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地震というものの輪郭 : 地震の社会学(1)

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Academic year: 2021

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(1)77. 地 震 とい うものの輪郭 一― 地震 の社会学. 原. 田. 隆. (一 )一一. 司. Perspectives on the]Earthquake in Modern Japan: A Sociological Study of the Earthquake(1). HARADA Takashi Abstract: This is the first part of a research proJect on a sociological study of the carthquake. In this paper,. I have focused on the `developments' of the scientific study of the carthquake in modem Japan since the Metti era and its results on our understandings of it.. First of all,we now judge earthquakes from the point of the damages we suffers.In many cases these damages depend on the conditions of the buildings wc have constluctedo So the carthquake, a natural phe― nomenon,is also social one owing to the human efforts to design and construct buildings on the grounds es― pecially in modern era。. Second,in these onc hundred years of modernization in Japan, efforts to observe carthquakes and collect data have been continued. During 1960s a new theory called `plate tectonics' had became popular, we now have enough knowledge about how carthquakes happen and the process energy is saved at particular spots around the boundaries of tectonic plates of the carth's crust.At the same tilne,historical documents had been. researched and huge amount of the texts refered to the old earthquakes had been collectedo Recently new discipline called``earthquake archacology"or``archacoseismology"has started to collects data of earthquakes happened one thousand years ago or so at ruins. Thesc efforts enabled the professionals to calculate and simulate the processes of the carthquakes in par―. ticular places.But even now they cannot predict when and where next destrllctive carthquakes will happen in advance。. Wc have studied earthquakes scientifically in these onc hundred ycars.But it is doubtful that we fully un― derstand them.For each person,intervals of the destructive carthquakes at particular placc is generally longer. than his/her lifetime, on the other hand we now know that many earthquakes happen daily in Japanesc ls― lands and around areao This `contradiction' makes us impossible to understand the carthquake fully enough like other natural phenomenao As a result,we live in the same relation with earthquakes as our ancestors of several hundred years ago.. 地震 とは,文 字通 り,地 面ない し大地が震える,揺. ぐる小論 の序説 であ る。. れ動 くことである。私たちが,ふ だんは動かない もの だと思っている大地が突如 として揺れ動 く。人は,こ. 1.人 間 の細 工. の地震 とい うもの とどの ように向 き合 って きたのであ ろ うか。 本稿 は,地 震 と人間 とい うきわめて大 きな主題 をめ. 日本 で は,昔 か ら. ,. た くさんの 文書 のなか に地震 に. つ い ての記述 が あ る。『土佐 国群書類 従』 に収 め られ.

(2) 甲南女子大学研究紀要第 47号. 人間科学編 (20H年 3月. ). て い る 『弘列筆記 ,一 名萬愛記』 には,次 の よ うに記. て ,国 語 学 者 の 新 村 出 の 考 え方 を ,次 の よ う に ま とめ. されて い る。. て い る。. 宝永 四年十 月四 日,朝 よ り風 少 もふかず ,一 天晴 渡 りて雲見 えず ,其 暑 きこと極暑 の如 く,未 刻 ばか り,東 南 の 方 お びた だ し く鳴 りて ,大 地 ふ る ひ い づ ,其 ゆ りわ た る事 ,天 地 も一 ツに成 か とお もは. 「 ナヰ 」 は地 震 現 象 そ の もの を表 わ す の で は な く ,. 「地」又 は「地面」 と言 う意味で,「 ナヰ フル」 で始 めて「地面が揺れる」の意味になる (武 者金吉 『地 震なまず』,156)。. る,大 地 二三 尺 に割 ,水 湧 出,山 崩 ,人 家潰事 ,将 恭倒 を見 るが如 し,諸 人広場 に走 り出る,五 人七 人. 「地震」 とい う言葉が中国か ら入 って くるまで 日本. 手 に手 を取組 といへ ども,う つぶ しに倒れ ,三 四間. には「地震現 象 を表す言葉がなか った」 とい うのであ. の 内 を転 ば し,あ るひはのけに成 ,又. うつぶ しにな. る。「思 うに上代 の 日本人は 日蝕 ,大 風 ,雷 電 の如 き. りて ,に げ走 る事 たやす か らず ,半 時 ばか り大 ゆ り. 自然現象 ほどに,地 震現象に対 して関心 をもたなか っ. あ りて ,暫 止 る ,此 間 に男 女 気 を失 ふ もの 数 しら. たのではあるまいか」 (同 上書 ,157)と 述べ る。そ し. ず ,又 暫 くしてゆ り出 し,や みてはゆる,幾 度 とい. て,そ れを次の ように解釈す る。. ふ 限 な し,凡 一 時 の 内六七 度 ゆ り,や ま りた る間 も,筏 に乗 たるご と くにて,大 地定 らず ,わ れ さけ. 上代 においては,庶 民 は穴居か掘立小屋 ,貴 人で. たる所 よ り,泥 水 わ き出,世 界 も今沈 む様 にぞ覚 ゆ. も「アシヒ トツアガリノ ミヤ」な どとい う粗末 きわ. 山賞 『大 日本地震 史料』 甲,326 原文 は旧字 カ. まる家に居住 していたので,た とえ大地震が突発 し. (田. て も,被 害 と称すべ きものはほとんどなかったので. タカナ )。. あろう。震害がない とすれ ば,地 震 を恐怖すること 宝 永 4年 は西 暦 1707年 で あ る。 後 にみ る よ う に. ,. もなか ったであ ろ う. (同 上書 ,159)。. この 地震 は「宝 永南海地震」 と呼 ばれて い る大 きな地 震 で ,規 模 は マ グニ チ ュー ド (宇 佐 美 龍 夫 『最 新 版 2001』. (M)8.6で あ る とい う. 日本被 害 地 震 総 覧 [416]一. に よる。 以下 ,日 時 や規 模 は 同書 か ら引 用 す. 物理学者の寺田寅彦 も同様 の指摘 をしてい る。彼 は 大正 12年 (1923年 )9月 1日 に発生 した「関東大地 震」 (M7.9)の 報告書 も書 いてい るが,文 筆家 として も著名である。昭和 9年 (1934年 )に 発表 した「天. る。). こ うした過去の地震の記録は,現 在の地震 の研究 に. 災 と国防」には,次 のような箇所がある。. とって も,極 めて重要な資料である。明治 24年 (1891 年)10月 28日 に発生 した「濃尾地震」は,M8と い. 人類が まだ草昧 の時代 を脱 しなか ったころ,が ん. (同. じょうな岩 山の洞窟 の 中に住 まわ っていた とすれ. これが 契機 とな り翌 明治 25年 (1892. ば,た い ていの地震や暴風 で も平気 で あ ったろ う. ,地 震に関する研究 と資料収集 を行なう震災. し,[中 略]も う少 し文化が進んで小屋 を作 るよ う. 予防調査会 が組織 された。そ の主要 な作業 の ひ とつ. になって も,テ ン トか掘 っ立て小屋 の ようなもので. は,地 震 の「時間的お よび地理的な分布 を調 べ るた. あ って見れ ば,地 震 にはかえつて絶対安全 で あ り. め」 に過去の文献に記 された地震 の記録 を収集するこ とであった (萩 原尊祀 『地震学百年』,43)。 12年 後. [中 略],文 明が進むに従 って人間は次第 に自然 を征. 服 しようとする野心 を生 じた。そ うして,重 力に逆. の明治 37年 (1904年 ),田 山賞が まとめた 『大 日本. らい,風 圧水力に抗する ようない ろい ろの造営物 を. 地震史料』 には,西 暦 416年 か ら慶応 3年 (1867年 ). 作 った。そ うしてあっばれ 自然 の暴威 を封 じ込めた. までの約二千 の地震記録が収集 された。引用 した土佐. つ もりになっていると, どうした拍子 に檻 を破 った. の文書 もこれに収録 されている。 この作業 を引 き継 い だ武者金吉は,「 六千四百余」 の記録 を集めた 『増訂. 猛獣 の大群の ように,自 然があばれ出 して高楼 を倒 壊せ しめ堤防を崩壊 させて人命 を危 うくし財産を滅. 大 日本地震 史料』 の 第 1巻 を昭和 16年 (1941年. ぼす。その災禍 を起 こさせた もとの起 こ りは天然 に. う「わが 国の内陸地震 では最大 の もの」であ つた 上書 ,207)。 年)6月. ). に,第 2巻 と第 3巻 を昭和 18年 に,最 後の第 4巻 は 昭和 25年 に刊行 した。 この武者 は,地 震 を意味する「なゐ」 の語源 につい. 反抗する人間の細工であると言 って も不当ではない はずである,災 害の運動エ ネルギー となるべ き位置 エ ネルギーを蓄積 させ,い やが上にも災害 を大 きく.

(3) 原田 隆司 :地 震 とい うものの輪郭. 79. す るように努力 してい るものはたれあろ う文明人そ. 行 して建造 され,被 害 を格段 に大 きくして きた とい う. の ものなのである (寺 田寅彦「天災 と国防」小宮豊. ことになる。. 隆編 『寺田寅彦随筆集. こ うして地震 は,「 人間の細 工」 である造営物 を壊. 第 5巻 』,58)。. こ うした観点 にたてば,地 震が人間に被害 を及 ぼす. し,そ の結果,ど れほどの数 の人間に被害 を及ぼすか によつて判断されるとい う二重 の意味において「社会. で引用 した 300年 前 の土佐 の人たちも,重 力に逆 らっ. 的」なもの となってい る。1995年 1月 17日 の「兵庫 県南部沖地震 ・阪神淡路大震災」 (M7.3)の 後 ,筆 者. て建 て られた「造営物」 に囲 まれてい た とい う意味. が避難所で知 り合 った女性 は,避 難所か ら移 った仮設. で,私 たちと同時代人である。. 住宅 の集会 で次の ように発言 した。集会 の参加者 は この発言 の後,し ばら くの間,沈 黙 したとい う。. 要因 は,「 天然 に反抗 す る人間の細工」にあ り,冒 頭. ,. 専 門家 による指摘 を,も うひ とつ紹介 してお こ う。 1906年 に発生 したサ ンフラ ンシスコ地震 と,1908年. 壊 れるような建物 に住んでいたほ うが悪 いんよ。. にイタリアのメ ッシーナで発生 した地震 の比較 で あ る。サ ンフラ ンシスコは 4月 18日 午前 5時 13分 ,メ ッシーナは 12月 28日 午前 5時 23分 に,そ れぞれ地. この観点 を進めていけば,地 震 の被害を抑 える方策. 震 に襲われた。メッシーナの人口は約 15万 人であ っ. の議論 にた ど り着 く。関東大地震 に際 して,日 本 の地. たが,翌 年 4月 までに判明 した死者はメッシーナだけ. 震学 の代表 として調査 をした今村明恒 は,そ の報告書. で 10万 人に上 り,近 隣で も 5万 人 を数えた。近年の. の冒頭 で,次 のように記 してい る。. 研究に よって も犠牲者 は総計 12万 人,メ ッシー ナだ 大正十二年九月一 日我が関東地方 を襲ふた大地震. けで 8万 3千 人 とされている。一方,当 時,サ ンフラ ンシス コの人口は 35万 5千 人で,地 震 とその後 3日. は,其 地震の程度に於 ては決 して前古未聞の もので. も続 いた火災に よ り約 4分 の 3の 建物が壊れる被害が. はなかつ たけれ ども,其 災害 の莫大な りし点 に於て. あったが,犠 牲者 は 700人 以下であつた。 この両者 の. は我が 日本 の歴 史に於 てのみならず,世 界 の震災史 上に於て も空前 と言つ て も過言 ではなかるべ く,さ. 違 い は何 なのだろ うか。規模 を比較すると,メ ッシー り,放 出されたエ ネルギーはサ ンフラ ンシスコのほ う. う して恐 らくは絶後であるか も知れぬ。 [中 略 ]今 度 の震災は地震 の程度 に不釣合 に災厄 が大 きか つ. が 5倍 も大 きいのである。アメリカの物理学者 ゼブロ. た,学 問の今 日の程度 であつて も若 し国内の地震学. ウスキーは,そ の理由 として,急 速に発展 したサ ンフ. 者が予 め適当な注意 を加ふる事 があつたなら,火 災. ラ ンシスコの建物 のほとんどが安 くて入手 しやす い木. の如 きは大部分之 を防止 し得 られ,災 厄 の幾分 を軽. 造 の もので あ り,メ ッシーナの建物 は大邸宅が多 く. 減す ることが出来たのであ らう,然 るに事此 に出ず. 石 の床 の上に煉瓦 を組んだ屋根でで きていたことを指 摘する。 この屋根 は,花 商岩 の壁 に挿 された木材 によ. して彼 の様 な大惨害 を招 い たのは地震学者 と して 我 々は誠に漸愧 に堪へ ないのである (今 村明恒 「関. って支えられてお り,地 震 で木材が緩み,屋 根 の煉瓦. 東大地震調査報告」『震災予防調査会報告. が床 に落下 したのである。ゼブロウスキーは,次 のよ. (甲 )』. ナの地震 は M7.5,サ ンフラ ンシス コは M8。 25で あ. ,. ,21. 第百号. 原文 は旧字 カタカナ)。. うに述べ る。 話 は単純 である。地震に よる死者 の数 は,地 震 の. 当時 の地震学 の第一 人者 として,「 地震 の程度 に不 釣合 に災厄が大 きかつ た」 ことを「誠に漸愧 に堪へ な. 強 さよりは,建 物 の構造 と関連す るのである。地震. い」 とい う今村 の感情 の吐露それ 自体 は首肯 で きる. それ自体が人間を殺す ことは,ほ とんどない。たい. (そ. ていの場合 ,人 を殺すのは建物である (zebrowski,. あ った)。 今村 は地震の後 に発生 した火災が問題 であ り,そ れは「幾分 を軽減」で きたはず だと判断 してい. Pθ rJJs(√. αRι ∫ ′ss Jι. θ PJα ん ち53-55)。. の背景 には,後 述す るような地震 をめ ぐる論争 が. るのである。 地震が他 の災害 と比較 して際立 っている部分があ る. 地震 とい う自然現象 は,建 造物 とい う「人 間 の細. とすれ ば,そ の「被害」 とは,第 一 に「重 力 に逆 ら. 工」 を媒介 として被害 を及ぼす ことにより,社 会的な. い,風 圧水力 に抗す るようない ろい ろの造営物」が壊. もの となった。地震は「天災」 とい うだけではな くて. れることなのである。造営物は社会の「文明化」 と並. 「人災」で もある と言 われ,ま た大 きな被害 を生 じた.

(4) 甲南女子大学研究紀要 第 47号. 場合 には「震災」 とい う言い方もされるが,そ こには こうした意味が含まれているのであろう。. 人間科学編. (20H年 3月. ). て い る。私の 家 は前後 に揺 れ ,窓 が ガ タガタ と音 を 立 て,梁 が き しみ ,モ ル タルが 剥がれ落 ち,壁 に掛 けた絵 が激 しく揺 れて い た。 それで も私 は,そ の よ. 2.地 震 を観 測 す る. うな場合 の常 と して ,常 夜灯 で懐 中時計 を注視 しな が ら,脱 出 の 機 会 を窺 ってい た。 40秒 後 に ,振 動. 先 に触 れた よ うに,明 治 24年 (1891年. )10月 の濃. 尾地震 を契機 と して ,翌 明治 25年 に地震予 防調 査 会. は明 らか に和 らい で きた (同 上 書 ,61〔. 〕 は原 著. 者 )。. が設置 された。 ここで ,近 代 日本 にお ける地震 の 観測 滞 日 4年 の 間 に ミル ンは地震 を観測す る習慣 を身 に. につ い て ,み てお きた い。 萩原尊祀 に よれ ば ,明 治 7年 (1874年 )に. ,工 部. 付 けて い たのであ る。 彼 はただちに詳細 な調査 をは じ. 省観測 司 (国 土地理 院 の前 身 )が イタリアか ら地震計. め た。横 浜 で 発行 されて い た英字紙 の付 録 を用 い て. を購 入 して ,イ ギ リスか ら招 い た観測技 師 に観測 させ. この 地震 に よる揺 れの強 さや方 向 な どを各方面 に問 い. た。 この 観測報告 は明 治 9年 か ら 8年 分が残 ってい る. 合 わせ ,「 震 央域 」 や震 源 の 深 さを計 算 した。 また. とい う (萩 原尊祀 『地震学百年』,3)。 明治 9年 (1876. 地震が感 じられた範 囲 を知 るため に福 島県か ら琵琶湖. 年 )3月. 周辺 までの 自治体 に 質問書 を送 った 。 なお ミル ンは. ,明 治政府 の「お 雇 い外 国 人」 の一 人 と して. イギ リス 人の ジ ョン・ ミル ンが来 日 した。 ミル ンは. ,. そ の 直 後 の 4月 に体験 した地震 を次 の よ うに記 した。 ミル ンの母 国 イギ リスは地震の少 ない 国 であ る。. ,. ,. ,. これ に先 だって ,日 本 で過去 に起 きた地震 を記 した文 献 の収集 もは じめて い る (同 上書 ,62-71)。 この 明治 13年 (1880年. )の 地震 が 直接 の きっか け. とな り,同 年 4月 に 日本地震学 会が創 設 され た。「 こ 私 が生 まれ て初 め て 経験 した地 震 は ,1876年 4. の学 会 の 第一 の研究 テ ーマ は正 確 に地 動 を記録す る地. 月 10日 の 真夜 中午前 2時 に起 きた。私が江 戸 の 新. 震計 をい か に して つ くるか」 であ った (萩 原尊祀 『地. 居 に落 ち着 い た直後 の こ とで あ る。 見知 らぬ 土地の. 震 学 百 年』,6)。 明 治 18年 (1885年. まだ十分 に整理 を終 わ ってい ない新居 に一 人で い た. 水戸 ,前 橋 の 地震計 を用 い て最初 の地 震観測網が つ く. 私 は,真 夜 中に寝 台 の揺 れで 目を覚 ま した。窓が ガ. られ ,明 治 24年 (1891年 )10月 の 濃 尾 大 地 震 を経. タガ タと鳴 り,梁 が き しみ ,壁 に掛 けた絵 が バ タバ. て ,こ の年 か ら全 国 の 1等 ,2等 の 測候所 に地震 計 が. タと動 くの を見 て ,仰 天 して しまった。振動 は幾 回. 設置 された (宇 津徳治 『地震活動総説』,182)。. )に は ,東 京. ,. かの大揺 れ と小揺 れ を繰 り返 し。 しば ら くして 落 ち. そ れ か ら百 余年 が経 過 した。 手 近 な ところで 「 地. 着 い た。振 動が止 んだ 後 に も寝 台 の上 の小 さい金属. 震」 の 理解 をみ てお け ば ,『 大 言 海』 (1939年 )で は. 環 は カチ カチ と鳴 り続 け,水 盤上 に浮かせ た常夜灯. 次 の よ うに説 明 されて い る。. ラ ンプの 光 は左 右 に揺 れて ,明 減す る長 い影. の石. が部屋 の 中を動 い て い た。 これが地震 とい うもの な '由. のだろ う と気 づ くまで には少 し時 間がかか つた (池. 古 語 ,ナ ヰ。大 地 ノ震 ヒ動 ク コ ト。火 山 ノ破 裂. ,. 又 ハ ,地 盤 ノ陥落 ,ナ ドヨ リ起 ル。. 上 良 平 『震 源 を求 め て 一近 代 地 震 学 へ の 歩 み 』 ,. そ の 30年 後 ,『 広 辞 苑』 第 2版 (1969年. 58)。. )で は. ,. 次の よ うに説明 されて い る。 ち なみ に ,こ の 地震 は 宇 佐 美 龍 夫 『 日本被 害 地震 総 覧』 に は掲 載 され て い な い 。 4年 後 の 明 治 13年 (1880. 地殻 内に 自然 に起 る急激 な変動 ,並 びに これ に よ. 22日 午前 0時 50分 頃 に ,横 浜 を震 源 とす る. って生 ず る地殻 の 弾性波動 に よ り地面が動揺す る現. 年 )2月. 強 い 地震 が 発 生 した (M5.5-6.0)。. ミル ンは 次 の よ う. に言己して い る。. 2月 22日 の 夜 半 過 ぎ早 朝 に発 生 した 地 震 は ,日. 象。震度階 に よ り微震 ・軽震 ・弱震 ・ 中震 ・強震 ・ 烈震 ・激震 に分 ける。古語 で は「なゐ」 とい う。 現在 の 国語辞典 で は,次 の よ うに説明 されて い る。. 明治維新〕以後に起 きた最 も激 しい もの 本の開国 〔 だった。地震の際には懐 中時計 に注意 を注 ぐ習慣 を 身 につ けていたので,瞬 間的に時計 を見たと確信 し. 地球 内部 の特定部分 に蓄積 されたひずみが ,あ る 限界に達 し,一 時 に解放 されて弾性波 (地 震波 )を.

(5) 原田 隆司 :地 震 とい うものの輪郭. 生 ず る現 象。 お よび,そ れ に よって起 こ る地 表 の揺 れ. (『. を,主 としてプレー ト間の相互作用や プレー トの生. 大辞林』 1988年 )。. 地殻 また は マ ン トル内 に 自然 に起 る急 激 な変 動 と,こ れ に よって生 ず る地 殻 の弾性波動 によ り地面 が動揺す る現象. (『. る。 この主張 を受 け入れ た上で ,主 要 な地学現象. 広辞苑』 第 4版 1991年. 成 ・進化 とい う見地か ら統一 的に説明 しようとす る のが広義 のプレー ト・テク トニ クスである (上 田誠 也 『プレー ト・テク トニ クス』,V)。. )。. 地球 内部 と地 表 とが 区別 されて い るので ある。地震 学 の入 門書 で も,こ のふ たつ の「地 震」が 区別 されて. これによれば,地 震 の発生 は,き わめて単純に説明 で きる。. い る。. 地震はすべ てプレー トテク トニ クスでい うプレー は ,地 球 を構 成 して い る岩. トの内部か二つの プレー トの接触面 で起 こる。前者. 石 の一 部分 に急激 な運動が起 こ り,そ こか ら地震波. がプレー ト内地震 (intraplate canhquake),後 者が プ. (seismic wave)が 発生す る現象 であ る。地 震波 に よ. レー ト間地震 (interplate earthquake)で ある (宇 津 徳治 『地震学』第 3版 ,161-164)。. 地震. (ea■ hquake)と. る地 表 あ るい は地 中 の震動 を地震動 (eanhquake mo― tion)と い うが ,一 般 には地震動 も地震 と呼 んで い る。地震波 は地 球が弾性体 であ るため に,そ の 内部. 地球 の表面 を覆ってい るプレー トが,地 震 の原因で. あ るい は表面 に沿 って伝 わ る弾 1生 波 にほか な らない. あ り源 である。「主要 な地学現象」 を「統 一 的に説明. (宇 津徳治 『地震学』 第. しようとする」理論が確立 されたために,地 震 は地球. 3版 ,1)。. の特定 の地域で反復 される現象 として理解 されるよう そ して ,「 地球 を構 成 して い る岩石 の一 部分」 に生. になった。 現在 では 日本の観測網 も整備 され,と りわ け 1995. じる「急激 な運動」 は,次 の よ うに説明 され る。 地震 の 直接 の 原 因 で あ る地 球 内部 の 急 激 な運 動. 年 の兵庫県南部地震 の後 ,「 全国で,統 一 された仕様 で,リ アルタイムかつ連続に,密 に設置 された観測網. は,岩 石 の破壊 に よって起 こる もの と考 え られ る。. を用 い て地震現 象 の解析 が行 われるよ うになった」。. この破 壊 が生 じた領域 を震源域 (source region)と. そ の結果 「年間の震源決定数 は一三万個以上 に もな る」 とい う (日 本地震学会地震予知検討委員会編 『地. 呼 ぶ 。大 きな地震 で は,震 源域 は数 十 ∼ 数百. kmに. しか し各地での地震波 の到達時刻 の観測値 か ら,地. 震予知 の科学』,114)。 つ ま り,一 日平均 350以 上の 地震が 「科学的」 に観測 され,そ の「デー タ」が集積. 震波が発生 した場所 を点 と仮定 してその位置 を求め. されてい るのである。. 達す るので ,こ れ を 1点 とみ なす の は無理 で あ る。. てみ る と,と くに不 都 合 な く 1点 が 決 まる。 この 点 ,す なわ ち震 源 (hypocenter,focus)は 破 壊 が 最. 3.過 去 の 地 震 を調 べ る. 初 に発生 した点であ り,震 源域 の 中心 で はな く縁 に 近 い例 も少 な くな い 。震央 (epiCenter)と は震源 の. 先 に触れたように,明 治の初期か ら中期 にかけて. 真 上 の地 表 の 点 をい う。震源 の位 置 は震央 の緯度 ・. 大 きな被害 をもたらした地震 の発生が,地 震 の調査研. 経 度 と震源 の深 さ (focal depth)に よって示 され る. 究 を促 した。濃尾地震 の翌年 ,明 治 25年 (1892年 ) には震災予防調査会が発足 し,そ の仕事 の ひ とつ は. (同 上 書 ,2)。. ,. 『大 日本地震 史料』 の編纂 であった。宇津 に よれば. ,. 現在 で は地 球物理学 の定説 となってい るプ レー ト・テ. 古文書 によって調査 される地震 を「歴史地震」 と呼ぶ 「1872年 あるいは 1885 のであるが,日 本 の場合 ,そ れは. ク トニ クス とい う理論 を抜 きに しては語 れ ない 。. 年以前の地震」である. こ う した地 震 の理 解 は ,1960年 代 か ら提 唱 され. ,. (同 上書 ,180)。. つ まり地震計. によつて観測 されて記録が残 されたか,観 測 されなか 狭義 の プ レー ト・テ ク トニ クス とは,地 球表面 は. ったかによって,「 歴史地震」 であるか否かに分 け ら. 10な い し 20個 程度 の ブ ロ ックに分 かれてお り,お. れるのである。現在 で も,歴 史地震学 とい う領 域 で. のお の の ブ ロ ックが ,ほ とん ど変 形 す る こ とな し. は,日 本各地に残 る古文書 まで広 い範囲 にわた つて収 集 と分析が行 われてい る (た とえば萩原尊祀編著 『古. に ,大 規模 な水 平 運 動 を して い る とい う主 張 で あ.

(6) 甲南女子大学研 究紀要 第 47号. 82. 人間科学編. (20H年 3月. ). 地震学』,宇 佐美龍夫 『東京の地震』 など)。 前節 でみ. は特定 で きる (同 上 書 ,9)。 地下 に過去 の地 震 の「デ. たような新 たに発生する地震の観測 と並行 して,過 去. ー タ」 を求め るこ とは, さほ ど難 しくはない とい う。. の資料 を参照するとい う時間軸 で反対 の「データ」収 集 は,今 日に至るまで,地 震研究のひとつの方法 とな っている。. 発掘現場 で は,江 戸時代以前 のデ ー タが急 減す る こ ともない。 む しろ現代 の土 地改変 を受 けて い ない. 明治 37年 (1904年 )に 『大 日本地震史料』 をまと めた田山賞 は,そ の「上 申書」 に記 してい る。. とい う意味 で ,中 世以前 の 方が地震跡 もよ く保存 さ れて い る。 さらに記録 の ない古墳 ・弥生 ・縄 文 0石 器時代 で も,人 間がそ こで生 活 して さえ い れば, こ. 地震 と記録. 記録 の存否 は,地 震 の有無 に影響. の 問題 [強 い 地震が発生 したか否 か]の 検討が可能. し,記 録 の完全せる時代 は,地 震 も随て明瞭に記 さ. なのだ (同 上 書 ,57-58[. るたれ ど,之 に反 したる場合は,必 ず其博 を失へ る を例 とせ り (田 山賞 「大 日本地震史材料蒐集終結 ニ. ]は 引用者. この 観 点 か ら,「 南 海 トラフ」 を震 源域 とす る 巨大. 付上 申書」『大 日本地震史料』 甲巻,1 原文 は旧字. な地震 を例 に考 えてみ よ う。南海 トラフ とは,大 平洋. カタカナ)。. の 海底 にある二つの プ レー トが重 なって い る場所 の こ. )。. とで あ る。 ここ を震源域 とす る地震 は,発 生 す る場所. この史料 は,そ の後,武 者金吉が大幅 に増補 し,昭. に よ り,西 か ら「南 海 地震 」「 東南 海 地震 」「 東 海 地. 和 25年 (1950年 )に 『増訂大 日本地震史料』 として. 震」 と呼 ばれて い る。 観測 され るか 史料 に記 された地. 全巻が刊行 された。武者は,田 山が使わなか った新 し い 資料 に加 えて「 日記 ・随筆 ・郷土誌 の類」や 「口. 震 を一 覧 にす れば,表 の左 側. 碑」「伝承」,外 国人が記 した資料,台 湾や朝鮮 の地震. (A)の よ うにな る とい. う。 この一 覧 に よれば,観 測 された地震 ,記 録 の あ る地. 記録,地 震 と噴火に関係する現象の記録な どを加 えて. 震 で あ る最近 4回 は,92年 ,147年. 六千四百余 を集めたのである (武 者金吉 『増訂大 日本. 隔で発生 してお り,南 海 トラフで エ ネ ルギーが 蓄積 さ. 地震史料 編者序』)。 戦後 は,東 京大学地震研究所 に. れ ,そ れが地震 に よって解放 され るのであれば,そ の. 「 日本 よる 『新収 日本地震史料』,宇 佐美龍夫に よる 『. 間隔 は百年前後 だ と推測 され る。 また,南 海地震 と東. の歴 史地震史料」拾遺』や本書 で も参照 してい る宇佐. 海地震 は常 にほぼ同時 に発生 して い る。 したが って. 美 の 『日本被害地震総覧』がある. 史料か らは 200年 前 後 の 間隔 となってい るそれ以前 の. (小. 山真人「 日本の. 史料地震学 の問題点 と展望」 ,347)。 田山が記 したように,地 震のことを記 した古文書が. ,102年 とい う間. ,. 時期 で も,表 の なかの 4箇 所 の星 印 の 時代 に大地震が 発生 して い た と推測 され るのであ る。 寒川 に よれ ば. ,. ないか らといって,地 震がなか った とい うことにはな. 実際 に徳 島県や和 歌 山県 ,愛 知県 な どの遺 跡 には ,4. らない。 また,記 述があるか らといって,本 当に地震. つ の 時期 それぞれ に大地震が発生 して い た痕 跡が あ る. が起 こった と断定することもで きない。それでは,地. とい う (同 上書 ,57-77,寒 川旭 『地震 の 日本 史 一大. 震計で観測 された記録 もな く,文 書 による記録 もない. 地 は何 を語 るのか』)。. 時代や場所 の地震について知る方法 はないのであろ う. こ う して,観 測 もされず記録 に も残 って い ない 地震. か。 また,古 文書 の記録 と照合で きる資料 は他にない. の 手がか りを地 中か ら見 つ ける作業 も進 め られて い る. のであろうか。. ので あ る。. 「地震 考古学」 とい う新 しい研究方法があ る。その. ところで ,先 にみて きた地球物理学 にお け る地震 研. 先駆者 である寒川旭 は,も はや古文書 に記載 された地. 究では,南 海 トラフの「デ ー タ」 を用 い て ,ス ーパ ー. 震 の記録 は「新 たに見つ け出す ことは難 しい であろ. コンピュー タで「 シ ミュ レー シ ョン」す る研 究 も進 ん. う」 (寒 川旭 『地震考古学』,57)と 指摘 してい る。地. で い る。 計算 で あ る以上 「現 象 を記述す る方程 式が得. 震考古学は,地 層の なかで,液 状化現象によつて,新. られて い る」 こ とが 前提 で あ る. しい時代 の層 を突 き破 って「砂が噴 き上が る」状態が. 知検討委員会編 『地震予知 の科学』,96)。 プ レー トが. 見つかれば,そ の時代に「烈震」や 「激震」 といつた. 重 なる範 囲 の うち 700キ ロ ×300キ ロ を 1平 方 キ ロ ほ. 階級 の地震,つ まり「人間が立っておれないほどの強. どの ブ ロ ック 15万 個 に分割 し, ひ とつ が 1メ ー トル. い地震動が発生 した ことの証明になる」 (同 上書 ,47). す べ った と きに他 の ブ ロ ック全 部 にかか る力 を計算す. とい う観点である。地層 の年代が特定 で きれば,時 代. るのであ るが ,そ の組 み合 わせ は約 220億 個 に もなる. (日. 本地震学会地震予.

(7) 原田 隆司 :地 震 とい うものの輪 郭 実際の地震 とシ ミュ レー シ ョンに よる地震. A.観 測 や記録 に もとづ く地震 の発生 南海地震. 東南海地震. M8.0. 1946年. 南海地震. M7.9. 1944年. (2年 ). 92年 】 【. M8.6 103年 【. 90年 】 【. M8.4. 1854年. B.シ. 東海地震. M8.4. 1854年. (1日 半 ). 147年 】 【. ミレー ションの結果 東南海地震 (97 日 ). M8.6. M8。 1. 103年 】 【. 1. (7日. ). M8。 4. 109年 】 【. 109年 】 【. 147年 】 【. 東海地震. M8.7. 1707年 M8。 6 102年 】 【 1605年. M7.9 107年 】 【 1498年. ★. 1361 年. M81/4-8.5. M8。 2-8.4. ★. 262年 】 【 1099年. M8.0-8.3. (3年 ). M8.0-8.5. 1096`千. 212年 】 【 887年 M8.0-8.5. ★. 203年 】 【 684年. M81/4. ★. Aは ,寒 川旭 『地震考古学』53ペ ージの表 と宇佐美龍夫 『最新版. 日本被害地震総覧 [416]-2001』 会地震予知検討委員会編 『地震予知の科学』 110ペ ー ジの資料 をもとに作成 した。 *は ,南 海地震 と東海地震 の発生 の時間差,**は ,シ ミュレーシ ョンによる両者 の時間差である。. とい う。. ,Bは ,日 本地震学. つい には微 動 となって終 わる。今 回 の地震 も京都 が 心 で あ って 四方 に伝 わ り,端 は東 武 ,南 紀 ,北 越. ,. 一〇年 まえには このような計算 は不可能であ った. 西 四国,中 国 まで達 して い る。 したが って地震 は東. が ,近 年 の計算機能力 の大幅 な進歩 に よって [中. か ら揺 れて くるので もな く,西 か ら揺 れて くるので. 略],半 日かか らずに一〇〇〇年程度の地震 の繰 り. もな い 。心 か ら四方 に伝 わ るの で あ る (橋 本 万 平. 返 しを計 算 す る こ とが 可 能 に な った (同 上 書. ,. 『地震学事始 一開拓者 ・関谷清景 の生 涯』,25)。. 106)。. ここには,地 震 につい ての冷静 な観察の 一 端が表れ. この研究では,表 の右佃1(B)に 示 したように,最 近の 3回 の大地震 について,実 際に発生 した規模や間. )10月 2日 午後 10時 頃 ,「 安政江戸 地震」 (M7.0-7.1)が 発 て い る。それか ら 25年 後 の安政 2年 (1855年. 隔に近 い結果がでるように計算 で きる ようになってい. 生 した。その直後 に,地 震 をめ ぐる挿話 として有名 な. る。要す るに「 コンピュー タの中で地震 を起 こす」研. 「鯰 絵 」が数多 く制作 された。北原糸子 に よれば,「 ネ 申. 究が進 んでいるのである. 無 月 の名 が示す ご と く出雲大社 へ 神 々が 集 まる陰暦 一. (同 上書 ,96)。. 〇 月 に ,鹿 島神 は留 守 を夷神 に託 して 出雲 にで か け. 4.地 震 の 間 隔 :人 間 と 自然 現 象 の 間. た。その間,鹿 島神 が い な くな ったため,聖 石要石 の 押 さえが充分 で な くな り,そ れ に よって地底 に閉 じ込. それでは,地 震 の観測が開始 されるまで,人 びとは 橋 本万平 に よれば,文 政 13年 (1830年. め られて い た鯰 が動 き出 したため ,地 震 が起 こった 」 とい う (北 原 糸子 『地震 の社 会 史 一安 政 大 地震 と民. 地震 とどのように向 き合 っていたのであろうか。. )の 地震. (M6.5± 0.2)の 後 に小 嶋濤 山 とい う人物 が書 い た 『地震考』 には,次 のような ことが記 されてい る。. 衆』,221-222)。 しか し,当 然 なが ら,地 震 は昔 か ら日本列 島 で発生 して い た。歴 史学 の 宮 田登 は ,次 の よ う に述 べ て い る。. 地震の際には必ず心. (震 源)が あ って,こ. こが最. も激 しく震動 し,そ こか ら震動が四方に伝 わるが. ,. そ もそ も地 震 と い う人 知 を超 え る 現 象 に つ い て.

(8) 甲南女子大学研 究紀要 第 47号. 人間科学編. (20H年 3月. ). は ,各 民族 が それぞれ神話 を もって 説 明 して い る。. 凶を判断 した (黒 田 日出男 『龍 の棲 む 日本』,210-. 世 界 を大蛇 とか大魚が支 えてお り,そ れが少 しで も. 2H[ ]は 引用者. )。. 動 くと,大 地 も揺 れ る とい う認識 は,普 遍的 な もの であ った ら しく,イ ン ドか ら東南 アジアにか けて は. 『大 日本地震 史料』 に収録 された古代か ら江戸末期. 世 界蛇 が ,イ ン ドシナか ら東 アジアー 帯 にか けて は. の地震に関する記述 は,マ グニチ ュー ドや震央 を正確. 世 界魚 が ,そ れぞれ分布上 きわだ って い る とい う。. に推測で きる根拠 にはならない とい う意味 においては. 日本 の場 合 ,地 底 に大魚が あ って世 界 の 中心 の柱. 「科学的」 ではない。 しか し,冒 頭 で紹介 した土佐 の. を支 える とい う思想 が特徴 で あ る。それが どれほ ど. 文書 のように,地 震に驚 き,未 曾有の出来事 だ とい う. 民 間 で抱 かれて い たのか はは っ き りして い な い が. 記述が並 んで い るの をみれば,ひ とつ ひ とつ の記述. ,. 地震鯰以前 に,大 蛇 ら しき存在 もあ り,大 蛇が大鯰. が,そ の時その場所 では固有の地震 であつたことを語. に変化 した とも考 え られて い る (宮 田登 「現世利益. っている。大地の揺れを蛇や龍,鯰 などと関連 させつ. と民 間 信 仰 一庶 民 に と っ て の カ ミ ・ ホ トケ ー」. つ 日本列島に暮 らして きた人たちは,ず っと地震に向. 169)。. き合 っていたのである。. ,. 地震の観測 を開始 してか ら百余年,プ レー ト・テク 鯰絵 の 本格 的 な研 究 はオ ラ ン ダ人の. G。. ア ウエハ ン. トニ クスとい う考え方が提唱 されてか ら半世紀が経過. トに よって開始 された。 オラ ンダの博物館 に保管 され. し,彩 しい数 の観測装置が刻 々 と「デー タ」 を伝 え. て い た鯰絵 を研 究 した ア ウエハ ン トは,「 日本 を と り. 集約 される時代 になった。歴 史地震学 は,「 科学 的」. 囲 む原初 の大海 の表 象 と して の蛇 (=龍 )か ら,地 震 の張本 人であ り背 中 で 日本 を支 えて い る鯰 へ と,表 象. ではない 史料か らも「デー タ」を導 き出そ うとしてい. が発達 した」 と指摘 し,次 の よ うに述 べ て い る。. 地震考古学 とい う方法 もある。. ,. る し,地 中の遺跡か ら「デー タ」 を取 り出そ うとす る それで も,天 体 の動 きや天気予報 と比較 して,ま だ. はるか に興味深 いの は,鯰 と蛇 (龍 )の 置 き換 え. 地震が発生する ことは予知 されない とい う意味 におい. で あ る。 この蛇 は,神 の姿 を とる こと もそ うで ない. ては,現 代 の私 たちと地震 との関係 は,「 上代」 の人. こ ともあ るが ,い ず れ にせ よ,何 世紀 に もわた って. 間 と変 わることはな く,地 下 で龍や鯰が動 いてい ると. 日本文化 の なかで重要 な役割 を果 た して きた。蛇 は. い う話 を荒唐無稽 な もの として一笑に付す ほ どには. 山 と水 界 (海 )に つ なが りを もち,破 壊 者 (地 震. 私たち も「科学的」 な感覚で過 ご して い るので はな. ,. 洪水 ,暴 風 )で あ る と同時 に富 を もた らす者 で もあ る とい う両義性 を帯 びて い る。 (ア ウエハ ン ト『鯰. ,. い。 地震の予知 とい う「科学的」な作業 も,ま だ実現 し てい ないが,「 科学的」 ではない もの も含む過去 の地. 絵』,66)。. 震に関する膨大な資料 をもとに して,は じめて成 り立 歴 史学 の 黒 田 日出男 は,日 本 とい う (国 土 〉 に龍が. つのである。. 深 く関 わつて きた こ とを指摘 して い る。 この龍 は「在 来 の 蛇 に陰陽 道 と仏教 の 龍 が複雑 に絡 み合 って 成長. 過去に発生 した地震 の履歴 をもとに,将 来の地震. した もので あ り,平 安時代 には水神 と して定着 して い. 発生 の時期 をおお まかには予知す ることがで きる。. ・龍 王 ・龍神 に降雨 ・止雨 を. たとえば,あ る場所である規模の地震が約 100年 お. 祈 ったのであ る」。 それ に加 えて龍 は神 々が戦 う姿 で. きに発生 して い た としよ う。最 も新 しい地震が 70. あ り,天 変地異 を起 こす神 々の 姿 で もあ った とい う。. 年前 に発生 した ら,次 の地震 は約 30年 後 に起 きる. った。 中世 の人 々 は,龍. 可能性が高 いことがわかる。 このような予知 は,す また龍 は,大 地 を振動 ・鳴動 させ る存在 で あ った. でに政府の地震調査研究本部に よって「地震の長期. し,火 山 の 噴煙 とともに出現す るこ ともあ った。 そ. 評価」 として実現 してい る。 (中 略)こ の長期評価. して龍 の 出現 は,政 変 な どの予兆 で もあ った。龍 の. と呼 ばれてい る地震発生予測は,過 去に起 きた地震. 姿 を した神 々 は ,そ の 怒 りに よって地震 を起 こ し. の発生パ ター ンか ら将来を予測するため,大 きな誤. 火 山 を燃 や した。龍 は地 震 と深 く関 わ つてお り,中. 差が伴 う。あ る場所 で発生する地震 の繰 り返 し間隔. 世 の 人 々 は 『大 智 度論』 [仏 教 の 教典 の注釈書 ]な. は,沈 み込 むプ レー ト境界 の地 震 [プ レー ト間地. どに依拠 した陰陽道 の地 震 占い に よって ,地 震 の吉. 震]で 50年 か ら 150年 程度,内 陸の活断層 で起 き. ,.

(9) 原田 隆司 :地 震とい うものの輪郭. る地震 [プ レー ト内地震 ]で は 500年 か ら 2000年. も しれ な い が ,誰 もが慣 れ て い くよ うな もの で もな. 以上 とい うように,人 間の生活サイクルに比べ ると. い 。 と りわけ専 門家 は研 究 と予涸1,予 知 ,そ して災害. 非常 に長 い。 また発生間隔 も 30%ぐ らい はば らつ. の 予 防 とい う実践 との 間 で揺 ら ぐこ と もあ るだ ろ う。. く。そのため誤差が非常 に大 きくなる. 明治期 の有名 な論争 を紹介 してお こ う。. (日. 本地震学. 会地震予知検討委員会編 『地震予知の科学』,24-25. [ ]は 引用者. 既 にみた よ うに,大 正 12年 の 関東大地震 に際 して. ,. 地震学者 の今村 明恒 は,事 前 に対策 を講 じて い れば火. )。. 災 を軽 減 で きた こ とを悔 や んだ。 そ の 18年 前 の 明治. この百年 の間に,こ うした分析 をとお して,地 震 と. 38年 (1905年 )9月. ,今 村 は 『太 陽』 とい う雑 誌 に. の新 しい向 き合 いかたが付加 された。それによって. 論文 を掲載 し,近 く東京 に大 きな地震が発生す る可能. 人間にとって地震が周‖ 染 みやす い もの となったとい う. 性 があ るこ とを指摘 し,地 震 の後 に火災が発生す れば. よ りは,遠 い存在 にな りつつあるのか もしれない。地. 被害が大 き くなるので ,簡 単 な方法 と して石油燈 を電. 震学 の小 山真人 も,次 のように指摘 してい る。. 燈 に代 えるべ きだ ,と 提 案 した。 この なかで今村 は. ,. ,. 田山が編纂 した 『大 日本地震 史料』 に掲載 されて い る. 低頻度大規模 自然災害は,ほ んらい人間の時間感. 「二 千 六 回」 の 地震 の うち「 徳川氏 以前」 の 「千 四百. 覚 と異なる長大な時の流れの中で繰 り返す現 象であ. 八 十 九 回」 の 部分 は ,地 震記 録 と して不 完 全 で あ る. る (小 山真人「地震学や火山学 は,な ぜ 防災 ・減災 に十分役立たないのか」,256)。. が ,江 戸 時代 になる と「諸侯 に令 して領 内 に於 ける天 変地妖 を蓋 く届 け出 で しむ こ とをな したる」 ので ,そ の 後 の記録 は「完備 して い る」 と述 べ る。そ して東京. 地震帯 とよばれるプレー トの境界 では頻繁に発生 し. を例 と して「其将来如何 なる時期 に,如 何 なる大震 を. てい る地震 も,個 々の地点では「長大な時の流れ」 を. 発生 し且 つ 其 の損害が如何 なる程度 に上 るべ きか を推. 隔てて繰 り返 されてい ることが明 らかになった。ひと. 測」 す るため に ,元 和 元 年 (1630年 )か ら文化 9年. りの生涯だけを考えれば,地 震 は繰 り返 されるもので. (1807年. )の 地震 を取 り上 げて,次 の よ うに述 べ る。. はないことがはっ きりとして きたのである。ア メ リカ の物理学者 ゼブロウス キ ー は,次 の よ うに述 べ て い る。. 以上十五 回 の 地震 ,皆 明治 二 十七年 の東京地震 と 同等若 くは以上 の 強 さの地震 に して ,即 ち平均 十七 年 に一 回宛 ,斯 の 如 き程 度 の地 震 を起 す こ と とな. そ の 場 所 が 地震 学 的 に 活 発 な場 所 で あ った と して. る。又此 中最激烈 な りしもの ,即 ち千 人内外 以上 の. も,ひ と りの人生 の うち に一 度以上 の大地震 を経験. 死 人 を生 じたるは慶安 二 年 ,元 禄 十六年 ,安 政 二 年. す るこ とは稀 で あ る。火 山が ,大 噴火 と大噴火 の 間. 三 回 の大地震 に して ,几 て皆夜 間 に起 れ り。此 三 大. に数世 紀 も活動 を休 む こ とも,よ くあ る ことだ。 た. 震 は,平 均百年 に一 回 の割合 に発生 し,而 して最後. い て い の場所 で は,人 命 にかかわる よ うな嵐や洪水. の 安 政 二 年 以後既 に五 十年 を経 過 した るの み なれ. が (平 均 して)一 世代 に一 度以上発生す るこ とはな. ば,尚 ほ次 の大激震発 生 には多少 の 時期 を剰すが如. い とい って もいい。歴 史的 にみれば,伝 染病 が 大規. しと雖 も,然 れ ども慶 安 二 年後 五十四年 に して ,元. 模 に発 生 す るの は 二 ,三 世 代 に一 度 の 間隔 で あ る. 禄 十六年 の大激震 を発生 したる例 あれば,災 害予 防. (Zebrowski Jr。 ,E。 ,P`rJJ∫. 6√. αRι ∫′ Jθ ∫ s PJα κι ち18)。. の こ とは一 日も猶予す べ きにあ らず (今 村 明恒 「市 街地 に於 ける地震 の生 命及財 産 に対す る損害 を軽減. 百余年 の間の「科学的」研究によって,地 震 とい う. す る簡法」,168)。. ものの本 質 も明 らかになっている。 今村 は 当時 ,東 京大学 の地 震学教室 の助教授 で あ っ. 地震の場合,そ の発生準備には数十年 ∼数千年 と. た。 そ の地 震学教室 の教授 ,大 森房吉 は,こ の今村 の. い う長 い時間がかかる一方で,ひ とたび発生すれば 長 くて も数分ですべ てが終わって しまう (日 本地震. 発 言 を批 判 す る論 文 を翌年 5月 の 『太 陽』 に掲 載 し. 学会地震予知検討委員会編『地震予知の科学』,31)。. た。 大森 も 『大 日本地震 史料』 を根拠 として ,慶 長年 間か ら明治時代 まで東京 に「多少震害 を生 じた る」 も の と して 18の 地震 を取 り上 げ ,平 均 す れ ば「 約 十 六. 日常的な現象 ではないために,冷 静に向 き合 えるか. 年毎 に一 回 の割合 となる」 と述 べ る。 しか し「慶安 二.

(10) 甲南女子大学研究紀要 第 47号. 人間科学編 (20H年 3月. ). 年 の如 きは,二 回 の 強震 あ り。之 に反 して宝永 二 年 の. コンピュー タのなかで地震 を起 こすに して も,入 力. 地震 よ り,天 明二 年 の地 震迄 で ,七 十六年 間 は一 回 の 強震 も無 か りき」 と言 い ,間 隔が 一 定 で はな い こ と. する「デー タ」 は,実 際に発生 した過去 の地震 の もの か,そ うでなければ,現 在刻 々と収集 されてい る「デ. 被害 の 程度 に も差が あ る こ とを指摘 して ,次 の よ うに. ー タ」 しかない。後者 は現実 の時間の速度で しか集 ま. 続 ける。. らない。短 くて も数十年の間隔 とい う,こ の地震 とい. ,. うものは,「 科学的」 な研究におい て も,龍 や鯰 に関 十八 回 の激震 は,多 少判明 に六組 に分 か つ を得 ベ く,即 ち東京及 び付 近 に強震 の最 も多か るべ き時期. 連 づ けて想像 されて い たの と同 じ意味で ,依 然 とし て,と らえどころのない現象なのである。. の順 次 の差 は,三 十年乃至 八十 年 に して ,平 均 五十 一 年 となる。而 して注意す べ きは江戸地震 の 中にて. 結. び. 震害 の甚 しき大地震 と称す べ きは,安 政 二 年 と元禄 十六年 の地 震 とのみ なるが ,元 禄地震 は小 田原 に於. 地震 は特定 の場所 で発生 し,そ の 間隔 は,ほ ぼ一 定. て最 も激 しく真 の東京 (江 戸 )大 地震 は江戸 開府 以. であ る。 日本列 島 は,太 平洋 を と り囲 む環太平洋 地震. 来単 に安政 二 年 の一 回に限 りたれば,東 京市 が非常. 帯 に含 まれ る。 この 地震帯 は「世 界 の地 震 の約 九 割 」. の震 災 を蒙 るは平均 数百年 に一 回 と見 な して可 なる. が発生す る ところであ り,放 出 され る地震波 の エ ネ ル. べ ければ,安 政以後五十年 を経 た るを以て今 に も東. ギ ーで い えば 98パ ーセ ン トを占めて い る とい う (池. 京全市 が総潰れ となる程 の大地震が起 るべ しな どと 想像す るは根拠 無 き空説 な りと謂 うべ きな り (大 森. 田 ・島崎 ・山崎 『活 断層 とは何 か』,14)。 そ して「世 界中 の地 震 の一 割程度 は,日 本 とその周辺 で起 こって. 房吉 「東京 と大 地震 の 浮説」,174。 傍点 は原 筆者 )。. い る」 ので あ る (同 上書 ,3)。. 1946年. (昭 和. 21年 )12月 21日 午前 4時 19分 ,先. に も触 れた「昭和南 海地震」 (M8.0)が 発 生 した。 そ. 地震計 に よる観測 が は じま ってか ら 30余 年 とい う 時期 で もあ り,今 村 も大森 も,田 山 の編纂 した 『大 日. の記録誌 には,高 知県 の須崎 町 にあ る「宝永津波溺死. 本地震 史料』 しか 「予知」 の 資料 ,つ ま り地震 と地震. の塚」 の碑文 が記載 されて い る。. の 間隔 を判 断す る資料 はなか ったのであ る。 それか ら百年が経過 した。現在 で は,自 然現 象 と し. この塚 は昔宝永 四年丁亥十 月四 日大地震 して津波. ての地震 の輪郭がみ えて きた。個 別 の 発生場所 をみれ. 起 り,須 崎 の地 にて四百余 人溺死 し池 の面 に流 れ寄. ば,ひ と りの生 涯 を超 える間隔で発生す る,人 間 に と. り筏 を組 み たるが如 くなるを,池 の南面 に長 き坑 を. って稀 な ものだ とい う こ とが 明確 にな った。 したが っ. 二 行 に掘 り死骸 を集め在 りしを今 度百 五十 年忌 の 弔. て ,当 該 の場所 の地 震 につい て予測 で きる ほ どに「デ. に此処 に改葬す る もの也。 其事 を営 まん とす る。. ー タ」 を集め るため には,で きるか ぎ り遡 って過去 の. 折 しも安政元年 甲寅十 一 月五 日又大揺 りして海溢. 記 録 を探 す とい う方 法 しか な い 。 そ れ は古 文 書 で あ. れけるが其 の事 を伝 聞 ,且 記録 もあれ ば人 々思 ひ 当. り,考 古学 的 な資料 で あ り,地 学 的 な ものか もしれ な. りて我先 に と山林 に逃登 りけれ ば昔 の如 く人 の損 じ. い。. は無 りし也。唯其 中に船 に乗 り沖 に出ん と して逆巻. とにか く,過 去 の地 震 に関す る「 デ ー タ」 は ,地 震. 波 に覆 されて三十余 人死 した り,痛 ま しき事也。何. 研 究 に とつて不 可 欠 の 資料 で あ る。 ア メ リカの地 震 学. なれば衆 に漏 れて斯 はせ しに と云 に昔語 の 中に山に. 者 の ハ フは ,地 震 学 者 が 望 んで い る こ とを,次 の よ う. 登 りて落 くる石 に うたれ死 し,沖 に出た る者恙 な く. に記 して い る。. 帰 りしと云 事 の 有 を聞誤認 ししもの也。 早 く出 で 沖 にあ るは知 らず。其時 に当 りて船 を出す事 は難 か る. 一 番 に望 む こ とは ,す ぐに思 いつ く。大 地震 が い. べ し。誠 むべ き事 にこそ将昔 の人は地 震す れば連 て. つ どこで起 こるの か を予 知 す る能 力 で あ る。 二 番 目 に望 む こ とは ,こ の 数万 年 の あ い だ に発 生 した地 震. 津波 の 入 る事 を弁 へ ず。波 の 高 く入 り来 るを見 る よ りして逃 げ出 でたればお くれ てか くの如 き難 に逢 ヘ. に関す る情 報 で あ る (Hough,Susan E。 ,Eα rrん sttα たJれ g. リ哀 に も又悲 しまざ らんや。地震すれば津波 は起 る. θ′"ζttα r θ Scjθ η. θ″ (α κグ Dθ が′κれθ″)α bθ 夕″ Wθ κη. たθ Eα r′ た , 165)。 9“ α. もの と思 ひて油 断す ま じき事 な り。 され ど揺 り出す や否 や波 の入 る に も非ず 少 しの 間 はあ る もの なれ ば,ゆ り様 を見計 ひ食物衣類等 の 用意 して扱 て石 の.

(11) 原田. 隆司 :地 震 とい う ものの輪 郭. 87. 落ちざる高所 を選びて遁るべ し。 さり迪高山の頂 に. 絶 えず変化 して い る こ とを示 して い るのであろ う。文. まで登 るも及 ばず。. 明 とい う「人間 の細 工 」 に よって社会 的存在 となった. 今度 の波 も古市神母の辺は屋 敷 の 内へ も入 らず。. 地震 は,一 方 で は,建 物 を媒介 と して危険 な災害 の ひ. 昔 も伊勢が松 にて数人助か りしといへ ば津波 とて さ. とつ と して位 置 づ け られ ,他 方 で は,人 間が 一 カ所 に. のみ高 きものに非ず,是 等百五十年以来三度迄 の例. 住 み続 け るこ とが な くな ったため ,風 化す る。. なれば考 にも成 るべ きな り。. この 百余年 の研 究 で も,人 間 は,な か なか地震 とい. 今滋 に此営 を成すの印且後世若斯 る折 に逢 はん人. う現象 を とらえ きれな い で い る。地球物理学 の観点 か. の心得 にもなれか しと衆議 して石 を立て其事 をしる. ら地震発生 の仕組 みが明確 とな り,ま た,日 本 だけで. さん ことを余に請ふ。因て其荒増 を挙げて為 に書付. 一 日に 350以 上 もの地 震 を観測 す る体 制が整 え られ. る者也. (高 知県南海大震災誌編纂委員会編 『南海大. 震災誌』,24-25 原文 は旧字 カタカナ)。. ,. 一 人 ひ と りに は直接縁 の ない場所 や ,大 きな被害 には な らな い地震 の情報 まで ,瞬 時 に伝 え られ る よ うにな った。 こ う した地球物理学 の研 究 と,古 文書 を読 み解. これは,冒 頭 で引用 した宝永 4年 (1707年 )の 地. い た り,遺 跡 を発掘 す る作業 とが ,地 震 の研 究 のため. 震 の犠牲者 の改葬に際 して,当 時 の教訓 と,147年 後. にすす め られて い る。 その結果 ,膨 大 な「デ ー タ」が. の安政元年 (1854年 )の 地震の ことを伝 えるために. 集 め られて分析 されて い る。本稿 で は,そ れぞれの地. その 2年 後 の安政 3年 (1856年 )に 石 に刻 まれた文 章 である。『大 日本地震史料』 に も収録 されて い る。. 震 につい て ,歴 史区分 の 意味 での 時代 に関係 な く,規. ,. 模 を示す マ グニ チ ュー ドを付 記 して きたが ,こ れ もそ. 「後世斯 る折 りに逢 わん人の心得 に もなれか し」 とい. う した「科学 的」 な研 究 の成果 であ る。 この 数値 に よ. う先人の志 は,同 じ場所 で次の世代 も,そ の次の世代. って異 な った時代 に違 う場所 で発生 した地震が比較可. も暮 らすのが当然 だ と考 えてい た証 で ある。「是等百. 能 とな り,ひ とつ ひ とつ の地 震 の 固有性が示 され る と. 五十年以来三度迄 の例 なれば考にも成るべ きな り」 と. 同時 に,相 対化 もされ る。 しか しなお ,こ の「 マ グニ. い う一文 は,同 じ場所 で「又大揺 り」 した と理解 して. チ ュー ド」 に も,い くつ もの 計算 方法 が あ る とい う. いたことであ り,現 在 の「科学的」な研究 と同 じよう. (宇 津 徳 治 『地震 活 動 総 説』,7-9)。 つ ま りは絶 対 的. に地震 を理解 していたことがわかる。地震 の間隔が ひ. な物差 しで はないの で あ る。. と りの人生 を超 える長 さであるか らこそ,石 に刻んで 伝 えようとし,そ れが生かされ もしたのであろう。. 宇佐 美龍 夫 は ,日 本列 島 と地 震 との 関係 に つ い て. ,. 次 の よ うに指摘 して い る。. この百余年 の間,数 十年に一度発生 した大 きな被害. 日本付 近 で は,平 均 して ,規 模 6以 上 の地 震が年. をもた らした地震のたびに促進 されて,地 震 に関する. 間 16∼ 17回 ,7以 上が 1∼ 2回 ,8以 上 の地 震 は 10. 「科学的」 な研究が進め られたのであるが,地 震 と人. 年 に約 1回 の割 で起 きて い る。規模 6以 上 の地 震が. 間 との関係 はどのように変化 したのか,あ るいは変化. 内陸浅所 に起 これば必ず多少 の被 害 を伴 う。条件 が. しなか ったのか。. 悪 けれ ば 5程 度 の と きに も小被 害 を伴 う。 わが 国 の. まず,地 震 のほ うは,こ の百余年 の「科学的」な研. 地震 は洋 上 にあ る こ とが 多 いので ,被 害 の 点 で は助. 究に よ り,同 じ場所 で幾度 も繰 り返 し発生するもので. か ってい る (宇 佐美龍夫 『最新版. ある ことが明 らかになった。 ところが, この同 じ百余. 覧 [416]-2001』 ,4)。. 日本被 害地震総. 年のあいだに,人 間のほ うは,ひ と りの人生で も同一 の場所 に住み続けることは稀 になった。そのため,自. また,次 の よ うな指摘 もあ る。. 分が今居 るところの大地の揺れについて深 く考えるこ ともな く,揺 れる大地の上に,重 力に逆 らってつ くら. 記録 の確 か な今世紀 には い ってか ら現在 に至 る ま. れた建物 にばか り気 を取 られてい る。 まして,同 じこ. で ,か な りな被 害 を生 じた地震 の 数 は一 二 四 回 あ. とを祖先が体験 した とか,次 の世代が同 じ場所 で体験. り,平 均 してほぼ八 か月に一 回 の割合 で ,日 本 中 の. するだろ うとい うような連続性 を意識する こともない. どこか で地 震 に よる被 害 が生 じて い る こ とに な る. であろう。事件や事故や災害をめ ぐって「風化」 とい. (大 崎順 彦 『地震 と建築』,30)。. うことが,し ば しば問題 とされるが,風 化 は,同 じ場 所 で暮 らす こと,同 じ仕事 をすること,生 活や習慣が. 地震 は次第 に長 い 時 間 の なかで理解 され る もの とな.

(12) 甲南女子大学研究紀要第 47号. り,ま た特定 の場所 で はな く,日 本列 島 とのその周辺 とい う広 い 範囲 で 説明 され る もの となった。広 い 範 囲 の全 体 をみれば,絶 えず発生 して い るけれ ども,個 別 の場所 ,特 定 の場所 で は長 い 間隔 で稀 に しか発生 しな い 地震 は,ど れ ほ ど大 きな地震 で も,被 害 は局地的 で もあ る。 そ の よ う に考 えてみ る と,百 年前 の 明治 37. )に 編 纂 され た 『大 日本 地 震 史料』 は 地震 と近 代科学が 向 き合 った最初 の 成果であ るが ,そ. 年 (1904年. ,. こには既 に,こ の 矛盾が そ の まま収録 されて い る。数 百年 の 間 ,日 本 人が書 き残 して きた固有 の体験 と して の二 千 もの記述が 甲 ・乙の 二 冊 に まとめ られて い るの であ る。環太平洋地震帯 の なかの 日本列 島,そ してそ の なか の 個別 の場所 で ,世 代 を超 えた間隔で体験 され る地震 は,総 計す れば彩 しい数 にのぼ り,巨 視 的 にみ れば絶 えず発生 して い るあ りふれた現 象 で あ るが ,そ の場 で は,そ の 瞬間に は,ひ とつ ひ とつ が空前絶後 の 大地震 と して体験 され ,記 録 されて きた もので あ る。 数万年 の 間,日 本列 島 とその近辺 で発生 して い る地 震 の ほ うか ら考 えてみ る と,人 とその 社 会 の ほ う は. ,. 短期 間 に大 き く変化 して きた とい う こ ともで きる し. ,. 個 別 の地 震体験 は まった く変化 して い ない ともい うこ とが で きる。 い ず れ にせ よ,今 もなお ,太 古 と同 じ く,一 人ひ と りの足下 の大地 は突然 に揺 れ る。. (20H年. 1月 6日. ). 参考文献 c.ア ウエハン ト『鯰絵』 (小 松和彦 ・中沢新一 。飯島吉晴 ・古家信平訳)1979年 ,せ りか書房 池上良平 『震源を求めて 一近代地震学への歩み』 1987年 ,. 平凡社 池田安隆 ・島崎邦彦 ・山崎晴雄 『活断層 とは何か』 1996 年,東 京大学出版会 今村明恒 「市街地に於ける地震 の生命及財産に対する損 害を軽減す る簡法」『太陽』第 H巻 第 12号 ,1905年 9 月 今村明恒 「関東大地震調査報告」『震災予防調査会報告 第百号 (甲 )』 1926年 上田誠也 『プレー ト・テク トニクス』 1989年 ,岩 波書店 宇佐美龍夫 『東京地震地図』 1983年 ,新 潮選書 宇佐美龍夫『最新版 日本被害地震総覧 [416]-2001』 2003 年,東 京大学出版会. 人間科学編 (20H年 3月. ). 宇津徳治 『地震活動総説』 1999年 ,東 京大学出版会 宇津徳治 『地震学』第 3版 ,2001年 ,共 立出版 大崎順彦 『地震 と建築』 1983年 ,岩 波新書 大森房吉「東京 と大地震の浮説」『太陽』第 12巻 第 4号 1906年 4月 北原糸子 『地震の社会史 一安政江戸地震 と民衆』 2000年 講談社学術文庫 (底 本 『安政大地震 と民衆』 1983年 三一書房) 黒田日出男 『龍 の棲 む日本』2003年 ,岩 波新書. ,. ,. ,. 高知県南海大震 災誌編纂委員会編 『南海大震災誌』 1949 年 小山真 人「地震学や火山学 は,な ぜ防災 。減災に十分役 立たないのか」『科学』69-3,1999年 小 山真 人「 日本の史料地震学 の 問題点 と展望 」『地学雑 誌』 108-4,1999年 寒川旭 『地震考古学 ―遺跡が語 る地震 の歴 史』 1992年 中公新書 寒川旭 『地震の 日本 史 一大地 は何 を語 るのか』 2007年 中公新書 田山賞 『大 日本地震 史料』 甲巻. (『. ,. ,. 震 災予防調査会報告』. 第 46号 (甲 ))1904年 寺 田寅彦 「天 災 と国防」小宮豊隆編 『寺 田寅彦随筆集 第 5巻 』 1948年 ,岩 波文庫 (初 出 『経済往来』 1934年 11月. ). 日本地震学会地震予知検討委員会編 『地震予知 の科学』 2007年 ,東 京大学出版会 萩原尊祀 『地震学百年』 1982年 ,東 京大学出版会 萩原尊祀 (編 著 )『 古 地震 一歴 史資料 と活 断層か らさ ぐ る』 1982年 ,東 京大学出版会 橋本万平 『地震学事始 一開拓者 ・関谷清景 の生涯』 1983 年,朝 日選書 宮 田登 「現世利益 と民間信仰 一庶民 に とっての カ ミ・ホ トケ ー」『宮 田登 日本 を語 る 6 カ ミとホ トケのあ い だ』 2006年 ,吉 川弘文館 (初 出 辻惟雄編 『図説 日 本の仏教 五 庶民仏教』 1990年 ,新 潮社 ) 武者金吉 『増訂大 日本地震 史料』 第 1巻 (1941年 ),第 2 巻 。第 3巻 (1943年 ),第 4巻 (1950年 )[第 4巻 は 『日本地震史料』 (1995年 ,明 石書店)と して復刻 され これに第 1巻 の「編者序」 も収録 されてい る。 ] 『 武者金吉 地震なまず』 1957年 ,東 洋図書. ,. Hough,Susan E。 ,Eα r′ あsttα たjれ g. Sθ jι れθ. `r lyん. α′lyι κれθ″ (α 4グ. Dθ ′ K72θ ″)α bο ′Ear′ λg"α たθ ,2002,Princeton University '′. “. Prcss.. ′r Sθ jι 4′ ′cP`r― Zebrowski Jr。 ,E。 ,P`rj′ s(√ αRθ S′ ルss P′ αれθ lρ. rjソ. `ε. Press。. `s. θηNα rtr段 2′ Djsas′. `だ. , 1997,Cambridge Un市. ersity.

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