aParvataZugen∫)とい う害 虫が発 生 して, その被 害 が絶大 で あ る。 ⑨ 刈 り取 りは6月 。 グタス (getas)と呼 ぶ爪鎌 で行 う。 老 人 のい う 10ha のサ ワ ・ルバ ック は幅 80m ぐらいの 谷地 田を 連 ねて いて, 400 -500m 続 いた の ち,湖 に出てい る。 そ して, イ ンタ ビューを行 な った9月 末 には,す で に その大部 分 が す っか りぬか るんで いた。老 人 の い った ジェパ ラの乾 田な る もの は, しか し, 同 じころまだ村 人 が そ の上で サ ッカーを楽 し ん で いた。 こう した 乾 田は サ ワ ・プマ タ ン (sawahpematang)と呼 ばれ, 段 丘 の上 な ど に あ るので あ る。

Lii 段丘 上 の藩鶴 田

ラナ ウ湖 の湖 岸 には水 田は少 ない。 む しろ, 水 田は それ よ り南 の ラ ンボ ン(Lampung)州

(3)

東南 ア ジア研 究 17巻3号 に入 ると多 い。 そ こはいわゆ るサ ワ ・プ マ タ ン地帯で あ り港概水 田地帯で あ る。北 で もタ ンジ ョンプサール (TanjungBesar)まで来 る とま とま った ものが あ る。 タ ンジ ョンブサ ー ル の ものは, この スマ トラ背 陵 中の流 概 田で は最 も典 型 的 な ものの一 つで あ る。 パ ンダル ア グ ン(BandarAgung)の集落 か らは, ラナ ウ湖 か らの唯一 の流 出河川で あ る クア ラ川 (W aiKuala)が激 し く湖 の水 を流 し 出 して い る。 これが実 は コム リン川 の最上流 部 にあた る所 だ 。 クア ラ川 の深 い渓 谷 は完全 な ジ ャングルで覆 われて いるが , その中 に も コー ヒーの植 え られて い る所 が多 い。 この渓 谷 ぞ いの 山道 をパ ンダル ア ダ ンか ら北 西 に進 む こと 22.5km で, 突然小 さな盆地 に 出 る。 そ こには,約 100戸 の家が, しっか り くっつ き合 った塊村 が あ る。 これが タ ンジ ョンブサ ールで あ り, その周辺が かな り広 い水 田地 帯 で あ る。 タ ンジ ョンブサール は, よ り正確 には, コ ム リン川 の1支流 が作 った小 さい山間盆地 で あ る。支 流 は幅15mで あ るが, その両岸 に段 丘 が くっつ いて い るO西側 の段丘 は川底 よ り 約20mの高 さを持 ち,幅800mに及 んで い る。 東側 の それ はやや低 く,高 さ10m,紳 loom 幅 で あ る。 この二 つ の段丘面 が タ ンジ ョンブ サ ール など三 つ の ドゥス ン(dusun)が持つ約 300haの水 田地 帯 で あ る。段 丘 を東 西で画 す る山の斜面 は全 面 ジ ャングルで覆 われ, その 中 には コー ヒー,バ ナナ, それ に一部豆 畑が 混 じって い る。 タ ンジ ョンブサール は ラナ ウ湖 周辺 の村 と 違 って母 系制 の スム ン ド(Semendo)族 の村 で あ る。 しか し,水 田耕作 の基本 は ラナ ウの 場 合 と異 な らない。11月 か ら12月 にか けて苗 代 を作 り,30-45日の百 を2- 3本 ずつ指 で 植 えて ゆ く。 活着後 に一度除草 を行 い,収 穫 は爪鎌 で行 う。稲作 の問題点 はや は り, 野猪 とネズ ミと烏 だ。 た った一 つ の違 った点 とい 446 えば,ま とま った濯概施設 で あ る。300haと い う水 田群 が い くつか の水利設 備 の もとにま とめ上 げ られて い る。私 達が みた井堰 は 田頭 か ら例 の支流 を約500m さか のぼ った所 にあ った。 屈 曲 した川 が岩壁 の凹面 を削 り込 んで い る 所 か ら, 岩 を うち 抜 いた よ うな 形 で幅 1.5mの水路 が こ しらえて あ る。 そ して, ち ょうどそ こに水が乗 るよ うに,

幅 い っぱ い にわた って川 を斜 め に横切 る堰 が築 いて あ る。 非 濯概期 の9月 には直 径30′-′50cmの玉 石 が 40cm高 さ ぐらいに積 み上 げ られて い るにす ぎないが,11月 に入 る と この と り入 れ 口か ら 取水 す る百姓 が総 出で井立 てをす る。 この作 業 に欠席 す る ことは許 され ない。 こ う して水 路 に乗せ られた水 は, そ こか ら崖際 を這 って, 20mの高 さの水 田まで持 ち上 げ られ る。一旦 , 水 田に乗 って しま うと, あ とは 田越 しに配水 されて ゆ く。川水 はか な らず Lも通年 豊富 と はいえないの と,飯米確保 には 1作 で十分 事 足 りる ことか ら,二期作 は全 く行 われて いな い 。 ク リオ (krio,部落 長) に よると, ここは 地形 が平坦 だか ら牛耕 を多用す る とい うO こ の ドゥス ンには水牛 はいないので牛がバ ジ ャ ック(bajak)と呼ぶす きを曳 く。 時 に人間 が 曳 くこと もあ る とい う。 しか し, ク リオの主 張 に もかかわ らず,牛 の数 を聞 いて み ると, 120戸 の農家 に対 して,30数頭 しか いない。 や は り, チ ャ ンコール (chankol,鍬 ) が主体 を 占め るよ うで あ る。 タ ンジ ョンブサ ール にみ られ る井堰 港概 と バ ジ ャ ックの多用 は ここだ けの ことで は な く, いわ ゆ るサ ワ ・プ マ タ ンで は普通 の ことの よ うで あ る。 しか し, こう した小 谷 ぞいの段丘 田は小 谷が 山深 く入 れ ば入 るほ ど傾 斜 を増 し, 全体 が棚 田の よ うにな って くる。例 えば, 同 じ谷 を さ らに 30km 西北行 して ア ラマ ンタ イ (Aramantai)まで 来 ると, 棚 田か らは 田 越 しの潅離水 が滝 の よ うに落 ち, あ ち こちに

(4)

高 谷 :南 ス マ トラ, コム リン川 流 域 の稲 作 景 観 水 車小 屋 が み られ る よ うにな る。 棚 田の 中 に 建 て られ た米倉 の群 とい い,全体 の様相 は, す で に ミナ ンカバ ウ (Minangkabau)の それ に酷 似 して くる。 一 方 , ラナ ウ湖 よ り南 へ, ラ ンボ ン州 に入 って も景観 は同 じで あ る。例 えば, ラ ンボ ン州 最 北 の村 ,パ ガルデ ワ( Pa-garDewa)付近 には,見事 な潅瀧 田が発 達 す る。 こ こで は,二 つ の ドゥス ンに属 す る700 戸 が と り入 れ 口を共 有す る一 つ の井郷 を形成 して い る。 この井 堰 は もっか コ ンク リー トに 模 様 替 え 中だが, そ こか ら伸 び る水 路 は,や は り典 型 的 な山間盆 地 の濯 鶴 田風 景 を呈 して い る。 上 流 山地 の水 の得 られ る所 は, こ う し て今 日で は, 港 敵農 業 が一 つ の極 相 に達 した 安定 さで経 営 され て い るか にみ え ら。 Ⅰ-iii 山腹 の土地利 用 上 流 山地 の中で水 稲作 が み られ るの は, し か し,全 体 か らみれ ば極 めてか ざ られ た部 分 に しかす ぎない。大部 分 は 山腹 の木 の世界 と して残 って い る。 パ レンバ ンか らラナ ウ湖 に通 ず る道 を走 る 時 , シ ンパ ンマル タプ ラ (Simparlg Mart a-pura)を過 ぎると, コム リン川 はそれ まで の 台地 と丘 陵 を は なれて 山 に入 って ゆ く。 こ う な ると,時 折 り現 れ る道 脇 の崖 には,暗 い チ ョ コ レー ト色 の土 が , キ ラキ ラ光 る微 細 な物 を 混ぜ て現 れ 出す 。 ガ ラス片 に富 んだ火 山灰土 壌 で あ る。 これ は それ まで の 明 るい赤色 の台 地 の土 とは全 く違 った, いか に も しっと りと して肥 沃 そ うな土 だ。樹 々の緑 は明 らか に一 段 と濃 くな る。 これが上 流 山地 山腹 の土壌 で あ る。シ ンパ ンマル タプ ラか らほんの3km来 た所 で,私達 は コム リン川 にそ った斜 面 で働 く夫婦 に出 くわ した。斜 面 は それ ほ ど高 くな い。 川 か らせ いぜ い 50m ぐらいの 高 度 差 し か ないが , その全 面 は放 棄 され た よ うな ゴム 林 で覆 われ て い る。 その 中 に200m 幅 ほ どで, 木 の切 り倒 され た所 が項 部 まで続 いて い る。 こ こが今夫 婦 の作 業 を して い る畑 で あ る。以 下 は, この男 の方 か ら聞 いた話 で あ る。 在) 自分 は コム リン人 だが,今 , ゴム園を 切 り倒 して コー ヒー園 に変 え る作 業 を して い る。 これだ けの所 (約 0.5ha)の ゴムを 切 り倒 す の に

1

0

日間 か か った。 しば ら く放 置 して おいて燃 や しにか か ったが , なか な か燃 え ない。 だ か ら太 い幹 はそ の ま まに し て朽 ち るにまかせ て い る。 ㊥ 今 日 (1978年 9月 29日),掘 り棒 で孔 を あ けて,米 と トー モ ロコ シを混 播す る。 同 時 にバ ナ ナ もその間 に植 え る。

今 か ら5カ月す る と米 が刈 り取 れ る。 す る と, その直後 に コー ヒーを植 え る。 こ の時 い っ し ょに陰 を作 る木 を植 え るが, こ れ は まだ小 さ くて十 分 な陰 は作 らな い 。(木 は AZbz'zz2'afaZcaza) しか し, 半年経 った バ ナ ナはす で にか な り大 き くな って いて, 少 しは, コー ヒーの覆 いの役 目を果 たす 。 ㊤ 来年 の今 ごろ, も しバ ナ ナや コー ヒー の間 に まだ 隙間 が多 けれ ば, そ こに また米 を点 播 す る。 ㊨ 自分 は ここに3筆 持 って い るが, それ は2年前 に開 いた所 (約 0.5ha)と去年 開 いた所 (同 じ く約 0.5ha)、 それ に今 開 い て い る所 か らな る。 コー ヒー は植 えて3年 経 つ と, は じめて収 穫 が可 能 にな る。 それ か ら20年 か25年 くらいは毎年 とれ る。20年 後 木 が古 くな る と, それ を切 り倒せ ば, 倭 芽 が 出て きて また とれ る よ うにな る。 彼 が初年度 に開 いた と い う所 は, す で に AZbz'zzz-a とバ ナナ が同 じ くらい 優勢 に な っ て いて, コー ヒー も人 の背 を越 す ほ どに成 長 して い る。 この若 夫婦 の例 は決 して特 殊 な例 で は ない。 他 の農民 の場合 , そ の開墾地 は ゴム林 で は な しに ジ ャ ングル で あ るか も しれ な い。 また, 初 年 目には稲 と トーモ ロコ シの混播 で は な し に,稲 だ けで あ るか も しれ ない。 しか し,いず

(5)

東南 ア ジア研究 17巻3号 れ に して も,立 ち木 を切 って初年 度 もし くは 初年度 と2年 目には稲 な どを作 り, それ を漸 次 コー ヒー に変 じて ゆ くとい う基本型 は変 ら ない。 ここで重要 な ことは, 山腹 の焼 畑が い わ ゆ る普通 の意味で の焼畑 で は な く,実 は コ ー ヒー園建設 のための1ステ ップ と しての焼 畑 で あ り, オカボ作 りで あ るとい う点 で あ る。 山腹 の多 くの部分 は数十年 を経 た ゴムで覆 われて い る。 この ゴム林 自体 が,上 の コー ヒ ーの場合 と同 じよ うなプ ロセ スを経 て形 成 さ れ たのだ とい う。す なわ ち,初年度 には稲 が Il 中 ⅠⅠ-i中 流 域 の 景 観 山地 を 出た コム リン川 は丘陵 と台地 に入 る。 最初 のそれ は台地 に押 し込 め られた よ うに狭 い谷 幅 しか持 た ないが,流下す るに従 って, や がて, よ く発達 した 自然堤 防 とその背後 に ゆ った り拡 が った後 背湿地 を持 つ よ うにな る。 いわ ゆ るルバ ック (lebak)地 帯で あ る。 ルバ ックは川がパ レンバ ンに近 づ くに従 って一段 と拡 が り,逆 に 自然堤 防が それ に呑 み込 まれ るよ うな格好 にな り一大低湿地 を形成す る。 第 Ⅰ章 で 閉塞 低地 とされて い る もの は, この 中流域 の下位 に一致す る もので あ る。 中流域 の コム リン)旧ま, こう して,例 えば 植 え られ, それ を ゴム園 に したのだ とい う。 そ して, この ゴム林 が今 同 じプ ロセ スを経 て コー ヒー に転換 されつ つ あ るので あ る。上流 山地 の 山腹で は実 に多 くの所 で この種 の疑 似 焼 畑が 行 われて い る。 ク ラ ン (talang)とか ウ ンブ ラ ン(umbulan)とか呼 ばれ る 新 しい 分村 の生 業 は, まず例外 な くこ う した コ- ヒ -作 りを中心 に生 きてい る もの と考 えて差 し 支 えない。 山腹 とは, その外 見が原始 的 な農 法 に もかか わ らず,す ぐれて商 業的空 間 と考 えて よ さそ うで あ る。 流 域 それが マル タプ ラ(Martapura)にあ る 時 と パ レンバ ンに近 づ いた時 とでは景観上 にか な りの相 違が生 ず る。 しか し, それ に もかか わ らず, この中流域全体 を通 じて共通 して いえ る ことは, それが,丘 陵 もし くは台地 と, 自 然 堤防 と後 背地 の3要素 か らな って い る とい う ことで あ る。 それ ぞれ の地点 において3要 素 の 占め る比率 は異 な るが , ど こで も人 々は 自然堤 防 に居 を構 え,後 背湿地 で稲 を作 って い る。台地 や丘 陵はいずれ も不毛 の草地 も し くは潅木林 で あ る。 イ メー ジの明確化 を期す るた め に,例 えば ラスア ン(Rasuan)か ら チ ュ ンパ カ (Cem -paka)あた りにみ られ る地 形 断面 とそ こで の 図1 コムリン中流域における住民の土地区分

(6)

高 谷 :南 スマ トラ, コム リン川 流 域 の稲作 景 観

土 地 利 用 を 示 して み よ う。 図 1が それ で あ る。 人 々は 自分 の ドゥス ンの 土 地 を そ の 物 理 的性 質 に よ って プ マ タ ン(pematang),ルバ ック・プマ タ ン(lebakpematang),ルバ ック・

トゥガ- ン (lebak tegahan),ルバ ック ・ダ jih(lebak dalam),9 79T7 (rawa-raWa)

と ク ラ ンの六 つ に分 けて い る。 プ 「7タ ンと呼 ばれ て い るのが, いわ ゆ る 自然 堤 防 で あ る。 この あた りで は, 幅 100m の コム リン川 にそ って, その両 側 に幅 200ノ-300m ぐらいで 帯 状 に伸 びて い る。 三 つ のルバ ックと ラワ ラワ はいわ ゆ る後 背湿地 で あ るが, ラワ ラ ワは通 年 湛水 して い る部 分 で あ る。 ク ラ ンとい うの は丘 陵,台地 の ことで あ る。 プ マ タ ンは高 み とい う意 味で あ る。 これ は また タナ ・ク リン(tanahkering)す なわ ち乾 いた土 地 と も呼 ばれて い る。5, 6年 に1度 の異 常 な洪 水 時 には ご く短期 間冠水 す る こと が あ るが, 普 通年 には コム リン川が どん な に 水 位 を上 げて も水 を かぶ る ことが な い。 こう した高 くて乾 いた還 境 のた め に, こ こは, ま ず例 外 な く宅地 とそれ を と り巻 く屋 敷地 の樹 樹 で覆 われて い る。空 か らみ る時 ,川 にそ っ て とぎれ 目の な い縁 の帯 を み るが , それ は こ の 自然堤 防上 の樹 薗部 で あ る. ラス ア ン, チ ュ ンパ カの あた りで は, そ の圧 倒 的大 部 分 が ドゥク(Lan∫ium dome∫ticum)とバ ナ ナで構 成 されて い る。 ほか に ドリア ン, マ ンゴー, ラ ンブー タ ンな ど も少 な くな い。 ドゥクは鶏 卵大 で酸 味 の あ る果 物 だが, コム リンの ドゥ クは甘味 が 強 い とい う ことで特 に有 名で あ り 極 めて多量 がパ レ ンバ ンや ジャカル タに輸 出 され る。 バ ナ ナは, その生 産 の半 分以 上 が現 地 で蒸 した り,焼 いた り して,主 食 の一 部 と して, あ るいは果 物 と して, 消 費 され る。 な お極 めて 多量 がパ レンバ ンに運 ばれ るとい う。 こう した産物 は, ラスア ンか ら竹 の筏 に乗 せ られ る こと2日でパ レンバ ンにつ く。土地 の 仲 買人 は, そ こで筏 もろ と も売 り払 って, バ スで帰 って くるので あ る。 ドゥクには シー ズ ンが あ るが,バ ナ ナは年 中 とれ る。 ほ とん ど の家 庭 は5aや そ こい らの屋敷地 を持 って い て, そ こか らとれ る果物 は貴重 な現金収 入 の 1手 段 とな って い る。 ルバ ックは稲作 の場 で あ る。 これ につ いて は次 節 で別 に述 べ る。 ルバ ックの奥 には, し ば しば大 小 の ラワ ラ ワが残 され て い る。水 生 植 物 が生 えて は朽 ちて ゆ くた めに, そ こは ピ ー トと黒 い水 で特徴 づ け られて い る。 この ラ ワラワは乾季 には しば しば魚 と りの場 とな る。 コム リン人 は川魚 を好 む。 この ことは,例 え ば, ジ ャワ人 と比べ て み る と歴 然 と して い る。 ジ ャワ人 は池 で十 分 に揚 げて におい を消 した 魚 な ら食 べ るが, いわ ゆ る フ イ ツシーな にお いのす る もの は強 く嫌 う。 しか し, コム リン で は川魚 は煮 つ け に もな る し, スープ に して も賞味 され る。 乾季 中多量 に と った魚 は雨 季 用 の貯 え に と乾燥 され る こと もあ る。 ク ラ ンは赤 黄色 ポ ドゾル土 と呼 ばれ る, 赤 色 の極 めて貧 栄養 の土 で覆 われて い る。高 位 のた め に水 の便 も悪 い。 したが って, ここは 普通 ,住 民 には利 用価 値 の少 な い もの と して 意識 され て い る。 波状 に うね る この空 間 は し ば しば薮 に覆 われ て い るが, 時 に高 さ10mを 越 え る木 が 明 るい 林 を作 って い る。1)か つ て は トンブス (tembesu)の 上材 が 切 り 出 され た とい うが, それ らの 巨木 は 今 は ない。 過 去 に広 く焼 畑 が行 わ れ て,原始 の森 は破 壊 さ れて しま った もの らしい。上 流 山地 の 山腹 部 と同様手 法 で ゴ ム林 開設 の試 みが な された 形 跡 が所 々で み られ るが, それ らは あ らか た不 成 功 で あ った よ うで あ る。多 くの そ う した ゴ ムは痩 せ 細 り,薮 に混 じって 薮 との区別 がつ

1)薮の構成種 として多いのがM eZa∫tomapoJ yan-1hum,ZmPerata cyZindrica,EuPhatoriam sP・

その中にM acarangaPruno∫a,DiZencaindica,

AIslonias2.などが混入 している。

10mぐらいの高い木になっているものは Schi

(7)

東南 ア ジア研究 17巻3号 か な い もの にな って い る。 ⅠⅠ-ii ル バ ッ ク 田 ルバ ックは稲 作 の場 で あ る。以下 は ラスア ンのパ ッシ ラ (pasirah,村 長) か ら得 た情 報 で あ る。 図2は,同氏がルバ ック ・ダ ラム, す なわ ち最深 湛水 水 田部 にお け る湛水深 の月 変 化 を示 して くれ た もので あ る。

5

月 か ら

8

月 にか けて ルバ ックは干上 が って い るが,ll 月 と12月 には2mの深 さに湛水 して い る。稲 作 開始 が2- 3月 で,終 了 は10月 で あ る。 こ の意味 で この稲 は完 全 な る減 水 期稲 で あ る。 この ことを前提 条 件 と して,以 下 , パ ッシ ラ の説 明 す る農作 業 を簡 単 に述 べ て みた い。 ⑦ 第 1回 目の百 代 の ことを, ここで は ア ンプニ (ambunyi)とい う。 百 代 開始 は2 月 か ら3月 にか けてで あ る。 この時 期 に作 られ る苗代 はルバ ック ・プ マ タ ンの上 に植 え られ る早 場 米 用 の苗代 で あ る。苗 代 は年 中乾 いて い るプ マ タ ン上 に畝 立 て を して行 われ る。 掘 り棒 で 穿孔 して , こ こに軽 くひ とにぎ りの粗 を入 れ る。 稀 に散 播す る こと もあ る。百 代期 間 は20日か ら30日程 度 (ほ か の農 民 達 は ほ とん どは1週 間 か ら10日間 ぐらい とい った。 実 際 は10日以下 の ことの 方 が多 い ら しい。)ルバ ック ・ダ ラムのた め の晩生 稲 の苗代 も同 じ手 法 で しっ らえ られ 0 2 . 水 深 仙 ○ 2.0 2.0 L 2 5 4 5 6 7 8 9 10 lI l2月 図2 ラスアンにおけるルバ ック ・ダラムの水 田の湛水深の月別変化 450 るが, これ は4月 にな らない と始 ま らない。 ㊥ 本 田準 備 は3月 にな って ルバ ックが減 水 し出す と, 浅 くな った所 か ら順 次 と りか か る。最 初 に行 う作 業 が ア ンパ ンチ ャ(a m-bancah)。 これ は旺盛 に 生 い茂 った 草 をバ ラ ン (par礼ng)と呼 ぶ 山刀 でな ぎ倒 す作 業 。 20cm前 後 の水 深 中で行 う。次 に ンガ カ ッ ト(ngakat)を行 う。 これ は切 り倒 されて 浮 いて い る莫大 な草 を掻 き集 めて 畦 に積 み 上 げ る作業 。 これで本 田準備 は完 了 。 鍬や 鋤 で掘 り返す よ うな作 業 は全 く行 わ な い。 ⑮ 第 2苗代 。 これ は第 1回 目の植 え付 け で もあ る。本 田準 備 中 に主 田の一 部 で若苗 の植 え付 け可 能 な程度 に浅 く減水 した所 に 第 2苗代 を作 る。 この第 2回 目の苗 代 の こ とを スマ イ (semai)とい う。 これ に は第 1 苗代 か ら引 き抜 いた宙 を分 けて,4.- 5本 ずつ を 10cm 間 隔 ぐらいで植 え る。 植 え 付 けには, トガ ール (tegal)とい う1間 ぐ らいの長 さの掘 り棒 で穿孔 して, その 中 に 投 げ入 れ るよ うなか た ちで植 え る。 第2苗 代 には酉 を本 田準 備 が完 了 す るまで 置 いて お くが ,普通 は1カ月 ぐらい。 減 水 が予 想 通 り進行 しな いで植 え付 けが で きな い時 は, 1ヵ月 目 ぐらい に第 2苗代 の宙 を引 き抜 い て再 び株 分 け し,第 3苗 代 を作 る こと もあ る。 ㊤ 植 え付 け作 業 は, ナ ノム (nanom)と い う。苗 は50-60cm以 上 の長大 な ものを 用 い る。 1株 は 1.-2本 。 この作業 には ト ゥ ンジ ャ ン(tunjan)と称 す る植 え付 けベ ラ を用 い る。椴 の直 上 に この ヘ ラをあてが い, 泥 中 に深 く押 し入 れ るよ うに して植 え る。 ⑳ 除 草 は植 え付 け後

1

カ月 ぐらいの時 に, 湛水 深 の浅 い所 の み行 う。 これ に はル ンカ ウ ィ ック (lengkawik)とい う小 さい ナ イ フを用 い る。

6

) 刈 り取 りはルバ ック ・プ マ タ ン上 の早 生 で は7月 に始 ま る.最後 に刈 られ るのが

(8)

高 谷 :南 スマ トラ, コム リン川 流 域 の稲 作景観 ルバ ック ・ダ ラムの晩生 稲 。 しか し, これ も11月 中 ごろには完 了 して い な けれ ば な ら な い。11月 末 にな る と湛水 深 は深 くな り, せ っか くの収 穫 が不 能 にな って しま う。刈 り取 りは アニ アニ (ani-ani)で実 った もの か ら順 次 穂刈 りす る。 同一 の 圃場 で も刈 り 取 りは一 斉 で な いか ら,数 回 にわ た って刈 り取 りを行 わね ば な らな い。 したが って 1 筆 の刈 り取 り期 間 は普 通1カ月 ,長 い と 2 カ月 にお よぶ。 ① 脱 穀 は足 で 踏 み に じって行 う。脱穀 し た もの は,昔 は2- 3 トンは入 る大 きな竹 篭 に入 れて貯 えた 。今 は大竹 が無 くな った の で,木 の箱 に入 れて貯 え る人 が 多 い。 以 上 が ルバ ック稲作 の基本 的 な作 業 で あ る。 ラスア ンの場 合 は, しか し実 際 には ご く小 面 積 で は あ るが, もう一 つ別 の稲 が あ る。 それ はプ マ タ ンで行 われ る。前 に述べ た ごと く, プ マ タ ンは本 来 果 樹 園で あ る。 しか し, そ こ に も稀 に野菜 な どが 栽培 され, それ に混 じっ て稲 が作 られ る。 ラス ア ンの場合 , この プ マ タ ンの稲 は雨季 作 の陸稲 で あ り, トーモ ロコ シとの輪作 を構成 す る。11月 , プ マ タ ンは き れ い に除草 され掘 り棒 で穿孔 されて, そ こに 稲 は直 播 され る。4月 か5月 に刈 り取 られ る が , そ の作 業 は基本 的 には焼 畑 の それで あ る。 稲 の あ とに, その年 の うちに トー モ ロコ シが 第 2作 と して作 られ る。 プ マ タ ンの稲 は 自然 堤 防 の発 達 の悪 い下 流 に来 る と急速 に消滅 す る。 カエ ア グ ン (Kayu Agung)あた りか ら 下 方 のい わ ゆ る閉塞 低地 にな る と,圧 倒 的 な 大 面積 がパ デ ィ ・ルバ ック ・ダ ラ ム (padi lebakdalam)とい うことにな る。 ⅠLiii ルバ ック水 田の水 利 ルバ ック水 田で は水 は 自然 まかせ で あ る。 した が って, そ こには大 規模 な水 利施 設 な ど とい う もの は ない。 農 民 は各 自に畦を作 って 水 を調節 しよ うとす るが , ただ それ だ けの こ とで あ る。ル バ ック ・プ マ タ ンで は しば しば 水 不足 の被 害 が あ る し,逆 にルバ ック ・ダ ラ ムで は時 た ま予想 に反 して早 い 出水 が収 穫 を 終 え な い 田を水 没 させ て しま う。最近 で は

1

9

73年 が大 洪水 年 で あ った し,私 達 が調査 を し た

1

9

7

8

年 も農民達 は非 常 に心 配 顔 で あ った 。 ルバ ック ・ダ ラムの稲 が まだ完全 に実 って い な い9月 末 に もうルバ ックの増水 が顕 著 にな り出 して いたか らで あ る。 こう した わ けで, ルバ ックの稲 は高 みで も低 みで も危 険が つ き ま と って い る。 この意 味 で は中位 を 占め るル バ ック ・トゥガ- ンが 一番 理想 的 にみ え る。 しか し,実 際 に農民 と話 して み る と, ほ とん どが低 地 のルバ ック ・ダ ラムが1等 田だ とい う。理 由は,長 期 にわた って水 が安定 して い て, 時 た まの大 被害 に もか か わ らず ,結 局 は 一番 収 量 の多 いのが, こ こだか らとい うので あ る。 ルバ ック農業 は沼地 農業 に もか か わ ら ず,水 不 足 が 問題 の よ うで あ る。 ルバ ック水 田の水利 は大 部 分 の所 が 自然 ま かせ で は あ るが, 閉塞 低地 の一 部 ,例 えば プ ムル タ ン (Pemulutan)な どの 先 進地 に 来 る と, それ相 当の工 夫が して あ る。私 のみた例 は トル サ ンジ ャワ (TerusanJava) とい う運 河 にそ った1例 で あ る。 これ は人 工 の運河 で は あ るが,長年 にわ た って コム リン川 の流 量 のか な りの部 分 を流 し続 けて きた ので,今 で は高 さ1メー トル前 後 に 自然 堤 防が築 か れて しま って い る。 したが って, 田は運 河 ぞ い に 高 く, それ よ りはなれ ると低 くな って い る。 最 初 ここに入植 した農民達 は,運 河 か ら直 角 に伸 び る細片 を それ ぞれ入 手 して 田地 と した ので あ ろ う。 隣 の所 有者 との間 の畦 は規 則正 しい直 線 にな って い る。一 方 , 同一所 有者 に 属 す る1片 内で は区画 はそれ ぞれ の好 み に応 じて細 分 して い る。(図3) と ころで , よ くみ る と, こう した畦 に明 らか に2種 類 の ものが あ る ことに気 がつ く。一つ は高 さ

0.

7-0.

8m

1m

ぐらいの立 派 な もので あ り, ほか は高

(9)

東南 ア ジア研 究 17巻3号

二l

L

"

:

:

図 3 ノ蓮 高い畦は 一種の貯水堤の役目を している さ

0

.

2

-0

.

3

m幅

0

.

3

メー トル ぐらいの普通 の もので あ る。 図 には この2種類 の畦が線 の 太 さの違 いで示 して あ る。 奇妙 な ことに,他 人 との境 界 を画 す る直線 の 畦 はむ しろ小 さ く, 自分 の 田を細 分す る畦の中 に大 きいのが あ る。 さ らに注 意深 くみ る と, こう した高 い畦 は隣 同士が おたが い にカギの手状 を な して連 な り あ い,大 略運河 に平行 な線 を な して い る。要 す るに,結 果 的 には運 河 に平 行 な堤 防が で き て い るか っこうにな って い る。最 初 か ら堤 防 を予期 した もので ないだ けに,で き上 が った ものは カギの手状 にな って い るので あ る。 た また ま現場 に居合 わせ た農民 か ら,私 は 次 の よ うな ことを聞 いた。 在) この大 きなガ ラ ンガ ン(galangan,哩) は雨季 の始 ま る前 にて いね いに修理 して水 が漏 らない よ うにす る。 ㊥ このガ ラ ンガ ンにそ って行 くと, トル サ ンジ ャワか ら派生 す る別 の小 さい水 路 に 突 き当 る。 そ こには小 さい ピ ン トゥ ・ア イ ル (pintuair,水 門) が あ って, ガ ラ ンガ ンの直 上 の 田に水 が入 るよ うにな って い る。

時 た ま トル サ ンジ ャワが溢 れ るよ うな ことが あ る。 そん な時 には急 いで例 の ガ ラ ンガ ンの一部 を切 り落 と し水 をルバ ック ・ ダ ラムの方 に流 す が,水 が適度 に減 ると,

4

5

2

崩 れた個 所 を埋 め もど して水 を溜 め るよ う にす る。 明 らか に, この大 きなガ ラ ンガ ンは今 は貯 水 の た めの堤 防 にな って い るので あ る。 この 大 きなガ ラ ンガ ンの上 には所 々に瓜,バ ナナ, キ ャ ッサバ が植 え られ て い る。 しば しば ム ラ ンチ ャム (merancam,第 1苗代) が こ こで 仕 立 て られ るとい う。 その後,私 は プ ムル タ ンのパ ッシラに出会 う機 会 が あ った。彼 は 自分 の マル ガ(marga) のルバ ックは進 んで い るとい って,次 の ごと く話 した。 ⑦ ルバ ックは高 い方 か らルバ ック ・テ ィ ンギ (lebaktinggi),ルバ ック ・トンガ(le -bak tengah), ル バ ッ ク ・ル ンダ (lebak rendah)と区別 して い る。 ㊥ オガ ン(Ogan)川 か ら幅2mの水 路 が 川 に直角 に,上 記 の3種 の 田を突 き切 るよ うにな形 で掘 って あ って

,

川 か らの 出 口に は ピン トゥが と りつ けて あ る。昔 は木 製 で あ ったが

1

9

5

0

年 に コ ンク リー ト製 に変 えた。 0 7月 にな って最低位 のルバ ック ・ル ン ダ の植 え付 けが完 了す ると, ピ ン トゥを 閉 じる。 か くして, オガ ン川 と水 田は断絶 さ れ る ことにな る。 しか し, この時期 で も, もちろん ピン トゥを開 けば, ルバ ック ・ト ンガ とルバ ック ・ル ンダ には水 が入 って く る。 こ う して お いて水 田の水 位 調節 を はか って い る。 ルバ ック地 域 で は, か くして,一 部 で は輪 中化 がすで に起 りつ つ あ る。 しか し, これ は 全体 か らみ れば ご く一部 に しかす ぎない。 私 達が ここに滞 在 中 の

1

9

7

8

1

0

月 , パ レン バ ンで は全 イ ン ドネ シアか ら専 門家 を集 めた ルバ ック ・シ ンポ ジ ウムが行 われた。 ルバ ッ ク農業 改善 のた め には輪 中以外 に方 策 が な い, とい うのが全 員 の一致 した意見 で あ った とい う。 しか し, この輪 中化 は,一 方 で, パ レン バ ンに与 え る影響 が あ ま りに大 きいた め に実

(10)

高 谷 :南 ス マ トラ, コム リ ン川 流 域 の稲 作 景 観 現不 可能 だ と もい う。パ レンバ ンを水 没 させ ないた め には, その直上 にあ るルバ ックは ど う して も遊水 池 と して存在 し続 けな けれ ばな らない とい うの も, また一致 した意見 で あ っ た とい う。 ⅠⅠ-iv ルバ ック稲 作 の歴史 ルバ ック稲作 は中流域 の中で も,下方 ,す なわ ちパ レンバ ンに近 い閉塞 低地 で最初 に行 われた ら しい。 その 中で の一 つ の代表 的集落 と考 え られ る シラプ ラウパ ダ ン(Sirabpul au-padang)でパ ッシラ達 か ら聞いた話 は 以下 の通 りで あ る。

) 1920年 まで は この あた りにはルバ ック 稲作 は存在 しなか った。 それ まで はプ マ タ ンの上 でパ デ ィ ・ラダ ン(padiladang,陸 稲 )を作 って いた。

1920年 以前 のパ デ ィ ・ラダ ンの栽培法 は以下 の通 りで あ る。 す なわ ち,乾季 の問 に小木 と薮 をバ ラ ンで切 りそれ を焼 いて, 11月 に6尺 ぐらいの長 さの トガールで穿孔 して,1孔10-20粒 の粗 を直播 す る。す る と,雨季 を通 じて成長 した稲 は 4月 か ら 6 月 ごろに刈 り取 れ る。 ⑮ 原則 と して2- 3年 耕作 す ると,3カ 年 以 上休 耕 した。 この焼 畑 は河岸全 体 に行 われ たか ら,家 か ら50mもはなれ ると焼 畑 にな って いた。現 在 は こう したかつ て のパ デ ィ ・ラダ ンの地 は果樹 園 にな って い る。 ㊤ 1920年 に最初 のルバ ック稲作 が導入 さ れた時 , それ はプ マ タ ンに隣接す るルバ ッ ク ・プ マ タ ンに植 え られた。 この時 , ルバ ック ・プ マ タ ンの湿地林 が は じめて切 り倒 され開 田 された。 その後,年 が経 つ につ れ て, よ り低位 のルバ ックへ や は り湿地林 を 開いて 開 田が拡大 した。 ㊥ ルバ ック稲作導入直 後 の ころの農作業 は以下 の通 りで あ るO まず,粗 をガ 二一 ・ バ ッグに入 れ て丸 1昼 夜,J旧こ浸 して おい た。 その後 , 引 き上 げて, 1- 2日,陰 に 置 いて お くと, その一部 が発芽 した。

これ を トゥンパ ッ ト ・ンル トゥ (te m-patnglutu,第 1百代) に点 播 した。 トゥ ンパ ッ ト・ンル トゥはプマ タ ンの上 に畝立 て して作 り, ア ンタ ン (antan,秤)で大 き な孔 を穿 ち, そ こに上記 の発芽 した籾 を播 く。 その後 ,全体 を ヤ シかバ ナナの葉 で覆 った。鳥 に食 われ るのを防 ぐた めで あ る。 第 1苗代期間 は約 1週間 で あ った。 ① 1週間後,苗 を引 き抜 いて トゥンパ ッ ト・ジ ャ ンジ ャラ ン (tempatjanjaran,罪 2苗代) に移植 した。 これ はルバ ック ・プ マ タ ンにあ って,移植時 には10cm足 らず の水 が溜 ま って い る。 この移 植 には ドロ ッ ク(dolog)と呼ぶ 40cm ぐらいの短 い掘 り 棒 で穿孔 して, そ こに植 えた。 この作業 を ナ ンジ ャール (nanjar)と呼 ぶ。第2苗代 に は本 田移植 まで の1カ月 ぐらい置 いた。 ㊦ 本 田植 えの ことはバ タナム(battanam) とい った。これ には トゥンジ ャム(tunjam) とい う40cm ぐらいの 長 さ の - ラ2)を用 い,苗 を泥 中 に押 し込 む よ うに して植 えた。 この本 田の ことを ウム(ume)とい う。 ① 本 田準備 は,湿地林 には じめて 開 田す る時 は大木 を倒 す ため ヨキな どを要 したが, 1度 開 田 されて しま うと小木 と草 だ けにな るのでバ ラ ン・パ ンジ ャ ン(parangpanjan, 大 刀) だ けで十 分 で あ る。鋤,鍬 の類 は全 く使 用 しない。 以上 述べ られた1920年 代 のルバ ック稲作 の 作業 内容 は,現行 のルバ ック稲作 のそれ とほ とん ど変 らない 。ただ, ここで極 めて興 味深 い ことは,深 く湛水 す る本 田の ことを Hume" と呼んで い る ことで あ る。現在 、 マ ラヤ世界 で "ume"(あ るい は くhuma")とは明 らか に Hsawah"に対立す る概念 で あ る。 HsawahH 2)トゥンジャムはヘラだか ら,その断面は直線状。 一方アンタンや ドロックは棒でその断面は丸型。 453

(11)

東 南 ア ジア研 究 17巻 3号 は水 田で あ り HumeHは焼 畑 で あ る。 湛水 し た 田圃 に植 え付 け され る この作 業 が焼 畑 と し て理解 されて いた の は実 に面 白い。 と ころで ,前 記 の ラスア ンのパ ッシ ラも, ラスア ンのルバ ック稲 作 は今 か ら40年 前 には じめて 同地 に導入 され た ものだ とい った。 彼 に よ る と, ルバ ック稲 作 は シラプ ラ ウパ ダ ン な どのあ る下流 の閉塞 低地 か ら導入 され た も のだ とい う。 それ以 前 の ラス ア ンの食 糧生 産 といえば プ マ タ ンと ク ラ ンで行 わ れて いた焼 畑 だ け しか なか った。彼 らはた いて い6カ月 ものの陸畑 を作 り, 時 に トー モ ロ コ シや豆 , 野菜 と混植 した。 そ して,3年連作 す る とそ こを放 棄 し,15- 20年 後 に また元 の場 所 に帰 って くるのが常 で あ った とい う。 パ ッシ ラは 何 の コメ ン トも加 え なか った が,例 の ラス ア ンの プ マ タ ンの上 に,今 で は屋敷 畑 に と り入 れ られ た形 で細 々と作 られ て い る雨 季直 播稲 をみて,私 は, な るほ ど これが古 い焼 畑 時代 の稲 作 の遺物 なのか とひ と り合点 す るので あ った 。3) II-V 景 観 の大 変 ぼ う コム リン中流 域 の地 形 の骨子 は先 に も述 べ た ごと く,川 が あ り, その両側 に 自然 堤防 が 発 達 し, さ らにそ の背後 に後背 湿地 が 拡が る とい う もので あ る。 それ を住民達 は ス ンガ イ (sungai),クブ ン(kebun),ルバ ック と して鮮 明 な生 活感 覚 を もって 区別 して い る。 ス ンガ イは そ こか ら飲 み水 が 汲 まれ,洗 濯 が され , 水 浴 が され , さ らに排 ラ世までが行 わ れ る。 そ こは生 活 の中心 で あ ると同時 に社 交 の場 で も あ り, また交通 の幹線 で もあ る。 クブ ンは果 3)最近, 政 府 の指導 で ゴ ゴ ・ラ ンチ ャ(gogo ranca)と称 して,プマタンで雨季直播稲を作 る ことが拡がっている。 これは,今か ら10年 は ど 前か ら現れ出した新品種普及政策の一つであり ここでいう焼畑 とは無縁のものである。 しか し 注意 してみないと,両者の区別は外見だけでは 極めて識別 しにくい。 454 樹 の濃 い樹 冠 が ひんや りとつ めた い影 を落 と す屋 敷地 で あ る。川筋 か らみ る時 , 明 るい川 べ りに面 した深 い緑 と, そ の間 に垣 間 みえ る 赤 褐色 の屋 根瓦 は ど こで も一 幅 の絵 にな る。 それ は,清 潔 さ と安堵感 が 一種 の調和 を持 っ て共 存 す る もので あ り, み る者 を豊 か な幸 福 感 に浸 らせ る。 クブ ンの背後 に 出 ると, しか し,雰 囲気 は一 変 す る。一 木 もないル バ ック の景観 は水 田 とい うには あ ま りに粗 野 で あ り, さ りとて大 湿 地 とい うには あ ま りに細 切 れ に 乱 され て しま って い る。 川 を と り巻 くこの ワ ンセ ッ トの景 観 は, し か し考 えて みれ ば, ご く最 近 作 られ た もの と いわ ざ るを え な い。 シラプ ラ ウパ ダ ンのパ ッ シ ラが い うよ うに, 自然 堤 防上で は数年 周期 の焼 畑 を くり返 して いた のだ と した ら,川 岸 は当然 草地 かせ いぜ い薮で, 巨木 は なか った はず で あ る。現 に シ ラプ ラウパ ダ ンや ラスア ンのパ ッシ ラ達 は,焼 畑 時代 の最末 期 には盛 ん に果 樹 が植 え られ, それが今 日の果 樹 園を 形 成 した のだ と言 明 して い る。一方 , ルバ ッ クは 当時,逆 に湿地 林 で覆 われて いた と証 言 され て い る。 人 々は, しば しば, 例 え ばル ン ガ ス(rengas)な どの 巨木 を切 り倒 した とい う 思 い 出を語 る。 全 く偶然 の ことで は あ るが, 私 は た ま た ま クブ ン成 立 以前 の景観 に出 くわ した ことが あ る。 それ は オガ ン川 北 岸 で バ トゥラジ ャ (Baturaja)よ り約40kn)東 北 , プ ニ ンジ ャワ ン (Peninjawan)とサ ウ ンナガ (Saungnaga)の 間 の ことで あ る。1978年 10月 3日,例年 にな く早 く膨 れ上 が った オガ ン川 は, あ と1.5m も増 水 す ると 自然堤 防 を溢 れ るほ ど にな って いた。 湛水 して いない 自然堤 防 の幅 は 約 300

m

。 そ の背 後 に湛水 した後 背湿地 とそ の 中 に 湿地 林 ら しい ものが残 って み えて いた。 自然 堤 防 の上 には, ほ とん ど一 事 もな い。 この 自 然堤 防か らは 当然 ,後 背 湿地 が見 渡せ るの で あ るが, そ の ど ち らに も畦 ら しい もの はみ え

(12)

高 谷 :南 スマ トラ, コム リン川 流域 の稲 作景 観 な い。 しか し,実 際 には, この 自然 堤 防 に も 後 背湿地 に も稲 が作 られ るので あ る。以下 は ここを所有 す る農夫 の話 で あ る。 ⑦ この オガ ン川 ぞ いの高 み (自然堤 防 の こと) はパ ダ ンガ ン・クルバ ウ (padangan kerbau,.水牛 の原) とい って, 元 来水 牛 を 放 牧 して お く所 だ。 その一部 を柵 で 囲 って 稲 を作 るのが普通 で あ る。 ㊥ 今年 は雨 が 多 いので, む しろ小部 分 に 柵 を して そ こに水 牛 を 閉 じ込 め,大 きな部 分 に稲 を播 こ うと して い る

。1

0

7

日には トガ ールで 穿孔 して点 播 す る ことに決 めて い る0両 の来 よ うに よ って, 毎年 ,稲 を播 く面 積 は大 幅 に変化 す る。

ルバ ックには別 に減水 期稲 を作 る。 こ れ はパ ダ ンガ ン ・クルバ ウで しっ らえ た苗 を5∼ 6月 に植 え付 け る。 しか しルバ ック の全 て が移 植 田 とはか ぎ らない。所 々,高 くてす で に乾 き上 が った よ うな所 には直播 稲 を作 る。 ㊤ この 自然 堤 防上 の雨 季直播 稲 栽培 は大 昔 か らあ る ものだ 。 それ に この村 は ゴム も 多 く作 る。 ただ,最近 は ゴムが不 景気 で約 半 数 の ひ とが村 を捨 てて転 出 して い った。 おか げで, パ ダ ンガ ン ・クルバ ウの稲 作 も さびれて しま った 。

1

9

2

0

年 代 以 降 の景 観 の変 化 は 自然 堤 防 と後 背湿地 にだ け起 った ので はな い よ うで あ る。 丘 陵や 台地 上 に も起 った といわ れて い る。 こ う した高 みで は それ まで の焼 畑 に起 因 した薮 が 急速 に ゴ ム に置 き換 え られ て い った とい う。 今 で こそ ゴム林 は ジ ャ ングル化 して い るが, ゴムが 高 値 の時 には ゴム林 は もっと きれ い に 保存 されて いた とい う。 この地 に ゴムが導 入 され た の は今 か ら50年 ほ ど前 の ことだ った と い う。 おそ ら く, そ の ころか らコム リン中流 域 はパ レ ンバ ンの経 済 圏 に強 く巻 き込 まれ た もので あ ろ う。 ク ラ ンが ゴム林 に変 り, ス ン ガ イぞ いの プ マ タ ンが ドゥクや ドリア ン園 に 変 化 す るの は この ころか らなので あ ろ うか。 ⅠⅠ-vi ルバ ック稲 作 の範 囲 パ レ ンバ ンか らム シ (Musi)川本 流 ぞ い に 約 15km 下 った チ ンクマ ニ ス (CintaManis) が ルバ ック稲 作 の最下 限 で あ る。 こ こにはル バ ック稲 作 と, それ とは別 にパ デ ィ ・パ サ ン スル ッ ト(padipasangsurut)と呼 ばれ る雨 季 稲 が共存 して い る。 チ ンクマニ ス とい え ば, す で に潮 の干 満 の差 は 1.5m に達 し海 の影 響 が か な り強 く感 じ られ る所 で あ る。 チ ンクマニ スのパ ッシ ラ達 に よ る と, コム リンー ム シ川 ぞ いの稲 は前 か らパ レ ンバ ンを 境 に して2地 区 に分 け られて いた とい う。 パ レ ンバ ンよ り上 流 を ウル ア ン(Uluan)とい い, ここは乾季稲 のルバ ック稲作 地 区 と考 え られ て いた。 そ して それ よ り下 流 を イ リラ ン (Ili -ran)とい って,雨 季作地 区 と して いた。 当然 チ ンクマニ スは イ リラ ンに属 し,雨 季作地 区 で あ る。 と ころが, た また ま

1

9

3

8

年 ネズ ミと 虫 が大 発 生 しその年 の雨 季 稲 は潰 減 的 な被 害 を受 けた。食 べ物 が無 くな った住 民 は急 き ょ ウル ア ンか ら種 子 を購 入 し, 湿地 の 中 の水 溜 ま りに急 ご しらえ のルバ ック稲 を植 えた とい う。 この時, チ ンクマ ニスの住民 の4割 がル バ ック稲 を は じめて採 用 し, それ以 後 チ ンク マニ スは雨 季作 , 乾 季作 の両 方 を作 って い る とい う。今 で は,雨 季作 は ム シ川 の 自然 堤防 周辺 に, そ して乾 季作 のルバ ック稲 はそれ よ り奥 ま った通年 湿性 の後 背湿地 に作 られ て い る。 後 背湿 地 で乾 季作 を作 る農 民 に なぜ そ こで ルバ ック稲 の み作 って雨季 作 を作 らないのか と聞 くと,雨 季稲 だ と開花期 が3月 にな り冠 水 の危 険 が あ るか らだ とい う。 だ か らとい っ て,冠水 を恐 れて背 の高 い品種 を作 ると,今 度 は倒 伏 して結 局水 没 して しま うか らだ とい う。百 姓 は,彼 の後 背湿地 中の水 田の月 別 水 深 図 を図4の どと く示 して くれ た。

(13)

東 南 ア ジア研 究 17巻3号 水 深 仙 t・ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 日 12月 図4 チンクマニスでパデ ィ ・ルバ ックを作る 農夫の水田の月別湛水深。 ここはすでに 感潮部であるが,湛水深は満潮時のもの が記録 されている。 7月の満潮時湛水深 は田面ギ リギ リという。 8月,9月は田 面より明 らかに低いが,い くら低いかは 不明という。 6月,11月の湛水深につい ては, くり返 し質問 したが答が得 られな かった。 一 方, 川 に近 く自然 堤 防上 で雨 季 稲 を作 る 農 民 に, ここで乾季稲 が栽培 で きな いか と聞 くと, ダ メだ とい う。7月 ,8月 には地 面 が 乾 き き って ひ び割 れがす るほ どだ か ら, 稲 は 生 きて おれ ない とい う。彼 によ る と,雨 季 な ら満 潮 時 には水 が 田 に上 が って きて,稲 作 り には ち ょうど好 適 だ とい うので あ る。 チ ンク マニ スは, ま さに後 背湿地 型 の探 湛水 と, 渇 岸 型 の感 潮 帯 が お たが い に出会 う所 な ので あ る。 チ ンクマニ スのパ ッシ ラの い うごと く, ウル ア ンの下 限 は原 則 的 にはパ レ ンバ ンで あ るが, 実 際 のルバ ック稲 の分布 はそれ よ り下 流 に伸 びチ ンクマニ スに至 って い る。 ルバ ック稲 の上 流 側 は少 な くと もマル タプ ラよ りさ らに12- 13km 上流 の ブ ンガ マ ヤ ン (BungaM ayang)まで は至 ってい る。おそ ら くは, もう少 し上流 に伸 び るので あ ろ う。 こ こはす で に述 べ た ごと く,上 流 山地 と中流部 の境 界 そ の もので あ る。 この ブ ンガ マ ヤ ンに は, コム リン川 の1支流 にか け られた井堰が 30haの水 田を潅淑 して い る。 その さまは上 流 山地 の港鶴 田 に酷 似 して い る。 しか し, 同 じこの ドゥス ンで,丘一 つ を隔て た別 の谷 に は小 さなルバ ック水 田が あ る。結 局 ,水源 が 確 保 され流水 の得 られ る所 で は雨 季稲 が, 一 方 ,水 源 が無 く, それ に もか か わ らず難排 水 の所 で はルバ ック水 田が み られ るわ けで あ る。 こ う して, ルバ ック稲作 はそ の上 限 は濯鶴 田 と混 じて 中流部 最上端 に至 るので あ る。 コム リン中流 域 は, そ の圧 倒 的大 部分 が ル バ ック水 田で覆 われて い る。 しか し, こ こに も雨 季 稲 は無 いわ けで は ない。 排水 が可能 で 水 深 調節 の可 能 な所 で は雨季稲 が作 られ る。 それ らは多 くは ク ラ ンの末 端 や川 ぞ いの プ マ タ ンの一 部 に散在 して い る。 こう した水 田の ことを 人 々は タダ ・フ ジ ャ ン (tadahhujan) と呼 んで い る。雨 (hujan)を受 ける (tadah), す なわ ち天水 田で あ る。 最近 の傾 向 は タダ ・ フ ジ ャ ンの拡 張 で あ る。 中流 域 は元来 , 乾 季 稲 栽培 地 区だ が, お いお い雨季 稲 が侵入 しつ つ あ る とい うべ きか も しれ な い。 Ⅲ 海 岸 低地 :その1

-

i

合 流 点 集 落 パ レンバ ンよ り下 流 を ここで は海 岸 低 地 と す る。 パ レ ンバ ンよ り上 の 中流地 域 に比 べ る と この海 岸低地 は全 く異 質 の世界 で あ る。水 文 学 的 にみて前 者 が よ り河 川 支配 型 で あ るの に対 して, 後 者 は よ り潮 汐支配 型 で あ る と い うことはす で に述べ た。 しか しそれ ばか り 456 で はな い。 中流 域 の川岸 が見 事 な果 樹 を連 ね て, そ の背後 にはルバ ック水 田を展 開 して い た の に 対 して, 海 岸 低 地 で は 野生 の 湿地 林 が全 体 を覆 う よ うに な る。 なか で も プダダ (pedada,So- erati'aca∫edaris)とい うマ ン グ ロー ブの一 種 は,川 中 に入 り込 んで しま っ て, 川 と岸 との境 界 を不 明瞭 に して しま って い る。 さ らに,集 落 の間 隔が極端 に長 くな る

(14)

高 谷 :南 ス マ トラ, コム リン川 流 域 の稲 作 景 観 の も海 岸 低 地 の 目立 った特 徴 の一 つ で あ る。 中流 部 で は ほ ぼ とぎれ な く続 くとさえ思 わ れ た集 落4)が ,こ こで は 20′-ノ30kmに一 つ ぐら いの割 合 で しか 存 在 しな い。 あ るい は,櫓 舟 で1日の行 程 に1集 落 か と思 う くらいで あ る。 こ う した原 始 に近 い状 態 とい う感 じは, 旅 行 者 の私 が そ うみ るだ けで は な い。 コム リン人 白身 の持 って い る イ メー ジが "陸地 はパ レ ン バ ンまで〝 で あ り "それ よ り下 流 は ひ との住 む所 じゃな い〝 とい うの と一 致 して い る。 ム ア ラ トラ ン(MuaraTelang)は こ う した

海 岸 低 地 にあ る集 落 の一 つ で あ る。 パ レ ンバ ンか ら 下 流 に約 80km,ス ピー ド ・ボー トを 飛 ば して も うす っか り湿 地 林 に見 飽 きた ころ, 突 如 と して コ コヤ シの純 株 が現 れ て 度月旦を抜 か れ る。 これ が ムア ラ トラ ン で あ る。 こ こ には五 つ の ドゥス ンが くっつ きあ うよ うに集 ま って い て, マル ガ ・ムア ラ トラ ン (Marga MuaraTelang)を構 成 して い る。マル ガの人 口は13,076人 。 (1978年 現 在) 大 湿 地 の 中の 集 落 に して は予 想 に反 す る大 人 口に驚 くU し か し他 の集 落 もか な らず L も小 さ くは な い。 こ う した大 自然 の 中 にひ とが住 ん で ゆ くた め には, あ る程 度 の ま とま った人 口の集 中が必 要 な のだ ろ うか 。 以下 は この マル ガ のパ ッシ ラか ら聞 いた革 で あ る。 径) ム ア ラ トラ ンは300年 の歴 史 を誇 る古 い集 落 で あ る。 この ドゥス ンは昔 タ ラ ン ・ ムア ラ(TalangMuara)とい った。 川 の合 流 点 (muara)に高 い杭 (talang)を立 て て, その上 に住 ん で いた か らで あ る。 ㊥ 今 で は, コ コヤ シか らの コプ ラ製 造 , 魚 と り,稲 作 が 主 た る生 業 で あ る。 しか し, 昔 は湿地 林 か ら材 木 を切 り出 して くるのが 最 も重 要 な仕 事 で あ った。 ほか に,藤 , パ 4)けっして列状集落ではない。一つ一つは極めて 明瞭な塊村である。ただ,おたがいに接近 して いて,一見連続 しているかのどとくみえるとい うことである。 ラス (palas)と呼 ぶ ヤ シの 菓 集 め,魚 と り な どを行 な った。 稲 作 は ほ とん ど無 視 され て い た。

その後1960年 代 の初 め ごろ まで の1時 期 ,歓 楽 街 とな った。女 が 集 ま り, 音 楽 が 鳴 り, パ レ ンバ ンか ら多 くの ひ とが遊 び に 来 た。 ㊤ 米 は1963年 まで は多量 に外 部 か ら購 入 して いた。1964年 か ら1968年 まで は ち ょう ど 自給 が 可 能 で あ った 。 しか し, その後 は 余 剰米 を売 りに 出 して い る。 ㊥ 昔 の 稲 作 と い え ば 雨 季 の 焼 畑 で あ っ た 。稲 作 が 改 善 され た の は1970年 , ブギ ス (BugiS)が入 植 して きて か らで あ る。 上 の情 報 は,彼 らが 農 民 とい うよ りは, 湿 地 林 か らの採 集 者 で あ った こ とを 強 く示 して い る。 彼 らは集 荷 に便 利 な川 の 出合 に集 落 を 築 き, そ こに時 折 り立 ち寄 る商 人 達 に採 集 品 を 引 き渡 して は食 糧 を得 て いた の で あ る。 そ ういえ ば ,前 にふ れ た チ ンクマ ニ ス 自体 , す で に こ う した採 集 型 の生 活 の痕 跡 を多 くと どめて い る。 チ ンクマ ニ スのパ ッシ ラは私 達 にい った。 テ ンクマ ニ ス には まだ土 地 が 多 く 残 って い る。10haか ら20haを所 有 す るの は普 通 で あ る。 ただ そ の うちで 毎 年 稲 を植 え るの は各戸 2haく らい。 現 在 ,住 民 の60パ ー セ ン トは農 閑 期 に は藤 集 め に 出歩 き, それ で イ スや カ ゴを作 る。 実 際 , チ ンタマ ニ スの工 芸 品 は有 名 な ので す 。 それ に して も, ウル ア ンか らの無 断 耕 作 者 が 多 い の に困 ります , と。 海 岸 低地 の生 活 基 盤 は伐 材 を含 めて湿 地 林 か らの採集 で あ り, 農 業 は あ ま り重 要 で なか った。 とは い え, 農業 はか な らず Lも完全 に 欠 如 して いた わ けで はな い。 た だ , そ の性 格 は もう一 つ判 然 と しな い。 ムア ラ トラ ンで は, それ は 1年 で放 棄 す る雨 季 の移 植 田で あ った とい う。 チ ンタマ ニ スの1938年 以 前 の もの も 似 た よ うな もの で あ る。 チ ンクマニ スで は, それ は タ フナ ン ・ラモ (tahunanlamo)とい

(15)

東 南 ア ジア研 究 17巻3号 って, 現 存 のルバ ック稲作 に似 て いた とい う。 ただ異 な る点 は雨季作 で,9カ月 とい う長期 種 を休 閑 しなが ら植 えた とい う。 ムア ラ トラ ンとチ ンクマニ スの間 にあ る も う一 つ の集落 スパ リック (Sebalik)で は, ほん の 4年前 ま で伝 統 的稲作 が残 って いた とい う。 それ は3 年 連 作 ,5年 休 閑 の雨季稲作 だ った とい う。 この ドゥス ンの場 合 ,遠 い 水 田 は 集 落 か ら 15km の先 にあ り,そ こに舟 で農作業 に通 っ た とい う。 と ころで, こう した稲作 につ いて土 地 の ひ とは い ろい ろ教 えて くれ るのだが, ど う もそ の細 部 につ いて の イ メー ジが私 には湧 いて こ な い。長 々と説 明 して くれ た スパ リックの ク リオは最 後 に こうい うのだ った 。「昔 の方法 は ラダ ン (lad礼ng,陸稲 ) と もフマ (hum乱,焼 畑 ) と もい うのです。 だが , フマ とい う語 が よ り正 しい言 葉 で す。 だ け ど,結 局 , ラダ ン もフマ もサ ワ(sawah,水 稲 )も同 じもの なの です 」。 この言 葉 は私 を一 層 混乱 させ る だ け で あ った。 ⅠⅠⅠ-ii ムア ラ トラ ンの土地 利 用 過 去 数 カ年 の ムア ラ トラ ンの土 地 利 用 には 急 激 な変 化 が あ る とはいえ,今 だ に伝 統 的土 地利 用 が 窺い知 れ る と思 われ る個 所 が 随所 に み られ る。 そ の一 つ を マル ガ ・ムア ラ トラ ン の 中 の ドゥス ン ・タ ラ ン・ルバ ック (Dusun

TalangLebak)に例 を と って みてみた い。例 の ズパ リックの ク リオ によ って フマ と もサ ワ と もいわれ る ものが こん な もので あ ろ うか と 想 像 す るか らで あ る。 図5は ア イル ・ク ラ ン (AirTalang)① か ら はぼ直東 に約 1km 伸 び る断面で あ る。 ここ で の ア イル ・ク ラ ンの川 幅 は約20m。湿地林 か ら出て くる腐 植 酸 で水 は真 っ黒 で あ る。川 岸 は干潮 時 には約2mの崖 をみせ るが,満潮 時 には完 全 に没 す る。川 岸 に近 く, 時 に第 1 苗 代(参が作 って あ る。川 岸 にそ って 幅1m く らい の小 径(参が あ るが, これ は満 潮 時 で も水 面 に出 る よ うに 20′-30cm ぐらい 盛 り上 げ て あ る。 その背後 に幅200m の ココヤ シの成 木 園④ が あ る。 これ は畝 と溝 に作 って いて, 溝 深 さは 60cm ぐらい, そ こには潮 が 自由 に出入 り して い る。遠 望 す る と この部 分 は完 全 に ココヤ シの純 林 にみ え るが, 実 際 中 に入 って み る とマ ンゴー, ジ ャ ンプ一, ラ ンブー タ ン, バ ナ ナな ど も散在 して い る。続 いて, 若 い コ コヤ シとバ ナ ナ⑤ , 約 150m 幅。 ココ ヤ シよ り も今 で はバ ナ ナが大 き く, バ ナ ナ閏 とい った感 じが す る。 これ も畝 と溝 の組 み合 わせ にな って い る。次 の約 100m 幅⑥ はや は り畝 と溝 に仕 立 て られて い る。 しか し, こ こ には何 も植 わ って いない 。畝 は全 面 の ぼ たん 図5 クラン・ルバ ックにおける土地利用

4

5

8

(16)

高 谷 :南 ス マ トラ, コム リン川 流 域 の 稲 作 景 観 (M e/a∫toma)の薮 で覆 われ て い る し,溝部 に は カ ヤ ツ リ草 (Scir2u∫)が 多 い。続 いて畝 立 て も何 も して い な いM eZa∫loma原⑦ 。所 々は

S

c2'rPu∫の群 落 が あ る .約100m幅 O案 内の土 地 の ひ とは こ こに稲 を植 え る とい うが ,一 見 しただ けで はそ うとは思 え な い。 しか し, よ く探 しまわ ると, この草原 の5パ ーーセ ン トぐ らいの所 には点 々 と稲 の古 株 が残 って い るの が み え る。 この区画 と, そ の次 の区画 ⑧ の間 には, か な り頑丈 な木 の柵 が築 いて あ る。 こ の柵 よ り東 で は M eZa∫toma もあ るが ,む し ろScz'rPu∫が よ り広 い部 分 を 占め るよ うにな る。 そ の 中 によ く分株 した稲 の古株 が か な り 多 くみ え る。 明 らか に去年 は この区画 のか な りの部 分 に相 が植 え付 け られ て い る。 しか し, 幅 150mあ る この区間 も東 側 の約 半 分 は小 さ な起 伏 が多 くて ,再 び M eZa∫loma が 多 い。 よ くみ る と, この起伏 は 巨大 な倒木 で あ る。 こ う した倒木 の多 い M eZa∫toma の間 に分 け 入 る と,稀 に3mx5m ぐらいの場所 が きれ い に切 り払 われ て いて, そ こに第 2苗 代 が作 られ て い る。 ほ じ くり返 された地 表 は真 っ黒 で ピー ト層 で あ る。 そ こには1孔 に10/-15本 の宙 が 10cm 間 隔 ぐらいで植 えて あ る。 こ う した第2苗 代 は M eZa∫zoma の薮 の 中 に没 して いて, ち ょっと した こと ぐらいで は見 出 せ な い。案 内の ひ とによ る と, この区 画 は今 午 ,全 面 その薮 が な ぎ倒 されて, 苗 が植 え付 け られ るのだ とい う。 や が て, 幅2m,深 さ 1.2mの水 路⑨ に来 る。 ア イル ・ク ラ ンの水 は この水路 に入 って くるのだ とい う。 水 路 側面 の 土 壌 断面 は 地表 面 を なす 7cm が完 全 な ど- トで あ り, そ の下 位 は約 1mに わ た り ピー ト質 , も し くは多量 の木 片 を含 ん だ 重 粘 土 か らな り立 って い る。 さ らにその下 方 には毒性 の あ る硫 酸 酸性 土壌 が顔 を 出 して い る。要 す るに, この あた りは, 毒性土 壌 を そ の下 に持 った ピー ト質 土地 苗 なので あ る。 水 路 わ き に は 私 が 質 問 を した 農 夫 の 小 屋 ⑩ が あ る。 その背後 が 幅300mのバ ナ ナ畑 で⑪ , さ らにその奥 にか な り広 く続 きそ うな ジ ャ ングルが あ る⑩ 。 ジ ャ ングル 中 には,20 mを ゆ うに超 す大 木 が何 本 も立 って い る。以 下 は この農 夫 に聞 いた話 で あ る。 ⑦ 小 屋 の東 側 のバ ナナ畑⑪ は, お と と し, そ の 背 後 に あ るの と 同 じ ジ ャ ングル ⑫ を 焼 いて 開 いた もので あ る。 開墾 した年 には バ ナナを植 えて 同時 に稲 を植 えた。 酉 は ア イル ・ク ラ ンの川 岸(勤に仕立 て た ム ラ ンチ ャムか ら M eZa∫loma の原(むに移 し, さ ら に こ こ⑭ に本 植 え を した 。 移植 時 には 湛 水 は なか った が,歩 けば水 が しみ 出 るほ ど 土 が十 分湿 って いたか ら十 分 植 え付 け られ た 。 ㊥ 今年 はバ ナ ナが相 当大 き くな って しま った けれ ど, まだ 隙間 が あ るか らも う1年 だ け稲 を植 え る。

O

M eZa∫toma の原@ には来月 (11月 ), 植 え付 けを行 うOまず ,M eZa∫lomaを大 刀 で切 り払 って, それ を畦 に積 み上 げ る。 火 入 れ は しな い。刈 っただ けの あ とに植 え る。 植 え付 け中 には湛 水 は ないが ,2月 と3月 には 10-20cm の水 が溜 ま る。 ㊤ ① と⑧ の区域 で は毎年 , そ の面積 の半 分 ぐらいが植 え付 け られ る。 ⑳ バ ナナ畑⑪ も,M eZa∫toma⑦ と⑧ の原 も, 同 じ品種 を同 じ手 順 で植 え る。 まず, 第 1苗代 と して川 岸 で約15日間。次 にス マ イが本 田近 くで約30日間 。植 え付 けはいず れ も握 り棒 で 穿孔 して行 う。 私 には ど うみて も この原 野 の半分 が毎年 植 え付 け られ る とはみえ なか った。せ いぜ い5 分 の 1ぐらい とい う感 じだ った 。 しか し, い ず れ に して も一 種 の bushfallow で あ る こと には間 違 いな い。彼 の育 て て い るバ ナ ナ畑 と い うの は, む しろ近 年 ,新 し く出て きた方 法 らしい。伝 統 的 には, バ ナ ナな どは植 えず に, む しろ bush の fallow に した らしい。 こう

(17)

東 南 ア ジア研 究 17巻3号 した ものが結 局 スパ リックの ク リオの い う フ マで あ り, 同時 にサ ワといわ れ る もの の よ う で あ る。 ピー トと倒木 の低地 。 それ は, ひ っき ょ う 本 来 の ラダ ンを行 うには あま りに も湿 りす ぎ た土地 なのだ ろ うか。 湿 りす ぎて い るが ゆ え に完全 燃 焼 が不 可 能 で あ り, それ は倒木 の 山 を残す ことにな り, それ ゆ え に,結 局 は直播 を許 さない くらい多量 の ネズ ミをかか え込 ん で しま うとい う ことにな るので あ ろ うか。 こ う した所 で は, ひ弱 な苗 は大 事 に家 の近 くで 育 て られ,獣 害 に耐 え られ るほ ど に大 き くな って か らは じめて 野 にお ろされ る。私 は, こ の ク ラ ン ・ルバ ックで,農民 が ア イル ・タ ラ ンの川 の上 に小屋 を建 てて苗 代 を作 って い る のを み た ことが あ る。 ネズ ミの襲来 を避 け る 最良 の方 法 は,水 上 の小 屋 で苗 を作 る ことだ とい う。 あ るい は また, 多湿 な どー トの上 で は発 芽 障害 が あ るのだ ろ うか 。 ⑦ (参⑪ ⑩ な どの

bus

hf

a

l

l

o

w

の原 野か らア イル ・ク ラ ンの川岸 に近 づ くと, そ こには全 く異 質 な空 間が あ る。例 の畝 立 てを した コ コ ヤ シ園(彰だ。 どの木 も見事 な成 長を示 して い る。 しか し, どの木 もせ いぜ い樹 齢

2

0

-3

0

年 ぐらいの コ コヤ シだ 。 コム リン中流 域 の ドゥ クやバ ナ ナ園 と同 じ く,新 しい商 品作物 の空 間 が ここにあ る。南 スマ トラで は, 至 る所 で 焼 畑 と

bus

hf

a

l

l

o

w

とが 商 品作物 と背 中合 わ せ で くっつ いて い る。 Ⅳ 海 岸 低地 :その2

Ⅴ-

i

パ サ ンスル ッ ト

(

pa

s

a

ngs

ur

ut

)

稲 作 チ ンタマニ スに しろスパ リックに しろ, ム ア ラ トラ ンに しろ, パ レ ンバ ンの スル タ ン時 代 にパ レ ンバ ンか ら移 住 して きた人 達 が作 っ た古 い集落 だ 。彼 らはいず れ も川 の 出合 を 占 居 して ,湿 地 林か らの収 集物 を売 り出 して生 きて きた。 したが って , その集 落 の分布 は集 荷 と積 み 出 しを 中心 に考 えた点 と して の性 質 が 強 い。 これ に対 して,海 岸 低地 を面 と して 開拓 し, そ こに生 活 空 間 を拡 げ よ うとす る・一 群 が最近 とみ にそ の数 を増 して きて い る。 パ レ ンバ ンで海 岸 低地 の農 業 の情 報 を集 め よ うとす る と,誰 もが, ブギ スのパ サ ンスル ッ ト稲 作 の ことを い い 出す。 政府 の人 達 も学 者 も一 般 人 もか な らず ブギ ス移民 の ことを持 ち出す 。 ブギ ス 達 は クパ ラ ・パ リッ ト (

ku-pal

apa

r

i

t

)

と呼 ばれ る 指 導者 に率 い られて,

2

0

.

-3

0

家 族 が群 を な して到来 し,湿地 に セル 460 ダ ン

(

s

e

r

da

ng)

5

)

とい う木 が生 えて い るのを みつ け る と, そ こが稲作 適地 だ と してす ぐに 水 路 を掘 り開墾 して しま うとい うのだ。適 当 に4- 5年 収穫 を得 る とまた新 しい適 地 を み つ けて その まま立 ち去 る と もい う し, いや彼 らは4- 5年 の稲 作 の あ とそ こに コ コヤ シを 植 えその後 立 ち去 るか ら, 彼 らが一 度 住 んだ 所 はか な らず コ コヤ シが 植 わ って い ると もい う。 いず れ に して も, パ レ ンバ ンで は,近年 海 岸低地 に突如 出現 した ブギ スの ことを, そ の勤勉 さ と旺盛 な生 活 力 の ゆえ に一種 の畏怖 の念 を持 って話 す ので あ る。 ブギ ス拡 散 域 の 中心 部 に位 置す るムア ラ トラ ンのパ ッシ ラに よ る と,彼 の マル ガ に最 初 の ブギ スが到来 し た のは

1

9

7

2

年 。 そ の時 は

3

人 で あ ったが,令

(

1

9

7

8

年) で は約

2

,

0

0

0

人 に増 えて しま った とい うので あ る。 私 達 が 最初 の ブギ ス と イ ンタ ビューを行 な

参照

関連したドキュメント

of Enertt and Water Budget in the Huaitt River basin,.. phina Proc.of the lnternatio=d WorkSl10p

表-1 研究視点 1.景観素材・資源の管理利用 2.自然景観への影響把握 3.景観保護の意味を明示 4.歴史的景観の保存

 角間キャンパス南地区に建 設が進められていた自然科学 系図書館と南福利施設が2月 いっぱいで完成し,4月(一

神奈川県相模原市南区松が枝町17-1 1月0日(土)

(South See Company)やイギリス史上最も悪名高い1720年の南海泡沫事件(South

In this paper, Part 2 , presents current status of children's Satoumi activity cases in Japan and compares them with those of the South Pacific on knowledge of marine

Hugh Woodin pointed out to us that the Embedding Theorem can be derived from Theorem 3.4 of [FM], which in turn follows from the Embedding Theorem for higher models of determinacy

1, Over-time changes of the soil temperatures in the east side area of Unit 2 (13BLK) where the supplementary work is in progress Since the soil temperature around the thermometer