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公開講演 因明研究の現状と課題

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公開講演

因明研究の現状と課題

     

  

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はじめに

  みなさんこんばんは、花園大学の師です。今ご紹介に与りましたように、私は法相唯識、東アジアの唯識思想を学 部生の頃から研究してきました。もともと日本仏教の研究をしたいと思っておりましたが、あれもやりたい、これも や り た い と い う 感 じ で、 卒 業 論 文 の テ ー マ を 決 め あ ぐ ね て い ま し た。 結 局、 私 が 住 ん で い た 猪 苗 代 町 (福 島 県) の 隣 町 (磐 梯 町) に、 最 澄・ 徳 一 論 争 で 有 名 な 徳 一 の 恵 日 寺 と い う お 寺 が あ っ た こ と を 思 い 出 し て、 そ れ を テ ー マ に し ま した。その意味では、かなりいい加減な決め方で、法相唯識の勉強を始めました。   徳一と最澄が平安時代初期に「三一権実論争」と呼ばれる大論争をしたというのは、ご存知の方も多いと思います。 この論争を勉強し始めてから、この二人が書いた文献そのものを読むのに加えて、このような大論争が起きた当時に はどのような歴史的な背景があったのだろうか、ということが気になりまして、奈良時代から平安時代初期に行われ ていた論争、あるいはその前史となる朝鮮半島や中国における論争を辿っていく、という研究を始めました。そして そ の 中 で、 こ の 論 争 が 因 いん 明 みょう (東 ア ジ ア の 仏 教 論 理 学) と も 深 く 関 わ っ て い る こ と が 分 か っ て き ま し た。 そ れ で 因 明 の 勉

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強を始めたというのが、私が因明研究に携わるようになったきっかけとなります。   ですので私は、専門の先生について因明を体系的に学んだという経験がありません。そもそも、私が因明の勉強を 始めた頃から現在に至るまで、因明学を専門に教えてくださる先生は日本にはいなかった、というのが実際です。私 は よ く 冗 談 で、 「私 は 日 本 で 三 本 の 指 に 入 る 研 究 者 だ」 と 言 っ た り し ま す。 な ぜ な ら、 今 の と こ ろ、 三、 四 人 し か 因 明 の 研 究 者 が い な い か ら で す (笑) 。 そ う い っ た 研 究 状 況 と い う こ と も あ り、 色 々 と 不 十 分 な 点 も あ る か と 思 い ま す が、少しお時間をいただければと思います。   伝統あるこの講演会から依頼をいただいて、どのようなテーマにしようかと考えた時に、真っ先に思いついたのは 因明でした。それにはいくつか理由があります。一つは、韓国で最も有名な仏教思想家である 元 ウォ 暁 ニョ (六一七─六八六) が書いた『判比量論』という因明の著作があるのですが、その写本が大谷大学博物館に所蔵されているからです。後 でご紹介したいと思いますが、現在、この『判比量論』に関する国際的な共同研究が進んでいることもあり、大谷大 学の講演会でぜひとも『判比量論』の重要性についてお話させていただきたいと思いました。また、明治時代を代表 す る 因 明 学 者 に 雲 き 英 ら 晃 こう 耀 よう (一 八 三 一 ─ 一 九 一 〇) と い う 方 が い ま す が、 こ の 方 は 真 宗 大 谷 派 の 僧 侶 で す。 ご 存 知 の 方 も おられると思いますが、浄土真宗は特に近世から明治時代にかけて因明研究を盛んに行っておりました。現在私は、 近代・近世の真宗における因明学の調査などもしていますので、因明学にゆかりのある大谷大学で、因明学について お話させていただきたいと思った次第です。

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因明とは

  最 初 に、 因 明 と は ど ん な も の か と い う こ と だ け、 簡 単 に 紹 介 さ せ て い た だ け れ ば と 思 い ま す。 因 明 は hetuvidyā と い う 言 葉 の 翻 訳 語 で す。 hetu は 普 通「原 因」 な ど と 訳 し ま す け れ ど も、 こ こ で は 原 因 と い う よ り「知 識 を 生 み 出 す ( ) 1

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原 因」 、 す な わ ち「理 由」 「論 拠」 な ど と 訳 し た 方 が い い か も し れ ま せ ん。 vidyā が「学 問」 と い っ た 意 味 な の で、 「因明」 ( hetuvidyā ) は「理由 (因) についての学問 (明) 」となります。   現代風に、論理学と言われることが多いのですが、実際には論理学だけではなく、討論術的な要素も含んでいます。 口論をした場合、どうなったら勝ちなのか、どんなことを言ったら負けるのか、といったことを考える分野です。ま た、特にインドの方では盛んに研究されるのですが、因明学の中では知覚や認識、言語についての議論も少なくあり ません。ものを見た時、なぜそれが間違いなくあると分かるのか。あるいは、四本足で歩いて「ワンワン」と吠える 動物がいた場合に、それを「犬」という言葉で識別できるのはどうしてなのか……といった問題について考える研究 です。そういったものが因明の中には含まれています。ですので、論理学という訳し方もあまり厳密ではありません (「仏教論理学・認識論」のような言い方をすることもあります) が、ここでは大雑把に「論理学」とよびたいと思います。   研 究 者 に よ っ て「因 明」 と い う 言 葉 が 示 す 範 囲 が バ ラ バ ラ で、 一 番 広 く と る 人 だ と イ ン ド の 論 理 学 的 伝 統 全 体 を 「因明」と言いますし、地域に関係なく仏教者が発展させた論理学全般を「因明」と言う人もいます。例えば、チベ ット大蔵経では、論理学に関する文献が収録された部分を「因明部」という名前で呼んでいます。また、三蔵法師・ 玄奘の漢訳文献に基づき、東アジア、特に日本で発達した論理学の伝統に限定して「因明」と言う場合もあります。 因明の研究は中国で始まりますが、中国・朝鮮半島ではすぐに廃れてしまいました。しかし、日本では奈良時代から 明治時代前半まで、ずっと研究され、学ばれ続けました。本日のお話の中で「因明」といった場合には、こうした日 本における因明学の伝統のことを中心にしていると思っていただければと思います。

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因明のルール

3-1   三支作法   因明は論理学の一種ですから、いくつかのルールがあります。その一つが「三支作法」です。何かの主張をする場 合には、この三支作法というルールに基づいてすることになっています。 * あの山には火がある。 (主張=宗) * 煙があるから。 (理由=因) * かまどのように。 (実例=喩)   これが三支作法に基づいた主張です。ある人が山を見ていたら、そこから煙が立ち上っているのが見えたとします。 その人は、煙が見えるからには火が燃えているのだろう、と推理します。そして「あの山には火があるに違いない」 という主張するわけです。因明では、主張を最初に言うことになっており、これを「 宗 しゅう 」と言います。   なぜ火があると分かるのかと言えば、煙が見えるからです。すなわち、あの山に煙がある、というのが主張の理由、 論拠です。それを「因」と言います。   三番目の「かまどのように」は、実例を挙げて「なぜ煙が見えたら火があるとわかるのか」を説明しています。こ れを「喩」と言います。この喩は、実際には次のような言い方を省略したものです。 *あの山には火がある。 (主張) *煙があるから。 (理由) *煙があるところには必ず火がある。かまどのように。 (主張と同類の実例) *火がないところには煙はない。湖のように。 (主張と同類ではない実例)

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  「か ま ど の よ う に」 と い う 喩 が 何 を 指 し て い る の か と い う と、 か ま ど で 火 を 焚 い た ら 煙 が 出 た、 焚 き 火 を し た ら 煙 が出た、花火をしたら煙が出た……というこれまでの私たちの経験から見つけ出した「煙があるところには必ず火が あ る」 と い う 法 則 性 で す。 か ま ど は、 そ の 法 則 性 を 代 表 す る も の と し て 挙 げ ら れ て い ま す。 逆 に、 「火 の な い と こ ろ には煙はない。例えば湖のように」というのも、経験から来る法則性です。これらの法則性を、今見えるあの山に適 用した場合に、煙があるのだからきっとその下には火があるに違いない、と推理し、論証するわけです。これが因明 の三支作法です。   余 談 に な り ま す が、 最 近 で は プ レ ゼ ン テ ー シ ョ ン の 授 業 な ど で、 PREP 法 と い う の が 教 え ら れ る こ と が あ り ま す。 最 初 に Point 結 論 を 言 っ て、 次 に Reason 理 由 を 述 べ、 Example 事 例・ 具 体 例 を 挙 げ て、 最 後 に Point 結 論 を 繰 り 返 す、 と い う 流 れ で プ レ ゼ ン テ ー シ ョ ン を し ま し ょ う、 こ の 順 序 で PowerPoint の ス ラ イ ド を 作 り ま し ょ う、 と い う の が PREP 法 で す。 最 後 が ち ょ っ と 違 い ま す が、 因 明 の 三 支 作 法 と 似 て い ま す ね。 つ ま り、 三 支 作 法 は 別 に 特 殊 で は なくて、何かを主張したい時、説得したい時に、人間がよく使うパターンの一つだということだと思います。 3-2   因の三相   さて、皆さんの中には、私の話を聞きながら「火がなくても煙は出るだろう」と思ってらっしゃる方もおられると 思います。現代の例ですが、発煙筒など、火がなくても煙が出るものがあります。実は、先ほどサンプルとして挙げ た「あの山には火がある。煙があるから……」という論証は、誤りのある論証の例として因明文献に出てくるもので す。 因 明 文 献 の 中 で は、 火 が な く て も 煙 が 出 る こ と が あ る 場 合 を 述 べ て、 「あ の 山 に は 火 が あ る」 と い う 主 張 が 成 り 立たなくなることが説明されています。   では、このようなことにならないように、妥当な論証を成立させるためにはどうしたらよいでしょうか。因明では、

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妥 当 な 論 証 の た め に は、 理 由 (因) が 三 つ の 条 件 を 備 え て い な け れ ば な ら な い、 と 説 か れ ま す。 こ れ を「因 の 三 相」 といいます。この三条件を満たすことによって、この因明の三支作法で示されている主張が論理的に妥当であること が成立する、というのです。   まず、一番目の条件ですが、 「あの山」に「煙」がなければ、そもそも話にならないですよね。 「あの山」には間違 い な く「煙 が あ る」 と い う こ と、 こ れ を 因 明 の 言 葉 で は「 遍 へん 是 ぜ 宗 しゅう 法 ぼっ 性 しょう 」 と 言 い ま す。 別 の 言 葉 で 言 え ば、 「煙 が あ る」 と い う 理 由 (因) は、 必 ず「あ の 山」 の 属 性 (法) に な っ て い な け れ ば な ら な い、 と い う の が、 論 証 が 成 立 す る ための第一の条件です。   ちなみに、因明は難しい、といって敬遠されることが多いのですが、その理由の一つに「遍是宗法性」などといっ た 言 葉 の 難 し さ、 な じ み の な さ が あ る と 思 っ て い ま す。 「宗」 も「法」 も、 通 常 の 仏 教 用 語 と し て 色 々 な 意 味 が あ り ま す よ ね。 た と え ば、 仏 教 用 語 と し て の「法」 ( dharma ) と い う 言 葉 に は い ろ い ろ な 意 味 が あ り ま す が、 「法」 と は ど ういう意味かと聞かれたら、仏教の知識がある人であれば「存在」 「法則」 「教え」などと答えるのではないかと思い ま す。 で も、 因 明 の 文 脈 で「法」 と い っ た 場 合 に は、 そ の よ う な 意 味 で は な く、 「あ の 山」 に は「煙 が あ る」 と い う 属 性 が あ る、 と 言 っ た 場 合 の 属 性 に 当 た る の が「法」 に な り ま す。 逆 に「あ の 山」 は、 属 性 (法) を 有 し て い る の で 「有 法」 と 言 わ れ ま す。 つ ま り、 「あ の 山 に は 煙 が あ る」 と い う 文 が あ っ た 場 合 に、 「有 法」 は 主 語、 「法」 は 述 語 に 相当します。因明用語における主語・述語は、有法・法のほかに、所別・能別や自性・差別といったものもあり、一 般的な仏教用語を知っている人であれば混乱するような使い方をします。このあたりが、因明を少しとっつきにくく しているのではないかと思っております。   因 の 三 相 に 話 を 戻 し ま し ょ う。 二 番 目 の 条 件 は「 同 どう 品 ぼん 定 じょう 有 う 性 しょう 」 と い う も の で す。 今、 こ こ で 論 証 し よ う と 思 っ て いる火があるかないかという視点で見た場合、この世界にあるものは「火があるもの」と「火がないもの」の二つの

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グループに分けることができます。因明では「火があるもの」のグループを「同品」 、「火がないもの」のグループを 異品と言います。論証が成立するためには、理由にある「煙がある」という属性が、図 1のように「火があるもの」 グ ル ー プ に 属 し て い る 必 要 が あ り ま す。 こ れ が 第 二 の 条 件 で す。 第 一 の 条 件 で、 「あ の 山」 に は「煙 が あ る」 こ と が 確定していますので、この第二の条件によって「あの山」も「火があるもの」グループに属することが期待できます。   で も、 も し か す る と、 「あ の 山」 が 世 界 で 初 め て 知 ら れ る「煙 が あ る け ど 火 が な い も の」 で あ る か も し れ ま せ ん (図 2) そ こ で、 第 三 番 目 の 条 件 と し て、 「煙 が あ る」 と い う 理 由 が、 「火 が な い も の」 グ ル ー プ (異 品) か ら 排 除 さ れている、という「 異 い 品 ほん 遍 へん 無 む 性 しょう 」という条件が定められています。それによって、図 1のように「煙があるもの」が 「火があるもの」のみに属することが期待でき、 「煙がある」 「あの山」に「火がある」ことが論証できるだろう、と いうのです。これが「因の三相」です。   論理学に詳しい方であれば、三段論法によく似ていると 思われた方もおられると思います。上の三支作法を、三段 論法風に言い直せば次のようになります。 *煙があるところには必ず火がある。 (大前提) *あの山には煙がある。 (小前提) *だからあの山には火がある。 (結論)   三段論法の大前提は三支作法の喩に、小前提は因に、結 論は宗に当たります。ただ、表面上似ているとは言え、三 段論法と三支作法では論証の考え方が異なります。大きな 違 い は、 因 明 の 場 合、 「煙 が あ る と こ ろ に は 必 ず 火 が あ 火がないもの 火があるもの 煙があるもの 図 1 火がないもの 火があるもの 煙があるもの 図 2

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る」 と い う、 過 去 の 経 験 に 基 づ く 法 則 の な か に「あ の 山」 は 含 ま れ ま せ ん (な ぜ な ら、 ま だ 誰 も 確 か め て い な い か ら で す) 。 三 段 論 法 の 場 合 は そ う で は あ り ま せ ん。 「煙 が あ る と こ ろ に は 必 ず 火 が あ る」 と い う 大 前 提 は、 「あ の 山」 も 含 ん だ 普 遍 的 な 法 則 で あ る こ と が 求 め ら れ ま す。 先 ほ ど も 言 い ま し た よ う に、 因 明 の 場 合 は、 「あ の 山」 が も し か す る と最初の例外になるかもしれないという前提で論証を進めようとするところが、三段論法と大きく違うところです。   ですから、龍谷大学の桂紹隆先生は、このような性質を持つ仏教論理学を「帰納法の一種」であると言われていま す。今まで見てきたカラスはすべて黒かった。ということは、次に見るカラスもきっと黒いだろう。このような考え 方 で 論 証 を 行 う の が、 因 明 の 方 法 だ と 考 え ら れ て い ま す。 た だ、 『東 洋 の 合 理 思 想』 (法 蔵 館) と い う 本 を 書 か れ た 西 洋哲学者の末木剛博先生は、因明がアリストテレスの三段論法と同じだ、とおっしゃっています。この本は中国の研 究者にも影響が大きく、中国には因明を三段論法と同じ演繹論理だと言う人は多いです。 3-3   三十三過   以上がたいへん大雑把な因明の論証方法の説明になりますが、東アジアにおいては、このような論証などの確実性 に関する議論よりも、過失、つまり推論や論証の「失敗例」の研究の方が膨大に積み重ねられてきました。どのよう な 場 合 に 論 証 が 失 敗 す る の か、 何 を す る と (し な い と) 確 実 な 論 証 に な ら な い の か、 と い う こ と が、 関 心 の 中 心 に な ったのです。   後 に 述 べ ま す よ う に、 東 ア ジ ア の 因 明 は 主 に『 因 いん 明 みょう 入 にっ 正 しょう 理 り 論 ろん 』 と い う 玄 奘 が 翻 訳 し た 文 献 に 基 づ い て い ま す。 『因明入正理論』では全部で三十三個の過失を挙げますので、過失全体のことを「三十三過」という言い方をします。 特に日本の因明文献には、過失に関してあれこれ考察している文献が数多くあり、そのなかには「三十三過」という 言葉を題名に含むものも多くあります。私は、インドの論理学についてはそれほど詳しく勉強していないのですけれ

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ども、このあたりは因明がインドの伝統と少し異なる部分かもしれません。 主張(宗)の過失   三 十 三 過 の う ち、 主 張 (宗) に 関 す る 過 失 は 九 つ あ り ま す。 例 え ば「あ ら ゆ る 言 明 は す べ て 虚 妄 で あ る」 「私 が 言 っ て い る こ と は 嘘 で す」 ── い わ ゆ る 嘘 つ き の パ ラ ド ッ ク ス で す ね ──「私 の 母 は 石 うま 女 ずめ (出 産 で き な い 女 性) で あ る」 などといった主張は、自己撞着、自己矛盾になり、そもそも主張として成立しません。これは「自語相違」という過 失になります。自分の言葉がそもそも矛盾 (相違) している、といった意味になるでしょうか。   その他、たとえば「人間は神の被造物である」という主張を現代の日本社会でしたとします。この主張は、キリス ト教徒やイスラム教徒などを除くと、世俗化された日本社会で暮らす多くの人々の常識に反する主張です。このよう な 主 張 は、 因 明 で は「世 間 相 違」 と い う 過 失 に な り ま す。 「世 間」 と は、 あ る コ ミ ュ ニ テ ィ の こ と で す。 因 明 を 使 っ て討論をしている当事者が属しているコミュニティで共有されている常識、前提知識と矛盾することを主張すると、 過失となってしまいます。この過失を避けるためには「 キリスト教においては 、人間は神の被造物である」というよ うに限定句をつけて主張する必要があります。   これに関連して、 「 能 のう 別 べつ 不 ふ 極 ごく 成 じょう 」という過失も紹介しておきたいと思います。先ほども少し述べたとおり、 「能別」 とは主語・述語のうちの述語の方です。先ほどの主張では「神の被造物である」が「能別」 、「人間は」が「所別」で す。 因 明 で は、 何 か を 主 張 す る 人 ( 立 りっ 者 しゃ ) と、 そ の 主 張 を 受 け 取 る 対 論 者 ( 敵 じゃく 者 しゃ ) が い ま す。 立 者 は、 敵 者 に 自 分 の 主張を納得してもらうために三支作法を用いて論証を行うわけです。因明のルールでは、立者と敵者が共に認めてい る 用 語 や 概 念 を 使 わ な け れ ば な り ま せ ん。 例 え ば、 無 神 論 者 の 敵 者 に 対 し て、 「人 間 は 神 の 被 造 物 で あ る」 と 主 張 し たとしても、そもそも神の存在を認めていない無神論者を説得することはできないからです。立者と敵者の双方が承

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認 し て い る こ と を「 極 ごく 成 じょう 」 や「 共 ぐう 許 こ 極 ごく 成 じょう 」 な ど と 言 い ま す。 「極 成」 と い う 文 字 面 は、 な ん だ か 大 げ さ な 感 じ が し ま す が、 意 味 と し て は こ の よ う な 意 味 で す。 「神 の 被 造 物 で あ る」 と い う 主 張 (宗) の 述 語 (能 別) が、 立 者・ 敵 者 の あ い だ で 承 認 さ れ て い な い 概 念 を 含 ん で い る 場 合 (こ の 場 合 は、 無 神 論 者 に と っ て の「神」 ) 、 能 別 不 極 成 と い う 過 失 に な り ます。   因明では、議論をしている当事者のあいだで、前提知識が共有されていることが非常に重要な要件になります。極 端な話をすれば、例えば私が外国語で何らかの主張をして、皆さんが私の言葉を理解できなかったら、それで不極成 です。お互いが知っている知識を用いて、主張をし、論証をするというのが、因明における重要なポイントです。別 の言葉で言えば、前提知識が変われば主張の真偽が変わるということです。例えば、キリスト教徒とイスラム教徒が 議論をしている場合、 「全知全能の神は、この世界を創造した」という主張は成立します。しかし、 「全知全能の神」 の存在を承認していない仏教徒が議論に参加した場合、この主張は過失となります。つまり因明は、前提知識や常識 によって何が正しい主張であるかが変わる、相対的な真理観に基づいています。真理が複数あり得る、という点は、 大乗仏教の二諦説 (二真理説) にも関連します。実際、因明文献では、二諦説を使った議論がしばしば出てきます。   ということで、この極成というのが論証を成り立たせるために必要な条件となるわけですが、極成していても過失 に な る 場 合 が あ り ま す。 例 え ば 仏 教 徒 に 対 し て「諸 行 無 常 だ (あ ら ゆ る 現 象 は 非 恒 常 的 で あ る) 」 と 私 が 主 張 し た 場 合、 こ れ は 過 失 に な っ て し ま い ま す。 「諸 行 無 常」 は 仏 教 徒 に と っ て 真 理 で す。 仏 教 徒 が 真 理 と 考 え て い る こ と を、 私 が わざわざ主張したとしても議論にならないですよね。先ほども言いましたように、立者は敵者に自分の主張を納得し てもらうために三支作法を用いて主張を提示するわけですが、すでに相手が納得していることを言っても、改めて相 手を納得させることはできません。これも因明の一つの特徴ですが、相手の考えを変える効果のないことを主張する ことは過失になります。これが「相符極成」です。お互いが承認している、ということです。

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  西 洋 の 論 理 学 で は、 A = A (A は A で あ る) の よ う な、 ま っ た く 当 た り 前 の 主 張 (ト ー ト ロ ジ ー) も ま た 正 し い 主 張 ということになりますが、因明ではそうではありません。これは因明がもともと討論術から始まっていることに由来 するのだろうと思います。討論とは、異なる知識や信念を持った二人が、双方が共有している知識を使って自分の主 張を伝え、相手の間違えた知識を修正したり、相手が知らなかったことを知らしめようとする活動のことです。その ような場でお互いが認めていることを言っても、討論になりません。   因明を学んでいた学僧たちは、このような討論を釈尊がしていたと考えていました。釈尊が仏教を開いた時に、仏 教外のバラモンなど、当時いたいろいろな考えを持つ人たちを説得して、仏教徒に変えましたよね。釈尊の時代には、 これまで見てきたような因明はありませんから、釈尊は普通の言葉を使って相手を説得していたわけですが、因明学 者 た ち は「釈 尊 は 因 明 を 使 っ て 相 手 を 説 得 し た」 「因 明 の 祖 は 釈 尊 で あ る」 と 考 え た の で す。 言 葉 を 変 え れ ば、 因 明 学者にとって、因明はある種の利他行だったのです。誤った考えを持つ人々を仏教という正しい教えに改宗させる利 他行のための手段として、因明を捉えていたのです。昔から因明は仏教なのか、仏教ではないのか、という議論があ りましたが、少なくとも因明を研究していた学僧たちの一部は、そのような文脈で因明を捉えていたので、因明は仏 教だと考えていました。 理由(因)の過失   次 に、 理 由 (因) の 過 失 で す が、 こ れ は 全 部 で 十 四 あ り ま す。 一 番 ボ リ ュ ー ム が あ っ て、 一 番 研 究 が 多 い の が こ の 理由の過失です。先ほど例をあげました「火がないところでも煙は生じるじゃないか。発煙筒を焚いてみろ、火がな く て も 煙 が で る じ ゃ な い か」 と い う 批 判 は、 「異 品 一 分 転 同 品 遍 転」 と い う 理 由 の 過 失 を 指 摘 し て い る こ と に な り ま す。 こ れ は 別 の 言 葉 で 言 え ば、 先 ほ ど 説 明 し た「因 の 三 相」 、 す な わ ち 妥 当 な 論 証 の た め に 理 由 が 満 た す べ き 三 条 件

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から「動物だから」という理由をサポートする実例として、桜を挙げても論証の助けにはなりません。正しい論証に したかったら、たとえば「人は必ず死ぬ。動物だから。猫のように」のようにしなければならないのです。このよう な過失は、 「 能 のう 立 りゅう 不 ふ 成 じょう 」と呼ばれています。

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インド(仏教)論理学・東アジアの仏教論理学

  以上が因明の概要ですが、次にこういったものがどのような経緯で形成され、発展してきたのか、歴史的なことに ついてお話したいと思います。   因明はもともと、インドで始まった論理学・討論術から派生したものです。仏教外のニヤーヤ学派と呼ばれる人々 を満たしていなければ、理由の過失となります。発煙筒の例を図示すれば、図 3のよう に な り ま す。 「煙 が あ る も の」 の グ ル ー プ の な か に は、 火 が あ る も の も な い も の も 含 ま れ る の で、 「あ の 山」 が ど ち ら の グ ル ー プ に 入 る の か わ か ら な く な っ て し ま い、 論 証 が 成立せず、過失となるのです。   このほかにもいろいろありますが、詳しい説明は省きますが、特に日本の因明学では 「四相違」と呼ばれる四種類の過失が盛んに研究されました。 実例(喩)の過失   最 後 に、 実 例 (喩) の 過 失 で す が、 こ れ は 十 個 あ る と 言 わ れ て い ま す。 例 え ば「人 は 必ず死ぬ。動物だから。桜が散るように」という論証式があったとします。桜が散るの を見て人生の無常を感じる方は多いと思うのですが、桜は動物ではないですよね。です 火がないもの 火があるもの 煙があるもの 図 3

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が 論 理 学 的 な 伝 統 を 作 り、 そ れ に 対 し て ナ ー ガ ー ル ジ ュ ナ (龍 樹) が 批 判 的 に 関 わ っ た り し な が ら 仏 教 の 中 に も 取 り 入 れ ら れ、 そ の 延 長 線 上 に 因 明 が あ り ま す。 イ ン ド の 論 理 学 は、 仏 教 の 唯 識 派 に 属 す る デ ィ グ ナ ー ガ (陳 那) と い う 人 が 大 き く 発 展 さ せ る の で す が、 東 ア ジ ア の 仏 教 論 理 学 (因 明) は、 こ の デ ィ グ ナ ー ガ が 作 り あ げ た 論 理 学 が ベ ー ス に な っ て い ま す。 イ ン ド に お け る 論 理 学 の 発 展 に つ い て は、 桂 紹 隆 先 生 の『イ ン ド 人 の 論 理 学 ─ 問 答 法 か ら 帰 納 法 へ』を読んでいただければと思います。 4-1   玄奘以前   ディグナーガの論理学が東アジアに本格的に導入されるのは、後で見るように玄奘三蔵の漢訳によりますが、それ 以前にもインド論理学が五月雨式に東アジアに入っており、そのなかで論理学的な検討が行われていました。   例 え ば、 龍 樹 作 と 言 わ れ て い る『方 便 心 論』 、 世 親 作 と 言 わ れ て い る『如 実 論』 な ど が 翻 訳 さ れ ま し た。 こ の『方 便心論』と『如実論』は、東アジア仏教の研究者よりもインド論理学の研究者によって研究されておりまして、イン ド論理学史のなかのテキストとして位置づけられています。   玄奘以前の東アジアにおける研究としては、地論宗の浄影寺慧遠の『大乗義章』という百科事典的なテキストの中 に、 「三 量 智 義」 と い う 章 が あ る の が 知 ら れ て い ま す。 「量」 と は pramā n ・a と い う サ ン ス ク リ ッ ト 語 の 訳 語 で す。 知 識 や 認 識 の 根 拠 と い っ た 意 味 で、 因 明 と い う 語 と 近 い 言 葉 で す。 こ の 文 献 は、 「三 量」 す な わ ち 三 つ の 知 識 の 根 拠 な どについて議論をしておりますが、浄影寺慧遠の解釈は、知覚や推論などの様々な知識の獲得方法を修道論と結びつ けております。 ( ) 2 ( ) 3 ( ) 4

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4-2   玄奘訳   皆さんご存知のように、玄奘は『瑜伽師地論』を学びにインドに行きましたが、この『瑜伽師地論』の中にも論理 学・討論術に関して書かれている部分があります。これは東アジアの因明学のもととなるディグナーガの論理学より 古いものですので、東アジアではあまり話題になりませんでした。また、玄奘はインド旅行中に複数の先生から因明 を学んでいたという記録がありますが、どのようなことを学んでいたかはわかりません。ただ、玄奘がインドで作っ たとされる、因明の三支作法を使った論証式がいくつか伝わっていま す。   東 ア ジ ア で 因 明 が 論 理 学 と し て 本 格 的 に 発 達 す る の は、 仏 教 論 理 学 を 大 成 し た デ ィ グ ナ ー ガ (陳 那) の『因 明 正 理 門 論』 、 そ し て『因 明 正 理 門 論』 の 入 門 書 と し て 書 か れ た と 言 わ れ る シ ャ ン カ ラ ス ヴ ァ ー ミ ン (商 羯 羅 主 / 天 主) の 『因 明 入 正 理 論』 、 そ れ か ら デ ィ グ ナ ー ガ の 論 理 学 を 改 変 し て 空 の 論 証 を 行 お う と し た バ ー ヴ ィ ヴ ェ ー カ (清 弁) の 『大乗掌珍論』などが玄奘によって翻訳されたことによります。   ディグナーガ、シャンカラスヴァーミン、ヴァーヴィヴェーカは、玄奘より一世代以上前の人たちです。実は玄奘 がちょうどインドにいた時期に、ダルマキールティというディグナーガの論理学を発展させた、仏教論理学の世界で は大変有名な学僧がいたはずなのですが、玄奘はダルマキールティの著作をまったく翻訳していません。玄奘以降も、 ダルマキールティの著作はほとんど漢訳されず、彼の論理学は近代まで伝わりませんでした。つまり玄奘は、一世代 前のインド論理学を (恐らく意図的 に) 東アジアに導入したということになります。さらに言えば、ディグナーガには 『プラマーナ・サムッチャヤ』 (集量論) と呼ばれる『因明正理門論』よりも発展した内容を持つ著作があるのですが、 この文献も漢訳されませんでした。 「集量論」という書名は伝わっており、 『成唯識論』の注釈などで少し引用された りしてもいますが、結局翻訳されませんでした。 ( ) 5 ( ) 6

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4-3   東アジアにおける研究   ともあれ、 『因明正理門論』 『因明入正理論』がベースになって、本格的に論理学的な伝統が東アジアにおいて始ま るということになります。とは言え、ディグナーガの『因明正理門論』の注釈はほとんど作られておらず、シャンカ ラスヴァーミンの『因明入正理論』の注釈ばかりが作られます。初期には、玄奘の弟子を自称した二人の因明学者、 文軌と基が書いた『因明入正理論疏』が大きな役割を果たしました。   文軌については、おそらくほとんど聞いたことがないのではないかと思います。二〇世紀に入って文献が整備され、 武邑尚邦先生の『因明学 起源と変 遷』や沈剣英先生の『敦煌因明文献研 究』などによって大きく研究が進みまし た。 基 は、 法 相 宗 の 祖 と し て 有 名 な 方 で す。 一 方 の 基 の『因 明 入 正 理 論』 は、 『因 明 大 疏』 な ど と も 呼 ば れ、 因 明 の 世 界 では大変重視されてきたものです。   同時代の文献としては、元暁『判比量 論』も大きな影響があったことが近年明らかになっています。大谷大学博物 館 に は、 『判 比 量 論』 の 写 本 の 一 部 が 残 さ れ て お り、 大 変 貴 重 な 資 料 で す。 文 軌 の『因 明 入 正 理 論 疏』 と『判 比 量 論』との間に相互影響関係があったことが指摘されています。また、奈良時代の善珠をはじめ、日本の因明学者もこ の『判比量論』を非常に研究しております。もともとは大谷大学博物館に所蔵される写本しか知られていませんでし たが、二〇一六年に国文学研究資料館の落合博志先生が、大谷大学本と同じ写本の別の部分を発見し、さらにそれ以 降、 岡 本 一 平 氏 や 東 国 大 学 校 (韓 国) の 研 究 グ ル ー プ な ど が 勢 力 的 に 調 査 し た 結 果、 さ ら に 複 数 の 断 片 が 見 つ か り ま した。ひとつの断片につき数行しかない小さな断片なのですが、それらがいくつも発見されたことから、徐々に復元 が進んでいます。 ( ) 7 ( ) 8 ( ) 9 ( ) 10

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4-4   日本における研究   これらの文献以外にもたくさんの因明文献が中国や朝鮮半島で作られましたが、残念ながらすぐに研究されなくな ってしまいました。一方、それらが伝わった日本では、明治時代まで営々と因明学が継承されていきました。   先ほど言いましたように、東アジアの因明学は基の『因明大疏』が中心になりますので、日本に伝わった因明もや はり法相宗中心に研究が進みました。奈良時代、八世紀後半の 善 ぜん 珠 じゅ (七二三─七九七) が『因明論疏明灯抄』という注 釈を書いています。これは基の『因明大疏』に対する注釈書として現在でも盛んに利用されているものです。しかし、 残念ながら、善珠に関してはまったくといっていいほど研究が進んでおりません。後の時代には、平安時代末の学僧、 蔵俊 (一一〇四─一一八〇) が『因明大疏抄』という重要な書物を著しておりますが、この方も法相宗です。   しかし、日本の因明学は法相宗だけで行われていたわけではありません。日本仏教を考える上で重要な「論義」と 呼ばれる伝統があります。仏教の教義についての問答ですが、日本ではこれが法会に取り入れられました。それが 論 ろん 義 ぎ 会 え です。そして、論義のなかでは因明が重視され、因明がテーマの論義会も行われまし た。例えば『扶桑略記』の 一 〇 七 〇 年 の 記 事 に は、 「円 宗 寺 に〔天 皇 が〕 行 幸 し、 始 め て 二 会 八 講 を 修 す。 天 台 已 講、 講 師 阿 闍 梨 頼 増 三 井 寺 を 置かれ、一問は法印大僧都興福寺なり、因明論義あり」とあります。天台の僧侶である阿闍梨頼増と、興福寺の法印 大僧都が、天皇の臨席のもと、因明の問答をした、という記事です。当時様々な法会がありましたが、もっとも格式 の高かった法会の一つ、興福寺の維摩会では、内明と因明がセットになっていました。内明とは仏教の教義学のこと ですが、これに関する問答と、因明に関する問答が必ずセットになっていたわけです。昔は、こうした論義会を担当 しなければ僧侶として昇進することができないということになっていましたので、因明の勉強をすることがきわめて 重要になってくるわけです。   現在でも、興福寺、薬師寺では、十一月に慈恩大師基の法会である 慈 じ 恩 おん 会 ね が行われまして、その中で法相唯識に関 ( ) 11

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する論義が行われていますが、因明の論義は行われておりません。因明の論義会を今も続けているのは、私の知って い る 範 囲 で は、 東 大 寺 の 方 ほ 広 ご 会 え だ け で す。 東 大 寺 は 華 厳 宗 で す か ら、 『華 厳 経』 ── 正 式 に は『大 方 広 0 0 仏 華 厳 経』 と 言うので方広会と言います──に関する論義があり、それに加えて因明に関する論義をやるという形になっています。 ただし、現在行われている論義会には台本がありますので、ディスカッションはしていません。   こ の ほ か の 宗 で も、 因 明 は 研 究 さ れ て い ま す。 三 論 宗 で は 沙 門 宗 (九 世 紀) の『因 明 正 理 門 論 注』 や 珍 海 (一 〇 九 一 ─ 一 一 五 二) の『因 明 大 疏 四 種 相 違 抄』 な ど が あ り ま す。 天 台 宗 で は、 か の 有 名 な 恵 心 僧 都 源 信 (九 四 二 ─ 一 〇 一 七) が『因明論疏四種相違略註釋』を書いています。近世以降になると、江戸幕府による学問奨励を受け、真言宗や浄土 真宗、華厳宗や天台宗の僧侶が因明を盛んに研究するようになります。この時代を代表する著作としては、華厳宗・ 鳳 ほう 潭 たん (一 六 五 四 ─ 一 七 三 八) の『因 明 入 正 理 論 疏 瑞 源 記』 が あ げ ら れ ま す。 こ れ は 先 ほ ど 紹 介 し た 善 珠『因 明 論 疏 明 灯 抄』 と 並 ぶ『因 明 大 疏』 の 注 釈 書 と し て、 現 代 で も 広 く 読 ま れ て い る も の で す。 そ れ か ら 天 台 宗 の 癡 空 (一 七 八 〇 ─ 一 八 六 二) が『因 明 犬 けん 三 支』 と い う 著 作 を 書 い て い ま す。 こ の 作 品 は、 日 本 因 明 史 の な か で 初 め て 漢 文 で は な く 和 文 で書かれた著作として知られ、そのため中村元先生が高く評価したことでも知られています。 4-5   仏教外への広がり   このように、因明は日本仏教のなかで長年にわたり研究が重ねられてきたわけですが、さらに言えば、仏教の外に も因明は広まっていました。玄奘が因明を持ち帰ってきた直後にも、当時の唐の役人である呂才が因明について玄奘 を批判し、それに対して玄奘の弟子たちが反論をするという論争が唐の時代に行われています。   日 本 で は、 様 々 な 問 答 が 法 会 の 場 で 披 露 さ れ ま す の で、 貴 族 が そ れ を 聞 き に 行 き ま す。 当 時、 法 会 は 一 種 の エ ン ターテイメントでもありましたので、参列した貴族が因明の問答を聞いていたのです。もちろん、専門家ではない貴

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族 に 因 明 の 細 か い 話 は 分 か ら な か っ た で し ょ う が、 「あ の 山 に は 火 が あ る」 と い っ た 例 文 は 知 っ て い た と 思 わ れ ま す。 『古今和歌集』に「煙たち   もゆとも見えぬ   草の葉を   誰かわらびと   名づけそめけむ」という和歌があります。 煙 が 立 ち 上 っ て い る が (「煙 た ち」 ) 燃 え て / 萌 え て い る よ う に は 見 え な い こ の 草 の 葉 を (「も ゆ と も 見 え ぬ   草 の 葉 を」 ) 、 誰 が わ ら び (藁 火 / 蕨) と 名 付 け た の だ ろ う か (「誰 か わ ら び と   名 づ け そ め け む」 ) と い う 内 容 で す が、 あ ま り 技 巧 的 で はないことからつまらぬ作品とされてきたそうです。ところが──駒澤大学の石井公成先生が指摘されたことです が ──この和歌は因明でよく使われる「あの山には火がある。煙があるから……」という例文を下敷きにしていること が わ か っ た の で す。 先 ほ ど 言 い ま し た よ う に、 「あ の 山 に は 火 が あ る。 煙 が あ る か ら ……」 は、 火 が な く て も 煙 を 出 す も の が あ る こ と か ら、 誤 っ た 論 証 式 の 例 と し て 知 ら れ て い ま す。 「誰 か わ ら び と   名 づ け そ め け む」 と い う の は、 不 完 全 燃 焼 の 藁 と、 植 物 の 蕨 と を か け て い る の だ と 思 わ れ ま す (普 通 の 藁 で し た ら い き お い よ く 燃 え ま す の で、 「も ゆ と も 見 え ぬ」 「わ ら び(藁 火) 」 と し て は お か し く な っ て し ま い ま す) 。 と も あ れ、 こ の 作 品 の 背 景 に 因 明 の 知 識 が あ る こ と は、 今までどの国文学者も指摘してこなかったそうです。勅選和歌集を代表する『古今和歌集』にこの歌が載っていると いうことは、当時の人はこれを耳にしただけで「あっ、因明のあれだな」と分かったのだと思います。作者の真静法 師も、当時の貴族に因明の教養があることを知っていてこの和歌を詠んだのでしょう。もしかすると、文学作品をは じめとする日本の文化には、こういった形で因明がひそんでいるのかもしれません。   ま た、 左 大 臣 で あ る と と も に「日 本 一 の 大 学 生」 と し て も 知 ら れ て い た 藤 原 頼 長 (一 一 二 〇 ─ 一 一 五 六 ) と い う 人 が い ま す。 彼 は、 先 ほ ど ご 紹 介 し た 蔵 俊 に 因 明 を 学 ん で お り、 因 明 に 関 す る 著 作 を 残 し て い ま す。 左 大 臣 (左 府) が 書 いた因明に関する著作、ということで、その名を『左府抄』と言います。頼長も法会などを通じて因明に触れていた のではないかと思います。   現在、仏教のなかで因明学はマイナーな印象があるのですけれども、少なくとも平安時代から中世にかけての日本 ( ) 12 ( ) 13

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では、大法会に参加するような僧侶や、それを見ている貴族たちにとってみればメジャーなものであり、和歌に取り 入れるまでのものだったのです。

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どのようなことを議論していたのか

  これまでいくつか因明の著作を紹介してきましたが、これらの著作のなかでは、一体どんなことが議論されていた のでしょうか。これは大きく分けて二種類あります。   一つは、因明そのものに関する議論です。因明文献に対する注釈的な研究と言ってもいいかもしれません。ある因 明文献の一文について、注釈書Aと注釈書Bのあいだで解釈の違いがあるのだけれども、これはどのように解決をし たらいいか……といった議論です。   も う 一 つ は、 因 明 を 用 い て 様 々 な 教 理、 思 想 を 論 証 す る 研 究 で す。 イ ン ド で は「一 切 智 者 論 証」 「刹 那 滅 論 証」 な ど の 有 名 な 論 証 が あ り ま す。 東 ア ジ ア で は「唯 識 性 の 論 証」 (唯 識 比 量) や「大 乗 経 典 仏 説 論 証」 (勝 軍 比 量) な ど が 有 名 で す。 「勝 軍」 と は、 ジ ャ ヤ セ ー ナ と い う イ ン ド の 学 者 で、 玄 奘 三 蔵 が イ ン ド 留 学 時 代 に 習 っ て い た 師 匠 の 一 人 で す。 ま た、 慈 恩 大 師 基 の『成 唯 識 論 掌 中 枢 要』 で は、 五 姓 各 別 説 (生 き と し 生 け る も の の 仏 教 的 な 素 質 に は、 先 天 的 に 五 種 類 あ り、 そ の な か に は ブ ッ ダ に な れ な い 者 も い る、 と い う 思 想) を 証 明 す る た め に、 「定 性 二 乗 の 証 明」 ── 阿 羅 漢 果 し か得られない人々が一定数いることの存在証明──や「無性有情の証明」──仏教的な素質がまったくない生き物の 存在証明──を行っていますが、これに対して最澄が『通六九証破比量文』という文献で因明を用いて反論していま す。興味深いことに、最澄は別の著作で「因明は法性を表すことはできな い」と言って批判しています。因明を批判 する一方で、一切衆生悉有仏性を否定するような論証については、因明を使って反論するということもしているので す。 ( ) 14 ( ) 15 ( ) 16

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  先ほどご紹介した『判比量論』の中にも、いろいろな論証があります。唯識比量についての議論もありますが、浄 土が存在することの論証という章もあります。残念ながら、断片的な資料しか残っていませんので、元暁がどのよう な論証をしようとしていたのかわかりません。極楽浄土が確かに存在するということを論理的に論証しようというも のです。もちろん、浄土の存在については経典に「ある」と書いてあるわけですから、それだけで確証になるわけで すが、それに加えて論理的にも論証しようとしたわけです。   因明は論証のためのルールでしかありませんので、それ自体に何らかの思想があるわけではありません。しかし、 因 明 が 複 数 真 理 説 (二 諦 説 な ど) を 採 用 し て い る と い っ た こ と を 考 え れ ば、 因 明 の 背 景 に は あ る 種 の 思 想 が あ る と も 言えます。因明の研究は、論理学として独立して行うこともできますが、仏教思想史と切り離すことができない面も あります。

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因明研究の現状

6-1   明治前   因明研究はこのような形で前近代まで行われてきましたが、近代以降はどのように研究されてきたのでしょうか。 明治時代になると、ご存知の通り西洋文化がどっと入ってきます。そのなかに西洋の論理学もありました。三段論法 だけでなく、ジョン・スチュアート・ミルの帰納法も同時に入っています。そうすると、因明学者が西洋論理学と因 明を比較するという研究を始めます。私がおもしろいと思うのは、因明学者はそこで「教相判釈」をするのです。仏 教徒がやるものですから、仏教の論理学、因明のほうが西洋の Logic よりも勝れていると結論づけています。   また、興味深いのは、ちょうど明治一四年に「国会開設の詔」が出されると、それにあわせて因明書がたくさん出 版された、ということです。国会や裁判所は言論の場であり、言論の場とは因明が活用される場所だろうと因明学者 ( ) 17

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は 考 え、 た く さ ん 入 門 書 を 書 い た り、 政 治 家 や 法 律 家 に 因 明 の プ ロ モ ー シ ョ ン を し た り し ま す (後 述 す る 雲 英 晃 耀 が 代 表 的) 。 た と え ば、 大 隈 重 信 の 前 で 因 明 学 者 が 因 明 の 講 義 を す る、 と い っ た こ と が 行 わ れ る の で す (大 隈 重 信 が 本 当 に 聞 い て い た か は 分 か り ま せ ん が) 。 明 治 前 半 は そ ん な 感 じ で 活 発 な 普 及 活 動 が 行 わ れ て い た ん で す が、 明 治 後 半 に な り ま す と、 ヨ ー ロ ッ パ か ら イ ン ド 学 が 輸 入 さ れ、 『ニ ヤ ー ヤ・ ス ー ト ラ』 な ど、 そ れ ま で 読 め な か っ た イ ン ド の 文 献 が 入 ってくると、学者の関心がそちらに移ってしまい、伝統的な因明文献が研究されなくなってしまいます。この頃から 前近代から続く因明学が衰退していくという形になります。   明 治 前 半 に 因 明 研 究 で 活 躍 し て い た の は 次 の 三 人 で す。 最 初 に 名 前 を 挙 げ な け れ ば な ら な い の は 雲 英 晃 耀 (一 八 三 一 ─ 一 九 一 〇) で す。 真 宗 大 谷 派 の 僧 侶 で、 「因 明 院」 と い う 号 を 持 つ 方 で す。 雲 英 は 愛 知 県 三 河 の 安 休 寺 の 僧 侶 な の ですが、そこに因明学協会というものを作り、政治家や裁判官、知識人に因明を普及する活動をするのですが、あま りうまくいかなかったようで す。   そ の 弟 子 が 村 上 専 精 (一 八 五 一 ─ 一 九 二 九、 真 宗 大 谷 派) で す。 村 上 は「大 乗 非 仏 説 論」 な ど で 有 名 で す が、 彼 は 若 い頃、雲英晃耀から因明を学んでいます。ですから村上の因明の著作は、雲英晃耀の影響を大きく受けています。た だ、雲英は排耶論 (キリスト教批判) の活動をしていましたし、尊皇派として自由民権運動に対して批判的でしたので、 キリスト教を批判する論証や警察による自由民権運動の弾圧を正当化する論証を、因明に関する自著のなかでやって いましたが、村上専精はそのようなことはしませんでした。   ま た、 大 西 祝 はじめ (一 八 六 四 ─ 一 九 〇 〇) の 因 明 研 究 も 重 要 で す。 大 西 は、 同 志 社 英 学 校 を 卒 業 後、 帝 国 大 学 (東 京 大 学) で学び、東京専門学校 (早稲田大学) の教壇に立ち、ヨーロッパ留学後には京都大学の初代文学部長になるはずだ った哲学者です。残念ながら、若くして亡くなってしまったために初代文学部長にはなりませんでしたが、この大西 が西洋哲学者の中では珍しく因明を高く評価しております。アリストテレスの三段論法と、因明と、ジョン・スチュ ( ) 18

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ア ー ト・ ミ ル の 帰 納 法 ── つ ま り 当 時 の 日 本 で 知 ら れ て い た 三 つ の 論 理 学 を 批 判 的 に 統 合 し、 「新 し い 論 理 学」 を 作 り出せるのではないか、という非常に哲学者らしい発想による『論理学』という大著を著しました。これは東京専門 学校時代の講義録がもとになっています。この本は早くから中国で翻訳出版されておりますので、現代中国の仏教論 理学研究は、実は大西祝の本からスタートしているとも言えると思います。大西は因明を三段論法と同じく演繹法で あると解釈しましたが、中国の研究者にも因明を演繹法的に解釈する人が多くいます。これは実は、大西の影響では ないかと、私は思っています。   このように明治前半には因明研究が非常に盛り上がって、何十冊もの本が出版されています。その多くは国立国会 図書館デジタルコレクションの中で見ることができます。 6-2   明治後期以降   明治後期になり、現在の文献学的なインド学・仏教学が開始されたことによって、漢文資料に基づく因明の研究は 廃れてしまいますが、まったくなくなったわけではありません。昭和~平成においては、法相宗の伝統を受け継いで い る 法 隆 寺 の 学 僧 ・ 佐 伯 良 謙 師 ( 一 八 八 〇 ─ 一 九 六 三 ) の 『 因 明 作 法 変 遷 と 著 述 』 ( 法 隆 寺 、 一 九 六 九 ) や 、 武 邑 尚 邦 先 生 (一九一四─二〇〇四) の『因明学   起源と変遷』 、龍谷大学の 根 ね 無 む 一 かず 力 ちか 先生による一連の因明研究などがありました。   し か し、 残 念 な が ら、 因 明 研 究 は 非 常 に マ イ ナ ー な 存 在 で し た。 そ の 大 き な 原 因 の 一 つ が、 中 村 元 先 生 (一 九 一 二 ─ 一 九 九 九) で は な い か と 思 っ て い ま す。 中 村 先 生 は、 因 明 研 究 で も 大 き な 成 果 を あ げ て お ら れ る の で す が、 そ の 一 方で「中国人や日本人には論理学は分からない」といったことを盛んにおっしゃったのですね。たとえば、中村先生 が 国 訳 を さ れ た『因 明 入 正 理 論 疏』 の 解 題 (『国 訳 一 切 経』 一 九 五 九 年) に、 こ ん な こ と が 書 か れ て い ま す。 「シ ナ 人 は なかば好奇心から、なかば仏典解読の必要上、てみじかな綱要書或いは教科書風のもののみを訳出したのである。い

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わ ば ま に あ は せ な の で あ る」 。「玄 奘 や 慈 恩 大 師 基 は 因 明 の 本 質 を 理 解 し て い な か っ た の で あ る」 。 こ の よ う な 言 い 方 で、 中 国、 日 本 の 因 明 の 伝 統 を 強 く 批 判 し て い ま す。 近 年、 東 ア ジ ア の 伝 統 的 な 学 説 も (イ ン ド の 伝 統 的 な 考 え 方 と は 違 っ て い た と し て も) 論 理 学 的 に は 間 違 っ て い な い、 と い っ た こ と が 明 ら か に さ れ て き て お り、 中 村 先 生 の こ の よ う な 考え方は成り立たなくなってきています。しかし、大学者である中村元先生がこのようなことを言っておられること も あ っ て、 日 本 の 研 究 者 の 中 に は そ れ を 真 に 受 け て い る 方 も お ら れ ま し た。 こ の 話 を あ る 中 華 圏 の 先 生 に し た ら、 「歴史上の論理学が不完全なのは当たり前ではないか」とおっしゃっていて、非常に納得した経験があります。 6-3   二一世紀の因明研究   近代以降の因明研究は、このように低調な時期が長く続きましたが、潮目が変わってきたのは二一世紀になってか らです。二一世紀、特に二〇一〇年代に入ってから、世界各地で因明に関する国際学会、国際シンポジウムが次々と 開催されるようになってきました。私が知っている範囲でも、以下のものがあります。 *第 5回北京国際チベット学セミナー (二〇一二年八月) の因明パネル *国際ワークショップ「漢訳文献における仏教認識論・論理学」 (台北、二〇一二年一〇 月) *国際会議「論理と文化:仏教・アリストテレス・ムスリム論理学の理論」 (ルンビニ、二〇一三年一一 月) *パネル「アジアを越境するプラマーナ (仏教認識論) 」 (国際仏教学会( IABS )、ウィーン、二〇一四年八月) *国際ワークショップ「仏教論理学と、その東アジアにおける応用」 (ウィーン、二〇一六年) * パ ネ ル 「 仏 教 論 理 学 ・ 仏 教 認 識 論 の 東 ア ジ ア に お け る 伝 播 と 展 開 」 ( 国 際 仏 教 学 会 ( IA B S ) ト ロ ン ト 、 二 〇 一 七 年 八 月 ) *国際研究集会「 「元暁『判比量論』文献と思想の再照明」 (ソウル、二〇一八年一一月) ( ) 19 ( ) 20

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  このように、近年にわかに因明に関する注目が高まっています。これ以外にも、信州大学の護山真也先生、筑波大 学の小野基先生が中心となって科研費をとられ、インド仏教論理学の研究者と、東アジアの因明研究者との国際的な 共同研究が進んでいます。   これまで、漢文仏典を用いた東アジア仏教研究は日本がリードしてきましたが、これからは海外の研究者と共同で 進めていかなくてはならない、という状況です。私は、上に述べた国際学会のいくつかに参加することができました が、残念ながら日本からこういう海外の学会に参加する研究者はまだ多くありません。今後は、どんどん国際的な研 究の場に参加していく必要があろうかと思います。

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  最後に、因明研究の今後の課題について、少しだけお話して終わりたいと思います。   デ ィ グ ナ ー ガ 論 理 学 の 研 究 を し て い る 上 田 昇 先 生 は、 「デ ィ グ ナ ー ガ の 論 理 学 は デ ィ グ ナ ー ガ の 思 い 通 り の 振 舞 い を す る と は 限 ら な い」 「一 般 に 思 想 と 呼 ば れ る も の を 理 解 す る 方 法 と 論 理 学 を 理 解 す る 方 法 は 必 ず し も 同 じ で は な い と思え る」とおっしゃっています。ディグナーガという論理学者が、ある目的をもって、一つの論理体系を作ったわ けですが、その作り上げた論理体系はディグナーガの意図した振舞いとは別の振舞いをする可能性があります。これ は、コンピュータのプログラミングによく似ています。ある目的でプログラムを作ったけれども、そのプログラムが、 プログラマーが意図しなかった動作をしてしまうことがあるのと同じです。ですので、因明研究においても、論理学 的な研究と、文献学的、思想史的な研究は分けてやらなければならない、ということです。   前者の論理学的研究については、先ほども言いましたように、近年、インド論理学や他地域の論理学との比較研究 によって、東アジアの因明の中で言われていたことがちゃんと論理学的に根拠があるものだということ明らかになっ ( ) 21

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てきています。そのような意味で、比較論理学的な研究が今後必要になってくるのではないのかと思います。   後者の研究として大きな課題となっているのが、学界未紹介文献、未翻刻文献の存在です。日本の古写経や敦煌写 本、近世の刊本など、学界に紹介されていないものが、恐らくまだまだあります。武邑尚邦先生が近世の因明学につ い て は か な り 研 究 さ れ て い る の で す が、 そ れ で も 大 学 図 書 館 や Yahoo! オ ー ク シ ョ ン な ど で 検 索 す る と 武 邑 先 生 の 本 に載っていない資料が出てきます。日本古写経や敦煌写本、あるいは各寺院の聖教や古書のマーケットなどに重要文 献が埋まっている可能性があり、これを調査し、翻刻し、解読していく作業が必要です。   これらの研究は、特に因明学に固有の話ではなく、他の研究でも普通に行われていることですが、因明学でもこの ような現状だということです。   雑駁で、馴染みのないお話だったかもしれませんが、以上で終わります。ご清聴ありがとうございました。 参考文献 石井公成( 2017 )「僧侶と言葉遊び:小野小町と物名の歌を手がかりとして」 『シリーズ日本文学の展望を拓く   第三巻   宗教文 芸の言説と環境』 、笠間書院、 68-83. 上田昇( 2001 )『ディグナーガ、論理学とアポーハ論』 、山喜房佛書林. 桂紹隆( 1998 )『インド人の論理学:問答法から帰納法へ』 、中央公論社. 三後明日香( 2014 )「平安・鎌倉期の論議の儀礼と実践:延久四年の法会における「因明論議」論争」 『東アジアの宗教文化:越 境と変容』 、岩田書院、 395-420. 武邑尚邦( 1986 )『因明学 起源と変遷』 、法蔵館. 富貴原章信( 1967 )「判比量論の研究」 『判比量論』 、神田喜一郎. 船山信一( 1998 )『船山信一著作集 第 8巻』 、こぶし書房、原著:理想社、 1966. 室屋安孝( 2016 )「漢訳『方便心論』の金剛寺本と興聖寺本をめぐって」 『日本古写経研究所研究紀要』 、 13-34. ( ) 22

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Paul, Gregor (

2015). Die Logik des Buddhistischen Scholastukers Gomyō

護命 (750 -834). Iudicium Verlag. 師茂樹( 2015a )参照。 桂紹隆( 1998 )。 室屋安孝( 2016 )が「 『方便心論』研究で最も紛糾しているテーマの一つに著者問題がある」と述べているように、 『方便 ( ) 1 ( ) 2 ( ) 3

(27)

心 論』 の 著 者 に つ い て は 小 乗 仏 教 徒 説(宇 井 伯 寿、 ク リ ス チ ャ ン・ リ ン ト ナ ー、 沈 剣 英 ら) 、 龍 樹 説(梶 山 雄 一、 鄭 偉 宏、 石飛道子ら) 、経量部説(木村俊彦) 、作者不詳説(ブレンダン・ギロン、ヴァンサン・エルチンガー)などが乱立している 状況である。 林鎮國( 2014 )など。 玄 奘 が 唯 識 性 の 証 明 の た め に 立 て た と さ れ る 唯 識 比 量 に つ い て は、 伝 承 上 の 問 題 が 指 摘 さ れ て い る(師 茂 樹  2015b )。 ま た、ジャヤセーナ(勝軍)の大乗経典仏説証明(勝軍比量)を、玄奘が修正したものも伝わっている(師茂樹  2018 )。 玄奘の翻訳したものは「新訳」とよばれていることから、新しいイメージがあるかもしれない。因明文献に限らず、東ア ジアで初めて翻訳されたものが玄奘訳には多数あるが、そのほとんどが四 ~ 六世紀に成立したものがほとんどであり、玄奘 がいた七世紀のインドの文献はほとんど訳されていない。 武邑尚邦( 1986 )。 沈剣英( 2008 )。 他に師茂樹( 2017a )など。 富貴原章信( 1967 )、 김성철 ( 2003 )など。なお、 김성철 氏の最近の研究には、研究倫理上の問題が指摘されている。 三後明日香( 2014 )など。 石井公成( 2017 )。 横内裕人( 2008 )。 師茂樹( 2015b )など。唯識比量には多数の研究がある。 師茂樹( 2018 )など。 「三支之量、何顯法性。 」(最澄『守護国界章』 T2362, 74, 222c23-24 ) 船山信一( 1998 )、師茂樹( 2015a, 2017b, 2017c, 2019 )。 『因明学協会報告』 (因明学協会、 1890 年)で活動報告がなされている。

Lin & Radich eds. (2014).

Paul, Gregor eds. (2015), Paul, Gregor (2015). (

) 4 ( ) 5 ( ) 6 ( ) 7 ( ) 8 ( ) 9 ( ) 10 ( ) 11 ( ) 12 ( ) 13 ( ) 14 ( ) 15 ( ) 16 ( ) 17 ( ) 18 ( ) 19 ( ) 20

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上田昇( 2001 )、六ページ。 武邑尚邦( 1986 )。 ( ) 21 ( ) 22

参照

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