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はじめに
今まで東南アジアは、近代以前、インドの「辺 境」、中国の「辺境」、「海の道」の中継点として 取り扱われ、近代以降、欧米の植民地として扱わ れることが多かった。この観点では東南アジアは 常に受け身であり、東南アジア自体の歴史はボロ ブドゥール、アンコール=ワット、パガンなどの 歴史遺跡に付随する歴史のような感があった。 近年、東南アジア研究がすすみ、東南アジアの モノは歴史を通じて世界中の人々を引きつけてき たこと、15世紀以降の「交易の時代」(The Age of Commerce A.リード)にあっては、見方によ っては世界の中心であったことが明らかになって きた。そういう意味では、アメリカ大陸の銀を手 に入れたヨーロッパ人が「交易の時代」に入って きたことによって「大航海時代」となった。教科 書的にはあまり紹介されていない東南アジアを中 心にして授業をするとき、まず東南アジアのモノ の持つ意味を考えながら授業を進めることが望ま しかろう。もちろん前提として、現在の東南アジ ア地域の最低限の知識を白地図などを使って生徒 に確認させてから授業に入ることは必要である。
香辛料(胡椒、クローブ、ナツメグ、 シナモン)を使った授業
1498年ヴァスコ=ダ=ガマが、カリカットに到達 したときにその地の支配者が彼の来航の目的を問 うたとき、彼は「キリスト教と香辛料」と答えた という。当時のヨーロッパ人にとって香辛料は富 と権力の象徴であり、下記のように使用されてい た。
「宴会は日中いっぱい続く。太陽がしずみはじ
めると、酒をそそぐ係が、スパイスの辛みのきい たワインのコブレットとウエハースのはいった皿 をだす。パン係は、スパイス類をまるごと砂糖漬 けにしたものをもった盆を、各テーブルに置く。」 (『人類学者のクッキングブック』ジェシカ=クーパー 平凡社) この引用を生徒に紹介した後、「君たちに最高 のもてなしをしてあげよう」と言って、市販の胡 椒、クローブ、ナツメグ、シナモンを回す。生徒 に自由に直接香辛料を手に取らせる。そして、な んでこんなものに価値があったのかを考えさせる。 次に、胡椒・クローブ・ナツメグ・シナモンの原 産地、南インド・ジャワ・モルッカ諸島・セイロ ンを「最新世界史図説タペストリー(五訂版)」 p.30〜31でその場所を確認させた後、p.118でその 自然の形態も見させる。
そしてこの香辛料の原産地、とりわけクローブ (丁字)、ナツメグの原産地モルッカ諸島が「大航 海時代」のゴールであったこと、そこをめざして 東回りからここをめざしたポルトガルと西回りで ここをめざしたスペインの動きを生徒に理解させ る。次に、このモルッカ諸島、ジャワ、セイロン を押さえたオランダが17世紀の覇権国家になって いくこと、つまり16世紀の世界商品である香辛料 を押さえたオランダが覇権国家になっていくこと をタペストリー p.164〜165「近代世界システム」
モノを中心として東南アジア史を教える
神奈川県立外語短期大学付属高等学校 石 橋 功 世界中を楽しく教えるコツ 身近な切り口から入る授業展開例
ア メ リ カ か ら の 貴 金 属 ア ジ ア か ら の 香 料 バ ル ト 海 か ら の 穀 物
309.4136.887.5 西ヨーロッパの輸入
(1600年)(年平均トン) 〈『朝日百科世界の歴 史67商品と物価』〉
こしょう
丁子
ナツメグ 香木 ナ 1510∼
ポルトガルの拠点 ポルトガル人砲兵により強大化。
種子島でポルトガル 人より鉄砲伝来。
1557∼ ポルトガルの拠点
1571∼ スペインの拠点 アルタン=ハン時代の
タタルの最大勢力範囲
1518∼1656 ポルトガル領 1513 バルボア
太平洋に到達 1519∼21 アステカ滅亡
1545年 スペイン 人が発見。多量の 銀がヨーロッパに もたらされる。
1532∼33 インカ滅亡
1511∼1641 ポルトガル領
ト ルデ シ リ ャ ス 条 約 境 界 線
サ ラ ゴ サ 条 約 に よ る 境 界 線 0° 60° 30° 30° 90° 90° 120° 150° 150° 60° 90° 90° 30° 30° 120° 150° 150° 60° 30° 30° 0° 0° 30° 30° 60° 60° 60° 120° 120° 0° 川
太
平
洋
大
西
洋
ピシシ ミ ッ
カ リ ブ 海
黒 海
チャド湖
イ ン ド 洋
川
ガンジス川
川 ン コ メ
川 川 ナ イ ル ル ニ
ー ェ ジ
ゴンコ
太
平
洋
マゼラン海峡
フランス イギリス
サカテカス銀山 (1546発見)
フロリダ半島 サンサルバドル島 キューバ
ポトシ銀山 (1545発見)
喜望峰 マダガスカル島
チベット カシュガル
女真
シ ベ リ ア
モルッカ諸島 フィリピン諸島
モルッカ諸島 アゾレス諸島
ベニン王国 コンゴ王国 ソンガイ王国 ヴェルデ 岬諸島
オスマン帝国 ロシア帝国
ムガル帝国 サファヴィー朝
明 タタル (韃靼)
朝鮮 日本
大越 ト ゥ ン グ ー 朝
ロンドン
神聖ローマ 帝国
(1494年) (1493年)
(1529年) 教
皇 子 午 線
ペルー副王領 ブラジル ヌエバエスパーニャ
副王領
スペイン ポルトガル
フランス イギリス
ス ウ ェ ー デ ン
アユタヤ朝 フィリピン諸島 ブハラ=
ハン国 ヒヴァ=ハン国
ソコトラ
サントメ フェルナンドポー アルギン島
カナリア諸島 西インド諸島
マデイラ諸島
ブラジルへ
タスマニア島
アスンシオン クスコ
ラパス
ブエノスアイレス サンティアゴ
ペルナンプーゴ サンルイ
バイア リマ キト ボゴタ パナマ カラカス
カルタヘナ サントドミンゴ トルヒーヨ アカプルコ メキシコ
グアテマラ ベラクルス メリダ
ハバナ
ソファラ ザンジバル
モンバサマリンディ モガディシュ トンブクトゥ
アルジェ チュニス トリポリ マドリード セビーリャ リスボン
パリ
ジェノヴァ ヴェネツィア アントウェルペン
ウィーン ワルシャワ アムステルダム
モスクワ
イスタンブル キエフ
カイロ ホルムズ
アデン マッサワ ジッダ メッカ
バスライスファハーン アレッポ
デリー ラサ カーブル
ビシュバリク
ディウ
ゴア
カリカット
コロンボアチェ マラッカ パタニ
ブルネイ マニラ マカオ 西安
州 寧波
福州 安土
広州 平戸 南京 北京
開原 フフホト アストラハン
カザン トボリスク チュメニ
モザンビーク マスカット
コーチン サントメ
モルディブ
バンテン ドゥマク ディリ テルナテ
ティドーレ スールー サンミゲル
ジョホール
ルアンダ サンジョルジェ カシュウ
セウタ
A B B C C D D E E F F G G H H I I J J K K L L 1 1 2 2 3 3 4 4 5 5
ポルトガル領 拠点都市 島 スペイン領 拠点都市 島 イスラーム拠点都市 島 モルッカ諸島へ向かうポルトガルの航路 ポルトガルの奴隷貿易 モルッカ諸島へ向かうムスリム商人のおもな航路 スペインの護送船団の航路 ヨーロッパ沿岸のおもな航路 海禁解除後の中国商人の海上貿易 ポルトガルの砂糖栽培地 オスマン帝国とヨーロッパ勢力の海戦 ドレークのスペイン船襲撃地 オスマン帝国に服する海賊のおもな出没地
アルタン=ハン,チベット仏教 指導者にダライ=ラマの称号を 贈る。モンゴル一帯にチベット 仏教広がる。
トルデシリャス条約1494 ポルトガルとスペインが,ローマ教皇の 仲介でとりきめた,世界の支配権を二分 する条約。
教皇子午線1493 コロンブスのアメリカ大陸発見後, 教皇が提示したスペインとポルト ガルの支配領域の境界線。 しかしポルトガルは不服。
サラゴサ条約1529 スペインとポルトガル の条約。 スペインがモルッカ諸 島をポルトガルに売却。
17世紀にラサに造営さ れた,ダライ=ラマの居宮。 ポタラ宮殿 16世紀ころの世界
16世紀ころの世界
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を見ながら理解させる。17世紀以降、香辛料の価 格が没落し、世界商品の地位をコーヒー、砂糖、 キャラコに譲るとオランダは衰退していくことも 押さえておく必要がある。
この授業で大切なことは、オランダもスペイン もポルトガルもバタビヤ等拠点の都市を支配した が、その地域を面としては支配していなかったこ とである。
沈香を使った授業
まず沈香に火をつけてその香りを生徒に紹介す る。だいたいの生徒はお線香の匂いと反応する。 ときどき生理的に嫌いという生徒がいるが、その ときには沈香を焚くことを中止する必要にせまら れる。
次に沈香の原産地の場所をタペストリー p.119 「海の道とは」で確認する。そして、p.118でこの 場所をめざして後漢が南下していることにも留意 させる。
沈香とは読んで字のごとく水に沈む香木であり、 東アジアの中国文化圏では高級品は伽羅として珍 重されていた。中国が朝貢貿易の主要な品として この沈香を使っていたようであり、中国皇帝の権 力を増強させる働きがあった品であった。ゆえに
そのために後漢はヴェトナムに進出して日南郡を 置いた。ヨーロッパでは香辛料が富と権力の象徴 であったように東アジアでは沈香がその象徴であ った。日本で最も有名な沈香は蘭奢待といい正倉 院に存在する。この蘭奢待は天皇権力を象徴する ものであり、この権力に近づき得た足利義政、織 田信長がこの蘭奢待を切り取りその香りを知った といわれている。そのことが本能寺の変の遠因に もなったともいう。
沈香を求めたのは中国人だけではなかった。日 南郡に166年大秦国王安敦の使いとするギリシア 商人が来航している。ギリシア商人は中国に来航 したのではなく、ヴェトナムに来航したことに 我々は留意する必要があろう。沈香は世界の商人 をヴェトナムに集めたのである。
沈香と同じような商品として蘇木がある。蘇木 は原産地がアユタヤであり、アユタヤから独占的 に蘇木を輸入できた琉球が15世紀以降、明との貿 易で独占的立場に立ちマラッカと並んで「交易の 時代」に繁栄した根拠となった。蘇木も沈香同様、 その重要性を確認しておく必要があろう。
白檀を使った授業
白檀の扇子を生徒に回して、その香りを確認さ せてから授業にはいる。
白檀は沈香、蘇木同様、中国で珍重されたが、 それ以上にインドでの需要が大きかった。ヒンド ゥー教徒は白檀をペースト状にしたものを信仰の 証として額に塗る。さらに白檀の小片は、大麦や ゴマとともに供儀の際に燃やされる。その香りは 邪悪な霊をよせつけず、まわりを浄化すると信じ られてきた。その関係で、インド貿易を考えた場 合、白檀を手に入れることは東南アジア貿易の覇 権を握るといってもいい過ぎではなかった。白檀 の原産地はティモール島であった。
17世紀このティモールを植民地化しようとした ヨーロッパの国がポルトガルとオランダであった。 両国はティモールをめぐって激しく争ったが最後 は、この地を二等分することにした。西ティモー 0°
中 国
ミャンマー
ラオス
タイ ヴェトナム
カンボジア
フィリピン
ブルネイ
イ ン ド ネ シ ア シンガポール
マレーシア
赤文字
東ティモール
沈香
先史時代のおもな遺跡 後漢の範囲 林邑の影響範囲 林邑の中心地域 扶南の影響範囲 扶南の中心地域 おもな交易ルート(1∼10世紀)
香辛料の産地 胡椒こしょう
りんゆう
ふ なん
ナツメグ シナモン クローヴ(丁子) その他の香料・香木の産地
揚 州 荊 荊 州 益
益 州 後 漢
中 国 石 山
李家山 永昌
昆明
番禺(南海) (南越国) 交 州 ドンダウ
交趾
九真 ゴームン
ベイタノウ
フングエン
ミャンマー 台湾
シュリークシェートラ (プローム)
ラオス
バンチェン ノンノクタ スピリット洞穴
タイ
サイヨク バンカオ
タコラ
日南→林邑
オケオ
ヴェトナム
チャキェウ
ニャチャン サーフィン
林邑(チャンパー)
現在の海岸線
カンボジア 扶 南ふ なん
サムロンセン貝塚
ヴィヤーダブラ(バプノム) カラナイ洞窟
フィリピン パラワン島
タボン洞穴群
ブルネイ
ニア洞窟
北マルク諸島 ハルマヘラ島
バチャン島
モルッカ(マルク)諸島 アンボン島
バンダ諸島
ティモール島 スラウェシ島
ジャワ島
イ ン ド ネ シ ア
プラワンガン トリニール ヤヴァドゥウィーパ(耶婆提
) タルマ
スンガイジャオン
シンガポール
スヴァルナブーミマレーシア グアチャ
クタイ
0 500km
白檀 沈香
沈香
赤文字は現在の国名
パレンバン
ペカロンガン
ちょう じ
ドンソン 万家覇 大波那
頓孫
とんそん
長江
南 シ ナ 海
太
平
洋
セレベス海
海 ジ ャ ワ ムシ川
ムシ川
イ
ン ド
洋
ア エ ヤ ワ ディ ダ マ ン 海 川 ン
ー ー
マ ラ ッ
カ 海 峡
メコン川 メコン川 川ン
ンタ
イル 川ン
ンタ
イル
ス ン ダ 海 峡
東ティモール
ピュー
驃
ルソン島
ミンダナオ島
スマトラ島
ニューギニア島 ルソン島
ミンダナオ島
スマトラ島 (ボルネオ)島(ボルネオ)島カリマンタンカリマンタン
ニューギニア島 後漢時代の交州の中心地。
交州刺史がおかれた。
交易の中心地。 ローマ金貨・漢鏡・ 仏像・ヒンドゥー教 神像が出土。
1891年ジャワ原人の 骨が発見された。
ドンソン(東山)文化
17世紀末までナツ メグの唯一の産地 モルッカ諸島
現在インドネシア
( マルク州 )
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ルはオランダが領有し、東ティモールはポルトガ ルが領有した。その後、西ティモールでは他のオ ランダ領東インド同様イスラーム化がすすんだが、 東ティモールではキリスト教化が進んだ。
1945年オランダ領東インドがインドネシアとし て独立すると、西ティモールはインドネシア領と なった。しかし東ティモールは、1974年までポル トガル領であった。1976年インドネシアが東ティ モールを併合すると、これに反発する独立運動が 発生した。東ティモールは2002年独立を達成した。 この混乱のプロセスで日本の自衛隊がPKO活動 を展開している。
白檀の原産地であったということがこの島の運 命を決めた。白檀を手に入れようとしてこの地を 訪れた招かれざる人々が、この地に最大の不幸を もたらしたのである。
東南アジアのモノの持つ意味
東南アジアのモノ、具体的に、胡椒、クローブ ナツメグ、沈香、蘇木、白檀を取り上げたわけで あるが、基本的に現在の我々にとってはどうでも よいものばかりである。現在、沈香、白檀、蘇木 が高級品だとしてもそれは一部好事家のためのも のであり、一般的でない。この価値観で見るなら 東南アジアは世界の重要な地域ではない。 しかし世界史を学習すると東南アジアのモノが 世界商品であった時代が長いことに気づく。それ はインドの綿製品と中国の絹製品と同じである。 その観点で考えるなら、東南アジアをインド、中 国と並んで世界史の中心的な場所に位置づけなけ ればならない。そのときに、我々は「陸中心の歴 史」から「海中心の歴史」に発想を転換しなけれ ばならない。東南アジアの国家は多くが「港市国 家」であり、海で有機的な結合を持った地域であ った。内陸部は大河で結ばれていて基本的に島嶼 部と同じ構図を持っていた。海を他と切り離すも のと見た場合、日本は島国で他と切り離されてき たということになる。しかし、現在ではこの見方 を取るのではなく、鎖国といわれた時代にあって
も日本は海を通じて他国と結ばれていたことが明 らかになってきた。基本的に海で囲まれた東南ア ジアはそのモノの存在とともに、世界と海でつな がっていたわけである。このことは19世紀以降、 欧米の植民地と化して以降、砂糖、コーヒー等の プランテーション作物を作っていったときも基本 構造は同じであった。
おわりに
東南アジアというと何か開発途上国であり、日 本に比べて貧しいというイメージを持ち、そのス タンスで授業をやってしまうおそれがある。一昨 年、タイを訪問したが、バンコクの高速道路を走 っていると自分が東京にいるのか、バンコクにい るのかわからなくなるような情景がそこには広が っていた。タイ米の輸出など現在では、微々たる もので、タイは完全な工業立国がなされている。 シンガポールを先頭にして東南アジアはASEA Nとして発展してきた。しかし、東南アジアは近 代化して豊かになったというより、昔から一定豊 かであったことは押さえる必要があろう。日本か ら「からゆきさん」が戦前行っていたことからも わかるように日本より戦前は豊かであった。また 最貧国といわれるミャンマーを訪問したとき、貧 しいけれど飢えている感じはなかった。そういっ た意味でも、東南アジアは根源的に一定の豊かさ を持ち、しかも世界の商人を歴史的に集めた香料、 香木が東南アジアを一層豊かにした。しかし、そ の豊かさがあったから欧米列強がこの地をねらっ たのだ。