ハナ・マリア・バーケンヘッドの生涯
著者
菊池 眞理
雑誌名
研究紀要. 人文科学・自然科学篇
巻
48
ページ
二-五三,(160)
発行年
2007-03-10
URL
http://doi.org/10.14946/00001547
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja写 真5 A.0.シ ョ ウ 軽 井沢 土屋 写真 館 提供
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第
四
十
六
号
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載
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第 二 章 ロ ン ド ン 、 南 ア フ リ カ 、 そ し て 日 本 へ ー . ヴ ィ ク ト リ ア 朝 中 期 に お け る 女 性 の 社 会 的 地 位 ヴ ィ ク ト リ ア 朝 社 会 の 価 値 基 準 で は 、 女 性 が 無 制 限 の 社 会 的 是 認 を 勝 ち う る ﹁ 就 職 ﹂ は 結 婚 で あ っ た 。 し か し そ の 一 方 、 当 時 、 統 計 的 に 見 て 結 婚 不 可 能 な ﹁ 余 分 の 女 性 ﹂ は 五 十 万 人 存 在 し た と す る 報 告 が あ る 。 例 え ば 、 一 八 五 一 年 の セ ン サ ス に よ れ ば 、 男 性 に 対 す る 女 性 の 数 の 過 剰 分 は 約 五 十 一 万 人 (十 五 才 以 上 約 五 十 六 万 人 ) で あ る 。 こ の 過 剰 女 性 が 英 国 人 口 に 占 め て い た 比 重 に つ い て は 議 論 も あ る が 、 独 身 男 性 が 不 足 し て い た と い う こ と は 確 か な 事 実 で あ ろ う 。 そ の 原 因 と し て 挙 げ ら れ て い る の は 、 結 婚 可 能 な 年 齢 で 健 全 な 肉 体 の 男 性 が ア メ リ カ を は じ め と す る 植 民 地 へ の 大 量 移 住 、 海 外 で の 軍 役 、 一 般 に 高 い 男 性 の 死 亡 率 、 さ ら に は 彼 等 の 独 身 生 活 享 楽 、 晩 婚 の 傾 向 等 で あ る 。女 性 の 有 給 雇 用 に た い す る 偏 見 が 支 配 す る 時 代 に 、 文 筆 家 で 成 功 し た ご く 少 数 の 女 性 を 除 い て 、 中 流 階 級 の 女 性 が 生 計 を 立 て る 唯 一 の 道 は 、 ガ ヴ ァ ネ ス と 呼 ば れ る 住 み 込 み 家 庭 教 師 に な る こ と で あ っ た 。 こ の い わ ゆ る ﹁ ゼ ン ト ル ・ ウ ー マ ン ﹂ の 経 済 的 困 窮 、 と り わ け ガ ヴ ァ ネ ス の 姿 が 人 々 に 強 烈 な 印 象 を 与 え 、 社 会 問 題 と し て 取 り 上 げ ら れ 、 フ ェ ミ ニ ズ ム へ の 一 つ の 足 が か り と も な っ た の で あ る 。 そ の ほ か に も 当 時 の 一 般 的 に 低 劣 な 女 子 教 育 の 実 態 と か 、 既 婚 女 性 が 相 続 権 に は 法 律 上 の 権 利 が 全 く 認 め ら れ て い な い な ど の 女 性 が 置 か れ て い た 差 別 的 な 状 況 が フ ェ ニ ミ ズ ム 運 動 の 成 長 す る 背 景 と な っ て い る 。 ﹁ ゼ ン ト ル ・ ウ ー マ ン ﹂ の 状 況 を 改 革 す る 動 き は 女 子 教 育 改 革 運 動 と 女 性 の 雇 用 の 機 会 を 拡 大 す る 運 動 と を 開 始 さ せ た 。 教 育 改 革 で は 、 一 八 四 八 年 の ク イ ー ン ズ ・ コ レ ッ ジ の 開 校 を 皮 切 り に 、 十 九 世 紀 末 に は オ ッ ク ス ・ ブ リ ッ ジ に お け る 女 子 学 寮 開 設 へ と 進 展 し た 。 雇 用 問 題 に 於 い て は フ ェ ミ ニ ス ト の 指 導 の 下 に 種 々 の 職 業 開 拓 や 技 術 上 の 訓 練 が 行 わ れ た 。 医 業 と い っ た 専 門 職 が 女 性 に 門 戸 を 開 く べ き で あ る と す る 要 求 も な さ れ た 。 看 護 師 の レ ヴ ェ ル ア ッ プ 、 電 話 交 換 手 、 店 員 、 事 務 員 へ の 女 性 の 進 出 も 目 立 っ た 。 一 八 七 〇 年 以 降 の 初 等 学 校 教 育 の 急 激 な 膨 張 は 、 教 育 職 へ の 女 性 の 進 出 を 実 現 し た 。 従 っ て ロ ン ド ン の 師 範 学 校 を 卒 業 し た バ ー ケ ン ヘ ッ ド が 、 初 等 教 育 の 教 師 職 に あ っ た と い う こ と は 当 時 の 女 性 進 出 現 象 の 一 端 を 具 現 し て い る と い う こ と に な る 。 ロ ン ド ン で の バ ー ケ ン ヘ ッ ド ス ト ッ ク ポ ー ト で の ハ ナ ・ マ リ ア ・ バ ー ケ ン ヘ ッ ド の 確 か な 足 跡 を 辿 れ る の は 一 八 七 一 年 の セ ン サ ス ま で で あ る 。 当 時 は 高 等 教 育 に つ い て は 奨 学 金 で 行 わ れ る こ と が 一 般 的 で あ り 、 た と え ば 、 日 曜 学 校 な ど で 教 師 見 習 生 の 仕 事 を し て き
た 生 徒 は 十 八 才 で 女 王 の 奨 学 金 の 受 験 資 格 が 得 ら れ た 。 受 験 の 有 無 は と に か く と し て 、 彼 女 が ロ ン ド ン に 住 む よ う に な っ た の は 一 八 七 二 ∼ 四 年 前 後 で あ ろ う と 推 察 で き る 。 し か し ロ ン ド ン の 師 範 学 校 に 進 学 し た ハ ナ ・ マ リ ア ・ バ ー ケ ン ヘ ツ ド の 足 跡 は 一 八 八 一 年 の 国 勢 調 査 で 捉 え ら れ る ま で 明 ら か に な っ て い な い 。 ロ ン ド ン の 師 範 学 校 ( ノ ー マ ル ・ ス ク ー ル ) で 学 ん だ と い う 記 述 は あ る も の の 、 そ れ が 具 体 的 に ど の 学 校 で あ る の か 、 現 在 ま で 判 明 し て な い 。 こ の 国 勢 調 査 (表 8 ) に よ れ ば 、 彼 女 は 母 娘 に よ っ て 営 ま れ て い る 下 宿 (写 真 9 ) に 三 人 の 同 宿 人 と 居 住 し て い た 。 当 時 、 こ の イ ズ リ ン ト ン 区 は ロ ン ド ン 郊 外 の 農 村 で あ っ た 。 し か し す で に 鉄 道 が 敷 設 さ れ 、 ロ ン ド ン 市 内 に 通 う の に は 便 利 で あ っ た よ う で あ る 。 ま た 、 こ の 下 宿 屋 と 背 中 合 わ せ の 建 物 群 、 モ レ ー ・ ロ ー ド 一 番 地 に は 英 国 国 教 会 の 聖 マ ル コ 教 会 が 建 っ て お り 、 現 在 も 日 曜 日 に は 礼 拝 が 行 わ れ て い る 。 し か し 、 こ の 教 会 に は 彼 女 に 関 す る 記 録 は 何 も 残 さ れ て い な い 。 地 理 的 に は こ の 教 会 と は 近 隣 の 場 所 に あ る ロ ン ド ン ・ メ ト ロ ポ リ タ ン 文 書 館 、 及 び イ ズ リ ン ト ン 区 の 記 録 文 書 が 保 存 さ れ て い る フ ィ ン ズ ベ リ ー 図 書 館 で も 調 査 し た が 、 こ の 時 期 の 小 学 校 教 育 、 或 い は 教 員 に 関 す る 保 存 史 料 は 少 な く 、 僅 か に 保 存 さ れ て い た 当 時 の 小 学 校 教 員 記 録 に 彼 女 の 名 前 は 見 つ け る こ と は で き な か っ た 。 従 っ て 、 彼 女 が 勤 務 し た 小 学 校 が ど こ で あ っ た の か と い う こ と は 現 在 ま で の と こ ろ 判 明 し て い な い 。 四
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表8 1881年 英 国 セ ンサ ス
2 南 ア フ リ カ で の 活 動 レ イ デ ィ ー ズ ・ ア ソ シ エ ー シ ョ ン (以 後 L A と 表 記 す る ) の 年 次 報 告 書 は 彼 女 が 日 本 に 派 遣 さ れ る 前 に 、 南 ア フ リ カ で 働 い た と い う 経 歴 が あ る こ と を 記 録 に 留 め て い る 。 し か し こ の 南 ア の 活 動 に つ い て 具 体 的 な 事 実 は 殆 ど 何 も 判 明 し て い な い 。 彼 女 が L A の メ ン バ ー と な っ た の は 日 本 に 派 遣 さ れ る こ と が 決 定 さ れ た 後 の こ と で あ る か ら 、 そ れ 以 前 の 活 動 が L A の 記 録 に 含 ま れ て い る 可 能 性 は な い 。 従 っ て 彼 女 の 活 動 記 録 を 見 つ け ら れ る 可 能 性 は 僅 か に S P G (英 国 国 教 の 宣
教
団
体
の
一
つ
、
前
編
参
照
)
の
活
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記
録
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女
が
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の
宣
教
団
体
か
ら
派
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さ
れ
て
い
た
場
合
-或
い
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英
国
の
南
ア
に
お
け
る
植
民 地 関 連 の 文 書 に 残 さ れ て い る の み で あ る 。 ロ ン ド ン の ウ オ ー タ ー 辱 ル ー に あ る S P G の 記 録 保 存 所 、 パ ー ト ナ ー シ ッ プ ・ ハ ウ ス に あ る S P G の 一 八 八 三 ∼ 一 八 八 八 年 間 の 年 次 報 告 書 で 協 会 が 援 助 し て い る 在 ア フ リ カ 十 一 の 主 教 区 、 駐 留 地 、 並 び に そ こ で 働 い て い る 宣 教 師 に つ い て の 報 告 書 に は 彼 女 の 名 前 を 見 つ け る こ と は で き か っ た 。 彼 女 が ロ ン ド ン に 居 住 し て い た 事 実 が 記 録 に 残 っ て い る の は 、 一 八 八 一 年 で あ る 。 南 ア に 在 住 し た 可 能 性 が あ る の は こ の 年 を 挟 む 二 つ の 時 期 ロ ン ド ン の 学 校 を 卒 業 し た と 思 わ れ る 一 八 七 六 年 前 後 か ら 一 八 八 〇 年 ま で 、 或 い は 一 八 八 二 年 か ら 来 日 し た 一 八 八 八 年 ま で の 期 間 で あ る 。 し か し な が ら こ の 二 つ の 期 間 に 発 行 さ れ た S P G の 年 次 報 告 書 に 記 載 さ れ た 南 ア 在 住 の 教 師 の リ ス ト 中 に 彼 女 の 名 前 を 見 つ け る こ と は 出 来 な か っ た 。 日 本 に 到 着 し て か ら 彼 女 が L A に 送 付 し た 書 簡 の 文 面 か ら 判 断 し て 、 彼 女 が 来 日 し て 以 後 も 南 ア に 在 住 の 人 々 と の 交 流 が あ っ た こ と は 確 か で あ る 。 そ の 内 容 か ら 推 察 す れ ば 、 彼 女 が 南 ア に 滞 在 し て い た の は 、 前 述 の 二 つ の 期 間 の 中 、 後 半 の 時 期 、 即 ち 一 八 八 二 ∼ 一 八 八 八 年 で あ る 可 能 性 が 高 い と 思 わ れ る 。 ま た 、 そ の 書 簡 に 記 載 さ れ て い る 知 人 二 人 の 住 ⊥ ノ、所 か ら 、 彼 女 が 在 住 し て い た の は 東 ケ ー プ の キ ン グ ・ ウ イ リ ア ム ズ ・ タ ウ ン 、 或 い は ウ ム タ タ 近 辺 で あ っ た 可 能 性 が 最 も 高 い と 考 え ら れ る 。 ロ ー ズ ハ ウ ス 図 書 館 に は S P G D シ リ ー ズ と い う 分 類 名 で S P G が 世 界 各 地 に 派 遣 し た 宣 教 師 か ら 受 け 取 っ た 書 簡 を 大 型 ス ク ラ ッ プ ブ ッ ク に 貼 り 付 け 、 宣 教 師 の 滞 在 国 別 、 年 次 別 に 分 類 し て 冊 子 と し て 製 本 し た も の が 保 存 さ れ て い る 。 著 者 は 二 〇 〇 五 年 七 月 に こ れ を 閲 覧 し た 。 限 ら れ た 時 間 の 中 で の 調 査 で あ っ た た め 、 彼 女 が 滞 在 し た 可 能 性 が 最 も 高 い と 思 わ れ る 東 ケ ー プ タ ウ ン 、 そ れ も キ ン グ ・ ウ イ リ ア ム ズ ・ タ ウ ン 、 と ウ ム タ タ 近 辺 か ら の 一 定 の 書 式 で 発 信 さ れ た も の 、 一 八 六 〇 年 ∼ 一 九 一 六 年 ま で の フ ァ イ ル に 限 っ て 目 を 通 し た 。 そ れ 以 外 の 私 信 の よ う な 、 全 て 宣 教 師 の 手 書 き に よ る 報 告 書 は 、 報 告 者 以 外 の 個 人 名 が 記 録 さ れ て い る 可 能 性 は 低 い と 判 断 し た 。 当 時 ウ ム タ タ に セ ン ト ・ ジ ョ ン ズ ・ ミ ッ シ ョ ン (聖 ヨ ハ ネ 伝 道 団 ) と い う 伝 道 団 体 が 存 在 し て い た 。 上 記 の D シ リ ー ズ の 文 書 を 通 読 す る と 、 そ の 伝 道 団 か ら は 本 部 宛 に 送 ら れ た 報 告 書 の 多 く は キ ン グ ・ ウ イ リ ア ム ズ ・ タ ウ ン を 経 由 し て い た と 推 察 さ れ る 。 こ れ ら の 報 告 書 に は 宣 教 師 に 対 す る 給 料 等 の 支 払 、 信 者 数 、 宣 教 団 の 関 連 行 事 、 付 属 学 校 関 連 の 情 報 等 が 一 定 の 書 式 で 報 告 さ れ て い る 。 閲 覧 し た 限 り で は 、 そ れ ら の 文 書 に は 報 告 者 以 外 の 教 師 、 宣 教 師 の 個 人 名 は 記 載 さ れ て お ら ず 、 従 っ て バ ー ケ ン ヘ ッ ド の 名 前 も 見 つ け る こ と は 出 来 な か っ た 。 バ ー ケ ン ヘ ッ ド 個 人 に 関 す る 調 査 に は 直 接 の 関 わ り は な い が 、 一 八 八 〇 年 の フ ァ イ ル に 、 ウ ム タ タ の セ ン ト ・ ジ ョ ン に お け る 原 住 民 部 族 の 暴 動 に つ い て の パ ン フ レ ッ ト が 保 存 さ れ て い て 、 当 時 の ケ ー プ タ ウ ン 近 辺 の 不 安 定 な 治 安 情 勢 な ど を 伝 え て い る 。 七
八 3 英 国 国 教 会 の 海 外 伝 道 国 教 会 の 海 外 宣 教 活 動 は ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク 教 会 に 比 べ る と は る か に 緩 慢 で あ っ た 。 そ の 状 況 に 大 き な 変 化 が 起 こ つ た の は 、 福 音 主 義 が 浸 透 し 始 め て か ら の こ と で あ る 。 最 終 的 に は 非 国 教 派 に な っ た メ ソ デ ィ ズ ム な ど も 最 初 は 国 教 会 内 の 一 種 の 革 新 運 動 と し て 生 ま れ た の で あ る が 、 国 教 会 内 部 の 活 動 を 活 性 化 し よ う と し て 起 こ っ て き た 動 き を 総 称 し て 福 音 主 義 と 呼 ん で い る 。 ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 を 中 心 と す る 改 革 の 動 き も こ の 福 音 主 義 運 動 の 一 環 と 見 る こ と が で き る 。 こ の 福 音 主 義 の 運 動 の 中 で 最 も 重 点 的 に 取 り 上 げ ら れ た も の の 一 つ が 植 民 地 に 対 す る 宣 教 活 動 で あ っ た 。 そ の 中 で 植 民 地 の 原 住 民 の た め の 改 宗 運 動 が 提 唱 さ れ た 。 そ れ は 特 に 初 期 に お い て 、 植 民 者 に 生 命 の 危 機 を 及 ぼ し か ね な い 原 住 民 を 改 宗 し 、 宣 撫 す る と い う 目 的 で 行 わ れ 、 植 民 者 の 身 の 安 全 を 図 る た め に 性 急 に 開 始 さ れ た も の で も あ っ た が 、 一 七 九 二 年 に バ プ テ ィ ス ト 宣 教 協 会 、 続 い て 一 七 九 五 年 に は ロ ン ド ン 宣 教 協 会 が 設 立 さ れ る と い う 組 織 的 な 取 り 組 み が さ れ る よ う に な っ た 。 た だ し 、 こ の よ う な 経 過 を 見 る 限 り 、 こ れ ら の 布 教 活 動 が 彼 等 の 認 識 、 或 い は 建 前 と し て は キ リ ス ト 教 徒 の 使 命 感 に 基 づ く も の で あ る と 理 解 さ れ て い た に し て も 、 そ の 本 質 は 、 英 国 の 植 民 地 支 配 活 動 の } 環 で あ っ た こ と は 疑 う 余 地 も な い 。 国 教 会 は 一 七 九 九 年 に 自 分 達 だ け の 団 体 で あ る C M S 、 一 八 〇 一 年 に S P G を 設 立 し た 。 次 い で 一 八 一 八 年 に メ ソ ジ ス ト 宣 教 協 会 が 設 立 さ れ 、 一 八 二 四 年 ス コ ッ ト ラ ン ド 国 教 会 の 外 国 宣 教 委 員 会 が イ ン ド 亜 大 陸 で 宣 教 を 開 始 し 、 新 興 国 ア メ リ カ も ビ ル マ 、 イ ン ド に 宣 教 師 を 送 っ た 。 十 九 世 紀 、 二 〇 世 紀 前 半 は 、 キ リ ス ト 教 会 史 上 最 も 盛 ん に 宣 教 活 動 が 行 わ れ た 時 代 で あ っ た 。 こ の 時 代 の 宣 教 活 動 は 、
そ れ ぞ れ の 政 府 で は な く そ れ ぞ れ の 教 派 が 設 立 し た 協 会 に よ り 、 ま た 教 会 信 者 の 自 由 献 金 に よ っ て 行 わ れ た と い う こ と が 特 徴 で あ る 。 ま た 、 こ の 宣 教 活 動 は カ ト リ ッ ク よ り も プ ロ テ ス タ ン ト 諸 派 に お い て 活 発 で あ っ た が 、 こ の 時 代 の ヨ ー ロ ッ パ の 社 会 情 勢 は 、 一 方 で は 懐 疑 主 義 や 無 関 心 が 蔓 延 し 、 他 方 で は 全 体 主 義 の 色 彩 が 濃 く 、 反 キ リ ス ト 教 的 な 独 裁 政 権 に 支 配 さ れ た 時 代 だ っ た こ と も 注 目 に 値 す る 。 こ の よ う な 多 数 の 宗 派 に よ っ て 広 範 な 地 域 に お よ ぶ 宣 教 活 動 が 行 わ れ た 結 果 、 キ リ ス ト 教 は 今 ま で に 例 を 見 な い 人 数 と 人 種 の 入 々 、 異 文 化 を 持 つ 人 々 に 伝 え ら れ 、 各 地 に 根 を 下 ろ し た 。 ま た 、 そ の 宣 教 の 目 標 は 、 現 地 の 、 そ の 土 地 固 有 の 教 会 設 立 と 言 う こ と に 置 か れ て い た 。 国 教 会 は 英 国 の 植 民 地 が 世 界 に 広 が っ た こ と に よ り 、 一 民 族 の 信 仰 か ら 、 地 域 に 限 定 さ れ な い 普 遍 的 な キ リ ス ト 教 に 変 貌 し て い っ た 。 か つ て は 北 ア メ リ カ と イ ン ド に 移 住 し た 英 国 人 入 植 者 の 霊 的 平 和 を 維 持 す る こ と が 唯 一 の 目 的 で あ っ た S P G の 宣 教 活 動 は 、 ア メ リ カ 植 民 地 が 独 立 し 、 合 衆 国 が 成 立 す る と 、 こ の 地 を 宣 教 活 動 の 範 囲 か ら 除 く こ と に な つ た 。 ア メ リ カ 合 衆 国 で は 、 英 国 国 教 会 に 代 わ っ て 、 プ ロ テ ス タ ン ト 主 教 制 教 会 が 設 立 さ れ た 。 こ の ア メ リ カ に お け る 主 教 制 教 会 は 後 の ア ン グ リ カ ン ・ コ ミ ュ ニ オ ン (英 国 国 教 共 同 体 ) の 最 初 の 構 成 メ ン バ ー に な る の だ が 、 母 国 イ ギ リ ス に た い す る 忠 誠 心 を 捨 て な い で カ ナ ダ に 移 住 し た 人 々 の た め に カ ナ ダ ・ イ ン グ ラ ン ド 教 会 が 最 初 の 海 外 主 教 区 と し て 、 ノ ヴ ァ ス コ シ ア に 設 立 さ れ た 。 そ の 後 の 一 七 〇 年 間 に 二 五 〇 以 上 の 主 教 区 が 設 立 さ れ ア ン グ リ カ ン ・ コ ミ ュ ニ オ ン に 加 わ っ て い る 。 九
4 英 国 国 教 の 日 本 伝 道 日 本 本 土 で の 最 初 の 伝 道 は 前 記 C M S が 派 遣 し た 宣 教 師 エ ン V ウ に よ り 一 八 六 九 年 に 開 始 さ れ た 。 こ れ は 琉 球 海 軍 伝 道 会 が 解 散 す る 際 に C M S に 寄 贈 し た 六 百 五 十 四 ポ ン ド が 基 金 と な っ て い る 。 日 本 が ペ リ ー 提 督 の 来 航 に よ っ て 開 国 し た の は 周 知 の 通 り 一 八 五 三 年 で あ る 。 そ し て 一 八 五 八 年 に は 、 米 国 総 領 事 タ ウ ン ゼ ン ト ・ ハ リ ス と 幕 府 と の 間 に 日 米 修 好 通 商 条 約 が 締 結 さ れ た 。 一 八 七 三 年 は そ れ ま で の 十 四 年 間 に 匹 敵 す る ほ ど の 多 数 の 宣 教 師 二 十 七 人 が 日 本 に 到 来 し た と 言 わ れ て い る 。 こ の 時 期 に 米 英 か ら の 来 日 宣 教 師 数 が 激 増 し た 理 由 に つ い て ﹃ 日 本 に お け る ヴ ィ ク ト リ ァ 期 の 宣 教 師 ﹄ の 著 者 パ ゥ ル ズ は 、 米 国 に つ い て は 南 北 戦 争 が 一 八 六 五 年 四 月 に 終 結 し 海 外 へ の 宣 教 活 動 に 関 心 が 向 け ら れ る よ う に な っ た こ と で あ り 、 英 国 に つ い て は 、 こ の 国 の 宣 教 活 動 の 拡 大 は 常 に 経 済 並 び に 外 交 の 発 展 と 密 接 な 関 係 に あ り 、 一 八 七 〇 ∼ 七 四 年 に 絶 頂 期 を 迎 え た 産 業 発 展 が 海 外 に お け る 活 発 な 活 動 を 引 き 起 こ し た こ と で あ る と 述 べ て い る 。 ま た こ の 時 期 の 世 界 規 模 で の 交 通 網 、 通 信 網 の 発 達 も 米 英 両 国 の 海 外 に お け る 宣 教 活 動 に 大 き く 寄 与 し た 。 例 え ば 、 ス エ ズ 運 河 、 ア メ リ ヵ 大 陸 横 断 鉄 道 の 完 成 は 共 に 一 八 六 九 年 で あ り 、 そ れ 以 前 に 米 欧 問 、 イ ン ド 極 東 間 の 電 信 に よ る 通 信 網 が 開 通 し て い た と い う よ う な 諸 事 情 も 見 落 と せ な い 。 こ の 事 態 に 日 本 国 自 体 が 関 わ っ た 要 因 と し て は 、 一 八 七 三 年 の キ リ ス ト 教 禁 制 の 高 札 撤 去 と い う 方 針 転 換 が 挙 げ ら れ る 。 長 崎 近 辺 で キ リ シ タ ン が 迫 害 に あ っ た と い う エ ン ソ ウ の 目 撃 報 告 が 欧 米 に 大 き な 反 応 を 引 き 起 こ し た こ と 、 一 八 七 一 年 ∼ 七 三 年 の 二 年 に 及 ぶ 岩 倉 使 節 団 が 海 外 訪 問 中 に 敵 意 に 満 ち た 欧 米 の 世 論 に 遭 遇 し た と い う 事 実 は 明 治 政 府 に そ の 反 キ リ ス ト 教 的 な 態 度 を 改 め さ せ る 効 果 を も た ら し た の で あ っ た 。 ○
英 国 は 日 本 と の 交 流 に つ い て は 長 年 の 経 験 も あ り 、 建 国 後 間 も な い 若 い 米 国 よ り ず っ と 自 分 た ち の や り 方 が 洗 練 さ れ 、 抑 制 の き い た も の で あ る と 大 い に 自 信 を 抱 い て い た 。 し か し 日 本 に 到 着 し た 英 国 人 宣 教 師 は 、 米 国 プ ロ テ ス タ ン ト 派 宣 教 師 が 既 に 一 八 五 九 年 に 到 着 し て お り 、 そ の 数 も 十 七 名 に 達 し て い る と い う こ と を 知 っ て 衝 撃 を 受 け た 。 し か も 米 国 人 宣 教 師 は 日 本 宣 教 に む け て 十 分 な 体 勢 を 整 え て も い た の で あ る 。 た と え ば 、 ヘ ッ プ バ ー ン の 編 集 に よ る 英 和 、 和 英 の 辞 書 が 一 八 六 七 年 に 出 版 さ れ 、 米 国 宣 教 師 は 言 語 の 知 識 の み な ら ず 日 本 の 慣 習 な ど に つ い て の 知 識 も 既 に 十 分 に 身 に つ け て い た の で あ る 。 こ の よ う な 時 代 的 背 景 も あ っ て 、 S P G と い う 宣 教 団 体 は 米 国 か ら の 宣 教 団 体 に 対 し て よ り む し ろ 、 英 国 国 教 会 派 ー ア メ リ カ ・ 主 教 制 教 会 を 含 め た に 対 し て の 競 争 意 識 が 強 か っ た と 言 わ れ て い る 。 エ ン ソ ウ の 帰 国 後 、 一 八 七 一 年 ま で に 英 国 国 教 会 派 宣 教 師 は 六 入 と な っ て い た 。 更 に 一 九 〇 〇 年 に は 百 人 以 上 の 英 国 人 宣 教 師 が こ の 国 の 各 地 に 住 む よ う に な っ た 。 5 . ﹁ 芝 派 ﹂ 三 人 の 宣 教 師 ー シ ョ ウ 、 ビ カ ス テ ス 、 ロ イ ド ヴ ィ ク ト リ ァ 朝 に あ た る こ の 時 期 に 英 国 国 教 会 か ら 派 遣 さ れ 来 日 し た 宣 教 師 の 中 か ら パ ゥ ル ズ は 三 人 の 宣 教 師 、 シ ョ ウ 、 ビ カ ス テ ス 、 ロ イ ド の 活 動 を 特 に ﹁ 芝 派 ﹂ ー 東 京 、 芝 に 居 住 し た こ と か ら ー の 宣 教 師 と し て 取 り 上 げ て 描 い て い る 。 彼 等 の う ち の 二 人 、 シ ョ ウ 、 ビ カ ス テ ス は ハ ナ ・ マ リ ア ・ バ ー ケ ン ヘ ッ ド に 直 接 の 交 流 が あ っ た こ と は 明 ら か で あ る 。 ま た 、 ロ イ ド に つ い て は 、 記 録 に は 表 れ て い な い が 、 両 者 は 日 本 ア ジ ア 協 会 の 活 動 を 通 し て 交 流 が あ っ た 可 能 性 が あ る 。 英 国 の S P G と い う 宣 教 団 体 か ら 当 時 の 日 本 に 派 遣 さ れ た 宣 教 師 の 中 で も 代 表 的 存 在 で あ っ た 彼 等 の 活 躍 を 理 解 し て お く こ と は 、 バ ー ケ ン ヘ ッ ド が 活 躍 し た 時 代 的 背 景 を 理 解 す る た め に は 不 可 欠 で あ る と 考 え 、 こ こ で は ま ず 芝 派 の 一 一
宣 教 師 達 の 日 本 に お け る 活 躍 に つ い て 簡 単 に 触 れ て お き た い 。 一 二 ア レ キ サ ン ダ ー ・ ク ロ フ ト ・ シ ョ ウ ( 一 八 四 六 ∼ 一 九 〇 二 ) 写 真 5 一 九 八 三 年 に 英 国 で 出 版 さ れ た ﹃ ク ラ ン ・ シ ョ ウ の 歴 史 ﹄ と い う 書 物 は 、 ケ ル ト 民 族 で あ る シ ョ ウ 一 族 の 来 歴 を 記 し た 歴 史 書 で あ る 。 こ の 一 種 の 壮 大 な 血 統 書 と も い う べ き 記 録 に よ る と 、 本 論 の ア レ キ サ ン ダ ー ・ ク ロ フ ト ・ シ ョ ウ (以 後 、 A ・ C ・ シ ョ ウ と 表 記 す る )は カ ナ ダ に 移 住 し た シ ョ ウ の 一 族 か ら 派 生 し た 家 族 に 所 属 し て い る 。 ア メ リ カ 駐 留 軍 の 連 隊 長 で あ っ た ア レ キ サ ン ダ ー 大 佐 の 弟 、 ア エ ネ ア ス を そ の 祖 と し て い る 。 彼 の 第 二 子 、 ア レ キ サ ン ダ ー が ア レ キ サ ン ダ ー ・ ク ロ フ ト ・ シ ョ ウ の 祖 父 で あ る 。 父 も ま た 軍 人 で 、 陸 軍 少 佐 と い う の が 彼 の 生 涯 で 最 終 的 に 到 達 し た 位 で あ る 。 A ・ C ・ シ ョ ウ は カ ナ ダ ・ シ ョ ウ 家 の 嫡 子 と し て 一 八 四 六 年 、 ト ロ ン ト に 生 ま れ 、 軍 人 を 志 し た が 、 体 が 弱 か っ た た め 軍 人 の 道 を 断 念 し 、 聖 職 の 道 を 選 ぶ こ と に な っ た 。 英 国 国 教 派 の 立 場 を 取 る カ ナ ダ 上 流 階 級 の 人 々 が 、 自 分 た ち の 子 弟 を 学 ば せ る 大 学 を 設 立 し た 際 に 、 シ ョ ウ 家 は 自 分 の 家 の 牧 場 の 一 部 を 大 学 の 敷 地 と し て 提 供 し た 。 そ れ が 今 日 の ト ロ ン ト 大 学 ・ ト リ ニ テ ィ ・ カ レ ッ ジ の 母 体 の 一 部 と な っ て い る 。 A ・ C ・ シ ョ ウ は こ の カ レ ッ ジ の 神 学 部 を 卒 業 し 、 学 士 号 並 び に 修 士 号 を 取 得 後 、 英 国 国 教 会 の 聖 職 者 に 任 じ ら れ た 。 一 八 七 二 年 十 二 月 二 十 日 、 ロ ン ド ン の ア ル バ ー ト ・ ホ ー ル で 一 人 の 英 国 人 主 教 を 記 念 す る 大 集 会 が 開 催 さ れ た 。 そ の 前 年 に メ ラ ネ シ ア の ヌ パ ク 島 で 原 住 民 に 殺 害 さ れ た 若 き イ ギ リ ス 人 主 教 の 死 を 記 念 す る も の で あ っ た 。 尤 も こ の 宣 教 師 の 受 難 は 現 地 人 と 英 国 人 の 文 化 的 差 異 か ら 生 じ た も の で あ り 、 英 国 人 の 異 文 化 に つ い て の 無 知 が 招 い た も の と い っ て よ い 。 S P G 、 C M S の 両 宣 教 団 体 は こ の 集 会 の 参 加 者 の 中 か ら 海 外 で 宣 教 に 従 事 す る 有 志 を 募 っ た 。 そ の 一 人 が ロ ン ド ン
留 学 中 の 若 き カ ナ ダ 人 、 A ・ C ・ シ ョ ウ で あ っ た 。 ロ ン ド ン に お い て カ ッ ツ 博 士 の も と で 牧 会 上 の 訓 練 を 受 け て い た シ ョ ウ は 、 上 記 の 集 会 に 出 席 し 、 日 本 宣 教 を 志 願 し た の で あ る 。 か れ は 、 外 務 大 臣 グ ラ ン ヴ ィ ル か ら 日 本 駐 在 イ ギ リ ス 公 使 館 付 牧 師 に 任 命 さ れ 、 そ の 身 分 は イ ギ リ ス 帝 国 官 吏 で あ っ た 。 そ の 任 用 期 間 は パ ー ク ス 公 使 の 時 代 か ら 、 パ ー ク ス の 秘 書 官 を 務 め て い た ア ー ネ ス ト ・ サ ト ウ が 公 使 を 勤 め る よ う に な っ た 時 代 に ま で に 及 ん で い る 。 シ ョ ウ は ウ ィ リ ア ム ・ ラ イ ト と 共 に 一 八 七 三 年 七 月 二 日 に リ ヴ ァ プ ー ル を 出 発 、 同 年 九 月 二 十 五 日 に 横 浜 に 到 着 し た 。 在 日 英 国 公 使 パ ー ク ス か ら ﹁ 日 本 人 と 接 触 が 出 来 る よ う に 居 留 地 に 住 む こ と は 避 け る こ と 、 点 在 す る 港 町 で は な く 政 治 、 経 済 、 教 育 の 中 心 で あ る 東 京 で 布 教 に 従 事 す る よ う に ﹂ と い う 助 言 を 受 け た 。 こ の パ ー ク ス が 示 し た 指 針 は い わ ゆ る プ ロ パ ガ ン ダ 型 と 形 容 さ れ る 宣 教 の ス タ イ ル の 要 素 を 多 く 含 ん で い る 。 ﹁ こ の 型 の 宣 教 は キ リ ス ト 教 社 会 が 非 キ リ ス ト 教 社 会 に 対 し て 絶 対 的 優 位 に 立 つ と い う 観 念 を 前 提 に し て お り 、 キ リ ス ト 教 の 宣 教 は そ の ま ま 西 欧 文 化 の 伝 達 、 搬 入 で あ っ た 。 ﹂ こ の 点 に お い て 、 キ リ ス ト 教 社 会 の 絶 対 的 優 位 は あ り 得 な い と す る い わ ゆ る ミ ッ シ ョ ン 型 を と る C M S の 指 針 と は 対 照 的 で あ る 。 ゆ 当 時 の シ ョ ウ の 給 与 は 年 間 二 百 五 十 ポ ン ド で 、 二 年 以 内 に 日 本 語 が 流 暢 に 話 せ る よ う に な っ た 場 合 は 三 百 ポ ン ド に 昇 給 す る こ と が 約 束 さ れ て い た 。 彼 は 三 田 寺 町 の 大 松 寺 に ラ イ ト と 共 に 居 住 し た 。 ど の よ う な 経 過 で あ っ た の か 明 ら か で は な い が 、 彼 は 福 沢 諭 吉 と の 交 流 を 持 ち 、 一 八 七 四 年 二 月 か ら 福 沢 家 の 子 供 達 に 英 書 の 指 導 を は じ め た 。 福 沢 は 一 八 七 四 年 四 月 に は 自 宅 の 傍 ら に シ ョ ウ の た め に 住 居 を 建 築 し 、 彼 を 慶 鷹 義 塾 の 教 師 と し て 雇 用 し た 。 シ ョ ウ は リ ュ ー マ チ の 持 病 が あ り 、 病 弱 で あ っ た た め 福 沢 家 の 世 話 に な る こ と も 多 か っ た よ う だ が 、 一 八 七 五 年 十 一 月 に 妻 、 カ テ ル を 迎 え て か ら は 心 身 共 に 安 定 し て 仕 事 に 励 む こ と が 可 能 に な っ た 。 彼 の 結 婚 に つ い て は 、 S P G と の 間 に 多 少 の 軋 礫 が あ っ た よ = 二
一 四 う で あ る が 、 こ の や り と り の 中 で 彼 は 貧 し い 家 庭 に 育 っ た 女 性 を 妻 に す る こ と で 宣 教 生 活 に 耐 え ら れ る と 主 張 し て お り 、 こ の 事 実 は 注 目 に 値 す る 。 彼 は 一 八 七 六 年 に 芝 に 自 宅 を 新 築 移 転 し た が 、 福 沢 と の 交 流 は 一 九 〇 一 年 に 福 沢 が 他 界 す る ま で 二 十 七 年 間 続 き 、 彼 等 は 深 い 信 頼 と 友 情 と で 結 ば れ て い た 。 シ ョ ウ の 仕 事 は 英 国 人 信 徒 の た め の 礼 拝 、 日 本 人 、 特 に 慶 鷹 義 塾 の 学 生 達 に 対 す る 伝 道 で あ っ た が 、 次 第 に そ の 活 動 範 囲 は 神 奈 川 、 静 岡 、 名 護 、 千 葉 な ど に 広 が り 、 一 八 八 八 年 に は ビ カ ス テ ス 主 教 か ら 東 京 地 方 の 大 執 事 ( ア ー チ ・ デ ィ ー コ ン ) に 任 命 さ れ て い る 。 幕 末 か ら 明 治 初 年 に か け て 欧 米 諸 国 が 日 本 国 と 結 ん で い た 条 約 は 、 治 外 法 権 を 認 め さ せ る な ど 全 く の 不 平 等 条 約 で あ っ た 。 特 に 、 日 清 戦 争 時 に お け る 日 本 軍 の 行 動 は 報 道 を 通 じ て 欧 米 諸 国 に 伝 え ら れ 、 国 際 問 題 に 発 展 し 、 日 本 政 府 に 大 き な 打 撃 を 与 え た 。 そ の 結 果 、 当 時 ま と ま り か け て い た 米 国 と の 条 約 改 正 を 反 故 に す る 怖 れ さ え あ っ た 。 こ の 時 期 に 帰 英 中 で あ っ た シ ョ ウ は 一 八 九 五 年 二 月 一 日 付 け の ﹃タ イ ム ズ ﹄ 紙 に 日 本 の 立 場 を 擁 護 す る 趣 旨 の 寄 稿 を 行 っ た 。 シ ョ ウ が こ の よ う に 日 本 の 立 場 を 擁 護 す る に 至 っ た 背 景 に は 日 本 人 に 対 す る 理 解 と 愛 情 が あ っ た こ と は 確 か で は あ る が 、 同 時 に 彼 の 英 国 国 教 会 宣 教 師 と し て の 良 心 、 衿 持 も 見 逃 す こ と は 出 来 な い 。 パ ゥ ル ズ は こ の よ う な シ ョ ウ の 貴 族 的 で 保 守 的 ゆ な 性 格 は 他 の S P G の 宣 教 師 、 ビ カ ス テ ス 、 ラ イ ト な ど の ハ イ ・ チ ャ ー チ マ ン に 共 通 す る も の だ と 述 べ て い る 。 更 に 、 シ ョ ウ 家 は 独 立 戦 争 後 カ ナ ダ に 移 住 し た 行 為 が 示 す ご と く 王 党 派 で あ る こ と 、 ま た 出 自 に 由 来 す る と 思 わ れ る 貴 族 的 性 格 は 自 分 が 教 化 し た 日 本 人 の 信 者 、 或 い は 同 僚 に 父 性 的 な 敬 意 を 払 う こ と を 惜 し ま な か っ た こ と に も 表 れ て い る と 指 摘 し て い る 。 彼 は 同 僚 ラ イ ト ( ア イ ル ラ ン ド 出 身 ) 、 ロ イ ド ( ウ エ ー ル ズ 出 身 ) と 共 に ケ ル ト 民 族 の 血 を 引 い て お り 、 人 々 に 対 す る 情 愛 の 深 さ は こ の 民 族 特 有 の 気 質 に も 起 因 し て い る こ と を 感 じ さ せ る 。 現 在 残 さ れ て い る 彼 に 関 す る 多 く の 文
個 献 、 書 簡 類 な ど に も 彼 の 人 と な り を 示 す エ ピ ソ ー ド が 幾 つ か 残 さ れ て い る 。 世 界 各 地 で 活 躍 し た S P G の 宣 教 師 が 本 部 に 宛 て た 書 簡 は 現 在 オ ッ ク ス フ オ ー ド 大 学 ・ ボ ー ド リ ア ン ・ ラ イ ブ ラ リ ー の 分 館 の つ で あ る ロ ー ズ ハ ウ ス ・ ラ イ ブ ラ リ ー 内 の 史 料 保 管 所 に 所 蔵 さ れ て い る 。 シ ョ ウ の 書 簡 も D シ リ ー ズ (受 信 書 簡 ) 、 ま た そ の 写 し で あ る C L R シ リ ー ズ (受 信 書 簡 写 し ) と し て 多 数 が 保 管 さ れ て い る 。 そ れ ら を 通 読 す る と 、 彼 の 書 簡 は 単 に 事 務 上 の 報 告 、 或 い は 連 絡 と い っ た 事 務 的 な 性 質 の も の に 止 ま ら ず 、 私 情 が に じ み 出 た も の も 多 く 、 そ れ ら は い ず れ も 彼 の 豊 か な 人 間 性 を 示 す も の と な っ て い る 。 彼 が 在 日 中 に 最 も 力 を 注 い だ の は 宣 教 活 動 で あ っ た こ と は 当 然 で あ る が 、 中 で も 特 に 聖 ア ン デ レ 教 会 の 建 設 、 聖 教 社 神 学 校 の 設 立 、 慶 応 義 塾 に お け る キ リ ス ト 教 教 育 が 挙 げ ら れ よ う 。 彼 が 慶 応 で 教 化 し た 学 生 の 中 か ら は 後 年 、 憲 政 の 神 様 と 呼 ば れ た 尾 崎 行 雄 に 代 表 さ れ る 逸 材 を 輩 出 し た 。 明 治 十 年 秋 の 記 録 に 依 れ ば 、 シ ョ ウ 、 ラ イ ト 両 者 の 来 日 以 来 、 僅 か 五 年 間 で 一 五 〇 名 近 い 受 洗 者 が あ っ た こ と が S P G 本 部 へ の 報 告 に 残 さ れ て い る 。
宣
教
活
動
以
外
に
も
彼
の
業
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と
し
て
は
、
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本
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子
教
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へ
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献
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の
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立
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力
1
、
社
会
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祉
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動
ー
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世
話
、
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別
部
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に
お
け
る
活
動
1
が
挙
げ
ら
れ
る
。
ま た 彼 は 日 本 に お い て 別 荘 地 軽 井 沢 を 開 い た 恩 人 と し て 一 般 の 人 々 に は 知 ら れ て い る 。 彼 が 軽 井 沢 と 関 わ り を 持 つ よ う に な っ た い き さ つ に つ い て 簡 単 に 述 べ る と 以 下 の 通 り で あ る 。 一 八 八 五 年 、 工 部 大 学 講 師 ジ ェ ー ム ズ ・ メ イ ン ・ デ ィ ク ソ ン と 共 に こ の 地 を 徒 歩 で 旅 行 中 に 彼 は 浅 間 を 背 景 に し た 軽 井 沢 の 景 観 を 目 に し た 。 し か し そ の 当 時 、 軽 井 沢 宿 は 参 勤 交 代 制 度 が 廃 止 さ れ 、 更 に 新 碓 氷 道 が 開 通 す る と い う 時 代 の 激 変 に よ っ て 人 々 の 暮 ら し は 激 変 し 、 廃 れ か か っ て い た 。 こ の 窮 状 を 見 た デ ィ ク ソ ン 、 シ ョ ウ と い う 二 人 の 外 国 人 の 策 一 五一 六 動 に よ り 、 凍 結 状 態 で あ っ た 鉄 道 省 の 碓 氷 線 計 画 が 見 直 さ れ 、 外 国 人 避 暑 地 と し て の 軽 井 沢 が 誕 生 す る 運 び と な っ た の で あ る 。 現 在 旧 軽 井 沢 地 区 の 日 本 聖 公 会 軽 井 沢 シ ョ ウ 記 念 礼 拝 堂 入 り 口 に 彼 の 記 念 碑 が 建 て ら れ 、 こ の 村 の 人 々 の シ ョ ウ に 対 す る 厚 い 謝 意 を 記 録 に 留 め る も の と な っ て い る 。 シ ョ ウ は 一 九 〇 二 年 三 月 十 三 日 に 五 十 六 才 で 逝 去 し た 。 ビ カ ス テ ス 主 教 の 後 任 と し て 主 教 に 任 命 さ れ る こ と は 彼 自 身 お も 望 ん で い た こ と で は あ っ た で あ ろ う 。 そ れ は ま た 彼 を 知 る 人 々 の 関 心 事 で も あ っ た に も か か わ ら ず 、 大 執 事 と し て こ の 世 を 去 っ た 。 彼 が 主 教 に 叙 階 さ れ る こ と は 彼 の 業 績 、 人 物 、 学 識 か ら 判 断 し て 当 然 の こ と と 思 わ れ た が 、 門 閥 、 学 閥 ー オ ッ ク ス ・ ブ リ ッ ジ の 出 身 で は な く 、 国 教 会 役 職 者 の 係 累 も 持 た な か っ た 1 共 に 彼 は 不 利 な 立 場 に あ っ た 。 ビ カ ス テ ス 主 教 の 跡 を 継 ぎ 南 関 東 教 区 の 主 教 に 就 任 し た の は 大 阪 教 区 主 教 で あ っ た ウ ィ リ ア ム ・ オ ー ド リ ー で あ り 、 オ ー ド リ ー が 去 っ た 大 阪 教 区 の 後 任 は 神 戸 在 住 の ビ ュ ー ・ ジ ェ イ ム ズ ・ フ ォ ス で あ っ た 。 シ ョ ウ が 一 九 〇 二 年 に 逝 去 し た と き の 英 字 新 聞 は ﹁ 物 静 か で 、 控 え め で 、 優 れ た 判 断 力 を 持 ち 、 人 の 気 持 ち に 共 感 し 、 機 敏 な 性 格 の 持 ち 主 で あ っ た 彼 は 、 友 情 を 和 解 さ せ る 仕 方 を 心 得 、 外 国 人 居 留 者 の 中 で 故 ア ー チ ・ デ ィ ー コ ン ほ ど 全 て の 階 層 の 人 々 に 愛 さ れ た 人 は な か っ た 。 ﹂ ( ﹃ジ ャ パ ン ・ レ ジ ス タ ー ﹄ ) と 伝 え た 。 宮 内 省 は 我 が 国 の 女 子 教 育 に 対 す る 彼 ゆ の 貢 献 を た た え 、 未 亡 人 に 一 千 円 の 恩 賜 金 を 追 贈 し た 。 生 涯 、 主 教 の 座 に 就 く こ と は な か っ た が シ ョ ウ こ そ は 日 本 入 の 記 憶 に 残 る 宣 教 師 の 一 人 で あ る と 言 え よ う 。 ア ー サ ー ・ ロ イ ド ( 一 八 五 二 ∼ 一 九 一 一 ) 写 真 6 ロ イ ド は 一 八 五 二 年 四 月 十 日 に 英 国 軍 人 で あ っ た 父 フ レ デ リ ッ ク ・ ロ イ ド の 滞 在 先 、 イ ン ド 、 パ ン ジ ャ ブ 州 、 シ ム ラ
で 生 ま れ た 。 父 は 一 八 五 六 年 に 死 去 。 ロ イ ド は 母 親 の 母 国 ド イ ツ に 移 り 、 初 等 教 育 を 受 け た 。 そ の 後 、 英 国 の グ ラ マ ー ・ ス ク ー ル に 入 学 。 一 八 七 〇 年 に ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 、 セ ン ト ・ ジ ョ ン ズ ・ コ レ ッ ジ で 三 年 間 学 ん だ 。 そ の 後 、 ピ ー タ ー ハ ゥ ス に 所 属 、 一 八 七 四 年 に 優 秀 な 成 績 で 卒 業 後 、 学 士 号 を 取 得 。 一 八 七 七 年 に は 修 士 号 を 得 て 、 ピ ー タ ー ハ ウ ス の フ ェ ロ ウ と な り 首 席 牧 師 、 図 書 館 員 の 仕 事 を 行 な っ た 。 彼 の 略 歴 が 物 語 る よ う に 彼 は ケ ン ブ リ ッ ジ で も 並 は ず れ た 秀 才 で あ り 、 学 者 と し て の 将 来 を 約 束 さ れ て い た 。 し か し 彼 は ケ ン ブ リ ッ ジ に 残 る 道 を 選 ば ず 、 イ ン ド で 布 教 す べ く 、 ド イ ツ に わ た り 、 チ ュ ー ビ ン ゲ ン 大 学 で サ ン ス ク リ ッ ト 語 を 学 ん だ 。 彼 が 日 本 に 赴 任 す る 直 前 の 仕 事 は 、 サ フ ォ ー ク 州 ノ ー ト ン の 教 区 牧 師 で あ り ハ ン ス ト ン の 主 任 司 祭 で あ っ た 。 彼 は 一 八 八 五 年 、 三 十 二 才 の 時 に 家 族 と 共 に 来 日 、 辞 任 し た ラ イ ト の 跡 を 継 い だ 。 当 時 帰 英 中 で あ っ た シ ョ ウ は ラ イ ト の 後 任 に ロ イ ド が 任 命 さ れ る こ と に 何 故 か 反 対 で あ っ た 。 し か し こ の 二 人 は 初 対 面 以 降 、 驚 く ほ ど 馬 が 合 う よ う に な っ た と パ ゥ ル ズ は 記 し て い る 。 両 者 が 親 交 を 結 ぶ よ う に な っ た こ と に つ い て は 、 共 に 英 国 植 民 地 の 出 身 で あ り 、 オ ッ ク ス フ オ ー ド 運 動 に 肩 入 れ し て い た と い う 理 由 も あ っ た よ う で あ る 。 彼 は シ ョ ウ 同 様 に 居 留 地 に 住 む こ と は 避 け 、 メ ソ ジ ス ト の 熱 心 な 信 者 で あ っ た 津 田 仙 の 世 話 で 麻 布 に 住 ま い を 見 つ け た 。 来 日 当 時 ロ イ ド は 六 百 ポ ン ド の 借 財 を 母 国 に 残 し て い た 。 こ れ を 支 払 う た め に 彼 は 副 職 と し て 教 師 の 仕 事 を 希 望 し た が 、 新 任 の ビ カ ス テ ス 主 教 は そ の よ う な 行 為 は 英 国 紳 士 ま た 宣 教 師 と し て ふ さ わ し く な い と 反 対 し た 。 し か し シ ョ ウ と 日 本 人 の 同 僚 は ロ イ ド を 支 援 し 、 彼 が 働 け る よ う な 私 塾 を 設 立 し た 。 そ の 後 一 ヶ 月 も 経 た な い 中 に 、 ロ イ ド は 福 沢 諭 吉 か ら 慶 応 で の 教 育 を 依 頼 さ れ 、 慶 応 で 教 え る よ う に な っ た こ と を 手 始 め に 、 半 年 経 た ず し て 五 つ も の 学 校 で 教 鞭 を と る う よ う に な っ た 。 そ の 結 果 彼 は 借 財 を 一 年 で 返 済 し た 。 一 七
福 沢 は ロ イ ド を 英 語 学 部 長 の 地 位 に 据 え 、 一 八 八 六 年 四 月 か ら 慶 鷹 義 塾 に お け る 英 語 教 育 を 全 て 統 括 す る 地 位 に 就 け た 。 彼 は 英 語 教 育 の み な ら ず 学 内 外 で の 宣 教 活 動 に も 熱 心 に 取 り 組 ん だ 。 そ の 結 果 と し て 、 学 内 の ク リ ス チ ャ ン の 数 は 教 員 、 学 生 と も に 増 加 し た 。 一 八 八 七 年 六 月 に 福 沢 は 三 田 の 学 内 に 二 階 建 て の 家 を ロ イ ド の た め に 建 て た 。 こ の 三 千 円 を か け て 建 築 さ れ た 大 き な 西 洋 館 の 中 に ロ イ ド は チ ャ ペ ル を 設 け 、 こ れ は 後 に 喜 望 教 会 へ と 発 展 す る こ と に な っ た 。 ロ イ ド は 教 職 を 通 じ て キ リ ス ト 教 -英 国 国 教 -を 広 め る と い う 希 望 を 抱 い て い た 。 実 際 に 一 八 八 七 年 ま で に 彼 の 希 望 に 添 っ て 六 人 の 外 国 人 教 師 が 慶 応 で 働 き 始 め て い た 。 し か し そ の 年 を 境 に 新 た な ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 動 き が 学 生 間 に 高 ま り を 見 せ 始 め た 。 そ の た め に 、 宣 教 師 が 同 時 に 教 師 の 任 務 を 勤 め る と い う こ と が 困 難 に な っ た の で あ る 。 こ の 動 き は 日 本 の 政 治 家 の 中 に 芽 生 え て き た 反 外 国 主 義 の 芽 生 え と 同 調 す る 動 き も 見 せ た 。 ロ イ ド は 更 な る 困 難 に 遭 遇 す る 。 福 沢 は 一 八 八 七 年 に 日 本 最 初 の 私 立 大 学 開 設 を 表 明 し た の だ が 、 文 学 、 理 財 、 法 律 の 三 科 か ら な る 慶 鷹 義 塾 大 学 部 は 一 八 九 〇 年 (明 治 二 十 三 年 ) 一 月 に 開 設 の 運 び と な っ た 。 福 沢 は こ の 大 学 開 設 に あ た り 、 主 任 教 員 の 人 選 を 、 こ れ ま で 最 も 信 頼 し 、 重 用 し て き た ロ イ ド で は な く 、 米 国 ユ ニ テ リ ア ン 派 宣 教 師 と し て 最 初 に 来 日 し た ナ ッ プ に 依 頼 し た 。 こ の 経 過 に つ い て は 従 来 の 福 沢 研 究 、 慶 鷹 義 塾 史 研 究 、 日 本 の キ リ ス ト 教 史 研 究 に お い て は 未 発 掘 で あ っ た 史 料 を 駆 使 さ れ た 白 井 発 子 氏 に よ る 綿 密 な 研 究 が あ る 。 こ の 研 究 で 明 ら か な っ た こ と は 、 福 沢 の 方 針 を 受 け 継 い た 矢 野 文 夫 が 、 英 国 ユ ニ テ リ ア ン 協 会 に た い し て 宣 教 師 派 遣 を 働 き か け た こ と が き っ か け に な っ た と い う こ と で あ る 。 そ し て そ の 英 国 国 教 会 宣 教 師 か ら ユ ニ テ リ ア ン に 乗 り 換 え た 福 沢 の 方 針 変 更 の 底 流 に は 、 メ ソ ジ ス ト 派 宣 教 師 の 宣 教 、 そ の 後 の 英 国 国 教 会 派 宣 教 師 、 或 い は 彼 等 の 説 く 教 義 に つ い て 当 時 の 日 本 の 知 識 階 級 の 人 々 が 抱 い て い た 複 雑 な 思 い が 読 み 取 れ る 。 八
英 米 と の 交 流 が 始 ま る 以 前 か ら 日 本 は 既 に ポ ル ト ガ ル 、 オ ラ ン ダ 、 ス ペ イ ン 等 を 通 し て 西 欧 文 明 と 接 触 を 持 ち 、 明 治 期 に 入 っ て か ら は 欧 米 先 進 国 の 思 想 、 哲 学 も 伝 来 し て い た 。 ま た 、 宗 教 で は 仏 教 の よ う に 完 成 さ れ た 宗 教 も 広 く 民 衆 に 浸 透 し て い た の だ か ら 、 英 国 国 教 の 教 義 を 全 面 的 に は 受 け 入 れ ら れ な い と い う 思 い を 持 っ て い た 人 た ち が 存 在 し て い た と し て も 不 思 議 で は な い 。 福 沢 の 米 国 留 学 中 の 次 男 捨 二 郎 が 一 八 八 七 年 十 一 月 に ボ ス ト ン で 行 っ た 演 説 で 明 ら か に し て い る よ う 高 い 教 養 を 身 に つ け て い る 日 本 人 の 中 に 当 時 の 宣 教 師 に 対 し て 抱 い た 、 共 通 の 、 奮 屈 し た 思 い が あ っ た の も 当 然 で あ ろ う 。 ﹁日 本 に 来 て い る 外 国 人 宣 教 師 達 の 一 番 の 問 題 点 は 、 日 本 人 に 共 感 を 抱 い て い な い こ と で あ る 。 彼 等 は 、 日 本 人 を 自 分 た ち よ り 一 段 低 い 下 等 な 入 間 と 見 な し 、 日 本 人 に 対 し て 、 日 本 固 有 の 宗 教 、 哲 学 、 道 徳 を 破 棄 し て キ リ ス ト 教 を 信 ぜ よ と す す め て い る ⋮ ﹂ ユ ニ テ リ ア ニ ズ ム の 持 つ 合 理 性 -原 罪 や 三 位 一 体 論 に 反 対 、 イ エ ス ・ キ リ ス ト の 神 性 を 否 定 す る な ど i 、 功 利 主 義 、 実 学 の 重 要 性 の 認 識 な ど が (現 世 の 幸 福 追 求 型 心 情 の ) 福 沢 を ふ く む 当 時 の 日 本 の 知 識 層 に 受 け い れ 易 か っ た こ と は 想 像 に 難 く な い 。 , ・ 、 た し か に 福 沢 は ロ イ ド の み が 宣 教 師 の 中 で は 唯 一 の 学 者 で あ る こ と を 認 め 、 睡 眠 時 間 も 惜 し ん で エ ネ ル ギ ッ シ ュ に 誠 心 誠 意 、 学 生 の 教 育 に 心 血 を 注 ぐ 彼 の 姿 に 深 い 敬 意 を 払 っ て も い た 。 し か し な が ら 、 若 い 日 本 国 の 将 来 を 見 据 え て 、 慶 鷹 義 塾 大 学 部 開 設 に 当 た ろ う と し て い た 福 沢 に は こ の 時 、 極 め て 冷 静 な 判 断 が 働 い た の で あ ろ う 。 ロ イ ド は 大 学 部 開 設 に 当 た っ て 自 分 が 中 心 的 な 役 割 を 担 う こ と を 当 然 の こ と と し て 期 待 し 、 ま た そ の 旨 を S P G 本 部 に ま で 書 簡 で 伝 え て い 一 九
二 〇 た が 、 そ の 返 答 を 得 る 以 前 に ナ ッ プ の 慶 鷹 義 塾 に お け る 活 動 が 始 ま っ た の で あ る 。 一 八 八 九 年 三 月 、 ロ イ ド は 慶 慮 義 塾 と の 関 わ り 方 を 変 え る 決 心 を し た 。 彼 は S P G に 休 暇 を 求 め 、 ト ロ ン ト の ト リ ニ テ ィ ・ コ レ ッ ジ か ら 申 し 出 の あ っ た 教 授 職 の 仕 事 を 引 き 受 け る 許 可 を 求 め た 。 彼 に は 重 い 病 を 患 う 妻 の 為 に 移 住 を 希 望 す る と い う も う 一 つ の 理 由 も あ っ た 。 彼 は 、 S P G か ら の 回 答 を 手 に す る 以 前 に 日 本 を 去 り 、 カ ナ ダ に 行 く こ と を 決 断 の し た 。 六 年 間 に 亘 る S P G 宣 教 師 と し て の 生 活 に 別 れ を 告 げ 、 彼 は 一 八 九 〇 年 八 月 七 日 、 慶 慮 義 塾 教 員 を 一 名 同 道 し て 横 浜 か ら カ ナ ダ に 向 か っ て 出 帆 し た 。 し か し カ ナ ダ で 妻 を 見 送 っ た ロ イ ド は 三 年 後 の 一 八 九 三 年 秋 に カ ナ ダ の 職 を 辞 し て 再 来 日 し 、 慶 応 義 塾 文 学 部 二 代 目 主 任 教 員 に 就 任 し た 。 ロ イ ド を 高 く 評 価 し て い た 福 沢 は 、 当 時 と し て は 破 格 の 月 給 二 百 五 十 ポ ン ド を 支 払 っ た 。 ロ イ ド は 日 本 で の 教 職 は 自 分 に 最 適 の 仕 事 で あ る と 再 認 識 し て 、 再 び 慶 応 の 教 壇 に 立 て た こ と を 大 き な 喜 び と 感 じ た よ う で あ る 。 彼 は 慶 磨 義 塾 の 女 性 教 員 で あ っ た フ ァ ル ロ ッ ト と 再 婚 し た 。 日 本 帰 国 後 に 、 再 度 、 S P G 所 属 の 宣 教 師 に 戻 り た い と い う 希 望 が 容 れ ら れ な か っ た ロ イ ド は 一 八 九 四 年 、 来 日 中 の マ キ ム 主 教 の 勧 め で 米 国 聖 公 会 に 所 属 し た 。 そ し て 一 八 九 八 年 四 月 に 慶 慮 義 塾 を 退 職 し 、 翌 年 に は 立 教 学 院 の 総 理 に 就 任 し た 。 こ れ は ウ イ リ ア ム ズ 主 教 が 日 本 に お け る キ リ ス ト 教 主 義 に よ る 教 育 事 業 の 必 要 性 を 本 国 ア メ リ カ に 説 き 、 明 治 七 年 に 築 地 に 開 い た 私 塾 が 基 礎 と な っ て 発 展 し た も の で あ る 。 一 九 〇 三 年 四 月 、 ロ イ ド は 立 教 を 去 り 、 同 時 に 米 国 聖 公 会 か ら も 離 れ た 。 同 時 に 彼 は 小 泉 八 雲 の 後 任 者 と し て 東 京 帝 国 大 学 文 科 大 学 で 英 語 、 英 文 学 の 講 義 を 一 九 = 年 十 月 二 十 七 日 に 逝 去 す る ま で 行 っ た 。 こ の 間 、 一 九 〇 二 年 に は 東 京 高 等 商 業 学 校 で も 教 鞭 を 取 っ た 。 彼 は 日 本 文 化 に 深 い 興 味 を 持 ち 、 日 本 文 化 の 紹 介 に 努 め た 。 ま た 晩 年 に は 特 に 浄 土 真 宗 の 学 問 的 研 究 に 心 血 を 注 ぎ 、
仏 教 文 献 に 通 じ た 学 者 と し て 認 め ら れ る 存 在 と な っ た 。 彼 は 仏 教 と キ リ ス ト 教 の 相 似 性 -浄 土 真 宗 に お け る 他 力 本 願 、 慈 悲 な ど ー を 指 摘 し 、 阿 弥 陀 の 物 語 は キ リ ス ト の 生 涯 の 東 洋 的 改 作 で あ る と い う こ と を 証 明 し よ う と 試 み た 。 こ の 試 み は 成 功 せ ず 、 当 時 は 多 く の キ リ ス ト 教 徒 か ら は 異 端 視 さ れ た 。 し か し 彼 の こ の 試 み は 、 現 代 の 比 較 宗 教 学 の 視 点 か ら そ の 価 値 を 再 認 識 さ れ て も よ い の で は な い だ ろ う か 。 ロ イ ド の 母 校 で あ る ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 ・ ピ ー タ ー ハ ゥ ス の チ ャ ペ ル 内 に 彼 を 記 念 す る 銘 板 が 取 り 付 け ら れ て い る 。 エ ド ワ ー ド ・ ビ カ ス テ ス ( 一 八 五 〇 ∼ 一 八 九 七 ) 写 真 7 ビ カ ス テ ス 家 は 北 方 ウ エ ス ト モ ー ラ ン ド 地 方 の 出 身 で 、 領 主 を 務 め た そ の 家 系 か ら は 十 三 、 十 四 世 紀 に は そ の 地 方 を 代 表 す る 国 会 議 員 を 務 め た 人 物 も 二 名 出 て い る と い う 名 家 で あ る 。 父 エ ド ワ ー ド は 五 人 兄 弟 の 四 番 目 で あ っ た 。 長 男 は 水 死 、 次 男 は 教 養 あ る 聖 職 で 、 多 く の 賛 美 歌 を 作 っ た 人 で あ り 、 そ の 息 子 が リ ボ ン の 主 教 と な っ て い る 。 三 男 は ケ ン ブ リ ッ ジ の 数 学 首 席 を 占 め 、 控 訴 院 判 事 に な り 、 議 員 に な っ た 。 五 人 目 の ロ バ ー ト は リ ヴ ァ プ ー ル で 最 初 の 外 科 医 に な っ た 。 四 男 の エ ド ワ ー ド ・ ヘ ン リ ー が 本 論 の 主 教 エ ド ワ ー ド の 父 に な っ た 人 で あ る 。 彼 は 十 四 才 で ロ ン ド ン に 出 て 郵 便 局 の 事 務 員 、 つ い で 事 務 弁 護 士 と な っ た 。 一 八 一 五 年 に 高 収 入 の 事 務 弁 護 士 の 仕 事 を 辞 し て 聖 職 に な っ た 。 当 時 西 欧 の フ ロ ン テ ィ ア で あ っ た ア フ リ カ で 伝 道 師 達 が 残 酷 な 運 命 に 出 合 っ て い た こ と が そ の 動 機 で あ っ た 。 彼 は す ぐ に で も ア フ リ カ に 送 ら れ る こ と を 希 望 し て い た 。 こ の 父 親 の 学 問 好 き の 性 格 と 職 業 選 択 が 明 ら か に 彼 の 息 子 エ ド ワ ー ド に 影 響 を 及 ぼ し た と 見 ら れ て い る 。 彼 は 一 八 五 〇 年 六 月 二 十 六 日 に 父 エ ド ワ ー ド ・ ヘ ン リ ー ・ ビ カ ス テ ス の 長 子 と し て ノ ー フ ォ ー ク 、 バ ニ ン ハ ム 司 祭 館 で 生 ま れ た 。 彼 は 父 の 転 勤 に よ っ て ロ ン ド ン の ハ ム ス テ ッ ド に 移 り 住 み 、 一 八 六 二 年 ∼ 六 九 年 ま で 近 二 一
二 二 く に あ る ハ イ ゲ ー ト 校 に 通 っ た 。 幼 時 か ら 秀 才 の 誉 れ が 高 か っ た 彼 は 長 ず る に 及 ん で 頭 角 を 現 し 小 学 校 卒 業 時 に は 数 学 、 神 学 の 優 等 賞 、 知 事 か ら の 金 賞 な ど 多 く の 名 誉 を 受 け た 。 一 八 六 九 年 秋 に ケ ン ブ リ ッ ジ ・ ペ ン ブ ル ク ・ コ レ ッ ジ に 入 っ た 。 一 八 七 九 年 に B A を 、 一 八 七 六 年 に M A を 取 得 し た 。 し か し 、 一 八 七 三 年 の 卒 業 時 に 古 典 学 の ト ラ イ ボ ス (卒 業 試 験 の 一 種 ) で フ ァ ー ス ト ・ ク ラ ス (上 級 の 卒 業 資 格 ) を と れ な か っ た こ と は 彼 に と っ て は 相 当 な 心 の 痛 手 に な っ た よ う で あ る 。 彼 は そ の 後 勉 学 に 励 み 、 一 年 後 、 フ ァ ー ス ト ・ ク ラ ス に 合 格 し た 。 一 八 七 三 年 に 執 事 、 七 四 年 に 牧 師 に 叙 階 さ れ 、 ,七 三 ∼ 七 五 年 に ハ ム ス テ ッ ド の 聖 三 一 教 会 の 牧 師 補 を 勤 め た 。 一 八 七 五 年 に は ペ ン ブ ル ク ・ コ レ ッ ジ の フ ェ ロ ウ に 選 ば れ た 。 こ の 資 格 は 十 八 年 間 継 続 す る の だ が 、 実 際 に 彼 が 講 義 を 行 っ た の は 、 最 初 の 二 年 の み で あ っ た 。 当 時 ケ ン ブ リ ッ ジ で は 著 名 な 宗 教 指 導 者 で あ っ た ウ エ ス ト コ ッ ト 教 授 の 下 に は 熱 心 な 学 生 、 研 究 者 が 集 ま っ て い た が 、 彼 は 、 イ ン ド の よ う な 異 教 が 深 く 根 付 い て い る 土 地 に は そ れ に ふ さ わ し い 優 秀 な 人 材 を 派 遣 し な け れ ば な ら な い と 説 い た 。 そ の 提 唱 に 呼 応 し て 北 イ ン ド へ の 伝 道 団 、 ﹁ デ リ ー 行 き ケ ン ブ リ ッ ジ 伝 道 団 ﹂ が 結 成 さ れ た と き 、 ビ カ ス テ ス は そ の 初 代 の 団 長 に 選 ば れ 、 一 八 七 七 年 に デ リ ー に 着 任 し た 。 イ ン ド で の 滞 在 は 五 年 と い う 短 い 期 間 で あ っ た が 、 そ の 間 に 彼 を 中 心 と す る ミ ッ シ ョ ン は 、 劣 悪 な 環 境 で コ レ ッ ジ を 設 立 す る な ど 知 的 レ ヴ ェ ル の 高 い 人 々 を 対 象 に 成 果 を 挙 げ た 。 し か し ビ カ ス テ ス 自 身 は 病 を 得 て 一 八 八 二 年 に 帰 国 し 、 サ フ ォ ー ク の フ ラ ム リ ン ハ ム の 牧 師 に 就 任 し た 。 そ の 後 そ の 職 を 辞 し て 、 再 度 イ ン ド 行 き を 計 画 中 に 日 本 で の 主 教 就 任 を 依 頼 さ れ た 。 こ れ は 日 本 最 初 の 英 国 人 主 教 で あ っ た プ ー ル 師 の 死 去 に 伴 う 人 事 で あ っ た 。 彼 は 、 主 教 に 叙 任 さ れ 一 八 八 六 年 に 来 日 し た 。 彼 が 日 本 で 果 た し た 最 も 大 き な 役 割 は S P G 、 C M S 、 米 国 聖 公 会 を 統 括 し 日 本 聖 公 会 を 組 織 し た こ と で あ る 。 そ れ
は 彼 個 人 の 力 だ け で は な く 、 米 国 聖 公 会 出 身 の ウ イ リ ア ム ズ 主 教 と の 協 力 が あ っ て の こ と で あ っ た 。 米 国 聖 公 会 か ら 派 遣 さ れ 、 日 本 聖 公 会 初 代 主 教 と な っ た ウ イ リ ア ム ズ 主 教 は 、 聖 人 的 風 格 を 備 え て 万 人 の 尊 崇 の 的 と な っ て い た が 、 今 な お そ の 遺 風 を 慕 う 人 も 多 い 。 ﹁ ミ ニ マ ム ・ プ リ ン シ プ ル ﹂ の 生 活 信 条 を 固 守 し 、 粗 衣 粗 食 を 貫 い た 彼 の 姿 は 弟 子 の 足 を 洗 っ た キ リ ス ト の 故 事 を 彷 彿 さ せ る も の が あ る 。 彼 は 全 て の 収 入 を 伝 道 の た め に 捧 げ た 。 彼 の 献 金 を 基 に 設 立 さ れ た 京 都 聖 ヨ ハ ネ 教 会 は 当 時 の 名 建 築 と し て 高 い 評 価 を 得 、 現 在 、 愛 知 県 の 明 治 村 に 保 存 さ れ て い る 。 こ の ウ イ リ ア ム ズ 主 教 の 協 力 、 加 え て 当 時 の 日 本 に お け る キ リ ス ト 教 界 で の 内 的 i 英 国 国 教 系 の 三 教 派 、 C M S 、 S P G 、 米 国 聖 公 会 ; 並 び に 外 的 ー プ ロ テ ス タ ン ト 系 教 派 の 組 織 成 立 へ の 動 き 1 要 素 の 作 用 に よ っ て 統 合 へ の 機 運 が た か ま っ て い た こ と も 日 本 聖 公 会 と い う 組 織 の 統 合 に 有 利 に 働 い た 。 彼 が リ ー ダ ー を つ と め た 北 イ ン ド へ の 伝 道 団 は S P G か ら の 資 金 援 助 を 受 け た こ と も あ っ て 、 彼 は S P G 系 の 宣 教 師 と 見 ら れ が ち で あ っ た が 、 ビ カ ス テ ス 家 は 高 位 聖 職 者 を 輩 出 し た 家 柄 で あ り 、 父 親 も 当 時 エ ク セ タ ー 教 区 主 教 を つ と め 、 C M S の 会 長 で も あ っ た か ら 、 三 ミ ッ シ ョ ン の 協 力 を 得 や す い 立 場 で あ っ た 。 そ の よ う な 時 代 的 、 個 人 的 背 景 の 下 に 、 ビ カ ス テ ス 主 教 の 優 れ た 政 治 的 手 腕 が う ま く 発 揮 さ れ た と 言 え よ う 。 彼 は 聖 ヒ ル ダ 会 を 設 立 し た こ と で も 知 ら れ る よ う に 、 女 性 へ の 伝 道 、 教 育 に も 関 心 を 持 ち そ の 必 要 性 を 深 く 認 識 し て い た 。 当 時 女 子 学 習 院 及 び 東 京 高 等 師 範 学 校 で 教 鞭 を 取 っ て い た 津 田 梅 子 が ﹃ジ ャ パ ン ・ デ イ リ ー ・ メ イ ル ﹄ 一 八 九 八 年 十 一 月 号 に 寄 稿 し た 文 章 に 触 れ た こ と に よ っ て 、 彼 の 日 本 女 子 教 育 へ の 理 解 と 関 心 が 深 ま っ た こ と が 彼 の 伝 記 に 言 及 ㈲ さ れ て い る 。 津 田 梅 子 は 女 性 の た め の 学 校 設 立 を 企 画 し て い た が 、 彼 女 の 志 を 知 っ た ビ カ ス テ ス 主 教 夫 人 を 中 心 と す る 英 国 女 性 達 二 三
二 四 の 支 援 に よ っ て 、 一 八 九 八 ∼ 九 年 に 英 国 に 留 学 し 、 オ ッ ク ス フ ォ ー ド 大 学 で 学 ん だ 最 初 の 日 本 人 女 性 と な っ た 。 一 方 、 ビ カ ス テ ス 主 教 は ﹁皇 室 の た め の 祈 り ﹂ ﹁ 帝 国 議 会 の 為 の い の り ﹂ の 草 案 を つ く っ た 主 教 と し て も 知 ら れ て い る 。 こ の 事 実 は 現 代 の 日 本 人 か ら 見 れ ば 、 多 分 に 奇 異 な 感 じ を い だ か せ る が 、 彼 は 日 本 伝 道 が 進 捗 す れ ば 英 国 教 会 が 、 母 国 に 対 し て 占 め る 位 置 に 日 本 の キ リ ス ト 教 も 達 す る 可 能 性 に 疑 い を 抱 い て い な か っ た 。 彼 を 含 む 芝 派 の 宣 教 師 た ち は 天 皇 制 絶 対 主 義 体 制 に 傾 い て い く 日 本 に 余 り 危 惧 を 抱 く こ と は な か っ た よ う で あ る 。 ま た 周 囲 の 日 本 人 達 も 、 芝 派 の 宣 教 師 た ち が 母 国 に 抱 く 愛 国 心 に 共 感 を 覚 え て 、 こ れ が 彼 等 に 対 す る 親 近 感 を 深 め た も う 一 つ の 要 因 と も な っ た 。 ビ カ ス テ ス 主 教 は 、 恵 ま れ た 資 質 と た ゆ ま ざ る 日 々 の 努 力 に よ っ て 身 に つ け た と 思 わ れ る 優 れ た 識 見 、 広 い 視 野 、 高 い 理 想 を 持 ち 、 人 格 的 に も リ ー ダ ー に ふ さ わ し い 人 で あ っ た 。 従 来 か ら 強 健 で は な か っ た ビ カ ス テ ス 主 教 は 、 日 本 や 韓 国 で 主 教 と し て 務 め た 多 忙 な 職 務 に よ っ て 次 第 に 健 康 が 蝕 ま れ 、 帰 国 中 の 一 八 九 七 年 八 月 五 日 に 四 十 七 才 で 惜 し ま れ つ つ 逝 去 し た 。 聖 公 会 神 学 教 授 、 立 教 大 学 総 長 も 務 め た 塚 田 理 は 芝 派 の 宣 教 師 に つ い て 以 下 の よ う に 締 め く く っ て い る 。 ﹁ 彼 ら は 日 本 に い わ ば 優 越 者 と し て や っ て き た 。 元 々 こ れ ら の 宣 教 師 達 は 本 国 に お い て も エ リ ー ト で あ っ て 、 い ず れ も 最 高 学 府 の 卒 業 者 で あ っ た 。 彼 ら が 身 に つ け て い た ヒ ュ ー マ ニ ズ ム は こ う し た エ リ ー ト の ヒ ュ ー マ ニ ズ ム で あ っ て 、 い っ て み れ ば 余 裕 を 持 っ て ほ か の 、 そ し て と く に 下 位 の 文 化 や 民 族 、 国 民 を 受 け 入 れ る 寛 大 さ が あ っ た の で あ る 。 彼 ら の 理 念 は 階 級 的 差 別 を 廃 す る も の で あ っ た が 、 彼 ら が 実 際 に 行 っ た 行 動 は 指 導 者 と し て の 、 エ リ ー ト と し て の 被 抑 圧 者 へ の 救 済
活 動 で あ り 、 ま た 啓 蒙 運 動 で あ っ た 。 彼 ら は 問 題 点 の 指 摘 、 社 会 へ の 批 判 、 被 抑 圧 者 の 自 立 性 、 自 己 訓 練 を 促 し た が 、 政 治 的 社 会 的 な 変 革 の 実 践 的 プ ロ グ ラ ム を 提 示 す る こ と は な か っ た し 、 ま た 彼 ら の 中 の 一 員 と し て 行 動 す る こ と は な か っ た 。 こ の 意 味 で は ︿ 貴 族 的 ヒ ⑳ ユ ー マ ニ ズ ム ﹀ に 留 ま っ た と い っ て よ い で あ ろ う 。 ﹂ 6 . ア リ ス ・ ホ ア i -L A が 派 遣 し た 日 本 最 初 の 女 性 宣 教 師 ー ( 一 八 四 五 ∼ 一 九 二 二 ) ア リ ス ・ エ リ ナ ・ ホ ア ー は L A が 一 八 七 五 年 に 初 め て 日 本 に 派 遣 し た 女 性 宣 教 師 で あ る 。 彼 女 に つ い て の 研 究 は 僅 か に 白 井 尭 子 に よ る も の が あ る の み で 、 彼 女 に つ い て の 個 人 的 な 情 報 は 殆 ど 残 さ れ て い な い と 言 っ て 良 い で あ ろ う 。 彼 女 に つ い て 現 在 ま で に 判 明 し て い る こ と は 、 一 八 六 一 年 の 国 勢 調 査 に よ る と 、 生 年 は 一 八 四 五 年 頃 で 、 英 国 デ ヴ ォ ン 州 、 ダ ヴ ェ ン ポ ー ト が 誕 生 の 地 で あ る 。 当 時 、 母 親 エ リ ザ ベ ス は 五 十 五 歳 で 製 造 業 者 未 亡 人 と あ る 。 ア リ ス 本 人 に つ い て は 十 六 歳 で 学 生 と 記 さ れ て い る 。 家 族 は 他 に 姉 も い る が 。 使 用 人 も 置 い て い る と こ ろ か ら 、 社 会 階 層 的 に は 中 流 の 暮 ら し と 言 え よ う o こ の 十 年 後 の 調 査 で 、 彼 女 は ロ ン ド ン の ホ ー ム ・ ア ン ド ・ コ ロ ニ ア ル の 寄 宿 舎 に 居 住 し て い る と こ ろ か ら 、 こ の 英 国 最 初 の 師 範 学 校 で 学 ん だ こ と は 明 ら か で あ る 。 こ の 学 校 は 、 英 国 で ペ ス タ ロ ッ チ の 理 想 を 取 り 入 れ て 設 立 さ れ た 最 初 の 学 校 で も あ っ た 。 彼 女 は 来 日 後 二 十 一 年 に わ た り 日 本 の 女 性 に キ リ ス ト 教 を 伝 え 、 多 く の 女 性 信 者 を 育 て た 。 彼 女 が 日 本 で 最 初 に 宣 教 の 仕 事 を 始 め た の は 慶 慮 義 塾 キ ャ ン パ ス 内 の 福 沢 家 の 二 階 で あ っ た 。 彼 女 が 福 沢 家 に 滞 在 し た の は 一 年 半 の 期 間 で あ っ た が 、 そ の 間 、 福 沢 は 家 賃 を 無 料 に し た ば か り で な く 、 家 具 や 教 具 な ど を 貸 し た う え 、 キ リ ス ト 教 教 育 を 受 け る こ と に 二 五