妹勢能山詠の諸問題
30
0
0
全文
(2) 万葉集研究. 一 妹之山 ( 妹 山 )・勢 能 山 ( 背 山 ) の歌 の所 在. こた. ミ. いも. ( ① 三 五 、 阿 閑皇 女 、 持 統四 年 六九〇). 、. ま ず 妹 之 山 ・勢 能 山 の歌 を 列 挙 し て お く 。 作 歌 年 代 の記 さ れ た も の乃 至 は 推 定 で き る も のを ほ ぼ 年 代 順 に (1 ). き ち. 勢 能 山 を 越 ゆ る 時 に、 阿 閑 皇 女 の作 ら す 歌 これ や こ の大 和 に し て は我 が 恋 ふ る紀 路 にあ り と い ふ名 に 負 ふ勢 能 山. たち ひ の まひとかさ ま ろ. ほ. 丹 比 真 人 笠 麻 呂 、 紀 伊 国 に往 き 、 勢 能 山 を 越 ゆ る時 に 作 る 歌 一首. か すが のくら おび と お ゆ. 春 日 蔵 首 老 、 即 ち 和 ふ る歌 一首. た く ひ れ の懸 け ま く 欲 し き妹 の名 を こ の勢 能 山 に か け ば いか に あ ら む. よう. さ き のす めら み こと. 宜 し な へ我 が背 の君 が負 ひ来 にし こ の 勢 能 山 を 妹 と は呼 ば じ. かみをか. 勢 能 山 に黄 葉 常 敷 く 神 岡 の山 の黄 葉 は 今 日 か散 る ら む. も み ち つね. ( ③ 二八 五 、丹 比 笠 麻 呂、 持 統 ・文 武朝 ). ( ③ 二 八 六、 春 日 蔵老 、 持 統 ・文 武朝 ). 大 宝 元 年 辛 丑 の冬 の十 月 に、 太 上 天 皇 ・大 行 天 皇 、 紀 伊 国 に 幸 す 時 の 歌 十 三 首 (う ち の第 一〇 首 ). おほ きす めら み こ と. に 云 ふ、 か へば いか に あ ら む. 並 べ、 そ の後 に作 歌 年 代 不 詳 のも のを 巻 毎 の配 列 順 に 並 べ、 通 し 番 号 を 付 し た 。. 1. 2. 3. 4. ( ⑨ 一六七 六 、 作者 未 詳 、 大 宝元 年 七〇 こ. 364.
(3) 妹 勢能 山詠 の 諸 問題(村 瀬). 5. 6 7 111098. ま. をだ の つか ふ. 小 田 事 の勢 能 山 の歌 一首 き. こ. 真 木 の葉 のし な ふ 勢 能 山 し のは ず て我 が 越 え 行 け ば木 の葉 知 り け む. い でま. いも. わぎ も. あ とら. ( ③ 二九 一、小田事、文武 ・元 明朝). 九 三 、 作者 未 詳 ). ( ⑦ 一二 〇 九 、 作者 未 詳 ). ( ⑦ =. ( ⑦ 一〇 九 入 、 作者 未 詳 ). ( ⑦ 一一九五、藤原卿、神亀元年七二四か). ( ④ 五 四 四、 笠 金 村 、神 亀 元 年 七二四). 神 亀 元 年 甲 子 の冬 の十 月 に 、 紀 伊 国 に 幸 す 時 に 、 従 駕 の 人 に贈 ら む た め に娘 子 に 眺 へら れ て 笠 朝 臣 金 村 の作 る 歌 一首 井せて短歌 ( うちの第 一短歌). ふた かみ やま. ま. 後 れ 居 て 恋 ひ つ つあ ら ず は 租 伊 の国 の妹 背 乃 山 にあ ら ま し も のを. あさご ろも. ぢ. 麻 衣 着 れ ば な つか し 紀 伊 の国 の妹 背 之 山 に麻 蒔 く 我 妹. き. へ. う ち はし. 紀 伊 道 に こそ 妹 山 あ り と い へ玉 く し げ 二 上 山 も 妹 こ そ あ り け れ. ただ. ま な ご. 勢 能 山 に 直 に、 向 へる 妹 之 山 こと 許 せ や も 打 橋 渡 す. こ. 人 にあ ら ば 母 が 愛 子 そ あ さ も よ し 紀 の 川 の辺 の妹 与 背 之 山. わ ぎ も. 我 妹 子 に 我 が恋 ひ 行 け ば と も し く も 並 び 居 る かも 妹 与 勢 能 山. ( ⑦ 一二 一〇 、 作者 未 詳 ). 論.
(4) 万葉集研究. 12. 13. こと. 妹 に 恋 ひ我 が 越 え 行 け ば 勢 能 山 の妹 に 恋 ひず て あ る が と も し さ. 道 に出 で 立 ち. ひり. 拾 はむと言 ひて. 我 が 問 ひし か ば ⋮ ⋮. あはびたま. 飽 玉 ゆふうら. 夕占 を. 妹乃山. 妹 が あ た り 今 そ 我 が行 く 目 の み だ に 我 に見 え こそ 言 問 は ず と も. おほあなみちすくなみかみ. たま ほ こ. 玉鉾 の. 浜 に寄る と いふ. 大穴道少御 神 の作 らしし妹勢能 山を見らく しよしも. と. 紀 伊 の国 の. 主 要 な 問 題 の ひ と つで あ る の で、 後 に詳 し く 検 討 す る 。. ( ⑦ 一二 〇 入 、作 者 未 詳 ) 鰯. ( ⑦ 一二 一 、作 者 未 詳 ). い つ来 ま さ む. ( ⑬ 三 三 一八 、 作者 未 詳 ). 行き し君. ( ⑦ 一二四七、柿本朝臣人麻 呂歌集) 勢能 山越え て. (2 ). 集 所 出 の 一二 四 七 番 歌 に つ いて は、 ひ とま ず 作 歌 年 代 不 詳 のグ ルー プ の 14 に 入 れ てあ る が 、 こ の歌 は 本 稿 で 扱 う. 1 ∼ 7 が、 作 歌 年 代 のほ ぼ判 明す る も の、 8 ∼ 15 が 作 歌 年 代 不 詳 のも の で あ る 。 本 稿 の冒 頭 に掲 げ た 人 麻 呂 歌. 山 が 詠 ま れ て い る か ら 、 当 該 歌 も 妹 之 山 を 詠 ん だ 歌 と し て 、 採 択 さ れ こ の位 置 に 配 さ れ た と 考 え て よ い。. あ り 、 し かも 当 該 歌 の直 前 に置 か れ た 四 首 ( ⑦ = 九三、 = 一 〇九、 一二 一〇、 一二〇 八 )に は いず れも 妹 之 山 ・勢 能. ヤ=. と ﹁妹 之 山 ﹂ の両 方 の意 が 含 ま れ て いる こ と は 間 違 いな い。 つま り 当 該 歌 は 紀 伊 国 関 係 の歌 を 収 め た 歌 群 の中 に. いる 場 合 も 多 い。 し か し 当 該 歌 の巻 七 に おけ る 配 列 様 態 か ら 考 え て、 ﹁妹 が あ たり ﹂ の ﹁妹 ﹂ に は 、 ﹁妹 ( 恋 人 )﹂. 以 上 の十 五 首 であ る。 た だ 13 の 一二 = 番 歌 に つ いて は 、 妹 之 山 を 詠 ん だ歌 と し て数 え ず 、 計 十 四 首 と さ れ て. 15. 14.
(5) 妹 勢 能 山詠 の 諸 問題(村 瀬). 二. 妹 之 山 ・勢 能 山 の 所 在. ニ ー 一 勢 能 山 の所 在. う ち つく に. な ば り. よ こ かは. こ のか た. き. せ のや ま. 、.. あ か し. くし ふ ち. 勢 能 山 の所 在 に つ い て は、 す で に ﹃日本 書 紀 ﹄ 大 化 二 年 ( 六四六)正 月 一日 条 に、 次 のよう に見 え る 。. さ. さ なみ. あ ふ さ かや ま. うち つく に. あ ふ み. 凡 そ 畿 内 は 、 東 は名 墾 の横 河 よ り 以 来 、 南 は紀 伊 の兄 山 よ り 以 来 、 西 は 赤 石 の櫛 淵 よ り 以 来 、 北 は 近 江 の 狭 狭 波 の合 坂 山 よ り 以 来 を 、 畿 内 国 とす 。. ( 右 岸 )、 伊 都 郡 か つら ぎ 町 背 ノ山 にあ る 背 山 ( 標高 一六入 メートル) であ る。 異 説 は な い。. 妹 之 山 の所 在 ー 景 観 ー. 現 在 、 紀 ノ 川 の北 岸. ニー 二. 妹 之 山 の所 在 に つ いて は 、 犬 養 孝 ﹁妹 と背 の山 考 - 旅 こ ころ ー ﹂ ( ﹃ 萬葉 の風土﹄ ︹ 続︺ 一九七二年、塙書房。初出 は 一 九六〇年) の 次 の主 張 が 通 説 と な って い る。. ﹁妹 の山 ﹂ の 所 在 に つ い て は 異 説 多 く 、 詞 のあ や の み で実 在 し な いと す る も の (﹃ 玉勝間﹄等)、 背 ノ 山 の 二 峯. み よ し. の いつ れ か と す る も の ( 本居内遠 ﹃妹山背山弁﹄)、 背 ノ山 と 一渓 流 を 隔 て背 ノ山 と 並 ん で 紀 ノ 川 北 岸 にあ る と. す るも の ( ﹃ 新考﹄)、 紀 ノ 川 南 岸 で背 ノ 山 と 相 対 し た 伊 都 郡 見 好 村 西 渋 田 ( 現在、か つらぎ町 に属す) に属 す る 長. 者 屋 敷 と い は れ る 丘 と す るも の ( ﹃ 紀伊続風土記﹄等)等 諸 説 があ り 、 な ほ これ に つい て は 後 述 す る が 、 五 万 分. の 地 図 に妹 山 (一二四メート ル) と あ る 続 風 土記 の説 の長 者 屋 敷 の丘 と 見 る べ き で あ る 。. と こ ろ が妹 之 山 ー1長 者 屋 敷 説 に は 疑 問 も あ る 。 例 え ば 澤 潟 久 孝 著 ﹃萬 葉 集 注 繹 ﹄ ︹ 巻第三、巻第 七︺ (一九五八年、. 367.
(6) 万葉集研究. 灘 糠難 嬰嚢 難撫 総蟻 藁 轟 灘1撫 欝 二1 灘 灘聾警 薫 灘 灘 懸鱗 欝 轟! 写轟A背. 山 と妹 山(通 説). 〔 撮 影 地:郡 歌 山県 伊都 郡 かつ ら ぎ町大 谷 の 中谷 川 の 堤 〕(木 村 哲 也 氏撮 影). 写 轟B黒. 上山 〔 撮 影 地:奈 良県 北 葛城 郡 当麻 町 今在 家 付 近〕(常 本 浩氏 撮 影) 368.
(7) 妹 勢 能lll詠の諸 問 題(村 瀬). 難. 鱒. 北月山 は は つき り 独 立 し た 山 で あ る が、 村 岸 の山 は. 並 び 称 す る に ふさ はし い形 に な つ て ゐ な い。. 禽. 一九 山ハQ 館+、 中 央 公 軌醐祉 ) が. 甑. 幾悪. と. 摺 耕 M. の川を へだてて対岸 にも 山 はあ るが、響. 機. で あ る が そ のう し ろ は 背 山 よ り も 高 く な つ て を. り 、 妹 背 と い ふ に ふさ は し く な い感 で あ る ⋮ ⋮. も 重 な つて ゐ て、 前 方 の山 は背 山 程 の高 さ. ( ③二八五 の注釈). 獅 撰勤. ( ⑦ 一〇 九 八 の注 釈 ). 並び称するには歪. 切 で あ る と 指 摘 し て いる 。 写 真 A か ら も 判 断 さ れ る よ. 妹童 うに. ζ 磐 媛 寮 禦. 山 佐 、 背 の. 繋 ら. ま た 8 の 一〇 九 八 番 歌 は、 紀 伊 道 にあ る 妹 之 山 を 通. 誠 にも っと も な 指 摘 で あ ゑ. 物 蝦. と、 す な わ ち 妹 之 山 があ る こと に 改 め て 気 付 い た と い. 雌岳 の二 峰 があ る こ 鰍 ﹂. う 趣 旨 の歌 で あ る 。 写 真 B の二 上 山 の 山 容 か ら も 容 易. にも 撃. 馳. 騨 し て 大 和 の工志. 覇 駐. に納 得 でき る よ う に、 背 山 と 長者 屋 敷 と で 成 す 妹 ・背 写) の 景 観 は 、 二 上 山 の景 観 と は 火 き く 異 な る 。 妹 之 山 11. 369.
(8) 万葉集研究. 長 者 屋 敷 説 は再 検 討 の要 があ る 。. セ マリ. ぷ. こ こ に お い て本 居 内 遠 (一七 九 二 年 生 、 一入 五 五 年 没 。 和 歌 山 藩 に仕 え た 。 本 居 大 平 の養 子) の説 が顧 みら れ る。. セノヤマ. ツ. 元 来 背 の山 と 云 る は 、 此 所 に て両 岸 の 山 相 狭 て、 咽 喉 を な せ る よ り 、 往 古 畿 内 の 界 と も せら れ 、 い ま も 伊 都. スペ. 那 賀 の郡 界 と も な れ ば 、 迫 山 と 云 て あ り し を 、 此 山 の峯 二 あ り て、 相 並 し 形 象 あ る よ り、 風 騒 の士 、 そ の. ヨビ ワケ. ツ. は云. 元 来 の迫 の山 の名 を 、 妹 妖 の義 に取 な し て 、9詠 じ来 れ る よ り 、 名 高 く な り た れ ども 、 此 山 を 総 て い ふ に は 、. イヅ レ. 背 の 山 と 億 駕 の ま ・に云 も し 、 物 に記 し も t る事 に て、 妹 の山 背 の山 と 云 る は 、 文 人 の詞 章 に の み擁. モ. ト. タシ カ. イヅ レ. て、 何 の方 の峯 を妹 の山 とも 背 の 山 と も 、 定 め て喚 分 た る に は非 ず 、 只 峯 二 あ る よ り 云 る な れ ば 、 後 々ま. で も 、 背 の 山 の 名 は 従 来 の ま ・に 、 山 の 名 に も 村 の名 に も 残 れ る を 、 妹 山 は 確 に 何 と 定 め た る 方 な け れ ば 、 知 ら ず な り て、 ⋮ ⋮. ( 本居内遠 ﹁ 妹 山 背 山 弁﹂ ﹃ 本 居内 遠 全 集﹄ ︹﹃ 本 居宣 長全 集 ﹄ ( 第 十 二巻 )︺). ( 背 山 の東 北 側 の峰 。 写 真 C の右 の峰 。 標 高 一六 八 メー ト ル) で あ. ( 背 山 の東 南側 。 写 真 C の左 の峰 。 標高 一六 一 ニメ ート ル) で あ る 。 こ の 二 つ の 峰 が 織 り な す 景 観 が 、. 背 山 は 二 つの 峰 を 持 つ ( 写 真 C 参 照)。 ひ と つ は 城 山 り 、 ひ と つは鉢 伏 山. (いず れ の 峰 を 妹 山 と す る か は 特 定 で き な い が ) 妹 之 山 ・勢 能 山 で あ っ た と 、 本 居 内 遠 は 主 張 す る の で あ る 。 本 居 宣 長 も 、 8 の 一〇 九 八 番 歌 に 触 れ て. ﹁二 上 山 も 妹 こ そ あ り け れ ﹂ と よ め る も 、 二 上 山 に 、 ま こ と 妹 と い ふ が あ る に は あ ら ね ど 、 峯 二 つ あ る に よ. り て、 ま う け て さ はよ み つる な れ ば、 き の国 な る も 兄 の山 と い ふ名 に つき て、 さ も い ふ べ き こと 也 。. ( ﹁妹背 山﹂ ﹃ 玉 か つま﹄ ︹ 九 の巻 ︺). 370.
(9) 妹 勢 能 山詠 の諸 問 題(村 瀬). と 述 べ て いる 。 妹 之 山 の所 在 を 考 え る際 に 、 二上 山 の山 容 は無 視 でき な い。 さ ら に 言 え ば 、 上 代 の文 献 に 現 れ る. 筑 波 山 に し ろ 、 越 中 国 の 二 上 山 にし ろ 、 二 峰 を 持 つ山 は 男女 、 妹 背 の 発 想 を 持 って捉 え ら れ て いる 。 ま た 筑 紫 国. の ﹁杵 嶋 ﹂ は 、 三 つ の峰 を 持 つが、 ひ と つを ﹁比 古 神 ﹂、 ひ と つを ﹁比 売 神 ﹂、 ひ と つを ﹁御 子 神 ﹂ と 称 し て 、 夫. ゜ 国 の妹 之 山 .勢 能 山 の発 想 も 、 二 峰 の 山 容. 婦 と そ の子 と いう 発 想 を 持 って い る ので あ る (﹃ 風土記﹄ ︹ 逸 文︺)。 紀 伊. 妹 之 山 の所 在 - 旅 び と のま な ざ し ー. に 由 来 す る と み る の がよ いと 思 わ れ る 。. ニー三. こ の内 遠 の主 張 の正 当 性 は 、 種 々 の側 面 から 検 証 でき る よう に思 う 。 以 下 具 体 的 に 検 証 し て い こう 。 まず 注 目. し て お く べき は 、 妹 之 山 が 歌 わ れ る よう にな る のは 、 万 葉 後 期 に入 って か ら であ る と いう こ と で あ る。 作 歌 年 代. の分 か る歌 の中 で、 妹 之 山 詠 の初 出 は、 6 の五 四 四 番 歌 であ る 。 こ の歌 は 題 詞 に よ れ ば 、 神 亀 元 年 ( 七 二四)十. 月 の聖 武 天 皇 紀 伊 国 行 幸 の折 の作 で あ る 。 7 の = 九 五 番 の藤 原 卿 の詠 も 、 神 亀 元 年 の行 幸 時 の作 と推 定 し てよ い 。. そ し て 妹 之 山 詠 が 後 期 に 現 れ る こ と と 深 く 関 連 し て注 目 す べぎ は 、 2 、 3 の二 八 五 と 二八 六 番 歌 の や り 取 り で. あ る 。 二 八 五 番 歌 は 、 ﹁勢 能 山 ﹂ に、 旅 に あ って い つも 心 に 懸 か って離 れ な い ﹁妹 ﹂ と いう 名 を 付 け た ら どう だ. ろ う 、 つま り ﹁勢 能 山 ﹂ 改 め ﹁妹 之 山 ﹂ と し た ら ど う だ ろう と 提 案 し た 歌 であ る。 し た が って 丹 比 笠 麻 呂 と 春 日. 蔵 老 が こ の歌 を 詠 ん だ 時 、 目 の前 に 妹 之 山 が 存 在 し た な ら ば 、 こ のよ う な や り 取 り は あ り 得 な か っ た は ず であ る 。 こ の時 点 で は 妹 之 山 は 存 在 し な か った の で あ る 。. さ ら に 注 意 せ ら れ る のは 、 す で に 犬 養 孝 論 文 ( 前掲)が 指 摘 し て い る よ う に、 ﹁勢 能 山 ﹂ の ﹁セ ﹂ か ら ﹁背 ﹂ が. 371.
(10) 万葉集研究. 連 想 さ れ 、 そ の ﹁背 山 ﹂ か ら ﹁妹 ﹂ が連 想 さ れ て いる と いう こと であ る。 こ の連 想 が、 ( 当 時 は 存 在 し な か った ). 妹 之 山 を そ の後 生 み出 し て いく 原 動 力 と な った と 考 え ら れ る 。 妹 之 山 は 、 妻 ・恋 人 を 家 郷 ( 都) に残し て道行 く. 旅 びと ( 都 び と ) が、 背 と 妹 と の連 想 の中 で作 り あ げ て い った 山 の名 だ った の であ る 。 妹 之 山 が 歌 に詠 ま れ る の が、 万 葉 後 期 を 待 たな け れ ば な ら な い のは 、 こ の こと と 深 く 関 連 し て いる と 言 え よう 。. こ のよ う に 見 てく る と、 妹 之 山 の 所 在 の確 定 は 、 こ の 地 を 道 行 く 旅 び と の目 線 に従 っても な さ れ る べ き であ る. と いう こ と に な る 。 で は 旅 び と の目 線 が 捉 え た 勢 能 山 の 山 容 は ど の よう な も の であ った の か。 そ の た め に は、 当. 時 の南 海 道 の道 筋 を 確 か め る必 要 が あ る 。 幸 い地 元 在 住 の木 村 哲 也 氏 を 中 心 とす る ﹁笠 田万 葉 サ ー ク ル﹂ の 方 々. の、 地 の利 を 活 かし た 地 道 で根 気 強 い踏 査 の継 続 の結 果 、 真 土 山 (大 和 国 と紀 伊 国 の国 境 に 位 置 す る ) か ら 背 山 (4 ). へ至 る 道 筋 は か な り 明 ら か にな り つ つあ る。 ご く 大 雑 把 に 言 え ば、 紀 ノ 川 の河 岸 段 丘 に沿 って い た。 つま り 紀 ノ. 川 に 沿 って 走 る 、 現 在 の国 道 24号 線 よ り も 、 か な り 北 側 の山 際 を 通 って いた の であ る。 こ の こと は、 最 近 の 発 掘. かせ だ. 調 査 によ って 次 第 に 確 か め ら れ つ つあ る 。 ﹃柞 田 荘 ( 窪 ・萩 原 遺 跡 ) 1 紀 ノ 川 流 域 下 水 道 伊 都 浄 化 セ ンタ ー 建 設. に伴う発掘 調査報 告書1﹄ ( 二〇〇〇年二月、財団法人和歌山県文化財 センター)に よ れ ば 、 ﹁柞 田 荘 絵 図 ﹂ ( 平安 時 代末. 期 の作 と 推 定 さ れ る ) に描 か れ た ﹁大 道 ﹂ (こ の道 が 古 代 の南 海 道 の道 筋 を 考 え る際 に重 要 な 指 標 と な る) は 、. ( 和 歌 山線 ) も し く は そ の さ ら に 北 側 の現 在 の道 あ た り と 考 え て 大 過 な い﹂ と いう 。. ﹁下位 段 丘 面 ﹂ ( 標 高 は五 〇 ー 六 〇 メー ト ルぼ ど。 佐 野 か ら 笠 田 中 を へて窪 ま で広 く 分 布 し て い る) に求 め る の が よ く 、 ﹁現 在 のJ R の線 路. さ. や. ( 5). ( 狭 野 ) 廃 寺 跡 ﹂ 付 近 か ら 撮 影 し た も の で あ る。 当 時 の旅 び と の. こ の道 々 か ら 見 え る背 山 は、 二 峰 が く っき り と確 認 で き る 山 容 を 持 つ。 写 真 C は 、 当 時 の 道 筋 近 く に あ った ﹁佐 野 寺 ﹂ ( 奈 良 時 代 前 期 の建 立 ) の跡 、 ﹁佐 野. 目 線 は 、 二 つ の峰 を 持 つ背 山 の山 容 を し っかり と 捉 え て いた は ず であ る。. 372.
(11) 妹 勢 能 山詠 の諸 問 題(村 瀬). こう し て み る 時 、 2 、 3 に見 ら れ た よ う な 、 都 に残 し て き た妹 を 恋 う 旅 ぴ と の心 が、 目 の前 の背 山 の二 峰 を 、. 竃. 妹之 山 ( 妹 山 )・勢能 山 ( 背 山 ) と見 な し て い った、 す な わ ち 妹 之 山 と いう 山 の名 を 作 り 出 し て い った ( 命名 し. 妹 之 山 の所 在 - 背 山 二 峰 説 の確 認 -. て い った) 過 程 がよ く 理 解 で き 納 得 でき る の であ る。. ニー 四. で は 内 遠 の妹 勢 能 山 11背 山 二峰 説 に依 った 場 合 、 十 五 首 の妹 之 山 ・勢 能 山 の歌 は 一層 適 切 に読 め る か ど う か 、 あ る いは 不 都 合 の生 じ る も の は な いか どう か を 確 認 し て お き た い。. ま ず ー の三 五 番 歌 は 、 持 統 天 皇 四 年 ( 六九〇)に 行 わ れ た 紀 伊 国 行 幸 の折 の 作 と 考 え ら れ る 。 阿 閑 皇 女 が 勢 能. 山 を 感 慨 深 く 詠 じ た のは 、 単 に大 和 で有 名 に な って いた 勢 能 山 を 、 今 目 の 当 た り にし た感 激 の み に よ る の で は な. く 、 前 年 の四 月 に亡 く し た 夫 ( 草 壁 皇 子 ) への思 い が連 動 し て いる か ら で あ ろ う 。 勢 能 山 の ﹁セ﹂ に ﹁背 ﹂ が意. 識 さ れ て い る と 見 る べ き であ ろ う 。 稲 岡 耕 二 ﹁大 名 持 神 社 と 人 麻 呂 歌 集 - 人 麻 呂 の工 房 を 探 る ( 其 の三 ) 1 ﹂. ( ﹃ 萬葉﹄第 一八八号、二〇〇四 ・六) はす で に 、 ﹁こ の勢 能 山 越 え の作 は 、 雑 歌 に 分 類 さ れ て は いる が、 山 名 (セ) に 因 む 亡 夫 への 相 聞 歌 に ほ か な ら な か った だ ろう ﹂ と指 摘 し て いる。. 先 に 8 の 一〇 九 入 番 歌 に は 二上 山 の二 峰 が 強 く 意 識 さ れ て いる こと を 見 た 。 二 上 山 と 言 え ば 、 大 津 皇 子 が 二 上 山 に移 葬 さ れ た 時 、 大 伯 皇 女 が詠 ん だ 次 の歌 が 想 起 せ ら れ る 。 う つそ み の人 にあ る 我 や 明 日 よ り は 二上 山 を 弟 世 と 我 が 見 む. ( ② 一六五). こ の歌 はも ち ろ ん大 津 皇 子 の屍 が 移 葬 せら れ た から こ そ 、 大 伯 皇 女 は 二 上 山 を 詠 ん だ のに 違 いな いが 、 愛 す る. 373.
(12) 万葉集研究. 弟 を ﹁わ が 背 子 を 大 和 へ遣 る ﹂ ( ② 一〇五) と 嘆 い た皇 女 であ って み れ ば 、 大 和 の二 上 山 の 二 峰 に妹 背 のう つし み. の姿 を 見 、 そ の想 い が、 ﹁二 上 山 を 弟 世 と 我 が 見 む ﹂ と 詠 ま せ た の であ ろ う 。 深 読 み で あ る と の 畿 り は 免 れ な い. が 、 勢 能 山 の 二峰 を 見 る阿 閑 皇 女 の目 に、 大 伯 皇 女 と 共 通 す る 想 いを 見 る こと が出 来 る の で は な い か。 勢 能 山 の 二 峰 の 山 容 は 、 す で にし て そ のよ う な 想 いを 懐 か せ る も のを 持 って いた の であ ろう 。. 6 の 五 四 四 番 歌 は 、 都 に残 さ れ た 娘 子 の立 場 で 詠 ま れ た歌 で あ り 、 いわ ば 想 像 の 世 界 で詠 ま れ た と いう 設 定 で. あ る か ら 、 妹 之 山 が 長 者 屋 敷 で あ っても 背 山 の 二 峰 であ って も ど ち ら で も よ い。 た だ 実 際 の景 観 を 知 る 笠 金 村 が 詠 じ て いる と いう 意 味 で は 、 二 峰 説 は よ り 適 切 で あ ろ う 。. 7 の 一 一九 五 番 歌 は、 麻 を 蒔 い て いる我 妹 を 詠 ん で い る のだ か ら 、 紀 ノ 川 を 挾 ん で 対 岸 にあ る 背 山 と妹 山 (長. 者 屋 敷 ) の二 山 で 麻 を 蒔 いて いる 我 妹 を 歌う の は 、 理 屈 と し ては 不 自 然 であ る。 二 峰 説 の方 が 適 切 であ る 。. 9 の 一 一九 三 番 歌 に つ い て は 、 興 味 深 い先 行 研 究 があ る 。 木 下 正 俊 ﹁妹 背 山 女 男 の打 橋 ﹂ ( ﹃ 萬葉﹄第七三号、 一. 九七〇 ・二) で あ る。 木 下 論 文 は 妹 山 11長 者 屋 敷 説 を と る。 当 該 歌 に詠 ま れ た ﹁打 橋 ﹂ と は ﹁訪 れ 来 る 男 の た め. に女 が 川 門 ( 渡 渉 場 ) に 渡 す 橋 、 夫 を 受 け 入 れ よ う と す る ゆ る し の橋 ﹂ であ る と 考 え 、 ﹁ 背 山 のそ ば の谷 川 に か. け た丸 木 橋 な ど と は思 いた く な い﹂ と し た う え で 、 紀 ノ 川 の中 洲 にあ る島 、 いま船 岡 山 と呼 ば れ て いる島 こ そ 、. 背 山と妹山 ( 長 者 屋 敷 ) の間 に渡 さ れ た 打 椿 で あ る と主 張 し た 。 船 岡 山 を 打 橋 に 見 立 て る と いう 、 誠 に ス ケ ー ル の大 き い風 景 に 注 目 し た 、 感 銘 深 い論 文 であ る 。. し か し な が ら 当 時 の旅 び と が取 った であ ろう 道 筋 か ら 考 え て、 こ の三 山 の き れ い に並 ぶ風 景 が 、 旅 び と の 目 に. つく こと は難 し か う た。 三 山 の並 ぶ 風 景 は 山際 の道 筋 か ら は 見 え に く い。 背 山 に 近 づ け ば近 づ く ほ ど 見 え に く く. な る。 木 下 論 文 が 掲 載 し て い る 二葉 の写 真 は、 ひと つは 紀 ノ 川 の南 岸 か ら の撮 影 であ る。 当 時 の道 筋 は 南 岸 に は. 374.
(13) 妹 勢能 山詠 の 諸 問題(村 瀬). な い。 も う ひ と つは ﹁船 岡 山 の上 流 約 一 ・五 キ ロの北 岸 ﹂ か ら の撮 影 であ る。 現 在 も 上 流 の三 谷 橋 か ら は 三 山 の. 並 び が よ く 望 見 でき る 。 し か し 現 在 の紀 ノ 川 沿 い は、 当 時 は 川 床 か 氾 濫 原 であ って、 道 は な か った はず であ る。. も っと 北 側 の山 際 を 通 って いた。 も ち ろ ん歌 の世 界 に お け る 想 像 力 、 あ る いは 万 葉 び と の豊 か な 比 喩 表 現 を 無 視. し て は な ら な い こ と は 承 知 し て いる 。 た だ当 該 歌 は こ こを 道 行 く 旅 び と の詠 であ る だけ に 、 詠 歌 の基 盤 と な る 風. 景 ( 旅 び と のま な ざ し が捉 え た 風 景 ) は、 し っかり と 押 さ え て お く Z いう 立 場 を 本 稿 は 取 り た い。. いか にも 散 文 的 で あ る と の識 り を 甘 受 し たう え で、 当 該 歌 の打 橋 は 、 勢 能 山 と 妹 之 山 の間 に かけ た丸 木 橋 と 思. わ ざ る を え な い。 も ち ろ ん こ の丸 木 橋 と て 、 背 を 受 け 入 れ よ う と し て妹 が 渡 し た橋 と し て 見 立 てら れ て歌 わ れ て. いる こ と は 言 う ま で も な い。 現 在 、 背 山 の二 峰 の間 に は 大 き く く び れ た 谷 が あ る。 こ の谷 の底 は 川 石 であ る。 木. 下 論 文 は ﹁有 史 以 前 の或 る時 期 ま で は妹 背 山 は連 な って い た。 ( 中略)地 質 の面 か ら 見 て、 背 山 ・妹 山 と も 基 盤 岩. の上 に洪 積層 が乗 っか った 形 で あ る ﹂ と指 摘 し て いる 。 本 稿 も 、 か つて和 歌 山 大 学 の 故 原 田 哲 朗 教 授 ( 地質 学). か ら 、 紀 ノ 川 は太 古 に は背 山 ・船 岡 山 ・長 者 屋 敷 ・北 山 に堰 き 止 め ら れ て 湖 を 成 し て いた の だ と、 同 趣 旨 の教 示 を得 た こ と が あ る。 背 山 の 二 峰 のく び れ は そ のな ご り であ ろう か 。. 10 の 一二 〇 九 番 歌 に お け る ﹁紀 の 川 の辺 の妹 与 背 之 山 ﹂ と いう 表 現 は、 二 山 が紀 ノ 川 の対 岸 に 位 置 し て い て も 、 同 じ 側 の岸 に 位 置 し て いて も 、 ど ち ら でも 可能 な 表 現 で あ る 。. 11 の 一二 一〇 番 歌 は、 二 山 仲 よ く 二並 ぶ妹 与 勢 能 山 を 見 て羨 ま し いと 歌 って いる の であ る か ら 、 紀 ノ 川 を 隔 て. て 対 岸 に あ る 二 山 であ る よ り 、 二 つ の峰 が仲 よ く 連 な って いる 山 容 の方 が 、 歌 意 に ふ さ わ し い。 当 時 は 川 を 渡 る. こと が 大 変 な こ と であ り、 そ れ ゆ え に 恋 人 が渡 り や す いよ う に 打 橋 を 渡 す の であ った こと を 思 え ば 、 ま し て や 紀. ノ 川 と いう 大 河 を 目 の前 に し た 旅 び と の感 慨 であ って み れ ば 、 ﹁と も し く も 並 び 居 る か も 妹 与 勢 能 山 ﹂ の表 現 に. 375.
(14) 万葉集研究. ふ さ わ し い のは 、 二峰 二 並 ぶ風 景 であ ろ う 。. 、. 12 の 一二 〇 入 番 歌 は 、 ﹁我 が 越 え 行 け ば ﹂ と あ る 。 越 え た の が勢 能 山 で あ る こと は、 1 、 2、 3 の題 詞 に ﹁勢. 能 山 を 越 ゆ る時 ﹂ とあ り 、 ま た 5 の 二 九 一番 歌 の ﹁勢 能 山 の歌 ﹂ に ﹁我 が越 え 行 け ば ﹂ とあ る と こ ろ か ら 確 認 で. き る。 ま た 4 の 一六 七 六 番 歌 の ﹁勢 能 山 に黄 葉 常 敷 く ﹂ は 、 勢 能 山 の黄 葉 を 実 際 に 踏 みし め て い る と ころ か ら 出. た表 現 であ る と 理 解 さ れ る 。 12 の歌 に お い て、 今 越 え て行 く 勢 能 山 か ら 眺 め て、 ﹁妹 に恋 ひず て﹂ ( 妹 に 恋 い焦 が. れ ず に 一緒 に いる こ と が で き て) と いう 詠 出 が 可能 な の は、 紀 ノ川 を 隔 て て対 岸 に あ る 長 者 屋 敷 が妹 之 山 であ る 場 合 よ り も 、 背 山 の 二峰 の ひと つが妹 之 山 であ る 場 合 の方 で あ る 。. 行 き し 君 ﹂ の 表 現 に 触 れ て、 木 下 論 文 ( 前. 13 の 一二 一 一番 歌 の ﹁妹 が あ た り 今 そ我 が行 く ﹂ と いう 表 現 は 、 川 を 隔 て た妹 山 で あ っても 可能 であ る が 、 二. 勢能 山越え て. 峰 の場 合 の方 が よ り 身 近 に 切 実 に妹 が感 じ ら れ る と 言 え よう 。 最 後 に 15 の三 三 一入 番 歌 に つ い て 見 る。 ﹁妹 乃 山. 掲)は 次 のよ う に 述 べ る。 、、 、南 岸 の妹 山 と 北 岸 の背 山 と を 何 用 あ って 二 つも 越 え る必 要 が あ ろ う と も 思 え ず 、 事 実 無 根 の ﹁言 葉 のあ や ﹂. と 言 わ れ ても し か た の な い例 であ る。 だ が歌 の世 界 の論 理 は こ の種 の合 理 主 義 に 屈 す る も の でな い。 ま し て. や 、 こ の歌 は 、 紀 伊 に旅 立 った 夫 を 大 和 にあ って 待 つ妻 女 の歌 (と いう こ と に な って い る の) であ る 。 音 に 聞 く妹 背 山 を 引 い て は いる が 、 実 見 し て いな け れ ば こ の 程 度 の誤 り も 避 け が た い。. さ き の 9 の 一 一九 三 番 歌 の打 橋 の場 合 と 同 じ く 、 歌 の世 界 に お け る 想 像 力 と 創 造 力 を 蔑 ろ にし て は な ら な い こ. と は 肝 に銘 じ な け れ ば な ら な いが 、 背 山 二 峰 説 の立 場 か ら こ の歌 を 診 る な ら ば 、 ﹁妹 乃 山 勢 能 山 越 え て﹂ と いう. 表 現 は、 ﹁妹 が あ た り 今 そ我 が行 く ﹂ ( 13の 一二 一一番歌) と いう 表 現 と と も に、 よ り 無 理 のな い自 然 な 表 現 で あ る. 376.
(15) 妹 勢 能 山詠 の諸 問題(村 瀬). と言え ようo. ニー五. 妹 之 山 の所 在 - 妹 山 11 長 者 屋 敷 説 の由 来 1. で は妹 山 11長 者 屋 敷 説 は な ぜ通 説 と な った の であ ろ う か 。 そ れ は妹 山 の所 在 に つい て触 れ た 先 行 研 究 が 、 古 今 集 の妹 背 の山 の 歌 を 基 に し て考 え た こと によ る。 顕 昭 と契 沖 の発 言 を 見 よ う 。 一、 いも せ の山 な が れ て は いも せ の山 の中 に お つるよ し の ・河 の よ し や 世 の中. 顕 昭 云 、 い も せ の山 と は 紀 伊 国 に あ り 。 芳 野 川 を 隔 て いも の山 せ の山 と て 二 山 の有 也 。 昔 いも と せう と ・河. を 隔 て中 の さ か ひ を 論 じ け り 。 遂 に妹 か ち て せ の山 の 方 近 く 掘 て吉 野 河 は な が し た り と 云 。 彼 い も と せ う. と 、 此 二 山 の上 に た て る に よ り て 此 名 を 付 た り 。 但 此 いも の山 せ の山 の中 に 小 山 あ り 。 そ れ を いも せ 山 と云 と そ 彼 国 の 土 民 申 け る、 お ぼ つか な し 。 考 三禺葉 ﹁云、. へ. せ の山 に た " に む か へる いも のや ま こ と ゆ る す かも う ち はし わ た る こ れ や こ のや ま と に し て は我 こ ふ る き ぢ に あ り て ふ各 に お ふ せ の山 わ ぎ も こ に 我 こ ひ ゆけ ば と も し く も な ら び ゐ し かも 妹 与 勢 能 山 此 等 の歌 の心 な ら ば 、 いも の山 せ の 山 別 歎 。. ( 顕昭 ﹃ 袖中抄﹄ ︹ 巻第十四︺[文治二年 = 八六、三年頃 の成立か]). 流 て は いも せ の山 の中 に 落 る吉 野 の川 のよ し や よ の中. 377.
(16) 万葉集研究. 先 、 妹 背 山 は 、 妹 山 と背 山 と ふ た つを つ ・け て い へる な り 。 万 葉 に 、 せ の 山 に た ・に む か へる 妹 の 山 と よ め. り 。 紀 の 川 を へた て ・、 兄 山 は 北 に、 妹 山 は 南 にあ り 。 紀 川 は 吉 野 川 の末 な れ は 、 流 て は と い へる に て 、 中. に落 る 吉 野 川 と い へる こと わ り た か は す 。 妹 背 河 も 、 紀 川 は 惣 名 に て 、 ふ た つ の山 のあ は ひ を 行 ほ と の別 名. へ. ( 契沖 ﹁妹背山 川﹂︹﹃勝地吐懐編﹄︺ ). と知 へし 。 妹 背 山 吉 野 に あ る や う に よ め る歌 と も は、 万 葉 を 能 見 す 、 右 の古 今 の歌 に、 な か れ て は と い へる 心 を 得 さ る な る へし 。. 読 人しらず. いず れ も 古 今 集 の歌 を 冒 頭 に 掲 げ て考 証 が 始 ま って い る。 古 今 集 の巻 第 十 五 、 恋 歌 五 の部 の入 二 入 番 の 歌 であ る 。. 題しらず. な が れ て は妹 背 の山 の な か に 落 つる吉 野 の 川 のよ し や 世 の中. こ の歌 は 妹 背 の仲 が疎 遠 に な って し ま い、 流 す 涙 が 吉 野 川 と な って、 妹 山 と 背 山 と の問 を 裂 いて 激 し く 落 ち 流 れ て いく さ ま を 歌 っ て い る。. 古 今 集 の恋 の部 は 、 恋 の初 期 段 階 か ら 末 期 段 階 へと 、 恋 の 経 過 を 追 った配 列 が な さ れ て い る。 当 該 歌 は ﹁恋 歌. 五 ﹂ (古 今 集 の恋 の部 は 一∼ 五 ま で の 五 部 かち 成 る 。 し た が って 恋 歌 五 は恋 の末 期 段 階 に属 す る ) の、 し か も そ. の中 でも 最 末 尾 に 配 列 さ れ て いる 。 こ の配 列 位 置 か ら 言 っても 、 ﹁吉 野 の川 のよ し や 世 の中 ﹂ と いう 表 現 か ら は 、. こ の世 の 男 女 の仲 に 疲 れ 果 て て諦 め の境 地 に 入 って いる 、 作 者 の心 情 が伝 わ っ てく る。 こ の心 境 を 効 果 的 に 表 現. し た の が、 妹 山 と背 山 の間 を 割 って 激 し く 流 れ る吉 野 川 の風 景 であ った の であ る 。 も ち ろ ん 当 該 歌 の作 者 は 意 図. 的 に 、 二 山 の間 に吉 野 川 を 流 し た の であ る 。 こ こ で ﹁紀 の川 ﹂ で は な く 、 ﹁吉 野 の 川 ﹂ を 用 い た のは 、 吉 野 川 が. 378.
(17) 妹 勢 能 山詠 の諸 問題(村 瀬). 著 名 な 歌 枕 で あ った こ と 、 そ し て古 今 集 で は ﹁吉 野 川 の 激 流 に 恋 の 思 い の激 し さ を た と え ﹂ る こ と が ﹁圧 倒 的. に ﹂多 か った ( 片桐洋 一著 ﹃ 歌枕歌 ことば辞典﹄ ︹ 増訂版︺ 一九九九年、笠間書院) こ と 、 そ し て ﹁ヨ シ の の か は の ヨ シ や ヨ のな か ﹂ と いう 音 の連 続 を 意 図 し た こと に よ る の であ ろう 。. し か し 万 葉 の妹 勢 能 山 詠 は そう い った 心 情 と は無 縁 であ る 。 妹 之 山 と 勢 能 山 と の間 に あ って 隔 て を な す 障 害 に. は 打 橋 を 渡 す (9の = 九三番歌) と いう の で あ る。 古 今 集 の当 該 歌 と 万 葉 歌 と の 間 に は、 内 容 上 根 本 的 な 相 異 が. あ る 。 に も か か わ ら ず 、 こ の根 本 的 な 相 異 を 無 視 し て 、 古 今 集 に歌 わ れ た 、 ﹁妹 背 の 山 ﹂ の風 景 か ら 、 逆 に 万 葉. の ﹁妹 勢 能 山 ﹂ の風 景 を 付 度 し て し ま った と こ ろ に、 妹 山 11 長 者 屋 敷 説 の出 発 が あ った の であ る 。. な お 言 え ば 、 そ の詠 ま れ た 心 情 は 大 き く 異 な る も の の、古 今 集 の 当 該 歌 も 、 万 葉 歌 と 同 じ く 紀 伊 国 の妹 背 の 山. を 詠 ん で い る と 見 る べ き であ ろ う 。 古 今 歌 に ﹁吉 野 の 川 ﹂ と あ る が 、 現 代 の よう に奈 良 県 内 の流 域 が吉 野 川 、 和. 歌 山 県 内 の流 域 が 紀 ノ 川 と いう よ う な 行 政 区 画 を 意 識 し て の表 現 で は な い。 ﹁流 れ て は ﹂ と あ る の で、 ﹁吉 野 の. 川 ﹂ が 流 れ 流 れ て紀 伊 国 の妹 山 と背 山 の間 に 割 って 入 った と 見 た の であ る。 顕 昭 も そ う 考 え て い る よう に、 古 来. そ う 考 え ら れ て き た の であ ろ う 。 た と え ば ﹃夫 木 和 歌 抄 ﹄ ︹ 巻 第 四 、 春 部 四︺ の = 七 五 番 歌 (こ の歌 は、 中 世. 平泰時朝 臣. 散 侠 撰 集 の ひ と つ・ であ る ﹃明 玉集 ﹄ に収 め ら れ て いた 歌 であ る) に 河 落 花 明玉. 春 たけ て き の か は し ろく な が る め り よ し の の お く に花 や ち る ら ん. とあ り 、 吉 野 川 が 流 れ て紀 伊 国 に 至 る と いう 詠 法 が 、 自 然 な 発 想 と し てあ った こ と が わ か る 。. 平 安 朝 以 降 、 古 今 集 は 絶 大 な 権 威 を 持 って い た。 一方 万 葉 集 は と 言 え ば 、 後 撰 集 (天暦五年九五一) の撰 者 の 梨. 壺 の五 人 が 、 万 葉 集 を 訓 み解 く 作 業 に従 事 し な け れ ば な ら な か った よ う に 、 万 葉 集 が 訓 め な く な っ て い た。 し か. 379.
(18) 380. も 古 今 集 の当 該 歌 は. 古 今 伝 授 秘 伝 歌 の 一つ。 恨 み ・執 着 ・諦 め な ど、 読 者 が 、 時 代 時 代 に そ れ ぞ れ の 思 い を 託 し て 理 解 し た 一 首 。 特 に中 世 人 の心 を 深 く と ら え た よう だ。. ( 小島憲之 ・新井栄蔵校注 ﹃ 古今和歌集﹄ ︹ 新 日本古典文学大系︺ 一九入九年、岩波書店) ( 6) と あ る よう に 、 古 今 伝 授 秘 伝 歌 と し て、 重 ん じ ら れ た 歌 であ った 。 そ う で あ って み れ ば 、 古 今 集 の当 該 歌 か ら 立. ち あ が って く る ﹁妹 背 の山 ﹂ の山 容 が 、 後 世 に おけ る 万 葉 の妹 勢 能 山 の 山容 の理 解 に、 絶 大 な 影 響 力 を 持 った で あ ろう こ と は 想 像 に 難 く な い。. 本 稿 第 二節 で は 、 万 葉 の妹 勢 能 山 は 都 から の旅 び と が 作 り 上 げ 命 名 し て い った 山 であ る こ と 、 妹 勢 能 山 は背 山. の 二峰 を 詠 ん だ も の であ る と 見 る の が 最 も 適 切 であ る こ と 、 そ し て妹 山 11長 者 屋 敷 説 は、 古 今 集 の歌 の影 響 に よ. る の で あ ろ う こ と を 述 べ た 。 以 上 述 べ き た った 大 筋 の趣 旨 は 、 本 居 内 遠 が ﹁妹 山背 山 弁 ﹂ に お い てす で に 指 摘 し. (7). た と こ ろ であ り 、 本 稿 は そ れ を さ ら に 種 々 の側 面 か ら 検 証 し た に過 ぎ な い。 先 人 の先 見 を 敬 仰 し 、 こ れ ま で村 瀬. 編纂 論 上 の諸 問題. 自 身 も 通 説 に依 り つづ け た こと を 省 み つ つ、 妹 勢 能 山 "背 山 二 峰 説 を 支 持 し た い。. 三. 三 - 一 人 麻 呂 歌集 所 出 の妹 勢 能 山 詠 11 吉 野 説 の検 討. 前 節 では 、 万 葉 集 に詠 ま れ た 妹 勢 能 山 歌 に つ い て、 勢 能 山 単 独 詠 に 次 第 に妹 山 詠 が 加 わ って いく 経 緯 を 、 妹 勢. 能 山 の 所 在 ・山 容 の問 題 と も 関 わ って考 察 し た結 果 、 妹 勢 能 山 詠 の出 現 を ほ ぼ時 間 軸 に 沿 って 説 明 で き た 。 と こ. 万葉集研 究.
(19) 妹 勢 能 山詠 の諸 問題(村 瀬). う が こ の時 間 軸 に 沿 った ので は 説 明 のし に く い歌 が あ る 。 通 し 番 号 14 の 一二 四 七 番 の人 麻 呂 歌 集 所 出 歌 で あ る 。. 稲 岡 耕 二 著 ﹃万 葉 表 記 論 ﹄ (一九七六年、塙書房)、 ﹃万葉 集 の作 品 と 方 法 ﹄ (一九八五年、岩波書店)、 ﹃人 麻 呂 の表 現. 世 界 ﹄ (一九九 一年、岩波書店)等 の重 厚 な 研 究 は 、 人 麻 呂 歌 集 が 天 武 朝 から 持 統 朝 初 期 に かけ て 人 麻 呂 自 身 の手 に. よ って 筆 録 さ れ た も の であ る こ と、 そ し てそ の大 部 分 が 人麻 呂 自 身 の関 与 し た作 で あ る こと を 明 ら か に し た 。. 当 該 の 一二 四 七 番 歌 は 人 麻 呂 歌 集 略 体 歌 ( 古 体 歌 、 詩 体 歌 ) であ る 。 稲 岡 著 書 に よ れ ば 、 古 体 歌 は 人 麻 呂 歌 集. の中 でも 初 期 に 属 す る 。 とす れ ば 当 該 歌 は 、 妹 勢 能 山 詠 十 五 首 の 中 でも 最 初 期 の詠 に 位 置 づ け ら れ る こ と と な. る 。 前 節 で見 た 範 囲 の内 で言 え ば、 こ の時 期 に妹 山 は詠 ま れ て いな い。 し か る に当 該 歌 に は妹 勢 能 山 が 詠 ま れ て. い る。 と す る と 妹 山 が例 外 的 に早 く 詠 ま れ た例 と いう こ と に な る。 逆 に持 統 朝 に は 妹 山 がま だ 歌 に詠 ま れ て いな. い と いう 前 節 で の結 論 を 基 にし て いえ ば 、 人麻 呂 歌 集 に は 平 城 遷 都 以 降 の歌 も 含 ま れ て いる 可能 性 が あ る と いう こ と に な る。 こ こ に妹 勢 能 山 詠 の 問 題 の ひ と つが あ る。. 人 麻 呂 歌 集 の実 態 の問 題 は、 す ぐ れ て万 葉 集 編 纂 の 問 題 でも あ る 。 伊 藤 博 著 ﹃萬 葉 集 の構 造 と 成 立 ﹄ ︹上 .下 ︺. (一九七四年、塙書房) が 明 解 明 晰 に説 い た よ う に、 万 葉 集 は ﹁古 ﹂ と ﹁今 ﹂ と の対 比 構 造 を も 有 し て い る 。 そ の. ﹁古 ﹂ の部 分 を 担 う 有 力 な 存 在 が 、 人麻 呂 歌 集 であ る 。 も し 当 該 歌 が 天 武 ・持 統 朝 で は な い、 平 城 遷 都 以 降 の新 し い時 期 の作 であ る と す る と、 こ の歌 は ﹁古 ﹂ を 担 う 歌 と は 言 い難 い こ と に な る 。. こ の問 題 に ひと つ の明 解 な 解 答 を 示 し た の が、 稲 岡 耕 二 論 文 ﹁大 名 持 神 社 と 人 麻 呂 歌 集 ﹂ ( ﹃ 萬 葉﹄第 一八八号、. 前掲) であ った 。 稲 岡 論 文 は 、 本 稿 ニ ー 五 で 検 討 し た、 古 今 集 巻 第 十 五 ﹁恋 歌 五 ﹂ に 収 めら れ た 歌 な が れ て は 妹 背 の山 のな か に 落 つる吉 野 の川 の よ し や 世 の中. の ﹁妹 背 の 山 ﹂ は、 紀 伊 国 の妹 背 の山 で は な く 、 吉 野 のそ れ で あ り 、 ま た 当 該 古 今 歌 が、 古 今 伝 授 秘 伝 歌 と し て. 381.
(20) 万葉集研究. 古 代 ・中 世 を 通 じ て 広 く 親 し ま れ た こ と か ら 、 ﹁古 今 集 以 前 、 つま り 万 葉 時 代 か ら 吉 野 の妹 背 山 は 存 在 し て い た. と 考 え ら れ る ﹂ と 認 定 し た。 そ のう え で、 吉 野 の妹 山 の麓 にあ る ﹁大 名 持 神 社 ﹂ ( 大 和 国 吉 野 郡、 祭 神 は 出 雲 の. 大 己 貴 神 ︹大 国 主 神 ︺) は 斉 明 朝 に勧 請 さ れ た 、 古 代 か ら 社 格 が非 常 に 高 い神 社 であ り 、 ま た 持 統 天 皇 の吉 野 行. 幸 の道 筋 に あ った と の先 行 研 究 ( 和田葦 ﹁ 倭成す大物主神﹂﹃大美和﹄第 一〇五号、 二〇〇三 ・七、大神神社発行)を 踏 ま え て 、 ﹁人 麿 歌 集 古 体 歌 に 見 え る ﹁妹 勢 能 山 ﹂ は 紀 伊 国 で は な く ﹂、. ( 大 穴 道 )﹂ を 祭 る 社 と密 接 な 関 係 に あ った か ら 、 人 麻 呂 の想 像 は お のず か ら. 大 名 持 神 社 の 社 殿 背 後 に 見 え る 妹 山 と 、 吉 野 川 を は さ ん で 対 岸 の背 山 を 詠 ん だも の であ っ・ た。 斉 明 朝 に 勧 請 さ れ た国 土 経 営 の神 ﹁大 名 持. 国 土 創 成 期 に ま で及 び、 以 後 な がく 夫 婦 親 和 の 範 型 と し て あ り つづけ る 二 山 に対 す る 讃 嘆 の心 を 表 わ し た の であ ろう 。. と 結 論 づけ た 。 つま り 、 人 麻 呂歌 集 所 出 の14 の 一二 四 七 番 歌 に歌 わ れ た ﹁妹 勢 能 山 ﹂ のみ が 、 万 葉 集 の他 の妹 勢. ( 紀 伊 国 ) の時 間 軸 か ら 外 れ る と いう 問 題 は、 す っき り と 解. 能山 ( 紀 伊 国 ) と は 所 在 を 異 に し た 、 吉 野 の妹 勢 能 山 で あ る と 認 定 し た の で あ る 。 こ のよう に考 え る な ら ば 、 14 の 一二 四 七 番 歌 の み が 、 万 葉 集 に お け る妹 勢 能 山 詠 消 さ れ る こ と にな る 。. し か し 14 の 一二 四 七 番 歌 のみ を 、 そ の よう に吉 野 の妹 勢 能 山 を 詠 ん だも のと 考 え る こ と に は躊 躇 さ れ る点 も 少. な く な い。 ま ず 、 斉 明 朝 に勧 請 さ れ た と推 定 さ れ る ﹁大 名 持 神 社 ﹂ の存 在 は 、 ﹃延 喜 式 ﹄ ﹁神 名 帳 ﹂ に 明 確 に 確 認. さ れ る も の の、 ﹁妹 山 ﹂ ﹁背 山 ﹂ の存 在 の確 認 が 十 分 に 出 来 て い る と は 言 い難 い。 こ こ で も 古 今 集 の ﹁な が れ て. は ﹂ の歌 が ひと つ の決 め 手 に な る わ け で あ る が 、 こ の歌 と て吉 野 の ﹁妹 山 ﹂ ﹁背 山 ﹂ の存 在 を 伝 え る も の と は 言 い難 い こ と は 、 先 に ニ ー 五 で見 た と お り で あ る 。. 382.
(21) 妹 勢能 山詠 の諸 問題(村 瀬). さ ら にも し 当 該 一二 四 七 番 歌 の 妹 勢 能 山 が、 吉 野 のそ れ で あ る な ら 、 吉 野 行 幸 の道 筋 に 面 し て在 る 妹 勢 能 山. が 、 な ぜ 万 葉 集 にか く も 唯 一孤 立 し て 存 在 す る のか 。 し か も 持 統 朝 に は 三 一回 と た び ま ねく 吉 野 行 幸 が 実 施 さ れ. た の で あ る 、 も っと 関 心 が は ら わ れ 、 歌 に詠 ま れ ても よ いは ず で は な い か と思 わ れ る 。 す で に 持 統 四 年 に 、 阿 閑. 皇 女 が ﹁大 和 に し て は我 が 恋 ふ る紀 路 にあ り と い ふ名 に負 ふ 勢 能 山 ﹂ ( -の三五番歌)と 詠 ん で い る の であ る か ら 、. 持 統 天 皇 の吉 野 行 幸 時 に 、 吉 野 に も ﹁勢 能 山 ﹂ が 存 在 し た のな ら 、 同 名 の ﹁勢 能 山 ﹂ が注 目 さ れ て し か る べき で あ ろ う 。 し か し 万 葉 集 に は 他 に 一首 も 見 出 す こと は で き な い。. ま た 巻 七 の 編 纂 ・構 成 と いう 面 か ら 見 ても 疑 問 は 残 る。 当 該 一二 四 七 番 歌 は 、 巻 七 雑 歌 部 の中 の ﹁罵 旅 作 ﹂. ( ⑦ = 六 一ー 一二五〇の計九〇首) の項 に 収 め ら れ て い る。 こ の ﹁罵 旅 作 ﹂ の項 の前 に は、 ﹁芳 野 作 ﹂ ( ⑦ = 三 〇⊥. ; 西 の五首)、 ﹁山 背 作 ﹂ ( ⑦ = 三五ー = 三九の五首)、 ﹁摂 津 作 ﹂ ( ⑦ = 四〇ー = 六〇の二 一首) が配 さ れ て いる 。. 当 該 一二 四 七 番 歌 を 冒 頭 に 据 え た、 人 麻 呂 歌 集 所 出 の 四 首 歌 群 ( ⑦ 一二四七ー 一二五〇)は 、 渡 瀬 昌 忠 著 ﹃萬 葉. 集全 注﹄ ︹ 巻 第 七 ︺ (一九八五年、有斐閣)が 指 摘 す る よ う に 、 ﹁巻 七 撰 者 に よ って、 一首 ず つば ら ば ら に 、 人 麻 呂. 歌 集 のあ ち こち か ら 抜 き 出 さ れ て 、 こ こ に並 べ ら れ た も の﹂ で は な く 、 ﹁人 麻 呂 歌 集 の略 体 歌 部 に お い て、 こ の. 四首 は 明確 な 鵬 旅 作 た る 一二 四 七 に率 いら れ て ま と ま っ て いた ﹂ ﹁旅 の宴 席 で 謡 わ れ る 歌 と し て 人 麻 呂 に よ っ て. 作 ら れ た 、 四 首 一組 ﹂ の歌 群 で あ った と 思 わ れ る。 そ し て こ の 四 首 歌 群 が ﹁暴 旅 作 ﹂ の 項 の 中 に 収 め ら れ た の. ( 2). は、 同 じ く ﹁羅 旅 作 ﹂ の項 の中 に 五 首 ( ⑦ 二 九三、 一二〇九、 一二 一〇、 = 一 〇八、 一二 = )連 続 し て 収 め ら れ て いる 、 紀 伊国 の妹 勢 能 山 歌 群 に 引 か れ て の こ と に違 いな い。. も し 当 該 一二 四 七 番 歌 の妹 勢 能 山 が、 吉 野 の そ れ であ った な ら 、 当 該 四 首 歌 群 は ﹁芳 野 作 ﹂ の項 に収 め ら れ た. はず であ る 。 ち な み に ﹁罵 旅 作 ﹂ の項 の中 に 、 吉 野 で の作 は 一首 も 収 め ら れ て いな い。 ﹁芳 野 作 ﹂ の 項 に収 め ら. 383.
(22) 万葉集研究. れ た 五 首 の歌 を み る と、 ﹁見 れ ば か な し も ﹂ (二 三〇)、 ﹁今 日 見 れ ば ﹂ (= 三 一) 、 ﹁う つ つ にも 見 て け るも のを ﹂. (= 三 二)、 ﹁我 か へり 見 む ﹂ (= 三三)と 、 吉 野 の 地 を 見 る こ と 、 そ れ は と り も な お さ ず 吉 野 の 地 を 讃 え る こ と. 瀧 の都 は. 見 れど飽 かぬかも﹂ ( ①三六) と同 様 の表 現 であ る 。 当 該 一二 四 七. であ った が 、 そ こ に重 き を 置 い て歌 って いる 。 当 該 歌 も ﹁見 ら く し よ し も ﹂ と 、 妹 勢 能 山 を 讃 え て い る。 こ れ は 人 麻 呂 が 吉 野 で詠 じ た ﹁水 そ そ ぐ. 番 歌 が、 吉 野 の詠 であ った な ら 、 巻 七 編 者 は 迷 う こと な く 、 ﹁覇 旅 作 ﹂ の項 で は な く 、 ﹁芳 野 作 ﹂ の項 に組 み 込 ん. (8). だ はず で あ る 。 し か る に そう な って いな い の は、 当 該 歌 は吉 野 の作 で は な いと 、 少 な く と も 巻 七 の編 者 は そ う 判 断 し た た め であ る と 考 え ら れ る 。. 以 上 のよ う な 疑 問 と そ の 検 討 の結 果 、 当 該 の 一二 四 七 番 歌 の妹 勢 能 山 が 吉 野 の そ れ で あ る と 認定 す る こ と に は. 躊 躇 せ ざ る を え な い。 吉 野 の妹 背 の山 が市 民 権 を 得 る 可 能 性 が出 て く る のは 、 古 今 集 の ﹁な が れ て は ﹂ の歌 ( た. 人 麻 呂 歌 集 所 出 の妹 勢 能 山歌 が提 起 す る も の. だし前述 のとおり、本稿はこの歌に詠まれた妹背 の山も、紀伊国 のそれであると考える)を 待 た な け れ ば な ら な か った と 思 わ れ る。. 三1 二. 前 項 三 1 一で検 討 し た よ う に 、 人 麻 呂 歌 集 所 出 の 一二 四 七 番 歌 の妹 勢 能 山 を 吉 野 の地 に 求 め る こ と に は慎 重 で. あ り た い。 と す る と 、 一二 四 七 番 の妹 勢 能 山 詠 が、 万 葉 集 に おけ る 妹 勢 能 山 詠 の時 間 軸 か ら 外 れ て いる と いう 問. 題 は 振 り 出 し に 戻 った こと に な る 。 一二 四 七 番 歌 の表 現 ・内 容 の具 体 に即 し て 考 え る ほ か は な い。. 岩 下 武 彦 ﹁人 麻 呂 歌 集 古 体 歌 の位 相 1 ﹁妹 勢 能 山 見 吉 ﹂ ( 7 ・一二四七) の解 釈 を め ぐ って i ﹂ (﹃フェリス女学院大. 学 国文学論叢﹄ ︹ 日本文学科創 設一 二+周年記念︺ ﹂九九 五 ・六)は 、 当 該 歌 の ﹁見 ら く し よ し も ﹂ と いう 土 地 讃 め の表 現. 384.
(23) 妹 勢 能 山詠 の 諸 問題(村 瀬). を 対 象 と し て考 察 し 、 人 麻 呂 歌 集 の位 相 を 確 か め た 。 岩 下 論 文 は 、 記 紀 歌 謡 を はじ め と す る 土 地 讃 め の 詞 と 、 当 該 歌 の ﹁見 ら く し よ し も ﹂ と を 比 較 対 照 し 検 討 し て 、 次 のよ う に 結 論 づ け た 。. 一二 四 七 歌 は 、 ⑪ ( 記歌謡 41)や ω ( 記歌謡 53) の呪 的 発 想 を 記 載 の レ ベ ル で脱 け 出 し た 所 で、 ﹁見 る ﹂ こ と に. よ って 讃 め る 段 階 から 、 ﹁見 る﹂ こと を 讃 め 、 そ の こ と を 通 し て 見 え る 対 象 を 讃 め る 表 現 へと 変 容 し た のだ. と言 え る 。 こ こか ら 、 人麻 呂 作 歌 の ﹁見 れ ど飽 か ぬ か も ﹂ と いう 讃 め の言 葉 ま で は、 も う あ と 一歩 と 言 って よ いだ ろ う 。. 記 紀 歌 謡 等 の 土 地 讃 め 詞 章 を 脱 し て、 歌 の記 載 段 階 に 入 った 人 麻 呂 歌 集 の新 し さ を 確 か め た。. 神 野 志 隆 光 ﹁暴 旅 歌 覚 書 - 人 麻 呂 歌 集 を め ぐ って ー ﹂ ( 上 田正昭 ・南波浩編 ﹃日本古代論集﹄ 一九八〇年、笠間書院). は、 ﹁七 世 紀 の段 階 で、 律 令 国 家 へむ か お う と す る 中 央 集 権 国 家 の 実 現 し て いく 新 し い く交 通 V に お い て、 新 し. い質 の旅 の 状 況 がも た ら さ れ る﹂ な か で、 そ れ を ﹁口 諦 か ら 記 載 へと 転 換 し つ つあ る歌 が、 ど の よう に ひき う け. て い った か ﹂ と いう 視 点 で羅 旅 歌 を 見 通 そう と し た論 であ る 。 こ の中 で 当 該 一二 四 七 番 歌 を 含 む 四 首 ( ⑦ 一二四. 七ー 一二五〇)お よ び 巻 十 二 ﹁暴 旅 発 思 ﹂ 部 に 収 め ら れ た 人 麻 呂 歌 集 所 出 の 四 首 ( ⑫ 三 一二七∼三 一三〇)を 組 上 に. の ぼ せ て、 人 麻 呂 歌 集 略 体 歌 の段 階 では 、 巻 七 、 巻 十 二 の編 者 が ﹁羅 旅 作 ﹂ と し て 採 択 す る に 十 分 適 う 歌 はま だ. ほ と ん ど 無 か った こ と 、 ﹁旅 の歌 を 、 編 纂 上 の要 求 か ら 人 麻 呂 歌 集 よ り 採 ろ う と す る と き 、 奈 良 朝 の感 覚 と 歌 集 歌 と の落 差 ﹂ が 働 い た こと を 指 摘 し た 。. 以 上 の二 論 は 、 いず れ も 人 麻 呂 歌 集 略 体 歌 を 、 口諦 か ら記 載 へと転 換 し つ つあ る 段 階 のも のと し て位 置 づ け う. る こ と を 、 表 現 ・内 容 ・当 時 の社 会 状 況 の具 体 に 即 し て確 か め て いる 。 二論 の 貴 重 な 指 摘 を め ぐ って、 本 稿 の関. 心 事 に 引 き つけ て 述 べ れ ば 、 ま ず 岩 下 論 文 が 、 ﹁﹁見 る ﹂ こ と に よ って讃 め る 段 階 か ら 、 ﹁見 る ﹂ こ と を 讃 め ﹂ る. 385.
(24) 万葉集研究. 段 階 への変 容 を 見 通 し た こ と は よ く 理 解 で き 納 得 で き る が 、 た だ 当 該 一二 四 七 番 歌 の ﹁見 ら く し よ し も ﹂ の表 現. に つ い て、 こ の表 現 は 、 人 麻 呂作 歌 の ﹁見 れ ど 飽 か ぬ か も ﹂ の表 現 へ至 る ま で の ﹁も う あ と 一歩 ﹂ のと こ ろ にあ. る と 位 置 づ け た こ と に 対 し て は、 そ のよ う に 限 定 し て 規 定 でき る のか どう か 、 疑 問 が残 る 。 両 者 は 少 な く と も 同. ・. 一の レ ベ ル の表 現 と 見 て よ い と思 う 。 あ る いは ﹁見 れ ど 飽 か ぬ か も ﹂ と いう 宮 廷 讃 歌 に お け る慣 用 的 表 現 を 引 き. 取 り つ つ、 も う 少 し 肩 の力 を ぬ いて 詠 ま れ た のが 、 ﹁見 ら く し よ し も ﹂ で は な 浄 った か 。. ま た 神 野 志 論 文 が、 人 麻 呂 歌 集 略 体 歌 のう ち 、.当 該 一二 四 七 番 歌 と 、 同 じ く ㍉ 羅 旅 作 ﹂ の項 に収 め ら れ た 一 二. 入 七 番 歌 、 そ し て巻 十 二 の ﹁霧 旅 発 思 ﹂ の部 に 収 め ら れ た 三 一二 入 番 歌 の三 首 の み が、 ﹁旅 の作 ﹂ と 言 え る 数 少. な い例 だ と 指 摘 し て いる こと も 重 要 で あ る 。 旅 の歌 と いう 観 点 から 言 え ば 、 当 該 一二 四 七 番 歌 は 、 人 麻 呂 歌 集 略. 体 歌 の中 にあ っ ても 例 外 的 な 存 在 であ った の であ る 。 旅 の 歌 が 広 く 歌 わ れ 一般 化 し た 時 期 (万 葉 後 期 ) の歌 と 同. じ 性 格 を 、 当 該 一二 四 七番 歌 は す で に有 し て いた の であ った と 、 本 稿 な り に理 解 す る こと が出 来 る 。. 小彦名 の. 神 こそは. い は や. 名付け そめけ め. 名 の みを. 言 ひ継 ぎけらく. 父母を. 見 れば貴く. 慰め. ( ③三五五、生石村主). 千 重 の 一重 も. 妻 子見れ ば. 愛しく めぐ. かな. ( ⑥九六一 二、大伴坂上郎 女). 名 児 山 と負 ひ て 9我 が恋 の. ま た 当 該 歌 の ﹁大 穴 道 少 御 神 の作 ら し し ﹂ と いう 表現 にも 注 目 し た い。 こ の国 作 り の二 神 を 取 り 上 げ て 詠 ん だ. 大汝 なく に. ﹁. 須 久奈比古奈 の 神代よ り. ・. 大 汝 小 彦 名 の いま し け む 志 都 の 石室 は 幾 代 経 ぬ ら む. 歌 は、 万 葉 集 中 他 に三 首 見 え る 。. ・. 於保奈牟 知. 386.
(25) 妹 勢 能 山詠 の諸 問 題(村 瀬). し. ・: ・:. ・ ( ⑱四 一〇六、大伴家持). 表 現 と発 想 を 当 該 一二 四 七 番 歌 と 共 有 す る が 、 こ の三 首 は いず れ も 万 葉 後 期 の作 で あ る 。 こ の三 首 が 一二 四 七. 毛. 番 歌 の影 響 下 に 作 ら れ た と 考 え る こと も 出 来 る が 、 さ り と て こ の 表 現 と 発 想 に 古 層 を 見 な け れ ば な ら な いも の で も な い。. ま た 妹 勢能 山 は 、 ﹁妹 背 乃 山 ﹂ ( 6の五 四四番歌)、 ﹁妹 背 之 山 ﹂ ( 7の = 九五番歌)、 ﹁勢 能 山 ・妹 之 山 ﹂ ( 9の= 九. 三番歌)、 ﹁妹 与 背 之 山 ﹂ ( 10の 一二〇九番歌)、 ﹁妹 与 勢 能 山 ﹂ (11の 一二 一〇番歌)、 ﹁勢 能 山 ・妹 ﹂ ( 12 の }二〇八番歌)、 ﹁妹 乃 山 .勢 能 山 ﹂ ( 1 5の三三 一入番歌) と記 さ れ て い る が 、 当 該 歌 の ﹁イ モ セ ノ ヤ マ﹂ と 同 じ 呼 称 を 持 つの は 、 6. と 7 の歌 であ る 。 こ の二 首 は、 神 亀 元 年 の作 で、 十 五 首 の中 で最 も 新 し い時 期 のも の で あ る 。 ﹁イ モド セノ ヤ マ﹂. で はな く 、 当 該 歌 の ﹁イ モ セ ノ ヤ マ﹂ と いう 連 続 し た こ な れ た呼 称 か ら は、 山 名 がす で に 人 口 に胎 表 し て いた こ と を 思 わ せ る。. 以 上 当 該 一二 四 七 番 歌 の表 現 と 内 容 に 即 し て 検 討 を 加 え た 。 大 筋 と し て言 え る こと は 、 当 該 歌 に は、 人 麻 呂 歌. 集 略 体 歌 に つ い て 一般 的 に 言 わ れ て いる ﹁古 さ﹂ に 比 し て、 も う 少 し 後 期 的 な 新 し い要 素 があ る と いう こ と であ. し. 、. 二〇〇二年、塙書房。. る。 し か し な が ら 本 稿 は、 だ か ら と 言 って 、 当 該 歌 が 人 麻 呂 歌 集 所 出 略 体 歌 であ る に も 拘 わ ら ず 、 万 葉 後 期 の作 であ る と いう こと を 主 張 し よ う と し て いる わ け で は な い。. 前 稿 ﹁巻 十 一 ・巻 十 二 の場 合 ー 類 歌 を め ぐ ってー ﹂ ( ﹃萬葉集編纂 の研究-作者 未詳歌巻 の論⊥. 初出 は }九九九 .一二) で 、 人 麻 呂 歌 集 歌 と 出 典 不 明 の作 者 未 詳 歌 と が類 歌 関 係 にあ る 歌 々を 取 り 上 げ て、 両 者 に. 類 歌 関 係 が 生 ず る 様 相 を 観 察 し た。 結 果 、 両 者 の関 係 は、 人 麻 呂 歌 集 か ら 作 者 未 詳 歌 へと いう 一回 的 一方 的 な 影. 387.
(26) 万葉集研究. 響 継 承 関 係 に あ る も の も あ る が 、多 く は も っと 広 範 で 柔 軟 な 継 承 流 動 の影 響 関 係 であ ろ う こ と、 す な わ ち 伝 諦. ( 人 々 の 口と 耳 と 頭 の中 にあ った 歌 の、 継 承 流 動 の 過 程 を いう が 、 一部 は 書 承 と いう 過 程 も あ った ) の 過 程 で、. 広 く ゆ る や か に生 じ て い った も の で あ ろ う と 考 え た。 人 麻 呂 歌 集 の歌 同 士 の間 に 類 歌 関 係 に あ る も の が あ る こ. と 、 あ る いは 異 伝 が 存 在 す る こ と は 、 人 麻 呂 歌 集 歌 そ のも のも 継 承 流 動 と いう 伝 論 の波 を か ぶ って いる こ と を 意 味する のである。. ( 略 体 ) 朝 臣 人 麻 呂 歌 集 ﹂、. ま た 伊 藤 博 ﹁万 葉 集 の成 り 立 ち ﹂ ( ﹃ 萬葉集繹注﹄ ︹ + 一、別巻︺ 一九九九年、集英社)は 、 人麻 呂 歌 集 に は 三 種 が 存 在 し た と 推 定 し て いる 。 ひと つは ﹁常 体 ( 非 略 体 ) 朝 臣 人 麻 呂 歌 集 ﹂、 ひ と つは ﹁詩 体. そ し て いま ひと つは 、 上 記 二集 が 伝 来 の間 に 異 同 や 増 幅 を う け て 成 り 立 った ﹁異 本 詩 体 ・常 体 朝 臣 人 麻 呂 歌 集 ﹂. で あ る 。 こ のよ う に 個 々 の人 麻 呂 歌 集 歌 が 伝 諦 の波 を か ぶ って いる と とも に 、 歌 集 そ のも のも 伝 来 上 の変 容 の波. を か ぶ って い る可 能 性 が あ る ので あ る 。 伊 藤 論 文 は、 三 つ目 の ﹁異 本 詩 体 ・常 体 朝 臣 人麻 呂 歌 集 ﹂ は お も に 巻 十. 二 の供 給 源 と な った と 考 え て いる が 、 当 該 一二 四 七 番 歌 の収 め ら れ た 、 巻 七雑 歌 部 の後 半 に採 ら れ た 人 麻 呂 歌 集. 歌 も そ の 可能 性 な し と し な い。 と いう の は、 巻 七 の雑 歌 部 は 前 半 部 ( ⑦ 一〇六入∼ = 二九 の詠物 の部)と 、 後 半 部. ( ⑦ 一一三〇∼ 一二九五 の羅旅 の部と雑 の部) に分 か れ 、 両 者 に は 編 纂 上 の 隔 た り が あ る 。 後 半 部 は 、 前 半 部 の編 纂 の. 過 程 で浮 上 し てき た 編 纂 方 針 の変 容 によ って 編 ま れ た と 思 し く 、 歌 を 先 行 歌 集 か ら ほ と ん ど 原 資 料 のま ま に 一括. し て採 録 し て い る の であ る ( 前稿 ﹁ 巻 七雑歌部 の編纂﹂ ﹃ 萬葉集編纂 の研究﹄ ︹ 前掲︺。初 出は 一九八二 ・三) 。 略体 歌 にはも. と も と ほ と ん どな い旅 の歌 は、 こう し た 異 本 人 麻 呂歌 集 にあ った こと も 考 え ら れ る の で あ る 。. 当 該 一二 四 七 番 歌 と 同 じ く 、 ﹁暴 旅 作 ﹂ の項 の中 に 収 めら れ て いる 一 一入 七 番 歌 は 人 麻 呂 歌 集 略 体 歌 であ る。. 神野志論 文 ( 前掲) が 略 体 歌 中 の数 少 な い ﹁旅 の作 ﹂ と指 摘 し た歌 であ る 。 こ の歌 は 、 前 後 に 羅 旅 歌 が 居 並 ぶ 中 、. 388.
(27) 妹勢 能 山詠 の 諸 問題(村 瀬). ﹁右 一首 、 柿 本 朝 臣 人麻 呂 之 歌 集 出 ﹂ の左 注 を 付 さ れ て、 一 一入 六 番 歌 の 次 に 置 か れ て いる 。 こ のあ り 方 に つ い. て、 伊 藤 博 ﹁﹁人 麻 呂集 歌 ﹂ の配 列 - 巻 七 ∼巻 十 二 の論 i ﹂ ( ﹃ 萬葉集 の構造と成立﹄ ︹ 上︺ 一九七四年、塙書房。初出 は 一 九七 一・一二) は 、 次 のよ う に考 え た 。. こ の 一首 は出 典 不 明歌 の中 にも 人麻 呂 集 詩 体 歌 の中 にも あ ったも の で、 そ の こ と に 気 づ いた 編 者 が、 人 麻 呂. 集 の 方 を 重 視 し て、 出 典 不 明 歌 の方 の表 記 を 詩 体 歌 の方 のそ れ に 改 め た 上 で、 人 麻 呂 集 所 出 であ る こ と を 注. (9). 記 し た と 見 る べき で な いか 。. 本 稿 も こ の推 定 に賛 成 す る 。 そ う で あ れ ば 、 = 八 七 番 歌 は 、 人 麻 呂 歌 集 略 体 歌 が 作 者 未 詳 歌 の間 に広 く 流 布. し 享 受 継 承 さ れ て い た こ と を 示 す 格 好 の例 と いう こと が出 来 る 。 略 体 歌 の中 でも 同様 の位 置 にあ る 、 当 該 一二 四. 七 番 歌 で あ って み れ ば 、 同様 の こう い った 伝 諦 流 布 の過 程 を有 し て いた と 見 る こ と が 出 来 よ う 。 一二 四 七 番 歌 に. 見 え た、 あ る 種 の ﹁後 期 的 な 新 し さ﹂ も 、 こう し た 人 麻 呂歌 集 歌 の広 範 で柔 軟 な 継 承 流 動 の中 に 生 じ て き た ﹁後 期 的 な 新 し さ ﹂ であ った の では な いだ ろう か。. 人 麻 呂 歌 集 に、 勢 能 山 で は な く 妹 勢 能 山 を 詠 ん だ 歌 が含 ま れ て いる こと の問 題 に つ い て は、 あ る い は こう も 考. え る こ と が 出 来 る 。 そ も そ も = 二〇 〇 年 前 と いう 時 代 の、 時 間 と空 間 の膨 大 な 広 が り を 思 う 時 、 そ し て残 さ れ た. 資 料 は そ の膨 大 な 時 間 と 空 間 の中 の芥 子 粒 の ひ と つに過 ぎ な い こ と を 思 う 時 、 十 五 首 の妹 勢 能 山 歌 を 一筋 の縄 で. 括 ろ う と す る こ と の危 う さ を 思 う 必 要 が あ る ので は な いか と いう こ と であ る。 例 え ば 天 武 朝 に勢 能 山 か ら ﹁妹 ﹂. を 連 想 し た 人 が い ても よ か った の で は な い か。 一二 四 七 番 歌 の作 者 は 、 国 作 り の神 ﹁大 国 主 の神 ﹂ を ﹁大 穴 道 ﹂. と 呼 ん で ﹁山 を 作 って は 大 き な 穴 を 道 にあ け て 歩 い た 巨 人 のイ メー ジ ﹂ ( 渡瀬昌忠著 ﹃ 萬葉集全注﹄ ︹ 巻第七︺ ) を ふく. ら ま せ る ほ ど想 像 力 の豊 か な 人 であ った 。 勢 能 山 に、 男女 二 神 が組 み を 成 し て 生 ま れ てく る神 生 み国 生 み 神 話 を. 389.
(28) 万葉集研究. 想 う こ と も あ り 得 た であ ろう 。 そ し て そ の発 想 のも と に詠 ま れ た 歌 が、 例 え ば 丹 比 笠 麻 呂 、 春 日 蔵 老 た ち の耳 に. 触 れ な い こと も あ り 得 た で あ ろ う 。 膨 大 な 空 間 を 擁 し た 世 界 で あ り 、 し か も 情 報 の ご く 限 ら れ た 世 界 で の出 来 事. であ った の であ る 。 実 際 10 の 一二 〇 九 番 歌 のよ う に、 妹 与 背 之 山 を 兄 と妹 と の間 柄 と し て 詠 ん で ( ﹁人 にあ ら ば. 、. 母 が愛 子 そ ﹂)、 他 と は 世 界 を 異 にす る妹 勢 能 山 詠 も 共 存 し て いた の であ る 。 本 稿 が 見 て き た時 間 軸 に は こう し た 柔 軟 な 許 容 範 囲 も 残 し て お く 必 要 があ る と 思 わ れ る 。. お わ り に. 妹 勢 能 山 の歌 を め ぐ って 、 そ の山 容 と 所 在 の問 題 、 時 間 軸 に 沿 った詠 歌 のあ り よう の問 題 、 そ こか ら 生 じ る 人. 麻 呂 歌 集 所 出 歌 の編 纂 論 上 の問 題 等 を 考 え た 。 本 書 のテ ー マで あ る ﹁編 纂 ・構 成 ﹂ に つ い て言 え ば 、 人 麻 呂 歌 集. 置. ,. ". ・. 所 出 の妹 勢 能 山 の歌 が提 起 し て い る の は 、 万 葉 集 の編 纂 を 一筋 の縄 で括 り き ってし まう こと の危 う さ であ る よ う に思 わ れ る 。. 注. て、 弁 紀 改 め春 日蔵 首老 と名 乗 った のが 大宝 元年 三 月 ( ﹃ 続 日本 紀 ﹄ ) であ った こと に よ る。 便宜 的 な 措 置 であ る。 5 の小 田. (1) 通 し番 号 2、 3、 4、 5 に ついて は 、 そ の順 番 は確 定 でき な い。 2、 3を 4 の前 に位 置 づ け た のは 、 3 の作 者 が 還 俗 し. 四 ・六 ) の考 証 と そ の結 論 に依 った。 た だ し 、 た と え 2、 3、 4、 5 の順 序 が 変 わ った と し ても 、 本 稿 の論 旨 に 支 障 は な. 事 の歌 に つ いて は、 稲 岡耕 二 ﹁大名 持 神 社 と 人麻 呂 歌集 - 人 麻 呂 の 工房 を 探 る ( 其 の三) 1 ﹂ ( ﹃ 萬 葉 ﹄ 第 一八 入 号 、 二 〇 〇. い。. 390.
(29) 妹 勢 能 山詠 の諸 問題(村 瀬). ( 2 ) 歌 番 号 が連続 し な い のは、 ﹁覇 旅作 ﹂ の項 の 一部 ( ⑦ = 九 四 ー 一二〇 七 ) の歌 の配 列順 序 の原形 が、 ﹃国 歌大 観 ﹄ の歌番. によ る 。 ま た これ と は別 に、 一二 〇九 、 一二 一〇 、 一二〇 八 番歌 に つい ても、 こ の順序 が原 本 の姿 であ ろう と の澤 潟久 孝 著. 号 の順 序 と 異な るた め であ る。 そ れ は ﹃ 国 歌大 観 ﹄ の依 った寛 永 版本 ( そ の原 型は 大 矢本 ) のそ の部 分 に 錯簡 があ った こ と. ﹃ 萬 葉 集 注 繹﹄ ︹ 巻 第 七︺ (一九 六 〇年 、 中央 公論 社) の指 摘 に 従 った。. (3) も っとも 当 該 の 一〇九 入 番 歌 は、 紀 伊道 の妹 之 山 に ついて は、 世 間 のう わ さを 基 にし て歌 って いる のであ るか ら 、実 際 の. ー. 景 観 と 比較 し て判 断 を下 す こと には 疑 問も あ ろ う。 し かし そ のう わ さ は 実際 に妹 山を 見 た 人 の実 体 験 を基 にし て 語 られ て い る のであ る から 、 実際 の景 観 と の比 較 は意 味 を 持 つと考 え る。. ( 4 ) 河岸 段 丘 に沿 った道 筋 に は、 松 山 加 持 水 、 丁 の 町流 れ井 戸 、 茶 屋 出 流 れ 井 戸 、森 井 戸 と い った 古 く か ら の井 が 残 って お. ( 狭屋 ) 廃 寺 跡 (﹃日本 霊 異記 ﹄ に も ﹁ 狭 屋 寺﹂ とし て登 場す る) も こ の道 沿 いにあ る。 さら に神 護寺 領 紀 伊国 柞 田荘 絵 図 に. り 、今 も 清 水 が 湧 き 出 て いるっ ま た法 起 寺 式 の伽 藍 配 置 を 有 し て いた こと か ら、 奈 良 時 代 前 期 の建 立 が 確 か め ら れ た 佐 野. 描 かれ て いる宝 来 山 神 社も あ る 。神 社 の入 り 口 には 、 今 は根 本 の株 を 残 す の み であ る が、 ﹁船 つな ぎ 松 ﹂ と 呼 ば れ る松 があ. フネ ツナギ. った。 ﹃紀 伊続 風 土 記 ﹄ ( 仁 井 田好 古 編 、 天保 十 年 ︹一入 三九 ︺ 成 立) は ﹁古 道 は村 中 ︹ 萩 原 村︺ 宝 来 山 明 神 の社 前 を 過 き て. 兄 山 の北 の方 を 越 え た り と いふ。 今 明神 の境内 に舟 繋 松 と い ひて、 往 古 舟 を 繋 き し 古 松 と い ひ伝 ふ。 是 に因 る に古 は河 筋 も 今 の街 道 よ り は 北 なり し 事 明な り ﹂ と記 し て いる。 ひめかみ. る 丹 比国 人 ( ③ 三 八 二) であ り、 高 橋 虫麻 呂 ( ⑨ 一七 五 三 。 二峰 を 男 神 ・女 神 と 詠 む) であ って、 いわ ば地 元 の人 の詠 であ. ひこかみ. (5) な お言 えば 、 筑 波 山 は男 体 山 ・女 体 山 の 二峰 を持 つが、 こ の二峰 の山 容 を意 識 し て歌 に詠 ん だ のは 、都 から の旅 び と であ. る 東歌 ・防 た 歌 に は詠 ま れ て いな い ( 村瀬憲夫著 ﹃ 万 葉 び と のま な ざ し 1 万葉 歌 に景 観 を よ む ー ﹄ 二 〇 〇 二 年、 塙 書 房 )。. も ち ろ ん か つて は ﹁擢 歌 会﹂ の行 わ れ た土 地 であ る から 、 そ の地 に 住 む 人 々 は二峰 を 男 と女 と見 て いた の であ ろう が、 東 び. と に と って二峰 は空 気 のよう な 存 在 であ った のであ ろ う 。旅 びと は 異国 の山 の二峰 に接 し た時 、そ の山 容 にと り わけ 強 い関. 心を いだ いた の であ る 。 ま た 8 の 一〇九 入 番 歌も 、 異 国 ( 紀 伊 国 ) の地 にあ る妹 山 に触 発 され て、 大 和 国 の二上 山 の二 峰 に 目を と め た 歌 であ る。. 上 げ ら れ て いる 。 例 え ば ﹃ 古 今秘 注 抄 ﹄ に ﹁ 紀 伊 国 ニイ モ ノ山 セ ノ山 ト テ 吉 野 川 ヲ ヘタ テ ・サ シ向 テ ニ ノ 山 ア リ 。 ( 中略). ( 6) ﹃ 古 今 秘注 抄 ﹄ ﹃ 古 注 上 ﹄ ﹃古 今砂 ﹄ ﹃ 古 今集 聞 書 ﹄ ﹃難波 津 泰 謳 抄 ﹄ ﹃口伝 ﹄ と い った 中 世 の注 釈書 に当 該 古 今 集 歌 が取 り. 舟. 91 3.
関連したドキュメント
する愛情である。父に対しても九首目の一首だけ思いのたけを(詠っているものの、母に対しては三十一首中十三首を占めるほ
この数日前に、K児の母から「最近、家でも参観曰の様子を見ていても、あまり話をし
BCI は脳から得られる情報を利用して,思考によりコ
現実感のもてる問題場面からスタートし,問題 場面を自らの考えや表現を用いて表し,教師の
しかし,李らは,「高業績をつくる優秀な従業員の離職問題が『職能給』制
ビスナ Bithnah は海岸の町フジェイラ Fujairah から 北西 13km のハジャル山脈内にあり、フジェイラと山 脈内の町マサフィ Masafi
が作成したものである。ICDが病気や外傷を詳しく分類するものであるのに対し、ICFはそうした病 気等 の 状 態 に あ る人 の精 神機 能や 運動 機能 、歩 行や 家事 等の
ているかというと、別のゴミ山を求めて居場所を変えるか、もしくは、路上に